07/01/31(水) エビマヨ豆腐

 
 
【朝メニュー】
納豆
ヤクルト
 
【昼メニュー】
広島焼き(東京・八丁堀「よっくん家」)
http://www.enjoytokyo.jp/OD003Detail.html?SPOT_ID=g_a528400
 
【夜メニュー】
ご飯
味噌汁(大根、白菜、ワカメ)
エビマヨ豆腐(豆腐、エビ)
ミートボール
ほうれん草のたまごとじ(ほうれん草、たまご、ニンジン、しいたけ)
ビール
 
お好み焼き、厳密に言えば大阪焼き。そして広島焼き。どちらが好きか、人それぞれで異なる…。僕はといえば、広島焼きの方が好物。食う機会は大阪焼きの方が圧倒的に多いし、その中にも特別に旨いヤツが幾つもあったけど、それでも広島焼きの方が好きなのだ。それは全て小学生の時に食った広島焼きの感動に起因する。今食えばどうか分からないが、当時の僕は、この世にこんな旨いものがあったのかというくらいに感激したものだ。その原風景を元に、現在の広島焼きマンセーな僕が居るのである。それを考えれば、職場近くに数多あるお好み焼き屋の中で、いつもこの広島焼き屋「よっくん家」を選んでしまうのも自然の成り行きかもしれない。
 
そんなお好み焼きを含め、大衆料理と呼ばれるもの、即ち焼肉やラーメン等の嗜好は、こういった幼少時の体験が後人生に大きく関わることが多いと思う。昔食ったあの味が忘れられない。あの味を超えるものは二度と現れない。未体験のまっさらな気持ちだから、その気持ちもより一層濃くなるのだ…。しかしそれ以外、あまり普及していない料理やこれから発明される料理に関してはその限りではない。何しろ経験が少ないか皆無なのだから、過去と比較のしようがないわけだ。さらに、大人になればなるほど感動は薄れるから、新しいメニューに対して客観的になれる。今夜相方が出した「エビマヨ豆腐」などはまさにその好例である。
 
エビマヨ豆腐。一昔前には聞いたことすらなく、僕などはTVでやってるピザのCMで初めてその名を聞いたほど。加えてネット等で検索しても比較的新しいメニューという触れ込みが多いことから、今までに無いタイプという判断を下して良いと思われる。そんなエビマヨを、大人になった舌で偏見なく吟味したわけだが…。なかなかに美味。エビという高級食材を使っている時点で既に勝ち組なのだが、エビマヨの「マヨ」の部分を担うソース部分にひとかたならぬ工夫が見て取れるところが好印象なのである。調べてみれば、マヨネーズにケチャップ、牛乳、ハチミツetc…。と、様々なスパイスを用い、いかにエビの味を引き立てるか苦心している。馴染みの浅い料理だが、色々手間をかけて作っている「エビマヨ」を、僕は好意をもって受け止めるのだった。
 
それにしても、料理とはソース一つとってもこれだけの手間をかけるのか、と改めて感心することしきり。それを毎日やっている相方に感服してやまない。

07/01/30(火) 肉まん、オヤジのたこ焼き

 
 
 
 
【朝メニュー】
納豆
ヤクルト
 
【昼メニュー】
担々麺セット+締めごはん(東京・八丁堀「陳麻屋」)
http://www.chin-ma-ya.com/
 
【夜メニュー】
コンビニ肉まん
コンビニサラダ
屋台たこ焼き
ビール
 
極旨の限定品「ルースー飯」をゲットしようとするも、その都度「売り切れですスイマセン」とそっけなく言われ、消去法で仕方なく担々麺を食ってしまう、そんな職場近くの中華屋「陳麻家」。もうルースー飯を食うのは不可能と頭では分かっているのに、今回も何故か行ってしまった…。そんな、勝てない勝負に挑み続ける状態はもはや魔力。目に見えない磁力が陳麻家の周辺に漂っている。もしかして僕は、その磁力のせいルースー飯が食えないのかもしれないと、思い始めた最近だった。
 
所変わって夜のこと。この日、一つの出会いがあった。仕事の帰りが遅かったため、出来合いの肉まんやサラダなどみみっちいメニューを近所のスーパーで買った帰り道でのこと。たこ焼き屋の車が一台停まっていた…。
 
