20170415(土) 指折りの六本木ヒルズ「大エルミタージュ美術館展」と、屈指のミッドタウン「江戸富士」プロジェクトマッピングで六本木を気に入り過ぎた

【朝メシ】
アイスコーヒー、ヤクルトジョア(家-嫁)
 
【昼メシ】
カレードリア目玉焼き乗せ、チューハイ(家-嫁)
 
【夜メシ】
酒屋「みやび邸 一蔵(いぞう)(六本木-嫁)
マクドナルド持ち帰り グランベーコンチーズ(家-嫁)
 
【暦】
月 卯月(うづき)
二十四節気 第5「清明(せいめい)」
七十二候 清明末候(第15)「虹始見(にじはじめてあらわる)」
 
【イベント】
六本木ヒルズ・森アーツセンターギャラリー「大エルミタージュ美術館展」、東京ミッドタウン10周年記念イベント「江戸富士」
 
 
【所感】
■久々に緩慢な朝
昨日はディズニーシー帰りで深夜の帰宅。歩き回った上にはしゃいだお陰か、とんでもなく疲労した。とにかく眠かった。

その眠気は今朝起床した後も継続中。今日が乗馬休みで良かったと心底思う。こんな日に馬に乗ったら落馬は必至だ。締まりのない顔、集中力の散漫、すなわちダメな騎手。馬は乗り手の状態をすぐ見抜く。ダメな騎手は馬に舐められることを、俺等はここ1ヶ月の乗馬体験で、もう知っていた。

いずれにしても、眠気とだるさでキビキビした行動が取れない。身体の動きは緩慢、集中力も途切れ途切れ、意識の視点は定まらない。それでも何とか従来の土曜日の朝らしく過ごそうと、目覚めのアイスコーヒーを飲みながら形式的にTVを点けて「ひつじのショーン」を観賞するのが精一杯。しかし、相変わらずのティミーの可愛さに癒される内に、意識が少しずつ覚醒してきた。ほっと一息、である。

コーヒー、そしてTVというツールがいかにも落ち着いた朝のひと時という感じ。大人の休日、かくあるべし。反面、部屋に横たわって何の考えもなくコーヒーを喉に流し込んでTV画面に映る映像と音に身を任せるという受動的行為は、いかにも生産性に欠けた姿勢であり、意思力を失った者が陥る悪癖とも取れる。単純に“大人”という言葉で括ってしまうのは早計な、朝のコーヒータイム。優雅と取るか、惰性と見なすか、考え方は人次第。損間、時間だけは平等に過ぎている。
 
 
■充実したのか、させたいのか
その時間を無駄にせぬよう、午後からは大いに活動しなければならない。乗馬がない分、それに見合った充実感を得るために。この、何が何でも「充実させたい」「充実させねばならない」という強迫観念にも似た感情の正体は何なのか。

“焦り”だろう。成し遂げていないことへの焦り、成果を出せていないことへの焦り、余命に対する焦り、残された時間に対する焦りだ。時間と成果が結びつかない状態が恐怖を生み、焦りへと転じる。逆に成果が出れば、焦りの心は生じない。成果は“充実”に結び付くからだ。充実こそが心に納得と平穏をもたらす。反対に、充実しなければ焦り続けるのみ。

人の本能であり生命源とも言える承認欲求からそれは生まれる。何のために生きているのか、という問い掛け。殆どの例外なく誰もがぶち当たる問い掛けであり葛藤だ。頭で自問自答しなくとも、深層心理で常に問うている。言わずともその言動で吐露しているのだ。隠せはしない。

承認欲求は、自我を保つために必要だ。自我を保つには自らの存在意義を見出さなければならない。そのためには成果を上げる必要があるし、そこに向かって行動しなければ成果は上げらないことも分かってる。だが、行動するには見合った時間が必要。すなわち命を消耗する必要がある。人の命はイコール時間。成果を上げるためにその時間を使えてない、無駄な時間を過ごしている、残された命を無為に消費している。それが罪悪感となり、何とか払拭したいともがく。

だけど実際には動けない、動かない。そうなると一層焦燥感は高まり、気持ちだけが逸る。「充実させねばならない」と呪文のように言い聞かせるという悪循環だ。断ち切るには結局のところ動く以外にないのだけれど、動くにも色々あって、衝動から発する能動的なものもあれば、義務感や惰性でそうしているに過ぎないケースもある。その本質は、自分の心に問うてみなければ分かるまい。表層的でない、もっと奥深い部分、深層心理に問い掛けなければ。

その深層心理への自問自答をした時、先述した本来自分が望むべき成果に繋がる動きが出来ている人間は、実際のところそうは居ないのではないか。何かすることによって時間を一応埋めてはいるが、それが果たして本当に必要な行動だと、自分の望んだ道を歩くために避けては通れない途中経過なのだと、胸を張って言えるのか。その半信半疑もまた、時間を無為に過ごしているのではという疑念に繋がる。

それでも何もしないよりマシだからと、まるで追い込まれるように時間を塗りつぶしていく。明確にならない何かしらの“成果”を得るために。命の無駄遣いをしないために。存在意義を確立するために。そうすることで自我が保てるし、どこかの地点で承認欲求に繋がるかもしれない。だから今は時間を埋めるのだ。充実させたい、充実せねばならないのだ…。

という心の叫び。本来順序が逆なのだ。充実感を得たいから動くのではなく、動いている内にいつの間にか充実感を覚えていた、というのが自然であり最良のはずだ。そうは思っていても、現実問題、時は刻一刻と過ぎ去る。ロシア人哲学者のように永遠に考え続けるより、やはり身体を動かした方がベターだろう。

だから今日も動くのだ。閉じ篭らないよう。外の空気を吸うために。そこから情報を掻き集めるために。知見を得るために。見聞を広めるために。その選択が正解なのか、的外れの勘違いなのか。死ぬ時になれば否応なしに答えは出る。だけど、死までに残された時間を埋めていかなければ検証すら出来まい。検証するのも、検証対象も自分自身に他ならないということを肝に銘じるべし。

他者の批判はしょせん無責任なもの。自分に対してのみしか正しい批判は下せないのだ。自分自身にしか責任は負えない。過去、現在、未来、その間に亘る膨大な言動も選択も、誰が何と言おうと自分だけのものである。動かなければ自分自身の批判すら始まらないからこそ…。
 
 
■か細い雑草にも生じる検証と充実
ふとベランダに置かれた鉢植達を見る。去年秋頃から趣味的に育て始め、現在キキョウ、デンマークカクタス、ヒヤシンス、ミニバラの4種類を生育中。全て枯れてしまったが、枯れるべき季節に、枯れるべくして枯れたので問題はない。

重要なのは、むしろその後。花の枯れてしまった鉢植えに、水や、たまに栄養を与えている。花は一回で消滅するにあらず、翌年も咲くからだ。種類によっては何年間も同じ場所に咲き続けるものもある。

その中で、キキョウの鉢植えに、小さな何かが生えている。1センチくらいの細長い緑の草が1本、焦げ付いたような茶褐色の土からチョコンと顔を出していた。これはキキョウの新芽なのか。キキョウの二世代目が遂に息吹いたのか。それともただの雑草か。道端に無限に生い茂った名も無き草木達と同じ、取るに足りない草なのか。

その1センチ程度の若草が生長すれば、答えは自ずと出る。だが、雑草の可能性を孕んだ上で、それまで何もしないことこそ無意味。いつものように水を遣り、たまに日光に当て、今までと変わらず育て、愛でていく。これも時間の有効な使い方と言えるのではなかろうか。まさしく、先ほどから何度も述べている“充実”だ。

キキョウの第二世代であれば喜ばしいこと。だけどたとえ雑草だったとしても、俺達が時間と手間を掛けて育てた草であり、何物にも変えがたい。別に計ってそうしたわけじゃなく、いつの間にかそうなっていたのだと。この自然発生的な気持ちこそが“充実”。後から振り返ってそうだったと腑に落ちる気持ちこそが…。

だからこそ、まずは後で振り返るために。振り返る材料を得るために、外出。天候は晴れだが少しずつ微妙な曇り空へと変わっていく。天気予報は多少の雨が降るかもしれないと。しかし外に出られない天気ではない。

久しぶりに訪問販売に来たヤクルトレディからヤクルトジョアなどを購入し、昨日のディズニーシーで最後に寄ったアラビアンコーストのアトラクション「シンドバッド・ストーリーブック・ヴォヤッジ」のYoutube動画を探して昨日の余韻に浸ったり、再びTV番組を見たり、気付けば昼の1時半。結構ダラダラと過ごしてしまったが、まだ日中は始まったばかり。十分挽回できる時間帯だと分析し外に出た。最終的に間に合えばよかろう、なのだ。
 
 
■ベルモント公園のハイクオリティたる所以
駅に向かう途中、ベルモント公園に寄って花観賞。同公園は狭い敷地ながら、区役所に近い立地条件もあって地元住民から重宝されている。オーストラリアのベルモント市と提携している関係上、園内もオセアニア的で南国風な洒落た造型だ。とても足立区とは思えない。

その国際的な風情を見込んでか、十数ヶ国の在日外国人達が一堂に会して歌やダンス、露店などで盛り上がる一大イベント「あだち国際まつり」の開催地として、ここベルモントが毎年選ばれている。この点から、国際色に富むという点では足立区随一。いや、足立区で「国際的な公園」といえばもうベルモント公園以外に存在しないとまで言える(俺調べ)。同園がいかに重要か。足立区における確固たるポジションを確立している。

ただ、そのポジションは、重要イベントを任されるという一側面だけで築き上げたものではない。「国際派公園」と両翼を為す、ベルモント公園のもう一つの顔。それが「園芸に力を入れている公園」という顔だ。

まずベルモント公園は、足立区でも有数のバラ園として名が高く、春から冬までほぼ一年中何かしらのバラを鑑賞することが可能だ。四季折々に咲くバラは鮮やかで、時に儚そうで、しかし例外なく美しく、公園を行き来する者達の目と心を日々楽しませている。ここのバラを見るためだけに訪れる人間も居るだろう。花弁に食い込むほど顔をバラに接近し写真撮影している人間をよく見かける。ここのバラは、規模や本数だけでは語れない。育てる者の情熱が滲み出たかのような魅力がある。

その情熱は、当然バラ以外にも注がれる。同公園では季節に合わせて多種多様の草花が育てられており、一年を通して花を見ない日はないほどだ。元々、掃除や芝生の整備など職員の管理もしっかり行き届いたベルモント公園はゴミや汚れも少なく、自然観賞には持って来い。木陰にレジャーシートを敷き、四季折々の花々を眺めながら、持参した弁当を広げる…。この上ない幸せだ。近所の者は、そうじゃなくとも一度試してみることをお勧めしたい。敷地は狭いけど。

その四季折々の花模様が展開される一年。その序章であり、最も明るく温かく鮮やかな花が咲くという春の季節。その春の花の代名詞・チューリップが、ここベルモント公園に咲いていた。壇眩しさで目を細めてしまいそうなほど鮮やかな、赤と黄色の輝きを放ち。太陽のエネルギーを吸収したかのように明々と、堂々と、生命力に満ち溢れるその姿で咲き誇っていた。

何故こうも美しいのか。なぜこうも元気一杯なのか。見ている方も元気になるチューリップは、まさしく春の代名詞。世界において、品種の数も人気も圧倒的な理由が良く分かる。そんな見事なベルモント公園のチューリップ花壇だった。

水泳を辞め、人形町・浜町公園の桜と遂に縁のないまま過ぎ去ってしまった春初旬という季節。都内の桜達が葉桜に変わり始める桜花乱舞の4月上旬。その悔しさと後ろめたさを打ち砕くように、地元ベルモント公園のチューリップから本格的な花の季節が始まる。目まぐるしい百花繚乱が今年もまた始まった。

もう進むしかない。俺の錆び付いた光武を無双天威させるため、ジュテームモナムール合体するまで、わたしたち一歩も引きません。それが、ベルモント公園なのです。

気合を入れ直し、目的地である六本木へ向かった。
 
 
■お洒落で雑多な六本木ヒルズ
東京メトロ日比谷線に40分間ほど揺られ、六本木駅で降車した俺等は、六本木ヒルズ方面の地下通路を歩いていく。シンプルかつ現代的な通路。男性も女性も、歩く人の多くは派手さを抑えながらもさりげなく着飾っている。ウチの地元と、足立区の住民と、東京23区北東部と、何かが、何かが根本的に違う気がする。来訪する度にそう思う。

無理も無い。恋人同士一つ取っても、森タワー展望台フロアの窓際に寄り添うように佇んで、男は女の腰に手を当てて、窓の外に広がる東京タワーなど港区の都会的風景を視界に置きながら、無言で見詰め合ってシャンパングラスで乾杯するような連中なのだから。

振る舞いも、仕草も、言葉遣いも、流し目の巧みさも、何もかもが違って当然なのだよ。育った土壌、すなわち土俵が最初から違っているのだから。後天的に港区住民になろうと思うなら、“洗練“という言葉を意識することなく”洗練“された立ち振る舞いが出来るようになるまで訓練しなければならない。自然発生的に洗練した仕草が出るよう細胞を作り変える必要があるだろう。都会に合わせるというのもなかなかハードだ。

それは地上に出ても変わらない。六本木ヒルズの象徴である超高層近代ビル・森タワー傍に隣接する入口。この入口をメトロハットと呼ぶらしいが、そのメトロハットの地下から地上までを一気に貫く吹き抜けのスケール感がまた凄い。メガトン爆弾を落としたかのようにぽっかりと空いた吹き抜けの、直径50メートル級の吹き抜けの、セントラルドグマを髣髴とさせる人工的で巨大な吹き抜けを通り抜け、地上に出た瞬間がこの上なく興奮するのだ。リフトオフ、と叫びたくなる。六本木ヒルズに来たぞ、と叫ぶ。

そして、その巨大クレーターの中を走るエスカレーターがまた良い。飾らないけど存在感を放ちまくる、吹き抜けのちょうど中央を一直線に抜けるエスカレーターが。地下から地上へ、あるいは地上から地下へと一直線に伸びる、細長く心細いけど科学の粋を集めたこの上下エスカレーターに乗るだけで、セントラルドグマのエスカレーターを無言で降りる碇シンジと綾波レイのような気分に陥る。無音の中、エスカレーターの機械音だけが響き亘る。そんな錯覚すら覚える。

このように、たかが六本木ヒルズ入口の一部に過ぎない吹き抜けとエスカレーターについてここまで熱く語る人間もそうは居まい。それだけ六本木ヒルズは文明的ということだ。

特に、最先端の建築学とIT技術が散りばめられた六本木ヒルズ森タワーと隣接のビル群は秀逸。インフォメーションにはいかにもIT系のやり手ビジネスパーソン風が、お洒落で色気のある服装をした美女が、欧米から中南米系、イスラム諸国を始め多くの外国人が行き交う。六本木ヒルズは文字通り多国籍だ。ただし一定以上洗練された外国人が集う、ある意味排他的な多国籍ビル施設だと言い切れた。

そんな外国人客達に対してインフォメーションの受付嬢は笑顔で、キビキビとした動作と素早い判断で、流暢な英語を話しながらテキパキと捌いていく。本当に同じ女か? ホントに同じ人間か? とつい周囲を見渡してしまう。働く女性は眩しい、そんな言葉を体現するかのようなインフォメーションレディだった。

まあ六本木ヒルズを出ると、案外そうでもない部分も多いが。六本木通りとか芋洗坂などを歩く人種は玉石混交、そこらの雑多な街と雰囲気は変わらない。だけど六本木ヒルズはさにあらず、である。装いと振る舞いが基本的に違うよな。そういう意味で、気軽になれない場所ではある。だけど誰も他人を見ていない分、自由に振舞ってもいい解放感も少なからずあった。

あと、六本木ヒルズにしても、六本木は喫煙者に多少優しい。六本木通りの目立つ場所に喫煙所が設置されたりしているのを見てちょっと感動した。新宿ですらもうこんな場所は無いのに、と。

六本木ヒルズにも、少し外れた場所に屋外喫煙スペースが設けられている。粋なことに、そこから東京タワーを中心とした都会的ビル景色が拝める配置だ。俺は、六本木ヒルズのこの喫煙所から見渡せる東京タワーの姿がとてもとても好きだった。

喫煙者に優しく、大人に優しい六本木ヒルズであった。
 
 
■美術館に行く子供
かと言って、子供が居ないわけでもない。今回訪れた美術館には、小学生低学年~高学年くらいの少年少女が結構見られた。無論、保護者同伴だが、皆大人しく、むしろ大人より真剣に美術館に飾られた名画に見入っている。音声ガイドをレンタルしている子供も相当数居た。上野の美術館ですらそんな意識の高い子供は居なかったような。

親の方針なのか、子供の純粋な興味からか、ともかくこれが港区クオリティ。「なにこのレベルの高い教育は?」である。子供の顔をよく見れば、幼いのに随分と知的な顔をしている。行動は顔付きにも現れるのだろう。深夜過ぎても親に引っ付いて居酒屋で騒ぎまくる足立区のクソガキ共とは全くモノが違うと瞬時に分かった。俺だったら100%六本木の子供の方を育てたいな。
 
 
■なぜ大人は美術館に行くのか
無論、大人も美術館が大好きだ。好きな人は当然そうだし、そうでなくとも一度ハマれば好きになる。美術館にはそれだけの魅力があると思っている。他の趣味とは一線を画す、自分の教養レベルを高めるための趣味と言えばいいのか。感受性を磨くには美術品がいいと博学者は言う。視野を広げ、教養を身に付けるためには芸術品に触れろと偉人は言う。
 
 
■教養とは何だ?
が、教養ってそもそも身に付くものだろうか。その身に付けるべき教養とは、より高いレベルという意味か。視野を広げるということは、高尚で高邁な視点のことか。それは上から目線を身に付けるということか。優位に立つための方便、他を見下すためのツールとして美術鑑賞はあるのか。そもそも教養に高い低いなんて線引きがあるのか。あっていいのか。

それは厳然としてあるし、あっていいし、あるべきだろう。教養イコール単に知識量や情報量でないことは、相当昔から言われてきていた。多方面の知識や情報を取り込み、それらをTPOに合わせて適切にアウトプットできる能力を知性と呼ぶことも。その知性のさらに先に教養はある。

教養は、言ってみれば心の豊かさの自然発露。それを体現している者を教養人と呼ぶ。公平かつ柔軟な対話が出来る自分の姿、その振る舞いや立ち回りが自然発生的に出てくる心の余裕、無理を生じさせることなくそれを続けられる心の強さと許容量を以ってして、何人にも対等に、だけど時には一歩押しながら、あるいは引きながら、その空間を決して壊すことなく話を前に進められる状態を教養が身に付いていると評して良いのではなかろうか。

よって、知識人=教養人ではないし、両者を敢えて言い分けるのもワザとなんじゃないかと思える。両者は全く別物。教養人との対話は前に進むが、単なる知識人だとそもそも話が進まない。根本的な視点の次元が違うのだろう。

多彩な話をするという点で、論客という言葉とも似ているように感じるが、やはり教養人とは別だろう。発する雰囲気というものがある。高圧的なのか、臨機応変なのか。対話すると自然と顔や言動に現れる。

論客と教養人、どちらも話は前に進むかもしれない。だが論客は、その強引さと攻撃的弁舌ゆえに、相手に不快な思いを抱かせるかもしれない。俺のイメージでは橋下徹氏やホリエモンのイメージ。話はポンポンと進む気はするが、押し切られてかなりのダメージを受けそう。爽やかに終わることができないイメージ。後に遺恨を残しそうだ。

だが教養人と話せば、相手も納得した上で話が前に進む気がする。俺のイメージでは…パッと浮かんでこないな。それほどに教養人というのは探し辛い。敢えて挙げてみるなら、小泉政権時代にイラクであった日本人3名拉致事件あたりに、TVで中東専門コメンテーターとして出ていた大野元裕さんなんかは、喋り方にも知性に溢れ、とても分かりやすかった。口調も安定していたし。ああいう人は、知識人という呼び名は相応しくない。教養人と言った方がしっくり来る。そんなことを思ったものだ。

その大野さんも、今では民進党の議員だ。大野さんほどの逸材は、民進党などに勿体無い。むしろ大野さんが表舞台にあまり出ない時点で民進党の底が知れている。その民進党員は、教養人など当然居らず、知識人ですらなく、単なる不平屋集団。話が進まないし、そもそも話が始まらない。だから民進党はダメなんだと、そろそろ気付いてもいい頃だ。

大野さんの他には、そうだな、ヒュー・ジャックマンなんかも教養人的な雰囲気を醸し出していそうだ。紳士というか。まあ実際紳士だろうけど。とにかく聡明で人当たりが抜群という印象はある。そして他者を見下さない。確固とした己を持ちながらも人を愛すという姿勢を自然に備えているからだろう。

結局、イメージこそが肝心なのである。

そのイメージ分析から行けば、たとえばお笑い芸人だと、アンジャッシュ渡部は知識はあるし知性もあるかもしれないが、教養人には届かないという感じ。逆にアンタッチャブル山崎の方が、人を不快にさせない配慮やリアクションを常に心がけているであろうに一瞬一瞬の受け答えの瞬発力が極めて高いことから、より教養人の本質に近いという気がする。頭が切れる、頭の回転が速い、冴えている、そんな表現だろうか。教養とは違うような、だけど単に「頭がいい」という表現では形容してはいけないような、一つ抜けた魅力がある。それが教養人というものではなかろうか。

話がこんがらがって来た。言いたいのは、何のために美術館に行くのか。行く意義や価値があるのか、という点だ。

あと、行きたくとも何処にあるのか分からないという疑問も生じるかもしれない。美術館なんてものは大都市の限られた場所にしかなくて、結局お高く止まった人間達の高尚な遊戯ではないか。そう考えるとどこか敷居が高く感じる。そうなると、美術館に行こうという発想自体無くなってくるという。それら美術館に対する懐疑や抵抗感…。

しかし敷居の高さについては、現実問題大して高くはない。俺等は美術館・博物館の宝庫たる上野公園が比較的近いこともあり、行く回数は多分平均以上だろう。結果、美術館巡りが好きになった。しかし別に上野公園でなくとも美術館、あるいは博物館など砂の数ほど存在する。別に中世・近代ヨーロッパの巨匠達の絵画を展示していなければ美術館じゃないなんて定義はない。

たとえばジブリ美術館だって立派な美術館だし、アンパンマンミュージアムなども本質的には同じだ。有名画家である必要はなく、少しアートに造詣のある人達の作品を飾っている場所なら何だっていい。小学生の粘土細工だってアート。伝統的なアートでなくとも、たとえば鉄道博物館など現代技術が生んだ機械でも十分芸術と言えるのではないか。

重要なのは、平凡を上回る才能や技巧に触れること。その才能や技巧が作品というカタチとして表現されていること。その展示物の集合体であり、その集合体を閲覧できる場所であれば何でもいいはずである。ちょっとした非日常を味わう空間であれば。

その「ちょっとした非日常」が、そのまま美術館の価値であり、意義。そして何のために美術館に行くのかという回答になる。それは視野を広げるためで、心を豊かにするためで、良い意味での教養人になるための手法の一つと心得れば、美術館がいかに有用か、その身で実感できるはずだ。本来掘り起こされていなければならないはずの感性を再発掘するため。時の経過と共に埋没してしまった物の見を取り戻すため。きっと美術館はそのためにある。

とは言っても、やはり「美術館」という言葉自体は重々しく、よそよそしいのも確か。そこへ意識を向けるきっかけが必要だ。非常に興味をそそられるコンテンツであるとか、他の遊びや趣味は飽きたのでちょっと変わった場所に行ってみようとか、TVの特集で見たら何となく面白そうだったとか、好きな著名人が紹介していたので一度どんなものか確認してみようとか、まあ何でもいいのだが。

現代はマスメディアに加えインターネット社会なので、美術館のコンテンツや魅力といった関連情報はすぐに取得できる。その点、便利だ。タイミングが合えば、足を運ぶ気持ちにすぐなるだろう。そして一度意識がそちらに向けば、美術館という選択肢は自分の意識下に固定され、繰り返せば繰り返すほど美術館の魅力の虜になるに違いない。

