【朝メシ】
ヤクルト(家-嫁)
【昼メシ】
自作オニギリ(職場付近-一人)
【夜メシ】
居酒屋「魚八千両」(北千住-友人1名)
サッポロ一番味噌ラーメン、柿ピー(家-嫁)
【イベント】
北千住飲み、DVDレミゼラブル
【所感】
友人の公爵から北千住飲みの誘いを受ける。公爵が平日に宴会話を持ち掛けてくるケースは稀だけど、明日が祝日という安心感があったのだろう。「北千住でやらないか?」と飲酒欲求を前面に押し出したLINEメッセージが飛んできた。
公爵も嫁さんが身重な時期。月が明けてゴールデンウィークに突入すれば、恐らく数日は実家に滞在することになる。夫の義務として、男の義務として。また、僕も僕でGW中は新潟実家への帰省を予定している。やはり夫の責務として、男の甲斐性として。
とりあえず最低限やるべきことはやらねばならない。それが出来ない男ははっきり言って生きる価値がないだろう。僕自身がそのステータスに片足を突っ込んでいると自覚しながらも、そう確信している。
人は、特に男は、誰しも自分のために生きるのではなく、誰かのために生きるべき存在だ。自分のためだと言い張っても、それが結果として他の人のためにもなっている。その因果関係を無意識で分かってるから男は戦いに身を投じる。それを分かっていない男は…。断言してもいい。無価値である。
そういう世知辛い男に生まれた僕等。しかもGW休業はカレンダー通り。そういう人間にとって、今回のような日取りは酒飲みするタイミングとして最適ではなかろうか。なぜなら、GWという長期休暇を目前にしたカレンダー上の飛び石休暇というものは、使えそうで意外と使えない。連続しない単発の休暇ではハメを外し辛いのだ。
だからそんな単発休暇前には結局、今回のような飲み会イベントを割り込ませるのがベター。程よい加減で心地良く、後腐れもそれほどなく、精神を現実に戻しやすい。
というわけで、GWメイン連休を迎える前のちょっとした宴。本格的に旅立つ直前に男同士で交わす飲み会。それはある種の景気付け。好スタートを切るための助走。僅かな隙間を縫って暗躍し、少しだけ悪いヤツになる。これが休日前にする男同士の飲み会の在るべき姿と言えた。
北千住駅で降りた僕は、公爵の到着をしばらく待機。東京メトロ千代田線出口の階段脇のマクドナルド、その蓮向かいにある三菱UFJ銀行ATMの脇道に入り、少し奥まで歩いたセブンイレブンで待ち合わせをした。相変わらずやかましくて下品な場所だ。何度来ても、人間の醜悪な部分が噴出したようなこの界隈の雰囲気は好きになれない。
そのコンビニ前でギャハハと騒ぐ若いリーマン。唾を吐くオヤジ。道を目一杯塞ぎながら歩く酔っ払い集団。この世の堕落者が集結したかのようなカオスな光景に眉をひそめる。「相変わらずゴミみてぇな場所だな」と嫌悪感を込めて吐き捨てた。
僕は酒が大好きだし飲み会も歓迎派だが、過度の酔っ払いは好きになれない。ほろ酔いで留める者、陽気になる飲み手は好ましいが、人格が壊れるほど酔っ払う人間、ハメを外す範疇を越える者、酒に負けるヤツはダメだ。幸いにも僕が交流を続けている人間達は真っ当な飲み手だから、そこは救いだ。
それにしても、このカオスなエリアに限らず、歓楽街・北千住には多種多様な飲み屋が乱立する。まさに百花繚乱、ピンキリだ。
中でも何箇所か、数多の飲み屋がひと際密集する特殊ゾーン。いわゆる「飲み屋通り」、「飲み屋街」と呼ばれるブロックについて。北千住にはいくつか代表的なブロックが点在する。
まず電機大学が創設されたことによって多少拓けた駅東口の飲み屋ブロック。一つ目は、エスカレーターを降りてすぐ左に曲がった線路沿い百メートル付近までが該当する。やさぐれた浜焼き屋「寿一郎・二郎」や、しっぽり飲みたい人向けの焼き鳥屋「千住籠太」などを擁する小さな区画だ。ちなみに同じ線路沿いを右に曲がってもホテルしかないので要注意。
もう一つの区画は、線路から垂直に伸びるメインストリート沿い。道の両端には様々な飲み屋がひしめいている。一応ストリートは先の先まで果てしなく伸びているが、飲み屋を探すなら二百メートル程度が限界だろう。それでも20~30軒くらいは見つかるはずだ。
