07/05/14(月) うな重

 
 
 
【朝メニュー】
キウィ
ヨーグルト
 
【昼メニュー】
自作オニギリ
 
【夜メニュー】
うな重
フカヒレスープ
きんぴらごぼう
実家惣菜
ビール
 
ダイエットを終えてからというもの、欲求の赴くままにこってりメニューを要望するようになった。だがそれも仕方ない。旨い物を食いたいのは現代人の本能。加えてもう痩せる必要が無いから心理的な壁も無い。ダイエット終了からほんの三週間ばかりで、僕の体重は既に5kg近く増えていた。安心は暴食を呼び、暴食は脂肪を呼ぶ。こうして僕は擬似的にメタボる。何度でも…。
 
しかし、目の前に旨そうなうな重があるのに、それを我慢することなんて出来ない。そしてその必要も無い。食ったら殴られるわけでも罰金を取られるわけではないのだから。そんな平和な国・日本。平和万歳。もっと食わせてくれと叫ぶ。平和が危機意識を希薄にし、不測の事態への柔軟性を低くする。こうして僕等はぬるぬると生きていく。死ぬまでずっと…。
 
ダメだ、こんなんじゃダメだ。このままじゃ僕は変われない。前に進めない。進まなきゃいけない、変わらなきゃいけない。いつまでも同じことをしててどうする?同じ過ちを犯してどうなる?やらなきゃいけないんだ、わかってる、もう僕はわかってる、ずっと前から、とっくの昔に気付いてるじゃないか。今しかない、思い立った今この時にやるんだ。さあ進め、前に行け。この悠久の螺旋を断ち切るんだ…!
 
「タマゴってうな重の汁に合うよねー♪(・∀・)」
 
変わるためにはまず体力。たんぱく質満載のうな重・タマゴのダブルなら言うことはない。「腹が減っては戦は出来ぬ」とは、まさしく先人の示した真理だったのだ。
 
このように、求道者の顔はなかなか前面に出てこない。出たとしても、快楽者としての顔があまりに強すぎるため、すぐに奥に追いやられてしまう。それが平和な日常における凡人のパターンだ。求道者の顔は緊急時、またはテンションが極限まで上がった時にしか現れず、加えて赤子のように脆いもの。ゆえに簡単には変われない。平和であればあるほど快楽の壁は強固だということを、凡人は日常という場面で何度も思い知るだろう。
 
日常の行動とは、自らの内面そのもの。それは心を写し出す鏡。

07/05/13(日) 一番かるび、山菜てんぷら

 
 
 
 
 

【朝メニュー】
無し
 
【昼メニュー】
焼肉屋「一番かるび」(東京・梅島)
 
【夜メニュー】
炊き込みご飯
山菜てんぷら
実家惣菜
ビール
 
 

以前、ヤマダ電機で買った冷蔵庫が本日ようやく届く予定。これまで使っていた160リットル2ドア冷蔵庫に比べ、今回は402リットルという未曾有の大容量。さらには5ドアという途方もないドア数。まるで、僕が1ドア冷蔵庫と共に過ごした9年間を闇に葬り去らんとするように、現代の技術は止まることなく進歩し続けている。消費者の事情など置き去りに…。
 
携帯電話もまた同様。冷蔵庫が来る午後までの時間、僕らは友人のビッグボディを連れ、携帯機種変をするためにヤマダ電機に向かったのだが、何故そこまでいっぱい出すの?と言いたいほどに陳列される多種多様な機種。僕としてはネット・メール・電話さえ出来れば問題ないというのに。ワンセグなんて要らないのに。時代に取り残されるというより、殆どの人間は製造側のスピードについていけないのが現状ではないだろうか。自由経済資本主義を貫きすぎた現代日本の招いた結果がここにあった。
 
ただ、そんな悲しいまでの日本の姿に悲観するばかりでは埒が明かない。この社会に生きているからには、今後も生きていかなければならないのだから。生きるためにはまずメシが必要。大食漢のビッグボディも居ることだし、ここは一つ焼肉でも食うか。という流れで行き着けの焼肉屋「一番かるび」に赴いたわけだが、相変わらず好印象だね、ここの焼肉屋は。焼肉屋に見られがちな空間的・心理的狭苦しさもなく、焼肉屋特有の粗野粗暴なオーラもなく、かといって上品ぶっているわけでもない。上手く言えないが、こういう焼肉屋は非常に良いと思う。
 
