20150428(火) 北千住「魚八 千両」の予想を超えた鮮度と美味さ、予想を超えた婆ちゃん店員の手練手管

150428(火)-02【2115~2230】大衆居酒屋「魚八 千両」《北千住-友人1名》_01 150428(火)-02【2115~2230】大衆居酒屋「魚八 千両」《北千住-友人1名》_02 150428(火)-02【2115~2230】大衆居酒屋「魚八 千両」《北千住-友人1名》_03 150428(火)-02【2115~2230】大衆居酒屋「魚八 千両」《北千住-友人1名》_05 150428(火)-03【2330頃】札幌一番味噌ラーメン、DVDレミゼラブル《家-嫁》_01

【朝メシ】
ヤクルト(家-嫁)
 
【昼メシ】
自作オニギリ(職場付近-一人)
 
【夜メシ】
居酒屋「魚八千両」(北千住-友人1名)
サッポロ一番味噌ラーメン、柿ピー(家-嫁)
 
【イベント】
北千住飲み、DVDレミゼラブル
 
  
【所感】
友人の公爵から北千住飲みの誘いを受ける。公爵が平日に宴会話を持ち掛けてくるケースは稀だけど、明日が祝日という安心感があったのだろう。「北千住でやらないか?」と飲酒欲求を前面に押し出したLINEメッセージが飛んできた。

公爵も嫁さんが身重な時期。月が明けてゴールデンウィークに突入すれば、恐らく数日は実家に滞在することになる。夫の義務として、男の義務として。また、僕も僕でGW中は新潟実家への帰省を予定している。やはり夫の責務として、男の甲斐性として。

とりあえず最低限やるべきことはやらねばならない。それが出来ない男ははっきり言って生きる価値がないだろう。僕自身がそのステータスに片足を突っ込んでいると自覚しながらも、そう確信している。

人は、特に男は、誰しも自分のために生きるのではなく、誰かのために生きるべき存在だ。自分のためだと言い張っても、それが結果として他の人のためにもなっている。その因果関係を無意識で分かってるから男は戦いに身を投じる。それを分かっていない男は…。断言してもいい。無価値である。

そういう世知辛い男に生まれた僕等。しかもGW休業はカレンダー通り。そういう人間にとって、今回のような日取りは酒飲みするタイミングとして最適ではなかろうか。なぜなら、GWという長期休暇を目前にしたカレンダー上の飛び石休暇というものは、使えそうで意外と使えない。連続しない単発の休暇ではハメを外し辛いのだ。

だからそんな単発休暇前には結局、今回のような飲み会イベントを割り込ませるのがベター。程よい加減で心地良く、後腐れもそれほどなく、精神を現実に戻しやすい。

というわけで、GWメイン連休を迎える前のちょっとした宴。本格的に旅立つ直前に男同士で交わす飲み会。それはある種の景気付け。好スタートを切るための助走。僅かな隙間を縫って暗躍し、少しだけ悪いヤツになる。これが休日前にする男同士の飲み会の在るべき姿と言えた。

北千住駅で降りた僕は、公爵の到着をしばらく待機。東京メトロ千代田線出口の階段脇のマクドナルド、その蓮向かいにある三菱UFJ銀行ATMの脇道に入り、少し奥まで歩いたセブンイレブンで待ち合わせをした。相変わらずやかましくて下品な場所だ。何度来ても、人間の醜悪な部分が噴出したようなこの界隈の雰囲気は好きになれない。

そのコンビニ前でギャハハと騒ぐ若いリーマン。唾を吐くオヤジ。道を目一杯塞ぎながら歩く酔っ払い集団。この世の堕落者が集結したかのようなカオスな光景に眉をひそめる。「相変わらずゴミみてぇな場所だな」と嫌悪感を込めて吐き捨てた。

僕は酒が大好きだし飲み会も歓迎派だが、過度の酔っ払いは好きになれない。ほろ酔いで留める者、陽気になる飲み手は好ましいが、人格が壊れるほど酔っ払う人間、ハメを外す範疇を越える者、酒に負けるヤツはダメだ。幸いにも僕が交流を続けている人間達は真っ当な飲み手だから、そこは救いだ。

それにしても、このカオスなエリアに限らず、歓楽街・北千住には多種多様な飲み屋が乱立する。まさに百花繚乱、ピンキリだ。

中でも何箇所か、数多の飲み屋がひと際密集する特殊ゾーン。いわゆる「飲み屋通り」、「飲み屋街」と呼ばれるブロックについて。北千住にはいくつか代表的なブロックが点在する。

まず電機大学が創設されたことによって多少拓けた駅東口の飲み屋ブロック。一つ目は、エスカレーターを降りてすぐ左に曲がった線路沿い百メートル付近までが該当する。やさぐれた浜焼き屋「寿一郎・二郎」や、しっぽり飲みたい人向けの焼き鳥屋「千住籠太」などを擁する小さな区画だ。ちなみに同じ線路沿いを右に曲がってもホテルしかないので要注意。

もう一つの区画は、線路から垂直に伸びるメインストリート沿い。道の両端には様々な飲み屋がひしめいている。一応ストリートは先の先まで果てしなく伸びているが、飲み屋を探すなら二百メートル程度が限界だろう。それでも20~30軒くらいは見つかるはずだ。

この線路沿い右側、および一直線メインストリートのニ区画を擁する東口は、どちらかというとそこそこのコストで騒ぎたい連中向けの飲み屋が多いように思える。色気もなく陽気に楽しみたいなら東口はオススメだ。銀英伝で言えば、いちいち憎まれ口をきいて面倒臭く、女っ気もなく、だけど場に合わせてどうとても乗り越えられる柔軟性としぶとさを持ったビッテンフェルトやアッテンボローあたりが似合いだと思われる。

翻って北千住駅西口。歓楽街・北千住の名声の殆どをこの西口エリアが請け負っているのが現実だ。「北千住で飲み」と言えば基本的に西口の飲み屋を指す。飲み屋の種類、数、そのキャパシティは少なく見積もって東口の5倍はあるだろう。当然、東口に比べて飲み屋が密集する特殊区画の数も大きく勝る。僕が知るだけでも6つか7つはブロックが存在するはずだった。

その分、クオリティもピンキリだ。店のクオリティ面で言えば静かな高級店からドヤドヤした場末の大衆酒場まで網羅。店員の対応力、そして店に入る客層に至るまで、あらゆる方面へのバラツキを見せる。訪れる客は、店によって全く異なる世界を体験できることだろう。

つまり北千住西口というエリアだけで人間模様の殆どを網羅可能。そんなことは不可能に近いだろうが、北千住にある全ての飲み屋を制覇したとしたら、その人は人間の大部分を制覇したと言っても過言ではない。

そのベクトルは当然店毎に異なるが、不思議なもので似たような傾向を持つ店が固まる傾向も一方では見られる。似た者同士は引き寄せられるという社会の性を反映しているのだろうか。同じ北千住西口なのに、区画によって店の品位や客層がある程度パターン化するのだ。

そのパターンについて、僕が知る西口飲み屋ブロックを簡単に説明すると以下のようになる。

まず一つ目は百貨店系。西口駅前に建つマルイ、および駅ナカのルミネにあるレストランフロアがそれだ。この二大百貨店のレストランフロアは元々が昼間のランチ客をメインターゲットとしている店作りのため、北千住の中では飛び抜けて上品かつ落ち着いている。まあ百貨店という性質上、イメージを損なわないよう粗野な店は最初から弾かれるのだろうけど。

ただ、上品で落ち着いていると言っても静かな店ばかりでもない。若者が多いからだ。マルイは百貨店の中ではかなり若年齢向けだし、ルミネに至っては8割以上が若者、しかも女性という特殊性。必然、彼等彼女等がそのままレストランフロアの客になる。特にルミネのフードコート風レストランフロアは、若い男女がハイテンションで喋りながら飲んでる店もあるので僕はあまり近寄りたくない。

マルイは家族連れも多いが、あくまで昼間限定。店が飲み屋シフトに変われば当然ながら子供を連れた親の姿はほぼ消える。同じ足立区でも、西新井や梅島と違って北千住の親達は良識的なようだ。西新井や梅島なんて、深夜越えたあたりに平気で子供を連れて飲み屋から出てくる家族連れがわんさか居るからな。良識親とカオス親。同じ親を持つとすればどちらが子供のためになるか。考えさせられる話だ。

まあ、マルイの飲み屋ではたまに子供連れの親も見掛けるが、許容範囲内かもしれない。親達にとっては昼間の延長線上、ファミレスのような感覚だろうからだ。それに、どうしても子供を連れて行かねばならないとすれば、安全かつ許容出来るのは結局のところマルイとルミネしかないのが現実だ。

デパートの中という閉鎖感は鉄壁のイメージがある。だから逆に一歩外に出れば街は無法地帯。そんなところに子供を連れて行けば悪影響を受けるのは必然。

なるべくなら子供は連れて行きたくない、でもたまには飲み屋で飲みたい。街の外ではなくマルイ内の飲み屋で稀に見かける家族連れは、愛情と欲望とで葛藤する親の、子供に対するせめてもの庇護であり最後の良識かもしれない。

そういうわけで、落ち着いて飲みたい時はマルイかルミネが良いだろう。ただ、純粋な居酒屋は当然ながら存在しない。元々、昼間向けのレストランフロアなのだから、入っている店は洋食屋やイタリアン、中華屋、寿司屋など、しっかり食事が出来る王道店舗ばかり。そこに酒が機械的に加わっただけである。あくまで閉鎖空間。冒険は出来ない。銀英伝ならキャゼルヌやヤン、あるいはキルヒアイス等、成熟した大人向けの区画と言えた。

もう一つ、マルイの右向かいに最近新しく出来た飲食ビル「きたテラス」という選択肢もなくはない。焼肉屋トラジなどが入っている結構巨大な建物だ。しかし僕は一度も入ったことがないためこの「きたテラス」が使えるビルなのか判断できない。

なぜなら非常に入り辛いのだ。駅前徒歩1分という一等地に建っているのに何故か華やかに見えない。むしろ辛気臭い。飲食ビルのくせに客を跳ね除けるオーラを纏っている。直感で僕はそう感じていた。

しかし論理的な説明も一応出来る。一つ目は、ビルはライトアップされネオンを纏っているけど中途半端に暗いということ。法令の制限があるからかもしれないが、殆どがアルコールを扱うテナントばかり入っている飲食ビルなんだから、もっと陽気かつギラギラした明るさがあった方が客は入りやすい。

なのに「きたテラス」を彩るライトは、薄黄色tと紫が混じったような微妙な配色だ。ギラギラしてはいるように見えなくもないが、どちらかというとパチンコ屋のような、妖しいホテルのような、不夜城的なネオン。「これからガンガン飲むぜ」という気分に何となくなれない。

あともう一つの理由。こちらの方が致命的だと思うのだが、「きたテラス」の入口について大いに意義あり。ガラス張りのデカい自動扉を正面に堂々と設置すればいいのに、何故かあまり目立たないような端っこに入口が設けられているのだ。

例えるなら、無機質なコンクリートにタバコの灰皿が立てられ、そこでおっちゃんが暇そうにタバコを吹かしている立体駐車場の受付のような殺伐さ。パッと見ただけではどこから入ればいいか分からないのである。

だからなのか、この「きたテラス」の脇道を通る時も入口付近には殆ど人がたむろしていない。傍から見れば、人の出入りがない不人気ビルだと勘違いされる。ビル自体、透明な窓でなく無機質なコンクリートマンション的概観なので、余計に中の様子は分からない。そんな悪循環に陥っているのだ、この鳴り物入りで建造された「きたテラス」というビルは。

これは相当なマイナスポイントだ。小ぢんまりとした店ならともかく、百貨店やテナントビルのような巨大で高層な建物はエントランスが肝心。広々として、華やかで、誰もが出入りしやすい入口が望ましい。向かいのマルイなどはまさにそれを実践している。だからマルイ入口付近はいつ何時も沢山の人々で溢れている。それに引きかえ「きたテラス」ときたら…。

というわけで、とりあえず超駅近で落ち着いて飲みたいならば、マルイのレストランフロアがベストだと思われる。そこはある意味、守られた空間だった…。

そんな守られた駅近を離れると、一気に歓楽街の空気、そして熱気が押し寄せる。主だった飲み屋区画はどこも繁盛している。

代表的な区画の一つが、西口正面から四号線に掛けて伸びるアーケード型メインストリートを100メートルほど歩いた辺りで右に曲がった区画。「宿場町通り」あるいは「サンロード商店街」と呼ばれる北千住屈指の飲み屋通りだ。

ラーメン屋やカレー屋、ファミレス、イタリアンなどに混じり、「庄や」などの全国チェーン始め、「てまえの一歩」などの活気ある居酒屋、2538などオシャレな洋食バル、もつ焼き「おとんば」などのちょうちん系大衆系酒場、「おおはし」などの立ち飲み屋など千差万別の飲み屋が乱立。オシャレで妖艶なBARもある。このサンロード商店街約100~200メートルの区画だけで1年間賄える多彩さである。

しかも、大衆系居酒屋が腐るほどある割には言うほど下品じゃないし、エロくもない。この区画はまさしく正統派。ワーレン、ルッツ、ミュラーなどマトモな人間用の飲み屋ブロックだろう。

ちなみにこのサンロード商店街の逆側、メインストリートを左折した先にも飲み屋は結構見られる。秋田県の特産を扱った店「まさき」とか、新鮮な魚介類が美味しい「さかなさま」とか。

しかしそれ以上に本屋やスーパー、パン屋など昼の顔が強い店が多いため、夜は人通りも多くないし、活気というかオトナの熱気もあまりない。あっても店と店との間の密度が広いため熱気が分散してしまうのだ。よって「飲み屋街」あるいは「飲み屋通り」という称号は与えられない。

その他、サンロード商店街エリアほどでないにしても、飲み屋ブロックはいくつも点在する。たとえば、まさにそのサンロード商店街の裏路地に入ると「毎日通り飲食店街」という昭和の香り漂う横丁が入り組んでいて奥深い。昭和の懐かしさと大衆的な粗雑さを味わいたいならこの横丁はオススメだろう。銀英伝であれば、昔の思い出に浸りつつ背中をすすけさせる老人連中、ミュッケンベルガーやメルカッツあたりが似合いかもしれない。

あとは、駅を降りてメインストリートに差し掛かる直前に右折する大通りとか。炙り屋の「あんどん」とか魚が極上に美味しい「なつ家」など侮れないエリアだ。しかし店の数は多くないので、あくまでひっそりとした隠れ家的エリアだ。やはり店が相当数密集しなければ活気や喧騒は生まれない。

その活気と喧騒に最も満ちたエリアが、駅前メインストリート直前を左に曲がった路地裏ストリート。今回、僕と公爵が飲んだブロックである。ここは先のサンロード商店街に勝るとも劣らないどころか、それ以上の店舗数および客数を誇る。北千住で最も盛んな飲み屋街と言えば、まずここ。

「はなの舞」など低価格なやかましい若者向けの店もあれば、「永見」や「まるかや」などオヤジが集まって日本酒をグビリとやるような大衆ちょうちん系居酒屋も相当多い。さらに一つの路地だけでなく、幾重にも分かれる小道の奥の奥まで何かしらの飲み屋がある。このエリアこそ、店も従業員も客も多種多様な飲み屋の坩堝と言えよう。

もう潰れてしまったが、「キミ達は運がいい」といって問答無用で客を引き込む店主と、赤い口紅とスカートという派手な格好をした70代のチーママ「キミちゃん」を擁する亜空間昭和サロン「小柳」が店を構えていたのもこのエリアだ。「小柳」のような突き抜けた店の存在を包み込めるのは、このエリアくらいしかない。

何より、ここには妖しいお水系の飲み場がある。つまりエロがある。他のエリアと根本的に異なるのがこのエロスの有無だ。

だが、それゆえなのだろう。このエリアは最も盛んであると同時に最も乱れた飲み屋街でもある。その猥雑さ、下品さは北千住でも群を抜いている。

最初に述べたように、この淫猥飲み屋通りの入口は、東京メトロ千代田線出口の階段を上がった脇のマクドナルドの蓮向かいにある三菱UFJ銀行ATMの脇道だ。ATMに向かって右に曲がればメインストリートに脱出できるが、左に曲がればもう異空間に突入するしかない。このマック、UFJ、メインストリートに囲まれた一帯は、良心か堕落か二者択一の最終関門。魔のトライアングルゾーン。

そトライアングルゾーンでは、どう見ても堅気じゃない飲み屋に勤めているであろう若い兄ちゃん、ポン引きっぽいおっさん、そしてお水系の姉ちゃん達が盛んに客引きを行いつつ、同業者同士でくっちゃべっている。ヤクを売ってそうなガタイのいい黒人も立っていたりと多国籍性も万全だ。

その中を酔っ払ったリーマンオヤジや若いリーマン、姉ちゃん、爺さんなど一般客がうろうろしている、そんな光景がこの区画の特徴だ。見るからにガラの悪い空間である。この何でもアリのトライアングルはホント何度来ても慣れない。銀英伝で言うなら、怖いもの知らずのシェーンコップやポプランくらいしか対応出来ないだろう。

中も当然カオス。並ぶ店も、客引きも、歩く客も、皆一様にダークソウルだ。まさしく淫猥という言葉が相応しい。そんな北千住一のカオス通りで今回は友人・公爵と飲んだ。
しかし人気エリアだけあって店が全く開いてない。今日は魚か焼き鳥でも摘みながら日本酒なり焼酎でも飲みたい気分だったため、焼き鳥が美味い「永見」で飲もうと思ったが、レジ前でだるそうに座ってる店員のおっちゃんに「あ~満席ですねぇ~」とにべもなく断られてしまった。

次に裏道を通りつつ赤ちょうちん系を何軒か見回るがどの店も客で溢れ返っている。目立たない裏道なら行けるかと思い、以前も入ったことのある「まるかや」を訪ねたのだが、ここもアウト。「GW前だからてっきりそんなに人は居ないと思ったのに参ったな」と、北千住裏道博士の公爵も途方に暮れる。僕も同じである。

仕方ないので、適当にぶらつきながら直感で入ろうということになった。

歩いている内、今にも崩れそうな建物と、開けるとガタガタと音がしそうな扉、そして白い暖簾が掛かった小料理屋っぽい店が目に入る。公爵は中も見てないのに「ここ良さそうだな」と納得顔になり、「ちわーす、空いてますか~っ?」と常連のオヤジのように入っていく。ナニその肝の座り方、お前何歳だよ…。

公爵の突撃に対し、75年は生きているだろう小柄だが眼力だけは全く衰えない割烹着姿の婆さんが、「はいはい空いてますよ、今奥の席片付けますから、どうぞぉ…」と、嬉しいんだか内心追っ払いたいんだか測りかねる微妙な笑顔で僕等を迎えた。その店は「魚八 千両」と言った。

「魚八 千両」店内は、6~7人座れるカウンター席と、そして檜色の狭いテーブルが7~8席設置されている。板前はなかなかの年配で、白衣と捻りハチマキが似合いそう。給仕する人間も、先に僕等を案内してくれた割烹着姿の婆さんAの他、もう一人小柄で痩せ気味の婆さんBが居る。ウェイトレスというより既に仲居の風格だ。

婆さんBもやはり眼光は只者じゃなく、オーダーを取る時など相手を射殺さんばかりの視線で僕等を睨む。ボク達、何か悪いことしました? だけどそんな恐ろしいオーラを纏ってる割には、注文した料理が来ないけどどうなってんの?とせがむと「あれ? それ通ってなかったわ、ごめんなさいねぇ~」などと甘えた声を出し、少女のように身体をしならす。それはそれで怖い。

馴れ馴れしくもどこか抜けている、一筋縄では行かない二人の割烹着婆さん。二人はある意味「魚八 千両」の看板娘なのかもしれない。娘っていうより嫗(おうな)だけど。

いわゆる看板嫗の二人。彼女等も50~60年前は可憐な少女だったに違いない。時が経つのは早い。そしてこの「千両」の歴史も長く、数十年も前から営業しているとのことだった。道理で昭和どころか大正の匂いがする店だと思ったよ。こんな店を発掘するとは、公爵の嗅覚は半端じゃないな。

ただ、料理はかなり美味かった。特に魚介類が新鮮だ。まず酒のツマミとして〆鯖を頼んだが、適度な味付けで〆られており、日本酒にこの上なく合いそう。手入れがあまり行き届いてない店内とは裏腹に相当美味かった。

次に割烹着婆さんA、すなわち嫗Aが「今日はいいサヨリが入ってるのよ! 刺身にすると美味しいわよ♪」と、世間のことを何も知らないピュアな少女のごとき溌剌さで勧めてくるので「じゃあそれで」と彼女の助言に従ったのだが、確かにピチピチかつコリッとした程よい歯応え。鮮度抜群のサヨリだと分かる。「うん美味ぇ、確かに美味ぇ」と公爵と頷き合いながら絶賛していた。マジで侮れない。

そこから十数分後、嫗Aは「生シラスって食べたことある?」と嬉しそうな顔をして僕等に絡んでくる。よほど僕等のことを気に入ったのか。恐らく店内で一番若いスーツを来た公爵にちょっかいを出したいのか。イケメンに擦り寄るギャルのごとくオススメ品をプッシュしてきた。

そんないじらしい嫗A曰く、「シラスは普通茹でてから食べるもので、よほど新鮮じゃなければ生じゃ食べれないわよ」とドヤ顔。言われてみれば、生シラスなんて食ったことないかもしれないな。僕等は物珍しそうに口に運んだ。

その生シラス。確かに湯通ししたシラスとは明らかに異なる食感だ。茹でシラスのようにモサッという舌触りでなく、ピチャッとまとわり付く感じ。海から揚げたものをそのまま出したかのようなナチュラルな塩分もいい具合にシラスに絡む。うん、悪くない。決して絶賛はしないが、嫗Aがオススメするだけのことはあった。

しかし何だな。今気付いたが、僕等さっきから嫗Aの言いなりだよな…。

その嫗Aばかり構っていると嫗Bが嫉妬すると思った僕等は、キリンラガー瓶ビールのお代わりを嫗Bにオーダーした。「はいはいっ」と歯切れよく応えた嫗B。しかし10分以上経ってもラガーは来なかった。「もしかしてオーダー通ってないんじゃね?」と訝る僕と公爵。嫗Bは「言うだけ婆さん」ではないかという疑惑が持ち上がる。

ただ店は大変繁盛しており、各テーブルからひっきりなしに注文が入っている模様。嫗の処理能力では追い付かなかったのかもしれない。そう思うことにした僕は席を立ち、後ろに見える冷蔵庫に歩いていく。そして冷蔵庫の中にズラリと並んでいる、どう見てもキリンラガーの大瓶を勝手に取り出すことにした。一応取り出す前に「ラガーってこれでいいんすか?」と、嫗AとB両方に聴こえるように断りを入れたが、オレも公爵に負けじと物怖じしないヤツだと分かった。

まあ当然「何? ビールが欲しいの?」と積極的な嫗Aが遠まわしに断ってきたが、「いや10分くらい前にビール頼んだんだけど、来なくてねぇ~」と多少の嫌味を込めてレスポンス。だけど嫗Aは「あらごめんねぇ~、もうお客さん多すぎて聞き逃したのね。じゃあ改めて、はいっ、ビールッ♪」と、一切の悪びれもなく今注文を初めて受けたとばかりにラガーの大瓶をドンと机に置く。やっぱ格というか年季が違う。とても敵いませんわ。

男ってなぜか女には弱い悲しい生き物。その中でも特に老婆が相手だと一切頭が上がらなくなる。何故だかそうなる。人類最弱のはずの婆さんこそが最強という弱肉強食世界を覆す法則だ。全く以って不思議な現象ですわ。

しかし、サヨリの刺身にしても生シラスにしても、なぜこんなに鮮度が高いのか。頭の中で疑問を抱く。すると勘のいい嫗Aが心を読み取ったかのごとく、「ウチの魚は新鮮なのよ」と僕等に話し掛けてきた。

彼女曰く、なぜ新鮮なのかというと、足立市場から直送しているからとのこと。足立市場とは、隅田川に面する魚市場。北千住駅から歩いてでも行ける距離にある。その足立市場から仕入れているからこの上なく鮮度が高いのだと嫗Aは誇らしげに語っていた。

なるほど、さすが老板前と嫗が切り盛りする老舗店舗。こんな汚い店なのに素材にはとてつもなく拘っていた。まったくもって見かけによらないな。店も、人も。

そんな新鮮な魚達に感激した僕等だが、それより僕が一番気に入ったのは「ワタリガニの唐揚げ」だ。ワタリガニを丸ごとカラッと揚げた料理で、料理全体が油だらけで掴むとベタベタになるけど、鮮度高そうなカニの潮の香りがその油っぽさを打ち消しているから全くしつこくない。いくらでも食える。ビールが進む進む。

それで値段は500円程度なのだから、まさしくお買い得の逸品だった。「千両」に来るなら一度は食べてみるといい。幸せそうにサワガニをかじる僕等を見ながら嫗Aも、「おいしいでしょ? ウチの自慢なのよ♪」と、まるで我が事のごとき満足顔で僕等を下から覗き込んでいた。

ほんと、サワガニの唐揚げは美味かった。硬そうに見える甲羅も実はそうでもなく、普通にバリバリと噛み砕けるし。

そういえば一年ほど前、友人等と台湾旅行に出掛けたことがある。その際、屋台が群がる夜市で同じくカニの丸ごと唐揚げを注文したのだが、あのカニは掛け値なしに硬かった。その時も公爵が僕の目の前に居たのだが、公爵含め全員が「硬くて無理」と途中で投げ出してたっけ。僕は年上の威厳を見せ付けるため最後までカニを噛み砕いたが、さすがに歯が折れるかと思ったよ、あん時は。台湾人って歯が丈夫なんだね~。

などと考えていたあの時から早や一年。台湾から帰国した直後、「この上ない刺激を受けた僕は、「オレは今日から変わる」などとテンション高く皆に宣言していたものだ。諸々の目標を立て、一年後にはとんでもないことになっているはずだ、と。

その一年が過ぎた今現在。何ら変わることなく、いやむしろ多くのものを失い衰退させた一人の肉の塊がいる。二年前もそうだった。三年前も同じような誓いを立てた。だが積み重ねたのは結局時間だけ。

何か得たと言えば、せいぜいビールの味がより分かるようになった程度のことだ。今日、キリンラガーを飲みながら、最近ラガーが好きになってきたと呟く公爵と一緒に「オヤジがラガー大好きなんだけど、ようやくその気持ちが分かったよな」などと意気投合した。だが問題はそういうことじゃなくて。

一体、何をやっているんだ。今まで何をやってきたんだ。とどのつまり、何をやりたいんだ? オレは一体、何なんだ? 疑問が後から後から押し寄せる。こうしている間にも限られた時間は刻一刻と消えていっているというのに。

目の前の公爵と話しながら考える。公爵は夏には子供が生まれ、いずれは故郷であるつくばと勤務地である東京の中間地点、守谷あたりに家を構えるのがいいだろうと計算しつつ、強かに柔軟に世間に対応している。特定のものにあまり固執せず、見切る時はスパッと見切る。

今現在、彼は国家公務員。新卒後に入行した銀行員に数年で見切りを付け、さっさと辞めて1年ほど猛勉強し、綺麗に再就職を決めた。今の職のままで定年までやると言い切る公爵の目に迷いはない。彼の決断や行動は常に素早く、躊躇いや逡巡などない。それは僕自身がなりたかった姿だ。ゆえに公爵が輝いて見えるし、だからこそ自分自身後ろめたい気分にもなる。

公爵は新橋のオヤジのごとくハイボールジョッキを掲げながらも淡々とした口調で述べる。後ろ倒しにしたところで何も解決しないと。同調しながら僕も対話していく。時間はどんどん過ぎるばかりだと。自分等の時間もそうだし、周りの時間もそうだと言った。親なんて自分より遥かに先に逝くのだから、やるなら早い方がいい。いつも思っている。だけど対して実行出来ていない。

相手が死んだ後に嘆いたり後悔しても意味がなく、相手が居なくなった後に孝行したところでそれはただの独り善がり。報いでも、恩返しでも、償いでも、愛でも、言い方は何でもいい。相手が生きている内に、自分自身を認識してくれている間に与えて初めて意味が出てくる。それは同じく友人のスーパーフェニックスといつも話していることだ。

分かってはいる。だけど思った通りに動けてない。焦燥感だけが募っていく悪循環。しかも頭では分かっているつもりでも理解しているわけじゃない。本当に理解している人間は迷わず動くし、決めた以外のものには目もくれなくなるものだから。それがまた独り善がりに自問自答する一人芝居みたいで情けなくなる。

GWに入る前の飛び石休暇、その前日にぽっと湧いた古い友人との飲み会。非常に有意義だった。店は大当たりだったし、笑える話と真面目な話、両方出来たし。ただ、有意義な時間を過ごして教訓を得て、その後どうするか。問題はそこであり、その問題を抱えている時点で三年以上前からまるで成長していない証拠だった。

帰宅後、学生時代以来で再びマイブームとなりつつあるインスタントラーメン「サッポロ一番味噌ラーメン」を夜食としてすする。一緒に買ってきた柿ピーを貪りつつ、もう十数回は観た映画ソフト「レミゼ」をまた延々とリピートさせつつ…。明日は休みだから、何の枷もない。タガが外れた獣のように、ただ貪った。

この深夜の獣化は、数時間前に北千住で再燃した心の奥底にある苦悩や苛立ちという炎を無理矢理忘れ閉じ込めようとする強引な暴挙、見せかけの無頼だったのかもしれないが、一つだけ確かなことがある。

それは、考えたところで自分も現実も何も変わらないということ。行動した時のみ変化が起きる。思い返せばここ5~6年の間でも、数少ないなれど自分が劇的に変わったあるいは現実が変化したと思えたのは、自分に鞭打って行動に移せた時のみだった。

当たり前だけど、しかし歳のせいか、気力が尽きたからか、もしかして病気だからなのか、ちょっとしたことでも遥かに高い壁に見える。最近は小説を2ページ読んだだけで疲れる体たらくだ。僕は本当に何をやっているのか。

じりじりと、じりじりと、時間だけが過ぎていく。じりじりと後退していく体力と精神力、そして気力。胸が、胃が、じりじりと痛む、そんなGW前の平日のこと。


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20150404(土)その4 大分旅行一日目・第四部 血の池と龍巻、三つの温泉に浸かりし俺等は最後メシテロへ