それには、ある程度の年齢も必要なのだろうか。他の娯楽施設に比べれば、やはり年齢層は比較的は高めに見えるが。

そうかもしれない。俺とて、昔は美術館という選択肢など端からゼロだった。興味も無ければ、行って何になるという意識が強かったように思える。しかし年齢を重ねる内に、その真価が分かり始めた。そう思い込んだ。精神的な位が高まる気分になるのだ。テンションが高まるのではなく、尊い気持ちになる。

やはり、年齢と共に芸術に触れたくなる気持ちも強まるのか。直感としてそう思う。過去のように王族や貴族など特権階級が牛耳るものでなく、庶民も気軽に行って良い場所が今の美術館。知的好奇心を満たせ、歴史的ロマンもある素敵な場所だ。

しかしながら、若い頃はそれになかなか気付けない。旺盛な好奇心は、若いがゆえにもっとエキサイティングでアクティブなものに向かいがちだからだ。必然的に、歴史への興味も薄いまま。美術館は、その歴史とセットで観賞するのが醍醐味なわけで、どうしたって若者からは敬遠される。もちろんエキサイティングでもないどころか、そこから最も離れた場所にあるのが美術館だ。若者としてはますます物足りない。という仕組みだ。若いエネルギーから湧き出る好奇心を満たすものは、他に腐るほどあるのだから。

室内ならゲームや漫画、その他音楽や映像に没頭できる。どれも新鮮かつエキサイティングな世界。感情を激しく揺さぶられる。分かりやすく、目に見える形で揺さぶられるから気軽に入れるし、のめり込み易い。

外に出れば出たで、若ければスポーツで汗を流すのも体力的に苦ではない。スポーツ観戦で熱狂するのもよし。カラオケで声を張り上げるのも、ショッピングで街を歩き回るのも、遊園地のアトラクションではしゃぐのも、ちょっとした旅行だってそうだ。とにかくテンションが高まりまくる。ほんの少しの材料で規定以上に盛り上がれるのは、まさしく若さの力であり特権。飲み屋で大きな声を張り上げ管を巻くおっさんとは盛り上がるまでのプロセスが違う。楽しみ方の本質が多分異なるはずである。だから世代が離れ過ぎると両者は分かり合えない。世代の壁は永遠に、永遠に立ちはだかり続ける。

ただ、そうやって多くの娯楽や趣味、遊びを吸収していくに従い、次第にその情熱も冷め、頻度も下がってくる。物足りなくなったのか、マンネリに飽きたのか、逆に目一杯やり切って完全燃焼したからかもしれない。自分に合わないと判断したので切り捨てたというケースもありそうだ。

いずれにしても、その境地に達するには一定以上の回数をこなすことが必要。それは時間を掛けるということで、そのまま年月を費やす意味に他ならない。年月を費やし、飽きるまで色んなものを貪っていく内に、歳を取るわけである。人生は短いようで案外長いもの。迂遠と言ってもいい。なので同じこと、同じ場所の繰り返しではいずれ飽きが来るのが自然の摂理。それでも飽きないものは、生涯の趣味でありライフワークと言っていいだろう。そういうものがある人は大切にした方がいい。

歳と共に様々なことに対し、飽きる。このプロセスは殆どの人間が通るはずで、水が高きから低きに流れるごとしだ。体力も衰えてくる。軽い足取りでちょっと出掛けることも億劫になる。当然思考能力も低下する。自立的に鍛えない限り、心も身体も年齢に応じて衰退するのは仕方ない。

だから連動して気力も萎む。欲求すら減退し、無関心になっていく。こうなるともう、能動的に何かしようと動くことすら面倒になってくる。結果、視野が狭まる。人は、新しいものを取り込むことによって視野を広められない生き物だから。もう一つ、数少ないものでも突き詰めることで視野を深める手法もなくはないが、他の事象に惑わされず同じ対象に集中することは、広く浅く掻き集めることより遥かに困難なので、現実的ではない。

歳を取れば落ち着く、と人は言う。そうではない。単に衰えるのだ。言い方を誤魔化してもしょうがない。成長できなくなり、成長する気もなくなる。少し困難なものには挑むことすらしない。見ないフリをするのみだ。よって何かに手を伸ばす気力も失せ、今まで得てきた僅かな資産や地位や交友関係、そしてプライドを守るだけの時間へと変質していく。余生と言えば聞こえはいいが、平坦で新たな何かを得られずただ失い続ける時間。死ぬまでは何とか全てを失わないよう踏ん張る我慢の時間である。

そんな我慢の時間だけで果たして生きていけるだろうか。いや、生きていけない。やはり何か心の清涼剤が必要なのだ。手軽に行けて、体力や精神力をそこまで必要とせず、かつ質が高そうに感じられる趣味が。狭まった視野を広げるための趣味が。取り戻すための趣味や余暇の過ごし方が…。

そこで美術館の登場なわけである。あらゆることをやり尽くし、ふと周りを見渡す。今まで想定の外にあった美術館というスポットが、すんなり頭に入ってくる。幸い歴史にも興味が出てきた。なぜなら自分自身、かなりの時を刻み、年齢を重ねてきた歴史人だから。目の前の人物でなく、過去の偉人や歴史上の人物などにロマンを感じる年頃になってきた。のだ。美術館は、芸術の宝庫であると共に、過去の偉人の宝庫、歴史の宝庫。若かりし頃に持っていたワクワク感が再燃すること間違いない。

この点で言うと、神社仏閣も似たような性質を持つだろう。神社巡りや寺巡りが好きなのは大体中年以降だ。俺等も神社巡りが大好きだが、そこで一緒になるツアー客達の顔ぶれを見ると、殆どがご老体、中年、壮年、熟年だ。安心できる場所、かつ安定した場所なのだろう。無駄なトラブルなく、一定以上楽しんでもらえる、そんな確信があってこそツアーなどでは神社仏閣巡りが大人気。俺はそう見ている。

また、その神社をはじめとする史跡で、ガイドの眠くなるような説明にいちいち深く頷くおばちゃん達をよく見るが、それもまた年を取ったがゆえに歴史に興味が出てきた、と言ったところだろう。実際、話を理解しているようには見えないが、頷くだけで深い歴史に触れた気分になれるし、それはそれで楽しみ方の一つ。肝心なのは、新たな娯楽を得た、という実感だ。

新たな娯楽。すなわち神社。テンションを高める必要もない場所で、静かなる情熱を胸に宿しながら粛々と拝見するという、その行為が本人を安心させる。じっくりと、年月を掛けて楽しめる、老いた者達の聖域。それが神社だ。美術館に通じるコンセプトがあるのではなかろうか。

無論、神社仏閣巡りが好きな若者も居るし、美術館だってそうだろう。しかし全体を俯瞰すれば、やはりその二つは熟した大人向けの娯楽だと思える。まあ歴史の宝庫を観賞する権利は、自分自身がその内歴史になってしまう人達に譲って良いのではないか。何事も順番だ。順当にこの世から先に居なくなる人達が先に美術館や神社仏閣を見て、その間若い者はエキサイティングでエロスでデンジャラスな娯楽に興じればいい。自分が年を取れば、かつて老兵達が辿った道を歩けばよいのだ。すなわち同じように美術館へ、神社へ、仏閣へ…。そして最後は仏門へ…。

あと、美術館に惹かれるのはその深みのある歴史背景だけでない。歴史が誇る才能の宝庫という点が重要だ。その才能を発揮し実績を上げることが如何に困難か、ある程度の年数を生きてきたからこそ分かる。だから類まれなる才能を持つ過去の美術家達に対しては素直に尊敬の念を抱く。それも歳を重ねてこその感性ではなかろうか。若い頃は持っていた望んだものに「届きそうだ」という感覚。だけど届きそうで届かない。それどころか全く届かないと思い知る場合もある。だからこそ、それに届いた偉人の偉大さが分かるのだ、と。酸いも甘いも知った年齢に達して初めて悟れることもあろう。

と、そう感じ始めるのは一体何歳なのか。かなりの個人差があるだろうが、様々な事象に「飽き」を感じ、だけど胸を揺らす何かを束の間でも欲すならば、美術館へ行ってみるのがいいだろう。絵画をただ眺めるのではなく、その背景にあった王朝や貴族達の勢力争い、戦争、宗教観、一般民衆の風俗事情など、ありとあらゆる要素が詰まった歴史の証人、それこそが絵画の本領なのだと肝に銘じながら観るのがベスト。そういった物事が絵画から自然と読み取れるようになれば、美術館は君の日常。君はもうハマっている。

そして既にハマっている俺等は、六本木ヒルズの森アーツセンターギャラリーにて開催中の「大エルミタージュ美術館展」へと今日、赴いたのである。非日常を得るために。歴史と、その歴史が誇る才能に触れるために。新たな情熱の灯火を自分達の胸に宿すために。

■大エルミタージュ美術館展の素晴らしさ
東京において美術館の聖地と言えば上野だが、六本木ヒルズも捨てたものではなく、むしろクオリティは最高峰に近い。扱う作品も権威あるものから斬新なものまで、その選択センスはさすが六本木的だ。基本的には外さないと断言していいだろう。

その六本木ヒルズの美術館は、その象徴である中心ビル・森タワー内に設営されているが、同じビル内に二つの美術館がある。52階の「森アーツセンターギャラリー」と、その1コ上、53階にある「森美術館」の二つだ。両者は扱う展示も開催時期も異なっており独立している。

まあネットで「六本木ヒルズ 美術館」とでも検索すればすぐに分かるが、観賞したい展示がどちらの美術館なのか間違えないよう気を付けた方がいいだろう。俺にしても、今回の「エルミタージュ美術館展」について、53階の森美術館でやっているのかとてっきり思っていた次第だ。相当込むんだろうな、と。

実際行ってみれば、森美術館は60分待ちとかとんでもない混雑の模様。だけど良く見ると森美術館でやっているのは歴代アメコミヒーローのオブジェなどを展示する「マーベル展」。こっちの方が一般的には大人気で六本木ヒルズのメインを張っているっぽい。意外だ。

「エルミタージュ展」はその下の「森アーツギャラリーセンター」。予想以上に空いており、10分待ちで入れるという状態だった。チケット売り場でも、マーベル展チケット購入のために並ぶ長蛇の列を他所に、俺等は早々にチケットゲット。入口前で記念写真を撮る余裕すら見せながら、エルミタージュ展に堂々と入場した次第だ。

嬉しい誤算だが、何となく釈然としない気もするな。エルミタージュってそこまで人気ないのだろうか。以前、同じ森アーツギャラリーセンターで開催された「マリーアントワネット展」などは、それこそ溜め息が漏れるほど果てしない行列だったのだが。美術に優劣はない。だがそれでも、エルミタージュ展が他に劣っているとは思わない。

と、熱く語るほど俺はエルミタージュ美術館について知っているわけじゃない。元々、電車広告で盛んに宣伝されているのを見て「ちょっと面白そう」という認識。また、ちょうど今日の朝か、TVでピース又吉がロシア現地のエルミタージュ美術館を訪問、解説するというロケ番組を放送していた。最初の方は「え? 何コイツ偉そうにロシアを語っちゃってんの?」と思いつつ、「このヤロウ、印税ガッポリもらってるくせにタダでロシア旅行しやがって。どうせTV局の経費なんだろ?」と嫉妬心丸出しで番組を観ていたが、さすがお笑い芸人というべきか、又吉のコメントはやはり結構面白い。又吉はロシア文学なども大好きとのことなので、考えれば良いチョイスなのかもしれない。

一時ニュースゼロのキャスターなど似合わないことをしているなと思ったが、やはり自分の好きな文学や芸術について語る方が彼の本領が発揮できるというもの。人にはそれぞれ適性があるとしみじみ感じた次第である。じゃあ俺の適性は…? 色々考えてしまう。

ともかくその又吉によるエルミタージュ美術館紹介番組というタイムリーな出来事も手伝って、ますます六本木のエルミタージュ展に行きたいと切望したのだった。

ちなみに、森アーツセンターギャラリーの「大エルミタージュ美術館展」の音声ガイドは当の又吉。だから前もってテレビで宣伝していたのかと後になって分かった。別に又吉だからというわけじゃないが、今まで音声ガイドなど使ったことがない俺等も、会場が空いていたこともあって一度音声ガイドをレンタルしてみたわけだが、音声ガイドはかなり使える。

音声ガイド。該当する絵にまつわる背景を非常に分かりやすく説明してくれるため、その作品に対する造詣も愛着が涌きやすい、美術館では毎回のように、取り憑かれたように一箇所から動かない客をよく見かける。そういう時、後ろがつかえてるんだからさっさと動けよ、と邪魔に思うこともあるけれど、音声ガイドを着けていたらそりゃあ動けないよな。ガイドの説明が終わるまで動けない。もっとその絵に対する理解を深めたい、気分に浸りたい。そう思うよな。

本来、美術品はベルトコンベアーに流されるように観るのではなく、一つの絵の前に立ち止まり、納得するまで吟味するものだよな。だけど観賞するのは自分だけじゃないから。美術館ってのは大抵の場合混雑していてそれどころじゃないから。もっと余裕を持ってじっくりと堪能したい。常識外の大金を払って絵を収集する富豪達の気持ちが多少分かる気がする。感動的な名画を好きな時に、好きなだけ観ることが出来るのだから。

差し当たり今回は、この音声ガイドのお陰で従来の美術館観賞に比べ遥かに理解度を深めることができた。エカテリーナ二世が身に着けている王冠はこうだとか、紋章の意味はこうだとか、貴族風の男性が胸に手を当てているのは世間で成功を収めたことへの自尊心の表れだとか、絵画に描かれている人物や風景、身に着ける装飾品、表情に至るまで、その見方を教えてくれる。言われたことを忘れないようにメモまで取ってしまう勤勉ぶりだ。

自分の視覚で、そして音声ガイドの力も借りて聴覚で、それらを重ね合わせた五感を使って絵画は観賞するものなのだと、そうすることで貴重な体験が得られ感受性が磨かれるのだと、今回のエルミタージュ展では痛感した次第。特に、メモを取るという珍しい行為。いかにも興味を持っている、勉強しているという気分になる。

それがいいのかもしれない。美術館のような場所では、スマホという便利ツールも使えない。だがそれを補うため、本来の人間が持つ原始的能力を働かせる貴重な契機だと考えることも出来る。己が肉体の各部位、器官を動かして、必死で脳を働かせるチャンスなのだ。

目の前に佇む感動的な絵画を描いた名匠達、何でこんな絵が描けるんだ?どういう脳構造をしてるんだ?と感嘆を禁じえない、常人を遥かに凌駕した彼等巨匠達もまた、その絵画を描く際、機械など遣わず自らの手だけで完成させたはず。人間の五感を持って絵を描いたはず。

だから観る側も同じように生まれた時から持っていた五感だけを使って観るのが礼儀であり義務であり当たり前。スマホはおろか、カメラも何も必要ない。美術館とは、そういう場所。生物としての人間の極みを形にした場所が美術館。人類の宝なのだ。だから中近世、近代に亘る西洋の巨匠達が描いた絵画は至宝とされ、世の王族・貴族達はそれらの絵を収集し、画家達を保護した。戦争が起きても、美術品だけは焼失させぬよう避難させてきた。後世に残すべきだと感じていた身体。歴史を超える人類の宝だと本能で感じていたからである。

そんな人類の宝を観賞する際、野暮な機械など邪魔なだけ。そうは思わないか?

今回のエルミタージュ展も、多くの客達が静かに魅入り、食い入るように各々の胸に思いを馳せていたに違いない。こういう場所だとスマホを出す輩も基本居ないので、ストレスもない。

ただ、1人だけ、スマホじゃないけどニンテンドーDSかPSPか、絵画が展示されている裏の壁に寄りかかってポータブルゲームをプレイしていた女子が居たな。ひっそりとした暗がりの中、液晶画面から放たれる電子の光がやけに癇に障ったものだ。こんな場所で恥ずかしげもなくプレイするその小娘に対しても。スマホは禁止されてるけどゲームは別に禁止されてないからいいんじゃね?とかそういう問題じゃない。空気読めってことだ。何でもかんでも予め言い置かれてないとダメだとか、書いてないからいいとか、本当にただの屁理屈。何のためにここに入ったんだと。こういう輩は美術館に来なくていい。

と、稀に心の中で憤慨しつつも、六本木ヒルズ森アーツセンターギャラリーにて開催された「大エルミタージュ美術館展」は、大満足。チケット代以上の価値があったというか、今まで通った美術館の中で最も理解が出来、心揺さぶられ、記憶に残る来訪となりそうである。

エルミタージュ美術館があるロシア・サンクトペテルブルクの歴史、最初はロマノフ王朝の歴史紹介から始まり、王朝がいかに西洋絵画の収集に熱心だったかという設立への背景などを理解していく。そしてルーベンスとかクラーナハとか? 西洋美術の巨匠達の素晴らしすぎる絵画はまさに胸を打つもので、時に貴族的な、時に庶民的な、さらにキリストとマリアなど多分に宗教観の投影された時代の絵画など、どれもこれも唸るものばかり。一回では物足りない。もっと展示されている絵について知りたい。

そんな衝動もあり、2500円もする分厚いガイドブックを買ってしまった。初めてのことである。つまり、それほど今回の美術館巡りが楽しかったということ。家に帰ったら、今日の感動を忘れないようじっくり復習したい。

というか、本物のエルミタージュ美術館に行きたくなってきた。嫁も「ロシアに行きたいね」などと口にする始末。今まで海外旅行を画策するにしても、ロシアという選択肢はゼロだったのに、美術館一つでこうも急上昇するとは。それほどエルミタージュ美術館という場所に価値があるということで、ステータスが世界的に高いということに違いない。

実際、エルミタージュ美術館は、フランス・パリのルーブル美術館、アメリカ・ニューヨークのメトロポリタン美術館と並んで世界三大美術館に数えられるほど有名だそうだ。量質ともに最高だと評判も高い。

まあその三大美術館にしても、メトロポリタンではなく、スペイン・マドリードのプラド美術館が三大美術館の一つだとか、三大ではなく五大ならイギリス・ロンドンの大英博物館が入るとか、台湾・台北の故宮博物館は四大美術館の一つだとか、人によって見解がかなり違う模様。しかし三大美術館においてルーブルとエルミタージュだけは完全に固定している感じだ。つまり、万人から見たトップ2というわけ。これは益々行きたくなる。

いつの日かロシア旅行に行けることを夢見て、俺等は六本木ヒルズを後にした。 
 
 
■ミッドタウンの都会的公園風景
続いて東京ミッドタウンへ向かった。六本木ヒルズから歩いて10~15分と大した距離はないが、どこからどこまでが「ミッドタウン」なのか、俺には相変わらず分からない。一応説明では、「ミッドタウン・タワー」という超高層ビルを中心としたビル群の総称、ありうはオフィスやショッピング、ホテルなど多ジャンルの機能が集約された一大複合施設とされている。が、漠然としすぎてやはりピンと来ないな。

とりあえず、六本木駅を出て外苑東通りから上を見上げると、コナミ、そして富士フィルムのデカいロゴがある2つのビルがやたら目立つ。コナミの方がミッドタウン・イーストというビルで、富士フィルムの方がミッドタウン・ウエストと呼ばれているが、この2つのビルを目印にすると良いかもしれない。そのイーストとウエストの間を歩いていくと、正面にシンボルのミッドタウン・タワーがそびえ立っている。右側のイーストにも左側のウエストにもショップがそれなりに入っているが、左側にはウエストの隣にガレリアというビルがあり、このガレリアが多分ショッピングビルとしてのメインなのではなかろうか。各々のビルがごちゃごちゃと入り組んでいて面倒臭いが、フロアを回っていると結構楽しいのでおススメだ。

そのガレリア側の外周からミッドタウン・タワーのあたりまで、ミッドタウン・ガーデンと呼ばれる区画があるが、綺麗に整備された植林や並木道、公園、テラスなど、都会の中のちょっとしたオアシスを演出したエリアとなっている。芝生の一角にはテーブルやベンチもセッティングされ、着飾った客達がそこに座って高層ビルをバックにサンドイッチやシャンパンを嗜む光景は、いかにも都会的な優雅さを醸し出す。植えられた並木もかなり洗練されているし、ここで花見をするのも悪くなさそう。洒落乙な場所と言える。

とりあえず俺等も、空いているテーブルに座り、ちょうど近くに出ていた出店に並んでシャンパンとバケット的なツマミを購入して都会のオアシスを堪能した。大自然の中で飲む酒もいいが、こういった高層ビルの隙間でささやかな自然を堪能しながら飲む酒もたまには悪くない。

それにしてもその出店、長蛇の列の割にはクオリティが低かった。シャンパンが少量なのはいいとして、バケットセットなんて、美味そうかつ器も大きそうな写真と全く違った。現物は器も小さく、野菜の鮮度も萎れていて全く瑞々しさがない。それで1500円とか有りえない価格だ。こんなのコンビニのサラダセットの方が10倍上等だ。出来上がるまで20分くらい待たされたし、ホントふざけた値付けであった。
 
 
■お決まりのプロジェクションマッピング
そんな感じで油を売っている内に日も暮れてきた。ここからが本番だ。ここミッドタウンの自然部分であるミッドタウン・ガーデンの中に、芝生広場という文字通り芝生の広場があるのだが、ここでプロジェクションマッピングイベントを開催中とのことだ。それを観るためにミッドタウンに来たわけである。

イベント名は「江戸富士」。富士山を模した土の山が広場内に造られており、そこにプロジェクションマッピングで装飾するという手筈。ミッドタウン開業10周年記念としてのイベントらしい。プロジェクションマッピングは、都会的デジタルアートで最近のしているクリエイター集団ネイキッドが手がけるとあって、期待は膨らむばかりであった。

個人的にも、10年前といえば俺等が結婚式を挙げた年。式場は赤坂のホテルで、その時ホテルの窓からミッドタウンの夜景を眺めていた。そこからちょうど10年。いわば俺等はミッドタウンと一緒に歩んできたことになり、運命を感じる次第だ。なのでこの「江戸富士」には必ず行きたかったのだが…。

さすがネイキッドの技術力とセンス。「江戸富士」と呼ばれるこの土細工は、昼間の姿はどうみてもただの砂山です。が、夜になりネイキッドのプロジェクションマッピングが加わった瞬間、変哲もなかった砂山は即座にグランドイリュージョン。色彩豊かな光と絵、雅でありながら躍動感とドラマ性に溢れた映像がジェットコースターのように降り注ぎ、観衆も思わず立ち止まり息を呑む。さすがネイキッド。興奮で俺の富士山も爆発寸前だった。

都会のオアシス、ミッドタウン。全てが人工的で擬似的だけど、やはり来て正解だった。
 
 
■飲み屋も充実、六本木
プロジェクションマッピングを見た後は、少し買い物してから六本木で飲み屋を探して打ち上げ。結局、芋洗坂入口付近の「一蔵(いぞう)」という飲み屋に落ち着いたが、そこまで混んでない上にしっかりした個室が用意されているので結構使えそうだ。

個室と一言で言っても、完全防備の個室もあれば、薄っぺらパーテションレベルを個室と称する居酒屋もある。だけど大事なのはゆったりさ、そして防音性。その点で、「一蔵」の個室は、フスマのような薄い壁に見えるのに、そこまで周囲の声が気にならない。部屋同士が廊下を挟んで設置されていたり、中央に広めの枯山水的な空間を設けたりと、うまい具合に空気の振動が拡散するよう作っているのだろう。普通の居酒屋とどこか趣が異なる感じで好感度は高かった。

まあ、客層も比較的上品というか、落ち着いて話す客が多かったという理由もあるが。これが場所柄なのか。六本木の店には、外国人も混じりやんちゃで騒がしいギャハハハな路面店もあれば、ヒルズ周辺レストランのように優雅なひと時を過ごすべく落ち着き払った紳士淑女がウフフウフフする店もある。今回の「一蔵」は、立地は前者だけど性質は後者といったところか。周りの雑音がないと本当に心が安定する。

