20131231(火冬休) 鳥取帰省旅行一日目 ~大晦日に見た活気ある出雲大社の真実と、寂れた須佐神社との奇跡の出会い

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【朝メシ】
カレー(羽田空港のマズいメシ屋-嫁)

【昼メシ】
押し鮨、おしるこ等 出雲大社ご縁横丁(島根・出雲-嫁)
 
【夜メシ】
居酒屋「日本海 庄や」(島根・松江-嫁)
ポテロング等 ホテル宍道湖内(島根・松江-嫁)

【イベント】
実家帰省旅行一日目 島根・出雲大社、須佐神社、松江宿泊
  
  
【所感】
効率性も何もない形だけの仕事納めを昨日終了し、本日から冬季休暇に突入。鳥取実家への帰省を兼ねた長期旅行へ向かう僕等である。従来は最後の一日は多少の余力を残すところだが、今回は6日間フルで動く。

毎年の帰省、あるいはたまにする旅行。いつ行けなくなるか分からない。動ける時に動くべきだ。自分自身の目標に対してあまり動けなかっただけに、せめて出来ることはやっておくべき。

にしても、昨日の仕事納めは全く意味がなかったな。従業員はやることがなく、電話の一つも鳴らず、だけど体面を整えるために便宜上出社する。誰のための体面なんだか。こういう実務的に非効率で電気代の無駄でしかない勤務は本当に馬鹿げている。

その仕事面で言えば、2013年はかつてないほど心が荒んだ気がする。憎悪だけが生きる支えと言わんばかりの恨みようだった。実際そうだったが、そしてその傾向は今後も継続するように思われた。もう戻れない。良好な関係など築けないし、その気もない。あまりに強固な壁が心に出来てしまった。仕事をしている内は、ただ冷酷な戦士のように振舞うのみである。

今年の多少振り返りつつ、6日間の旅へ向かう僕等。今回の予定は島根~鳥取実家帰省~名古屋~浜松~東京というルートである。今まで複数県を跨いだ旅行は何度もしてきたが、4県に亘るのは初めて。観光ルートも隙もないほど濃密に詰め込んだ。ここまで長期かつアクティブな強行軍はかつてない。

ただ、県を跨いだ旅行はもはや日常。少なくとも結婚してからの帰省は全てそうしてきた。東日本出身ゆえ西日本に疎い嫁に、西日本の何たるかを見せてやろうちう気持ちもあるし、死ぬまでに日本全国を制覇したいという個人的な焦りも恐らく潜在的にはあるだろう。

あと5県なのだ。ここまで来たら、47都道府県全てを廻り切りたい。今まで掛けた時間や金、そして情熱を無駄にしないためにも。佐波伊之児物語・日本編にピリオドを打つためにも。物語の完結まで、あと少し…。

ただ、基本的に人間という生き物は、なるべく効率的に動こうとする生き物だ。目標の場所に出掛けた時、目に付く場所が他にあるのなら、ついでに行ってみよう、一緒にくっ付けてしまおうという抜け目なさを持っている。

身近な例えを出すなら、スーパーに買い物に出掛けた帰りにとても綺麗な公園を見つけたので少し寄ってみた、という延長戦めいた行動だろうか。嫌なことは出来るだけ小出しにし、本当は一つでも被りたくない。逆に、良いことは可能な限りくっ付けて、いくつでも享受したい。人間の特性と言えよう。

鳥取という場所は思うよりも遥かに遠く、旅費もバカにならない。直線距離で700km以上あるので当然だが、移動するだけで相当なコストと労力を伴うわけだ。鳥取の実家で全ての時間を費やしそのままトンボ返りするだけでは何となく勿体無い。損をした気分になる。であるなら、せっかく遠くまで来たことだし、ついでにもっと遠くへ足を伸ばしてみよう。そう思い立つのがむしろ正常なのではなかろうか。実際、その方が大局的に見れば効率的であり得なのだ。

旅行や遠出には、まず目的地というものがある。東京観光、千葉観光、北海道観光など、メインとなる都道府県が定められる。あるいは九州観光、北陸旅行など、都道府県を跨いだブロック単位での指定もあり得るか。面積や観光スポットの数、所要時間などで行動範囲の幅が上下する。今回の僕等の場合であれば、基本的な目的地は鳥取県だろう。

次に周遊エリアの決定。モデルコースと言い換えても良いが、一言に「○○県」と言っても、見所は一箇所に固まっているわけじゃない。東西南北、あらゆるエリアに分散しているのが通常だ。しかもそういった観光スポットは減ることはまずなくて、基本的には増える一方。最初は何も無くても、各市町村が客を呼び込むため勝手に新名所を作るからだ。それが町興しになり歳入増にも繋がるとなれば、必死に知恵も絞るというもの。役所の観光課も楽じゃない。

そんな観光課の思惑もあり、一つの県が抱える観光名所は数十、場合によっては数百箇所にも上るだろう。到底一日で周り切れるものではない。いや、いくら日数を掛けても全てを網羅することはほぼ不可能だろう。多分く、金が尽きるよりも早く気力が尽きる。

だから周遊コースを決めねばならないのである。一つの県全てとして捉えるのではなく北エリア、南エリアなど地理的にざっくりとした固まりで。あるいは遊園地・テーマパークコース、自然・景勝地コース、寺社の伝統歴史コースなど、興味の分類によるカテゴリ分け。それが旅行の正道であり常識。そして常人としての限界だ。本当の意味で全国制覇出来る人間など存在しない。それはヒトの所業ではない、神の御業なのだから。

神ならぬ人間の限界。その代名詞たる「周遊コース」という名の包囲網の絞込み。今回の僕等の旅行日程における第一章・島根観光でも周遊コースの厳選を当然のように強いられる。

島根と言えば、まず思い浮かぶのは何といっても出雲大社だろう。あとはシジミで有名な宍道湖・中海。島根有数の城である松江城。そして玉造温泉。あとは最近世界遺産に指定された石見銀山あたりか。もう一つ個人的なところで、世界一大きな砂時計が展示されている砂の博物館・仁摩サンドミュージアムにも興味があった。「砂時計」という少女漫画となった舞台だ。この漫画はなかなかに面白い。

それらを全て周れればもちろんベストだ。しかし現実的には不可能。島根は広い。具体的に言えば横に長い。それでいて、他県と同じく先述した名所は各地に散り散りなのだ。

加えて、島根滞在に許された日数は一泊二日しかない。しかも二日目の午後には実家・鳥取に出発せねばならないので、実質的な稼働時間は一日半。アンビリカルケーブルを切断されたエヴァのごとき猪突猛進が必須となる。

たとえば東京ならば、皇居やニコライ大聖堂や靖国神社などを見て回り厳かな気分で過ごすのか。スカイツリーや雷門浅草寺ルートで下町気分を味わうのか。六本木ヒルズや表参道ヒルズや赤坂サカスなどオシャレなビル群を巡って都会的な気分に浸るのか。いや、そういった都心を軸にしたルートではなく、奥多摩で自然に囲まれて登山でもしたいのか。膨大な選択肢が有り得る。東京の都心部は意外と狭いので、都心ルート三つを一日で回り切ることも場合によっては可能だ。だけど奥多摩ルートは都心から有り得ないほど離れているためパックにするのは難しい。どちらかを捨てねばならない。

たとえば千葉なら、ディズニーで遊びたいのか、それとも房総半島や九十九里浜方面にコースを定めるかでルートはまるで違ってくる。ディズニーであれば、ついでに幕張メッセやマリンスタジアムなど見物出来るが、そこに房総半島をくっ付けるのは距離的に不可能だ。

神奈川だって、横浜中華街で遊ぶか湘南エリアで海と戯れるか、目的によって逆方向だし、九州と一言に言っても博多の次は熊本の阿蘇山を見物ね、なんて気軽に括れない。北海道であれば、札幌や函館だけならまだしも、道東の摩周湖や網走にまで足を伸ばそうと思ったら、それこそ1週間は必要だ。簡単じゃない。同じ県だからと一緒に考えていると痛い目に合う。限られた時間の中では、目的とする県のさらに限定されたエリアにしか人は旅行出来ないものなのだ。

その限られた時間を考慮した上で、島根県を地理的に考察してみる。まず最も有名な出雲大社を行程から外すという選択肢はない。嫁は涎を垂らすほどに「行きたい行きたい」とはしゃいでいるし、僕自身も鳥取に住んでおきながら実のところ出雲大社に行ったことがないからだ。

案外そんなもの。鳥取と島根は近所のようで遠い場所。東京都民だって山に登りたければまず高尾山に目が向くし、海を見たけりゃお台場で済ます。わざわざ茨城県の筑波山に遠出せずとも、千葉の房総半島に遠征しなくとも、「オレは山を制覇した」「オレは海を知った」と公言出来るのだ。鳥取県民は島根のことも知っており、逆もまた然り。そう思っている方々に明言しておこう。それはただの思い込みに過ぎないと。

いずれにしても出雲大社は固定。しかしその瞬間、名所の全制覇が不可能になったことが確定する。まず出雲大社は、その名の通り出雲市にある。そして、その出雲市から近い市といえば松江市だ。

松江市は島根の県庁所在地であり、ゆえに島根県一の都会。ウチの親父などは「松江市も過疎化が進んで酷いもんだよ」と嘆息しているが、それでも島根随一のアーバンシティであることに変わりはない。

何より松江市は、先の名所の中の宍道湖、松江城、玉造温泉の三つを網羅するという観光的にも優れたエリアである。松江市は地理的にも相当鳥取県寄りなので、島根県を旅行する人は松江市を基点にして動くのがベストだと思われる。僕等もそうしたし、そうせざるを得なかった。

こうして、まずは出雲市で出雲大社を見学し、そのあと松江市に宿泊しつつ観光もするというルートが今回僕等が立てたモデルコースなのだが、時間的にそこで終わりだ。石見銀山、そして仁摩サンドミュージアムは観光できない。巡る時間がないということ。

この二つの名所は、地理的には大田市という市に属する。太田(おおた)じゃなくて大田(おおだ)ね。その大田市が曲者で、僕等が軸にしている松江市から西に80kmも離れている。この二つの市を往復しただけで日が暮れるレベルだ。サンドミュージアムなんてゆっくり見る暇もないし、石見銀山には辿り付けすらしない可能性大。まさしく「大田市に『行って来いした』だけで終わる」のだ。

そんな徒労を味わうくらいなら、鬼の心で大田市を切り捨てて、まずは出雲大社に行って恋した上で玉造温泉などに浸かりながら松江嬢をじっくりと堪能した方が遥かに有意義だろう。サンドミュージアムが見れないのは残念だが、石見銀山については中国地方の鬼たるウチの親父が「ハッ、あんなチャチな場所が世界遺産とは笑わせるw 見んでいい、見んでいい」と吐き捨てるくらいだから捨て置いても問題はないだろう。石見銀山は置いてきた。考慮はしたがハッキリ言ってこの戦いにはついて行けない。

結局、俯瞰的かつ多角的な見地から出雲・松江の二大シティに的を絞ることがベストだという判断に至った。行動時間を出来るだけ長く取るため、初日は当然朝一番からスタートだ。朝5時始発。羽田空港へ向けて僕等は長い旅の第一歩を踏み出した。

羽田空港に到着。目指すは出雲空港だが、航空会社はJALである。何故か知らないが、出雲空港はJALの独占。ANA信者かつJALが正直好きじゃない僕としては納得のいかない選択だ。しかし出雲大社へ効率的に到着するには出雲空港がスタンダードであり、その出雲空港への渡航権をJALが握っているのならば、他に道はない。一旅行者では計れない政治的な縄張り争いがあるのだろうと自分を納得させる。

似たようなケースでは、和歌山アドベンチャーワールドの最寄空港である南紀白浜空港もJALしか選択肢がない。裏があると推測出来るとは言え、やはり不思議である。

ちなみにANAは何の略かというと、「All Nippon Airways」の略。「Airways」は「航空会社」という意味だ。JALは知っての通りJapan AirLine。ジャパンの名を冠し、日本のフラッグキャリア(その国を代表する航空会社)でもあるJALよりも、国際的な評価はANAの方が遥かに高いのは皮肉以外の何者でもないが、その現実こそが僕のようにJALを嫌いANAを支持する人間の理由になるとも思わないか? エアライン選択肢が有る無いに関わらず、僕はこれからもANAを支持するだろう。

とりあえず今日は朝から夜まで走り回る予定のため、朝メシは今の内に摂っておくのがベターだ。といってもしょせんは空港内のレストラン。高くて遅くて不味いの三拍子が基本。とりわけ羽田空港は折り紙付きで全国的にも有名だ。空港内という立地でなければ即刻店じまいしていいクオリティなのは承知している。

それでもせっかくの旅なんだからと、ハズレの少ないカレーライスを頼んだ僕。だけどやっぱり不味かった。ホント空港のレストランってのはとんでもねえ。無論、最初から期待はしていなかった。それでも今一度言っておく。羽田で朝食はマジヤバイ。

メシマズの後、あまり信用してないJALに乗り込み僕等は出雲空港へと無事着地した。着地してもらわないと逆に困るが、座った座席はかなり快適だったため少し彼等を見直す。まあ上位クラスのシートを予約したから当然なのだが、無論カラクリはあり、そのカラクリを今回は最大限利用した。いわゆるオフシーズン割引である。

こういう年末ギリギリの時期って乗客があまり居ないためか、JALもANAも運賃を大幅に落とすんだよな。平日、何もない閑散期を狙って旅行している人々にはその恩恵は分かり難いだろうが、盆暮れ正月やGW、あるいは三連休など、大衆の多くが一斉に動く繁忙期に遠征している人間にとって、その割引率は異常。その繁忙期から一日ずらすだけでも大分違うし、さらに時間帯などを外せば半額以下に落ちうる。これを利用しない手はないということだ。豆知識として。

降り立った出雲空港。嫁は初めてと喜ぶが、僕も初めて。神話の国というだけあって、それっぽい造り物なども置いてある。感慨深くなるほどでもない。空港ってのは案外そういうものだ。空港を抜けてからが本番なのであり、ゆえに空港は楽しい旅行における些細な通過点。風景に過ぎない。

それを理解しているから、各県も空港に愛称を与えて必死にアピールするのだろうか。僕等が降り立った空港は、公式的には紛れもなく「出雲空港」だけど、関係当局の連中は「出雲『縁結び』空港」だと言って聞かない。「出雲縁結び空港」は、あくまで愛称。しかし、少なくとも島根県内では愛称の方をむしろ前面に押し出している感じだ。

たとえば、出雲大社をアピールするポスターには必ず「『縁結び』空港」というコピーを使っている。東京新宿の山陰居酒屋「炉端かば」の店内には、同じく出雲大社のポスターが貼ってあるが、そこではタレントのDAIGOが「運は一瞬、縁は一生、さあ行こう、出雲大社へ、出雲『縁結び』空港へ」と不敵な笑みで客を煽っている。

まあ、ふなっしーの例でも分かる通り、非公式が公式を喰ってしまうケースも世の中にはある。島根県はそれを狙っているのだろう。そのためには出雲大社の存在が不可欠で、かつ『縁結び』という言葉も必ず盛り込まねばならない。その理由について順を追って説明する。

まず島根県をPRする際、一言で表すにベストな謳い文句は何か。それは「神話の国」だ。事実か否かは別として、日本最古の歴史書と言われる「古事記」の舞台の多くが出雲の国、すなわち現在の島根県であるという説は今も根強い。この点に島根県は着目した。

古事記は日本書紀と違い、朝廷という概念が出来る以前の神話時代をストーリーの核として据えている。ならば素直に「かつて神話の神々が活躍した土地は島根県」だと考えても齟齬はない。「我が県は『神話の国』である」という島根県の主張には充分な根拠と説得力があるわけだ。

しかし、「神話の国」はあくまで自称。全国民への浸透度はそれほど高くないのではなかろうか。仮に知っている者が居ても金にならない。一部の歴史マニアやゲームオタクが「そうだね神話の国だね」と頷いて終わりだ。観光業としては、もう一歩先に踏み込まねばならない。

すなわち実際に現地に足を運んでもらい、金を落としてもらう。ここまで持ってこなければ観光が成功したとは言えまい。知名度が高くなっても金を生まなければ虚しい遠吠えにしかならないのだ。

地方自治体にとって、いや住民にとってもっとも重要なのは生活の向上であり、それが安定的に継続すること。その根底を支える歳入は、税収だけでは賄えない。経済の活性化、企業の誘致、やるべきことは沢山あろうが、観光業もまた極めて重要な収入源なのだ。奇麗事では済まされない台所事情と大人の事情。観光スポットへの来客数は県政、市政、町政にとってまさしく生命線である。

隣県の鳥取県・境港市などを例に考えれば分かり易い。境港市の地盤はもちろん漁業。漁港としての境港は全国的にも有名だ。しかし今現在はどうか。境港市は「ゲゲゲの鬼太郎」の町、あるいはその作者である「水木しげる」の町という別の側面を持っている。もしかすると今はさらに進んで、朝ドラ「ゲゲゲの女房」の舞台という見方が強まっているかもしれない。つまり観光名所としての顔だ。

その観光名所としての影響力が近年、爆発的なまでに膨れ上がっている。「港の町」の称号を塗り潰すほどに。嘘か真か、2012年における日本全国のテーマパークの年間来客数は、一位が東京ディズニーランド&シーを擁するTDR、二位が大阪のUSJ、そして三位にまさかの「水木しげるロード」が食い込んだという。この報道は、僕からすれば有り得ない事態だった。

TDRやUSJならまるで驚きもしない。彼等は毎年の常連であり、そもそも集客力云々を語る前に人口が違いすぎる。TDRを擁する東京都(実際は千葉県だが東京と見なしても差し支えはない)と、USJを抱える大阪なんて、全国トップ3に入る人口数だ。かつ、隣県である千葉や神奈川、埼玉などもやはり人口数トップレベル。大阪の隣県はそこまででもないが、交通の便から言えば近畿・中京・中国地方の住民を殆ど取り込める。

つまり来客の対象となる人口が桁違いなのだ。なので僕は、TDRやUSJが万年トップ2に君臨しようが驚きはしない。人の多い場所で商売が繁盛してもそこまで賞賛しない。立地、客となり得る人の数、すなわち商圏の設定は、商売の根幹に関わる戦略だ。その戦略段階から優位に立てたのなら、それはセンスある決断と言っていい。

だけど立地については必ずしも自由じゃない。どうしようもなく人が少ない場所、あるいは無名な場所。与えられた場所がそこしか無いという状況だってあるのだ。その状況を乗り越え集客数を確保出来た者にこそ、真の賞賛を受ける資格があるのではなかろうか。

北海道旭川市にある旭山動物園などは良い例かもしれない。旭川市は、北海道という全国有数の観光地に位置しており、かつ人口数も名所も多いにも関わらず、他県の人間からすればパッとしない。札幌市や函館市などの有名都市は言うに及ばず、財政破綻という悪名で名を轟かせてしまった夕張市よりも認知度は低いはずだ。

そういう意味で、旭山動物園が果たした役割は計り知れない。赤字経営を立て直し、「動物の生態が生で見られる」という触れ込みで全国にアピールし、何よりマスコミを味方に付けた。やや過剰にすぎる演出感は否めない、戦術としては間違っていないはずで、何よりも、言うなれば辺境に位置する施設として出来る策は全て取ったのだろう。

その是非は関係ない。結果が大事だ。旭山動物園は、経営難の脱却どころか今では全国で最も有名な動物園としての地位を磐石にしている。パックの北海道旅行には必ずルートとして組み込まれるほどの定番だ。これこそが結果。旭川市が有名になったかどうかは別にして、動物園のお陰で観光客が金をガンガン落としてくれるのは間違いない。賛否に関係なく、その実績は大いに賞賛されるべきなのだ。

この旭山動物園の例が示すように、地理的に不利な土地での観光業は基本的に不利。だからこそ、年間来場者数三位に水木しげるロードが躍り出た時、どうしようもない違和感を覚えた。最初はステマじゃないかと疑ったほどだ。

どのくらい不自然かと言えば、米国の代表的なニュース雑誌「タイム誌」が一年で最も活躍した人物をインターネットで投票する「ベスト・オブ・ザ・イヤー」で、日本の田代まさしがいきなり一位に躍り出た2001年の珍事「田代祭」と同じくらいの不自然さだ。

まあ「田代祭」の件は正真正銘ステマというか、面白がった2ちゃんねらー達が自動投票スクリプトなどを使って多重投票した結果のヤラセだったわけだが、リアル世界の観光業界ではそう気軽にもステマは出来まい。

ゆえに不思議だったのだ。いくら「水木しげるロード」の知名度が高まったからと言って、そこまでの大人数が鳥取まで大挙するのか。三位を獲った2012年の来場者数は380万人らしいが、それって鳥取県の全人口の6倍以上なんだぜ? バランス的に変だろ。それに僕等が実際6~7年前の帰省ついでに寄った時なんて、まさに古びた商店街風で人なんて殆ど居なかった。そんな体験がある僕としては、なおさら思考が追い付かない。

だが、それは事実なのだ。ソースがマスコミの言だから鵜呑みにはしないけど、「水木しげるロード」の躍進には理由があるはずで、それは旭山動物園と同じく積極的かつ長年に亘る地道なPR活動のお陰だろう。境港市は、あくまで漁業を主要経済とした港の街だ。観光業と同列には比較出来ない。それでも「水木しげるロード」の貢献度は甚大で、今となっては無視できないどころか欠かせない存在。境港市は、水木しげるは当然として、向井理や松下奈緒にだって足を向けて寝られない。

少し前置きが長くなったが、旭川市の旭山動物園および境港市の水木しげるロードと同じ戦略を島根県も取ったのだろうと思われる。島根県にとって、「神話の国」というフレーズは、あくまで大衆の目を引き付けるためのジャブ。客寄せパンダの役割だろう。本丸は別にある。その本丸が出雲大社であり、「出雲『縁結び』空港」という名の看板だ。『縁結び』というフレーズこそが戦略の肝である。

何故か。それは、老若男女を問わず万人が色めき立つジャンルは色恋沙汰であるという揺るぎない事実があるからだ。その事実に出雲市、ひいては島根県は注目し、最大限活用しようと考えた。たとえば創作物にしても、時代背景や流行によって受ける物語は異なるが、ラブロマンスだけは時代を問わず鉄板だ。男と女が織り成す愛のカタチ、すなわち恋愛という要素は人類にとって永久不滅のテーマなのである。

永久不滅かつ鉄板ゆえに、容易かつ最大限の効果が見込める。そこに島根県は目を付ける。出雲空港が自称する『縁結び』という言葉は、まさしく「恋愛」というキーワードを人々に直感させ、出雲大社とはまさしくその『縁結び』を統括する由緒ある「恋の社(やしろ)」。事実はそうでなくとも、なるべく大げさにアピールするのが良い。元々、出雲大社は全国的にも別格の存在なのだから、かませるハッタリは最大限かますべきだ。

ここまで来ればもう気付いただろう。最初に宣言した「神話の国」というキャッチコピーは何処かへと消え去り、いつの間にか「恋の国」になっている。つまり、先述したとおり「神話の国」は出雲市にとって最大の存在価値だが、時流を考えた時、それを前面に押し出すよりも先に、やらねばならぬことがあるということ。つまり、最初に恋愛要素を絡めて宣伝するという手法。

「神話」をエサに来客を増やし、ついでに恋愛関係で金を落としてもらう。そうじゃない、逆なのだ。「神話」から入るのは王道だけど、現実に即さない。まずは恋愛や縁結びというキーワードで足を運ばせ、その後で「神話」関係にもついでに金を落としてもらうというのが正しい流れだ。

第一に、神話オタクなんて輩は頼まなくとも来たい時に勝手に来るわけで。コアな人間は、放っておいても金を落としてくれるのだ。そんな相手に労力を掛けてどうする。それよりもまずは浮動票の確保が先決だ。浮わついて状況次第でどちらにも転ぶ相手にこそアプローチを掛けねばならない。つまり女だ。まずは女性客を取り込むのが先だろう。

そうすれば後は芋づる式。女性を釣れば、その親や旦那や彼氏や子供を引き連れて来てくれる。「将を射んとすればまず馬を射よ」という格言を借りるなら、「客を取り込みたくばまず女を取り込めよ」ということだ。それだけ女性の口コミ力と影響力は計り知れない。逆に言えば、女性を取り込めない施設に未来はない。

そういう意味で、『縁結び』というフレーズは鬼に金棒。ガールズトークの8割が恋バナと言われるように、恋愛事に対する貪欲さは女性の方が遥かに上なのだから、『縁結び』を大々的に謳えばパックリと食い付いてくれること請け合い。そんな出雲市の、抜け目なくも野心溢れる戦略の最初の入り口が「出雲『縁結び』空港」なのであった。

そんな出雲市の商魂と来客達の俗っぽい欲望が渦巻く出雲大社に僕等は到着。荷物を置くためまずはコインロッカーを探したが、なかなか見つからない。そんな時、大通り沿いにポツンと建つ軽食屋兼お土産屋に入ったところ、入り口で看板の掃除をしている店主と見られるおっちゃんが、「もしウチで買い物するんだったら、観光の間ウチが荷物を預かってもいいですよ♪」と嬉しいお言葉を投げ掛けてくれた。観光地ならではの地元民との心温まる触れ合いだ。「マジすか、助かります」と僕等は喜んだ。

しかし、そのおっちゃんが誘導してくれるかと思いきや、彼は看板を掃除する手を休めることなく「とりあえず中に居る店長に相談してみて下さい」と言い放った後、僕等など最初から居ないと言わんばかりに作業に没頭してしまった。

急に取り残された僕等。店の中には、カウンターに仁王立ちする貫禄あるおばちゃんと、そのおばちゃんの指示でテキパキと品出しする熟練めいたおっちゃんと、エプロン姿で店内を歩く若いねーちゃんと、ネックレスやイヤリングなど高価な品物が並ぶカウンター内で鋭い眼光を放ちながら、アタシャこの道50年なのよ?というオーラを放つ婆さんとの4人が居た。僕等は思わず顔を見合わせて言った「店長って…誰?」。

つかあの看板掃除のおっちゃんが店長じゃないのか。いやそれ以前に、投げっ放しにも程がある。僕等は仕方なく、仁王立ちする貫禄あるおばちゃんが店長だと見定め、彼女と少し会話する。あまりダイレクトにお願いするのも厚かましいので、「ところで荷物とか預かってくれるとことかあるんですかね?」と遠回しに聞いた。するとおばちゃんは、「すぐ近くに『ご縁横丁』っていう商店街があるけど、そこにコインロッカーがあるわよ」と、まさしく捻りのない回答を寄こしてくれた。え? あの、預かってくれるって話はどこに…。

何かもう会話するのも面倒臭くなった。「あ、はぁ、そうですか。じゃあそこに行きます」と返答した僕等は、店を出ておばちゃんの指定した「ご縁横丁」を目指すことにする。店を出る前、例の看板掃除のおっちゃんが、「どうもありがとうございました~♪」と、初めて見る客に対するような挨拶で僕等を見送る。荷物の話など最初から無かったんじゃないか。そう思わせるに足るドライな商売人の目だった。

最初来た時は、この店で土産を買おうと思ったのだが、こんな肩透かしを食らったんじゃあ…。そう思っている僕の心を見透かしたように、嫁が店を一瞥したあとこう言った。「あの店では絶ッッ対に買わないようにしようね!?」。「当然だな!」と僕は力強く答える。そんな、出雲大社見物前のささやかなやり取り。どっと疲れた。

土産屋店員の言う「ご縁横丁」はすぐに見つかった。商店街というほど広くはなく相当手狭。家一軒分のスペースに小さな店をいくつかギュッと詰め込んだ感じだ。お祭りの時に集まった5~6個の屋台群といった程度の規模である。ただ、ここにもやはり登場する『ご縁』という言葉。しつこいくらいに繰り返す。やはり出雲大社のコンセプトは「神話」でなく「ご縁」らしい。「ご縁」がメインタイトル、「神話」がサブタイトルと言ったところか。

ゲーム化するなら「ご縁クエスト2 ~出雲国の神々~」という感じか。第三部が出るなら「ご縁クエスト3 ~そして結婚へ~」あたりか。以下、「導かれし者たち」「大社の花嫁」「幻の大社」の大社シリーズ三部作へと続く…。

ご縁横丁に荷物を預け、ようやく本番である出雲大社詣でへ突入する僕等。入口の鳥居からしてデカい。朝にも関わらず訪れる人間の数も桁違いである。この辺はさすが全国的に有名かつ恋のご利益が半端ない(と一部で噂されている)出雲大社。日本三大社家と並び称される三重の伊勢神宮、大阪の住吉大社にも引けを取らない活気とスケールだ。石見銀山を捨ててこちらに来たのはやはり英断だったな。

期待度と人気が高い分、よからぬ輩が紛れ込む確率も高くなる。それだからか、神社側も結構気をつけている模様。特に火の元には気を配っている感じだった。境内には僕の見た限り喫煙所が一つもなかった。近所の小さな神社ならまだしも、出雲大社レベルの広さで禁煙にされると意外と辛いもの。

ただ、広いからこそ参詣客も増加し、人が増えるからこそ喫煙はあらゆる意味で危険。まあ、出雲大社の措置が正しいと僕は思うよ。本心では吸いたいけど。

そう願う僕にとって救いの手と言わんばかりに、大社前の交差点近くに灰皿が居心地悪げに設置されていた。吸い溜めするため勢いよく火を点けた僕。すると後ろから突然、警備員っぽいおじさんがニュッと現れた。

おじさんは僕を訝しげな顔で見ている。一応「ここ、煙草吸ってオッケーなところですよ…ね?」と僕は問うた。するとおじさんは、「ええ、もちろんいいですよ。あんまり目立って吸うと周囲の目が厳しいんで、こんな場所に隠してますけど」と意地悪そうな、自嘲気味な笑顔で僕に答えた。

何か色々気苦労がありそうだな。煙草は絶対悪だと断じる人々の顔を窺いつつも、吸いたい人間の権利を無視するわけにもいかず。こんな旅行先でも透けて見える、愛煙家と嫌煙家との見えない火花。犬猿の仲を取り持つ有名観光スポットで働く人の気苦労。警備員のおじさんに何となく心の中で敬礼する。

そのおじさんは、「まあ、とにかく出雲大社に火を点けられたらたまらんですから」とも話していた。確かにこのご時世、放火や不審火は多い。神社や寺院ってのは大体、過去一度は火事で焼失しているもので、建立以来そのまま原型を留めるものは稀有だ。

出雲大社も例外じゃない。それでも、これだけ警備の発達した現代社会で寺社が大火事ともなればショッキングにすぎる。「神話の国で出雲大火!」などとスクープされても笑えない。用心に越したことはない。

デカい鳥居をくぐり、出雲大社への参詣を始める僕等。道行く所々に小さな社が建ち、賽銭箱が置いてある。参詣客の多くがそこに並んで参拝する。本殿に辿り着く前に、その本殿と関係あるのかどうかも分からない小さな社にお賽銭を投げ入れるこの行為は、本当に正しいことなのか。今まで巡った神社も大体そうだった。今回も同じく。出雲大社を拝みに来たのに、別のところで無駄に賽銭を払わされているだけでは?