古ぼけた車。社内を照らす豆電球。縁日に出てきそうな背中の煤けたオヤジ。間違いない、これは昔懐かしのたこ焼き屋。高級デパ-トの一角に威風堂々と暖簾を掲げる現在のファッション化したたこ焼きショップとは一線を画す。古き良き時代のたこ焼き屋だ。こんな時代にもまだ傭兵のように固くなに古風なたこ焼き屋を運営するとは、中々見上げた心掛け。この薄ら寒い都会の森の中、まったくいいものを見させてもらった。心から応援するよオヤジ。頑張れよ。
 
と、僕は普通に通り過ぎようと思ったのだが、その横で異様なまでに喰い付く相方。どうやらその全ワルオヤジをいたくお気に召したらしい。彼女は僕のためらいなどまるで見てないと言わんばかりに「たこ焼ください」とオヤジに元気よく叫ぶ。オヤジもオヤジで「えい毎度ぉ」と予想通りの大雑把な反応を見せる。かくして、僕という仲介役を通り越した、メーカーと消費者の直接取引きがその瞬間行われたのだった。
 
僕は、たこ焼きが好きだ。しかし、必ずしも全てのたこ焼きが旨いとは思わない。ピンからキリまでレベルが存在する。かと言って、設備が整っていれば旨いというわけでなく、逆にボロっちいたこ焼き屋が不味いとも限らない。その判断基準は無きに等しく、全てはたこ焼き職人の腕前と、買う側の人間のセンスに委ねられる。そんなあやふやなメニューが即ちたこ焼きである…。そうした時、僕の数々の経験則から言って、このたこ焼き屋は極上ではない。不味いわけじゃないが、味だけで見るならば平凡レベルであり、感動を得ることは出来ない。そう考えていた。ゆえに僕は大した興味を示さなかったのだが、今回は相方が飛びついたということで敢えて挑戦してみたわけだ…。結果としては、大体は僕の予想通り。飛び上がるほど旨くもなく、二度と行かないと思うほど不味くもなく、あれば買ってもいいかなという中レベルのたこ焼き。その点においての感動はない。
 
しかし、別の部分での感動はあった。まず一つが、そのメニューの面白さ。そのオヤジは、通常のたこ焼きだけでなく、チーズ入りやら餅入りやら変わったメニューを掲げている。旨い不味いは別として、その独創性は評価できる。まあその独創メニューも結構いい加減なもので、例えばチーズ入りならスーパーで買ったようなチーズを細切れにしてたこ焼きの上にただ乗せるだけという、工夫の欠片もない工夫でしかないのだが…。しかし、それがオヤジの流儀であり、その適当さを気にも留めない姿勢は評価できるというか、逆に好意にすら値するわけである。
 
もう一つの感動。それは、たこ焼きは8個入りなのに、そのオヤジは9個入れてくれていたということ。つまり1個サービスしてくれるのだ。買った瞬間、僕は一つだけ異様に盛り上がる部分にすぐに気付いた。微笑みと共に。粋なことをしやがって、と…。僕はそのさりげないサービス精神にこそ感動したのである。
 
相方はそれに最初気付かなかった。しかし、「多分1個多く入ってるよ」「うそぉ?」という流れの中でその透明なケースをパカッと開けた瞬間、余分に浮き出た1個のたこ焼きを見た瞬間、僕と同じように、いやそれ以上に感動したのだ。これが、このたこ焼き屋およびオヤジのセンスであり、僕がこれからも買ってもいいと思った理由である…。そう、全ては今日の素晴らしい出会いから始まった。
 
そんなささやかな喜び。だけど心に染みる人間ドラマ。こんないい話は他にない。

07/01/01(月) 実家おせち料理、カレー

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
【朝メニュー】
駅弁(東京・歌舞伎)
 
【昼メニュー】
実家おせち料理(かまぼこ、こうや豆腐、さといも、しいたけ、数の子、昆布巻き、コンニャク、黒豆、いぎす)
実家雑煮
焼き餅
ビール
コーヒー
 
【夜メニュー】
実家カレー
野菜サラダ(トマト、キュウリ、レタス)
りんご
公園だんご
ビール
牛乳
 
 
2006年にさようなら。2007年にありがとう。そして―全ての人達におめでとう。
 
というわけで、2006年大晦日をつつがなく終え、迎えた2007年、元旦。昨日の徹夜麻雀やK-1の喧騒がまるで幻だったかのような静寂の地に僕等は居た。すなわち実家への帰省である…。
 
