20180527(日) 混雑しすぎた人体展。対応した相手によってこちらの態度も変わるという当たり前

【朝メシ】
・家/アイスコーヒー、マカロニグラタンピザ
 
【昼メシ】
・上野/国立化学博物館ハーブガーデン
・上野/居酒屋「活鮮市場 上野弐号店」
 
【夜メシ】
・家/菓子、チーズ、酒
 
【イベント】
国立科学博物館「人体展」、アメ横、西新井温泉、大相撲夏場所千秋楽録画視聴
 
 
【所感】
■なぜ博物館に行くのか
今日は毎週日曜恒例の鍼治療がない。しかしその分朝早くから出掛けられることもあり、上野公園の国立科学博物館で開催中の「人体展」を見る予定を立てていた。

「人体展」。聞けば連日大混雑で、晴れの日なら2時間待ち、大雨の日ですら40~50分待ちは当たり前という状況が続いている模様だ。実際、先日大雨の中を出向いたところ、40分待ちと言われて引き返してきたばかりだ。一旦勢いが付いてしまった以上、展示終了まで混雑が解消されることは二度とあるまい。正直、そんな展示会はスルーしたい。あまりに混み過ぎると、内容やクオリティに関わらず満足度は激減するものだから。

その一方で、やはり一度は観ておきたいという消せない気持ち。そう思うのは、純粋に興味をそそられるからか。それとも「観た」という実績が欲しいだけか。SNSにUPして見栄を張るのが目的か。「ヤバいほど行きたい」と目を輝かせるのか、「行かないとヤバい」という焦燥感にも似た心境か。どちらに比重が置かれているのか。美術館なんかもそうだけど、この手のイベントに連日押し掛ける連中の真の目的は何だろう。そんなことをよく考える。

ただ理由はどうあれ、「観たい」という欲求があり、開催期間が残り少なくなってきたという現実もあるからには、結局のところ乗るしかない、このビッグウェーブに。
 
 
■思い込みは外れた時のダメージが大
それにしても、定期の鍼治療がないというだけで激しく募る不安。このまま行くと、前回の治療から丸1週間の間隔が空く計算になり、週2回の治療を常としていた自分から見れば恐怖。良い状態の時なら週1間隔でも持ち堪える自信はあったが、今はむしろ悪い状態なので余計。ほんの少し前まで感激するほど快方に向かったのに。

数週間前、長きの停滞期間を経て容態が急激に回復してきた。ここまで来れば後はもう上昇するだけだと、二度と転落することはないだろうと、そう思わせるだけの好感触が確かにあった。2年間治療を受け続けた甲斐があったと。日々ストレッチや筋トレを並行して行った努力が報われたのだと。確信的なインスピレーションだった。

のに、舌の根も乾かぬ内にその絶対的自信があっさりと覆る。ホント適当なインスピレーションだなと、むしろ自分の分析力の無さに失望した。根拠なく「天啓を得た」とばかりに一方的に思い込むことの危険さ、そして虚しさが滲み出た出来事だ。

ポジティブ思考も時には大切。しかし、あまり自信を持ちすぎると逆方向に行った時のショックもデカくなるので気を付けた方がいいだろう。かと言って、いつまでも「もう二度と這い上がれない」などとネガティブ思考に徹し続けるのはさらに下策。良くなるものも良くならない。よって、バランスよくネガとポジとを使い分けることが重要。決して暴走せず、だからとて退は決してしない、という。しかし…、

事象を冷静に見つめた上で適度な前向きさを持つことは言うほど簡単ではなく、むしろ相当ハイレベルな調整能力だろう。その調整能力を持続するにはまず健全な精神を保ち続けることが前提だが、その健全な精神こそが得難い資質だからだ。健全であろうとする姿勢はある意味荒行、自然への逆行。精神に激しい負担が掛かる。その自然に逆行した荒行を、自然な精神で行うのが既に矛盾。よって、ネガとポジの両立も矛盾していることになる。その矛盾を実践しなければならないのだから、全くもって世の中は世知辛い。

差し当たって今回痛感したこと。今後は、いくら自分の中で腰痛が劇的に軽減したと感じても、決して舞い上がらず、「後は良くなるだけ」などと根拠のない自信は持たず、泰然自若としてその時その時の状態を受け入れつつ、運動など毎日のルーティンも淡々とこなす弾力ある腰痛生活を送るよう心掛けたい。期待して裏切られるのはもう沢山だ。
 
 
■朝メシのボリューム、出発時刻、いずれも計算違い
理由はどうあれ、朝早めに出発して国立博物館の「人体展」を満喫するのが当初の予定。しかしそれなりに待たされるのは想定の範囲内で、見学が終わった頃には昼メシ時を大幅に過ぎているだろうことも容易に予想できる。そこまで腹が持つ程度に朝メシは軽く食っておいた方が無難。ただし見学が終わった後は飲み屋で食事する予定だから、あくまで軽い朝メシを。

という流れから、朝メシを摂ってから出掛けることにした。空腹がもたらす苛立ち、凶暴化。決して侮れない。イライラ、罵声は当たり前、酷くなれば猛獣のごとく襲い掛かってくる場合さえ有り得る。理性を纏った人間とて、本質的には一個の猛獣。「腹が減っては戦が出来ぬ」という格言は、文字通り人間が戦う本能を宿した生き物であることを証明している。ゆめゆめ軽視するなかれ。

暴動が起きない程度の食事量ということで、冷凍庫にいくつか保存しているはずの食パンをトーストして食うという手筈になった。しかし実際に冷凍庫を開けると、食パンが一枚しかなかった。薄っぺらい食パンが1ピース、そこにあるだけだった。

トースト1枚を2人で分ける。当然おかずはない。さすがにそれは…。バターで味付けすれば少しは…。いやそういう問題ではなくて…。このままでは内なる猛獣王が起きかねない。しかし事実、1枚しかないし…。

その時、一昨日あたりに嫁が勤める店からおすそ分けで貰ってきたグラタンの残りが少量あることに気付く。グラタン単品なら侘しいものだが、それをトーストの上に乗せてピザ風に調理すればどうだろうか。華やかかつボリューミーになるのではないか。早速その案を実行し、オーブントースターで焼いた。

すると、予想よりもアツアツで厚みのある、いかにも美味そうなマカロニグラタンピザトーストが出来上がった。これならば、2人でトースト1枚分でも腹持ちしそうだ。なかなかのアイデアであり応用力だと感心したものである。

しかし、アツい朝メシを食って気が緩んだのか、昨日かなり遅くまで夜更かししたせいか、テレビを観ながら一休みしている内に、つい寝入ってしまった。起きてからも動きは緩慢に。そのまま少しずつ時間は過ぎていき、結局出発したのは11時頃。鍼治療に行ってから行動開始するのと同じくらい、いやむしろそれよりも遅めになってしまった。

より早めに動き、より前から準備する。口でそう宣言しながらも、事実としては舐めていたのかもしれない。本当の意味で危機感を持っていないのかもしれない。「人体展」が見れなくとも死ぬわけじゃなし、という気持ちが底にある。その気持ちが悪い意味での計算高さとなって、本来せねばならないはずの行動を阻害する。危機感を持っていればテレビなど観ないし、一寝入りしたりもしない。そもそも夜更かしすらしないだろう。そうしない俺等は、結局のところまだまだ甘かった。

家を出て、昼頃にようやく上野公園に到着した。
 
 
■上野公園は五月晴れで人多し
前回出向いた大雨の日と違い、今日の上野公園は晴天。まさしく五月晴れと言ってよさそうな天候であり気候だ。当然、客足も多い。だからこそ、尚のこと今日の目的である「人体展」も一層混雑するのではないか。行列に並んで長時間待つことも想定し、公園入口すぐの東京文化会館でトイレを借りつつ一息ついてから、国立科学博物館へと向かった。

ちなみに東京文化会館は、主にオペラやクラシック、バレエなどを開催するホール。エントランスホールはかなり広くて人もそれほど多くないので、気持ちを落ち着かせるには結構役立つ場所である。

こうして国立科学博物館へ到着した俺等だが、予想通り「人体展」は長時間待ち、かつ会場も混雑しているらしい。チケット有りで90分待ち、チケット無しで100分待ちとのことだ。そんなに待つのか…。そこまで長時間なのは、大分昔アドベンチャーワールドに行ってパンダの赤ちゃんエイヒンとメイヒンを見るために並んだ時くらいしか覚えがない。そこまでの価値があるのか?

そもそも収容人数のキャパを超えてるんじゃないか? テレビなどでも精力的に宣伝したりしてたし、客を煽りすぎたからこうなる。居酒屋の呼び込みに釣られて店に入ったのに満席で座れなかったことが判明した時の理不尽さを客が抱きかねない。じゃあ呼び込みなんかすんなよ、と。

そのくらい「人体展」の会場内は混んでいた。正直、ストレスの方が勝った。
 
 
■整理券という手法
そのストレスについては後で述べるとして、まずは100分待ちを許容するか否か。また後日改めて訪問したとしても多分同じ状況だろう。いやむしろ開催終了日時が迫っているだけに、今後さらに混雑度は増すかもしれない。結局、いつ行っても同じだ。ならば覚悟を決めて並ぶべし。今日でこの不毛な待機生活を終わらせる。

意気込んでチケット売り場に並び、「大人2枚」とチケットを購入。そのまま進むと、係員の男性から整理券を渡された。その整理券には「14:00~14:15」と書いてある。つまり今すぐは入れないが、14:00~14:15の間に来てくれれば会場入り出来るという確約書のようなものだ。時間指定で会場入りを保証してくれるのが整理券のメリットだ。

しかしデメリットもあるな。整理券は一見、間引きによって混雑を解消しているように見えるが、本来来場する客の総量は変わらない。しかもいくら間引きしたところで、時間制限がないのだからと一つ前に入った客達が会場内に滞留しているところに次の客達が後から後から押し寄せれば、会場内はどんどん混み合い人でギュウギュウになるという結果は変わらない。根本的解決にはならないだろう。

具体帝に言うなら、俺等の整理券の時間帯が「14:00~14:15」ということは、続く集団は「14:15~14:30」「14:30~14:45」「14:45~15:00」という順序になるはず。つまり15分刻みを1ブロックとして整理する。その1ブロックの定員が10人程度だったらいいのだが、規模が違う。100人規模だ。つまり15分ごとに100人の人間が入ってくる。15分程度時間をずらしたところで会場内の前方は詰まっていくだろうし、そうなると当然後方がつかえてくる。結果、前にも後ろにも進めない大混雑が起きる。目に見えているだろうに…。

だが、来場した客を全て収容しなければいけないのも会場側の責務。その点を第一優先にしていた感はあるな。言い方を換えれば「チケットを売っちまえばもう後は知ったこっちゃない」という売りっ放し状態にすら見えた。それほど今回の「人体展」の混み方は異常だった。いや、不快な混み方だった。それも後で後述するが…。

いずれにしても、整理券に記された「14:00~14:15」の時間帯までは何も出来ない。現在12:10頃。2時間も時間がある。最初入口に書いてあった『100分待ち』ってのはこういうことだったんだな。係員は「常設展でもご覧になって」とか「レストランなどもあります」とか、そこで時間を潰せばいいじゃん?的な軽-い感じで言うけれど、何回か観たことのある常設展で2時間も潰せるわけないだろ。メシだって食わないようにしてるし。

だったら国立科学博物館の外に出させてくれよと言いたいが、出てはダメ、博物館の敷地内だけで過ごして下さいとかもう二律背反。入りたいのに入れず、出たくとも出れず、入るのも出るのもダメだと言い放ち、「何もすることがない状態で時間を潰す」ことを強要され、だからと言って助力も助言もなく「あとは勝手にやってくれ」とばかりに放置。整理券を渡したら、もう仕事は終わりとでも言わんばかり。これも整理券のデメリットであるな。

つまるところ、それだけ客が多かったということになるが…。そもそも昔は整理券なんてシステムじゃなくて、延々と行列に並んでいたような気がするが。普通の行列の方がマシだと今日は思った。時間潰しがなかなかに難しかったから。
 
 
■時間潰し
与えられた2時間。いや押し付けられた2時間を、いかにして潰すか。鉄板だがまずは「常設展」に行くしかない。

「常設展」は、大型恐竜の骨格標本から、ネアンデルタール人やクロマニョン人の髑髏など多数の展示物を踏まえながら、当時の気候、風習など生物や人類の歴史を学べる高度な展示施設だ。超特大の亀の祖先「アーケロン」の骨格標本は迫力満点。子供にも人気があるし、何度行っても新鮮な発見があった。

しかし、一から気合を入れて観ようというほどではなく、結局20~30分で見学が終わってしまった。あと1時間半も一体どうすればいいのか。

それより少しだけ腹が減ってきた。朝少し食ったものの、上野入りしたのが昼過ぎで、14時にならないと会場に入れないというかなり遅れがちな時間進行を考えたら、もう一度何か口に入れた方が良いかも。しかし、レストランで食うほどガッツリいきたくはないし…。

悩みながら館内を見ていると、屋上に「ハーブガーデン」という屋上テラスがあるらしいことに気付く。そこで軽食の屋台もやっている感じだ。これはいいかもと思い、その屋上テラス「ハーブガーデン」へと足を向けた。

「ハーブガーデン」は、その名の通りハーブを中心に植えた都会風の庭というところか。ベンチや屋根付きテーブルもある。休息するには十分だろう。さらに軽食を売っているキャンピングカー風の屋台が1店舗あったので、早速食い物と飲み物を調達しようと列に並んだ。キッチンカーという奴か。

看板を見ると、食い物はピザと、焼きそばと、アメリカンドッグが頼める模様。唐揚げとフランクフルトもあったが売り切れのようだ。小さく「かき氷はじめました」という貼り紙もあった。焼きそばにしておこう。飲み物はコーヒー系と紅茶系と、ジュース系と、あと缶ビール。当然、缶ビールだ。オーダーするものが決まり、順番待ちをする。前には5~6人の客が既に並んでいるが…。

遅い。前の客が全然終わらない。全然列がはけない。キッチンカーの中には姉ちゃん1人だけ。オーダーから金銭の受け渡しから食い物を温めたりドリンクを入れたりといった調理全般いたるまで全て彼女1人でやるのだろう。それは大変だと思う。しかしやり様があるだろ。早い奴は早いんだ、こういうのは。

本当に列が進まなすぎる。俺は「ダラダラ動いてんじゃねえのか?」とイライラし始める。ただ嫁が見るには、一つ一つの動作は案外キビキビしているとのこと。でも総合的に遅いのは嫁も理解しているようだ。嫁曰く「動線が悪いのかな?」と、専門的用語を挙げて分析する。そうかもしれないが、1人なんだから最速で動くしかないだろ。上野なんだから客もそこそこ来るはず。それでも1人なんだから、見合ったスキルと素早さを身に付けるのが彼女の義務じゃないか。甘えたことを言ってちゃいけない。そう考えて見ると、キッチンカー内に納まる彼女は何となく甘えていそうなツラだ。

それは客への対応にも現れている。前の方に並んでいた客がかき氷を頼んだが、どうも「はいかき氷ですね」と素早く復唱し即座に行動に移るような真剣味がない。かといって笑顔もないが。笑顔がない接客なんてむしろ客にとって害でしかないと、なぜ多くの店員が気付ないのか。そして付かないことが何故恥ずかしくないのか。結局、かき氷1人分のオーダーを受けてから客に差し出すまで5分くらい掛かってたな。こんなに遅いのはむしろ初めて見た。

それと、前の客がピザを頼んだら「15分掛かる」とか平気で言ってのける。1から本格的に焼くつもりかと。そもそもにして、こういった簡易的な屋台は素早く出てくるからメリットがあるのであって、屋台で15分待ちなんて有り得ないから。

そんなこんなで1人の客に一体何分掛けているのか知らないが、遅々として進まない中、満席だった屋根付きのベンチが空いた。太陽の光にジリジリと焼かれるこの晴天の下、屋根付きの日陰に隠れられるのは有り難い。嫁はすかさず「ビールとかは私買っとくからあの席取りに行って!」と俺に席取り係を任命。俺は弾かれるように飛び出し、早足で空いた屋根付きベンチへと向かって滑り込むようにドッカと腰掛けた。

その5~6秒後。同じくこの席を取ろうとした客なのだろう。俺のほぼ後ろを歩いてたっぽい男の子が、少し向こうに居るママに向かって「取られちゃったよ~」みたいな声で叫んでいる。「いい、いい、いいからこっちに来なさい」とママ。屈強かつ修羅の形相をしている俺を見て、近付かない方が無難と考えたのだろうか。

それならそれでよしだが、こういうのは早い者勝ちだ。相手が女子供だろうが譲る義務はないし、その気も全くない。周囲の目とか、ありもしない聖人君子増をあるように見せかけ、それがなければダメなんだと思い込ませるがごとき周囲からのプレッシャーは、結局のところ気のせいでしかなく、それをしないからと言って殺されるわけでも何でもない。

それでもついやってしまう輩は気が弱すぎるのだ。そして優しさの意味を履き違えているのだ。感情論では片付けられない。優しさの前に平等がある。優しさを与える権利はあるが、優しくされる権利も有している。節度というものがあり、限度というものがある。無制限に振りかざすだけが優しさじゃないと知るべきだ。

いずれにしても、日陰の席をゲットした。嫁の瞬間的判断が勝ったのだ。間一髪の差で競り勝った俺は、取り損ねた子供の視線を無視するかのように、前方を鬼のような目で凝視しながら脚を組み、いかにも近付きがたい雰囲気で席をキープし続けるのだった。

座って嫁を待つこと10分程度。見れば、屋台の列も少しずつだが捌け、いよいよ嫁の番になった模様。予定では焼きそばと缶ビールだが…。

数十秒後、嫁が困ったような苦笑顔でこっちに早歩きで戻ってきてしまった。あれ?何で何も買わずに列を離脱しちゃうの? 手には何も持っていない。一体何が起こったのか。理由があるはず。

聞けば、「缶ビールがない」とのこと。しかも売り切れではなく「日曜日はビールはやってません」と店員に言われたようだ(本日は日曜日)。ハァ? と俺も流石に思う。看板に「缶ビール」ってちゃんと書いてあるのに。無いなら紙で覆うなりして隠しとけよと。というか本当に日曜日だけなのか? 缶ビールの存在自体ホントにあるのか? などと根本的な疑いすら湧き上がりかねない。

というか、その失態を恥じてもいない、つまり自分のしでかしたことについて何とも思っていない。それはつまり客のことを何とも思ってないということ。客を舐めてるということだ。何のために20~30分待ったのか。待った挙句、そんなゴミのような対応をしてきたのかと。

その不手際が許しがたいので、こんなとこからは買いたくないと嫁は手ぶらで帰ってきたとのことだ。なるほど、あれだけ待たされて「日曜はありませんが何か?」などと平然と突っぱねられれば誰だって怒る。納得できる行動だ。

だが、缶ビールは無いとして、焼きそばはどうした? 買わなかったようだが。

先の缶ビールの対応で、店そのものを嫌いになったのも理由の一つ。しかしもう一つ、どうやら嫁は店の清潔さを疑った模様だ。衛生観念に問題があるのではないか、と。

というのも、嫁の前の客がホットドッグを注文した時、店員はパンを素手でがしっと掴み、ソーセージを載せた。つい先ほどまでレジで金を掴んでいた手で、だ。手も洗わず、アルコール消毒もせず、トングを使うなど道具もせず、いわば汚れた手でそのままパンを掴み、客に差し出すのだ。そんな行為を客の前でやって、何とも思っていないのだ。

焼きそばは最初からパックに入っているから関係も少なそうだが、そんな食料を扱う店員にあるまじき無頓着さを、人が見ている前で平気でやってのける。普段からそういう姿勢なのだろうと思われても仕方ない。そういう人間から食い物を素手で受け渡されたくはないよな。

以上の理由から、結局焼きそばも缶ビールもゲットできなかった俺等。自販機で買ったジュースを飲んで空腹を満たしたのである。いくら放っておいても客が来る超好立地・上野とはいえ、いくらなんでもクオリティが低すぎる。市販のオニギリとかサンドイッチとか持ち込みたくなっても仕方がないわ、これじゃあ。今日は嫌なことが多い。

そういえば、俺等が座った日陰の席の隣のテーブルに、親子がいた。親父と、子供と、恐らく母親と、祖母か。子供がうるさかった。叫び声のような歌のような奇声を上げながらウロウロしている。さらに親父の方は、注意するわけでもなく、「あの屋台のオレンジジュース350円か、高っ!」とか、「コーヒーは・・・高っ!」とか、「モスバーガーの方が全然安いわ!」(どういう基準だ?)とか、「かき氷は…安っ!」(全然安いと思わない)とか、全くもってどうでもいい話をデカイ声で延々と喋り続けたかと思うと、今度は自分の昔の武勇伝自慢らしきことをマシンガンのようにトークし始める。デカイ声で。その武勇伝に妻も母も誰もリアクションしないのだから、一体ここはどんな空間だよと。とにかく声がデカくて耳障りだった。

その上さらに、親父は喋ってる間ずっと貧乏ゆすりをしている。それが非常に目障り。聴きたくなくても耳に入ってくる。見たくなくても視界に入ってくる。この手の輩は本当に迷惑だ。喋りにも身体にも落ち着きが無さ過ぎて、とにかく目障りだった。全くもって今日は嫌なことが多い。

まあ、一応時間は潰せたが、こんなにストレスの溜まる場所ならハーブガーデンという屋上テラスにそこまでの価値は見いだせないというのが本音だった。
 
 
■人体展は「混みすぎ」の一言に尽きる
そしていよいよ本来の目的「人体展」。「14:00~14:15」と記載された整理券を手に、14:00ピッタシに入り口前に向かったのだが、既に50~60人の客が前に並んでいた。そんなに見たいのかよコイツら。と只ならぬ情熱を感じ取る。同時に、こういう連中が多く居たんじゃ、中はもっととんでもない混み具合なんだろうな、とも予想する。

予想通り、展示の開始場所に来た瞬間、「終わったな」と思った。

この手の博物館や美術館などの展示の手法と言えば、まず大分類として第1章、第2章、第3章といった感じでの章分けが定番。各章ごとにデカいパネルがあり、そこにつらつらと説明文が書いてあるという体裁だ。そこから各章ごとで細分化されていき、関連する展示物を飾る。その展示物にも説明パネルが付くわけだが。

その第1章のパネル前から既に人で溢れていて進めないのである。かつ、その奥をチラッと見たが、奥の方はもっと人が押し込まれている雰囲気で、人の流れが完全に止まっているとすら見える。ゆったり見るなんて当然無理だし、ザっと概要を把握することすらできないかもしれない。

とにかく展示物に近付けないのだ。展示物が視認できる最前列の端っこで列を為して待っていても、列は止まったまま一向に進まないから展示物に辿り着けない。かといって、後ろから覗き込もうとしても、何重にも人の壁があるためちゃんと見れない。190cmのバスケット選手でもない限り後ろからの鑑賞は殆ど無意味だろう。

当然、パネルも読めない。読めるポジションを確保できない。確保したとしても後から後から人が押し寄せてくるから、ずっとそこで立ち止まるわけにもいかない。後ろから押される形で前に行く、しかし前は前で詰まっているので進まない。しばらく立ち往生しかない。本当にバカバカしい。

この手の展示は、パネルの文字を読んでこそ理解も深まるというもの。それを読めないまま進んだところで理解が深まるはずない。だが現実には理解どころか目を通すことすらままならないのだ。一体この押しくらまんじゅう状態はいつまで続くんだとストレスだけが募るという悪循環の中に居たという感覚が一番強かった。俺等は音声ガイドを借りたのだが、ある意味この音声ガイドがあったから、パネルを見ずとも概要がある程度は理解できたのかもしれない。

そういう状態の中でも、たまに自分の理解が最優先とばかりに最前線にずっと立ち続け、気の済むまでパネルの字を読み、展示物を嘗め回すように見る客もいる。複数客の場合は、その最前列で批評なんかを交わしたりし始める。美術館などでもこの手の輩は一定数の割合で居る。あと水族館とか。「さっさと行けよ」と怒鳴りたくなるのが本心だ。自分のことしか考えていない典型だと。

しかし、本来博物館や美術館ってものは、そういった輩のように一つ一つじっくりと見て、読んで、自分の身に沁み込ませながら、知見を深めながら進んでいくのが正しい鑑賞方法。この「人体展」も、華やかではないが心臓や肝臓、腸など内臓器官の働きなどを一つ一つ説明しつつ、標本も展示し、そこから筋肉や頭脳や神経系などにも分野を伸ばし、総合的に人体の神秘を一般の人間にも分かりやすく説明しようという意欲作だと感じられた。一つ一つじっくりと見ていけば、本当に興味深いテーマだったろう。

しかしながら、いかんせん混雑しすぎだった。多分、全容の10分の1も理解できなかったと思う。ここまで頭に入らなかった展示は、少なくとも美術館系では一度も無かったと思う。過去の同じく国立科学博物館で開催された大人気シリーズの恐竜展でも、ここまで酷くなかった。

会場には子供も結構な数が居た。しかしハッキリ言って、何一つ見えなかったのではないか? 何しろ前に行けないのだから、背の低い子供は見る術がない。肩車も禁止されているし。子供だからと言って、前に詰め寄る大人達は避けてもくれないし場所を譲ってもくれない。子供への配慮とか優しさとか論ずる状態ではなかったと。大人達も自分のことで精一杯で、全く心の余裕がなかったのだと思われる。いつもはこの手の場所で子供が騒いだりすると「このクソガキが」と憎たらしい気持ちになるが、今回ばかりはさすがに子供達が不憫すぎた。

だが何よりもムカついたのは、そんなのっぴきならない状況なのに、係員は只でさえ前に進めず後ろにも戻れず、展示物も文字も殆ど見られない状態が続きイライラが募る客達に向かって、「立ち止まらないで進みながらご覧下さい~」とただただ機械的なアナウンスを繰り返すだけという状況だ。

言いたいことは分かる。人が流れていかないと詰まってしまう。だけど、ここまで精緻に作られた内蔵の模型や、難しい専門用語が散りばめられたパネルや、解剖学の偉人を紹介した気合の入ったレイアウトがあるのに、それをほぼスルーして先に歩け、という。別に理解しなくていいから、とにかく先に進んでくれと言っている。まるでそこらの景色を眺めるかのように、展示物をただ目で追うだけで終わってくれと、そう言っている。そりゃそうだけど、気持ちは十分分かるけど、あまりに客の気持ち考えない無神経な言葉だ。気持ちが籠ってないのがありありと分かる。

あと、「最前列に並ばなくても、後ろからでも、逆側からでお、どの展示からでも好きに見れますので、一か所に固まらないで下さい」的なことも言っていた。そのアナウンスもこういった展示会では恒例だ。でもその後ろから見るっていうのが出来ないから最前列に並ぼうとするんだって。別の展示を見てからまた戻ればいいと言うけど、人の波から外れると、そこから前の展示に戻るには人の波を逆行しつつ、割り込まないといけない、結構ハードで疲労する動きなのだ。やりたくてもやれないのだ。という客の気持ちも汲み取ろうとしない係員のアナウンスが、今回はいつもに輪を掛けて鼻に付いた。みんな分かってんだよ。分かってて出来ないから仕方なくやってんだよ。それを正論の上っ面だけを切り取って無遠慮に言葉として投げかけてくるのは本当に腹が立つ。

とにかく人が多すぎた。無秩序過ぎた。自由に動けず、他の客にストレスを感じ、係員にもストレスを感じ、結局この空間そのものに嫌悪感と徒労感を抱き、だから肝心な人体に関する知識や知恵もそこまで頭に入って来ず、ゆえに理解も乏しいまま、漠然と全体像だけを追った展示会だった。

嫁は「面白かった」という。確かに面白かった。テーマ的には。だけど展示会に満足したかと言われれば、不満ありまくり。ここまで心が逆立った展示会も久しぶりだった。
 
 
■上野公園はいつでも催し物がある
ストレスの多い「人体展」をようやく終えると既に夕方の16時。2時間くらい見学していたのか。疲れた。そして腹減った。アメ横界隈の飲み屋にでも飲みに行くとしよう。

その前に、上野公園の噴水前広場でやっている催し物を少し見学。この噴水前広場は一年中何かしらのイベントをやっているから飽きない。今回は、「さつきフェスティバル」と陶器市?みたいなイベントをやっていた。

「さつきフェスティバル」に飾ってあるさつきは、どれもが色鮮やかで、中にはピンクと白とが混ざった特殊配合ぽい花びらを持つさつきも多く見られ、栽培者の熱意が伝わってくる。花絡みのイベントに来る年齢層は高めになりがちだが、基本的には全年齢対応と言っていいだろう。花は綺麗だから。年齢に関係なく等しく人の心を打つ。それが花というもの。

そのさつき達の中で、一際見事なさつきが展示されている。見れば、「最優秀賞」と書いてあり、何かしらの賞を取ったさつきと判断できる。その最優秀賞のさつきの前では、年配の男性1人と女性が2人、カメラマンに記念撮影をしてもらっていた。栽培者とその家族だろうか。そう思い、彼等が記念撮影を終えた後、そのさつきを鑑賞していた。

すると、その記念撮影3人組の中の1人の女性が、「このヒト、このさつきを栽培してるヒトなのよ♪」と、俺に向かってかなり馴れ馴れしそうに話し掛ける。やはりそうだったか。「マジすか、スゴイすね!」と俺はまず笑顔で返しておいた。実際、ここまで見事な栽培をするのはすごいと思うし。

栽培者当人と紹介された初老の男性は、「大したことないですよ」と照れ臭そうに笑いながら、満更でもない表情をしている。やはり、自分が育てた花を称賛してくれる相手が居るのは嬉しいのだろう。花でも作品でも、何でもそうだ。支持してくれる相手が現実に目の前に居る。応援してくれる人が実感できる。それは力にこそなれマイナスいはならないはずだから。

そして男性は結構お喋り好きだった。どうやって育てるのか、ここまで綺麗な花を咲かせるのに何年くらい掛かるのか、鉢はどこで買うのか、など思いつくままに質問してみた俺だけど、その質問に一つか二つ豆知識を追加する形でレスポンスしてくる。嬉しそうな顔で。何かずっと喋っていたそうな感じだ。向こうで嫁が待っていたので5~10分程度話してからその場を離れたが、男性は終始嬉しそうだった…。

そんな俺の対応に対し、嫁が「あんなに話を聞いてあげちゃって、優しいねーw」と半ば呆れ気味に言ってきたが、既に老人に差し掛かった年齢の男性が見せる、少年のような瞳と笑みを見せられたら、そんな簡単には引き下がれないだろうな。いや、引き下がってはいけないのだと、ロマンある人間なら分かってくれるはずである。

とりあえず色々聞いたところ、このさつきは100年とか200年ものらしい。樹齢200年くらいのもの樹木に、新しい枝を継ぎ足ししたり、という感じか。その男性の父親から譲り受けたさつきだそうだ。その父親も、さらに彼の父親から譲り受けて。代々伝わるさつきの樹木だという話だったと記憶している。なかなか壮大な話。そしてロマンに満ちた話ではないか。

また、今回は5月に展示されたが、5月にちょうど見事な花を咲かせるために1年前くらいから調整しながら育ててきたとか、そんな話も確か聞いた。愛情がなければできないことである。色々とためになったとも言える。

ふと立ち寄った「さつきフェスティバル」で、ふと短い会話を交わした初老の男性のことを、俺は後々まで忘れない。

もう一つの陶器市では、六角箸を土産に買ってさっさと終了。アメ横の飲み屋へと繰り出す。時刻は既に16時半に差し掛かっていた。
 
 
■アメ横の活気と飲み屋の群雄割拠
アメ横は相変わらずスゴい人だ。しかし花見時期などのピーク時ほどでもない。それでもメイン通りや立ち飲み屋が乱立するエリアの人の行き来はすさまじい。そんな中、外に椅子を出して飲むから、いいのだろう。その「いかにも上野」という雰囲気がいいのだろう。大統領をはじめとする立ち飲み屋群は今日も大盛況。

そこから少しだけ離れた「活鮮市場」の弐号店で今日は飲んだ。外に椅子は出せないが、刺身をはじめとする魚料理が非常に美味い。店も出来たばかりらしいので綺麗。そこで美味い魚を食いながら、TVで大相撲夏場所千秋楽を見物しながら上野の楽しい飲みを終えた。鶴竜、優勝おめでとう、と…。
 
 
■温泉と再度の大相撲視聴で締める
上野の後は、西新井温泉でしっかり汗を流し、飲み過ぎた酒の酔いも覚まし…。久々に岩盤浴を受けたからか、汗が異常なほど流れたのは計算外。しかし腰痛が酷くなっているのも計算外。次の鍼治療まで何とか持たせなければ…。

帰宅後、酒を飲み菓子をツマみながら、今日飲み屋で見た大相撲夏場所千秋楽の全容の録画した分を全て最初から見ていた。栃ノ心は大関確定。優勝した鶴竜は白鵬よりも安定感を備えつつある。阿炎はあと一歩だがまあ良くやった方。豪栄道と高安は本当に不甲斐なく、もう鶴竜、栃ノ心の時代到来でいいんじゃないかと思った日曜日の夜のこと。自分自身の時代はいつ来るのだろうか、本当に来るのだろうか、とも思った夜のこと。

いつもより結構酷めの腰痛と、時代に取り残されそうな不安感とでなかなか寝付けない俺は、初心に返る意味もこめたのか、本棚にある「ぼくの地球を守って」を取り出し、読み出した。なぜまた「ぼく地球」を。転生して今度こそ生まれ変われということか。

何だかんだと「ぼく地球」はいつ見ても、何回読んでも名作だが、そのせいで午前4時まで夜更かししてしまった。これで月曜の仕事は居眠りとの戦いが確定だ。分かってるのに、つい夜更かしする悪い癖。地球を守るより先に、ぼくの睡眠時間を守ってと言いたくなる。

20180506(日) GW最終日は亀と一緒に近所ぶらり旅 梅島~北千住~亀有~西新井

【朝メシ】
・家/アイスコーヒー

【昼メシ】
・亀有/マクドナルド(ビックマック、ペプシS)

【夜メシ】
・家/トンカツ弁当、焼きソバ、冷奴、ビール、メロンパン(柏土産)、ラーメンスナック

【イベント】
ベルモント公園、北千住、鍼治療、西新井温泉、孤独のグルメ 荒川区三河島麻婆豆腐専門店「眞実一路」視聴

【所感】
■GW最終日の朝は穏やかに
瞬く間にGW最終日が到来。嫁は仕事があるので早起きしていた。しかし俺は、そこから2時間ばかし遅れて目が覚めた。時間に対する意識、認識。それが休日だとどうしても甘くなる。

まあ他の人間も大体はそんなものだと思いたい。仕事がなければ緊張感を保てない。明確な目的意識がなければ楽な方へと行きがちで、何かに縛られていなければ瞬く間に堕落する。それが人間の性であると…。人間という生き物に対する諦観と、嫁に対する申し訳なさとを持ちながら、朝のアイスコーヒーをすすり、シックスパッド腹筋運動やストレッチを何とかこなし、仕事に出て行く嫁を見送った。

■地元で過ごしたGWとその記憶
それにしても、今年はまとまった旅行や帰省とか、それなりの遠出などがないGWだった。ほぼ地元か、移動してもせいぜい数十キロ~五十キロ圏内の都内。地元中心に長期休暇を過ごしたのは多分ここ10年で初めてじゃないだろうか。新鮮でもあり、何となく寂しい気分でもあり…。しかし今後これがデフォルトになるだろう。

一方で、今回のGWを終えて強く思ったこともあり。結局のところ、重要なのは何処に行ったかではなく、何をしたかでもなく、何を感じ、何を獲たか、本質的にはそこに行き着くのだと。そのために時間を使ったという実感なり手応えなりを感じられたのなら、それに勝る過ごし方はないという再認識というか、確信のような気持ちもあった。まあ長期休暇だけに限らないが…。