そんな疑問をずっと抱いていたが、今回何となく謎は解けた。参道の所々に建てられた小さな社。それらもまた神社だ。神社なのだから参拝したり賽銭を投げ入れるのはごく自然な行為である。

ただ、そうなると図式的には神社の中に神社が建っていることになる。一体どういうことなのか。今回の出雲大社で一番最初に拝んだ小ぶりな神社の傍に立つ札の説明文を読み、その疑問も解決した。その札には「この神社は『末社(まっしゃ)』である」という意味合いの文章が綴られている。

末社とは、ある神社に縁故のある神社のこと。厳密に言えば、その神社の「格式」を表す言葉らしい。つまり親類とか、会社で言うなら部下のような位置付けだ。縁故があるから、その敷地内に仲間入りさせてもらっている。だから神社の中に神社があるという不思議がまかり通る。

恐らく大きな神社であればあるほど、縁故のある末社も多いはずだ。数ある末社は、言うなれば出雲大社という巨大派閥の中の一派。子会社みたいなものだ。賽銭箱の見地から見れば、内輪で金を回している感じになる。要は癒着だ。なるほど。

ちなみに、「末社」が神社の格式を表す言葉だとすれば、他の呼び名、つまり他の格式も存在するのではないかという想像が容易にできる。格式よりも「ランク」と言った方が分かり易いが、実にその通りのようだ。

末社は、神社の中では最も低いランク。その上に「摂社(せっしゃ)」というランクがある。摂社も末社と同じく、特定の神社に縁故があり、その恩恵を受ける神社だ。その摂社のさらに上が「本社(ほんしゃ)」。この本社が最も上のランク、つまりトップだ。今回で言うなら出雲大社が本社である。

図式的にはこうなる。
「本社>|超えられない壁|>摂社>末社」

会社のM&A的に見れば、こうか。
「親会社>100%子会社>関連会社」

会社組織の役職で見れば、こうか。
「社長>中間管理職>平社員」

家に例えるなら、こうか。
「オフクロ(財布を握る)>オヤジ(金を入れる)>ニートの息子(スネをかじる)」

いずれも何かしらの縁故があり、そのよしみで同じ組織として、仲間として、敷地内に入れてもらっている。神社の世界も楽じゃなさそうだ。

ちなみに、同じ摂社や末社でもさらに区分があるようだ。明確な区別方法は説明できないが、なるべく分かりやすく言うと、一番格上である神社、すなわち本社と、その本社の占有する敷地を石垣でグルリと取り囲んでいるとする。その石垣で囲まれた内側を通例的に「境内(けいだい)」と呼び、その石垣の外を「境外(けいがい)」と呼ぶ。

摂社あるいは末社が、この境内に建っているかどうかが、本社との縁故の強さを計るポイントのようだ。境内に建っているのであれば、境内摂社、境内末社。境外ならば境外摂社、境外末社となる。当然、境内摂社や境内末社の方が、本社としては重要かつ親密、ということになるだろう。

分かり易く言えば、同じ親戚なのに姪っ子は家でぬくぬくと可愛がられているのに対し、甥っ子はプレハブ小屋に閉じ込められているという光景。あるいは本社営業部部長に大抜擢された社員と、関連会社に出向させられた社員。事情を知らぬ者から見ても力関係は一目瞭然だ。

いずれにせよ、「なるほど」と言ったところだ。今まで特に気に掛けなかったが、これからは「摂社」「末社」「境内」「境外」というキーワードを常に頭に入れながら参詣することにしよう。

歩く途中、二本のデカい木の柱をくっ付けたようなオブジェを見つけた。高さ20メートルほどあるそれは、上になるほど細くなっていく。そのフォルムはまんま箸だ。実際、箸なのだろう。そういえば、出雲大社といえば「ご縁の街」である関係上か、夫婦箸も名物の一つだ。その夫婦箸を形取ったオブジェをデカデカと飾ったのだろう。

折りしも現在、出雲大社は60年に一度しか訪れないという「大遷宮(だいせんぐう)」の時期。「平成の大遷宮」と呼ばれて客で一層賑わう今、ハデにやりたかったのだろう。その心意気や良し、だった。

ところで「大遷宮」とは何か。名前からして都を変える「遷都(せんと)」の類似形だと思われるが、概ねそんなところだ。神社では、神社境内にある建物の中でも最も偉い「本殿」を改築、あるいは移転する作業が定期的に行われる。その周期は神社によって異なるが、その本殿を改築・移転する間、祀ってあるご神体をどこかに移動させて保管する必要がある。厳密には、このご神体の移動・保管のことを「遷宮」と呼ぶらしい。

出雲大社の遷宮周期は60年らしく、数年前から遷宮を開始した模様。今年はその過渡期にちょうどぶち当たるため、「平成の大遷宮」などとことさら大仰に煽り立てたようだ。まあ、初めての出雲大社でそんな節目にぶち当たるのだから運は良いのだろう。

出雲大社のご神体は言わずと知れた「大国主神(オオクニヌシノカミ)」。「ダイコクさま」と親しみを込めて地元民には呼ばれているが、遷宮の間、安らかに僕等を見守ってもらいたいものである。

あと、出雲大社のような神社の場合、祀る神様のことを「ご神体」と呼び、それが安置されている場所を「本殿」と言うが、寺院と混同し易いのでここで整理しておく。寺院の場合は、ご神体ではなく「ご本尊」。具体的に言えば、弥勒菩薩像とか薬師如来像とか、あの類だ。そして、ご本尊が安置されている建物は「本堂」になる。

神社:ご神体・本殿
寺院:ご本尊・本堂

こう覚えておけば概ね問題ないだろう。そこを押さえておくだけで大分違ってくる。

神社の知識も少しずつ付き、諸々の建物を見ながら移動する僕等は、出雲大社の目玉とも言えるバカでかいしめ縄がある建物に移動。「大注連縄(おおしめなわ)」と呼ぶが、この大注連縄はデカさも重さも規格外で全国的にも有名だ。一説によれば、投げた賽銭がこの大注連縄に刺さるとご利益があるとか。

実際、大注連縄の真下から賽銭を投げてみた。いや、投げたというより大きく振りかぶって投げ付けた。そのくらいしないと刺さらなそうなので。まあ数回目で一応刺さった、刺さったけど…。

正月、全国から殺到する参拝客が団子状態で押し合い引き合い、大注連縄に何とか賽銭を突き刺そうと全力投球する光景は、少し、怖いな。

そんなメインたる大注連縄を見物し、行き交う中年夫婦に頼んで写真を撮ってもらったり、写真を撮ってあげたり。これで主となる任務は完了と言っていいのだが、本当の意味での主役はまだ別にあるらしいんだよな。出雲大社の看板コンテンツは「大注連縄」だが、その大注連縄も二種類あるようなのだ。

一つ目は、まさしく今見た建物の注連縄。建物の名称は「拝殿(はいでん)」と呼ぶ。基本的に拝殿は、天守閣たる本殿の入り口を守るように建っている。ゆえに本殿には入れない。本殿を拝みたい参詣客は、実質的にはこの拝殿を通して本殿を拝む格好になるだろう。王様に直接直訴したいが、親衛隊に阻まれて近付けないため、仕方なくその親衛隊に直訴状を渡すという感じか。

本殿と言えば、その神社にとっては命も同然。門外不出の奥義のようなものだ。そう易々と一般人に晒すはずもないだろう。別に文句はない。文句があるとすれば、「唯一無二」みたいな触れ込みの大注連縄が実は二つあったという紛らわしさだ。

では、正真正銘、最大級の大注連縄が飾られている建物はどこにあるのか。答えは神楽殿(かぐらでん)である。確かにその神楽殿にある注連縄は、大きくて、そして重そうだった。まさか本殿や拝殿を差し置いてメインを張ろうとするとは。安室奈美恵のライブでバックダンサーがしゃしゃり出るようなものだ。神楽殿って何者だ?

神楽殿とは、神々に「神楽」を奉納するために設けられた建物。じゃあ「神楽」ってナニ? 「神楽」とは、神に奏上する歌と舞いのことだ。歌と踊りと言い換えた方が分かりやすいか。いや、単純に「音楽」と言った方がいいかも。イメージとしては現代の歌舞伎で良いと思われる。「神楽」の『楽』はそのまま「音楽」の『楽』と考えれてOK。

その神楽にも、巫女さんが歌って踊る「巫女神楽」とか、獅子舞で有名な「獅子神楽」とか、その派生として竜などの被り物を被って踊る神楽とか、色々ある。簡単に説明するなら、神楽はライブ。神楽殿はライブ会場。観客は神様で、演奏者は巫女さんバンドだ。巫女さん達は客である神様に向けて、神楽殿という名のライブ会場で一生懸命バラードを歌う。まあ巫女さんも楽じゃない。

しかしその分、報われるだろう。全国からこの神楽殿目指して大勢の客が来てくれるわけだからな。そもそも出雲大社は『ご縁』の神社なわけだし、むしろ本殿や拝殿よりも、こっちの神楽殿の方が主役で構わないんじゃね? などと僕は思ったりもした。

      ∧_∧   ┌────────
    ◯( ´∀` )◯ < 僕は、神楽ちゃん!
     \    /  └────────
    _/ __ \_
   (_/   \_)
       lll
      

というわけで、順調に出雲大社の各スポットを回る僕等。おみくじも買った。従来は地元の西新井でおみくじを引くのだが、こういった遠征の際は、その土地土着の神社で引くようにしている。本日はまだ2013年の大晦日。2014年にはなっていないのだが、今後のスケジュールを考えると、おみくじを引けるのは今日くらいしかない。出雲大社を訪れた記念の意味も込め、僕は2014年の運勢を占うために、おみくじを引いた。

出雲大社で引いた僕のおみくじは、大吉。いいことばかり書いてある。今後、いいことがあるのだろうか。2014年はいいことがあるのだろうか。それとも、これは2013年に引いたものだからノーカウントだろうか。

そういえば去年、すなわち2013年の初詣は、地元の西新井大師でおみくじを引いた。そのおみくじにもいいことばかり書いてあり、心の中で期待した僕は、そのおみくじを財布の中にそっと仕舞った。

だけどそこから一年間が過ぎ去り思ったのは、決しておみくじ通りには行かなかった現実だ。いいことが全くなかったとは言わない。だけど自分で納得できる時間の使い方は出来なかったし、自分がこうだと定めた方向に舵を切ることが出来なかった。

しょせん、おみくじは気休め。理由はどうあれ、理由を他に求めるような他力本願思考では決して変われない。分かってる。それでもあの大吉は、僕の心の支えの一つであったことは確かだ。であるならば、今回出雲大社で引いた大吉も、2014年の心の支えとなり得るかもしれない。たとえ気休めだろうとも。

嫁が引いたおみくじも同じく大吉。彼女は引いたおみくじを、傍に立つ大木に結び付ける。去年の西新井大師もそうしていた。そして僕もまた去年と同じく、引いた大吉を財布の中にそっと仕舞う。神頼みはしない。それでも希望を持っていたいという願いがあるから。挫けそうな時、その願いを思い出すために、出雲大社の大吉は今年一年、僕の懐で生活を共にする。

にしても、天下の出雲大社だけに、木に結ばれたおみくじの数が尋常じゃない。おみくじの厳かで純白の古紙が、太さ直径1メートル以上はある大木の周りを、それこそ隙間なくビッシリと埋め尽くす。その規格外の光景はあまりに異様だ。例えるなら、クリームパウダーを何重にも塗りたくったブッシュドノエルというか、一匹のバッファローの死体にアフリカ中のウジ虫が集結したかのような群がり様というか。正直、キモチワルイ。

おみくじだけじゃなく、飾られた絵馬の数も半端じゃない。あたり一面に、参拝客達の切なる願いを込めた数え切れないほどの絵馬がビッシリと奉納されている。少し拝見したが、本当に切なる願いだ。こういう場所では、神様に届けるために住所や本名まで書くのが絵馬のルールといえばルールだが、にしても欲望剥き出し。願いを綴った人間の切なる情念が見て取れる。「ご縁の神社」の名は伊達じゃない。

たとえば、妻子など家族に対する感謝。これからも皆が健康に幸せにと願いを込める父親。父として、男としての愛情溢れる力作だ。

あるいは、今付き合っている彼氏や彼女に対する感謝、その関係が継続するようにという願いも多い。「○○子とこれからも仲良く出来ますように」という真剣な気持ち。「△△クンと結婚できますように」なんて可愛いものもある。「子供を二人作って、田舎に家を建てて、ネコを飼って、誰よりも幸せな家庭を築く」なんて具体的な絵馬もある。男女の溢れる恋心が遺憾なく爆発している。

あるいは、未婚で恋人の居ない者達の切実な恋愛願望・結婚願望。「ワタシだけを一途に愛してくれる人が現れますように」という完全他力本願型から、「男らしくて優しくて友達が多くてお金持ちの男性に言い寄られたい」というかなり欲張りな婦女子、「○○さんの彼女になりたいです」というストレートな願望など、多種多様だ。さすがフリーの方々、切実感が一味違うと思った。

中には複雑な関係を匂わすもの、解釈に悩む願いもあった。「○○と復縁できますように。それが無理なら○○より全然いい男と付き合えるようにヨロシク」とか、「○月△日、□□でキミと出会った日のことは忘れない。離れているけど今でもキミを想っている」など、複雑ポエムな絵馬を見ると、世の中には様々な人が居ることを、様々な想いがあることを思わずにはおれない。

恋愛もご縁も全くない、ただ「幸福!」とだけ書かれた男らしい絵馬などもあったが、酸いも甘いも生きている内なればこそ。耐え忍ぶのも恋の至極。願わくば、絵馬を飾った人達の願いが少しでも成就しますように。

その他、様々な境内施設や銅像などを見つつ、出雲大社の見学は大体終わる。途中、「大国主神(オオクニヌシノカミ)」と兎がセットになった像があった。有名な「因幡の白兎」の一説だ。この白兎の他にも「オオクニヌシ」は逸話を沢山持っている。

兄弟達のイジメや嫉妬にも負けず、賊を討伐したり人助けをしたりと手柄を独占し、時には美人の姫君を口説いてイイ思いをするなど、言うなればイジメられっ子の立身出世物語だ。とはいえ、オオクニヌシは元々が根は優しくて力持ちなイケメンで、つまり最初から「持っている」男。さらに出自からしても神話時代にヤマタノオロチを倒したスサノオの子孫なわけだから、ある意味出来レース。後世の醜男達がオオクニヌシを見本にしても意味がないと言える。

まあ逆に言えば、選ばれしイケメン勇者のオオクニヌシだから出雲大社のご神体になっているわけだ。

ただ、それはいいとして、因幡の白兎の「因幡」って地理的には鳥取県なんだよな。いくら伝説のイケメンと、それを擁護するビッグ神社とはいえ、鳥取を無かったことにするなんて酷くない? そんだけ有り難がられればもう充分だよ。こっちにも少し分けてよ。

あと一つ、個人的に印象に残ったのが「野見宿禰(のみのすくね)神社」だ。「野見宿禰」は相撲の祖と言われた伝説上の人物。昔教科書に出てきた気もするし、漫画「修羅の刻」でもその名前が出てきた。個人的に興味はあったけど。

寂れてるな、とても。小さな拝殿は、新しいけど「一日で作りました」と言わんばかりのチャチな造り。参拝客も一人も居ない。相撲ということで屋根付きの土俵も傍にあったのだが、泥水だらけのビニールシートを被せたまま放置されているという非常に惨めな状態だ。

一応、説明文では「摂社」となっている。出雲大社と縁故があり、かつ末社よりも格上ということだ。しかし反面、明らかに離れた場所にあり、この間に合わせ感満載の風景。摂社といっても「境外摂社」だろう。つまり、出雲大社にとってそこまで重要じゃない神社ということだ。だから誰も訪れない、拝まない。相撲の神様が何たる扱いなのか。

だからこそ、せめてオレだけは祈ってやりたいと強く思った。オレは、あの時拝殿の傍に備え付けられたミニチュアのような賽銭箱に投げ入れた一円玉の音は忘れない。チャリ~ンッ…。

出雲大社を出た後、すぐ目の前を伸びる「表参道神門通り(しんもんどおり)」を歩く。通りの両側が土産屋でビッシリ埋め尽くされている。朝に一度見た「ご縁横丁」も全ての店がオープンし、活気に溢れていた。僕等は名物である「出雲そば」を食いたくて、神門通りおよびご縁横丁を隈なく歩いた。

しかし客が多すぎてどこにも入れなかった。仕方なく、ご縁横丁にある茶屋のような店で、押し寿司を食ったり、おしるこを飲んだりして腹を満たす。まあ、こんな食事もまた良し。何か観光で食べ歩いている、という気分になる。

夫婦箸やちくわなど、出雲大社前には名物が溢れかえっている。しかし僕が最も目を引かれたのが「勾玉(まがたま)屋」だ。まあ、勾玉も見方によればアメジストやトパーズなどと同じパワーストーンの一種だ。しかし僕には、神話時代から継承されてきた「日本古来の石」というイメージの方が強い。

ゆえに惹かれる。身に付けると日本神話の伝統と神々の魂を取り込むような気分になる。これこそ、ロマンだ。「ご縁」や色恋沙汰に浮かれる客としてではない、僕が本来神話の国に求めていたものが、ここにある。

「めのや」という勾玉屋に入った僕は、服や料亭のメニューを選ぶ時などよりも遥かに時間をかけてじっくりと物色した後、魂の篭った勾玉をしつらえたネックレスを6000円くらい出して買った。いや、ネックレスではない。敢えて言おう、「首飾り」であると。他の土産物と違い、今日買った勾玉首飾りは、僕にとって一生の宝物になるような、そんな予感がしていた。

勾玉によって、「ご縁」から「神話の国」へと頭を切り替えた僕等のその後の行動は、まさしく言動一致。大衆に迎合した出雲大社巡りは終了したが、時間はまだ15時にもなってない。これからが本番だ。この出雲大社の後、および明日のスケジュールは、まさにストイックかつ神秘性を求めた旅になる。そういうプランを立てた。

話題に付いていくための寺社巡りじゃなくて、神々に近付くための寺社巡り。僕等の、僕等による、僕等のためだけの寺社巡りを・・・。。

その第一弾として僕等が選んだ場所。その名は「須佐神社(すさじんじゃ)」である。かなりマイナーな神社なのだが、伝説の「スサノオ」を祀る神社だと謳っているだけに、僕等としては、こちらの方がむしろ楽しみなのだ。ワクワク感が止まらない僕等は、出雲大社前から一畑(いちばた)電鉄と呼ばれる私鉄に乗り込み、須佐神社の最寄り駅へと移動を開始した。

ところでこの一畑電鉄。トロトロとのんびりしたローカル線だ。東京で言う都電荒川線、あるいは京都の通称「嵐電(らんでん)」のようなイメージか。だけど実のところかなりの主要地区を網羅しており、地元での影響力は強い。

そういえば、島根では「一畑百貨店」というデパートが幅を利かせている。岡山でいうところの天満屋のような立場で、全国のメガ百貨店の攻勢をものともしない勢いだ。

そう考えると、この一畑百貨店も一畑電鉄と同じ系列だという予想が立ち、ゆえに島根県民の生活に深く浸透しているという分析もできる。地元の勢力図なんてのは、部外者から見ればまさに迷宮。地元民しか知りえない闇があるのだよ…。

その一畑電鉄に乗り、約一時間。僕等は「電鉄出雲市」という駅に降り立った。一応、須佐神社の最寄り駅なのだが、それで終わりじゃない。そこから車で約30分移動する必要がある。地図的には完全に山奥。どんだけ険しいんだよとたじろぐが、今さら後には引けない。車じゃない僕等は須佐神社近くに降りると言われるバスに乗車した。

一応、時刻表を見れば17:00くらいに須佐神社近くを発車する最終バスがある。須佐神社を少し見学した後、それに乗り込めば何とか間に合うだろう。分単位のスピード感が求められる。

同じように思ったのか、僕等の他にもバスに乗り込む人間がちらほら。初老の夫婦、中年夫婦、そしておばちゃん三人組の三つのグループだった。この年末の夕方、須佐神社をピンポイントで狙い打ち、わざわざ僻地まで決死のバス特攻をかけるような好き者は僕等くらいなものだと思っていたが、そうでもないらしい。世の中にはまこと変わり者が多い。

だが、いざバスを降りる直前、駅前で貰った時刻表を凝視して気付く。17:00発の帰りのバスは、年末年始は運行しないという事実に…。

他の連中も何となく察した模様。車内が少しざわめく。とりあえず面々は須佐神社の最寄駅と言われるポイントでバスを降りる。そこには寂れたスーパーと、おっちゃんが一人で運転手をやっている個人タクシーの会社があった。

その運ちゃんに、皆が詰め寄る。「今から須佐神社に行って、それで帰りのバスに間に合うの?」と。「いや、無理でしょ」と運ちゃんは事も無げに言ってのける。まあ当たり前だろうな。駅に降り立ったのが、15:30くらい。そして最寄り駅を謳っているくせに、この停留所から須佐神社まで、何と三キロメートルほども離れているらしい。歩いていける距離じゃない。

よしんば歩いていったとしても、その時点で16:00は軽く回る。再び歩いてこの停留所まで戻ってきたら、17:00は余裕で超えるだろう。

いや、そもそもその17:00の便が存在しないんだって、年末だから。年末の今日、運行しているのは、その一つ前のバスまで。そのバスの発車時間は、16:00ちょっとだ。つまり、今まさに降り立ったのが15:30だから、須佐神社に行けるどころか、このまま30分待って16:00の最終バスでトンボ返りする意外に道はないということだ。

「そんな! 聞いてないよ!」
「せっかくここまで来たのに!」
「どうしてくれるんだ!」

皆がタクシーの運ちゃんに食って掛かる。だけど運ちゃんは「そんなこと言われても」と苦笑するばかり。当然だ。運ちゃんには何の罪もない。第一、バスの最終時間をちゃんとチェックしていない僕等にこそ落ち度があるのだ。皆、僕等よりも年上だろうに、見苦しいにも程があるな。

いや、それよりも一本の蜘蛛の糸の存在に気付いてないのか? まさしく今、運ちゃんが提示しているじゃないか。そう、タクシーを利用すればいいのだ。バスがあと30分で出てしまうなら、それはスッパリ諦めて、須佐神社までタクシーで連れて行ってもらってだな。そしてじっくり須佐神社を堪能した後は、またこのタクシーの運ちゃんに乗せてもらって、一気に出雲市なり電鉄の駅なりに連れて行ってもらえばいい。

金は相当掛かるけど、そんな一時的な損失よりも大切なものがあるんじゃないのか? 移動手段は、あるのだ。そして今、数キロ先に憧れの須佐神社が建っている。このまま諦めるのか? 見ないまま人生を終えるのか? もうこのチャンスを逃したら、永久に須佐神社に来れる機会なんて訪れないぞ? それでいいのか? お前等は、何のためにここまで来たんだ?

だが、僕等以外の面子は首を横に振った。中年夫婦とおばちゃん三人組は「バスでこのまま帰る!」と憤慨している。残った老夫婦は、タクシーの運ちゃんに交渉していたが、「最終のバスに間に合うように、タクシーで須佐神社に行って帰って来れないか?」と筋違いの論点を提示している。そうじゃない、そうじゃないだろ。

失望した。彼等は同士だと、誰も来ないような日に、誰も来ないような場所に、ロマンを求めてやってきた仲間だと思っていたのに、僕達の勘違いだったようだ。彼等は仲間でも何でもなかった。目の前だけ見て先を見ず、ロマンよりも現実を追い求め、少し困難になればすぐに投げ出してしまう凡人。仲間じゃない。彼等は友達ではなかった。

だからこそ、僕等は行く。体面はどうあれ、魂の部分では出雲大社よりも須佐神社に懸けていた。そのために出雲に来た。元々戻る道はなく、とっくの前から後には引けないと分かってた。だから僕等は運ちゃんにこう叫んだのだ。「やります、ボクが乗ります!」と。いくら掛かってもいいから、僕達を須佐神社に連れて行って下さい。そして帰りは出雲市まで乗っけて下さい。紛れのない瞳でそう言った。

イケメン勇者、オオクニヌシのおわす出雲大社を見た12月31日。だけど本日一番の勇者は僕達。オオクニヌシ以上。オレがスサノオだ!

こうして唯一の参詣者となった僕等は、 タクシーの運ちゃんの誘導で須佐神社へと到着したが、鳥居をくぐって開口一番に僕は言う。「こいつぁ…寂れてるな」と。

ここは須佐神社。創世の神・スサノオの現身たる須佐之男命(すさのおのみこと)を主神に祀る、格式高き出雲の社。だけどその神社が位置する場所は明らかに山奥の集落で、周囲はのんびりとした民家に囲まれた、いかにも田舎にありがちな地元の神社だった。これは…。

落胆? とんでもない。むしろ予想以上だ。神社の価値は、参詣する人の数では決まらない。この雪積もる簡素で静寂な空間の中、人気のない古びた神社が佇む様は、かえって僕に神の存在を身近に感じさせてくれる。逆に考えれば、この場所までの険しい道のりは、逆に参詣者の信仰心を試しているかのようだ。

この須佐神社こそ、僕が求めていた神社の在り方。ただ境内を歩くだけで、積もった雪の上にサクッサクッと足跡を付ける度に興奮する僕だった。やはり今日の主役は出雲大社じゃなく須佐神社だった。僕の目に狂いはなかった。

あと、神社とはあまりに関係ないことであるが、おみくじやの巫女さんがあまりに素晴らしかったのでここに書き留めておく。須佐神社の巫女さんは、黒髪で、肌も白く、そして何より美しい。これぞ巫女さんといわんばかりの巫女さん的仕草である。

そんな美人なのに、こんな山奥に閉じこもり、人の来ない退屈な社務所の中に押し込められても、その態度をおくびにも出さず、唯一の参拝客である僕等を海よりも深い慈愛に満ちた瞳で見守ってくれていた。

だから僕等はせめて彼女の売り上げに貢献しようとお守りを買ったのだが、僕等が売り場の前に立った瞬間、彼女は立て付けの悪そうな窓をスッと開けて、ヒナゲシのように儚げで、だけど愛に満ちた表情で「いらっしゃいませ」と、教室の窓際で黄昏れる深窓のお嬢様のような微笑みで言ったのだ。

まさに巫女。聖女。あまりの神々しさに僕は、まるでマリア様の前に跪く子羊のように「す、す、すいません、お守りがほしいんデスけどっ…!」とキョドった対応を取ってしまったほどだ。だけど女神巫女はまったく動じず、「はい、お守りですね♪」とその美しいお顔を右斜め45度に傾けて僕に微笑む。眩しい。眩しすぎる…。

そういえば、午前中の出雲大社でおみくじなどを買った時、売り子の巫女は、「ハイハイおみくじデスネー」という感じで、これ以上はないというくらい慇懃な態度で物売りをしていた。コイツ等は巫女じゃない。ただのバイトだ。金欲しさにただ客から金を受け取り、欺瞞に満ちたお守りやおみくじを手渡すだけの、自動販売ロボットなのだ。

あのエセ巫女野郎達が下水に付着する汚物だとすれば、この須佐神社の巫女様は、まさしく神話の山に降り積もる清らかな淡雪。彼女こそ、現世に降り立ったクシナダヒメの生まれ変わりかもしれない。フェイクだらけの出雲大社ロボット巫女軍団に毒され荒ぶっていたオレのスサノオは、須佐神社のクシナダ巫女によって浄化された。

そんな興奮冷めやらぬ須佐神社だが、現実的に見れば全て回るのに大した時間は掛からない。本殿で拝み、その裏にある杉の木に囲まれた小さな摂社をいくつか参拝して終了だ。だけど、その杉の木がまた美しいわけで、この自然のコントラストは出雲大社には無い景色だ。

美しいと言えば、須佐神社は主神たるスサノオ、すなわち須佐之男命(スサノオノミコト)の他に、その妻であるクシナダヒメや、そのクシナダヒメの両親のアシナヅチ、テナヅチも祀っているようだ。クシナダヒメは別名・稲田姫とも呼ぶ。全国的にもそこそこ有名な鳥取の地酒「稲田姫」も恐らく彼女の名が由来だと思われる。なぜ島根でなく鳥取の地酒なのかは分からない。

で、そのクシナダヒメについて簡単に説明しておくと、まずスサノオの妻というのが定説。そのいきさつは古事記や日本書紀に辿ることが出来る。あと、ついでに言うなら「出雲国風土記(いずものくにのふとき)」という出雲独自の風土伝記書物にもそれを求めることは可能だろう。

根拠は有名なヤマタノオロチ退治の件だ。クシナダヒメの両親は先にも述べたとおりアシナヅチとテナヅチ。二人には8人の娘が居た。しかし当時世間を脅かしていた怪物・ヤマタノオロチが娘達を生贄として次々と喰ってしまい、残るは末娘のクシナダヒメのみとなった。

両親が嘆き悲しむ中、ふとスサノオが現れる。事情を聞いたスサノオは、クシナダヒメがあまりに上玉だったため一目惚れし、「アンタがオレの嫁さんになってくれるんなら助けてやってもいいぜ?」と持ちかける。ヤマタノオロチのご飯になりたくないクシナダヒメは、スサノオの申し出を了承。喜び勇んだスサノオは早速ヤマタノオロチを撃滅し、約束通りクシナダヒメを嫁にもらったのだった。

夫婦となったスサノオとクシナダヒメは、しばらく旅をして、須賀(すが)という地に辿り着いたのだが、「ここは、いい所だな。よし、ここにとりあえず居を構えてみっか」とスサノオはクシナダヒメに言ったとか。その須賀という地名は特に島根県に多く見られ、ゆえにこの須佐神社および島根県こそがスサノオが眠る土地であると強弁する理由にもなっている。

この須佐神社の他、スサノオを主神として祀る神社は全国にも多数存在する。有名なところでは京都の八坂神社(やさかじんじゃ)あたりか。僕も京都に住んでいた手前、八坂神社には何度も赴いたことがある。その時は「歴史がありそうな神社だな」と単純に感心していたものだが、スサノオのことを知った今となってはそうもいかない。

建立された時期、つまり神社としての歴史の長さは八坂神社の方が遥かに上だ。確か西暦700年くらいに建てられたはず。さすが歴史と寺社の地・京都にある神社。別格と言っていい。対して須佐神社は西暦1300年とか、その程度。さらに京都という当時の政府に近い土地に建てられた関係上か、八坂神社は全国津々浦々の神社においても、特に朝廷から特別扱い的な地位である「二十二社(にじゅうにしゃ)」という肩書を与えられている。須佐神社は「そこら辺にある神社」程度の扱いだ。これだけ見れば、明らかに誰もが「スサノオは別に京都でいいだろ」と思ってしまうだろう。

だが、そんなことはどうでもいいのだ。

確かに、須佐神社の正当性を主張する根拠はいくらでもある。先述した古事記、日本書紀における、ヤマタノオロチ退治および須賀という地名。島根は神話の国であるという定説。さらに言うなら、出雲国風土記では、スサノオの子孫であるオオクニヌシの活躍が記されているが、そのオオクニヌシの祖先がスサノオなのだ。ということは、そのスサノオを祀っている須佐神社は、しょせんその子孫でしかないオオクニヌシを祀る出雲大社よりも本質的には遥かに格上。そう強弁出来ないこともない。

だけど、やはりそんなことはどうでもいいのだ。

真実はそれぞれの胸の中にあればいいわけで、魂の拠り所は人によって違っていていいはずだから。

古事記、日本書紀では、スサノオの他、彼と同等である神、アマテラスオオミカミとツクヨミについても綴っている。彼等三人を指して、日本を創世した「三柱の神」と一般的には称する。現代的にはアマテラスが最も最高の神という認識が浸透しつつあるかもしれない。

だがそのアマテラスとて、ついでに言えばスサノオとツクヨミでさえ、さらに上位の神であるイザナギとイザナミの子供に過ぎない。アマテラスよりもイザナギとイザナミの方がさらに格上なのだ。もっと言えば、そのイザナミとイザナギ以前にすら、さらに高位の神が存在する。もう誰が一番強いかなど分からない。このハチャメチャな世界観ですら、日本神話という限られた中での話。最初の天皇と言われる神武天皇が即位するよりも遥か昔の話だ。

女神転生的に言えば、そのイザナギとイザナミの転生した姿が中島と弓子であり、そこからルシファーや北欧神話のロキなど世界の神話へ飛び火する。最強の神はインドラだ、いやアラーだ、いやオーディンだ、などと話を広げればキリがない。決着を付けることは出来ない。詮無き話題なのだ、そんなものは。結局、最高の神はそれぞれの心の中に在り、ゆえに信仰は自由なのだという結論に必ず至る。

僕は今日、須佐神社で魂の安らぎを感じた。オレの神はここに居ると実感した。慈愛に満ちたクシナダ巫女の存在は、まさしくその証明だ。

それでいい。僕にとって最高神とはスサノオであり、そのスサノオを祀る神社は出雲の山奥にひっそりと潜む須佐神社。過去、数百の神社と寺院を見て回った。だけどこの須佐神社ほど僕の心を揺さぶった場所はない。こここそ僕の長年求めていた場所であり、僕だけの真実。真実は僕の中にある。それでいい。

