【朝メシ】
カレー(羽田空港のマズいメシ屋-嫁)
【昼メシ】
押し鮨、おしるこ等 出雲大社ご縁横丁(島根・出雲-嫁)
【夜メシ】
居酒屋「日本海 庄や」(島根・松江-嫁)
ポテロング等 ホテル宍道湖内(島根・松江-嫁)
【イベント】
実家帰省旅行一日目 島根・出雲大社、須佐神社、松江宿泊
【所感】
効率性も何もない形だけの仕事納めを昨日終了し、本日から冬季休暇に突入。鳥取実家への帰省を兼ねた長期旅行へ向かう僕等である。従来は最後の一日は多少の余力を残すところだが、今回は6日間フルで動く。
毎年の帰省、あるいはたまにする旅行。いつ行けなくなるか分からない。動ける時に動くべきだ。自分自身の目標に対してあまり動けなかっただけに、せめて出来ることはやっておくべき。
にしても、昨日の仕事納めは全く意味がなかったな。従業員はやることがなく、電話の一つも鳴らず、だけど体面を整えるために便宜上出社する。誰のための体面なんだか。こういう実務的に非効率で電気代の無駄でしかない勤務は本当に馬鹿げている。
その仕事面で言えば、2013年はかつてないほど心が荒んだ気がする。憎悪だけが生きる支えと言わんばかりの恨みようだった。実際そうだったが、そしてその傾向は今後も継続するように思われた。もう戻れない。良好な関係など築けないし、その気もない。あまりに強固な壁が心に出来てしまった。仕事をしている内は、ただ冷酷な戦士のように振舞うのみである。
今年の多少振り返りつつ、6日間の旅へ向かう僕等。今回の予定は島根~鳥取実家帰省~名古屋~浜松~東京というルートである。今まで複数県を跨いだ旅行は何度もしてきたが、4県に亘るのは初めて。観光ルートも隙もないほど濃密に詰め込んだ。ここまで長期かつアクティブな強行軍はかつてない。
ただ、県を跨いだ旅行はもはや日常。少なくとも結婚してからの帰省は全てそうしてきた。東日本出身ゆえ西日本に疎い嫁に、西日本の何たるかを見せてやろうちう気持ちもあるし、死ぬまでに日本全国を制覇したいという個人的な焦りも恐らく潜在的にはあるだろう。
あと5県なのだ。ここまで来たら、47都道府県全てを廻り切りたい。今まで掛けた時間や金、そして情熱を無駄にしないためにも。佐波伊之児物語・日本編にピリオドを打つためにも。物語の完結まで、あと少し…。
ただ、基本的に人間という生き物は、なるべく効率的に動こうとする生き物だ。目標の場所に出掛けた時、目に付く場所が他にあるのなら、ついでに行ってみよう、一緒にくっ付けてしまおうという抜け目なさを持っている。
身近な例えを出すなら、スーパーに買い物に出掛けた帰りにとても綺麗な公園を見つけたので少し寄ってみた、という延長戦めいた行動だろうか。嫌なことは出来るだけ小出しにし、本当は一つでも被りたくない。逆に、良いことは可能な限りくっ付けて、いくつでも享受したい。人間の特性と言えよう。
鳥取という場所は思うよりも遥かに遠く、旅費もバカにならない。直線距離で700km以上あるので当然だが、移動するだけで相当なコストと労力を伴うわけだ。鳥取の実家で全ての時間を費やしそのままトンボ返りするだけでは何となく勿体無い。損をした気分になる。であるなら、せっかく遠くまで来たことだし、ついでにもっと遠くへ足を伸ばしてみよう。そう思い立つのがむしろ正常なのではなかろうか。実際、その方が大局的に見れば効率的であり得なのだ。
旅行や遠出には、まず目的地というものがある。東京観光、千葉観光、北海道観光など、メインとなる都道府県が定められる。あるいは九州観光、北陸旅行など、都道府県を跨いだブロック単位での指定もあり得るか。面積や観光スポットの数、所要時間などで行動範囲の幅が上下する。今回の僕等の場合であれば、基本的な目的地は鳥取県だろう。
次に周遊エリアの決定。モデルコースと言い換えても良いが、一言に「○○県」と言っても、見所は一箇所に固まっているわけじゃない。東西南北、あらゆるエリアに分散しているのが通常だ。しかもそういった観光スポットは減ることはまずなくて、基本的には増える一方。最初は何も無くても、各市町村が客を呼び込むため勝手に新名所を作るからだ。それが町興しになり歳入増にも繋がるとなれば、必死に知恵も絞るというもの。役所の観光課も楽じゃない。
そんな観光課の思惑もあり、一つの県が抱える観光名所は数十、場合によっては数百箇所にも上るだろう。到底一日で周り切れるものではない。いや、いくら日数を掛けても全てを網羅することはほぼ不可能だろう。多分く、金が尽きるよりも早く気力が尽きる。
だから周遊コースを決めねばならないのである。一つの県全てとして捉えるのではなく北エリア、南エリアなど地理的にざっくりとした固まりで。あるいは遊園地・テーマパークコース、自然・景勝地コース、寺社の伝統歴史コースなど、興味の分類によるカテゴリ分け。それが旅行の正道であり常識。そして常人としての限界だ。本当の意味で全国制覇出来る人間など存在しない。それはヒトの所業ではない、神の御業なのだから。
神ならぬ人間の限界。その代名詞たる「周遊コース」という名の包囲網の絞込み。今回の僕等の旅行日程における第一章・島根観光でも周遊コースの厳選を当然のように強いられる。
島根と言えば、まず思い浮かぶのは何といっても出雲大社だろう。あとはシジミで有名な宍道湖・中海。島根有数の城である松江城。そして玉造温泉。あとは最近世界遺産に指定された石見銀山あたりか。もう一つ個人的なところで、世界一大きな砂時計が展示されている砂の博物館・仁摩サンドミュージアムにも興味があった。「砂時計」という少女漫画となった舞台だ。この漫画はなかなかに面白い。
それらを全て周れればもちろんベストだ。しかし現実的には不可能。島根は広い。具体的に言えば横に長い。それでいて、他県と同じく先述した名所は各地に散り散りなのだ。
加えて、島根滞在に許された日数は一泊二日しかない。しかも二日目の午後には実家・鳥取に出発せねばならないので、実質的な稼働時間は一日半。アンビリカルケーブルを切断されたエヴァのごとき猪突猛進が必須となる。
たとえば東京ならば、皇居やニコライ大聖堂や靖国神社などを見て回り厳かな気分で過ごすのか。スカイツリーや雷門浅草寺ルートで下町気分を味わうのか。六本木ヒルズや表参道ヒルズや赤坂サカスなどオシャレなビル群を巡って都会的な気分に浸るのか。いや、そういった都心を軸にしたルートではなく、奥多摩で自然に囲まれて登山でもしたいのか。膨大な選択肢が有り得る。東京の都心部は意外と狭いので、都心ルート三つを一日で回り切ることも場合によっては可能だ。だけど奥多摩ルートは都心から有り得ないほど離れているためパックにするのは難しい。どちらかを捨てねばならない。
たとえば千葉なら、ディズニーで遊びたいのか、それとも房総半島や九十九里浜方面にコースを定めるかでルートはまるで違ってくる。ディズニーであれば、ついでに幕張メッセやマリンスタジアムなど見物出来るが、そこに房総半島をくっ付けるのは距離的に不可能だ。
神奈川だって、横浜中華街で遊ぶか湘南エリアで海と戯れるか、目的によって逆方向だし、九州と一言に言っても博多の次は熊本の阿蘇山を見物ね、なんて気軽に括れない。北海道であれば、札幌や函館だけならまだしも、道東の摩周湖や網走にまで足を伸ばそうと思ったら、それこそ1週間は必要だ。簡単じゃない。同じ県だからと一緒に考えていると痛い目に合う。限られた時間の中では、目的とする県のさらに限定されたエリアにしか人は旅行出来ないものなのだ。