その感覚を得られるのならば、場所は関係ないし相手も問わまい。何故なら、何処に行こうが、何をしようが、どうせ数日もすれば殆ど記憶から消えるからだ。人は、驚くほど過去のことを殆ど覚えていられない。詳細に再生し直せない。

無理もない。事実そのものは「過去あった事実」として処理され一旦記憶の引き出しに入るけど、その引き出しも反復して出し入れしないことには錆び付き機能しない。そして、一旦締まった引き出しを再度取り出す機会も殆ど訪れない。ただ奥へ奥へと押しやられ、二度と日の目を見ることもないだろう。

それも止むを得ない。人は毎日を生きているから、常に頭の中は最新の情報で塗り替えられ続ける。目まぐるしすぎて昨日のことすら思い出せない。ましてや1週間前、数ヶ月前、数年前にあった「事実」など、どうして今さら引っ張り出せるだろう。「そんなこともあったな」レベルで終了だ。必要とするのは過去あった事実でなく、「そこで得たもの」だ。その「得たもの」こそが自分自身を形作っている。

そう考えた時、果たして俺はこの延べ7日間のGWで何か得られただろうか、とつい自問自答してしまう。これをいい機会だと思い、自らを練磨しようと意気込んだはいいが、結局何も得ていないような、気がする…。

行く場所よりも、した内容よりも、やはり重要なのは事に臨むにあたっての心の姿勢。よーく分かった。改めて認識した。

が、今さら思い返しても仕方ない。GW最終日を割り切って、亀達(ぬいぐるみ)を連れて午前中から活動することに決めた。

■薔薇の見頃に間に合う
今回はお供として2人の亀、いつでもどこでも帯同している亀吾に加え、嫁から預かった亀六も連れていきつつ家を出た。

駅を目指す途中、足立区屈指の公園「ベルモント公園」に寄ってみる。花が、特に薔薇が綺麗だった。ベルモント公園は、地域住民にとって数少ない憩いの場であると同時に、やさぐれた足立区に似あわず花の育成に力を入れる稀有な場所だ。赤々と咲き誇る定番のアンクルウォルターの他、多種多様な薔薇達が晴れた青空によく映えていた。花好きの亀六も嬉しそうだ。目をキラキラさせている。それを眺める俺もまた嬉しい気持ちになる。。

この世に美しいものは数多く存在するが、やはり自然の美しさに勝るものはそうあるまい。中でも花は、色彩の豊かさで群を抜く。そのみなぎる生命力で鑑賞者の心を躍動させる花もあれば、可憐な佇まいで見る者の愛でる心を育む花もある。花の訴え方は千差万別。だがどれも美しい。気が遠くなるほどの昔から、人は花を見てきたはず。その悠久を経て埋め込まれた遺伝子は消えることなく現代まで紡がれて、だから人は花を前にするとただただ心を奪われるに違いない。

だから、その花々を大切で重要なものだと位置付けるベルモント公園は優秀だと言えた。

■北千住
駅を出て北千住へ。とりあえず界隈をブラつくことにする。何は無くとも北千住。困った時はとりあえず北千住。それが多くの足立区民にとっての統一見解でありマイルールというものだ。北千住に来て何もないなんてことはない。足立区随一かつ唯一の一大タウン・北千住は民達の期待を裏切らない。

買い物ならマルイとルミネの二大巨頭で大体のものは揃うし、独自路線を行く商店街も魅力的。カフェも多く時間潰しにはもってこい。飲食店にしても、ファストフード店から本格派まで多数擁立。飲み屋も多種多様な店が群雄割拠し、昼飲みできるところも枚挙に暇がない。遊びたければビッグエコー、カラ館、あるいはマイナーな歌広や、歌うんだ村改めカラオケファンタジーなどで声を張り上げるも良し。コンサートホール、ピーアーク、ビックリヤを始めとする微妙なパチ屋で修羅と化すも良し。少しアダルトな雰囲気な店でオトナ気分を味わうのも悪くないだろう。宿場町に相応しく、公園や寺などの史跡も案外なくはない。疲れたら近くの銭湯で汗を流せば問題ない。とにかく歩けば何かに当たるのが北千住という街。だからこそ、ふらっと立ち寄ってしまうのであった。

とりあえずコンサートホールでマイジャグラーを少し打った。しかしどうも調子が乗らず、気も乗らない。買い物するような気分でもないし、街を歩いても体力と気力を消耗するだけだと判断した俺は、さっさと退散して亀有に向かうことにした。夕方から鍼治療を受ける予定が元々あるのだ。

にしてもGW最終日だからか、やけに疲れる。それほど疲れることをしてないはずだが、動きも思考も鈍い。そういう時は、根を詰めない方が得策。鍼を受けて、風呂に入って、マンガでも読むのが吉だろう。「北千住に行けば何とかなる」という前言と矛盾するようだが、自分的に北千住の光景は見慣れすぎてしまっているため、少なくとも駅周辺で目新しい何かを得られる感じはしなかった。少なくとも今日は…。

■店と客、多くは一期一会で決まる
宿場町通りからの細道を通って駅に戻る途中、ビストロ「2538」の建物がふと目に入る。域内に2店舗、いや3店舗だったか多店舗展開する有名店で、今や押しも押されぬ北千住の顔の一つだ。7~8年前に一度食ったが、確かに料理は美味くて良い店だった。

が、現在俺はこの店の入口をまたぐ気が一切しない。2年ほど前、友人とここに入ろうとした時、店員に「今、空いてる席がないんですけど」とあからさまに面倒臭そうな顔で言われたことがあるからだ。確か当時、テーブル席を希望したか? 忘れたが、店内を見るとカウンター席どころかテーブル席も相当空いていた。なのに空席無しとはどの口が言うんだと。カウンター席なら座れますがとか、時間柄なのか何なのか知らないがテーブル席を開放しないならしないでその理由をハッキリ言えばいいものを、ただ「席が空いてない」と、俺等が店内をじっくり見ている姿が見えているはずなのに、それでも言い切った店員の姿勢にこの上ない不快感を抱いたのを今でもよく覚えている。普段温厚で下手に出る友人があからさまな嫌悪顔で「もう二度と来ねぇよ!」と捨て台詞を吐いていたから、相当キレていたのだと思われる。

とにかくそういう記憶があるので、2538には二度と行かないことにしている。別に俺等が来なくとも、人気店だから客なんて幾らでも訪れるだろう。少なからず店舗側もそんな気持ちはあるはず。だが、その思い上がりこそがますます気に入らない。

今の店員に、そんな対応をする者は恐らくいない気がする。7~8年前に初めて訪れた時の店員も、正直好感度は高かった。しかし2年前に俺等が会った店員はそんな対応をした。それで十分行かない理由になる。たった一回の不味い接客、いやもしかするとたった一人の店員がやった不味い接客だったのかもしれない。しかし客にとってはその一回が全てであり、その一回で評価が固定する。悪い場合、その一回で二度と来なくなるどころか、情報の伝達と拡散が異常に早い現代社会だと最悪店を潰されるレベルにすら達しうる。売る側はもっと心に留めておいた方がいいだろう。

ホテルにしても、飲食店にしても、口コミ評価が一方向には決してまとまらない理由もそこだろう。「スタッフがすごく丁寧」という評価が大半の中、「スタッフの態度が最悪」と水を差す口コミが突然出てきたりする。別に妬みや悪意とかではなく、その口コミを放った客が10人中1人だけ不味い対応をするスタッフにたまたま当たったからという可能性は大きい。または。普段は態度良好なスタッフだが、たまたまその日の虫の居所が悪く、客にぞんざいな態度を取ってしまった時にぶちあたってしまった客なのかもしれない。だが客にとってはそれが全てであり真実であることは言うまでもないし、その一期一会から出た気持ちに異論もあまり挟めない。

という話を以前、嫁としたことを思い出した。不味い対応をした本人はただ1人の客が来なくなるだけなんて甘い考えでいるかもしれないが、そんなものでは済まされない。店に大損害を与えかねない所業なのだと。所詮、接客とは人が全てなのだと。「接客業をやってます」などと誇らしげに自分で言っても、それがイコール接客のプロという意味では全然ないし、接客の適性があるという意味でも全くない。偉そうに言うヤツにほど、「偉そうに言うな」と言ってやりたいところだ。

とにかく俺は、「2538」には行かないと2年前から固く固く決めている。

■亀有のマック
北千住から亀有に移動する。千代田線に乗る乗客はそれなりに多かったが、亀有駅周辺には人通りがあまりない。GW最終日の夕方にそこまではしゃぐヤツもそうは居ないと思うが、いつになく閑散とした雰囲気ではある。

とりあえず、予約している鍼治療までまだ大分時間があるので、暇潰しも兼ねて北口駅前のマクドナルドに入った。

そのマック1Fのカウンターには結構客が居る。しかし若い連中ばかりだ。それもちょっと若い程度じゃなく若造、小娘の類。まず間違いなく俺が一番年上だと確信できる。この圧倒的年上感、ツバメの巣に一匹だけカラスが迷い込んだかのような居心地の悪さがある。若いのはエネルギーを持て余しているのに、そのパワーの持って行き場を見つけられないというケースも多いだろうから、この類の店にたむろう。街灯に引き寄せられる虫のように…。

その尽きないエネルギーや瑞々しさが羨ましくもあり、反面その気楽そうな顔が許せなくもあった。そう考える内に、理由もなく喧嘩を売りたい気分に少しなる。どう考えても自分の方が病んでいると我に返った俺は、カウンター前に並んでさっさと注文することにした。2つ前の小娘はシェイク1本頼んで終了。このガキ舐めてんのか…。

いかんいかん。頼み方は人それぞれ。俺は俺で欲しいものをオーダーするだけだ。夜に腹いっぱい食うつもりなので、ここは控え目に。ポテトもナゲットもやめておいて、バーガーとドリンクS程度にしておくのがベター。バーガーはやはり、オキニの「てりやきマックバーガー」か。しかしてりやきソースが何とも不健康な気もするし…。気付けば店員に向かって「ビックマック一つ」と口に出していた。

だが瞬間、しまったと思った。同じサッパリ系でも、せめてフィレオフィッシュあたりにすべきだったと。だが時既に遅く、頼んだビックマックとペプシSは、今まさに目の前に差し出されたところ。この手の「一瞬の迷い」がもたらす心のダメージは意外と大きいことを明記しておく。

トレーを持って客席の2階に上る。が、2階は何となく客が多そう。チラ見すると、予想通り結構客が座っていた。到底ゆったりできそうもない。2階はスルーし、さらに上の3階へ歩を進める。3階の客は、これもまた予想通り少な目だった。人数としては総勢10人程度か。これなら十分くつろげる。

にしても、こんなに空いている3階なのに、そこまで上らずイッコ下の2階で妥協するとは。階段を使うのが面倒臭いのだろう、きっと。そういう行動を繰り返す内に怠け癖が身に付き、いずれルーティーンとなって、身体がみるみる衰えていくのだ。20年後にはもうメタボオヤジと弛み女子、いや樽み女子の出来上がりだ。せいぜい今の内にみなぎる若さを謳歌し、苦労知らずの新陳代謝を堪能しておくがいいさ、未来の仲間達よッ…!

その人気の少ない3階の、窓際に近い4人掛けのソファーに俺は陣取り、昨日本屋で買ってきた「バチカン奇跡調査官」の最新巻の続きを読み耽る。やはりこの手の場所は読書が進むというか、読書くらいしかすることがないな。他にすることと言ったら、勉強か、1人でなければお喋りか。

奥では多分勉強しているのか、ペンを持って食い入るようにノートに何やら書き込んでいる若いのが居る。何を勉強しているのか知らないが、目が相当近い。顔が机にめり込みそうだ。なぜ人は、息が掛かるほどの近さで文字と瞳との距離を縮めようとするのだろうか。

正面の一番離れたテーブル席を見ると、若造3人が結構でかい声で楽しそうに喋っている。学生か、高校生には見えないので大学生か、それともそこらのフリーター集団か。とにかく笑い方が下品というか、それよりも使う単語が結構下品。汚い系とか卑猥系のキーワードを他人に聴こえるような場所で、他人に聴こえるような声で喋る人間の神経が俺には未だに理解できないし、理解できないゆえに問答無用で殴りたくなる。そう思えば思うほど、若造等の顔が思慮の欠片もなさそうなマヌケ顔に見えてくる。本能的にこの種の人間は無理だと再確認した。

その3人集団と数メートル離れた窓際のカウンターに、女子が1人、いやよく見たらもう1人か、静かにウフフと会話する女子が居た。多分20代前半、服装や見た目から清楚系か。その落ち着き払った雰囲気は学生ではなくむしろ勤め人、OLが放つもの。その清楚系OL風女子等に聞こえるように、さっきの若造3人グループは叫んでいるのだろうか。一体何を狙っているのか。逆効果でしかないし、だが若造にそんな思慮深さがあるはずもない。OL2人は外の雑音など全く耳に入っていないかのごとく平然と会話している。本能的に、この種の人間を自分は好ましく感じると再確認した。

そんな勝手な俺の分析、思い込み。真相を知るのは当人のみだが、こういったファストフード店にしても、カフェにしても、何時間も滞在してホントみんな何をやってるんだろう。何を思い、どういうつもりでこの手の場所に来てるんだろうか…。喫茶店に来るたびに、マックやファミレスに1人で入る度に、そんな考えが頭を過るのだった。

あと、あまり関係ないが、亀有駅前のマックは少し前まで喫煙できたはずだけど、今では完全禁煙なんだな。場末の梅島に続き、下町の亀有まで煙草厳禁とか、小池都知事進める喫煙者根絶作戦の前準備にしても性急すぎる。これら場末や下町こそが最後まで抵抗すべきだというのに。

それともこれがマックの基本方針か。そうなのだろう。やはり若い人間向けの店舗というか、煙草を吸う大人は来なくていいよと宣言されているも同じ。大人の方がガッツリと金を落とすはずだし、長居もしないから回転率も上がると思うのだが、先に排除するのはまず大人というのがマックの戦略なのだろう。だからマックには特に一人だと入り辛いし、それでもハンバーガーは食いたいから、必然テイクアウトに偏るに違いない。

勝手な思い込みかもしれないが、今やマックに入るのも一苦労であった。

■鍼治療
マックで時間を潰した後、鍼治療に向かう。行く前に地元のパチ屋「アカデミー」内のソファーに座っていつものように一服したのだが、ここもまた客が閑古鳥だ。GW最終日なんてのはどこもそうなのかもしれない。まあ客が多かろうが少なかろうが、店員が俺をシカトしようがジト見しようが、いつだって俺は威風堂々と煙草を吹かすがね。偉そうに。常連であるかのような態度で。一度も打ったことないけど。

鍼治療については、打った後は大分楽になった。GW後半、飲みとかスロで座りっ放しだった時間が多かったから。ロクな運動もしていないし。「適度な運動を」というアドバイスと共に先生は、昨日酒をたらふく飲んで施術の途中で寝てしまった俺に対し、「早めに寝て下さいねw」と釘を差してくれたのだった。その助言を守らないから治癒ペースが遅くなる気もしなくはないのだが、まだ夜は長いので。何より温泉に行きたいので。

居ても立ってもいられなくなり、そそくさと西新井温泉に向かった。

■西新井の唾吐き爺ィ
西新井駅に降りた俺は、まず駅併設のショッピングセンター「トスカ西新井」の3階入口すぐにある保険会社アフラックブースに座っているアフラックアヒルのところへ赴き挨拶する。このアフラックアヒル、首が曲がっていて可哀相だが、亀六のお気に入りなので西新井温泉に来た時には挨拶は欠かさない。このちょっとした交流が心を癒すものだ。

そして西新井温泉へ入った。デイリーストアの外のベンチで、酔っ払った爺ィが何やらわめきながらずっとペッペッと唾を路上に吐きまくっていた光景が大層不快だったが、この手合いは酔っ払ったフリをしながらも誰かに構って欲しいという本心が実はあるはずなので相手にすると余計にこじれるのが分かっているから、そこに誰も居ないかのように振舞う完全シカトこそが最も効果的。正直、関わりたくはない。

一応、唾を吐きかける行為は暴行罪に該当するようだ。服に掛かったりしたら器物破損にもなるとか(クリーニング代を請求可能)。そこまでするかどうかは別として、そういえばこの爺ィ、半年ほど前にも見たことある。その時もデイリーストア前のこのベンチで、同じように唾を吐きまくっていた。こりゃ確信犯的な人恋しい爺さんか、あるいは世間が憎くて憎くて仕方ない、誰でもいいから他人に何か害を為してやりたい、不快な思いをさせたいと、ただただ世の中を憎悪する狂人爺ィか、そのどちらかだろう。

こんな爺ィがいるのだから、まったくもって西新井という場所も侮れない。足立区が外から被る悪名に恥じない掃き溜めの宝庫ではないか。

■温泉で漫画
気を取り直して西新井温泉に入る。サウナで汗を流し、湯船に使って、その湯船の中でストレッチをして、十分に温まったところで一旦着替えて上階の休憩所に行って漫画を読む。いつも同じパターンだ。

その漫画にしても、現行巻を一通り読了した「キングダム」をまた1巻から読み始めたので、いくらでも時間潰しが出来る。まだ読んでない漫画も結構置いてあるが、「キングダム」クラスの面白さならば2回読んでも無駄にはならないだろう。

しかしまあ面白いもので、1回目に読んだ時は河了貂がどうみても男の子にしか見えなかったのに、一旦女だと判明してしまってから2回目を読むと、1巻から既に河了貂がどうみても女の子にしか見えない。なぜ俺は1回目の時、河了貂が男だなどと思い込んでいたのだろうと、過去の自分が信じられないほどに、「河了貂=女」の図式が固着してしまった。最初の思い込みを打ち壊され、新たな固定観念が植え付けられたわけだが…。

前情報というのは有意義であると共に、使いようによっては極めて危険で恐ろしい。人を思いのままに操れる、人に思いのままに操られる、ということだからな。偏見は持たず、一旦確定した情報でも、それが正しかったとしても、出来るだけニュートラルな心を保ちたいところだ。

■夜メシは気分によって
温泉で寛いでいると、仕事中の嫁から「そろそろ帰る」と連絡が入る。いつもよりかなり早い営業終了だが、客があまり来なくて暇すぎたので早めに店を閉めてしまったとのこと。GW最終日、また日曜の夜というのはそういうものかもしれないが、客が来ないという事実は店に立つ側の人間にとっては不安でありストレスの溜まることだろう。他の日に客が舞い込むことを祈る。

メシを何にするか。嫁はいつも職場で昼メシをがっつり食べるので夜は腹が減らない。必然、夜メシを食うのは俺のみとなるが、風呂上がりはどうせ1人なのだからと、西新井のラーメン屋「ど・みそ」あたりに寄ってみそオロチョンでも食うか、と最初考えた。

が、嫁が早めに帰宅するなら話は別だ。何か買って家で一緒に食う方が良い。最近、嫁と食卓を囲むことが殆どない。俺が先に帰宅し1人メシを食うというサイクルが基本だ。そのまま嫁が帰る前に寝てしまうケースすらある。だから今日のような日は、少しでも家で食うのが望ましい。実際食うのは俺1人かもしれないが、目の前に誰かが居るという状況だけでも景色や気分は随分異なるものである。

当たり前だと思っていた風景、恵まれた環境、心地良い空間、人、相手…。慣れすぎるとその貴重さをついつい忘れがちだ。忘れるといずれ座標軸を見失う。座標軸とは、自分自身の成り立ちそのものだ。気を付けなければならない。

というわけで俺は、風呂上がりは何処にも寄らず帰宅することに決定。一方、嫁は駅前のスーパー「東武ストア」で弁当など俺の夜メシを調達してから帰るとLINEで連絡があった。その際、何か食いたいものはあるか?と問われて一瞬戸惑ったが、すぐに「天ぷら弁当」と答えた。

■誰にでもお気に入りの弁当が
東武ストアの「天ぷら弁当」。正式名称は「初夏のよくばり天重」と言う(最近知った)。初夏、と謳っているが、覚えている限りでは通年で売っていたはずだ。いずれにせよ、自分の知る限りコスト面、人気面、美味しさ、全てにおいてトップクラスの弁当だと考える。リーズナブルな割に美味くてオシャレということだ。

リーズナブルさは言うまでもない。売価は覚えている限り380円とかそんな感じ。その値段で、豪華天ぷらが多数付いている。そもそも天ぷらという時点で他の肉系弁当や魚系弁当、海苔弁などとは一線を画すのは言うまでもなく、その存在感は気品を漂わせる。つまりオシャレということだ。

何より美味い。この『味』こそが一番重要な部分だが、「初夏のよくばり天重」は、天ぷらご飯のクオリティを左右する根幹と言われるタレが絶妙な味付け。それは店で食う美味しい天丼のように美味い。そのタレに浸された天ぷらが、カラカラに乾いているわけじゃなく、逆にベチョッと水っぽいわけでもなく、ほどよい湿り気とタレの染み込み具合で米と良い感じで絡み合う。

とにかく安くて美味くて見栄えのいい弁当と言えた。

それもそのはずというか、この「初夏のよくばり天重」は、俺が東武ストアに通い始めた頃から既に店に置いてあったはずで、逆算すれば10年を優に超えるロングセラー弁当となる。それも十分に納得できる話だ。当時から「初夏のよくばり天重」は、東武ストアの弁当コーナーの中でも一際異彩を放っていた。

つまり客から支持されている。昔から今に至るまでずっと…。それイコール『美味い弁当』と結論付けても問題ないだろう。ステマや過大な広告など使わずとも、日々客が買っていく。見込みや願望ではなく実需で必要とされている。コロコロと商品が入れ替わる弁当界において、ずっとレギュラーで居続ける。それだけで既にレジェンドクラス。俺個人としては、「東武ストア史上最強のセンター」であると言い切れた。

■消去法
ただ、嫁が東武ストアに寄ったところ、肝心の「初夏のよくばり天重」は置いていなかったと連絡が入る。売り切れたのか、季節柄作っていないのか、良く分からないが俺が出鼻を挫かれた格好には変わりない。続けて嫁は、他の弁当ならば数種類あるので、その中からどれか選ぶようにと写真付きで依頼してきたが、これもまた非常に悩ましい。

「キミに決めた」と最初から本命に決め打ちしていた場合、その本命以外はどうでもよくなる。次点とか2番目とか、その先やまさかの場合のことを考えなくなる。だから、そのまさかが起きると思考が止まる。何も出来なくなる。思考が止まると、「何も要らない」とちゃぶ台自体をひっくり返すという根本的放棄に出るか、本命以外はどれも同じだと開き直って「別に何でもいいや」と投げやりになるか、いずれかだ。

今回の俺の場合、後者に多少近かったか。「天重じゃなければ別に何でも同じだ」と、最初投げやりになっていた。嫁は写真付きで下記をリストアップしてはきた。曰く、

トンカツ弁当、シャケ海苔弁、イカフライ海苔弁、焼鳥弁、そのあたりがラインナップとして存在する、と。

しかし、本命不在の中ではどれも同じに見える。別に何でもいいんじゃないか? 一時そう思ったのは確かだ。しかし、果たしてノータイムで選んでしまっていいものか。俺は今日、朝メシを食ってない。昼メシも、ハンバーガー一個だけで済ませた。夜メシで全てをカバーするつもりでいたからだ。ならばもっと真剣に、真摯に考えなければと考え直した次第である。

それでも、そこまで積極的な情熱を絞り出すことが出来なかったので、消去法で考える。トンカツ弁当と焼鳥弁は肉系、シャケとイカフライは魚介系。元々天重を食うつもりだったから、順当に行けば魚介系を選ぶべきだろうが、何しろ朝も昼もあまり食ってないので腹が減っている。さらに温泉で汗も流した。水分も油分も足りなくなっている。

となれば、ガッツリ腹に溜まり、「食った」という満足感がより大きそうな肉系弁当の方がいい。さらに肉系の中でも、トンカツ弁当の方がボリューム感も食いでがあり、味が濃くて脂を使っている感がある。

結論は出た。俺は「トンカツ弁当でヨロシク」と嫁に返信し、西新井温泉を後にした。

しかし温泉を出た頃から雨が降り始めた。霧雨や小雨程度ではなく、意外と強い降り。天気予報でそんなことを言ってたか? どのみち傘は持ってきていない。かと言って新しく買うのも無駄すぎる。仕方ない。濡れて帰るか…。

せめて頭だけでも雨から守ろうと、ポケットから取り出したハンカチをバンダナのごとく頭に巻き付ける。ただの薄布一枚でも結構違うものだ。緊急避難的装備を整えた俺は、自らの頭と、カバンの中で小さく震えているであろう亀吾と亀六を雨から守りながら早足で家に駆け込んだ。

■最後の夜はTVを見ながらマッタリと…
帰宅して間もなくして、嫁も帰ってきた。手にした買い物袋には宣言通りトンカツ弁当と、あと焼きそばも入っていた。なかなか腹に溜まりそうで良い。それらを温め、あとは冷蔵庫にある冷奴や納豆、もらったビールなどをサイドメニューとして陳列し、さらに食後のオヤツ用にメロンパンやラーメンスナックなどを用意すれば、いつの間にか目の前にはいっぱしの夜メシ風景が展開されていた。

それらを、嫁の今日の仕事の話などを聞きながら食う。出来合いのものばかりだが、なかなか味がある夜メシだと思った。やはり、1人で黙々と食うよりは、会話なり、BGMなり、何かしら音や刺激があった方がいいということだろう。

必ずしも誰かと食わなきゃダメとは言わない。1人でもいい。しかし無味乾燥ではない、潤いのような空気が漂っていることがきっと大事なの。その潤いは、音も色もない空間でただ1人、無言でメシを食っている状態では多分現れまい。人に触れること、人と会話すること、話を聞くこと、1人の場合なら音や色に触れること。

すなわち刺激に触れるということ、何よりそれに対して反応し、答え、考えるという行為こそが、つまり脳を使うという所作を並行して行うからこそ、メシは美味く感じるのかもしれない。そして基本的に、必要な刺激は複数の方が得やすいのは言うまでもない。とりあえず、心の中で色々なものに束の間感謝する俺だった。

そういえば、メシを食っている時、録画した「孤独のグルメ」を観ていたのだが、今回は荒川区の三河島にある麻婆豆腐専門店「眞実一路」という店が舞台だったが、三河島とはまた何てマイナーな場所を…。しかし孤独のグルメで取り上げられたら一気にブレイクするんだろうな。

と思ってTVを観たあと何気なく店を検索していると、まさしく孤独のグルメで取り上げられると決まってから、客が一気に増えたようなことを言っている人間が多い。皆、ミーハーというか…。確かに麻婆豆腐は相当美味そうだったし、食いたくなったけど。

影響されるものは色々。何がブレイクするかも分からない。だからこそ日々周囲にアンテナを張って、だけど座標軸はニュートラルに。

GW最終日はこうして終了したのであった。

20170415(土) 指折りの六本木ヒルズ「大エルミタージュ美術館展」と、屈指のミッドタウン「江戸富士」プロジェクトマッピングで六本木を気に入り過ぎた

【朝メシ】
アイスコーヒー、ヤクルトジョア(家-嫁)
 
【昼メシ】
カレードリア目玉焼き乗せ、チューハイ(家-嫁)
 
【夜メシ】
酒屋「みやび邸 一蔵(いぞう)(六本木-嫁)
マクドナルド持ち帰り グランベーコンチーズ(家-嫁)
 
【暦】
月 卯月(うづき)
二十四節気 第5「清明(せいめい)」
七十二候 清明末候(第15)「虹始見(にじはじめてあらわる)」
 
【イベント】
六本木ヒルズ・森アーツセンターギャラリー「大エルミタージュ美術館展」、東京ミッドタウン10周年記念イベント「江戸富士」
 
 
【所感】
■久々に緩慢な朝
昨日はディズニーシー帰りで深夜の帰宅。歩き回った上にはしゃいだお陰か、とんでもなく疲労した。とにかく眠かった。

その眠気は今朝起床した後も継続中。今日が乗馬休みで良かったと心底思う。こんな日に馬に乗ったら落馬は必至だ。締まりのない顔、集中力の散漫、すなわちダメな騎手。馬は乗り手の状態をすぐ見抜く。ダメな騎手は馬に舐められることを、俺等はここ1ヶ月の乗馬体験で、もう知っていた。

いずれにしても、眠気とだるさでキビキビした行動が取れない。身体の動きは緩慢、集中力も途切れ途切れ、意識の視点は定まらない。それでも何とか従来の土曜日の朝らしく過ごそうと、目覚めのアイスコーヒーを飲みながら形式的にTVを点けて「ひつじのショーン」を観賞するのが精一杯。しかし、相変わらずのティミーの可愛さに癒される内に、意識が少しずつ覚醒してきた。ほっと一息、である。

コーヒー、そしてTVというツールがいかにも落ち着いた朝のひと時という感じ。大人の休日、かくあるべし。反面、部屋に横たわって何の考えもなくコーヒーを喉に流し込んでTV画面に映る映像と音に身を任せるという受動的行為は、いかにも生産性に欠けた姿勢であり、意思力を失った者が陥る悪癖とも取れる。単純に“大人”という言葉で括ってしまうのは早計な、朝のコーヒータイム。優雅と取るか、惰性と見なすか、考え方は人次第。損間、時間だけは平等に過ぎている。
 
 
■充実したのか、させたいのか
その時間を無駄にせぬよう、午後からは大いに活動しなければならない。乗馬がない分、それに見合った充実感を得るために。この、何が何でも「充実させたい」「充実させねばならない」という強迫観念にも似た感情の正体は何なのか。

“焦り”だろう。成し遂げていないことへの焦り、成果を出せていないことへの焦り、余命に対する焦り、残された時間に対する焦りだ。時間と成果が結びつかない状態が恐怖を生み、焦りへと転じる。逆に成果が出れば、焦りの心は生じない。成果は“充実”に結び付くからだ。充実こそが心に納得と平穏をもたらす。反対に、充実しなければ焦り続けるのみ。

人の本能であり生命源とも言える承認欲求からそれは生まれる。何のために生きているのか、という問い掛け。殆どの例外なく誰もがぶち当たる問い掛けであり葛藤だ。頭で自問自答しなくとも、深層心理で常に問うている。言わずともその言動で吐露しているのだ。隠せはしない。

承認欲求は、自我を保つために必要だ。自我を保つには自らの存在意義を見出さなければならない。そのためには成果を上げる必要があるし、そこに向かって行動しなければ成果は上げらないことも分かってる。だが、行動するには見合った時間が必要。すなわち命を消耗する必要がある。人の命はイコール時間。成果を上げるためにその時間を使えてない、無駄な時間を過ごしている、残された命を無為に消費している。それが罪悪感となり、何とか払拭したいともがく。

だけど実際には動けない、動かない。そうなると一層焦燥感は高まり、気持ちだけが逸る。「充実させねばならない」と呪文のように言い聞かせるという悪循環だ。断ち切るには結局のところ動く以外にないのだけれど、動くにも色々あって、衝動から発する能動的なものもあれば、義務感や惰性でそうしているに過ぎないケースもある。その本質は、自分の心に問うてみなければ分かるまい。表層的でない、もっと奥深い部分、深層心理に問い掛けなければ。

その深層心理への自問自答をした時、先述した本来自分が望むべき成果に繋がる動きが出来ている人間は、実際のところそうは居ないのではないか。何かすることによって時間を一応埋めてはいるが、それが果たして本当に必要な行動だと、自分の望んだ道を歩くために避けては通れない途中経過なのだと、胸を張って言えるのか。その半信半疑もまた、時間を無為に過ごしているのではという疑念に繋がる。

それでも何もしないよりマシだからと、まるで追い込まれるように時間を塗りつぶしていく。明確にならない何かしらの“成果”を得るために。命の無駄遣いをしないために。存在意義を確立するために。そうすることで自我が保てるし、どこかの地点で承認欲求に繋がるかもしれない。だから今は時間を埋めるのだ。充実させたい、充実せねばならないのだ…。

という心の叫び。本来順序が逆なのだ。充実感を得たいから動くのではなく、動いている内にいつの間にか充実感を覚えていた、というのが自然であり最良のはずだ。そうは思っていても、現実問題、時は刻一刻と過ぎ去る。ロシア人哲学者のように永遠に考え続けるより、やはり身体を動かした方がベターだろう。

だから今日も動くのだ。閉じ篭らないよう。外の空気を吸うために。そこから情報を掻き集めるために。知見を得るために。見聞を広めるために。その選択が正解なのか、的外れの勘違いなのか。死ぬ時になれば否応なしに答えは出る。だけど、死までに残された時間を埋めていかなければ検証すら出来まい。検証するのも、検証対象も自分自身に他ならないということを肝に銘じるべし。

他者の批判はしょせん無責任なもの。自分に対してのみしか正しい批判は下せないのだ。自分自身にしか責任は負えない。過去、現在、未来、その間に亘る膨大な言動も選択も、誰が何と言おうと自分だけのものである。動かなければ自分自身の批判すら始まらないからこそ…。
 
 
■か細い雑草にも生じる検証と充実
ふとベランダに置かれた鉢植達を見る。去年秋頃から趣味的に育て始め、現在キキョウ、デンマークカクタス、ヒヤシンス、ミニバラの4種類を生育中。全て枯れてしまったが、枯れるべき季節に、枯れるべくして枯れたので問題はない。

重要なのは、むしろその後。花の枯れてしまった鉢植えに、水や、たまに栄養を与えている。花は一回で消滅するにあらず、翌年も咲くからだ。種類によっては何年間も同じ場所に咲き続けるものもある。

その中で、キキョウの鉢植えに、小さな何かが生えている。1センチくらいの細長い緑の草が1本、焦げ付いたような茶褐色の土からチョコンと顔を出していた。これはキキョウの新芽なのか。キキョウの二世代目が遂に息吹いたのか。それともただの雑草か。道端に無限に生い茂った名も無き草木達と同じ、取るに足りない草なのか。

その1センチ程度の若草が生長すれば、答えは自ずと出る。だが、雑草の可能性を孕んだ上で、それまで何もしないことこそ無意味。いつものように水を遣り、たまに日光に当て、今までと変わらず育て、愛でていく。これも時間の有効な使い方と言えるのではなかろうか。まさしく、先ほどから何度も述べている“充実”だ。

キキョウの第二世代であれば喜ばしいこと。だけどたとえ雑草だったとしても、俺達が時間と手間を掛けて育てた草であり、何物にも変えがたい。別に計ってそうしたわけじゃなく、いつの間にかそうなっていたのだと。この自然発生的な気持ちこそが“充実”。後から振り返ってそうだったと腑に落ちる気持ちこそが…。

だからこそ、まずは後で振り返るために。振り返る材料を得るために、外出。天候は晴れだが少しずつ微妙な曇り空へと変わっていく。天気予報は多少の雨が降るかもしれないと。しかし外に出られない天気ではない。

久しぶりに訪問販売に来たヤクルトレディからヤクルトジョアなどを購入し、昨日のディズニーシーで最後に寄ったアラビアンコーストのアトラクション「シンドバッド・ストーリーブック・ヴォヤッジ」のYoutube動画を探して昨日の余韻に浸ったり、再びTV番組を見たり、気付けば昼の1時半。結構ダラダラと過ごしてしまったが、まだ日中は始まったばかり。十分挽回できる時間帯だと分析し外に出た。最終的に間に合えばよかろう、なのだ。
 
 
■ベルモント公園のハイクオリティたる所以
駅に向かう途中、ベルモント公園に寄って花観賞。同公園は狭い敷地ながら、区役所に近い立地条件もあって地元住民から重宝されている。オーストラリアのベルモント市と提携している関係上、園内もオセアニア的で南国風な洒落た造型だ。とても足立区とは思えない。