最高に近い体験をした後、タクシーの運ちゃんに連れられて一気に出雲駅まで疾走する僕等。そこからJRを使って宿泊先である松江市に降り立つ。時間は18時。冬だからか、既に辺りは真っ暗だ。かつ年末のため、店も殆ど空いてない。唯一営業していた居酒屋「庄や」で晩飯を摂った。

面白いことに、「庄や」という全国チェーンの居酒屋でも、特別メニューとしてその土地独自の料理を置いてたりするんだな。食えず仕舞いで終わると思っていた「出雲そば」が、普通にメニューに載っていた。本場ではないだろうが、一応「出雲そば」を食ったことにはなるだろう。

悔いがまた一つ減った僕等は、宿泊先のホテル、「ホテル宍道湖」へと移動する。島根の有名観光スポット「宍道湖」のすぐ側に建てられたホテルである。このままついでに宍道湖も制覇してしまおうという、至極合理的な理由もあるが、初日の出を見るという責務をこなすという意味もあった。

そう、明日は正月、すなわち2014年の幕開け。毎年、元旦には海の近くで初日の出を見るようにしている。今回は海じゃなく湖だが、まあ似たようなものだろう。明日を楽しみにしつつ、だけど今まさに終わろうとしている今年を名残惜しみつつ、ホテルのベッドで眠りの床に就く僕等であった。

2013年はこうして終わる。年初、自分は劇的に変わるだろうと予想して、結果その通りになった。だけどそれは、僕の理想とする姿じゃなかった。本当に望んだ道、変わるべき方向は別にあった。しかしその通りに動けなかった。2014年は、恐らくさらに過酷な年になるような気がする。そんな予感がする。

だけど何も無かったわけじゃない。マラソンを24回走り切り、全く違うジャンルに挑戦し、腐らせていた本来の感性を取り戻そうともがいた結果、得たものだってある。今日の須佐神社との邂逅は、そのご褒美の一つであるだろう。

もう戻れない。恐らく昔の自分と同じに生きることは出来ないだろう。自分で分かる。だからこそ、僕は違う自分になりたかったのかもしれない。いや、違う自分にならなければならないと、努めて追い込んでいたのかもしれない。

2013年はもう終わる。明日からは新たな年が始まる。こうやって、年月は過ぎていく。この世はしょせん仮初め。だけど残したいものもある。伝えたいこともある。死ぬまで尽きないからには、歩き続けるしかない…。

20131230(月) シューズに懸ける想いを抱え、退屈で寂しい仕事納めを終えた後は、ちょい呑み福ちゃんでささやかな年末挨拶を

131230(月)-01【0640頃】シューズ新調 北千住マルイ《家-嫁》_03 131230(月)-02【1445頃】すき屋カレー《職場付近-一人》_01 131230(月)-03【1500~1530頃】職場付近《職場付近-一人》_01 131230(月)-03【1500~1530頃】職場付近《職場付近-一人》_02 131230(月)-04【1930~2100】居酒屋「ちょい呑み 福ちゃん」《茅場町-嫁》_01 131230(月)-04【1930~2100】居酒屋「ちょい呑み 福ちゃん」《茅場町-嫁》_02 131230(月)-04【1930~2100】居酒屋「ちょい呑み 福ちゃん」《茅場町-嫁》_03 131230(月)-04【1930~2100】居酒屋「ちょい呑み 福ちゃん」《茅場町-嫁》_05 131230(月)-04【1930~2100】居酒屋「ちょい呑み 福ちゃん」《茅場町-嫁》_06 131230(月)-04【1930~2100】居酒屋「ちょい呑み 福ちゃん」《茅場町-嫁》_07 131230(月)-04【1930~2100】居酒屋「ちょい呑み 福ちゃん」《茅場町-嫁》_08 131230(月)-04【1930~2100】居酒屋「ちょい呑み 福ちゃん」《茅場町-嫁》_09 131230(月)-04【1930~2100】居酒屋「ちょい呑み 福ちゃん」《茅場町-嫁》_10 131230(月)-05【2230頃】もちしょこら《家-嫁》_01

 【朝メシ】
牛乳(家-嫁)

【昼メシ】
すき屋カレー(職場付近-一人)
 
【夜メシ】
居酒屋「ちょい呑み 福ちゃん」(茅場町-嫁)
もちしょこら(家-嫁)

【イベント】
仕事納め
  
  
【所感】
昨日、北千住マルイで買ってもらった旅行カバンを置き、仕事に向かう準備をする。

それとは別に、シューズも買っていた。僕は靴を一足しか持っていない。厳密には七~八足ほどあるし、中には買ってもらった靴もあるのだが、気付いてみればいつも同じ靴しか履かない。3年程前、友人スーパーフェニックスと御徒町をブラブラしている時、ふと入った靴流通センターから特価5000円で購入した焦茶色のトレッキングシューズ。いつからか、殆どそれ一択になっていた。

ボトムスやトップスにしても、どれだけ数をストックしていようが全てを平等に着回し履き回すわけじゃない。履き心地、上下とのマッチングなど様々な要素が入るからだ。実際に試してみると予想以上にいい感じの着こなしだったり、逆にイメージよりも野暮ったく見えたり。人からより良く見られたい願望を潜在意識に抱える人間心理としては当然、自分に合った服やズボンを選ぶ回数が増えてくる。

こうして、いわゆる勝負服の絞込みが行われる。時と共にその傾向は顕著になり、これを着ておけば安心、あるいは無難という意識が出来上がる。結果、最終的にお気に入りの服やズボンが数着までに絞られる。

他の衣服は全てタンスの肥やしだ。せっかく買ったのに一度か二度で日の目を見ないまま埃を被り、あるいは虫喰いの被害によってゴミ化する。つまり、あってもなくても同じ存在。最近流行の断捨離とは、その余分な心の贅肉を捨て去り断ち切るためのアクションである。

断捨離は、決して思い付きで部屋をキレイにしようとか、ヤケッぱちで全て捨て去ってしまえというチャチなものじゃない。どうせ他の服は着ないんだから捨てても同じという、冷静かつ正当な判断の下、お気に入りの数着を残すという実に合理的な心的姿勢を提案しているわけである。客観的に見れば言っていることは尤もだ。

本当に、使わないんだよ。生活の中で使うもの、触れるものは本当に限られていて、だからそれ以外は無くても同じ、最初から存在しないのと同じ。僕とて実際は、服やズボンなど腐るほど持っているのに、現実的に着用するのは殆ど同じ服。ごくごく数点に限られているのが現状だ。

漫画だって「修羅の門」と「ぼくの地球を守って」だけあれば多分死にはしないし、数百冊ある小説だってもう一回読むヤツなんて多分ない。BDやDVD映画にしても、ヱヴァの新劇場版以外は基本的に見ない。BDレコーダーやPS3なんて今ではただの置物だ。過去あれだけハマッたニンテンドーDSとかPSP本体って今どこに仕舞ってあるのか、もう知らない。そういえば、10年前か週刊文春を集め始めて今に至るが、何か意味があるのか?

結局、今の自分にとって本当に必要な道具、これを捨てたら魂が死滅するツールと言えば、ノートPCと各種データが入ったUSBメモリ、そしてデジカメくらいなもの。それ以外は無くても多分問題ない。そんな不必要なモノを一掃する覚悟を断捨離では説いているわけだ。

だけど現実を見れば、なかなか捨てられないんだよな。モノを持っているということは、それに対して代金を払ってきたわけで、紛いなりにも過去使ってきたということは、それによって何かを得て積み重ねてきたわけで。思い出や過去の実績の証明として形に残るモノだから、それを捨てるとその思い出や実績も無かったことになってしまうのではないか。そんな潜在的恐怖感が傍目には無用なものを切り捨てるための心理的ブレーキになる。

この世はしょせん空蝉。物質に本来意味はなく、大切なものは全て心の中だ。しかしそうは言うけど、その心の中を他者に証明しアピールする時、言葉だけで説明するのは意外と困難。

なぜなら証拠がないから。いくら武勇伝を語ったところで、それが通用するのはよほど親しい人。そうでない相手は100%の信頼を持って聞いてくれない。いや、下手をすれば「ホラ吹き」「オオカミ少年」の烙印を押されかねない。そうではない、本当のことなんだよと相手にプッシュするための証拠がどうしても必要になる。

たとえば高い金を払って1週間のエジプト旅行に出掛けた者が居るとする。当然、現地での写真を撮りまくるだろう。それがあれば帰国後、仲間に対して説明がし易いし、何より「本当に行った」という証明になる。さらに現地で買ったアヌビス神像などを見せびらかせば、自他共に認めるエジプト制覇者となるだろう。

それでこそバカ高かった旅行代金も、有給取得のため必死に上司に頭を下げた屈辱も報われる。買ったアヌビス像が本当は二束三文で、日本人だからとボッタくられたものだとしても、さすがエジプト野郎だなと周囲から喝采を浴びれば全ての苦労が報われ、最初の罵声も帳消しだ。

同じように、たとえば2chでスレを立てる際は、情報ソースのリンクを載せるのが通例であり常識。そうしないと妄想野郎のたわ言と一蹴されるからだ。どんな名言や特ダネを記述しても、根拠がなければ「ソース貼れバカ」と冷たくあしらわれる。

似たような環境で、たとえばFacebookやツイッター、他SNSの発言に殆ど写真が添付されているのも、ビジュアルで見せた方が説明し易いからという基本的理由があるのはもちろんだが、根底には自分の言葉の信憑性を証拠を提出することによって事実を磐石にしたいという欲求があるから。写真によって説得力と真実味を付加させるのが目的だ。

そしてその裏には、自分アピールのための道具という側面も隠れているだろう。自分はこんな珍しいものを見た、こんな素晴らしいところに行った、こんな面白いことをやった、と他者に報告することで自分の価値を形にしていく。

良かれ悪しかれ、人は自分のことを知ってもらいたい生き物だ。その時、薄っぺらい人間だと思われると逆に凹む。だからより面白いものを、貴重なものを、非日常な風景を周囲に撒き散らす。Facebookなどで囁かれる「幸せ自慢」はその心理の表れだし、全く逆の「不幸自慢」ですら自分の特殊性を発信する武器になる。

どうせ売るなら自分をより高く売りたい。日々何もない、面白味のない人間と思われるのだけは避けたい。あるいは、実際は色々あるのに、周囲から何もないように見られるというのも心外だ。オレは実のところもっと面白いヤツなんだ。経験豊富で色んなことに精通し、交友関係も多岐に亘り、支持されていて、思慮深い人間なんだ。薄っぺらくない、詰まらなくない、浅くない、オレはゴミじゃない。

そんな心の悲鳴。人間というのは基本的にプライドが高い。自分が価値のない人間だと思われなくないし、自分でも認めたくない。それを証明するため、言葉だけでなく、写真で、あるいは目に見えるモノで他者にアピールする。

そして発信した言葉を信じてもらうためには証拠が必須。根拠となる物質や現象を形取ったものを提出した方が説得力としては磐石になる。

そのために残す写真、動画、他物質的なモノ。それら全てが過去の実績を彩るトロフィーのようなものだ。そのトロフィーを捨てるのは、自分の実績と過去の栄光を捨てることに等しい。トロフィーの数は、そのままその人が生きてきた証。人は生きた証を簡単に捨てることが出来ない。

というわけで、服なども沢山持っているのに、結局は自分がよりカッコ良く見えるものばかり選ぶようになってしまう。靴も同じだ。いや、靴の良し悪しは服以上にパッと見だけでは判断出来ず、履き心地やボトムスとのマッチングなども全く異なるため、ベストチョイスはなかなか見つけられない。

さらに靴は、生活の中で最も使用する足をカバーする装備なので、履き易いもの、足に馴染むものをどうしても生理的に選んでしまう。いくらカッコよくても靴ズレや血豆をこしらえては意味がない。服のように見かけも重要だが、靴の場合は実用性も重視する。見かけと実用性、なかなか同時に満足させる靴を見つけるのは難しいものだ。

そういうこともあり、靴は意外と外出後とに毎回替えるということはしないのではなかろうか。絞った上での数足、極端に言えば最高のお気に入り一足を履き潰すという者だって居るはず。履き易く、特に格好悪くもなく、どのズボンにも合うという、オールマイティな靴を求める衝動…。女性は服装が華やかなので靴を一足というわけにはいくまいが、男なら可能だ。

オールマイティな靴。色としては黒でもなく白でもない、茶色系。この茶色系の靴で、かつ紐で結ぶシューズタイプであれば、殆どの私服に合わせられる。僕が靴流通センターで買った茶色のトレッキングシューズも、その条件を殆ど満たしており、実際どの服にも合ったので、最終的にはその一足しか履かなくなってしまった。

そんな、安いけど使用回数は群を抜いていた僕の茶色シューズ。さすがに使い込みすぎてもうボロボロだ。表面は擦り切れ、全体的にくたびれ、かかとは磨り減って穴が開き、足の裏が見えてしまうほど。それだけ様々なシーンで履いてきたとうことで、ゆえにこのシューズは僕にとって余りに思い出深い。

だから捨てられなかった。踏ん切りが付かなかった。

だけどある日、常々このシューズのみっともなさに苦言を呈していた嫁が、「あの靴、捨てたから」と、まるで池に群がる鯉の群れを見下ろすような冷静な声で宣言した。突然の廃棄宣言に胸がドクンッと鳴ったものだ。あの靴を捨てるということは、僕のあの思い出達を捨てるような身を切る思いだというのに、と。

だが冷静に考えて、もうあの靴は履けない。みっともない。だから嫁の判断は正しくて、だけど「捨てるのだけは勘弁」と子犬のような瞳で抗う僕に区切りを付けさせるため、強硬手段に出たということだ。

そして、捨てられてしまえば何のことはない。新しい靴を買えばいいんじゃん?と意外とあっさり現実を受け止める僕が居た。思い出を留めるため、モノにすがるのは人の性だけど、本質的には拘っていない。やはり最後の砦は心の中だと奥底にある自分が認めている。だから断捨離が可能なのだ。

というわけで、昨日の北千住マルイで新しい靴を買ったわけだが、結局以前使っていた焦茶系よりもかなり薄いベージュと茶色の真ん中くらいの色のトレッキングシューズを選択。恐ろしいほど無難で安全牌な靴に落ち着く僕は、靴に関しては完全に守りに入っていた。

ともあれ、新しい靴も新調したことで、明日からの旅行は万全。あとは今日の仕事をサッサと済ますべしだ。

今日は仕事納め。多くの会社が既に休みに入る中、「従業員を呑気に休ませるのがシャクだ」という子供っぽい上役の理由によって、意味もなく出勤する僕等である。電車も既に満員電車とはほど遠く、多くの乗客が私服で楽しそうにキャッキャウフフと話している。自分だけが世の中の流れから取り残されたようだ。

何かイラッとする。楽しそうな周囲にではなく、このビッグウェーブに乗れない自分の立場と、ビッグウェーブに乗せようとしない狭量な会社に苛立ちを覚えた。

当然、形だけの出社だから、始業から特にすることはない。逆にこんな年末ギリギリで仕事を残してる方が問題だ。しかし、出社するからには仕事するフリでもしないと何て思われるか分からないので、皆が必死に偽装する。誰もが茶番だと分かっているのに、誰もがその茶番を演じるという、いや全く以って意味のない一日だ。

そんな無意味な出社を強制している上役は、呑気に新聞を読みながら、部下Tに内線を掛けて「今日は、あの立ち食いソバ屋は空いてるのか?」などと昼飯の心配をし始める。ほんとコイツこそ何しに来てんだよ? と突っ込みたくなるシーンが満載だが、ここはビジネス街なので、飲食店は平日以外あまり空いてない。しかも年末という時期であればビジネスマンどころか一般人すら寄り付かないような場所なので、なおさら店が営業するわけもない。

結局、その立ち食いソバ屋は開いていなかったのだが、内線された部下Tがわざわざそのその立ち食いソバ屋の電話番号をネットで調べ、電話を掛けて営業しているかどうか確認したという迂遠な顛末だ。どうせヒマなんだから、自分の足で確認に行けよと思う。

昼を過ぎても、電話の一つも鳴らない。取引先は全て休みなんだから当たり前だが、こんな閑古鳥ならば従業員全員が一気に昼休憩に行っても問題ないレベル。

立ち食いソバ屋が開いてないくらいだから、今日営業している店は相当少なそうだが、それでも探せばあるだろう。どうせ事務所に居てもやることないんだから、普段の休憩時間以上に時間を取って外をブラブラすればいいんじゃないかと思う。

そんな状況の中、各自が昼休憩を取り出したのだが、部下Tが自分のデスクでいきなり弁当を開き、食い出した。部下Iが「どうしたんですかその弁当?」と聞くと、Tは「今日は家から弁当持ってきたんですよ」と普通に回答した。店が開いてないと見越しての弁当持参なのだろうが、問題はそこじゃない。ウチは社内でメシを食ってはいけないルールなのに、それを平然と破って悪びれないことが問題だ。

恐らくそのルールを忘れていると思うが、そのルールに至るまで物凄い嫌なストーリーがあったのに、その流れた血を嘲笑うかのような行動ははっきり言って腹が立つ。だけど何も言う気になれなかった。上司の真似をしているだけだと分かっているからだ。

2~3年前までは誰もデスクで食っていなかった。今日のような光景はありえなかった。だけど、どこかの時期からか、上司がデスクで横柄に食うことが見られるようになった。カップ麺などを平気ですするようになった。だから部下が真似をし始めた。「別に喰ってもいいんだ」と思ってしまった。

一従業員が勝手にルールを変えてしまうことがどれだけ不遜な行為か、ルールを破って全体のタガを外すことがどれだけ大罪か、分かっているのだろうか。色んな部分でカオス。あまりに次元が低すぎて、そんな次元のことにいちいち気を揉んでしまう自分にも呆れ…。何も言う気になれなった。

僕はしばらく外を歩いた後、目に映った「すき家」に入ってカレーを食った。まあ元が牛丼屋なのだから期待はしていなかったのだが、全然美味くないな。店員も「あい~、カレーですね~、分かりやしたーっ…」という無気力そうな対応をするし。損した気分だ。

そのショボいカレーを食いながら、殆ど客が居ない店内で、一人昼食を済ます僕。何て虚しい気分なのか。外に出てしばらく街を歩いてもみたが、ホント誰も歩いてやしねぇし車も殆ど走ってない。普段、あれだけ人が歩いているのに。ビルの電気は煌々と光り、あらゆる方向から声が聞こえ、活気に満ちているのに、突如ゴーストタウンに迷い込んでしまったかのような戸惑いを感じる。

まさしく年末の都会の風景。年末のビジネス街を遺憾なく表現した舞台が僕の眼前に広がっていた。煌びやかな街も、豪奢な建物も、人が居なけりゃ廃墟も同然。

それは職場も同じだ。一緒にやってもいいと思える人が居なければ、好きな人が居なければ地獄も同然。まるで気持ちなんて入らない。いつだって上の空だ。毎度のことだがもう働きたくないでござる。

ダラダラと過ごした後、掃除が始まる。年末には大掃除をするという形式に則った、まさに形だけの掃除だ。濡れた雑巾で各自デスク周りを拭き、それとは別にミーティングルームや入り口付近、窓のヘリや事務棚などを拭いていく。

そのあと掃除機をかけて終了だが、まあおざなりだな。気が抜けている。大分昔は結構皆が一体となってガンガン掃除したのだけど、今はナマケモノの方が多いから。そもそも上の立場の人間が動かないんだから下の者も動くわけがない。

そして何故か、8年前くらいから掃除の指揮を執るのは僕になっていた。釈然としないまま掃除を指揮しつつ、見慣れたデスクを眺めながら、埃を被った場所に哀愁を感じながら、気だるい掃除を終えた。

帰りが近付くと、ようやく終わるのかとばかりに皆がソワソワし出す。上役は部署の数名に「飲みにいかないか?」と内線をかけている。僕のところには来ない。大分前に、それ系の誘いは全て断るようにしたため、参加しないメンバーと見なされているからだ。

無論、僕とて誘われても行く気はさらさらないが、それにしてもこんな年末に、それぞれにプライベートな用事もあるだろうに、誘う方も誘う方なら、その誘いに乗る方も乗る方だな。何だか哀れにすら思えてくる。

こうして「仕事納め」と呼ばれる今年最後の出勤も終了。何も起こらず、ただ廃墟と化した街の空々しさと、人が居ないという非現実味に寂寥感と虚栄感を抱きながら会社を出た僕である。

夜は、茅場町にある「ちょい呑み 福ちゃん」で嫁と飲み。明日から旅行なので家でメシを作る余裕はなく、何より「福ちゃん」は今年最も通った居酒屋かもしれないので、お世話になった店長に年末の挨拶をするという意味でも妥当な選択だったと思われる。

仕事最終日は私服とプライベートバッグで来てもよい決まりなので、通常の平日と違って亀吾も連れて来れる。東京最後の夜を飾るに相応しい。

思えば、2013年は事ある毎に「ちょい呑み 福ちゃん」に寄った気がする。料理は美味く、値段は安く、何より店長の愛想が良い。すっかり顔馴染みだ。どうでもいい職場連中よりも数段義理を感じている。

この店は、2011年東日本大震災時の閑散とした街にもめげずオープンしていた強者でもある。あの時、ビルの明かりも車の通りも殆ど見られない中、やはり客の殆ど居ない店で飲んだハイボールの味は忘れない。

あの大震災からもう三年近く。今では「ちょい呑み 福ちゃん」は周囲ではちょっとした人気店。今日も年末にも関わらず多くの人で賑わっている。あれだけの傷を残しながら、何事もなかったかのように都会の喧騒が繰り広げられている。

これが時の流れ。時間の経過が及ぼすもの。忘却であり、再出発のための準備期間であり、時が経てば過去は殆ど消え去って、今だけが積み重なっていく。ずっと同じわけがない。

働く場所とて、必ずしも死ぬまで定着するわけじゃない。かつてウチの職場に沢山居た人達も、半分以上が別天地へと舵を切った。それを寂しいと思うか、それでむしろ良かったと思うのか、時の流れに身を任せる以外はない。

ただ今のところ、僕等は未だにこの場に留まり、茅場町の一角には三年前と変わらぬ笑顔を持った店長が経営する「ちょい呑み福ちゃん」という飲み屋の看板が輝いている。2013年。仕事人としての僕の一年は、今日で終わった。

20131229(日) 今年ギリギリの年賀状と、今年最後に会っておきたかった喫茶店シルビアの黒髪ねーちゃんと、新しくなった旅行カバン

131229(日)-01【0900頃】起きたて毛布《家-嫁》_01 131229(日)-02【0920】コンビニサンドイッチ、アメリカンドッグ等《家-嫁》_01 131229(日)-03【1000~1300】年賀状作成《家-嫁》_10 131229(日)-04【1540~1620】喫茶店シルビア《梅島-嫁》_01 131229(日)-04【1540~1620】喫茶店シルビア《梅島-嫁》_02 131229(日)-04【1540~1620】喫茶店シルビア《梅島-嫁》_03 131229(日)-05【1805頃】北千住駅《北千住-嫁》_02 131229(日)-07【1925頃】旅行用カバン新調 スポーツバッグ・北千住マルイ《家-嫁》_01 131229(日)-08【1930頃】ポテチ、柿ピー《家-嫁》_01 131229(日)-09【2000頃】カップヌードル《家-嫁》_01 131229(日)-10【2010頃】ポンチョストール 北千住マルイ《家-嫁》_01 131229(日)-10【2010頃】ポンチョストール 北千住マルイ《家-嫁》_04

 【朝メシ】
コンビニサンドイッチ、アメリカンドッグ、アイスコーヒー(家-嫁)

【昼メシ】
喫茶店シルビア(梅島-嫁)
 
【夜メシ】
ポテチ、柿ピー、カップヌードル(家-嫁)

【イベント】
北千住マルイ買い物(旅行カバン、ポンチョストール)
  
  
【所感】
朝、暖かい毛布に包まれて心地よさの中、目覚める。腰痛はあるが、昨日のマラソンの疲れもあっていつもよりグッスリ眠れたのかもしれない。とにかくぬくぬくと暖かい。毛布のお陰か。冬に毛布は必須であり鉄板だ。

とはいえ最近あまり寒さを感じない。暑さも同じだ。暑い寒いという感覚が分からなくなってきた。精神に呼応するように肉体的や器官的にも壊れ気味だ。いつか立てなくなるかもしれないという恐怖感はいつもある。

だからこそ、やれる時にやらねば。明日のどうでもいい出勤をさっさと終え、鳥取の実家への帰省を兼ねた旅行へと出掛けるのだ。旅は、旅だけは、いついかなる時でも僕に程よい刺激と郷愁を与えてくれる。

その準備として、旅行カバンを買わねばならない。今まで使っていた黒いスポーツバッグ。ボディメーカーの通販で980円で買った代物は、その鬼安さとチャチな外見にも関わらず、過去6年くらい、計数十回の旅行に耐えてくれた。よく頑張った。

そんな楽しい時間の際、いつも共に居てくれたバッグだからこそ愛着は深い。それだけに捨ててしまうのは胸が痛む。自分の一部を切り取られるような。しかし破れてしまってはもう使えない。捨てるのではなく、眠ってもらう。ボディメーカー黒バッグは、その役目を全うしたのだ。これは天寿。だから悔いはない。後はこれから新調するカバンに任せて安らかに眠って欲しい。

ただ、その前にやってしまわなければならない作業がある。年賀状の作成および投函だ。作業というより、これは仕事だな、もはや。出す人間なんて、もう職場関係、親類関係、そして大学時代の友人くらいしか居ない。

今の友人等とは年賀状のやり取りを殆どしない。メールやSNSでメッセージを送るのが主流。僕等は完全なるネット世代。申し子だ。SNSの黎明期を生きた猛者だからこそ、いつでも繋がることが出来ると分かるからこそ、年賀状という紙媒体にさしてプライオリティを置かない。

しかしまあ毎年のことだが、いつも先延ばしにしては、年始に届くギリギリの期限まで引っ張ってしまう。そのギリギリで一気に年賀状を作るから、かなり文字が荒く、粗雑な年賀状が出来上がる。

それも、毎年手書きだ。IT企業に勤めてる癖に、年賀状ソフトも持ってない。表面の住所も手書きなら、裏の文字も手書きが多い。いつの時代の人だよ、と毎年自虐して苦笑し合うけど、実のところソフトを使ってデジタルでプリントアウトするほどの量でもないので、大体は無難に乗り切れる。

それでも表の住所を書くのは正直言って手間が掛かる。そう思った矢先、つい先月か、プリンターを買った。安いモノクロレーザーだ。神の啓示かもしれないと考えた僕は、この際デジタルで作成してみようかと珍しくいきり立つ。

そうと決まればチャッチャとすべし。年賀状ソフトを買う必要などないので、ネットでフリーのソフトをダウンロード。ショボいソフトだけど、裏面までデジタルにすることもないから充分だ。僕はそのソフトに住所を入力しつつ、買いたてのモノクロレーザーで一気に住所を刷っていく。

裏面は、いつものように手書きだ。干支である馬の絵がプリントされたハガキをコンビニで買い、あとは適当に「今年もヨロシク」的な芸のない挨拶と、多少自分らしい自虐的な一言と、それからモナーなどのAA、下手な亀吾の絵などを描き加え、作業は2時間ほどで完了。今年も何とか間に合った。出来上がった年賀状はまるで幼稚園児が作ったそれのようだが、まあ別にいいだろう。問題は気持ちである。

年賀状作成を終えた後は、カバンを買いに北千住へ。その前に馴染みの喫茶店・シルビアで最後の挨拶を。僕のお気に入り、黒髪ねーちゃん。彼女が居るからこの喫茶店に通っていると言ってもほぼ間違いないと言っていいほどに信奉し、信頼し、愛でる対象。

一言で言えば、好きなのだろう。だけど男としてというのはちょっと違っていて。年の差は恐らく親と子ほども離れていよう。だからといって親が子を見守るような眼差しでもなく。見つめているというよりは観察している。でも、ただの分析家として見ているわけでもない。言葉にするのはちょっと難しい。ただ彼女の一挙手一投足を見る度に、そして彼女の笑顔を見る度に、心が救われる気持ちになる僕が居る。そんな黒髪ねーちゃんの顔を、今年最後にもう一度だけ見ておきたかった。

そこで毎度のカレーを食いながら黒髪ねーちゃんを探す僕。だけど姿が見えない。休みなのかもしれない。あるいは、辞めてしまったのか。以前もそう思えるような長期不在の時期があった。だからこそ後悔のないようにと、行ける時に行くようにしていたのだが。

だが溜息を付いているところ、奥にある従業員専用のドアから見慣れた顔がバタンと出てくる。黒髪ねーちゃんだ。彼女の姿を確認して嬉しくなった僕は、つい「どもっ♪」と声を掛けてしまう。そんな僕にもねーちゃんは、「どうも、こんにちわっ♪」と元気な笑顔で振り向き返してくれた。そのやり取りだけで心が温かくなる。

ねーちゃんはその後、また奥に入ってしまう。どうやらちょうどシフトが終わったようだ。これから着替えて帰ってしまうらしい。束の間しか顔が拝めなかったが、今日会えてよかったと思う。

挨拶をすべき人や筋を通すべき相手は少なくない。しかし、挨拶をしたい人、自分自身から筋を通したいと思える相手はそれほど居ない。黒髪ねーちゃんは、自分から挨拶をしたくなる数少ない人だった。

その黒髪ねーちゃんが着替えて出てくる。実は彼女の私服は初めてだ。喫茶店の中の黒髪ねーちゃんだけ知っていればいいと思っていたし。しかし私服姿の彼女もまた素敵で。

細いジーンズは、彼女のスリムでスマートな身体に似合っている。トップスは、ベージュのシャツの上に緑系のブルゾンを羽織っている。足はスニーカー系だ。言ってみればボーイッシュな格好。まるで高校生のような若々しさだ。そして、その姿が喫茶店の彼女のイメージと大分違うようにも思え、反面実に彼女らしいとも感じる。

彼女は美人ではあるが、それよりも可愛らしい。清楚ではなく快活であり、元気というよりも健康的。儚い笑顔ではなく咲き誇る笑顔だ。その上で背筋がモデルのようにピンとしているから、その細いジーンズが物凄くサマになっている。ボーイッシュとは言え、彼女の歩き方はウエイトレスと同じように軽やかで、かつスッスッとしとやか。

ただ一つ店内と違うところは、両手を高校生の女の子のように元気に振っている。そこに一抹の幼さが残るけど、だがそれが逆に彼女の魅力を押し上げる。背筋はピンと伸びて、身体はスマートで細く、だけど仕草が少女のような可愛いさとか、どんだけスペック高いんだ、このねーちゃんは。

今年の最後、何とか拝めた黒髪ねーちゃんの笑顔。初めて見た私服姿。彼女の姿を確認したのは遥か前だが、2013年は特に彼女を観察し、その分析日記は恐らく十数回、5~6万文字にも上るだろう。そんな観察の2013年ももう終わりだ。ありがとう。その言葉を伝えるべき最後の一人、黒髪ねーちゃんの後姿を見送った後、僕等は北千住へと歩を向けた。

その北千住のマルイにて、旅行カバンを買う。嫁に買ってもらった。プーマのスポーツバッグだ。店員姉ちゃんが矢のような勢いで薦めてくるのも原因だが、その紫の色合いと、スポーツバッグ特有の丈夫さ、荷物が相当入りそうな許容量。全てが気に入った。これできっと良い旅行が出来る。

嫁に感謝した僕は、ささやかな返礼として、彼女に白いストールのような、ポンチョのような服を飼って差し上げる。冬は寒い。冬といえばポンチョ、ストール。それを装着した姿は、一歩間違えば天狗じゃ、天狗の仕業じゃ。そんなささやかなやり取りさえ、いつか思い出になる…。

帰宅した後は、カップラーメンや菓子をつまんでゆっくり過ごす。明日仕事とは言え、クールダウンのようなもの。殆ど気分は冬休みだ。その2013年が終わる前の最後の土日で、マラソン大会に参加し、親愛なる友人に会い、黒髪ねーちゃんに会えた。今年の僕の任務はほぼ完了した。