その限られた時間を考慮した上で、島根県を地理的に考察してみる。まず最も有名な出雲大社を行程から外すという選択肢はない。嫁は涎を垂らすほどに「行きたい行きたい」とはしゃいでいるし、僕自身も鳥取に住んでおきながら実のところ出雲大社に行ったことがないからだ。
案外そんなもの。鳥取と島根は近所のようで遠い場所。東京都民だって山に登りたければまず高尾山に目が向くし、海を見たけりゃお台場で済ます。わざわざ茨城県の筑波山に遠出せずとも、千葉の房総半島に遠征しなくとも、「オレは山を制覇した」「オレは海を知った」と公言出来るのだ。鳥取県民は島根のことも知っており、逆もまた然り。そう思っている方々に明言しておこう。それはただの思い込みに過ぎないと。
いずれにしても出雲大社は固定。しかしその瞬間、名所の全制覇が不可能になったことが確定する。まず出雲大社は、その名の通り出雲市にある。そして、その出雲市から近い市といえば松江市だ。
松江市は島根の県庁所在地であり、ゆえに島根県一の都会。ウチの親父などは「松江市も過疎化が進んで酷いもんだよ」と嘆息しているが、それでも島根随一のアーバンシティであることに変わりはない。
何より松江市は、先の名所の中の宍道湖、松江城、玉造温泉の三つを網羅するという観光的にも優れたエリアである。松江市は地理的にも相当鳥取県寄りなので、島根県を旅行する人は松江市を基点にして動くのがベストだと思われる。僕等もそうしたし、そうせざるを得なかった。
こうして、まずは出雲市で出雲大社を見学し、そのあと松江市に宿泊しつつ観光もするというルートが今回僕等が立てたモデルコースなのだが、時間的にそこで終わりだ。石見銀山、そして仁摩サンドミュージアムは観光できない。巡る時間がないということ。
この二つの名所は、地理的には大田市という市に属する。太田(おおた)じゃなくて大田(おおだ)ね。その大田市が曲者で、僕等が軸にしている松江市から西に80kmも離れている。この二つの市を往復しただけで日が暮れるレベルだ。サンドミュージアムなんてゆっくり見る暇もないし、石見銀山には辿り付けすらしない可能性大。まさしく「大田市に『行って来いした』だけで終わる」のだ。
そんな徒労を味わうくらいなら、鬼の心で大田市を切り捨てて、まずは出雲大社に行って恋した上で玉造温泉などに浸かりながら松江嬢をじっくりと堪能した方が遥かに有意義だろう。サンドミュージアムが見れないのは残念だが、石見銀山については中国地方の鬼たるウチの親父が「ハッ、あんなチャチな場所が世界遺産とは笑わせるw 見んでいい、見んでいい」と吐き捨てるくらいだから捨て置いても問題はないだろう。石見銀山は置いてきた。考慮はしたがハッキリ言ってこの戦いにはついて行けない。
結局、俯瞰的かつ多角的な見地から出雲・松江の二大シティに的を絞ることがベストだという判断に至った。行動時間を出来るだけ長く取るため、初日は当然朝一番からスタートだ。朝5時始発。羽田空港へ向けて僕等は長い旅の第一歩を踏み出した。
羽田空港に到着。目指すは出雲空港だが、航空会社はJALである。何故か知らないが、出雲空港はJALの独占。ANA信者かつJALが正直好きじゃない僕としては納得のいかない選択だ。しかし出雲大社へ効率的に到着するには出雲空港がスタンダードであり、その出雲空港への渡航権をJALが握っているのならば、他に道はない。一旅行者では計れない政治的な縄張り争いがあるのだろうと自分を納得させる。
似たようなケースでは、和歌山アドベンチャーワールドの最寄空港である南紀白浜空港もJALしか選択肢がない。裏があると推測出来るとは言え、やはり不思議である。
ちなみにANAは何の略かというと、「All Nippon Airways」の略。「Airways」は「航空会社」という意味だ。JALは知っての通りJapan AirLine。ジャパンの名を冠し、日本のフラッグキャリア(その国を代表する航空会社)でもあるJALよりも、国際的な評価はANAの方が遥かに高いのは皮肉以外の何者でもないが、その現実こそが僕のようにJALを嫌いANAを支持する人間の理由になるとも思わないか? エアライン選択肢が有る無いに関わらず、僕はこれからもANAを支持するだろう。
とりあえず今日は朝から夜まで走り回る予定のため、朝メシは今の内に摂っておくのがベターだ。といってもしょせんは空港内のレストラン。高くて遅くて不味いの三拍子が基本。とりわけ羽田空港は折り紙付きで全国的にも有名だ。空港内という立地でなければ即刻店じまいしていいクオリティなのは承知している。
それでもせっかくの旅なんだからと、ハズレの少ないカレーライスを頼んだ僕。だけどやっぱり不味かった。ホント空港のレストランってのはとんでもねえ。無論、最初から期待はしていなかった。それでも今一度言っておく。羽田で朝食はマジヤバイ。
メシマズの後、あまり信用してないJALに乗り込み僕等は出雲空港へと無事着地した。着地してもらわないと逆に困るが、座った座席はかなり快適だったため少し彼等を見直す。まあ上位クラスのシートを予約したから当然なのだが、無論カラクリはあり、そのカラクリを今回は最大限利用した。いわゆるオフシーズン割引である。
こういう年末ギリギリの時期って乗客があまり居ないためか、JALもANAも運賃を大幅に落とすんだよな。平日、何もない閑散期を狙って旅行している人々にはその恩恵は分かり難いだろうが、盆暮れ正月やGW、あるいは三連休など、大衆の多くが一斉に動く繁忙期に遠征している人間にとって、その割引率は異常。その繁忙期から一日ずらすだけでも大分違うし、さらに時間帯などを外せば半額以下に落ちうる。これを利用しない手はないということだ。豆知識として。
降り立った出雲空港。嫁は初めてと喜ぶが、僕も初めて。神話の国というだけあって、それっぽい造り物なども置いてある。感慨深くなるほどでもない。空港ってのは案外そういうものだ。空港を抜けてからが本番なのであり、ゆえに空港は楽しい旅行における些細な通過点。風景に過ぎない。
それを理解しているから、各県も空港に愛称を与えて必死にアピールするのだろうか。僕等が降り立った空港は、公式的には紛れもなく「出雲空港」だけど、関係当局の連中は「出雲『縁結び』空港」だと言って聞かない。「出雲縁結び空港」は、あくまで愛称。しかし、少なくとも島根県内では愛称の方をむしろ前面に押し出している感じだ。
たとえば、出雲大社をアピールするポスターには必ず「『縁結び』空港」というコピーを使っている。東京新宿の山陰居酒屋「炉端かば」の店内には、同じく出雲大社のポスターが貼ってあるが、そこではタレントのDAIGOが「運は一瞬、縁は一生、さあ行こう、出雲大社へ、出雲『縁結び』空港へ」と不敵な笑みで客を煽っている。
まあ、ふなっしーの例でも分かる通り、非公式が公式を喰ってしまうケースも世の中にはある。島根県はそれを狙っているのだろう。そのためには出雲大社の存在が不可欠で、かつ『縁結び』という言葉も必ず盛り込まねばならない。その理由について順を追って説明する。
まず島根県をPRする際、一言で表すにベストな謳い文句は何か。それは「神話の国」だ。事実か否かは別として、日本最古の歴史書と言われる「古事記」の舞台の多くが出雲の国、すなわち現在の島根県であるという説は今も根強い。この点に島根県は着目した。
古事記は日本書紀と違い、朝廷という概念が出来る以前の神話時代をストーリーの核として据えている。ならば素直に「かつて神話の神々が活躍した土地は島根県」だと考えても齟齬はない。「我が県は『神話の国』である」という島根県の主張には充分な根拠と説得力があるわけだ。