その中で1箇所だけ、五月蝿い男女グループもあったけど。かなり離れた大部屋で、20人くらいは居たか。スーツを着ていたから社会人だろうが、とにかくデカい声が響く響く。完全に学生サークルのノリだ。中でも特に、姉ちゃんがダミ声でアハハ!ギャハハ!ウヒャヒャ!と、もうずっと笑いっぱなし。その音量が完全に公害レベル。メガホンで拡声してるんじゃないかと思えるくらい下品でやかましい笑い方だ。結構顔は可愛いんだけど、こんな女とは絶対付き合いたくないと思った。

というか、場所を間違えている。TPOを取り違えている集団だと思った。たまに、こういう集団も紛れるのが世の常だが、そんなに騒ぎたいならカラオケ屋かクラブにでも行ってくれ。
 
 
■六本木の一日
飲んでいる内に夜も深まり、そろそろ帰宅の準備をする時間。昼からヒルズの美術館、夕方からはミッドタウンのプロジェクションマッピング、そして夜は活気溢れる六本木交差点付近で飲み。これほど長く六本木に滞在したのは初めてかもしれないが、その分、六本木の魅力を再発掘した気分である。

新宿、渋谷、池袋なんかより、俺は六本木の方がいいな。また来よう、うん…。

早い再訪を誓い、少し空いた小腹を満たすため途中マクドナルドの新メニュー「グラン」シリーズのバーガーを持ち帰り、家でゆっくり余韻に浸る。出発は遅かったが、それを取り返すくらい活動し、何より充実した一日だった。

こんな休日が毎日送れたら、どれだけ幸せだろう。

20160521(土) 上野公園で俺は物々しい警察と、恐竜博2016特別展およびそれ以上の常設展と、懐かしい金子隆也と栗原舞とに出会った

160521(土)-01【0850頃】上野駅構内コインロッカー封鎖、警官巡回(伊勢志摩サミット前警戒態勢)《上野-嫁》_01 160521(土)-01【0850頃】上野駅構内コインロッカー封鎖、警官巡回(伊勢志摩サミット前警戒態勢)《上野-嫁》_02 160521(土)-01【0850頃】上野駅構内コインロッカー封鎖、警官巡回(伊勢志摩サミット前警戒態勢)《上野-嫁》_06 160521(土)-02【0900~1000】上野公園国立科学博物館 特別展「恐竜博2016」スピノサウルス他《上野-嫁》_003  160521(土)-02【0900~1000】上野公園国立科学博物館 特別展「恐竜博2016」スピノサウルス他《上野-嫁》_009 160521(土)-02【0900~1000】上野公園国立科学博物館 特別展「恐竜博2016」スピノサウルス他《上野-嫁》_010 160521(土)-02【0900~1000】上野公園国立科学博物館 特別展「恐竜博2016」スピノサウルス他《上野-嫁》_012 160521(土)-02【0900~1000】上野公園国立科学博物館 特別展「恐竜博2016」スピノサウルス他《上野-嫁》_013 160521(土)-02【0900~1000】上野公園国立科学博物館 特別展「恐竜博2016」スピノサウルス他《上野-嫁》_015 160521(土)-02【0900~1000】上野公園国立科学博物館 特別展「恐竜博2016」スピノサウルス他《上野-嫁》_017 160521(土)-02【0900~1000】上野公園国立科学博物館 特別展「恐竜博2016」スピノサウルス他《上野-嫁》_025 160521(土)-02【0900~1000】上野公園国立科学博物館 特別展「恐竜博2016」スピノサウルス他《上野-嫁》_048 160521(土)-02【0900~1000】上野公園国立科学博物館 特別展「恐竜博2016」スピノサウルス他《上野-嫁》_053 160521(土)-02【0900~1000】上野公園国立科学博物館 特別展「恐竜博2016」スピノサウルス他《上野-嫁》_067 160521(土)-02【0900~1000】上野公園国立科学博物館 特別展「恐竜博2016」スピノサウルス他《上野-嫁》_083 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160521(土)-06【1410~1440】上野公園散策 大道芸(金子隆也、栗原舞 ヨーヨー、一輪車 夫婦 記念写真)《上野-嫁》_104 160521(土)-07【1500~1600】上野アメ横、タバコ屋看板犬じぇしかちゃん、マルイリュック物色、サーティワンアイスクリーム《上野-嫁》_06 160521(土)-07【1500~1600】上野アメ横、タバコ屋看板犬じぇしかちゃん、マルイリュック物色、サーティワンアイスクリーム《上野-嫁》_10 160521(土)-08【1630~2000】西新井温泉(久々岩盤浴超暑い苦しい)《西新井-嫁》_01 160521(土)-09【2010~2120】小料理屋「甲斐路」(帰り際雨、傘貰う)《西新井-嫁》_01 160521(土)-09【2010~2120】小料理屋「甲斐路」(帰り際雨、傘貰う)《西新井-嫁》_05 160521(土)-09【2010~2120】小料理屋「甲斐路」(帰り際雨、傘貰う)《西新井-嫁》_07 160521(土)-09【2010~2120】小料理屋「甲斐路」(帰り際雨、傘貰う)《西新井-嫁》_08 160521(土)-09【2010~2120】小料理屋「甲斐路」(帰り際雨、傘貰う)《西新井-嫁》_09 160521(土)-10【2150~2240】恐竜博2016土産クッキー、菓子 ひつじのショーン録画視聴《家-嫁》_02 160521(土)-10【2150~2240】恐竜博2016土産クッキー、菓子 ひつじのショーン録画視聴《家-嫁》_05

【朝メシ】
無し(家-嫁)

【昼メシ】
弁当 上野公園内(上野-嫁)

【夜メシ】
小料理屋「甲斐路」(西新井-嫁)

【二十四節気 定気法】
第8「小満(しょうまん)」:5/20~6/4 → 第9「芒種(ぼうしゅ)」:6/5~

【イベント】
上野公園国立科学博物館「恐竜博2016」、大道芸人金子隆也&栗原舞、西新井温泉、ひつじのショーン

【所感】
■上野も対テロ陣容
上野公園の国立科学博物館にて開催中の「恐竜博2016」に赴いた。幾度か状況を確認したが、予想以上の混雑で常時入場制限の様相を呈していたので、今回は朝一での訪問を試みる。科学博物館の開場は朝9時から。流石に開場したてならば待たされることもないだろう。出発直前、デジカメのSDカード残容量が殆ど無いことに気付きPCにデータ移動するという時間のロスはあったが、10分前には上野駅に着いていた。

JR上野駅前。上野公園やUENO3153、ヨドバシカメラなどが見えるスクランブル交差点で信号待ちしている僕等の前に、二人の屈強な警官が立っている。昨日の秋葉原と同じく、伊勢志摩サミット絡みの主要都市巡回だろう。物々しい。

確かに秋葉原よりも上野の方が警戒対象としては妥当だ。上野公園や各博物館も国立のものが多く、建築的・美術的な価値も高い。外国人含め多くの観光客で賑わう点からソフトターゲットにされる可能性は皆無ではないだろう。一応警戒に値するエリア。少なくとも警視庁の人員を配置する際、外せないポイントと言える。

そのためか、上野公園に配置された警官は他のエリアに比べて随分と強そう。ガタイがよく、戦闘的なオーラが満ちた屈強な男が、白のワイシャツに紺のベストとズボンでビシッと身を包み、固そうなブーツでしっかり足をガードしている。腰元には警棒と、恐らく拳銃も装備しているに違いない。いかにも戦闘準備OKと言わんばかりの井出達に、思わず「ほお~っ」と溜め息を漏らす。身も心も引き締まっているというか、オーラに満ちているというか。一言で言えば格好いい。スーツは男を普段よりカッコよく見せるが、警察の制服はその比じゃないことが改めて分かった。

そんな屈強な男達が巡回するのだから、悪事を企む人間達への抑止力になるだろう。上野公園周辺という重要エリアだから、警視庁でも強そうな人間が選ばれたのかもしれない。

ちなみに僕等の地元の駅にも一人警官が立っていた。と言っても婦警だが。「こんな場末も警備すんの?」という意外さと、「まあ婦警さんくらいでちょうどいいのかも」という納得と。ウチの地元を狙うヤツもまあ、そうそう居まい。こんな場所で事を起こしても大して意味がない。正直メリットがない。

お巡りさん達の勇ましい姿を目に焼き付けながら、僕等は上野公園入りした。

■国立西洋美術館の行列
JR上野駅公園口から上野公園に入園すると、道筋的に国立科学博物館へと至る前に国立科学博物館を通る。西洋美術館はどちらかというと入場者でごった返すというイメージではなく比較的落ち着いた雰囲気なのだが、今日は開場前から随分と人が並んでいる。何でだ…。

同館では現在、ルネサンス期に活躍したイタリアの画家カラヴァッジョの絵画を展示している。中には世界初公開の絵も展示されているようで、見る人が見れば注目と言えるだろう。しかし、人が押し寄せるほどカラヴァッジョという人のブランド価値は高いのか。絵画の世界は全く無知なので判断出来ないが、何度か訪れた際、西洋博物館を遠目に眺めた感触では、そこまで混雑と縁がなかったように思える。

だとすれば世界遺産効果か。国立西洋美術館が世界遺産登録されるかもしれないというニュースにミーハーな連中が早速押しかけたのか。今目の前で並ぶ者達は、流行り物に節操なく飛び付く輩なのだろうか。本当に居るんだな、こういう連中は。勘違いだったら、すまない…。

先日、近代の三大建築家の一人と言われるル・コルビュジエの建築物群が、世界遺産登録における一次審査的役割を持った諮問機関・イコモスの審査を通ったとのこと。それにより、ル・コルビュジエの建築物が世界遺産として登録される可能性が濃厚になった。そして上野公園の国立西洋美術館もまたコルビュジエが手掛けた建築物だ。

つまり厳密に言えば、西洋美術館単体が評価されたわけではなく、コルビュジエが世界各国に遺した十数の建築物全て一括りで世界遺産の価値ありと判断されたのであって、日本の国立西洋美術館も彼の手掛けた建築物の一つなので、いわば芋づる式に対象となっただけの話。偉業を達成したと狂喜乱舞するほどでもない。

無論、日本は日本で世界遺産登録に向けて努力はしているだろう。しかしコルビュジエというブランドが無ければ単体で登録されることもなかったのは確か。

世界遺産という栄誉と、だけど手放しで喜べる状況じゃない背景事情。それに食い付くミーハーな人達の可能性。しかし野次馬が居てこそ盛り上がる世の中の現実。朝の不自然な行列から、そんな世知辛い世間の図式が見えてくる。

■恐竜博2016の人気ぶり
僕等は当初の目的通り、「恐竜博2016」を見学するため国立科学博物館へ。会場入口ゲートには殆ど人の姿がない。さすが朝一だと空いているな。というかゴールデンウィーク時の70分待ちが異常だったのだ。普通はこんなもんだろ。余裕の表情でゲートをくぐり券売機へと歩を進める。

が、券売機前には既に数十人の人だかりが見られる。朝一から入るヤツも結構多いんだな。ちょっと甘く見ていたよ。早めに来といてよかったととりあえずは安堵しつつ、チケットを購入した僕等は幾分気を引き締めて建物の前まで進んだのだが。

そこには既に100人からの行列が出来ていた。
「マジかよ…」

5分前に到着した僕等より先に、既に100人単位の人間が集結していたのだ。恐竜博そのものの人気。その人気展示を広く一般市民に周知させ来場を促す宣伝力と集客力。国立科学博物館が有する地力の程を味わった。この調子だと日中はもっと酷いことになりそう。ますます朝に来て正解だったということだ。

■恐竜博2016のメイン
朝一にしては混雑する客に混じり、待ちに待った恐竜博を鑑賞していく。恐竜学というものはロマンの塊で多くの人間が興味を持つ分野だけに、研究は広範囲かつ多角的に為されるため、展示を一度観ただけで理解できる代物でもない。

また、大昔の事柄が対象だけに情報が完全に確定することもない。日々新たな新事実が更新されていくのだ。だから恐竜博は、今年に限らずそれこそ毎年か隔年ペースで開催される。終りがない分野だからだ。

それを踏まえた上で恐竜博2016の概要を紐解くなら、恐竜の分岐についての体系的解説と、新登場の肉食恐竜スピノサウルスの展示。この二本柱となるだろう。見栄えの良さや話題性、子供ウケするという点では、ほぼスピノサウルスのオンステージと言っていい。詳細は語らない、というか(知識と理解が追い付かないので)語れないが、恐竜博2016のサイトが開設されているので、そこを見れば凡そのイメージは掴めると思う。

(恐竜博2016)
http://dino2016.jp/

■恐竜類の分岐
まず恐竜の分岐について。恐竜は大きく竜盤類(りゅうばんるい)と鳥盤類(ちょうばんるい)の二種類に大別されるのが前提のようだ。恐竜好きにとっては常識だろうが僕は今回初めて知った。面と向かって言われなければ気にも留めないのが人間というもの。興味のない事項だったらたとえ言われても記憶に残らないケド。

空飛ぶ恐竜として有名なプテラノドンに代表される翼竜や、水中の恐竜として有名なプレシオサウルスなどの首長竜は、学術的には恐竜でなく全く別の種族であることも付け加えておく。恐竜として認定されるには、進化の過程と分岐の道筋こそが重要なのだ。

まさかプテラノドンが恐竜じゃないとはショックだ。大元を辿れば近似の祖先を持つ親戚みたいなものらしいが、とにかく恐竜と言ってはいけない模様。恐竜も翼竜もロマンの塊という点では同じなのに、分類という名の制約があるのは悲しい。

特にプテラノドンの発見写真などは有名。全てガセかコラかヤラセだろうが、それほど人々のロマン心を掻き立てるということだ。ただ、アメリカでプテラノドンを捕獲したなどのこの写真。

http://ameblo.jp/michiru619/entry-11445316677.html

これって数十年前からずっと同じものが使い回されてるんだが。一体何百年同じ茶番で盛り上がるつもりなんだ。人類も意外と進歩がないというか、いい加減飽きた。

まあ、とにかく恐竜は竜盤類(りゅうばんるい)と鳥盤類(ちょうばんるい)に分けられる、ということ。骨盤や恥骨の方向で分類されるらしい。あとはその二つの分類から、それぞれ多岐に分岐していくわけだが、とりあえずティラノサウルスやアロサウルスは竜盤類、トリケラトプスやステゴサウルス等は鳥盤類に属するようだ。

■鳥類に日の目を当てようぜ
さらに鳥盤類は完全に絶滅したが、竜盤類についてはその中で翼を持つに至った種族が発展し、絶滅を免れ現在の鳥類として生存しているとのこと。最古の鳥類として有名な始祖鳥も竜盤類の系譜。さらにその始祖鳥に至るまでにも幾つか鳥っぽい祖先が居たようで、そこから始祖鳥が出てきて更に先の鳥類へと進化・分岐していく…。

そんな系譜も同展では説明されていた。その長年の分岐の課程で羽毛を持つ恐竜も存在したという説も新たに分かっているようで、その羽毛を持つ恐竜が現在の鳥類の進化を証拠付けるものであると。

いずれにせよ、竜盤類と鳥盤類という二つの体系、そして竜盤類から分岐した鳥類の謎。今回の恐竜博2016はその謎に深く迫った展示だったと言っていいだろう。

恐竜と言えば大型で獰猛で迫力のあるフォルムこそが醍醐味。だけど小型の鳥類にスポットを当てることは、恐竜から現在に至るまでの進化の過程で空白となった部分を大いに補完するものであり、今まであまり興味を示さなかった箇所を抽出することによって恐竜に対する人々の視野を広げる契機となるはずである。

■スピノサウルス
もう一つのメイン展示であるスピノサウルスについては、恐竜展らしく等身大の全身骨格を惜し気もなく展示している。「史上最大級の肉食恐竜」と銘打っているだけに、同じく最大級の肉食恐竜の定番ティラノサウルスの標本を近くに配置し、その大きさを比較できるようになっている。そのスピノサウルスの標本は宣伝通り壮観で迫力に満ちていた。

そのスピノサウルスは、ティラノサウルスのように後足がとてつもなく頑強で前足が申し訳程度にくっ付いているという二足歩行型体形ではなく、前足も後足も均等な大きさの四足歩行タイプのようだ。どちらかというとステゴザウルス系か。それなのに肉食獣であり、全長15メートルというティラノサウルス以上の大きさを誇る。

これは大いなる矛盾とのこと。なぜなら、ティラノサウルス以上の大きさの身体を、その頼りない四本足で支えながら激しく動き回るのは不可能だと科学者は分析しているからだ。なのでスピノサウルスは、陸上ではなく主に水中に棲息する恐竜ではなかったのかという予測が立てられた。

例えば、スピノサウルスの頭蓋骨の化石には、小さな穴が多数空いている。これは水中でレーダーの役割を果たすもので、ワニなどにも同じ穴が見られるらしい。それらの検証から、スピノサウルスは水中を主戦場とする無敵の肉食恐竜だったとする説が、今回の展示にて力説されていた、全長15メートルの巨体がその長く凶暴な首をもたげながらこっちにユラユラと泳いでくる…。さぞ切望的な光景だろうな。猛獣達が荒れ狂うアフリカの平原よりも、サメが群がる海辺よりも、恐竜界で生き延びられる気がしない。

■世界情勢と無縁ではない考古学
そんなスピノサウルスの展示はかなり満足できるものだったが、なぜ今頃になって登場したのか。そもそもスピノサウスルは、100年ほど前にドイツの学者が発見しており、再現するに十分な化石も出揃っていた。しかし第二次世界大戦後期、連合軍のミュンヘン爆撃によって殆ど焼失したため、最近になってようやく別のスピノサウルスの化石が発見されるまで長い空白期間を余儀なくされたようだ。

現代はイスラム国がシリアの歴史的遺産を破壊し、少し前にはタリバン、アルカイダ等のテロ集団のよってアフガニスタンの価値ある歴史物が喪失の危機に瀕したことは記憶に新しい。戦争は二度と手に入れることができない歴史的価値をも無に帰す行為だ。と、特に欧米の先進国は蛮行を嘆く。しかしながら、彼等も世界大戦の連合国としてバッチリ価値ある歴史物を破壊しちゃってるわけで…。誰もが被害者であり加害者。それも歴史の常である。

それにしても、他国に先駆けてスピノサウルスの化石を発見していたとは、相変わらずドイツは凄いね。ジェット機の実用化、ロケットエンジンの基礎作り、宇宙開発、テレビや電話などもアメリカやイギリス、フランスなどよりドイツこそが先んじていた。戦争に負けたがゆえに技術を接収されてしまったが、ドイツの科学力は世界一の命台詞だけでなく、恐竜界でも先端を行っていたというのか。恐るべきドイツの実力。今現在、その経済力でEU各国を実質的に主導しているメルケル率いるドイツ。過去の栄光に浸る権威主義国家と怠け者とが横行する不甲斐ないヨーロッパに業を煮やしていそうなドイツの今後が楽しみで仕方ない。

■人気展示の性
というわけで、「恐竜博2016」はなかなか見所ある展示だった。しかし展示のスケールはそれほど大きなものでなく、むしろ細かい部分にスポットを当てた側面もあるだろう。注意深く説明パネルを読みながら理解を深めていかないと主催側の意図や熱意は伝わるまい。

反面、ゆっくり眺められるほどの余裕はない。いつでも混雑しているので一所に滞留できない。後から後から人が詰め寄ってくる。別に今回の恐竜博に限らないが、この手の展示は時間を掛けて吟味してこそ意味があるのに、物理的にそれができないという二律背反の下にある。

だから多くの見学者達が主催者側の伝えたいことの半分も理解できずに終わるし、時が経てばさらに忘却が進んで全体の95%が記憶にすら残っていないという状況に陥るのだろう。結果、記憶の拠り所は「○○展に行ったことがある」という過去の実績と、その時カメラに収めた写真のみ。「つまらなかった」と評する者も、結局は「理解しながら見る」ことができなかったゆえだろう。あるいは元々興味がなかったといことになる。

全くもって悩ましい限りだ。

■常設展示の楽しさ
特別展を観終った僕等は、せっかくだからと休憩を挟んだ後、昨年改装されたらしい「常設展」も見物する。この常設展が意外と楽しかった。むしろ特別展より圧倒的に見所があったのではなかろうか。

この常設展、「地球館」と「日本館」に分かれている。地球館は宇宙創生から現代までの生物や科学の歴史を辿る形で各種生物の標本などが展示されている。日本館は日本の歴史を辿る形での展示。3階~地下3階までの計6フロアを使った壮大な展示である。

というかあまりに広すぎたため、今回は地球館の3分の2くらいまでしか見学できなかった。それほどの展示数と規模だ。一日掛けてでも観る価値が十分にあると断言したい。
本当にこの常設展は興味深いものが多かった。

微生物から昆虫から哺乳動物に至るまでの標本を展示したフロアなどは、まるでオシャレなショールームのよう。チョウチョやカブトムシなど昆虫の標本の定番と言える展示でもそれぞれ50~100種類くらい標本されているし、ハエなんかも全世界のハエが50種類は下らない数で展示されている。普段、家をブンブン飛び回りその都度叩き潰しているハエごときでも、この力の入れ様である。

むしろ何という熱意と根気かと頭が下がる思いだ。このハエを収集した人間に会ってみたいくらい。そのくらいの感銘は十分に受ける気合の入った展示が多数。『国立』の名は伊達じゃないと来場者は知るだろう。

恐竜の標本も普通にある。ティラノサウルス、トリケラトプス、ブロントサウルス、ステゴサウルス、全庁メートルくらいあるんじゃね?というくらい超ビッグなカメの骨格標本とか、むしろ特別展よりも胸熱だ。こっちの恐竜フロアの方が面白いかもしれないよ。

他にもネアンデルタール人やクロマニョン人他、太古からのヒト科の頭蓋骨がズラリと並んでいたり、スカルマニアにはたまらない。そこには他の大陸と繋がらないまま独自の進化を遂げたインドネシアのフローレス島に住んでいた小人サイズの原人の標本など、多少キモいけど大変興味深い人類の進化過程なども勉強できる。ホント、勉強になる。

そういや、そのフローレス島の小人原人の肉付き再現した標本を見てた家族連れの子供が、「こいつ何!キモッ!」とデカい声で叫んでいたのが印象に残ったな。子供はいつの時代も正直というか…。

さらにその子供、標本の局部を見ながら、「チンコ付いてねーうじゃん! 何これ、男なの? 女なの?」と親にデカい声で聞いていたり。子供ってダイレクトというか、恥じらいがないな…。

で、親が「…女じゃない?」と答えたのを受け、その子供は最後に「キモッ!!」と万感の想いを込めた捨て台詞を残した後、何事もなくその場を去っていったのだが…。その子供をふと見てみると、何と女の子であった…。下品な言葉は男の子の専売特許と思っていたが、現代っ子は女子も負けないくらい正直かつ卑猥でございますな…。

地下3階は、湯川英樹博士など過去の偉人の他、最近ノーベル賞を受賞した方々の顔写真や略歴パネルなどが貼ってある正真正銘の科学フロア。その人達が学会で発表した際の計算式などが書かれたパネルなども展示されており、どう見ても凡人では到達できない異次元の天才が書いた内容だと素人目にも分かる。天才とか偉人というのはこういう人種を指すのだな、と。この方々の展示物を見ていれば、STAP細胞で世間を騒がせた小保方晴子のような人間がいかに俗物で偽物で取るに足らない凡人なのかがよく分かる。それに踊らされる世間もまた。小保方なんてのは何のことはない、ただのゴミ。語る価値もないのだと、この科学フロアを見物していればすぐに察するだろう。

このフロアに展示されている宇宙理論やら天体理論やらその他化学の結晶とも言える展示の数々は、ハッキリ言って全く理解できなかった。それくらい世界が違うということだ。ゴミに影響されている場合じゃないという刺激には確実になる。

はともあれ、国立科学博物館は、常設展もその名に恥じぬスケールと内容。非常に楽しい時間だった。この場所はもっと評価されていいと思うよ?