あとは明後日から、嫁と共に東京を旅立つ。終わりの始まり、あるいは始まりの終わりを開演させるために…。

20131228(土) 「走り納めde皇居ラン」を走り切ったことで、1年計24回のマラソンを走るという俺の誓いは完了し、焼肉屋「万世牧場」で友人と交わした言葉は、ちょうど一年前に約束した言葉

131228(土)-01【0850】コンビニサンドイッチ、アメリカンドッグ《家-嫁》_01 131228(土)-02【1200~1320】皇居マラソン5km 走り納めde皇居ラン2013FINAL 27分01秒《桜田門-嫁》_002 131228(土)-02【1200~1320】皇居マラソン5km 走り納めde皇居ラン2013FINAL 27分01秒《桜田門-嫁》_04 131228(土)-02【1200~1320】皇居マラソン5km 走り納めde皇居ラン2013FINAL 27分01秒《桜田門-嫁》_05 131228(土)-02【1200~1320】皇居マラソン5km 走り納めde皇居ラン2013FINAL 27分01秒《桜田門-嫁》_22 131228(土)-02【1200~1320】皇居マラソン5km 走り納めde皇居ラン2013FINAL 27分01秒《桜田門-嫁》_24 131228(土)-02【1200~1320】皇居マラソン5km 走り納めde皇居ラン2013FINAL 27分01秒《桜田門-嫁》_30 131228(土)-02【1200~1320】皇居マラソン5km 走り納めde皇居ラン2013FINAL 27分01秒《桜田門-嫁》_31 131228(土)-03【1325~1340】日比谷公園《日比谷-嫁》_03 131228(土)-03【1325~1340】日比谷公園《日比谷-嫁》_04 131228(土)-03【1325~1340】日比谷公園《日比谷-嫁》_05 131228(土)-03【1325~1340】日比谷公園《日比谷-嫁》_13 131228(土)-03【1325~1340】日比谷公園《日比谷-嫁》_21 131228(土)-03【1325~1340】日比谷公園《日比谷-嫁》_25 131228(土)-03【1325~1340】日比谷公園《日比谷-嫁》_26 131228(土)-04【1345~1420】うどん屋「銀座木屋」(銀座-嫁》_05 131228(土)-04【1345~1420】うどん屋「銀座木屋」(銀座-嫁》_07 131228(土)-04【1345~1420】うどん屋「銀座木屋」(銀座-嫁》_09 131228(土)-04【1345~1420】うどん屋「銀座木屋」(銀座-嫁》_12 131228(土)-05【1420~1440】銀座通りアートスポーツ等《銀座-嫁》_01 131228(土)-06【2100~2230】肉の万世 万世牧場 焼肉《秋葉原-友人1名》_01 131228(土)-06【2100~2230】肉の万世 万世牧場 焼肉《秋葉原-友人1名》_02 131228(土)-06【2100~2230】肉の万世 万世牧場 焼肉《秋葉原-友人1名》_03 131228(土)-06【2100~2230】肉の万世 万世牧場 焼肉《秋葉原-友人1名》_04

 【朝メシ】
コンビニサンドイッチ、アメリカンドッグ、アイスコーヒー(家-嫁)

【昼メシ】
うどん屋「銀座 木屋」(銀座-嫁)
 
【夜メシ】
焼肉屋「万世牧場」(秋葉原-友人1名)

【イベント】
マラソン大会「走り納めde皇居ラン2013FINAL 5km 27分01秒」、秋葉原パチ、焼肉
 
 
【所感】
今年最後のマラソン大会がやって来た。

すなわち僕が今年の最大の目標の一つとして掲げた2013年マラソン大会連続参加スケジュールにおけるトリだ。月2回、1年間参加し続けるというかなりハードな目標を立てたが、僕にとっては誓い。何とかやり切りたいと願い、ここまで来れた。

途中凹み、腰痛が激烈に悪化し、練習回数も減り、棄権することもあり、天候に左右され…。紆余曲折あったが、最終的に月2回ペースでやり切ることが出来ている。今日のマラソンを走ればコンプリート。僕の使命は完了だ。

ホント、よくやった。2013年、コンディションやモチベーション的には下降を辿ったが、この点だけは自分を最大限評価したいと思う。

今日の大会は皇居で5km。スポーツワンの「走り納めde皇居ラン 2013FINAL」という名称だ。思い起こせば、今年2013年初っ端に走った大会もスポーツワン、「走り初めdeラン」だった。偶然か、何かの巡り合わせか。2013年最後のマラソンを飾るのに相応しい。因果を胸に抱きつつ皇居へ向かった。その因果が良い方向に応報することを祈りながら。

到着した皇居は晴天。今までのマラソンの天候を総じて振り返れば、晴天が多かった気がする。無論、季節によっては雨マラソンも捨てがたい。猛暑での雨は火照った身体を冷ましてくれるからだ。

それでも最上は、晴れ。どの季節だろうと晴天に勝る天候はない。地面に座り、寝そべられる気軽さ。荷物の汚れを気にすることもない。何より空が晴れていると人々の心が晴れる。爽やかな日差しを受けて走るランナー達の面持ちは透き通り、応援する者の心も暖かくなる。

本日12月28日。日差しは抜けるような青空。2013年最後のマラソンを晴れ晴れとした空の下で走れたことに僕はただ感謝した。

他のランナー達にも感謝する。知り合いでも何でもなく、縁や繋がりもない、ただの赤の他人達。それでも、マラソンをするため、走るために僕と同じ場所に集っている。連帯感というのか、同じ道に居る者への信頼感というのか。交わることすらない彼等沢山のランナー達と同じ空間と時間を共有していることに幸せを感じる。

今回の主催者団体の「スポーツワン」は、走る前にランナー達を集めて集合写真を撮る。見知らぬ者同士が、だけど走るという共通の目的を持った同志が、ほんの一瞬だけ一堂に会するこの撮影の瞬間は、僕にとって刹那の一体感と心の高揚を与えてくれた。

彼等は各々の距離別に別れ、10kmを、5kmを、あるいは20kmを完走するためにスタートする。各々が自分のペースでコースを走り、給水し、汗をかく。プロかと見紛うばかりに速いランナーも要れば、徒歩同然のスローペースでのんびり周回する者も居る。中には苦しくて途中で歩き出したり、逆にスパートを掛けたり…。

誰もが実力以上のものは出せない。だけど気持ちが高まっているから、日常では眠っている力をきっと無意識に引き出しているのだろう。

僕も実力以上のものは決して出ない。今年の軌跡を辿れば、一番最初の1月に走った10kmで51分04秒というのが歴代最速タイム。その当時は50分を切るのも目前と自信を持ち、いずれはハーフやフルに挑戦するといきがった。

だけどペースは上がらず、5月に発生した腰痛の悪化で、走ることすらままならない状態に陥る。日常生活にすら既に支障をきたすレベルだ。それからというもの、練習するのも気が滅入り、心は折れそうになる日々。

それでも走り切ったという事実が欲しかったから、とにかく参加はした。客観的に見て、このコンディションで走るという時点で多分、頭がおかしい。それでも欲しかった称号。僕の中で納得出来る、1年間連続参加および全完走という形なき称号が。その意地が実ったのか、苦しくも続けられた。

その中で迎えた今日の皇居マラソンだ。今回は5kmに抑えた。実力はもう見る影もなく下降線の一途だ。それでも「ただ自分のペースで走る」のがマラソンで、それさえ守っていれば「いずれ完走出来る」という原則を信じつつ走るわけである。

ベクトルは違えど、周囲を走るランナー達も、きっと例外なく何かの目的を持って走っている。だから親近感を感じるし、実際は独りきりで走っている時も、心はなぜか寂しくない。

そんな他のランナー達も、ペースの速遅や表情の硬軟に差はあれど、走っている時の眼差しは基本的に真剣で、走ることに対して「バカバカしい」という表情をしている者は誰一人として居ない。走ることが好き、あるいは走ることに対して肯定の気持ちを持っている者ばかりだろう。ほぼ例外なく誰もが自分の意思でマラソンに参加している。僕とどこも違わない。

僕は、走ることが好きとは言い切れない。元々、ジョギングを始めたきっかけはダイエットのためだ。今でもマラソンが好きで参加しているのではなく、参加すべきだと自分で思い込んでいるだけ。洗脳によって鼓舞しているだけの話だ。

だけど洗脳だとしても、僕の中には確固とした理由があり、僕の中の真実がある。マラソンをすることでそこに近付くと考えるから参加し続けた。走っている最中は例外なく辛いけど、走り終えて後悔した事は基本的に一度もない。

それでも、もし本当に独りきりで走っていたら、恐らく全て完走し切れなかったかもしれない。無論、マラソン関係の知り合いなど一人も居ない。だけどなぜか独りだと思ったこともない。周りに僕と同じランナー達が居たからだ。

同じ場所に集合し、苦しみの中で同じコースを走り、同じゴールを目指す。その時間だけは僕も他のランナーも同じ方向を向いていると分かる。仲間じゃないけど仲間の中に居るという感覚。だから本質的には寂しくなかった。

そして、ランナー以外の人間。応援者。物珍しそうに見物したり、たまに声援を掛けてくれたり。それだけで自分の一部を認められている気がする。

そして嫁も、殆どの大会に付いてきてくれた。物好きな僕に同行し、給水用のドリンクやレジャーシートを抱え、僕に声援を掛けてくれていた。どんなに僕の走りが遅くとも、「ファイト!」と叫ぶ。周回の途中で渡されたドリンクの味が胸に染み込む。

ゴールした後、タオルを手渡し、僕が回復するまで泰然と待ってくれる。そして最後、疲れ果てた僕と亀吾とのツーショット写真を撮り、笑顔で会場を去るのだ。嫁の声援にも支えられていた。

基本、僕は僕だけのために走っている。鉄の意志だったと自信が持てる。だけど僕が決して楽ではないコースを完走出来るのは、今まで完走出来たのは、目線を同じにする見知らぬ多数のランナー達が居たからで、眺める道端の応援者が居たからで、声援を投げてくれる嫁の存在があったからで。

僕は今日、いつもの皇居のコースを、青空の下、走った。いつも通り苦しくて、いつも通り独り頭の中で意味を考え、声を唱え、だけどいつも通り完走した。腰の痛みは激しくて、もう崩壊する寸前。それでもラスト1.5kmから左手に見える大きな池と、その池に反射される太陽の光との融合が醸し出す景色の素晴らしさと美しさが僕を必ず浮上させる。

ありがとう。僕はその池を瞳に映しながら笑顔で呟く。ゴールテープを切った瞬間、何かが終わった気がした。

ゴール結果は27分01秒。凡走だ。結局、年初が最もマトモなタイムだったことになる。腰の悪化に連れてテンションも削られていく。いや、テンションが削られたから身体にも影響が出たのか。どちらが先か、もう分からない。

もしかすると今後、タイムが伸びるなんてことはもうないかもしれない。10km以上走れないかも。それどころか、いずれ走れなくなるかもしれない。だからこそ、走れる内に、何か結果を残したかったというのもある。

反面、物足りない。完走するのが目的とは言え、走るからには前回よりも早く、過去よりも上を目指したいのが本心だからだ。ある意味、充実感があり、達成感もあり、だけど悔しい気持ちもあって。

だけどもう終わったのだ。2013年のマラソンは、文字通り走り納めのFINALステージ。その事実だけを今はしっかり受け止めて、だけど今日という日を無事迎えることが出来てよかったとただ振り返るのみ。

周囲を見渡す。他のランナーも次々とゴールしていく。ゴールした後、各々の価値観で喜び悔しがる。しばらくすれば、皆がそれぞれの居場所へと帰っていく。そして二度と会うことはないだろう。

それでもここ一日だけ、同じ気持ちを共有できたことに、そして今までの大会で触れ合った全ての人に、僕は感謝するのであった。

長いようで短いようで、定まらなかった2013年。やるべきことを胸に決め、いくつかのことを始めたけど、結局最後まで貫徹できたのは、マラソン大会だけだった。

成果は凡庸でも、意思の部分で凡庸を超えたと自分で言える。間違いなく、今年一年の中で最も意識が高まり充実した合計24回のマラソン大会だった。
 
 
【佐波伊之児 2013年 マラソン大会リザルト】
01/05(土) 走り初めdeラン 5km 25分40秒 鹿島田・多摩川河川敷
01/20(日) 第51回 新春東京喜多(北)マラソン 10km 51分04秒 足立区荒川河川敷
02/11(月祝) SWACチャレンジラン10km 52分47秒 皇居
02/16(土) 皇居チャレンジラン10km 53分15秒 皇居
03/03(日) スポーツワン ひなまつりラン in皇居 10km 52分48秒 皇居
03/16(土) 第一回熊谷アフタヌーンラン マラソン大会 10km 53分03秒 熊谷スポーツ文化会館
04/07(日) 千本桜マラソンin荒川 10km 56分41秒 小松川公園・荒川河川敷
04/20(土) 川崎イルミネーションマラソン 10km 54分55秒 川崎・東扇島
05/04(土GW) TELLチャリティーラン・アンド・ウォークin皇居 10km 56分50秒 皇居
05/26(日) スポーツワン 皇居ラン 5km 28分16秒 皇居
06/16(日) 第三回スポーツワン荒川ラン 5km 28分40秒 小松川公園・荒川河川敷
06/30(日) 第16回スポーツワン皇居ラン 10km 1時間8分34秒 皇居
07/21(日) 第4回スポーツワン荒川ラン&駅伝 10km 58分12秒 小松川公園・荒川河川敷
07/27(土) 第1回大井東京夏マラソン 10km 1時間5分44秒 大井陸上競技場
08/18(日) チャレンジ皇居Run for ビギナー5k 5km 30分06秒 皇居
08/25(日) スポーツワン早朝皇居ラン 10km  58分40秒 皇居
09/01(日) 第3回皇居Funラン&20kmリレーマラソン 1時間10分58秒 皇居
09/08(日) アキバエンタメマラソン 約1時間3分 皇居
10/14(月祝) ハロウィン荒川ラン 5km 27分21秒 小松川公園・荒川河川敷
10/27(日) チャレンジ皇居ランforビギナー 10km 58分26秒 皇居
11/10(日) 第三回国際大使館フレンドリーラン 10km 59分47秒 台場潮風公園
11/24(日) サンタファンラン 5km 約28分 台場潮風公園
12/22(日) 皇居Decemberランニング 10km 59分40秒 皇居
12/28(土) 走り納めde皇居ラン2013FINAL 5km 27分01秒 皇居
 
 
以上、24回のバトル。まだ自分は大丈夫という証明、有言実行できる自分が残っていることの確認、自分の矜持と想いを貫徹し届かせるための戦い。

理由は様々だけど、やり切った。もう一度やれと言われても多分出来ない。恐らく二度と出来ない一年だけの意地のイベントだ。

だけどこの結果こそが欲しかった。それだけに、この24回のマラソンは僕の中に一生残りうる記憶となるだろう。

マラソン終了後は、いつものように日比谷公園で一服。いつものボロッちい売店の前に腰掛タバコを吹かす。売店のオヤジは相変わらず不機嫌そうな顔で店内に立ち、だけど意外と客には下手に出るという名物ぶりを見せている。

終わってみれば、知り合い以外の人間では、この売店オヤジこそが一番の顔馴染みだったんじゃないだろうか。恐らく、オヤジは僕等の顔を覚えていると思う。そのくらいの回数をこの日比谷公園で過ごした。10年来の友人達との飲みよりも、気付けば日比谷公園に来た回数の方が遥かに上回っていた。

公園を埋め尽くす暗緑の木々の中に、12月も終わろうというのに一本だけ季節に逆行するように、未だ紅葉している木が混じっている。ちょうど一週間前の皇居マラソンの後の日比谷公園でその木を初めて見つけた。

今日も変わらず、いや先週に増して紅葉具合が鮮やかになっている。どこまで紅葉が続くか、どこまで時の流れに抗うのか。逆行しようとするその一本の木に親近感を覚えつつ敬意の念を抱いた。

そんな感傷など知ったことではないと、ベンチ下には数羽のハトがエサを求めて我が物顔で歩く。そして枯れた木の枝には二匹のスズメが。鳥達にとって人間の喧騒など関係なく、ただエサを求め、季節の流れに任せて日々を営む。スズメ達は、忙しない人間達を枝の上からつぶらな瞳で見下ろすのみ。

少し歩き、見晴らしのよい場所に出る。木陰にはベンチが、中央には噴水が設置されている。この快晴に照らされて、通常でも透明で綺麗な噴水の水が一層澄んで見える。皇居のお濠もそうだけど、水と太陽の光とが織り成すコントラストとは、全くもって美しい光景だ。

この場所でビールフェスタなどがよく開かれる。かと思えば、ベンチに座って油絵を黙々と描いたり、持参の弁当を食べたり。何もイベントがない時の日比谷公園に居る人達の佇まいは、まるで時が止まったかのようだ。

2013年の皇居マラソンは計13回。オクトーバーフェスタ他の祭典をあわせれば、この一年で日比谷公園には数十回出向いていることになる。時には賑やかに、時には静寂を携えて。

僕等はそこをただ歩くだけ。注目されるわけでもなく、自分を主張できる何かを持っているわけでもない、ただの散歩客だ。それでも都会のど真ん中にある昭和の名残を残した日比谷公園は、間違いなく2013年における僕の居場所の一つだった。

昼メシには銀座の「木屋」といううどん屋を選んだ。そこまでガッツリ食いたいわけでもなく、むしろマラソンをやり遂げた清涼感に呼応するようなサッパリしたメシがよい。その点、うどんはベストなチョイスだろう。

特にこの木屋は大したもの。何気なく入ったが、麺はコシがあり、かつ火も充分通って喉越し抜群。ツユもしょっぱ過ぎず、薄くもなく、絶妙だ。銀座に来てまでうどん、と言うなかれ。ここは良店。「木屋」だけのために足を運んでも良いくらいだ。

それにしても、気付けば銀座、有楽町エリアの地理に詳しくなっている。店や施設の場所や位置関係も自然と頭に入る。何処の時点かであまり足を運ばなくなり、何となく遠ざかっていたけど、元々は思い出多き場所であり、大好きなエリア。また戻ってきたという感じがして、束の間僕は幸せだった。

食後、腹ごなしも兼ねて銀座の通りを少し歩く。「アートスポーツ」というスポーツショップがある。中にはランニングシャツやランニングパンツなど、多種多様なランニンググッズがレイアウトされている。

まさにランナーのためにあるような店。僕も一度入ったことがあった気がする。何となく懐かしくなる。そして今日の皇居マラソンFINALを思い出す。きっと、ここから全てが始まったんだ、と。

銀座徘徊も終わり、嫁は家に帰宅する。だけど僕の一日はまだ終わっていない。茨城の友人・スーパーフェニックスと会合の予定が入っているのだ。ただの飲みではなく、会合の議題は「確認」だ。去年立てた目標に対しての進捗率について。

昨年、同じく12月の暮れ、27日か28日だったか。会場は上野のしゃぶしゃぶ屋「木曽路」。そこで彼は、しょぼくれ気味の僕に対し「とにかくやるしかないだろ」と励ましてくれた。また彼は自分のこととして、「オレはこの人と多分結婚するかもしれない」と、付き合っている彼女のことについて教えてくれたものだ。

そして肉を食った後、2012年のその日から一年間、とにかく目標を立ててお互い頑張ろうと鼓舞し合った。それ以外に自分を救う方法はないんだよ、と。スーパーフェニックスは自営業で独立した身だが、彼は彼で、その他に自分自身の魂を燃焼させるべき場所を探している。僕も同じだ。

その勢いの中、「一年間頑張ろう」と言い、その成果を確認するため「今からちょうど一年後に、二人で会って結果を報告し合いましょう」と、話を締めた。

その「ちょうど一年後」が、まさしく今。約束の日が到来したのだ。

僕は結局、熱を吹いた割には大したことは出来ていない。スーパーフェニックスも同じく。彼が当時言っていた「この人と結婚するかも」という予言は見事成就し、今は奥さんと暖かい家庭を築いているが、それとは別の部分で報告の義務を果たさねばならないのは彼も同じだから。

僕は集合場所であるアキバへ向かった。

少し早く来すぎたので、暇潰しにパチンコ屋のサイバーへと入場する。ホント余計な行動だが、打ってる間は得体の知れない焦燥感が幾分癒えるのも確かだろう。

僕はエヴァンゲリオン8に座る。ほどなくアキバに到着したスーパーフェニックスも、付き合いでエヴァに座る。本当に彼は付き合いがいい。だけど彼は負けてしまった。申し訳ない。その分、僕は勝った。今夜の食事を奢れるほどに。

そう言えば、去年の12月、上野の「木曽路」ではスーパーフェニックスが全て支払ってくれた。ならば今日は僕が払うのが自然であり礼儀。このために僕はエヴァンゲリオン8に座ったのかもしれない。

彼に奢ってもらった回数はもはや数知れず。いつも申し訳ないと思っていた。だからこそ返せる時は迅速に、喜んで。今日だけはパチを打ってよかったと思える。

夜メシは、肉を食うことに決定。去年と同じしゃぶしゃぶでも良かったが、スーパーフェニックス的には焼肉を所望のようだ。となれば肉の万世。同ビルの焼肉フロア「万世牧場」へと僕等は向かう。本当は10Fの鉄板焼き屋に招待したかったが、それはいつの日か出世払いで返したい。それに、出世するための野望、それを持ち続けることが肝心なのだ。

焼肉を食いながら、僕等はこの一年の報告を交換する。とは言っても、実際は年がら年中会っているようなもので、互いの詳細などリアルタイムで聞いているから今さら確認するまでもない。それでも筋を通すための総決算はすべき。一年間の総括。そのための儀式であり焼肉屋、というわけだ。決めたことは守らねばならない。

スーパーフェニックスは、大きなイベントとして、まず結婚したことを挙げる。改めておめでとうと僕は言う。肝心の自己目標については停滞気味のようだ。だけど情報収集は僕以上にしていたようなので、それはそれで評価した。

僕の方は、自己目標については彼と同じく殆ど進行していない。だけど「これをやらなかったらオレは死ぬ」と去年に宣言しており、それは何とか形を付けることが出来た。本当に死ぬつもりだった。逆に、その程度できなければ、これから先到底やっていけないと当時既に思っていたからだ。

進捗状況だけを見れば、殆ど進んではいない。だけど最低限、死は回避したというのが彼に対する僕の報告の骨子だ。

加えて、英語を少し勉強したことも報告。TOEIC試験に二回出た。まるで成長していないが、格好を一応付けたという点で評価はできる。

そしてマラソン。1年12ヶ月、毎月2回最低出場。結果はともかく、トータルで24回のマラソン大会に出場し、全て完走したことを僕はスーパーフェニックスに報告した。ここだけは誇れる点だ。

そんな僕に向けてスーパーフェニックスは「やるなぁ! それは本当にすごいよ佐波さん! 普通出来ないって!」と、心からの賞賛を僕に向けてくれる。ありがとう。他のものはダメだったけど、これだけは何とか宣言通り出来た。

2013年は、結局のところ死なないための年だった。そのために走っていたと言っていい。あまり考えず。いや現実には考えることが出来ない。だから走ってみた。完走できたのは結果だ。

だけど始まりがなければ終わらない。きっかけがなければ走ろうとは思わない。だからそれでいい。ロングフリーズした後、たしかに始マリノ刻は開演したのだから。化物として語られても良いではないか。そんな気持ちさえあった。

それでも2013年は中途半端すぎる年だった。総論では大幅に衰えた。だけどほんの一部分の各論で意地を見せることが出来た気がする。

そんな2013年の間、彼とは一体何十回会ったのか。彼も忙しくなるし、もう滅多に会えないと思っていたのに、気付けば毎週顔を見ていた気がする。だからこそ、終わりを迎える前に、この親愛なる友人・スーパーフェニックスにもう一度会えて、しっかり報告が出来てよかったと思う。

今年も彼と会うのは最後。だからこそ僕は、今まで彼がしてくれた僕への気遣いや友愛に対して、直接彼に言葉で伝えた。「ホントありがとう。スーパーフェニックスさんに会えてよかったよ」と。いつも心の中で思っていたことを、だけど一度も口には出さなかった気持ちを、今日初めて直接彼に伝えた。

「どうしたの佐波さん?w」彼は少し苦笑した後、だけどその後すぐに優しい表情になり、「まあ、オレもですよ」と見透かしたような笑顔で言い返す。本当に彼に会えてよかった。

スーパーフェニックスと別れ、帰宅して寝室を覗くと、嫁が寝息を立てていた。洗濯機の中には今日のマラソンで着用したシャツやパンツや帽子。一年通して全く変えなかった、僕のランニング専用スタイルの残骸だ。

そしてテーブルの端っこにはマラソンのゼッケンが、何かをやり終えたかのように、汗を吸ってボロボロに転がっていた。

これで終わった。2013年、やりたいことの10分の1も実行できなかったけど、最低限やるべきことはやったと思いたい。そのために意地を張り、時にはやっているフリをして、支えられ、何とか一年を終えることが出来た。

ありがとう。僕は寝室に向かって心の中で感謝の声を投げ掛けた。

20131227(金) 汐留の美味しい中華屋と、思い出深い、あの亀の石畳

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 【朝メシ】
牛乳(家-嫁)

【昼メシ】
中華屋 CHINA GRANDE 汐留住友ビル(汐留-一人)
 
【夜メシ】
コンビニパスタ・ラーメン、歳暮昆布巻き、アメリカンドッグ、サンドイッチ、ローストチキン等、暴君ハバネロ(家-嫁)

【イベント】
仕事
 
 
【所感】
2013年も終わりが近付き、同時に仕事の最終営業日も近付く。ウチは来週月曜の30日まで営業だ。今日、あるいは既に昨日から休みに突入している会社も多い中、非効率なことだ。日実際、営業したところで電話の一つも掛かってこない。取引先の殆どが休みに入っているからだ。

それでも頑なに営業日をギリギリまで引き延ばす。逆に言えば休暇日数を極力減らす。7連休とか、場合によっては10連休だと喜ぶ世の会社員達の喝采の中、ウチは5連休が最大だ。今年はカレンダー上、6連休になるが、それだって8年ぶりくらい。

「同じ給料払ってるんなら可能な限りこき使うべし」という上役の考えが反映されているからで、「会社で養ってやってるんだから、『休みたい』など言語道断。むしろ慎み深く『休みなんて少なくていいです』と本来なら言うべきだ」という思考。

もっと言えば「従業員ごときがオレの知らないところで呑気に楽しそうに遊ぶのは生意気だ」という奴隷に対する王族のような目線が根底にある。実際、「同じ給料払ってんのに何でそんなに休ませなきゃなんねーんだよ」といつだったか言っていた。ホント狭量だよな。

とは言え今年の仕事もラスト二日。月末の追い込み時期はとうに過ぎているし、実質的には社内の在庫棚卸とか伝票整理などが残るのみだ。その棚卸を誰にさせるかということで、上司が「誰にさせよっかなー」などと一人呟きつつ各自のスケジュール表を眺めていた。

そして、今日の予定が空白になっている部下Kに向かって「お、暇人発見! キミに行ってもらおうか」などと笑いながら部下Kを指差す。その笑いには明らかに嘲笑が含まれていた。横耳で僕が聴いてまず感じたのは「何て言い草だ」という気持ち。言い回しが、言葉選びのセンスがおかしい。人を怒らせるポイント、感情を逆なでする表現や態度というものを骨の髄まで心得た言い方だ。何でこうも自然体でムカつくことが言えるのか。認めたくはないがそっちの才能はずば抜けている。

まるで、記者会見でインタビュアーを挑発する議員や政治家ばりのケンカ腰。要らぬ波風を立てる。むやみに人を怒らせる。その根底は相手に対する見下しや憐憫。「その程度も分からないのかい? 哀れなヤツだな」という言外の意思を言葉に含ませる。相手はそれを敏感に感じ取るから感情的に反感を抱く。それを見て「すぐ感情的になって小物だなキミは」とさらに見下ろす。ケンカを仕掛けた自分自身の狭量は棚に上げて、相手を攻撃することに専念する。

こういう輩は元々の常識が違うので、話が通じない。自分ルールでしか言動しないためマトモな対話は出来ない。それも多分、狙って言っている。誰かを見下し、攻撃することによって自分が安心感を得る。自分が弱いと本能的に知っているので、攻撃される前に相手に先制攻撃を仕掛ける。

弱い人間は、あるいは汚く卑しい人間は、自分の弱さを露呈されるのが怖いから、後ろ指を差されると不利になると分かっているから、それを指摘される前に、攻撃される前に他者を攻撃するという無意識が備わっている。だから要らぬことまでよく喋り、無駄に感情的になる。喋れば喋るほど論理が崩れていくのに気付かないまま、よく囀る。あくまで僕が生きてきた中での感触だが、口数の多すぎる人間は、どこか変だった。

それに部下Kのスケジュールが空白だったのはたまたまで、実際はそれほど暇でもない。「暇人見っけ」と言われた時、Kはデスクで資料作成の真っ最中。そして上司にそう言われた時、一瞬明らかに不快な顔をしていた。上司に命令されればそりゃ行くさ。だけどそれなら「棚卸に行ってこい」と言えば済むわけで、わざわざ「『お前ヒマなんだから』行けよ」と余計な言葉を入れる必要はない。明らかに無駄な装飾語で、悪意ある言い回しだ。そうKの瞳が言っていた。

まったくその通りだな。この上司は余計な一言が多すぎる。しかも息を吐くように悪意を吐くから性質が悪い。ジョークのセンスがない。そのブラックジョークに僕などは能面のような顔をしていたが、事務方の女性社員の一人などは「ふふふっ♪」などと同調して笑っていた。ジョークを言えば誰か笑ってやんないと言った本人が可哀想。そういう思考は誰にである。

だけどそれはジョークの内容によるだろう。追従の笑いは、あくまで内容がOKだった場合に出すべきで、悪意あるジョークに追従するのはソイツも同類だという証明。周囲を不快にさせるだけだから止めた方がいい。僕はそういうポイントで人を見ている。結果、社内に絶対に許せない人間は三名居た。もうずっと敵。本質的な部分で生涯分かり合えないだろう。

ほんの少しのやり取りですら激しい消耗を強いられる職場の雰囲気から逃げるように、僕はさっさと会社を後にする。お客さんのところに年末の挨拶に向かうためだ。今さらわざわざ出向いて話すことなどないのだが、社内は社内で「挨拶くらい行ってこい」とうるさいわけで。

この3~4年、お客さん達の要望を殆ど跳ね除けて、ウチ主導でやってきた感がある。「買いたいなら買えばいい、買いたくなければ買わきゃいい」というスタンス。買った時には「欲しいから買うんだろ」という上から目線。お客さんあっての商売だという本質的な精神を置き忘れ、どこかを境にして変わってしまった。傲慢になった。

結果、呆れたりウチに期待しなくなったお客さんが増え、中にはウチと話したくもないお客、あるいは明らかな距離を取ってしまったお客も表れた。上手く行っている時は別にいい。だけどそれが少しでも崩れた時、どうするのか。リカバー出来るのか。失くした信頼を取り戻すには、その倍以上の労力が必要だと言うのに。

その不信の積み重ねの末、イマイチ業績の奮わない現在がある。「もっとガンガン売れよ」と今さら言われても、どっちらけ。取り繕うように「とにかくお客さんとこに挨拶に行け」と言われても、商売のことで有意義な話など殆どない。顔見せや世間話だけで会ってくれるお客なんて、本当は居ないんだ。そこには必ずビジネスの話が盛り込られている。何か勘違いしている。

遅すぎる。気付くのが。「もう遅い」と思ってしまう将来を見越して先に先に手を打つのがビジネスであり、裁量権を持った人間の手腕じゃないのか。そういう意味で、ウチは極端に無能だ。

それはそれとして、外出するのは嫌いじゃない。一人になれるからだ。今回向かった汐留は、いかにも埋立地の新興ビジネス街という様相で、清潔かつ整然。リーマンやOLだらけ。しかも何となくオシャレ。オッサンの代名詞・新橋が近いというのに、なぜか華やかに見えてしまうんだよな。僕もこんなところで働きたい。

摩天楼のごときデカいビルの一室で、お客さんと商談および挨拶。一人は本当に気楽だ。誰かに発言を止められることもない。つまり発言に制限がないから。禁止ワードがなく、自分の裁量で何でも好きなことを言えるわけだ。