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【朝メシ】
朝食パンバイキング ホテルヴィラ大森(平和島-嫁)
アイスコーヒー 大分空港喫茶店(大分空港-嫁)
 
【昼メシ】
屋台冠地どりまん 別府地獄めぐり(大分・別府-嫁)
食事処「みゆき亭」(大分・別府-嫁)
 
【夜メシ】
和居酒屋「すが乃」(大分・別府-嫁)
コンビニ菓子 ホテルサンバリーアネックス内(大分・別府-嫁)
 
【イベント】
大分旅行一日目 別府観光 地獄めぐり、柴石温泉、別府駅前商店街散策
 
  
【所感】
((第四部))別府地獄めぐり 血の池地獄、龍巻地獄~メシテロ

■最後のニ地獄へ
鉄輪停留所からバスに揺られること7~8分。「血の池地獄前」という停留所を降りてすぐ目の前が「血の池地獄」である。さらにそこから百メートル少々離れた場所に「龍巻地獄」が隣接。

この血の池地獄と龍巻地獄を一まとめにして、俗に「柴石(しばせき)エリアのニ地獄」とカテゴライズする。もう一方の片割れである「鉄輪(かんなわ)エリアの六地獄」、すなわち海地獄、鬼石坊主地獄、山地獄、かまど地獄、鬼山地獄、白池地獄のグループと対を成すカテゴリだ。

「鉄輪ブロック」の筆頭は海地獄、「柴石ブロック」の代表は血の池地獄。奇しくも青と赤という正反対の池を擁するため八大地獄の双璧として記憶しやすい。
 
 
■柴石エリアまで一応ウォーキングは可能
「鉄輪の六地獄」と「柴石のニ地獄」とは距離が離れているため徒歩では移動困難とされる。しかし体感としては、労力は使うが不可能な距離でもないと思えた。そこまでして歩く必要もないのだが、僕も嫁も基本的にボルダリングは嫌いだがトレイリングは大好きなので。

行く道々の途中、リュックを背負った金髪の白人兄ちゃんが山道をガンガン歩いている姿を見かけた。他の場所でも同一人物を何度か確認している。「またあの兄ちゃんだよ」と都度嫁と言い合ったものだ。あらゆる場所に出没する白人兄ちゃんから、別府の山間全てを徒歩で制覇しそうな気合が見て取れる。

確かに、経験則的に振り返れば、山岳地帯などある程度険しい自然の観光地に訪れる外国人観光客は、アジア人より欧米人の方が遥かに多かった。彼等はウォーキングやトレイリングが大好きな人種で、かつその姿も良く似合う。山でワイルドにアウトドアする白人ほど絵になる組み合わせはない。
 
 
■血の池地獄 土産屋は規模がデカい
辿り着いた地の池地獄。広めの駐車場を完備し、観光客の受け入れ態勢が万全であることを窺わせる。結局のところ、八大地獄を見学したい観光客は、鉄輪エリアの海地獄か、ここ柴石エリアの血の池地獄をスタート地点にするしかないのだ。血の池地獄もまた要所に恥じない観客動員数だった。

血の池地獄の門をくぐると土産屋がある。かなり規模が大きく品揃えも豊富で、恐らく八大地獄中最大だ。買い物するにはもってこいの地獄だろう。

そして血の池地獄を見学するには、まずこの土産屋を通過せねばならない。土産屋の入口にはおばちゃんが門番のように控えており、そのおばちゃんに入場チケットを渡すという仕組みになっている。土産屋の店員兼モギリだ。とりあえず土産は後にして、血の池地獄を見学した。
 
 
■血の池地獄 酸化鉄の赤み
血の池地獄の温泉は、文字通り赤い池。酸化鉄により赤みがかっているとのことだが、泉色は鮮明というより濁った液体という感じだ。「キレイだな」と感嘆するような景色ではなかった。

そして見る場所はその池のみ。温泉はたった一つしかない。海地獄などの凝り具合と比べて随分とあっさりした造りだと拍子抜けするだろう。

ただ、池そのものはかなり大きいため、色んな場所や角度から鑑賞することは可能だ。この血の池地獄にしても、平地から眺めるだけでなく、脇に造られた階段を上った先の山道から見下ろしたりもできる。むしろ上から眺め下ろした方が池のおどろおどろしさを感じられるだろう。
 
 
■写真撮影 後ろから…
また、池のほとりには顔の部分をくり抜いた鬼の看板が立っている。開いた穴から顔を出して記念撮影するという観光地にありがちなパネルだ。「顔ハメ看板」とか「顔出し看板」と呼ばれるらしい。僕は基本それをしないが、嫁はその顔出し看板が大好物。嬉しそうに鬼の穴から顔を出す。僕もそんな嫁をカメラに収める。

と、その時、後ろから不意に声を掛けられた。

「よかったら撮りましょうか?」

振り向くと、若い姉ちゃんが満面の笑顔で立っていた。
 
 
■写真撮影 彼女は本格派
彼女は見掛け大学生風。服装は観光地用というよりハイキングか登山にでも出掛けるようなアウトドアルックだ。足取りや仕草も軽快さと跳ねるような躍動感に溢れ、一目で活動的かつ快活な人だと判断できる。

何より明るく、笑顔が素敵だ。一種の自信と、同時に柔らかさも帯びている。初対面の人間でも彼女の親和性の高い笑顔を見れば確実に好感を抱くだろう。そんな山ガール風の姉ちゃんだった。

山ガールの首にはカメラが提げられている。肌身離さずという井出達から彼女が写真撮影に情熱を捧げるタイプだと判断できる。カメラと常に一体という点で僕と同類だ。

しかし求めるベクトルは多少異なるかもしれない。それは所持するカメラ機の種類を見れば一目瞭然だ。一言で表すなら僕は量、彼女は質を求めた撮影をする。
 
 
■写真撮影 僕の所持するカメラ
僕が所有するのはフジフィルムのファインピックス。コンデジだ。2年以上前のモデルだが十分鑑賞に耐えうる画質だ。僕はそこまで画質に拘らない。4Kテレビじゃあるまいし、これ以上解像度上げてどうなるんだと。

一カメラにそこまで高度な画質を求めてもしょうがなんじゃないか。これが僕の姿勢だ。とどのつまり、被写体に近付く再現性を得られるレベルなら問題ない。その再現性は今所持しているコンデジで十分。

その代わりスピードには固執する。連写などの機能ではなく、純粋に一枚写真を撮る際の反応速度こそが僕にとって命だ。電源オンから起動までのウェイト時間、被写体にピントを合わせる素早さ、シャッターボタンを押した直後の反応速度、さらにブレの無さ…。

僕のファインピックスはそれら全てを満たす、まさに名機中の名機。望むことは何でもしてくれるこの名機と僕とのシンクロ率は200%越えだ。これは僕のために作られたカメラ。

僕のファインピックス…。撮りたいと思うと同時に、銃をホルスターから抜くがごとき滑らかな動作でファインピックス専用ケースの前部カバーを開く。露になった電源ボタンを押す。センサーが反応しレンズがせり出し、液晶画面に被写体が映り込む。液晶に映る被写体をベストポジションに持っていくためカメラを手で前後させ遠近の調節をする。ピントが合うか合わないか確認するまでもない。勝手に焦点は絞られているからだ。なのですかさずシャッターボタンを押す。押した瞬間、伝導率100パーセントのごとき反応速度で撮影は既に終了していた…。

これが僕のファインピックス。愛すべきコンデジ。出来上がった写真にブレはない。一瞥してそれを確認した後、カメラの電源を切りながら、せり出したレンズが引っ込んでいる最中に、銃をホルスターに収めるがごとくカメラをケースに戻していく。電源がオフになるのと、レンズが完全に引っ込むのと、ケースの前部カバーがパタンと閉まるタイミングは完全に同調。僕は何事もなかったかのようにファインピックスを脇に仕舞うのだった。

という流れに費やす時間は2秒。取り出してから仕舞うまで、誇張なしに2秒で撮影が終わる。相手からすれば何が起こっているか分からないまま既に激写されていた、というレベルだ。次元大介の銃捌きのごときコンマ1秒の無駄もない撮影動作を可能にする僕のファインピックスは、返す返すも名機であった。

だがしょせんはコンデジ。ライトユーザー向けだ。しかしそれゆえに大きな責任やプレッシャーもなく好き勝手に撮影できる。僕は写真について誰の制約も受けたくないのだ。だからこのスタイルが一番合っているのであり、そのスタイルを貫くにはコンデジがちょうどいい。

というわけで、僕は画質よりも撮る速さを最重視する。撮りたいと思った時には既に必要な動作が完了しているという阿吽の呼吸的カメラ。目まぐるしいほどの電源オンとオフの繰り返しに耐えうるタフさ。瞬間的閃きに咄嗟に反応する俊敏性。あとはただ「撮ろう」と感じる度にシャッターを切るのみ。とにかく現場で起こる数多のシーンを余すところ切り出したいという欲求が強い。

だから量とスピードを重視する。撮りたい瞬間を寸分の狂いもなくズバリと切り取るのではなく、中心点から多少ずれても構わない。その多少ずれた前後の画像から、あったはずの瞬間を想起できる程度の精度でいいのだと。得られるのは瞬間から常に一コマずれた美。写すのは全体。僕は木よりも森を見る。
 
 
■写真撮影 彼女のカメラ
対して山ガールは、量より質を求めるタイプだと判断できる。僕のようなコンデジでなく、プロが使いそうな見事な一眼レフカメラをぶら下げているからだ。

一眼レフでは、思い立った時に都度撮りまくるという挙動が取り辛い。被写体をより美しく撮影し、可能な限り精緻な写真を残すのが一眼レフの機能だからだ。当然、一枚一枚に時間が掛かる。

無論、コンデジのように気軽に液晶を眺めながらの撮影も可能。だけど一眼レフの強みは小さなファインダーを覗き込むことによって被写体を正確に確実に精密に絞り込む点にある。

そして、その調整に調整を重ねた上で写した美しい写真はコンデジの及ぶところではない。コンデジが散弾銃なら一眼レフはスコープ付きライフルのようなものだ。数は撃てない。

だが数を撃つ必要もない。術者とて、素早く撮影してその場を離脱しようなどと考えていないはず。むしろじっくり腰を据えて、自分の体勢や被写体への日の当たり具合、アングルなどを変更・調整しながら納得できるまでクオリティを高めようとするだろう。前後にずれることのない、まさに瞬間美の中心点を抉り出すことが一眼レフ使いの本望であり責務なのだから。

山ガールもきっとその境地に立っている。
 
 
■写真撮影 彼女が僕等に声を掛けたワケ
彼女は僕よりも遥かに若く、だけどカメラマンとして僕より高みを目指している女。肉体も見るからに健康的で瑞々しい。さらに人当たりもよく笑顔も素敵。時流に乗るだけの山ガールや歴女などとは一線を画す存在感だ。

そう。自発的に思考し、高みを目指し、内から湧き上がる本能に従った結果、自然に山ガールになっていた彼女こそ本物。そんなレベルの高い山ガール姉ちゃんに「撮りましょうか?」と声を掛けられたのだから、同じ観光カメラマンとしてむしろ本望だ。彼女は僕に同類の匂いを感じ取ったのだと信じている。
 
 
■写真撮影 無償の愛だからこそ
同類だからこそ、他者との触れ合いを重視する。また、それを重視するであろう人間を見抜くことにも長け、そんな相手に助け舟を出すのも厭わない正確だ。僕等のように「本当は誰かに撮って欲しいんだけど」と逡巡する本心を察知し汲み取ることが出来るのだ、彼女のような人間は。同類だからこそ分かる。

彼女は観光地の美しい造形物や景色はもちろんだが、それ以上に人を観察している。彼女は人を見ている。いや、人のことがちゃんと見えている真っ当な心の持ち主だ。その場のノリだけで騒ぐ若者等と違い、しっかりとした基盤を持ち情感豊かな人間らしい人なのだ。

そういう人は、えてして優しい心の持ち主。自分から進んで他人に声を掛けられる気遣いと優しさを有しているのだ。

そんな優しい人の笑顔は例外なく綺麗。自分の利益のために、あるいは他人を搾取するために近付いてくる者がする笑顔とは全く別の、透き通った微笑み。綺麗なのだ。いや、もはや美しいのである。

そんな笑顔を称えられる人が居るから人間社会はまだマトモに回る。本人が思う以上に、他人はその無償の笑顔に救われているはずだ。逆にそれがなければ世間は何と空寒いものだろう。

だから天使と言われるのだ、人間同士の和の在り方、その重要性と真髄を知っている彼女のような人間は。彼女のような人が増えれば世の中はもっと生きやすくなる。
 
 
■写真撮影 それでも報酬もちょうだい
だが慈愛溢れる山の天使たる彼女とて、突き詰めれば一個の人間。僕等に対し一方的に無償奉仕するほどマザーテレサでもない。見返りを見込んだ上での撮影だ。悪いことじゃない。むしろ当たり前の流れ。やはり同類だからこそ僕は一瞬で理解した。

「撮りましょうか?」と微笑む山ガールから一メートル半ほど左後ろに離れた場所には、彼女と同じような登山系ルックに身を包み、これも彼女と同じく首から一眼レフカメラをぶら下げる男が立っていた。そのペアルック的服装と、距離は離れているが二人を繋ぐ赤い糸のようなオーラを感じ取った僕。この山男は山ガールの彼氏なのだと瞬時に察した。

つまり山ガールは僕等の写真を撮影する代わりに自分達のツーショット写真も撮ってくれないか、と僕等に要望しているのだ。

彼女の瞳はこう言っている。誰かに撮影を頼みたい。だけど周囲の他人には目もくれず、自分達のコミュニティだけで盛り上がる人間には頼み辛い。自撮り棒で自分の世界に入っている他の観光客にもこの気持ちは分かってもらえないかもしれない。だから頼めない。

頼めるとすれば、自分と同じように写真撮影をこよなく愛し、だけど他人の挙動もつぶさに観察しているような広い目を持った人間。一期一会を重んじ、自然に他人に手を差し伸べられる融通の利く人間。そういう相手であれば断らないだろうし、自分達の「誰かに撮って欲しい」という切なる願いを汲み取ってくれるはずなんじゃないかしら、と。

そう彼女の目が言っている。僕には分かるんだ。同類だから。

彼氏の方はいかにも控え目で沈着。自分から赤の他人にアプローチをかけるほどの思い切りはなさそう。だから代わりに快活な彼女が声を掛けた。この、押し寄せんばかりに血の池地獄に群がる数多の観光客達の中、敢えて僕等を選んで。僕等を信じて。僕なら心の内を察してくれると信じて…。彼女は物欲しそうな表情をおくびにも出さず、「撮りましょうか?」と笑顔で言った。
 
 
■写真撮影 同類同士の予定調和
だから僕は、彼女が深層心理下で打ち立てたシナリオ通りに動き、喋る。分かっているんだ、彼女が何を望み欲しているか。それに対し、僕がどう返答し動くべきか。何を受け取り、何を与えるのか。だから僕はこう答えた。二言だけ。

「いいんですか? ありがとうございます♪」
まずは無邪気な風を装って感謝の言葉。

「もし良かったらお二人のことも撮りますよ♪」
次に間髪入れず報酬の約束。

それを聴いた彼女は言った。予定通りに。
「本当ですか♪ ありがとうございます♪」

そう。全ては予定通り。同じ旅人カメラマンとして同類として、僕と彼女との間で取り交わされた予定調和だ。

彼女が投げ掛けたのは純粋なる親切じゃない。かと言っていやらしい取引でもない。愛だ。僕が支払ったのも代価じゃなく対価でもなく、やはり愛。愛に動き、両者が定めに従った。

聖書も言っている。何事にも時があると。天下の出来事全てに定められた時があると。彼女はその時に従い、僕も運命の流れに準じた。

それによって出来上がるのは理想の世界。恨みも妬みも穢れもない神の刻、ユートピア。ここはエルドラドか、はたまたアヴァロンか。

交わされる言葉は聖なる息吹。湧き上がる感情は愛なるパトス。沸き上がる赤き血潮・・・。

そう、ここは血の池地獄。別府八大地獄めぐり、その七番目の地獄。セブンスフィールズ。オレはこの腐臭漂う血の池のほとりで、一人の山ガールに出会った。
 
 
■写真撮影 彼女の厚意
というちょっとしたやり取りが血の池地獄で交わされた。だけど血の池地獄はこのやり取りこそが記憶の全てだったと振り返って実感するだろう。

山ガールの厚意を受け、顔出し看板の穴から慣れた表情で顔を出す嫁。普段は顔出し看板に見向きもしない僕も、不慣れな挙動で顔を出す。出した顔の顎の下あたりに亀吾を添えて…。

そんな僕達を山ガールは「はい、チーズ!」と元気な声で誘導しながらシャッターを切り、「念のためもう一枚♪」と、セミプロカメラウーマンよろしく距離や角度を素早く調節しながら僕のコンデジのシャッターボタンを再度押した。

他人の写真を二枚以上撮るのは撮影者としての礼儀でありプロの証。慣れない他人のカメラゆえに失敗するかもしれない。だけどカメラを受け取ったからにはその人に責任を負っている。失敗作を避けるため、避けられぬなら何枚も撮ってリスクヘッジするため。

それは自分自身の撮影技術、つまり矜持に関わる問題でり、同時に相手を失望させないための防御措置。いや失望させないためじゃない。喜んでもらうためだ。「いい写真を撮ってくれてありがとう」という感謝の笑みが欲しいからだ。相手の笑顔ほどカメラマン冥利に尽きるものはない。だから僕等は二枚以上、撮るのだと。

そんな想いを抱きながら、だけど被撮影者にはそんな態度をおくびにも出さないのがスマート。相手にプレッシャーは与えない。自分が仕事をきっちりとこなせば全ては丸く収まるのだから。

つまり自信のない風体を見せることなく、いかに自然に「もう一枚撮りますよ♪」と相手に言えるか。ここら辺の振る舞いの自然さ加減でその撮影者が場数を踏んでいるか、いわゆるプロ度が分かる。

山ガールのプロ度は高かった。そして僕も、高い。今まで何回、いや何十回他人のカメラを受け取り、彼等の写真を撮ってきた。この数年でメンタルは闇に汚染されて、肉体的にも精神的にもガタが来ているけど、カメラ技術は昔のまま。誰かのためにシャッターを切る時だけ、僕は何もかもが幸せだったあの頃と同じ状態に戻れる。
 
 
■写真撮影 お返しは真心で
写真を撮ってもらった後、僕は返礼として「じゃあ次はお二人の写真を」と切れの良い言葉を放った後、山ガールとその彼氏である山男を顔出し看板へと促した。そして山ガールから受け取った一眼レフカメラのファインダーを覗き込み、看板内でスタンバった彼等に角度とピントを合わせる。重い…。さすが一眼レフだけあって、両手にずっしりと来る重みだ。

いや、単なる機械の重量だけじゃない。旅を愛し、自然を愛し、その風景と情景を最上の形で残そうとする彼女の想いが詰まった、そんな重みが感じ取れる。この一眼レフには愛が篭っている。僕のコンデジのように。この重みは愛の重さなのだ。

だから僕は、いつもよりも丁重に、だけど普段彼女が扱っているであろうがごとく機敏に、一眼レフのシャッターを切る。そして「念のためもう一枚♪」と、やはり彼女と同じように二枚目の写真を自然な流れで提案。看板から顔を出す山ガールと山男の笑顔をより鮮明に切り取ろうと、距離や太陽の光など緒条件を調整しながらタイミングを計り、想いを込めてボタンを押したのだった。

「ありがとうございました♪」
山ガールは笑顔で言う。

「こちらこそありがとうございました♪」
僕もはやり笑顔で答えた。

確かに声を掛けたのは彼女の方からだったかもしれない。彼女ほど僕は自分達の写真を望んでいなかったかもしれない。どちらが先か、どちらの気持ちがより深いのか。

そんなことはどうでもいい。僕等はただ運命に従っただけなのだから。同じ旅人として、一カメラマンとして。たった1~2分の邂逅だったけど、僕等は互いのことをちゃんと分かっていた。
 
 
■写真撮影 この邂逅に感謝
登山家や冒険家、旅人にとって写真撮影は切っても切り離せないアクション。収集家としての趣味であり、探究心の発露であり、内から湧き上がる衝動であり、それはつまり本能だ。思うより早く手は勝手にカメラに伸び、気付けばシャッターを押している。

呼吸のように当たり前な仕草。同時に自らに課す責務。それは何者かに与えられた使命。だから僕達はいついかなる時もカメラと共に歩き、これからも数千、数万、数十万の風景を、人を、ファインダーの中に収めていくだろう。

そんな自分の存在意義を密かに確認できた午後のこと。ありがとう。キミに会えてよかった。
 
 
■龍巻地獄 小さなスケール
血の池地獄から数分歩くと、別府八大地獄めぐりにおける最後の地獄「龍巻地獄」に至る。だが二つ合わせても下手をすれば10分程度で終わるんじゃないかという規模感だ。鉄輪エリアの六地獄と比べ、柴石エリアの二地獄はなかなか小ぶり。どう考えても前者が主で後者が従だろう。

ただ、龍巻地獄には一つ罠があり、その罠にはまるとトータルの見学時間が長めにカウントせねばならない。龍巻地獄は間欠泉だからだ。訪れるタイミングを間違うと待たされることになる。

間欠泉とは、地中で熱された水が圧力によって地上へと噴出す温泉のこと。常時噴き出すのではなく、数時間置きだったり数日置きだったり、決まった間隔で発生する。

噴き出すのは水蒸気と言われるが、そんな生易しいものでなくまさに噴水、あるいは爆発。世界で最大と言われる米国イエローストーンの間欠泉は場合によっては70~90メートルもの高さまで噴き上がるらしい。さぞかし壮観に違いない。

そこまでの規模はなくとも、ここ別府の龍巻地獄も日本では数えるほどしかない間欠泉の一つ。見るべき所は十分にある。しかも龍巻地獄の間欠泉は30~40分に一度という、他に比べ遥かに短い周期で発生する。本来、間欠泉の周期はもっと長いのだが。いいタイミングに当たるよう祈る僕等だった。
 
 
■龍巻地獄 いきなりヒット
血の海地獄と同じく土産屋の受付おばちゃんに入場券を渡す僕等。するとおばちゃんは「早く行った方がいいよ!」と目を剥き出しに僕の胸元に詰め寄った。

何故かと問えば、「今ちょうど間欠泉が吹き上がってる最中だから」とおばちゃん。「マジすか!」とうろたえる僕に、「これを逃すと次は30~40分後だよ!」とおばちゃんはさらに危機感を煽る。

こうしちゃ居られない。おばちゃんに「ありがとう!」と謝意を述べつつ嫁を呼び付け、土産屋の中を駆け抜け現場へと走ったが、20秒で現場に着いた。結構手狭な場所なのね…。
 
 
■龍巻地獄 ち、小っちゃい…
到着した先。柵に囲まれた数メートル下方を見ると岩場がくり抜かれたような場所がある。半径十メートルくらいの小規模な石場だ。

石場の奥には、横と天井とを岩や石で囲んだ長方形の空間がある。高さ数メートルといったところか。その長方形の下、つまり地表には亀裂が走っているのだが、その亀裂から猛烈な勢いで噴水のようなお湯がシャシャー!シャシャー!と噴き出していた。

これが間欠泉、つまり龍巻地獄。「これが・・・そうか…」僕は見た瞬間に感じた。

そう感じた理由は二つある。間欠泉という珍しい温泉に立ち会えた感嘆と、だけど予想よりも迫力がなかったことに対する残念感だ。

特に後者の気持ちが強かった。間欠泉が飛び散らないよう天井に石製の蓋がされているのだが、高さ2~3メートルしかないため間欠泉の豪快さがイマイチ伝わらない。かつ横も石でガードされているため密閉度合が高すぎ。例えるなら電話ボックスの中で水しぶきを上げるスプリンクラーのようだった。
 
 
■龍巻地獄 能力を活かすか否か
間欠泉は高圧力で噴出するため、まさしく大噴火のごとく地上のかなり高い位置まで噴き上がるのが特徴。先述したとおり、アメリカのイエローストーンは70メートル以上に及ぶこともあると言うし、他の間欠泉もそれなりの高さまで噴き上がる。

まあ中には時と共に枯れてしまって今では数メートルしか飛び上がらない間欠泉も存在するようだが。人間に例えるなら、汲めども尽きぬ隆々かつ猛々しかった若者が、使いすぎて数十年後にはもはや隆起もままならない枯れ果てた爺さんになってしまったような感じか。人間と違い地球のパワーは無尽蔵と思っていたのだけど間欠泉も衰えるものなんだな。

だが別府の龍巻地獄はまだ現役。その噴出力は高さ50メートルにも達するらしい。もし何の制約もなしに見られたらさぞ壮大で幻想的だ。

しかし現実には数メートルの高さで蓋がされている。間欠泉は超高温のため安全を重視しての配慮らしいが、青天井とは言わずともせめて10メートルくらいの高さまで天井を引き上げて欲しかった。

電話ボックス大の棺の中で荒れ狂う龍巻地獄の間欠泉の勢いは見た目にも凄まじく荒々しい。やりようによっては八大地獄の一番の目玉になったかもしれないのに。

龍巻地獄は、オペラハウスよろしく間欠泉から少し離れた場所に階段状の見学席が設けられている。全て合わせると100人くらいは収容できそうだ。そこに腰を掛けつつ、勢いよく噴き上がる間欠泉を眺めれば、きっといいショーになりそうだ。間欠泉の高さ制限がもう少し緩ければ…。

そんな間欠泉だから、2分も見れば十分。さすがに飽きてしまった。壮大な滝などは、たとえば和歌山の那智の滝や日光の華厳の滝など、そういった滝であれば何十分見続けても飽きないのだが。

無論、理由は分かってる。滝は人工的な制限を掛けず自然のままに任せているから飽きない。自然の雄大さや力強さを直に感じられるのだ。

間欠泉も本来ならば同じはず。大地の怒りに蓋をすることなく自然に噴き上がる間欠泉であれば、地表に現れた龍のごとく人は恐れおののきその圧倒的な光景に心奪われるだろう。

だけど龍巻地獄は余りに人の手が加えられすぎていた。観光用として妥協するあまり自然に任せることを怠りすぎた。恵まれた資源も活用の方向性を誤れば威力も半減することを知った龍巻地獄であった。
 
 
■八大地獄めぐり終了
ともあれこれで別府の八大地獄めぐりは終了。土産を買っていなかったことを思い出し、血の池地獄に再入場していくつか土産を購入。僕は「血の池地獄」というそのまんまの名前の焼酎を友人向けに三本買ったが、別府の地獄に置いてある土産は「毎日が地獄です」というタオルやら、『地獄○○』という食い物やら、とにかくヘルネームばかり。時と場合を選ぶ土産というか、シャレの通じる相手じゃないと渡せない。
 
 
■八大地獄 総括
以上で八大地獄は終了だが、それぞれの地獄に見所はあるが、冷静に審査するなら全て回る必要もないかもしれない。視覚的には鉄輪エリアのみでOK。柴石エリアのニ地獄は除外してもいいだろう。

鉄輪エリアにしても、視覚的な部分で鮮やかなコバルトブルーの海地獄を見ればある程度満足出来ると思われる。少し物足りなければ、かまど地獄で補完すればいい。かまど地獄は温泉の数では八地獄一多く、他の七地獄の温泉と被るものも多いからだ。

それか、個人的には閑静な白池地獄で静寂に包まれるのも捨てがたい。馬券的に表すなら、一着は「海地獄」で固定しつつ、二着に「かまど地獄」と「白池地獄」を選択する流し馬券の格好か。海地獄は誰が見ても鉄板。二着以降はまあ気分で…。

他の地獄は時間や資金に余裕がなければスルーして良い。鬼石坊主の熱泥はそこまで感慨を受けるほどでもない。足湯も併設されているが、ここは別府だし足湯なんて他にいくらでもある。山地獄は殆ど動物園だけど、動物の種類やスケールは手狭。水族館「うみたまご」やアフリカンサファリに行けば良いだろう。

かまど地獄は他の地獄の総括版的意味合いを持つのでダイジェストで見たい人は選んで良し。鬼山地獄はワニが働かないのでただの池だ。白池地獄はひと時の静寂感を得たいのなら一見の価値有り。血の池地獄は海地獄のようなカラーリングの鮮烈さに欠けるため飛ばしてOK。龍巻地獄は人工的すぎて間欠泉の魅力が激減、見なくていい。

と、これが僕の総括だ。見たいポイントだけ絞って効率よく見学するのが正しいやり方だろう。僕等は時間があったから、そもそも地獄めぐりをするために大分に出向いたのだから悔いは微塵もない。全ての地獄を十分に楽しんだと思えた。
 
 
■柴石温泉 本来の常道は温泉
時間があるなら柴石温泉、そして泥風呂に行った方がいい。食事処「みゆき亭」の店主にそう勧められたのを思い出す。時間は夕方16時。まだまだ夜まで長い。

だけど、バスは17時台か18時台がほぼ最終だ。広島の宮島、福井の東尋坊などと同じで、海の近くにあり海鮮を観光資源とする土地は、夕方になれば店のシャッターは次々閉まり、そこで活気付いていた人々もまるで潮が引くがごとく一気に消え去ってしまうのが定番。市場がその典型。朝早く仕事に出掛け、夕方になれば仕事を跳ねてパチを打ち、酒を飲み、寝る。それが漁師なのだから。

なので「みゆき亭」の店主のオススメスポットを両方カバーするのは不可能だと思えた。かつ地獄めぐりも意外と歩き通しだったためかなりの疲労感もある。

その疲労感を癒す意味でも温泉に浸かることがベストなのではないか。柴石温泉ならば距離的にも近いし、店主との約束を半分果たしたことになる。僕等は再度気力を振り絞り、歩いて柴石温泉へと向かった。
 
 
■柴石温泉 随分ひっそりとしている
噂の柴山温泉は、一言で言えば山奥の民家という雰囲気。目立つ看板もなく、道を歩いていると突然『柴石温泉』と書かれた棒っ切れが無愛想に立つのみだ。