しかし、「神話の国」はあくまで自称。全国民への浸透度はそれほど高くないのではなかろうか。仮に知っている者が居ても金にならない。一部の歴史マニアやゲームオタクが「そうだね神話の国だね」と頷いて終わりだ。観光業としては、もう一歩先に踏み込まねばならない。
すなわち実際に現地に足を運んでもらい、金を落としてもらう。ここまで持ってこなければ観光が成功したとは言えまい。知名度が高くなっても金を生まなければ虚しい遠吠えにしかならないのだ。
地方自治体にとって、いや住民にとってもっとも重要なのは生活の向上であり、それが安定的に継続すること。その根底を支える歳入は、税収だけでは賄えない。経済の活性化、企業の誘致、やるべきことは沢山あろうが、観光業もまた極めて重要な収入源なのだ。奇麗事では済まされない台所事情と大人の事情。観光スポットへの来客数は県政、市政、町政にとってまさしく生命線である。
隣県の鳥取県・境港市などを例に考えれば分かり易い。境港市の地盤はもちろん漁業。漁港としての境港は全国的にも有名だ。しかし今現在はどうか。境港市は「ゲゲゲの鬼太郎」の町、あるいはその作者である「水木しげる」の町という別の側面を持っている。もしかすると今はさらに進んで、朝ドラ「ゲゲゲの女房」の舞台という見方が強まっているかもしれない。つまり観光名所としての顔だ。
その観光名所としての影響力が近年、爆発的なまでに膨れ上がっている。「港の町」の称号を塗り潰すほどに。嘘か真か、2012年における日本全国のテーマパークの年間来客数は、一位が東京ディズニーランド&シーを擁するTDR、二位が大阪のUSJ、そして三位にまさかの「水木しげるロード」が食い込んだという。この報道は、僕からすれば有り得ない事態だった。
TDRやUSJならまるで驚きもしない。彼等は毎年の常連であり、そもそも集客力云々を語る前に人口が違いすぎる。TDRを擁する東京都(実際は千葉県だが東京と見なしても差し支えはない)と、USJを抱える大阪なんて、全国トップ3に入る人口数だ。かつ、隣県である千葉や神奈川、埼玉などもやはり人口数トップレベル。大阪の隣県はそこまででもないが、交通の便から言えば近畿・中京・中国地方の住民を殆ど取り込める。
つまり来客の対象となる人口が桁違いなのだ。なので僕は、TDRやUSJが万年トップ2に君臨しようが驚きはしない。人の多い場所で商売が繁盛してもそこまで賞賛しない。立地、客となり得る人の数、すなわち商圏の設定は、商売の根幹に関わる戦略だ。その戦略段階から優位に立てたのなら、それはセンスある決断と言っていい。
だけど立地については必ずしも自由じゃない。どうしようもなく人が少ない場所、あるいは無名な場所。与えられた場所がそこしか無いという状況だってあるのだ。その状況を乗り越え集客数を確保出来た者にこそ、真の賞賛を受ける資格があるのではなかろうか。
北海道旭川市にある旭山動物園などは良い例かもしれない。旭川市は、北海道という全国有数の観光地に位置しており、かつ人口数も名所も多いにも関わらず、他県の人間からすればパッとしない。札幌市や函館市などの有名都市は言うに及ばず、財政破綻という悪名で名を轟かせてしまった夕張市よりも認知度は低いはずだ。
そういう意味で、旭山動物園が果たした役割は計り知れない。赤字経営を立て直し、「動物の生態が生で見られる」という触れ込みで全国にアピールし、何よりマスコミを味方に付けた。やや過剰にすぎる演出感は否めない、戦術としては間違っていないはずで、何よりも、言うなれば辺境に位置する施設として出来る策は全て取ったのだろう。
その是非は関係ない。結果が大事だ。旭山動物園は、経営難の脱却どころか今では全国で最も有名な動物園としての地位を磐石にしている。パックの北海道旅行には必ずルートとして組み込まれるほどの定番だ。これこそが結果。旭川市が有名になったかどうかは別にして、動物園のお陰で観光客が金をガンガン落としてくれるのは間違いない。賛否に関係なく、その実績は大いに賞賛されるべきなのだ。
この旭山動物園の例が示すように、地理的に不利な土地での観光業は基本的に不利。だからこそ、年間来場者数三位に水木しげるロードが躍り出た時、どうしようもない違和感を覚えた。最初はステマじゃないかと疑ったほどだ。
どのくらい不自然かと言えば、米国の代表的なニュース雑誌「タイム誌」が一年で最も活躍した人物をインターネットで投票する「ベスト・オブ・ザ・イヤー」で、日本の田代まさしがいきなり一位に躍り出た2001年の珍事「田代祭」と同じくらいの不自然さだ。
まあ「田代祭」の件は正真正銘ステマというか、面白がった2ちゃんねらー達が自動投票スクリプトなどを使って多重投票した結果のヤラセだったわけだが、リアル世界の観光業界ではそう気軽にもステマは出来まい。
ゆえに不思議だったのだ。いくら「水木しげるロード」の知名度が高まったからと言って、そこまでの大人数が鳥取まで大挙するのか。三位を獲った2012年の来場者数は380万人らしいが、それって鳥取県の全人口の6倍以上なんだぜ? バランス的に変だろ。それに僕等が実際6~7年前の帰省ついでに寄った時なんて、まさに古びた商店街風で人なんて殆ど居なかった。そんな体験がある僕としては、なおさら思考が追い付かない。
だが、それは事実なのだ。ソースがマスコミの言だから鵜呑みにはしないけど、「水木しげるロード」の躍進には理由があるはずで、それは旭山動物園と同じく積極的かつ長年に亘る地道なPR活動のお陰だろう。境港市は、あくまで漁業を主要経済とした港の街だ。観光業と同列には比較出来ない。それでも「水木しげるロード」の貢献度は甚大で、今となっては無視できないどころか欠かせない存在。境港市は、水木しげるは当然として、向井理や松下奈緒にだって足を向けて寝られない。
少し前置きが長くなったが、旭川市の旭山動物園および境港市の水木しげるロードと同じ戦略を島根県も取ったのだろうと思われる。島根県にとって、「神話の国」というフレーズは、あくまで大衆の目を引き付けるためのジャブ。客寄せパンダの役割だろう。本丸は別にある。その本丸が出雲大社であり、「出雲『縁結び』空港」という名の看板だ。『縁結び』というフレーズこそが戦略の肝である。
何故か。それは、老若男女を問わず万人が色めき立つジャンルは色恋沙汰であるという揺るぎない事実があるからだ。その事実に出雲市、ひいては島根県は注目し、最大限活用しようと考えた。たとえば創作物にしても、時代背景や流行によって受ける物語は異なるが、ラブロマンスだけは時代を問わず鉄板だ。男と女が織り成す愛のカタチ、すなわち恋愛という要素は人類にとって永久不滅のテーマなのである。
永久不滅かつ鉄板ゆえに、容易かつ最大限の効果が見込める。そこに島根県は目を付ける。出雲空港が自称する『縁結び』という言葉は、まさしく「恋愛」というキーワードを人々に直感させ、出雲大社とはまさしくその『縁結び』を統括する由緒ある「恋の社(やしろ)」。事実はそうでなくとも、なるべく大げさにアピールするのが良い。元々、出雲大社は全国的にも別格の存在なのだから、かませるハッタリは最大限かますべきだ。
ここまで来ればもう気付いただろう。最初に宣言した「神話の国」というキャッチコピーは何処かへと消え去り、いつの間にか「恋の国」になっている。つまり、先述したとおり「神話の国」は出雲市にとって最大の存在価値だが、時流を考えた時、それを前面に押し出すよりも先に、やらねばならぬことがあるということ。つまり、最初に恋愛要素を絡めて宣伝するという手法。