だからこそ、お客を逆なでするワードを選んだ時は自分で責任を負わねばならないが、一応その辺の常識は弁えているつもりだ。基本的にお客さんを怒らすことは滅多にないと、思う。プライベートや職場内など殆どのシーンでは失ってしまったが、ビジネスの一人商談という場だけなら、僕はまだマトモなコミュニケーションが取れる。この時だけは、一仕事人としての細胞が活性化し、口も動く。

コミュニケーション能力の大幅低下という自覚の中、僕が唯一安心できる領域であり、自分をまだ見捨てないでいられる実績であり、最後の救いでもある。まだ完全に死んでるわけではなかった。

商談後、ビルにある「CHINA GRANDE」という中華屋でメシを食う。ビジネスビル内のテナントだけに外装はオシャレで、まるで高級店のよう。思えば、僕はこういうロケーションは殆ど体験していないため新鮮ではあった。

店内もキレイ。客達も殆どがビジネスパーソンで、座って騒ぐというより優雅に佇むという感じだ。出てくる料理も結構美味しい。今回はスタンダードにチャーハンを頼んだが、パサパサさとモチモチさを同居させ、味付けもしっかりしている。さらにドリンクバーも付くという至れり尽くせりぶりだ。これで1000円も行かないのだから、圧倒的にお得だと思う。もしかして、僕が知らなかっただけで、この辺の店は大体そうなのか? だとしたら何とも無知は罪なことよ。

予想外の居心地のよさに満足した僕は、予定の帰社時間を1時間ほど延ばし、店内で優雅な時間をたっぷりと過ごす。少し薄暗い店内でタバコを吸いつつ、コーヒーをお代わりし、「NEWSWEEK」で世界情勢を読み取りながら過ごしたこの二時間を、僕はかつてないほど有意義に感じていた。何故だろう。本当に心が充実し、没頭していた。多分、こういう過ごし方が今の自分には最も適しているのかもしれない。

汐留駅を歩く途中、ビルとビルの狭間のスペースに、亀の甲羅を形取った噴水場がある。夏はそこから水が出て、冬はイルミネーションでライトアップされる。知る人ぞ知るスポットだ。僕も亀好きだけに、何度かこの場所には訪れている。そして今日もこの亀を見た。

何となく物悲しいのは冬のせいか。年の終わりが近いからか。ほんの少しだけ薄暗くなり始めた景色を、亀の甲羅の亀裂に沿って敷き詰められたライトアップ用の電球が、ほのかな光を発し始めている。命の輝き、儚すぎる明滅、儚すぎる記憶。

初めてこの亀を見たのは7~8年前。両親が上京した時。僕等もその時、初めてこの亀に気付いた。その後は大体仕事の途中。たまにマラソン大会の帰りなどに寄ったこともあったか。亀の石畳はあの時から変わらない。自分達の姿形は少しずつ変わっていく。心の中が、何より変わった。この亀の存在は知っている。そこに来たことも思い出せる。だけどその時に何を感じたか。もう思い出せない。そのか弱いイルミネーションがなぜか胸に痛かった。

帰宅後の食事はコンビニで済ます。いつものアメリカンドッグやサンドイッチ。そして弁当としてのパスタやラーメンなど。ウチの最近所はセブンイレブンだが、弁当も結構良質なものを揃えているんだよな。もうコンビニで弁当を買うことなど滅多にないので気付かなかったが、コンビニ弁当も様々な面で日進月歩している。僕は進化したのだろうか。それとも。

オヤツに「暴君ハバネロ」という菓子を食った。元々辛いと評判の「ハバネロ」をさらに強化し暴君化させたものだろう。一時期のブームが過ぎ去ったハバネロを、こういう形でリバイバルするとは、メーカーもただでは転ばない。今の僕は、ただでは転ばないしたたかさを持っているだろうか。

暴君ハバネロは、個人的には名前負けだった。辛さが物足りないという点で。僕は、「辛い食事」という点についてだけは、果てしなくレベルアップしたと思う。だけどそれは、もはや麻痺して何も感じないという次元に突入しているのではないか。そんな危惧もなくはない。

それ以前に、感情が麻痺してしまっているんじゃないか。日々が流れていく。時間が過ぎていく。それを僕はブリックヴィンケルのように、ただじっと見ている。そんな感じがする昨今ではある。

20131226(木) 地元に出来た中華屋「上海亭」までの地元事情も、記憶の軌跡も、結局は儚い泡沫

131226(木)-02【2110~2220】中華料理屋「上海亭」《梅島-嫁》_05 131226(木)-02【2110~2220】中華料理屋「上海亭」《梅島-嫁》_06 131226(木)-02【2110~2220】中華料理屋「上海亭」《梅島-嫁》_08 131226(木)-02【2110~2220】中華料理屋「上海亭」《梅島-嫁》_09 131226(木)-02【2110~2220】中華料理屋「上海亭」《梅島-嫁》_11 131226(木)-02【2110~2220】中華料理屋「上海亭」《梅島-嫁》_13 131226(木)-02【2110~2220】中華料理屋「上海亭」《梅島-嫁》_14 131226(木)-03【2240頃】ポルテ《家-嫁》_01

 【朝メシ】
牛乳(家-嫁)

【昼メシ】
カレーパン(家-嫁)
 
【夜メシ】
中華屋「上海亭」 (梅島-嫁)
ポルテ(梅島-嫁)

【イベント】
地元中華料理屋
 
 
【所感】
朝、何かの拍子で取り溜めたままPCのHDD内の奥の奥に収納されていたMP3の音楽ファイルを聴くことになった。10年以上前にプレイしたゲームミュージックだ。切ない、郷愁を誘うような音色とメロディがプレイヤー達の胸を打ち、今でも多くの人にとって忘れられない名曲の一つとなっている。そのゲームミュージックを聴きながら、ふと10年前からの自分を走馬灯のように思い出していた。

結局、アレは何だったのか。東京に来て、ゲームやって、麻雀やって、多くの仲間と知り合い、楽しい日々を過ごし、結婚もして、そこからも様々な人に会い、関係がより強固になったり、逆に離れたり、巡り合った絆や縁に感謝して、だけど終わりを考えるとそれが時に悲しくもあり、虚しくもあり、結局何か残ったのだろうかと自問自答してみたり。年末という「終わり」を感じさせる時期だからこそ、しみじみと迂遠な思索を巡らすものかもしれないな。

それにしても、今年は特に仕事の分野が停滞した。主に人間関係。皆が「上役が、上役が」と上役の怒りを買うことに恐れをなし、自分が被害を被りたくないからと互いに押し付け合い、キレ合う。反面、上役に対峙すると、おべっかや追従の嵐。パワハラにまで喜んで追従するヤツも居る。その傾向が、立場が上になる人間ほど顕著なのだから処置なしだ。うんざりだな、こんな茶番は。とにかく信用出来ない。出来る人間が殆ど居ない。

会社を良くしよう、売上を良くしようという衝動じゃなく、ただ上役に怒られないよう動こうとする守りの姿勢。敢えて攻めようと、良くしようとする人間の意見を封殺し、シャットアウトする。そんな小物、小役人のオーラが蔓延する。そんなに生きたいのか、いや生き延びたいのか、恥を抱えたまま。

給料もらってるから仕方ない? 雇われ人としては雇い主に対する義務を果たすべきだから。それは当然。だけど、突発的な気分や爆発させる感情、あるいは仕事とは関係なく人格を否定するような言動にまで従順になる義務があるわけではない。会社を良くするために働いているのであって、雇い主を持ち上げて良い気分にさせるのが仕事じゃない。

良くするためには諫言も辞さない。相手がトップであっても。それが本当の意味での貢献であり、義務を果たしていることになるのではなかろうか。しょせん奇麗事でしかないが、その流れに沿ってこそ最も高い効果を導くはず。

そのためには、トップに立つ人間も、讒言をされたとしてもまずは讒言の存在を受け入れ聞く耳を持つ度量がなければならない。言い換えるなら、それだけの度量と器量を有することが雇い主の条件であり義務とも言える。上になればなるほどに感情や癇癪を捨て去らねばならない。自らを律する必要がある。これもまた奇麗事であり実現困難な世迷言だ。

結局、その奇麗事の一つでも欠ければもう真っ当に組織は動かない。少なくともそこに属する人間は最大限のパフォーマンスを発揮しない。結局、優先すべき事項が間違っている。反論できない立場の人間に対して感情論を持ち出すことこそがワーストだ。ここまで信用出来ない人間が居るとは僕は東京に来るまで思わなかった。

このように、感情は日々変わる。高まったり、落ち着いたり。それが行動に直結することは滅多にないが、それにしても人の感情や心移りは激しくて、まるで泡沫のようだ。

地元に建つ店の変遷も泡沫のごとし。僕の地元周辺でずっと前から変わらず営業している店など数えるほどしか存在しない。大体は地元土着の居酒屋やスーパー。あるいは全国チェーンのファストフード店。またはパチンコ屋とか。

そのパチンコ屋は地元に二つあって、安定と信頼の宇宙センターと、あと20メートル離れたあたりで営業していた全然出ない店。その店が潰れた。僕に言わせれば「ようやく潰れたか」という感じだが。客からボッタクリまくりでしぶとく残っていた悪徳店が晴れて裁きを受けたわけだ。実に喜ばしい。

その後釜として出来たのは「上海亭」という中華料理屋。少し前にオープンした。地元の店は網羅するという目標を掲げる僕等としてはいつか試そうと思っていたが、今日その機会が訪れた。店構えは、よくある中華屋とは異次元。店外の看板やネオンがピンクに緑に赤に、毒々しく光る様は、まるで繁華街のアミューズメントクラブ、いやパチンコ屋そのものである。

ただ、センスのない外装とは裏腹に料理はなかなかのものだった。これさえ食えば店のレベルが分かる麻婆豆腐も、僕にとっては充分及第点。餃子や酢豚などスタンダードな料理もアツアツで美味しい。この「アツアツ」という点が中華料理屋では意外と重要なのだ。ただ出来ているものを暖めただけか、ちゃんと中華鍋で直接火を通したか、料理の熱の冷め具合、その速度で手を抜いているかどうか分かる。

まあ上海亭は意外と料理が出てくるのが早かったので、本当に一から作っているのか否かは断言出来ないが、それでも地元周辺にある他の中華屋に比べれば普通に食えて普通に飲める店であることには変わりなかった。

「全聚徳」のような本格店や、王将のような実力店には及ぶべくもないが、地元にあるちょっとした中華屋としては過不足ない。何より、極悪パチンコ店の後釜としては上出来だ。願わくば、この建ってはすぐに消えていく僕等の地元の店事情の荒波に負けることなく、「上海亭」が末永く営業出来ることを祈った。

帰宅後、帰り際に買った「ポルテ」というチョコをデザートとして食う。スライムみたいな形のサクッとした食感がグッドだ。しかし、この日だけの記憶だろう。美味い菓子だったとか、形がイイネとか、そういう感情はすぐに消え失せ、「そういえばスライムみたいなチョコがあった気がする」という曖昧な記憶だけが残るだろう。

人の心はあやふや。店の栄枯盛衰は群雄割拠。そして記憶は泡沫。10年後、2013年の思い出が一体どれだけ残っているか。その当時のことを書き留めたという記憶は残る。その文字列を開けば蘇る。文字は偉大。だけど僕が残したい文字は本当はそこじゃなくて。伝えたい気持ち、伝えたい場所は別に存在していて。だけど未だ精神レベルは低空飛行で下値張り付きだから。

今はただ、書けることをただ書いている。綴れる文字を殴るようにタイプしている。どこかで繋がるかもしれない、意識が突然浮上するかもしれないという望みを持ちつつ。それが今の自分に出来ることであり、救い。何かを書いている時だけは、意識がニュートラルに近くなる。完全に止まっているわけではない自分を振り返った時、意外と幸せを感じた。

20131225(水) クリスマスの語源やホモソーセージの意味に気付くことなく、噛み締める暇もなく、ただ月日は流れていく

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 【朝メシ】
牛乳(家-嫁)

【昼メシ】
カレーパン(家-嫁)
 
【夜メシ】
新潟ローストチキン、東武ストア惣菜(唐揚げ弁当、ポテトサラダ等) (家-嫁)

【イベント】
クリスマス
 
 
【所感】
クリスマス当日。

日本においてのクリスマス。通俗的には家でケーキやチキンを食ってプレゼントを渡して家族の団欒を深めるイベントと捉えられていると思われる。その起源を求めても、「キリストの誕生日なんじゃね?」という認識がせいぜいだろう。どちらも間違っている。

クリスマスとは、もっと慎み深いもので、家族を含めた隣人との絆や愛情を確かめるために諸々の事象に感謝し、反面自分を内省し、今後の生きる糧とする。

同時にキリストの誕生日でもなく、キリストが降臨した日。生誕祭とも呼ぶが、決して誕生日ではない。キリストを語る資格がある宗教信者達は、商業化かつイベント化してしまった現在のクリスマスに対して厳粛な態度で嗜める。

僕も詳しく知っているわけじゃない。だけど本来の姿から遠のいていることは言われずとも肌で感じている。それでも経験からして商業的クリスマスに対する違和感はないのも確か。ケーキを食い、ご馳走を作ってもらい、父親に当たり前のようにプレゼントをもらう。それが当たり前だと思う辺り、マスコミの洗脳操作よりも遥かに強力。

クリスマスというものは、放っておいても降って湧いてくるお祭りだと子供の頃から刷り込まれ、意味を考えることなく数十年を過ごした。大人になって本来の意味を調べ始める者も多数出てくるが、それは要するに暇だから。雑学やウンチクの収集の一環でしかなく、その背景や真の意味を知ったからと言って、警鐘を鳴らすわけではない。

つまり会話のネタ止まり。事実を知ったからと言って行動を変えることにはならない。今日もクリスマスをしたり顔で話す面々は、チキン肉にむしゃぶりつきケーキをクリームに顔を埋める。

まあ、カトリックでも正教会徒でもない人間達がキリストの生誕祭を祝う筋合いも本来ないのだが、知らずにやっていることが果たして妥当なのか、意味も分からず言っていることが罪にならないのか。知る者からすれば冒涜で、時には笑って済ませない。「無知は罪」という言葉が当て嵌まることもあるだろう。

簡単なところで言えば、「殺人上等!」「大馬鹿野郎登場!」などとプリントされたTシャツを着て街を歩く外国人は罪か否か。世俗にまみれた繁華街では罪にはなるまい。傍から見る者も、「さすが外人w」とか「意味分からず着てるんだろうなw」と生暖かい目で見るだけだろう。

しかし幼稚園の運動会とか、事故現場とか、別れ話をする修羅場とか、シーンによっては「みだりに園児達の心を傷付ける」と非難されるし、「不謹慎だ、場所を弁えろ」と叩かれるし、「ケンカ売ってんの!?」と火に油を注ぐ。ある意味、知らないことが罪になってしまう。

分かっているのに生暖かい目で見守る人間達も人間達かもしれない。「面白れーなアイツw」と笑いながら、自分達は着ないのだ。意味を知っているからで、それによって受ける周囲の反応を予測するからだ。着ない方が無難だと答えが既に分かっている。事前に危険を回避している。

そして実際、それをしている人間には教えない。面倒臭いから。あるいは赤の他人の面倒を見ても何の得にもならないという打算から。無知も罪だが、場合によっては教えないのも罪になりうる。甘やかし過ぎたばかりに傍若無人に育ってしまった子供や、我を押し付け下を押さえつけ歯止めの利かなくなってしまった上司などを見れば、すぐに理解できるだろう。それはある意味、周囲の罪でもある。

また、たとえばネットスラングとして有名な「これはダメかもわからんね」というフレーズを何の気なしに使っている人間が居るとする。本人は「流行っているから」だと悪気なく流用しているつもりだ。

しかしその元ネタが、乗客・乗員520人死亡という日本航空史上最大の大惨事となった1985年の日本航空123便御巣鷹山墜落事故の際、機長が言った台詞の一つだと知った後、同じ気持ちでその言葉を放てるだろうか。逆に、同事故で亡くなった人間達の遺族や関係者は当然そのことを知っているので、快く思わないかもしれない。

別にネタが分かったからといって、封印する必要はない。時と場所と相手を選べばいいだけの話。逆に、現代は言葉に対して敏感すぎるという懸念も抱いている。表現の自由は憲法で保証されているはずなのに、言葉狩りと言わんばかりの検閲や圧力が酷い。

言葉とはまったく以って不思議だな。知れば知ったで、知らなければ知らないで波紋を呼び起こす。クリスマスもそうだし、その前日のクリスマスイブについては、クリスマスの前日という程度の認識。「聖夜」と称されているが、キリスト教的にはイブ=聖夜なんて図式は全く存在しない。

結局、キリストの「聖なる者」から字面だけをピックアップして、商業に繋げたのが実体。商業主義者に煽られその思惑に乗せられているのが現実の図式だろう。その思惑に乗せられ、クリスマスとはまた別の特別な日だと思い込む。特別な日がニ連続で続くこと自体が異様だが、大衆は気に留めない。

そのイブは、家族ではなく、恋人と過ごすというイメージが通例として定着している。だから一方では浮かれる男女から熱狂的に支持されて、他方で浮かれられない人々から忌み嫌われるという二律背反。聖夜は万人を救済しない。だけど商業的には大いに成功するし、乗せられた人々はいくらでも金を使ってくれるので鬼に金棒。

まあ、人間は元々適当だ。騒ぐ理由が欲しいだけ。雰囲気に酔い、非日常に身を投じ、それを楽しみたい。その口実が欲しいだけ。しかし、だからこそ経済も成り立つし、思い込みがあるからこそ長く退屈な人生が少しでも潤うというメリットもある。人生とは退屈なのだ、本当に。思い込みでもしなければやってられない。クリスマスの夜、退屈な者達に、どうか幸あれ。

職場の人間には幸が降りる必要もなし。上司が昼休憩中、会社のデスクで昼メシを食っていた。焼きそばだかお好み焼きだか知らないが、ソースの匂いがプンプン漂う。

元々、上役が「匂いが臭ぇ」「ミーティングルームを使うのは電気代が勿体ねえ」「職場の中でのん気にメシを食ってるのを見るとムカつく」などの理由から、職場内で昼メシを食うのは禁止になったのに、コイツだけが我関せずとばかりに昼飯を持ち込み余裕の表情で食っている。

都合の悪いことは忘れる性質だから、上役に言われたこと自体を忘却しているかもしれないな。しかしこの場合、それこそ「無知は罪」だ。知らないでは済まされないし、まして忘れたなど言語道断。

だが実際は誰に憚ることなく、周囲に悪いというオーラも全く漂わせていない。もう自分の家のごとき振る舞いだ。この「何だかんだあっても、オレのやることには誰も口が出せない」という妙な自身と、間違った腹の括り方、自分自身に対する根拠のない過大評価、その根本的な勘違いが何より罪だ。

あと、上司はこんなことを部下Kに言った。「明日、取引先のお客さんが朝早く来社するから、掃除代わっといてよ」と。明日の掃除当番は上司だ。Kは一番立場が下の部下。取引先の明日の来社予定時間は朝10時で、ウチの出社時間は朝9時くらい。それで掃除を代われと言う。理屈が全く分からない。

取引先が10時半に来るのなら、上司が朝9時にさっさと出社して掃除を済ませばいいだけの話。それでも取引先が来るまで充分な時間が残っている。だけどそれをせず、部下に「掃除代われ」と命令する。本来全く通らない理由。その直後、「オレは朝忙しいから」と付け加えていた。

出社してから朝の定型業務をやらなければいけないから、掃除をしている暇なんてない、という理由だ。その理由も全く説得力がない。だったら10分~15分早めに出社して掃除を済ませて、そこから朝の業務をサッサとこなし、取引先と予定通りに面談すればいい。

と思っているところ、「取引先に提出する資料を作らないといけないから、掃除やってる暇がない」と言い放った。それこそ前日の夜、つまり今日中に予め作っておけばいいだろ、と誰もが思うだろう。だがそれもしない。サッサと帰りたいからだ。

かつ、二枚舌だ。上司は部下Kはじめ、外に出掛ける予定のある他の従業員たちに向かって「前日の内に準備しとかないからそんな直前になってせかせかするんだよ。外に出るのが分かってるなら事前に準備しておけよ!」などと、かなりの剣幕で怒鳴ったりしている。

その本人こそが、取引先が来ると分かっているのに前日全く準備をしていない。二枚舌と言わずしてどう表現するのか。自分がやらないことを人には言うというみっともない言動をしているこの男は、とどのつまりこう言っている。

夜は残りたくないし資料を作るのも面倒臭い。だから明日の朝に後回しにする。もちろん朝は早く来たくない。そうすると取引先が来るまでの時間は少ない。掃除当番なんてやってると資料を作る時間がなくなる。だから明日の朝は、オレが資料作ってる間に、お前が代わりに掃除しておけ。そう言っている。

そもそも上司は遅刻常習犯だ。20~30分遅れは当たり前で、定時通りに出社するのは黒ヒゲ危機一髪でオヤジを飛ばす確率よりも低いだろう。しかも、事前に誰にもその旨を伝えない。僕などは一応「腰が痛いので15分遅れます」とか「電車遅延で10分遅れます」とか連絡を入れる。それすら入れず、20分遅れ、30分遅れで平気な顔をして出社してくる。

要するに、朝早く出社する気もなければ、夜残るつもりもさらさらない。始業時間や就労規則など上司にとっては最初から無いも同然。自分の好きな時に来て、好きな場所でメシを食い、機嫌が悪くなれば部下に当たり、帰りたい時に帰る。掃除当番についても同じだ。社内で定められたはずの義務よりも、個人の眠気を優先させるわけだ。

そういう自分ルールに基いて、明日取引先が来ると知ってはいるが、前日の夜準備をするのが面倒臭いので朝に回す。明日の朝は当然遅刻する。そこから取引先向け資料を作るから、掃除当番なんてやっている暇がない。だから部下K、お前が代わりにやれ。と、そういう理屈だ。まさに超法規的な自分ルール。付いていくヤツが居るはずがない。

しかもこれにはオチがあって。明日の掃除を命令された部下Kは、明日の仕事は会社に出社せず家から直行の用事である。Kは申し訳無さそうに「スイマセン、明日は直行なんです」と報告した。そもそもKが済まなそうにする理由など一切ないのに、それを聞いた上司が「ハァ? 直行? 何だよそれ」と不満そうな顔をしたわけだ。Kが明日直行だということはスケジュール表にも前から載っている。それを確かめもせず、掃除を押し付けようとして、それが断られたら、正当な理由だろうと不快感を示す。完全に自分が王様状態だ。

結局、Kの次に下っ端の部下Tが、仕方無さそうな顔で「じゃあ僕がやりましょうか?」と名乗り出た。多少雰囲気が悪くなったこの場を何とか収めようと気遣ったのだろう。上司のために一肌脱ぐか、という前向きな姿勢ではなく、あくまで誰かが名乗り出ないと話が終わらないため仕方なく自分がババを引くか、という面持ちだ。名乗り出た部下Tは本当に嫌そうな顔をしていた。

じゃあ部下Tに明日の掃除当番を代わってもらうお返しとして、本来のTの掃除当番の日に上司が代わりに掃除をしてあげるかと言えば、しない。今まで同じようなやり取りは何度もあったが、一度もしたのを見たことがない。ギブアンドテイクという言葉がない。少なくとも職場内では、部下は自分が使役する奴隷みたいな考えなのだろう。

その名乗りを聞いた上司は部下Tに「あ、そう? じゃあお願いね」とそっけなく返答。ようやく名乗り出やがった、と言わんばかりのドヤ顔。まったく酷い話である。名乗り出て当たり前、名乗り出なければ不機嫌になる。部下Tもやり甲斐がないよな。3~4年前は掃除にしても、もっと和気藹々としていたし、普通に自分から名乗り出ていたと記憶しているが。

当時は僕も、部下が掃除当番だけど出張で居ない日とかは、「私がやっときますよ」と自分から進んで名乗り出ていた。すると部下も、僕が出張などの時には当たり前のように「僕がやっときます」と言ってくれたっけ。そういうサイクルが自然に出来上がっていた。

僕は当時、肩書き的に上の立場だったので、上の人間がやるならオレ等もやるのが当然なんだろうという意識が部下の中に定着したのかもしれないし、何より上司を除いて皆がフレンドリーにやり取りしていたので、お互い話しやすい環境だったのだろう。

ある時期を境に上役や上司の恫喝やら軽蔑やらが度を増し、皆が精神的に疲弊し円滑なコミュニケーションが出来る人間関係ではなくなってしまったが。

やはり、上の立場の人間の言動は重要。組織は先輩や上司次第なんだよな。自分で言うのも何だが、かつて僕が率先して円滑な環境を作ろうと振舞ったことは正しかったと思っているし、だから逆に今の上司や上役がやっている感情的な怒声や蔑み、日常的な嘲笑は、下の人間の気力を削ぎ厭世観を蔓延させるだけの間違った舵取りである断じる。

結局のところ…。自分の掃除当番の時は、何かと理由を付けてしないか、他の人間にやらせる。掃除を代わってもらっても感謝せず、しかも代わってもらった人間の掃除当番の日に埋め合わせとして掃除することもない。何でオレほどの偉いヤツが掃除なんかやんなきゃなんねぇんだよ、という選民意識、そして周囲を常に下に見る傲慢さが根底にある。

そんな人間に対して腹を割れるか? 進んで何かをやってあげようと思うか? 心を開けるか? 相談出来るか? 一緒に働きたいと思えるか? 自分の身を削れるか? 出来るわけがない。ただただ立場の上下という組織での肩書きと、給料を貰っているという事実だけで現状を受け止めている。ゴミのような職場。鬱になりそうだ。

鬱病。2ch黎明期、「オマエモナー」「逝ってよし」などと同時期に「鬱だ氏のう」というネットスラングが流行っていた。ソースは「ソウルイーター」という漫画(あるいはアニメ)のデス・ザ・キッドという少年キャラが喋る台詞の一つとのことだ。すぐに落ち込み「鬱だ、死のう」などと呟くらしい。他にも「オレは最低の豚野郎だ」とか「ゴミ溜めのような存在だ」など、クールな名言を沢山持っているようだが、アニメを観たいとは特に思わないな。

しょせんはただの言葉遊び。それをネタにしたAAの文字遊び。悲壮感は感じない。リアリティはそれほどない。楽しく面白くファンキーな作品を心がける気持ちが、より面白い言葉を選ばせ、キャラクタに投影される。オレには無縁のことだ。心身共に鍛え上げられたオレが鬱になるなど、多分一生あるまい。

などと思っていた時期がオレにもありました。完全に鬱だ。恐らく、これは鬱だと思う。精神が疲弊してる。とにかく病んでいる。立ち上がることが、歩き出すことが出来ない。この倦怠感。厭世観。こんな状態はかつて一度も経験したことがない。自分で分かる。きっと鬱である、と。

この辺りを境に、鬱についてネットで調べまくる。もうダメかもしれない、心の病、トラウマ、無気力、パワハラ、心療内科、精神科、他色々なキーワードでPC上のグーグルツールバーの先読み機能をダークに埋めていく。

とりあえずは現状チェックということで、「鬱病チェック」というサイトで軽く回答。
http://utsucheck.cocooru.com/result.php

38点だった。「重いうつ状態」ということだ。やっぱりな、という納得感と、まだこんなもんか、という意外感。既に「うつ」を前提として思考をしており、その症状の軽い重いで判断しようとしている時点で頭がおかしくなっていると自分でも分かる。病院行こうかな。何度そう思ったことか。だが結局は行かず、自分で何とかしようとずっと踏ん張っている。

その途中途中で軽く絶望し、投げ出す。多分もうダメだな。何もかも。もう人間を変えるしかない。いやオレが全く違う人間になるしかない。別人として。この際、名前を変えてしまうのはどうだろう。ハンドルネームとかじゃなくて、本名を変えるとか。内面的に変われないなら、まず形から、いや名前から。生まれ変わるのだ。これは名案かもしれない。

2013年もあと1週間。今年が終わるまでもうすぐじゃないか。だからせめて最後まで完結させるんだ。今年までの僕。僕の名前だった一人の人間の人生の滅びの美学を完成させるべき。そして来年からは、名を変えて、俗世を捨てて、いや全てを捨てた人生を始める。新しい僕の僕による、僕だけのまっさらな人生がスタートするんだ。

という妄想に耽ることが最近とみに増えた。ホントどうでもよくなる。職場などでも、オレに構うなよと忌避感を募らせる。人との交流が少なくなったのが分かる。だけど積極的に動く気も起きない。世界が確実に狭まっている。だから別の何かで広げないとマズいことになる。だからこそオレは・・・。

という自己を鼓舞するフリと、しかし僕は最低の豚野郎だという自己嫌悪のスパイラルに陥りつつ、心を落ち着かせるにはコーヒーが外せない。家で一杯のアイスコーヒー。会社でも4~5本の缶コーヒー。たまに昼休憩で喫茶店に寄る場合もアイスコーヒー。ちょうど今日、事務職の女性社員に「ウチでもらったから」と缶コーヒーを数本もらった。ガブガブ飲んだ。計6本か。美味しい、コーヒーはホントに美味しい。

同時におかしい、オレはおかしいマジで。壊れたようにドス黒い濁り水を喉に流し込み続ける。麻薬をやめられないジャンキーのように、コーヒータイムが止まらない。末期だ。クリスマスなのに何てこった…。

せめて食事だけでも聖なるベクトルに持って行きたいものだが、昨日のイブに僕の自作寿司やらローストチキンを食っちまったし。クリスマスなんてのはイブの後の消化試合という位置付けでもあるし。第一、時間が遅い。少し経てば深夜になってしまいかねない勢いだ。本番は昨日終わったということで、今日は手早く済ませるべき。そう判断した僕は、地元のスーパー「東武ストア」で惣菜や弁当を買って行くことで夜メシ論議に早々と決着を付けた。

「東武ストア」は、その名の通り、関東圏を支配する鉄道会社の一社「東武鉄道」が運営するスーパー。東武鉄道と聞くと地味に聞こえるが、その経営母体はしっかりしており、何より関東の主力エリアに多数の土地や権利を持つ鉄道会社きっての巨大かつ優良な企業だ。

第一、東京スカイツリーの運営・商標などを一手に握る企業「東武タワースカイツリー株式会社」とて、名前からして東武鉄道のグループ会社なんだから。スカイツリーの見学料は最終的にはみんな東武鉄道に流れるわけよ。ディズニーランドのミッキーに金を払っているつもりでも、実際ウハウハになるのは運営会社オリエンタルランドで、さらに先の総大元締めたるアメリカのウォルトディズニーカンパニー社こそ儲かりすぎて笑いが止まらない。それと同じ図式だと考えれば分かり易い。

他にも旅行斡旋会社の「東武トラベル」など多数の事業を展開し、身内で金を回し続ける東武鉄道は、まさしく圧倒的な資金力と権力を備えた一大コンツェルンだ。その尖兵たる東武ストアもまた、彼等の強権を遺憾なく活用し、鉄道主要駅のすぐ傍に店を構えている。立地条件としてはほぼベストだ。その分、他のスーパーに比べて価格が圧倒的に高いが、そこは強気の姿勢。仮に赤字経営しても鉄道事業の利益で吸収できるので問題ない。スーパー経営で負けているからと言って騒ぎ立てるのは貧しき者の狭量。勝負とは相対的だ。相対的に勝者であればそれでよし。

それに、東武ストアだけでしか手に入らない商品も存在する。たとえば今日の夜メシのサラダとして出てきたポテトサラダやマカロニサラダは、一般のナショナルブランドではなく、会社名は忘れたが足立区土着の惣菜メーカーが製造している特殊なサラダだ。ポテトサラダなどは、ジャガイモの練り具合や味付けが秀逸で、よくあるポテトサラダのようにスカスカではなく、クリームのように密度が濃い。僕が今まで食った惣菜コーナーのポテトサラダの中ではダントツの出来である。それは東武ストアでしか手に入らない。まさに地元に根を張った運営手法。ここら一帯を支配する東武ストアだからこそ出来る豪腕戦略。惣菜メーカーも頭が上がるまい。