その標識を曲がり、細道をてくてく歩いていく。眼下には小川がチロチロとせせらいでいる。どこにでもある、のどかな田舎の集落といった風景だ。懐かしい感覚に包まれながら静寂の中を歩いた。

建物は意外と大きめ。しかし飾り気はなく、素朴で自然な佇まい。地元民の憩いの場、公民館的な雰囲気だ。事実、この柴石温泉に来る人間は殆ど周辺の地元民か、そうでなくとも別府在住の人間。皆、慣れた動作で金を払い、勝って知ったると言わんばかりに風呂場へ移動していく。観光客にありがちな自信の無さは他の客には見受けられなかった。

なので番台のおばちゃんも、僕等の挙動を見るなり「お客さん、初めて?」と即座に正体を見破った。

だがおばちゃんは僕等を嘲笑うでもなく、入り方や作法などを優しくテキパキと教えてくれた。有名ホテルや観光地にはないアットホームさだ。

さらに番台のおばちゃんの話に割り込むように、地元民らしきおっちゃんが「こっち側が入口で、荷物はそこにコインロッカーあるから預けるといいですよ」などと丁寧に教えてくれる。見掛けによらず言葉遣いが丁寧かつ優しいおっちゃんだった。

見知らぬ地で地元の人達に話し掛けられること。地元民と会話すること。それは心が高揚する瞬間。だから旅は楽しい。

入浴料も200円と割安だ。このような料金体系は地元で共同温泉などと呼ばれる。どちらかというと地元に根差した憩いの場的位置付けのようである。

だからタオルも石鹸もシャンプーも風呂場には置いておらず、自分で買うか持ち込むかせねばならない。文化としては銭湯に近いものがある。

なるほど確かに、この柴石温泉は観光者向けとは言えまい。スパのように小奇麗かつ多様な設備があるわけでもなく、ホテル備え付けの温泉のように鮮やかな色合いの湯舟を設置してもいない。気合を入れて観光するのではなく、ちょっと立ち寄ってみたという気心で向かうのがちょうど良い。
 
 
■柴石温泉 リトルフォーリナー
だからなのか、観光客が少ない以上に外国人が居なかった。欧米人はもちろん、別府の各所で幅を利かせていた中国人や韓国人の影すら見えない。純粋に日本人だけが集っている。

柴石温泉は別府八湯の一つであり、ガイドブックにも載っている著名な温泉だ。にも関わらず観光客は居らず、外国人もいない。よく考えれば納得できる現象だった。

中韓国人は別府の温泉の至るところに押し寄せる。だがそれは、「有名」「豪華」「キレイ」「広い」「不自由しない設備が整っている」という5つの条件の内、最低でも三つを兼ね揃えた温泉に限る。つまりガイドブックに載る有名ホテルの中にあるような豪華設備の温泉こそ、彼等の望む環境なのだ。由布院などはその典型だろう。

対して柴石温泉は、5つの条件の内、辛うじて「有名」という条件くらいは満たしているかもしれない程度。実際に入ってみたが、確かに属性は銭湯系。確かに外国人向けとは言い難かった。
 
 
■柴石温泉 その不自由さ
とりわけ使い勝手が相当不便。シャワーは設置されているが数は少ない。しかし入浴者はガンガン入ってくるのでシャワーの順番待ちは必至だし、タイミングがずれるとなかなか順番が回ってこない。

柴石温泉の混雑期にシャワーを使いたいのであれば、シャワーで洗っている人間の後ろに仁王立ちしながら「早く譲れ」とプレッシャーを与えるくらいの図々しさが必要だろう。実際、地元人と思われる兄ちゃんやおっちゃんなど何人も仁王立ちしていた。

気弱な僕はそこまであからさまに出来ないので、とりあえず湯舟に浸かりながらピューマのような目つきで観察しつつ、シャワーが終わりそうな挙動を見せた人間を見つけ、素早くその男の背後に立つという手法を選択し、即座にシャワーを確保。汗ばんだ身体をようやく洗えたわけだが、ここまでシャワーの確保に苦労したのは久々だ。風呂場の扉をくぐってからシャワーを使うまで、40分くらいの時間を要した。

常連客っぽい爺さんやおっさんなど、シャワーが空かないからと湯舟の傍に風呂桶を持ってきて、そこで湯を汲んで身体を普通に洗い始めたり。家ならまだしも、公衆浴場の風呂桶の傍に胡坐をかき、湯舟に浸かっている者に自分の衰えた肉体を晒しながら石鹸を泡立ててガンガン身体を洗っていくという光景。当たり前のように皆がそれをやる。まさに衝撃的な景色。温泉地の共同温泉ならではの風物詩だ。

そんな鉄火場。洗い場を確保しようと待ち受ける人達。我先にとなりふり構わない姿勢。江戸時代の公衆浴場などもきっとこんな荒々しさがあったに違いない。風呂場は戦場であると。
 
 
■柴石温泉 ぬる湯とあつ湯
シャワー設備はささやかなものだが、風呂はなかなか充実している。まず室内には浴槽が二つあるが、それぞれ「ぬる湯」「あつ湯」と命名されている。

「ぬる湯」は文字通り湯がぬるく、長い時間浸かるにはうってつけ。しかし温泉が身体の奥まで染み渡る気分を味わいたい人にはパンチが弱いかもしれない。僕もどちらかというと熱い湯が好みなのでちと物足りない気がした。

そこで「あつ湯」の登場である。こちらも言葉通り、熱い湯。かなり熱いが、のたうち回るほどの地獄熱ではない。入ったおっさん達は「うお、熱ぃ! マジかよ」などと叫んでいたが、東京の江戸っ子専用銭湯などに比べれば、むしろ大人しめ。ある意味、熱い風呂という見地からは理想的で入浴者に優しい温度。骨の髄まで温泉成分が染み込み、体内に溜まった疲労が溶け出していく、そんな熱さだ。僕はこの柴石温泉の「あつ湯」をいたく気に入った。
 
 
■柴石温泉 源泉100%掛け流し
ところで、この「ぬる湯」と「あつ湯」だが、源泉100%掛け流しの温泉らしい。この「源泉100%掛け流し」を採用する温泉は非常に珍しいようだ。なぜならやりたくとも簡単には出来ないから。

そもそも「源泉掛け流し」とは何か。今まで赴いた温泉でもこの言葉はよく見かけたが、深く掘り下げることはなかった。

まず「源泉」とは、地中から水が湧き出る場所のことだ。その水の温度が高い、つまり暖かい場合、源泉から湧き出る水のことを「温泉」と呼ぶ。だから温泉施設がある地域にとって、「源泉」とは温泉が湧き出る場所のことを指す。

そもそも源泉から湯を引き出さないのに「温泉」と名乗る方が変だろう。そこらの水道から汲んだ水をボイラーで焚いて風呂桶に溜めるだけなら一般家庭の風呂と同じだ。なのでこの場合、「温泉」と呼ばれる施設の近くには「源泉」がある、という前提で話を進める。

全国各地に散らばる源泉。しかし湧き出る温泉は、湯量も温度も各地によって異なる。ししおどしの水のようにチョロチョロと湧き出る程度の湯量では到底足りない。文字通り湯水のように溢れ出るほどの量でなければ。湯量は多ければ多いほどベターだ。

ただ、湯量が多くても温度が適温でなければやはり風呂には適さない。別府の地獄のように、湯はふんだんに湧き出るが摂氏100度近くの熱湯になんて誰が入るのか。温泉たまごを作るくらいしか使い道がない。逆にぬるすぎてもダメだ。温水プール程度の温度で温泉などと謳ったらお客がキレちゃうよ。程よく熱く、暖かく。そんな適温が望ましい。
 
 
■柴石温泉 源泉掛け流しという言葉の罠
だが、入浴に適さない湯量や温度の温泉を持った源泉でもやりようによっては入浴用として使える。

湯量が足りなければ普通の水を足せばいい。温度がぬるければボイラーで暖めればいいし、逆に熱すぎるなら水で薄めればOK。つまり源泉から湧き出た温泉を加工するのだ。

別に違反ではなく、多くの温泉施設がやっていることだ。その加工法として、源泉から出る温泉に水を加えることを「加水」、温度を人工的に調節することを「加温」と呼んだ。

その他に、「循環」という加工法もある。一度湯舟に入れたお湯を消毒、ろ過して再度利用する方法だ。言ってしまえば湯のリサイクル。ばっちいようにも感じるが、ちゃんと殺菌しているから問題はない。

源泉から出る湯量が少ない場合は特に循環式は重要だ。湯舟に入れる湯が途中で切れたら元も子もない。湯がもったいない。この「循環」という加工法を採用している温泉は「循環方式」と呼んで区別されていた。

この「循環方式」でない温泉が「源泉掛け流し」だ。源泉から湧き出た湯をそのまま使う。ろ過や消毒、つまり循環させた湯を全く使うことなく、湯舟には常に源泉から湧き出る新しい湯を流し込む。湯舟の湯はいつだって新鮮かつ溢れんばかりという状況。これほど贅沢で罰当たりな使い方ができるのも、その源泉から出る湯量が圧倒的だからなのだが。

ここで一つ問題がある。先の水を加える「加水」、温度を調節する「加温」という加工法について。一度使った湯をろ過、消毒して再利用する「循環方式」の温泉は、「源泉掛け流し」を名乗れない。だけど湯を循環させないという部分さえ守れば「加水」や「加温」をしても構わない。「源泉掛け流し」を公言して良いのである。

逆に、そうでもしなければ「源泉掛け流し」を名乗れる源泉など殆ど存在しなくなるからだ。風呂というものはそれほどまでに難易度が高い。

それもそのはず。人間が体感的に心地良く感じる、あるいは何とか耐えられる湯の温度なんて狭いもの。せいぜい38度~43度が適温だろう。僕は地元の銭湯で45度くらいはあると思われる熱湯に入ったことがあるが、肌が真っ赤になった。皮膚がただれるかと恐怖した。それほどに人間は脆弱ということだ。

つまり通常であれば38~43度の間、プラスマイナス5度の範囲。体温よりぬるくては身体が冷えるし、熱すぎては細胞が死ぬ。そもそも別に苦行したくて温泉に来てるんじゃないから。楽しむために温泉に入るんだから。

そんな脆弱かつ我がままな人間が欲するプラマイ5度の範囲に収まる源泉が一体いくつ存在するのか。源泉を育む母なる大地は基本気まぐれ。人間の都合に合わせてやる義理はなく、ただ大いなる地球の意志によってガイアにマグマをたぎらせるのみ。

というわけで、「適温でなければ源泉掛け流しじゃない」という取り決めを作ろうものなら殆どの温泉施設は「源泉掛け流し」の看板を下ろさねばならなくなる。せっかく後から後から湧き出る源泉を持っているというのに。

だから別に加水、加温するくらいは大目に見てね。文字通り「源泉をドバドバと『掛け流し』てる」んだから、と、そんな言い分だ。
 
 
■柴石温泉 源泉掛け流しという隠れ蓑
その主張は十分理解できる。だがそれを拡大解釈すれば、源泉から湧き出た温泉が全体の1%で、残り99%が普通の水でも「源泉掛け流し」になるのかという疑問が浮かび上がるが。

実際、なるようだ。そこまであからさまな施設もないだろうが、多くの施設が循環をしていないという点を根拠に「源泉掛け流し」を謳っているのが現状とのこと。当然、源泉から湧き出た温泉には加水や加温を施している。だから客としては、施設の「源泉掛け流し」という謳い文句だけでぬか喜びするのは早計ということだ。
 
 
■柴石温泉 真の100%掛け流しとは
それら無数の「源泉掛け流し」温泉の中で、水も加えず、熱したり薄めたりもしない温泉が稀に存在する。循環はもちろん、加水も加温も全くしない。一切の加工を加えない温泉。純粋に源泉から湧き出た温泉を惜しみなく、止め処なく延々とダダ流す、紛れもなき「源泉掛け流し」の温泉。これが「源泉100%掛け流し」なのである。

「源泉掛け流し」と「源泉100%掛け流し」。『100%』が付くか付かないかで天と地の差。恐らく、人々がイメージし求めるのは『100%』の方だろう。だが現実には100%掛け流し温泉は滅多に見られない。だからこそ100%掛け流しは貴重であり、そんな温泉に巡り合えた時には喜びに打ち震えてよし。

そして驚くべきことに柴石温泉は源泉100%掛け流しだという。「ぬる湯」と「あつ湯」の二種類の湯舟があるのは、別に入浴者のために温度を調節しているからじゃない。源泉から湧き出る温泉がその温度だから。ぬるい温と熱い湯との二つの湯が湧き出るからだ。全く加工していないのだから、そういうことになる。

まさしく柴石温泉は自然の神秘。寂れた場所に位置するとは言え、別府八湯に選ばれている強者。只者じゃないと思っていたが、予想以上のハイクオリティ温泉だった。
 
 
■柴石温泉 露天風呂
外には定員3~4人ほどの露天風呂もある。少し白く濁っており、いかにも温泉成分という感じだ。ただ相当ぬるい。長く浸かることは出来るがシャキッとしたい者には向いていないかもしれない。だが、そのぬるさが人気なのか、露天風呂は常に満席。狭い風呂の中に爺さんや浅黒い若者、子供達が団子のように固まって入り、サルのように恍惚とした顔をしていた。
 
 
■柴石温泉 蒸し風呂
「蒸し風呂」という施設もあった。要はサウナだ。しかし通常のサウナのように人工的ではなく、地熱を利用した自然の竈。床や腰掛ける場所は竹を組み合わせた造りになっていて、その少し草っぽい匂いがいかにも自然の温室と言わんばかりで視覚的にもグーだ。

中はかなり熱く、通常のサウナ室に引けは取らないが、それよりも特筆すべきはその良質な発汗システムだ。普通のサウナのように「ただ汗が流れる」のではなく、腕や肩や腹や顔から出る汗がヌルヌルしているのである。油分が滲み出るという感じか。これは本当に気持ちよかった。

他の人間が10分少々で退出していくのを尻目に、僕はこの「蒸し風呂」の中で30分くらい過ごしたか。地獄めぐりで歩きに歩き脚や腰に溜まった疲労が、身体にまとわり付く嫌な汗や毒素が、文字通り全て搾り出されたという実感があった。
 
 
■柴石温泉 大当たり
不便だけど、実は温泉として水準が高い柴石温泉。ここは当たりである。「みゆき亭」の店主の助言に従ってよかった。上がり際、入場した時に気を遣ってくれたおっちゃんとバッタリ遭遇し、彼は「やあどうでしたか♪」と相変わらず気さくに話しかけてくる。良質の温泉に入れた。かつ優しく暖かい地元民とも交流できた。この柴石温泉へのしばしの立ち寄りの記憶を、僕は後々まで思い出すだろう。
 
 
■別府のバス運転手の荒い気性
温泉に入り気分も新たになった僕等。ただやはり観光の時間はもう残っていないと判断する。あとはメシを食い、ホテルで休むのみだ。バスに乗り込み別府駅へと向かった。最終が近いからか、日本人観光者、地元の中高生、中韓国人、そして白人集団など、多くの人間がバスに乗り込んでくる。

しかし多くの乗客を乗せたそのバスの運転手。運転がかなり荒い。最終便に近いから、さっさと仕事を終わらせて家に帰りたいのか、山道を豪快に爆走させていた。

かつ、なぜか不機嫌な顔をしている。「何でオレがこんなことやんなきゃなんないんだよ」とでも言いたげな顔だ。それは声にも現れていて、「次は○○駅~」というアナウンスもかなりぶっきらぼうだ。この運転手は何がそんなにムカついているんだろうか。

まあ一人で怒っているだけならまだいい。だがそれを乗客にぶつけるようではとてもともて。別府という場所は土地柄、外国人が圧倒的に多いのは僕も既に理解している。だが日本語や日本の文化を完全に理解し馴染んでいない者も多く居るだろう。そんな外国人に対し運転手は相当冷たかった。

たとえば途中で乗車してくる白人客に「早く乗ってくださいー」と急き立てるな苛立ち声でアナウンスしたり。最終の別府駅で乗客が降車する際、白人集団が小銭の勘定がイマイチ分からず長いこと立ち往生していると、「だから○百円ですって」とか「早くここに料金を入れてください」とか、傍から見てもキレた感じの応対を見せる。

そんくらい待ってやれよと。どう思おうが、別府は外国人で持っているようなもので、キミはその外国人達を丁重に運ぶ職務を負っているのだから。僕は嫁と顔を見合わせながら嘆息した。
 
 
■飛び抜けた別府の名物店
大分、別府の名物と言えば「関サバ」「関アジ」、そして「とり天」だ。これを食わずして東京に帰るわけにはいかない。だが「関サバ」「関アジ」は漁獲量などまちまちで、その日獲れたものはその日の内にという感じだ。よって直ぐに品切れとなるケースも多い。何店か電話、あるいは直接店に出向いたが、「関サバ」「関アジ」共に全滅していた。別府駅周辺にはこんなに料理屋や飲み屋があるというのに。

仕方ないので頭を切り替える。「関サバ」「関アジ」はとりあえず置いといて、まずは「とり天」を食べようと。僕はかねてよりガイドブックに載っていた「とよ常」という店が気になっていた。名物の「とり天丼」は極上で、その他のメニューも満足感たっぷりらしい。別府駅から10分程度、北浜バスセンターを越えたあたりに店を構えているとのこと。ウキウキしながら歩く速度を速めた。

しかし辿り着いた「とよ常」の前には行列。店内にも店外にも、「とよ常」でメシを食おうと目論む輩達が長蛇の列を作っていた。「おいおい」と思わず脱力の吐息が漏れる。他の店はこんな状態じゃないのに「とよ常」だけが異常な盛況ぶり。同じくガイドブックに引かれた者達か。地元民達お墨付きの優良店なのか。

「とよ常」の店内は広く清潔。居酒屋や食堂というよりその佇まいは小料理屋か料亭だ。結構な値段が張ると容易に予想できる。にも関わらず、誰もが「とよ常」に押し寄せる。他の安い居酒屋になど目もくれず、だ。

不況だなんて、金がないだなんて上辺だけ。皆、使うところには使う。日本経済および人間心理の建前と本音を「とよ常」の活況振りが見事に代弁していた。
 
 
■隠れた良店「すが乃」
その後、駅前の店を回ったが、なかなかしっくり来ない。寂れた路地裏アーケードを何本かうろつくも、いかにも場末の怪しい店が多く決めあぐねてしまう。何か決定的なポイントが、決断するに足る要素があれば。

その時、常連だけが行く隠れ喫茶店のようにひっそりとした雰囲気を漂わせた料理屋が目に映った。重要なのは店の前に立てられた看板に書かれたメニュー。そこには「関サバ」「関アジ」「とり天」という文字が。全て僕等の欲するメニューであり、しかも全て『在庫あり』となっている。これこそ決定的な理由だ。僕等は勢いよくその店に飛び込んだ。店の名は「すが乃」と言った。

「すが乃」。収容可能人数はカウンター席が5~6人。テーブル席で10人くらいか。規模はかなり小さく、まさしく小料理屋の様相だ。厨房もそこまで広くなく、従業員は三名。客は僕等以外ではたった二名。中尾彬風のちょっと悪そうなおっさんと、その愛人っぽい40代のおばちゃな。彬は愛人に対し、武勇伝や哲学、自分の豊富な人生経験による観察眼などを語って聞かせながら大いに息巻いている。女に武勇伝を語りたがるおっさんの構図は全国共通のようだ。

まあ彬の武勇伝は置いといて、僕等はとにかく大分名物が食えることが素直に嬉しい。早速「関サバ」「関アジ」「とり天」をオーダー。板前のおっちゃんも「別府名物三点セットですねw」とノリよく答える。その注文の仕方で僕等が観光者だということもすぐにバレた。流石に分かり易すぎたか。まあ別に僕等は美味いものが食えればいいわけで、そのためならいくら笑い者になってもいい。
 
 
■関サバ、関アジの上級ぶり
そして出てきた「関サバ」と「関アジ」。美味かった。物凄く。「関サバ」は脂が乗って豊かな味わい、かつ鮮度もあり舌触りも素晴らしい。「関アジ」はコリコリと絶妙な歯応えを保ちつつ、通常のアジのように貧弱ではなく、やはり脂の乗った深みのある味わいだ。食いながら思わず「うめぇ」と感嘆。嫁も「おいしいっ」とおいしんぼのごとく同意する。「関サバ」「関アジ」を諦めず歩きまくった甲斐があったというもの。
 
 
■とり天の実力ぶり
「とり天」も美味。鶏の唐揚げのように重たくなく、まさしく天ぷらのようにカラッとした食感。それでいて深みがある。いくらでも食えそうな料理だ。最初「すが乃」の閑散とした店内を見た時は「ホントに大丈夫かな」とクオリティに懸念を抱いたが杞憂だったようだ。
 
 
■琉球の超インパクト
その「すが乃」のもう一つのオススメが「琉球(りゅうきゅう)」というメニュー。先の「関サバ」「関アジ」などの海の幸を独自の漬けダシに漬け込んだ料理だが、これが何よりもインパクトのある美味さだった。あまりに美味いため、お代わりをした後、さらにその琉球をご飯に乗せた「琉球丼」をオーダーしてしまったほど。この「琉球」は心からオススメだ。

とにかく全ての料理が極上。ここまで興奮した旅行先での食事も滅多になく、喜びのあまり今回大分についてアドバイスしてくれた東京の友人・クーフーリンにLINEメッセージを大量送付するというハイテンション。別府の名物を一店でほぼ制覇した今回の有意義なメシテロを、僕等は今後ずっと覚えているだろう。
 
 
■別府のATMは夜更かし無し
最高のメシテロタイムを過ごした後、ホテルへ。その前に駅ナカにあるファミマのATMで金を下ろす。と思ったが、営業時間外らしく機械は微動だにしない。おいおいマジか、金がもう無ぇんだけど。コンビニなら全国どこでも、何時でも金が降ろせると思っていた僕はかなり世間知らずだった。

しかもこのATM、明日は朝9時から稼働の模様。明日はそれより早く出発してアフリカンサファリに出掛けないといけない。駅前には地銀の看板や郵便局の看板がいくつか見られたから、明日の朝イチでそこに行ってみるしかない。だがもしそこで金が降ろせなければ…。本来どうでもいいことで冷や汗が出てくる僕だった。
 
 
■ホテル サンバリーアネックス
焦りつつも、今は深く考えず明日に備えて休息を。タクシーで予約したホテルへ向かう。ホテル名は「サンバリー アネックス」。なかなか豪華な装いでフロントの対応もしっかりしている。だが日本人の客があまり見られないというか、韓国人客ばかりの気がする。キレイなホテルは中韓国人の巣窟。まさしく定評通りである。

かといって特に彼等・彼女等から迷惑を被ったということは全く無い。見た感じ普通の観光客である。まあ行儀のいい客はいいし、悪い客は悪い。民族ではなく個人レベルの資質ということだ。
 
 
■温泉渡り歩き
差し当たり居心地の良さそうなホテルということで、とりあえず僕等はロビーにある仰々しい女神像に少しイタズラした後、部屋へ雪崩れ込む。そして一息ついてから風呂へ直行した。サンバリーアネックスは当然のごとく温泉完備。夕方、柴石温泉を楽しんだからとて、それはそれ。ホテル備え付けの大浴場のように清潔でキレイな温泉もまた違った楽しみがあるのだ。

しかもサンバリーアネックスの向かいにはサンバリー本館という系列ホテルがあり、サンバリーアネックスの宿泊客であればサンバリーの温泉も利用可能だという。つまり二つのホテル温泉を楽しめるわけだ。こんな粋な計らい、利用しない手はなかろうて。

僕等は早速浴衣に着替え、サンバリー本館の展望温泉でじっくり温泉に浸かった後、その足で今度はサンバリーアネックスの「岩風呂」と呼ばれる温泉を堪能するのだった。温泉の渡り歩き。昼間の柴石温泉と、そして夜のホテル温泉二つ。まさに温泉地ならではであった。
 
 
■長い一日も終わり
流石に疲れたのか、二次会用に買った菓子や酒もそこそこに、いつの間にか寝落ちする。無理もない。朝イチで空港へ到着し、海を見渡し、地獄めぐりで歩き通し、最高に美味いメシを食い、三つの温泉を渡り歩いたのだから。ただ疲れた。しかしそれは心地良い疲労。滅多に味わえないこの気持ち。幸福感と充足感に満たされながら、微塵の後悔もなく床に就くという。それがどれだけ幸せなことか、日常生活に戻れば恐らく理解するだろう。

その日常は、明後日になればやって来る。だけど今は全てを忘れて、このユートピアでの観光旅行を満喫したいと願う僕だった。

20150404(土)その3 大分旅行一日目・第三部 鬼石坊主地獄~白池地獄、そしてみゆき亭のだんご汁へ

150404(土)-11【1220~1235】別府八大地獄巡り②鬼石坊主地獄 足湯他 大分旅行一日目《大分・別府-嫁》_004 150404(土)-11【1220~1235】別府八大地獄巡り②鬼石坊主地獄 足湯他 大分旅行一日目《大分・別府-嫁》_007 150404(土)-11【1220~1235】別府八大地獄巡り②鬼石坊主地獄 足湯他 大分旅行一日目《大分・別府-嫁》_026 150404(土)-11【1220~1235】別府八大地獄巡り②鬼石坊主地獄 足湯他 大分旅行一日目《大分・別府-嫁》_027 150404(土)-11【1220~1235】別府八大地獄巡り②鬼石坊主地獄 足湯他 大分旅行一日目《大分・別府-嫁》_030 150404(土)-12【1235~1255】別府八大地獄巡り③山地獄 動物園、餌やり他 大分旅行一日目《大分・別府-嫁》_006 150404(土)-12【1235~1255】別府八大地獄巡り③山地獄 動物園、餌やり他 大分旅行一日目《大分・別府-嫁》_014 150404(土)-12【1235~1255】別府八大地獄巡り③山地獄 動物園、餌やり他 大分旅行一日目《大分・別府-嫁》_018 150404(土)-12【1235~1255】別府八大地獄巡り③山地獄 動物園、餌やり他 大分旅行一日目《大分・別府-嫁》_030 150404(土)-12【1235~1255】別府八大地獄巡り③山地獄 動物園、餌やり他 大分旅行一日目《大分・別府-嫁》_040 150404(土)-12【1235~1255】別府八大地獄巡り③山地獄 動物園、餌やり他 大分旅行一日目《大分・別府-嫁》_045 150404(土)-12【1235~1255】別府八大地獄巡り③山地獄 動物園、餌やり他 大分旅行一日目《大分・別府-嫁》_051 150404(土)-12【1235~1255】別府八大地獄巡り③山地獄 動物園、餌やり他 大分旅行一日目《大分・別府-嫁》_061 150404(土)-13【1255~1310】別府八大地獄巡り④かまど地獄 一丁目~六丁目、足の岩盤欲、飲む温泉、手湯・足湯、土産屋、御幸の鐘 大分旅行一日目《大分・別府-嫁》_016 150404(土)-13【1255~1310】別府八大地獄巡り④かまど地獄 一丁目~六丁目、足の岩盤欲、飲む温泉、手湯・足湯、土産屋、御幸の鐘 大分旅行一日目《大分・別府-嫁》_027 150404(土)-13【1255~1310】別府八大地獄巡り④かまど地獄 一丁目~六丁目、足の岩盤欲、飲む温泉、手湯・足湯、土産屋、御幸の鐘 大分旅行一日目《大分・別府-嫁》_031 150404(土)-13【1255~1310】別府八大地獄巡り④かまど地獄 一丁目~六丁目、足の岩盤欲、飲む温泉、手湯・足湯、土産屋、御幸の鐘 大分旅行一日目《大分・別府-嫁》_045 150404(土)-13【1255~1310】別府八大地獄巡り④かまど地獄 一丁目~六丁目、足の岩盤欲、飲む温泉、手湯・足湯、土産屋、御幸の鐘 大分旅行一日目《大分・別府-嫁》_057 150404(土)-14【1310~1335】別府八大地獄巡り⑤鬼山(ワニ)地獄 クロコダイル系ワニ、アリゲーター系ワニ、土産屋 大分旅行一日目《大分・別府-嫁》_013 150404(土)-14【1310~1335】別府八大地獄巡り⑤鬼山(ワニ)地獄 クロコダイル系ワニ、アリゲーター系ワニ、土産屋 大分旅行一日目《大分・別府-嫁》_031 150404(土)-14【1310~1335】別府八大地獄巡り⑤鬼山(ワニ)地獄 クロコダイル系ワニ、アリゲーター系ワニ、土産屋 大分旅行一日目《大分・別府-嫁》_036 150404(土)-14【1310~1335】別府八大地獄巡り⑤鬼山(ワニ)地獄 クロコダイル系ワニ、アリゲーター系ワニ、土産屋 大分旅行一日目《大分・別府-嫁》_038 150404(土)-15【1335~1345】別府八大地獄巡り⑥白池地獄 ピラニア、ピラルク等 大分旅行一日目《大分・別府-嫁》_002 150404(土)-15【1335~1345】別府八大地獄巡り⑥白池地獄 ピラニア、ピラルク等 大分旅行一日目《大分・別府-嫁》_005 150404(土)-15【1335~1345】別府八大地獄巡り⑥白池地獄 ピラニア、ピラルク等 大分旅行一日目《大分・別府-嫁》_014 150404(土)-15【1335~1345】別府八大地獄巡り⑥白池地獄 ピラニア、ピラルク等 大分旅行一日目《大分・別府-嫁》_024 150404(土)-16【1345~1355】別府八大地獄巡り みゆき坂、いでゆ坂、地獄蒸し工房鉄輪、大谷公園「温泉祭り」等 大分旅行一日目《大分・別府-嫁》_005 150404(土)-16【1345~1355】別府八大地獄巡り みゆき坂、いでゆ坂、地獄蒸し工房鉄輪、大谷公園「温泉祭り」等 大分旅行一日目《大分・別府-嫁》_007 150404(土)-16【1345~1355】別府八大地獄巡り みゆき坂、いでゆ坂、地獄蒸し工房鉄輪、大谷公園「温泉祭り」等 大分旅行一日目《大分・別府-嫁》_011 150404(土)-16【1345~1355】別府八大地獄巡り みゆき坂、いでゆ坂、地獄蒸し工房鉄輪、大谷公園「温泉祭り」等 大分旅行一日目《大分・別府-嫁》_014 150404(土)-16【1345~1355】別府八大地獄巡り みゆき坂、いでゆ坂、地獄蒸し工房鉄輪、大谷公園「温泉祭り」等 大分旅行一日目《大分・別府-嫁》_024 150404(土)-17【1355~1425】別府八大地獄巡り 昼食「みゆき亭」だんご汁、地獄むしたまご 大分旅行一日目《大分・別府-嫁》_001 150404(土)-17【1355~1425】別府八大地獄巡り 昼食「みゆき亭」だんご汁、地獄むしたまご 大分旅行一日目《大分・別府-嫁》_004 150404(土)-17【1355~1425】別府八大地獄巡り 昼食「みゆき亭」だんご汁、地獄むしたまご 大分旅行一日目《大分・別府-嫁》_007