「神話」をエサに来客を増やし、ついでに恋愛関係で金を落としてもらう。そうじゃない、逆なのだ。「神話」から入るのは王道だけど、現実に即さない。まずは恋愛や縁結びというキーワードで足を運ばせ、その後で「神話」関係にもついでに金を落としてもらうというのが正しい流れだ。
第一に、神話オタクなんて輩は頼まなくとも来たい時に勝手に来るわけで。コアな人間は、放っておいても金を落としてくれるのだ。そんな相手に労力を掛けてどうする。それよりもまずは浮動票の確保が先決だ。浮わついて状況次第でどちらにも転ぶ相手にこそアプローチを掛けねばならない。つまり女だ。まずは女性客を取り込むのが先だろう。
そうすれば後は芋づる式。女性を釣れば、その親や旦那や彼氏や子供を引き連れて来てくれる。「将を射んとすればまず馬を射よ」という格言を借りるなら、「客を取り込みたくばまず女を取り込めよ」ということだ。それだけ女性の口コミ力と影響力は計り知れない。逆に言えば、女性を取り込めない施設に未来はない。
そういう意味で、『縁結び』というフレーズは鬼に金棒。ガールズトークの8割が恋バナと言われるように、恋愛事に対する貪欲さは女性の方が遥かに上なのだから、『縁結び』を大々的に謳えばパックリと食い付いてくれること請け合い。そんな出雲市の、抜け目なくも野心溢れる戦略の最初の入り口が「出雲『縁結び』空港」なのであった。
そんな出雲市の商魂と来客達の俗っぽい欲望が渦巻く出雲大社に僕等は到着。荷物を置くためまずはコインロッカーを探したが、なかなか見つからない。そんな時、大通り沿いにポツンと建つ軽食屋兼お土産屋に入ったところ、入り口で看板の掃除をしている店主と見られるおっちゃんが、「もしウチで買い物するんだったら、観光の間ウチが荷物を預かってもいいですよ♪」と嬉しいお言葉を投げ掛けてくれた。観光地ならではの地元民との心温まる触れ合いだ。「マジすか、助かります」と僕等は喜んだ。
しかし、そのおっちゃんが誘導してくれるかと思いきや、彼は看板を掃除する手を休めることなく「とりあえず中に居る店長に相談してみて下さい」と言い放った後、僕等など最初から居ないと言わんばかりに作業に没頭してしまった。
急に取り残された僕等。店の中には、カウンターに仁王立ちする貫禄あるおばちゃんと、そのおばちゃんの指示でテキパキと品出しする熟練めいたおっちゃんと、エプロン姿で店内を歩く若いねーちゃんと、ネックレスやイヤリングなど高価な品物が並ぶカウンター内で鋭い眼光を放ちながら、アタシャこの道50年なのよ?というオーラを放つ婆さんとの4人が居た。僕等は思わず顔を見合わせて言った「店長って…誰?」。
つかあの看板掃除のおっちゃんが店長じゃないのか。いやそれ以前に、投げっ放しにも程がある。僕等は仕方なく、仁王立ちする貫禄あるおばちゃんが店長だと見定め、彼女と少し会話する。あまりダイレクトにお願いするのも厚かましいので、「ところで荷物とか預かってくれるとことかあるんですかね?」と遠回しに聞いた。するとおばちゃんは、「すぐ近くに『ご縁横丁』っていう商店街があるけど、そこにコインロッカーがあるわよ」と、まさしく捻りのない回答を寄こしてくれた。え? あの、預かってくれるって話はどこに…。
何かもう会話するのも面倒臭くなった。「あ、はぁ、そうですか。じゃあそこに行きます」と返答した僕等は、店を出ておばちゃんの指定した「ご縁横丁」を目指すことにする。店を出る前、例の看板掃除のおっちゃんが、「どうもありがとうございました~♪」と、初めて見る客に対するような挨拶で僕等を見送る。荷物の話など最初から無かったんじゃないか。そう思わせるに足るドライな商売人の目だった。
最初来た時は、この店で土産を買おうと思ったのだが、こんな肩透かしを食らったんじゃあ…。そう思っている僕の心を見透かしたように、嫁が店を一瞥したあとこう言った。「あの店では絶ッッ対に買わないようにしようね!?」。「当然だな!」と僕は力強く答える。そんな、出雲大社見物前のささやかなやり取り。どっと疲れた。
土産屋店員の言う「ご縁横丁」はすぐに見つかった。商店街というほど広くはなく相当手狭。家一軒分のスペースに小さな店をいくつかギュッと詰め込んだ感じだ。お祭りの時に集まった5~6個の屋台群といった程度の規模である。ただ、ここにもやはり登場する『ご縁』という言葉。しつこいくらいに繰り返す。やはり出雲大社のコンセプトは「神話」でなく「ご縁」らしい。「ご縁」がメインタイトル、「神話」がサブタイトルと言ったところか。
ゲーム化するなら「ご縁クエスト2 ~出雲国の神々~」という感じか。第三部が出るなら「ご縁クエスト3 ~そして結婚へ~」あたりか。以下、「導かれし者たち」「大社の花嫁」「幻の大社」の大社シリーズ三部作へと続く…。
ご縁横丁に荷物を預け、ようやく本番である出雲大社詣でへ突入する僕等。入口の鳥居からしてデカい。朝にも関わらず訪れる人間の数も桁違いである。この辺はさすが全国的に有名かつ恋のご利益が半端ない(と一部で噂されている)出雲大社。日本三大社家と並び称される三重の伊勢神宮、大阪の住吉大社にも引けを取らない活気とスケールだ。石見銀山を捨ててこちらに来たのはやはり英断だったな。
期待度と人気が高い分、よからぬ輩が紛れ込む確率も高くなる。それだからか、神社側も結構気をつけている模様。特に火の元には気を配っている感じだった。境内には僕の見た限り喫煙所が一つもなかった。近所の小さな神社ならまだしも、出雲大社レベルの広さで禁煙にされると意外と辛いもの。
ただ、広いからこそ参詣客も増加し、人が増えるからこそ喫煙はあらゆる意味で危険。まあ、出雲大社の措置が正しいと僕は思うよ。本心では吸いたいけど。
そう願う僕にとって救いの手と言わんばかりに、大社前の交差点近くに灰皿が居心地悪げに設置されていた。吸い溜めするため勢いよく火を点けた僕。すると後ろから突然、警備員っぽいおじさんがニュッと現れた。
おじさんは僕を訝しげな顔で見ている。一応「ここ、煙草吸ってオッケーなところですよ…ね?」と僕は問うた。するとおじさんは、「ええ、もちろんいいですよ。あんまり目立って吸うと周囲の目が厳しいんで、こんな場所に隠してますけど」と意地悪そうな、自嘲気味な笑顔で僕に答えた。
何か色々気苦労がありそうだな。煙草は絶対悪だと断じる人々の顔を窺いつつも、吸いたい人間の権利を無視するわけにもいかず。こんな旅行先でも透けて見える、愛煙家と嫌煙家との見えない火花。犬猿の仲を取り持つ有名観光スポットで働く人の気苦労。警備員のおじさんに何となく心の中で敬礼する。
そのおじさんは、「まあ、とにかく出雲大社に火を点けられたらたまらんですから」とも話していた。確かにこのご時世、放火や不審火は多い。神社や寺院ってのは大体、過去一度は火事で焼失しているもので、建立以来そのまま原型を留めるものは稀有だ。
出雲大社も例外じゃない。それでも、これだけ警備の発達した現代社会で寺社が大火事ともなればショッキングにすぎる。「神話の国で出雲大火!」などとスクープされても笑えない。用心に越したことはない。
デカい鳥居をくぐり、出雲大社への参詣を始める僕等。道行く所々に小さな社が建ち、賽銭箱が置いてある。参詣客の多くがそこに並んで参拝する。本殿に辿り着く前に、その本殿と関係あるのかどうかも分からない小さな社にお賽銭を投げ入れるこの行為は、本当に正しいことなのか。今まで巡った神社も大体そうだった。今回も同じく。出雲大社を拝みに来たのに、別のところで無駄に賽銭を払わされているだけでは?