そして、中でも僕のお気に入りが、弁当コーナーの380円くらいで買える「天ぷら弁当」だ。普通の天ぷら弁当だが、天ぷらの味付けやしっとり具合、ご飯への染み込み具合など、価格と味のバランスを考えればほとんど都内最強。僕が初めて梅島に流れ着いた10年以上前から定番として置いてあり、10年以上経った今でも同じように置いてある。弁当メニューが年単位、いや月単位、いや週単位で入れ替わるコンビニ業界のことを考えれば、驚異的な持続力だ。

無論、鉄道事業を笠に着た殿様商売なのでそこまで頻繁にメニューを変える必要性がないのだろうが、それでも人気がなければ10年以上もポジションを確保し続けられない。裏を返せば、地元の人々にそれだけ必要とされ、愛されているということ。この「天ぷら弁当」こそ、東武ストアのスマッシュヒットかつ超ロングセラー商品。定番中の定番だ。

僕は、学生時代から現在まで、様々な出来合い弁当を食ってきた。コンビニ、スーパーはもちろん、ほか弁(ほっかほっか亭、ほっともっと)、オリジン弁当などの弁当チェーンや、旅行での駅弁、空弁、バイトやイベントでの仕出し弁当など。単独行動や一人寂しい時、傍にはいつもキミが居た。僕の人生は、そのまま弁当と歩んだ人生。人生の300分の1くらいはそう言っても過言じゃないだろう。その中で、一際記憶に残る弁当がいくつかあった。

現在は同じような名前が乱用されているからもはや特定は出来ないが、一つ目は20年前からしばらく愛用していたコンビニのチキン南蛮弁当。デイリーストアだったか。どっぷりと甘辛いソースとタルタルで味付けされたチキン南蛮が、あまりにご飯にマッチしていた。

二つ目は、同じく10年~15年くらい前。コンビニ、セブンイレブンだったかローソンだったか。鶏そぼろ弁当。鶏そぼろと細かな炒り卵の二色で色分けされた、今では色んな店で見る弁当だ。現在の健康志向な弁当よりも、遥かに濃味だったため、これもあまりに美味かった。

三つ目は、大阪に住んでいた頃、僕が住んでいたマンションの一階で大家さんの家族が経営していた個人弁当屋の「唐揚げ弁当」。大阪市東淀川区の上新庄(かみしんじょう)というエリアに位置する。個人経営にしては弁当の種類は豊富で、何よりクオリティが驚くほど高い。

中でも唐揚げ弁当は、安い上に唐揚げが山ほど盛られていて、ご飯も旨く、何より唐揚げがカラッとしていてなおかつシナッとしているという、本来同居しない二律背反を備えた稀有な唐揚げ。かつ唐揚げを漬け込んでいるソースが本当に美味しくて美味しくて。生涯で見ても、恐らくあそこの唐揚げ弁当ほど感動した弁当は今までかつて無いし、今後も無いと思われる。どの店のどの弁当よりも、この大阪上新庄の個人経営店唐揚げ弁当がダントツだった。

そう感じているのは僕だけではなかったらしい。マンションのすぐ近くには大阪経済大学が建っていたのだが、そこの学生達が昼時になると、この弁当屋に群がるのが日常的光景。近くにはデイリーストア、ほか弁、小僧寿司、ダイエーなど、あらゆる食品テイクアウト店が乱立していたのに、それらの店は閑古鳥だ。「ここの弁当屋じゃなきゃヤダ」と言わんばかりの支持率だった。

僕も同じく。当時の業種上、土日でなく平日に休むことが多かった上に、連休は殆ど取れなかったため、一日をよく自宅でダラダラ過ごしたものだ。その際、一階の弁当屋に降りては「唐揚げ弁当下さい」とオーダーしていた。僕は大阪に住んだ三年半の間、この弁当屋で100回は弁当を頼んだと思うが、その内95回くらいは唐揚げ弁当だったと思う。それほどに好きだった。

今でもあの弁当屋は残っているだろうか。当時、弁当を作っていたのは、主にお祖母ちゃんだった。たまに孫と思われる娘さんも手伝っていたが、もうあれから随分と時が経つ。恐らくお祖母ちゃんは生きてはいまい。孫もどこかに嫁に行き、子供が数人居てもおかしくない年頃だ。お祖母ちゃんの娘、すなわち母親は一度も顔を見せなかった。となれば多分、もうあの弁当屋は店を畳んでいると思われる。

楽しいことの方がむしろ多かった大阪時代。その記憶の数パーセントを占めるマンション内での生活。出社する際、他人の僕を「いってらっしゃい」と笑顔で見送ってくれたお祖母ちゃんの柔らかい物腰。一度出口を出て店外から弁当を頼んでいる内に、「同じところに住んでる仲間なんだから、いちいち外に出ないで今度からはドアを叩いて『弁当ちょうだい♪』って気軽に声を掛けなさいな」と言ってくれたお祖母ちゃんの優しさ。一人身で職場以外の交友関係があまり無かった僕にとって、家族のような存在だった。

恐らくはもうこの世に存在しない、あの弁当屋とお祖母ちゃん。不世出のハイクオリティ唐揚げ弁当。思い出すと懐かしく、同時に少し胸が痛くなる。

四つ目は、主に東京駅で買っていた駅弁「歌舞伎」。スタンダードな幕の内弁当だが、味付けがホント秀逸で、これぞ弁当の王道とお墨付きを与えたいほどだ。今現在も「歌舞伎」は売っているが、やはり健康志向のためか味が薄く、パンチがまるで効いてない。

誰の決定か知らないが、旅行や遠出の楽しみと言えば弁当。それも日常では味わえないエキサイティングを感じさせることこそ重要なのに、まるで息子の血圧を心配する家庭のお母さんのような安全志向だ。随分と骨抜きにされてしまったものだな。

僕が絶賛する「歌舞伎」は2005年~2008年あたりに東京駅下り新幹線のホームに並んでいた「歌舞伎」であって、今現在売店に置いてある「歌舞伎」ではない。私の神は既に死にました。

そして五つ目の弁当こそ、この東武ストアの「天ぷら弁当」だ。東京に来てから唯一好きになれた弁当で、今でも色褪せない。弁当は百花繚乱。しかし殆どは時の流れに抗えず散っていき、残る花びらはほんの一握りだ。その一握りを手に入れることが出来たのは、ある意味で幸せなことかもしれない。

その僕的絶賛・天ぷら弁当と、東武ストアオリジナルの極上サラダをつまみながら、同時に新潟実家から送ってもらったローストチキンをかじる。あと東武ストアでは、ついでというかネタのつもりで「ホモソーセージ」も購入した。

ホモソーセージは株式会社丸善という食品会社が製造する魚肉ソーセージ。パッと見た客は「ホモ」という言葉に過剰反応しネタを投下したがるのだろうが、そのホモではない。かといってホモサピエンスでもない。「homogenized(ホモジナイズド)」という英語から取っているそうだ。意味は「均質化された」とか「ホモジナイズした」という感じ。「homogenize」が動詞だから、「homogenized」とくれば形容詞的位置付けになるか。

まあ「homogenized」という言葉自体に馴染みがないので「ホモ」の部分に色めき立つのはしょうがないが、ちゃんと意味があるので。

たとえば「ホモソーセージ」でなく「ホモミルク」ならどうか。「homogenized milk」(ホモジナイズドミルク)と英語では呼ぶが、牛乳には脂肪分を含んだ脂肪球が多数含まれており、その脂肪球の大きさにしても大小様々。大きい脂肪球は、その脂分の大きさから表面に浮きやすい特質を持っている。ということは、そのままでは牛乳の中身は小さい脂肪球が多い部分と大きい脂肪球が多い部分とに分かれる。となれば味も均一化ではなくなる。

ならばどうするか。その大小織り交ざった脂肪球を潰して均質化させるのがベストだと多くの人が思い付く。ここで「ホモジナイズ(均質化)」という言葉が出てくるのだ。ちゃんとした業界用語で、ホモジナイズ(均質化)するための「ホモジナイザー(均質機)」という専用の機械もちゃんと存在するらしい。結局は「ホモソーセージ」もこれと同じ原理なのである。

知ってしまえばあっけないもの。「ホモ」という言葉に過剰反応することにむしろ恥ずかしさすら覚えるのではなかろうか。僕も今回の件でホモの意味を知ってしまったので、今後はホモソーセージを見ても多分笑えないだろう。

知らないまま楽しく笑うか。知ってしまい沈黙する道を選ぶか。どちらがいいのか分からない。ただ言えることは、キリストやクリスマスに纏わる言葉遊びと同じだ。知らない内はネタとしての言葉遊びの領域。だけど知ってしまえば、それは知識であり知恵となる。

第一、ホモソーセージを造っている丸善という会社は、かの有名な「チーかま」の製造元でもある模様。国民に認知される製品を二つも世に輩出している時点で十分な偉業だ。ホモの会社だなどとはもう侮れない。誰が何を作っているか、誰が何を知っているか、全てを知る者は居ない。

そんなホモソーセージを見つめながら考える。時の流れ、記憶の風化について。そして、固有名詞に翻弄される人々、逆に人々を翻弄して一人歩きする固有名詞が放つ引力について。

キリストは、その御名だけで数千年後の人類を翻弄している。僕は上司の言動や出来上がりつつある鬱思考に人生を翻弄されている途中だ。ホモソーセージは、ただスーパーに置くだけで人々の関心を集めてネタ扱いされるが、その実民衆は株式会社丸善という実力派メーカーの手の平で踊っている。かつて大阪の片隅に存在した個人経営弁当店のことは殆どの人間が知らないけど、僕という一個人の中ではそれ以上が存在しないという世界で一つだけの花。

僕が知っている人達の名前。忘れてしまった名前。今でも強く残る名前。逆に、僕の名前を知っていた人達。忘れたであろう人達。今でも僕のことを覚えているかもしれない人達。裏付けは取れない。想像しても埒が明かない。心の中は本人にしか分からない。真実は当人だけが知っている。それは時間と共にリアルタイムで変わっていく。最初から分かる道理もないのである。

20131224(火) せめて培ってきたもの、残っているものをクリスマスイヴの食卓に…

131224(火)-02【2255~2320】自作寿司、新潟ローストチキン、サラダ《家-嫁》_01 131224(火)-02【2255~2320】自作寿司、新潟ローストチキン、サラダ《家-嫁》_02 131224(火)-02【2255~2320】自作寿司、新潟ローストチキン、サラダ《家-嫁》_04 131224(火)-02【2255~2320】自作寿司、新潟ローストチキン、サラダ《家-嫁》_05 131224(火)-02【2255~2320】自作寿司、新潟ローストチキン、サラダ《家-嫁》_06 131224(火)-03【2325頃】日本酒 パンダ徳利(和歌山土産)《家-嫁》_01 131224(火)-04【2340頃】ビッグ板チョコ《家-嫁》_02 131224(火)-04【2340頃】ビッグ板チョコ《家-嫁》_04

 【朝メシ】
牛乳(家-嫁)

【昼メシ】
カレーパン(家-嫁)
 
【夜メシ】
自作寿司、新潟ローストチキン、サラダ、ビッグ板チョコ(家-嫁)

【イベント】
クリスマスイヴパーティ?
   
  
【所感】
今日は世間的にクリスマスイブ。しかしカレンダー的には平日だ。

最近、平日は特にテンションが落ち気味で、どうも居心地が悪い。言動のテンポもよくない。諸々の事象が折り重なり、現在その悪霊の噴出原因は仕事に端を発しているというのは自覚しているが、それにしてもスパイラルを抜けられない。全く以って憂鬱だ。

お客さんと電話で話をしていた。現在、いや結構前からか。お客さんから要請されているAという案件について宙ぶらりんの状態である。かなりシビアな内容のため、社内で決めきれない。だけどそれとは別に、ウチはウチでお客さんに対してBという案件をやってもらいたいちう希望がある。お客さんにとってもオイシイ話で、多分やって損はない。

だが、お客さんは譲らない。「A案件はどうなったの? それが決まらないのにB案件なんか持ってこられてもウチは受ける気ないよ。まずはA案件を着地させてからでしょ。話をすり替えないでよ」という姿勢だ。結構強硬。下手すりゃ優越的地位の乱用でしょ、と言いたいが、正直非常に助けてもらってる部分もあるので強くは言えない。

ウチとしてはA案を呑むことはまず無理。だからバーターとしてB案を提示しようという目論見なのだが、実際、B案はA案に匹敵するほどの魅力はない。なので実のところ、お客さんの指摘する通り。つまるところ、ウチはB案という目くらましを持っていき、A案の話を無かったことにしようとしている。話をすり替えて誤魔化そうとしている。担当窓口である僕自身が一番それを自覚している。

その板挟みが本当にやるせない。純粋に仕事人としての順序立て。一人の人間として通すべき筋。大人としての打算や計算。組織人として出せない部分があり、通せない我がある。それが余りに多すぎる。属する組織によって出せる割合は大幅に上下するのだろうが、どうも今の状態は完全に下だ。よって葛藤する。

まあ、全ての要望を聞き入れるなんてのは基本不可能だ。相手だって実はそれを分かってる。誰だって最初は好きなことを言うものだ。吹っかけるならまず最大限吹っかけるのが大人の通常のやり口とも言えよう。

最大限吹っかけた後で、少しずつランクを落として行く。その着地点が実は、本来自分が想定していた、あるいは望んだポイントに近ければ、最終的に「狙い通り」とい話になる。狙い通りに持っていくため、表面的にはポーズを取るというわけだ。

分かり易く言えば、「この商品を100台売ってやるから販促費として100万円くれよ」とまずは業者に吹っかける。あまりの法外に、そんなの無理だと業者はたじろぐ。だけどお客さんも本人もそれは分かっていて、最終的に10万もらえれば御の字だろうな、などと実は冷静だったりすることも多かろう。

その中で、業者が「100万は無理だけど10万なら何とか出せます」と来たらしめたものだ。最初から10万もらえれば充分と考えているのだけど、そんな思惑を知らない業者は「10万がいっぱいいっぱいですぅ」と泣きを入れてくるわけで。何となく勝った、という気分になるかもしれない。言い方を変えれば、上手く騙せたぜ、と。

正直、こういう思考をする人間はあまり好きじゃないんだがな、僕は。思ってるだけならまだしも、それを功を誇るがごとく周囲に触れ込んだりすると性質が悪い。人を騙してるのにふんぞり返るというズレた感性。武勇伝にするジャンルを間違っている。そういう人間はウチにも居るけど。

まあ、それはそれとして、業者が泣きを入れてきた時の対処も重要だろう。決して「予定通り10万ゲットだぜ」などと喜ぶそぶりは見せず、「しゃあないな、じゃあ10万で許してやるよ」とむしろ寛容な姿勢を見せる。

そうすれば相手は「すいません、ありがとうございます」と恩に着ることだろう。相手から金をせしめているのに、なぜか金を払う方が感謝の念を抱くという不思議な現象。上手な駆け引きなのか、小ざかしいだけなのか。最初は高い要求をして、そこから下に下りていくというのがビジネスや商談のスタンダードとは言え、あまりあからさまにやりたくはないな。小手先だけを求めるだけで魂が鍛えられないような気がするから。人間としてあまり腐りたくはない。

まあ、実は業者の方が一枚上手という可能性もある。最初からお客さんが10万くらいに着地するだろうと予想していて、100万くれなどと聞いても「吹っかけてるだけでしょ?」と即座にお客さんの意図を見抜き、内心ほくそ笑む。

だが、それを敢えて口に出さず、表面上は下手に出て困ったような顔をする。「100万なんて無理ですよ~勘弁してくださいよ~」と泣きを入れるポーズをする。そしてお客さんが最終的に10万でいいと言えばしめたもの。10万は最初から想定の範囲内だったからだ。

だが、「10万くらいだろうって最初から分かってましたよ」などという態度はおくびにも出さず、表面上は如何にも頑張ったフリをして、『何とか10万まで出せるよう社内で交渉しました』『ゼロ円というのは何とか避けました、ワタシが社内に交渉したお陰です』というオーラを出し、むしろお客さんに恩を着せる展開に持っていくのが得策。ここはアンタの茶番に付き合ってあげますよ、と。そんな業者の先読みがあるかもしれない。

さて、金を出させる方、出す方、一体どちらが上手なのか。相手の手の平で踊っているのはどちらか。見かけのやり取りだけでは分からない、裏の思惑や顔がある。その裏の顔は基本的に外には出てこない。

とは言え、今回の僕のお客さんは結構ストレートなお方で、あまりこねくり回すのを好まない。イエスかノーか、イエスならどこまで出来るのか。ただそれを明確に、スピーディに回答してくれというスタンスだ。

あれこれやるのは時間の無駄だと言う。その時間を売上げアップのための施策に使いたいし、案件は日々舞い込んでくるのだから、一つの業者に時間を掛けていられない。とにかくテキパキと、クイックネスで処理をしていく。そんなお客さんだ。実際、目が回るほど忙しそうではあるが。

僕は、一つの案件で迂遠なほど長い時間を掛けて決定する会社に勤めてはいるが、考え方としてはこのお客さんに全く以って賛成なんだよな。

付け加えるなら、ただ機械的に処理していくだけのやり方は人間味に欠けるので避けたい。せっかく金を出してくれた取引先から「何か金出す甲斐がないよな」と思われるのもマイナスになる。ちゃんと「アナタ達を大切にしてますよ」という姿勢を見せておくべきだ。

つまり、人間関係をキッチリ重視しつつ、スピード処理をしていくのがベスト。そのためには結局、瞬間的な決断力や思考スピードを上げる以外にない。そして、そういう鍛錬っていうのは、やっぱりマルチタスク的にどんどん仕事が押し寄せてくる環境に居るのが一番手っ取り早いんだよな。

その点でも、今の会社は遅い。遅すぎる。そういう僕も、自分がバリバリとやれてるとは決して思ってない。ただ他の従業員よりはマシだろうというだけで。だけど、吐き溜めの中で比較したところで、やる気のない人間と競ったところで、それは狭い場所で満足するお山の大将的な狭量さしか身に付かず、上を見て歩くんじゃなくて下を探して安心するという一番みっともない大人の姿。そうはなりたくないとは思っているが。

僕もいつの間にかぬるま湯に浸かってしまったもんだ。もう何もかもに身に入らなくなりつつある。やる気も出ないしなぁ。どこかで空気が抜けちゃうんだよな。何か歯車が狂った感じ。今のステータスだと、正直いって何も出来ない気がした。

クリスマスイブ。もしサンタさんが一つだけプレゼントをくれるというのなら。物質的なものは何も要らない。願わくばサンタのおじさん、ボクにやる気を与えて下さい。継続する根気を。もう一度、上を向く勇気を。きっかけを、下さい…。

ただ、寿司を握る気力だけは満ちている。仕事を終え、家で過ごすひと時は何かからの解放を僕に感じさせる貴重な時間だ。解放し過ぎて生産的なことを何もしなくなるのが玉に瑕だが、少なくとも職場の50倍は自分を出せる場所だ。

その中で、寿司を握ることだけは、僕が現在出来る範囲で唯一生産的と言えるアクションなのかもしれない。そう、オレはここで寿司を握ることしか出来ない。だけどキミには、キミにしか出来ないことがあるはずだ。たとえひと時でもいいから、せめて人間らしく…。

というわけで、平日だけどクリスマスイブのパーティを行った。まあ夜メシを少しだけクリスマスっぽくしただけの話だが。アペタイザーとして、嫁が作ったサラダ。サーモンでバラの花びらを作っている。なかなかの見栄えである。

メインは僕の自作寿司。握りも、軍艦巻きも、完全にモノにした。「握れ」と言われればいつでも握れるようにまでなったと自分では思っている。寿司握りは、今年に入って僕が得た数少ない技術。だからこそ、アダムより人が造りしイブの日に捧げる供物としては適切なのかもしれない。この寿司作りだけに関しては、僕は自分を褒めたい。

そしてローストチキン、いわゆる鶏モモ肉。これがあるとないとではクリスマス度が全く違う。クリスマスと言えばターキー。日本では鶏モモだ。デパ地下やスーパー、コンビニなどで、通常の何十倍もの鶏モモ肉が売り出される日。デパ地下惣菜コーナーに積み木のように積み上げられた鶏モモを見るのは圧巻だ。恐らく一年で最も鶏モモが消費される日に違いない。バレンタインデーでのチョコレート。クリスマスの鶏モモ。100%外さない鉄板馬券が世の中にはいくつも存在する。

ただ、一言で鶏モモ肉と言っても、色々種類がある。ケンタッキーなどで良く出される、いわゆるフライドチキン系。デパ地下などでよく売っているような、表面をパリパリにこんがりと焼く、いわゆる照り焼き系。さらに、火の通りをしっかりさせるため一度煮てから焼き上げるというローストチキン系。名称が正しいかどうか自信はないが、最低三種類はあるはず。

ウチの鶏モモは三番目のヤツだ。新潟実家がクリスマスの時期になると毎年送ってきてくれる。いつでも変わらない味。ある意味、鶏モモ肉の到着は、冬の知らせを告げる定期便。そしてクリスマスの予兆演出。だけど一年の終わりを告げるサインでもあった。

嫁が作ったサラダを摘みながら、僕が作った寿司を食いながら、しっかりと味の付いた新潟実家のローストチキンを貪りながら、平日の夜は更けていく。そして僕等も老けていく。誰もかもが歳を取っていく。いつまでも元気でいられるとも限らない。

新潟の定期便も、いずれはなくなる。今は寿司が作れなくなる日が来るかもしれない。分かってる。いつか終わること。サンタクロースだとて永遠の命を与えられるわけじゃない。そして、恐らく誰もそんなものは望んでいない。限られた時間の中で、どれだけ出来るか。やり切れるか…。

差し当たり、終わりそうな2013年もあと1週間。食卓に並んだ料理は、紛れもなく僕等に関わりのある風景ばかり。その2013年が始まろうとしていた頃、ちょうど一年前、和歌山旅行で買ってきたパンダの徳利とお猪口で熱燗をちびちびと飲みながら、一年の最後に向けての余韻を味わっていた。

20131223(月祝) 変わらない「クラウンエース」の看板と上野公園が佇む上野で、記憶を揺さぶる「エヴァンゲリオンと日本刀展」を激鑑賞した俺は、男と女と人間の真理に到達した

131223(月祝)-01【1030頃】ローストチキン 新潟実家送り物《家-嫁》_01 131223(月祝)-03【1255頃】JR上野駅クリスマスツリー《上野-嫁》_03 131223(月祝)-04【1305頃】カレー専門店クラウンエース前《上野-嫁》_01 131223(月祝)-04【1305頃】カレー専門店クラウンエース前《上野-嫁》_02 131223(月祝)-05【1310~1330】UENO3153ロッテリア パンダバーガー等《上野-嫁》_01 131223(月祝)-06【1330頃】上野公園《上野-嫁》_04 131223(月祝)-07【1330~1500】エヴァンゲリオンと日本刀展 上野の森美術館《上野-嫁》_001 131223(月祝)-07【1330~1500】エヴァンゲリオンと日本刀展 上野の森美術館《上野-嫁》_004 131223(月祝)-07【1330~1500】エヴァンゲリオンと日本刀展 上野の森美術館《上野-嫁》_018 131223(月祝)-07【1330~1500】エヴァンゲリオンと日本刀展 上野の森美術館《上野-嫁》_039 131223(月祝)-07【1330~1500】エヴァンゲリオンと日本刀展 上野の森美術館《上野-嫁》_064 131223(月祝)-07【1330~1500】エヴァンゲリオンと日本刀展 上野の森美術館《上野-嫁》_079 131223(月祝)-07【1330~1500】エヴァンゲリオンと日本刀展 上野の森美術館《上野-嫁》_092 131223(月祝)-07【1330~1500】エヴァンゲリオンと日本刀展 上野の森美術館《上野-嫁》_097 131223(月祝)-07【1330~1500】エヴァンゲリオンと日本刀展 上野の森美術館《上野-嫁》_102 131223(月祝)-07【1330~1500】エヴァンゲリオンと日本刀展 上野の森美術館《上野-嫁》_148 131223(月祝)-07【1330~1500】エヴァンゲリオンと日本刀展 上野の森美術館《上野-嫁》_155 131223(月祝)-07【1330~1500】エヴァンゲリオンと日本刀展 上野の森美術館《上野-嫁》_158 131223(月祝)-07【1330~1500】エヴァンゲリオンと日本刀展 上野の森美術館《上野-嫁》_161 131223(月祝)-07【1330~1500】エヴァンゲリオンと日本刀展 上野の森美術館《上野-嫁》_170 131223(月祝)-07【1330~1500】エヴァンゲリオンと日本刀展 上野の森美術館《上野-嫁》_175 131223(月祝)-07【1330~1500】エヴァンゲリオンと日本刀展 上野の森美術館《上野-嫁》_179 131223(月祝)-07【1330~1500】エヴァンゲリオンと日本刀展 上野の森美術館《上野-嫁》_180 131223(月祝)-07【1330~1500】エヴァンゲリオンと日本刀展 上野の森美術館《上野-嫁》_184 131223(月祝)-07【1330~1500】エヴァンゲリオンと日本刀展 上野の森美術館《上野-嫁》_210 131223(月祝)-07【1330~1500】エヴァンゲリオンと日本刀展 上野の森美術館《上野-嫁》_221 131223(月祝)-07【1330~1500】エヴァンゲリオンと日本刀展 上野の森美術館《上野-嫁》_231 131223(月祝)-07【1330~1500】エヴァンゲリオンと日本刀展 上野の森美術館《上野-嫁》_233 131223(月祝)-07【1330~1500】エヴァンゲリオンと日本刀展 上野の森美術館《上野-嫁》_241 131223(月祝)-07【1330~1500】エヴァンゲリオンと日本刀展 上野の森美術館《上野-嫁》_244 131223(月祝)-07【1330~1500】エヴァンゲリオンと日本刀展 上野の森美術館《上野-嫁》_245 131223(月祝)-08【1500~1530】上野公園《上野-嫁》_04 131223(月祝)-09【1930~2100】焼き鳥屋こけっこー《梅島-嫁》_01 131223(月祝)-09【1930~2100】焼き鳥屋こけっこー《梅島-嫁》_04 131223(月祝)-09【1930~2100】焼き鳥屋こけっこー《梅島-嫁》_05 131223(月祝)-09【1930~2100】焼き鳥屋こけっこー《梅島-嫁》_06 131223(月祝)-09【1930~2100】焼き鳥屋こけっこー《梅島-嫁》_09 131223(月祝)-10【2130頃】ケーキ《家-嫁》_02

【朝メシ】
ローストチキン、アイスコーヒー(家-嫁)

【昼メシ】
ロッテリア UENo3153内(上野-嫁)

【夜メシ】
焼き鳥屋「こけっこー」(梅島-嫁)
ビッグ板チョコ、ショートケーキ、カール、アメリカンドッグ(家-嫁)

【イベント】
エヴァンゲリオンと日本刀展(上野の森美術館)

【所感】
昨日のマラソンで体力を消耗し、早めに眠りに落ちた日曜日。しかし今日も祝日なので遅刻の心配はない。寝たいだけ寝てもいいということだ。10時過ぎにノソノソと起床した僕は、新潟実家がクリスマス用にと送ってくれたローストチキンをかじりながら祝日の朝を迎えた。

言うほど休日を充実させているわけじゃないけれど、それでも日々世間の厳しさに追われる者にとって三連休という設定は奇跡的イベントだ。こんな日が毎日続けばいいと思う。いや、いっそのことずっと休みならいいのに。

寝たい時に寝て、食いたい時に食う。外に出たけりゃ出ればいいし、内に篭りたいならそのまま家で過ごす。生産的な活動をするも、動物的に過ごすのも自由。気の赴くままに、時の過ぎ行くままに…。

そんな暮らしに浸かった時、果たしてどんな価値観が出来上がるのか、想像するだけで面白い。だけどしょせんは憧れ。今現在のステータスでその暮らしを実現するのは不可能に近かろう。それでも願う。もう働きたくないでござる。

現実逃避をしつつも、三連休最後の休日を充実させるための行動を模索していた。その過程で、久々に芸術鑑賞でもしてみようかという話が持ち上がる。今の時期、ちょうど上野公園内の「上野の森博物館」にて『エヴァンゲリオンと日本刀展』という展示会が催されていた。

偶然か、仕組まれた運命のチルドレンか。ならばそれに従うしかあるまいよ、ということで、ゼーレを黙らせるためにもさあ行こう。ユイが待っている。ミサトさんも「行きなさい!」と背中を押している。誰かのためじゃない、自分自身の願いのために。そうすれば来週もサービスしちゃうわよん!と言っている。僕等は約束の地・上野公園に向けてリフトオフした。

降り立った上野駅。JR中央改札口前の広場を見れば、巨大なクリスマスツリーが存在感を主張するようにデカデカと設置されている。冬の最後のイベント、クリスマス。もうそんな時期になったのか。

そう言えば、このオブジェは去年もあった。一昨年もあった。そして今年もまた、在る。その都度僕は、何を考えていたのだろう。思い出せない。毎年変わらぬツリーのオブジェは何も答えず、時の刻みのなか泰然とそこに佇む。

クリスマスツリーの前では家族連れが、カップルが、嬉しそうに写真を撮っている。きっと皆、心の中がぽかぽかしているのだろう。一年に一度だけ束の間訪れる限定的なイベント、特殊な空間。だからこそ、せめてその間だけは、道行く人達全てにぽかぽかしてほしいと、思う。

決戦・第三新東京市に向けてエネルギーを充填するため、レストランを探す僕等。僕は最初、カレーが食いたいと嫁に提案した。嫁も「イイネ!」と同意する。迷った時はカレーかラーメンを選択しておけばほぼ間違いないだろう。

だけど問題が一つ。実のところ、これだけの往来にも関わらず、上野という土地にはカレー屋が殆どない。ココイチすら見つからない(厳密にはなくなないが)という劣悪な環境だ。僕の知る限り、専門店は一店舗しかなく、そこが空いてなければ喫茶店やファミレスに行けという味気ない選択肢に移行するのがつまり上野だ。

その理由は知らない。交番のおまわりさんですら知らないだろう。その根拠として、大分前にこんなことがあった。人通りの多い中央通りを友人・スーパーフェニックスと歩いていた時のこと…。

昼時で腹が減り始めた頃、スーパーフェニックスが突然「カレーが食いたい」と言ってきた。彼は「どっかいいとこある?」と僕に問う。しかし僕は、その時点で高架沿いにある古びたカレー屋以外の店を知らない。「一応、一コだけ知ってるけど」と自信なさげに答えたものだ。

いや、まさか上野ほどのエリアがそんなショボイはずないだろう。カレー屋は腐るほどあるはずだ。そうスーパーフェニックスは訝しがる。僕も「そりゃそうだよな」と心から同意した。ただ僕等が情報不足、地理不足なだけだろう、と。

そこで僕等は、上野に詳しそうな人に聞いてみようと考えた。そんな時、街の定期巡回なのか、まるで図ったように二人の警察官が僕等のちょうど横を歩いている。「よし、お巡りさんに聞いてみよう」と僕は名案を思い付く。「え? 本気で?」と一瞬うろたえるスーパーフェニックスを無視して僕は「すいません、お巡りさん!」と、すぐ左を歩くガタイのいい青年ポリスに声を掛けた。昔の僕は随分積極的だったんだな、と今では思うが…。

青年ポリスは、見かけのゴツさとは裏腹に「はい、何でしょう!」と真面目な表情で、だけど人懐っこい笑顔で僕等にしっかりと向き合ってくれた。こういうお巡りさんばかりだと好感が持てる。

だけどお巡りさんも、突然ケンカッ早そうな二人の男に声を掛けられて身構えたのに、僕が「カレーが食べたいんですけど、この辺に美味しいカレー屋さんって無いですか?」などと異次元の質問したものだから、「カ…カレぇーッ!??」と素っ頓狂な声を上げていたな。まさしく目が飛び出ると言わんばかりの表情だった。ホント下らないことを聞いたと後悔している。