■園内ピクニック
結局時間が押したのと、腹が減ってきた事もあり、僕等は国立科学博物館の半分も観れぬまま退場。今一度、時間を掛けて回りたいと思うが、今はそれより昼飯だ。せっかく上野公園に来たということで、そこらの木の下にレジャーシートを敷いて、朝作ってきた弁当を広げるのであった。

広い敷地。花見の時のようにさほど混雑していない、ゆとりある場所。そこに広々とスペースを取って座り込み、程よい喧騒とキレイな自然に囲まれながら弁当を摘む。並のピクニックよりも上等な気分になれる。上野公園での野外弁当は意外にお勧めである。

周囲には地元人や外国人、また修学旅行生など初々しいツアー集団なども見られ、多種多様だ。そんな多彩な人間模様を眺めるのも人が集まる大公園ならではの魅力である。

■一人喋りのおっさん
ただ、僕等が座った場所の近くに元々陣取っていた一人のおっさんの挙動が相当気になった。彼は2リットルのペットボトルに入れたお茶をグイグイ飲みながら最初静かに佇んでいたのだが、僕等が座ってしばらくすると、携帯電話を取り出し電話口の相手と大声で会話をし始めたのだ。

これは一人者のおっさんによく見られる傾向。自分が孤独だと思われたくない一心からか、なぜか人が居る場所を選んでわざわざ携帯電話で長話をする。しかも周りに聴こえるような大声で。

話す内容も、大金が掛かった投資話とか、著名人に会った話とか、大掛かりなビジネスを手掛けている最中だとか、遠くから部下に指示を出して遠隔操作する仕事のデキる人間であることをアピールする電話とか、何かとデカい話が多い。自分を大きく見せるためのアピールだと僕は分析している。

一言で言えば、虚勢を張るための一人電話なわけだが、基本的に周囲の人間は聴いてないというか、逆にやかましいと思っている人間が大半のはずなので、一人電話の癖があるおっさんは控えた方がいいだろう。

今回のおっさんも、恐らくその気があったと思われる。一人だからこそ寂しがり屋で、赤の他人でも何とか自分の存在を知らしめて奥底にある承認欲求を満たそうとする。なぜなら、おっさんの話している話題があまりに矢継ぎ早に変わって行くからだ。まるで関連性がない。かつ突飛。そうだな、僕の覚えている限りでは…、

おっさんはまず、自分の管理する組織の代表として政府関係の催しに出かけた。その際、HISのお偉いさんと話した。さらにHISの30代後半のベテラン美人添乗員さんと仲良くなり、彼女が世界を旅する自分に色々と助言を求めてきたので優しく指導してあげた。インドに行った時はどうとか。スリランカ産のアレが印象に残ったとか。ノルウェーがどうだったとか。世界を股にかける壮大な世界情勢を説いていたかと思えば、東電の利権の話をしたり、再生エネルギーがどうとか語ったり、弁護士問題に踏み込んだかと思ったら、伊勢志摩サミットがうんたらかんたら、安倍総理はこうだなどと時事問題にも話題が移る。とにかく自分の持てる知識を総動員して電話口の相手に喋っていた。

でもその相手は恐らく存在しない。だってそのおっさん、間髪入れずずっと自分だけが喋りっぱなしだったからな。自分が喋り、次に相手の話なりリアクションを受けてからまた自分のターンに戻る、という対話に必要な間の掛け合いが一切そこには存在しなかったから。たまに「うん、うん」とか「なるほど」とか相槌らしき言葉は入れているが、それもほんの数秒。どう見ても相手が話す内容に打ってる相槌じゃない。ただ他人と喋っているように見せ掛けるための苦しい自作自演なのだと僕には痛いほど分かっていた。

だって、僕もそれやったことあるからね。待ち合わせの友人を待っている間、あまりにも時間が空きすぎて、まるで自分が誰にも相手をされない孤独な人間であるような気がして惨めだったわけだ。その時、ついスマホを取り出し、それを耳に掲げ、居もしない相手に向かって1分ほど一人喋りしたことが、かつてあったよ。内容なんて覚えてない。とにかく「なるほど」「確かに」「だけど僕は思うんだけど」などと、誰が見ても会話として成立してない会話をしていた。

本来存在しない相手を想定して喋ることの難しさ。一個の自我を持つ他人をその先に置き、自分のシミュレーション能力のみでその相手に自然な会話をさせ、それに自分が自然に受け答えし、さらに相手に不自然なく返す。それがどれだけ難しいか、やってみれば理解できる。それが誰の目にも不自然なく対話しているように見えたとしたら、もうそれは人に誇れる特殊能力である。

結局その一人喋りのおっさんは、僕等があまりにも興味を示さないからか、30分ほどしたら唐突に静かになって電話を閉じる。そして何を思ったか、僕等の方向へゆらゆらと歩いてきた。「オイオイ何でこっち来るんだよ」と内心ハラハラしたものだ。

まあおっさんは僕等を素通りしたが、ホッとしたのも束の間。僕等がレジャーシートを敷いている近くの大木の裏に立ち止まり、そこで15分間ほど静止した状態で煙草を吸ったり、仁王立ちしたり、何とも威圧感のある挙動を始める。まさか、その木の裏から飛び出てきて「何を食ってるのかね?」などと親しげに歩み寄ってくるんじゃあるまいな。その微妙な距離と間が恐ろしかった。

が、僕等が無視を決め込んでいると、おっさんはようやく諦めたのか、スタスタと歩道へと去っていく。一体、何だったのだろうか。やはり、寂しかったのだろうか。気持ちは分かるのだが、話し掛けたら話掛けたで、待ってましたとばかりに超絶な絡みを見せてきそうだし。僕一人ならまだしも、嫁が一緒に居るこの場では、少なくとも相手にしてはいけないお方だと思った。

孤独なあのおっさんは、これからどこに行くのだろう。今後、誰と会話するのだろう。善悪という判断基準だけでは計れない、世の中の世知辛さと切なさに溢れていた。

■大道芸
奇妙な昼飯を終えた後、僕等は上野公園を離れ西新井温泉にでも行こうと画策するが、途中で多くの大道芸人を見た。さすが休日の上野公園、大道芸のメッカ。まあ見慣れた光景なのでさっさと退散するか…。

そう思って歩いていると、一際見物客を集める大道芸人にふと目が留まる。一輪車に乗ってヨーヨーを使う女の子と、同じくヨーヨー芸をする金髪の兄ちゃん。間違いない、ヨーヨーパフォーマー金子隆也と、一輪車パフォーマーの栗原舞である。この二人、2年前のマラソン大会の後、たまたま台場の潮風公園で見学したことがある。

その二人が今この上野公園で同じくヨーヨーパフォーマンスを行っている。同じ芸人を見た偶然というより、懐かしさが先に立つ。二年前と同じく、しっかり大道芸してるんだなと。変わらず頑張っているんだなと。元々この二人のパフォーマンスはレベルが高いこともあり、結局立ち止まって最後まで見物してしまった。

芸の流れは大体同じ。栗原舞が一輪車パフォーマンスを見せ、金子がヨーヨーの卓越した技術を披露する。途中、バービー人形に芸をやらせてみたり、二人で共同パフォーマンスをしてみたり。どちらも華があり、技術も上質なので客が集まるのも当然だ。個人的には金子隆也の喋りも好きである。

とにかく懐かしかった。そして嬉しかった。まだ二人がやっていることに。また二人に偶然会えた事に。だから芸が終わった後、つい話し掛ける。2年前にも見た旨を伝え、記念写真まで一緒に撮ってもらった。僕等にとっては大変良い思い出になるだろう。しかも二人は結婚しているとか。道理で二人一緒に居ることが多いわけだ。

そんな新事実と、四人で撮った記念写真を胸に、僕等は晴れやかな気持ちで上野公園を後にする。金子隆也そして栗原舞の今後のさらなる向上と活躍とを祈りながら…。

(金子隆也オフィシャルサイト)
http://www.yoyo-performer.com/

(栗原舞オフィシャルサイト)
http://www.kuriharamai.com/

■西新井温泉
上野公園で存分にエネルギーを使った僕等は、遅めの西新井温泉へと直行し疲れを汗と共に洗い落とす。久々の岩盤浴は途中退席したくなるほど熱く息苦しかったが、サウナも露天風呂も室内風呂も、疲れた身体に染み入った。

この局面で敢えて温泉に繰り出すか、そのまま帰宅するかで今後の肉体回復度合いは大きく違っていたに違いない。疲れてでも行きたい温泉、這ってでも行っておくべき西新井温泉。今後も頼りにしている。

■飲み屋「甲斐路」で一日の締め
温泉後は、西新井の小料理居酒屋「甲斐路」で締め。渇いた喉に生ビールが染み込む。センスのある料理が舌を満足させる。下町だがそのクオリティとアットホームさは折り紙付きの「甲斐路」もまた、今後も変わらずお世話になる場所だろう。

■帰宅後はグッスリと
帰宅後、恐竜博で買った土産のクッキーをテーブルに置きながら、朝見れなかった「ひつじのショーン」の録画を視聴する。そして程なくして眠りに落ちた。随分と動き回ったし、明日は朝からマラソン大会だし、休息はどれだけ取っても十分ということはあるまい。

恐竜博に行くと思い付きのように決めた上野公園での一日は、予想以上に実のある、充実した一日であった。


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20160503(火祝) ゴールデンウィークの上野公園混雑振りと、魚4匹捌くため包丁を大振り

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【朝メシ】
おにぎらず、おにぎり、ミートボール(玉子入り)、唐揚げ ベルモント公園ピクニック(梅島-嫁)
 
【昼メシ】
喫茶店「六曜館」ドライカレー(御徒町-嫁)
 
【夜メシ】
サバ(締めサバ不可能→煮付け)、スズキ刺身、ほうぼう刺身、鯛刺身、鯛アラ汁 ベルモント公園オニギリ残り、プリングルズ、ビール、モンブラン(家-嫁)

【二十四節気 定気法】
第6「穀雨(こくう」:4/20~5/4 →第7「立夏(りっか)」5/5~
 
【イベント】
ベルモント公園ピクニック、上野公園(動物園行列、恐竜博70分待ち断念)、芸大美術館(アフガニスタン特別展示)、上野の森親子フェスタ、ブックフェスティバル、東叡山寛永寺不忍池弁天堂、他、
  
  
【所感】
■GW後半の予定
平日出勤を1日挟んでGW後半に突入。同時にカレンダー上の定義では今日は「憲法記念日」だ。そこから5月4日「みどりの日」、5日「こどもの日」と続く3連続鉄板祝日を俗に「GW後半」と称す。

とりあえずGW前半3日間は新潟の実家で温泉に入り、酒を飲み、ゆっくりと骨休めをした。よって後半はアクティブに動こうという気概に満ちる。

ただ、長距離遠征は計画していない。長期休暇は旅行や遠出に充て見聞を広めるのが慣わしだが、新潟実家に帰省したことにより、距離的欲求は満たしてしまった。実家が遠いと、ただの帰省でも旅行気分に捉われるものだから。

個人的にも旅行への意欲が現在相当薄れている。昨年冬にて47都道府県全てを周り終えたという一種の達成感を得てしまった。2週目に突入しようという気概になるまでしばらく時間が掛かりそうだ。

加えて熊本の大地震。今年前半のどこかで長崎か大分か熊本あたり、とりあえず大好物である九州エリアにもう一度出向くのも有りだと内心計画を立てていた矢先の災害だっただけに、出鼻を挫かれたというより意気消沈してしまった。今は動けないし、動くべきでもない局面。復興が軌道に乗ってから改めて出直すのがベターだと自己で判断を下すに至る。

そのような事情も手伝って、GW後半は宿泊および長距離遠征は控える方向で動く。かと言って家に篭るのもまた違う。長期の休日でしか出来ないことをするべきで、創作活動にでも没頭しない限りは一も二もなく外出がベターだ。成長というものは、自分一人で内なる小宇宙を深淵まで突き詰めるか、外で自分以外の事象を見聞きすることによる視野の拡大か、そのどちらかでしか得られないから。

とりわけGWという時期は、行楽が頭にちらつき集中力が停滞気味になりがちになるため、あまり考えず楽しめる外出の方が向いている。よって僕等は家を飛び出し外の世界に羽ばたかねばならないのである。

そんな様々な懸案事項を加味するなら、近場への外出が良いだろう。県をまたがない程度の距離で、かつ休日っぽく、さらにイベント性を帯びていれば言うことはない。

というわけで、GW後半初日は近場でかつ観光資源も豊かな上野公園を軸に行楽することに決定した。
 
 
■早朝ベルモント公園ピクニック
だがその前に、地元の公園でも少しのんびりしたい。上野公園はGWおよび「こどもの日」が重なることによる混雑が予想されるため、きっと人ゴミによるストレスを受ける。

その点、地元のベルモント公園であれば人はまばら。客達も必死で観光などせず、レジャーシートを敷いて弁当を食べたり散歩したり、子供とバドミントンで遊ぶ程度の緩やかさ。これぞ公園の姿と言うべき光景だ。

それでいてベルモント公園は芸術性の高い芝生エリアや見事な花々を栽培している意外と有能な公園。この場所でまず心身共にリラックスし、激戦区・上野公園へ出掛けるのがちょうど良いバランスだろう。

というわけで、僕等はまだ人があまり居ないであろう朝7時半頃には出発する。僕は連日の早朝スイミングによって既に朝5時起きが習慣化しているため朝が苦ではなくなった。嫁も弁当を作るために同じ時間帯に起床。朝一、いや早朝から行動を起こすことの何と力の漲ることか。「早起きは三文の徳」という格言はつくづく正しいと思う。

早朝のベルモント公園は、予想より人は多かったものの、期待通り平穏な空気が漂う。人が居ると言っても、公園の周りを散歩しているおばちゃんとか爺ちゃんとか、その類だ。僕等が最も見晴らしの良い木陰にレジャーシートを敷いて亀二と一緒に弁当をつまもうと、奇異の目で見られることもさほど無い。

本来公園とは、互いが干渉せず、各々が自分の世界で自分の時間を過ごす場所。その要素をベルモント公園は十二分に備えている。

加えて園内の花壇では四季折々の花々が育てられ、小規模ながらフラワーパークの様相を呈している。花は季節毎にこまめに変化するので見ている方も飽きない。その多彩な花々を育てる管理者は相当気を遣っていると分かるし、何より花に対する、自然に対する愛を感じる。

特にバラは秀逸だ。真紅の力強い花弁を咲かせる優良種アンクルウォルターを始め、ベルモント公園には数々のバラが栽培される、足立区でも指折りのバラの園だ。今はまだ咲き始めだが、それでも公園内で強烈な存在感を放つのが一目で分かる。

足立区の僻地に堂々と君臨する優秀な公園。それが足立区梅島が誇る観光資源、ベルモント公園にて、僕は嫁や亀二と共に文字通り穏やかで清涼な朝を過ごしたのだった。
 
 
■上野公園出発準備
午後からは場面変わって上野公園。喧騒必至の空気に押されぬよう、荒々しい雰囲気に負けぬよう気持ちを戦闘モードに切り替える。亀吾も買ってもらったばかりの鷹のネックレスを勇ましく装備。準備を万全に整えた僕等は、一路上野公園へと向かった。
 
 
■駅周辺から既に大混雑
上野駅に降り立った僕等だが、駅を出た瞬間、激しい人ごみに出くわす。駅、アメ横入口、UENO3153を結ぶスクランブル交差点一帯からして異常な過密状態だ。東京東武の一大繁華街・上野とて、こんな混雑は滅多にお目に掛かれない。GWという特別性と威力を思い知った気分だ。
 
 
■これぞ異常集客
しかし、本丸である上野公園の混沌ぶりは輪を掛けて酷い。ここまで無秩序かつ膨大な群集が大挙する光景を目の当たりにしたのは初めてかもしれない。
 
 
■上野動物園の実力を見た
まず、上野公園の代表的設備である上野動物園。全国圧倒的一位のパンダ保有数を誇る真の実力者・和歌山アドベンチャーワールドの宣伝の不味さを衝いて、さり気なく「パンダが見れる動物園」の代名詞としての地位を確立した上野動物園は、平日はそうでもないとは言え連日安定した客数を誇る全国有数の動物園である。

東京都が経営しているため、入場料も大人600円と破格の安さ。民間には出来ない手法で動物園業界のトップクラスに君臨し続けている。

その上野動物園を求めて殺到する客が、今日はかつて見たこと無いレベルだったということだ。券売所から続く行列は所定の場所だけでは収容できず、ヘビのようにウネウネと続き入口が遙か遠くに感じるほど。僕は今日ほど混んでいる上野公園を今まで見た事がない。

明後日のこどもの日を含むGW後半3日間。その主役は子供だろう。よって公園側も子供を想定したイベントで迎え撃つのが定石であり、動物園はその最たる存在と言えよう。つまり放っておいても大人気御礼なわけだが、それでも今日の行列は凄まじかった。

こんな日には絶対に動物園には行きたくないと思う。園内の主役であるパンダを見るだけで一体何時間掛かるのやら。我先にと群がる連中も、わざわざ最も混み合う今の時期に合わせずとも、平日とか通常の土日に来ればいいのに。パンダだって間近で見物できるのに。

いや、それが不可能だから今日を選んだ、選ぶしかなかった。そんな客も意外と多いのかもしれないな。他に休みが取れないとか、地方から出てきたとか、上野動物園を一期一会の重要イベントに据えている客達が。

それに、GWという子供向けのイベントが盛り沢山の時期に連れて来てこそ子供達も喜ぶし、思い出にも残るんじゃないだろうかという親心。分からなくはない。大人として、親として、外せないイベントであり遂行せねばならない義務なのだ、と。

それでも敢えて言おう。日をずらした方が良いと。いくら特別イベントが組まれ盛況だからとて、目的物を見れなければ終わりだ。人が多すぎると、見物中はもちろんのこと、メシ時ですらストレスを感じ続ける。

GWだから特別な感情が芽生えるのだ、GWに行くからこそ盛り上がるのだ、という側面は否定しないが、展示されている動物はGWであろうと平日であろうと常に一定。本質は何も変わらないのだ。それならば、「GWに行って盛り上がる世間の仲間入りをする」という見栄ではなく、「快適に悠々と見物する」という実利を取るのが恐らくは最も賢い選択。知恵ある大人というものだ。

子供の要望やメディアの煽りや世間の風潮に惑わされることなく、最もバランスの取れた選択をすることこそ、成熟した大人の本領発揮であり、親としての真の愛情の示し方。本質は常に一つであり、ブレもしない。知性溢れる大人ならば惑わされてはいけない。愛に溢れる親ならば本質への最短距離を見出し、子供達を導くべきだろう。

それに、わざわざ混雑する日を選ばずとも、小学生以下はいつだって入場無料なのだから。実際に入園料が発生するのは中学生からで、料金もたったの200円。その中学生にしても、都内在住あるいは在学であれば無料という気前の良さ。さらに65歳以上も300円という格安料金。

結局、一般料金600円を支払う層は、高校生と大学生のいわゆる「学生」、そして64歳までの成人男性および女性と至って限定的になる。

しかも、子供と言っても動物園に通いたがるのは中学生が最後ではなかろうか。高校生にもなれば、好んで動物園を選ぶ学生も減ってくると予想する。

そこから大学に進学して視野や思考が柔軟になれば、羞恥心も薄れ再び動物園という選択肢は浮上するだろう。デートなどにも活用できる。

そういう意味で、最も需要が高い幼稚園児や小学生は元々タダ。中学生は都内であれば無料だし、そうでなくとも200円というペットボトルジュースレベルの低料金。高校生は一般料金だけどあまり行かない。老人はタダみたいなもの。ますますチケット代を支払う客層が絞られる。

以上の図式を総括すれば、乳幼児、幼稚園児、小学生の子供を持つ親と、大学生以上の成人男女の夫婦やカップル、友人同士、あるいはソロの大人。以上の狭い範囲の人間達が、上野動物園のチケット代収入の大半を献上している事実が浮かび上がるのだった。

そんなので経営が立ち行くわけがない。だが現実は難なく回っている。不足分は都民の税金で賄われているからである。国立という名の強みを活かし、今後も上野動物園は民間動物園が経営難に喘ぐ中、日本でトップランクの集客力を悠々と維持していくだろう。その財政の一部を賄う都民としては、しつこいくらいに利用するのが賢い手とも言えた。

あと、最近知ったのだが、ただでさえ格安な上野動物園の入場料が無料になる日も存在するという。一つ目は動物園の開園日である3月20日。二つ目が5月4日の「みどりの日」。そして三つ目が10月1日「都民の日」だ。この3つの記念日は老若男女問わず入園料が無料という大盤振る舞いらしいが、どう考えても客が殺到するよな。

特に5月4日なんてまさしくGWの真っ只中。無料にせずとも大混雑が容易に予想できる。実際、GW中の5月3日である今日でこの異常な並びなのだ。しかも明日は5月4日、みどりの日、すなわち無料開園日ではないか。今日ですら収拾不可能な状態なのに、明日はさらにタダで入れますなんて、一体どうなってしまうんだ?