そんな疑問をずっと抱いていたが、今回何となく謎は解けた。参道の所々に建てられた小さな社。それらもまた神社だ。神社なのだから参拝したり賽銭を投げ入れるのはごく自然な行為である。
ただ、そうなると図式的には神社の中に神社が建っていることになる。一体どういうことなのか。今回の出雲大社で一番最初に拝んだ小ぶりな神社の傍に立つ札の説明文を読み、その疑問も解決した。その札には「この神社は『末社(まっしゃ)』である」という意味合いの文章が綴られている。
末社とは、ある神社に縁故のある神社のこと。厳密に言えば、その神社の「格式」を表す言葉らしい。つまり親類とか、会社で言うなら部下のような位置付けだ。縁故があるから、その敷地内に仲間入りさせてもらっている。だから神社の中に神社があるという不思議がまかり通る。
恐らく大きな神社であればあるほど、縁故のある末社も多いはずだ。数ある末社は、言うなれば出雲大社という巨大派閥の中の一派。子会社みたいなものだ。賽銭箱の見地から見れば、内輪で金を回している感じになる。要は癒着だ。なるほど。
ちなみに、「末社」が神社の格式を表す言葉だとすれば、他の呼び名、つまり他の格式も存在するのではないかという想像が容易にできる。格式よりも「ランク」と言った方が分かり易いが、実にその通りのようだ。
末社は、神社の中では最も低いランク。その上に「摂社(せっしゃ)」というランクがある。摂社も末社と同じく、特定の神社に縁故があり、その恩恵を受ける神社だ。その摂社のさらに上が「本社(ほんしゃ)」。この本社が最も上のランク、つまりトップだ。今回で言うなら出雲大社が本社である。
図式的にはこうなる。
「本社>|超えられない壁|>摂社>末社」
会社のM&A的に見れば、こうか。
「親会社>100%子会社>関連会社」
会社組織の役職で見れば、こうか。
「社長>中間管理職>平社員」
家に例えるなら、こうか。
「オフクロ(財布を握る)>オヤジ(金を入れる)>ニートの息子(スネをかじる)」
いずれも何かしらの縁故があり、そのよしみで同じ組織として、仲間として、敷地内に入れてもらっている。神社の世界も楽じゃなさそうだ。
ちなみに、同じ摂社や末社でもさらに区分があるようだ。明確な区別方法は説明できないが、なるべく分かりやすく言うと、一番格上である神社、すなわち本社と、その本社の占有する敷地を石垣でグルリと取り囲んでいるとする。その石垣で囲まれた内側を通例的に「境内(けいだい)」と呼び、その石垣の外を「境外(けいがい)」と呼ぶ。
摂社あるいは末社が、この境内に建っているかどうかが、本社との縁故の強さを計るポイントのようだ。境内に建っているのであれば、境内摂社、境内末社。境外ならば境外摂社、境外末社となる。当然、境内摂社や境内末社の方が、本社としては重要かつ親密、ということになるだろう。
分かり易く言えば、同じ親戚なのに姪っ子は家でぬくぬくと可愛がられているのに対し、甥っ子はプレハブ小屋に閉じ込められているという光景。あるいは本社営業部部長に大抜擢された社員と、関連会社に出向させられた社員。事情を知らぬ者から見ても力関係は一目瞭然だ。
いずれにせよ、「なるほど」と言ったところだ。今まで特に気に掛けなかったが、これからは「摂社」「末社」「境内」「境外」というキーワードを常に頭に入れながら参詣することにしよう。
歩く途中、二本のデカい木の柱をくっ付けたようなオブジェを見つけた。高さ20メートルほどあるそれは、上になるほど細くなっていく。そのフォルムはまんま箸だ。実際、箸なのだろう。そういえば、出雲大社といえば「ご縁の街」である関係上か、夫婦箸も名物の一つだ。その夫婦箸を形取ったオブジェをデカデカと飾ったのだろう。
折りしも現在、出雲大社は60年に一度しか訪れないという「大遷宮(だいせんぐう)」の時期。「平成の大遷宮」と呼ばれて客で一層賑わう今、ハデにやりたかったのだろう。その心意気や良し、だった。
ところで「大遷宮」とは何か。名前からして都を変える「遷都(せんと)」の類似形だと思われるが、概ねそんなところだ。神社では、神社境内にある建物の中でも最も偉い「本殿」を改築、あるいは移転する作業が定期的に行われる。その周期は神社によって異なるが、その本殿を改築・移転する間、祀ってあるご神体をどこかに移動させて保管する必要がある。厳密には、このご神体の移動・保管のことを「遷宮」と呼ぶらしい。
出雲大社の遷宮周期は60年らしく、数年前から遷宮を開始した模様。今年はその過渡期にちょうどぶち当たるため、「平成の大遷宮」などとことさら大仰に煽り立てたようだ。まあ、初めての出雲大社でそんな節目にぶち当たるのだから運は良いのだろう。
出雲大社のご神体は言わずと知れた「大国主神(オオクニヌシノカミ)」。「ダイコクさま」と親しみを込めて地元民には呼ばれているが、遷宮の間、安らかに僕等を見守ってもらいたいものである。
あと、出雲大社のような神社の場合、祀る神様のことを「ご神体」と呼び、それが安置されている場所を「本殿」と言うが、寺院と混同し易いのでここで整理しておく。寺院の場合は、ご神体ではなく「ご本尊」。具体的に言えば、弥勒菩薩像とか薬師如来像とか、あの類だ。そして、ご本尊が安置されている建物は「本堂」になる。
神社:ご神体・本殿
寺院:ご本尊・本堂
こう覚えておけば概ね問題ないだろう。そこを押さえておくだけで大分違ってくる。
神社の知識も少しずつ付き、諸々の建物を見ながら移動する僕等は、出雲大社の目玉とも言えるバカでかいしめ縄がある建物に移動。「大注連縄(おおしめなわ)」と呼ぶが、この大注連縄はデカさも重さも規格外で全国的にも有名だ。一説によれば、投げた賽銭がこの大注連縄に刺さるとご利益があるとか。
実際、大注連縄の真下から賽銭を投げてみた。いや、投げたというより大きく振りかぶって投げ付けた。そのくらいしないと刺さらなそうなので。まあ数回目で一応刺さった、刺さったけど…。
正月、全国から殺到する参拝客が団子状態で押し合い引き合い、大注連縄に何とか賽銭を突き刺そうと全力投球する光景は、少し、怖いな。
そんなメインたる大注連縄を見物し、行き交う中年夫婦に頼んで写真を撮ってもらったり、写真を撮ってあげたり。これで主となる任務は完了と言っていいのだが、本当の意味での主役はまだ別にあるらしいんだよな。出雲大社の看板コンテンツは「大注連縄」だが、その大注連縄も二種類あるようなのだ。
一つ目は、まさしく今見た建物の注連縄。建物の名称は「拝殿(はいでん)」と呼ぶ。基本的に拝殿は、天守閣たる本殿の入り口を守るように建っている。ゆえに本殿には入れない。本殿を拝みたい参詣客は、実質的にはこの拝殿を通して本殿を拝む格好になるだろう。王様に直接直訴したいが、親衛隊に阻まれて近付けないため、仕方なくその親衛隊に直訴状を渡すという感じか。
本殿と言えば、その神社にとっては命も同然。門外不出の奥義のようなものだ。そう易々と一般人に晒すはずもないだろう。別に文句はない。文句があるとすれば、「唯一無二」みたいな触れ込みの大注連縄が実は二つあったという紛らわしさだ。
では、正真正銘、最大級の大注連縄が飾られている建物はどこにあるのか。答えは神楽殿(かぐらでん)である。確かにその神楽殿にある注連縄は、大きくて、そして重そうだった。まさか本殿や拝殿を差し置いてメインを張ろうとするとは。安室奈美恵のライブでバックダンサーがしゃしゃり出るようなものだ。神楽殿って何者だ?
神楽殿とは、神々に「神楽」を奉納するために設けられた建物。じゃあ「神楽」ってナニ? 「神楽」とは、神に奏上する歌と舞いのことだ。歌と踊りと言い換えた方が分かりやすいか。いや、単純に「音楽」と言った方がいいかも。イメージとしては現代の歌舞伎で良いと思われる。「神楽」の『楽』はそのまま「音楽」の『楽』と考えれてOK。
その神楽にも、巫女さんが歌って踊る「巫女神楽」とか、獅子舞で有名な「獅子神楽」とか、その派生として竜などの被り物を被って踊る神楽とか、色々ある。簡単に説明するなら、神楽はライブ。神楽殿はライブ会場。観客は神様で、演奏者は巫女さんバンドだ。巫女さん達は客である神様に向けて、神楽殿という名のライブ会場で一生懸命バラードを歌う。まあ巫女さんも楽じゃない。
しかしその分、報われるだろう。全国からこの神楽殿目指して大勢の客が来てくれるわけだからな。そもそも出雲大社は『ご縁』の神社なわけだし、むしろ本殿や拝殿よりも、こっちの神楽殿の方が主役で構わないんじゃね? などと僕は思ったりもした。
∧_∧ ┌────────
◯( ´∀` )◯ < 僕は、神楽ちゃん!