【朝メシ】
朝食パンバイキング ホテルヴィラ大森(平和島-嫁)
アイスコーヒー 大分空港喫茶店(大分空港-嫁)
 
【昼メシ】
屋台冠地どりまん 別府地獄めぐり(大分・別府-嫁)
食事処「みゆき亭」(大分・別府-嫁)
 
【夜メシ】
和居酒屋「すが乃」(大分・別府-嫁)
コンビニ菓子 ホテルサンバリーアネックス内(大分・別府-嫁)
 
【イベント】
大分旅行一日目 別府観光 地獄めぐり、柴石温泉、別府駅前商店街散策
 
  
【所感】
((第三部))別府地獄めぐり 鬼石坊主地獄~白池地獄

■鬼石坊主地獄 まったり系庭園
海地獄から目と鼻の先にある地獄めぐりの二番手、鬼石坊主地獄。「きせきぼうず」でなく「おにいしぼうず」と音読みする。中は海地獄と同じくちょっとした庭園風。桜その他の木々が植えられ、いくつかの池が点在する。ただ海地獄ほど華美ではなく、スケールは三分の一程度。

しかし敷地内には休憩用のベンチやテーブル、そして喫煙用の灰皿などが無造作に設置され、誰もが気軽にのんびり出来る造りになっている。20~30人は座れる広い足湯もある。その所帯じみた雰囲気が何とも落ち着く。庭園というより寛ぐための公園だ。見学や鑑賞に特化した海地獄と対照的な位置付けと言えた。
 
 
■鬼石坊主地獄 高熱の泥
肝心の池だが、鬼石坊主は液体ではなく泥である。色はグレーで温度は摂氏98度。その超高熱の泥が湧き出る泥池が鬼石坊主地獄だ。

そのグレーの泥は見た目シチューのように滑らか。だけど実体は98度のドロドロ高熱泥だから、口に含んだ瞬間、熱ッついぜぇー、熱くて死ぬぜぇー。まあスープには違いないが。「顔面パックするとお肌がスベスベになりそうだね~」と気楽に嫁。確かにギャッツビースクラブ洗顔に似ているが、超高熱だから、顔に塗った瞬間、顔面がスクランブルするぜぇー。

水面の何箇所かでは常にボコボコと気泡を上げおり、地熱で泥が煮え立っていると遠目にも分かる。いや、ボコボコというほど激しくはない。ポコリ、ポコリ、と静かに盛り上がる感じか。ただ気泡と言っても鍋釜の熱湯のように小さなものではなく、一つ一つが直径50センチメートル~1メートルはあるだろう。イメージとしては、でかいクラゲがボコッと顔を出した後、また引っ込むような。

この泥が丸っこく盛り上がった状態が、まるで坊主の頭のようだから「鬼石坊主」という名が付いたとのことだ。確かに坊さんのスキンヘッドに見えなくもないが、あまり善良そうではないな。何しろ98度だし。東尋坊並の悪僧に違いない。

そんな悪い坊主頭達が98度の泥から怨念のようにモコリと這い出ては押し返され、再び這い出ては弾け。そんな冥界と人間界の狭間でのせめぎ合いが数秒に一回程度のペースで半永久的に続く。メトロノームのようだ。ずっと見てると眠くなりそう。ちょうど足湯もあることだし、少し休憩することにした。
 
 
■鬼石坊主地獄 足湯
鬼石坊主の足湯は泥じゃなくてちゃんとしたお湯。足場が円形になっており、客は中心部を取り囲むようにどこに座ってもいい。円形なので客の視線も円の中心部に向かうため、四角い箱型のように知らない誰かと向かい合わせに座ることもない。ある意味360全方位対応。足湯の究極系とも言える造りだ。足湯にはカップル、家族連れなどが思い思いの場所に座って寛いでいた。皆、のどかな顔をしている。僕等も空いているシートに腰を下ろた。

足元に見える透明な湯。靴と靴下を脱いで足を浸けると、足の裏からじわりとした暖かさが。気持ちいい。特段冬でもないし足が冷えてもいないけど、生き返るような気分だ。まさに「気持ちいい」という言葉しか見当たらない。僕等の恍惚した顔を見て自分もと思ったのか、水場を求めるバッファローの群れのごとく新しい客が次々と腰掛けていく。

ふと見ると、6~7歳の少年が足湯の中を元気に歩いていた。ズボンをしっかりたくし上げなかったため、知らない間にズボンを派手に濡らしてしまったようだ。「ママ濡れちゃったどうしよう」とバツが悪げだ。ママは「もう~何でそんなとこ歩くのよ、早く上がってきなさい」と半キレ状態。少年はすごすごと足湯から上がって少し離れた場所に避難する。「元気がいい子だねぇ」と苦笑する嫁。僕は「まあ男はあんなもんだ」と答えた。

その数分後、先の失敗など無かったかのように、先の少年が再び足湯の中を活発に歩き回っていた。「男の子ってバカなの?」と嫁は苦笑した。僕は「バカですねぇ」とやはり苦笑を返した後、やんちゃな少年を眩しげに見る。

見詰める僕と、隣に座る嫁と、膝の上でまどろむ亀吾と…。まるで田舎の縁側で茶でも飲んでいるかのような、のどかな時間だ。忙しなく人が行き交い、騒がしく声が交差する人気観光地とは思えないほどの静寂と落ち着きが身を包む。目まぐるしく慌しい八大地獄の中、この鬼石坊主の足湯は唯一喧騒から隔絶された世界だったのかもしれない。
 
 
■山地獄には温泉がない
鬼石坊主地獄から数分歩くと、次は「山地獄」の門が開いている。他の地獄と違い温泉はないが、代わりに地盤や岩の裂け目から水蒸気が噴き上がっている。この水蒸気が山地獄だ。その噴出量は大量かつ活発。天にも昇る勢いだ。まるで圧力鍋で大豆の煮物を作っている時、もう我慢できないとばかりに蒸気穴からシュッシュシュッシュと吹き出る蒸気のように、水蒸気は天に駆け昇っていく。いや水蒸気というより煙。白煙巻き上げる山地獄はさながら山火事だ。ちとブラックジョーク。

水蒸気の温度は約90度らしく、近付けば火傷では済むまい。だから最も激しく噴出している場所には柵が張ってある。しかし一方で、通路脇の手に届く岩の間などからもフシューフシューと控え目な蒸気が漏れ出ている。こんなに無防備なんだから、こっちは触っても大丈夫ってことかな? 恐る恐る岩肌に触れる。「熱ちッ!」。普通に熱かった…。
 
 
■山地獄のメインは動物?
水蒸気しか見るものがないためか、不足分を補うように小規模な動物園が開設されている。敷地の3分の2ほど動物園に割いていることから、山地獄のメインはむしろこっちだろう。だって極論、策の中の水蒸気を見るだけだったら1分で終わっちゃうからな。
 
 
■山地獄の意外と豊富な動物
なぜ動物園なのかというと、地熱の利用。年中アツアツの水蒸気が吹き出る山地獄は空気も温暖で、かつ地面も暖かい。元々が温暖好きな動物達にとっては地獄というよりむしろ極楽。

とは言え敷地自体それほど広くないため動物園もコンパクトかつ簡素だ。ライオンやトラなどの大型肉食猛獣は飼育されていない。居たら居たで逆に怖いけど。こんな弱そうな檻、平気でぶち破ってきそうだ。敷地面だけでなく安全上の理由もあると思われる。

なので山地獄で飼育されているのは大人しい草食動物か、肉食でも小型か、あるいは水生生物、そして鳥類などだ。ゾウも居るとネット上には書いてあるが確認は出来なかった。いずれにしてもまったりと楽しめる。かつエサやりなども出来るので意外と時間を潰せる。全く以ってのどかな山だった。
 
 
■山地獄 サル
檻の中にサルが二匹。だが寝そべったまま動かない。地熱から来る温暖な気候が気持ちいいのか弛緩しきった顔で寝ている。ん、何? ああ客か。まあゆっくりしてってくれや。と、尻をポリポリ掻きながらテレビを見る週末オヤジのような他人事。こんなやる気のないサル見たことない。
 
 
■山地獄 キジ? クジャク?
サル小屋の隣にはキジが数匹。いやクジャクか。両者の見分けは正直つかないが、説明ではインドクジャクとなっているのでクジャクとしておく。ほんと、ヒラメとカレイよりも見分けが付かない。

ただ、クジャクは上野動物園などでも良く見るし、特段珍しいとは思わない。今回も数秒見学して素通りした。他の客達も殆ど興味を示さない。哺乳類と違い、鳥類とは何とも報われない種類。だがしばらく回ってからもう一度クジャク小屋に目をやると、鳥小屋にはありえない人だかりが出来ていた。

何事かと思い網の中に目をやると、オスクジャクが普段閉じている羽を全開で広げている。これは…素晴らしい。オスクジャクが羽を広げるのはメスに自分をアピールするための求愛行動だと言われているが、ここまで目一杯広げた姿は多分今まで目にしたことがない。普段は体長一メートルにも満たない彼等だけど、一度羽を開けば身体の数倍、いや十数倍にまで拡大する。その姿は威風堂々としていて、何より美しい。本気を出したクジャクの壮麗さに思わず見とれてしまった。隣のサル山とは違い、クジャク達はやる気十分。いいものを見れた。
 
 
■山地獄 カバ
山地獄一の大型動物としてカバが一匹飼育されている。名前は純日本風で昭平(しょうへい)といい、とても親しみやすい。だが見た目のんびりしていても、カバは常に最強動物の候補に挙げられるほどの逸材。超重量級の身体、持って生まれたパワー、生半可な牙など通さない分厚い皮、怒れば手が付けれない凶暴性。条件次第ではライオンなど全く歯が立たない。それは人間にとっても同じ。危険な動物なのだ。

まあ山地獄のカバ昭平君は、地上から2メートルほど下に造られた池に棲んでいるので危険はない。観客はまったりしている昭平を見下ろしながら「可愛いね」と安全圏から高みの見物。昭平はそんな観客達をじっと見上げ続ける。愛想を振りまいているのではなく、エサをもらえるからだ。

カバエリアでは昭平用のエサが販売されている。ニンジンの細切れ程度の大きさだ。それを買って、買ったエサを上からポトポト落としていく感じだ。昭平も分かっているのだろう。人間が近付いてくると、大口を開けて人間達を見上げる。人間の子供一人くらい丸呑みしちゃうんじゃないかというほどの口だ。そんな大口にこんな小さなエサで足りるのかどうか知らないが、昭平は嬉しそう。延々と口を開けて「ちょーだいちょーだい」とせがんでいる、ように見える。その姿が何とも愛嬌があって可愛らしい。

多分、この辺が屈強の猛者でありながらも人間達に愛される部分なのだろう。子供達も「可愛い~可愛い~」と言ってエサを落としている。ワイルドな外国人も「オーウ、○○○♪」と、まるで赤ん坊を見守るような優しい瞳でカバの昭平をいつまでも眺めている。可愛い動物を愛でるのに年齢も国籍も関係ないんだってことを改めて知り、だからこそ動物との触れ合いは人間の心に潤いを与えてくれる貴重な場なのだ。開ききった昭平のビッグマウスにエサを投げながらそこそこの時間を費やした。 
 
 
■山地獄 カピバラ、ウサギ、馬系
施設の半分くらいは草食動物の棲み家だ。中央にはカピバラ、端っこの一面はウサギ、もう一面はミニチュアホースだ。そこにもエサは売っている。ニンジンの切れ端4~5本だ。エサ番のおっちゃんに言えば売ってもらえる。当然のことながら、エサを何度も買って動物達に与える僕等である。
 
 
■山地獄 カピバラ
カピバラは眠そうにしている。というか寝ている。脱力しきった身体は完全に地面と一体化して今にもめり込まんばかりだ。「カピバラさーんっ」と呼んでも面倒臭そうに少しこちらに視線をやった後、すぐにそっぽを向いて微動だにせず。あとの方になるとこちらの呼び声にも反応しなくなっていた。先のサルに匹敵するほどの愛想の無さだ。動物とは気楽だな。

だけどエサには食いつく。買ったニンジンを網越しに差し出すと、眠そうな目で顔だけムクリと上げ、クンクンと匂いを嗅いだ後、シャクシャクとかじり始める。その動きも緩慢で気だるそう。エサを食うのもめんどくせぇと言わんばかりだ。カピバラってこんな動物だったのか。まあそのリラックスした姿に癒されるのだろうが、もう少し相手してくれてもいいジャン、などとも思った。

そのカピバラに、所定のエサではなく道端にある草を千切って与えている子供がいた。おいおいそんな雑草与えて大丈夫なのかよと思っていると、エサ係のおっちゃんがすかさず「草はあげないでね、動物が身体壊しちゃうから!」と声を上げた。

子供としては恐らくイタズラのつもりもない、ただモノを食う動物の反応を見て楽しみたかっただけだと思う。だけどそれで所定のエサを買わず、馬の骨とも知れない雑草で済まそうという部分が既に人間の傲慢だ。結局、食わせる側のことなど考えちゃいない。動物の身体を気遣っていない。それを叱らない親も同じだ。自分の子供が野草を口に入れようとしたら全力で阻止するのに、相手が動物ならば止めることなく知らんフリ。

動物は、明らかに毒でなければ出されたものを条件反射的に口にしてしまう。そして人間より遥かに強靭だから、それで致命傷になることもあるまい。だからといって何でもかんでも与えてもいいわけじゃない。少なくともこの場所では「所定のエサ以外は上げないでくれ」と飼育員が言っている。ならばそのルールに従うことが動物達への唯一の労わりであり、彼等の存在を尊重しているという証明だ。子供はそういうことが分からないから大人が嗜め教えて上げねばならないのに。

何も考えていないような表情で出された野草を貪るカピバラと、それを与える人間の罪のない身勝手さとの対比がやけに辛かった。人間と動物。しょせん対等ではありえない。だからこそ出来る範囲で労わりたいもの。逆に言えば、可能な部分では虐げないよう気遣いたいものだった。
 
 
■山地獄 ミニチュアホース
ミニチュアホースとあと数匹、馬系の動物がいる。こちらも動作は緩慢で馬の種族とは思えないほどだが、近付いても逃げないので頭を優しく撫でて楽しむのが良いだろう。エサには結構鋭く反応する。そのデカい口で細いニンジンをムシャムシャする姿は、やはり癒し系だ。しかし先のカピバラと同じく、ここでも雑草を与える子供が多数。馬なんだから草食っても平気だと思うが、ホントやめてやれよと思った。
 
 
■山地獄 ウサギ
何匹かのウサギが広めの小屋で飼育されている。活発に動くウサギもいれば寝ているウサギも…。カピバラやミニチュアホースと違って大人の客が殆どだ。客達は網の間からニンジンスティックを差し出し、それをウサギが小さい口でかじるのを見守りながら微笑んでいる。静かにエサをやりたい客達の憩いの場だ。僕等もこのウサギ小屋で結構時間を費やした。

中でも、一匹目を引いたウサギがいた。他に比べて身体が二回りは小さく、毛は真っ白。その毛並は滑らかで上品な感じがする。白ウサギは活発に動かずじっとしている。まさにぬいぐるみのようなウサギだった。こんな可愛いウサギ見たことない。

だが白ウサギは小柄なせいか積極性がない。むしろ臆病そうな眼差しだ。エサが欲しいとアピールもしてこない。後ろに控え、他のウサギがニンジンを貪る姿を眺めるだけ。可哀想なので、僕等は白ウサギにニンジンスティックをそっと差し出した。すると白ウサギはチョコチョコと網際に寄ってきて、スティックの端っこをその小さな口でカリカリと小刻みにかじる。その姿がまたおもちゃのようで。何で愛らしいんだ。何度も何度も白ウサギにニンジンを上げた。

しかしその都度、白ウサギの隣にいるブチのウサギが邪魔をする。ブチウサギの身体は白ウサギの倍はあり、いかにも気が強そう。白ウサギがニンジンをかじり始めるとそれを目ざとく見つけ、力づくで割って入る。そしてニンジンを強奪する。白ウサギが現在進行形で口に咥えているニンジンですら奪い取るのだ。何て嫌なウサギだ。まるで会社の上司のよう。

ウサギの世界には譲り合いとか施しの精神がないのか。任侠ウサギはいないのか。血も涙もない現実に僕等もムキになる。ブチウサギが向こうに行ったのを確認し、白ウサギにニンジンを与える。だけどブチウサギは素早く戻り、突進するように邪魔をしてくる。ならばとブチウサギにまずニンジンを与え、ブチが一生懸命食っている間に白ウサギにニンジンを差し出す。それでもブチは、白ウサギの食事に気付くや否や、自分のニンジンを吐き出して、わざわざ白ウサギのニンジンを奪おうとする。なんだそりゃ!

いくらなんでもそれはない。なぜ自分のメシがあるのに、いちいち他人のメシを横取りしようとする。隣の芝生は青く見えるとか、隣の新妻は素敵に見えるとか、そういう他人のものを欲しがる性分なのか。ホントに嫌なウサギだった。その横で、遠慮するように小さく震えながらなけなしのニンジンをかじる白ウサギがあまりにいじらしく、いとおしく、持って帰って飼いたいほど。本当に可愛いウサギだったな…。
 
 
■かまど地獄
入口を入ると、デカいかまどが見える。本物のかまどじゃなくてあくまでオブジェ。釜の傍には鬼の人形が立っている。来る者全てを煮尽くす地獄のかまどへようこそ、と言いたいのだろうが、鬼に怖さとか凄みがなく、どちらかというと雷様の仲本工事っぽいシュールさだ。まあ気軽なテーマパークのアトラクションに来た程度の捉え方でよし。

温泉は他の地獄に比べ多彩で、地獄の一丁目~六丁目と全部で六つ用意されている。海地獄ばりのコバルトブルー温泉だったり、赤い池だったり、透明な温泉だったり。満席で試すことは出来なかったが、足裏専用の岩盤浴小屋もある。
 
 
■かまど地獄 飲める温泉
その隣の小屋には「飲む温泉」と称する看板。ほお、温泉が飲めるのか、面白そうだな。そう思い小屋の中を覗くと、飲料温泉が入ったヤカンと無数の柄杓が置いてあった。しかも柄杓の飲み口部分には、まるで岩礁のフジツボのごとく硫黄の白い塊がビッシリと張り付いている。何か気持ち悪い。この柄杓でダイレクトに飲めというのか、口を付けて。

ただでさえ見知らぬ赤の他人と間接キッス状態で敬遠されそうなのに、さらに粘土のように張り付いた硫黄の塊。キレイ好きな人間には、いや普通の人でもちょっとハードル高くないか?

だがせっかくの経験なので、僕も嫁も覚悟を決めてヤカンの温泉を柄杓に入れる。嫁は柄杓半分くらい。僕はほぼ満タン。そして意を決してグイッと飲んだ。のだが…。

しょっぱい。一番に思ったのはそれだ。しかしそれ以上に正直な気持ち。不味い、掛け値なしに不味かった。だから嫁は、飲んだ瞬間ブハッっと咳き込み、すぐさま心底不味いものを飲んだと言わんばかりの嫌悪感を込めてペッペッと全てを吐き出した。

僕も心から吐き出したいと欲求したが、自慢げに目一杯汲んだ手前、何となく全部飲み干さなければならないという強迫観念に捉われる。だから飲んだ、そのしょっぱくて不味い温泉を。眉間にしわを寄せながら。

完飲した僕は「うん、まあまあだな」と目一杯の強がりを言うが、嫁は「…マジ?」と一パーセントも信じていない様子。その見立ては合っているよ。「飲める○○」と言っても、全てが飲みやすいように加工されてるわけじゃないんだね。なかなかインパクトのある出来事だった。つか今でも思う。ホントにあの温泉、飲めるヤツだったのかよ。
 
 
■かまど地獄 化粧水など
化粧水やジェルなどを販売している小屋がある。実際塗ってみたところ手がスベスベ。保湿性にも優れ、長時間状態が持続する優れものだ。価格は2000円くらいで割高。しかしそれだけのクオリティはあるかと。温泉地にはこの手の美容商品が付き物だが、山地獄の化粧品は相当レベルが高いかもしれない。嫁は「これはスゴイ逸品よ!」とのたうち回っていた割には結局買わなかったが。変なところで思い切りがない。

近くにいた長身の白人二人も、面白がってそのジェルを手に塗りながら感動に浸っていたが。このヒトたち用途分かって使ってんのかな? 日本の文化を理解してるんかな? 心配している僕の眼前で、白人二人は店のおばちゃんの呼び込みに応じる形で瓶のサイダーを購入。そのサイダー瓶を手に小屋の中のボロ椅子にどかりと腰を下ろし、「フゥ~ッ一息ついたぜ」とばかりの恍惚顔でサイダーをグビグビと飲んでいた。どうやら日本の文化に超馴染んでいる人達のようだった。
 
 
■鬼山地獄 土産屋のデキるおっちゃん
次は鬼山地獄だが、入口を入るといきなり土産屋。落花生やかぼす風味の裂きイカなど珍しいツマミなど。人はあまり居ないが店番のおっちゃんは愛想がよく、さらに饒舌。TVショッピングでフライパンの実演販売をするおっちゃんのごとくペラペラと商品の説明をしてきた。

かつバイリンガルで英語も喋っていたから驚きだ。英語圏の外国人客に対して物怖じすることなく、おっちゃんは商品を売り込んでいた。きっと必要に迫られて覚えたのだろう。こんな寂しい土産小屋に、こんなにもプロ意識の高いおっちゃんが居るとは。励まされるような気分になった。
 
 
■鬼山地獄 温泉に入れそう
鬼山地獄の温泉は、まるでバスクリンを投入した風呂のように鮮やかな緑色をしている。かつ池から舞い上がる湯けむりも見るからに気持ち良さそうで、どう見ても適温の温泉に見える。ここ、普通に入れるんじゃね? そう錯覚してしまうほど本格派温泉の様相を呈している。だけど実際は他の地獄とほぼ同じ。摂氏98度なので。瞬間で人間煮込みが出来上がるので。入り心地の良さそうな見掛けに騙されるなかれ。飛び込んだ時が本当の地獄だ。
 
 
■鬼山地獄 ワニ
鬼山地獄のもう一つの見所は、ワニ。山地獄と同じく地熱を利用して多くのワニが飼育されている。その数100匹に近付くとか。どんな趣味でそうなったのか知らないが、そのワニ尽くしな状態から鬼山地獄は別名「ワニ地獄」とも呼ばれている。そう言えばキン肉マンにもワニ地獄ってあったな。別府が元ネタなのだろうか。差し当たり、あまりイメージが湧かないがワニは温水の方が好みのようだ。知らなかった。  
 
 
■鬼山地獄 ワニの識別不可能
鬼山地獄には大きく分けて、クロコダイル系とアリゲーター系の二種類が棲息している。山地獄におけるキジとクジャクと同じく、両者の見分けは少なくとも僕には出来ないが、説明によればクロコダイル系は凶暴、アリゲーター系は大人しいとのことだ。どの道ワニにかかれば人間などひとたまりもないだろうけど、ナイルやミシシッピでワニの大群の中に落とされる羽目になったらせめてアリゲーターの群れを選びたいものだ。万が一にも命が助かるかもしれない。
 
 
■鬼山地獄のワニは働かない
とりあえず鬼山地獄のワニ園は頑丈な檻と背丈の高い柵で厳重に囲まれているので安全だ。逆に考えれば、それだけ厳重にしなければ危険ということ。ワニは普段の緩慢さとは裏腹に獰猛かつ俊敏。柵の間に手を入れればコマ落としのようにバクリと喰い付いてくるし、顔を覗かせれば数メートル下からでも全身バネのようにジャンプしてくる。その動きは人間ではまず付いていけないレベル。文字通り刹那であの世行きだろう。まさに水中の王者だ。

しかし、ここ鬼山地獄のワニ達に王者の風格は見られない。殆どのワニが寝ているのだ。全くアクションせず、置物のように静止している。唯一動いていたワニも、余命短いカメのごとくゆっくりとした動きで水に入って頼りなさげに泳いでいるという有様だ。お前等、エサが来ればトビウオのごとく突進してくるくせに、擬態にも程がある。山地獄のサル達もそうだし、人間にも言えることなんだけど、寒すぎる環境だと動物は動きが鈍くなる。だけど暖かすぎても弛んでしまう。動物が活動するための適温。頭が働く適温。温泉の適温。適温という言葉について考えざるをえなかった。

ワニ鑑賞があまり楽しめなかった僕等は、年季の入ったおばちゃんの屋台を少し冷やかしつつ、そこでかぼすジュースを買って一休みした後、鬼山地獄を後にした。
 
 
■白池地獄 希薄な存在感
一番目の海地獄を含む鉄輪(かんなわ)エリアの六地獄はこの白池地獄で終了。「しろいけ」でなく「しらいけ」と読むようだ。感覚的には八大地獄の中で一番小規模だと思われる。敷地面積ではなくコンテンツの少なさ、存在感の薄さという観点で。

入口は小ぢんまりとしており、無名の神社を訪れる時のようなひっそり感を纏っている。一応、地獄めぐりメインストリート沿いにあるので看板自体を見落とすことはないだろうが、普通に素通りしてしまいそうな存在感の希薄さだ。まさに空気。閑散度も八地獄中随一だ。海地獄から始まる六地獄のトリでもあるし、他の場所を回って疲れちゃった観光客も出てくるだろう。立地的にも白池地獄は損な場所に位置するということだ。

ただ、閑散と言っても寂れているという意味じゃない。一種の侘びの世界だ。高い木々に囲まれた細道は来園者の心の波を取り払い、緑生い茂る庭園は心地良い静寂感に包まれている。多少のざわめき、太陽の光を少しだけ遮る木々の配置、その木々の間で優しくそよぐ風と、さざ波のように流れる空気。自然とのハーモニー。この雰囲気は決して嫌いじゃなかった。
 
 
■白池地獄 温泉の存在感は確か
一遍上人の像がひっそりと見守る参道を少し歩くと、もう温泉が現れる。たった一個しかないが、かなり大きい。そして何よりも、白い。他の地獄では見られない、白色の温泉である。意外と涼しそうに見える。が、実際は摂氏95度くらいなので注意が必要なのは他の地獄と変わらない。

温泉の端っこではかなりの勢いで白煙が湧き上がっているが、これはどの地獄にも共通する現象。温泉はある意味マグマほとばしる地下から噴出するし、まして湧き出るのは水じゃなくてお湯。煙が出ても当然だろう。

また、白池地獄の泉質はホウ酸を多量に含むのが特徴らしい。ホウ酸と言えばゴキブリを殺すホウ酸団子が有名だが、他にもアリの駆除などに活用される。実際、殺虫効果や滅菌効果に優れる化学物質のようだ。そんな有毒物質、人間でも死んでしまいそうだが、適量であれば腎臓でろ過するので問題ないとのこと。そもそもホウ酸は白池地獄に限らず温泉に含まれる物質として知られているのだから。

色について。白池と言っても完全な純白ではなく少し緑がかっている。カルピスウォーターにライムリキュールをちょっぴり混ぜたような色合いか。その配色には落ち着いた美しがある。海地獄のコバルトブルーのような鮮烈さではなく、ぐっと引き込まれるような奥深さと言うべきか。同じ美人でも快活なビアンカと慎ましやかなフローラではタイプが違うとでも言うべきか。

白池地獄はどちらかというとフローラ。それゆえに人気がないのもフローラと同じなのだろうが、僕達的にはかなり当たりで、後々まで記憶に残りそう。『ただそこに佇む』という形容がピッタリの、静寂な空間に相応しい白色の池であった。
 
 
■白池地獄 撮影には絶好の場所
白池地獄は、その景観の良さ、また人の少なさから記念撮影に向いた場所だろう。僕等も誰にも邪魔されることなく何枚も愛機ファインピックスのシャッターボタンを連打していた。八大地獄の中で最も望ましい記念写真が撮れたのは、ここ白池地獄で間違いない。

まあ人が殆ど居ないため他の観光客に「シャッター押してくれませんか?」と頼むことも出来ないが。さらに最近は自撮り棒を使って自分達撮りをする人間も増えてきて、ますます頼む機会が減った。近頃の記念撮影は連れと写ることが殆どなく、大体がソロ写真である。

自撮り棒は発想の転換が生んだ画期的ツールであることは認める。心置きなく自分達だけで、仲間内の誰も漏らすことなく撮影できる。自分達の世界だけで全てが完結できるだろう。だけど自分達の世界だけで完結するということは、世界が外に広がらないということ。観光地で有名スポットを回るのは楽しい。土地の名産を心許せる人達と水入らずで食うのは何にも勝る喜びだ。

しかし旅の醍醐味はそれだけじゃないはず。それが人との出会いである。土産屋のオヤジ、旅館の女将、だが何よりも他の観光者達との出会いと触れ合い、つまり他生の縁。ほんの一瞬のやり取りでも記憶に残る。同じ時期、同じ場所に偶然訪れた一期一会の同志達だからこそ、胸に染み入る何かがある。

その「人との出会い」こそ、最近とみに欠けつつあるように思える旅における重要パーツ。自己完結の設備が整いその能力が研がれれば研がれるほどに、他人との関わりは狭まり世界は細っていく。その寂しさに気付けないからこそ、これだけ物質と豊かさに溢れ、SNSを始めとしたコミュニケーションツールで数百人の他人と繋がっているにも関わらず、胸にぽっかりと空いた穴が埋まらない。ふとそう思ってしまう。