慌てたスーパーフェニックスが「お仕事中に下らない質問でスイマセン」とすかさずフォローを入れたが、そこはさすが魔都市・上野で揉まれたお巡りさん。「いえいえ。しかし、いいカレー屋ねぇー、うーん…」とすぐに正気に戻りつつ、彼の隣を歩く少し熟年系の先輩お巡りさんに「どっかありましたかね?」などと相談する。こんな下らない質問にも親身に接してくれる彼等は今でもすごく記憶に残っている。

その熟年お巡りさの「あそこなんてどうだ?」という話から、結局はマルイ近くの中通りにある「クラウンエース」という専門店を紹介されたのだが、僕が唯一知っている店もまさしくそこだった。

逆に言えば、上野を知り尽くす猛者・お巡りさんですらそうなのだから、この土地はカレーを食うには適さないという証明。そんなにカレーにこだわりたいんだったら神保町にでも行け、ということだ。

そういう過去のいきさつもあって、上野はカレーに不向きだということを嫁にまず伝えつつ、一応ほぼ唯一の専門店「クラウンエース」のことにも触れてみた。嫁は、クラウンエースでも全然問題ないと目を輝かせた。一度入ってみたかったのだ、と。

「クラウンエース」は、立地的には目立つ場所にあるため、存在を知る人は恐らく多い。だけど実際に入った人は少ないように思える。オシャレじゃないからだ。少し煤けたような、焼けたような黄色の看板。埃を被ったような外観。パッと見ただけでも入るのに抵抗感を抱くだろう。

それは、女性が吉野家やラーメン二郎に一人では入りたがらない心境、あるいは男一人でジュエリーショップや高野フルーツパーラーに入れない心境に似ている。場合によっては物理的制約もあるが、むしろ心理的な壁によって入店の決意が阻まれるだろう。僕には彼女等、そして彼等の心が手に取るように分かる。

女性は基本的に人の目を気にする生き物。よりキレイにスマートに見られたい。オシャレを自負する女性ならなおさらだ。服や化粧、装飾品で着飾る日々がそれを証明している。

かつ、チヤホヤされたい、常に誰かに気に掛けてもらいたいという潜在願望も持っている。その傾向は男も当然有しているが、女性に比べれば取るに足らないだろう。

女性はもっと貪欲だ。他の誰よりも自分が一番。何よりも自分に注目し、自分を持ち上げ、褒め称え、崇め奉り、尽くして欲しいと心の中で声を張り上げる。同性である女性から「あの人ステキね」と羨望され、異性である男性から「あの人イカスな」と振り向かれる自分を常に潜在意識にイメージさせている。

この願望は、どんな女性だろうとほぼ例外なく持っているはずだ。世間やオトコに全く興味がないそぶりを見せる綾波レイちゃんですら、大好きな碇クンとならぽかぽかしてもいいと公言するし、碇クンを横取りしようとする強気のアスカにも一歩も引かない。つまり、恋は盲目ということだ。

無論それは男も同じ。シンジもシンジで、レイちゃんを助けられるなら世界がどうなってもいいと言い切る。つまり、人は思い込みで世界をも滅ぼしうるということだ。

そのシンジに「行きなさい、あなた自身のために!」とハイテンションで煽動したミサトさんも、まさか本当に世界が崩壊するとは思ってもみなかったろう。思い付きで発言するとロクなことにならないという教訓が見て取れる。ミサトさんは今回の一連の騒動で株を下げた。

反比例するようにリツコの躍進が止まらない。何だかんだ言って、終わってみれば一番人間味のなさそうなリツコさんが一番マトモな人間だったと皆が気付く。初期エヴァ放映時から20年間、「リツコだってよ( ´,_ゝ`)プッ」と周囲から虐げられてきたリツコファン達が、ちようやく日の目を見たのだ。

歴史的にマイノリティがマジョリティを覆す事例は多くない。それだけに彼等の苦悩は後世、美談となって称えられるだろう。全てのリツコファンにおめでとう。

まあ無論、最終的にはミサトさんの心の深淵とシンジに対する海よりも深い愛が赤裸々にされ、彼女の株が急速V字回復するのは容易に想像出来るがね。しょせんまだ第三コーナーを回ったばかり。オッズでミサトさんが依然トップであることに変わりはなく、対抗馬対策もバッチリだ。ミサトトップガン優勝への布石は着々と打たれている。

一応、その対抗馬対策について少し触れておこうか。

破で人気の出過ぎたレイは、再び感情のない人形に戻すことによってモブ化が完了。いじらしいレイちゃんだったからこそ皆が湧いた。シンジも癇癪小僧に逆戻り。いつも通り「ムカつくガキ」だと烙印を押され人気は急落だ。本来、本命の最筆頭であるカヲル君は、いつも通り早い段階で抹殺。その犯人たるゲンドウと冬月が好かれるはずもなく、これでゼーレサイドの対抗馬は全滅だ。

となれば、優勝馬は必然的にヴィレの面々からしかでないわけだが、実はこちらも殆ど駒がない。

ヴンダークルーはヒゲ面ハゲオヤジや生意気な口を利くビッチギャルなどに刷新されて、誰が誰やらよく分からない。古参の青葉や日向は元々がザコだから戦力にならず、マヤや加持といった安定的人気キャラは、いつの間にか居なくなっている。そのマヤの埋め合わせとして投入された鈴原サクラも間に合わせ感が満載で、しょせんは関西弁を喋るだけの小娘でしかない。

よって残る結局、ミサトさん、リツコ、あとはパイロットのアスカとマリというたった4名の候補。殆ど出来レースだが、庵野はやる時はとことんやる男だ。

リツコさんは一貫したクールさと安定した判断能力で今回株を上げたけど、基本的には地味で地力に乏しい人だから、他の三人が本気を出せばひとたまりもないだろう。せっかく湧き上がったリツコファンには申し訳ないが、明智光秀の三日天下ばりに短命で終わる。

対抗馬たるアスカとマリは強力だ。マリに関しては、随分と意味深な発言を繰り返すことで話題性は充分。アスカに対する献身的な姿勢も評価され、短期での上昇率という点ではピカ一かもしれない。

ただ惜しむらくは、彼女はあくまでポッと出キャラ。大分慣れたとはいえ、登場も唐突ならばその言動も安定せず、心を強く揺さぶるインパクトがない。過去から地道に実績を積み上げてきたキャラ達に比べるとどうしても見劣りするだろう。

要は、どう頑張っても脇役止まりがマリの運命。実際、当の本人もそれでいいと思っている。アスカをフォローに全力を上げる彼女は、1番じゃないとダメなんてことはなく、2番でいいと言っている。一歩進んで二歩下がるのが彼女の宿命。そういう設定ならば、どこか煮え切らないキャラ設定も頷ける。

そうなれば、もう残るはアスカ一択だ。聞くところによれば、最近の庵野のお気に入りだそうだから、庵野の野郎は全力でアスカを推そうとするだろう。実際、Qでは全力で推してきた。政治家ばりのコネクションがアニメ界にも蔓延しているとは恐ろしい限りだが、目下このアスカが最強の対抗馬として疾走しているのは明白で、ミサトさんとの差は今のところ5馬身差はあるだろう。

それでも、最終的には今回もミサトさんの一人勝ちに終わるはず。過去の実績や信頼性から言ってミサトさんこそ真のヒロインであることは疑いないからだ。

庵野も今はアスカに多少心移りしているようだが、じきに目も覚める。シンジのことを誰よりも愛しているのはミサトさんで、彼女の愛はレイやアスカなどのように限定的ではなくて、職場仲間として、女として、姉として、妹として、そして母として、あらゆる愛に満ち溢れている。その伏線は今後回収され、オッズ通りミサトさん一人勝ちという結果になるだろう。

話がずれた。確か、女性が人からより素敵に見られたい願望を持っているという話だったと思うが、そのためには自分をより高い位置に置いておく必要がある。一言でいえば見栄だ。見栄を張るため、自分がキレイであるために、よりキレイな場所に、スマートな場所に、オシャレな場所に、オシャレな人と出掛けたいのが女性の本能…。

より多くの人が、あるいはよりクオリティの高い人が自分に振り向く、いや振り向かせる。それが自分が高い位置に居る証明になる。世界のあらゆる事象が自分自身を装飾するための武器。そのために日々、周囲に輝きを放つ宝石たらんと密かに頑張っている。シンデレラ願望という言葉は言い得て妙だ。

男も当然、同じような願望を持っている。だけど女性とは動機や切り込み方が異なるように思われる。女性のシンデレラ願望に対比させる形でそれを一言で表すなら、男の場合は超人願望という言葉が当てはまりそうだ。見栄を張るのは同じ。自分をより高い位置に持っていきたがるのも、それによって自分を高く見せようとする心理動向も同じだ。ただ、手法と過程が異なる。

巷で流行の「自分磨き」という言葉一つ取ってみてもそれは分かるだろう。「自分磨き」という表現は、女性に多い。男は既存の造語に捉われず、ただ「鍛える」「高める」「自己啓発をする」と心に決めて黙々と行動に移す。そして行動に移した途端、身を削ることを厭わない。それが最終的に自分のステータス向上に繋がり、結果周囲を引っ張るという人間社会の法則を本能的に知っているからだ。

また、自分を磨くにしても、鍛えるべき箇所が大分異なる。女性は「自分磨き」と聞けば、まずルックスや身なりを向上させることをイメージする。エステに通い、ダイエットをして、女としての見かけをよくすることがすなわち自分磨きだと。つまり何をするにしても女はルックス。その精神が根底にあり、シンデレラ願望と呼ばれる所以だ。

対して男は、外見ではなく、自分を磨くことの根本は能力を鍛えることだと考える。身体能力、スキルアップ、新たな技能の取得、知識、人脈、コミュニケーション能力、経済力、社会的地位の向上…。

自分自身の能力を上げることで、全てが付随的に好転するという、絶対自分主義の観点だ。容姿の向上などはその副次的産物に過ぎない。何よりもまずは能力を上げることだ、と。

ここが男女における根本的な考え方の違いではなかろうか。自分磨きによって得られるものは多々あるが、男は最終的にプライドを満たすため、女は自尊心を満たすために、自分の生命力を掛けて戦っていると考えるだ。良い悪いではない。恐らくそれは人類社会の自然な形だ。

生まれ持った役割の違い。男は戦う獣だと、男自身が自覚している。同じように、女は自分が花であると自覚している。遺伝子レベルで刷り込まれた性なのだ。だからジェンダーフリーという言葉はウソ臭い造語にしか聞こえない。ただ、だからといって男女は必ずこうであれというルールの強要にもならない。この世は元々カオス。万人が納得する真理など存在しないのだから。

男らしさ、女らしさ、あるいは自分らしさという言葉も大仰に強調するほどでもない。ただ心の命ずるままに、内から湧き上がる衝動のままに、男も女も、あるいはバイセクシャルもレズビアンもゲイもトランスジェンダーも、自らの主張と生を全うすればいいだけの話ではないか。目くじらを立てることもない。

また話が随分と逸れてしまったが、女性が吉野家やラーメン二郎に一人で入らない理由はこれである程度解決する。女性がキレイでオシャレな場所を好むという基本線から考えると、吉野家やラーメン二郎はまるっきり対角に位置する存在だからだ。

イメージだけで語るなら、それらは粗野で荒くれ者が集う戦場。誤解を恐れず一言で表現すれば、「自分の格が落ちる」場所だ。そのリスクを避けるために、女性は単独の場合、吉野家やラーメン二郎に入らない。興味はあるのかもしれないが、自らの見栄や粗野な戦場に対する潜在的な忌避感が邪魔をする。

無論、旦那や彼氏や男友達に連れられて行けば入る。だがそれは、あくまで自分を納得させる理由付けが出来ているから。「自分では望んでないけどどうしても彼(旦那)が行こうって言うから」と原因を他の誰かに転嫁出来るか否かが重要なのだ。

それに、仮に戦場系のメシ屋に行ったところで、是非ともまた行きたいと熱望する女性が何人居るのか。あくまで「行ったことがある」という話のネタ。数ある経験値の一つ、記号に過ぎない。吉野家至上主義、ラーメン二郎崇拝信者にまで発展するケースはきっと稀ではないだろうか。そんなことをしなくても、もっと美味い店、リーズナブルな店、何よりオシャレな店は腐るほど転がっているのだから。

ここまで見て、吉野家とラーメン二郎が随分と叩かれているようだが、別に彼等が悪いわけじゃない。ベクトルの違いだ。女性はただ黙々と一人で座り、ありのまま目の前に出された料理を食らい、余韻も味わうことなく即座に退店するように出来てはいない生き物だからだ。

味よりも大事なのは雰囲気。醸し出すオーラ。メシを食って帰るのではなく、その前後や途中でのお喋り、何より雰囲気を楽しみたいという欲求。その欲求を満たせる店か否かが判断基準なのだ。女性が定型句のごとくカフェやイタリアンを好むのは、そのオシャレな雰囲気を醸し出しているからだろう。

逆に、吉野家やラーメン二郎と同じジャンクフードなのに、なぜマクドナルドは女性に敬遠されないのか。それはマックがカフェ的な要素を帯びているからとも言える。殺伐とハンバーガーを食べるだけでなく、喫茶店然とした店作りをすることで、友達同士や家族連れ、カップルのみならず、ソロの女性すら取り込んだマクドナルドは、戦略として間違っていないということだ。

そんな観点から、上野唯一のカレー店「クラウンエース」を分析すると、やはりオシャレさや雰囲気作りに欠けている。店の中も何となく暗い。証明が暗いというよりも、寡黙な猛者が集まる鉄火場というオーラが漂うのだ。本心としては、あまり女性にはお勧めできないかもしれない。

ただ、僕が覚えている限りでは、料理のクオリティは悪くなかったはずだ。一度だけしか食ったことないけど、専門店というだけあって美味いカレーライスを頂いたという記憶はある。

今、クラウンエースでも構わないと宣う嫁。雰囲気を取るか、カレーライス自身のクオリティを優先させるか。とても難しい選択。僕の、上野の達人としての、大人としての、男としての器と判断力が試される。

と心配していたが、杞憂に終わった。満席で入れなかったのだ。ドアを開けて覗いたクラウンエース店内に広がった光景は、空席待ちの行列。席は完全に埋まり、さらに10人以上並んでいる。こりゃ悩む必要もなかったな。

逆に言えば、それだけ人気があるということ。やはりカレーのクオリティは高ったという証明でもある。店がボロいとかそういうのは関係ない。美味いカレーならば是非に及ばず。今度機会があれば行こう。まあ、店内の客の多くが鋭い目付きをした男衆ばかりだったのが、イメージ通りといえばイメージ通りだった。

昼食にあぶれた僕等は、少し歩いた後、公園傍に隣接したレストランビル「UENO3153」に辿り着き、そこのロッテリアでメシを食う。考えた割には何とも捻りのない昼食だ。

一応、上野店というだけあって「パンダバーガー」など上野オリジナルバーガーを売ってたりした。しかし値段の割には大して美味くない。敢えて言おう。ハズレであると。同ビルの前身だった「レストラン聚楽」も相当マズいメシだったが、新築されてまたハズレを引くとは皮肉だ。

一応フォローのために言っておくが、他のフロアは「精養軒」や「叙々苑」などが入っており、総合的なクオリティは悪くない。それでもロッテリアは、ないな。

微妙な腹ごしらえの後、本番である「エヴァンゲリオンと日本刀展」へ向かった。何かこういう文化的な過ごし方は本当に久々な気がする。

美術館や音楽鑑賞、あるいは観劇などは、感性に深みを与え価値観の多様化に貢献する貴重な機会。だからこそ5~6年前から積極的に機会を作って出向いていたのだが、最近は結構ご無沙汰だ。だからこそ、様々な感受性が鈍っていることに危惧を抱きながらしばらく生きてきたのは否めない。

かといって、無理矢理行ったところで何も得られまい。芸術を鑑賞するには、それに見合った精神性を必要とするからだ。いわゆる「知的好奇心」というヤツ。もっと俗っぽく言えば「興味があるか否か」ということ。

興味がなければただの素通りイベント。「行って、見て、帰ってきた」という記号だけが残る。それでは意味がない。「行って、見て、刺激を受けて、帰ってきた」という感想を抱けなければ正直、金の無駄だろう。よってこの場合、興味があるジャンルという条件を満たさなければ大した功を成さない。

その点、『エヴァンゲリオンと日本刀展』は条件に合致する。平たく言えば、日本刀単体の展示ならばわざわざ出向かないが、エヴァがコラボしているなら行ってみてもいいという併せ技だ。配分的には日本刀が3でエヴァが7といったところか。同じように感じている客も多いと思われる。

主催者側の思惑も恐らくそれだ。エヴァというコンテンツをダシに使い、日本刀に少しでも脚光を浴びさせる。エヴァは充分メジャーなコンテンツなので、今回の場合は日本刀業界、あるいは刀匠の名前を売るためにエヴァブランドを活用したという図式か。

元来、美術館という場所は広いのだ。そんな広大なスペースを刀剣というオンリーコンテンツのみで埋めるのは困難で、下手をすれば歯抜けになりかねない。

そこでエヴァを持ってくる。初号機や弐号機などのエヴァシリーズのフィギュア、シンジやレイなどの登場人物、そして使徒など、展示可能なコンテンツは盛り沢山だ。それらを会場全体に散りばめれば、エヴァに執心する観客達としては隅々まで見学せざるを得ないだろう。

そうやって様々な展示を眺める中で、サブリミナル効果のように毎度日本刀の姿がちらつく。レイやアスカを和服姿に、カヲル君をサムライルックに仕立て上げることによって、彼女等の別の顔を覗き見た観客は何となく得した気分になる。「他のヤツ等は知らないレイちゃんの姿を知っているぜ」と優越感に浸る。

一昔前も、箱根で浴衣姿のレイちゃんポスターを見て狂喜するエヴァオタが居た。まあ僕のことだが、それと同じだ。

冷静に考えれば、袴姿のカヲル君がスラリとした日本刀を掲げてポーズを取ったところで、その構図に大した意味も意義もないのだ。しかし、そこは勢い。強いて言うなら、有り得ない人が有り得ないことをするという点に意味がある。その非日常性に目からウロコが落ちる。

今風に例えるなら「艦隊これくしょん」に抱く心理と同じか。その心理ゆえに、刀を持って我々に流し目を送るカヲル君を見るだけで観客は卒倒必至になる。

もちろん人間だけでなく、ロボット(人造人間)であるエヴァンゲリオン各機体にも、意味はないけど意味ありげに刀を持たせることで派手さを助長する。ついでに銃も持たせ、ドサクサに紛れてエヴァ原作どころかパチンコやパチスロに出てきた武器までも装備させたエヴァを展示する。

ここまで来れば、もうコンセプトも何もない。やった者勝ちだ。しかし主催者側としては、よい、全てはそれでよい。

怒涛のように視覚に飛び込んでくるエヴァの人形と、美少女達のアニメ絵と、刀の説明文と、何よりズッシリとした重量感とカラフルに彩色した実物の刀達。その雰囲気に気圧され、だけどこの異空間にテンションは上昇。自然と話も盛り上がるが、展示が体系化されていないので会話も飛び飛び、ランダムになってくる。

あの刀、カッコイイね。エヴァ初号機の力感がハンパねえな。レイちゃんは何着ても似合うね。アスカが色気あるね。マリは胸はデカいけどやっぱ要らないよね。そんな感じでもうごちゃごちゃだ。

そうやってブースごとに分析している内に、思考に言葉が追いつかなくなる。だけど観客は後から後から押し寄せてくるため、次に行かなければならない。流れ込む情報を処理しきれない脳内。メルキオールかカスパーあたりがパンクするだろう。つまり正常な思考が出来なくなるということだ。

これはエヴァのファンイベントなのか、刀の見本市なのか、その目的からして不明になる。その真の意味を探る間もなく、エヴァが装備する武器、すなわち刀を実際に鍛えた刀匠達の名前が唐突に告知される。

刀打ちの達人と呼ばれる彼等は、「オレ達は名刀を鍛えるために生きている」「刀造りは我が人生」と刀に対する意気込みを語る。同時に一応スポンサーの手前上、「エヴァのお陰で今日という展示会を開けた」とエヴァンゲリオンを持ち上げるが、その鋭い眼光からは「打ちなさい、誰かのためじゃない、自分自身の名を売るために」という只ならぬ野心が見て取れる。観客はますますワケが分からない。

だけど刀自体の造りはまこと美しく、かつ独創的で、一種の芸術品であることは誰もが認めるところだ。その魔力に気付いた観客は、戦国時代や世界大戦時などの片手間的知識でしかイメージしていなかった「刀」というジャンルをグッと身近に感じるようになる。

結果、エヴァの再認知および日本刀の告知という本来の目的はダブルで成功だ。

付け加えるなら、展示会場は写真撮影オーケー。本来の美術展示会に比べ遥かに規制が緩い。この部分、結構重要。

古典美術などは、フラッシュが美術品を傷めるとか著作権の問題などもあるから写真はNGというのも分かるし、何より元々知名度が抜群なのだから今さら宣伝する必要もない。だけど日本刀はマイナーだ。世の中に認知させるために、規制どころかむしろ是非とも写真を撮りまくって欲しいというのが本心ではなかろうか。

その意を受けて、観客はバシャバシャとカメラのシャッターを切る。エヴァというネタにしやすい題材も絡み、SNSやつぶやきの格好の材料となるだろう。放っておいても観客は勝手に情報を拡散させるだろうし、その情報がイロウルのごとく無限増殖するのも火を見るよりも明らかだ。

ゆえに主催者側は「全ては計画通り」とほくそえみ、最後にこう呟くのだ。よい、全てはこれでよい。と。

これが、主催者の画策する補完計画の全容。見事な手前と言うしかない。美術品の展示会としても、興業としても成功したのではないかと僕は一人感心していた。一観客としても、なかなかに楽しい美術館巡りであった。

そんな楽しかった「エヴァンゲリオンと日本刀展」。ダイジェスト的に、簡潔に下記に記しておきたい。

■入場前
和服姿のレイ、アスカ、マリの美少女三人、および袴姿のシンジとカヲル君が刀を持つ立て看板でお出迎え。殆どの客は、ここで写真を撮る。外人客も居た。「オーウ! ○△×□!」と叫びながら写真を撮っていた。

■入り口すぐ傍
薄暗い洞窟を抜けると、2メートルほどあるエヴァ初号機フィギュアがお出迎え。完成度は非常に高い。知ってる客は湧き上がり、知らない客も「よく分からないけど何かスゴそう」と雰囲気に圧倒される。ファーストインプレッションの設定の仕方としては大正解。

■刀剣の基本知識
刀の種類や生い立ち、造り方など、文字と挿絵、あるいは作業現場を実際に撮った写真などを組み合わせた多数のパネルが展示されている。全て読み切れば予備知識は完璧だろう。

しかし字が多すぎるため全部読む客は多分居ない。後ろからも客が次々と押し寄せるため、なおさら頭に叩き込めない。この展示会の第一章だけで刀について理解するのは難しいかもしれない。かなり気合の入った力作だけに勿体無い。

■刀剣の実物展示
座学の後は、実物の刀を多数お披露目。日本刀の完成品が展示されている。蛍光灯の光を反射して輝く刀身は、惚れ惚れするほどに美しい。芸術というものはウンチクよりも実物が全てなのだと否が応でも思い知る。この時点ではエヴァのエの字も出てこない。

■日本刀を実際に持ってみる
本物の日本刀を触れる(持ち上げられる)という展示があった。見るからにズッシリとした感じだ。他の客の反応を見ていた感じでは、女性が「なにこれ重~いっ」と驚き、その次に持ち上げた男が「…まあまあだな」と強がる。

そして僕等の番。まず嫁が持ってみた。「うわ、重ッ! 持てない!」と他の客以上に非力な発言。次に僕が持つ。かつてのハードトレーニングで腕っぷし、特に手首の力に自信がある僕としては「思ったより軽いな」と余裕ぶりたかったが、実際持ってみるとかなりズシリと来た。少なくとも片手で振り回せる代物じゃないと再確認。前田慶次は化物である。

■エヴァ紹介
ここから第二章、すなわちエヴァの章に突入。先の刀パネルの比ではないデカいパネル群に、エヴァのキャラクタや、エヴァというコンテンツが歩んだ軌跡、為した偉業など、これ見よがしに告知している。

だけど僕にとっては知った情報ばかりで全く物足りない。嫁も結構知っているが、補足として一応彼女のいくつかの疑問に答えながら足早にこのコーナーは素通りした。他の客も、したり顔でエヴァを語っていた。まさしく同類よのう…。

■メイン展示
恐らくこのスペースがメインであり目玉だろう。エヴァで使用される武器を、刀工と呼ばれる若手達が丹精込めて造り上げた逸品が勢揃い。実際に鍛えた刀工達も本人の写真入りで、その気合の入りようはまるでラーメン博物館のポスターで腕組みする店長達のようだ。そこで刀工達は、自分の腕前に対する自信、刀に対する情熱などを大いに語る。

各刀工の紹介写真の脇に、実際に鍛え上げられた武器が展示されている。抜き身の刀身だけでなく、鞘やオプションもしっかりと付いており、アニメ通りにカラフルに色が塗られている。再現性という点ではまさに芸術品だろう。

■マゴロクソード
そのエヴァ系刀剣の初っ端に持ってきたのが「マゴロクソード」であったことには、恐らく様々な意味が込められていると思われる。

マゴロクソードは直訳すれば「孫六の刀」であり、孫六とは室町時代に実際に活躍した刀工「孫六兼元(まごろくかねもと)」に由来を求めているとか。ニンジャマスター・ガラのムラサメブレードや、ファイナルファンタジーのマサムネの例で分かるように、元々漢字であったものを横文字にすれば何となくカッコよく見えてしまうのは日本人の悪い癖だけど。

また、仮にも「日本刀展示会」なのだから、キワモノばかりでは主旨から外れる。実際、原作と呼ばれるエヴァには純粋な刀など殆ど存在しないどころか、銃火器の方が多い。あったとしても、マリが使っていたチェーンソーめいた武器や、銃が付いたものが殆どで、純粋な刀剣である武器は皆無。つか、マリって本当に役に立ってないんだな…。

その中で唯一刀剣と呼んで良いのはプログレッシブナイフなのだが、そのプログナイフなんて、まんま100円ショップで買えるカッターナイフ。カッコが付かない。そこでマゴロクソードの登場なのである。

マゴロクソードも原作には登場しない。厳密に言えばパチンコだ。3だったか、4だったか。確かその辺で唐突に出てきた。エヴァ系リーチの中ではカヲル君を除けば最も強いと言われる初号機をさらにバージョンアップさせた姿が、マゴロクソードを装備した初号機なのである。何も知らない当時の僕は、何となく興奮したものだ。

そのパチンコ版エヴァも、気付けば8つ目。パチスロも合わせれば15代目くらいになるだろうか。一番最初のTVアニメ版が放映され、その後の劇場版が終了してから、エヴァは人々の記憶から消え去り、長い間オワコン(終わったコンテンツ)だった。それがなぜ劇的復活を果たしたのか。

その理由はパチンコだ。連綿と機種を出し続け、パチンカーから吸い上げた金を後継機種の製作に注ぎ込み、並行して観光地や店とのコラボなどの資金に充てる。その自転車操業を積み重ねた結果、本来有り得ない復活を果たした。

その周辺事情や経緯の分析、また自分自身の経験側からもそれは間違いなく、かなりの自信を持って言える。エヴァ制作に携わる者達にとって、パチンコはある意味救世主だったのだ。

その救世主たるパチンコに登場した「マゴロクソード」に対し、制作側がリスペクトの念を抱いたとしても何ら不思議ではなく、あのパチンコから5~6年の時を経て実物の刀剣として日の目を見た今日という日に運命的なものを感じたとしても、事情を知る者であれば思わず納得してしまうかもしれない。マゴロクソードとは、まさにエヴァの没落と復活、その軌跡の中で輝いた一振りの奇跡なのである。

まあ、僕はマゴロクソードリーチで腐るほどリーチを外しているからそこまでのリスペクトは抱けないが、「エヴァで刀」と言えば真っ先にマゴロクソードの名が浮かんでくることだけは確かだった。

■その他のエヴァ刀剣
マゴロクソードと同じ要領で、「カウンターソード」など実際映像化された武器達も見事に再現されている。やはり芸術とは素晴らしい。

ただ、見ている内に原作や映像云々はうやむやになっていく。マゴロクソードばりの純粋な日本刀とか、小太刀タイプとか、様々な刀剣を展示し、それを「エヴァMkⅥ専用ソード」とか、「零号機専用小太刀」とか、「式波アスカ専用懐刀」とか、「綾波レイ専用クナイ」とか、裏設定を勝手に作っていく。「桜模様の鞘が施された刀」とか、何が目的なのかいよいよ分からない。

ただ、そんな遊び心というか脳内設定満載の刀剣シリーズだが、どれもこれも手を抜かずしっかり造っているのだから、芸術品としてはやはりアリだろう。

■ロンギヌスの槍
刀剣ではないが、エヴァと言えばロンギヌスの槍。メインブースと言わんばかりに特大のロンギヌスの槍が飾ってある。長さ3メートルくらいあるんじゃないか。槍投げの槍のように長々と、だけど二股に分かれた先端は、まさに神殺しの神秘性を思わせる。多くの人間が周囲に群がり写真を撮っていた。無論、僕も激写したが。

その中に、まるで係員のようにロンギヌスの槍の傍からピッタリくっ付いて離れないスーツ姿のメガネリーマンが一人。ロンギヌスの写真を撮影しているようだが、本当に離れようとしない。前から、後ろから、上から、下から、果てはロンギヌスの槍の隅っこに掘られたエンブレム部分を被写体10センチメートルからズームインして何枚も何十枚も、コイツはロンギヌスの槍専用雑誌でも作る気なんじゃないかと思えるくらいにシャッターを一心不乱に押し続けている。

目の前で繰り広げられる「うーん、イイね! イイよ! もっとイッてみようか!」という掛け声が聴こえてきそうなネチっこい撮影シーンに、むしろ衆目はロンギヌス以上の注目をメガネに浴びせる。「何でアイツ、あそこまで」「もしかして、使徒?」「侵食タイプか?」そんな声が聴こえてきそうである…。

メガネリーマン傍らに大き目のキャリーバッグを置いていた。出張か何かのついでだろうか。もしかして本当にこのためだけに来たんだろうか。だとしたら恐ろしい執念というか、コイツは真性のエヴァオタだぜ。別にオタならオタで全然構わないんだけど、他の観客が撮れねぇだろ。まるで「ここはオレのスタジオ」と言わんばかりに全体の流れに逆らいやがって。空気読めキモオタ、どけよッ!

という風景があったのだが、特にこういう展示会系の写真撮影が絡んだシーンで僕はいつも考えるんだよな。他の客が待ってるのに、自分が写真を撮りたいがために展示物の真ん前に長時間陣取り動こうとしない輩達が必ず居る、ということだ。

写真を撮りたいのは誰もが同じ。だからこそ滞留時間を程ほどにしないとどんどん後につかえてしまうというのに、流れに逆らって撮影に固執する。それが邪魔でしょうがない。「お前は何様なんだ」と言いたくなる。

あまりに目に余る場合、たまに「早くしろよ」と言うことも実際にある。どこぞの水族館のように、移動式の床にしちゃえば皆が同じ時間だけ平等に見れるんじゃね?と思ったり。

ただ、美術品は本来じっくりと見学・観察するもので、そのために長々とした説明文が添えられているわけで、それすら読めないようじゃ何のために来たのか分からなくなる。本当にただ来て、ザッと見て、帰ったという流れで終わってしまう。「あの美術展、見てきたよ」じゃなくて、「あの美術展に行ってきたよ」という結果に終わってしまう。それもそれでどうなんだ?