この線路沿い右側、および一直線メインストリートのニ区画を擁する東口は、どちらかというとそこそこのコストで騒ぎたい連中向けの飲み屋が多いように思える。色気もなく陽気に楽しみたいなら東口はオススメだ。銀英伝で言えば、いちいち憎まれ口をきいて面倒臭く、女っ気もなく、だけど場に合わせてどうとても乗り越えられる柔軟性としぶとさを持ったビッテンフェルトやアッテンボローあたりが似合いだと思われる。
翻って北千住駅西口。歓楽街・北千住の名声の殆どをこの西口エリアが請け負っているのが現実だ。「北千住で飲み」と言えば基本的に西口の飲み屋を指す。飲み屋の種類、数、そのキャパシティは少なく見積もって東口の5倍はあるだろう。当然、東口に比べて飲み屋が密集する特殊区画の数も大きく勝る。僕が知るだけでも6つか7つはブロックが存在するはずだった。
その分、クオリティもピンキリだ。店のクオリティ面で言えば静かな高級店からドヤドヤした場末の大衆酒場まで網羅。店員の対応力、そして店に入る客層に至るまで、あらゆる方面へのバラツキを見せる。訪れる客は、店によって全く異なる世界を体験できることだろう。
つまり北千住西口というエリアだけで人間模様の殆どを網羅可能。そんなことは不可能に近いだろうが、北千住にある全ての飲み屋を制覇したとしたら、その人は人間の大部分を制覇したと言っても過言ではない。
そのベクトルは当然店毎に異なるが、不思議なもので似たような傾向を持つ店が固まる傾向も一方では見られる。似た者同士は引き寄せられるという社会の性を反映しているのだろうか。同じ北千住西口なのに、区画によって店の品位や客層がある程度パターン化するのだ。
そのパターンについて、僕が知る西口飲み屋ブロックを簡単に説明すると以下のようになる。
まず一つ目は百貨店系。西口駅前に建つマルイ、および駅ナカのルミネにあるレストランフロアがそれだ。この二大百貨店のレストランフロアは元々が昼間のランチ客をメインターゲットとしている店作りのため、北千住の中では飛び抜けて上品かつ落ち着いている。まあ百貨店という性質上、イメージを損なわないよう粗野な店は最初から弾かれるのだろうけど。
ただ、上品で落ち着いていると言っても静かな店ばかりでもない。若者が多いからだ。マルイは百貨店の中ではかなり若年齢向けだし、ルミネに至っては8割以上が若者、しかも女性という特殊性。必然、彼等彼女等がそのままレストランフロアの客になる。特にルミネのフードコート風レストランフロアは、若い男女がハイテンションで喋りながら飲んでる店もあるので僕はあまり近寄りたくない。
マルイは家族連れも多いが、あくまで昼間限定。店が飲み屋シフトに変われば当然ながら子供を連れた親の姿はほぼ消える。同じ足立区でも、西新井や梅島と違って北千住の親達は良識的なようだ。西新井や梅島なんて、深夜越えたあたりに平気で子供を連れて飲み屋から出てくる家族連れがわんさか居るからな。良識親とカオス親。同じ親を持つとすればどちらが子供のためになるか。考えさせられる話だ。
まあ、マルイの飲み屋ではたまに子供連れの親も見掛けるが、許容範囲内かもしれない。親達にとっては昼間の延長線上、ファミレスのような感覚だろうからだ。それに、どうしても子供を連れて行かねばならないとすれば、安全かつ許容出来るのは結局のところマルイとルミネしかないのが現実だ。
デパートの中という閉鎖感は鉄壁のイメージがある。だから逆に一歩外に出れば街は無法地帯。そんなところに子供を連れて行けば悪影響を受けるのは必然。
なるべくなら子供は連れて行きたくない、でもたまには飲み屋で飲みたい。街の外ではなくマルイ内の飲み屋で稀に見かける家族連れは、愛情と欲望とで葛藤する親の、子供に対するせめてもの庇護であり最後の良識かもしれない。