\ / └────────
_/ __ \_
(_/ \_)
lll
というわけで、順調に出雲大社の各スポットを回る僕等。おみくじも買った。従来は地元の西新井でおみくじを引くのだが、こういった遠征の際は、その土地土着の神社で引くようにしている。本日はまだ2013年の大晦日。2014年にはなっていないのだが、今後のスケジュールを考えると、おみくじを引けるのは今日くらいしかない。出雲大社を訪れた記念の意味も込め、僕は2014年の運勢を占うために、おみくじを引いた。
出雲大社で引いた僕のおみくじは、大吉。いいことばかり書いてある。今後、いいことがあるのだろうか。2014年はいいことがあるのだろうか。それとも、これは2013年に引いたものだからノーカウントだろうか。
そういえば去年、すなわち2013年の初詣は、地元の西新井大師でおみくじを引いた。そのおみくじにもいいことばかり書いてあり、心の中で期待した僕は、そのおみくじを財布の中にそっと仕舞った。
だけどそこから一年間が過ぎ去り思ったのは、決しておみくじ通りには行かなかった現実だ。いいことが全くなかったとは言わない。だけど自分で納得できる時間の使い方は出来なかったし、自分がこうだと定めた方向に舵を切ることが出来なかった。
しょせん、おみくじは気休め。理由はどうあれ、理由を他に求めるような他力本願思考では決して変われない。分かってる。それでもあの大吉は、僕の心の支えの一つであったことは確かだ。であるならば、今回出雲大社で引いた大吉も、2014年の心の支えとなり得るかもしれない。たとえ気休めだろうとも。
嫁が引いたおみくじも同じく大吉。彼女は引いたおみくじを、傍に立つ大木に結び付ける。去年の西新井大師もそうしていた。そして僕もまた去年と同じく、引いた大吉を財布の中にそっと仕舞う。神頼みはしない。それでも希望を持っていたいという願いがあるから。挫けそうな時、その願いを思い出すために、出雲大社の大吉は今年一年、僕の懐で生活を共にする。
にしても、天下の出雲大社だけに、木に結ばれたおみくじの数が尋常じゃない。おみくじの厳かで純白の古紙が、太さ直径1メートル以上はある大木の周りを、それこそ隙間なくビッシリと埋め尽くす。その規格外の光景はあまりに異様だ。例えるなら、クリームパウダーを何重にも塗りたくったブッシュドノエルというか、一匹のバッファローの死体にアフリカ中のウジ虫が集結したかのような群がり様というか。正直、キモチワルイ。
おみくじだけじゃなく、飾られた絵馬の数も半端じゃない。あたり一面に、参拝客達の切なる願いを込めた数え切れないほどの絵馬がビッシリと奉納されている。少し拝見したが、本当に切なる願いだ。こういう場所では、神様に届けるために住所や本名まで書くのが絵馬のルールといえばルールだが、にしても欲望剥き出し。願いを綴った人間の切なる情念が見て取れる。「ご縁の神社」の名は伊達じゃない。
たとえば、妻子など家族に対する感謝。これからも皆が健康に幸せにと願いを込める父親。父として、男としての愛情溢れる力作だ。
あるいは、今付き合っている彼氏や彼女に対する感謝、その関係が継続するようにという願いも多い。「○○子とこれからも仲良く出来ますように」という真剣な気持ち。「△△クンと結婚できますように」なんて可愛いものもある。「子供を二人作って、田舎に家を建てて、ネコを飼って、誰よりも幸せな家庭を築く」なんて具体的な絵馬もある。男女の溢れる恋心が遺憾なく爆発している。
あるいは、未婚で恋人の居ない者達の切実な恋愛願望・結婚願望。「ワタシだけを一途に愛してくれる人が現れますように」という完全他力本願型から、「男らしくて優しくて友達が多くてお金持ちの男性に言い寄られたい」というかなり欲張りな婦女子、「○○さんの彼女になりたいです」というストレートな願望など、多種多様だ。さすがフリーの方々、切実感が一味違うと思った。
中には複雑な関係を匂わすもの、解釈に悩む願いもあった。「○○と復縁できますように。それが無理なら○○より全然いい男と付き合えるようにヨロシク」とか、「○月△日、□□でキミと出会った日のことは忘れない。離れているけど今でもキミを想っている」など、複雑ポエムな絵馬を見ると、世の中には様々な人が居ることを、様々な想いがあることを思わずにはおれない。
恋愛もご縁も全くない、ただ「幸福!」とだけ書かれた男らしい絵馬などもあったが、酸いも甘いも生きている内なればこそ。耐え忍ぶのも恋の至極。願わくば、絵馬を飾った人達の願いが少しでも成就しますように。
その他、様々な境内施設や銅像などを見つつ、出雲大社の見学は大体終わる。途中、「大国主神(オオクニヌシノカミ)」と兎がセットになった像があった。有名な「因幡の白兎」の一説だ。この白兎の他にも「オオクニヌシ」は逸話を沢山持っている。
兄弟達のイジメや嫉妬にも負けず、賊を討伐したり人助けをしたりと手柄を独占し、時には美人の姫君を口説いてイイ思いをするなど、言うなればイジメられっ子の立身出世物語だ。とはいえ、オオクニヌシは元々が根は優しくて力持ちなイケメンで、つまり最初から「持っている」男。さらに出自からしても神話時代にヤマタノオロチを倒したスサノオの子孫なわけだから、ある意味出来レース。後世の醜男達がオオクニヌシを見本にしても意味がないと言える。
まあ逆に言えば、選ばれしイケメン勇者のオオクニヌシだから出雲大社のご神体になっているわけだ。
ただ、それはいいとして、因幡の白兎の「因幡」って地理的には鳥取県なんだよな。いくら伝説のイケメンと、それを擁護するビッグ神社とはいえ、鳥取を無かったことにするなんて酷くない? そんだけ有り難がられればもう充分だよ。こっちにも少し分けてよ。
あと一つ、個人的に印象に残ったのが「野見宿禰(のみのすくね)神社」だ。「野見宿禰」は相撲の祖と言われた伝説上の人物。昔教科書に出てきた気もするし、漫画「修羅の刻」でもその名前が出てきた。個人的に興味はあったけど。
寂れてるな、とても。小さな拝殿は、新しいけど「一日で作りました」と言わんばかりのチャチな造り。参拝客も一人も居ない。相撲ということで屋根付きの土俵も傍にあったのだが、泥水だらけのビニールシートを被せたまま放置されているという非常に惨めな状態だ。
一応、説明文では「摂社」となっている。出雲大社と縁故があり、かつ末社よりも格上ということだ。しかし反面、明らかに離れた場所にあり、この間に合わせ感満載の風景。摂社といっても「境外摂社」だろう。つまり、出雲大社にとってそこまで重要じゃない神社ということだ。だから誰も訪れない、拝まない。相撲の神様が何たる扱いなのか。
だからこそ、せめてオレだけは祈ってやりたいと強く思った。オレは、あの時拝殿の傍に備え付けられたミニチュアのような賽銭箱に投げ入れた一円玉の音は忘れない。チャリ~ンッ…。
出雲大社を出た後、すぐ目の前を伸びる「表参道神門通り(しんもんどおり)」を歩く。通りの両側が土産屋でビッシリ埋め尽くされている。朝に一度見た「ご縁横丁」も全ての店がオープンし、活気に溢れていた。僕等は名物である「出雲そば」を食いたくて、神門通りおよびご縁横丁を隈なく歩いた。
しかし客が多すぎてどこにも入れなかった。仕方なく、ご縁横丁にある茶屋のような店で、押し寿司を食ったり、おしるこを飲んだりして腹を満たす。まあ、こんな食事もまた良し。何か観光で食べ歩いている、という気分になる。
夫婦箸やちくわなど、出雲大社前には名物が溢れかえっている。しかし僕が最も目を引かれたのが「勾玉(まがたま)屋」だ。まあ、勾玉も見方によればアメジストやトパーズなどと同じパワーストーンの一種だ。しかし僕には、神話時代から継承されてきた「日本古来の石」というイメージの方が強い。
ゆえに惹かれる。身に付けると日本神話の伝統と神々の魂を取り込むような気分になる。これこそ、ロマンだ。「ご縁」や色恋沙汰に浮かれる客としてではない、僕が本来神話の国に求めていたものが、ここにある。
「めのや」という勾玉屋に入った僕は、服や料亭のメニューを選ぶ時などよりも遥かに時間をかけてじっくりと物色した後、魂の篭った勾玉をしつらえたネックレスを6000円くらい出して買った。いや、ネックレスではない。敢えて言おう、「首飾り」であると。他の土産物と違い、今日買った勾玉首飾りは、僕にとって一生の宝物になるような、そんな予感がしていた。
勾玉によって、「ご縁」から「神話の国」へと頭を切り替えた僕等のその後の行動は、まさしく言動一致。大衆に迎合した出雲大社巡りは終了したが、時間はまだ15時にもなってない。これからが本番だ。この出雲大社の後、および明日のスケジュールは、まさにストイックかつ神秘性を求めた旅になる。そういうプランを立てた。