いつだったか、僕等は行かなかったけど、上野で仏像展ってあったよな。あの中のメインである阿修羅像の周りにアリのように群がる観客達がTVに映っていた。あんなんでどうやって芸術を楽しむというのか、とも考える。

まあ、会場の広さや展示物の数に比して客が多すぎるんだよな。そういう場合は係員も「後ろがつかえてますのでさっさと前に進んでください」「止まらないで下さい」とか慇懃な声で急かすし。

主催者側は、客がたくさん入ればいいわけで、儲けが第一。入ってしまえば後のことは知ったことじゃない。より効率的に捌くため、ガンガン客達を先に進ませる。美術鑑賞って一体何なんだろうな。

要するに、客も客なら主催者も主催者ってこと。だからと言って、両者を満足させる解決策が思いつくわけでもない僕は、滞留時間が長すぎる客達に「みんなが見てぇんだよ」と嫌味っぽい言葉を浴びせながらデジカメを日本刀に何度も向けた。僕の心の中の刀はまだ完全に錆びてはいないから。

■即売会
そんな一癖も二癖もある「エヴァンゲリオンと日本刀展」は終了。出口前ではエヴァグッズを扱う即売会をやっている。クリアファイルとかネルフキーホルダーとかフィギュアとか、まあ今まで買ったことある、あるいは見たことあるグッズばかりなので特段興味は湧かなかった。

一応、日本刀も売っていた。原寸大じゃなくミニチュア系だが、恐らく刀工が実際に打ったものだろう。出来栄えは見事だ。しかし高い。いくら美しいからと言って、衝動で2万とか3万出す気にはなれないな。エヴァのマークでも入っていれば別だけど。

隅っこでは、本物の刀工達が小さい模造刀だったか、メダルだったか、目の前で鉄を実際に鍛えてくれて、客の名前も彫ってくれるというサービスがあったな。結構高そうなので頼まなかったけど、日本刀のイベントなんだから、こういう実演販売は理に適っていると思う。

とりあえず、何かのイベントに出向いた際には、ショボイものでもいいから記念に何か買っておきたいのが人情。僕はネルフマークの刺繍された布製のブックカバーを購入した。

■エヴァオンリージオラマ
日本刀展とは別に、出口を少し奥に歩いた場所にエヴァのジオラマ展示のブースがあった。ジオラマっていうのは簡単に言えば、プラモとかフィギュアを使ってアニメや漫画など原作のワンシーンを再現して展示する遊び。

僕も子供時代、ガンダムプラモで何度かやってみたことがあるが、作るのに苦労はするけど美味く出来た時は達成感に満ち溢れる。フィギュアだけじゃなく、砂漠とか森林とかの背景をどうリアリスティックに造るかで完成度が違ってくるんだよな。

そんな、単純なフィギュア鑑賞をも超えた、ある意味マニアの極地であるジオラマ。日本刀展を出た後なので、見たいヤツだけ見ればいいという主旨だ。つまり好き者の巣窟ということ。まあせっかくだったので僕等も覗いてみたが…。

居るわ居るわ、「ボクたちエヴァ大好き!」と言わんばかりのオーラを放つ猛者達が。「このATフィールドの大きさが」とか「ゼルエルの触手の波打ち加減がいいね」とか「これは『破』の○○のシーンで」とか、訳知り顔で分析する生粋のオタ達が満載だ。こいつぁ…隔離して正解だぜ。

無論、僕も嫁にしたり顔の上から目線で説明したけどな…。さあ行こう、同類達よッ…。

という室内の空気が2~3度上昇していたであろうジオラマルームだが、流石に完成度は高いよな。ゼルエルが零号機の首をパクッと食べちゃうシーンとか、サードインパクト発動の場面とか、シンジがレイをゼルエルから救い出して抱き合ってるシーンとか、Mk6降臨の場面とか、ファンが喜びそうなチョイスばかり。感心しきりだった。

僕はこういうのを作っている人達のことを本当に凄いと思う。無論、好きだからやっているのだろうし、それが金になるのなら尚よい。だけど世間的にはまだマイノリティであり、もっと昔は村八分の悪魔扱いされていた人達だろう。その世間体に負けず、自分の矜持を貫き通し、技術を向上させ、その実力をもってして結果マイノリティを脱さんとするその意思の強さにシビれる憧れる。

また、よく「その情熱をもっと別のところに使えよ」とか「才能の無駄遣い」とか言われるけど、別にそんなことないんじゃないかな。多分、その分野が結果的に合ってたんだよ。

人には向き不向きがあり、それ以前に情熱を捧げられる対象か否かという主観的な判断がまず入る。周囲から見て「それはその人に合ってない」と思っても、本人が主観において「いや自分はこれがやりたい」と思うのなら、きっとそれがその人に与えられた使命だ。

ということで、これからもエヴァを愛し、見事なフィギュアを作り続けて欲しい。勇者達よ…。あれだけのものを作る技術力も情熱もない、ただの凡庸な観客に過ぎないオレは、勇者達のますますの発展を願いつつクールに去った。

■終了
展示会が終了して外に出ても、上野公園はまだ明るい。少し公園内を散歩する。立ち並ぶ木々の葉っぱは一枚残らず既に落ち、むき出しの枝が寒々しい冬を物語っている。

来年の春になれば、また鮮やかな桜を咲かすのだろう。夏になれば深緑の公園に変わり、秋は紅葉で一帯が赤と黄色に染まり、また冬が来れば寂寥感漂う木々が寂しく立ち並ぶのだろう。毎年同じだ。同じ風景がずっと前から、僕が東京に来るずっとずっと前から繰り返され、巡っているはずなのだ。

季節の移り変わりは変わらない。季節ごとに見せる上野公園の景色や佇まいも多分、変わらない。そこに訪れる人間だけが、その姿を、心を変えていく…。

楽しかった「エヴァンゲリオンと日本刀展」。最初はそこまで乗り気じゃなかったが、行ってよかった。「何でもいいから芸術にたまには触れないと一層ダメになる」という嫁の言に従って正解だった、と。地元の焼き鳥屋「こけっこー」で打ち上げをしながら、僕は考える…。

来年は上野の森美術館でどんな画家や彫刻家の作品が、どんな美術品が展示されるのだろう。僕の今年の美術品見物はエヴァで終わった。いや、今年最初で最後と言っても差し支えない。美術や芸術の美しさに感心を示すこともなく、気付けば2013年が終わろうとしている、そんな現在。

その中で年末近くに訪れた上野の森美術館。主に「ヱヴァンゲリヲン・破」をモチーフにした展示会だった。僕にとってその映画は特別。2009年夏~2011年まで自分の中で長々と引っ張り続け、劇場に通ったのは計5回。あんなことはもうないだろう。その映画は、そのタイトルは、僕にとって心身共に最も充実していたかもしれない時期の象徴であり、名残り。

ヱヴァはそこそこ好きだった。だけど「破」だけは特別で、僕の中では飛び抜けて好きだった。だから心が自然楽しくなり、周囲の全てが楽しくいとおしく感じられたのだろうか。何よりも、その頃の自分自身が好きだった。

今は、どうだろう。答えることは出来ない。

20131222(日) 「皇居Decemberランニング」も北千住居酒屋「げんぺい」も、かつて経験した場所の焼き直し

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 【朝メシ】
サンドイッチ、アイスコーヒー(家-嫁)

【昼メシ】
無し(日比谷-嫁)
 
【夜メシ】
居酒屋「げんぺい」(北千住-嫁、義弟夫婦)
ドーナツ・義妹土産(家-嫁)

【イベント】
マラソン10km「皇居Decemberランニング」59分40秒 北千住マルイ買い物(クリスマスプレゼント)、北千住飲み義弟夫婦忘年会
  
  
【所感】
今日はマラソン大会の日だ。午前中開催ではなく昼からの出動。余裕を持って起きた僕は、嫁の淹れたアイスコーヒーとコンビニサンドイッチを緩んだ表情で食いながら、横に鎮座する亀二の頭を撫でていた。

精神が研ぎ澄まされている時ならいざ知らず、弛んだ状態で朝早くから起床するのは結構難しい。そして今年は下げ下げモード継続中だ。こんな状態で、よく今まで十数回はあった午前中マラソンに遅刻しなかったものだと自分でも感心する。この精神力というか意地の張り方だけは並よりも遥かに抜きん出たという自負はあるが…。

総論的ステータスとしての退廃は止めようもないが、各論としてのマラソン大会だけは、せめて今年一年だけでも完遂せねばという強い気持ちがあったからかもしれない。局地戦では勝利したが、大局的には大敗北。これが2013年の総括と言って間違いはないだろう。

そんな僕の魂を賭けた局地戦、マラソン大会。1ヶ月2回のペースで続けてきた意地のルーチンも、もう終わる。2013年のマラソンは、今日を含めてあと2回を残すのみ。今日も今日とて、いつもの日比谷駅に降り立ち会場の皇居へ向かう。皇居マラソンは、春夏秋冬全ての季節で経験した。晴れの日も、雨の中も、雪以外の天候全てで走った。

それでも皇居を取り巻く光景はいつでも変わらない。歩道横や桜田門周辺のに立ち並ぶ木々も、お濠も、そのお濠を優雅に泳ぐ白鳥も、ランニングスタイルで会場に向かって僕等の前を歩く名も知らぬ同志達も、行けば必ず誰かが走っている光景も、一年中変わることがない。

変化するのは木の葉の色と、マラソンを走る面子くらいなものだ。この「皇居」という場所にはどこか悠久を感じる。

桜田門直前の交差点の電信柱の傍に、花束が備えてあった。先日、交通事故で亡くなった人に対する供養だろう。その事件は僕等も知っている。この交差点では交通事故がたまに起こる。事故現場を実際に見たこともある。

全て皇居に行ったから、マラソン大会に参加したから遭遇した光景だ。逆に、皇居マラソンに出向かなければ見られなかった光景が、見過ごしていたはずの景色が多々あるということ。悠久の皇居。それを構成する要素としての皇居マラソン大会。今後もなくならないで欲しい。

マラソンの大会名は「皇居Decemberランニング」。年がら年中開催されている「皇居マラソン」と総称される大会の中の、ほんの一つだ。今回のDecemberランニングだけを取っても、他にSeptemberラン、Mayラン、皇居ランin Aprilなど、様々なネームバリエーションが存在する。というか、january~Decemberまで全部あるんと思われる。

とにかく皇居という場所は、恐らく日本で最もマラソン大会が開催されている場所であることは間違いなく、確実に月に一度は、いや下手をすれば週に一度はゼッケンを付けたランナー達が、一周約5kmの皇居外周ロードを延々と走る光景を目の当たりにすることが出来るだろう。

大会ではない、ただの練習なども加味すれば、一年中365日、誰かが皇居周りを走っているはずだ。途切れることのない連続フィルムのようだ。

皇居外周は信号もなく、一部を除けば比較的道幅も広いので走行中のストレスは少ない。平坦ではなくアップダウンがあり、かつ走行中の景色も高層ビル群、伝統的な皇居建造物、並木、池などバリエーション豊かに切り替わるので飽きも来ない。

さらに1周が約5kmなので距離の計測もし易い。マラソンの走行距離というものは凡そ5の倍数で設定されるのが通例だから、主催者側としても都合が良いはず。

何より、そこに行けば必ず誰かが走っているのだから、一人で走るという孤独感を紛れる。顔は分からねど志を共にする仲間が居るのだという事実は、人の心を力強くするもの。

あらゆる側面から見て、皇居はマラソンコースとして理想的な環境と言えた。

皇居というものは本来、皇室という畏れ多い方々の住居周辺であり、近付いてはいけない治外法権かつ超法規的なイメージがあるが、反面全ての政治経済活動に関与できず国民としての人権を剥奪されたような立ち位置でもある。その超法規的立場を逆手に取れば、一般市民が自由に使って何が悪いという理論も成立する。

その理論を暗黙の楯に、強引かつ繰り返し大会を開き続けることによって、皇居はマラソンランナー達の専用スタジアムであるかのようなイメージを植え付けつつ、いつの間にか実効支配する。という戦略だ。ランナーと主催団体の粘り勝ちというところか。

全てのランナーと観戦者がマナーをしっかり守るのなら実効支配も良しだろう。実際はマナーが守り切れているとは言い難いが…。

差し当たり、一般の観光者や歩行者を邪魔者扱いするのは、必死で走る者の心境としては分かるけど、言動に移さない方がいいだろう。それはランナーの傲慢というもの。そこまで必死にタイム目指したいんだったら、もっと広い会場に行けばいい。

あと、普通に皆が左回り(半時計回り)で走っている時、逆走してくるヤツがたまに見られる。お前等みたいなのが居るから規制が厳しくなるんだよ。と叫びたくなる。低速とは言え入っている者同士が追突すれば、ただでは済まない。本当に危険だ。ゆえに癇に障る。高速道路逆走レベルの非常識的な違和感をいつも抱く。

国内のルールに則って皇居コースを使わせてもらってるのに、走る時だけ自分ルールを全開させるという矛盾を平気で実行する逆走ランナー。暗黙のルールを知らない初心者でも、周囲の人達を見れば何となく「左回りで走らなきゃいけないかな?」と察していいシーンだ。空気を読むということ。これだけ毎日のように誰かが走っている皇居ならばなおさらだ。

それが出来ない、あるいはしないってんだから、人間扱いする必要はない。最近になって歩道に「周回は反時計回りで走りましょう」みたいな標識が立てられたが、本来そこまでやるような事案じゃないよな。幼稚園みたいで情けないよ。

何も知らない頃のイメージでは、皇居マラソンは都会的で知性ある大人達が嗜むワンランク上のスポーツ、みたいに思っていたが、参加してみるとそうでもなかった。

ただ逆に、何も知らない頃は、ランナーと一般住民との対立は過激化の一途を辿り、皇居周辺は無法地帯のサバイバル、みたいな感じで伝え聞いていたのだが、実際参加してみると世間で言われてるほどではなかった。

良しにつけ悪しきにつけ、現地に飛び込んでこそ分かる事実、培える感性があるということだ。

大会の内容自体は、そこまで特筆することはない。桜田門の時計台付近にはいつものように係員が居て、そこでゼッケンを受け取る。ランナー達は各々着替え、だけどさすがに冬だからか、殆どのランナーがジャンパーやウインドブレーカーを装着している。

僕はそのジャンパーやウインドブレーカーがない。一応持ってはいるが、私服で来て現地で着替えるのが僕のスタンス。脱ぎ捨てた私服は走行中、カバンに押し込みつつ嫁に管理してもらうか、一人の時はコインロッカーに入れる。よって、ジャンパーやウインドブレーカーなどかさばるものを持参する余裕はない。

そもそも、マラソンする格好はいつだって決まっている。グレーの帽子、長袖インナーウェアの上に白のTシャツ、インナータイツの上にグレーのランニングパンツ。通年いつも同じだ。なので今回のように皆が身体を震わせるような大会では少し浮くが、「オレはオレだ」という開き直りが出来るという点では、一貫したスタイルは有効かもしれない。

そして「Decemberランニング」の内容は、いつもの皇居マラソン。皇居の周回コースを走るだけだ。距離は5km、10km、20km。それぞれ1周、2周、4周で、係員としてもやり易かろう。

ランナーとしても都合がいい。元々皇居はランニング狂の巣窟、好き物の集まり。だからどんな走りをしようがあまり目立たない。歩いても誰も気にも留めない。「コイツは大会で走ってるのか、それともトレーニングなのか」と、一見しただけでは分からないヤツ等が入り混じっている。なので遅い僕としては、自分の存在をより消せるという点で皇居は重宝して止まない。

距離はスタンダードに10kmを選択した。遅い僕に、20kmはまだ早い。というか、継続的な練習が出来ない現状では、ステージを上げる日は永遠に訪れそうにない。10kmですらギリギリという体たらくは、結局一年を通して変わらなかった。3月までは順調だったのだがなぁ…。あと腰痛が。

と言い訳しても始まらないので、その都度その都度の自分の持てる力をもってして完走することを念頭に、10kmコースを走るのみである。つまり、弱小でも手は抜かない。そして最後まで走り切る。いたってシンプル。「退場しない、ルカワより点をとる、リバウンドを制す」の目標を掲げて翔陽戦に挑む桜木花道のようにシンプルに行けばいい。

あと一つ。何より、マラソンを取り巻く全てに感謝したい。マラソンを始めたきっかけ、用意された会場、見も知らない同志、応援してくれる人、マラソンできる身体、まだ走れる自分、そこで見た景色、分かる心境、全てのものに。最後、マラソンを始めてよかったと、そう言えるようになれたらいい。

そんな気持ちでマラソンには臨んでいるつもりだ。特にスタート前とゴール直前で「ありがとう」という感謝の気持ちが全開になる。厳密には、スタート前は意識的な全開、ゴール前は自然の流れの中での全開というべきか。

スタート前は、体力的な自信の無さと、精神的なキツさが過去のマラソンで頭に刷り込まれているため、テンションは萎み気味だ。その腰の重さを取り除き心を鼓舞するため、初心に戻るという儀式が、すなわちマラソンに対する感謝の気持ちを強引に引き出す行為だ。「ありがたい、マラソンを走れることはありがたいことなのだ」と自分を洗脳する。

スタートしてしまえば、前に走る以外に道はないので心も開き直る。だからこそスタート直前までの時間は重い。オレはマラソンを走れる、マラソンを出来る、ありがたい、ありがとう。そう自分自身に言い聞かせることが、悲壮なのか前向きなのか分からないけど、ともかくこのスタート前の鼓舞は欠かせない。

ゴール前は、体力が限界に近付き殆どゾンビ状態なので、速いとか遅いという思考は既に飛んでいる。ただ走り切ることを目指して前に進むのみ。

それでもゴールが近付いてきた段階になると、さすがにここまで来たら、骨でも折れない限りリタイアはしないだろう、という目算も立つ。それが自信となり、「今回も走り切ることが出来そうだ」と安堵の気持ちへ変わる。その時、自然と「よかった」そして「ありがとう」という言葉が漏れ出てくるのだ。

特に、ゴールまであと1kmを切ったあたりの景色は、透き通って見えるんだよな。このゴール少し前~ラストスパートまでの激しい心臓の動悸と、だけど何とか残された振り絞って足を前に進めようとする自分に対し、「こういう自分が好きだ」とまでは言わないが、「こういう自分は決して嫌いじゃない」という心境になる。

なのでゴールテープを切った直後、息も絶え絶えに座り込んだ時、「あぁ~疲れたッ、マジしんどいッ…!」とペットボトルを差し出す嫁に愚痴りながらも、心の中では「やっぱり走ってよかったな」と全面的に肯定している自分が居る。

マラソン大会で後悔したことなど一度もない。いや一度だけあったか。今年の1月か2月か、極寒でしかも雨の中マラソンをした時。あの時は全身が凍え、末端部分はまさに凍傷を起こす勢いだった。さすがにあの時はゴール直後でも爽快感などまるでなく、早く暖かいところで着替えたいという生存本能だけが先に立っていた気がする。日比谷駅内のトイレで着替えが済み、暖かいコーヒーを飲んで身体が落ち着くまで、ずっと「参加するんじゃなかった」と後悔していた気がする。

ただ、そんな例外は別として、参加してきたマラソン大会の殆どは有意義なものだったし、実に爽やかな気持ちで終えることが出来ている。

今回も同じだ。スタート直後から息切れが始まり、1kmのプラカードを見た時点で「ありえねえ、マジ長ぇ」と弱音を吐き、上り坂を歩くように越え、狭い下り坂で多少落ち着きを取り戻し、公園を左手に長い直線コースを黙々と走破して、最後の下り坂に差し掛かった瞬間、左手に大きな池が飛び込む。これが皇居1周の流れだ。

その池に反射する太陽の輝きが眩しくて、「素晴らしい」という言葉がつい漏れる。追い詰められて心の余裕が無い状態なのに、景色に心を向けられる不思議。別領域に存在する隠れた感性が呼び起こされるということで、それを引き出してくれる自然はやはり偉大ということで。

皇居マラソンは、最後の下り坂1kmの景色こそが僕の中ではたまらなくアツく、そしてピュアでいとおしい。今日も僕は、しんどくて、だけど終わってみれば清々しい皇居マラソンを恙無く終えたのだった。

タイムは、10kmで59分40秒と非常に凡走。しかし、まさしく僕の実力に相応しい記録なので自分でも納得だ。

僕のレベルは1時間前後。遅ければ1時間オーバー。しかし、どんなに調子が良くても50分を切ることはまず起こり得ず、55分すら見えてこない。しょせん地力は1時間オーバーなのだ。

頑張れば1時間を切れる。それが今の僕のレベル。今年1月に51分を出した時には、50分アンダーなどすぐそこだと思っていたのに、今はもう遥か彼方の夢。マラソンとはそういうものかもしれないな。練習を続ければ少しずつタイムは上がる。練習しなければ、上がることなどまず無いどころか、いくらでも落ちていくということだ。

気力が少しずつ萎え始め、酷い腰痛でテンションも下がり、練習が億劫でたまらない昨今。それでも大会だけは出続ける今年のテンションを、いつまで続けることが出来るのか。

2013年はさすがにこのまま走り抜けられるだろう。しかし、どこかで潰える。途切れるに決まってる。敗れは近い。次か、多分その次…。来年早々くたばるかもしれないし、もう少し続くのかもしれない。

分からない。今はただ、恐らく僕の最も過密なマラソン期間だったと後日必ず振り返ることになるであろう2013年の半分近くを費やしてきた皇居という場所に一礼。着替え終わった僕等は、皇居桜田門を後にする。20kmのランナー達は、まだ走っていた。僕の心も多分、まだ走っている、はずだった…。

マラソン直後は日比谷公園で一服するのが僕等の暗黙の慣わしだ。公園内にて唯一タバコを自由に吸っていい場所。それは競馬中継ばかり聴いてるオヤジの出店がある一帯だ。

出店周辺には、僕等のように年齢的に落ち着いた男女ペアや家族連れ、出店オヤジと競馬話に明け暮れるいつもの爺さん、そして一人黙々とタバコを吸うオッサンなど、「若い女性同士の集団」を除いた殆どの層が確認出来る。

「こんな汚らしい場所によくみんな来るよな」と不思議な気持ちになる。だが同時に、この少しだけタバコの煙臭い空間をひと時だけ共有する連帯感みたいな気持ちも持っていた。

剥き出しの岩にそのまま腰掛けるおっさん。ベンチに座るママと子供。出店前では、父親が子供にコアラのマーチを買って上げている。出店のオヤジは見かけによらず意外と敬語を使う。そんな光景を、ハトのフンが付いた木製のテーブルに座り、タバコを吹かしながら眺めている僕がいる。

完走直後は元気に動けたが、やはり10kmを走るのは体力を使うのだろう。急速に疲労感が浮かび上がる。それが予想できるから僕は、この出店の傍でしばらく身体を休める。

出店から見て右手のすぐ向かいには、公園がある。幼稚園児達がたまに行儀よく遊んでいる。その公園周辺には花壇のようなスペースがあって、季節によって様々な花で来園者達を迎えてくれる。夏に訪れた時はひまわりだった。今度は何が咲くのだろう。看板を見れば、「菜の花の種を蒔きました」と書いてあった。

菜の花、それは春の花。来年に向けて、鮮やかな黄色の花を咲かせるために、今は土に眠り準備する。いずれ芽吹くだろう新たなつぼみを待ちながら。公園で遊ぶ、未来溢れる幼稚園児達のように。

今は冬。殆どの草花は枯れ落ち、あるいはこれからの冬の寒さに耐えようと、色濃く暗い緑色の葉を楯にして対抗する。冬の緑を言葉で表すならば厳格、あるいは硬質な緑だろう。

そんな硬質な色濃い緑を称えた樹々の群れの中、なぜか一つだけ、たった一本だけ、流れ行く季節に逆行するかのように鮮やかな葉をつける樹木があった。

最初に見つけた嫁が、「あそこだけ紅葉だよ!」と感嘆の声を上げる。振り返った僕が見たものは、まさしくオレンジや赤色の葉をつけた冬には似つかわしくない一本の木。鮮やか過ぎる樹木だった。

これは、まるで紅葉だ。こんな季節に不自然だ。だけど現実に目の前で、その一点のみ紅葉が煌煌と輝く。後光が差しているように見える。

と思ったら、実際に太陽光だった。場所的、位置的な偶然だろう。数多く並ぶ樹木が建物や針葉樹の陰に隠れてしまっている中で、その木だけがまるで神に選ばれたかのように、誰の邪魔も影響も受けず、全身に日光を浴びているのだ。

だからそこだけ紅葉のまま秋模様。同じ種類の樹木なのに、その一角、いや一点だけが太陽の偉大な力によって季節を一つか二つ遅らせている。アンチエイジングしている。そのATフィールドが張り巡らされているがごとき異空間また自然の面白さかもしれない。偉大なるかな太陽、そして自然。である。

時間は流れていく。季節も移っていく。この一本だけ紅葉している木は、果たして他の木々より一足先に進んでいるのか、それとも自分だけが取り残されているのか。どちらにせよ、今ここに居る人間達よりは長生きするに違いない。

年齢的に考えれば、出店のオヤジがまず先に逝くのが順当だろう。次にすぐ近くでタバコを吸うオッサン達。続いて僕等と、ベビーカーを引く父親や母親がこの世に別れを告げる。その70年後くらいに、今公園で遊んでいる幼稚園児達が天に召される。さらに10年後くらいに、今そこのベビーカーの中で泣いている赤ん坊が消滅すれば、少なくとも今日この場を形成していたヒト種族は全滅だ。人間の命は長いようで短い。

そしてそんな様を、あの特殊な紅葉樹木は何も語らず見ているのだろう。100年後も。

ただ、樹木は別として、公園に今回植えられた菜の花の種は、来年の春には芽吹く。だけど数ヶ月でその命を終える。花の命は樹木よりも、人間よりも遥かに短い。

だからこそ、鮮やかで煌びやかで色とりどりの花を全力で咲かす。精一杯、人々の目を楽しませる。どれだけ誇らしく花を咲かせたか、それが花の存在価値なのかもしれない。

種から発芽し、ただ生長し、花を咲かすだけ。何かを捕食するわけでもなく、移動も出来ず、ただその場に咲くだけ。時に摘まれ、踏まれ、しおれ、いずれにしてもあっという間に命が終わる。花のなんと儚いことよ。

それでも咲きたいのかもしれないな。花は、ただ咲きたいから咲く。見せたいからよりキレイに咲こうとする。生きたいからただ生きる。うん、多分そうだ。

そして、ヒトも恐らく変わらない。誰もが自分なりに咲き誇るために生きている。シンプルなようで真理のような、何となくスッキリした気分になった。

日比谷公園を後にしてからは、北千住のマルイで買い物。クリスマスプレゼントを購入するためだ。僕と嫁、亀吾の分は昨日の新宿遠征時に購入したため、あと残るのは亀二(カメのぬいぐるみ)と、亀二の同期のイルカくん(イルカのぬいぐるみ)なわけだが。僕等もなかなかやるよね。ジョークのようでジョークじゃない。シャレだけでは決してない。

亀二にはチョーカーを。イルカくんには小銭入れを購入。チョーカーとはネックレスの一種だが、ダランとぶら下がるんじゃなく、首がキュッと締まるタイプ。首輪の細い版みたいなものか。主に女性が身に着ける。調教グッズとは少し違うので勘違いはしない方がよかろう。僕は男だけど、敬愛する緑川ショウゴもチョーカーを着けているため、彼をリスペクトする僕としてはチョーカーを忌避しない。

小銭入れはちゃんとしたブランドもの。チョーカーとあわせて1万円くらいか。今日に限らず、過去も同じようなことを何度もしている。

亀のぬいぐるみ・オーシャンタートルLL。購入時は16000円くらい。イルカのぬいぐる・イルタンL。購入価格は2500円くらい。今まで買い与えたものは二匹合わせて10万~20万円くらい? なんて高くつくカメとイルカなんだ…。

だけどそれ以上に思い出をもらっているので何も言うことはなく、むしろこれからもヨロシクということだ。心の支えは何も人間だけにあらず。人には人の道があり、オレにはオレの道がある。

夕方からは、北千住マルイの買い物の勢いに任せ、同エリアで忘年会。福島に単身赴任している義弟が珍しく帰ってきているため、義弟夫婦を交えての忘年会となる。

場所はサンロード商店街沿いにある「げんぺい」だ。繁忙期や夜時間は大体どの店も満席になってしまう激戦区・サンロード商店街沿いの飲み屋の中でも、何故かこの「げんぺい」は席が空いていることが多い。別に不味くもないし、むしろ肉、魚、野菜系、何でも扱うまさに「居酒屋」のお手本のような店なのだが、なぜ敬遠されるのか。

まあ、外から見た外観はオシャレとは程遠い。黄土色の壁は、ニスが塗ってあるようにテカテカしている。看板も昭和風で、鉄筋コンクリートでスタイリッシュにキメたバードコートなどとは月とすっぽん。

そして、どことなく頑固オヤジがやってそうなオーラを醸している。窓はなく、入り口のドアも透明なガラスではないため、店の中の様子も見えないし、初めての客はますます不安を募らせるだろう。正直、入り辛いのは間違いない。パッと見での心理的な敷居の高さは北千住の飲み屋で上位にに入る。

そして実際入ってみても、頑固オヤジ系の店である。別に店員が傲慢だとか厨房のオヤジがいちいちケチを付けてくるとか、そんなことは特にない。普通にオーダーを受け、飲み物や食い物を持ってくる。だけど何となく喧騒の質というかオーラというか、ニオイというか、それが不思議と頑固オヤジ系。言葉では説明出来ない。今シックスセンスで説明している。

料理もなかなかイケるよ、実は。焼き鳥などの串物とか、手羽先とか、刺身とか、もちピザとか、あらゆるメニューがしっかりした味付けで出てくる。正直、悪くない店だと思う。席は少し狭かったけど、初めて来店した義弟夫婦も喜んでいた。

そして、さすがに忘年会シーズンだからだろう。普段は客の入りは歯抜け状態なこの店も、テーブル席から座敷までみっちりと塞がっている。この時期はとにかく忘年会する人間で溢れるため、店の方がむしろ足りない。店が確保出来ないなら、どこでもいいから入りたいという心境だろう。

その勢いで「げんぺい」も恐らく満席になった。意外と使える店なので、認知度はあまり高くなって欲しくないというのが正直なところではある。

まあ、僕等も実際のところ「げんぺい」には1回しか行ってないわけだが。その時も、最初は入る予定など無かった。だけど店がどこも空いてなくて、いわば仕方なく選んだ店だった。今年のGWのことだったか。

だけどその偶然の入店が、偶然の出会いを呼んだ。ちょうど隣の席に居た青年二人が僕等にしきりに話しかけてきた。彼等は「げんぺい」の常連だと言って、店の裏メニューなどを食べさせてくれたり、とにかく最初は鬱陶しかったけど、非常に豪快かつ粋な人達だったと覚えている。意気投合した結果、その嫁さんなども呼んで閉店ギリギリまで飲みまくったっけ。

(当時の状況)

20130503(金祝GW) ゴールデンウィーク後半。北千住の飲み屋「げんぺい」で出会った一期一会の三人組

その際にメアドなども交換したが、恐らく社交辞令的になってしまい、特に交流が続くこともなく時間と共に自然消滅するだろうと当時は予想した。それが大人というものだ、という達観があった。

そして現在、実際にそうなっている。あの当日の夜に一度メールして以来、僕等からコンタクトを取ったことはないし、彼等から連絡が来ることも当然ない。

虚しいと言えば虚しいし、寂しいといえば寂しい。だけどそれが普通なのだと悟るくらいには人と付き合ってきたし、経験を重ねてきた。僕等も、彼等も。

なので、誰彼とでも長期継続的な付き合いを想定するのではなく、自分の知らない世界を見せてくれる相手、ひと時心を通わせて盛り上がれる一期一会の人達とその都度、一瞬だけ交わっていくことが、その一瞬の交わりを楽しむことが、互いの人生において重要なことかもしれない。

少なくとも、彼等のメアドはもう忘れてしまった。だけど、ただ楽しかったという当時の記憶は残る。あの時、タクシー前で交わした握手と抱擁は覚えている。
そんな、ある意味思い出深い居酒屋「げんぺい」にて、未だ繋がり続ける義弟夫婦との忘年会を終えた僕等。今は繋がりのない、あの青年二人とその嫁さんのことを、少し思い出し、「そんなこともあったね」と嫁と頷きあう北千住の街のことであった。

あの時から、もう半年経った。何もかもが目まぐるしく。下町の北千住ですら異常なほどに忙しない。2013年の忘年会は、今のところ今日が最後になるだろう。

そして、数週間前にクラッシュして時計屋に預けていた腕時計も修理されて戻ってきた。僕が持つ唯一の腕時計。時計の針は戻らないけど、思い出にはいつでも戻ることが出来る。