無料開園日。設定するのはいいが、GW期間は避けても別に支障ないというか、避けた方がいい気がする…。

 
 
■恐竜博もまたフィーバー
次に、僕等の本来の目的だった「恐竜博2016」を開催している国立科学博物館は70分待ちの行列。係員の誘導の下、遙か向こうにまで行列は伸びている。当然、入場制限も掛かけられちた。

「おいおい、よせよ」
開口一番それであり、方針もその時点で決まった。こんな現実を見せられて並ぶ気など起きるはずもない。「他の展示にしよっか」「然り然り」と、僕等は10秒程度で撤退の決断を下すに至った。暑い中はるばる出向いたけれど、そこまでして見学するつもりもない。それに恐竜博は6月までやっているのだから。

それにしてもこの行列は酷い。こどもの日が絡むGWだからこそ、恐竜博のような男のロマンや子供心をくすぐる催しは格好の餌だし、ゆえに最も人が集中すると誰でも予想できる。混雑が約束されている。しかし、まさかこれほどとは…。上野公園というブランドの強さを改めて知った次第である。

同展示の盛んなPR効果も大行列御礼現象に一役買ったのは間違いない。思い返してみれば、駅構内や電車の中など、ありとあらゆる場所で恐竜博は宣伝されていたし、テレビなどでも特集が組まれ集客を煽っていた。しかし、いくら煽ったところで混雑のためあぶれる客が出てしまうのなら宣伝も無意味、いやむしろ害悪ではなかろうか。特にテレビ特集は余計。

例えば、行列が出来るラーメン屋を大々的に宣伝すること。常時30分待ちだったのが、その宣伝によって2時間待ちなんてことになったら、食いたい客としては絶望的だ。ただ単に店の自己顕示欲と紹介した人間の「通ぶり」を誇示するだけのデモンストレーションに成り下がる。どうせ混み過ぎて食えないのだったら知らせない方がまだいい。叶わぬ夢を見させられる客が増殖するのは哀れだと思わないか。

元々人が集中する場所をさらに煽り立てた結果、更なる混乱が生じて入れないまま終わる客が続出する。幻の場所、幻の店としてブランド価値だけが高まり、実情が分からなくなってくる。よくあるパターンだ。キャパシティが決まっているのに、そのキャパ以上の客を呼び込むのはある意味、無責任と言わざるを得まいよ。

そんなことを考えながら、僕等は度を越した盛況を見せる恐竜博を後にする。同時に考える。美術館にしても博物館にしても、こういった展示会は、時間を掛けてゆっくりと、じっくりと観賞してこそ本領を発揮するし、客にもその価値が分かるというもの。しかし、実際にそういった観賞の仕方をしている客がどれだけ居るのだろう、と。

今回のような入場制限が掛かった状態では、まともに立ち止まるすら出来まい。係員の誘導により、あるいは後ろの客のプレッシャーに押される形で、流れ作業のようにただ先に進めさせられる。結果、説明パネルにじっくり目を通して理解を深める時間もなく、目ぼしい展示の写真だけ撮って、後に「その展示に行った」という既成事実をとりあえず作っただけで終わってしまうのが関の山だ。運営側が取るのは押し込み型の手法であり、客もとりあえずの収集欲を満足させることが先に立ってしまう。

考えてみれば、人気があるとされる展示施設の多くがこの「押し込み型」だ。美術館等だけではない、水族館や動物園も多くがそうだった。自分の時間をしっかり確保し納得いくまで滞留することが出来ない。深めることが難しい。経営を支えるための根本である集客数と、客の一人一人が納得しうる十分な余裕を与える誘導とは、両立しえないものかもしれないな。
 
 
■その他施設全てがキャパオーバー
恐竜博は諦めたものの、せっかく来たのだし何かしらの展示は見ておきたい。そう思い公園内を歩き回るが、同じことを考える人間も多いのだろう。普段それほど混雑していない国立西洋博物館も通常からは考えられない行列。さらに先日「黄金のアフガニスタン」を見物した東京国立博物館までもがチケット販売窓口前に作りすぎた団子のごとく密集していた。これは、無理だ。

皆、「上野公園の展示を見てきた」という確かな証が欲しいのだろう。どの美術館でも博物館でもいいから、とにかく振り上げた拳の下ろし先を見つけないことには収まりが付かないという気分か。GWという年中でもトップレベルの集客が見込める時期、普段影に隠れた脇役達すら借り出され、ここ上野公園はまさしく人間達の坩堝だった。
 
 
■上野の森 親子フェスタ2016
通常の建物ではなく、GW中の上野公園は野外の盛況ぶりも凄まじい。喧騒をよそに、まるで花見のように木々の下で寛ぐ者、宴会する連中。噴水の縁には、まるで苔が生えたかのごとくビッシリと人が群がっている。大道芸人達もこの時が絶好の機会とばかりに道行く人々を盛り上げる。

上野公園は博物館だけではない。外の景色も同等の魅力を有しているのだと。人は常時多いがその分敷地も広大なので、意外と落ち着いて散策できるのが上野公園の良いところでもある。

その中で、一際人間が群がる一画を見つけた。数十のテントが張られ、本を売っている。見たところ子供向けの絵本が殆どだが、日本中の殆どの絵本を集めたんじゃないかと思えるほど多彩なラインナップだったな。テントには有名無名の多くの出版社が名を連ねていた。

しかもその中には「ちびくろサンボ」とか、見方によってはかなり危険ゾーンな絵本も当たり前のように積んであったし、これは相当大々的かつ自由な本の祭典に違いないと思ったものだ。

このイベントは、「上野の森 親子フェスタ2016」あるいは「子どもブックフェスティバル」と呼ぶ模様。なるほど言われてみれば、確かにテント内には子供が沢山。絵本販売だけでなく、読み聞かせイベントなど参加型の催しもやっているようで、恐らく本が好きなのであろう家族連れで会場内はごった返していた。

大人である僕等の出る幕は特にないが、陳列された絵本や童話を眺めるだけで新鮮な気分になれたし、何より笑顔で本を手に取ってレジに並ぶ子供達を見ると嬉しくなる。活字離れが懸念される日本において、絵本や童話といえど、紙媒体の本という古風な文化に触れるためにわざわざ集まる子供とその親。本が好きに違いない。少なくとも嫌いな人間は来ないはずだから。本好きの僕等として、微笑ましくも嬉しい光景だった。

いずれこの子らも絵本を読まなくなる時期が来るだろうが、スマホやゲーム機だけでなく、本という世界を自分の中に残しながら育って欲しいものである。
 
 
■野外の高い食い物にもドラマはある
少し小腹が空くと同時に喉が渇く。目の前にちょうどアイスクリーム移動販売の車が停まっていたので、一口食ってみることにした。車の前にはニコニコした姉ちゃんと、穏やかな顔をした婆ちゃん。350円は割高に過ぎると分かっていたが、これも祭り料金だと納得しつつアイスを頼んだ。

僕等のオーダーを受けた婆ちゃんは、僕の懐に忍ばせている亀吾を目ざとく見つけ、「あらぁ、かわいいカメちゃんっ…」と婆ちゃん特有の慈愛に満ちた目で微笑んだ。しばらく考えもしなかったが、見知らぬ誰かに亀吾のことに触れられたのは久しぶり。亀吾もまた、長年連れ添ったウチの家族なのだ。それに気付いてくれてありがとう。婆さんに心の中で礼を言う。

行楽という環境下だからか、何か特別な感情か。350円のアイスクリームの冷たさと濃厚な味わいは、予想以上に身体の奥深まで染み渡ったような気がした。
 
 
■東京芸術大学大学美術館
かなり園内を歩き回った僕等だが、肝心の屋内展示物を一つも見学していない。流石に如何なものか。もうこの際何でもいいじゃんと開き直ったところ、大分離れた場所に東京藝術大学の美術館がひっそりと居を構えているのに気付いた。上野公園中心部から500メートル以上はゆうに離れているだろう。皆、面倒臭がってそこまで足を運ばないと踏んだ。よし、ここにしよう。見れればいい。

予想通り相当歩いた挙句、到着した東京芸大美術館。「バーミヤン大仏天井壁画」他、アフガニスタン関連の展示をしているようだ。しかも無料である。これは、喜んでいいのかどうなのか。金を払うほどの価値がないということなのか。いや、美術や歴史展示に無価値なものなんてないと信じる。

前回も東京国立美術館でアフガニスタン展を見たが、最近アフガニスタンづいているな。その甲斐あってか、昔は全く得体の知れなかったアフガニスタンという国のことがおぼろげながら見えてきた。

アフガニスタンは、単一の文化ではなく、紀元前から古今東西の文明や文化の影響を受け続けた、一種のごった煮のような歴史を持った国。それゆえ価値ある歴史的遺物に溢れ、鉱物資源にも富んでいた。しかしそれゆえ他国からの干渉を受け続け、支配者も頻繁に変わっていったという、形があるようで形がない国とも言えよう。

だがその歴史的見地からの重要性は計り知れず、現代の考古学者達の興味の的であるのがアフガニスタン。しかしタリバン、アルイカイダなど歴史的遺物に価値を見出さないテロリスト達によって多くの遺物が破壊され、損なわれてきた。

そんな古代から続く文明や歴史の証人でもあるアフガニスタンという国の歴史物をそれ以上喪失しないために、心あるアフガニスタン人達はテロリストの目に留まる前に多くの歴史物を隠匿し、他国もその活動をバックアップする。日本もまた、アフガニスタンの歴史を保存する活動に多大な援助を与えている。

その縁もあり、今回のバーミヤン壁画や、東京国立博物館の黄金のアフガニスタン展など、アフガニスタン関連の展示が、ここ上野公園を始めとする各施設で最近とみに活発化しているわけである。

今回の「バーミヤン大仏天井壁画」なども、無料とは言えなかなか気持ちの込められた展示だったと思える。目の前にある価値ある歴史物が今、現代人たる自分の目の前に変わらぬ姿で在る、というロマンはやはり人を惹き付けるものだ。どうせタダなんだから、行って損はない。僕等は500円玉を寄付して薄っぺらい冊子を貰ったがね。
 
 
■寄付の受け皿も色々
その寄付のさせ方がなかなか巧みだったので、つい500円玉を投げ入れてしまった。どういうことかというと、寄付金用の逆円錐型をしたデカい器具が目の前に置いてあるのだが、所定の位置に入れた500円玉が、逆円錐の外周から大きく円を描きながら少しずつ中心に近付いていき、最後は中心の穴にスコココーン!といい音を立てて吸い込まれていくという仕組みなのだ。その計算された円運動が見とれてしまうほどに美しいというか、いかにも幾何学に則った科学の結晶という感じがして、寄付しても惜しくないような気になれる。

今の時代、募金や寄付をするにもエンターテインメント性が求められるのかもしれない。とりあえず、今まで一番楽しい募金ではあった。

あと、東京芸大の構内も閑静な雰囲気で好ましい。ベンチや灰皿も設置されているので好きなように寛げるのだ。早速ベンチに座ってダラダラする僕等。近くのベンチにここの学生と思われる男女が座り談笑している。かなり緩い服装で、どこに遊びに行く~とか、彼氏が~とか、美味しい店が~とか、本業の芸術とはあまり関係ない話に華を咲かせている。

キャンパスライフ、そして青春を満喫してるって感じで何かイイネ。個人的には、彼等が煙草を吸っていたところにも好感。世間的には嫌悪されるが、それを跳ね除けてまで時代に逆行する若者、という点が。

(東京藝術大学 アフガニスタン特別企画展)
http://www.geidai.ac.jp/museum/exhibit/2016/afghanistan/afghanistan_ja.htm
 
 
■炊き出し
意外に楽しめた東京芸大を去り、再び上野公園に戻る途中。公園の隅っこの茂みにて、100人規模の人間がパイプ椅子に座り、司会者の話を神妙な雰囲気で聞く集団達を僕等は気に掛けていた。芸大に向かう途中も、この集団は居て、どこか特殊な雰囲気を醸し出していたのだ。

どこが特殊かというと、殆どが年老いた人間。何かの趣味の集まりにしては仲間意識めいた一体感に欠ける。それに服装も地味というか、何か誰もが着の身着のままというか、余所行きの服装じゃなく、全く気を遣っていない様子。かつ、観衆は一言も発さないで、ただ壇上に立つ人間のマイクパフォーマンスを聴いているだけ。しかもあまり面白くなさそうな顔をしている。誰も聴いてないんじゃね? とまで思う。

さらに前に立つ人間が何をマイクで叫んでいるかというと、歌。浪曲か演歌か知らないが、とにかく歌を唄っている。しかしその歌がまた、下手なのだ。わざとか?と思うくらい、この上なく音痴。スマップの4~5倍音痴と言えばイメージが掴みやすいだろうが、とても何かのイベントで壇上に立つレベルじゃない。

ここまで下手なのだから当然、野外カラオケ大会であるはずがないし、仲間内の歌会披露にしては聴いてる方が哀れにすぎる。それでも聴衆達は、静かに大人しく、その下手な歌を聴いていたのだ。何でそんなに辛抱強く聴けるんだろうか。

ふと茂みに生える木々の下に立てかけられた看板が目に入る。キリスト教系の宗教集団の名前がそこには刻まれている。なるほど、これは教徒達の野外懇親会とか交流会、あるいは聖書朗読会とか、そういった集まりか。だから皆が静粛に聴き入っていたのか。わざわざ下手な歌を披露する意味は分からないが、まあそういうことなのだろう。敬虔な教徒であれば辛抱強さもまあ頷ける。みすぼらしい服装も、清廉の証ということに違いない、と。

と思っていたのが芸大に行く前。その芸大から戻る途中、その教徒集団を再び見かけたという流れだ。相変わらず目立たない茂みに潜む彼等は、先ほどと変わって皆が立ち、テーブルを並べ、バーベキューのような光景を繰り広げている。おお、朗読会が終わって遂に立食パーティに移行したわけか、なるほどなるほど。さぞ皆が和気藹々と話ながらパーティしているだろう…。

と思ってじっくり見たところ、まるで和気藹々としていない。皆、最初と変わらず無言なのだ。しかも近くの人間とお喋りしたりする者も居なさそう。何か全然楽しくなさそう。一体何だ? もっとよく注視する。すると無言の人々は、向かい合って立食などしておらず、一列に並んでいるように見えた。立食していると思われた人間は、何かオニギリみたいな食事が大量に入った特大ケースとか、大きな釜のような器具がある傍に立っている。その人間が、並ぶ者達に、食事を配っているように見える。というか、確かにメシを配っている。これは…。

まさか、炊き出しか? この集まりは、配給なのか? 人々の救済を旨とするキリスト教徒と、みすぼらしい身なりと、覇気のない表情で羊のように並ぶ老人達。そして配られる食料。ようやく合点が行った。これは恐らく、家もなく老いた貧しき人々に対する、神の使いたるキリスト教徒達による施しだ。

だからこそ、誰も望んでもいなさそうな下手な歌を我慢して聴いていたのであり、唄う側も「ちゃんと拝聴しないとメシを上げませんよ」と無言の圧力を背景に音痴な歌を目一杯疲労する。あれは歌ではなくやはり聖歌とか聖書の件の朗読だったのだろうか。事実は判明しないままだったが、果たしてこれでいいんだろうかという気も一方ではしていた。

施しを与えるのは崇高な行為だろうが、何も説法の強要を引き換え条件にしなくとも。しょせん強制。聴いた側は話の内容をこれっぽっちも覚えていないだろう。拝聴中、ずっと「オニギリ、オニギリ、オニギリ…」と頭の中で念じていたに違いないのだ。果たして感謝されているのかどうか。

いずれにせよ、ここまでプログラムがしっかりと構成された配給現場を僕は初めて見た。その一種の異様さは、今日の上野公園の記憶とセットで後々まで残ることだろう。
 
 
■東叡山寛永寺不忍池弁天堂
気付けばもう3時間近く上野公園に滞在している。当初の目的は達せられなかったが十分堪能した気もするし、そろそろ撤収準備をしてもいいだろう。最後に不忍池の蓮でも見物して帰るとするか…。

だが、不忍池を覆い尽くすほどの壮観な蓮の大群はその影すらなかった。どうやら蓮が開花するのは夏、7月~8月だった模様。不忍池ほど壮観な蓮の景色もないのだが、見ごろまで待つしかない。

と落胆していると、少し離れた場所にお堂が見えた。そういえば、あったな、あんな建物。不忍池の風景に溶け込みすぎて近付くという発想すらなかったが、この際だから一度参詣してみようか。

参った場所は、不忍池の弁天堂。正式には「東叡山 寛永寺 不忍池弁天堂」と呼ぶ。東叡山(ひがしえいざん)とは、京都(正確には滋賀)にある天台宗の総本山・比叡山延暦寺に対抗して付けた呼称。比叡山は基本的に「叡山」でも通じる。だから総本山たる西の叡山に対して東の叡山、すなわち東叡山。当時の幕府がそう命名した。より厳密に言えば、江戸時代初期の妖怪坊主と名高い天海が創立した寺院だ。

天海は、江戸幕府初代将軍・家康、二代将軍・秀忠、三代将軍・家という三代に亘り絶大な影響力を振るったとされる坊主。100歳以上生き、政治にも経済にも文化にも関心を示し続けた絶倫爺さんとも伝わる。

その天海の宗派も天台宗だったことから、総本山たる比叡山延暦寺のような寺を、何とか今の政権の中枢である江戸幕府周辺に再現したいと願った結果、寛永寺という寺が建てられ、山号を東叡山と呼んだ。概ねそんな流れらしい。

かつ、総本山への憧れがあったのか、東叡山たる寛永寺は、中心的お堂である根本中堂を始め、様々な建物が延暦寺に似せて造られているとか。寛永寺の多くの建物は戦火に消失したが、建て直されたものもあるし、現存するものも未だに残る。その寛永寺の全てを含めた歴史物が位置する場所が、ここ上野公園、および上野桜木と呼ばれる鶯谷駅付近を含めた広大な土地である。

今回参った弁天堂もまた東叡山寛永寺の建物の一つで弁財天(弁才天)を祀る。弁財天と言えば何となく金や商売を連想することもあり、「宝くじ当たりたい」と僕は祈っておいた。他、周辺にはフグの像など風変わりな石碑があったりと、味のある場所であった。

そんな上野公園の予想外に長かった探索。充実した。それと、外国人率が以前に比べてさらに高まっていたのも記憶に残る。爆買い、インバウンド市場、観光立国日本など、外国人の増加を表現する様々な言葉があるけれど、こうして実際に自分の目で確認すると、それが紛れもない事実だと痛感する。

元々、上野含めた東京の主要スポットは外国人がそこそこの比率で存在していたが、今は比にならない。もはやそんなレベルじゃない。「ここはホントに日本か?」と一瞬思ってしまうシーンが今やもう珍しくない。
 
 
■上野・御徒町の喫茶店レベル
上野公園散策を終えた僕等は、一休みするため喫茶店を探す。観光地でなくただの街並みとは言え、さすがGWだけあってか上野・御徒町の至るところがアメ横ばりに人で溢れている。空いてる喫茶店一つ探すのにも一苦労だ。まさしく居酒屋難民、喫茶店難民大輩出の時期である。

足を棒にして歩いた結果、「六曜館(ろくひかりかん)」という昭和風喫茶店を見つける。「嵐にしやがれ」他、TVや雑誌で何度も紹介されている有名店らしく、ロケにも使われたりするとか。あまりマスメディアで紹介されたことを前面に押し出しすぎた店は諸刃の剣でもあるのだが、こういった昔ながらの喫茶店はむしろ好みだし、座れるならどこでもいいという気持ちはあった。中に入る。一応ナポリタンが名物とされているが。

中はいかにもそれっぽい雰囲気。嫌いではない。しかし店員の態度が激しく気に入らなかった。

同店は、名物のナポリタン始め、エビピラフ、ドライカレー、ジャムトーストなどある意味少し斜め上の料理が置いてある。僕は実のところカレーライスが食いたかったし、嫁はそこまで腹が減ってないのでサンドイッチでも摘まみたいと思っていたのだが、いずれもメニューに載ってない。載ってないということは恐らく存在しないと予想は付いた。

だけど喫茶店の定番メニューとも言っていいカレーライスとサンドイッチ。もしかしたら公表してないだけで言えば作ってくれるかもしれないではないか。そんな期待を抱いても仕方なくはないか? 一応聞くだけ聞いてみようと考えたとしてもそこまで非難されないと思うのだが。

なので僕は、年季の入った多少不機嫌そうな中年女性のウエイトレスを呼んで聞いてみた。「すいませーんっ」と呼んでもなかなか気付いてもらえない時点で少しムカッと来たが。

「メニューに載ってないから多分ないとは思うんですけど、カレーライスとかは置いてない、ですよね?」
かなり遠慮がちに質問したつもりだ。

するとウエイトレスは、記者会見で記者達の声が聴こえないとでも言いたげにわざとらしく耳をそばだてるジェスチャーをする野々村元議員のような「ハァ?」という表情で顔を近付けてきて、「もう一度言ってください」とばかりに耳をわざとらしく近付けてくる。

僕が「えーと、カレーライスなんすけど…」と言い直すと、今度は5メートル以上向こうに掛けられた料理メニューの書いてある小さな小さなホワイトボードを、目を細めながら見るジェスチャーをして、「えーと、カレーライス、カレーライス…」と、一行一行じっくり確認するかのような動作で間を作った後、僕等に振り返り「カレーライスは、ないみたいですねぇ」と、明らかに小馬鹿にしたような返しをしてきた。

オメー、最初から知ってんだろうが、何わざわざ確認してるんだよ、しかもあんな遠くのメニュー表を。ちゃんと見て下さいよ、確認してから言って下さいよ、とでも言いたいのか。メニュー表に載ってないものがあるわけないでしょ、とでも言いたいのか。だったらその人を苛立たせる挙動なんかせずに最初からそう言え。

その、分かっていながら敢えて芝居掛かった動きで客の問い掛けを否定しようとする意思に満ちた対応に怒り浸透。ちなみにサンドイッチも念のため尋ねたが、やはりカレーライスの時と同じ無駄すぎる動きの後、「ありません」と答えやがった。何だこの苛立ちは。

さらに言うなら、そのメニューが書いてある小さなホワイトボードには、名物のナポリタンのところに「かなり時間がかかります」と但し書きが付け加えてある。名物と自分等で謳っておきながら、いざオーダーすると「時間が『かなり』かかります」などとチクリと釘を差しに来ている。まるで「作るのが面倒臭いのであんまり注文しないで下さい」とでも言いたげだ。どっちなんだよ。どうも客を舐めてる気がするな。

で、そのナポリタンの時間は一体具体的にどのくらい掛かるのかと問うたところ、「かなり、ですねえ」などと言う返答が返ってきたという顛末だ。ある意味予想通り。ジョークなのか知らないが、今の僕等は全く笑う気になれないな。

それでも腹が減ってたので僕はドライカレーをオーダー。嫁は気が進まなかったのかコーヒーのみ。ドライカレーはまあ結構美味かった。しかし特筆するほどでもない。どうあれ、この喫茶店に行くことは二度とないと思われた。

この六曜館だけでなく、御徒町付近の昭和風喫茶店のレベルはさほどでもない。北千住サンローゼや梅島シルビアの方が数倍クオリティが高いと言える。無論、クオリティの高い従業員が揃ってこその話だが。

やはり、今はもう居ない梅島シルビアの最高級ウエイトレス、黒髪ねーちゃんのレベルの高さは余りに際立っていた。
 
 
■角上魚類
そんな上野・御徒町巡りの後、帰途の途中で南千住へと僕等は立ち寄る。スーパー「ララテラス」内にある新潟発祥の鮮魚専門店「角上魚類」で生魚を調達するためだ。GW前半、新潟実家で生魚の捌き方に更なる磨きをかけた。包丁もよく切れる出刃をもらった。それを試したくてウズウズしていたのだ。

胸を躍らせながら入店したスーパー「ララテラス」。その中で角上のコーナーだけが異常な人だかり。まるで有名人が現れた時の野次馬のごとしだ。角上魚類が扱う魚は鮮度抜群でしかも安い。皆が知っているのだろう。事実、生魚で買うと、イオンで売っている半額以下で買えてしまう魚も多い。南千住は、魚好きにとって天国と言えよう。

その角上で、僕等はサバと鯛、あとスズキ、それにホウボウという刺身に出来るなんて知らなかった魚を購入した。他にもカワハギとか、のど黒なんてレア魚も大量に置いてあった。それら全部刺身に出来るという。しかもイメージより大分安いし。どんだけ角上って使えるの? 毎週通いたいくらいの楽しさであった。
 
 
■刺身の調理
帰宅後、さっそくそれらの魚を捌いていく。貰った出刃もさすが大変よく切れる。

まずサバは、刺身は無理なので締めサバに。だけど三枚下ろしにしている最中、身がボロボロとほぐれてしまい思うように行かない。包丁の切れ味は増しているはずだが、僕の腕が落ちたのか。

「鮮度の問題じゃないの?」と嫁が言う。そう言えば、角上に置いてあった魚の名札には全て「刺身用」とか「煮付け用」などと書いてあったが、このサバは「締めサバ用」ではなく「煮付け用」になっていた気がする。

確認のため新潟実家の義父に電話したところ、「あ~、身が崩れるのはダメダメ、締めサバにしたら腹壊すよ」と笑いながら答えてくる。危ないところだった。とりあえず僕の腕が落ちたのではないことに安堵し、すかさず僕等は煮付けに方向転換した。サバって、本当に痛むの早いんだな…。

ホウボウは、まるでハゼのような魚だ。扁平でなく、羊羹のように立体的な魚なので多少調理しにくい。まあ何とか基本に沿って捌いた。「魚の基本構造は全部同じ」という義父の格言が胸に染みる。淡白気味だが、キレのある味とも言えた。

スズキは、柵や切り身にした状態が鯛に非常に似ている。味もコリッとした食感とネットリした食感とが融合したような感じで、やはり鯛に近い。義父曰く、スズキもかなり難度の高い魚の模様。トゲが刺さる、包丁が滑る、等々。確かにアジやイナダに比べれば遙かに困難だったが、一応不恰好ながら調理は成功。

ちなみに、今回調理したスズキは20~30センチメートル程度の大きさだったが、角上には80センチメートルくらいのデカいスズキも売っていた。それで確か600~800円くらいだったか? あれだけ大きければ10人前くらい余裕で作れるんじゃないか。

スズキは出世魚であり、最大になると1メートル級と言われるが、それでこの値段とは、何というコスパの高い魚なのだろう。機会があれば80センチメートルのスズキを捌いてみたいものだが、それを収容できるだけのまな板も台所もないのが残念ではある。

そして鯛。義父に学んだことを思い出しつつ、柵まで完成。身の切り残しがまだ相当多く見られるが、手順としては大分手馴れてきた気がするが…。

とりあえず4つの魚を捌いた。一つ一つの工程を検証するのは難しく、実際に技術が上がったのかどうかも判断できない。それでも、それなりに苦労を要するであろう魚を4匹全て捌き切ったその持久力については自分でも評価したいところ。