たとえば、一個人における焼肉屋選択のパラダイムシフトが3段階に分かれるとする。1番目は学生時代や社会人新人時代など、持ち前の若さに任せて貪欲に食いつくす時代、いわゆる「猛りたぎる食い放題時代」。その後、真っ当な社会人となった彼は一定の落ち着きを見せるようになり、ただガツガツ食うことよりも、より質の良い肉を、単純な量よりも種類を求めるようになる。同時に、食うという本能的行動よりも、同席する人間との知性ある会話に重点を置くようになるに違いない。これが2番目に訪れるパラダイムシフト、いわゆる「知性と食欲の狭間」だ。そして、それらの流れを経た時には彼は既に歳を取っており、もはや若くない。肉の量ではなく、ましてや質でもなく、薄っぺらな会話もしなくなる。人生の甘美も辛酸も味わった彼らが最後に求めるのはただ一つ、安らぎ、心の安らぎ。安らぎの拠り所は昔話だ。喧騒少なき落ち着いた場所で、苦楽を共にした古い友人達と対面し、昔を語らいながら肉を食う。人の可能性は無限大だと信じ走り続けた野獣の青年時代も、隠し切れない上昇志向を内に秘め知性を振りかざしながらも人間の限界を知ってしまう中年時代も、今ではただ懐かしい思い出。その思い出をかみ締めながら、茶髪の店員に向かって控えめな声で肩ロースを注文し、だが脆弱になった歯ではそのロースすらなかなか噛み切れず、「ワシ等も歳よのう」と自嘲する。そして牛タンにレモンをかけ、「最近じゃあこのレモンの酸っぱさだけでも強すぎる刺激だて…」と唇をすぼめるのだ。それが焼肉の最終段階パラダイム「夢、見果てたり…」。人はこの三段階を経て、その長きに渡る焼肉人生を終えるのだ…。
 
僕等は今、第一段階をはるか昔に通り越し、第二段階まで来ている。さらに厳密に言えば、第二段階に生きながら、既に最終段階へと片足を突っ込んでいるかもしれない。ゆえに、今まで経験してきた数多の焼肉屋では心からの満足が得られなくなっている側面が否めないだろう。その意味で、最近のお気に入り「一番かるび」は、第二段階に居る僕等に充足感を与えうる力量を有しており、ともすれば第三段階でも使えるかもしれない可能性を秘めている。
 
この日、僕等は焼肉を食い、大容量冷蔵庫を受け取り、携帯電話の機種変までした。だが数十年後、それは思い出すことすらままならない思い出となっているに違いない。ビッグボディと話した肉談義も遥か遠き夢と化しているだろう。まさに見果てた夢の跡。だが、一片の焼肉を食うことによってその記憶の一部分だけでも掘り起こすことが出来たのなら、僕のこの焼肉理論も無駄にはならないと思う。

07/05/12(土) 俺誕生日宴会

 
 
 
  
 
【朝メニュー】
パイナップル缶詰
 
【昼メニュー】

フランスパン
チーズ

 
【夜メニュー】
おこわ(実家贈り物)
実家惣菜(きんぴらごぼう、アジの煮付け等)
ぬか漬け(実家贈り物)
山菜の天ぷら
タラバガニ
ケーキ
スパークリングワイン
 
 
僕の誕生日は5/7で、その時点では過去の出来事。だが、それはあくまで現象的な捉え方でしかなく、心情的にはまだ終わっていなかった。気持ちの上で誕生日を迎えたと実感するまで、僕はまだ1歳若いままなのだ。もちろん嫁には祝ってもらったし、亀二にプレゼントをもらった。しかし、肝心の誕生日パーティをしていない。誕生日らしいメシを食っていない。これが気持ちに区切りをつけられない最たる理由である。かといって当日の5/7は平日。ゆっくりと祝うことも出来ない。出来れば休日が良い。そうすれば僕は心身共に歳を一つ重ねることが出来るのではないか、と。そのための12日土曜日なのである。仮に5/7の平日をプレバースデーとするならば、5/12の休日は言わばグランドバースデー。前者がバラモスで後者はゾーマ。この日を過ごし切った時、ようやく僕のステップアップは完成するのである。
 