世間のしがらみにのたうつ一般的ビジネスパーソンにとって、骨休め出来る期間はゴールデンウィーク、盆、正月休みの3種類しかない。そしてその間、何をして過ごすのかと言うと、旅行、帰省、豪遊、引きこもりのいずれかにほぼ分類されるだろう。さらに帰省に限って言えば、遠く離れた地に実家を持つ人間にとってはもはや鉄板、黄金律。長期休暇は帰省のためにあると言っても過言ではない。まあ、自分を育ててくれた親への義理と感謝を考えるなら当然の選択とも言える。逆に、それを全くしない人間は鬼畜生と呼ばれても仕方ないのかもしれない。いずれにしても、僕は年に最低一回は実家に帰っているので、まだ最低限のラインに立ってはいると言えた。いわば半畜生というところだろうか…。
 
そんな帰省事情。GWまたは夏は相方の実家へ、そして冬は僕の実家というのが定番になりつつある昨今。僕等はコンクリートジャングルを離れ、故郷・鳥取へと向かう。家に着くと、そこには懐かしい景色と懐かしい両親が突っ立っていた…。見下ろせばXBOXすら持ち上げられないんじゃないかというくらいか細いお袋の腕。振り向けば太陽の光線を浴びて一層の輝きを見せる、さらに禿げ上がったオヤジの頭。それを尻目にコタツの中で惰眠を貪る一人の愚息。そんな光景に思わず涙が…(´;ω;`)ウッ
 
まあ、それでも顔を見せるだけで喜ばしいのが親の心理。だから僕等としては、その最大限の歓待に最大限の食欲を以ってして答えるのがせめてもの礼儀であり孝行である。メニューの内容は重々承知。そこに必ずカレーが入るのも折り込み済み。あとはただハイエナのように食う。それだけで良いはずだった…。
 
そういうわけで、食事モード全開。昼はお袋手製のおせち料理。基本的にウチの実家は健康志向のため味は極めて薄目。濃い口LOVEな僕や親父にとっては物足りなさを感じるだろう。しかし、旨い不味いで言えば断然旨い部類に入るわけで、その他の料理技術や経験で言ってもそこいらの料理上手を自称する小娘など足下にも及ばないわけで、両者の間には越えられない壁がある。そして、その部分はそのままコンビニやデパート用に大量生産される大衆好みの濃い口おせち料理と一線を画す理由にも繋がる。つまり、世に旨い料理は数あれど、小細工抜きに旨いのは結局お袋の味であると。多種に渡るソースや調味料、そして濃い口の味でごまかしている料理が多い中、本物と言える料理は結局のところ我が家の料理なのだと最近になって思い知る。おせちのこうや豆腐の煮加減も、一個一個が丁寧に黒光りする黒豆の料理加減も、一般人の及ぶところではない。LV42まで昇格した相方も、その仕事ぶりに感動していた。
 
カレーライスも同じく。相方曰く、ウチのカレーは肉や野菜をわざわざ一種類ずつ炒めて、最後にカレールーと共に煮込む、手間のかかる手法だという。相方自身はまとめて炒めて一気に煮込むのだと。両者の相違点が僕には分からないが、とりあえずその丁寧さと繊細さに目からうろこが落ちたらしい。僕はただただ旨いカレーが食えればそれで満足至極だが、相方が感動しているので好きにさせておく。ただ、この料理には食う者への愛情があるという相方の意見には激しく同意する次第。ゆえに、飽くることなくおかわりを貪った僕である。
 
そんな実家帰省1日目。とにかく良く食った記憶しかないが、何となく思ったことがある。それは、本物は野にも多く居るということ。そして本物は、自分から出向かずとも周囲が勝手に賞賛してくれるということ。世の中に蔓延する、自分を身の丈以上にアピールしている小者達。こういう輩がはびこるから文化が廃れるのである。
 
しかし、各家庭の料理技術は廃れない。いつかそれは受け継がれ、後々まで脈々と語られるのだ。相方がその技術を継承出来る腕前になることを切に願う。

06/12/31(日) 年越しそば

 
 
 
 
 
【朝メニュー】
チキンカレー(東京・秋葉原「松屋」)
 
【昼メニュー】
パイナップル
プッチンプリン
 
【夜メニュー】
年越しそば(エビ天、ほうれん草、ネギ)
煮物(ゴボウ、大根、さといも、にんじん
くりきんとん
黒豆
ビール
 
 