話題に付いていくための寺社巡りじゃなくて、神々に近付くための寺社巡り。僕等の、僕等による、僕等のためだけの寺社巡りを・・・。。
その第一弾として僕等が選んだ場所。その名は「須佐神社(すさじんじゃ)」である。かなりマイナーな神社なのだが、伝説の「スサノオ」を祀る神社だと謳っているだけに、僕等としては、こちらの方がむしろ楽しみなのだ。ワクワク感が止まらない僕等は、出雲大社前から一畑(いちばた)電鉄と呼ばれる私鉄に乗り込み、須佐神社の最寄り駅へと移動を開始した。
ところでこの一畑電鉄。トロトロとのんびりしたローカル線だ。東京で言う都電荒川線、あるいは京都の通称「嵐電(らんでん)」のようなイメージか。だけど実のところかなりの主要地区を網羅しており、地元での影響力は強い。
そういえば、島根では「一畑百貨店」というデパートが幅を利かせている。岡山でいうところの天満屋のような立場で、全国のメガ百貨店の攻勢をものともしない勢いだ。
そう考えると、この一畑百貨店も一畑電鉄と同じ系列だという予想が立ち、ゆえに島根県民の生活に深く浸透しているという分析もできる。地元の勢力図なんてのは、部外者から見ればまさに迷宮。地元民しか知りえない闇があるのだよ…。
その一畑電鉄に乗り、約一時間。僕等は「電鉄出雲市」という駅に降り立った。一応、須佐神社の最寄り駅なのだが、それで終わりじゃない。そこから車で約30分移動する必要がある。地図的には完全に山奥。どんだけ険しいんだよとたじろぐが、今さら後には引けない。車じゃない僕等は須佐神社近くに降りると言われるバスに乗車した。
一応、時刻表を見れば17:00くらいに須佐神社近くを発車する最終バスがある。須佐神社を少し見学した後、それに乗り込めば何とか間に合うだろう。分単位のスピード感が求められる。
同じように思ったのか、僕等の他にもバスに乗り込む人間がちらほら。初老の夫婦、中年夫婦、そしておばちゃん三人組の三つのグループだった。この年末の夕方、須佐神社をピンポイントで狙い打ち、わざわざ僻地まで決死のバス特攻をかけるような好き者は僕等くらいなものだと思っていたが、そうでもないらしい。世の中にはまこと変わり者が多い。
だが、いざバスを降りる直前、駅前で貰った時刻表を凝視して気付く。17:00発の帰りのバスは、年末年始は運行しないという事実に…。
他の連中も何となく察した模様。車内が少しざわめく。とりあえず面々は須佐神社の最寄駅と言われるポイントでバスを降りる。そこには寂れたスーパーと、おっちゃんが一人で運転手をやっている個人タクシーの会社があった。
その運ちゃんに、皆が詰め寄る。「今から須佐神社に行って、それで帰りのバスに間に合うの?」と。「いや、無理でしょ」と運ちゃんは事も無げに言ってのける。まあ当たり前だろうな。駅に降り立ったのが、15:30くらい。そして最寄り駅を謳っているくせに、この停留所から須佐神社まで、何と三キロメートルほども離れているらしい。歩いていける距離じゃない。
よしんば歩いていったとしても、その時点で16:00は軽く回る。再び歩いてこの停留所まで戻ってきたら、17:00は余裕で超えるだろう。
いや、そもそもその17:00の便が存在しないんだって、年末だから。年末の今日、運行しているのは、その一つ前のバスまで。そのバスの発車時間は、16:00ちょっとだ。つまり、今まさに降り立ったのが15:30だから、須佐神社に行けるどころか、このまま30分待って16:00の最終バスでトンボ返りする意外に道はないということだ。
「そんな! 聞いてないよ!」
「せっかくここまで来たのに!」
「どうしてくれるんだ!」
皆がタクシーの運ちゃんに食って掛かる。だけど運ちゃんは「そんなこと言われても」と苦笑するばかり。当然だ。運ちゃんには何の罪もない。第一、バスの最終時間をちゃんとチェックしていない僕等にこそ落ち度があるのだ。皆、僕等よりも年上だろうに、見苦しいにも程があるな。
いや、それよりも一本の蜘蛛の糸の存在に気付いてないのか? まさしく今、運ちゃんが提示しているじゃないか。そう、タクシーを利用すればいいのだ。バスがあと30分で出てしまうなら、それはスッパリ諦めて、須佐神社までタクシーで連れて行ってもらってだな。そしてじっくり須佐神社を堪能した後は、またこのタクシーの運ちゃんに乗せてもらって、一気に出雲市なり電鉄の駅なりに連れて行ってもらえばいい。
金は相当掛かるけど、そんな一時的な損失よりも大切なものがあるんじゃないのか? 移動手段は、あるのだ。そして今、数キロ先に憧れの須佐神社が建っている。このまま諦めるのか? 見ないまま人生を終えるのか? もうこのチャンスを逃したら、永久に須佐神社に来れる機会なんて訪れないぞ? それでいいのか? お前等は、何のためにここまで来たんだ?
だが、僕等以外の面子は首を横に振った。中年夫婦とおばちゃん三人組は「バスでこのまま帰る!」と憤慨している。残った老夫婦は、タクシーの運ちゃんに交渉していたが、「最終のバスに間に合うように、タクシーで須佐神社に行って帰って来れないか?」と筋違いの論点を提示している。そうじゃない、そうじゃないだろ。
失望した。彼等は同士だと、誰も来ないような日に、誰も来ないような場所に、ロマンを求めてやってきた仲間だと思っていたのに、僕達の勘違いだったようだ。彼等は仲間でも何でもなかった。目の前だけ見て先を見ず、ロマンよりも現実を追い求め、少し困難になればすぐに投げ出してしまう凡人。仲間じゃない。彼等は友達ではなかった。
だからこそ、僕等は行く。体面はどうあれ、魂の部分では出雲大社よりも須佐神社に懸けていた。そのために出雲に来た。元々戻る道はなく、とっくの前から後には引けないと分かってた。だから僕等は運ちゃんにこう叫んだのだ。「やります、ボクが乗ります!」と。いくら掛かってもいいから、僕達を須佐神社に連れて行って下さい。そして帰りは出雲市まで乗っけて下さい。紛れのない瞳でそう言った。
イケメン勇者、オオクニヌシのおわす出雲大社を見た12月31日。だけど本日一番の勇者は僕達。オオクニヌシ以上。オレがスサノオだ!
こうして唯一の参詣者となった僕等は、 タクシーの運ちゃんの誘導で須佐神社へと到着したが、鳥居をくぐって開口一番に僕は言う。「こいつぁ…寂れてるな」と。
ここは須佐神社。創世の神・スサノオの現身たる須佐之男命(すさのおのみこと)を主神に祀る、格式高き出雲の社。だけどその神社が位置する場所は明らかに山奥の集落で、周囲はのんびりとした民家に囲まれた、いかにも田舎にありがちな地元の神社だった。これは…。
落胆? とんでもない。むしろ予想以上だ。神社の価値は、参詣する人の数では決まらない。この雪積もる簡素で静寂な空間の中、人気のない古びた神社が佇む様は、かえって僕に神の存在を身近に感じさせてくれる。逆に考えれば、この場所までの険しい道のりは、逆に参詣者の信仰心を試しているかのようだ。
この須佐神社こそ、僕が求めていた神社の在り方。ただ境内を歩くだけで、積もった雪の上にサクッサクッと足跡を付ける度に興奮する僕だった。やはり今日の主役は出雲大社じゃなく須佐神社だった。僕の目に狂いはなかった。
あと、神社とはあまりに関係ないことであるが、おみくじやの巫女さんがあまりに素晴らしかったのでここに書き留めておく。須佐神社の巫女さんは、黒髪で、肌も白く、そして何より美しい。これぞ巫女さんといわんばかりの巫女さん的仕草である。
そんな美人なのに、こんな山奥に閉じこもり、人の来ない退屈な社務所の中に押し込められても、その態度をおくびにも出さず、唯一の参拝客である僕等を海よりも深い慈愛に満ちた瞳で見守ってくれていた。
だから僕等はせめて彼女の売り上げに貢献しようとお守りを買ったのだが、僕等が売り場の前に立った瞬間、彼女は立て付けの悪そうな窓をスッと開けて、ヒナゲシのように儚げで、だけど愛に満ちた表情で「いらっしゃいませ」と、教室の窓際で黄昏れる深窓のお嬢様のような微笑みで言ったのだ。
まさに巫女。聖女。あまりの神々しさに僕は、まるでマリア様の前に跪く子羊のように「す、す、すいません、お守りがほしいんデスけどっ…!」とキョドった対応を取ってしまったほどだ。だけど女神巫女はまったく動じず、「はい、お守りですね♪」とその美しいお顔を右斜め45度に傾けて僕に微笑む。眩しい。眩しすぎる…。