その国際的な風情を見込んでか、十数ヶ国の在日外国人達が一堂に会して歌やダンス、露店などで盛り上がる一大イベント「あだち国際まつり」の開催地として、ここベルモントが毎年選ばれている。この点から、国際色に富むという点では足立区随一。いや、足立区で「国際的な公園」といえばもうベルモント公園以外に存在しないとまで言える(俺調べ)。同園がいかに重要か。足立区における確固たるポジションを確立している。

ただ、そのポジションは、重要イベントを任されるという一側面だけで築き上げたものではない。「国際派公園」と両翼を為す、ベルモント公園のもう一つの顔。それが「園芸に力を入れている公園」という顔だ。

まずベルモント公園は、足立区でも有数のバラ園として名が高く、春から冬までほぼ一年中何かしらのバラを鑑賞することが可能だ。四季折々に咲くバラは鮮やかで、時に儚そうで、しかし例外なく美しく、公園を行き来する者達の目と心を日々楽しませている。ここのバラを見るためだけに訪れる人間も居るだろう。花弁に食い込むほど顔をバラに接近し写真撮影している人間をよく見かける。ここのバラは、規模や本数だけでは語れない。育てる者の情熱が滲み出たかのような魅力がある。

その情熱は、当然バラ以外にも注がれる。同公園では季節に合わせて多種多様の草花が育てられており、一年を通して花を見ない日はないほどだ。元々、掃除や芝生の整備など職員の管理もしっかり行き届いたベルモント公園はゴミや汚れも少なく、自然観賞には持って来い。木陰にレジャーシートを敷き、四季折々の花々を眺めながら、持参した弁当を広げる…。この上ない幸せだ。近所の者は、そうじゃなくとも一度試してみることをお勧めしたい。敷地は狭いけど。

その四季折々の花模様が展開される一年。その序章であり、最も明るく温かく鮮やかな花が咲くという春の季節。その春の花の代名詞・チューリップが、ここベルモント公園に咲いていた。壇眩しさで目を細めてしまいそうなほど鮮やかな、赤と黄色の輝きを放ち。太陽のエネルギーを吸収したかのように明々と、堂々と、生命力に満ち溢れるその姿で咲き誇っていた。

何故こうも美しいのか。なぜこうも元気一杯なのか。見ている方も元気になるチューリップは、まさしく春の代名詞。世界において、品種の数も人気も圧倒的な理由が良く分かる。そんな見事なベルモント公園のチューリップ花壇だった。

水泳を辞め、人形町・浜町公園の桜と遂に縁のないまま過ぎ去ってしまった春初旬という季節。都内の桜達が葉桜に変わり始める桜花乱舞の4月上旬。その悔しさと後ろめたさを打ち砕くように、地元ベルモント公園のチューリップから本格的な花の季節が始まる。目まぐるしい百花繚乱が今年もまた始まった。

もう進むしかない。俺の錆び付いた光武を無双天威させるため、ジュテームモナムール合体するまで、わたしたち一歩も引きません。それが、ベルモント公園なのです。

気合を入れ直し、目的地である六本木へ向かった。
 
 
■お洒落で雑多な六本木ヒルズ
東京メトロ日比谷線に40分間ほど揺られ、六本木駅で降車した俺等は、六本木ヒルズ方面の地下通路を歩いていく。シンプルかつ現代的な通路。男性も女性も、歩く人の多くは派手さを抑えながらもさりげなく着飾っている。ウチの地元と、足立区の住民と、東京23区北東部と、何かが、何かが根本的に違う気がする。来訪する度にそう思う。

無理も無い。恋人同士一つ取っても、森タワー展望台フロアの窓際に寄り添うように佇んで、男は女の腰に手を当てて、窓の外に広がる東京タワーなど港区の都会的風景を視界に置きながら、無言で見詰め合ってシャンパングラスで乾杯するような連中なのだから。

振る舞いも、仕草も、言葉遣いも、流し目の巧みさも、何もかもが違って当然なのだよ。育った土壌、すなわち土俵が最初から違っているのだから。後天的に港区住民になろうと思うなら、“洗練“という言葉を意識することなく”洗練“された立ち振る舞いが出来るようになるまで訓練しなければならない。自然発生的に洗練した仕草が出るよう細胞を作り変える必要があるだろう。都会に合わせるというのもなかなかハードだ。

それは地上に出ても変わらない。六本木ヒルズの象徴である超高層近代ビル・森タワー傍に隣接する入口。この入口をメトロハットと呼ぶらしいが、そのメトロハットの地下から地上までを一気に貫く吹き抜けのスケール感がまた凄い。メガトン爆弾を落としたかのようにぽっかりと空いた吹き抜けの、直径50メートル級の吹き抜けの、セントラルドグマを髣髴とさせる人工的で巨大な吹き抜けを通り抜け、地上に出た瞬間がこの上なく興奮するのだ。リフトオフ、と叫びたくなる。六本木ヒルズに来たぞ、と叫ぶ。

そして、その巨大クレーターの中を走るエスカレーターがまた良い。飾らないけど存在感を放ちまくる、吹き抜けのちょうど中央を一直線に抜けるエスカレーターが。地下から地上へ、あるいは地上から地下へと一直線に伸びる、細長く心細いけど科学の粋を集めたこの上下エスカレーターに乗るだけで、セントラルドグマのエスカレーターを無言で降りる碇シンジと綾波レイのような気分に陥る。無音の中、エスカレーターの機械音だけが響き亘る。そんな錯覚すら覚える。

このように、たかが六本木ヒルズ入口の一部に過ぎない吹き抜けとエスカレーターについてここまで熱く語る人間もそうは居まい。それだけ六本木ヒルズは文明的ということだ。

特に、最先端の建築学とIT技術が散りばめられた六本木ヒルズ森タワーと隣接のビル群は秀逸。インフォメーションにはいかにもIT系のやり手ビジネスパーソン風が、お洒落で色気のある服装をした美女が、欧米から中南米系、イスラム諸国を始め多くの外国人が行き交う。六本木ヒルズは文字通り多国籍だ。ただし一定以上洗練された外国人が集う、ある意味排他的な多国籍ビル施設だと言い切れた。

そんな外国人客達に対してインフォメーションの受付嬢は笑顔で、キビキビとした動作と素早い判断で、流暢な英語を話しながらテキパキと捌いていく。本当に同じ女か? ホントに同じ人間か? とつい周囲を見渡してしまう。働く女性は眩しい、そんな言葉を体現するかのようなインフォメーションレディだった。

まあ六本木ヒルズを出ると、案外そうでもない部分も多いが。六本木通りとか芋洗坂などを歩く人種は玉石混交、そこらの雑多な街と雰囲気は変わらない。だけど六本木ヒルズはさにあらず、である。装いと振る舞いが基本的に違うよな。そういう意味で、気軽になれない場所ではある。だけど誰も他人を見ていない分、自由に振舞ってもいい解放感も少なからずあった。

あと、六本木ヒルズにしても、六本木は喫煙者に多少優しい。六本木通りの目立つ場所に喫煙所が設置されたりしているのを見てちょっと感動した。新宿ですらもうこんな場所は無いのに、と。

六本木ヒルズにも、少し外れた場所に屋外喫煙スペースが設けられている。粋なことに、そこから東京タワーを中心とした都会的ビル景色が拝める配置だ。俺は、六本木ヒルズのこの喫煙所から見渡せる東京タワーの姿がとてもとても好きだった。

喫煙者に優しく、大人に優しい六本木ヒルズであった。
 
 
■美術館に行く子供
かと言って、子供が居ないわけでもない。今回訪れた美術館には、小学生低学年~高学年くらいの少年少女が結構見られた。無論、保護者同伴だが、皆大人しく、むしろ大人より真剣に美術館に飾られた名画に見入っている。音声ガイドをレンタルしている子供も相当数居た。上野の美術館ですらそんな意識の高い子供は居なかったような。

親の方針なのか、子供の純粋な興味からか、ともかくこれが港区クオリティ。「なにこのレベルの高い教育は?」である。子供の顔をよく見れば、幼いのに随分と知的な顔をしている。行動は顔付きにも現れるのだろう。深夜過ぎても親に引っ付いて居酒屋で騒ぎまくる足立区のクソガキ共とは全くモノが違うと瞬時に分かった。俺だったら100%六本木の子供の方を育てたいな。
 
 
■なぜ大人は美術館に行くのか
無論、大人も美術館が大好きだ。好きな人は当然そうだし、そうでなくとも一度ハマれば好きになる。美術館にはそれだけの魅力があると思っている。他の趣味とは一線を画す、自分の教養レベルを高めるための趣味と言えばいいのか。感受性を磨くには美術品がいいと博学者は言う。視野を広げ、教養を身に付けるためには芸術品に触れろと偉人は言う。
 
 
■教養とは何だ?
が、教養ってそもそも身に付くものだろうか。その身に付けるべき教養とは、より高いレベルという意味か。視野を広げるということは、高尚で高邁な視点のことか。それは上から目線を身に付けるということか。優位に立つための方便、他を見下すためのツールとして美術鑑賞はあるのか。そもそも教養に高い低いなんて線引きがあるのか。あっていいのか。

それは厳然としてあるし、あっていいし、あるべきだろう。教養イコール単に知識量や情報量でないことは、相当昔から言われてきていた。多方面の知識や情報を取り込み、それらをTPOに合わせて適切にアウトプットできる能力を知性と呼ぶことも。その知性のさらに先に教養はある。

教養は、言ってみれば心の豊かさの自然発露。それを体現している者を教養人と呼ぶ。公平かつ柔軟な対話が出来る自分の姿、その振る舞いや立ち回りが自然発生的に出てくる心の余裕、無理を生じさせることなくそれを続けられる心の強さと許容量を以ってして、何人にも対等に、だけど時には一歩押しながら、あるいは引きながら、その空間を決して壊すことなく話を前に進められる状態を教養が身に付いていると評して良いのではなかろうか。

よって、知識人=教養人ではないし、両者を敢えて言い分けるのもワザとなんじゃないかと思える。両者は全く別物。教養人との対話は前に進むが、単なる知識人だとそもそも話が進まない。根本的な視点の次元が違うのだろう。

多彩な話をするという点で、論客という言葉とも似ているように感じるが、やはり教養人とは別だろう。発する雰囲気というものがある。高圧的なのか、臨機応変なのか。対話すると自然と顔や言動に現れる。

論客と教養人、どちらも話は前に進むかもしれない。だが論客は、その強引さと攻撃的弁舌ゆえに、相手に不快な思いを抱かせるかもしれない。俺のイメージでは橋下徹氏やホリエモンのイメージ。話はポンポンと進む気はするが、押し切られてかなりのダメージを受けそう。爽やかに終わることができないイメージ。後に遺恨を残しそうだ。

だが教養人と話せば、相手も納得した上で話が前に進む気がする。俺のイメージでは…パッと浮かんでこないな。それほどに教養人というのは探し辛い。敢えて挙げてみるなら、小泉政権時代にイラクであった日本人3名拉致事件あたりに、TVで中東専門コメンテーターとして出ていた大野元裕さんなんかは、喋り方にも知性に溢れ、とても分かりやすかった。口調も安定していたし。ああいう人は、知識人という呼び名は相応しくない。教養人と言った方がしっくり来る。そんなことを思ったものだ。

その大野さんも、今では民進党の議員だ。大野さんほどの逸材は、民進党などに勿体無い。むしろ大野さんが表舞台にあまり出ない時点で民進党の底が知れている。その民進党員は、教養人など当然居らず、知識人ですらなく、単なる不平屋集団。話が進まないし、そもそも話が始まらない。だから民進党はダメなんだと、そろそろ気付いてもいい頃だ。

大野さんの他には、そうだな、ヒュー・ジャックマンなんかも教養人的な雰囲気を醸し出していそうだ。紳士というか。まあ実際紳士だろうけど。とにかく聡明で人当たりが抜群という印象はある。そして他者を見下さない。確固とした己を持ちながらも人を愛すという姿勢を自然に備えているからだろう。

結局、イメージこそが肝心なのである。

そのイメージ分析から行けば、たとえばお笑い芸人だと、アンジャッシュ渡部は知識はあるし知性もあるかもしれないが、教養人には届かないという感じ。逆にアンタッチャブル山崎の方が、人を不快にさせない配慮やリアクションを常に心がけているであろうに一瞬一瞬の受け答えの瞬発力が極めて高いことから、より教養人の本質に近いという気がする。頭が切れる、頭の回転が速い、冴えている、そんな表現だろうか。教養とは違うような、だけど単に「頭がいい」という表現では形容してはいけないような、一つ抜けた魅力がある。それが教養人というものではなかろうか。

話がこんがらがって来た。言いたいのは、何のために美術館に行くのか。行く意義や価値があるのか、という点だ。

あと、行きたくとも何処にあるのか分からないという疑問も生じるかもしれない。美術館なんてものは大都市の限られた場所にしかなくて、結局お高く止まった人間達の高尚な遊戯ではないか。そう考えるとどこか敷居が高く感じる。そうなると、美術館に行こうという発想自体無くなってくるという。それら美術館に対する懐疑や抵抗感…。

しかし敷居の高さについては、現実問題大して高くはない。俺等は美術館・博物館の宝庫たる上野公園が比較的近いこともあり、行く回数は多分平均以上だろう。結果、美術館巡りが好きになった。しかし別に上野公園でなくとも美術館、あるいは博物館など砂の数ほど存在する。別に中世・近代ヨーロッパの巨匠達の絵画を展示していなければ美術館じゃないなんて定義はない。

たとえばジブリ美術館だって立派な美術館だし、アンパンマンミュージアムなども本質的には同じだ。有名画家である必要はなく、少しアートに造詣のある人達の作品を飾っている場所なら何だっていい。小学生の粘土細工だってアート。伝統的なアートでなくとも、たとえば鉄道博物館など現代技術が生んだ機械でも十分芸術と言えるのではないか。

重要なのは、平凡を上回る才能や技巧に触れること。その才能や技巧が作品というカタチとして表現されていること。その展示物の集合体であり、その集合体を閲覧できる場所であれば何でもいいはずである。ちょっとした非日常を味わう空間であれば。

その「ちょっとした非日常」が、そのまま美術館の価値であり、意義。そして何のために美術館に行くのかという回答になる。それは視野を広げるためで、心を豊かにするためで、良い意味での教養人になるための手法の一つと心得れば、美術館がいかに有用か、その身で実感できるはずだ。本来掘り起こされていなければならないはずの感性を再発掘するため。時の経過と共に埋没してしまった物の見を取り戻すため。きっと美術館はそのためにある。

とは言っても、やはり「美術館」という言葉自体は重々しく、よそよそしいのも確か。そこへ意識を向けるきっかけが必要だ。非常に興味をそそられるコンテンツであるとか、他の遊びや趣味は飽きたのでちょっと変わった場所に行ってみようとか、TVの特集で見たら何となく面白そうだったとか、好きな著名人が紹介していたので一度どんなものか確認してみようとか、まあ何でもいいのだが。

現代はマスメディアに加えインターネット社会なので、美術館のコンテンツや魅力といった関連情報はすぐに取得できる。その点、便利だ。タイミングが合えば、足を運ぶ気持ちにすぐなるだろう。そして一度意識がそちらに向けば、美術館という選択肢は自分の意識下に固定され、繰り返せば繰り返すほど美術館の魅力の虜になるに違いない。

それには、ある程度の年齢も必要なのだろうか。他の娯楽施設に比べれば、やはり年齢層は比較的は高めに見えるが。

そうかもしれない。俺とて、昔は美術館という選択肢など端からゼロだった。興味も無ければ、行って何になるという意識が強かったように思える。しかし年齢を重ねる内に、その真価が分かり始めた。そう思い込んだ。精神的な位が高まる気分になるのだ。テンションが高まるのではなく、尊い気持ちになる。

やはり、年齢と共に芸術に触れたくなる気持ちも強まるのか。直感としてそう思う。過去のように王族や貴族など特権階級が牛耳るものでなく、庶民も気軽に行って良い場所が今の美術館。知的好奇心を満たせ、歴史的ロマンもある素敵な場所だ。

しかしながら、若い頃はそれになかなか気付けない。旺盛な好奇心は、若いがゆえにもっとエキサイティングでアクティブなものに向かいがちだからだ。必然的に、歴史への興味も薄いまま。美術館は、その歴史とセットで観賞するのが醍醐味なわけで、どうしたって若者からは敬遠される。もちろんエキサイティングでもないどころか、そこから最も離れた場所にあるのが美術館だ。若者としてはますます物足りない。という仕組みだ。若いエネルギーから湧き出る好奇心を満たすものは、他に腐るほどあるのだから。

室内ならゲームや漫画、その他音楽や映像に没頭できる。どれも新鮮かつエキサイティングな世界。感情を激しく揺さぶられる。分かりやすく、目に見える形で揺さぶられるから気軽に入れるし、のめり込み易い。

外に出れば出たで、若ければスポーツで汗を流すのも体力的に苦ではない。スポーツ観戦で熱狂するのもよし。カラオケで声を張り上げるのも、ショッピングで街を歩き回るのも、遊園地のアトラクションではしゃぐのも、ちょっとした旅行だってそうだ。とにかくテンションが高まりまくる。ほんの少しの材料で規定以上に盛り上がれるのは、まさしく若さの力であり特権。飲み屋で大きな声を張り上げ管を巻くおっさんとは盛り上がるまでのプロセスが違う。楽しみ方の本質が多分異なるはずである。だから世代が離れ過ぎると両者は分かり合えない。世代の壁は永遠に、永遠に立ちはだかり続ける。

ただ、そうやって多くの娯楽や趣味、遊びを吸収していくに従い、次第にその情熱も冷め、頻度も下がってくる。物足りなくなったのか、マンネリに飽きたのか、逆に目一杯やり切って完全燃焼したからかもしれない。自分に合わないと判断したので切り捨てたというケースもありそうだ。

いずれにしても、その境地に達するには一定以上の回数をこなすことが必要。それは時間を掛けるということで、そのまま年月を費やす意味に他ならない。年月を費やし、飽きるまで色んなものを貪っていく内に、歳を取るわけである。人生は短いようで案外長いもの。迂遠と言ってもいい。なので同じこと、同じ場所の繰り返しではいずれ飽きが来るのが自然の摂理。それでも飽きないものは、生涯の趣味でありライフワークと言っていいだろう。そういうものがある人は大切にした方がいい。

歳と共に様々なことに対し、飽きる。このプロセスは殆どの人間が通るはずで、水が高きから低きに流れるごとしだ。体力も衰えてくる。軽い足取りでちょっと出掛けることも億劫になる。当然思考能力も低下する。自立的に鍛えない限り、心も身体も年齢に応じて衰退するのは仕方ない。

だから連動して気力も萎む。欲求すら減退し、無関心になっていく。こうなるともう、能動的に何かしようと動くことすら面倒になってくる。結果、視野が狭まる。人は、新しいものを取り込むことによって視野を広められない生き物だから。もう一つ、数少ないものでも突き詰めることで視野を深める手法もなくはないが、他の事象に惑わされず同じ対象に集中することは、広く浅く掻き集めることより遥かに困難なので、現実的ではない。

歳を取れば落ち着く、と人は言う。そうではない。単に衰えるのだ。言い方を誤魔化してもしょうがない。成長できなくなり、成長する気もなくなる。少し困難なものには挑むことすらしない。見ないフリをするのみだ。よって何かに手を伸ばす気力も失せ、今まで得てきた僅かな資産や地位や交友関係、そしてプライドを守るだけの時間へと変質していく。余生と言えば聞こえはいいが、平坦で新たな何かを得られずただ失い続ける時間。死ぬまでは何とか全てを失わないよう踏ん張る我慢の時間である。

そんな我慢の時間だけで果たして生きていけるだろうか。いや、生きていけない。やはり何か心の清涼剤が必要なのだ。手軽に行けて、体力や精神力をそこまで必要とせず、かつ質が高そうに感じられる趣味が。狭まった視野を広げるための趣味が。取り戻すための趣味や余暇の過ごし方が…。

そこで美術館の登場なわけである。あらゆることをやり尽くし、ふと周りを見渡す。今まで想定の外にあった美術館というスポットが、すんなり頭に入ってくる。幸い歴史にも興味が出てきた。なぜなら自分自身、かなりの時を刻み、年齢を重ねてきた歴史人だから。目の前の人物でなく、過去の偉人や歴史上の人物などにロマンを感じる年頃になってきた。のだ。美術館は、芸術の宝庫であると共に、過去の偉人の宝庫、歴史の宝庫。若かりし頃に持っていたワクワク感が再燃すること間違いない。

この点で言うと、神社仏閣も似たような性質を持つだろう。神社巡りや寺巡りが好きなのは大体中年以降だ。俺等も神社巡りが大好きだが、そこで一緒になるツアー客達の顔ぶれを見ると、殆どがご老体、中年、壮年、熟年だ。安心できる場所、かつ安定した場所なのだろう。無駄なトラブルなく、一定以上楽しんでもらえる、そんな確信があってこそツアーなどでは神社仏閣巡りが大人気。俺はそう見ている。

また、その神社をはじめとする史跡で、ガイドの眠くなるような説明にいちいち深く頷くおばちゃん達をよく見るが、それもまた年を取ったがゆえに歴史に興味が出てきた、と言ったところだろう。実際、話を理解しているようには見えないが、頷くだけで深い歴史に触れた気分になれるし、それはそれで楽しみ方の一つ。肝心なのは、新たな娯楽を得た、という実感だ。

新たな娯楽。すなわち神社。テンションを高める必要もない場所で、静かなる情熱を胸に宿しながら粛々と拝見するという、その行為が本人を安心させる。じっくりと、年月を掛けて楽しめる、老いた者達の聖域。それが神社だ。美術館に通じるコンセプトがあるのではなかろうか。

無論、神社仏閣巡りが好きな若者も居るし、美術館だってそうだろう。しかし全体を俯瞰すれば、やはりその二つは熟した大人向けの娯楽だと思える。まあ歴史の宝庫を観賞する権利は、自分自身がその内歴史になってしまう人達に譲って良いのではないか。何事も順番だ。順当にこの世から先に居なくなる人達が先に美術館や神社仏閣を見て、その間若い者はエキサイティングでエロスでデンジャラスな娯楽に興じればいい。自分が年を取れば、かつて老兵達が辿った道を歩けばよいのだ。すなわち同じように美術館へ、神社へ、仏閣へ…。そして最後は仏門へ…。

あと、美術館に惹かれるのはその深みのある歴史背景だけでない。歴史が誇る才能の宝庫という点が重要だ。その才能を発揮し実績を上げることが如何に困難か、ある程度の年数を生きてきたからこそ分かる。だから類まれなる才能を持つ過去の美術家達に対しては素直に尊敬の念を抱く。それも歳を重ねてこその感性ではなかろうか。若い頃は持っていた望んだものに「届きそうだ」という感覚。だけど届きそうで届かない。それどころか全く届かないと思い知る場合もある。だからこそ、それに届いた偉人の偉大さが分かるのだ、と。酸いも甘いも知った年齢に達して初めて悟れることもあろう。

と、そう感じ始めるのは一体何歳なのか。かなりの個人差があるだろうが、様々な事象に「飽き」を感じ、だけど胸を揺らす何かを束の間でも欲すならば、美術館へ行ってみるのがいいだろう。絵画をただ眺めるのではなく、その背景にあった王朝や貴族達の勢力争い、戦争、宗教観、一般民衆の風俗事情など、ありとあらゆる要素が詰まった歴史の証人、それこそが絵画の本領なのだと肝に銘じながら観るのがベスト。そういった物事が絵画から自然と読み取れるようになれば、美術館は君の日常。君はもうハマっている。

そして既にハマっている俺等は、六本木ヒルズの森アーツセンターギャラリーにて開催中の「大エルミタージュ美術館展」へと今日、赴いたのである。非日常を得るために。歴史と、その歴史が誇る才能に触れるために。新たな情熱の灯火を自分達の胸に宿すために。

■大エルミタージュ美術館展の素晴らしさ
東京において美術館の聖地と言えば上野だが、六本木ヒルズも捨てたものではなく、むしろクオリティは最高峰に近い。扱う作品も権威あるものから斬新なものまで、その選択センスはさすが六本木的だ。基本的には外さないと断言していいだろう。

その六本木ヒルズの美術館は、その象徴である中心ビル・森タワー内に設営されているが、同じビル内に二つの美術館がある。52階の「森アーツセンターギャラリー」と、その1コ上、53階にある「森美術館」の二つだ。両者は扱う展示も開催時期も異なっており独立している。

まあネットで「六本木ヒルズ 美術館」とでも検索すればすぐに分かるが、観賞したい展示がどちらの美術館なのか間違えないよう気を付けた方がいいだろう。俺にしても、今回の「エルミタージュ美術館展」について、53階の森美術館でやっているのかとてっきり思っていた次第だ。相当込むんだろうな、と。

実際行ってみれば、森美術館は60分待ちとかとんでもない混雑の模様。だけど良く見ると森美術館でやっているのは歴代アメコミヒーローのオブジェなどを展示する「マーベル展」。こっちの方が一般的には大人気で六本木ヒルズのメインを張っているっぽい。意外だ。

「エルミタージュ展」はその下の「森アーツギャラリーセンター」。予想以上に空いており、10分待ちで入れるという状態だった。チケット売り場でも、マーベル展チケット購入のために並ぶ長蛇の列を他所に、俺等は早々にチケットゲット。入口前で記念写真を撮る余裕すら見せながら、エルミタージュ展に堂々と入場した次第だ。

嬉しい誤算だが、何となく釈然としない気もするな。エルミタージュってそこまで人気ないのだろうか。以前、同じ森アーツギャラリーセンターで開催された「マリーアントワネット展」などは、それこそ溜め息が漏れるほど果てしない行列だったのだが。美術に優劣はない。だがそれでも、エルミタージュ展が他に劣っているとは思わない。

と、熱く語るほど俺はエルミタージュ美術館について知っているわけじゃない。元々、電車広告で盛んに宣伝されているのを見て「ちょっと面白そう」という認識。また、ちょうど今日の朝か、TVでピース又吉がロシア現地のエルミタージュ美術館を訪問、解説するというロケ番組を放送していた。最初の方は「え? 何コイツ偉そうにロシアを語っちゃってんの?」と思いつつ、「このヤロウ、印税ガッポリもらってるくせにタダでロシア旅行しやがって。どうせTV局の経費なんだろ?」と嫉妬心丸出しで番組を観ていたが、さすがお笑い芸人というべきか、又吉のコメントはやはり結構面白い。又吉はロシア文学なども大好きとのことなので、考えれば良いチョイスなのかもしれない。

一時ニュースゼロのキャスターなど似合わないことをしているなと思ったが、やはり自分の好きな文学や芸術について語る方が彼の本領が発揮できるというもの。人にはそれぞれ適性があるとしみじみ感じた次第である。じゃあ俺の適性は…? 色々考えてしまう。

ともかくその又吉によるエルミタージュ美術館紹介番組というタイムリーな出来事も手伝って、ますます六本木のエルミタージュ展に行きたいと切望したのだった。

ちなみに、森アーツセンターギャラリーの「大エルミタージュ美術館展」の音声ガイドは当の又吉。だから前もってテレビで宣伝していたのかと後になって分かった。別に又吉だからというわけじゃないが、今まで音声ガイドなど使ったことがない俺等も、会場が空いていたこともあって一度音声ガイドをレンタルしてみたわけだが、音声ガイドはかなり使える。

音声ガイド。該当する絵にまつわる背景を非常に分かりやすく説明してくれるため、その作品に対する造詣も愛着が涌きやすい、美術館では毎回のように、取り憑かれたように一箇所から動かない客をよく見かける。そういう時、後ろがつかえてるんだからさっさと動けよ、と邪魔に思うこともあるけれど、音声ガイドを着けていたらそりゃあ動けないよな。ガイドの説明が終わるまで動けない。もっとその絵に対する理解を深めたい、気分に浸りたい。そう思うよな。

本来、美術品はベルトコンベアーに流されるように観るのではなく、一つの絵の前に立ち止まり、納得するまで吟味するものだよな。だけど観賞するのは自分だけじゃないから。美術館ってのは大抵の場合混雑していてそれどころじゃないから。もっと余裕を持ってじっくりと堪能したい。常識外の大金を払って絵を収集する富豪達の気持ちが多少分かる気がする。感動的な名画を好きな時に、好きなだけ観ることが出来るのだから。

差し当たり今回は、この音声ガイドのお陰で従来の美術館観賞に比べ遥かに理解度を深めることができた。エカテリーナ二世が身に着けている王冠はこうだとか、紋章の意味はこうだとか、貴族風の男性が胸に手を当てているのは世間で成功を収めたことへの自尊心の表れだとか、絵画に描かれている人物や風景、身に着ける装飾品、表情に至るまで、その見方を教えてくれる。言われたことを忘れないようにメモまで取ってしまう勤勉ぶりだ。

自分の視覚で、そして音声ガイドの力も借りて聴覚で、それらを重ね合わせた五感を使って絵画は観賞するものなのだと、そうすることで貴重な体験が得られ感受性が磨かれるのだと、今回のエルミタージュ展では痛感した次第。特に、メモを取るという珍しい行為。いかにも興味を持っている、勉強しているという気分になる。

それがいいのかもしれない。美術館のような場所では、スマホという便利ツールも使えない。だがそれを補うため、本来の人間が持つ原始的能力を働かせる貴重な契機だと考えることも出来る。己が肉体の各部位、器官を動かして、必死で脳を働かせるチャンスなのだ。

目の前に佇む感動的な絵画を描いた名匠達、何でこんな絵が描けるんだ?どういう脳構造をしてるんだ?と感嘆を禁じえない、常人を遥かに凌駕した彼等巨匠達もまた、その絵画を描く際、機械など遣わず自らの手だけで完成させたはず。人間の五感を持って絵を描いたはず。

だから観る側も同じように生まれた時から持っていた五感だけを使って観るのが礼儀であり義務であり当たり前。スマホはおろか、カメラも何も必要ない。美術館とは、そういう場所。生物としての人間の極みを形にした場所が美術館。人類の宝なのだ。だから中近世、近代に亘る西洋の巨匠達が描いた絵画は至宝とされ、世の王族・貴族達はそれらの絵を収集し、画家達を保護した。戦争が起きても、美術品だけは焼失させぬよう避難させてきた。後世に残すべきだと感じていた身体。歴史を超える人類の宝だと本能で感じていたからである。

そんな人類の宝を観賞する際、野暮な機械など邪魔なだけ。そうは思わないか?

今回のエルミタージュ展も、多くの客達が静かに魅入り、食い入るように各々の胸に思いを馳せていたに違いない。こういう場所だとスマホを出す輩も基本居ないので、ストレスもない。

ただ、1人だけ、スマホじゃないけどニンテンドーDSかPSPか、絵画が展示されている裏の壁に寄りかかってポータブルゲームをプレイしていた女子が居たな。ひっそりとした暗がりの中、液晶画面から放たれる電子の光がやけに癇に障ったものだ。こんな場所で恥ずかしげもなくプレイするその小娘に対しても。スマホは禁止されてるけどゲームは別に禁止されてないからいいんじゃね?とかそういう問題じゃない。空気読めってことだ。何でもかんでも予め言い置かれてないとダメだとか、書いてないからいいとか、本当にただの屁理屈。何のためにここに入ったんだと。こういう輩は美術館に来なくていい。

と、稀に心の中で憤慨しつつも、六本木ヒルズ森アーツセンターギャラリーにて開催された「大エルミタージュ美術館展」は、大満足。チケット代以上の価値があったというか、今まで通った美術館の中で最も理解が出来、心揺さぶられ、記憶に残る来訪となりそうである。

エルミタージュ美術館があるロシア・サンクトペテルブルクの歴史、最初はロマノフ王朝の歴史紹介から始まり、王朝がいかに西洋絵画の収集に熱心だったかという設立への背景などを理解していく。そしてルーベンスとかクラーナハとか? 西洋美術の巨匠達の素晴らしすぎる絵画はまさに胸を打つもので、時に貴族的な、時に庶民的な、さらにキリストとマリアなど多分に宗教観の投影された時代の絵画など、どれもこれも唸るものばかり。一回では物足りない。もっと展示されている絵について知りたい。

そんな衝動もあり、2500円もする分厚いガイドブックを買ってしまった。初めてのことである。つまり、それほど今回の美術館巡りが楽しかったということ。家に帰ったら、今日の感動を忘れないようじっくり復習したい。

というか、本物のエルミタージュ美術館に行きたくなってきた。嫁も「ロシアに行きたいね」などと口にする始末。今まで海外旅行を画策するにしても、ロシアという選択肢はゼロだったのに、美術館一つでこうも急上昇するとは。それほどエルミタージュ美術館という場所に価値があるということで、ステータスが世界的に高いということに違いない。

実際、エルミタージュ美術館は、フランス・パリのルーブル美術館、アメリカ・ニューヨークのメトロポリタン美術館と並んで世界三大美術館に数えられるほど有名だそうだ。量質ともに最高だと評判も高い。

まあその三大美術館にしても、メトロポリタンではなく、スペイン・マドリードのプラド美術館が三大美術館の一つだとか、三大ではなく五大ならイギリス・ロンドンの大英博物館が入るとか、台湾・台北の故宮博物館は四大美術館の一つだとか、人によって見解がかなり違う模様。しかし三大美術館においてルーブルとエルミタージュだけは完全に固定している感じだ。つまり、万人から見たトップ2というわけ。これは益々行きたくなる。

いつの日かロシア旅行に行けることを夢見て、俺等は六本木ヒルズを後にした。 
 
 
■ミッドタウンの都会的公園風景
続いて東京ミッドタウンへ向かった。六本木ヒルズから歩いて10~15分と大した距離はないが、どこからどこまでが「ミッドタウン」なのか、俺には相変わらず分からない。一応説明では、「ミッドタウン・タワー」という超高層ビルを中心としたビル群の総称、ありうはオフィスやショッピング、ホテルなど多ジャンルの機能が集約された一大複合施設とされている。が、漠然としすぎてやはりピンと来ないな。

とりあえず、六本木駅を出て外苑東通りから上を見上げると、コナミ、そして富士フィルムのデカいロゴがある2つのビルがやたら目立つ。コナミの方がミッドタウン・イーストというビルで、富士フィルムの方がミッドタウン・ウエストと呼ばれているが、この2つのビルを目印にすると良いかもしれない。そのイーストとウエストの間を歩いていくと、正面にシンボルのミッドタウン・タワーがそびえ立っている。右側のイーストにも左側のウエストにもショップがそれなりに入っているが、左側にはウエストの隣にガレリアというビルがあり、このガレリアが多分ショッピングビルとしてのメインなのではなかろうか。各々のビルがごちゃごちゃと入り組んでいて面倒臭いが、フロアを回っていると結構楽しいのでおススメだ。

そのガレリア側の外周からミッドタウン・タワーのあたりまで、ミッドタウン・ガーデンと呼ばれる区画があるが、綺麗に整備された植林や並木道、公園、テラスなど、都会の中のちょっとしたオアシスを演出したエリアとなっている。芝生の一角にはテーブルやベンチもセッティングされ、着飾った客達がそこに座って高層ビルをバックにサンドイッチやシャンパンを嗜む光景は、いかにも都会的な優雅さを醸し出す。植えられた並木もかなり洗練されているし、ここで花見をするのも悪くなさそう。洒落乙な場所と言える。

とりあえず俺等も、空いているテーブルに座り、ちょうど近くに出ていた出店に並んでシャンパンとバケット的なツマミを購入して都会のオアシスを堪能した。大自然の中で飲む酒もいいが、こういった高層ビルの隙間でささやかな自然を堪能しながら飲む酒もたまには悪くない。

それにしてもその出店、長蛇の列の割にはクオリティが低かった。シャンパンが少量なのはいいとして、バケットセットなんて、美味そうかつ器も大きそうな写真と全く違った。現物は器も小さく、野菜の鮮度も萎れていて全く瑞々しさがない。それで1500円とか有りえない価格だ。こんなのコンビニのサラダセットの方が10倍上等だ。出来上がるまで20分くらい待たされたし、ホントふざけた値付けであった。
 