その年における最後の一日。一年間の締め括り。暦上はいつもと変わらぬ日常のはずだけど、とかく人はこの日を特別視して持てはやす。そのLAST DAYを俗に大晦日と人は云う…。
 
そんな大晦日の朝。僕といえば、昨日に引き続き徹夜麻雀で奮闘中。今年、仲間と麻雀出来るのもこれで最後かと思うと無性に胸から何かがこみ上げてくる…。思い起こせば2006年、二十数回におよぶ麻雀勝負。積み上がる点棒と積み上がる敗北と…。それでも逃げちゃダメだ、これが男の戦いなんだと言い聞かせ、シンクロ率400%への覚醒を待ち望むも、結局は奮闘虚しく散ったこの日を僕は忘れない。何事も、奇跡を待つより捨て身の努力なのであると…。だけど、負けとは全く関係ない部分で僕はこの上ない清々しさを感じていた。
 
長かった勝負も終わり、僕等はとりあえず松屋でカレーを一杯。これからイベントに行く人間、アキバ巡りをする人間、そして家に帰る人間と僕等は散り散りになっていく。まるで、勝負が終わった後さあ帰るぞと席を立っていく雀士達を背にしたまま卓上に無残に散らばる麻雀牌のように…。さようなら、2006年の麻雀メモリー。さようなら連戦連敗の記憶。消去っ!消去っ!(⊃Д⊂)
 
麻雀が終わり家に帰る僕。待っていたのは相方。徹夜で眠い僕にパイナップルなどを差し出しビタミン補給させるという気遣いを見せるあたりは、さすがに只ならぬセンスを感じる。パイナップルのちょっと酸っぱい果汁が疲れた身体に染み渡り、僕は小一時間ほど眠りに就くのだった。
 
そして目を覚まし、いよいよ今年の終わりが差し迫る。2007年まであと幾時間、なれど2006年の食事はあと一食を残すのみ。僕等はその最後の一食を、当然のように大晦日の必須アイテムで締め括った。いわゆる「年越しそば」である…。
 
誰が始めたのか、日本全国で当たり前のように行われている風習。その起源を辿れば江戸時代にまで遡る。江戸時代、庶民の間には月末にそばを食う風習があった。月末とは三十日のことである。そして三十日は「みそか」と読む。三十路の「みそ」と二十日、八日の「か」を合わせてみそか、ミソカ、MISOKA、三十日…。そこから転じて晦日となり、現在でも12月の月末すなわち大晦日になれば皆がそばを食っていた。それは代々続いた食の風習、正当なる日本の文化。そう考えると、味気ない大晦日にも特別な感情がこみ上げてくというもの。ただのミーハーカルチャーなどでは決して無い。
 
さらに、年越しそばにはこんな思いが込められているという…。
 
「細く長く達者に暮らせ…」
 
何という感動話。長寿の国・ニッポンを今まで支えてきたのは、紛れも無くこの精神。だが現在、押し寄せる経済成長の波と、迫り来る国際化社会と、身体を顧みない飽食文化の到来により、現代人はその精神を忘れてしまった。結果、今では長寿の国とは名ばかりの、食い物を大切にしない金余りニッポンという汚名の中に僕等は居る。年越しそばは、そんな身勝手な日本人が自らを顧みるための、またとない機会。はるか江戸時代からの英霊が、現代人の僕等に警鐘を鳴らすために残してくれた食文化なのだ。そう、ご先祖様はとうにお見通しだった…。
 
そのような感動話を知ったからには、今後の僕は一味違う。祖先に感謝し、食に感謝し、そして人に感謝しながら今を生き抜く飢えた狼になる。狼と化した僕は、相方の作った年越しそばの最後の一本まで余すところ無く吸いつくし、汁の一滴たりとも見逃さず、皿の奥底まで舐め回すのだった。この日のためにと相方が買った最高級エビ天が神々しい光を放つ。その光は、もしかすると年越しそばを伝えた遥か古のご先祖様達の、喜びの涙だったのかもしれない…。
 
この年越しそばイーティング作業をもって、僕の2006年は幕を閉じた。
2006年にさようなら、ご先祖様にありがとう、そして全ての年越しチルドレンにおめでとう(・∀・)ノシ

07/01/29(月) 幕王初体験

 

【朝メニュー】
納豆
ヤクルト

【昼メニュー】
自作オニギリ

【夜メニュー】
幕王(ほか弁限定商品)
かっぱえびせん
ビール

誰でも目標というものを持っているだろう。それも一つ二つではない。難易度の高低はあれど、大抵の場合、それは無限である。生きている限り、人は何かしらにつけ目標を設定するもの…。