そういえば、午前中の出雲大社でおみくじなどを買った時、売り子の巫女は、「ハイハイおみくじデスネー」という感じで、これ以上はないというくらい慇懃な態度で物売りをしていた。コイツ等は巫女じゃない。ただのバイトだ。金欲しさにただ客から金を受け取り、欺瞞に満ちたお守りやおみくじを手渡すだけの、自動販売ロボットなのだ。
あのエセ巫女野郎達が下水に付着する汚物だとすれば、この須佐神社の巫女様は、まさしく神話の山に降り積もる清らかな淡雪。彼女こそ、現世に降り立ったクシナダヒメの生まれ変わりかもしれない。フェイクだらけの出雲大社ロボット巫女軍団に毒され荒ぶっていたオレのスサノオは、須佐神社のクシナダ巫女によって浄化された。
そんな興奮冷めやらぬ須佐神社だが、現実的に見れば全て回るのに大した時間は掛からない。本殿で拝み、その裏にある杉の木に囲まれた小さな摂社をいくつか参拝して終了だ。だけど、その杉の木がまた美しいわけで、この自然のコントラストは出雲大社には無い景色だ。
美しいと言えば、須佐神社は主神たるスサノオ、すなわち須佐之男命(スサノオノミコト)の他に、その妻であるクシナダヒメや、そのクシナダヒメの両親のアシナヅチ、テナヅチも祀っているようだ。クシナダヒメは別名・稲田姫とも呼ぶ。全国的にもそこそこ有名な鳥取の地酒「稲田姫」も恐らく彼女の名が由来だと思われる。なぜ島根でなく鳥取の地酒なのかは分からない。
で、そのクシナダヒメについて簡単に説明しておくと、まずスサノオの妻というのが定説。そのいきさつは古事記や日本書紀に辿ることが出来る。あと、ついでに言うなら「出雲国風土記(いずものくにのふとき)」という出雲独自の風土伝記書物にもそれを求めることは可能だろう。
根拠は有名なヤマタノオロチ退治の件だ。クシナダヒメの両親は先にも述べたとおりアシナヅチとテナヅチ。二人には8人の娘が居た。しかし当時世間を脅かしていた怪物・ヤマタノオロチが娘達を生贄として次々と喰ってしまい、残るは末娘のクシナダヒメのみとなった。
両親が嘆き悲しむ中、ふとスサノオが現れる。事情を聞いたスサノオは、クシナダヒメがあまりに上玉だったため一目惚れし、「アンタがオレの嫁さんになってくれるんなら助けてやってもいいぜ?」と持ちかける。ヤマタノオロチのご飯になりたくないクシナダヒメは、スサノオの申し出を了承。喜び勇んだスサノオは早速ヤマタノオロチを撃滅し、約束通りクシナダヒメを嫁にもらったのだった。
夫婦となったスサノオとクシナダヒメは、しばらく旅をして、須賀(すが)という地に辿り着いたのだが、「ここは、いい所だな。よし、ここにとりあえず居を構えてみっか」とスサノオはクシナダヒメに言ったとか。その須賀という地名は特に島根県に多く見られ、ゆえにこの須佐神社および島根県こそがスサノオが眠る土地であると強弁する理由にもなっている。
この須佐神社の他、スサノオを主神として祀る神社は全国にも多数存在する。有名なところでは京都の八坂神社(やさかじんじゃ)あたりか。僕も京都に住んでいた手前、八坂神社には何度も赴いたことがある。その時は「歴史がありそうな神社だな」と単純に感心していたものだが、スサノオのことを知った今となってはそうもいかない。
建立された時期、つまり神社としての歴史の長さは八坂神社の方が遥かに上だ。確か西暦700年くらいに建てられたはず。さすが歴史と寺社の地・京都にある神社。別格と言っていい。対して須佐神社は西暦1300年とか、その程度。さらに京都という当時の政府に近い土地に建てられた関係上か、八坂神社は全国津々浦々の神社においても、特に朝廷から特別扱い的な地位である「二十二社(にじゅうにしゃ)」という肩書を与えられている。須佐神社は「そこら辺にある神社」程度の扱いだ。これだけ見れば、明らかに誰もが「スサノオは別に京都でいいだろ」と思ってしまうだろう。
だが、そんなことはどうでもいいのだ。
確かに、須佐神社の正当性を主張する根拠はいくらでもある。先述した古事記、日本書紀における、ヤマタノオロチ退治および須賀という地名。島根は神話の国であるという定説。さらに言うなら、出雲国風土記では、スサノオの子孫であるオオクニヌシの活躍が記されているが、そのオオクニヌシの祖先がスサノオなのだ。ということは、そのスサノオを祀っている須佐神社は、しょせんその子孫でしかないオオクニヌシを祀る出雲大社よりも本質的には遥かに格上。そう強弁出来ないこともない。
だけど、やはりそんなことはどうでもいいのだ。
真実はそれぞれの胸の中にあればいいわけで、魂の拠り所は人によって違っていていいはずだから。
古事記、日本書紀では、スサノオの他、彼と同等である神、アマテラスオオミカミとツクヨミについても綴っている。彼等三人を指して、日本を創世した「三柱の神」と一般的には称する。現代的にはアマテラスが最も最高の神という認識が浸透しつつあるかもしれない。
だがそのアマテラスとて、ついでに言えばスサノオとツクヨミでさえ、さらに上位の神であるイザナギとイザナミの子供に過ぎない。アマテラスよりもイザナギとイザナミの方がさらに格上なのだ。もっと言えば、そのイザナミとイザナギ以前にすら、さらに高位の神が存在する。もう誰が一番強いかなど分からない。このハチャメチャな世界観ですら、日本神話という限られた中での話。最初の天皇と言われる神武天皇が即位するよりも遥か昔の話だ。
女神転生的に言えば、そのイザナギとイザナミの転生した姿が中島と弓子であり、そこからルシファーや北欧神話のロキなど世界の神話へ飛び火する。最強の神はインドラだ、いやアラーだ、いやオーディンだ、などと話を広げればキリがない。決着を付けることは出来ない。詮無き話題なのだ、そんなものは。結局、最高の神はそれぞれの心の中に在り、ゆえに信仰は自由なのだという結論に必ず至る。
僕は今日、須佐神社で魂の安らぎを感じた。オレの神はここに居ると実感した。慈愛に満ちたクシナダ巫女の存在は、まさしくその証明だ。
それでいい。僕にとって最高神とはスサノオであり、そのスサノオを祀る神社は出雲の山奥にひっそりと潜む須佐神社。過去、数百の神社と寺院を見て回った。だけどこの須佐神社ほど僕の心を揺さぶった場所はない。こここそ僕の長年求めていた場所であり、僕だけの真実。真実は僕の中にある。それでいい。
最高に近い体験をした後、タクシーの運ちゃんに連れられて一気に出雲駅まで疾走する僕等。そこからJRを使って宿泊先である松江市に降り立つ。時間は18時。冬だからか、既に辺りは真っ暗だ。かつ年末のため、店も殆ど空いてない。唯一営業していた居酒屋「庄や」で晩飯を摂った。
面白いことに、「庄や」という全国チェーンの居酒屋でも、特別メニューとしてその土地独自の料理を置いてたりするんだな。食えず仕舞いで終わると思っていた「出雲そば」が、普通にメニューに載っていた。本場ではないだろうが、一応「出雲そば」を食ったことにはなるだろう。
悔いがまた一つ減った僕等は、宿泊先のホテル、「ホテル宍道湖」へと移動する。島根の有名観光スポット「宍道湖」のすぐ側に建てられたホテルである。このままついでに宍道湖も制覇してしまおうという、至極合理的な理由もあるが、初日の出を見るという責務をこなすという意味もあった。
そう、明日は正月、すなわち2014年の幕開け。毎年、元旦には海の近くで初日の出を見るようにしている。今回は海じゃなく湖だが、まあ似たようなものだろう。明日を楽しみにしつつ、だけど今まさに終わろうとしている今年を名残惜しみつつ、ホテルのベッドで眠りの床に就く僕等であった。
2013年はこうして終わる。年初、自分は劇的に変わるだろうと予想して、結果その通りになった。だけどそれは、僕の理想とする姿じゃなかった。本当に望んだ道、変わるべき方向は別にあった。しかしその通りに動けなかった。2014年は、恐らくさらに過酷な年になるような気がする。そんな予感がする。
だけど何も無かったわけじゃない。マラソンを24回走り切り、全く違うジャンルに挑戦し、腐らせていた本来の感性を取り戻そうともがいた結果、得たものだってある。今日の須佐神社との邂逅は、そのご褒美の一つであるだろう。
もう戻れない。恐らく昔の自分と同じに生きることは出来ないだろう。自分で分かる。だからこそ、僕は違う自分になりたかったのかもしれない。いや、違う自分にならなければならないと、努めて追い込んでいたのかもしれない。
2013年はもう終わる。明日からは新たな年が始まる。こうやって、年月は過ぎていく。この世はしょせん仮初め。だけど残したいものもある。伝えたいこともある。死ぬまで尽きないからには、歩き続けるしかない…。