いずれにしても、刺身作りは、楽しい。今後も新鮮かつ新しい魚を取り入れつつ研鑽していきたい所存であった。
 
 
■外に内に充実したGW
地元のベルモント公園ピクニック、人ごみ溢れる中行った、上野公園の大探索と街並み散歩。そして帰宅してからの刺身への取り組み。一日で出来るキャパシティをフルに使ったようなGW初日だ。非常に楽しかった。ただその一言である。

その反動で、明日は矮小な俗物へと転身するかもしれないが。


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20160417(日) 晴々飯店、上野国立博物館「黄金のアフガニスタン」、西新井の「屈呂木」、それぞれの素敵すぎる魅力

160417(日)-01【1030頃】アイスコーヒー《家-嫁》_01 160417(日)-02【1100頃】明日から水泳するため水着やゴーグルを引っ張り出す、ついでに亀二の着替えもする《家-嫁》_002 160417(日)-03【1300頃】中華料理屋「晴々飯店(せいせいはんてん)」 麻婆豆腐激辛、リアル回鍋肉、成都炒飯《東上野-嫁》_002 160417(日)-03【1300頃】中華料理屋「晴々飯店(せいせいはんてん)」 麻婆豆腐激辛、リアル回鍋肉、成都炒飯《東上野-嫁》_003 160417(日)-03【1300頃】中華料理屋「晴々飯店(せいせいはんてん)」 麻婆豆腐激辛、リアル回鍋肉、成都炒飯《東上野-嫁》_017 160417(日)-03【1300頃】中華料理屋「晴々飯店(せいせいはんてん)」 麻婆豆腐激辛、リアル回鍋肉、成都炒飯《東上野-嫁》_019 160417(日)-03【1300頃】中華料理屋「晴々飯店(せいせいはんてん)」 麻婆豆腐激辛、リアル回鍋肉、成都炒飯《東上野-嫁》_025 160417(日)-03【1300頃】中華料理屋「晴々飯店(せいせいはんてん)」 麻婆豆腐激辛、リアル回鍋肉、成都炒飯《東上野-嫁》_028 160417(日)-03【1300頃】中華料理屋「晴々飯店(せいせいはんてん)」 麻婆豆腐激辛、リアル回鍋肉、成都炒飯《東上野-嫁》_033 160417(日)-04【1400頃】バイク屋「BIG BEAT」、スポーツクラブ「ジェクサー」 上野入谷口側付近《上野-嫁》_09 160417(日)-06【1440~1700】上野公園 上野国立博物館(本館「日本美術の流れ(縄文時代、仏教像他)」、特別展「黄金のアフガニスタン」)、国立科学博物館シロナガスクジラ、並木道桜後《上野-嫁》_001 160417(日)-06【1440~1700】上野公園 上野国立博物館(本館「日本美術の流れ(縄文時代、仏教像他)」、特別展「黄金のアフガニスタン」)、国立科学博物館シロナガスクジラ、並木道桜後《上野-嫁》_002 160417(日)-06【1440~1700】上野公園 上野国立博物館(本館「日本美術の流れ(縄文時代、仏教像他)」、特別展「黄金のアフガニスタン」)、国立科学博物館シロナガスクジラ、並木道桜後《上野-嫁》_006 160417(日)-06【1440~1700】上野公園 上野国立博物館(本館「日本美術の流れ(縄文時代、仏教像他)」、特別展「黄金のアフガニスタン」)、国立科学博物館シロナガスクジラ、並木道桜後《上野-嫁》_015 160417(日)-06【1440~1700】上野公園 上野国立博物館(本館「日本美術の流れ(縄文時代、仏教像他)」、特別展「黄金のアフガニスタン」)、国立科学博物館シロナガスクジラ、並木道桜後《上野-嫁》_023 160417(日)-06【1440~1700】上野公園 上野国立博物館(本館「日本美術の流れ(縄文時代、仏教像他)」、特別展「黄金のアフガニスタン」)、国立科学博物館シロナガスクジラ、並木道桜後《上野-嫁》_025 160417(日)-06【1440~1700】上野公園 上野国立博物館(本館「日本美術の流れ(縄文時代、仏教像他)」、特別展「黄金のアフガニスタン」)、国立科学博物館シロナガスクジラ、並木道桜後《上野-嫁》_035 160417(日)-06【1440~1700】上野公園 上野国立博物館(本館「日本美術の流れ(縄文時代、仏教像他)」、特別展「黄金のアフガニスタン」)、国立科学博物館シロナガスクジラ、並木道桜後《上野-嫁》_038 160417(日)-06【1440~1700】上野公園 上野国立博物館(本館「日本美術の流れ(縄文時代、仏教像他)」、特別展「黄金のアフガニスタン」)、国立科学博物館シロナガスクジラ、並木道桜後《上野-嫁》_050 160417(日)-06【1440~1700】上野公園 上野国立博物館(本館「日本美術の流れ(縄文時代、仏教像他)」、特別展「黄金のアフガニスタン」)、国立科学博物館シロナガスクジラ、並木道桜後《上野-嫁》_053 160417(日)-06【1440~1700】上野公園 上野国立博物館(本館「日本美術の流れ(縄文時代、仏教像他)」、特別展「黄金のアフガニスタン」)、国立科学博物館シロナガスクジラ、並木道桜後《上野-嫁》_074 160417(日)-06【1440~1700】上野公園 上野国立博物館(本館「日本美術の流れ(縄文時代、仏教像他)」、特別展「黄金のアフガニスタン」)、国立科学博物館シロナガスクジラ、並木道桜後《上野-嫁》_076 160417(日)-06【1440~1700】上野公園 上野国立博物館(本館「日本美術の流れ(縄文時代、仏教像他)」、特別展「黄金のアフガニスタン」)、国立科学博物館シロナガスクジラ、並木道桜後《上野-嫁》_085 160417(日)-06【1440~1700】上野公園 上野国立博物館(本館「日本美術の流れ(縄文時代、仏教像他)」、特別展「黄金のアフガニスタン」)、国立科学博物館シロナガスクジラ、並木道桜後《上野-嫁》_087 160417(日)-06【1440~1700】上野公園 上野国立博物館(本館「日本美術の流れ(縄文時代、仏教像他)」、特別展「黄金のアフガニスタン」)、国立科学博物館シロナガスクジラ、並木道桜後《上野-嫁》_101 160417(日)-06【1440~1700】上野公園 上野国立博物館(本館「日本美術の流れ(縄文時代、仏教像他)」、特別展「黄金のアフガニスタン」)、国立科学博物館シロナガスクジラ、並木道桜後《上野-嫁》_139 160417(日)-06【1440~1700】上野公園 上野国立博物館(本館「日本美術の流れ(縄文時代、仏教像他)」、特別展「黄金のアフガニスタン」)、国立科学博物館シロナガスクジラ、並木道桜後《上野-嫁》_144 160417(日)-06【1440~1700】上野公園 上野国立博物館(本館「日本美術の流れ(縄文時代、仏教像他)」、特別展「黄金のアフガニスタン」)、国立科学博物館シロナガスクジラ、並木道桜後《上野-嫁》_150 160417(日)-06【1440~1700】上野公園 上野国立博物館(本館「日本美術の流れ(縄文時代、仏教像他)」、特別展「黄金のアフガニスタン」)、国立科学博物館シロナガスクジラ、並木道桜後《上野-嫁》_155 160417(日)-06【1440~1700】上野公園 上野国立博物館(本館「日本美術の流れ(縄文時代、仏教像他)」、特別展「黄金のアフガニスタン」)、国立科学博物館シロナガスクジラ、並木道桜後《上野-嫁》_163 160417(日)-06【1440~1700】上野公園 上野国立博物館(本館「日本美術の流れ(縄文時代、仏教像他)」、特別展「黄金のアフガニスタン」)、国立科学博物館シロナガスクジラ、並木道桜後《上野-嫁》_175 160417(日)-06【1440~1700】上野公園 上野国立博物館(本館「日本美術の流れ(縄文時代、仏教像他)」、特別展「黄金のアフガニスタン」)、国立科学博物館シロナガスクジラ、並木道桜後《上野-嫁》_182 160417(日)-06【1440~1700】上野公園 上野国立博物館(本館「日本美術の流れ(縄文時代、仏教像他)」、特別展「黄金のアフガニスタン」)、国立科学博物館シロナガスクジラ、並木道桜後《上野-嫁》_189 160417(日)-06【1440~1700】上野公園 上野国立博物館(本館「日本美術の流れ(縄文時代、仏教像他)」、特別展「黄金のアフガニスタン」)、国立科学博物館シロナガスクジラ、並木道桜後《上野-嫁》_195 160417(日)-06【1440~1700】上野公園 上野国立博物館(本館「日本美術の流れ(縄文時代、仏教像他)」、特別展「黄金のアフガニスタン」)、国立科学博物館シロナガスクジラ、並木道桜後《上野-嫁》_199 160417(日)-06【1440~1700】上野公園 上野国立博物館(本館「日本美術の流れ(縄文時代、仏教像他)」、特別展「黄金のアフガニスタン」)、国立科学博物館シロナガスクジラ、並木道桜後《上野-嫁》_207 160417(日)-06【1440~1700】上野公園 上野国立博物館(本館「日本美術の流れ(縄文時代、仏教像他)」、特別展「黄金のアフガニスタン」)、国立科学博物館シロナガスクジラ、並木道桜後《上野-嫁》_228 160417(日)-06【1440~1700】上野公園 上野国立博物館(本館「日本美術の流れ(縄文時代、仏教像他)」、特別展「黄金のアフガニスタン」)、国立科学博物館シロナガスクジラ、並木道桜後《上野-嫁》_266 160417(日)-06【1440~1700】上野公園 上野国立博物館(本館「日本美術の流れ(縄文時代、仏教像他)」、特別展「黄金のアフガニスタン」)、国立科学博物館シロナガスクジラ、並木道桜後《上野-嫁》_268 160417(日)-06【1440~1700】上野公園 上野国立博物館(本館「日本美術の流れ(縄文時代、仏教像他)」、特別展「黄金のアフガニスタン」)、国立科学博物館シロナガスクジラ、並木道桜後《上野-嫁》_281 160417(日)-06【1440~1700】上野公園 上野国立博物館(本館「日本美術の流れ(縄文時代、仏教像他)」、特別展「黄金のアフガニスタン」)、国立科学博物館シロナガスクジラ、並木道桜後《上野-嫁》_282 160417(日)-06【1440~1700】上野公園 上野国立博物館(本館「日本美術の流れ(縄文時代、仏教像他)」、特別展「黄金のアフガニスタン」)、国立科学博物館シロナガスクジラ、並木道桜後《上野-嫁》_306 160417(日)-06【1440~1700】上野公園 上野国立博物館(本館「日本美術の流れ(縄文時代、仏教像他)」、特別展「黄金のアフガニスタン」)、国立科学博物館シロナガスクジラ、並木道桜後《上野-嫁》_334 160417(日)-06【1440~1700】上野公園 上野国立博物館(本館「日本美術の流れ(縄文時代、仏教像他)」、特別展「黄金のアフガニスタン」)、国立科学博物館シロナガスクジラ、並木道桜後《上野-嫁》_337 160417(日)-06【1440~1700】上野公園 上野国立博物館(本館「日本美術の流れ(縄文時代、仏教像他)」、特別展「黄金のアフガニスタン」)、国立科学博物館シロナガスクジラ、並木道桜後《上野-嫁》_355 160417(日)-06【1440~1700】上野公園 上野国立博物館(本館「日本美術の流れ(縄文時代、仏教像他)」、特別展「黄金のアフガニスタン」)、国立科学博物館シロナガスクジラ、並木道桜後《上野-嫁》_384 160417(日)-06【1440~1700】上野公園 上野国立博物館(本館「日本美術の流れ(縄文時代、仏教像他)」、特別展「黄金のアフガニスタン」)、国立科学博物館シロナガスクジラ、並木道桜後《上野-嫁》_387 160417(日)-06【1440~1700】上野公園 上野国立博物館(本館「日本美術の流れ(縄文時代、仏教像他)」、特別展「黄金のアフガニスタン」)、国立科学博物館シロナガスクジラ、並木道桜後《上野-嫁》_406 160417(日)-06【1440~1700】上野公園 上野国立博物館(本館「日本美術の流れ(縄文時代、仏教像他)」、特別展「黄金のアフガニスタン」)、国立科学博物館シロナガスクジラ、並木道桜後《上野-嫁》_436 160417(日)-06【1440~1700】上野公園 上野国立博物館(本館「日本美術の流れ(縄文時代、仏教像他)」、特別展「黄金のアフガニスタン」)、国立科学博物館シロナガスクジラ、並木道桜後《上野-嫁》_469 160417(日)-06【1440~1700】上野公園 上野国立博物館(本館「日本美術の流れ(縄文時代、仏教像他)」、特別展「黄金のアフガニスタン」)、国立科学博物館シロナガスクジラ、並木道桜後《上野-嫁》_475 160417(日)-06【1440~1700】上野公園 上野国立博物館(本館「日本美術の流れ(縄文時代、仏教像他)」、特別展「黄金のアフガニスタン」)、国立科学博物館シロナガスクジラ、並木道桜後《上野-嫁》_490 160417(日)-06【1440~1700】上野公園 上野国立博物館(本館「日本美術の流れ(縄文時代、仏教像他)」、特別展「黄金のアフガニスタン」)、国立科学博物館シロナガスクジラ、並木道桜後《上野-嫁》_513 160417(日)-06【1440~1700】上野公園 上野国立博物館(本館「日本美術の流れ(縄文時代、仏教像他)」、特別展「黄金のアフガニスタン」)、国立科学博物館シロナガスクジラ、並木道桜後《上野-嫁》_519 160417(日)-06【1800頃】マクドナルド閉店後変哲もない店ばかり、ヨドバシ時計修理3~4千円高いからやめた、美顔器《上野-嫁》_04 160417(日)-06【1800頃】マクドナルド閉店後変哲もない店ばかり、ヨドバシ時計修理3~4千円高いからやめた、美顔器《上野-嫁》_06 160417(日)-06【1800頃】マクドナルド閉店後変哲もない店ばかり、ヨドバシ時計修理3~4千円高いからやめた、美顔器《上野-嫁》_10 160417(日)-07【1830~2000】西新井温泉(熱波)《西新井-嫁》_02 160417(日)-08【2010~2100】居酒屋「屈呂木(くつろぎ)」《西新井-嫁》_002 160417(日)-08【2010~2100】居酒屋「屈呂木(くつろぎ)」《西新井-嫁》_003 160417(日)-08【2010~2100】居酒屋「屈呂木(くつろぎ)」《西新井-嫁》_004 160417(日)-08【2010~2100】居酒屋「屈呂木(くつろぎ)」《西新井-嫁》_007 160417(日)-08【2010~2100】居酒屋「屈呂木(くつろぎ)」《西新井-嫁》_008 160417(日)-08【2010~2100】居酒屋「屈呂木(くつろぎ)」《西新井-嫁》_012 160417(日)-08【2010~2100】居酒屋「屈呂木(くつろぎ)」《西新井-嫁》_016 160417(日)-09【2110】ツタヤ前の犬《西新井-嫁》_01 160417(日)-10【2140頃】黄金のアフガニスタン展土産 金箔入り羊羹《家-嫁》_02 160417(日)-11【2200頃】真田丸 スナック菓子各種《家-嫁》_07

【朝メシ】
アイスコーヒー(家-嫁)
 
【昼メシ】
中華屋「晴々飯店」(上野-嫁)
 
【夜メシ】
酒屋「屈呂木(くつろぎ)」(西新井-嫁)
スナック菓子各種(家-嫁)

【二十四節気 定気法】
第5「清明(せいめい)」:4/4~4/19 →第6「穀雨(こくう)」4/20~
 
【イベント】
上野公園、上野国立博物館(常設展示、黄金のアフガニスタン)、ヨドバシ、西新井温泉、西新井飲み、真田丸
  
  
【所感】
■出鼻挫かれた午前のこと
今日は10時過ぎには起床していた。

決して早い時間ではないが、従来の日曜に比べれば早起きの部類だ。何故なら今日は遠出する予定を内々に立てている。そんな約束はしていないが、何を差し置いても行楽に出掛けるべきだという義務感を抱えていた。よって眠かろうが何だろうが布団から飛び起きた次第。起きなければ、今日がリミットなんだ…。

今月前半の花見を終えた頃、ソメイヨシノ意外の桜も探せばあるじゃないかと興味を持つ。特に気になったのが芝桜だ。ネット上や電車の釣り広告で観光各社が芝桜をl持てはやすので、俄然見物したくなっていた。

芝桜が有名で比較的近いエリアと言えば、牛久大仏のある浄土庭園か、あるいは館林の東武トレジャーガーデン。だが牛久大仏の方がより近く、芝桜意外にも見所がありそうなので、牛久にしようとある程度照準を定めていた。

しかしその牛久大仏の芝桜の見所は今週末がピークの模様。来週以降に行ってもあまり意味がないという触れ込み。だからこそ、今週末が最後のチャンス。行かねばならない。嫁も内心楽しみにしているようだし、芝桜もまたソメイヨシノと同じく一年に一度きりしか巡り合えない貴重な風景なはずだから。僕はそんな季折々の自然と触れ合っていくと、その時期ごとの一期一会を大事にしながら一年間共に自然と歩んでいくと、そう心に決めていた。

牛久大仏の芝桜との一期一会は今週が最後。天候は、天気予報によれば土曜が晴れで、日曜は崩れる可能性が高い模様。行くなら土曜だ。午前中は美容院だが、それが終わった後でも十分間に合う。土曜に牛久大仏の芝桜を攻略するのだ。それで全てが上手く行く。

と、そう決めていたはずだったのに、気付けば芝桜ではなく偽物語を攻略していたという…。一過性の快楽を優先した結果、一期一会の貴重な出会いを疎かにするという意志の弱さ。結局、土曜日は薄暗い鉄火場で一人の世界に篭って終わってしまった。もっと日の当たる場所に出なければダメだというのに…。

そして迎えた本日、日曜日。保留した芝桜イベントを強行しようと早起きする。開口一番「今日は牛久大仏に芝桜観に行くかっ」と嫁に提案し、やる気十分な前向き姿勢を演じてみたのだが…。

「何か曇ってるね…」と、窓の外を見た嫁は言う。
「今日、あんまり天気良くないって天気予報でも言ってたね」とも付け加える。
それ以上に、外は予想外の強風。いや、もはや暴風に近い。ビュンビュンと風が吹き荒れている。木々は揺れ、駐輪場の自転車はバタンと倒れていく。台風ではないかと疑うほどの激しさだ。こんな強風は天気予報になかった。

雲行きの怪しい空模様と、予定外の強風。今日が行楽に向かない日であると一層強調される。予め分かっていたことだけに、罪悪感という名の棘が胸にチクチク刺さる。

それでも強風だけなら不可能じゃない。曇りなら、雨が降っていないなら、現地に着けば後はどうとでもなる。ここは強引に押し通してでも牛久大仏遠征を実現させるしかない。「大丈夫大丈夫、何とかなる」と自分に言い聞かせるように僕は出掛ける準備を嫁に促す。嫁も僕の熱意(?)を受けその気になってくれたのか、外出の準備を開始した。

よし、これで帳尻が合う。これで全てが上手く行く…。

はずだったんだ、昼前までは…。

出発の準備も整って、いよいよ出発しようと窓の外を確認した矢先。我々の意志を挫くかのように、まるでそのタイミングを狙い打ったかのように、洪水のような雨が激しく降り始めた。

「……雨降ってるよ」

突然の天気の激変に嫁は絶句。僕も言葉を失う。激しい強風、突風も相まって、それは雨でなくもはや豪雨となっていた。こんな大降りで牛久なんて行けるはずない。というか外にすら出られない。せっかく外出着に着替えたのに。やる気満々だったのに。

天気が万全でなくとも牛久に行くと固めた強き意志。だが暴風雨を目の当たりにして固まる身体。動けない。動けなくなってしまった。牛久に行く行かないという問題以前に、外出できるかどうかという次元に事態は発展していた。

この時、僕は「思い立ったが吉日」という格言を思い出す。昨日、さっさと行っていればこんなことには。後回しにすればするほと事態は悪化するという良い見本だ。後に回した分だけ残された道が閉ざされていくということだから。

この無慈悲な仕打ちに僕等はただ打ちのめされていた。
 
 
■プラン変更
こんな暴風雨となってしまったからには、今日は外出を控えるべきか。家に篭るしかないのか。TVを点けてバラエティ番組等を観るが、まるで気持ちが乗らない。外出の出鼻を挫かれたというのもあるが、木曜からの熊本地震の報道が気になってバラエティやドラマなど見る気分になれない。かと言って何が出来るわけでもないし。

ごった煮のようになった心を前に進ませるためには、やはり無理にでも外に出た方がいいと判断した。今は暴風雨でも、空模様を見る感じではその内雨は止む。止むと信じる。だからまずは外へ出るのが最善と思えた。

場所は近場であれば大丈夫だろう。いずれ雨は止むと思うが、そうでないケースも想定して、室内で過ごせる選択肢を。カラオケとかそういう類ではなく、「外で充実した時間を過ごしてきた」と言えるような遊びを…。

となれば上野公園か。そこの博物館、美術館。室内でありながら知的欲求を満たし、何となく特別なことをしたという感覚になれそう。そうだ、上野だ。上野公園に行こう。嫁の賛同も得られ、ようやく方針は固まる。さらに窓の外を見れば、雨風がかなり弱まってきた。よし行こう。正午過ぎ。意を決した僕等は雨の中、上野を目指しその一歩を踏み出したのだった。
 
 
■悪天候でも出かけたいのは皆同じ
ただ、外に出たはいいが、やはり通常の雨に比べて威力がある。膝部分は濡れ、強風で傘の骨が逆に折れる。さらにタイミングの悪い事に、頑丈なジャンプ傘は二人とも会社に置いたまま。かなり骨の弱った折り畳み傘しかないという儚い装備だ。強敵と戦う時に限って戦えない武器しか持っていないとや、お約束過ぎる間の悪さである。

そんな最弱の装備で、風と雨が身体を打ちのめす中、僕等は開いた傘が風に持っていかれぬよう両手で斜め上にしっかり固定しながら前傾姿勢で駅までひた歩く僕等。惰弱な嫁が急に吹いた突風に押し流されそうになる場面もしばしば。このままメリーポピンズのように飛んでいきそうだ。まるでコント。こんな雨の日に何をやってるんだオレ等は。自分等の必死な姿に笑うしかなかった。

だが、僕等の他にも悪天候の中、傘を差して駅に向かう連中が結構いる。やはり僕等と同じく、彼等は一様に傘を斜め上にかざしてじりじりと歩いていく。お前等、そうまでして外に行きたいんだな。とにかくオレは行く、何があってもアタシは出掛けるのよ、という凄みを感じた。僕等もその仲間であった。
 
 
■晴々飯店
紆余曲折あったものの、無事上野へ降り立つことが出来た僕等だが、時計は既に13時を回っている。まずは腹ごしらえが先決だろう。朝から何も食っていないし、今日は活動時間が長期化する気がする。ガッツリと食っておきたい。

そんな折、ちょうど前から気になっていた中華料理屋の存在が頭に浮かぶ。「晴々飯店(せいせいはんてん)」という店で、建物は何処にでもありそうな地元の小ぶりの店という感じだが、なかなかクオリティが高く地元人には人気のようだ。加えて、TVなどでも取り上げられたこともあり、地元以外の人間達からも注目されている。僕等もその一人。今日はこの「晴々飯店」に突撃することにした。

「晴々飯店」は、JR上野駅の入谷口が最寄出口とされるが、体感的には中央改札脇にある浅草口から出発するのがベストだろう。階段を降りてすぐ左斜め向かいにファーストキッチンのペンシルビルが見える方の出口だ。今はウェンディーズとコラボして「ファーストキッチン・ウェンディーズ」と店名をリニューアルさせた模様で、大分オシャレになっている。