それゆえに、全てを達成出来ない。これも難易度の高低はあるが、たとえ容易い目標でも、やはり全てはクリア出来ない。その前に死んでしまうからである。生きている限り目標が目の前にぶら下がり続けるのならば、達成出来なかった目標をいくつか抱えて死んでいくのが必定。その時抱く感情を、心残りと呼ぶ…。

僕等にも、メシの分野で一つ心残りがあった。達成可能性から言えば比較的容易なはずだが、なかなか叶えることが出来ず、ズルズルと約半年、かなり長期間その心残りを継続させていた。それが、「ほか弁の『幕王(まくおう)』を食べるというささやかな心残りである。

幕王。その名の通り、ほか弁内において幕の内弁当の王様と位置付けられる存在。ある日突然、店の前に幕王ののぼりが立った時、僕等はかなりの衝撃を受けたものだ。油っこいほか弁なのにこんな弁当も作るんだ、と。その衝撃と、「王」という単語に触発された魂が交じり合い、倒錯した欲求を呼び起こし、いつしか僕等の間では、「幕王はほか弁史上最高の傑作」というレッテルが常識になるのだが、運の悪いことにそれは限定数量販売制。いくつ用意しているのか知らないが、僕等が会社から帰る午後8時頃には既に売り切れているのだ…。このように、遅く帰宅する者には優しくない弁当。店を覗いた回数は20回を下らず、その度に僕等は落胆。いつ廃版になるか分からないこの不安定なメニューに気が気ではなかったと、今思い出してもそう言い切れる。

そんな心残りが、僕等が一生懸命徳を積んだ甲斐があったのか、この度解消されたわけだ。店員の態度からするに、本日最後の2個という雰囲気。まさに半年溜め込んだエネルギー量に相応しい、劇的な幕王ゲットの瞬間だった。長きに渡る心残りは、かくして幕を閉じた…。

だが、家に帰ってフタを開けた瞬間、愕然。店前の写真に載っているメニューと違う。いや、一つは違わないのだが、もう一つがどうみても何品か足りない。あのアマ、ホントは一個分の具しかなかったけど、どうせ分かんないだろうって感じで残り物を入れやがったな、ふざけやがって…。そうだ、こんな暴挙が許されていいわけがない。これが幕王だなんて俺等は絶対認めない。俺等が今まで費やした時間と情熱を返せ…!(゜Д゜)

と意気込んだはいいが、またほか弁に行くのも面倒臭いし、クレームつけてもシラを切られるだけだろうからやめておく。それよりも今は幕王を食うことに専念するのが先だ。波乱万丈、いくつもの波乱があったが今、目の前には喉から手が出るほど切望した幕王が…。そうだ、僕等はこれが食いたいがために、何回も何日も遠回りしたのだ。だからここは心を静め、いただきます…!

パクリ…

「・・・・・・・」
「・・・・・・・」

ムシャムシャ…
ハグハグ…
ゴックン…!

「・・・・普通だね」
「・・・・うん、普通だね」

っていうか、どっちかっていうと旨くないね。
かっぱえびせんの方が美味しいね。
もう買うこともないね…。
うん、ないね…。

僕等の幕王物語はこうして幕を閉じた。
半年間、誇大な期待をありがとう。

06/12/30(土) 矢まと、和民(忘年会2・徹夜マージャン)

 
 
 
 
 

 
 
【朝メニュー】
コンビニハンバーガー
 
【昼メニュー】
無し
 
【夜メニュー】
東京・秋葉原「矢まと」
東京・秋葉原「和民」

昨日に引き続き、本日も忘年会。

メンバーは昨日とほぼ同じ。お前等恋人かよと…。
会場も昨日と同じ「矢まと」。お前等、どんだけ矢まとを愛してるんだよと…。
 
しかし、この日のために遠く九州や静岡から遠征してきてる人間もおり、テンションは下がるどころか上がる一方。天を突く勢いで、僕等はいつもの飲み屋での宴に酔いしれるのだった。まったく、気心知れた人間と飲む酒はこの世のものとは思えないほど旨い。分かってはいるのだが、何度でもその喜びを痛感してしまう。
 