 
■お決まりのプロジェクションマッピング
そんな感じで油を売っている内に日も暮れてきた。ここからが本番だ。ここミッドタウンの自然部分であるミッドタウン・ガーデンの中に、芝生広場という文字通り芝生の広場があるのだが、ここでプロジェクションマッピングイベントを開催中とのことだ。それを観るためにミッドタウンに来たわけである。

イベント名は「江戸富士」。富士山を模した土の山が広場内に造られており、そこにプロジェクションマッピングで装飾するという手筈。ミッドタウン開業10周年記念としてのイベントらしい。プロジェクションマッピングは、都会的デジタルアートで最近のしているクリエイター集団ネイキッドが手がけるとあって、期待は膨らむばかりであった。

個人的にも、10年前といえば俺等が結婚式を挙げた年。式場は赤坂のホテルで、その時ホテルの窓からミッドタウンの夜景を眺めていた。そこからちょうど10年。いわば俺等はミッドタウンと一緒に歩んできたことになり、運命を感じる次第だ。なのでこの「江戸富士」には必ず行きたかったのだが…。

さすがネイキッドの技術力とセンス。「江戸富士」と呼ばれるこの土細工は、昼間の姿はどうみてもただの砂山です。が、夜になりネイキッドのプロジェクションマッピングが加わった瞬間、変哲もなかった砂山は即座にグランドイリュージョン。色彩豊かな光と絵、雅でありながら躍動感とドラマ性に溢れた映像がジェットコースターのように降り注ぎ、観衆も思わず立ち止まり息を呑む。さすがネイキッド。興奮で俺の富士山も爆発寸前だった。

都会のオアシス、ミッドタウン。全てが人工的で擬似的だけど、やはり来て正解だった。
 
 
■飲み屋も充実、六本木
プロジェクションマッピングを見た後は、少し買い物してから六本木で飲み屋を探して打ち上げ。結局、芋洗坂入口付近の「一蔵(いぞう)」という飲み屋に落ち着いたが、そこまで混んでない上にしっかりした個室が用意されているので結構使えそうだ。

個室と一言で言っても、完全防備の個室もあれば、薄っぺらパーテションレベルを個室と称する居酒屋もある。だけど大事なのはゆったりさ、そして防音性。その点で、「一蔵」の個室は、フスマのような薄い壁に見えるのに、そこまで周囲の声が気にならない。部屋同士が廊下を挟んで設置されていたり、中央に広めの枯山水的な空間を設けたりと、うまい具合に空気の振動が拡散するよう作っているのだろう。普通の居酒屋とどこか趣が異なる感じで好感度は高かった。

まあ、客層も比較的上品というか、落ち着いて話す客が多かったという理由もあるが。これが場所柄なのか。六本木の店には、外国人も混じりやんちゃで騒がしいギャハハハな路面店もあれば、ヒルズ周辺レストランのように優雅なひと時を過ごすべく落ち着き払った紳士淑女がウフフウフフする店もある。今回の「一蔵」は、立地は前者だけど性質は後者といったところか。周りの雑音がないと本当に心が安定する。

その中で1箇所だけ、五月蝿い男女グループもあったけど。かなり離れた大部屋で、20人くらいは居たか。スーツを着ていたから社会人だろうが、とにかくデカい声が響く響く。完全に学生サークルのノリだ。中でも特に、姉ちゃんがダミ声でアハハ!ギャハハ!ウヒャヒャ!と、もうずっと笑いっぱなし。その音量が完全に公害レベル。メガホンで拡声してるんじゃないかと思えるくらい下品でやかましい笑い方だ。結構顔は可愛いんだけど、こんな女とは絶対付き合いたくないと思った。

というか、場所を間違えている。TPOを取り違えている集団だと思った。たまに、こういう集団も紛れるのが世の常だが、そんなに騒ぎたいならカラオケ屋かクラブにでも行ってくれ。
 
 
■六本木の一日
飲んでいる内に夜も深まり、そろそろ帰宅の準備をする時間。昼からヒルズの美術館、夕方からはミッドタウンのプロジェクションマッピング、そして夜は活気溢れる六本木交差点付近で飲み。これほど長く六本木に滞在したのは初めてかもしれないが、その分、六本木の魅力を再発掘した気分である。

新宿、渋谷、池袋なんかより、俺は六本木の方がいいな。また来よう、うん…。

早い再訪を誓い、少し空いた小腹を満たすため途中マクドナルドの新メニュー「グラン」シリーズのバーガーを持ち帰り、家でゆっくり余韻に浸る。出発は遅かったが、それを取り返すくらい活動し、何より充実した一日だった。

こんな休日が毎日送れたら、どれだけ幸せだろう。

20170304(土) ハードな乗馬と緩やかな動物園と、残り香放った梅まつり

【朝メシ】
アイスコーヒー、カメロンパン(家-嫁)
コーヒー ロッテリア東部動物公園駅(東武動物公園-嫁)
 
【昼メシ】
東武動物公園内売店「サバンナ」 豚まん、焼きそば、生ビール等(東武動物公園-嫁)
 
【夜メシ】
居酒屋「釧路」(上野-嫁)
春のわいん巨峰&ピーチ(北野エース土産)、せん豆(湯島梅まつり土産)、カラムーチョ、ポテロング等(家-嫁)
 
【暦】
二十四節気 第2「雨水(うすい)」
七十二候 草木萌動(そうもくめばえいずる)
 
【イベント】
乗馬クラブ、東武動物公園、湯島天神梅まつり、上野散策、西新井温泉
  
  
【所感】
■乗馬という選択
起床後、NHK Eテレの「ひつじのショーン」などを視聴しながらアイスコーヒーを飲む。これが土曜日の朝に共通する黄金パターンだった。数週間前までは。

しかし現在は、「ひつじのショーン」をリアルタイムで観れない日もぽつぽつ出ている。今日もまた同じく。朝から東武動物公園の乗馬クラブに向かわなければならない。ふとしたきっかけで乗馬体験をした勢いで、そのまま乗馬クラブに入会したのが2週間前。入会金も5月までの分を支払い、専用の乗馬ズボン(キュロット?とも言うようだが)もエアバッグ付きベストも買った。ここまでお膳立てを整えたのだから今更やめられない。

乗馬というスポーツ。富裕層だけが楽しむ別世界の趣味だと最初は思っていたが、説明を受けて実はそうでもないんじゃないかと考え始めたものの、実際に桁違いの入会金や会費、レッスン料、高額な装備品を目の当たりにした結果、やはり当初のイメージ通り選ばれし者達のハイソな趣味だと確信を得た。

そんな乗馬を正式に始めるという意思決定。分かっていても敢えてやるという選択肢。明らかに身の丈を超えた趣味だと重々承知していても、衝き動かされる何かがある。一回出向いただけで分かる。世界が違うと。だからこそ、新しい価値観が見つかるかもしれない。新しい世界が見えるかもしれない。切り替えられるかもしれない。考え方を、生き方を。

抑え切れないほどに欲するものは、その場所を見つけるためのヒントであり、考え方や生き方を変えるきっかけ。異なる環境に身を置くこと。その時間を持つこと。とにかく新しい世界を見たい。今とは違う場所に行きたい。その想いが極限まで高まってしまったこの局面だからこそ、乗馬という未知で場違いな分野を選択したのは間違っていない。少なくとも今はそう信じて自分等の出来る範囲で目一杯その世界を享受したいと思った。
 
 
■時間の使い方は命の使い道
俺等が入会した乗馬クラブは、東武動物公園内隣接の「クレイン」。鈍行だと50分ほど要するが、西新井駅から急行に乗れば30分で到着する。急行、特急、快速など区間飛ばしの列車のお陰で長期的に利用する者がどれだけ助かっているか。

忙しい(と自分自身ではそう思っている)現代人にとって、最重要課題の一つは「時短」だ。その中でも移動時間の短縮は比較的容易。電車に絞って言えば、座席に座れない非快適性、混雑によるストレス、場合によっては上乗せ料金の支払いという問題さえクリアできれば時短発動だ。いち早く目的地に到着し、また帰宅時間を前倒しに出来る。

これを利用しない手はないだろう。突き詰めれば時間ほど大切なものも無いのだからな。手にある殆どが自分の時関を使って得たもの。つまり時間の対価だ。それは与えられた寿命の対価ということで、すなわち生命の対価ということで…。掛け替えの無いものを得るために、限られた貴重な時間を使う。その結果、望み通り得られる場合もあれば、得られないまま終わることもある。結果がどうあれ、使った時間は戻らない。それを経験と捉えるか、ただの犠牲と嘆くか。

だが、時間を使わなければ得られる可能性もないと知っているので、動く。時間は有限なので無駄に消費しないよう動く。同時に短縮できる箇所は短縮する。結果、自分の意思で使える時間を確保する。「意のままに使える時間」とは、銃で言えば実弾のようなもの。皆、この実弾こそ欲しい。なるべく多く。金と同じだ。金も実弾と俗に呼ばれる。

ただ金と決定的に異なるのは、時間は取り貯めることが出来ないという点。いくら自分のための時間を確保しようが、貯蓄のように好きな分量を死ぬまで取っておけない。貯めた傍から、確保した次の瞬間から自動的に消費されていく。時間を貯めようと動いているのに、その動いている最中にも無くなっていく。時間は、ただ過ぎる。

だから時間を有効に使う際には基本、一日単位。その日その日で自分の時間を確保して、確保したら即座に使っていく、自分のために。最終的には全て自己による判断。だから時間の使い方とは、人生の方向性に対する意思決定であり、命の使い道といえる。その選択肢が日々続く。

だから時間を少しでも多く確保するために試みる日々の時短が重要になってくる。「時間が足りない」という問題を解消するには、処理速度そのもののスピードアップか、有する時間内に間に合わせるため他のタスクを切り捨てるという取捨選択か、基本はどちらかだろう。速度向上は本人次第。取捨選択は、切り捨てる時の痛みに耐えうるメンタル次第といったところか。

しかし、スピードはそのままだが何も捨てたくないという欲張りな要望というか、虫のいい希望だってあるかも。となれば並行処理しかない。並列処理と言うべきか。複数の作業間を適宜飛び移りながら最終的にそれら作業を次々と終わらせていく「マルチタスク」ではない。文字通り「パラレルタスク」というもの。

マルチタスクは単なる効率化の賜物。見た目上は次々に、かつ同時タスクをこなしているが、実際に完全同期で同時処理するわけではなく、一つ一つのタスクを順番に処理していく図式は変わらない。だが1人1タスクの法則に基きながらも、隙間時間を巧みに組み合わせ使い分けることで、シームレスに次々と作業を終わらせていくように見える。

要は組み立て方によるマジック。戦略的スピードアップと言える。だが組み立て方が見事かつ理に適うため無駄がなく、当然ながら結果は並を遥かに上回るだろう。この感覚を得るには俯瞰的視点が必要となるが、訓練次第で誰でもそこには辿り着く。

対してパラレルタスクは、真の意味での並列処理だ。例えるなら、人と会話しながら本を読み、さらに頭の中で方程式を解き明かしていくという完全同時並行処理をやってのける能力。しかも、上の空でない生きた会話であり、本の内容も十分に理解し、方程式も当然正解という、結果が伴うものでなければならない。それらを全て途切れなく同時に続け、同じ時間で完結させる。1タスク1時間掛かるとした時、3タスクで3倍の3時間掛けるのではなく、マルチタスクで効率化して2時間で終わらせるのでもなく、正真正銘3タスクを1時間で終える。それが真の並行処理、パラレルタスクというものだ。

これは訓練すれば誰にでも出来る代物じゃない。というか、そんなことが出来る人間などお目に掛かったことがない。だからそれを出来る者は相当特別な種族だと思われる。そのパラレルタスクが出来ないから、先述したように単純にスピードアップか、あるいは外部の力を借りて時間を短縮するという手法に大体落ち着く。電車で特急を利用するように。

そして誰もが同じことを考えるから、特急や急行電車はいつでも混雑していて座る余裕なんてない。確かにそれに乗ることは時短に繋がるが、その間、殆ど何も出来ないと考えると果たしてどちらがいいのやら。鈍行なら移動に2時間掛かるとしても、席に悠々と座れるならば、その2時間を作業に充てればかなりの成果が期待できる、という考え方もあるから。時間が節約できた、得をした、と素直に喜ぶのはまだ早い。割とどうでもいいことかもしれないが、自分にとって本当に有用な時短方法とは何か、一考の余地はあるだろう…。
 
 
■西新井駅ホームにあるラーメン屋
出発点である西新井駅のホームで、「急行 久喜行き」を待つ俺等。その下りホームでいつも「西新井ラーメン」という立ち食いラーメン屋を見かけるのだが、毎回気になる。ラーメンスープの匂いが嫌でも鼻に入ってくるので。その匂いしかも掛け値なしに美味そう。

立ち食いそばではなく何故かラーメン。本当にそばがない。あってもカレーライス。明らかにそば屋に喧嘩を売っている。そんな頑固なメニューを年季の入った白衣の婆ちゃん店員達が手馴れた手付きで作っていく。そのオーラはいかにも熟練。だが動作がキビキビしている割には結構気さくで、客と楽しげに雑談していたり。こういう婆ちゃんのことを百戦錬磨、手練手管と呼ぶのだろう。有楽町ビック前の立ち食いそば屋のおっさん店員なんて、愛想が無い上にそばもカレーも不味いんだもんな。どうしようもねぇ。

客層も通常のそば屋にありがちなリーマンやおっさんだけでなく、着飾ったOL風や若い女子達もガンガン入ってくる。ラーメンが美味い証拠。一度食ってみたいと思うのが人情だろう。だが、この界隈に10年以上住んでいるのに、西新井駅に何百回も訪れているはずなのに、俺等は西新井ラーメン未経験。有り得ない。有ってはいけない。

そんな戒めも手伝って、次は朝早く起きて必ずこの西新井ラーメンで食おう。そう誓いながら、東武動物公園駅に向かうのだった。
 
 
■東武動物公園駅、何もなし
東部動物公園駅に降り立った俺等。乗馬体験も含めればこれで三回目だ。駅周りの景色にも大分慣れたし勝手も分かってきた。

とりあえず一言でいうなら、のどかな場所。建築物は総じて低いので見渡しは良い。晴れの日だと青空が映える感じだ。よって繁華街のようなエリアもなさそう。喫茶店が少々と、飲食店が少々、飲み屋もたまに見える程度か。全体的にスッキリしていて人通りは多くない。都市ではないが田舎すぎるわけでもない。アーバンでもなく、シティでもなく、ベッドタウンと表現してよいものか何とも言えず、個人的には鳥取の実家に戻ってきたような既視感を抱いた。

俺等が使うのは西口。この西口にはホント何もなく、東口の方が多少便利そう。だがここで飲んでいこうぜと盛り上がる場所でもなさそう。まあ用があるのは東武動物公園および乗馬クラブクレインだけなのでさほど不都合は感じないが、それでも今後通う頻度が高くなるはずの場所だからには、好きになれるよう気を配りながら散策したいところ。馴染みの場所とは、単に頻繁に出向くから機械的に馴染みだと見なす場合と、好きだからいつの間にか馴染みになってしまった場合とがある。願わくば後者の動機でありたいものだ。

今のところは、クラブ行きの送迎バスが来るまでの間、駅ナカのロッテリアでコーヒーを飲んで待つというルーチンでいる。ほんの10分ほどだが心の準備は必要だ。ただ、このロッテリアはレジ担当が1人しかいないからか、オーダーしてから商品が来るまで結構待たされるのが珠に瑕だ。朝からレジ待ちの客が結構並ぶので、もう少し効率良く回して欲しいというのが本音。今のところ寛ぐ拠点はここしかない。

そして送迎バスに乗り込む。バスは9時5分とか10時5分という感じで1時間おきにやってくる。そこそこ大きめのマイクロバスだが、乗馬クラブなんて競技人口が少なそうな場所でそこまでデカいバスが必要か?

と最初の頃は思っていたが、結構バス待ちの客は多いんだよな。出発5分前になると、所定の場所に設置された椅子に座って何やら待っている人間達を結構見る。最初は分からなかったが、「コイツラも乗馬だな」と今なら見て分かる。

乗馬は結構荷物になるため、その荷物を入れていると思われる大きめのバッグを背負った兄ちゃんとか…。リュックに棒のようなものを突き立てている姉ちゃんとか。どうみても鞭です…。あと、乗馬用キュロットやブーツを最初から履いてきている姉ちゃんとか。始める前から気合満々…。

まあ俺等も今回は、乗馬クラブに着いてからレッスン開始までの時間が殆どないためジーンズの下に競馬キュロットを履いて来ているが。たとえば市民マラソン大会などでも、着替える手間を省くためジャージとジョギングシューズで会場に来てそのまま走るランナーは結構見られるが、それと同じ要領だろう。乗馬に関しては今後も俺等はそうする。これも時短の1つだ。

そんな彼氏彼女等が、バスに黙々と乗り込み、乗馬クラブに着いてからは各々のカリキュラムに従って散らばっていくのである。経験年数、通った回数、適性、諸々の要素によって導き出される現在の自分のランク、レベルに応じて…。

俺等はまだ始めたばかり。初心者も初心者である。しかし乗馬クラブに到着し、多くの練習生や馬達が行儀よく、だけど一生懸命練習しているこの閑静な風景を見た瞬間、俺等の心は落ち着きを取り戻しつつも、これから始まる練習を思い戦闘態勢に入るのだ。
 
 
■専門用語あれこれ
乗馬体験を含めれば今日で3回目。いや3日目といった方が良いか。1回のレッスンは45分間だけど、1日の間に同じレッスンが3~4回はあるので。たとえば俺等が受けられるのは最も初心者用の「ベーシックC」というカテゴリだが、そのベーシックCの開始時間は10時開始、11時開始、14時開始、15時開始といった感じで4回設定されており、その4回全てを受講することも可能だ。

実際、俺等は前回2日目の時も、1日に2回続けてレッスンを受けた。最初は「1日1回だけ乗って、それを隔週くらいでマッタリ続けていけばいいか」程度の気分だったのだが、指導員の方々に「最初の内はあまり間を空けない方がいい」と言われ、そうした次第だ。

よって、初日の乗馬体験で1回、先週で一気に2回レッスンを受けているので、馬に乗った回数でカウントすれば今日は3回目でなく4回目となる。だが実際には3日しか来ていないので、3日目とした方が分かりやすいだろう。かなりどうでもいいことかもしれないが、恐らく今後さらにこんがらがっていく。だから「○日目」と俺等はカウントする。

あと、根本的な問題として、馬に乗った回数のことは「○回」とは言わない。「○鞍(くら)」という数え方が業界での常識とのことだ。初めての乗馬体験で付いてくれた係員さんにそう聞いた。

彼は言った。「乗馬経験はどのくらい?」と聞かれた時「20回くらいです」と答えるのはモグリだと。「20鞍ほどですね」と颯爽と答えるのが通説かつスマートであり、相手も「お、この人分かってるな」と見る目を変えるという寸法ですよ、と。そのくらい業界用語というのは大切なんですよ、と。

言いたいことは良く分かる。意地悪なんかじゃ決してなくて、当然通るべき道という位置付けだ。

乗馬に限らず、業界用語というのは関わらない人間にとっては言い辛く、読み辛く、大抵は言い方を間違える。たとえば株用語だと、「始値(はじめね)」「終値(おわりね)」「日足(ひあし)」「週足(しゅうあし)」「月足(つきあし)」「建玉(たてぎょく)」などの専門用語だ。専門用語というより、「ワザと分かりにくくしてんだろ?」と疑りたくもなるというもの。

だが、突き詰めればそれで正しいのだと思う。業界用語というものは、その世界に入った者だけに通用する言葉。言い方を変えれば、その世界に入るためにはそれなりの資格が必要ということだ。専門用語も知らずしてその世界を語るな、と言っている。その世界に入ろうとする人間の、覚悟の程を問うている。

関係ない一般人に対しては、その都度分かりやすく説明すればいい。だけど関わる人間がそんなことでは困る。業界を支える側として、その専門用語を前提としたやり取りをするのが当たり前なのだ、と。分かる者同士で磨き合い、深く突き詰め、地盤を形成するのが彼等の仕事。

そして時と場合によっては、「やっていない」大衆に対して噛み砕いた説明も出来なければならない。裾野を広げるために。業界に対する自身の造詣が深まって終わりじゃない。それでは先細りだ。自分が居なくなった後のことも考える必要がある。なので業界の地盤を固めた後にすることは、プレイヤー人口の増加。そのための啓蒙活動は「やっている人間」の責務だ。

いずれにしても、専門用語でやり取りできるかどうかという指標は、言わば分かる人間とそうでない人間とを見分けるバロメーター。両者を仕分けするための「ふるい」の役割を果たしている。

考えてみると、殆どの世界がそんなものだ。

たとえば自分が学生時代にやってきた空手だと、突きを決めた選手に対し「ナイス中段!」と賞賛すれば、それは「前屈立ち」の「右(あるいは左)中段正拳逆突き」が、腰のキレも拳の引きもバッチリな状態で相手の腹部に綺麗に決まってポイントもしっかり取れたと誰の目にも明らかに分かるぜ、という意味合いを込めた賞賛の言葉なのだが、空手をやっていない人間からすれば突然「中段!」と言われても何が何だか分かるまい。「えっ、何!? 中断すんの!?」みたいな…。そうじゃない。そうじゃないが、それが普通。

「前屈」にしても、「前屈になって」と命令されれば、空手家なら自然と左太ももを支点に右足を後ろに引きつつ、ちょうどアキレス腱を伸ばすストレッチのような体勢になった上で拳も自然と構えの体勢を取るものだが、一般の人だと「前屈になって」と言われたら、肩幅に立った状態から両手をつま先に付けるような形で腰を地面に曲げるのではなかろうか。

これが、やっている者とそうでない者の違い。認識の違いであり、言葉の受け取り方の違い。だからやっている者同士の会話はリアクションやその後のやり取りもスムーズになるし、そうでない者は何となくぎこちなかったり会話が噛み合わなかったりする。

どちらが正しいという次元の話ではなく、その業界に居る、あるいはその業界のプレイヤーになりたいと思うからには、専門用語に対して「何でわざわざこんな面倒くせぇ言葉を」と腐してはダメだ。相手を恨むのではなく、自分の方が相手に合わせる。慣れるように努力する。そうでないと結局その世界に長く居られない。そして仲間も出来ない。長い目で見れば慣れるのが一番良い。

何より知らない用語を覚えていくのは楽しい。自分が次第にその世界に精通していく、その世界の一員になってきている。そんな充実感がある。この仲間意識の芽生え、そして自分が一員であるとの自覚こそが次へのステップへと繋がるのだ。

それは、そのステップへ進む意欲、モチベーションを生み出すということ。覚えればもっと覚えたくなるのが自然の流れ。先に進みたくなるのが人間。その、人間としての善性は、ある程度続けなければ姿を現さない。先に進む気が起きないのは、向上心が芽生える前に途中脱落してしまうからだろう。無論、好き嫌いもあるが…。

誰しも向上心を内に秘めている、という理論の下、自身を振り返れば、確かに続ければ続けるほど先に進みたいという欲求が湧き出てきたものだし、専門用語や業界のシステムや流れなどを覚えれば覚えるほど思考も行動もスムーズになってきた気がする。そして例外なく先に進んだ、気がする。続けたものに対してだけは。

「一定期間続けた」という条件で記憶を辿り網羅するなら、たとえばつい最近まで約1年間休まず続けた早朝水泳。泳げる距離や速度が向上したのは当然として、「ストローク(手の掻き)」とか「ブレス(息継ぎ)」とか「ストリームライン(泳ぐのに適した抵抗流の線型姿勢)」など、最初は何だかしっくり来なかったが、やっている内にすんなりそれらのワードが頭の中に落ちてきた。

同じ運動でも、2年ほど続けたマラソンは、専門用語を知っていなければならないというほどでもなかったが、必要なグッズやカロリー基準など知識はある程度付いただろう。

抜け毛防止のために通ったクリニックでは、ミノキシジルとかプロペシアとか、本来は関わりたくないけど関わらざるを得ない余計な用語がしっかり頭に入ったものだ。ハゲ対策仲間と一緒に「プロペ買いに行く?」みたいな会話を良くしたものだ。まあ、あまり楽しい記憶じゃないな。1回数万円とか、そこに1年以上通ったとか、ボッタクリにも程がある。あの頃は全てにおいて心底辛かった。

同じように鍼治療は今でも続けているが、先生と話をしている内に、足まで神経が繋がっている腸陽筋(ちょうようきん)とか、腰の左右に張り付く菱形のような形をした腰方形筋(ようほうけいきん)とか、今まで聞いたこともないような筋肉の名前を自然と覚えてしまっている。ちなみに俺は、この腰方形筋に致命傷を受けているのではないか、というのが先生の見立てだ。それを信じて全力で付いていく次第。

定期的に出掛けている旅行でも、無駄に航空会社の名前とか鉄道の名前とか色々知識として頭に入っているし、ただの浪費じゃないと言えよう。

と、まあ色々あるが、例外なくそれらは記憶に残っているということ。その用語と、同じ空間にいた仲間達と、乗馬も今後続けていけば、将来記憶に残る思い出となるのだろうか。是非そうなって欲しいものだ。

とりあえず、今日は乗馬3日目。鞍数(くらすう)で言えば、初日の体験乗馬が「1鞍目(いちくらめ)」で、翌週2日目に「2鞍目(ふたくらめ)」と「3鞍目(さんくらめ)」を連続でこなしたから、今日は4鞍目(よんくらめ)という計算になる。指導員の言葉を借りれば、「今までいかほど乗りましたか?」と問われれば、「ボクは4鞍乗りました」と答えられる身分。

だがその4鞍目がまた先週と違い、かなりスパルタだったな。先に言った専門用語の嵐、かつ結構ハードなトレーニングだったと言えよう。
 
 
■ハードなカリキュラムをこなす
受付を済ませ、更衣室で乗馬ズボンとベストという格好に着替える。俺等の場合はブーツとヘルメットをレンタルしなければいけない。その旨を受付時に伝え、あとはブーツとメットが並んでいる奥の棚から自分に合ったサイズを勝手に取り出すという寸法だ。

しかし先週は手取り足取り、その手順を教えてくれたのに、今日はそこから既に放置プレイ。勝手に取って下さいということだ。「え?どうしよう?」と一瞬動きが止まった。どのメットが合うのか、先週の奴を記憶しておいた助かった。まあ放置された分、流れは完全に覚えたわけだが。

準備を整えたらレッスン開始の11時まで、30分間ほど馬装(ばそう)訓練というレッスンをする。馬装とは馬に付ける器具とかを指すのだが、それを全部付けないにしても、無口(むくち)→馬の口に付ける縄みたいなもの の付け方とか、馬房(ばぼう)→馬の部屋 から馬を出して少し歩き、また戻る練習とか、先週までやったことのないものの手ほどきを一気に受ける。教え方は分かりやすいが、結構早足なので覚えていられるかどうか不安だ。

その指導員の人から、馬の脚は「あし」ではなく「きゃく」と呼ぶとか、色々用語も聞いた。まあ業界用語だろう。

乗る前に、洗い場でハケみたいな道具を使って蹄の裏を掃除するとか、他にも馬の装備品のフックをどこに取り付け、どうやって外すかとか、一回やればもう覚えて下さいねといわんばかりの詰め込み具合だ。かなりヒヤヒヤした。

そしてやはりすぐに忘れてしまって「どこでしたっけ?」と何度も質問してしまう。何十回もやればまず覚えるだろうが、断続的だと記憶が定着しないから困る。こんな基礎中の基礎で躓いている場合じゃないんだが。なかなか焦る。

そしてレッスン本番。基本的には屋根付きの場所で、決められた円形のコース内でグルグルと馬を歩かせてリズムに慣れるというプログラムしかない。基本、脱線はしないから安全性は高い。指導員も付いている。そこで馬の止め方、走らせ方、リズムの取り方を習得する。俺等のやっているベーシックCは、そのリズムを覚えるというただ一点が目的と言っていい。指導員は「やっていく内に慣れるものです」と言ってくれる。

が、これが結構難しい。馬が歩いているだけならいいが、早歩き、そしてもう少しスピードが速い速度、という三段階のスピードがあるからだ。それぞれ常歩(なみあし)、軽速歩(けいはやあし)、速歩(はやあし)と呼ぶ。この呼び方自体、馬関係の人間じゃないと読めない。

さらに、進む馬上で立ったり座ったりを繰り返す、という練習をする。止まっている上体であればそれも問題ないが、常歩で歩き出した瞬間、難しい。さらにスピードのある軽速歩だともっと困難だ。指導員は「1,、2,、1、2」、あるいは「立つ!座る!立つ!座る」と掛け声でリズムを取ってくれるが、走っている馬の揺れは考えている以上に相当なもので、すぐにバランスが崩れる。リズムが合わないとケツとかタマタマが、上下に揺れる馬に突き上げられるかのような衝撃を受けて酷いことになる。

手綱を握る手は前方にぶらんとさせて、上体もリラックス、足裏は地面と平行で、腰や脚の筋肉を使うんじゃなくて、馬の揺れのリズムに合わせて、はいっ! 立つ!座る!立つ!座る! …出来ねーよっ!

という感じでかなり苦労している。これはまさしく何度も乗って慣れるしかないだろう。

だが、たまに数十秒間、走る馬の揺れと同期して立って座るというリズムが容易に出来ることもあるのだ。その時は本当に身体が楽で、殆ど力を使っていない気がする。腰もあまり痛くない。これが出来た時は自分的にちょっと感動する。嫁も同じのようで、この充足感を得るために、また次も乗馬練習したい、感覚を忘れないためにも早めに次も乗りたい、と思うのかもしれないな。

そんな俺等の内なる願望を読み取ったのか、11時のレッスンに付いた先生が、「本当に今日はこれで終わりですか? もう1鞍やっていきます?」と第2回戦目を提案してくる。ニヤリとした笑顔で…。

結局、俺等は先生の口車、もとい前向きな提案に従い、続く12時からのレッスンも急遽入れたのだった。

2時間ぶっ続けだから相当疲労したが、確かに連続して乗ったお陰で先のレッスンよりも馬とのタイミングが合う時間をより長く感じられた。先生の言うように、この手のリズム感は数をこなして慣れる以外になさそう。だから俺等も最初の内は感覚を忘れないためにも間隔をあまり空けず練習しようと考えるようになった。

そんな方針設定もあり、乗馬体験も合わせて3日目なのに、もう5鞍目。まあ実際は正式に練習生となった時を1鞍目とカウントするから、正確には4鞍目。当初は1日1鞍、それを隔週で通い月2鞍の計算でのんびり行こうと考えていたのに、蓋を開けてみれば今のところ毎週レッスンという。

結局、来週も2鞍連チャンで予約を入れてしまった。なかなか過密かつ本気度が高い週末になりそう。そして本日もまた、ハードかつスパルタな一日であった。まあ、それはそれで実になることだろう。

とりあえず来週はニンジンでも持ってくるか。指導員の先生曰く、スーパーで買ってきて勝手に馬に餌を上げてもいいとのこと。「変なもの食べさせられてお腹壊したりしないかな?」と嫁は心配するが、乗馬クラブのような場所は基本的に善人の集まりという前提での自由主義なのだろう。動物好きな奴に悪い奴なんていないということで。馬達のつぶらな瞳を見ていると本当に癒されるから。
 
 
■動物園
乗馬の後は、そのまま東武動物公園に入り、駅方面に向かいつつ動物園見学。数週間前までは寒さで身体を震わせていたのに、今日は日照りも最高で、ポカポカと暖かい。出店で買った焼きそばや生ビールを青空の下、野外のテーブルでのんびり飲み食いする心地良さよ…。

乗馬が終わって送迎バスでさっさと帰るのもいいが、せっかく遠くから来ているのだから、動物園を見ながらでも損は無い。どうせ歩く内に、自然と駅方面に近付いていく。東武動物公園はそういう構造である。

東武動物公園は、動物園、遊園地、フラワーガーデン?が一体となった総合テーマパーク。それゆえ敷地は果てしなく広い。一説にはディズニーランドと同じくらいだと聞いた。イメージ的には日本列島のように左斜め下から右斜め上に伸びる枝豆型の敷地だろうか。まあ下記案内図の通りである。

http://www.tobuzoo.com/guide/

この敷地の入口は2つ。左端に西ゲート、右端に東ゲートが設置されている。しかしだだっ広いため、西ゲートから東ゲートまで歩くと15分は掛かるだろう。だから入るゲートは間違えないようにされたい。

基本的に、東ゲートの方が駅から近い。というより、駅から徒歩だと東ゲートにしか行けないだろう。西ゲートは遠すぎる。西ゲートはクルマ専用のゲートと見ればいい。乗馬クラブも西ゲートを入ってすぐの場所にある。

それも含め、西ゲートは動物園エリアがメイン。俺等は駅から送迎バスで出発し、駅から一番遠い西ゲートに到着。そこで乗馬をして、動物園エリアを北東に進みながら、遊園地エリア、フラワーエリアなどを経て、気付けば東ゲートに到達している。その東ゲートを出て今度は駅までノロノロと歩く内に、いつの間にか東武動物公園に到着しているわけだ。

幸か不幸か東武動物公園界隈はゴミゴミしていない分、景色はいい感じ。途中、散策しながら歩くのは結構楽しい。格安スーパー「パール」を物色したりしつつ、俺等は東武動物公園を後にした。
 
 
■今年こそは梅を観る
東武動物公園駅を出た後は、北千住駅で東京メトロ千代田線に乗り換え湯島駅へと向かう。湯島天神で今週日曜まで開催されている「梅まつり」を見るためだ。

祭りへの参加といより、梅観賞が目的。昨年4月から始めた「季節ごとの花を愛でて過ごす」ツアーで唯一観てなかったメジャーな花は残すところ梅のみだったから、枯れる前にどうしても観賞したかったという気持ちで臨んだ強行軍だ。

冬は花があまり咲かず、春になれば全国で最もメジャーと言っていい桜の季節となる。梅はその隙間に人知れず入り込み、人知れず散っていくというマイナーな花。認知度的にはメジャーだけど、桜の死角に隠れてしまうという点、また桜と姿形が似通っているという点でも心理的にマイナーなのだ。ついつい見過ごしてしまう。俺等もマトモに梅観賞をしたのは過去10年でも記憶が無い。

だから今回、湯島天神で観た梅の木も、見頃はとうに過ぎていたが、それでも何割かは代やピンクの花を咲かせてしっかりと残ってた。ギリギリ間に合って良かったと心から思う。

ついでに、東北の出店が出ていたので土産を買ってみたり。学問の神様が祭られているということもあり、まるで将棋崩しの将棋のコマのように密集して各所に奉納されている何千、何万という合格祈願の絵馬達に圧倒されたり。急ぎ足で廻った割にはなかなかに楽しめた。
 
 
■上野は既に桜が咲いて…
その足で上野まで歩いていると、上野公園の入口に桜が既に咲いている。「オオカンザクラ」という早咲きの品種だが、先ほど湯島で梅を見てきたばかりなのに、目の前にはもう桜が咲いているとは。複雑かつ奇妙な気分だ。

公園内も、まだ花弁を突けない桜並木の両脇に、早くも提灯が奥までズラリとぶら下がり、上野公園の風物詩たる花見本番まで間もなく、と言わんばかりの準備万端。内部では、西洋美術館の世界遺産登録に合わせてか、地面を整地工事している場所も見られたり。上野公園はこの多少汚らしいところが魅力なのに。小奇麗な上野公園など、もはや上野公園じゃないってのに。

などと思いつつ、噴水前の広場では、アート展と銘打って、東京芸大の学生達の出店が並び、恐らく音楽部の芸大姉ちゃんがソリストとしてオペラ風に歌うと、そこに人だかりが出来、観衆は姉ちゃんの歌声に聴き入っていたり。様々な活動、変化が見られる。暖かくなってきた証拠だ。