そういうわけで、落ち着いて飲みたい時はマルイかルミネが良いだろう。ただ、純粋な居酒屋は当然ながら存在しない。元々、昼間向けのレストランフロアなのだから、入っている店は洋食屋やイタリアン、中華屋、寿司屋など、しっかり食事が出来る王道店舗ばかり。そこに酒が機械的に加わっただけである。あくまで閉鎖空間。冒険は出来ない。銀英伝ならキャゼルヌやヤン、あるいはキルヒアイス等、成熟した大人向けの区画と言えた。
もう一つ、マルイの右向かいに最近新しく出来た飲食ビル「きたテラス」という選択肢もなくはない。焼肉屋トラジなどが入っている結構巨大な建物だ。しかし僕は一度も入ったことがないためこの「きたテラス」が使えるビルなのか判断できない。
なぜなら非常に入り辛いのだ。駅前徒歩1分という一等地に建っているのに何故か華やかに見えない。むしろ辛気臭い。飲食ビルのくせに客を跳ね除けるオーラを纏っている。直感で僕はそう感じていた。
しかし論理的な説明も一応出来る。一つ目は、ビルはライトアップされネオンを纏っているけど中途半端に暗いということ。法令の制限があるからかもしれないが、殆どがアルコールを扱うテナントばかり入っている飲食ビルなんだから、もっと陽気かつギラギラした明るさがあった方が客は入りやすい。
なのに「きたテラス」を彩るライトは、薄黄色tと紫が混じったような微妙な配色だ。ギラギラしてはいるように見えなくもないが、どちらかというとパチンコ屋のような、妖しいホテルのような、不夜城的なネオン。「これからガンガン飲むぜ」という気分に何となくなれない。
あともう一つの理由。こちらの方が致命的だと思うのだが、「きたテラス」の入口について大いに意義あり。ガラス張りのデカい自動扉を正面に堂々と設置すればいいのに、何故かあまり目立たないような端っこに入口が設けられているのだ。
例えるなら、無機質なコンクリートにタバコの灰皿が立てられ、そこでおっちゃんが暇そうにタバコを吹かしている立体駐車場の受付のような殺伐さ。パッと見ただけではどこから入ればいいか分からないのである。
だからなのか、この「きたテラス」の脇道を通る時も入口付近には殆ど人がたむろしていない。傍から見れば、人の出入りがない不人気ビルだと勘違いされる。ビル自体、透明な窓でなく無機質なコンクリートマンション的概観なので、余計に中の様子は分からない。そんな悪循環に陥っているのだ、この鳴り物入りで建造された「きたテラス」というビルは。
これは相当なマイナスポイントだ。小ぢんまりとした店ならともかく、百貨店やテナントビルのような巨大で高層な建物はエントランスが肝心。広々として、華やかで、誰もが出入りしやすい入口が望ましい。向かいのマルイなどはまさにそれを実践している。だからマルイ入口付近はいつ何時も沢山の人々で溢れている。それに引きかえ「きたテラス」ときたら…。
というわけで、とりあえず超駅近で落ち着いて飲みたいならば、マルイのレストランフロアがベストだと思われる。そこはある意味、守られた空間だった…。
そんな守られた駅近を離れると、一気に歓楽街の空気、そして熱気が押し寄せる。主だった飲み屋区画はどこも繁盛している。
代表的な区画の一つが、西口正面から四号線に掛けて伸びるアーケード型メインストリートを100メートルほど歩いた辺りで右に曲がった区画。「宿場町通り」あるいは「サンロード商店街」と呼ばれる北千住屈指の飲み屋通りだ。
ラーメン屋やカレー屋、ファミレス、イタリアンなどに混じり、「庄や」などの全国チェーン始め、「てまえの一歩」などの活気ある居酒屋、2538などオシャレな洋食バル、もつ焼き「おとんば」などのちょうちん系大衆系酒場、「おおはし」などの立ち飲み屋など千差万別の飲み屋が乱立。オシャレで妖艶なBARもある。このサンロード商店街約100~200メートルの区画だけで1年間賄える多彩さである。
しかも、大衆系居酒屋が腐るほどある割には言うほど下品じゃないし、エロくもない。この区画はまさしく正統派。ワーレン、ルッツ、ミュラーなどマトモな人間用の飲み屋ブロックだろう。