もちろん、飲みの前に麻雀も打っている。人数が集まり飲みにいく。中には麻雀狂いが何人も居る。そんな条件が揃っているのに打たない道理など無いではないか。結果としてはまあ負けたわけだが、充実した一日という意味で捉えれば、これほど充実した日も滅多に訪れないだろう…。感謝すべきかな気の許せる友人、そして感謝すべきかな同じ趣味・嗜好を持った同士と巡り会えるその幸運。自分は自分だけでこの地に立っているのではないと、改めて思い知る。そして幸運というものは、誰しもどこかで必ず使っている。それに気付くことが出来れば、多分その人は幸せである。
 
改めて思う、人の大切さ。世の中を動かすのは人であり、自分を突き動かし変えていくのもまた人。当たり前だけど、当たり前だけで通り過ごしてはいけない事実を胸に、僕は恒例の徹夜麻雀へと突入するのだった…。

06/12/29(金) 矢まと(忘年会1)

 
 
 
 
 
【朝メニュー】
ヤクルト
 
【昼メニュー】
コンビニカレーパン
コンビニサンドイッチ
午後ティー
 
【夜メニュー】
東京・秋葉原「矢まと」

この日はいわゆる仕事納め。年内で僕がする最後の奉公。今年も悲しいことや辛いことが沢山あった。嬉しいことや楽しいことはあんまり無かった。振り返ると、僕の2006年の仕事メモリアルは苦渋と内なる反抗の日々だった。だが、仕事というのはそれでいい。ビジネスはプライベートと全く別物だということを、老いも若きもきっと知る。社会とは数多の怨嗟の声と苦労の上に成り立ち、その合間にほんの少しの煌きを灯そうとするのが個人だということを。それこそが真っ当な人生だということを、真っ当に生きた人間ならばいつか知ることが出来るだろう。だから僕の2006年・ビジネスサイドはきっとこれで良かったはずである…。

 
ただまあ、仕事納めと言っても何をするわけでもない。逆に、主だった仕事は既に終えており、終業まで手持ち無沙汰な状況。消化試合のような趣でダラダラするのみ。そんな無為な仕事納めを過ごす人間も多いのではなかろうか。かくいう僕も、デスクのモニターをたまにフキフキと掃除しながら、買ってきたサンドイッチを気だるそうに貪るという微笑ましい光景の中にいた。始まりと終わりというものは、案外気が抜けるものである。
 
とにもかくにも、僕の仕事納めは恙無く終了。その瞬間、僕の脳はビジネスモードから一気にプライベートモードに切り替わる。ビジネスパーソンの冬休みは短いけれど、だからこそ価値があり、中身を充実させたいとも思うのだ。この1週間ほど、僕は飲みに飲み、心ゆくまで麻雀を打ち、実家で老いた猫のように過ごすのだ。そして今日、仕事が終わったこの瞬間から既に戦いは始まっていた。
 
その前哨戦。僕はタクシーに飛び乗りアキバへGO。いつもの「矢まと」へと駆け込んだ。もちろん、オタ仲間と酒を飲むためである。一応、明日の30日には今日とほぼ同じ面子、同じ場所で正式に忘年会を行う予定にも関わらず、仕事から解放された喜びと意味不明のテンションがそうさせた…。
 
そんな冬期休暇突入前日の夜。明日に向けたオタ仲間との前哨戦。紛れもなく僕等は好き者で、どうみてもバカの一言。だが、逆にそれがいい…。ビジネスには損得が付きまとうもの。ゆえに心から気を許せない。そして、ゆえに反動としてプライベートを最大限充実させようと試みる。そこに損得は無い。そして損得の無い時間を持てるか否かという分かれ目は、そのまま人としての幸福の分かれ目ともなる。両方ガ取れないなら、せめて一方でも幸せに過ごしたいもの…。
 
というわけで、この日飲んだ酒は旨かった。

06/12/28(木) ハッシュドビーフ

 
 
 
 
【朝メニュー】
ヤクルト
 
【昼メニュー】
豚丼(吉野家)
 
【夜メニュー】
ハッシュドビーフ
味噌汁(ネギ)
野菜サラダ(トマト、ブロッコリー、キャベツ)
秋葉原どらやき
ビール

昼はまたも吉野家で、だけど牛丼また食えず。もしかして僕は牛丼に縁がない男なのかもしれない。それ以前に、牛丼を完全開放していない吉野家になぜ行くのかという問いに答えることすらままならない。一つ言えることは、吉野家は豚丼では大成しない。そこだけはガチ。