季節の変わり目、春の息吹。その狭間に垣間見える、役目を終えた梅と役目に向けて準備を整える桜との、世代交代の妙があった。
 
 
■未開の飲み屋はいくらでも
桜観賞後、上野の飲み屋で軽く飲んで帰ることにしたが、土曜の夕方だからか主だった店は軒並み満席。「神田っ子」とかでカオスに飲みたかったのだがな。いつも笑顔で客引きしている兄ちゃんが、店内に引っ込み入口のドアを背中で塞いでいる時点で外の客は満席だと分かってしまう、ある意味効率のいい「神田っ子」の呼び込みスタイルよ。

結局、十数分歩いた結果、「釧路」という結構空いている居酒屋で飲んだ。名の通り魚介も扱うが、肉系でも他のつまみでもあらかた揃えている。つまり完全な居酒屋だ。空いているのは、恐らく店員姉ちゃん含めスタッフに中国人が多いからだろう。店の入口にも「中国語OK」とわざわざ書いてあるところを見ると…。

だが、中国人姉ちゃんの対応も普通だったし、料理も普通に食えるし、むしろ空いている分、穴場かもしれないな。好んで行くことはないかもしれないが、どこにも行き場がない状態であれば行って後悔はしない店と言えた。
 
 
■西新井のシンボル達よ…
それらが全て終わり、ようやく最後の締めである西新井温泉へと着地した俺等。ここには毎週必ずと言っていいよど通っていたのだが、しばらく乗馬や飲みで都合がつかず3週間ぶりくらいに訪れた。まあ久々であってもクオリティは変わらないけどな。色んな意味でのクオリティが。

ただ一方で、西新井のショッピングビル「パサージオ」の前に立っていたはずの大木が、いつの間にか伐採されていた。2~3年前まではクリスマス時に意外と綺麗なイルミを見せてくれたものだが。去年はそのイルミ自体なかったけど。とうとうお役御免なのか。寿命とは思えない。多分リストラだ。この大木は、ある意味西新井のシンボル的存在だったのだが、結構ショックである。パサージオがもっと稼いでいればこんなことには…。
 
 
■濃密な一日。
乗馬、動物園、梅観賞、飲み屋、温泉と、全てやり終えて帰宅した頃には既に深夜近く。16時間ほどぶっ通しで活動したか。上野の北野エースから土産で買ってきた「春のわいん巨峰&ピーチ」や、湯島梅まつりで買ってきた「せん豆(せんず、ではなく、せんまめ)などを並べ、今日一日の思い出に浸る。充実した一日であった。

と思えば、何もせず漫画読んで寝るだけの自堕落な休日もある。

どちらも同じ休日。どうせなら濃密な休日にしたいものだ。

20170303(金) 化物語を打たなかった桃の節句に食べた散らし寿司の美味しさよ

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【朝メシ】
無し(家-嫁)
 
【昼メシ】
自作オニギリ(職場付近-1人)
 
【夜メシ】
散らし寿司、ハマグリお吸い物、ホタテと博多な花の塩茹で煮、中華風豆腐、ネクターつぶつぶ白桃(家-嫁)
 
【暦】
二十四節気 第2「雨水(うすい)」
七十二候 草木萌動(そうもくめばえいずる)
 
【イベント】
仕事、秋葉原、ジャグラー
  
  
【所感】
■パワハラという言葉すら生ぬるく
ウチの職場は本当に酷いな。腐臭のする空間、生きた屍達の集う場所、といったところか。特にパワハラが凄まじい。それもトップの人間が従業員の人格攻撃を日々するのだから救えない。時にはヘラヘラとした顔で、時には怒号交じりで。小学生レベルの稚拙で短絡的な言葉の数々。だが権力を持っているだけに子供の虐めより遥かに陰湿で救えない。

そんな言葉の暴力。お前頭おかしいんじゃねーのか? と従業員に向かって言うが、おかしいのはどう見てもお前だよ、と心の中でいつも思い、疲弊する。見苦しい、聞き苦しいという光景はまさにこういうことかと毎日目の当たりにしているだけでげんなりする次第だ。

自然、目的意識を持って何かに取り組もうという気力も萎えるし、前向きな考えもし辛い。何か言えば都度ネガティブなレスポンスがカウンターとして返ってくると分かっているから次第に口も開かなくなる。このトップの人間は、ストレスのはけ口として気ままにパワハラしているのかもしれないが、自ら率先して職場の生産性を落としていることに気付かないのかな、と。

そういえば京も、事務方の人間が怒鳴られていたな。お客に請求書を出すのを忘れていたようで、それに対して火山が噴火したかのように怒り狂っていた。怒声が壁越しのこちらまで聴こえてくる勢いだ。最近、この手の怒号がかなり頻繁に響き渡っているが、一体なぜそこまで怒り狂えるのか、その脳内構造が不思議でならない。それに請求書を出すのを忘れたと言っても、一応期限には間に合っているのだが。

ただ俺が見るに、今回の請求書を忘れた事務方は、疲弊して思考能力が著しく低下した結果だと分析している。その事務方に対し、ここ数ヶ月間、その怒りっぽいトップの人間が常日頃から言葉の暴力を浴びせているのを見ているからだ。その事務方の容姿はごくごく普通で何の問題もないが、例えて言うなら人の容姿についてニヤニヤしながらこき下ろしている感じか。仕事とは全く関係ない、完全な人格攻撃と言える。

正直、あそこまで言われ続けていたら職場に来たくなくなる。むしろ心神を衰弱させられたと訴えてもいいレベルだろう。思えば過去、何人も、十何人も同じような理由で辞めていった。職場は仕事をする場所だけど、そこに居るのは生きた人間。人間関係は最重要と言っていいファクターだ。その最重要ファクターが地獄のように底辺なのだから、噛み付き反撃するか、離れるか、結局はその二者択一なのだ。

その二者択一の中で、皆が離れるという選択をした結果、そして相変わらず何も改善していない今の職場環境がある。人が変わっていないから当然の話。特に上に立つ人間が。人は簡単には変われない。自らを省みるという作業が難しいからだ。立場の強い人間ならば、なおさら自分が正しいと思い込んでいるし、しかもそれを止める人間が居ない。だから変わるのはほぼ不可能なのだ。

だから変わるとしたら、変えるとしたら、自分自身。考え方を変えるのか、どんな誹謗中傷も柔軟に受け流せるような強靭さを持つのか。しかしそれは強靭さというよりも、意思と個を放棄した生きた屍にも見える。屍のまま生きるのは、出来まい。結局どこかでガタが来る。人間を人間として見ない相手とやっていけるはずがない。それは人間の皮を被った獣なのだから。獣と人間は基本、共存できない。

だから、あと変えるとすれば、今の環境そのもの。という考えに自然と行き着くのが人間の道理。俺も環境を変える時がそろそろ来たか。屍のままあと数十年生きるのは、恐らく無理だろうし、生きている甲斐がないから。

一般から見れば異常な光景。だけどウチの職場では日常茶飯事な。世の中は広く、人間の種類も限りなく、だけど自分が考える人間の在るべき姿と相反しすぎた光景を、深く考える日であった。
 
 
■無駄にジャグラーに座る
諸々抱えた物思いを吹き飛ばすためにも、ここはお気に入りのパチスロ化物語を打つのが精神衛生上相応しいだろう。そう判断し秋葉原で途中下車したものの、正直スロを打つことにさしたる意味も生産性も無いと思っている。

演出が楽しい、アツくなれる、BGMが良い、リズムやテンポが好き、原作が好き…といった諸々の感情は確かに打ち手の胸の中に芽生える。だがその感情がそこまで高まるのも、あくまで金が掛かっているから。勝てば小遣いを稼ぐことが出来るからだ。その金銭的喜びが台を打つ喜びに摩り替えられているだけの話。

言い方を換えれば、金を掛けないパチスロ機なんてものは、大してレベルの高くない絵や音や映像を延々と垂れ流すだけの単調な機械。そんな代物に何時間も座るのはただの苦行だ。自分の貴重な時間を割く理由がない。

それなのにその貴重な時間を惜しげもなく投入するのは、掛けた時間に対するリターンが見込めるから。稼げるからだ。それも決して低くない可能性で。だからいい大人達が平日、休日を問わず、朝っぱらから意志を持たないゾンビのごとく灰色で無機質なホールへと吸い込まれていく。

というわけで、金が掛かっていないスロなど余暇の過ごし方と呼ぶほどではない。また金が掛かっていても、ただの一時的な享楽に過ぎない。僅かな小銭を稼ぐことだけが目的。勝てば興奮、負ければ全てが空虚。結果が出てしまえばそれまでの過程もドラマも露と消える。勝つか負けるか、その途中途中の挙動に一喜一憂するだけの時間。その場その場で盛り上がりすぐに記憶から飛んでいく一過性のもの。積み重ならない時間だった。

が、それでもプレイしている時間は全てを忘れて没頭できる数少ない対象ではある。運動でも読書でも集中すれば心に雑音など入らないのだが、未熟な最近の自分ではそれら雑音を跳ね除けること適わず、つい安易なスロに頼ってしまう。この傾向は早急に是正せねばなるまい。今すぐにでも。化物語が撤去されれば自然とそうなるには違いないが。

その化物語が全て先客で塞がっていた。せっかく途中下車したのに酷い仕打ちだ。束の間の安らぎすら与えてくれないのか、と。

だがこういうのはタイミング、巡り合わせの領域。席が空いていないということは、今日は座るなという天啓だったと後で振り返って分かるケースは意外と多い。だから今日は打たずに退散すべきだった。いや、それでも打ちたいというのなら、目当ての席が空くまで手を出さずじっと待つべき。我慢が必要な時もある。

しかし我慢できなかったようだ。短時間で勝負できるマイジャグラーに座ってしまう。化物語が空くまでの時間潰しだと自分に言い聞かせていたが、要は何でもいいから打ちたかっただけだろう。ホールに出向いたからには何かしら打ったことにしたい。既成事実が欲しい。そのために経験値の少ないジャグラーに座る。

まあジャグラーに経験値もクソもないのだが、それでも理性的な選択とはいえない。短時間と言いつつも、BIGが当たればすぐに撤退する心の強さもなく、結局はダラダラと続けてしまうのだ。

そして本来座りたい化物語が空いたとしても、ジャグラーをプレイ中だからと化物語に座れない、いや座らない。ジャグラーの席をさっさと立って機種変更すればいいだけなのに、もしこのジャグラーがいきなり噴いたらどうしようという不安がよぎる。自分が暖めた機種を馬の骨にハイエナされて大爆発しようものなら胸を掻き毟るどころでは済まないぞ、と…。

パチやスロで最も忘れてはならない「引き際を心得る」という姿勢。一所に執着せず、切り捨てるべきは切り捨て拾うべきは拾うというヒット・アンド・アウェイの重要さ。どれだけその鉄則に従うことが出来るか、当人の自制心が物を言う。稼ぐのが目的だが、究極的には勝ち負けに執着しない潔さが無ければダメなのである。

つまり、いかに我欲を切り捨て自分を見切れるか。客観的かつ醒めた感性こそが結果的に勝負の核。誰もが頭では分かっている。しかし実践し続けるのは困難極まりなく、だからパチンコホールはいつでも攻撃的なオーラに包まれ怨嗟の声も絶えない。

まあ結果的には、今回のマイジャグラーでは普通に勝てたが、「ヒットアンドアウェイ」のセオリー通りに行動していないので素直に喜べないところ。初っ端でBIG2連したのに同じ席に固執して、結局ダラダラと2時間近く打ってしまった。

それでいて最終コイン枚数はBIG2回分もないというオチ。本来なら10分で終わっていたのに、無駄に2時間も過ごした挙句、途中で空いた化物語にも座れず終了。本来の目的も見失っている。待っていても事態は好転しないという実例をまさしくこの身に味わったのだった。
 
 
■桃の節句
3月3日は桃の節句。五節句の一つであり、上巳(じょうし)とも呼ばれる。「上司」と読みが同じであることに何とはない嫌悪感を抱くが、その評価ははそれぞれが持つ上司の性質によって大きくぶれるだろう。少なくとも俺にとって「上司」という言葉は唾棄の気持ち以外今のところ持てない。

反面、上巳というイベントは自分にとって大切だ。家に女の子が居るわけじゃないが、一年を彩る節目の一つ。それも祝い事に部類される節目だ。こういったイベントは結構記憶に残るもの。だから今まで大切にしてきたし、今後も大切にしたい。

というわけで、まずはひなあられを買ってきた。好んで食うようなものでもないが、一種の賑やかし。桃の節句にひなあられは定石だ。また嫁は、散らし寿司やハマグリの吸い物を用意して晩飯に備える。散らし寿司もハマグリの吸い物もまた桃の節句に欠かせない。それらがテーブルに並べられるだけで雰囲気出まくり。その雰囲気こそが大事なのだと、多くの者が知っている。

散らし寿司の表面には、ハムを使ってうさぎの絵がしつらえられている。なぜうさぎなのかというと、ウチにうさぎのぬいぐるみが居るからで、男ばかりの亀達の中で、数少ない女の子である。そのように設定されている。あと、ドラクエのスライムつむりのぬいぐるみも一応女子ということになっているが…。

先の雰囲気と同じく、その設定こそが大切だ。亀にしても、うさぎにしても、ドラクエぬいぐるみにしても。そのうさぎのぬいぐるみを買ってから、もう10年以上が経過している。ウチに来てから10年以上経っている。重みのある10年であり、かけがえのない10年。その間、いつでも家にはうさぎのぬいぐるみが座っていた。

桃の節句など、しょせん自分の娘に対する親の愛以外の何者でもない。他の家庭などどうでもいい、ただただ自分の娘だけを、と。つまり親バカである。しかしその親バカの純度は限りなく高く、紛れなく、見返りを求めない。だから桃の節句という風習は、1000年以上も前から絶えることなく現代まで生き残ってきた。時は移ろいでも人の営みは普遍であるという証拠。金と商魂にまみれながらも核にあるのは偽りなき愛、という普遍性がそこにある。

愛という感情が万物共通であるならば、その対象がうさぎのぬいぐるみであっても問題はないだろう。過ごした時間の重さと、それに比例するように自然と育まれる愛。そこに差異は基本無く、その愛に偽りはない。

魂は万物に宿り、愛も万物に与えられるもののはずだから…。
 
 
■カオスだけど愛すべき空間
愛の込められた散らし寿司を食いながら、ひと時の安らぎを得る。再度メニューで作った
中華風豆腐や、ホタテと菜花の塩煮もクオリティが高くて満足至極。

食後、スロの余り玉で交換した菓子や、スーパーで買ってきたスナック菓子、菓子パンなどをテーブルに並べ、テレビニュースなどを観る。並べるというより無造作に投げ込んだ感じか。余り玉の菓子はどんどん積み上がり、まさにカオス一直線。

そのカオスの中、テーブルに座るぬいぐるみ達と一緒にテレビをだらだらと視聴しながら菓子をボリボリと咀嚼する。何個も、何袋も、止め処なく。ますます収拾が付かない金曜の夜。

そんな中、ふと床を見れば、亀のぬいぐるみの中の一匹が、枯れ掛けたヒヤシンスの花をじっと見上げている。雑多で忙しない空間の中、そこだけが打ち水のような静謐さで時をピタリと止めている。

殆どが動、だけどところによりときどき静。愛すべきこのカオスを酒の肴に、3月3日、上巳の夜は更けていく。

20170228(火) 最後のイルミは風前の灯火(横浜中華街)

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【朝メシ】
無し(家-嫁)
 
【昼メシ】
自作オニギリ(職場付近-1人)
 
【夜メシ】
龍江飯店(リュウコハンテン)食べ放題(横浜-嫁)
 
【二十四節気 定気法】
第2「雨水(うすい)」
 
【イベント】
仕事、横浜中華街(イルミ)
  
  
【所感】
■平日の大決意
朝、家を出る前、換気扇の下に設置されたバランスボールに腰を掛ける。そして暫くの間、じっと俯き沈黙していた。考える。今日は2月28日、月末、そして…。

考える。
どうするか…。
と。

腰痛対策の一環として、喫煙コーナーである換気扇下に設置していた椅子を大分前に撤去し、代わりにバランスボールを置いた。

このバランスボールもそうだが、他にも週二回の鍼治療、一ケ月ほどサボっているが早朝の水泳、骨盤ストレッチ、骨盤ベルト、低反発マットレス「トゥルースリーパー」の購入、体幹・腹筋トレーニング…腰のために良いだろうと思えることは何でもやった。ハッキリ言って高校時代の受験勉強以上の頑張りようだ。

その甲斐もあって、最悪時10の痛みだったのが5に半減し、鍼治療開始後半年後あたりには一時2くらいまで下がり、これはもしかして全快するかも?と期待に胸を膨らませたのだが…。その先の壁をどうしても破ることができず、むしろ状態は再び後退に転じ、今も痛みレベル4~5の間を行き来する毎日。腰が致命傷を負ってから早や4年。「痛みのない世界」を夢見て足掻く日々だが、最近では「先が見えない」不安の方がどうしても先に立ち、正直辛い。自身の日々の怠惰に対する失望感も相まって、挫けてしまいそうである。

そんな、出口のない、だけど歩みを止めたら出口そのものが消滅してしまうという不利すぎる二者択一について、バランスボールに座りながら悩みを巡らせる。悩んでも解決しない。結局続けるしかない。それにしたって、溜め息ものだ。このやり場のない焦燥感。どう拡散させるか。いや、どう誤魔化すか。この際、忘れたフリをするのがベター。そのために…。

どうするか…。
今日は2月28日、月末。給料日だとか、冬と春の境目とか、節目とか、転機とか、そんなことじゃなく…。

多くの光がこの日を境に消えてしまう。ここが問題だ。

光とはイルミネーションのこと。昨年の11月頃から各地域が競うように街や建物や公園などの商業施設、公共施設をライトアップし、街行く人々を楽しませた。その半数はクリスマスでピークを迎え、終了。残ったイルミネーションは年が変わっても煌々と輝き続けるが、やはり客の心理的にもクリスマス近辺がメインなのだろう。客足は遠のき、しかし各地では細々とイルミネーションが照らされている。

その中で、俺等は去年「今年はイルミを楽しむ年にしよう」と思い立ち、これ以上はないというハイペースで出来うる限りのイルミネーションを廻った。その数、恐らく20を下らない。よくここまで詰め込んだものだと感心するほどだ。まるで何かに追い詰められるかのように。逃げ場を捜し求めるかのように。

それでも、漏れたイルミは数え切れないほど存在する。行けたくとも時間の都合上、行くこと叶わなかったイルミ達が。休日だけでは到底間に合わない。平日だろうがそれこそ毎日予定を入れるくらいの覚悟がなければ網羅など出来ない。1つのことを極めるというのは本当に難しいと、今回のイルミ巡りだけでもしみじみ分かる次第だが…。

その漏れたイルミの中に、横浜中華街も含まれていた。横浜と言って広い。厳密に言えば、横浜駅周辺、みなとみらい、マリンタワー、山下公園、赤レンガ倉庫など、同エリアで見る価値のあるイルミは数え切れないほど点在していた。個人的にも数年前からずっと憧れていた、見たかったエリアだ。

しかし、その多くはやはりクリスマス近辺を境に終了し、後は残り火のようなもの。それでは到底横浜のイルミを制したとは言えない。しかし、一箇所でも見ておきたい。全てが終わってしまう前に。

そんな中、未だ残るイルミがある。横浜中華街は、春節という中国式の暦を採用している風習もあり、2月28日までイルミを続けているらしい。つまり今日までだ。それはずっと前から知っていた。何とかその間に一度でも出向けないものか、と。悩みに悩み、いつの間にか最終日になっていたわけだ。マジか、もう今日しかないではないじゃないか。

それが、換気扇下のバランスボール上で屍のようにうな垂れる理由の全て。行くとしたら今日しかない。だけど今日は平日。仕事もある。仕事が終わってから、一時間以上も掛けて横浜の外れまで行くのか? 行けるのか? 間に合うのか?

だけど今日しかない。幸いにもイルミの点灯時間は23時まで。ほとんど深夜までやっている。だから物理的には不可能じゃないはずだ。

同じく長崎の中華街で開催されるランタン祭りは、スペース的には小規模だったが、それは見事なものだった。狭い路地を埋め尽くすように大小の提灯が煌々と輝き、川辺には延々と色とりどりの提灯が幻想的に規則正しく並べられ、そこを大勢の人々が楽しそうに歩き…。

長崎でさえそのレベル。横浜は中華街の規模としては、三大中華街とされるその長崎や神戸に比べて圧倒的なボリュームであり物量。期待できる。期待していい、はずだ。

ならばもう行くしかない。決心せよ。宣言せよ。さあ、そのバランスボールから…、

起立せよ…!

「あのさぁ…今日なんだけど」
俺は出発する準備をする嫁に振り向いた。

「何? カイトさんとご飯食べるの?」
嫁が慣れた口調で返す。
(『カイト』は俺の友人。平日でもよく飲んでいる。)

「俺…横浜中華街に、行くわ」
俺は宣言した。

「は? 中華街? 仕事の後に? 何で? 1人で? 誰と?」
錯乱する嫁。無理もない。まさか平日の、しかも月末のチューズデイに、仕事でもないのに家から1時間半掛かる横浜中華街に行く心境など常人に理解できるはずもない。しかし俺には確固たる理由があった。

だから説明する。無論仕事が終わってからだと。別に誰かと逢瀬の約束をしているわけじゃないと。ただ、イルミを見たい一心なんだと。去年から続く長いイベントの、最後の光を横浜で飾りたいんだと。

「イルミがさ、今日までやってるんだよ…今日で最後なんだよ」
絞り出すように説明し、内から湧き上がる衝動を伝えた。

嫁も理解を示したようだ。そして一緒に行くことになった。悪いね、男のロマンという名のワガママに付き合わせてしまって。

だけど1人で行くと言えば、それはそれで疎外感を感じるだろう。逆に、いきなり「イルミ見に行こうぜ」と既定路線のように話を進めるのも、まるで主導権を持つのは自分1人で相手の主権を全く尊重しないDV男のようで紳士としての矜持にもとる。

だから中間がいいのだ。「俺行くんだけどー(どうする?)」と、「(決めるのは…キミだ!)」と、あくまで決定権は相手に投げておくのが良い。丸投げ、あるいはコミュニケーション放棄とも言う。

しかし、横浜中華街に向かうことはこれで決定した。平日、月末の強行軍。これでイルミネーション行脚は本当にフィナーレ。夜空に灯る輝き、その見納め。最後の祭りである。
 
 
■なかなか終わらない仕事
横浜中華街にいち早く出向く必要があるので、さっさと仕事を跳ねたい。だがそんな時に限って全員会議などが入る。しかも定時が終わって一時間後とか。定時後のサービス残業当たり前、既定路線のように会議を入れても誰も何も言わないし何とも思わない。そんな風土が出来上がっていること自体、既に異常なのだと気付くべきだな。

そういう職場はきっと世の中に腐るほど溢れているのだろう。だからプレミアムフライデーと言われても多くが鼻で笑う。しょせん税金で食ってる苦労知らずが考えた机上の空論、お遊びなんだと。その気持ちも分かる。

が、本来それを実現するためにどうするか、という言わば前向きな思考を端から放棄しているという側面も実は見逃せない。正確に言えば、問題解決のための意識。考え行動する前に問題そのものから顔を背けている。存在するであろう正解について突き詰めることができない。そこまでの道筋を模索しようという気がない。

これは悪癖というよりも、あまりに不公正かつ不公平な現実にあてられ疲弊したがゆえの薄弱状態なのだろう。誰だって、十分な金と時間があるのなら1つ1つの問題や議題について考えることが出来る。行動も多分出来る。そこに意識を向ける余裕があるから。

だけど現実には、金も時間も限られている。だから余裕のある人間達が考え出した案について机上の空論だと誹り、拒否感を示す。その拒否感は、案そのものに対するというより、その案を発した人間自体に対する拒絶感と言い換えた方が正しいだろう。

考え方が、生き方があまりに違いすぎるから異種族のような感覚を抱く。自分では到底できない、できるはずもない考え方や生き方を、まるでそれが世の道理であるかのように、当たり前のように振りかざす相手。もはや生理的な嫌悪感、いや殆ど本能による拒絶感である。衝動的に否定したい、全力で拒否したい、そう心の声が叫ぶ。なぜならそれは、論理とは全く別の、もっと根幹的な部分…すなわち自分の存在意義を脅かす忌まわしき存在なのだから…。

なので、プレミアムフライデーの件については無理もないと言えば無理もない。俺だって「ふざけんな」と思うし。スマホの駄作ゲーム以上のセンスのなさだなと。酒の席で思いついたようなアイデアだなと。本当に万民に対し公正に広めるつもりなら法律で義務化するだろと。任意という点で、既にやる気がない思い付きアイデアであると分かる。

が、それはそれとして、横浜中華街行きの出発がサービス残業会議で遅延するのは許しがたい。さっさと終わらせるために、珍しく積極的に発言した次第だ。「というわけですね、分かりました、じゃあそれでいきましょう」と何度言ったことか。本題は結構早めに終了したのに、隙があればすぐに雑談に入ったり、同じ話をし始めるから困る。メリハリがなさすぎるというか。

ウチの職場は、本題から脱線する癖も多分に見られ、結果ダラダラと時間だけ過ぎていく傾向が強い。定年前のオヤジじゃあるまいし、みんな「時間」という要素を何だと思ってるんだろうな。やりたいことないのかな。時間が勿体ないと焦らないのかな、と。何が一番合わないって、この「時間」に対しての捉え方の余りの違いが一番合わない。

忙しいわけじゃないのに帰れない。終われるはずなのに終わらない。この類のストレスもまた、世の勤め人達が抱える苦悩の1つだろう。そう思いながらも、出来る限りの短縮をして俺は職場を飛び出したのだった。
 
 
■横浜は人々が溢れんばかり
嫁と合流した俺は、京急線から横浜駅へ向かい、みなとみらい線に乗り換え元町・中華街駅を目指した。

しかし、横浜駅は本当に人が多い。品川、川崎、蒲田あたりも賑やかだが、横浜駅だけは飛び抜けているというか、人通りが絶えないというか、東京都市部の大ターミナルで人ゴミには十分慣れているはずなのに、何度も通行人にぶつかりそうになる。ホント、横浜は賑やか。大阪府を抜いて人口数全国二位へと駆け上がった神奈川県、その中核である横浜の規模と数の凄さを改めて認識した。

あと今回初めて気付いたのだが、横浜駅はエスカレーターの速度が速い。アナウンスでも「エスカレーターが速くなっているのでお気をつけ下さい」と放送されているが、とにかく異常なほどに速い。恐らく仕事帰りの夜のビジネスパーソン達が大挙しているのも関係するのだろう。みんな急いでいるのか早足で歩く者も多く見受けられる。

そんな忙しない人達にとって、遅いエスカレーターは無駄な足止めでしかない。逆に、上り下りが速ければスッスッと構内を行き来できるし時間短縮という点でも有効だ。幼児や高齢者の安全のため遅いエスカレーターを設置している施設はごまんと見たが、速いエスカレーターという発想は盲点だった。

だが、この高速エスカレーターは確かに急いでいる人間には助かる。働く元気な世代達のため、子供や老人達のことはお構いなしとバッサリ切り捨てるドラスティック感も、いかにも先端を行こうとする横浜らしくていい。ていうか、あまりに高速すぎて躓きそうになったほどだ。

いずれにせよ、高速エスカレーターのお陰でテキパキと電車乗り継ぎができた俺等。左側に詰める人達の右側を駆け上がるように歩いていくというエスカレーター特有の光景も殆ど見られない。これだけ速いと別に右側を急いで歩く必要もない、というか逆に危ないって。
 
 
■人の少ない元町・中華街
野望とネオンでギラつく横浜駅と対照的に、みなとみらい線の元町・中華街駅は閑散状態。乗り込んだ電車も一車両に1人か2人。座り放題だ。「ホントにやってんのかよ?」と不安になるが、時計を見れば夜9時近く。冷静に考えて中華街の多くの店が閉店準備をする時間だ。平日の、そんな時間帯から中華街に繰り出そうと考える人間の方がおかしい奴ら。

だが、そのおかしい奴らにならなければ中華街イルミに間に合わないからには、今日は常識を無視してバカになる。元町・中華街駅のエスカレーターは、速度は遅いがかなり高いところまで上るので結構怖い。大した安全対策もしていないので、下を見ると落ちそうになる。人の居ない構内が、より無機質さを浮き彫りにする。空寒さで身震いする。やっぱ中華街は夜に来るもんじゃねえな…。

地上に上がり、大通りを中華街方面へ歩く。かなり寒い。通行人は少ない。ますます寒くなる。それでいて車道は結構賑やかで、都会系ヤンキー風のバイク乗り集団4~5人が信号待ちの間ヴォンヴォンヴォンーッ!とエンジンを吹かしまって煩いの何のって。

ただ、さすが横浜というか、同じバイクヤンキーでも湘南爆走族的な、湘南純愛組的な、特攻の拓的な風土から来るスタイルは埼玉、千葉、茨城のヤンキーと少し異なる。無論、どちらも騒音であることに違いはない。

多少のストレスを抱えつつ、中華街に到着。「中華街」という牌楼から今回は入った。「牌楼」は「ハイロウ」「パイロウ」などと読み、エンジェルハイロウ、ハイロウズなどと関連付けておけば覚えやすいが、シンプルに言えば「門」という意味。しかしただの門ではなく、中国伝統的な様式に基いた門である。いかにも中国っぽいと思うのはそのためだろう。

今回最初にくぐったのは「朝陽門(チョウヨウモン)」という中華街内で最大の門。日の出、すなわち朝陽を迎え入れるための門という意味で、いかにも繁栄を示唆する呼び名はメインの入口に相応しい。中華街には他に朱雀門(スザクモン)、延平門(エンペイモン)、玄武門(ゲンブモン)など計10基の門、すなわち牌楼がある。朝陽門は、それら全てを代表する「牌楼・オブ・牌楼ズ」と言うべきだろうか。しかし、夜中と人が少ないためか、昼間ほどの威容はなかった。

メイン通りも人はまばら。物品店、土産屋は既に閉店しているし、並み居る中華料理屋達も、あと1時間もすれば店を閉めていくだろう。これじゃあそこらの寂れた商店街とさして変わらない。昼と夜ではこうも景色が違うのかと愕然とした次第。そんな中、マイナーぽい中華屋の前に立つ姉ちゃんの呼び込みだけが元気に響き渡り、甘栗を売りつける姉ちゃんの凄みが本来の中華街の熱気、その残り香を残していた。

ただ、大通りから何本も別れる小道に入ると、飲み客やリーマンなどでそこそこ賑わっている。路地裏的なゴミゴミ感とでも言おうか。中国人店員が中国語で喋り捲っている光景も中華街ならではの独特の活気。夜も中華街を楽しみたいのなら、路地裏しかないだろう。
 
 
■イルミは殆ど終わりかけ
しかし、肝心のイルミはと言えば…。

一言で期待外れだった。大通りの左右に並ぶ木々は赤色の電球で装飾されているのだが、その赤い光が何と言うか、チャちい。電球が小さすぎて、少なすぎて、光量が圧倒的に足りない感じだ。全然まばゆくない、胸躍らない。元々広い通りだから光が分散してしまうのかもしれないが、ここまで小ぶりとは流石に誤算と言う他ない。

狭い路地裏には、赤の提灯が並んでいる。この辺は長崎のランタンと同じ雰囲気。非常に中華街っぽいのだが、何というかイルミネーション、って感じじゃない。新橋とか有楽町の飲み屋横丁的な明るさだ。しかも飲み屋街より人は少ないので全体的な活気に掛ける。

大通りに面したカラオケ屋で呼び込みをする姉ちゃんにイルミのスポットを聞いて見るも、同エリアの代表的建築物である「関帝廟(かんていびょう)」がいい雰囲気出してますよ、と望んだのとは少し違う回答。甘栗売りの中国人姉ちゃんに質問してみるも、全く人の話を聞いていないというか、とにかく甘栗を売りつけるのに必死だ。ここの住人にとって、イルミネーションは別に特別なものでなく、ただの風景なのだろうと感じた。

本来イルミとは、人が居なくてもその輝かしい光と色だけで幻想的な世界を表現できる。しかし横浜中華街のそれは、イルミが主ではなく、街と人が主。イルミはあくまで従属物に過ぎない。そこが他のイルミと異なる点だろう。雑多でも華やかでもない、まばらで寂しい夜の陽炎。それが横浜中華街の「イルミネーション」と呼ばれる代物に対する俺の偽らざる感想であった。
 
 
■中華料理屋もしっかりと選ぶべし
壮大なイルミ巡り最後の日に、この上ない肩透かしを食らったせめてもの腹いせに、中華料理屋で美味しい中華料理を食おうと画策する俺等。しかし、激辛麻婆豆腐などで鳴らす景徳鎮(ケイトクチン)や四五六菜館(シゴロクサイカン)などは、閉店10時、ラストオーダー9時半なので殆ど時間がない。今はもう9時10分だ。

そもそも、閉店前の中国人店員は、入店すると「ラストオーダーは9時半デスガ」と、あからさまに嫌そうな顔をする。唯一、四五六菜館本館の兄ちゃんだけが、「あと15分でオーダー終了ですが、注文してもらって10時まで居られますから、それでよければ是非どうぞ♪」と笑顔な対応をしてくれたのには救われたが、もう少し落ち着いて食べたいので、仕方なく遅くまで空いている店を適当に選ぶことにした。

それで入ったのが、龍江飯店(リュウコハンテン)という食べ放題の店。呼び込みの姉ちゃんが笑顔で元気がいいので誘導されるままに入ったが、ウエイトレスの姉ちゃんの愛想が非常に悪い。オーダーも「(備え付けの)タブレットで注文して下さい」と、口頭での注文を受け付けないというサービス精神の無さだ。

料理はまあまあ美味しいが、「これぞ中華街」という感動はない。一品が小皿なので種類は食えるが、肝心のクオリティがこれじゃあ…。こりゃあ、失敗したか? 嫁もかなり微妙そうな顔をしていた。普通に美味かったけど、横浜中華街に来たという感じはしなかった。

そして嫁は中華街からの帰り、腹痛を引き起こし苦痛に顔を歪めていた。「お腹がキリキリ痛む…」と、まるで中華街全体に恨みをぶつけるかのように…。
 
 
■竜頭蛇尾だけど…
こうして昨年11月から続いたイルミネーション紀行は、横浜中華街にてフィナーレを迎える。そのラストを飾るのが、今までのイルミ遍歴の中で一番失敗したんじゃあないかと思える有様なのが、いかにも竜頭蛇尾というか、俺等らしいというか、ある意味記憶に残る平日の横浜中華街訪問。

今度は休日に、しっかりと時間を取って、日の当たる昼間から、横浜中華街を楽しみたい。俺等二人は心から誓うのだった。

20161023(日) 闘って、闘って…最後は旧古河庭園「秋のバラフェスティバル」で美しく

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【朝メシ】
無し(家-嫁)
 
【昼メシ】
天丼屋「てんや」黒マヨ鶏天丼等(北千住-嫁)
 
【夜メシ】
イオン中華オードブル、寿司、刺身(バチトロ半額、鯛)(家-嫁)
 
【二十四節気 定気法】
第18「霜降(そうこう)」:10/23~11/6 → 第19「立冬(りっとう)」:11/7~
 
【イベント】
鍼治療(亀有)、美容院(北千住)、パチスロ偽物語(北千住)、旧古河庭園「秋のバラフェスティバル」(西ヶ原)、西新井温泉(西新井)
  
  
【所感】
■秋の最後は「霜降(そうこう)」で
一年を24分割して季節を表す「二十四節気」において、第18の「霜降」が始まる。「しもふり」ではなく「そうこう」と読むが、意味としては「露が冷気によって霜になって降り始める頃」とされているので、殆ど「霜降り」と同様のイメージだと見てよさそうだ。

その後は立冬となり、いよいよ冬が始まる。その冬が到来する直前の最終セクションが霜降だ。二十四節気「立秋」から始まった“秋”という季節、その終わりがもうそこまで近付いているという驚愕。期間的には他の季節と同等の長さであるはずが、今年の秋は随分と短命だったように感じる。

きっと気温が急激に下がりすぎたからだ。今月上旬までは服装も半袖で十分で、むしろ汗を掻く状態だったのだが、そこから段々に気温を下げていくのではなく、突然ガラリと冷え込んだ。その余りの唐突さに誰もが驚愕しただろう。肉体的ダメージを受けた者も多いはず。風邪など引いてしまったのではないか。

立春、立夏と順調に推移して、だけど立秋に入ってからもまだまだ気候は夏模様。過ごしやすくていいじゃないかと相好を崩したのも束の間。そうこうしている内に、いつの間にか秋の最終節「霜降(そうこう)」を迎えるに至り、気候は突如の猛冷却。秋を感じる間もなく、すぐそこには立冬が待っていた。

冬が始まるよホラ君の側で。寒い寒い冬が。それでも君は、すごく嬉しそうにビールを飲めるか?