ちなみにこのサンロード商店街の逆側、メインストリートを左折した先にも飲み屋は結構見られる。秋田県の特産を扱った店「まさき」とか、新鮮な魚介類が美味しい「さかなさま」とか。
しかしそれ以上に本屋やスーパー、パン屋など昼の顔が強い店が多いため、夜は人通りも多くないし、活気というかオトナの熱気もあまりない。あっても店と店との間の密度が広いため熱気が分散してしまうのだ。よって「飲み屋街」あるいは「飲み屋通り」という称号は与えられない。
その他、サンロード商店街エリアほどでないにしても、飲み屋ブロックはいくつも点在する。たとえば、まさにそのサンロード商店街の裏路地に入ると「毎日通り飲食店街」という昭和の香り漂う横丁が入り組んでいて奥深い。昭和の懐かしさと大衆的な粗雑さを味わいたいならこの横丁はオススメだろう。銀英伝であれば、昔の思い出に浸りつつ背中をすすけさせる老人連中、ミュッケンベルガーやメルカッツあたりが似合いかもしれない。
あとは、駅を降りてメインストリートに差し掛かる直前に右折する大通りとか。炙り屋の「あんどん」とか魚が極上に美味しい「なつ家」など侮れないエリアだ。しかし店の数は多くないので、あくまでひっそりとした隠れ家的エリアだ。やはり店が相当数密集しなければ活気や喧騒は生まれない。
その活気と喧騒に最も満ちたエリアが、駅前メインストリート直前を左に曲がった路地裏ストリート。今回、僕と公爵が飲んだブロックである。ここは先のサンロード商店街に勝るとも劣らないどころか、それ以上の店舗数および客数を誇る。北千住で最も盛んな飲み屋街と言えば、まずここ。
「はなの舞」など低価格なやかましい若者向けの店もあれば、「永見」や「まるかや」などオヤジが集まって日本酒をグビリとやるような大衆ちょうちん系居酒屋も相当多い。さらに一つの路地だけでなく、幾重にも分かれる小道の奥の奥まで何かしらの飲み屋がある。このエリアこそ、店も従業員も客も多種多様な飲み屋の坩堝と言えよう。
もう潰れてしまったが、「キミ達は運がいい」といって問答無用で客を引き込む店主と、赤い口紅とスカートという派手な格好をした70代のチーママ「キミちゃん」を擁する亜空間昭和サロン「小柳」が店を構えていたのもこのエリアだ。「小柳」のような突き抜けた店の存在を包み込めるのは、このエリアくらいしかない。
何より、ここには妖しいお水系の飲み場がある。つまりエロがある。他のエリアと根本的に異なるのがこのエロスの有無だ。
だが、それゆえなのだろう。このエリアは最も盛んであると同時に最も乱れた飲み屋街でもある。その猥雑さ、下品さは北千住でも群を抜いている。
最初に述べたように、この淫猥飲み屋通りの入口は、東京メトロ千代田線出口の階段を上がった脇のマクドナルドの蓮向かいにある三菱UFJ銀行ATMの脇道だ。ATMに向かって右に曲がればメインストリートに脱出できるが、左に曲がればもう異空間に突入するしかない。このマック、UFJ、メインストリートに囲まれた一帯は、良心か堕落か二者択一の最終関門。魔のトライアングルゾーン。
そトライアングルゾーンでは、どう見ても堅気じゃない飲み屋に勤めているであろう若い兄ちゃん、ポン引きっぽいおっさん、そしてお水系の姉ちゃん達が盛んに客引きを行いつつ、同業者同士でくっちゃべっている。ヤクを売ってそうなガタイのいい黒人も立っていたりと多国籍性も万全だ。
その中を酔っ払ったリーマンオヤジや若いリーマン、姉ちゃん、爺さんなど一般客がうろうろしている、そんな光景がこの区画の特徴だ。見るからにガラの悪い空間である。この何でもアリのトライアングルはホント何度来ても慣れない。銀英伝で言うなら、怖いもの知らずのシェーンコップやポプランくらいしか対応出来ないだろう。
中も当然カオス。並ぶ店も、客引きも、歩く客も、皆一様にダークソウルだ。まさしく淫猥という言葉が相応しい。そんな北千住一のカオス通りで今回は友人・公爵と飲んだ。
しかし人気エリアだけあって店が全く開いてない。今日は魚か焼き鳥でも摘みながら日本酒なり焼酎でも飲みたい気分だったため、焼き鳥が美味い「永見」で飲もうと思ったが、レジ前でだるそうに座ってる店員のおっちゃんに「あ~満席ですねぇ~」とにべもなく断られてしまった。