逆なのだ。必要なのは、旅を快適かつ全くミス無しで過ごすための完全装備や周到な準備ではない。多少の不自由と不完全さであり、その不足分を見知らぬ土地と他人に頼ろうという一種開き直った心の姿勢だ。それが逆に心にゆとりと幅を生み、視野を柔軟にする。少し砕けた姿勢でいれば、意外性が生じる余地が出来る。意外性が入る余地があるからこそ、偶然の出会いや突発的なイベントは起こり得る。だから旅は楽しいんじゃないか。

旅にはデジタル的感性など殆ど無用。アナログこそが不可欠なのだと、僕はこれまで渡り歩いた44都道府県の旅の経験と直感からとっくに承知していた。モノや場所や食い物じゃないんだって。時が経過して思い出すのは、結局のところ人なんだって。
 
 
■白池地獄 熟年夫婦との交流
そんな想いもあるけれど、見知らぬ他人に撮影を頼むのは気が引けるし、逆に頼まれると尻込む気持ちもまた事実。そんな踏み出せない人達のためか、温泉のほとりにはカメラの三脚が立ててある。この三脚にご自分のカメラを装着してタイマー撮影して下さいという運営者の心遣いだろう。地獄に仏とはよく言ったものだ。その三脚に自分のカメラがピッタリはまるかどうかは別だけど。

僕等の近くに一組の熟年夫婦が居た。彼等は一つのカメラで白池地獄をバックに互いの写真を交互に撮っていたが、ほどなくして夫が三脚を見ながら「これがあれば二人一緒に撮れるんじゃないか?」と、さもペア写真を撮りたいぜというオーラ満々で妻に話し掛ける。「へぇ~そうなの」と妻。乗り気でないというかそこまでする必要もないかなと消極的だ。このままでは、この熟年夫婦は心の中では強く望んでいるであろうツーショット写真を残せないまま別府を去ることに。言うまでもない。僕の出番である。

「よかったら撮りましょうか?」

この一言でいい。分かっているんだ。助けを求めている人は、その動きと視線で分かってしまうんだ。不必要な人間はそんな挙動はしない。だから外さない。波乱ゼロのG1レースの複勝馬券よりも鉄板だ。

鉄板ゆえに気持ちも分かる。撮りたいけど撮れないもどかしさ。他人に打ち明けられない葛藤。退くに退けないシチュエーション。だけど結局は事を成せずに立ち去るしかない心残り。去ってから訪れる悔恨。そんな様々な心の内を理解するからこそ、何の逡巡もない。

理解するからこそ相手の反応もほぼ予測できる。「ありがとうございます♪」と少し照れくさそうに、だけど満面の笑顔を向けるのだ、彼等は。社会の誰からも必要とされない自分が「キミが必要だ」と期待され、「ありがとう」と感謝される。撮影する側もまた存在意義に包まれるというWin-Winのストーリー。

見も知らぬ他人。だけどささやかな幸せを求める善良な人。たった一歩踏み出すだけで、たった一声掛けるだけで、その幸せに貢献できる簡単なお仕事。こんな手軽な社会貢献が他にあるだろうか。逆に何故そんな簡単なお仕事をしないのか、逆に僕には分からない。押せばいいんだよ、スイッチを。カメラのスイッチを、そして心のスイッチを…。

というわけで、僕はWin-Winの関係の下、喜んで熟年夫婦の記念撮影専属カメラマンに束の間従事した。「もうちょっと真ん中に寄って下さい」などと注文も付ける。より良い写真を撮りたいのはセミプロカメラマンを自任する僕自身の矜持だから。何より、より良い写真を彼等に残したいから。

無論、ギブアンドテイクの提案も忘れない。彼等の写真を撮った後は、「自分達も撮ってもらっていいですかね?」と済まなそうに、だけど当然のようにアスクするのだ。その流れは彼等も心得ているので当然「いいですよ♪」と二つ返事をもらえる。仮に僕等が頼まずとも、彼等から進んで「よかったらアナタ方も撮りましょうか?」と逆提案を持ち掛けてくる。

これもまた予定調和。だがそれがいい。熟年夫婦の夫に愛機ファインピックスを手渡した僕等は、夫の微調整の指示に従いスタンディングポジションを決める。「白池地獄」という立て看板を挟む形で僕と嫁とが横に並び、そして僕の右手には亀吾…。いつもの配置、だけど理想の配置、記念写真。今日、この白池地獄での熟年夫婦との触れ合いと記念写真は後々まで記憶に残ることだろう。
 
 
■白池地獄 熱帯魚館
池がポツンと佇むだけではあまりにも芸がないからか、白池地獄には小規模な「熱帯魚館」も併設されている。中に入るとピラニアなどの水槽が飾ってあるが、よく見えない。水槽に人が近付けないようガラスのバリケードがあるからで、何よりそのガラスが思い切り曇っているからだ。「何のためにピラニア飼ってんだろ?」と嫁が思わず疑問を口にするのも無理はない。とりあえず「場所を埋めるためじゃね?」と答えておいた。多分正解じゃあなかろうか。

他に、巨大魚ピラルクも展示されていた。こちらは水槽も大きく間近で鑑賞できるから意義はそこそこあった。だけどあくまで白池地獄の温泉に向かうまでの途中ルートでしかなく、じっくり留まることはないだろう。他の客もガンガン素通りしていく。この熱帯魚館は今少し改良の余地があると個人的に感じた。
 
 
■残り二地獄までのインターバル
これで別府八大地獄の内、海地獄~白池地獄までの六地獄は巡回した。おあつらえ向きに鉄輪(かんなわ)バス停留所も目の前にある。あとはそのバスに乗って柴石エリアへ向かい、残る血の池地獄と龍巻地獄を見るのみだ。だが、その前に腹ごしらえだ。気付けば2時間近く歩いている。さすがに休憩した方が良いだろう。落ち着ける店を探すことにした。
 
 
■いでゆ坂とみゆき坂
海地獄~白池地獄までの道のりは、ちょうど坂道になっている。「みゆき坂」と呼ばれるその坂道を下ると交差点に差し掛かり、交差点の下り始めあたりから「いでゆ坂」という名前に変わる。

そのいでゆ坂にも名所があるらしい。その一つが「地獄蒸し工房 鉄輪」だ。別府の地獄において高熱の温泉を絶え間なく吐き出す地脈はさながら超高熱のガスコンロで、地から噴き出す灼熱の蒸気は永久機関。その高熱の地脈と蒸気とのコラボはある意味、自然の超高熱圧力鍋である。その超自然的火力を利用して食材を蒸し焼きにする料理のことを現地では「地獄蒸し」と呼んでいた。

この地獄蒸しを実際に体験してもらおうと造られた施設が「地獄蒸し工房」。施設内には専用の竈や木製の釜が並び、客はその竈に野菜や魚や肉などを持ち込み、自分の手で調理する。イメージとしては縄文・弥生時代の料理風景だ。その圧倒的火力による料理の出来具合、蒸し加減や茹で加減など、かなり興味があった。

しかし興味があるのは僕等だけでなく、他の客も我先にと殺到している。施設は満席状態で、調理場を確保するのに40~50分待ちという状態だ。ガイドブックにも載っている場所だけあって、予想通りといえば予想通りの大盛況だった。だが、さすがにそこまで気長に待てない。地獄蒸し体験が出来ない心残りはあるが、あくまでメインは地獄めぐりであり温泉だから。

後ろ髪を引かれる気持ちで人気スポットを後にした僕等は、そのすぐ近くの公園にあった屋台の焼き鳥屋を冷やかしてから昼食屋探しを再開した。種類も超豊富で値段も安かったけど、せっかく別府に来たのだし屋台の焼き鳥で妥協するわけには…。
 
 
■鉄輪エリアの食事情
みゆき坂といでゆ坂の交差点付近には食事処が結構見られる。中には「レストラン三ツ星」なんて店もあった。別府の土地柄を完全に無視したバリバリの洋食屋だが、「こんな場所にミシュランで三ツ星ってすごくね?」と僕はある意味興味が湧いた。

だが嫁は「いや、ミシュランで三ツ星を獲ったんじゃなくて、『レストラン三ツ星』っていう名前のレストランなんでしょ?」と冷静に言い放つ。「あ、そっかぁー」言われて初めて気付くマヌケぶり。真剣に栄えあるミシュラン三ツ星を獲得した超有名店なのかと思い込んでいた。旅行というものは遠くのものに対する視野や感受性を広げる要素があるけれど、一方で足元の注意力が散漫になる環境なのかもしれない。何とも思わせぶりなレストランだが今回はパス。別府といえばやはり和食だから。
 
 
■みゆき亭
数ある食事処の中から選んだのは「みゆき亭」という店。エリアではかなり有名な店で、ガイドブックにも掲載されている。オシャレではなく、昔ながらの食堂といった雰囲気だ。なので有名店の割には客も少ない。ほんの少しの不安を抱えつつ入店した。

暖簾をくぐると店主の爺さんが威勢良く出迎える。店主はかなりテンションが高くフレンドリー。事あるごとに話し掛けてくる。周辺の穴場スポットとか、地元民しか知らない隠れた名湯とか、慣れた感じで教えてくれたり、流れるような手付きで「カメラ貸して」と僕のカメラを奪い取り、「二人で記念撮影してあげるよ」と手早く写真を撮ってくれたり。客の扱いに相当慣れていると感じた。

それもそのはずというか、この店主は有名な名物爺さん。親身に、気さくに色んな情報をくれるとガイドブックなどでも説明されている。僕の他にも客が二グループ居たが、「別府に来たならこのメニューを食った方がいい」とか、「車で行くならこことここの観光地には回れるからオススメ」とか専属ガイド状態。そのグループの内、一つは韓国人の家族だった。だが爺さんはまるで物怖じすることなく、言葉が通じないなりに彼等にも親切に話し掛けていたようだ。

その馴れ馴れしさをどう取るか。客によって様々だが、僕等は非常に有意義な時間が持てたと感じている。それこそ先述した「人との出会い」の醍醐味だからだ。ただ誰にも邪魔されず自分達だけで食いたい客には向かないかもしれない。

注文したのは、ツマミとして「これを食っておかなきゃ始まらないよ」とオススメされた「地獄蒸したまご」。メインは、別府名物と言われる「だんご汁」をオーダー。このだんご汁、言ってみればすいとんのようなもの。小麦粉ベースの練っただんご(?)の他、多種の野菜を放り込んだ、ごった煮風料理だ。だんごはほうとうよりも太く、すいとんほど団子状でないが形は結構大雑把。刀削麺のようなイメージか。汁は味噌ベースというが。

これがまた美味かった。身体が暖まり、だんごや具にしっかりと味が染み込み、飽きがこない。常習性はかなりのもの。病み付きになる味だ。間違いなく僕等の胃袋にヒットした。最初は人が少なくてやっちまったかと不安になったが「みゆき亭」は大正解だった。
 
 
■そしてラストニ地獄へ
腹も膨れ、英気も養った。「みゆき亭」の店主に隠れ情報も教えてもらった。中でも強く勧められたのが柴石温泉と泥風呂。「観光した後でも十分行けるよ」と力強く言われたが、時間的余裕、あるいは体力的余力が残っているか、残りのニ地獄を巡った後でないと分からない。

午後3時頃。残る二つの地獄に向けて、僕等はここ鉄輪エリアを後にした。


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20150404(土)その2 大分旅行一日目・第二部 外国人達との触れ合いと、地獄めぐりの要所・海地獄で見たユートピア

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【朝メシ】
朝食パンバイキング ホテルヴィラ大森(平和島-嫁)
アイスコーヒー 大分空港喫茶店(大分空港-嫁)
 
【昼メシ】
屋台冠地どりまん 別府地獄めぐり(大分・別府-嫁)
食事処「みゆき亭」(大分・別府-嫁)
 
【夜メシ】
和居酒屋「すが乃」(大分・別府-嫁)
コンビニ菓子 ホテルサンバリーアネックス内(大分・別府-嫁)
 
【イベント】
大分旅行一日目 別府観光 地獄めぐり、柴石温泉、別府駅前商店街散策
 
  
【所感】
二部制で終わるはずが、まだ書き足りなかったのでさらに三部作になった…。

((第二部))別府地獄めぐり 外人達との触れ合いと海地獄で見た景色

■別府温泉の突出性
日本全国に温泉地は数多。しかし温泉の湧出量(ゆうしゅつりょう)では大分県が他を圧倒する。湧出量とは、地面から湧き出る湯量のこと。毎分、どれだけの湯が湧き出るかという指標だ。

ただこの湧出量という言葉は曲者で、自然に湧き出た湯、掘削によって湧き出た湯、人工的に汲み上げた湯など、様々な湧出ルートを総合した湯量とされている。大分県はこの総合湧出量が一位ということだ。純粋な自然湧出量だけを見れば、群馬県の草津温泉が日本一の模様。

それでも県としての湧出量であれば大分県の突出ぶりは凄まじく、香川県の「うどん県」のごとく自らを「おんせん県」と自称するのも頷ける。

その大分県の湧出量の大半を担うのが、僕等が向かう別府温泉。別府温泉の湧出量は、先の湧出量で比較すれば当然のごとく全国一位。世界規模で見ても世界二位だ。一位はアメリカのイエローストーン国立公園と言われているが、そんなことは問題にならない。

何が凄いって、こんな小さな島国の、さらに小さな県の中のほんの限られたエリアが広大な世界を相手に全く引けを取らないという事実が凄いのだ。日本がいかに火山大国で温泉大国なのか、この別府温泉の湧出量だけでも伺い知れる。日本人がなぜ風呂好きなのかも…。風呂好きになる環境が遥か昔からとっくに整っていたのだ。しずかちゃんは決して特別な存在じゃない。
 
 
■大分温泉の双璧
その大分県において、全国でも一際有名な温泉観光地二つ。別府温泉と湯布院温泉だ。この二つがジークフリードキルヒアイス亡き後、大分県の双璧として頭角を現した。ただ、どちらも全国的な温泉衰退時代の例に漏れず、一時期は不振に追い込まれたが。

湯布院は、高級で上質な旅館や自然に囲まれた景観美など、温泉特化の環境を整えた。高級路線を謳いつつ外国人富裕層を誘致し、何より女性客を上手に取り込んだ。その選民思想と高級路線を徹底させることによって湯布院は、オシャレで上質な高級温泉街としてV字回復を遂げた。思い切った路線変更で成功した例と言えよう。

ただ、温泉に特化するあまり周囲には他に何もない。本当にメシを食って温泉に入るだけの場所だと多くの人が断じている。また一部では、いくらなんでも女性を優遇しすぎ、男性蔑視だと苦言を呈されている。そういう前情報もあったので、僕としてはさして魅力を感じなかった。

一方、別府温泉は、第一部でも述べた通り、外国人の誘致、特に中国人・韓国人の大量招致によって不況の波を乗り切った。しかし度が過ぎて肝心の日本人観光客に敬遠されてしまった。そのジレンマに苛まされつつ、画期的な打開策も未だ無いまま、恵まれた資源を持て余しているのが別府温泉だ。

日本語と韓国語と中国語の入り乱れた半異邦空間、別府。寂れているとは言い切らないが、新しい何かが生まれる予兆も感じられない。現状に留まってしまい、革新的閃きを生み出す精神的土壌に欠ける。ただ、観光としては湯布院よりも別府の方が見る場所が多そう。「別府の地獄めぐり」はその最たるもので、僕等の別府行きを決定付けたのもこれだ。

また元々、大分県には縁も興味もあった。昨年向かった四国旅行の飛行機の機内モニタでは、なぜか大分県のプロモーション映像が放送中。「別府地獄めぐり」について詳しく説明していた。さらに数ヶ月前、東京タワー水族館見物に出掛けた時、たまたま広場の屋台で大分物産展が催されていた。

そこでは美味そうな焼酎や名物「とり天」他、やはり「地獄めぐり」や「別府八湯」という温泉単語も目にした。その頃からずっと気になっていたのだ。だから今回、大分別府に旅行したのは運命だったと信じている。
 
 
■別府温泉という括り
そういうわけで、僕等の目的は別府温泉。だが別府温泉と一言に言っても様々な解釈があり、少なくとも僕には正確に定義できない。

まず広義として、別府駅を基点とした広範囲的温泉エリアという位置付け。別府市には2000を超える源泉が存在し、数百の温泉が点在する。その温泉群を一まとめにして別府温泉と総称する。という見方。

次に、「別府八湯」の一つとしての別府温泉という捉え方もある。まず、別府市に散らばる膨大な温泉の内、特にメジャーな八つのエリアを「別府八湯(べっぷはっとう)」と呼ぶ。別府市が公認する八つの温泉地、あるいは温泉街のことだ。八つの温泉施設ではなく八つの温泉エリアという考え方。実際、別府八湯に属する温泉施設は広範囲に亘り、八十八箇所に上る。

これを利用し別府市では、四国のお遍路八十八箇所巡りよろしく、別府八湯に属する八十八箇所の温泉施設を回るスタンプラリー的なイベントを常時開催しているようだ。3週間くらいあれば全ての温泉を回れそうだ。資産が6億くらいになったら是非そうしたい。とにかく別府氏は、この別府八湯を広報の筆頭に仕立て上げ全国にアピールしている。

この誉れ高き別府八湯は以下のエリアに分けられる。

別府(べっぷ)温泉
浜脇(はまわき)温泉
鉄輪(かんなわ)温泉
明礬(みょうばん)温泉
亀川(かめかわ)温泉
観海寺(かんかいじ)温泉
堀田(ほりた)温泉
柴石(しばせき)温泉

つまりここで言う別府温泉とは、別府八湯の中の一つを指す。という見方だ。海沿い、山間に位置する温泉が多い別府八湯において、別府温泉は別府駅周辺の市街地エリアが範囲なので、繁華街、歓楽街的な要素を含む温泉街という位置付けだ。他の七湯を束ねるリーダー的存在と言えよう。

実際、北浜バスセンターから別府駅に歩く途中のメインストリートにも「高等温泉」なる今にも崩れそうな古ぼけた建物が普通に営業していたりする。全然高等に見えないけど、まあ温泉には違いない。他にも少し路地裏に入れば温泉施設は多数存在するようだ。施設が古い汚いは関係なく、ターミナル駅の中心街の至るところに普通に温泉があること自体が驚きなのだ。日本一の温泉県・別府の名に恥じない構図と言えた。
 
 
■地獄めぐり
ちょっと歩けば温泉に当たる環境。せっかく別府まで来たのだから当然、温泉には入る。だがあくまでメインは観光だ。有名な「地獄めぐり」を回ること。これが別府旅行において僕個人のメインディッシュである。嫁の主目的は翌日のアフリカンサファリだが、今日の主導権は僕が握っているから。共に地獄に行こうぜッ。
 
 
■なぜ「地獄」なのか
別府には数百の温泉があり、数千の源泉がある。その源泉から湧き出る湯を使って温泉施設は建てられる。だが全ての源泉が温泉用として使えるわけじゃない。源泉から湧き出る湯が入浴用として適温の場合のみ温泉として活用できるのだ。

だから、そうでない源泉は温泉として利用できない。毒素の強い湯だったり、一瞬で茹でダコになるほど高温だったり、液体ではない溶岩じみた粘体が湧き出てきたり。そんなおどろおどろしいものに入浴したいヤツなどいないし、よしんば入ったとしたらその瞬間、死が待っている。温泉として活用できない源泉は極め付けのデンジャーゾーン。そんなデンジャーな源泉が別府には腐るほど散らばっている。人々は通常の温泉と区別する意味も込め、そのデンジャラス源泉を「地獄」と呼んだ。

だが、入浴できない多くの「地獄」を野ざらしにしておくのは勿体無い。何とか有効利用出来ないものか。熟慮の末、「地獄」をテーマパーク化することで観光客を呼び込もうという構想が練られた。その構想は当たり、今はその入浴できない源泉を見物するため多くの観光客が訪れている。これが「地獄めぐり」である。
 
 
■八大地獄めぐり
数ある地獄の中でも、特に「別府地獄組合」という何とも悪そうな組合に加盟している八つの地獄を「八大地獄」と呼び、「地獄めぐり」と言えば通常この八大地獄の全てあるいは一部を観光することを意味する。僕等が目指すのも当然この「八大地獄めぐり」であり、観光者にとって定番中の定番ルートと言えよう。

地獄組合に所属しない地獄達は一般人の情報収集アンテナにはなかなか引っかからないだろうから不憫だ。別府八湯の八十八箇所めぐりと言い、この地獄組合といい、同じ別府でも様々な力関係や縄張り争いがありそうだ。
 
 
■観光地化は即ち俗化
八大地獄は以下の八つだ。無論、どの地獄も入浴は出来ない。

①海地獄…コバルトブルーの池&美しき庭園
②鬼石坊主(おにいしぼうず)地獄…泥の池&足湯
③山地獄…地表から噴出する蒸気&動物園
④かまど地獄…一丁目~六丁目までの色んな池
⑤鬼山(おにやま)地獄…ワニの巣窟
⑥白池(しらいけ)地獄…白濁の池

⑦血の池地獄…赤い池
⑧龍巻地獄…間欠泉

八つの地獄を一気通貫で見学することも出来ない。というのも①海地獄~⑥白池地獄までは一つのエリアに密集しているから徒歩で効率よく巡ることが可能だが、そこから⑦血の池地獄と⑧竜巻地獄までの距離が随分と離れているからだ。よって、その二つのエリア間の移動は自動車かバスを利用するのが常道。ここの一定のタイムロスが生じる。

まとめるとこうなる。まず①海地獄~⑥白池地獄は、別府八湯でいうところの鉄輪(かんなわ)温泉エリアに属する。そして⑦血の池地獄と⑧竜巻地獄は、同じく別府八湯の一つ柴石(しばせき)温泉エリアの領内だ。両エリアとも山間。駅から山へ上っていく途中にまず柴石温泉エリアがあり、さらに上ると鉄輪温泉エリアへ差し掛かる。さらに上にも多数のエリアがあるが、今回は柴石エリアと鉄輪エリアのみの観光となる。

最も効率的なルートは、バスで鉄輪エリアまで上ってしまい、①海地獄~⑥白池地獄を徒歩で巡る。その後、再びバスに乗り込み柴石温泉エリアで下車し、⑦血の池地獄と⑧竜巻地獄を見物。最後またバスに乗って駅に下りるというルートだ。僕等も今回このルートに則った。何より亀の井バスのフリーパスに「地獄めぐり用の順路」と題したベストルートがご丁寧にも記載されている。初めての客はその記載通りに動けば間違いがない。まさに流れ作業。観光地化の極みと言えた。

そのベストルートによれば、鉄輪エリアの最上部に位置する「海地獄前」という停留所で下車する。そこから山を下りながら六つの地獄を見て回る。するとちょうど「鉄輪」という停留所に辿り着くので、そこからバスで「血の池地獄前」停留所に下車し、残る二つの血の池地獄と竜巻地獄を巡って終了だ。「ほんとルーチン化してるな」と苦笑しながら、最初の停留所「海地獄前」を目指しバスに揺られていた。
 
 
■英語も通じるよ
バスの中は、第一部でも説明したとおり中国人と韓国人が多い。しかし欧米系や南米系の観光客も多数だった。つか日本人が僕等を含めて5~6人しか居なかった。どうみても僕等の方が余所者だ。

にも関わらずその余所者であるはずの僕等に、反対側に座っていた外国人の姉ちゃん率いる集団が唐突に話し掛けてきた。英語で。当たり前のように。姉ちゃんはドレッドヘアのいかにも南米系でイキがよさそう。流暢な英語でリズミカルに話し掛けてくる。何で日本人である僕等に訊くのか。地元の人間を捕まえたいのかもしれないが、この状況見りゃ分かるでしょ? 日本人なんて、まして地元人なんてここには居やしないよ姉ちゃん。

そう思ったが、ここは真摯に応対する。ドレッド姉ちゃんはどうやら僕等と同じく「地獄めぐり」に行きたいようだ。訊きたいことは分かった。だが嫁は回答に多少困惑する。僕はというと、ある程度英語で答えることが出来た。集中的な勉強はしてないが、ここ数ヶ月、ずっとi-podで英会話を垂れ流していたのだ。ヒアリング能力は格段に向上している。

かつ簡単な英語構文の教書も少し前に読み終えたばかり。以前は皆無に近かったスピーキング能力もほんの多少だけど上達していると自覚した。ドレッド姉ちゃんによる突如の英語攻勢は、僕に一定の自信を与えてくれた。
 
 
■海地獄 リュックが似合う男
指示通り「海地獄前」でバスを下車する僕等。いよいよ地獄めぐりの始まりだ。降り立った場所には「海地獄」という俗っぽい看板。僕等の傍には先のドレッド姉ちゃん集団の他、韓国人と思しき集団、あとは2メートル近くありそうなヤンキー系兄ちゃんと、アキバ系オタクのようにリュックを背負った兄ちゃんという欧米人二人のコンビが居た。

そのリュック欧米兄ちゃんを見ながら嫁が呟く。「同じリュックを背負っても、日本人だといかにも超アキバ系って感じなのに、それが欧米人だと超サマになるのは何で?」と。確かに。ホント何でだろ。

多分、彼等はリュックをリュックとして正しく認識しているからだろう。変な気負いとか恥ずかしさとかそんなものが全くない。ただリュックをリュックとしてありのままの姿で背負っている。これこそリュックの在り方だと言わんばかりに。服や装飾品や鞄なんてものは自然に身に着けるからこそファッションなのだ。

そういえば、たまに日本人の若い男達が、女子中学生がやっているようにリュックの肩紐をダラーンとぶら下げて背負っている姿を見掛ける。嬉しそうにそのファッションで歩いている。果たしてファッションと呼べるのか。僕としては、お前等マジかとさすがに思うよ。ホントに男かよ、と。

そういうことじゃないんだよな。迎合だけを追い求めるあまり、自立した雄々しさがなくなってしまっている。時勢ごとのファッションを追うことに執着するよりも、時代に左右されない男の普遍性を追い求めた方がよほど魅力的だと僕は考えるが、どうか。

男の普遍性と言えば肉体と精神の強靭さであり、行動力であり、包容力であり、オスとしての強さ。それを柱に据えておかないと自立なんて出来やしないし、変なベクトルへの勘違いが起こる。目の前の白人兄ちゃん達を見ていると本当にそう思う。
 
 
■海地獄 ここは大繁盛
専用駐車場はほぼ満車。やはり車で出向く客が多いようだ。そして入口付近も人で一杯。八地獄めぐり定番ルートのスタート地点という位置付けだからか、この海地獄は本当に活況だ。別府地獄めぐりをしようとする大半の客は、ベルトコンベアーのごとくまずこの海地獄に自動的に連れて行かれるのだから。その証拠に、八地獄全てに入場可能な「地獄めぐりセット券」(税込2100円)の一ページ目はここ海地獄。お膳立ては万全だった。

ただ、別に2100円もするセット券を必ず買う必要もない。全て回ると疲れる人とか、時間的に余裕がない人などは、巡りたい地獄にだけ出向き、そこで単品のチケットを購入すればOKだ。

もっと余裕がなく、たった一箇所しか回れないというならば、そんなせっかちな人にも海地獄はオススメ。多分、外さない。満足出来るはずだ。実際のところ同じような場所を何箇所も回っていると飽きてくるのが人間。最初だけは気力も集中力もフル充電状態だろうから、そういう意味でも最適だ。公的なスタート地点だけに、主催者側も気合を入れて造り込んでいる。規模的にも演出的にも他の地獄より華美でセンスに溢れている。

始まりにして終わり。全体であり唯一。神でありイエスであり精霊である海地獄は一分の隙もない三位一体。
 
 
■海地獄 ドレッド姉ちゃん再び
バスの中、英語で話しかけてきたドレッド姉ちゃん達が、海地獄の入口で気難しい顔をしながら受付の姉ちゃんに英語で問い掛けている。戸惑う受付姉ちゃん。先のバスの英語力で自信を付けた僕は、彼女等の間に割って入った。するとドレッド姉ちゃんは「オーゥ、アナタたちね♪」とばかりにパッと嬉しそうな表情をした。ドレッドでも笑うと可愛いね。

ドレッド姉ちゃんは早速早口で「How long does it take time~~」と僕等に問い掛けた。ように僕には聴こえた。嫁は「料金がいくらか訊いてるのかな?」と少し迷い気味。だけど僕には確かに聴こえた。八箇所全部回ると所要時間はどれくらいになるのか、それをドレッド姉ちゃんは知りたいのだと。

だから僕は「It takes about 3 hours」と返す。自信があった。そしてドレッド姉ちゃんは我が意を得たりとばかりに頷き、「3時間も掛かるの? 時間がないから海地獄だけにしとくわ」という意味合いの会話を仲間としていた。

僕自身驚きだ。決してスローではなかった彼女の問い掛けを一発で聴き取れたことが。そして紛いなりにもちゃんとした英語で返せたことが。こんなことは今まで一度もなかった。英会話上達者から見れば赤子レベル。だけど僕にとっては確かに成長した証。目立たないけどちゃんと上達していたんだ。i-podから福山雅治の歌を捨て、英会話だけを放り込んだ甲斐があったのだ。

何でもないこの一件のことを、ささやかな満足感を、僕は今後も忘れないだろう。
 
 
■海地獄 鮮やかなコバルトブルーは死の色
入口を抜けると規模の大きめな土産屋がある。その土産屋を通り抜けると、石敷きの地面に池や橋をしつらえた庭園風な景色が広がる。そしてその正面には、突き抜けるほど鮮やかなコバルトブルーの池があった。これが有名な海地獄であり、地獄めぐりの代名詞とも言える池である。

目の前に広がる海地獄。鮮やかかつ深みのある、まるで沖縄の海のような、ブルーハワイカクテルのような美しさだ。ずっと見てると視力が回復しそうだ。しかしその美しさとは裏腹に、湯温は摂氏98度。殆ど熱湯だ。言われてみれば、水面がボコボコと泡立っている。そして水面からは水蒸気なのか、怒涛の勢いで絶え間なく白煙を巻き上げている。見た目の美しさとは裏腹の、まさしく地獄の池だった。
 
 
■海地獄 記念撮影殺到
メインスポットでの記念撮影は旅行の定番。特に「そこに来た」と一目で分かる立て看板の前や、立ち位置や角度的に写真写りの良いポイントは人気だ。いわゆる絶好のアングルというヤツ。その絶好のアングルは多くの人間が似通っている。だから同じようなポイントに観光客が群がり、撮影待ちの列が出来る。