というわけで、夏から冬へとワープしたかのような気温落差を見せ付ける2016年。秋が抜け落ちていると感じる人間が居ても仕方ない。せめて紅葉に出かけて唯一の秋を感じる以外にない。

事実、二十四節気「霜降」は、露が霜になって降りかかる季節という意味の他に、木々が紅葉し始める季節という定義もあった。現在10月下旬。直ちに紅葉観賞の計画を立てるべし。
 
 
■何が秋らしいのか?
それは僕等自身にも言えること。秋を満喫させるため、いや「確かに秋という季節は存在した」という実感を得るために、紅葉は外せないキーワード。秋の代名詞であり、「ワレ秋満喫セリ」という体裁を整えるための必須事項であり義務と言える。その対処法として、来月頭に新潟実家に帰省、大自然の中で紅葉見物する計画を既に立てた。

しかし、それだけではあと一歩足りない。何が不足しているのか。自然観賞、特に花観賞だ。これが足りない。季節の花を目一杯体感するという2016年の命題の下、春と夏は能動的に花観賞に出かけたが、秋の花は殆ど手付かずだった。

せいぜい新潟帰省の際、庭に咲くコスモスを愛でた程度。あとは家に持ち帰ったキキョウの植木鉢を愛情たっぷりに育ているくらいだが、そういうのじゃなくて、もっとこう、社会的機関が民衆に向けて大々的に宣伝する催しというか、『秋の花まつり』的なイベントというか、要は内輪だけで済ませるのではなくもっと広範囲の人々と共有できるオフィシャルな花祭りのことを指す。

そのイベント参加を秋はしていなかった。だから秋らしさを余計に感じないのだ。危機感を感じ、ただちに秋の花に纏わるイベントを検索した。

が、東京でも昭和記念公園とか、小金井公園とか、地理的に遠い場所ばかり。今日は朝から鍼治療、そして昼からは美容院に行く予定が入っている。それら用事が済んでから向かったのでは日が暮れてしまう。もっと近場、かつ現在進行形で開催している秋の花イベントはないものか。何でもいいんだ、花なら。行って、花を見られればOK。とりあえず「行ったことにしておきたい。

そんな時、北区の西ヶ原にある「旧古河庭園」にて、「秋のバラフェスティバル」が開催中という記事を見つける。旧古河庭園ならば駒込だから、家からさほど遠くない。バラは春にも一度ベルモント公園で観たが、知名度やオフィシャル性で言えば、悪いが旧古河庭園の方が遥かに上だろう。

(旧古河庭園)
http://teien.tokyo-park.or.jp/contents/index034.html

決まりだ。旧古河庭園にバラ観賞に行こう。幸い、「秋のバラフェスティバル」は本日23日まで開催中。今日の今日まで気付かなかった時点で怠慢だが、一応滑り込みセーフ。近くには有名な大名庭園「六義園」もあるし、このエリアは花や草木、すなわち自然を愛でたい人間にとって桃源郷とも言える場所だ。何故もっと早く気付かないのか。

そう考えてみると、東京都内には他にも広大かつ格式高く美しい庭園が多数点在している。こんな垂涎もののスポットを何故もっと研究・活用しないのか。

ましてや他の草木よりも命短き花という存在。花とはまさしく、ほんの短期間しか咲かない水物だ。アンテナを張っていなければ開花時期すら知らぬまま枯れ落ちる。同じ花を見たいと思ったら来年まで待たねばならない。来年まで覚えていられるか。だからこそ、リアルタイムでのこまめな情報収集が必要。

今後、注意して季節の花々の情報を拾っていくべく心を引き締めながら、外へ出掛けた。
 
 
■鍼治療、
朝9時半からは定例の鍼治療。1週間前は、低反発マットレス「トゥルースリーパー」と2016年の新型湿布「ロコアテープ」の相乗効果もあり、今年中に治るんじゃないか?と思えるほどに痛みが軽減した。痛みMAXが10だとすると2.5あたりまでの低下か。

しかし今回は、4~5に戻ってしまっている。おかしい。トゥルースリーパーは依然使用中だし、骨盤ストレッチも欠かさずこないているのだが。

1つ変わったとすれば、湿布薬ロコアテープのストックが切れて貼らなくなったことくらいか。ということは、1週間前の奇跡的な痛み緩和はロコアテープに拠る所が大きかったということか。

先生にその旨を話した。すると先生は、湿布薬は確かに痛みを取るが、根本的な解決にはならないと仰る。むしろ痛みがないため、本来の腰痛状態では痛くて出来ないはずの無理な動きをしてしまい、総合的に悪化するかもしれないと。だから湿布薬を貼るのは構わないが、それだけに依存しないよう程々に。鍼とストレッチと睡眠時のマットレスで、筋肉の異常および背骨や骨盤の歪みを矯正していくのが長い目で見れば根本的な解決になるのです。と先生は仰せられたのだった。

結局、あの時の激烈効果は錯覚だったということか。少し後退してしまった気分だが、それを差し引いても苦痛は半分以下になっているのは確か。当初先生に予言されたように、1年~1年半は見るべきだと思い直した僕は、地道に地味に完治を目指すという数ヶ年計画に沿うことにした。成果が出るまで正しい道を歩み続ける。それが国家百年の計というものだから。

それまでに気力が尽きていないことを心から願う。
 
 
■間隙を突いた瞬間コイン奪取
鍼治療の後、亀有から北千住へ向かった僕は、次に予定されている美容院まで如何にして時間を潰すか悩む。現在11時過ぎ、美容院は12時半。ウインドウョッピングをする気分でもないし、カラオケも時間的に中途半端だし、昼メシを食うほど空腹でもない。

ならばスロか? いや、僕の愛機「偽物語」のようなART機で短時間勝負を仕掛けるのは不利だ。偽物語に限らず、この手のARTやAT五号機は、結局のところART(AT)を引き当てなければどうにもならない。よほどの高設定でもない限り、BIGだけではコインが持たない。短期戦には向かないタイプなのだ。そして現在、殆どのスロがこのタイプ。本当に歯がゆい現状と言える。

よって偽物語の戦い方も、まずは早めにBIGを引き当て、それ以降のBIGも軽めに続く台であれば粘る。その間のどこかでいずれ引けるであろうART突入時からが本当の勝負。ARTがスルーされても、BIG確率が悪くなければ次なるARTでの爆発まで地道に粘る。設定の良い、あるいはヒキが良ければ、どこかのARTで倍倍突入、BIGも多めに絡んで一気にコインが積み上がる。

他要素も多数あるが、その一瞬の瞬間風速を狙うのが戦術の根幹であり、勝利への道筋である。そのために、行ける時は突っ込む、ダメそうな時は即座に撤退、という芯の強さを持ちたいところ。必要な勇気であり自制心。そんなことは今に始まったことじゃなく、およそパチやスロと呼ばれるもの全機種に共通することだが。

よって、偽物語で勝ちに繋げるには基本的には一定以上の時間が必要だ。最低2時間は欲しいところ。それでも短すぎるくらいだ。何しろ、粘っていれば最後の方で一気にARTや倍倍、あるいは和解ノ儀のようなレア演出を引き、一気に逆転することもあるからだ。実際、そんな終盤での追い込み劇も過去数え切れないほど存在した。

それが出来たのも、プレイ時間が確保されていたから。もし今、偽物語を打てばどうなるか。現実問題、可能稼働時間は1時間少々しかない。ものの数分でBIGを引いて、30分以内にARTから倍倍で50語ほど積んで、その50語がBIGも絡んで瞬間1000枚オーバー、というのが理想だが、そう上手く行くものでは…。

だが、結局行くところが見付からず、北千住コンサートホールのある宿場町通りサンロード商店街へと足が勝手に向かう。そしてダイソンの吸引力に逆らえないゴミクズのように、自動ドアの中へと吸い込まれていくのだった。ホント、ゴミクズだよな…。しかし自戒とは裏腹に心は踊り湧き上がる。ますますゴミだぜ。

が、予想とは裏腹に、滅多にないと思っていた理想通りの展開。即座に発当たりを引き、それがBIGでなくARTで、さらにCZから入った一回目のARTからいきなり蕩モード。倍倍チャンス連で一気に50語ほど積み上げ、BIGも警戒に重なって、瞬時に1000枚オーバーという、これ以上はないスピードでコインを奪取したのだった。

その後も、どうやら解呪連に入ってしまったようで、ARTが頻発する。しかしもう美容院の時間が迫っていたので已む無く途中ヤメで終了。よほど設定の良いだったのだろうが、こんなこともあるんだな。

閉店間際ならともかく、昼間に出玉を途中放棄して退店したのはここ20年ほどで数えるほどしかないはず。直近だと、7年くらい前に仲間内の飲み会までの間の数時間、秋葉原ビッグアップルの「ときめきメモリアル」に座ったが、ロングATに入ってしまったことがある。推定5000枚だった状態のところ、タイムオーバーのため3000枚ほどでヤメてしまった。その時は近くに人の良さそうな兄ちゃんが出ない台に座っていたこともあり、「良かったら続き打ちます? あと2000枚くらい出るはずですけど」と席を譲って気分よく退店できたが、今回は譲れそうな相手もいないため、何とも言えない胸のザラツキは残った。

まあ、それでも勝てば問題ない。この資金で嫁に昼メシでも奢ってやるか。足取り軽く美容院へ向かった。
 
 
■美容院で自分の姿を見る恐怖
美容院では、掛かり付けの担当スタイリスト・永井君(仮称)と情報交換しつつ、いつも通り短めに素早く髪を切ってもらう。爽やか度、イケメン度が1つ上昇。僕は短髪の方が似合うと自分では思っている。ただ周囲はそうでもない模様。長髪は論外だが、短すぎてもダメ、程々が一番イケメンだというのが僕に対する定説だ。

まあストイックトレーニングをしていた時に比べ太ってしまったから、というのが大きな理由だろう。最も鍛えていた頃は、身長約170cmで体重が62kg前後で推移していた。しかも単なる減量ではなく引き締まった筋肉付きだ。腹も出ていなかったし、細いジーンズもピシッと履けたし、何より短髪でもなかなか似合った。

しかし現在、体重は68~69kg。たった6~7kgの増量だが、腹から尻から足から何もかもが極太に見えるし、顔も腫れぼったい。昔履けたジーンズもはち切れんばかりだ。見た目的なものを言えば超絶劣化と言える。ある意味、みっともない。

そう、みっともないのだ。自分の体型に合わない服を無理矢理着た姿は、これほどまでにみっともないものなのか、と。

鏡を見ると思い出す。見たくない自分の姿を、思い出したくない自分の現実を。その現実を映し出す鏡は、美容院にも設置されている。大きな大きな、全身をスッポリと包み込んでしまいそうなほどに懐深い大鏡が…。鏡は物言わない。しかし偽らない、飾らない、ありのままの姿見せるのであり、そこに映ったものはありのままの自分という厳然たる事実がそこにある。

自分に自信がある時、美容院は励みであり、さらなる高みを目指そうと一層奮起する場所。しかし自分に自信がない場合、美容院は公開処刑場と化す。その恥辱に堪えられないのなら、痩せるなり引き締めるなりして肉体を変えるしかないな。髪型だけでは誤魔化せない、人間としてのビジュアルステータスが、動物としての骨や筋肉や内蔵の組み合わせによる人それぞれの造型が。

骨格は変えられずとも、肉付きは変化が可能。だから差し当たりは、だらしない脂肪を落とすことから始め、スリムでスマートかつ力強い肉体を目指すのが良いだろう。年齢や境遇と共に「別にこれでいいや」と現状の自分を受け入れる日が来るかもしれない。とっくにそうなっている者も居るかもしれない。

だけどそれは、「これが自然の姿」「成り行きに順応するのが当たり前」という達観的な境地では決してなくて、衰えた現状に甘んじるという寛容性の発達でもない。ただ放棄しただけ、見ないフリをしただけの話。「衰えた現状」という言葉以上に肉体も、何より精神が退廃したのだと思い知った方がいい。二度と戻れないほどに、這い上がれないほどに人間としてのエネルギーが尽きたのだ、と。そうなれば一気に崩壊する。それは男も女も同じだ。

だから鏡を見て何も感じなくなったのだとしたら気を付けた方が良いだろう。何とか容姿を見れるレベルで保ちたい、踏み止まりたいと焦燥している方が本当は幸せなのだ。容姿だけでない、その他ありとあらゆる分野に放棄癖が飛び火する。

たとえば電車の中で、座席に座り、スーツはヨレヨレ、髪は乱れてる、顔も脂ぎっている、そして膝を大開きしつつ大口を開けながら、上を向いてグァーッとイビキを掻きながら寝ているリーマンのおっさんを見掛けるが、傍目から見て本当に何もかもが終わっている、と思う。在りし日のどこかで、何かを放棄した時からあらゆるものが退廃したのだろう。生きた屍、醜い肉塊としか少なくとも僕には見えなかった。

ああはなりたくない。心底思いながら、自分はまだ爽やかな髪型に見合った体型を取り戻したいと何とか踏ん張っている。
 
 
■美容院の待ち時間
美容院のカット自体は従来通り満足したが、今回はいつになく客で混み合っていたため予定よりも大幅に時間が掛かった。カットする席もシャンプー台も数に限りがあるので空くまで待たねばならない。そんな時、客の大半はスマホを弄るか店で用意した雑誌を読んで時間を潰す。逆にそれ以外にすることがない。

今回僕は、雑誌を読んで待ち時間を過ごした。雑誌なんてものは、本人が興味を持つからこそ購入するし内容も頭に入るもの。ゆえに、押し付けられた雑誌を読んだところであまり有意義にはならない。読んでいるようで、その実ただページに目を走らせているだけだ。頭で認識していない。「読もう」と意気込んで読まない限り、本なんていくら手に取ったところで意義は薄い。意思なき読書は「ながら行為」の域を出ないのだ。

スマホとて同じこと。ネットで情報収集しても、SNSやゲームにハマッていても、それは本質的には眺めているだけで、指を動かしているだけ。ただの反射行動。だから数日すれば何も思い出せないし、すなわち何も残らない。

そんなものに時間を費やすのがもう耐えられ亡くなったから、僕は以前に比べてあまりスマホを触らなくなった。自分で望んで収集したいわけじゃないから、得たいという衝動の下で動ける対象じゃないからだ。自分の残されたエネルギーと寿命は、頭と身体に残るために、残すために使いたいものである。

とはいえ現実としては、あてがわれた雑誌を読む以外に選択肢はない。そこら辺に置いてある「グルメナントカ」や「メンズナントカ」、「おとなの週末?」とか、見るからに流し読み以外しなさうな雑誌をパラパラとめくる。本屋ではまず買わない部類の雑誌だ。待ち時間が予想以上に長引いたため、その雑誌を精読するしかなかったのだが…。

その半強制的な集中力が奏功したのか。意外と頭に入ってくるし、内容も面白いと感じられる。メンズ系、オトナ系の雑誌も悪くないじゃん? などと考えた次第だ。美容院を出て娑婆に戻ればフツーの感覚に戻り、その手の雑誌を買うこともないだろうけど。

とりあえず、雑誌で気になったページがいくつかあったので、スマホにメモなりブックマークなりを付ける。結局のところ、雑誌に掲載されている観光スポットやグルメ店、商品などは、ネットで調べれば基本的に同じものがヒットする。それをブックマークあるいはページ保存すればメモ代わりになるというわけだ。ホント、便利な時代になったものだ。
 
 
■ながら読みの雑誌も意外と有意義
美味そうな中華料理屋などもあったが、特に気になった内容は2つ。

一つ目は「ソーダストリーム」という機械。昨年のNHK朝ドラ「マッサン」でヒロインを演じたシャーロット・ケイ・フォックスが紹介していたのでふと目に留まった。何が突然きっかけになるか分からないな。だからなるべく引き出しは多く持て、と言われるのだろう。

それはさておき、「ソーダストリーム」という製品。自宅でソーダつまり炭酸水が作れるという家庭用の家電製品だ。大きさはフードプロセッサかコーヒーメーカー程度だと思われるが、これが世界中で大人気だという。

500mlの炭酸水を作るのに掛かるコストは18円だったか。ペットボトルを買うよりかなりお得。逆にペットボトルの炭酸飲料は、飲み干さず中途半端に残すパターンも多く、無駄金を使っている対象の1つだろう。その点も、低コストの「ソーダストリーム」であれば懐もあまり痛まない。

弱炭酸、強炭酸など炭酸の強さも調節可能。果汁と混ぜて炭酸ジュースを作るもよし、ウイスキーでハイボールを造るも良し。必要な時、必要な分だけその場で作ればOK。製造メーカーはイスラエルだが、砂漠地帯ゆえの水に対する真剣さを表しているようで逆に信頼性に富む。

とにかくこれは便利そうだ。実勢売価も1万円とそこまで高額でないし、我が家はハイボールも多飲するし、久しぶりに欲しくてたまらない家電器具の登場であった。これは要チェックや。

(ソーダストリーム)
http://www.sodastream.jp/about/
 
 
もう1つのチェック項目は、世界中の絶景を美しい写真と説明文で紹介していく「「週刊 奇跡の絶景」という雑誌。この手の「世界のナントカ」「ナントカの歴史」系の雑誌はデアゴスティーニなどが得意とするところだが、「奇跡の絶景」は講談社から発刊される模様。しかも創刊号が明後日の10月25日発売という、運命を感じてならない雑誌と言える。

美しい景色、息を飲む圧倒的な建物、壮大な自然、すなわち絶景は、僕の大好物だ。それが毎週提供されるという素晴らしさ。これはもう、創刊号発売時、本屋に駆け込むしかない。

(週刊 奇跡の絶景)
http://prtimes.jp/main/html/rd/p/000001118.000001719.html
 
 
というわけで、何の気なしに眺めた雑誌からでも、自分的に注目を集めるトピックはいくらでも見付かるもの。むしろ日々、色んな方面にアンテナを張りつつ興味を持って生きていれば、自ずと豊かになるのかもしれない。

今回の雑誌熟読の件は、良く覚えておきたい。
 
 
■天丼てんやの実態
その後、北千住で嫁と合流したが、美容院の混雑もあって既に午後2時。腹が減ってたまらない。しかしこれから旧白河庭園でバラ見学に行かねばならないので、余り時間も取れない。サッと済ませられるメシ屋を探した。マック、牛丼屋、立ち食いそば屋、諸々あるが、ありきたり過ぎて何となく物足りない…。

そんな時、駅前広場のエスカレーターとマックと三菱東京UFJ銀行ATMのデルタゾーンに、ふと天丼屋の「てんや」を見つけた。「てんや」とは何と懐かしい。もう7年くらい入っていない。嫁など10年ぶりとか言っている。

実際のところ「てんや」については、この北千住マック・三菱東京デルタにあるのはずっと知っていたし、北千住駅構内にも3~4年前店を出している。公私でよく出掛ける秋葉原や上野などでも、あの馴染み深い看板を頻繁に見掛けるし、「てんや」は街に溶け込んでいると言えよう。

それでも今現在、「てんや」で食べない。北千住店にしても、あくまで店の看板が視界に入るだけで「この店に入ろう「ここで食おう」という意識はイチミリグラムも抱いたことがない。何故か? 有り体に言えば「変哲もない店」だから。何度も通う内に目新しさを感じなくなり飽きてしまったからだろう。

東京に越してきてさほど経たたない若い頃は、「天丼の専門チェーン」という新鮮さも手伝って頻繁に利用していた。「こんな素晴らしい店があんの?」と胸がワクワクしたものだ。牛丼ならともかく天丼とか、もうオレの好みにどストライクだと。

今振り返ると、「てんや」にそこまで目新しさを抱いたのは、単純に東京に引っ越してくるまで「てんや」という存在を知らなかったからだろう。厳密に言えば「見たことがな」かった。京都の学生時代も、仕事で大阪に居た頃も、恐らく「てんや」の看板を見たことは一度もない。それが東京に来た途端、至るところに「てんや」の店舗。初物には誰しも弱いのだ。

この現象は、単に僕が世間知らずだとか、街を出歩かないインドア野郎だったからという個人的な理由でない。もっとフィールド的な見地から導き出される現実。運営会社の戦略レベルでそうならざるを得ない事実があった。

調べたところ、「てんや」店舗は東京を中心とした関東圏に集中している。運営会社の「㈱テンコーポレーション」は本社を東京浅草に置いており、第一号店は東京駅八重洲地下街とのことだから、そこから根を張るように広がったのだろう。近接する甲信越や東海・中京そして東北にも僅かではあるが店舗展開しているようだ。

翻って西日本を見てみると、驚くほど「てんや」店舗は少ない。関西は大阪に2店舗のみ、九州で福岡県の4店舗、そして四国の愛媛県に2店舗あるのみだ。この偏りは、おかしい…。

(てんや店舗情報)
http://www.tenya.co.jp/shop/

九州なんて福岡以外にも都市は沢山あるだろうに、何故他県に出店しないのか。何故福岡県に一極集中させるのか。

恐らくこれは、「てんや」の運営会社「㈱テンコーポレーション」が、2006年にロイヤルホストなどを展開する会社「ロイヤルホールディングス㈱」に子会社化された歴史が関係していそうだ。ロイヤルホールディングスの本社は福岡県。だからその子会社たるテンコーポレーションは、本心では西日本にあまり店を出したくないかもしれないが、何かしらのしがらみで福岡県に「てんや」を複数店展開している。とまあそんな具合か。当たらずとも遠からずだと思われる。何だかんだ言って、企業というものは本社や本部、創業店など本拠地や「思い出の地」が所在するエリアを重視するものだからな。企業も人間の集合体。案外センチメンタルな部分もある。

まあ九州はそれでいいとして、問題は関西だ。全国第3位の人口を誇る大阪府でたったの2店舗しか店がないとか、もう舐めてるレベル。加えて、知名度全国級の京都や神戸にも全く店を構えていないというアンバランスさも、いかにも恣意的だ。関西が嫌いなんじゃないかと疑っても仕方のない偏り方ではないか。

四国については、なんで愛媛県だけなの?という疑問も残るし、中国地方に至ってはゼロ。僕の地元・鳥取はもちろん、広島や岡山という100万都市を抱える山陽地方の大都市にすら店を置かないとか、疎外といより侮辱であり屈辱。

というか、北海道、東北、関東、甲信越、北陸、東海、中部、近畿、中国、四国、九州、沖縄というエリア区分で見た時、「てんや」を展開していないのは沖縄と中国地方のみ。沖縄は分かるが、なぜわざわざ中国地方だけ狙い撃ちにするのか。段々許せなくなってきた。

とまあ、全国ベースで見れば、「てんや」は西日本に殆ど存在しない。よって僕がその存在を知りえる機会も殆どなかった。というか絶無だった。まず僕が少年時代を過ごした鳥取県、島根県、岡山県など中国地方に「てんや」は2016年現在でも皆無。続いて学生時代を過ごした京都にも1店舗も店は無い。大学卒業後に就職した大阪については、難波と長堀という最も人で賑わう「ミナミ」エリアに一応2店舗構えている。だが大阪第一号店である難波の店がオープンしたのは2013年で、長堀に至っては2015年という、つい最近の出来事なのである。僕が大阪に居たのは2000年前後。その時代は当然「てんや」の『て』の字も存在しなかったわけで、2013年に「てんや」がようやく関西進出を果たした時、僕はとっくの昔に関西を離れて関東人に成り切っていた。

以上の検証から、僕が生活したエリアでは「てんや」の存在を知り得る術すらなかったことが実証される。東京に来るまで「てんや」の名を知らないとしても無理のないこと。「てんやか、懐かしいな~」などと『昔から知ってるわよ』的なオーラを漂わす関東出身の嫁とは育った境遇も立場も全く違うのだ。よって、オレの言う「懐かしいな~」も意味合いが異なる。年季に欠けるのだ。土着感、本物感が漂っていないのだ。だけど仕方ない。僕は「てんや」と共に育っていないからな。そうだ、オレは物知らずじゃない。ただ機会を与えられなかっただけ。新参者なだけだ。オレは悪くない。

そんな僕の、てんやにおける偽物語。だけど本物になろうと努力する偽物だからこそ、本物よりも本物になれる。

という事情もあり、僕等は久しぶりの「てんや」で昼食を摂る。僕は7年ぶり、嫁は10年ぶりの邂逅。さてどうなっていることやら。
 
 
■天丼てんやの進化
悠久の時を経て久々に訪れた「天丼てんや」。店内は昔の面影と特に変わった様子はない。だがメニューが随分と様変わりしたように思える。いや、バリエーションが増えたと言った方が正しいか。僕の知る「てんや」と言えば、エビの天ぷらをベースとした元祖天丼が鉄板。あとは周辺の海鮮や野菜といった具材に少し変化を付けつつ、だけど基本はエビ天一択。頑として譲らない。そんな拘りが文化として根付いていたような気がする。

しかし今、目の前にあるメニュー表には、見た事もない色とりどりのメニューが見られた。諸々のオプションやバリエーションを変えたものはもちろんだが、特に目を引いたのが「松茸と海老と秋鮭の天丼」、そして「黒マヨ鶏天丼」だ。松茸の方は、松茸を前面に押し出しており、エビはあくまでサブという位置付け。さらに鮭の天ぷらも投入している。モロ魚である。これは風変わりでグッドだ。

鶏天丼の方は、魚介類から鳥類という異次元の具材を持ってきたことに加え、根本的にエビがない。これはインパクトが大きいどころか一種の事件だ。何しろエビ天と言えば、「てんや」の根幹であり魂。その魂を最初から除外したのだ。よほどの決心であり、思い切った転換。吉野家でカレーを扱い始めた時の衝撃に匹敵するものがあった。

結局、1つのものに拘っていては幅広い客層を拾えないのだろう。その結果、苦肉の策としての松茸と鶏天採用劇なのだと推測する。しかし、それは同時に顧客層の多様化に繋がるわけで、実際僕等が入店した時も店内は殆ど満席。少なくとも、僕が店の外から素通りしてきた7年間を、「てんや」は無為に過ごさなかった。試行錯誤して軌道に乗った。

その結果として現在の繁盛があるのならば、エビという名のプライドを捨てたところで誰も文句は言わないだろう。どんな手を使おうが、最終的に勝てばよかろうなのだ。

と、僕はドヤ顔でそう言った。

そんな究極生物「てんや」に敬意を表し、僕は「黒マヨ鶏天丼」を、嫁は「松茸と海老と秋鮭の天丼」を、僕は「黒マヨ鶏天丼」をオーダーしつつ、昼から生ビールを飲んでいい感じ。まあ結論としては普通のエビ天丼の方が圧倒的に安定感があるけど、チャレンジ精神は十二分に伝わったので総合的には高評価であった。

かつて「てんや」を離れ、しかし再び「てんや」へ戻る。出戻りの「てんや」。客寄せのデモ鶏天丼。店で喰うのは、楽しい…。
 
 
■由緒正しき旧古河庭園
鍼治療で腰を治し、スロで小遣いを獲得し、美容院で髪を切り、天丼屋で腹も満たした。全てのメンテナンスが終わった。これ以上、何を望むというのか。自然見物しかない。美しい景色を見て心を癒す。これで完璧だ。今日一日を最上形で締めるため、旧古河庭園へと迷いなく向かうのだった。

旧古河庭園は、東京都北区の「西ヶ原(にしがはら)」という町に所在する、明治~大正時代の洋館および周囲の日本庭園を指す。エリアとしては駒込だろうか。由緒ある歴史を汲む場所であるからか、気品と高貴さに満ちた庭園だと感じる。隅々まで手入れも行き届いており、隙がない。こういう様のことを「美」と称するのだろうな。

その由緒ある歴史を簡単に紐解けば、明治の政治家・陸奥宗光が別宅として購入したことに始まる。陸奥宗光と言えば、幕末は坂本龍馬と行動を共にし、明治維新とその後の政治に大きな影響を与えた大物だ。

また修羅の漫画家・川原正敏の説によれば、独眼流正宗で知られる伊達家の子孫だった宗光は最初「伊達陽之助」という名前だったが、仲の良い龍馬から陸奥圓明流36代目伝承者・陸奥出海の武勇伝に感銘を受けて、自らも「陸奥」と名を改めた、そんな伝説もある(※陸奥出海の件はフィクション、ただし伊達家と陽之助については史実)。

差し当たり、陸奥宗光の時代には、現在のような広大な敷地を持った庭園ではなく、あくまで広めの庭を持つ貴族風の邸宅という趣だったとか。

その後、邸宅は陸奥宗光の次男・陸奥潤吉(じゅんきち)に譲られる。宗光には次男・潤吉の他に廣吉(ひろきち)という長男が居たが、廣吉はイギリスやアメリカなど海外で活躍する男だったので、国内はとりあえず次男の潤吉に任せておくという感じだったのだろう。

だが、その次男・潤吉が、戦前の大財閥の1つである古河財閥の創業者・古河市兵衛の養子となった。古河市兵衛には当時子供がなかったため、由緒ある陸奥家から次男坊を養子に貰ったという流れだ。こうして陸奥潤吉は古河潤吉となり、創業者の市兵衛の後を継ぎ、古河財閥の二代目当主となる。この時に、潤吉の持ち物である旧古河庭園の所有権も自然と古河家に移った。そんな流れだが、潤吉もあくまで別宅として旧古河庭園を扱っていたという。

だが、古河家二代目当主・潤吉は予想外にも早世してしまった。後継者に困った市兵衛だが、潤吉を養子に迎えた当初は子供が居なかった市兵衛にも虎之助(とらのすけ)という実子が出来ており、市兵衛はこの虎之助を古河財閥三代目当主に据えることにした。

この三代目・古河虎之助の時代に古河財閥は事業を急拡大させ、三井、住友、安田といった名だたる財閥達と同じく日本国内に多大な影響力を行使するのである。その財閥達も、太平洋戦争の敗戦によってGHQ主導の下、財閥解体の憂き目に遭った。しかしその基礎地盤が揺らいだわけではなく、戦後から現在まで変わらず日本を陰で支配している。たとえば三大メガバンクたる三菱東京UFJ、三井住友、みずほの3行も、とどのつまり財閥系、あるいは元を辿れば旧財閥系だった。

古河財閥もまた、解体後も「古河グループ」と名を変えて、古河電工や富士通など超優良企業を傘下に抱える企業グループとして日本国内で存在感を発揮し続けている。

日本全国に存在する400万以上と言われる数多の企業。その中で、由緒ある歴史的背景と、その過程で培い既に確立されている政財界との繋がりや人脈と、底の見えない経済的基盤とを有する選ばれし企業がある。どれだけ一代で財を成そうと、名を上げようと、それはあくまで成金の領分。それら成金とは一線を画す存在が、生まれ付いた時から決まっているテリトリーが、一般人には決して届かない場所がある。

それが財閥系というもの。生きている次元そのものが異なるという事実を心に留めつつ、一般人はその一段下において出来る範囲で立身出世や成金化を目指すが最良だろう。望みすぎると神から警告を受ける。手を出し過ぎると見えざる超越者達の社会的抑制力が圧倒的なパワーで働くだろう。

それが戦前から変わらない、いや明治以前の江戸時代から連綿と続く日本の覆されざる構造。見ない方がいい世界も世の中には存在するのだ、きっと。

よって僕も、よからぬことは考えず、現在「旧古河庭園」と称される綺麗な庭園に咲く秋バラを子供のような無垢な心で楽しむことに終始したいと思った。
 
 
■旧古河庭園の人模様
というわけで、由緒正しき旧古河庭園内で、僕等は「秋のバラフェスティバル」を楽しんだ。本日がイベント最終日とだけあって、なかなかの人だかりである。

連れ同士で品評し合う者、美しいバラや洋館をバックに記念撮影を取り捲る者、景色を花弁にかじり付くがごとく高そうな一眼レフで超近接撮影し続け微動だにしないおっさん、目玉焼きのパスケースをぶら下げながら1人黙々とバラ観賞する女子高生メガネっ子など、各自思い思いにバラを楽しんでいるようだ。中には、洋館をバックに様々なポーズでキメる腐女子コスプレイヤーも散見された。そのように客層は多種多様なれど、目立った粗相をする人間もあまり居ない。

が、たまにバラの匂いを嗅ぐために、茎の部分を手で掴んでバラの花を自分の顔まで引っ張る者も見られた。ただ、これはどうなんだろう。マナー違反なのだろうか。花見の際の桜の木ならば問答無用でNGと断言できるのだが、バラについては実のところちょっと分からない。バラという花は、視覚で観賞すると同時に、匂いを嗅ぐという嗅覚での感じ方も楽しみの1つであるからだ。実際、ネット検索しても、「手で触る際には棘に気を付けるべし云々」とか、触ることを前提としたページも見られるし。

ただ、旧古河庭園のような不特定多数に向けたバラ園開放時でのページではない。だから判断に迷う。どっちなんだ、と。個人的なバラ園、あるいは見物人の対象がしっかり定まっている場合には触ってもOKなのだろうが。

差し当たり、何であろうと他人様の物を勝手に触ってはいけないという人としてのマナーを前提として考えるのが良いように思われる。そもそも「触ってOK」とすることは、少数ではなく全員にそれを許可するということで、もし何百、何千という客全員が脂ぎった手で観賞用の植物を触ったらどうなるか。いかに頑強な花であろうとたちまち傷付き枯れてしまう気がする。

だから特別扱いな無しで全員に対して禁止するのが最も無難、というのが僕の中での結論だ。よほどの事情や特例がない限り、ルールの基本はゼロかイチ。最初から禁止されて入れば、やりたい者は諦めが付くし、べつにやらなくてもいいと思っている者も、出し抜く人間が誰も居ないから気をやきもきしなくて済む。結局、それが一番平等なのだと思われる。

あと、調査によれば、この旧古河庭園も“観光スポット荒らし”の悪名高い「ポケモンGO」の巣になっているとか、なっていたとか聞いた。しかし今日見た限りでは、庭園内でポケGOの挙動をしている人間は見かけていない。ここがレアモンスターの巣ではないからか、入園料を払ってまで捕獲したいとも思わないのか、上野不忍池等と同じく既にポケGO禁止となったのか。いずれにしても、場違いであることに変わりはあるまい。

ここは、あくせくとスマホを弄りながら“ついで見学”をするような場所じゃない。閑静かつ美しい自然を慈しみ、園内に咲く四季折々の花々をそっと愛でる場所。そういう種類の人間達が集う庭園。俗世のことは園外でやればいいのである。美しく咲く秋のバラの傍で、見守るようにそっと愛でる。それでいいではないか。

旧古河庭園は、観るために存在するのだから。
 
 
■旧古河庭園の芸術性
咲いていたバラについては、言うまでもなく綺麗だった。確か同庭園は秋の他に春にもバラフェスティバルを開催していたはず。春は春でこの上ない見頃であり、だけど今回のように秋は秋での味がある。最終日だけあってそろそろ旬を過ぎる時期も近付いているだろうけど、どのバラも美しく、気高く、そして愛おしいことに変わりはない。やはりバラは、花はいいものである。