 
まあその分、夜メシで取り返したので問題なし。何しろハッシュドビーフと言えば、大衆の王様・カレーライスと肩を並べるほどの強者。誰がどう見ても喜びメニューであることは明白だからだ。しかも、相方のハッシュドビーフテクニックは回を重ねるごとに勢いを増す一方で、今ではハッシュド専門店を開ける程の腕前という専らの噂なのである(佐波調べ)。もうそれだけで十分元は取った。そう思いながら、幼児のようにハッシュドビーフをなめずり回す僕だった。
 
食事にはバランスが必要。栄養価の面でもそうだが、満足度の上でもそれは重要である。ストレスを解消することこそメシの存在価値だというのに、それによって更にストレスが溜まるなど本末転倒。昼メシが不完全燃焼だったのなら、その分夜メシで完全燃焼しなければならないのである。その意味で考えれば、昼に豚丼→夜にハッシュドビーフという道筋を辿った今回などは、この上ないモデルケース。人は食事をする時、常に満足度という繊細な天秤をその両手にかかえているのだということを。人生には絶望から再生に至るまでの4段階のドラマがあるのだということを…。
 
 
 

①       
     豚丼   (゜д゜)  
     \/| y |\_
            
 
 
②       
       豚丼  
              \(´д`)  
       / y/\
     /  /   
 
 
 
       豚丼  

              \(`д´) ハッシュ 
       / y/\/
     /  /   

 
 
 
④ 
      \ ハッシュドビーフ  /
       \_______/
 *     +    ヽ ヽ
            〒 !   +    。     +    。     *     。
      +    。  |  |
   *     +   / /   イヤッッホォォォオオォオウ!
       ∧_∧ / /
      (´∀` / / +    。     +    。   *     。
      ,-     f
      / ュヘ    | *     +    。     +   。 +        
    
/ ュ   )   |                                
  豚丼    /    ! +    。     +    +     *
         /   ,ヘ  |
 ガタン ||| j  / |  | |||
――――――――――――  
 
 

 ホントウニアリガトウゴザイマシタ

      (゜∀゜)ノシ
      (| y |

06/12/27(水) 実家ローストチキン

 
 
 
【朝メニュー】
ヤクルト
 
【昼メニュー】
自作オニギリ
 
【夜メニュー】
ご飯
味噌汁(豆腐、大根)
ローストチキン(実家土産)
ブロッコリー
ポテトサラダ
煮物(大根、焼き豚)
 
 
24日のクリスマスイブ用ローストチキンは近所の肉屋で調達した。そのため、実家からもらったチキンが冷凍庫の中で待機となった。スマヌお母さん…。そんなお預け状態の中、この日ようやく出番が回ってきたのだ。肉屋のチキンも旨かったが、実家チキンもまた素晴らしい。骨の髄まで染み込んだ黒い汁、そしてその黒汁とチキン本来の香りをミックスさせた、動物のように荒ぶる肉の匂い。テーブル上には感涙と興奮が充満した。

 
それにしても、僕がローストチキンという固有名詞をマトモに認識出来るようになったのは、かなり最近のことではないだろうか。それまでの僕は、チキンと言ったら何よりもまず唐揚げ弁当の唐揚げであり、クリスマスのチキンと言えばケンタッキーフライドチキンだという認識を持っていた。つまり、ローストチキンとフライドチキンを混同していたわけだ。しかし実際は見た目から全く違う二種類のチキン。食に無関心だったとは言え、今さら人には言えない過去がここにあった。
 
そんな過去を拭い去るように、チキンについて今一度おさらいしてみる僕。ローストチキンとはつまり鳥の丸焼き。オーブンやグリルで焼く、または串に刺して焙り焼きするのが特徴だ。対してフライドチキンとは、衣のついたチキン。煮えたぎる油に投入し、ジュワジュワと激しく揚げる、まさしくケンタッキーのフライドチキンそのものでなのだ(一応ウィキペディア検索)。同じチキンなれど、両者には決定的な違いが二つある。一つ目は衣の有無。そして二つ目は焼くか揚げるか、その調理法。ここまで来ればもう疑いようがない。ローストチキンとフライドチキンは、原材料は同じだが完成品は別次元の存在。決して相容れないチキン同士なのであった。
 
こうして僕はまた一つ賢くなり、無知だった昔の自分に別れを告げる。だが、チキンを食った時の瞬間的感動には、いつまでも別れを告げることは出来そうもない。フライドチキン、ローストチキン、そして鶏の唐揚げ。姿は違えど、3者は等しく僕の大好きなチキンなのであり、これからも何かにつけて臆病な僕の胃を満足させてくれる食のパートナーなのだから…。
 