何度も何度も撮り直す家族連れ。我先にと割って入り自分撮り棒で嬉しそうに撮るまくるアジア系女子。さながら空港に降り立ったジョニデに群がる追っ掛けファンのごとき慌しさ。

この撮影待ちの風景はいつ見ても不思議だ。空気を読むというヤツか。せっかく来たのだから、どうせなら最高のポイントで撮影したい心情は理解できる。加えて邪魔者は居ない方が望ましい。家族水入らずで、恋人同士で、仲間同士で、知った間柄の者達だけの写真を残したい。知らない人間はある意味異物だ。特別な場所だからこそ特別な人との空間を邪魔されたくない。それは分かる。

しかし、写真を撮りたいのは自分達だけでなく、他の観光客も等しく同じ想いを抱いている。自分達も邪魔されたくないからこそ、他の者が写している時もなるべく邪魔をしない。それに、恐らく多くの人が感じていることだと思うが、他人が嬉しそうに記念撮影しているところに割って入るのは何となく悪い気がするというか、まるで自分が悪人のように錯覚してしまう。遠慮する、というより遠慮させられる。観光地において人が群がる撮影スポットには独特のプレッシャーがある。

そのプレッシャーをものともしない者は他の者が撮っていようが物怖じせず割って入るし、撮影待ちの順番待ちを飛ばすし、他の者が待っていようが自分達の気が済むまで何度でも撮り直す。プレッシャーに弱い者は、他の者が撮っている間は身動き取れず、撮影待ちの順番に割り込まれても「自分達が先だ」と主張できずに尻込みし、他の者が長時間撮影していても「早くしろ」とも言えずただ指を咥えて眺めるのみ。

元々、他者を気遣う義務も順番なんてものも無いんだけど、どうもこの撮影スポットにおける『次はオレだ』と前のめりで無言のプレッシャーを掛け合う雰囲気は苦手。

だから僕等は、あまりに込み合っている場合は多少アングルの悪い角度でもさっさと撮影してしまうし、他の人間が写っていようがそこまで気にしない。「そこに行った」という証明としての写真を残すことが何より大事なのであり、写真そのものが撮れなければ本末転倒だから。それに、他に邪魔されず本当に大切な人達だけで撮りたいのなら場所はあまり関係ないはずだ。変哲も無い岩の前でも、砂利道でも、一緒に写る人が大切な人ならば、それは宝石になる。
 
 
■海地獄 白龍神社
コバルトブルーの池から離れて奥へ歩くと途端に周囲は閑静さを増す。人も殆ど居なくなり、緑豊かな木々が風に撫でられサワサワと揺れる音が心地良い。そこに架けられた朱色の橋を渡ると鳥居が連続して現れる。神社があるようだ。「白龍稲荷大神」と書いてある。稲荷神社の仲間だろうが、地獄で神社とはオツなもの。せっかくだからお参りしよう。アリババと袂を別った白龍の現在を見てみたい。鳥居の前で一礼し、ニの鳥居、三の鳥居へと歩を進めながら、参道脇の手水舎(てみずや)で手を清めた。

その手水舎に先客が居た。外国人で、しかも白人のカップルだ。いずれも20代半ばくらいか。彼氏はメガネを掛けていて、何となくアキバとかに精通してそうな雰囲気。薀蓄を語り出すと止まらないタイプか。彼女はおっとりした物腰で従順なタイプだ。

見たところ、彼氏が彼女に向かって手水舎での手の清め方をレクチャーしているように見える。スピーディな英語で聴き取れないが、「この柄杓に水を汲んで、こうやって手を洗うんだぜ!」と間違いなく言っている。そんなドヤ顔だ。察するに、彼氏はかなりの日本びいき。留学生か日本で出稼ぎか単なる旅行者か分からないア、日本の文化、特に日本の歴史や伝統に数え切れないほど触れていると思われる。

対して彼女は日本のことを殆ど知らない。彼氏に呼び出されて本国から遊びに来たと考えるのが順当だ。その前も後ろも分からない彼女に対し、得意分野である日本文化を案内してカッコイイところを見せるつもりに違いない。自分のフィールドに引きずり込んで主導権を握り、無防備になった彼女の心に付け込もうという魂胆だ。奥手そうな顔をして、まったくもって悪いヤツだ。

そんな彼氏の欲望渦巻く場に、たまたま割り込んでしまった僕等。手水舎で手を清めていくが、手水舎の正式な作法はこうだ。

①右手で柄杓を掴み、汲んだ水で左手を洗い流す。
②柄杓を左手に持ち替え、同じように右手を洗い流す。
③再び柄杓を右手に持ち替え、左手の平に水を溜め、その水で口をゆすぐ。
④柄杓を縦に立てて、水が柄を伝うようにして柄杓の柄を清める。
⑤柄杓を戻して終わり。手を拭く。

一つの挙動ごとに柄杓に何度も水を汲むのではなく、汲むのは一度だけ。その水で①~⑤を全て済ませるのが正しい作法と言われる。嫁はこの一連の作法を昔から知っていた。オレは柄杓を縦に立てるという挙動を知らなかったが、教えてもらったので今は問題ない。

僕が知らないくらいだから、さすがのメガネ白人君も全てを熟知しているわけじゃないだろう。ここは日本人代表として惚れ惚れするようなお手本を見せてやるとするか。

と意気込んだものの、いざとなると緊張する。誰にも責任を負わず好き勝手やるのと、他者の監視の下でやるのとではこうも違いがあるのか。不覚にも柄杓を持つ手が震えた。

しかし白人カップルとしては僕等の動作に満足したようで、彼氏は「ほらね、あんな感じでやるんだよ♪」と、やはり満面のドヤ顔で彼女に微笑みかけていた。僕等としても役に立てて本望。お幸せに。日本好きな彼等の前途を祈りつつ、僕等は参拝するため本殿へゆっくりと歩き出す。

と思ったら、先の白人カップルが僕等の後に付いてきた。僕等に歩調を合わせつつ一定の距離でピタッと。彼氏を一瞥すると、えらく期待に満ち溢れてた顔をしている。僕等に構わずさっさと追い越していいよと歩を緩めるけど、追い越さず一定の距離で立ち止まる。まさか…。手水舎だけでなく本殿の参拝も僕等を手本にするつもりですか?

そのまさかだった。彼氏は彼女に対し、先の清めの水など比較にならないほどの説明顔で何やら話し掛けている。その合間にこちらをチラチラ見ながら超笑顔。「彼等はきっと正式な参拝作法を『完璧に』やるだろうから、じっくり観察しようぜ♪」と、間違いなくそんなことを彼女に言っている。目がキラキラしてるもん。嫁も「え? 私達が手本見せるの!? ヤバい、ちゃんとやんなきゃ」と珍しく同様。

まさかの日本の伝統レクチャー、セカンドステージ。本殿に歩み寄る両足が震える。だがしくじるわけにはいかない。せっかく彼等が期待してくれてるのに。僕等を神のように崇めているのに。ここで失敗すればただ恥をかくだけでなく、彼等を失望させてしまう。やらねば。やりきらねば。

「二礼ニ拍手一礼、だよね」
「そうだ。息を合わせていくぞ」

嫁と頷き合いながら、何度もやった参拝の動作をする僕等。後ろでは白人カップルがワクワクしながら僕等の一挙一動を観察しているのが背中越しに分かる。視線が突き刺さる。掛け値なしにいつもの数倍はぎこちない動作で、だけど何とか最後までやりきった。間違いは無かったはずだ。安堵して振り向くと、白人彼氏と彼女の嬉しそうな笑み。やはり僕等を見詰めていた。

だが彼等なりに満足したようだ。セカンドステージも成功だ。一気に緊張感が解け、僕等は白人カップルに軽く会釈。白人カップルは会釈を返し、本殿の賽銭箱の前に二人仲良く並んで立ち尽くす。彼氏が彼女に何やら説明を始め、その光景を尻目に僕等は本殿を離れていく。

十数メートル歩いてふと振り返った視線の先。白人メガネ彼氏とおっとり白人彼女は、二人ぴったりと横に並び、目を閉じながら手を合わ俯いていた。その後姿は、見えざる何者かを真摯に信じ、清らかなる願いを捧げる真摯な参拝者そのもの。彼等こそが誰よりもこの静寂の空間に溶け込み、この神社に最も相応しい二人。その時、僕は間違いなくそう思った。
 
 
■海地獄 スタンプラリー
別府八湯の協会が発行する冊子とは別に、八大地獄めぐり専用のスタンプラリーをやっている。「鬼火の冷徹(ほおずきの冷徹)」というアニメとのコラボのようだ。どんなアニメか知らないが、地獄世界を舞台としたファンタジーアニメっぽいので、別府は喜んでコラボしたに違いない。

今や地方自治体はゆるキャラを抱え、大企業は美少女マスコットキャラを持っているのが当たり前な時代。観光地においても漫画やアニメとコラボするパターンは珍しくない。ただ、漫画やアニメやゲーム、特に美少女が絡むコンテンツなど、軽蔑の対象だったカテゴリがこれだけ世に浸透したという事実には驚きだ。

まあ、せっかくだからその萌えスタンプを押しておく。スタンプ押すのは子供ばっかりだが、観光地では恥ずかしがらず色々試した方がいいだろう。自分等のことを知ってるヤツなんて居ないんだから、誰に遠慮するというのか。

この八大地獄コラボスタンプラリーには専用の台紙がどこかで販売しているらしいが、そこまで気合を入れるものじゃない。自分で自作した大分旅行の行程表をプリントアウトしたA4用紙の裏面にとりあえずペタリと捺しておく。まさしくチラ裏。そういえば、スタンプラリーなんて何十年ぶりだろうか…。
 
 
■海地獄 地獄蒸しプリンや温泉たまご
土産屋で一旦休憩。色んな土産物が陳列しているが、今買っても移動の邪魔になるだけ。とりあえず記念に「地獄蒸しプリン」だけ食っておいた。海地獄だけに限らないが、八大地獄の湯や液体は基本的に熱湯レベルかそれ以上。人間なら入った瞬間、リアルで地獄行きだ。だけど人間以外のものなら、例えば食材などだとどうか。その熱量を利用して美味しい料理が作れるかもしれない。

その発想の下、地から湧き出る地熱や蒸気を使って食材を蒸すという調理法で料理したものが別府地獄めぐりの名物の一つらしい。先述した地獄蒸しプリンとか。あとは、有りがちだが、熱湯に近い地獄の湯で作った「地獄温泉たまご」なども有名らしい。半永久的でコストも掛からない自然の力を借りたアイデア。温泉地ならではだ。
 
 
■海地獄 大鬼蓮(おおおにばす)
「大鬼蓮」と書かれた看板に従い歩くと、広めの温室がある。蓮の葉がを育てているようだ。時期が来れば室内は一面の蓮で敷き詰められ、その蓮の葉に子供を乗せられるほどになるという。少しワクワクして温室に入った。

しかし時期を外れていたのか、蓮の大きさは申し訳程度。子供どころか猫も乗るまい。亀吾なら大丈夫そうだが。他の客も、十数秒見た後に「うーん、大したことないな…出るか」と退出してしまう。僕等も同意だ。肩透かしを食らった格好で温室を出る。まあ僕が思うに、蓮の大きさや数、成長度など全てを鑑みて上野公園の不忍池がほぼ最高レベルじゃなかろうか。
 
 
■海地獄 美しき庭園
海地獄。コバルトブルーのインパクトある池。上品な庭園。見るべき場所が沢山ある。やはりここが八大地獄の筆頭だ。そこら中に灰皿があるし、喫煙者にも優しい場所だ。

しかし何より、その景色の美しさ。海地獄には小高い丘になっている場所があり、そこには緑の芝生と整えられた植木、多種多様の木々。その中に桜の木もある。幸運にも満開に近かった。その緑濃い景色と桜吹雪の中、緩やかな広陵をゆっくり上っていく。上りきったところで下界を見下ろす。一面の緑と、透き通った空と、ところどころに池から出る水蒸気。美しい、あまりに美しい眺め。このコントラストは奇跡の配置だ。

今、眼前にある景色を見て思った。ここは地獄なんかじゃない。天国であると…。
 
 
素晴らしい景色と体験の後、海地獄を出る。目に付いた屋台で冠地どりまん」という肉まんを食いつつ、ビールを飲んで一休み。そこでも桜吹雪が待っていた。雨も引いて天が青くなり始めた昼間のこと。しばし桜酒に酔いながら、次なる地獄「鬼石暴坊主地獄」に想いを馳せる僕達だった。


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20150404(土)その1 大分旅行一日目・第一部 ソラシドエアをはじめとする様々な乗り物、思惑、そして多国籍な人々が入り乱れる別府旅行

150404(土)-01【0500頃】朝食サービス(パンだけ)、ホテルビジネスヴィラ大森 大分旅行一日目《平和島-嫁》_01 150404(土)-01【0500頃】朝食サービス(パンだけ)、ホテルビジネスヴィラ大森 大分旅行一日目《平和島-嫁》_03 150404(土)-02【0530頃】平和島駅 大分旅行一日目《平和島-嫁》_01 150404(土)-04【0640~0820】ソラシドAir飛行機 大分旅行一日目《羽田空港~大分空港-嫁》_01 150404(土)-04【0640~0820】ソラシドAir飛行機 大分旅行一日目《羽田空港~大分空港-嫁》_08 150404(土)-04【0640~0820】ソラシドAir飛行機 大分旅行一日目《羽田空港~大分空港-嫁》_13 150404(土)-05【0830~0920】大分空港 大分旅行一日目《羽田空港~大分空港-嫁》_02 150404(土)-05【0830~0920】大分空港 大分旅行一日目《羽田空港~大分空港-嫁》_09 150404(土)-07【1015~1040】北浜バスセンター、北浜エリア、海岸、別府タワー、別府駅前 大分旅行一日目《大分・別府-嫁》_009 150404(土)-07【1015~1040】北浜バスセンター、北浜エリア、海岸、別府タワー、別府駅前 大分旅行一日目《大分・別府-嫁》_016 150404(土)-07【1015~1040】北浜バスセンター、北浜エリア、海岸、別府タワー、別府駅前 大分旅行一日目《大分・別府-嫁》_017 150404(土)-07【1015~1040】北浜バスセンター、北浜エリア、海岸、別府タワー、別府駅前 大分旅行一日目《大分・別府-嫁》_025 150404(土)-08【1040~1055】別府駅 油屋熊八像、手湯、敢行センター 大分旅行一日目《大分・別府-嫁》_01 150404(土)-08【1040~1055】別府駅 油屋熊八像、手湯、敢行センター 大分旅行一日目《大分・別府-嫁》_04 150404(土)-08【1040~1055】別府駅 油屋熊八像、手湯、敢行センター 大分旅行一日目《大分・別府-嫁》_08 150404(土)-08【1040~1055】別府駅 油屋熊八像、手湯、敢行センター 大分旅行一日目《大分・別府-嫁》_12

【朝メシ】
朝食パンバイキング ホテルヴィラ大森(平和島-嫁)
アイスコーヒー 大分空港喫茶店(大分空港-嫁)
 
【昼メシ】
屋台冠地どりまん 別府地獄めぐり(大分・別府-嫁)
食事処「みゆき亭」(大分・別府-嫁)
 
【夜メシ】
和居酒屋「すが乃」(大分・別府-嫁)
コンビニ菓子 ホテルサンバリーアネックス内(大分・別府-嫁)
 
【イベント】
大分旅行一日目 別府観光 地獄めぐり、柴石温泉、別府駅前商店街散策
 
  
【所感】
大分旅行一日目は思うところが余りに多かったため二つに分けることにする。
 
 
((第一部))羽田空港発~別府地獄めぐり前
■その飛行機に乗り遅れるな
大分旅行本番。天気予報はあいにくの雨となってしまったが、始発の飛行機に間に合うよう、朝5時前には出掛ける準備を整えた。

さすがに眠い。しかし飛行機に乗り遅れては本末転倒。前泊した意味が無い。旅行の中では飛行機を使った旅行が最もシビア。乗り遅れた瞬間全てが台無しになる。だから取り返しが付かないことをしてしまったと嘆くより、たとえ身体への負荷大きかろうと、眠気を乗り越えて発てよ国民。
 
 
■ホテル朝食サービス悲喜こもごも
ホテルを予約する際、朝食付き・夕食付きなどのオプションが付けられるが、僕はこの項目について注視しない。

夕食は部屋に篭ってホテル自慢の特産御膳を食うのも良いが、せっかく別世界に出向くのだから、外に出て現地の空気に触れながらどこかの店で地元の味を楽しみたい。店に入れば店員や他の客との出会いが生まれる。部屋に篭っていてもそれはない。心に残る思い出やドラマは外に出てこそ生まれる。

朝食は、どちらかと言えばあった方がいいと感じる。起きたては動きが緩慢で頭が働かない。行動力はゼロだ。朝早くから営業している店も少ない。必然、コンビニという選択肢になるが、その味気のなさを考えればホテルで摂った方がマシだろう。ホテルの朝食は大抵バイキングなので、ある意味楽しめる。
 
 
■”自称”バイキング、ヴィラ大森ホテル
今回のホテルも朝食付きだった。確かバイキング形式で、朝5時から朝食サービス利用可能。それなら始発の飛行機にも十分間に合う。儲けものとばかりに朝5時ピッタリに会場である1Fへと駆け付けた。オレの好物ウインナーはあるかな。スクランブルエッグなんかも用意されてたら尚更メシウマなんだが。出発前にとんだ楽しみが出来たぜウヒヒ…。

しかし、会場にはホールや部屋らしきスペースは見当たらない。待合用の狭いテーブルやソファーが数点と、受付カウンター内で無表情のまま直立不動するフロント係のおっちゃんが居るのみだ。あれ? バイキングは? 動揺する僕。周囲に目を走らると、あった。窓際に、小ぢんまりとしたカウンターが、あった。「…これがそうかぁ」と思わず嫁に呟いた。

食事用のトレイや紙コップなどの食器類。ジュースサーバー。そして、パン。他には、ない。パンしかない。「…おかずは?」またも心の中で呟く僕。スクランブルエッグやウインナーどころか、おかずが存在しない。紛うことなくパンだけのバイキングだった。拍子抜けというより逆に裏切られた気分。最初から無いよりも、ワクワクしているところをオトされる方が性質が悪い。
 
 
■メシがあるだけでも…
つか文句言うなよ。二人で5000円の超格安ホテルだぜ? 朝食が付くだけでむしろ驚嘆すべきシーンだ。ふと見れば、僕等と同じように早起きしたのだろう。身長190cmはあるリュックを背負ったイケメン欧米人が、変哲もないパンを有り難がって皿に盛っている。なぜ白人は、パンを食うだけでこうもサマになるのか…。

そうだ、食えるだけありがたく思わなきゃ。気持ちを切り替えた僕は、強引に気分を上げてパンのピックアップを始める。それでもせめてもの抵抗として、食パンとバターロールっぽいパン、あとレーズンパンという用意されている三種類のパン全てを無理矢理皿に乗せる。朝5時。パンだけの朝食。合計4個のパンをハムスターのように頬張った朝のこと。
 
 
■平和島駅で『いい湯だな』
平和島駅の改札をくぐり、羽田空港を目指す。待っている間、聴き慣れたメロディーが流れてきた。「ババンババンバンバン、ババンババンバンバン、いい湯だな~、あははんっ♪」。これはドリフの「8時だョ!全員集合」のエンディングで流れるアレだ。曲名はそのまんま『いい湯だな』。

電車に乗っていると、到着や発車の際にメロディが流れる駅は多い。そのメロディも駅毎に様々なバリエーションがあり、殺伐とした駅ホームにささやかな情緒を与えている。JR山手線の高田馬場駅なら『鉄腕アトム』とか。鳥取の帰省時などには、『だいこくさまの~言うとおり~♪』と、鳥取らしく『大黒様の歌』が流れたり。

しかし、なぜ平和島で『いい湯だな』なのか。ドリフと密接な関係がある場所なのか。そうでもない。元々『いい湯だな』は、その名の通り温泉がテーマ。どちらかというと温泉施設のために作られた唄だ。ドリフはそれを流用しただけ。そして平和島には「平和島温泉」という温泉施設がある。だから平和島温泉を擁する平和島駅がテーマメロディとして採用した、というのが実情のようだ。

平和島駅以外にも『いい湯だな』が流れる地域もある模様。ふと耳に入ってくる駅のメロディだけでも思考や想像力が広がる。旅に出ると五感が爆発的に拡大する。
 
 
■羽田空港は永久に盤石
朝6時にもならない時間だからか、客の入りは日中に比べて大人しい。それでも一定数の人間が出入りしており、空港の集客力を改めて実感する。日常から離れ非現実の世界に旅立ちたい人達にとっては、通常の土日であるか否かなど大した問題ではないのだろう。旅行者達の意欲と熱意を目の当たりにして思わず武者震い。
 
 
■コードシェア便の罠
朝イチの飛行機で大分へと飛び立つ準備は整った。しかし、いつも通りANAのサイトで予約したつもりが、実際の運航はソラシドエアだった。ANA信奉者の僕としては、ANA以外の飛行機は極力避けるよう今まで予約してきたつもりだが、今回は見落としたようだ。

ANAと一口に言っても、全ての時間帯にANA旅客機を割り当てているわけじゃない。その内の何割かはANAのコードシェア便として運航するエアドゥおよびソラシドエアの旅客機が紛れているのが通常だ。エアドゥは北海道に本社を置く航空会社。ソラシドエアは宮崎。いずれも業界からすれば新興会社と言える。

コードシェア便とは、定期航空便の中に複数の航空会社が入り込んでいる営業形態。共同運航とも呼ぶ。一つの駅にJRと京急と東京メトロの車両が全て乗り入れている感じか。その中でANAとコードシェアしている二社のコードは、エアドゥがADO、ソラシドエアがSNA。コードからして既に違うため基本的には一目で分かる。ちなにみソラシドエアは、あくまでブランド名。運営する航空会社はスカイネットアジア航空株式会社である。
 
 
■新興航空会社の悲哀
これら新興会社の武器は何かというと、基本的には価格の優位性のみ。国内に限って言えば二大大手はJALとANA。それに比べれば、LCCはもちろんエアドゥやソラシドエアなどの航空会社はサービスの質、知名度、信頼性、機内販売のコンテンツなど殆どの面で遠く及ばない。

だからこそ新興会社は唯一のアドバンテージである価格を武器に大手と戦うべきなのだが、飛行機という落ちれば即死に直結する乗り物だけに、安全性や信頼性を何よりも優先する客は多いだろう。価格が全てではない業界だってある。
 
 
■JALとANAの二強体制は変わらない
また、羽田空港や関西国際空港、その他全国各地の主要空港はJALとANAがずっと昔から押さえている。昔から続けてきた恩恵か、始めた者のみが得られる先行者利益か。殆どの時間帯は大手二社でガチガチに固められており、だから新興会社は簡単に割って入れない。ソフトバンクが携帯電話事業に参入した際、かねてから業界を牛耳っていたNTTとKDDIの大手二社が難癖を付けて散々邪魔したことは記憶に新しい。

だから新興会社はなかなかシェアが取れず、その内ジリ貧になって会社が潰れる場合もある。エアドゥとソラシドエアにしても、大手に比べれば多少は割安だが、知名度・信頼度の面からやはり水をあけられる。結局、多くの客が意図的にANAを選定するのが現状ではなかろうか。実際、エアドゥ、ソラシドエア共に一度は経営破綻したようだ。

しかし、奇しくもその二社に助け舟を出したのはANA。大株主となってエアドゥおよびソラシドエアの再生支援を行った。一部提携もしたようだ。その提携の一つが、今回図らずも利用することになったコードシェア便である。ANAという実質的な国内最大手のブランド名を借りながら、コストダウンや発着可能空港の拡大などの施策を地道に行った結果、両者共に経営は上向き現在では安定している。

よって、ソラシドエアだからと言って別に不安がる必要は無い。別に親会社じゃないのだから、何かあってもANAが責任を持つことはないだろう。しかし仮にもソラシドエアは航空事業を専業で手掛ける企業だ。歴史も決して浅くない。飛行機運航の何たるかを知り尽くしているはずである。

それに、航空会社は数え切れないほど存在すると言っても、飛行機の機体を製造するメーカーは実質的に二社のみ。アメリカのボーイング社とフランスのエアバス社。全世界の飛行機の殆どは、この二社の機体を使っている。ドコモ、au、ソフトバンク三社共にi-phoneを発売しているが、電話機を作っているのは結局アップル一社であるのと同じだ。

違うのは航空会社のロゴと機体に塗るペイント、それから整備やメンテナンスに対する従業員のコンプライアンス、あとはパイロット含む乗務員のクオリティくらいなものだ。機体に基本的な差は無く、少なくとも日本なのだから整備する側にも最低限のプロ意識が備わっているはず。そしてパイロットにそこまで致命的な差があるとも思えない。であればどの航空会社の機体に乗っても同じだろうと開き直った直後、恐怖感は霧散していた。

ソラシドエア初体験。洗練されたブルーと白で上品に塗り分けられたANAの機体と違い、ソラシドエアは白と黄緑を基調とした模様付け。そして胴体部には何故か『くまモン』の顔がでかでかとペイントされている。その『くまモン』がまた超目立つ。ソラシドエアというよりもはや『くまモン飛行機』と呼べた。

しかし、大分行きの飛行機なのに何故『くまモン』なのか。ソラシドエアブランドを掲げるスカイネットアジア社の本社所在地は宮崎県。『くまモン』は熊本。同じ九州のよしみということで、現在九州で最も知名度が高いであろう『くまモン』の力を最大限利用しているのだろう。別にこの『くまモン飛行機』自体も大分~羽田間のみ往復するわけじゃないだろうし。福岡から鹿児島まで。みんなの人気者・くまモンは、九州全域の活性化に貢献しながら今日も日本全国を飛び回る。

そのソラシドエア便・くまモンVerに乗り込みフライトを待つ僕等。客が半分も乗っていないのは早朝という時間帯のせいか、あるいはソラシドエアというブランドを避けるがゆえか。が、通常、発進前には「非常時の対処法」として、酸素マスクの装着方法、不時着の姿勢、脱出の仕方など、安全確認のためのレクチャーがモニターで垂れ流されるのだが、機内にはモニタが設置されていない。かといって、左右の天井からウィーンとモニタが降りてくる気配もない。一体どうしたことか。

訝っていると、キャビンアテンダントの姉ちゃん達が真ん中の通路に突如直立した。前方と中央、そして後方に三人。彼女等は機内アナウンスで流れる安全対策説明の声に従って、その通りのジェスチャーをし始めた。唐突に始まった腹話術風アクションに僕等は「おおっ!?」と仰け反った。

モニタによる映像ではなく、リアル人間による実演。三人のCA姉ちゃんは終始無言。しかし表情は満面の笑顔だ。その状態で、彼女等はアナウンスに合わせて一糸乱れぬ動作をしていく。「三つ子か?」と言いたくなるような息の合ったプレイだ。相当訓練されているのが分かる

生の人間による実技説明。新鮮な体験、かつモニターの説明より断然分かり易かった。酸素ボンベの取り付け方などいつもはスルーしていたが、新鮮な光景に魅入ったせいか随分と理解できた。恐らくコスト削減の一環だろうけど、これはこれで面白い。なかなかに興味深いワンシーンだった。
 
 
■雲の上で散歩
雨の中、勢いよく飛び立つソラシドエア便。離陸直前の加速で全身に一気にGが掛かる。軽量の亀吾などはそのGに耐え切れず座席に張り付く。その十数秒後、機体は滑走路を離れ、身体もフワリと軽くなる。飛行機は怖い乗り物だけど、この浮遊の瞬間はいつ乗っても楽しい。

飛行機は数十秒も経たぬ内に遥か上空へ上昇。窓から見下ろす船が既に豆粒のようだ。重ね重ね、飛行機を発明した人間は天才、いや化け物。雨の中、たまに機体を揺らしながら機体はさらに高度を上げていき、雲の上まで突き抜けた。

突き抜けた先。雲の上の景色。窓の外に広がるのは果てしなく続く青空だ。本当に青い。下界が雨だとは想像もできないほど鮮やかに広がる一面のブルーはあまりに美しく、だからこそ胸を打つ。言葉に出来ない光景に思わず溜め息が漏れる。この景色だけは人間の力のみでは拝めない。

飛行機は、機体の安定性を保ちつつ推進力を効率化させるために、高度一万メートルの高さまで上昇するのが理想だという。そこはちょうど、下界を見下ろしながら何層にも重なる雲の上と下。人の生態限界と、生存不可能な成層圏とを分かつ境目。それは現と夢の狭間だ。雲を抜けた後の景色は、まさに夢のようだった。僕はこの景色こそが何よりも好きだった。
 
 
■ソラシドエアの機内販売
購入することは滅多に無いが、座席に刺さる機内雑誌や機内販売を物色するのも機内の楽しみの一つだ。ANAの雑誌は基本的に面白い。だがソラシドエアはそうでもなかった。仕方ないので、熊本の阿蘇山の紹介などが『くまモン』の写真付きで念入りにされた冊子をくまなく読み耽る。オレ等これから大分に行くんだけど、まあいっか。

機内販売も、ANAが提供するジュエリーやビジネスバッグ、オリジナルタンブラーなど多彩でラグジュアリーな商品群に対し、ソラシドエアはお菓子や飛行機のおもちゃなど簡素でエコノミックな品揃えだ。種類も少ない。だが、ソラシドエアのドリンクサービスで「SORAスープ」というスープを頼んだところ相当美味く、それが機内販売で売っていると知った僕等はCAの姉ちゃんを呼び止め「SORAスープ」を購入。よく考えれば人生初の機内販売利用である。機内販売も価格や高級品が全てじゃない。その点で、ソラシドエアはいいところを突いている。

そんなソラシドエア初体験。終わってみれば十分に満足出来る空の旅だった。
 
 
■大分空港の一風変わった荷物受取所
到着した大分空港。到着口を目指す途中、荷物受取所に差し掛かる。荷物受取所では、預けたキャリーケースなどをぐるぐると回るレーンの上からピックアップする乗客達の姿が見える。いつもの光景だ。

しかし、機内に持ち込める範囲内の荷物しか持たないスタンスを取る僕等には無縁の場所だ。いかにも気合の入った旅行者と言わんばかりに荷物受取所でデカい荷物を受け取る彼等に何とはない羨ましさを感じつつ、その場所をただ素通りする日々だった。