次に裏道を通りつつ赤ちょうちん系を何軒か見回るがどの店も客で溢れ返っている。目立たない裏道なら行けるかと思い、以前も入ったことのある「まるかや」を訪ねたのだが、ここもアウト。「GW前だからてっきりそんなに人は居ないと思ったのに参ったな」と、北千住裏道博士の公爵も途方に暮れる。僕も同じである。
仕方ないので、適当にぶらつきながら直感で入ろうということになった。
歩いている内、今にも崩れそうな建物と、開けるとガタガタと音がしそうな扉、そして白い暖簾が掛かった小料理屋っぽい店が目に入る。公爵は中も見てないのに「ここ良さそうだな」と納得顔になり、「ちわーす、空いてますか~っ?」と常連のオヤジのように入っていく。ナニその肝の座り方、お前何歳だよ…。
公爵の突撃に対し、75年は生きているだろう小柄だが眼力だけは全く衰えない割烹着姿の婆さんが、「はいはい空いてますよ、今奥の席片付けますから、どうぞぉ…」と、嬉しいんだか内心追っ払いたいんだか測りかねる微妙な笑顔で僕等を迎えた。その店は「魚八 千両」と言った。
「魚八 千両」店内は、6~7人座れるカウンター席と、そして檜色の狭いテーブルが7~8席設置されている。板前はなかなかの年配で、白衣と捻りハチマキが似合いそう。給仕する人間も、先に僕等を案内してくれた割烹着姿の婆さんAの他、もう一人小柄で痩せ気味の婆さんBが居る。ウェイトレスというより既に仲居の風格だ。
婆さんBもやはり眼光は只者じゃなく、オーダーを取る時など相手を射殺さんばかりの視線で僕等を睨む。ボク達、何か悪いことしました? だけどそんな恐ろしいオーラを纏ってる割には、注文した料理が来ないけどどうなってんの?とせがむと「あれ? それ通ってなかったわ、ごめんなさいねぇ~」などと甘えた声を出し、少女のように身体をしならす。それはそれで怖い。
馴れ馴れしくもどこか抜けている、一筋縄では行かない二人の割烹着婆さん。二人はある意味「魚八 千両」の看板娘なのかもしれない。娘っていうより嫗(おうな)だけど。
いわゆる看板嫗の二人。彼女等も50~60年前は可憐な少女だったに違いない。時が経つのは早い。そしてこの「千両」の歴史も長く、数十年も前から営業しているとのことだった。道理で昭和どころか大正の匂いがする店だと思ったよ。こんな店を発掘するとは、公爵の嗅覚は半端じゃないな。
ただ、料理はかなり美味かった。特に魚介類が新鮮だ。まず酒のツマミとして〆鯖を頼んだが、適度な味付けで〆られており、日本酒にこの上なく合いそう。手入れがあまり行き届いてない店内とは裏腹に相当美味かった。
次に割烹着婆さんA、すなわち嫗Aが「今日はいいサヨリが入ってるのよ! 刺身にすると美味しいわよ♪」と、世間のことを何も知らないピュアな少女のごとき溌剌さで勧めてくるので「じゃあそれで」と彼女の助言に従ったのだが、確かにピチピチかつコリッとした程よい歯応え。鮮度抜群のサヨリだと分かる。「うん美味ぇ、確かに美味ぇ」と公爵と頷き合いながら絶賛していた。マジで侮れない。
そこから十数分後、嫗Aは「生シラスって食べたことある?」と嬉しそうな顔をして僕等に絡んでくる。よほど僕等のことを気に入ったのか。恐らく店内で一番若いスーツを来た公爵にちょっかいを出したいのか。イケメンに擦り寄るギャルのごとくオススメ品をプッシュしてきた。
そんないじらしい嫗A曰く、「シラスは普通茹でてから食べるもので、よほど新鮮じゃなければ生じゃ食べれないわよ」とドヤ顔。言われてみれば、生シラスなんて食ったことないかもしれないな。僕等は物珍しそうに口に運んだ。
その生シラス。確かに湯通ししたシラスとは明らかに異なる食感だ。茹でシラスのようにモサッという舌触りでなく、ピチャッとまとわり付く感じ。海から揚げたものをそのまま出したかのようなナチュラルな塩分もいい具合にシラスに絡む。うん、悪くない。決して絶賛はしないが、嫗Aがオススメするだけのことはあった。