臆病者だからこそチキンを食え。

07/01/28(日) アキバラーメン屋、カレーライス

 
 
 
 
 
【朝メニュー】

ヨーグルト
 
【昼メニュー】
たまご入り味噌ラーメン(東京・秋葉原「麺屋きわみ」)
http://www.enjoytokyo.jp/id/sator32/109114.html
 
【夜メニュー】
カレーライス(牛肉、じゃがいも、にんじん、タマネギ、マッシュルーム)
味噌汁(白菜、マッシュルーム)
水菜とトマトのドレッシング和え
ビール
 
友人のビッグボディが要らないDVDソフトをアキバに売りに行くのだとか。一人じゃつまらないので僕にも付いてきて欲しいのだとか。彼は趣味友の僕にアドバイザーとしての知識を期待していたのだろうが、当の僕といえば既に旬を過ぎたロートル懐古主義者。到底役に立てそうもない。
 
こんな時、僕はつくづく思うのだ。特定の分野に対して現役で居続けるには、日々の研鑽と情報収集がなにより大切なのだと。それを怠れば即時に衰退が始まり、不幸なことにそれを全盛期と同じに戻すのは不可能に近いのだと…。歳を取れば取るほど身に染みる、無為が招く無能という無慈悲。もし日々の生活に不満や苦しさを覚えるのなら、大抵はその現象が原因だ。努々忘れることなく過ごしたいものである。
 
が、それはそれとして、せっかく街に繰り出したからにはメシでも食ってくつろぎたいのが人情。僕はビッグボディに『ここの「麺屋きわみ」旨いよ』と吹聴し、もはや馴染みとなったラーメン屋の味噌ラーメンを堪能するのだった。ここの味噌ラーメンは僕好みの濃口濃厚スープだから非常に気に入っている。さらにそれとは別に、自分の知っている店に連れを自信満々に招待出来るというシチュエーションにも満足していた…。アキバ通を自称する僕だけど、大抵はさらに通な連れ達に主導権を握られるのがパターン。ゆえに僕は常々、たまには僕が主導権を握りたいと、そんな野望を抱いていたのだ。それを今回、ビッグボディ相手に果たせたことは非常に意味があり、ある意味僕の財産であった。
 
そんな感じで、自らのちっぽけな自尊心と食欲とを満足させたワンショット。だが、肝心の買い取りはあまり芳しくなかったようで、満足する結果は得られなかった。それだけが心残りではある。帰り際、ビッグボディが車の中で呟いた言葉が、僕は今でも忘れられない…。
 
「アキバは金があれば楽しい街だけど、金がないとすげーつまんない街っスね」
 
何という名言。僕はこれほどまでに世の中の仕組みをダイレクトに反映させた言葉を久しく知らない。そう、まさに金があればアキバはこの上なく楽しい。アキバには最先端の欲望が渦巻いているからだ。それを買って買って買いまくれば、これほど楽しいことはない…。だが逆に、最先端で用意されているからこそ、それが手に入らない時の空虚さは計り知れないだろう。そういう意味ではどんな街にも同じことが言えるのだが、アキバはより追求するオタク趣味が凝縮された街だから例としては最適である。また、どんな街にも言えるからこそ、「世の中の仕組み」という指摘が反論の余地のない指摘であると証明することが出来た。
 
街並みを歩くだけで本当に楽しいか?ウインドーショッピングだけで本当に満足か?見渡せば、周囲にはあらゆる欲求を満たすだけの準備が整えられているというのに、自分はその土俵に上がることが出来ない、もしくはほんの一部しか得られないという事実。その事実を現代の経済至上主義社会と照らし合わせた時、やはりこう言わざるを得ないのだ。金は命より重い、と…。
 
そう。人は金を得るためにその時間、人生の多くを使っている。言い換えれば自分の存在、命を削っている。存在そのものを金に替えているんだ…。つまり人は皆、サラリーマンも役人も、命がけで金を得ている…。気が付いていないだけだ。極端に薄まっているから、その本質を多くの者が見失っているだけ…。金は尊い。お前らの認識、想像よりはるかに尊い。あんな買い取り金額ではとてもとても…。
 
なめるなっ…!金…!金はな…!命より重いんだ…!
 
と、ビッグボディあたりは思ったに違いない。もちろん僕も思った。