そういうわけなので、休日という自由時間を最大限利用して誕生日を盛り上げる我々。朝、爽やかにパイナップルを食った後は、ゴージャスに近隣のマルイデパート地下食品売り場へ繰り出し金に糸目をつけない大人買い。高級フランスパン、高級チーズ、スパークリングワイン、そしてタラバガニなど、プレミアイベントでしか姿を現さないレアアイテムを、コンビニでポテロングを買うがごとき気軽さでカゴに入れていくのである。1年に数回しか出来ないこの無駄遣い、たまらない…。消費の本分がここにある。
 
そんな消費の本能を満たした買い物を済ませ、昼からフランスパンとチーズで走りつつ、夜になればいよいよ佳境。実家から送られて来た様々な激旨料理をデパ地下のタラバガニが霞むほどに縦横無尽に並べるという贅沢さ。二人しか居ないのに、ショートケーキではなく丸い完全体ケーキを用意するという身の程知らず。まさしく非日常である。
 
だが、それがいい。誕生日の本分とは、無駄食い、無駄置き、無駄遣い。後先考えず突っ走れる機会もそうはないのだから…。ゆえに、その一瞬の煌きを大切にしたい。束の間の煌きを燃焼させてこそ日常は輝くのだから…。

07/05/11(金) 東京ドーム弁当

 
 
 
【朝メニュー】
パイナップル缶詰
お茶
【昼メニュー】
自作オニギリ
【夜メニュー】
東京ドーム弁当
東京ドームカステラ
佃煮
ポテトチップス
焼酎
 
 

嫁はスポーツ観戦好きの嫁友人に誘われ、巨人戦を観に東京ドームへ消えていく。残された僕は、嫁の東京ドーム土産を待ちつつパソコン上のネット麻雀世界に消える。今頃ドームではカキーンとホームラン打ってたりするんだろうか。そんなことを考えながら僕は牌をピシッピシッと打ち続ける。はいそれロ~ン、8000点…。
 
ドーム観戦を終えた嫁は友人と少し飲んでから帰宅。その手には土産としてドーム弁当とマーブルチョコが握られていたのだが、そこに至るまでに紆余曲折あったらしい。そのいきさつとはこうだ。まあ聞いてくれ。
 
僕は、あらかじめ買って来て欲しい弁当を教えろと嫁から言われていた。で、言われた通り弁当を事前に注文しておいた。わざわざネットで調べつつ。1500円の幕の内で、ランクとしては中の上くらいのものか。嫁もそれを受けて注文通りの弁当を買うつもりだったらしいのだが、実際家に持ち帰った弁当は違う弁当。ランクで言えば、僕の要望から1ランクか2ランクほど落ちるヤツだったわけだ。どうしてこんなことになったのか、その理由はまさしく現代社会の性質を如実に現しているのだが…。
 
ドームに着いた時、僕の要望弁当はまだそれなりに在庫があった。なので嫁もその友人もある程度余裕を持っており、少しの間、他の弁当も吟味しながら弁当屋の風情を楽しんでいたわけだ。その間、ほんの数分。だが、その数分の間に事態は激変する。見栄えの良い弁当、高価な弁当、旨そうな弁当、つまりランクの高い弁当が瞬く間に売れて行き、気付いた時には予定していた弁当どころか、ほぼ全ての弁当が売り切れてしまうという異常事態。後に残るは、売れ残り弁当。その売れ残り弁当を嫁は買ってきたというわけである。
 
もちろん、その弁当も旨かった。だが、それだけでは済まされない現代社会の世知辛さがそこにある。この世はまさに生き馬の目を抜く世の中なのだと。そして、こういうお祭り的な場では、値段が高かろうと何だろうと売れてしまうものなのだと。
 
一緒に買ってきてもらったマーブルチョコで遊びながら、僕はこの社会の厳しさに思いを馳せるのだった。