だが今回、その万年スルー必至の荷物受取所にて少し立ち止まる。レーンの上を、荷物以外の物体が回っていたからだ。大きさは50cm×40cmくらいの長方形型。エビが乗ったシャリが2個ワンセット。それは寿司のオブジェ。どう見てもエビの握り寿司だった。

握り寿司のオブジェが黙々とレーンの上を流れていく光景。まさしく回転寿司屋の回る寿司。荷物受取所で荷物を待つ乗客達は、さながら目当ての寿司ネタを待ちわびながらカウンター席に座る回転寿司屋の客。何ともシュールな光景だ。

荷物に紛れてレーン上を黙々と回り続ける寿司オブジェ。さすがの僕も立ち止まる。そして写真に収める。ムービーまで撮ってしまった。他の乗客達も、物珍しそうにそのエビ寿司オブジェを激写している。殺風景な荷物受取所が、ほんの少しのアイデアでこうも湧き立つ。ニッチなニーズを開拓する大分空港のセンスに脱帽だ。

ちなみに何故エビなのか? 大分県は海産物が有名で、代表的なものに関サバ、関アジなどがある。他にフグやカレイなど。さらに車海老も有名らしく、姫島という離島で獲れる天然車海老は絶品だと伝えられる。恐らく大分空港のエビ寿司オブジェに乗っているネタは姫島産の車海老。姫島、ひいては海産王国・大分を全国にアピールしたい大分県の熱い想いが込められている。

到着口を抜けて大分空港の館内を少し散策する。午前8時過ぎと早めの時間帯だけに人はまばらだ。空港内を漂う空気もどこかのんびりしており、忙しなさとは無縁そうだ。空港の外も、タクシーや車は殆ど停まっておらず、周囲の景色も圧迫感はない。いくつかの建物と標高の低い山が見渡せるのみ。田舎の停留所でのんびりバス待ちをする学生のような気分だった。

というわけで、朝から賑わっていた羽田空港とは対照的。全国各地に散って行ったであろう羽田の人々の中で、行き先に大分を選ぶ人間はあまり居なかったようだ。僕等が搭乗したソラシドエア機にしても、収容人数百数十人はあったのに実際乗っていた客は40人くらいだったからな。大分県はあまり人気がないのだろうか。別府温泉とか湯布院温泉とか有名所はあるだろうに。それ以外にあるのか分からないけど。北海道とか沖縄とか、定番でありふれた場所ばかりがスポットを浴びる現代社会だからこそ、意表を突いて大分なんかイイんじゃね? と僕なんかは思うがね。空港喫茶店で優雅にコーヒーを飲んだ後、高速バスで目的地である別府駅へと向かった。ホント時間の進みが緩やかというか、心が落ち着く。ストレスがなくて何かいいわ~…。
 
 
■大分におけるバスの利便性
今回の目的地は一日目が別府温泉の地獄巡り、そして二日目は九州有数のサファリパーク「アフリカンサファリ」。移動場所がピンポイントで決まっているためバス移動だ。大分、特に日本有数の温泉地である別府周辺は観光地に沿ったバス網が発達しているらしく、「亀の井バス」という地元企業が牛耳っている。

ただ、停車駅としては様々な場所を網羅しているが、いかんせん便が少ない。一時間に一本、あるいは二本。乗り継ぎタイミングが合わなければ予定が大幅に狂う時刻表だ。路線図のカバー率は高いがタイムスケジュールの融通は利かない。地方のバスとはそんなものだと理解しているが、時刻を逐一気にしながらの旅になりそうだ。

空港からの高速バスは、乗客が数名しか居なかった。同じ九州でも、博多などとは違い、大分は車での移動が大半だと予測できる。今度来た時はレンタカーでも借りるかな。正直あまり運転したくはないが。ただ、別府に向けて高速を爆走するバスの窓から見える自然豊かな景色は素晴らしい。何よりも、道に沿って立ち並ぶ桜の木が綺麗な花を咲かせている。大分はまだ桜が散っていない模様。桜吹雪の中、心地良い気分で揺られていた。
 
 
■ホバークラフト栄枯盛衰
ちなみに僕は大分旅行の計画を立てた際、車やバスとは全く関係なしに、ホバークラフトに乗ってみたかった。東京在住の友人・クーフーリンが学生時代、何故か大分の大学を選んだらしいが、その彼から「まだ稼働してるかどうか分からないけど、もし大分に行くのならホバークラフトがあるから乗ってみるのも面白いよ」と言われたのがきっかけだ。またスーファミのゲーム「ファイナルファンタジー4」などでも物語中にホバークラフトが登場したりして、子供心にカッコイイ乗り物だと一種の憧れを抱いていた。

ホバークラフトとは、船のような外見をした乗り物。一般の船と違うのはその仕組みだ。浮力を利用し水上に浮かぶ船と違い、ホバークラフトは船体の底部分からジェット噴射のように空気を噴出させることで船体を強引に浮かせる技術だ。噴射した空気で船底部分に独自の気流を作り出し、いわば船体を支える透明なクッションの役割を果たす仕組みだ。

ゲームセンターのエアホッケーを思い浮かべればイメージしやすいだろう。地表との接触部分は実質ゼロなので、平地であれば水上だろうと陸地だろうと雪の中でもホバークラフトは進行可能。水陸両用の未来派マシンとして1990年代あたりから喝采を浴びていた。

ただホバークラフトはゴムボートなどではなくれっきとした機械であり、かつ人間を乗せるため必然的に重量は相当なものになる。それを浮かせるのだから、噴射される空気の圧力や勢いも凄まじい。船体の浮遊状態を持続させるにはコストもかさみ、効率性も良くない。スピードもさほど出ず、現在は軍用としての活用程度。民間では広まらなかったようだ。当時、商用利用していたのは大分を含め全国でも数箇所だけだったとか。

大分のホバークラフトも、当初は物珍しさもあって盛況だった模様。陸路を迂回せず別府湾を直線的に横断出来ることで移動時間も少なくて済んだとか。しかし高速道路やバイパス、鉄道など陸路の交通網が発達し、移動時間はどんどん短縮。ホバークラフトの優位性は打ち消され、ただ「珍しいだけ」の乗り物、「コスト高の鈍足マシン」へと成り下がっていった。運営会社も経営赤字に陥り随分前に廃業してしまったようだ。文明の進歩や新技術の革新。それは夢やロマンだけでは実現できず、常にコストとの天秤に掛けられている。

というわけで、子供の頃に憧れた幻のマシン、ホバークラフトには乗ることが出来なかった。僕のささやかな願望は文字通り夢と幻に終わったわけだ。そして大分のホバークラフトが廃止されたことによって、日本でホバークラフトに乗れる場所は実質的に消滅した。ホバークラフトとは一体何だったのか。
 
 
■北浜バスターミナル
高速バスで海沿いを走りつつ、北浜バスセンターという場所で降車。同センターは別府駅まで徒歩7~8分の場所にあるという利便性から、地元を牛耳る「亀の井バス」のターミナル的役割も果たしているようだ。

北浜バスセンターは大通りに面しており、かつ海も近い。恐らく別府湾だと思われるが、バスセンターから数十メートルも歩けばそこはもう海岸だ。工事中のため殆どの海岸には入れないが、臨海公園らしき場所から砂浜に降りることは出来た。その砂浜に立ち、しばし海を見る。
 
 
■別府の波打ち際
他の海に比べ、打ち寄せられたゴミが少し多めなのが興を削がれるが、波は穏やかすぎるほどに穏やかだ。心地良い波のリズムに同調するように心も次第に静まってくる。まさに母なる海。LCLの中にいるようだ。

波の音というのは不思議で、そこに心を没頭させると周囲の雑音が次第に消えていく。集中力が高まりリラックスするのだろう。世には集中力を高めるためのノウハウやリラクゼーション音楽などが氾濫しているが、万人に真の没入を与える手法は未だ発明されていない。もっと奥深い動物としての根源、原始に訴えかけていないからだ。浜辺の波の音だけがそれを唯一可能にする。そう思うのは僕だけだろうか。

どこにでもある波の音。いつまでも見ていて飽きない。さざ波が足元まで押し寄せ、引いて、ただ同じ動きを繰り返す。多分永久に、地球がなくなるまで…。何億、何兆と繰り返されるだろう波打ち際の潮の満ち引き。そこには心の中で求めている普遍がある。だから普遍に到達できない人間は無意識に海へと引き寄せられるのかもしれない。

足元で繰り返される波の満ち引き。その水の上。手を伸ばせば届きそうな距離に、誰かが捨てたと思われる黄色の硬式テニスボールがプカプカと浮いている。テニスボールは穏やかな波の行き来に身を任せ、こっちに近付いたり向こうに遠のいたり…。あと少しで岸に到達すると思えば波にさらわれ、あっちに流されていくと思えば押す波にまた戻される。いつまで経っても一所に定まらず、逆に冒険という名の雄大な海原へと漕ぎ出す勢いもない。時の流れに身を任せ、範囲の狭い場所を行ったり来たり、ただ目的もなく漂っているだけ。まるで現在の僕自身のようだ。哀愁と無情が詰まったその小さなテニスボールを、小さな亀吾が飽きることなくじっと見詰めていた。
 
 
■海岸前の公園
波打ち際は心が落ち着くが、いかんせん少し先はクラクションと排気ガス満ち溢れる大通り。情緒には欠ける。すぐ傍の公園にも人が多少見られ始める。のんびり散歩する老夫婦。身長190cm以上はあるリュックを背負った白人。あとはマラソン大会に出るような格好のメガネの兄ちゃんが居た。

メガネ兄ちゃんは、公園に設置された低い鉄棒のような遊具を両手でしっかりと掴み、うつ伏せ状態になる。そして物凄い勢いで腕立て伏せを始めた。「ふっ、ふっ、ふっ」とプッシュアップする度に吐き出す兄ちゃんの息遣いが聴こえてきそうな勢いだ。もろ保養と観光の街・別府で、そこまで本格派なアスリートを目指すとは見上げた信念だ。周囲に流されないメガネの兄ちゃん。彼のような志し高い人間に口を挟むようなことはない。

しかし一つだけ、これだけは言っておきたかった。兄ちゃん、遊具の使い方間違ってない?
 
 
■別府タワー
海を眺めて目と心の保養をした僕等は別府駅を目指す。その途中、「アサヒビール」とデカデカと書かれた電波塔のような建物がひょっこりとそびえ立っている。いや、そびえ立つというほど高層でもない。街並みから突出している風はなく、むしろ街に溶け込みすぎて見落としてしまいそうだ。これが、かの有名な別府タワー。「え? これが?」と最初はそのありきたりさに驚いた。

別府タワーは別府市を代表する観光スポットである。昭和の時代、内藤多仲(ないとうたちゅう)という有名な建築家によって建てられた。内藤氏は他にも東京港区の東京タワー、大阪新世界の通天閣、愛知名古屋のテレビ塔なども手掛けており、別府タワーもその仲間となる。そこに同じく内藤氏がプロデュースした北海道札幌のさっぽろテレビ塔、福岡博多の博多ポートタワーを加えた六つのタワーを俗に「タワー六兄弟」などと呼ぶらしい。

まるでウルトラ六兄弟のようだが、例えば一番最後に造られた博多ポートタワーが六兄弟の末っ子、それはウルトラ兄弟におけるタロウの位置付けだなどという比較論も世の中にあったりなかったり。そこまでの知識は要らないというか、世の中には暇なヤツが多い。

その別府タワーは、分類としては観光タワー。東京タワーや名古屋テレビ塔のような電波を発する電波塔とはまるで別物である。血縁的には兄弟だけど技能的に兄弟じゃないというところか。兄貴はバリバリのアスリート、弟は研究に明け暮れる科学者、出来ることも求めるものも違うぜ、みたいな。ちなみに大阪の通天閣も電波を発しない観光タワーだが、別府タワーに比べて通天閣は規模感も存在感も凄まじいからから心理的に同類にしたくないような。福井の東尋坊タワーあたりが近いんじゃないかと個人的に判断した。

結局、その別府タワーには行かなかったが。時間が押しているという部分と、だが何よりパッと見で魅力を感じなかったので。実際、別府タワーの経営状況は芳しくないらしいな。出来たての頃は松下電器、今でいうパナソニックが広告主として支えてくれたらしく盛況だった。通天閣における日立みたいなものか。しかし不況や観光地の多様化などにより客足は頭打ちになり、松下電器も広告主を降りてしまう。別府タワーの経営は一気に傾いた。そこからいくつかスポンサーを転々とし、今現在は「アサヒビール」に落ち着いている。タワーに大きく描かれる「アサヒビール」という渋い文字は、別府タワーの苦難の歴史と世間の厳しさを物語っているかのよう。何とも哀愁漂うタワーだtった。
 
 
■別府駅前の街並み
北浜バスセンターや別府タワーが並ぶ大通りを隔てた向かい側には、大型百貨店「トキハ」が見える。ちなみに「とき『は』」じゃなく、「とき『わ』」と発音する。「TO・KI・HA」じゃなく「TO・KI・WA」だ。「こんにちは」を「こんにち『わ』」と発音するようなものか。初めての人間はかなりの確率で間違うだろう。役に立つかどうか分からないが、とりあえず豆知識として。

その百貨店「トキハ」。テナントで入る店は特に変哲もないが、随分と存在感があり威風堂々とした様。この自信はどこから来るのか。なぜ、三越や大丸、高島屋など全国クラスの百貨店が仕掛けてこないのか。その理由は、「トキハ」が全国規模のメガ百貨店ではなく、大分地盤の地元企業だからである。

「トキハ」は大分で生まれ、大分に根付き、大分に展開している。外部に進出することもなく、大分で全てが完結している。こういう企業がどれだけ強いか、全国各地で異なる地銀の看板などを見れば分かるだろう。彼等は遥か昔から地元に根付いている。地盤を押さえ、顧客を押さえている。ゆえに余所者は簡単に参入できない。土着の企業、地元密着の企業はある意味最強なのだ。無論、その土地だけで通用する強権だが。

そして反面、排他的とも言える。そこにあるのは余所者を受け付けない体質。排他は価値観の入れ替わりや血液の循環を阻害する。風通しを悪くする。それはいずれ思考をガチガチに固まらせ退廃を招く。自由競争が起こる以前に土俵にすら立たせないのは戦略としては最強だ。だが、外からの血を入れずして本当の革新は、進化は有り得るのだろうか。

同じ事を、僕は熊本の「鶴屋」、岡山の「天満屋」などでも感じた。その地で揺るぎない影響力を誇る地元企業。観光者として見れば独自性があって面白いが、地元で働く人間にとってはどうか。住む者にとっては。そこに多様性はあるのか。

かつて熊本に住んでいた友人は、二十歳を超える程度の年齢で熊本を飛び出した。地元で著名ないくつかの企業の力と影響力が強すぎる。県を上げて派閥化し、保守化しすぎている。それ以外の人間には殆ど勝機もチャンスもない。あまりに息苦しくやり辛い。だからオレは熊本に展望を見出せず、本州に出てきた。そう言っていたっけ。

今現在は「くまモン」を起爆剤に一気に九州の代表県へと上り詰めた熊本県。観光地としては面白い。だが働く場所としてはどうか、住むにはどうか。上辺だけなぞっただけでは分からない複雑さや闇があるに違いなく、大分県もきっと同じだと僕は確信していた。およそ観光だけで生きていける県なんて存在しない。いや、そんな国は世界のどこにもないはずだから。
 
 
■別府駅前通り
別府駅目指して駅前通りを上っていく。道の両端には先のトキワショッピングセンターはじめ各種専門店が並ぶ。飲み屋も多そうだ。地銀や郵便局など金融系の看板も多い。総合的に地元土着の店が目立つ風景に独特な匂いを感じた。

とりわけ目を引いたのが「エッチビル」。ピンクの看板にそのまんま「エッチビル」と書いてある。どんなビルなんだよ。そこから数メートル離れた場所にはさらに「エッチ美容院」という店。どんな美容院なんだよ。普通のビルで普通の美容院なんだろうが、ここまであからさまなネーミングもそうはない。無邪気なブラックジョークがひしめく街、それが別府。

パチンコ屋も他の温泉街に比べ盛んのようだが、他の温泉街と同じくまあ出ないだろうと予測する。僕は6~7年前の、温泉旅行なのになぜかわざわざタクシーまで使って入ったはいいが、打った北斗の拳の緑オーラが空気すぎた、あの寂れたパチ屋のことは今でも忘れない。

左右には小ぶりなアーケード商店街がいくつか伸びている。街の奥行きは意外と深そうだ。しかしアーケード街は見るからに寂れている。ホントに人なんて居るのかよ?と心配してしまうような佇まいだ。熱海や箱根に限らず、温泉で売り出す街並はどこか微妙で、醸し出す空気は独特だ。別府も例に漏れず。場末とまでは言わないが、都市と呼べる重厚さや景観美もまた無い。
 
 
■別府駅
駅前に到着すると、いきなり「手湯」があった。「手湯」とは「足湯」の手バージョンで、手を浸けるだけ。足湯と違って靴下を脱ぐなど面倒な作業がない分、気軽に利用できる。生憎の雨だが、せっかく別府くんだりまで来たのだから、記念にその手湯に手を浸けた。うーん暖かい。手だけでなく心もぽかぽかする。手湯だけでこれなのだから、ここは一つ本物の温泉に出向いてもっとぽかぽかしたいと、思う。

手湯の傍には、爺さんの銅像が立っている。他の観光地にありがちな威厳溢れる立像でなく、グリコのようにバンザイしながら笑っているという、「お前ふざけてんのか?」とツッコミたくなるような異色な銅像だ。

人のいい好好爺にしか見えないこの爺さんは、油屋熊八(あぶらやくまはち)という昔の人。全国各地を回りつつ、投資で大成功して海外に行ったり、逆に今度は失敗して破産したり、キリスト教徒になってみたり、経歴だけ見れば「ナニやってんのこの人?」という波乱万丈爺さんだ。

だがこの熊八爺さんは一方で、観光地のプロモーションや客の誘致策に長けており、温泉地をはじめ様々な場所を上手に観光地化していったとか。とりわけ別府温泉の発展は熊八爺さんの手腕に拠るところ大で、彼は私財を投じながら別府の発展に尽力をしたらしい。その絶大な貢献度から熊八は”別府観光の父”と呼ばれ、今も別府駅のシンボルとして愛想を振りまいている。熊八翁はとにかくアイデアマンだったらしく、インスピレーションが神掛かっていたとかどうとか。見かけ通りの自由人、見掛けとは裏腹の天性の仕掛け人。それが油屋熊八。レジェンド of 翁。
 
 
■別府駅の路線バス
先述したように、バスという交通手段に限れば、別府エリアの観光シーンを牛耳るのは地元の老舗「亀の井バス」。別府の要所をくまなく押さえ、広域にバス網を張り巡らせる同社の戦略は他の追随を許さない。ライバル不在の一強体制がその土地に何をもたらすか。企業が潤う、地元人にも恩恵が降りる、という基準だけでは語れない複雑さが潜んでいるのは先の百貨店「トキハ」の件と同じ。

ただ現実的に、別府観光において自家用車あるいはレンタカーを使わないのなら、最もベターな手段はバスになる。鉄道はあまり発達していない。タクシーはコストが掛かりすぎる。その点「亀の井バス」は主だったスポットを確実に押さえ、コストも安い。一日フリーパスなんかもご丁寧に用意されているし、まさに至れり尽くせりだ。

僕等もそのフリーパスを購入。説明してくれた駅内観光センターの茶髪姉ちゃんの仕事が随分テキパキとしていたこと。反面、隣に座る管理職っぽいおっさんは自分では全く仕事をせず雑談に勤しむという典型的な中間管理職オヤジ然としていたこと。姉ちゃんは終始笑顔だったものの、僕が別の説明を求める度に「まったく物分りの悪いボウヤねw」という失笑めいた笑みを投げ掛けていたこと。その三つが結構印象に残っているが…。

バスの唯一の難点は、時刻表の間隔が空きすぎるので小回りが利かないこと。行き先を3つ以内に絞り、決め打ちで観光する時にのみ亀の井バスは真価を発揮するだろう。今回特に思ったのは、結局のところベストな選択肢は自家用車あるいはレンタカー以外にないという事実だ。大分の場合、輪を掛けてそうだった。この事実は覚えておくのがいいだろう。
 
 
■まるで僕等が外国人
ただ、それでもバスが廃れることはまずない。観光目的の外国人が多いからだ。いや多いなんてもんじゃない。場所によっては日本人を遥かに凌ぐ比率だ。僕が別府に来て驚いたことと言えば、何より外国人の多さ。今回のバス待ち停留所でも8割は外国人。まるで僕等が海外旅行に来たようで、日本人の僕等が逆に肩身の狭さを感じる始末。そんな今まで見た観光地と比べても圧倒的な外国人比率。彼等は車を所有せず、公共機関に頼らざるを得ない。だからバスは決して廃れないという寸法である。
 
 
■外国人多発の理由
この外国人観光客の増加については明確な理由が二つある。一つ目は「APU」。立命館アジア太平洋大学の略らしいが、このAPUが学校法人立命館によって2000年に設立された。外国人留学生の在籍数は日本一であり、かつ教員の半数は外国籍というまさしくグローバルユニバーシティ。立命館は昔からグローバル主義の申し子と言われているが、その所在地がここ別府なのである。

日本一を誇る外国人留学生数と、教員と、そしてその家族。ネズミ算式に増えるのは当然と言える。それについて夜、タクシーの運ちゃんに質問したところ、彼は即座に「APUが出来たからでしょうね」と断言していた。地元人なら誰もが知っている因果関係なのである。僕は地元人なので当然知らなかった。なので訪れてみてビックリした。

もう一つの理由は、観光客としての外国人誘致政策の影響。こちらの方が与えた影響としては大きいだろう。昭和の終わり~平成の初め頃。熱海や箱根など全国各地の温泉地は盛えていた。しかし時が経つに連れ、時代の流れやトレンドに付いて行けなくなった多くの温泉地が廃れていった。箱根の奥まった場所を歩くと、全盛期は繁盛していただろうと覗わせる大型ホテルや旅館の見るも無残な姿を眺め見ることが出来る。各温泉地には、このように廃墟となったホテル群がそこら中に立ち並んでいる。まさしく栄枯盛衰。兵共が夢の跡。温泉があり、宿があり、代わり映えしない土産屋がある。温泉地はそれだけじゃやっていけないのだ。

だが全てが廃滅したわけじゃなく、復活を果たした温泉地、盛り返した温泉地も多い。箱根は一時期の最下降期を脱したし、草津や有馬は盤石だ。湯布院のように女性客などを持ち上げることで復活を果たした場所もある。だが反面、波に乗れないまま衰退の道を転がり落ちていく温泉地も数多く…。別府もその一つであり、もはや客離れに歯止めが掛からない状態まで来ていた。

その打開策として別府が取ったのが、外国人観光客の誘致。激減する日本人観光客の穴を埋めるべく、海外にプロモーションを掛けた。中でも地理的に近隣なアジア。気前よく金を落とす中国人と、距離的に最近隣の韓国人をターゲットにした。

それが事実であるおとを僕は肌で実感できた。街の至る場所に日本語以外の言語が見られる。英語はよく見るが、その他に中国語と、何より韓国語が絶対と言ってよいほどに併記してあるのだ。必ず乗り物もそうだし、道や店に立てられた看板、あるいは観光マップやその他機関紙、発行物の説明書き、それらに韓国語と中国語が載っている。そのまま「どの国を優先させるか」という優先順位を物語っているようではないか。

英語は無くとも中国語は必ずある。仮に中国語がなくとも韓国語は絶対に表記されている。東京などだと、日本語と共に併記されるのは圧倒的に英語だ。しかしここ別府は違う。英語圏よりも中韓国、とりわけ韓国を優先している。そりゃ僕等が逆に外国人気分に陥ってしまうわけだよ。カルチャーショックどころではなかった。

その中韓国人の誘致は功を奏したようで、別府温泉の来場者数は回復基調を見せたらしい。だが、そこからまた客足は不振へと戻っていく。その結果が今現在の寂れた場末感を放つ別府駅の姿だ。

これに関しては様々な意見が飛び交っている。
 
 
■外国人誘致は失策か
まず一つ目。外国人の誘致はしょせん一時凌ぎでしかなく、彼等は余所者ゆえに気まぐれ。日本の資源や文化を守る義務など負っていない。だから飽きれば彼等は来なくなるだろう。結局ベースである日本人をしっかり取り込まなければ根本的な解決にはならないのだ。という意見。確かに一理ある。人間心理を背景にした常識的な見解だ。

そして二つ目。こちらの批判の方が辛辣だ。その批判を要約すれば、外国人を呼んだことによって肝心の日本人観光客が近付かなくなってしまったと帰結している。つまりこうだ。

別府は客不足を補うため外国人を誘致した。その主要ターゲットは中国人と韓国人。だが彼等は日本の文化を理解せず、傍若無人に振舞う。特に温泉という独特の慣習に適合せず、また適合する気もなく、好き勝手に場を乱す。身体を洗わないとか、湯舟の中で身体を洗うとか、風呂の中で小便をするとか。ホテルの備品を当たり前のように持ち帰るとか。とにかくマナーが悪い。侘びと寂びを温泉地に求める日本人観光客としては、そんな場所には近付きたくない。

歴史を背景とした民族的な対立感も潜在意識にある。日本人と中国人あるいは韓国人は、歴史的、地政学的、そして心理的な面でなかなか仲良くなれないのだ。そんな背景がある中で、彼等が我が物顔で別府の街や施設を闊歩する。日本人観光客はますます嫌悪感を募らせる。彼等に対する嫌悪感は、そのまま彼等の巣窟と化した別府に対する忌避感へと繋がる。つまるところ別府は、浅はかにもその場凌ぎで中国人や韓国人を呼び込んだせいで最終的に自分の首を絞めたのだと。そんな説がまことしやかに語られている。

この類の批評の真偽は分からないが、説得力としては十分なものを持っている。実際に不愉快な思いや被害を被った日本人観光客も存在するはずだから。その意見は主にネット上で多く見られるが、全ての人間が意図的なヘイトスピーチをしているわけでもないだろう。いずれにせよ、このような伝聞情報が日本人観光客離れをますます加速させるという予想は出来る。

だが一方で、日本人が来ないなら外国人を呼ぶしかないという政策も理解出来る。日本人が金を落としてくれないのなら外に求めるしかない。それだけ切羽詰っているということだ。伝統や文化、プライドを守るのも大切だが、それも生きていることが前提。企業も個人も自治体も、拡大や前進の前にやらねばならぬことがある。それは防御。そして防御の大前提としての存続。存続こそが最優先事項なのだから。

差し当たり、別府と中韓国人との因果関係についてはネガティブな意見が多かった。ただ別府に限らず、熱海でも箱根でも、同じ大分の温泉地・湯布院でも、あと熊本の阿蘇などでも、中国人や韓国人は激増しているようだ。これもあくまでネット上の伝聞でしかないが。

実際どうなんだろうな。昔、箱根や熱海に出向いた時は全くそんな気配も感じなかったが、現在は様子が異なるかもしれない。日本人の財布の紐は異様に固くなったと僕も肌で感じているし、逆に観光に来る中国人達は金をじゃんじゃん落としそうだし。経済力学として当然の帰結かもしれないな。

それに時代は常に変わるもの。情報は常に更新されるもの。実際僕は、今回別府に訪れるまで中韓国を優遇する別府の現実を知らなかった。加えて言うなら、20年近く前に大分の大学で四年間過ごした友人クーフーリンは、僕が今回この話をすると「マジすか? オレが居た頃は全然そんなことなかったんだけど」と当惑していた。彼の記憶と現実とに齟齬がある。僕のイメージと現実との間にギャップがあった。時代は常に変化するという諸行無常の実態がそこにある。
 
 
■外国人観光客に対する偏見と現実
逆に、中国人や韓国人でも好感を持てる人は居る、と擁護する者も少なくない。恐らくそれも事実だ。結局、どちらが真実でもない。両方正しい。

それはつまり、人の良し悪しは民族的に区切ることが出来ないという普遍的な法則だ。どの民族が良くてどの民族がダメという極論ではなく、結局は個人を基準にして推し量るしかない。その結果「良い」と判断される個人の比率が統計的に高い民族が、便宜上「良い民族」とイメージ付けられているだけのこと。

日本人だって傍若無人な人間はいくらでも存在するし、海外の観光地で迷惑千万な行為を平気でしてる。温泉地で言うならば、日本人でも騒ぐヤツは騒ぐしマナーがないヤツはない。結局、個人でしか計れない。

個人で計るということは、相手としての個人を分析することで、その相手を自分という個人が自らの物差しで独自に判断すること。そして分析において最も強い根拠となるのは結局のところ自分の体験だ。ネガティブな発言をする者は、自分の体験として嫌な思いをしたから。逆にポジティブな情報を発信する者は自分が楽しい体験をしたから。本当にそれだけのことだ。

それぞれの体験は必ず異なる。ホテルでも、たまたま良いフロント係に当たった客もいれば、不運にもやる気ゼロのフロント係に遭遇してしまった客もあろう。だから名のある名店や名旅館だろうと、その批評も両極端にバラける。それが自然。だからどちらが正解とは言えない。良い体験が出来るか否か、そのために良い人間や場所に出会えるか否か、キーとなるポイントはそこだけ。どのキーを手に取るか、もはや運の領域としか言えない。
 
 
■外国人観光客に対する私見
僕も例外ではなく、個人の体験によってしか物を語れない。その基準において私見を述べるなら、外国人観光客に極端に嫌な思いをさせられたことはなかった。特に距離の離れた遠方では、比較的行儀の良い客に当たった気がした。幸運だったのだろう。普段の素行のお陰だと前向きに解釈したい。

ただ、行儀良い客は統計的に欧米人に多かったという印象は否めない。いくつか記憶を辿るなら…。
 
 
■欧米人観光客
例えば広島の宮島。標高500メートルの御山に山登りした際、すれ違い様フランクに挨拶したり、気さくに話し掛けてくれたのは見かけ明らかに欧米人だった。近い場所で言えば、両親を呼んでアキバのホテルに泊まった時。欧米人の集団がエレベーターに駆け込んで来たため収容したあと彼等が降りる際、エレベーターの開ボタンを押したまま彼等に「先にどうぞ」と促すと、彼等は嬉しそうに「サンキュー」「ありがとう」と言ってお辞儀していた。随分礼儀正しいなと思ったものだが。