しかし何だな。今気付いたが、僕等さっきから嫗Aの言いなりだよな…。
その嫗Aばかり構っていると嫗Bが嫉妬すると思った僕等は、キリンラガー瓶ビールのお代わりを嫗Bにオーダーした。「はいはいっ」と歯切れよく応えた嫗B。しかし10分以上経ってもラガーは来なかった。「もしかしてオーダー通ってないんじゃね?」と訝る僕と公爵。嫗Bは「言うだけ婆さん」ではないかという疑惑が持ち上がる。
ただ店は大変繁盛しており、各テーブルからひっきりなしに注文が入っている模様。嫗の処理能力では追い付かなかったのかもしれない。そう思うことにした僕は席を立ち、後ろに見える冷蔵庫に歩いていく。そして冷蔵庫の中にズラリと並んでいる、どう見てもキリンラガーの大瓶を勝手に取り出すことにした。一応取り出す前に「ラガーってこれでいいんすか?」と、嫗AとB両方に聴こえるように断りを入れたが、オレも公爵に負けじと物怖じしないヤツだと分かった。
まあ当然「何? ビールが欲しいの?」と積極的な嫗Aが遠まわしに断ってきたが、「いや10分くらい前にビール頼んだんだけど、来なくてねぇ~」と多少の嫌味を込めてレスポンス。だけど嫗Aは「あらごめんねぇ~、もうお客さん多すぎて聞き逃したのね。じゃあ改めて、はいっ、ビールッ♪」と、一切の悪びれもなく今注文を初めて受けたとばかりにラガーの大瓶をドンと机に置く。やっぱ格というか年季が違う。とても敵いませんわ。
男ってなぜか女には弱い悲しい生き物。その中でも特に老婆が相手だと一切頭が上がらなくなる。何故だかそうなる。人類最弱のはずの婆さんこそが最強という弱肉強食世界を覆す法則だ。全く以って不思議な現象ですわ。
しかし、サヨリの刺身にしても生シラスにしても、なぜこんなに鮮度が高いのか。頭の中で疑問を抱く。すると勘のいい嫗Aが心を読み取ったかのごとく、「ウチの魚は新鮮なのよ」と僕等に話し掛けてきた。
彼女曰く、なぜ新鮮なのかというと、足立市場から直送しているからとのこと。足立市場とは、隅田川に面する魚市場。北千住駅から歩いてでも行ける距離にある。その足立市場から仕入れているからこの上なく鮮度が高いのだと嫗Aは誇らしげに語っていた。
なるほど、さすが老板前と嫗が切り盛りする老舗店舗。こんな汚い店なのに素材にはとてつもなく拘っていた。まったくもって見かけによらないな。店も、人も。
そんな新鮮な魚達に感激した僕等だが、それより僕が一番気に入ったのは「ワタリガニの唐揚げ」だ。ワタリガニを丸ごとカラッと揚げた料理で、料理全体が油だらけで掴むとベタベタになるけど、鮮度高そうなカニの潮の香りがその油っぽさを打ち消しているから全くしつこくない。いくらでも食える。ビールが進む進む。
それで値段は500円程度なのだから、まさしくお買い得の逸品だった。「千両」に来るなら一度は食べてみるといい。幸せそうにサワガニをかじる僕等を見ながら嫗Aも、「おいしいでしょ? ウチの自慢なのよ♪」と、まるで我が事のごとき満足顔で僕等を下から覗き込んでいた。
ほんと、サワガニの唐揚げは美味かった。硬そうに見える甲羅も実はそうでもなく、普通にバリバリと噛み砕けるし。
そういえば一年ほど前、友人等と台湾旅行に出掛けたことがある。その際、屋台が群がる夜市で同じくカニの丸ごと唐揚げを注文したのだが、あのカニは掛け値なしに硬かった。その時も公爵が僕の目の前に居たのだが、公爵含め全員が「硬くて無理」と途中で投げ出してたっけ。僕は年上の威厳を見せ付けるため最後までカニを噛み砕いたが、さすがに歯が折れるかと思ったよ、あん時は。台湾人って歯が丈夫なんだね~。
などと考えていたあの時から早や一年。台湾から帰国した直後、「この上ない刺激を受けた僕は、「オレは今日から変わる」などとテンション高く皆に宣言していたものだ。諸々の目標を立て、一年後にはとんでもないことになっているはずだ、と。
その一年が過ぎた今現在。何ら変わることなく、いやむしろ多くのものを失い衰退させた一人の肉の塊がいる。二年前もそうだった。三年前も同じような誓いを立てた。だが積み重ねたのは結局時間だけ。