ただ、旧古河庭園の魅力はバラを始めとする花々だけに非ず。バラが密集するエリアの階段を降りた一段下のエリアには、恐らく腕の立つ庭師によって整備された美しすぎる緑の造園風景が広がる。その完成度はもはや名人級。感動すら覚えるだろう。

さらに奥に進むと、密林の入口めいた外見からは予想も付かないほど上品かつ高貴な日本庭園が隠されている。たとえば、日本庭園の完成度を計る上で欠かせないとされる、池と松と灯篭とのコントラストは、どう配置したら人の目を感動させられるかという観点から計算し尽くされたフォルムと言っていい。

そこに佇むだけで何時間でも居られそうな、意識が吸い込まれそうな、まさに素晴らしすぎる日本庭園の真髄が旧古河庭園の奥には広がっていた。多くの客達は、洋館とバラ園を観たら満足とばかりにそのまま帰ってしまうようだが、それでは恐らく全体の半分も堪能できていない。あの林の奥に隠された真の美を、完成された「閑静」と評すべき美しい日本庭園の在り方を観ずして一体どうする。本当に勿体無い。是非、中に続く日本庭園もじっくり堪能すべきだ。

近々で言うなら、紅葉時にはこの日本庭園が相当見事な景色を演出してくれそうだ。紅葉の時期が来たら、近くにある六義園と合わせてセットでまた訪れるとしよう。

というわけで、旧古河庭園の真骨頂は奥にこそ在り。ゆめゆめ忘れることなかれ。
 
 
■そして温泉へ
綺麗なバラを見てすっかり満足した後は、その集大成として西新井温泉へ。サウナと岩盤浴と身体に効く湯舟で存分に汗を流す。朝からの鍼治療、スロ勝負、美容院、天丼てんやでの激闘の記憶と、つい先ほどまでの旧古河庭園でのバラと日本庭園観賞での感傷とが汗と一緒になって身体の内から滲み出る気分だ。

温泉の良いところは、誰にも邪魔されずに一日の記憶を振り返られるところにあるのではないかな。心身が最もリラックスできる環境が整っているだけに物事の整理がし易い。温泉もまた、自然風景や花々と同じく僕にとってなくてはならない存在であった。
 
 
■高品質なオードブルと共に
最後は、イオンで購入した寿司やオードブルなどをテーブルに広げてNHKの「真田丸」。信繁を演じる堺の演技力もいよいよ堂に入ってきた感じで、大阪の陣の今後の展開が楽しみ。昨年(一昨年だったか?)の「マッサン」もそうだが、NHKもたまにヒット作を出して来るから侮れない。

あと、イオンの惣菜コーナーもホント侮れなくなった。価格は大衆向けということで相当リーズナブルに設定されているにも関わらず、ボリュームも味も十分満足出来るクオリティに仕上がっている。ここまで完成度と顧客満足度を高めてくるとは、大企業ってすごいな。イオン惣菜のバランスの良さにはホント頭が下がる思いだった。
 
 
■長い一日の中で…
こうして長い日曜は終わる。朝から食欲と金銭欲にまみれて闘いつつ、だけど美容院や鍼治療そして温泉で心身のメンテも忘れず、だけどやはり最も際立ったのは旧古河庭園で見たバラと日本庭園の在り方、美しさ。

激しくも美しくあらんとした10月秋の休日のことだった。


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20161015(土) 朝風呂と島バナナと偽物語に対する誇りを汚す奴は許さない

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【朝メシ】
島バナナ(沖縄土産)、パンプキンパン(家-嫁)
 
【昼メシ】
無し(秋葉原-友人1名)
 
【夜メシ】
焼肉屋「大昌園」(上野-友人1名)
嫁友人自作パンプキンパン、たい焼き(家-嫁)
 
【二十四節気 定気法】
第17「寒露(かんろ)」:10/8~10/22 → 第18「霜降(そうこう)」:10/23~
 
【イベント】
西新井温泉朝風呂、パチスロ偽物語、上野焼肉、トゥルースリーパー到着
  
  
【所感】
■花は散り、そして咲く
一ケ月ほど前に北千住のパチ屋でもらったキキョウの花が、意外としぶとく残っている。

キキョウは「桔梗」と書き、英語では「balloon flower」などと呼ぶ。他の花のように花弁が一本一本分かれておらず、全てくっ付いているからで、蕾状態の時などはまるで風船のように見えることからその呼び名が付いたらしい。蕾は風船のように見えるし、咲いた花はヒトデのよう。面白い花である。

一応、キキョウの他にも持ち帰り当時は別に1種類植木鉢があった。しかし二日後には全滅。残されたキキョウだけが現在まで孤軍奮闘しているという流れで現在に至る。

そのキキョウにしても、持ち帰った時点で紫の花を2つ咲かせていた。しかし1つは今にも枯れてしまいそうで、実際数日後には虚しく散った。僕等に花の栽培は向いてないんじゃないかと落ち込んだほどだ。

しかしそれと入れ替わるように、数日後には新しい蕾が花を咲かせた。花番をしているウチの亀六(ぬいぐるみ)に言わせれば、赤ちゃんが生まれたという表現だ。当初から小さな蕾がいくつか見られたが、きちんと開花するとは思えなかったので、この花咲つぼみ現象は嬉しい出来事だったと言えよう。

そこからさらに別の赤ちゃん蕾が開花し、最大3つのキキョウが小さな植木鉢を席巻した。

だが1週間も経てば、次なる散華が訪れる。持ち帰った当初から元々咲いていた花が遂に力尽きてしまったのだ。萎れ、くたびれ、色褪せ、最後は消し炭のような茶色に変色。ウチの亀六曰く、お婆ちゃんが天に召されてしまったとのことだ。

結局、最大3つの花が咲き乱れていたキキョウの植木鉢には、元と同じく2つの花だけが残る。だが同じ2つの花でもその構成は別物。初期に咲いていた2つが軒並み散り、その時まだ蕾だった2つが後を継いで花を咲かせている。

つまり今現在咲く花は一世代後の花。ジェネレーションが塗り替えられたのだ。よって見かけ上は同じでも、僕等が知っている当時のキキョウはもう居ない。ここに咲くのは縁もゆかりもない全く別物のキキョウであり、縁とゆかりはこれから新たに構築せねばならない。

つまり、途絶だ。旧世代と新世代との隔絶は、新世代の席巻によって生じ、それは同時に旧世代の終焉を表すもの。太平洋戦争における沖縄戦の記憶を持つ人間達がこの世から消え、語り手が居なくなるのと同じように、当時の記憶や事実は世代の波によって押し潰されていく。そう考えると悲しいものがあるではないか。

植木鉢に咲いたちょっとした花からでも感じる虚しさ、諸行無常。まして人間。当人にとって殆ど死を意味する。自分が知っていることが誰にも通じない。つまり共有できない。あるいは自分のことを知る存在が誰一人居ない。それは本来考えても仕方のないことだし、考えない方がいい案件。逃れられない万物の法則だ。

それでもふと考えてしまうこともある。自分が知っている人間達が一人残らず居なくなったらどうなるか。自分を知る人達が全員消えたらどうするか。自分自身が死んだら、その後はどうなってしまうのか。

ふと、新たに咲いたキキョウを見る。旧世代の2つは既に散り、新世代の2つが生命力溢れんばかりに紫の花を咲かす。植木鉢を持ち帰ってから1ヶ月の間、花2つというステータスをキープし続けている。この味気ない植木鉢の中、決して1人にはしないよと言いたげに…。

だがこの新世代も、あと1週間もすればやはり旧世代と同じ道を辿るに違いない。その後はどうなるか。あと1つ咲いて終わりである。

植木鉢には、見る限りあと1つ、開花前の蕾が確認できる。しかし逆に言えば、花を咲かせる予定の蕾は残り1つということ。ラストワンだ。ここは無限に増殖できる庭園や裏庭ではなく、植木鉢という限定された空間。これ以上増えようがない。つまり、この蕾が最後。それが咲いてしまえばもう打ち止め。旧世代も新世代も関係なく、今ここに存在するキキョウの世界が消滅するのだ。既にカウントダウンは始まっている。

それでも今、目の前で紫の花を力強く咲かせるキキョウは鮮やかで、僕等の目を楽しませてくれる。花守り番の亀六(ぬいぐるみ)も、花が散る度に落胆の表情を覗かせ、だけど新たな花が咲けばその分嬉しげに瞳を潤ませる。

それでいい。花はいずれ散るもの。だけど新たな花がいずれは芽吹く。たとえ時間を共有できなくとも…。

その花を愛でる僕等も、花の行く末を見守る亀六を見守る僕等もまた、いずれは散って消える運命。しかし今は少なくとも共有している。その短い期間の共有が結局のところは世界の全てで、だからこそ大切で、そのことに気付くのは人によって早い遅いがあるけれど、最終的には殆どの者達がその境地に行き着くのだろう。

反面、掛け替えがないと思えるからこそ何か形に残したい、見知らぬ誰かに伝えたい、という気持ちも恐らくは意識の中に滞留し続け消えない。ネットに秒単位で氾濫・増殖するSNSのメッセージなどは、その抑えがたい衝動の奔流だ。先述した「誰も知らない、誰にも知られない」という死に至る状況からより遠ざかるための逃避本能が働いているという側面も勿論あるが、限定的な共有世界の範囲を広げることによってより多くの賛同者を獲得したいという根源的な承認欲求がきっとそうさせる。

だから人の心は複雑なのだ。「これでいいじゃないか」という達観と、「これだけでは足りない」という焦燥。相反する気持ちが各自の中でせめぎ合っている。その間、確かなことが1つだけ。そう考えている間にも、時は平等に流れ去っていく。

今現在、自分が共有している世界。少しでも広げられるだろうか。何か残せるのだろうか。と…。

そういった本質的・概念的な在り方を問うという境地から俯瞰的に見比べれば、日々浮かぶ物思いは全く以って些細なノイズ。つい気を取られがちな俗世の喧騒や誘惑も、寿命を全うするまでのほんの気軽な道草であり、とりとめもない寄り道だ。日々の雑事は本来その程度の揺れでしかない。

雑事の積み重ねが自分を彩るのではない。決してそれらは主にならない。決まっている本流を踏み外さない限りは、いずれ来る最終形の自分に到達できるはずである。

その寄り道や道草に目移りしすぎるから肝心なものを取り込めず、本流を見失ったまま時間が過ぎる。それすなわち「俗物」という。俗物のままでは見えないものがあるはずなのに。

それでも人間という生き物は、その俗物がことのほか大好物でな…。道草せずには居られない。寄り道に必要以上に目を心を奪われる。雑事に心奪われるあまり、本流を忘れてしまうというパターン。そのパターンに沿った者達を、一般的に「凡人」と呼ぶ。

凡人たる僕は、今日もまた数多の寄り道に耽るのだった。
 
 
■寄り道1 朝風呂
まずは、西新井温泉「大師の湯」で好評延長中の「朝風呂」イベントへと繰り出した。風呂は命の洗濯であり、人の少ない朝風呂ならば尚更効果は絶大。そう考える輩が、僕等を含め西新井温泉に大挙する。入館が遅かったとは言え、僕が入った時にはサウナ室に10人以上の客が居たほどだ。

7月から始まった朝風呂イベント。めっきり涼しくなった10月にも関わらず、客はむしろ増える一方。予想以上に好き者は多そうだ。従業員の誰だかは知らないが、同イベントを企画した者は鼻高々だろう。温泉やスパ施設ではなかなか類を見ない成功例を心の中で褒め称えつつ、人気の少ない湯舟で大の字になって寝そべり、新鮮で冷たい水風呂を堪能した次第であった。

帰り際、温泉側がアンケートを募集していたので僕等も参加してみる。アンケートというよりクイズ、謎々だ。答えを用紙に記入し備え付けの箱に投函すればOK。正解者の中から抽選で賞品をもらえるとのことだった。

「賞品」という餌に釣られるのは浅はか以前に俗人としての特質だろう。誰がタダで協力するかよ、と。大なり小なり、そんな打算が皆にあるはずで、そんな風潮が世の中に浸透して久しい。だから世の中がギスギスする。この資本主義の副作用とも言える利害感情、損得勘定、その延長線上にある利己主義は、資本主義社会である限り無くなりはすまい。

かと言って、社会主義や共産主義が良いとも言えない。競争を無くせば日本はほぼ間違いなく落ちぶれて世界に相手にされなくなるか、そうでなくとも舐められる。発言力や影響力を確保出来るのも、結局は実力あってのことだという動物社会の前提を取り込まない限り、民進党や共産党が第一党となる日は来ないだろう。

それはそれとして、クイズの内容としては、「『突き抜けるもの』だけど『突き抜けるとなくなるもの』は何?」という問題だった。僕はしばし考えたがよく分からない。恐らくトンチだと思うが。とりあえず外れるのが分かりつつ、「熱」と答えておいた。「理由は『熱しやすく冷めやすい』、つまり突き抜けるほどヒートすると失ってしまいます!」と、意味不明な説明を用紙に書きつつ…。

対して嫁は、すぐさまスマホを取り出して検索を始める。「オイオイそれじゃ意味ないだろ…」と僕は口をポカンとさせつつも、今の時代はそうなのだ。スマホ1つで殆どの謎が解ける。反則手というより武器の1つ。だけどその武器の所持を許した時点でもう成り立たないという諸刃の剣。

結局、そのスマホ検索のお陰で程なく回答をゲット。答えは「矢」である。厳密に言えば「矢」という漢字。「矢」という物質は突き抜けるのが役割。しかし漢字的に見れば、上に突き抜けると「失」という字に変わる。つまり「失う」。「矢を『失う』」であり、「矢では『なくなる』」ということ。まさしくトンチであった。

ネット上を検索すると、この問題を容易に解いている者も多い。あるいは自分から出題している者も多数だ。しかしそれは、本人が考えに考えて捻り出した問題あるいは回答ではなく、大体はどこかから拾ってきたものを流用しているだけの話。つまり「考えたか考えてないか」という次元では既になく、「知っているか知らなかったか」という、単なる既知情報の多寡を判断する材料でしかない。

この類の問題って、ホント知っているかどうか、ただそれだけだからな。ネットで容易に検索出来る現代社会なら尚更のこと。頭を悩ませ、試行錯誤して自らそこへ辿り着くという喜びや達成感というものが得難い時代にいなっており、またその段階に至る環境ではなくなってきているということだ。

全く悩むことをせず、手軽に気軽に回答を探すという癖をあまり付けすぎると、知らないことについて応用力が全く効かなくなるので気を付けた方がいいだろう。頭は、情報をただ流し込んでも発達しない。考え、悩み、覚えようとしてこそ、負荷を掛けてこそ成長するものだ。

今回の嫁のスマホについては、時間がなかったこともあるし単なる遊びだったので許容範囲だと思うが、全てのシーンでそれをやると本当にただの機械になってしまう。もっと人間らしさ、その人らしさを出さなければ。

僕としては、投函箱に入っていた回答の中でチラッと見えた誰かの回答が面白かったので、それを挙げておく。

ソイツが回答欄に書いた答えは「ロンギヌスの槍」である。思わず吹いた。ロンギヌスの槍は貫けば形を変えて原型を留めないから、とかいうヱヴァ世界的な理由では多分なく、面白いと思ったから書いてみたのだろう。つまりジョーク、遊びの回答だ。まあ単なるバカである。

だがそれがいい。それこそが人間らしさではないか。僕はこの「ロンギヌスの槍」と書いた何処ぞのバカに賞品を進呈するのが最も相応しいと心底思うのだった。
 
 
■寄り道2 島バナナ
温泉から一度帰宅した僕等は次なる準備に取り掛かる。嫁は友人とカラオケで千葉方面に。僕は茨城の友人が東京に出てくるようなので合流しつつ、ついでにアキバで一勝負。性懲りもなく偽物語に依存中だが、勝率の高い勝負は基本的に拾うべきだと心得る。

その出発前、腹ごしらえも兼ねて沖縄旅行で買ってきた「島バナナ」を食った。先週日曜に沖縄から持ち帰った直後は固く青々としていた島バナナも、今ではすっかり熟して黄色一色だ。観光のおじさんの「3~4日紐に吊るしておけば熟れるから」というアドバイス通り。バナナが熟れる過程をリアルタイムで見たのは初めてである。

かつ、観光のおじさんは「内地に流通しているフィリピンバナナよりもコクがあって美味しいよ」と自信たっぷりだったので、僕等としてもこの日を楽しみにしていたのだ。

「内地」とは日本本土、つまり沖縄以外の日本を指した沖縄独自の言い回し。本州、北海道、四国、九州全てが内地の対象となるか。小笠原諸島は不明。その「内地」という言葉を使うにあたっては、諸々の暗い歴史背景もあるようだ。太平洋戦争末期の沖縄戦における大日本帝国軍の仕打ち、もしかするともっと前から、首里や琉球王国の時代からずっとかもしれない。

いずれにせよ、沖縄人は内地の人間を基本的に快く思っていない節がある、と一説に言われる。笑顔で居るのは観光収入が見込めるからだと。

若い人間にとってはそんな感覚も薄れているかもしれない。年齢がかなり行った人間でも、例えば僕の職場に関連する会社で働く沖縄出身のおっちゃんが居るのだが、彼は普通に人が好く明るい。結局は同じ沖縄人でも人それぞれで一括りに出来ないという結論だろうが、それでも本土の人間にはない影のようなものを無意識に抱えている気はする。

沖縄で寄った居酒屋の店員は意外と愛想が良かった。現地の子供も内地の子供に比べれば随分と容易に懐いてきた。島バナナを勧めたおじさんも、それを販売していた店のおばちゃんも、表面的には笑顔で人が好かった。だが彼等の本心は見えないし、一度会った程度で分かりもしない。

問答無用で楽しかった沖縄観光。だがその裏側で、今までの旅行とは全く異質な一抹の影が、僕自身の中に確かに芽生えた。影というより陰だ。バランスが陰に傾いていた。

訪れた場所で思うところがあったのだと自分では思う。例えるならば、そう…。沖縄旅行で回った古宇利大橋や綺麗な海、水族館や国際通り、パイナップルパークなど現代風の観光地巡りが陽だったとすれば、首里城や今帰仁城跡など琉球内での勢力争いの歴史や、何よりひめゆりの塔や平和祈念公園といった太平洋戦争末期の沖縄戦という暗い歴史の爪跡を垣間見た行程は、紛れもなく陰だった。

この沖縄旅行後から僕の中で、相当長い間忘れていた「無為な時を過ごす自分に対する罪悪感」のようなものが再浮上し始めた。覚醒した、といえるほど変わってないが、しばらく止まっていた読書も再開でき、活字の内容が頭に入ってくる程度には頭がクリアになってきている。

同時に、諸々の事象に対する固執感が以前に増して薄れたような気分でもある。殆どの物事は俯瞰すれば本当に大した事じゃないと一層強く考え始めている。離れたところで、捨てたところでさしたる影響はなく、少し時間を置けば取るに足らない些事だったと分かるのだと。自分を取り巻く環境の95%以上はその些事で出来ていると。だからもう環境に振り回されることなく、生きたいように生きた方がいいんじゃないか。という思いが強くなってきた。

しかし、そこをあまり突出させると、諦観と厭世観に繋がり現実との完全乖離が起こる。現実とは、生きていかなければならない現実、糧を得、生存していかねばならないという現実だ。そこを疎かにして好きなことだけしていいのは一部の富裕層とホームレスくらいなもの。有りのままになどと強がっていても、現実に直面すれば、際どい部分に差し掛かれば、行き詰まり困窮すれば、ただ生きたいという獣の本能が顔を出す。

だからそうならないよう、突っ込みすぎないよう、そこは理性で何とかブレーキを掛けつつ、だけど物事を俯瞰的に眺めつつ、自分のすべきことを出来る範囲で、しかし最大限のエネルギーを注ぐべし。それが沖縄旅行後に自分なりに設定した指針、のようなもの。

現在はその指針から外れぬよう生きている、生きようとしている。結果、自分が生きる回りの環境のかなりの範囲が正直取るに足りないものに思えてきた。雑音が少し収まったという感じか。それはそれで良いことに違いない。

と、話が逸れたが、沖縄旅行の陽の部分もしっかり心に留め置きたい。今目の前にある島バナナこそが、その陽の証の1つだ。熟成するまでの数日間、実は結構待ち遠しかった。その『おあずけ感』をほとばしらせながら、熟れに熟れた褐色系の薄皮を丁寧にめくっていく。

それにしても、つくづくフィリピンバナナに比べて短い。ただ、細くはない。短いが野太いわけだ。日本魂、いや沖縄魂の現れだろうか。洋物になど負けはせん、と。

その島バナナの皮は、本土バナナ、つまりフィリピンバナナに比べて相当薄い。爪を立てると破れてしまいそうだ。しかし見た目以上に皮は頑丈。むしろフィリピンバナナより強靭ではないかと思えるほどだ。この薄皮一枚で、中にあるデリケートかつ濃厚な果実を守っているのだな。

皮をしっかりと剥き上げると、そこには珠のように見事な薄黄色の実が現れる。いとおしげにそれを頬張った…。濃厚だ。確かに沖縄のおじさんが言った通り、濃厚。これは、美味い、いや旨い。バナナはイマイチ好きでない僕だったが、島バナナなら何本でも食えると確信した。実際は高密度なのでそう何本も食えないけど。

沖縄で収穫可能な島バナナ。遥か離れた離島から持ち帰った珠玉の果実は、僕等にとって忘れがたい思い出となった。忘れがたい濃厚な味わいと共に…。
 
 
■寄り道3 偽物語
家を出てアキバへ向かった僕は、数時間後同じく茨城の家を出発した友人と落ち合う。僕は偽物語を颯爽と打ち続け、途中面倒なハマリはあったものの、プラスに転じて福と為した。この機種は他の台と同じく、つまるところは設定。BIGをいかに軽く引けるか、それだけで精神的プレッシャーが異なる。

そんな容易に設定を見分けられれば苦労はしないが、何十回、いやもしかすると100回以上打ったかもしれない偽物語の挙動は熟知している。熟知しているからこそ他の機種に移れない。怖くて。

あと偽物語は、BIGをいかに引こうとも、爆発するには何だかんだとハッピータイムを出来る限り継続させることが不可欠だろう。そのため倍倍チャンスの突入はほぼマストだ。CZの語をいかに溜めるか。この僕とてBIG連のみで勝利したことは数えるほどしかない。まあ当たり前すぎることだが、重要かつ外せない基本だからこそ。

その派生として引き入れる「和解ノ儀」およびロングフリーズ「始マリノ刻」は、長い目で見れば一定のサイクルで必ず引かねばなるまい。旧化物語の上乗せは、あればそれに越したことはないが、やはり要は「和解」と「始マリ」だ。無論、5回に一度とか、1ヶ月に1度程度のスパンだが、ともかく偽物語戦士を語るのなら避けられまい。

その点、僕自身は「始マリの刻」を累計8回ほど引いている。今年の3月から偽物語を打ち始めたから、3~10月までで8ヶ月。ちょうど月イチの割合でロングフリーズを引き当てている計算になる。これは偽物語に限らずロンフリ搭載の機種を打つ人間としては、かなりの高確率と言って良いだろう。見る者が見れば「神ってる」と崇められるレベル。

まあそれは殆ど運の領域なのだが、その運を掴むには見えざる何者かに愛される必要がある。だからロングフリーズを頻繁に引ける者は、その何者かに愛されている証拠。選ばれし者だ。きっと僕は選ばれた。だから未だに偽物語を打っている。愛され続ける限り、偽物語が撤去されるその日まで…。

それが僕の信念であり、誇り。僕の誇りを汚す奴は許さない。
 
 
■寄り道4 意外と高い焼肉
そんな独り善がりにある意味付き合ってくれた友人に感謝しつつ、勝負の後は打ち上げ。彼は、僕のやること為すことに苦笑しながらも、結局は同行し同意してくれる。最大限の理解を示してくれる。この価値観の近似ぶりというか、あまり説明せずとも真意が互いに大体分かるというフィーリングマッチングが可能な相手というのも、案外得がたいものだ。

彼も数年前に結婚し、子供も出来て、家庭も大変だろうに、今も変わらず秋葉原や上野で僕と共に行動している。昔とあまり変わっていないところが可笑しくて、それだけではダメだと互いにいつも気を引き締めて、だけど共に行動する時は若かりし青年時代と同じように…。

だから盛大に焼肉を貪った。上野駅近く、マルイの裏手にある「大昌園」というかなりの高級店だ。入って会計をして高級店ということが分かった。無論、肉は旨い。他の上質店と言われる店と比べてどうかと言えば、必ずしも突出しているわけではないが、それは上野クオリティという言葉で片付けられる。上野にも色々あるが、このマルイ裏手のパチンコ屋や胡散臭い店が乱立する小道は、そのカオスぶりに相応しく食事処も上野カオスベクトルなのである。
 
 
■寄り道の果てに
散々遊んで帰宅した僕を待っていたのは、嫁や亀二や亀吾ら、いつもの面子。嫁が友人からもらったという自作のパンケーキや鯛焼きなどがテーブルに置いてある。その土産を、炒れてもらったアイスコーヒーをすすりながら軽く摘む。甘い香りが口腔に広がる。

何というか、寛ぐ…。先ほどの誇りを掛けたバトルが、亡者のように狭い小道を行き交うヤンキー、ヤクザまがいのオヤジ、チャラい学生風、ケバケバしいマダム、中国人や韓国人などが乱れ歩く上野の小道の喧騒が、野性剥き出しの焼肉大合戦の肉々しさが、全てがまるで夢のよう。つい先ほどまであの悪鬼羅刹蠢く盛り場に居たのか、と…。ふっ、と肩の力が抜けた。

まさしく寄り道だらけ、波乱含みの土曜日。しかし最後はここに帰る。魂が自然と還る。もう今日は休もう…。

見れば、腰痛に効くからと先日注文した低反発マットレス「トゥルー・スリーパー」の荷が届いていた。早速それを開梱し、中のマットレスを取り出した。見た目は真っ白なただのスポンジ風。だが巷では評判のマットレス。説明書には「半日~一日間、日干ししてからお使い下さい」と書いてあるが、居ても立ってもいられない。僕は早速そのトゥルー・スリーパーを、いつも寝ている布団の上にバサリと敷いて、

仰向けに倒れ込む。身体があまり沈まない。身体の重みを上手く吸収しているような…。本当にこんなスポンジで効果があるのだろうか。半信半疑。だけど何はともあれとりあえず、僕はこのトゥルースリーパーの上で眠りに就くのだった。

朝の朝風呂から島バナナまでは、心安らぐ陽であり真。その後の偽物語勝負や焼肉ワッショイは、心荒ぶる陰であり偽。半真半偽の土曜日であった。


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20161001(土) 西新井温泉とパチスロ偽物語爆発と高級焼肉でプレミア続きの土曜日

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【朝メシ】
アイスコーヒー、梨(家-嫁)
 
【昼メシ】
喫茶店シルビア シルビア弁当(西新井-嫁)
 
【夜メシ】
焼肉屋「牛太金星 ヨドバシAKIBA」(秋葉原-友人1人)
 
【二十四節気 定気法】
第16「秋分(しゅうぶん)」:9/23~10/7 → 第17「寒露(かんろ)」:10/8~
 
【イベント】
西新井温泉、パチスロ偽物語、秋葉原焼肉
  
  
【所感】
■秋も朝風呂
早朝8時頃、西新井にある西新井温泉「大師の湯」に向かう。同温泉の通常営業時間は本来10時オープンだが、開館時間を朝7時に早めた「朝風呂キャンペーン」を7~9月の夏期間限定で実施したところ、一定の好評を得たのか10月も延長することに決定したという告知を受け、温泉好きな僕らとしては居ても立ってもいられないいう流れだ。

ちなみに、僕は「西新井温泉」といつも言っているが、正式名称は「THE SPA西新井」、あるいは「大師の湯」である。しかし僕としては、いずれも語呂が悪く呼びにくい。それとリラクゼーションサービスや休憩所、食事処なども完備しているためSPA施設には違いないが、地下1500mから湯を掘削、つまり掘り出して吸い上げているわけだから温泉の条件は満たしている。

かつ、泉質も塩化物泉(えんかぶつせん)成分が含有されている。つまりしょっぱいという意味合いだが、この塩化物泉は温泉の代表的な成分の1つであることからも、温泉と呼んでいいだろう。

何よりSPAじゃあ盛り上がらない。温泉の方が響きが良いではないか。都会のコンクリートジャングルの中に出現した温泉。そう考えた方がよりオアシス的だしロマンもある。

よって僕としては、今後もこの場所を「西新井温泉」と呼ぶことに躊躇わない。譲らない。ここは「THE SPA西新井」でも「大師の湯」でもない「西新井温泉」、「西新井温泉」なんだよ、と。意外と大事なことなので二回言いました。

この粋な計らいは風呂好きにとって、特に朝湯好きな連中には堪らない。もちろん朝湯だけでなく朝寝、朝酒も大好きだが、敢えて1つ選ぶのならやはり朝湯に勝るものはない。早速、延長開始10月の初っ端から西新井温泉に出向く僕らである。

風呂好きというのは、一日何回も風呂に入るしずかちゃんのような人間を差すのではない。それはどちらかというと綺麗好きにカテゴライズされる。

そうではなく、もっとトータル的な見地から見た狂信的で依存症的な属性だ。偏向的、病的と言ってもいい。いや、風呂というより温泉が好きなのだ。とにかく「温泉」という存在、そして字面に拘る。スパ施設もそれに含まれるか。

よって前提条件としては、家に風呂があっても外の風呂に好んで出掛ける者達のことを指す。そういう連中に限って家では良くてシャワー、入らないこともあるという不安定な風呂事情を送っているものだ。それでいて外の風呂施設に行った途端、人が変わったように身体を念入りに何度も洗い、4時間でも5時間でも平気で滞在できる。

彼等は外の温泉施設に別世界を見出している。それはすなわち、自らの脳内空間に確固たる自分だけの世界を構築することであると、そんな極端な持論を内に秘めた人間だ。連中は生活圏に風呂施設がなければ落ち着かないし、ともすれば生きていけない。だから彼等の生活拠点は「温泉の有無」という条件に大きく左右される。

生活圏にないのなら遠出する。旅行もその1つだ。温泉に入れるなら県外どころか海を跨ぐことすら厭わない。観光目的というより温泉目的なのだ。当然、旅行先に温泉が無い時点でアウト。ホテルの風呂がショボイのも大幅減点。傍から見れば狂気の沙汰と思える行動や選択を涼しい顔でやってのけるのが風呂好きという人種である。

だからその類の人種には1人で行動するのが好きな一匹狼型人間や、友達がいなくてもさして寂しさを感じない孤立主義者が少なくない。そんな静かなるローンウルフが雁首並べて群がる場所だから必然、温泉やスパ施設はあまり騒がしくない。

いや、むしろその静けさがローンウルフ達の脳内1人問答に拍車を掛けるだろう。彼等は無言で湯舟に浸かりながら無常感を漂わせ、この世の無情や人生の儚さ、内に秘めた野望とそれを成就させた後の未来の自分の姿のシミュレーションなど、延々と妄想を展開させていく。だから長時間居ても苦にならない。

だが最後、風呂を上がって現実の自分の姿を見た時に溜め息を吐く。先の妄想と現実とのあまりのギャップに気付かされて…。その悔しさ一時的に忘れるため、また近い内に必ずや温泉へと姿を現すであろう。彼等は時の旅人。そうあらんとするために各地の湯を渡り歩く孤高の独り人。

しかしまあ、それは男湯に限る。女湯はむしろお喋りしに来ている連中で満載だ。要するにうるさい。だから男達は、女は好きでも女湯は好きになれない。

さらに真の風呂好きとは、例えば旅行先の温泉旅館において一番の楽しみは食事でなく風呂だと公言するような種族。夜寝る前は当たり前、そこから人気の少ない朝の起き抜けにまだ日が上がる前の景色を見ながらじっくり湯舟に浸かるのが至極なんだよ、と嬉しそうな顔で話す輩のことをいう。

だがそんな連中は、風呂はそこそこに周囲の観光資源見物や郷土料理に時間を割きたい者達からすれば、とんてもなく空気の読めないKY野郎だ。そんなことばかりしていると、いずれ切られる。旅行に誘われなくなる。なので仲間内での旅行では自重を心掛け、ある程度皆に合わせるのが得策だと思われる。

そんな尖った温泉好き達にとって嬉しい西新井温泉の朝風呂。相変わらずサウナも湯船も空き空き。水風呂も「いま山の上流から汲んできました」とばかりの骨まで凍り付く冷たさ。この水風呂の冷却具合と鮮度は、朝風呂でないと味わえない。隠れた名所と言える。

しかし客が少なめとは言え、初めて出向いた先月よりも大分多くなっている気がする。皆、朝風呂の魅力に気付いてきたか。分かる。まだ殆どの店もシャッターを閉じる時分。クルマの通りも少ないので排気ガスで空気が澱んでいない清涼な頃。喧騒少なく、寝静まった街があと少しで動き出そうという逢魔が刻を狙い打ちしたハッピータイムの到来なのだ。これでテンションが上がらないわけがない。

朝風呂という名の天国への階段は、東武スカイツリーライン西新井駅から徒歩2~3分の場所にある。
 
 
■シルビアは今…
朝風呂を楽しんだ後、近くの喫茶店「シルビア」で昼食を摂る。名店と謳われた梅島店の栄光も今は昔。スーパーウエイトレスと全ての客に目された通称『黒髪ねーちゃん』が退職したことにより、クオリティがガタ落ちして久しい。僕も行かなくなって大分経つ。彼女が勤務していた時は、それこそストーカーのごとく通い詰めていたというのに。彼女が居なければ所詮ただの喫茶店に過ぎないということか。

一方、西新井店には何の思い入れもないので機会があれば普通に入店する。しがらみや愛着がないと、人はこうも冷静かつ淡々と決断できるという良い例。本当はその方が人として理想的なんだよな。想いが強すぎると人は冷静さを失い客観的な判断ができなくなる。自分を見失う。

淡々と入ったシルビアでは、季節メニューである「秋のシルビア弁当」を注文。春夏秋冬、全ての季節で献立内容が変わる、シルビアの代表メニューかつ人気メニューである。今回の秋バージョンは、秋らしく焼きジャケがメイン。あとはエビフライとか、ハンバーグとか、目玉焼きとか。シャケ以外はオールシーズンじゃん?