だがそれ以上に、文化水準や教育レベルの高さによる賜物だと考えている。だから思考も行動も柔軟になる。柔軟だから他国の文化を自分なりに楽しむ余裕も出来るし、その文化を尊重する精神、その地独自の慣習を軽んじない姿勢を持てるのだと。郷に入りては郷に従える民族なのかもしれないな、と。

ある意味、礼節を分かっている。かつては侵略と植民地獲得に明け暮れていた国々だけど、長い歴史と教育、何より自分達への誇りがそうさせたのかもしれない。誇ることと驕ることは別物で、自身を愛する人間とただ自分大好きなだけの人間とでは他者への接し方もまた変わる。少なくとも僕は、観光地において欧米人を不快に思ったことはない。

面白いことに、温泉やそれに準ずるスパなどでも、彼等はかなり行儀がいい。日本の文化に合わせようと試みているのがよく分かる。だから僕は、欧米人に話し掛けられたり道を聞かれた時には超笑顔でリアクションするようにしている。

あくまで僕の個人的体験だ。実際そうじゃない体験をした者もいるはず。しかし確かなことは、彼等はあまり大人数で群れていなかったということ。単独行動か、多くても4~5人か。自分達で選び、自分達の責任で出向き、自分達の裁量で観光を完結させようという姿勢なのか。他者に丸投げしていない。自由度は高いが、それ以上に自主性が高く、だから責任感や集中力も高まるのかもしれない。結果、無駄で無益なことはしなくなる。僕はそう分析している。
 
 
■中韓国人観光客
対してアジア系、特に中韓国人はどうか。なぜ中韓国人に特定するかというと、アジア観光客全体の中でそのニ国民が圧倒的なウエイトを占めるからだ。マレーやインドネシアなどの東南アジア系、インドやパキスタンなど南アジアからの観光客も当然居るが、アジアで一括りにすれば至って少数派。少数派だから目立たないし、そもそも悪さをあまりしないので余計に目立たない。必然的に焦点は中韓国人に絞られる。

彼等は行儀が良いとは決して言えない。先の普遍論に即して言うなら、あくまで個人レベルでの話でしかなく民族的評価には繋がらない。だが全体数が多いから必然的に目に触れる機会が増える側面もある。一個人のする所業が塵と積もり山になる。他者は塵ではなくその山を見て判断する。絶対数が多ければ、その分批判も増えるのが必然だ。僕もその視点を以ってして論じるしかない。

観光地ではないが、例えば上野公園の花見など。記念写真を撮るために低い位置にある枝を自分のところに引っ張っる花見客を何度も見てきた。僕個人としては侘び寂びを理解しない許しがたい行為。その行為をするのは基本的に中国人か韓国人だった。その記憶が強烈に残っているからベースとなるイメージも悪くなり、中韓国人観光客と聞いただけで身構える。これが僕個人の経験則に基く物差しであり、心の中に存在する反射行動だと自覚している。

ただ実際は、たとえば花見でも、喧しく無秩序なのは日本人が圧倒的に多い。酒に酔っ払っているからでもあり、だけど結局は自制心がないから。日本の居酒屋チェーン店など、あれほど無秩序で騒がしい場所があるだろうかと思えるほどだ。話すのと騒ぐことを混同している人間も少なくないということだ。とにかく日本人だろうとダメなヤツはダメだし、裏を返せば中国人でも韓国人でも行儀の良い人間は居るということになる。

恐らくだが、集団というのが問題だ。人は群れれば気分が大きくなる。楽しくなる。騒ぎたくなる。羽目を外す。たとえば電車内で喧しく騒いでいた集団でも、仲間が降りて少数または一人になった途端、大人しくなる。だから花見でも観光でも、集団になってしまえばカオスになりがち。そのカオスを他者は発見し、そのカオスを個人レベルにまで落とし込む。木を見て森を判断するのだ。

その点、欧米人は単独または少数人数が多いから目立たない。中国人と韓国人は集団、あるいは集団の最上級であるツアーにて観光に訪れることが多数だから、先の集団心理によって発現する目に余る言動を他者に拾われやすい。

逆に言えば、少人数であれば中韓国人も意外と場を乱さない。たとえば数年前、僕等は亀戸天神で散歩していたのだが、明らかに単独で来たと思われる中国人カップルに写真を撮って欲しいと頼まれた。かなり腰が低く、僕も喜んで彼等を撮影した。彼等は何度も礼を言い、静かに神社内を散策していたっけ。

まあどの道、個人個人で異なるという結論だ。日本人の中でもそうであるように、国籍や民族に関係なく個人の資質で行動が変わる。

ただその中でも一つだけ、中韓国人、そして最近の一部の日本人に見られる確かな傾向があった。それは記念撮影への熱心さ。特に有名なスポットや観光地の立て札などに彼等は群がり、納得の行くまで自分達だけで記念撮影しようとする。他の人間が空くのを待っていようがお構いなしに滞留する。最近のアジア圏での自撮り棒の流行も手伝って、落ち着いて記念撮影をするのが難しくなってしまった。この厚かましさだけは欧米人の比ではない。
 
 
■様々な思惑を乗せて
などと身の回りで起こる些細な出来事にすら思考を張り巡らせた大分旅行。かつてなく感受性が肥大化しているような自覚と共に、僕は別府の観光名所「地獄めぐり」を目指して亀の井バスに乗り込む。

あれだけ降っていた雨は、いつの間にか止んでいた。亀吾のお陰かもしれない。天気予報が雨だろうと、亀吾を連れて行けばほぼ必ず雲が晴れる。大事な旅行であればあるほどそうなる。5年以上、片時も離さず共に旅をしてきた亀吾に僕は心の中で感謝した。


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20150403(金) 大分旅行前夜 平和島での葛藤と喝采

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【朝メシ】
水(家-嫁)
 
【昼メシ】
自作オニギリ(職場付近-一人)
 
【夜メシ】
居酒屋「卜伝」(平和島-嫁)
スナック菓子スーパーマルエツ二次会 ホテルビジネスヴィラ大森(平和島-嫁)
 
【イベント】
大分旅行前泊
 
  
【所感】
明日から大分・別府で一泊二日の旅行予定。連休ではなく通常の土日、しかも近県でなく遥か遠方。斯様な強行軍がここ数年かなり増えた。逆に言うと長期休暇を避けての計画立案。無謀に見えるが十分なメリットがあった。

長期連休は繁忙期の便乗値上げでコストが跳ね上がる。かつ人も集中するため、見たい場所や行きたいスポットをスムーズに廻れない。食べたい料理店に出向いても行列待ちは必至。下手をすれば行けないまま終わってしまう。

だけどこれは仕方ないことだ。余暇が土日に設定されている日本国民は半数以上だという仮説を立てれば土日に混雑するのは自然の理。そして余暇となれば考えることは誰もが大体同じ。訪れたい場所も似通ってくる。なぜなら多くの人間が行き先をガイドブックやネット情報に頼っており、そのガイドブックがオススメする場所やネット情報の上位を占めるスポットもほぼ固定されているからだ。

旅行に行く際、誰もが下準備や事前の情報収集を行う。だが念入りに調べるほど時間はないし、何より行こうとしている場所の土地勘がないのだから、結局は他者からの伝聞に頼らざるをえない。そしてガイドブックやよく利用されるサイトやブログが発信する情報はお決まりの定番スポットが殆どだ。隠れた名所など掲載されない。

逆に掲載されているのなら、それは既に隠れた名所じゃない。仮に個人のブログやつぶやきで隠れた名所を紹介しても、多くの観光予定客から見れば「たかが一個人の意見」でしかなく、見る者は少数だろう。影響力は乏しくなる。よしんば万が一、その一個人の意見が注目された場合、その時点で影響力は爆発的に増加したということ。隠れた名所ではもはなく、即座にメジャースポットの仲間入りとなる。そして一度メジャーとなれば誰もが行きたいと思う。ますます認知度は上がってしまう。そういう場所はもはや隠れた名所じゃない。

結局、本当の隠れた名所はあまり人の目に触れず密かに口伝されるもので、それは土地勘のある地元の人間か、あるいは何度もそこに通って地元人と同様の深い造詣を得た人間しか知りえないだろう。つまり門外漢は永久に隠れた名所を知ることなく、世間一般で「名所」「定番」と呼ばれる場所に誘導されるしか選択肢はないのだ。

というわけで、土日に人が集中し、かつ誰もが決まった場所に押し掛ければ、その場所が人でごった返すのも当然。さらにGWや盆休みなど長期休暇と呼ばれる期間であればその人口密度は数倍、十数倍にも跳ね上がる。もはやどこに行っても手が付けられない。

かつて政府は、高速道路の渋滞や観光地の混雑を分散させるため、多くの企業で採用されている土日の余暇設定を平日にずらすよう推奨していたが、現実が付いていかなかっただけで理論的には至極真っ当かつ理性的な考え方だと思う。なので僕等も、せめて最高潮に過密化する長期休暇は避け、変哲もない土日を選ぶ方がマシだと考えた。

ただ、今回の場所は九州という遠隔地でもあることから、なるべく朝イチから行動したい。飛行機は始発がベストだ。しかしそうなると当日の朝に家を出発しても始発便に合わない。ならばどうするか。対応策は前乗り。前日から空港付近に前乗りするしかなかった。

前泊するとその分のホテル代など掛かるしコスト的にどうなんだ? という疑問はあるが、本番前の夜ということでテンションも上がるし本来一泊二日のはずのスケジュールに一日余分にプラスオンされた気分にもなる。見慣れた土地の変哲もないビジネス街でも、旅行の前日という状況になると景色が変わる。

前泊代を差し引いて余りある心理的なお得感。これが前泊の最大の効能だ。どうせ素泊まりするだけの格安ビジネスホテル。どうせなら出発前からテンションを上げていきたい。

というわけで、僕等は仕事を跳ねた後、職場付近のコインロッカーに予め入れていた旅行カバンを取り出しスーツのまま電車に乗る。それだけで非常にアウトローなことをしている気分だ。明日からは別天地で全てを忘れて観光に没頭できるし、今日は今日で前夜祭のような位置付け。この高揚感はなかなか味わえるものじゃない。

今回、前泊するホテルとして選んだのは大森エリア。最寄り駅は平和島。平和島競艇場で有名な場所だが、降り立つのは初めてだ。駅周りは上品というより雑多な感じで飲食店が多い。競艇で一儲けした客がはしゃぐ場所、逆に予想がスッた客が怨嗟をぶちまける場所だと予想できる。

競艇の他、競輪や競馬の券も買えるようだから、根っからのギャンブルエリアかと思われる。僕等は競艇等とは無関係なので、ただ前夜祭に相応しい飲み屋を探すのみ。しばらく歩き、「いさりび」という本格派っぽい飲み屋を見つけた。

しかしその「いさりび」。店主と見られるおっちゃんい二人客である旨を告げると、しばらく間を置いて「あ~、ウチはカウンター席がないんで」と渋い顔をされた。つまり入店を断られたわけだが、その断り方があまりに露骨でスマートさの欠片もなかったため、内心憤慨しつつ呆れ返った。

店内は、店主の言う通りカウンター席がない。4人用と思われるテーブル席のみの構成だ。だからこそ、「カウンター席がないから入店は無理」という言葉の意味が最初掴めなかった。だからポイントを絞るため僕は質問したのだが。以下、その一部始終のイメージ。

「カウンター席がない?」
「はい」
「二人客の場合はカウンターしか座れないってことですか?」
「はいそうですね」
「で、そのカウンター席が存在しないと?」
「そうですね」
「そこのテーブル席は、二人より多くないと(三人以上じゃないと)座れない?」
「…ええ」
「ということは、二人(もしくは一人)では入れない?」
「・・・そうですねぇ~」
「・・・・分かりました、もういいです」

そんなやり取り。久々に怒りが頂点に達しそうだったな。

満席ならいざ知らず、二人客だからと言って入店を拒む飲み屋がどこにある。一人なら断られるかもしれない。だけど二人だ。飲み屋では十分メジャーな人数配分だ。なのに店に入れない。店主がただ面倒臭がっているのは明白だろう。

しかもその断り方。通常なら「もうラストオーダーが近いので」などの理由が妥当だろう。それが有りもしない「カウンター席」などを持ち出して一体どういう論法なのか。四次元ポケットから取り出すとでも言うのか。どうやったらそんな言葉が出てくるのか。屁理屈にもならない。最初からカウンター席など存在しない時点で論理は破綻しているわけで、二人客を否定するしない以前の問題だ。

「ウチは三人以上のお客さんしか入れない店なんです」と断言するなら「そういう店もあるのか」と納得はした。だけど、最初から二人客を否定している癖に、その理由として存在しもしない「カウンター席」などという単語を理由に挙げるその性根とセンスのなさ。人をバカにしているとしか思えない。思考が斜め上どころか二段上にジャンプしすぎて付いて行けない。

通常なら「ハァ? カウンター席? そんなの元々ないじゃん? ナニ言ってんの?」となる。そこから「実際に存在するテーブル席という条件を前提に分かるように説明してくれよ」と続く。僕も口から出そうだった。だけどやめておいた。とどのつまり、どう足掻いてもこのオヤジは僕等を絶対に入れる気はないと判ったからだ。話すだけ無駄であり、もしまた平和島に来てもこの店には絶対に入らないだけだ。

本当はもう一つあった。「カウンター席がないから」という取って付けてもない異次元の理由は置いといて、「二人客は受け付けない」という部分についての矛盾。テーブル席は8個ほどあり。その内5~6席埋まっていたのだが、僕がサッと見渡した時、その中の一つのテーブルに二人で座っている客が居たのだ。どう見ても二人客を普通に受け入れいるということ。

つまり店主は、「二人客でも入れるけどアンタ達は入れないよ」という明確な拒絶の意思を示したわけである。オブラートに包むこともせず、意味不明の言い訳で…。こんな店、絶対に行かねぇ。世の中に絶対はないと言うが、ここだけは絶対に行かない。

憤慨しつつ歩いている内に、「卜伝(ぼくでん)」という居酒屋に行き着いた。塚原卜伝の「卜伝」だろうか。塚原卜伝は戦国時代の剣豪で、その神業から剣聖と呼ばれる伝説の人物だ。だが店のメニューは刺身やら焼き餃子やら名古屋名物の「どて焼き」やら、統一性はあまりない。しかし出てくる料理はなかなか美味かったので塚原卜伝のことはどうでもいいと思えた。

しかも店のおばちゃんの対応が非常に良かった。初見の僕等にも元気にフレンドリーに接してくる。そのアットホームな対応に、僕等は先の「いさりび」での怒りをすっかり忘れていた。

店内は物凄いやかましかったが。若いリーマン・OLグループとか、主婦おばちゃんの女子会グループとか、張り裂けんばかりの笑い声で騒ぐ客が店内の大体4分の1くらいか。他の客は逆にまったりと静かな雰囲気。この激しいコントラスト差もある意味新鮮で、それほど不快は感じなかった。そして気持ちよく飲み食いしている内に、嫌なこと全て、そして塚原卜伝の存在も忘れていた。

旅行前日の前夜祭としては申し分ない飲み会だ。次に平和島に来るとしたら、またこの「卜伝」で飲もう。嫁と意見を一致させ、ホテルに向かう僕等だった。

ホテルに入る前に、近所にあったスーパー「マルエツ」で買出し。部屋で軽く二次会をするために寄ったのだが、商品陳列の微妙さや緩い空気など、場末のスーパーのようだ。大森と言えばもっとオシャレなイメージを想定していたのだが、ある意味笑えるアンマッチである。

泊まったホテルは「ビジネスヴィラ大森」という名前。傍に濁りに濁った汚い小川が流れている。「すごい! リバーサイドホテルじゃんw」という嫁のツッコミに妙にウケつつチェックイン。

ちょうど同時刻、どこかで宴会を済ませてきただろう10人くらいのリーマン集団とバッティングしてしまった。おっさんリーマンも居たが、若い連中が多い。恐らく新入社員歓迎会などだろう。ホテルを取っているということは、地方から出てきた新入社員の懇親会も兼ねた会社のイベントか。ただ僕等としては、リーマン達は大いに酔いどれ陽気だったため、うるさくならないかと心配だ。

悪いことにその予感は的中。この場からさっさと逃げようとエレベーターに乗り込んだものの、ちょうどそのリーマン集団が駆け込んできた。エレベーター内は酔っ払いの若いリーマン達と、静かなる僕等との相席状態。なんというバットタイミングかと内心頭を抱えた。嫁もそう思っていたようだ。このままでは楽しく飲んできただけで何の罪もない彼らを恨むことになってしまう。

だから僕は、一計を案じた。エレベーターに乗っていたリーマン達は、一人、また一人と別々のフロアで降りていき、個別に部屋を割り当てられている様相。最後の一人、メガネの多少若めの兄ちゃんだけが残った時、僕はそのメガネ兄ちゃんに話しかけた。「皆さんは新入社員の歓迎会か何かですか?」と笑顔で…。メガネ兄ちゃんは突然話を振られたことに驚きつつ、数瞬後、「ええ、そうなんです♪」と笑顔で答える。そして少しだけ話をして、メガネ兄ちゃんは降りていった。

実際は新入社員じゃないかもしれない。だがそんなことは大した問題じゃないのである。話しかけるというアクションが重要。なぜならそれで知己になれるからだ。さらに笑顔で話せばより仲良くなれる。それは他人じゃなくなるということ。

人間とは不思議なもので、赤の他人にされればイラつくことでも、仲の良い人間、知っている人間が同じ事をすると寛容な気持ちになれる。たとえばマンションで、自分の上の階の住人の子供達が夜遅くまでバタバタと走り回り騒音を撒き散らしていたらどうか。赤の他人なら多大なストレスとなり、殺意すら覚えるだろう。しかしそれが顔見知りであった場合、多少うるさくとも怒りは湧いてこないはずで、逆に「あらあら、またあの子達ったら元気なことね」と微笑ましく受け止めることも可能ではないだろうか。

結局、そこなのだ。仲間には寛大なのが人間。だから極論を言えば、この世の全員が友達同士であれば争いは起きない。「人類皆兄弟」という言葉は、その可能性を示した究極の平和の在り方なのである。

見事な機転でやかましいリーマン達も味方に付けた僕等は、部屋で二次会を軽く行った後、就寝。ホテルはマンションそのもので、恐らくどこかのマンションを買い上げたのだと思われる。有名どころでいえば「ドーミーイン」のイメージに近い。ホテルホテルした建物もいいが、こういう家と変わらないホテルもたまには良しということで。

ともかく、終わりよければ全てよし。「いさりび」で受けたストレスなど、その後の「卜伝」の好対応、そして酔っ払いリーマン達との仲間意識の芽生えによって遥か彼方に消え去った。あとはもう、このままの精神状態のまま明日からの旅行に備えるのみである。

週末の夜はいつもと違う風景が訪れる。それが旅行前の前泊となれば、桃源郷にまで上り詰める。こんな幸せな日は、一年の内で、いや一生の内でそう何度も味わえるものではない。だから僕は、今日という日を心に深く刻み込んだ。


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20150402(木) 「ちょい呑み」の後で見上げた美しい夜桜

150402(木)-01【2015~2105】居酒屋「ちょい呑み 福ちゃん」《茅場町-嫁》_01 150402(木)-01【2015~2105】居酒屋「ちょい呑み 福ちゃん」《茅場町-嫁》_03 150402(木)-01【2015~2105】居酒屋「ちょい呑み 福ちゃん」《茅場町-嫁》_04 150402(木)-01【2015~2105】居酒屋「ちょい呑み 福ちゃん」《茅場町-嫁》_05 150402(木)-01【2015~2105】居酒屋「ちょい呑み 福ちゃん」《茅場町-嫁》_07 150402(木)-01【2015~2105】居酒屋「ちょい呑み 福ちゃん」《茅場町-嫁》_08 150402(木)-01【2015~2105】居酒屋「ちょい呑み 福ちゃん」《茅場町-嫁》_09 150402(木)-02【2110頃】夜桜 茅場町付近《茅場町-嫁》_01 150402(木)-02【2110頃】夜桜 茅場町付近《茅場町-嫁》_02 150402(木)-02【2110頃】夜桜 茅場町付近《茅場町-嫁》_05 150402(木)-02【2110頃】夜桜 茅場町付近《茅場町-嫁》_06 150402(木)-03【2150頃】マクドナルドソフトツイスト《梅島-嫁》_01 150402(木)-04【2205頃】マック てりたま、桜シャカシャカポテト《家-嫁》_02 150402(木)-04【2205頃】マック てりたま、桜シャカシャカポテト《家-嫁》_03

【朝メシ】
水(家-嫁)

【昼メシ】
自作オニギリ(職場付近-一人)

【夜メシ】
居酒屋「ちょい呑み福ちゃん」(茅場町-嫁)
マックてりたま、ソフトツイスト(家-嫁)

【イベント】
仕事

【所感】
仕事に時間を取られたため、家で自炊の余裕無し。かつ、土日に予定している大分旅行のため明日は前泊するため旅行用の荷物を今日中に用意する必要がある。ますます時間の空きはない。夕食をサッと済ませるのに有効なのはファストフード店。牛丼、中華屋、カレー屋などが街頭するが、手軽な居酒屋という手も捨てがたく。僕等の頭に茅場町の「ちょい呑み 福ちゃん」が真っ先に浮かんだのはごく自然な精神作用だ。

料理は美味く、酒も飲め、価格も通常の定食屋と遜色ないほどリーズナブル。しかも笑顔指数MAXの店長率いる気持ちの良いスタッフ達の接客付き。ストレスなく、気持ちよく飲み食いできると保証されている。茅場町界隈でこれほど安全牌な店も滅多にない。

安心感と共に入店した「ちょい呑み 福ちゃん」。予想通り「いらっしゃいませッ♪」と満面の笑みで迎えてくれる店長を楽しみながらカウンター席に座った。そういえば店長の喋り方は少しオペラ調だ。声のトーンはバスとテノールの間くらいか。ゆっくり喋るのではなく少し早口でもある。無駄な時間を使わない店長のスケジュール意識がそのままトークスピードに反映されたかのようだ。

だが低めの声だからと言って威圧感はなく、早口気味だから聴き辛いこともない。むしろ耳に心地よいサウンドと言える。それも店長のことが好きだからだろうが。好きな人であれば何をやっても好ましく感じるものだから。店長がオペラ歌手を目指せばそこそこいいセン行くかもしれない。もし仮に観衆を呼べなくとも、店の客達が応援に来るに違いない。店長がステージに上がるならば、と。好きな人がやることであれば何でも興味を持つものだ。

そんな店長のカリスマ性を示すように、今日もまた客の数人が「店長!」「よう、てんちょっ♪」などと囃し立てて、構いたがる。どんだけ皆から愛されてんだよと彼の人気ぶりに目を見張る。嫉妬心はない。何より僕等自身が店長のことが好きだからだ。他の客達も同じだろう。おべんちゃらやお義理ではなく、素で店長のことを愛してやまない。これが真の支持率であり、偽りなき好意の在り方だ。剛力彩芽などとはモノが違う。店長が居る限り、僕等は「ちょい呑み 福ちゃん」を愛し続けるだろう。

その「福ちゃん」で初めてのメニューをオーダーした。「爆弾しいたけ肉詰め」という串物だ。しいたけの中に肉汁濃密な肉がギュウギュウに詰めたものを揚げるという料理法。名の通り爆弾のようだ。一本が相当デカイ。なのに単価は188円(税抜)という、ホントに儲け出す気あるんですか店長?と逆に不安になるほどのサービスぶり。そして当然のごとく美味いわけで。他の焼き鳥も標準を余裕で突き放すクオリティ。しかもタレで頼んだが、そのタレが堪らないほど美味。「ちょい呑み 福ちゃん」は、安いのに何でこんなに美味いのか。美味いのに何でこんなに安いのか。こんな店、人生で何度出会えるか分からない「ちょい呑み 福ちゃん」を見つけたのはまさに運命と言えた。

店を出ると、並木道の木々が見事な桜を咲かせていた。夜桜だ。それも月の光など自然のライトアップではなく、立ち並ぶ店やビルの明かりやネオンによる人口的ライトアップ。これはこれで綺麗、かつある意味幻想的だ。週末の上野公園三部咲きの際は、満開度はさほどでもないがその木々の物量に圧倒された。だが今日は、我欲や怨嗟溢れるビジネス街の闇を晴らすかのようなその幻想的な夜桜に心を洗われた。花は、美しい。どこに咲いていても、やはり人の心を打つ。

帰り際、少しだけ小腹が空いていたのでマックへ夜。鶏肉偽装事件や異物混入の時期から数ヶ月は寄っていなかったが、大好きなバーガーの一つ「てりたま」が販売中との事なので、禁を破って買ってみた。

そのてりたまは、まあどうということはない。昔はもっと感動したはずなのだが。ご無沙汰だからこそ久々に食えばたまらなく美味く感じる場合。逆にしばらく食っていなかったからこそ舌が正常に戻り、実は大したレベルでもなかったと正常な判断が出来るようになったというケース。マックはどちらだろうか。ジャンクフードは舌や脳を麻痺させるという俗説は一理あるかもしれない。間違いないのは、今日食ったてりたまには特に感慨も何も抱かなかったということで、また食いたいと全く思わなかったということだ。

というか、一緒に買ったソフトツイスト(100円)がメッチャ美味かった。要はソフトクリームだが、屋台なんかで売っているソフクリと同等のレベルだ。これが100円なんて素晴らしい。むしろマックはこっちをもっとアピールすべきじゃないだろうか。

アピールせずとも勝手に人が寄ってくる「ちょい呑み 福ちゃん」。アピールしても疑心暗鬼を抱かれるマック。咲き誇る桜は、そんな世俗のいざこざに関係なく、ただ美しい花を咲かせている…。

20150401(水) 何て眩しい新入社員という種族

150401(水)-01【2230頃】ココイチ秋葉原 ソーセージカレー3辛300g《秋葉原-一人》_01

【朝メシ】
水(家-嫁)
 
【昼メシ】
自作オニギリ(職場付近-一人)
 
【夜メシ】
ココイチカレー(梅島-一人)
  
【イベント】
仕事、秋葉原徘徊
 
  
【所感】
フィスカルイヤー、2015年度の始まり。僕等にとっては特別な何もなく、ただ素通りするだけの日。一応エイプリルフールではあった。嫁が「今日は(5月まで取っておくはずの)チョコを食っちゃう日だって」などと宣言し、「え? そんなはずねーだろ」と返したところで気付いた。そんなささやかな嘘すら見破れないとは、余裕のないことだ。

企業なども、今はエイプリルフールに大々的な嘘を吐くこともあまりない。小さな嘘を付くか、あるいは何もせず大人しく見過ごすスタンスだ。昔はもっと極端な嘘をぶちまけていたところも多かったのだが。企業に冒険心がなくなったというよりも、消費者や受け手の柔軟性がなくなったというのが本当の背景だろう。

少し大き目の餌を投げると「度が過ぎる」「社会通念上よくない」などユーザーがすぐに過熱しバッシング。ほどなく炎上となる。それが怖いから大人しくもなる。これもまた、物質的にも情報的にも豊かな割には反比例するように余裕がなくなってきた現代社会の人間達の心模様を象徴しているのかもしれない。もう少し遊び心というか柔軟性があっても罰は当たらないと思うのだが。

ただ、企業も企業で嘘の吐き方が下手になったというか、ジョークの度を越えてしまっていると思えることも多々見られる。ジョークとブラックジョーク、笑えない冗談と神経を逆なでにする悪い嘘、それらを区別するセンスが弱まっているのかもしれない。いずれにしても、生き辛い世の中だ。

ともすればギスギスする4月1日。それは入学式や入社式の季節でもある。その季節の主役達、新入生や新入社員は総じて初々しい。それは僕等がとっくの昔になくした感性である。

今日の朝、会社に向かう途中。入社式に向かう途中なのか、スーツ姿に身を包んだ3人組の若い女性三人組とすれ違った。この世全ての悪を背負ったかのような顔で歩く僕と対照的に、彼女等はとにかくはちきれんばかりの笑顔。キャピキャピしている。瑞々しさに溢れ前面に楽しいオーラが滲み出る。眩し過ぎて顔を手で覆ってしまいそうな勢いだ。

そしてすれ違い様。その中の一人、グレーのタイトスーツに身を包みキャリーバッグを引いている背の高いポニテ姉ちゃんが、段差に躓いて転びそうになり、その弾みで左足のパンプスが脱げた。オ~ゥ、アクシデントッ。と束の間哀れんだ僕だけど。

パンプスが脱げた当人は、「やだ、靴脱げちゃったーッ♪j」「マジー? 受けるー♪」「ナニやってんのよ面白ーいっw」と、まるでブラピが立ち食いそばにいきなり来ましたとばかりのハイテンション反応。何でもないアクシデントにも超明るい。彼女等は心底楽しそうだった。その全てをポジティブに受け止めるやり取りがあまりに眩しい。

彼女等の身体は既にオトナ。しかしその感受性には子供らしさと可愛らしさがまだまだ大量に残ってる。砂糖袋一袋くらいか。僕は小匙一杯がせいぜいだ。だからこそ僕はそのやり取りに羨望を込めて、何の邪心もなく彼女等に向かって思わず微笑んだ。

入社式など自分にとっては遥か遥か昔のこと。入学式に至っては記憶すらもうない。今となってはダークオーラに身を包み、アキバの夜を一人徘徊し、連れと飲みに行っている嫁を待つ間、地元のココイチでソーセージカレーを寂しく黙々と食うだけの疲労戦士が一人出来上がっているのみ。このままではマズイ。何とかせねば。

そういう焦燥感は毎日のようにある。しかし数時間経てば掻き消える。それよりは、今日すれ違った彼女等のように初々しく、未来を、前を向いた真っ直ぐな瞳を持った人間をちょっと拝む方が効果があるに違いない。人は多分、下を見ていても成長しない。上を仰ぎつつ、同時に前を向いている人間を見つめ、そのオーラを分けてもらうことが相乗効果となり成長を促すのではないか、と。

今日のパンプス姉ちゃんは、平坦な毎日を過ごす僕にとって、それほどに衝撃的な光景だった。何でもないようなことが、刺激になったと思う。何でもない朝のこと、二度とは戻れない過去。


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