その浅草口の階段を降りてすぐ左に曲がって線路沿いに歩くか。あるいは階段を降りて正面の昭和通りまで出てやはり左に曲がり、そのまま昭和通りに沿って歩くか。まあどちらでもいいが、線路沿いに歩いた方が目印が多い分、さらに迷わないで済むと思われる。キレイになったファーストキッチン・ウェンディーズの、まさに脇を通り抜け、そのまま直進していくのだ。歩道を線路沿いに歩いていくと、コンビニ、イタリア風喫茶店など様々な建物が視界に入る。そして5分程度歩けば。鉄道模型が飾られたショーウインドウが見える。何かの店と間違いそうだが、れっきとした高等学校。全国でも珍しい鉄道関係の教育を施す、かの有名な岩倉高校がそこにある。

その岩倉高校をちょうど過ぎたところで小道を右に曲がり、昭和通りに向かって歩けば、右手にバイク屋「BIG BEAT」、そしてお目当ての「晴々飯店」の看板を確認出来るのだった。

見た目、本当にどこにでもありそうな地元密着の個人経営風中華料理屋。だが中に入ればその人気ぶりを思い知るだろう。日曜の、しかも雨が降っているのに1階は既に満席状態なのだ。今回は2階が空いているということで、ウエイトレスの姉ちゃんがそこに案内してくれた。

多分中国人だろうが、その姉ちゃんの愛想がかなり良い。自然な笑顔の対応だ。給仕も手馴れた感じでテキパキしている。海千山千の上野の客達の相手をしてきたからだろうか、客商売として日本人以上に完成度が高いと感じた。「とりあえずビール」と言ったら、瓶かジョッキか聞くこともなく普通に中生ジョッキが出てくるあたりも素晴らしい。日本人的感覚と間合いを見切っている。そういった雰囲気からして既に好印象だった。
 
 
■麻婆豆腐
料理のクオリティもなかなか高い。ただし、どの料理もオーダーしてからテーブルに出されるまでがかなり早かった。大体頼んでから5分もしない内に出てくるか。作り置きか?と思えるほどにウエイトタイムを感じない。だけど出てくる料理はアツアツで、特に作り置き感はない。真相はさておき、早くて熱くて美味いなら言う事なしだろう。

それを踏まえた上で…。

まずは麻婆豆腐。ここ晴々飯店では麻婆豆腐が一番人気だそうで、看板メニュー。テレビ番組や個人ブログなどの評価によれば、激辛が売りだという。メニューを見ても、辛口、大辛、激辛という三段階の辛さ指定が可能だ。こういう場合、最初は抑えつつ段々に辛さを上げるのがセオリーなのだろう。いきなり失敗するのも癪だ。

だが、激辛料理に飢えているからこそこの店を選んだ僕等は、最初からMAXの激辛を敢えてオーダーした。多分、そこまで無茶はしないと信じていた。人気店なのだから…。

その予想は当たったらしく、激辛と言っても普通に食えるというか、むしろ旨い。どこら辺が激辛なんだろうと思った。しかし、間もなくして舌がピリッと痺れてきた。お、辛いッ! と小声で叫ぶ。いやしかし、辛いんだけど、激辛料理にありがちな、ただスパイスの量を上げただけの奇を衒った辛さではない。

食える辛さ。いや、美味しく食える辛さとでも言おうか。舌は痺れるが、痛いという痺れじゃない。感覚が覚醒するような痺れだ。そう、ここの麻婆豆腐は心地良い痺れを伴った旨辛麻婆豆腐だった。晴々飯店の麻婆豆腐の在り方、激辛具合は実に理想的であった。
 
 
■リアル回鍋肉
次に「リアル回鍋肉」というメニューが気になったのでオーダーしてみた。

回鍋肉は言うまでもなく「ホイコーロ」と読むが、僕のMicrosoft IMEでは一発変換できないため手間が掛かって仕方ない。「回す」「なべ(鍋)」「にく(肉)」と一文字ずつ入力していくのは心底無駄な時間である。同じように感じる人間が多いから、世の中にはカタカナが増える、という側面は決して否定できまい。「マイクロソフト使えねーな」と一番苛立つのは、他ならぬ漢字をタイピングする時。

同じくIMEで一発変換できない中華料理単語としては、「青椒肉絲(チンジャオロース)」や「担担麺(タンタンメン)」など多数存在する。簡単に変換できそうな「天津飯(テンシンハン)」も実は不可能という衝撃だ。「餃子(ギョウザ)」は100%余裕で変換できるのに。中華の世界では天津飯と餃子の序列が入れ替わる。そんな逆転現象も存在する。

無論、「チャオズ」と入力しても「餃子」に変換されることはない。チャオズはあくまで唯一無二のチャオズなのだとそろそろ知ってもいい頃だろう。

という感じで、MS IMEの学習能力の低さに辟易する者も多かろう。だがジャストシステムのATOKであれば、そんなストレスとも無縁。上記の変換不可能な単語など造作もなく一発変換出来るのだ。

敗戦後、アメリカに心身共に支配されすっかりM気質になってしまった日本において、一太郎およびATOKの突出した能力が光る。そのポテンシャルは無能IMEを遙かに凌駕している。どれだけ小さいシェアであろうと独立独歩で存在感を放ち続けたSッ気たっぷりのメイドインジャパンだ。ジャストシステムはもっと注目されてもいい。

その自律気質が実ったのか、最近のスマホの漢字変換には有能なATOKを使う機種が多数なのではなかろうか。少なくともアンドロイドはATOKが軸のはず。PCではアメリカの後塵を拝したが、今やそのPCを優に凌ぐスマホ市場にて遂に返り咲いた。おめでとう、おめでとう…。
 
 
■四川料理、いろいろ
少し話が逸れたが、漢字変換が難しい回鍋肉は中華料理の中でも四川料理に分類される。

日本における中華の四大料理と言えば、北京料理、広東料理、上海料理、そして四川料理となるが、回鍋肉は四川料理固有のメニューだ。

四川料理は、四川省の州都である成都を中心とした郷土料理。成都は、三国志で劉備率いる蜀の首都だった地としても有名だ。世界中のジャイアントパンダの3割が飼育されているという「ジャイアントパンダ保護区」も、ここ四川省にある。2008年の四川大地震でパンダ達が怯える姿をTV越しに痛ましく観ていた者も多いはずだ。

そんな四川の郷土料理、すなわち四川料理はスパイスを多く使ったピリ辛な味付けが真髄と言われる。その証明というべきか、日本における中華料理人気NO1メニューと名高い麻婆豆腐は四川料理である。

さらに言うなら、先述した「青椒肉絲」や「担担麺」も四川料理。その他、エビチリの日本名で有名な「乾焼蝦仁(カンシャオシャーレン)」も四川料理だと判明している。

つまり、現在日本国内で人気も露出度も高く、店舗・家庭問わず広く普及している中華料理のメニューの多くが四川料理。何となくだが、国内に数え切れないほど存在する中華料理店は、四川料理をベースにしているイメージがある。大衆受けし、かつ実力のあるカードを四川料理が沢山持っていたがゆえだろうか。

いや、順序が逆か。中華料理の中で四川料理が最も上手に宣伝され、さらに日本人好みの味付けだったからポピュラーになった。と伝えられる。

四川料理を日本に爆発的に広めたのは、四川省出身の陳健民(チン・ケンミン)という人で、彼は麻婆豆腐や回鍋肉など四川料理のトップエース達を日本人に惜し気もなく紹介し、しかも日本人好みの味付けに変えるという柔軟性も持っていた。その計らいに日本人は大いに感激し、四川料理は爆発的に日本国内に広まると共に、中華料理の代名詞となるに至る。そんな逸話だ。

ホント、振り返れば自分は四川料理ばかり食ってきたような気すらしてくる。背景を知ればこそ納得できること。歴史を知ればこそ分かること。歴史って面白い。

ところで、四川料理以外の四大料理にはどんなラインナップがあるのか。まさか四川一強でもあるまい。有名どころのメニューでは以下のような具合になる模様だ。もちろん、それ以外にも多彩なメニューがあるが、あくまで一般的に名の知れたものをピックアップする。

○広東料理…酢豚、チャーシュー、シューマイ、ワンタン
酢豚は定番。他にもシューマイという餃子と肩を並べる点心も抱える。かなり強力なラインナップと言えよう。イメージ的には四川料理と同じく庶民派という感じはする。

○上海料理…八宝菜、小龍包
八宝菜は家庭内でそこそこ広まっているが多用はされない。小龍包も有名だけど、気軽に手軽にサッと買うという風でもない。どこか垢抜けた、洗練された雰囲気が漂う料理。上海というだけあって都会的なのだろうか。

○北京料理…北京ダック、水餃子
北京料理と言えば、一も二もなく北京ダックだろう。だがそこらの中華料理店で食える代物ではない。他に比べ、北京料理店だけが抜きん出て特別なオーラを纏っている。それも無理ないというか、北京は中国の首都。かつ北京料理は元々、選ばれし王族、貴族達のために作られた宮廷料理が発祥だとか。道理で風格漂うわけだ。庶民向けとは到底言えない。ゆえに北京料理専門店を見ることも滅多にない。

その割には、日本庶民にとって名実共にトップ中華メニューである餃子は北京料理のラインナップだという。正確には水餃子だが、まさかオヤツのように誰もが食べる餃子が北京料理の手の者だったとは。チャオズがナッパに勝つくらいの意外性だ。
 
 
■リアル回鍋肉
と、またも脱線してしまったが、今回頼んだ「リアル回鍋肉」の話。四川料理の代表料理の一つ、回鍋肉は日本でも大人気であることは既に述べた。日本の回鍋肉に使われる具と言えば豚肉とキャベツが筆頭であることも周知の事実だろう。

しかし、このレシピは本土の四川料理ではなく、先述した四川料理の父・陳建民が日本人向けにアレンジしたバージョン。本場・中国四川省の回鍋肉は、キャベツの代わりに葉ニンニクを入れるのが常識だ。いやこの場合、本来の葉ニンンクの代わりに日本ではキャベツを入れる、という言い方が正しい。向こうが本場なのだから。

葉ニンニクは、ニンニクの実(球根部分)ではない葉っぱの部分と言われるが、僕もよく知らない。ニンニクのように臭いはキツくなく、ニラよりも香りが強く、中華料理では香草料理的に常用されるようだ。餃子の具として使われたり、ラーメンの上に乗っけられたりしているようなので、恐らく何度も目にしているのだろう。

とにかく本場の回鍋肉は豚肉とキャベツではなく、豚肉と葉ニンニク。決定的な違いだ。その違いを敢えて強調するため、ここ晴々飯店では「『リアル』回鍋肉」と命名したのだろう。「回鍋肉を食った気になってるにわか日本人め、本当の回鍋肉を見せてやんよ」という挑戦的な動機ではなく、「本国の回鍋肉は実はこうなんですよ」というマメ知識を提供して客を楽しませる意図での名付けだろう。この人の好さそうな店員達を見ればそう思う。彼等はただ四川料理、ひいては中華料理に纏わる色んな事を知って欲しいのだ、きっと。

そんな「リアル回鍋肉」。いつも家で食ってる回鍋肉とは歯応えも味わいも違っていた。当然、美味い。これが葉ニンニクの実力、そして晴々飯店の実力か。この体験のお陰で一つ詳しくなれた僕等であった。
 
 
■成都炒飯
主食は炒飯にした。他の料理と違い、炒飯だけは北京、広東、上海、四川その他中華料理の名所のどれにも属さずカテゴリ不明だ。逆に言えば、どの中華料理屋でも炒飯は必ず置いてあると言っていい万能料理とも言える。敢えて言うなら、地域ごとに味付けが異なるのがすなわちその地域の炒飯ということになるか。

今回、僕等は晴々飯店にラインナップされる炒飯の中の「成都炒飯」をオーダーした。先にもあったように、成都は四川省の州都。その成都州民が好む味付けに違いない。食ってみたところ、脂っこさがあまりない。香草が効いているのか口の中がスッキリする感じ。かなり量が食えそうな炒飯である。結局、少しずつ小皿に盛りながら全て平らげた。

成都炒飯もそうだが、他の料理についても晴々飯店はボリュームがかなりある。かなりコスパに優れた店でもあるので尚更お勧め。
 
 
■李姐餃子
最後は餃子を頼んだが、通常の焼き餃子とも水餃子とも違う不思議な味だった。見た目は焼き餃子だが、皮はそこまでパリッとしておらず、プクプクモッチリとしていて水餃子に近い。それをラー油のような真っ赤なタレに浸している。いわば焼き餃子と水餃子の中間か。

この独特な餃子を同店では「李姐餃子(リーチェギョウザ)」と呼ぶらしい。その由来は、ここ晴々飯店の店主である女主人が作った餃子だから。彼女が今も存命か分からないし本名も知らないが、彼女は「李姐(リーチェ)という愛称で呼ばれていたらしい。イメージとしては「李姐さん」というニュアンスなのだろうか。

その李姐さんが子供時代、故郷の四川省で食べていた餃子を再現したのがこの「李姐餃子」とのこと。料理一つ一つに歴史があって飽きない。

僕等はその李姐餃子を咀嚼しながら味わう。すると皮が破れ、中からアツアツのスープのような旨みが口の中にジワッと広がる。小龍包に似た食感であり、これは新たな食感。この李姐餃子は通販でも販売しているらしいので、一度試してみるのも良いだろう。
 
 
■色々と細かい芸
そんなわけで、ボリュームもあり満足できる料理を振舞ってくれる晴々飯店。店員の当たりも大変良好で機転が利くとなれば否定すべき点は見つからない。他にも数え切れない程の美味しそうな料理がメニュー表には載っており、全品制覇したい気分だ。今後、機会あるごとに通うかもしれない。

あと同店は、食材の品質というか出自にも拘っているようで、わざわざ「当店では中国産の肉は一切使っていません」と張り紙までしてある。国産やブラジル、オーストラリアやデンマークなど、問題が起きていない国から仕入れているようだ。中国人なのに、地元中国の肉は使わないと宣言するという、笑っていいのか神妙な顔で彼等の胸中を察するべきなのか。歴史観や感情論を排除した、クオリティ重視のリアリストとしての顔もあった。
 
 
■いい店だった
結論としては、晴々飯店は満足の一言。きっとまた足を運ぶだろう。この一事だけでも行き先を上野に変更した甲斐があった。

店を出ると、降っていた雨がいつの間にか止んでいて、あれだけ吹き荒れていた突風もピタリと止まっている。見上げれば空。雲の隙間から顔を覗かせるは太陽。晴々飯店で胃袋と心を満たし、店を出た時にはハレ晴レユカイ。まこと、近年稀に見る良質な外食であった。
 
 
■上野駅のフィットネスクラブ
腹を満たしたところで上野駅へと進路を進める途中、駅高架下に「JEXER(ジェクサー)」と書かれたフィットネスクラブだと一目で分かる店を発見する。腰痛が限界点突破寸前の僕は、陸上のトレーニングが出来ない代わりにプールで水泳を始めようかと最近思っている。時間帯は人が少ないであろう平日の朝が良い。このジェクサーはどうだろうか。足が勝手に入口へと向かった。肉体鍛練に相当飢えていると自分でも思うが。

受付で聞いたところ、朝7時からオープンしているようだ。しかも早朝のみ利用可能のモーニング会員という制度もあり、月会費は約4800円とかなり安い。いつも乗ってる日比谷線沿線の途中だし、悪くはないかもしれない。

ただ、支払いはクレジットカード機能付きのVIEWカードが基本らしい。なくてもいいが、そうするとなぜか会費が相当高くなる。早い時間帯で、かつ割引を利かせた料金で受けたいのなら例外なくVIEWカードを作らねばならないという縛りだ。これは流石にちょっと考え物だ。受付の姉ちゃんは明るい笑顔で細かに説明してくれたが、こkは一旦保留しておく。

ただ、パッと見た感じではトレーニング環境の整って広々としたフィットネスクラブだと考えている。条件が合致すれば決してデメリットではない。頭の片隅に残しておきたい。

それにしても、最近は本当に運動ブーム。時流に乗ってスポーツクラブも激増した。最近、地元・梅島にも24時間利用可能のJOYFITが出来たばかりだし、僕等がよく通う西新井温泉付近にしたって、同じく24時間営業のエニタイムフィットネス、西新井温泉併設のセントラルウェルネスクラブ
、そして駅前のコナミスポーツという3巨頭があるのに、店が飽和するどころか足りないくらいだ。利用客は増えるばかりだ。

一昔前、フィットネスブームは下火となり、多くのスポーツジムも閉鎖した。フィットネス業界自体が軽んじられた時代があった。

だがそこから十数年を経た今、フィットネス業界は息を吹き返し、今までの不振が嘘のように一気に盛り返す。歩けばスポーツジムやヨガ教室に当たると思えるほどの乱立ぶりだ。健康ブームの隆盛と、勤め人や高齢者層の参加による裾野の広がり、アマチュア大会の増加など、様々な要因が重なり肉体鍛錬の気運が高まる昨今、フィットネスクラブもまた破竹の勢いで増殖・進化し続ける。いつか一億総スポーツ社会となる日が来るのだろうか。
 
 
■上野公園の緑と噴水
そんな道草を経て到着した上野公園。2週間前に訪れて、盛大かつ壮麗な桜の木々の下で花見をしたばかり。しかし今回見た公園は緑一色。葉桜ですらなく、ただただ真緑の葉っぱが生い茂っていた。

たった2週間でここまで風景が変わる驚き。まるで別の場所だ。自然というものは緩慢で悠久な反面、性急で拙速な面も持ち併せている。いずれにしても人智の及ぶところではない。

上野公園は、桜や動物園、博物館や美術館だけではない。そこら中に隠れた見所がある。園内の噴水もその一つだ。ただの長方形型の噴水だが、時間によって噴射する場所や水量が変化するので見ていて飽きない。

そんなの今時当たり前かもしれない。特段変わったイリュージョンでもない。だがそれがいい。のんびりとした場所で、のんびりとした人達が、縁や地面に座りながらのんびりと噴水を眺めるという全体図が良いのだ。果てしなく広い上野公園だからこそ為せる構図と言えた。
 
 
■国立科学博物館
ここからようやくメイン目的である博物館巡りへ移行する。

まずは定番の国立科学博物館だが、本日は休館の模様。現在は人気かつ定期的に開催される定番イベント「恐竜博」をやっているようだ。恐竜博は、僕も好きである。主要ターゲットは当然子供達だろうけど、基本誰でも楽しめる。夢を忘れた大人はロマンを掻き立てられ、老人達の干からびた血も騒ぐ。もちろん外人も大喜び。老若男女、人種の区別なく門戸を開くそんな恐竜博が、僕はとても好きだった。

まだ開催中らしいし、いずれ行く事になるだろう。恐竜博を見物した後、中央通りのTGIフライデーズでポテトフライやボーンステーキを恐竜のように荒々しく貪る。これぞ恐竜博におけるゴールデンルート、ダイナソールートであった。

さらに国立科学博物館にはもう一つ名物が存在する。シロナガスクジラの等身大モニュメントだ。これは館外にあるので、入場料を払わずとも見放題、写真撮り放題だ。そのデカさゆえ、上野公園でもとりわけ目立つオブジェ。上野公園の顔と言っていい。このシロナガスクジラをバックに、子供達が、学生達が、嬉しそうに記念撮影する様子も上野公園を象徴する風物詩であった。

大きいだけでロマン。それは疑いのない事実。ロマン溢れる特大のシロナガスクジラは1994年に製作され、その後改修などを経て現在で3代目だという。そして実物のシロナガスクジラは乱獲のため個体数が激減し、現在絶滅の危機にある。

そんな悲しきシロナガスクジラの歴史を背負いながら、ここ国立科学博物館前のモニュメントは20年前からこの場所に佇み、雨の日も、雪の日も、一年中ずっと、上野公園に出入りしてきた数万、数十万、数百万、数千万の人々を見守ってきたのだろうか。

僕は、その巨体で一人孤独に佇み続けたシロナガスクジラのオブジェに敬意を込めて心の中で敬礼するのであった。
 
 
■上野国立博物館
続いて、国立博物館へと入場する。一応ここが本日のメインだ。明治時代的な厳格さを漂わす西洋風な建物、そして敷地。遠目で眺めることはあっても実際に入るのは初めてだ。只ならぬ気配というか威厳を感じる。

だが券売機前で客を案内する職員の兄ちゃん等はかなりフレンドリーかつ的確に教えてくれるので親近感が湧く。一目で分かる。彼等は有能だ。半天下り状態で仕事もせず新聞を読んでるだけの名ばかり職員とは一線を画すだろう。この門構えから入場までの一連の流れはかなり好感度が高い。

敷地内には、建物が5~6個点在しており、それぞれで異なる展示を行っている。基本的には安く入れる常設展示と、スポットスポットで行う高額な特別展示とに分かれる。

今回の特別展は、日本を代表する洋画家・黒田清輝展。もう1つは、紀元前後のアフガニスタンの墓から出土した黄金の首飾りや髪飾りを始めとする装飾品の数々と、それに纏わるアフガニスタンの歴史に迫る展示「黄金のアフガニスタン」。今回は、黄金という言葉にロマンを感じたためアフがニスタン展を見学した。
 
 
■スーパーモデル「縄文の女神」
常設展示は、縄文時代からの日本の歴史を、出土物や絵巻、芸術作品などを展示しながら説明していく展示。今の時期は「縄文の女神」と呼ばれる土偶を中心とした縄文時代の考古品、そして鎌倉~室町時代あたりに造られた寺社の仏様とか木像などを飾っていた。

この常設展示もせっかくだから見物。むしろ僕は、なぜかこの土偶こそがメインだと思っていたほど。係員の人に「どのコーナーに行かれるんですか?」と聞かれれば「土偶のヤツ」と答え、別の係員に「アフガニスタン展なら別の建物ですよ」とアドバイスされても「いや、土偶を見にいくんで」と、ひたすら「土偶」を連呼していた気がする。

そんな感じで自分でもよく分からないテンションだったが、メインヒロインである「縄文の女神」は無事この目に納めることができたので満足。写真はNGだったので残してないが、寸胴でぽっちゃり型が常識と言われた縄文時代にしては、ありえないほどの超モデル体型。ウエストはキュッとくびれ、バストもボンッと強調され、腰から下はスカート状の衣服で隠れているもスラリと伸びているのが分かる。しかもヒップを後方にキュッと突き上げたポーズを取っており、その姿はまるで男達を誘惑しているかのよう。

まんま現代人のモデルである。ホントに縄文時代に造られたのかよ、その辺のエロ学生が造って埋めたんじゃねーの? と一瞬疑ってしまうほどの美形土偶なのだ。時代は多少後になるが、伝説の卑弥呼もあるいはこんな体型だったのだろうか。そんなロマンと妄想が溢れて止まらないハイパー縄文美女「縄文の女神」は、大変見事な土偶であった。

展示されている内に一度閲覧することをお勧めする。

(縄文の女神)
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1777
 
 
■十二神将像
常設展示には、釈迦の入滅時の木像やら広目天など様々な像が展示されていたが、その中でも一際目を引いたのが十二神将像だった。十二神将とは、薬師如来を守護する神々の集団。子、丑、寅、卯、辰、巳…と、それぞれ十二支に対応している。聖域十二宮を守る黄金聖闘士のような存在と考えれば多分大きく外れまい。

十二神将像としては奈良の新薬師寺のものが全国的に有名だが、ここ上野の国立博物館に展示されている十二神将像は、京都の浄瑠璃寺という寺に祀られていたとされるもののようだ。その違いは分からないが、只ならぬ力作であることが一目で分かる。

真ん中で堂々とポーズを取る大将を中心に、左右にバランスよく、隙なく配置される他の十一の神々。それぞれが独特のポーズを取りながら前方の敵に睨みを利かせている。この配置、バランス、各神々の強そうで自信に満ちたポーズ、細部まで細かい造形…。

こういうのを芸術と言うんだろうな。ただただ見とれるばかりだ。CADも機械もなかった時代、自分の目と指先とノミだけでただの木を凛とした神の姿に変える匠の技。天才としか言いようがない。道具が限られていた分、人間としての動物としての本来の能力が目覚め肥大化していたのだと思われる。昔の人々は大したものだ。