何か得たと言えば、せいぜいビールの味がより分かるようになった程度のことだ。今日、キリンラガーを飲みながら、最近ラガーが好きになってきたと呟く公爵と一緒に「オヤジがラガー大好きなんだけど、ようやくその気持ちが分かったよな」などと意気投合した。だが問題はそういうことじゃなくて。
一体、何をやっているんだ。今まで何をやってきたんだ。とどのつまり、何をやりたいんだ? オレは一体、何なんだ? 疑問が後から後から押し寄せる。こうしている間にも限られた時間は刻一刻と消えていっているというのに。
目の前の公爵と話しながら考える。公爵は夏には子供が生まれ、いずれは故郷であるつくばと勤務地である東京の中間地点、守谷あたりに家を構えるのがいいだろうと計算しつつ、強かに柔軟に世間に対応している。特定のものにあまり固執せず、見切る時はスパッと見切る。
今現在、彼は国家公務員。新卒後に入行した銀行員に数年で見切りを付け、さっさと辞めて1年ほど猛勉強し、綺麗に再就職を決めた。今の職のままで定年までやると言い切る公爵の目に迷いはない。彼の決断や行動は常に素早く、躊躇いや逡巡などない。それは僕自身がなりたかった姿だ。ゆえに公爵が輝いて見えるし、だからこそ自分自身後ろめたい気分にもなる。
公爵は新橋のオヤジのごとくハイボールジョッキを掲げながらも淡々とした口調で述べる。後ろ倒しにしたところで何も解決しないと。同調しながら僕も対話していく。時間はどんどん過ぎるばかりだと。自分等の時間もそうだし、周りの時間もそうだと言った。親なんて自分より遥かに先に逝くのだから、やるなら早い方がいい。いつも思っている。だけど対して実行出来ていない。
相手が死んだ後に嘆いたり後悔しても意味がなく、相手が居なくなった後に孝行したところでそれはただの独り善がり。報いでも、恩返しでも、償いでも、愛でも、言い方は何でもいい。相手が生きている内に、自分自身を認識してくれている間に与えて初めて意味が出てくる。それは同じく友人のスーパーフェニックスといつも話していることだ。
分かってはいる。だけど思った通りに動けてない。焦燥感だけが募っていく悪循環。しかも頭では分かっているつもりでも理解しているわけじゃない。本当に理解している人間は迷わず動くし、決めた以外のものには目もくれなくなるものだから。それがまた独り善がりに自問自答する一人芝居みたいで情けなくなる。
GWに入る前の飛び石休暇、その前日にぽっと湧いた古い友人との飲み会。非常に有意義だった。店は大当たりだったし、笑える話と真面目な話、両方出来たし。ただ、有意義な時間を過ごして教訓を得て、その後どうするか。問題はそこであり、その問題を抱えている時点で三年以上前からまるで成長していない証拠だった。
帰宅後、学生時代以来で再びマイブームとなりつつあるインスタントラーメン「サッポロ一番味噌ラーメン」を夜食としてすする。一緒に買ってきた柿ピーを貪りつつ、もう十数回は観た映画ソフト「レミゼ」をまた延々とリピートさせつつ…。明日は休みだから、何の枷もない。タガが外れた獣のように、ただ貪った。
この深夜の獣化は、数時間前に北千住で再燃した心の奥底にある苦悩や苛立ちという炎を無理矢理忘れ閉じ込めようとする強引な暴挙、見せかけの無頼だったのかもしれないが、一つだけ確かなことがある。
それは、考えたところで自分も現実も何も変わらないということ。行動した時のみ変化が起きる。思い返せばここ5~6年の間でも、数少ないなれど自分が劇的に変わったあるいは現実が変化したと思えたのは、自分に鞭打って行動に移せた時のみだった。
当たり前だけど、しかし歳のせいか、気力が尽きたからか、もしかして病気だからなのか、ちょっとしたことでも遥かに高い壁に見える。最近は小説を2ページ読んだだけで疲れる体たらくだ。僕は本当に何をやっているのか。
じりじりと、じりじりと、時間だけが過ぎていく。じりじりと後退していく体力と精神力、そして気力。胸が、胃が、じりじりと痛む、そんなGW前の平日のこと。