ツールを使いこなすのではなく、人間生来の能力が研ぎ澄まされることこそ本当の成長なのかもしれない。だから文明の利器が溢れる現代社会でも、ただの人間として突出した身体能力や頭脳を見せる人間に、人々は賞賛を惜しまないのかもしれない。道具に左右されない個の力。それこそが、心の中で本当に欲しがっているものだから…。

それが分かるからか、僕等の他の客達も、この十二神将像の前での滞留時間だけが長い。見とれ、写真を撮り、溜め息をついている。外人も目をキラキラさせながら「オー、ジャパニーズビューティフル!」と一眼レフカメラで隅々まで激写する。分かる分かる。こういう芸術に人種は関係ないんだよな。

そういえばこの十二神将像でも感じたことだが、外国人客によるインバウンド市場が国家の経営を支えると言われる中、こういった博物館や美術館に来る外国人は大体が欧米人である。対して、銀座やアキバで爆買いしているであろう中国人や、温泉地で遊ぶ韓国人達は、なぜかこういう場所では鳴りを潜めて殆どその姿を見ない。

求めるものが違うのだろう。偏見ではなくそう思う。欧米人は物欲よりも、自然風景や芸術や文化などの知的欲求を満たすことを優先させる。郷に入りては郷に従えの精神で、その国の文化を楽しみ血肉にする柔軟性を持っている。そのためにはコストや時間や肉体的労力なども惜しまない。目の輝き方も子供のよう。つまりロマンを求めているのだ。

対して中国人を始めとする一部アジア人は、物欲や一時的な享楽を優先させる。そのためにはコストも時間も惜しまない。ただしロマンはあまりなく、即物的な匂いだけが残る。目の輝き方はギラギラしていて、消費したという大人の色に染まる。

5~6年前だったか。広島の宮島にある御山(みせん)という山に登った時、同じく山登りをしていた外国人は多数居たが、殆どが欧米人だった。彼等は楽しそうに山に登り、広島の自然風景を満喫していたように見えた。

また、昨年秋田の男鹿を旅行した時のこと。日本人でさえ滅多に行かない場所で交通も不便極まりない、隠れスポットとも言えない辺鄙な場所。そんな場所にも欧米人観光客は居た。どうやって探したのか、日本人ですら目を向けない、だけど隠れた魅力を発掘できる場所を敢えて選んで出向いてきていたのである。

銀座やアキバや北海道や大阪、京都など、有名な観光地には中韓国人がいっぱい。無論、欧米人も多数だ。しかし、世間であまり取り沙汰されないマイナースポットに目を移すと、そこには日本人と、そして欧米人しかいないのだ。中韓国人はそんな場所に興味はないし、気付きもしないし、自分で探そうとも思わないからである。

その時から何となく分かっていたのだ、人種としての違いを。優劣を付けるつもりはないが、僕はこういう時、「育ちの違い」「目線の違い」「意識の違い」という言葉を頭に浮かべる。何を心の拠り所に据えているか。揺るがぬ自分だけの核があるか。上辺だけを見て虚勢の中に生きるか。

一言で言うと、僕は拝金主義とか成金が好きじゃないのである。金の多寡と肩書きでしか物を見ず、本質を探ろうとせず、薄っぺらく感じる。その言動は正直受け付けられない。本能が拒む。ウチの会社の上役なども拝金主義の権化のような人間で、日々の言動はあまりに醜い。そう、醜悪なのである。

そんな中、目の前の十二神将像は意志強き眼差と自信に満ち溢れた井出達で、ただ前を見据える。その中の大将、中心に立つのは干支で言う巳を司る像。なぜ巳が中心になったか分からないが、十二支では6番目にあたり、ちょうど真ん中だからだと勝手に解釈しておく。

それに6番目と言えば、聖域十二宮黄金聖闘士ならバルゴのシャカだ。黄金聖闘士最強と呼び名の高いシャカと、十二神将像の大将・巳。ある意味、符合する。巳の大将は、僕の醜い物思いを見透かすように、カエルを射殺すヘビのような眼力で僕をじっと見つめていた。
 
 
■黄金のアフガニスタン
そんな感じで意外に目と心の保養になった常設展示。次は特別展「黄金のアフガニスタン」へと移動する。

それにしても、なぜアフガニスタンなのか? アフガニスタンと聞くと、いつでも紛争の渦中にあり、タリバンやアルカイダなどテロ組織の温床という怒りのアフガン的なイメージをつい抱いてしまう。それが文化や文明を発信し歴史を展示すると言われても、いまいちピンと来なかった。
 
 
■アフガニスタンの地理事情
地理的にも実はよく分かっていないが、アフガニスタンとその周辺地域は中央アジアに分類される。その中でも特にアフガニスタンは、国境のほぼ全方位を他国に囲まれた国。何処からでも侵攻されそうな地理事情であり、中東とも近く、まさしく紛争の絶えないイメージそのものである。実際、アフガニスタンは今日まで紛争と混迷の歴史を辿ってきた。

その北部は、ウズベキスタン、タジキスタン、トルクメニスタンなどの「○○スタン」諸国と密接するが、その先には広大なロシアが目を光らせている。南は隣国パキスタンを挟み、これもまた大国インドが控える。そして東には次代の超大国に最も近いと言われる中国が。西にはイランを挟み、石油戦争とテロと紛争に明け暮れる中東諸国がズラリと並ぶ。東西南北に、全て野心的な国が控えているというとんでもない位置付けだ。

ついでに言うなら、北のロシア、東の中国、南のパキスタン(とインド)、西のイラン、これらの国全てが世界でも数少ない核保有国、あるいは国際的に承認されていないが核を保有しているだろうとされる国々だ。まさに気が気でない諸外国との地政学的地理関係。休む暇もなさそう。
 
 
■アフガニスタンの複雑な歴史と勢力関係
それでいてアフガニスタンは、貴金属や宝石、その原石とされる鉱石の発掘地としても名高い。特にパワーストーンの中でも「最強の聖石」と呼ばれるラピスラズリの産出国として名を馳せている。さらに天然ガスなどの資源も豊富だ。

その恵まれた土地を得るために、イギリスやアメリカ、ロシアなどの大国がアフガニスタンを我が物にしようとちょっかいを掛けてきていたという歴史がアフガニスタンにはあるし、その天然資源を巡っては遙か以前、紀元前から他国が食指を覗わせていた。そんな歴史である。

そのような各国の干渉もあり、本国の政治や経済、そして治安は全く安定せず、国民の生活も豊かにならない。それに業を煮やした神学校の生徒達が武装蜂起して抵抗し、時と共に力を付けた。それがイスラム原理主義テロ組織の走りと言われるタリバン、そしてその舎弟であるアルカイダへと発展していった。

さらに、そのアルカイダのビンラディンによって引き起こされたとされるアメリカの9.11によって、アフガニスタンは目の敵にされる。アメリカは当時のアフガニスタンを支配していたタリバン政権に、舎弟であるアルカイダおよび首謀者ビンラディインの身柄をよこせと要求したものの、タリバン政権はこれを拒否。業を煮やしたアメリカおよび各先進国は、自国でビンラディンおよびテロ組織を壊滅させるとして、アフガニスタンに大挙して侵攻した。ここに、長期にわたる泥沼のアフガニスタン紛争が始まる。

その紛争によって建物は壊れ、土地は荒れ、草木は焦土と化し、そして多くの人が死ぬ。兵士だけでなく一般国民も巻き込んで、アフタにスタンは壊滅的打撃を受けていた。

今回の特別展「黄金のアフガニスタン」は、そんな紛争によって全てが破壊され尽くすと予感した一部の人間達が、有史以前から続くアフガニスタンの歴史を後世に残そうと、過去発掘してきた価値ある遺物の数々を白日の下に公表するという趣旨だった。テロ組織は歴史的価値を解さないから、過去からの遺物を躊躇なく破壊する。紛争開始以前からそう分かっていたので、密かにそれらを事前に掻き集め、誰にも見つからないよう隠していたという。平和が訪れる日まで。

この秘匿行為を行った人々はかなり先見の明を持った人物、英断であり賢人と言えよう。二度と手に入らない過去の証明、すなわち歴史の大切さを分かっている。過去の物品や事象を保存し、修復し、解釈する人間がいるから、時を越えた今でも我々は過去の軌跡を辿り、そこに想いを馳せることが出来るのだから。歴史を振り返らず現在だけを見る者は視野が狭すぎる。歴史なき刹那主義は余りに虚しい。だからこそ…。
 
 
■黄金のアフガニスタン
そんなアフガニスタンの歴史展は、予想よりも見所がある展示であった。アフガニスタンは先述した地形的要因によって周辺各国からの侵攻や干渉を受け続けていた。

当然、様々な文明や文化の影響も受けてきた。紀元前はメソポタミア文明やインダス文明の影響を受け、イランの源流たるペルシア帝国、イスラム帝国、モンゴル、ギリシャなど、およそ名の残る当時の国家や文明と共に歩んできた。シルクロードによる交易も盛んだったため、当然ローマ帝国~中国までの広範囲にわたる文化や人のやり取りもあっただろう。そんな複雑かつ多様な歴史をアフガニスタンは持っていた。

その中でも特に紀元前後の文明にスポットを当てたと思われる。剣などの武器、食事用の食器、服、グラスなどのガラス製品、そして装飾品…。その完成度は到底先史のものとは思えない素晴らしいもので、ホントに発掘したのかよ、現代人が悪戯で埋めたんじゃないのかよと疑いたくなるほど、現代でも通用する発掘物も見られた。

グラスなんて普通にハワイとの土産屋とかで売ってそうだし、食器もスーパーの青空市場に置いてあっても不思議じゃないほど今風。日本が狩猟・農耕していた時に、アフガニスタンではこれほどの文明が発達していたのかと目からウロコが落ちる思いだった。

中でも装飾品が群を抜いている。今回の展示は、王族か貴族か知らないが尊い位の人間の墓を発掘した際、遺骨と共に出てきた金細工の装飾品がメイン。その装飾品が金、つまり黄金でできているのである。まさしく黄金色にキラキラ光っている。その煌びやかな黄金の装飾品が、白骨化した死体の身にそのまま着けられていたとのことだ。これはリアリティがあってかなり唸る。そして、そんな遙か昔の時期にこんな立派な黄金細工が存在し、2000年後の自分がそれを閲覧できる事実に圧倒され、そして感動してしまった。来てよかったと心底思った。

そういうわけで、上野国立博物館の「黄金のアフガニスタン」、久々の当たりである。だからこそ、美術や芸術、そして歴史の閲覧は定期的に行うべきだとつくづく思う自分もいた。目線が変わる、考え方の幅が広がる。世俗の享楽だけに目を向けているだけでは多角的な楽しみ方ができない。

昭和の人間にとっては、大体パキスタンとセットで語られるアフガニスタン。1991年のソ連崩壊後、ウズベキスタン、タジキスタン、トルクメニスタン、そしてキルギスと、一気に類似した国名が世に出てきて一時頭が混乱するも、やはり昔からあるアフガニスタンという名前は様々な見地から特別。

今現在、ISISで注目を浴びる中東情勢。かつてタリバンやアルカイダで世の関心を一身に集めたアフガニスタン。テロにより注目を浴びるのは悲しいことだけど、その長く深い歴史を紐解けば、アフガニスタンという国を知る契機が決して紛争やテロだけでないことが分かるだろう。

僕は、この出土品を展示した上野国立博物館と、本国から遙か遠く離れた極東の島国に、その歴史の真実を差し出そうと英断したアフガニスタンの関係者に敬意を払いながら、心洗われる気分で会場を後にしたのだった。

(黄金のアフガニスタン)
http://www.gold-afghan.jp/
 
 
■上野東照宮の牡丹園
満足感と共に公園内を歩く僕等は、少し外れた場所にある上野東照宮を訪れる。東照宮とは、家康を祀る神社。有名な日光東照宮を筆頭に、全国各地に数え切れないほど建てられているので実は東照宮と言われても大して珍しくない。無論、大ボスたる日光東照宮は格が違うが、その他大勢の東照宮は殆ど一兵卒。上野東照宮もまた一兵卒の一つだった。

その上野東照宮に至る途中で牡丹園が開催されていた。牡丹と言えば一般的に春牡丹のことを指すようだが、4~5月に花を咲かせる、まさに今が旬の時期だ。どうやら上野東照宮は牡丹が有名らしかった。

多少歩き疲れていたが、せっかく来たのだし寄ってみるか。時計の針は16時55分。閉館は17時。あと5分で閉まってしまう。だがこういう場所は、その時間までに中に入ってしまえば問題ないのが通例。多分、今行かなければ以降も行かないだろう。人間の後回し癖と忘却癖はよく熟知しているつもりだ。僕等は駆け足で、牡丹園に飛び込んだ。

受付では僕等の前に4~5人の女子が居る。全員10代前半、中学生か小学生だと思われる。そして日本人ではなく韓国人だろう。そのため言葉が通じないのか受付で随分時間が掛かっている。これで閉館時間が来たら笑えないぜ。

と、少し心配していたが、普通に入館することができた。ただその少女達は、両脇に牡丹が鮮やかに飾られる入り組んだ道を歩くことなく、入口前に設置されたベンチで休んで談笑している。一体何しに来たんだろう、この子達は…。イマドキの女の子の心理は分からない。なおかつ国籍も違うので尚更分かる部分がないことに僕は苦笑した。

牡丹園は思ったより広い。クネクネと入り組む一方通行の道を歩いていくまで、両脇に目算数百の牡丹の花が植えられていただろうか。かなり深く長く楽しめた。ただ、日本人客があまり居ない。何故だろう。きっとたまたまだろうし、閉館間際という時間帯も関係していたのだろうが、それにしても日本人客は僕等だけだったんじゃないか。そこら辺の理由は僕にはサッパリ分からない。
 
 
■韓国の花好きおばちゃん
僕等の前を、韓国人と思われるおばちゃんと、その息子なのか関係者が二人、計三人が牡丹を見物しながら歩く。男二人はさして興味なさそうだが、おばちゃんはそれはもう熱心で、まさしく食い入るように牡丹を間近で見つめていた。花弁の中の雄しべ・雌しべまでクッキリ映るように超近接設定でカメラに収めていた。

ただ、あまりに熱中して前のめりになり過ぎたのか、数十センチ上にある花壇の土に足を踏み入れていたのが残念なところ。花は触っていない。だけどその花のテリトリーである花壇に侵入してはダメだ。それは花のATフィールドを破ること、すなわち花を触るのと同じ。

花はただ愛でるもの。触らず、近付かず、ただ自分の目と鼻だけを近付けるのみ。観賞用に植えられているのなら尚更。花が好きだというのはその熱心さで十分分かった。自然を愛するのに国籍や民族は関係ないことも。しかし、その後の行動こそが重要なのだ。このおばちゃんに、花を愛していると伝わるからこそ、その機微を分かって欲しい。
 
 
■独特センスの異国カップル
牡丹道の後半あたりで、牡丹の前にしゃがみ込み、ギリギリの距離までスマホを近付け写真を撮る女性が居た。日本人ではない。多少赤混じり金髪、つまりブロンドのロングヘアー外人。身長は推定160cm前後と決して高くはないが、かなりの美人である。年は20代前半。見た感じフランス人かロシア人だと予想した。

ただ、その仕草や雰囲気に、一般的に美人と呼ばれる欧米人特有の物腰が感じられない。それどころか、言うなれば日本の腐女子のような雰囲気を纏っていた。なぜかオーラでそうだと感じた。

そのブロンド外人腐女子は、スマホを掲げる被写体の牡丹の花のすぐ横に、何かの物体を添えている。つまり牡丹とその正体不明の物体をセットで写真に収めている。一体、後生大事そうにその左手で握り締めている物体は何だ。僕は凝視する。その物体は、おそ松くんに似たアニメキャラの人形だった。

腐女子キターッ…!!

心の中で思わず叫ぶ。笑うというより、亀吾で同じ事をやっている僕等としては、同志を見つけた気分だ。人間でないマスコットキャラを連れ歩き、撮影の度に一緒にファインダーに収める、擬人化の達人がこんなところに居た。しかもブロンド美人。これは素晴らしい光景。激しくお近付きになりたいっ…。

そのブロンド腐女子は、おそ松マスコットを牡丹の傍に添えて、スマホのシャッターを押す。直後、パシャシャシャシャシャシャシャッ!!! と激しいシャッター音が鳴り響く。連写機能。おそ松&牡丹ペアの仲睦まじき姿を漏らすまいと放った、凄まじい連写であった。彼女には、腐女子特有の腐臭が漂っている。だがそれ以上に、愛が溢れている。

そんな腐女子ブロンドに話し掛けるきっかけは何かないものか。内心戦略を練っていると、向こうから推定190センチメートルはあるであろう背の高い男が近付いてくる。そしてブロンドに「どんな感じ?」と声を掛けた。

彼氏持ちかよ、マジかよ。しかも日本人。さらに、これだけクオリティの高いブロンドを落とすのだからどんなイケメン、好漢なのかと思いきや、背が高いだけでヒョロっとした頼りない体格。さらにそのルックスは、トレーニングをサボってばかりの締まりのないブルースリーがという感じ。そして黒縁メガネを掛けている。それこそ、痩せたおそ松くんだ。どうしてこんなおそ松に、あんなブロンドが…。色々おかしいよ。

その身長で迫ったのか。おそ松好きのブロンドに、これは好都合と自らのおそ松ぶりをアピールしたのか。オタとしては最強民族として世界各国のオタ達から羨望される日本人というブランドを最大限活用してブロンドを口説いたのだろうか。

分からない。人の好みはそれぞれとは言うけれど、こればかりは分からない。ブロンドは、写真を撮り終わった後、おそ松の姿を確認するや否や小鹿のように駆け寄り、その身長から繰り出されるおそ松の長い腕に、自らの両手を絡み付け、子猫のようにおそ松に甘えるのだった。

このおそ松野郎…!

何か知らんがムカついた。
 
 
■京成エリアのちょっとした変化
楽しかった上野公園巡りを終えた後、僕等は中央通り沿いの交番前に出る。大通りの向こう側にはパチンコ屋のエスパスがデカデカと光り、信号待ちの欧米人達がマリンちゃんの看板を珍しそうに見ながら「オー、ナイスバディね!」などと多分ニヤニヤしている。その後ろから、マフィアのような殺伐としたオーラを纏った中国人集団が不敵に笑いながら練り歩く。

パセラリゾートのビル前では、ツアー客と思われる韓国人女性の集団が40~50人列を作り、入口に吸い込まれていく。このパセラビル、昔は確かパチスロ屋のグリンピースだった記憶があるが、そんなことは別にどうでもいい。

とにかく外人だらけ。周り全てが外国人。観光のメッカとはいえ、思わず「ここは日本か?」と嫁に苦笑を投げ掛けた僕だった。ホント、外国人が多くなった。ここ数年、その事実を心底肌で感じている。
  
  
■アパホテルの強欲
そういえば、そのパセラビルのさらに不忍池側に、いつの間にかアパホテルが建っていたな。日本のビジネスマンや旅行者用ではなく、先の外国人達を収容するためだろう。他の都市部と同じく激しく値を釣り上げてんだろうな。来年にはアキバのど真ん中にも竣工されると聞いているし、アパホテルはマジ節操がない。僕は二度とこのホテルに泊まらないと誓った。
 
 
■上野マックのビルは今…
そういえば今年、マクドナルド上野公園前店が閉店した。長年上野で頑張ってきただけに人々に惜しまれたが、鶏肉偽装に端を発する客離れの波には抗えなかった。あのビルは今、どうなっているのか。どんなテナントが入っているのか。ふと、以前マクドナルドが入っていたビルの看板を遠めに見てみたが…。

K-SPACE(多分飲み屋かイベントスペース)、協和コンタクト(コンタクト屋)、黒船亭(洋食屋?)、マツキヨ(薬局)、そしてルノアール(喫茶店)、というラインナップだが、これは…。

これって魅力あんの? 正直そう思った。マクドナルドが良かったとは言わない。しかし激戦区たる上野の、看板とも言えるこの通り沿いで、こんなテナントじゃあ流石に役不足というか。結局、マクドナルド閉店前から店を構え、今現在も残っているルノアールが最も安定していそう。それはそれで悲しいことだった。
 
 
■美顔器
次にヨドバシで買い物する。嫁が美顔器を買いたいようだ。ボールの付いたY字型の棒で両頬をクリクリするヤツではなく、ブラシを装着してウィーンと回転するタイプのヤツだ。洗顔フォームなどを塗って、その美顔器で泡立てながら肌のツヤや張りを良くする。今はこのタイプが流行っているらしい。

それは数十年前、サギ商品の走りと言われた伝説の日武会が既に販売していたものと同じタイプ。僕はその日武会の美顔器を実は使っていたことがある。紛い物だらけの日武会商品の中で、あれだけは確かに効果があったと思う。日武会は、時代の先を行きすぎていたのだ。

現在、その日武会にようやく一流家電メーカー各社が追い付く。嫁は市場での評価が高いというフィリップの購入。実際効果が出るか否かは別として、日々の生活に目標なりハリが出来るのは良い事だと思う。

あと、男用で銀の太いY字の棒の先にゴルフボールみたいな玉が付いてる美顔器あるだろ? あれってやけに高いよね。3万とか普通にする。あんなオモチャみたいなものでボッタクってるとしか思えない。そう考えたから、僕は店頭に出ている実機を手に持ち試してみた。頬に当てて上下に動かしてみた。

すると、これが予想外に効くんだよ。いや予想以上、想像の数十倍の驚き。頬の肉や皮が思い切り上に引っ張られる感覚が皮の下の肉まで伝わってくるのだ。直感的に「これ、効果あるんじゃね?」と感じた。

宣伝するだけはある。高いだけはある。日武会のようなオモチャとは明らかに違う、科学に人間力学に基づいたれっきとした美容マシン。僕は、マジでこれが欲しくなったのだった。

何事も経験してみなければ真相は分からない。試してみれば最後の最後で結論が覆ることもある。このヨドバシの美顔器の件、そして先の上野の博物館の経験。全くもって、何でも試してみるのが一番だと思えた。
 
 
■西新井温泉
時間は既に夜7時に差し掛かる。明日は月曜、もういい時間だ。しかし上野を歩き通したため汗もビッチョリ。思い切って西新井温泉に行く事にした。いつもと同じ行動。だがいつものように昼時でなく、夜からの温泉。ある意味、違った空間だった。

その西新井温泉は大当たり。ベトベトになった身体はボディソープで洗い流され、骨まで染みる湯舟で疲れが一気に取れる。サウナにしても、ちょうど高熱イベント「熱波」の時間帯にぶち当たり、予想以上に爽快な汗をかけた。

たった一時間半だったけど、この夜の西新井温泉は本当に気持ちが良かった。まるで旅行気分である。
 
 
■飲み屋の新規開拓
そこまで行けば、もう明日のことは考えず旅行気分で通したい。西新井の路地道に密集する飲み屋の中に、「屈呂木(くつろぎ)」といういかにも年配が集まりそうな個人経営店を見つけた僕等は意を決して入店する。予想通り、客層は常連っぽい爺さん達、そして多少うるさめの年配夫婦など、この手の飲み屋のお決まりパターンだ。給仕のおばちゃんも然り。

料理も意外と美味い。家庭の味といった味付けが他の居酒屋と一線を画する。しかも意外と安かったし。ある意味ヒットした今日の新規開拓であった。次もまたここに来ようかな、と。旅行気分なのだから、旅行らしくその場所だけにしかない個人店を探すことこそ旅の真髄だと、僕等はこれまで経験した幾多の旅行経験からもう知っていた。
 
 
■祭りは終わり
帰宅して、いつものように真田丸を観ながら菓子を食う。上野の「黄金のアフガニスタン展」で土産に買ってきた緊迫入りの羊羹が、今日の多彩な体験の集大成だ。本当に長い一日だった。近場なのに、旅行の気分になれた。

遠出である必要は決してない。探せばどんな場所にでも魅力を見つけることが出来る。同じ日本、そして日本人なのだから…。

今日の上野徘徊で得た一連の経験を指針とし、随所で感じた想いを胸に刻み、明日から現実という名の戦場に再び戻る僕等。その合間にまたきっと、今日のような楽しい経験ができる。幸せな記憶になる。そう確信しながら…。


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