と突っ込むのは無粋というもの。季節の演出にはワンポイントで十分。案外そのワンポイントが案外できないのだ、クズには。また、そのさりげないワンポイントを感じ取る感性の鋭さと想像力の豊かさが客には必要。その感性が案外持てないのだ、クズには…。オレはクズじゃないという自負の下、シャケというワンポイントで秋を存分に感じてやった次第である。ひょーう、秋―っ、超秋―ッ…! わざとらしすぎるのも良くない。

あと、ハンバーグは相変わらずレトルト臭満載で味気ない。ハンバーグは正直お勧めできない。
 
 
■天国モードの夜
温泉で感じた天国モードは、その後も継続した。まず嫁が夕方から仲間と飲み会のため、僕は独り行動を選ぶ。その時間潰しスロを選んでしまう点に一抹の悲しさはあるが、昨日打って好調だった台に再び継続して座ったことで、一気に天国へ駆け上がった。

そんなパチスロ偽物語5時間勝負。昨日、忍の「和解ノ儀」からのCZ積み重ね途中に閉店となった台。4kでBIGを当てた後の110G辺りで解呪の儀が成功。そこから倍倍を何度も積み重ね、CZ170語ほど一気に積んだ、

ハッピータイム中のBIG終了後の準備中にもBIGを何度も引き、瞬時に2000枚近くゲット。

だが偽物語の一撃枚数過去最高3800枚は越せないか、と苦笑していた時、残り10語くらいでプシュンと画面がブラックアウト。ロングフリーズ「始マリノ刻、開演」である。まさかここで来るとは…。一気に3300枚まで積んだ。

そして再び残り10語か20語くらいの時分、超倍倍に突入し76語上乗せ。さらに途中で旧化物語の上乗せ特化演出が出現し、プラス70語乗せ。一体この台は何なんだ? 壊れたか? と冷や汗すら出る挙動だった。

こんな連続で続いたことはかつてない。というか、昨日から「和解ノ儀」「始マリノ刻」「旧化物語演出」「超倍倍チャンス」という最もレアな4種類を全てコンプしたという、まさに超常現象の日でもあった。

結局、語を積みに積み、一撃で4800枚オーバーまで持って行ったのが今日の勝負の結果である。幸せすぎてたまらない。偽物語を狂おしいほど愛している。

一撃枚数最高記録は圧倒的に塗り替えたこの日、興奮が止まらない僕は、ちょうどアキバに来ると言っていた友人・スーパーフェニックスを、ヨドバシAKIBAレストランコーナーで最も高級と言われる焼肉屋「牛太金星」に誘い、上質で美味しい肉を振舞ったのだった。

というわけで、今日はいいこと尽くめ。この勝ち金を元に、明日は買い物に行く。嫁にも久々に拭くでも買ってやるか。野望に燃える僕だった。


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20160910(土) 日比谷オクトーバーフェストの前後に有り得ないほどの過密スケジュールを入れる

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【朝メシ】
日本一簡単に家で焼けるちぎりパン ベルモント公園(梅島-1人)
 
【昼メシ】
ドイツビール、ソーセージ オクトーバーフェスト日比谷公園(日比谷-嫁)
ビアパブ「BULLDOG」銀座インズ(銀座-嫁)
 
【夜メシ】
マックシェイク 西新井マック(西荒井-嫁)
居酒屋「甲斐路」(西荒井-嫁)
 
【二十四節気 定気法】
第15「白露(はくろ)」:9/7~9/22 → 第16「秋分(しゅうぶん)」:9/23~
 
【イベント】
公園ピクニック、西新井温泉(1日2回)、ヨドバシAKIBA(デジカメ修理)、日比谷公園オクトーバーフェスト、映画「シン・ゴジラ」鑑賞(TOHOシネマズ日劇)、有楽町マルイ(ジーンズ受取)、甲斐路
  
  
【所感】
■正直に三度目のオクトーバーフェスト
(日比谷オクトーバーフェストHP)
http://www.oktober-fest.jp/sp/hibiya/

ネット情報によると、日比谷オクトーバーフェストがまた開催される模様。現在9月。秋突入間近だが、5月と7月にも同フェスタは開かれていたはず。2ヶ月毎というハイペース、かつ春、夏、秋できっちり区切られている。まさか冬もやるのか? オクフェスってそんなに頻繁なイベントだったか? 有り難味がなくなるのでは…。ちょっと食傷気味な気もするけれど…、

世界的ですもんね、
乗るしかない、
このビッグウェーブに。

酒を飲むことには変わらない。屋内の居酒屋が公園という野外に変わっただけだ。まして世界的なビール祭り「オクトーバーフェスト」。日本的でなく、陽気に、誰もが笑顔で飲める場所。だからこそ楽しく。本場ドイツ・ミュンヘンへの憧れは未だ消えず。だからこそ少しでもドイツを身近に感じたい。

だから何度だって参加する。むしろそれ以外の選択肢は最初から持ち合わせていない。要は、最終的に飲めればよかろうなのだ。
 
 
■過密スケジュール立案
オクトーバーフェストへの参加意思を表明したからには迷わず外の世界へ飛び出す所存だが、せっかくなので他の用事も絡ませたいところ。今まで保留にしていたイベント、踏ん切りが付かなかった決定は数知れず、ホールドとディレイとフォゲットを繰り返した結果もはや返せぬほどに積み上がっている。

その中の幾つかでも消化できれば、座して動かぬ自分自身への溜飲も多少は下がるはず。タイミングの問題もある。実行するには、それに相応しい機というものが存在し、だけど何時でも訪れるものではない。その機を読み取り実行する。実行すると決断したからにすぐに動く。今日という日は、放っておけば忘却の彼方に押しやられる事項を掘り起こすために訪れた、まさに絶好の機と言えた。

なので今回は、取りこぼし中の予定も組み込み事前に計画を立てた。結果、10分単位のズレが命取りとなる計画立案が完成。何時に何処に行き、どの電車に乗って、どの程度滞在し、どのタイミングで次の目的地に移動するか、小学校の夏休みスケジュール表のごとく細かく区切った。むしろ子供のようにワクワクしながら。誰だって計画するだけなら楽しいものだ。肝心なのは実行できるか否か、それだけ。

もはや総理並の過密スケジュールとなった計画表に沿って最後まで遂行できるか。基本的に仕事色は殆ど無くレジャー中心なのだから「そんくらいはやろうぜ?」という気持ちはある。

だがレジャーメインだろうと、本計画には計8つもイベントを盛り込んだ。通常の許容量を超えていることに変わりはない。活動時間も約18時間を予定しておりハード。常時活動することで蓄積していく疲労の中、へこたれずに最後までやり抜けるだろうか。体力と、何より気力が試されている。最後はきっと気力の勝負になると、ほぼ確信していた。

そんなゼーレの人類補完計画のような、アルサーメンのアジェンダのように定められた予定表は以下の通り。
 
 
5:30~5:45 起床・出発
5:45~6:30 ベルモント公園ピクニック・朝食
6:30~7:00 帰宅・出発
7:00~9:00 西新井温泉朝風呂
9:00~9:30 移動 西新井~秋葉原
9:30~10:30 ヨドバシAKIBAデジカメ修理
10:30~11:00 移動 秋葉原~日比谷
11:00~12:30 日比谷オクトーバーフェスト・昼食
12:30~13:30 移動 日比谷映画館入館
13:30~15:30 映画鑑賞「シン・ゴジラ」 TOHOシネマズ日劇
15:30~16:00 映画館退館 移動 有楽町
16:00~16:30 有楽町マルイジーンズ受取
16:30~17:30 移動 日比谷~西新井
17:30~19:30 西新井温泉
19:30~20:00 移動 西新井エリア
20:00~21:30 居酒屋「甲斐路」・夕食
21:30~23:00 帰宅、土産・ジーンズ等観賞会等
23:00~7:00 就寝
 
 
①早朝、近所のベルモント公園でピクニック。
②一度帰宅した後、西新井温泉の期間限定「朝風呂」フェアを試す。
③次に、ヨドバシAKIBAに開店9時30分から入店、調子の悪いデジカメの修理依頼をする。
④続いて日比谷公園に向かい、日比谷オクトーバーフェストに開始11時より入場。
⑤有楽町の映画館で13時30分上映の人気映画「シン・ゴジラ」を鑑賞する。
⑥返す刀で有楽町マルイの服屋で予約していたジーンズ等を受け取る。
⑦再び西新井に戻り、二度目の西新井温泉で汗を流す。
⑧西新井の馴染みの居酒屋「甲斐路」で打ち上げ。
⑨帰宅して土産品やジーンズの鑑賞会を行ってから就寝。

殆どが「その内やろう」「いつかやろう」と言い続けて先延ばしにしてきたイベント。漏れなく拾うため、一つ一つのイベントの時間を細かく区切り、制限時間を設けた。メインであるオクトーバーフェストの開始時間に間に合うよう逆算していくと必然的に過密になる。特に映画館の「シン・ゴジラ」は上映時間が絶対に動かせないので、こちらが合わさざるをえない。

賽は投げられた。まずは予定に沿って早朝5時半の起床を試みる。何事も最初が肝心。逆に初っ端をしくじれば、なし崩し的にボロが続き挽回するのは難しい。
 
 
■起床・出発(予定5:30 結果6:00)
理想は5時半起きだったが、昨日深夜まで起きていたためか、僕も嫁も身体がシャキッと反応しない。眠い~ダルい~と呻きながらウダウダしている内に数十分が経過。流石にこれ以上遅れると全てが水の泡だからと自らを叱咤してようやく起床した。危惧したことが現実に。いきなり30分ビハインドの出遅れスタートを切った。

だが公園の滞在時間を短縮すれば挽回は可能。ピクニック予定地のベルモント公園に早足で向かった。
 
 
■ベルモント公園ピクニック(終了予定6:30 結果6:50)
ベルモント公園は、敷地面積はさほど広くないものの、ゴミも落ちておらず芝生や草花の整備もマメに行っているため全体的に綺麗だ。快適度は足立区有数と思われる。何より同公園は花の栽培に力を入れており、一年を通して色取り取りの花を観賞できる。特にバラの栽培は秀逸。いつ行っても何かしらの花が咲く公園は季節感に溢れ飽きが、来ない。隠れた名所である。

ただし、夜になるとヤンキー達が何処からともなく出現し大声で騒ぎたてる確率が高いので注意が必要。かつて公園内の池で放し飼いにされていた黒鳥が、何者かに撲殺された事件もある。よって無法地帯化する夜はなるべく避けた方が良いだろう。他の時間帯であれば、まさしく市民の憩いの場。公園の本来の役割を十二分に果たしている。

僕等は通常、ピクニックをする際には朝8時頃に利用するのだが、今回はさらに早い6時半。まだ皆が寝静まっているはずの時間帯だ。きっと静寂で清涼な公園風景が展開されるに違いない。そう踏んでいた。

しかし現場に踏み込んでみると想像とは異なる風景。予想以上に人が多い。僕等のようなピクニック目的はゼロだが、公園を取り囲む外周の歩道を歩く人間が15人ほど確認できた。彼等は歩道を一心不乱に、あるいは仲間内と談笑しながらグルグルとひたすら歩き続け、終わる気配が一向にない。

彼等は早朝ジョギングならぬ早朝散歩の連中だ。ベルモント公園は一周が大体300メートルと設定されているため、ウォーキングやジョギングする者にとって距離が測りやすい。一応ジョギングは禁止なのだが、そこは足立区ということでお構いなし。気合の入ったメガネ兄ちゃんなどが、狭い公園内をよく爆走している。国道行けよ…。

散歩者に視点を移せば、高齢者の割合がかなり高いと気付く。まあここに限った事じゃないが、爺さん婆さん連中と言えば日本で最も早起き、かつ朝の散歩が大好物な人種だ。彼等の存在を頭に入れていなかった。

というわけで、周りは散歩連中だらけ。その中ほどにある、少しだけ小高く盛り上がった芝生部分の木陰下に僕等はレジャーシートを敷いて陣取った。全方位が確認できる最も見見晴らしの良い場所だが、反面周囲から見れば最も目立つ場所だ。朝食やコーヒーを広げて寛ぐ僕等を、散歩者達がチラチラと見ている。亀二(ぬいぐるみ)を出した時などはチラ見からガン見に切り替えていた。やり辛いなぁもう、休みの朝くらいゆっくり休ませてくれよ。

加えて、蚊も多かった。多少気温も落ち着いてきたとはいえまだ夏場。夏は蚊の季節だ。かつ昨日まで降っていた雨のお陰で僕等が陣取る芝生は濡れている。水場は蚊にとって天国のようなものだ。夏、草木、水場…冷静に考えれば蚊が発生するのに絶好の条件だった。

なのに僕等は甘く見て、虫除けスプレーもかけないままこの蚊の大海へと飛び込んだ。もう刺された刺された。嫁は2~3箇所、僕は5~6箇所、姿は見えないのに突然足が、腕が痒くなる。そして想定以上に膨れ上がる。ここらの蚊達は無駄に強力。

ホント無駄だ。ジンジンと不快な痛痒さが付きまとう手足をペチペチと叩きながら嫁がこう言った。「血だけ吸って去ればいいのに、それだけじゃ飽き足らずなんでわざわざ毒を注入するの? 血を吸って終わりでいいじゃん」と。

確かに理屈は分かるが、蚊の行動原則は理屈でなく本能だと思うので。種の保存のため外敵を排除する本能を持つのが生き物というもの。蚊も例外ではない。だから吸血で敵の体力を奪いつつ毒も注入して確実に倒そうとしてんじゃね? と、適当に応えておいた。蚊の毒で死ぬはずない、なんて最近は笑い事じゃないからな。ジカ熱だったらどうしよ。
 
 
■時間帯によって変わる公園の人種
また嫁は、早朝のウォーキング連中を見ながら公園のルールについても話していた。それは時間帯によって利用者の棲み分けが自然に出来上がっているという当たり前のようだが人間の不思議について。確かに、早朝以外はあらゆる時間帯に公園に行ってみたが、時間帯で公園の利用者層がきっちり区切られている事実が浮き彫りになる。

具体的に言うなら、日が昇るか昇らないかという早朝の時間帯には、今回見たようにウォーキングする者が多い。主要年齢層は高齢者。健康のため、あるいは早起きのしすぎで持て余した時間を潰すためと思われる。

ウォーカー達が減り始めた頃、僕等のようなピクニック目的の人間が顔を出す。ただしあまり騒がしくしたくない、まったり過ごしたい属性だ。それは他人に自分達の空間を魔されたくない人間。だから子供連れの家族はこの時間帯には基本来ない。

ウォーカー達とピクニッカー達が入れ替わる間隙を縫って入り込む人種もいる。いや、ウォーカー達よりも早い時間帯の場合も多い。それはホームレスや酔っ払いのおっちゃん達だ。彼等は備え付けのベンチに腰掛け、寝そべり、仲間同士ではしゃぐ。公園は彼等にとって数少ない憩いの場であり社交場なのだから。

彼等は粗野で野卑に見えるが、一般住民が居ない、もしくは極端に少ない時間帯をしっかり見計らって、目立たぬように短時間だけ棲息する。人の姿が増えてくればさっさと立ち去り、何処へともなく消えていく。不思議な人種である。

彼等なりに遠慮している、気遣っているということだろうか。一般住民と同じ場所に居ると迫害されるかもしれない、されなくとも心の中で白眼視されるかもしれないという不安と不快が常にあるから敢えて人が居る時には近付かないだけかもしれないが。消極的脱出かもしれないが。

その後、お昼前後から日没まで家族連れが一気に増える。ピクニックもあるが、大抵は芝生の上や広場でバドミントンやサッカー、ブランコなどに興じる。自然見物に来たというより遊びに来た連中だ。この時間帯が最もアクティブかつ騒がしい。そこにお一人様の中年、老人などが入り乱れ、夕方辺りまでそんな状態がダラダラ続く。このフェーズが公園の最も大きな部分を占めているのは言うまでもない。

夕方から晩までは、公園利用者は少ない。皆家に帰っているからだ。居るとしても、滞在するというよりちょっと通り過ぎる程度。空白の時間帯である。

夜になれば空白度がさらに加速する。その空白地帯を狙って跋扈するのがヤンキーを筆頭とする夜の一族だ。彼等は総じて年齢が若く向こう見ず。大声で騒ぎ、園内で飲み、何の運動をしているのか知らないが物音を立てて暴れている。一般住民にとっては迷惑であり近付きたくない存在だ。

よって夜の公園に一般住民はあまり近付かない。帰宅途中の通り道で素通りするビジネスパーソン、あるいは夜の静けさが好きなおばちゃんやおっちゃんやカップルなども一応生息しているが、ヤンキーと遭遇した場合は保証できないのであまりお勧めは出来ない。そんな重大な事件など滅多に起こるものでもないが、一番起こりやすい時間帯と言われればやはり夜なのだから。

ヤンキー達も、昼間に騒ぎ立てれば周囲から白眼視されると分かっているので、敢えて夜を選ぶのだろうが、それも他者への気遣いと言えるだろうか。

そんな公園における人種ごとの棲息時間帯区分の妙。誰もが自分の属性を弁えており、それにそぐわない時間帯は避けるという回避行動は変わらない。殆ど無意識だろうが、互いが互いを気遣っているのである。
 
 
■それでも公園は安らぐ場所で
予想以上に多い利用者と蚊の被害によって、公園の滞在時間はかなり短め。作ってきた朝食のサンドイッチを急ぎ足でつまんだ後、早々に公園を立ち去った。時間にして20分少々か。まるで逃げるような矯正終了である。

ただし持参した朝食は充実していた。公園で食ったサンドイッチは嫁が今日のために作った「日本一簡単に家でできるちぎりパン」に具を挟み込んだもの。セブンイレブンのサンドイッチとは一味違う、野外専用オープンサンドという趣がまた良い。久々で忘れていたが、やはりコストパフォーマンスに優れた逸品だと再確認した。

家で作った朝食を持ち出し、澄んだ空気と日の光を浴びながら、自然に囲まれただ寛ぐピクニックというイベント。凝り固まった心がほぐされていく凍りついた心がかき氷のようにジワジワと溶けていく。早朝訪れた数十分間は、とても優しい時間だった。
 
 
■西新井温泉朝風呂(退館予定9:00 結果9:00)
一旦帰宅してから余所行きの服に着替え、必要なものをカバンに入れて再び出発。週1ペースで通っている西新井温泉「大師の湯」で一風呂浴びるためだ。その後、本日のメイン行事へと移行する。温泉に入るのはいわば身を清めるための儀式。禊である。

ただ、本日の温泉入館時間は従来よりも遥かに早い朝7時半。普通の土曜ならまだ寝ている時間だ。西新井温泉の営業時間も10時からのオープンが通常なのに、なぜか。それは、同館が現在「朝風呂サービス」という期間限定イベントを行っているからだ。

西新井温泉「大師の湯」の「朝風呂サービス」。通常10時のオープン時間を早め、朝7時から開ける。しかも入浴料もかなりお得。7時~9時までに受付を済ませれば通常1100円くらいの入力量が650円程度になるのだ。暑い夏期間、厳密に言えば7月~9月の土日のみのイベントだが、客としてはサウナ付きのだだっ広い風呂に朝っぱらから入れるという涎が出そうなイベント。その爽快さは想像に難くない。旅館などでも朝一番で大浴場に入りに行く客は多いが、その連中と同じ気持ち。朝寝、朝酒、朝湯は最上級の愉悦なのだ。風呂好きなら尚更。

いつも人でギュウギュウの温泉を独占した気分になれる。つまり優越感だ。オレはお前らよりも温泉を賢く使ってるぞ、オレの方が温泉通だぞ、オレの方が楽しんでるぞ、と。ゲームの裏技を知っている小学生が友人に自慢したくなる気分と同じようなものだろうか。

僕等もこのイベントをずっと前から知っており、いつか利用したいと思っていたのだが、ズルズルと結局イベント最終月の9月になってしまった。僕等ほどの西新井温泉常連客が朝風呂を利用しないなどあってはならないこと。今日行かねばもう後はないとプレッシャーを掛け、ようやく実現に至った。

そんな期待の西新井温泉朝風呂サービス。入館すると人が殆どいない。江戸っ子という言葉が表すように東京の人間は三度のメシより風呂が大好きだと思っていたのだが、そうでもなさそうだ。まあこちらとしては、客が少ないのは願ったり叶ったり。

受付カウンターの店員も二人しかおらず、中の館内着の受け渡しカウンターも稼動していない。券売機も通電していないという、まさにインフラは閉店状態だ。結局チケットの購入、タオルの受け渡しなどは全て受付カウンターで済ます模様。それだけで十分客を捌けるということだろう。今まで見たことのない閑散とした館内が、いかにも早朝という雰囲気を醸し出し興奮を掻き立てた。

脱衣場も人っ子一人居ない。誰も見ていないのをいいことに、全裸になって骨盤ストレッチをしたくらいだ。ホント人が見てないって自由に出来るな。

中に入ると、さすがに他の客が居た。と言ってもせいぜい5~6人。サウナで腕立てが出来る。湯舟や露天風呂ではさすがに泳げはしないが、首だけ水面に出したまま大の字で寝ることもできる。最高だ。

特に水風呂。冷たい。いつもより4~5℃は水温が低い。刺すような冷たさだ。長時間入っていられない。これは水本来の性能をフルに発揮した冷水。客の体温で水が温まっていない、つまりまだ誰も使っていない純粋な冷水だ。まるでプール開きして初めて入る学校の屋外プールのように皮膚がピリピリとするような、肉の奥まで染み込むような水風呂の冷たさだった。

やはり朝風呂は最高。銭湯や旅館ならまだしも、温泉やスパでこの時間帯から開けるのは有能だ。コンクリートジャングルの一角に潜む「西新井温泉」という名のオアシスが今後も永続的に在り続けることを願う。
 
 
■ヨドバシデジカメ修理(入店予定9:30 結果9:40)
温泉から上がった後、秋葉原駅に到着。ヨドバシAKIBAでデジカメの修理を依頼するためだ。日々のシーンをデジカメ写真に収めることが習慣というよりもはや義務化している自分にとって、デジカメの存在は生命線。デジカメ撮影を始めてもう15年以上になる。

最初の5年くらいはデータも跡形もなく消えてしまい残っていないが…。CD-Rに焼き込むくらいしか確実な保存方法がなかった十数年前に比べ、バックアップのインフラが整備され多様化かつ高度化かつ手軽に出来るようになった現在の環境は本当に恵まれていると思う。

ここ十数年でデジカメも目まぐるしく進化した。高解像度化を筆頭に、シャッタースピードの高速化、手振れ補正、顔認識、通信機能の付加など、高性能かつ高機能化を経て今がある。

だが近年、写真撮影ツールとしてスマホが台頭。その手軽さとコンパクトさ、デジカメに匹敵する高解像度撮影機能などで圧倒的な支持を得て、現在は事実上の撮影ツール第一位となっている。

それに押しやられるように、デジカメ業界は縮小化。一般消費者層をスマホに奪取された以上、コンセプトの転換を図らざるを得ない。ライトユーザーを捨て、本格派のパワーユーザー向け製品での生き残りを模索した結果、世界の中でもガラパゴスと言われる日本のカメラシェアにおいて、さらにガラパゴス化の道を辿っている。それがデジカメの現状である。

それでも僕はデジカメに拘り続ける。数を撮る者にとって最も重要なのはシャッタースピードだ。いかにスマホのカメラ機能が高性能化しようとそこはデジカメに及ぶまい。そのシャッタースピードにおいて業界最速と言われるのがフジフィルムのFinePixシリーズ。僕の愛用機であり、どこに行くにも必ず持参した。僕にとって外出する際の必須アイテムは、財布とスマホ、被写体の亀のぬいぐるみ「亀吾」、そしてデジカメである。それ以外はなくても何とかやっていける。今現在は、2年半ほど前に購入した「FinePix R900EXR」を使用する日々である。

その僕のデジカメの調子がおかしくなったのがもう1年も前。ズームの反応が悪くなったり、撮影モードを切り替えるとフリーズして止まってしまったり、ムービー状態になって何をしても反応しなくなったり、時間が経つに連れて慢心相違だ。早く修理しなければと思い、結局今日まで引き延ばしてしまった。

今こそそのツケを払う時。メーカー保証期間は既に過ぎたが、ヨドバシ5年保証に入っているのでまだ保証は効くはず。毎回5年保証に入りながらいつもレシートを無くて諦めていた教訓を活かし、今回はレシートもしっかり保管している。あわよくば上位機種交換なんてラッキーがあるかも? などと黒い期待も抱きつつ、ヨドバシオープン9時半、大体計画通りに入店した。

入店間もないヨドバシは、まだ客もまばら。ゴミのように人で溢れ返る光景を見慣れているのである意味新鮮だ。早めの入店を果たしたお陰か、サービスカウンターでも一番のレシートを受け取る事ができた。この調子ならスケジュール通りに終わらせることができるだろう。

呼ばれた僕は、カウンターの店員に状況を説明する。予想通り修理に出すとのことだ。しかし修理まで2~3週間は掛かると言われて焦る。その間、デジカメがない状態で過ごさねばならないのだ。代替機の貸し出しも「ありませんね」と当たり前のように言われた。

別にカメラ撮影はスマホで代替すればいいが、僕のアンドロイドはシャッター反応も遅いし画質もイマイチだからメインカメラとしては正直使いたくない。ますます不安感が募る。文字通りデジカメと寝食を共にしてきたためか、喪失感と不安感は半端なかった。いつも当たり前にあるものが、そこにない。こうも精神が落ち着かない。

しかも、無償修理の体裁でありながら、修理代は掛かる模様。金額にもよるが、僕のデジカメの場合は修理代金15000円くらいまでは見てもらえるらしい。だがそれ以上は自腹でお願いしますとのこと。聞いていないよ~っ。延長保証の意味が無ぇ。

だがまあ、実際はそんなものかもしれない。本来のメーカー保証1年からさらに4年も保証するという条件は、別に5年間無料で責任を持つという意味じゃない。5年も使えば経年劣化だって普通に起きる。それをいちいち対応していたら無限に無償で修理・新品交換などしていたら売り手の方が持たない。あくまで基本は有償修理であり、だけど出来る範囲内で金銭的強力をする、そのための購入時にいただいた掛け金です。と言ったところか。

それにそういう内容は、恐らく保証既定書に記載されていると思う。僕が見てないだけの話だろう。

ただ、見ないよな普通…。よくある契約書とか説明書などは、文字が多すぎて読む気が起きないのが多くの消費者の心理だろう。売り手はその消費者心理を逆手に取って、何か起きた時に自分達が不利にならないよう、様々な制約や免責事由を盛り込む。ゴネられたら「ここに書いてあります」と言うだけでOK。読まないアナタが悪いんだと。読まないと知っている癖に。文明の近代化、洗練化、欧米思想流入の中、浸透した契約絶対主義という鉄則。その鉄則を巧みに利用した責任回避のノウハウは全業界が周知している。

5年保証もその1つということだ。5年も経てば、壊れても寿命かと諦める消費者も多いだろう。買い換えてしまう者も大勢居ると思われる。優勝修理の場合、新品買うよりも高く付くなんてことはザラだし、だったら新しいもの買った方がマシだというパターンも。今多いに流行りの延長保証を利用しているユーザーはそこまで多くないのではないか。

それでも何故か入ってしまう。何か起こった時のために。その何かは起こらない可能性が高いのに。起こったとしても結局は過去に先読みして投資した保証が有効に働くとも限らないのだが、その時点では未来の安心を買ったと自分を納得させる。この手の保証形態は、つまるところ保証の権利を行使せず結局は放棄してしまう過半数のユーザーの掛け金によって、そうではない少数のユーザーを養っているという図式。僕もその少数ユーザーの仲間入りをしたいところだが…。

実際見てもらわないと分からないところだな。とりあえずはデジカメを預け、連絡を待つしかない。その時発生する費用に応じて対処を変えるのみだ。保証金額内で収まれば良し。そうでなければ自己負担を加えてでもやはり直すか、金額が余りに途方もなければ新しいデジカメ購入も検討しなければなるまい。

その買い替えというケースも踏まえ、デジカメフロアをちょっと下見してみた。しかし、リーズナブルなコンデジがあまり見当たらない。店頭に並ぶ多くはコンデジに見えても10万とか法外な価格のデジカメとか、一眼レフなど、とにかく気軽に手が出せるレンジじゃなさそう。

何より、フジフィルムの慣れ親しんだFinnePixのフォルムがどう探しても見当たらない。どうせ買うなら現在持っているF900EXRの後継機種が一番良いだろうと考えているのだが。それも含め、求めるターゲットプライスは2~3万程度のデジカメ。よく分からないので、そこらを歩いていた店員に「フジフィルムのコンデジってどの辺?」と聞いてみた。

だが「はあ、そうですね…」と質問の意味をあまり理解してなさそう。「少々お待ち下さい」と一呼吸置き、正規の店員を呼んできた。そして接客をその店員にバトンタッチし、自らはそそくさと退散していった。なので彼は店員ではなくメーカーヘルプと判断。しかし仮にメーカーが違ったとしても、フロア構成や該当コーナーを案内くらいするのが最低限だとは思うのだが。何かメーカーヘルプもクオリティが落ちたのかな。

5~6年前、それまで使っていたパナソニックやカシオからフジフィルム一択になったのは、その時接客を受けたフジフィルムのメーカーヘルプの兄ちゃんの接客技術や対応が圧倒的に優れていたからだった。もうこれを買うしかないと思える神対応で、さすが専門でやってるプロは違うよなーと感心したものだが、最近はあまりメーカーや業者のヘルプにその手の感動を覚えることが少ない。

そして接客を代わった女子店員も、かなり上から目線で気持ちのいいものではなかった。物を知っていることは知っているが、「そんなことも知らないの?」と客を見下すような目付きなわけだ。僕がショップ店員をしていた15年前にもこの手の店員は居たが、いつの時代も変わらないんだな。「よりお客に理解してもらうため、その説明ができるために蓄える知識」ではなく、「ひけらかし、知らない者を黙らせ優越感に浸るための知識」という潜在的スタンスを持っていると思われる。一番いいのは「何でも知っててお客の目線に合わせられる店員」だよな、やっぱ。

にしてもこの店員、一度も笑顔を見せない。淡々とこちらが質問したことに答えるのみだ。そこから話を繋げようともせず、こちらが新たな話題を投げ掛けないと一問一答のように会話が止まってしまうという。会話する気が全くない、売る気が全く無い。

僕「フジフィルムのコンデジコーナーは何処か?」
店員「あちらにありますね」
僕「そこは見ましたが、ああいう効果なのではなくコンデジというか」
店員「まさしくあれがコンデジですが?」 
僕「いや、一般層が使いそうな昔2~3万くらいでよく売ってた手軽なヤツなんすけど」
店員「スナップカメラですか?」
僕「スナップカメラって言うんですか。そう、多分それです。F900EXRの類」
店員「そのシリーズはメーカーはもう作ってません」
僕「え? マジ? じゃあ同じようなシリーズは…」
店員「ありませんね」
僕「そうなんすか?」
店員「安価なスナップカメラそのものをもう作らないようになりました」
僕「マジすか…なんでだろう…」
店員「・・・・・(無言)」
僕「やっぱスマホの普及が関係してるんすかね」
店員「そうですね、スマホのカメラ機能が高機能化して、一昔前のスナップカメラを持つ必要がなくなりました。なので今はより高価で高性能なプロ仕様が主流です」
僕「そうですか。でもフジフィルムがいいんだよなー」
店員「フジフィルムはあちらにあるだけです」
僕「ああそうですね。シャッタースピード重視なんですけど」
店員「スピードは各メーカー速くなってますね」
僕「フジと同等くらいで値段もそこそこで、他のメーカーの奴ないですかね」
店員「それなら、カシノのこちらと、パナのこちらが大体似たようなスピードですね」
僕「なるほど、このどちらか、ですか」
店員「はいそうです・・・・(無言)」
僕「・・・・分かりました、とりあえず見てみます」
店員「分かりました」

と言い残し、「また何かあればお声をお掛け下さい」も「それでは失礼します」すらもなく、店員は用事はもう無いとばかりに無言でさっさと歩き去ってしまった。何だかなー。理解を深めてもらおう、大いにアピールして勧めよう、というオーラが感じられない。買う気も失せる。

そして勧められた他メーカーのデジカメのシャッタースピードを試してみると…。
「フジより全然遅いじゃん?」

何となく釈然としないものを残しながら、ヨドバシAKIBAを後にした。

ようやくメインイベントのオクトーバーフェストが始まる…。
 
 
■日比谷オクトーバーフェスト(予定入場:11:00 結果11:00)
日比谷駅に到着した僕等は、日比谷公園へと侵入。眼前には上品かつ木々や花々の手入れもしっかりした居心地のいい風景が広がっている。緑生い茂る中、ゆっくりと散歩する人、ベンチに座って寝入る人、結婚式に参加するのか園内のカフェテリア前ではピシッとしたスーツを着込む兄ちゃん達が談笑している。テニスコートではハイソな人達がテニスに興じ、どこか上質な雰囲気漂う公園だ。

かと思えば、常設する屋台では店主のオヤジが飄々とした表情で佇み、ラジオの競馬中継を流しながら客達にドリンクや菓子をダラダラと売っている。このオヤジ、たまに競馬仲間が来ると楽しそうに競馬話で盛り上がり、店のオーナーなのか目上っぽいおっさんが来ると先ほどまでのぞんざいな対応はどこへやら、テキパキと働きながら爽やかに対応する。日比谷公園に常駐する名物オヤジである。
 
 
■デジカメ、スマホ使い分け
そんな愛すべき風景を、いつものように撮影したいのだが、デジカメは先ほどヨドバシ修理センターに預けてきた。レスポンス激遅のアンドロイドスマホで撮るしかない。何で他の奴等はこんな遅いスマホなんかで写真が撮れるんだろ。僕のスマホが遅いだけか?

確かに嫁のアイフォーンなどはシャッタースピードもかなり速いと思うが、それでもしょせんはスマホだ。カメラを起動させて撮影ボタンを押してパシャッと撮影し、それが保存されるまで6~7秒掛かるんじゃないか? ピントを合わせる時間を合わせると10秒は見なければならない。そんな悠長なことをしていたら、刹那の時、奇跡の瞬間、決定的シャッターチャンスを逃してしまうじゃないか。スマホユーザーは風景や止まっている人間しか写さないのか? サバンナを走る獣を、その筋肉の動き1つ漏らすことなく残したくはないのか?

その点、デジカメは素晴らしい。と言っても並のデジカメじゃなく、僕が持っていたフジフィルム「FinePix F900EXR」のようなスピードを追求したモデル。起動ボタンを押して立ち上がるまでに1秒、既にピントは合っているのですぐさまシャッターを押して画像が出来上がるまでが0.5秒、保存に0.5秒、電源ボタンを再度押してオフになるまで1秒。合計3秒で事は済む。電源が入った状態じゃなく、電源オフの状態から立ち上げ撮影し再び電源を切るまで3秒なのだ。もはやスマホの及ぶ領域ではない。より素早く、より確実に撮るならば、また静的ではなく動的な被写体を写すのならやはりデジカメを選ぶべきだだろう。

どれだけ進化してもスマホはスマホ。OSやアプリなど様々な機能が盛り込まれ、それらを並列処理せねばならぬため、どうしたってスピードは殺される。カメラもまたそれら多数入っている機能の中の1つに過ぎない。対してデジカメは、それら余計な機能を排除し、「写す」ことだけに特化した機器。スマホは永遠に追いつけはしないのだ。

スマホは万能。デジカメは特化。全体的に見れば万能であるスマホがシェアを伸ばすのは当然だ。しかし「写す」ことに拘る者、追及する者にとってスマホはオモチャにしかならない。特化する人間を満足させるのは特化した道具しかないのだ。魚を捌き刺身を作る際、三徳包丁で十分という人間がいる一方で、最低でも出刃と柳包丁と細身の刺身包丁が必要だとする者もいる。それと同じことだ。

一眼レフ、ミラーレス、コンデジ、スナップカメラ…。追及する人間が存在する限り、スマホと同じくデジカメもまた進化し続ける。
 
 
■ポケGOというソシャゲ
そんな日比谷公園の綺麗な緑と寛ぐ人々。いつ来ても変わらない安心できる風景。だが最近ではポケモンGOユーザーも徘徊するようになった。まったくもって景観を損ねる連中だ。上野公園と違い控え目にやっている風に見えるのがさすが千代田区でがあるが、観光施設、商業施設問わずポケストップのある場所に群がりマナー度外視で好き勝手する人間が多すぎて周囲からキレられる、という減少は後を絶たない。あまりにマナーが悪いのでポケストップを完全削除した駅などもある模様。さもありなんという感じだ。

最近では、公園や駅内などでも「歩きスマホ禁止」という貼り紙が普通に見られるようになった。何もポケGOユーザーだけが歩きスマホしてたわけじゃないし、スマホ絡みのマナーの悪さなんてずっと昔から存在していた。が、遂に駆逐することができないまま今日に至る。なのでスマホマナーの悪い人間を嫌悪する側からすれば、ポケGOの社会現象化はむしろ格好のチャンス。

注目度や影響度が高いポケGOだからこそ、その宣伝効果を逆に利用してデメリットを浮き彫りにする。そこから「ポケGOユーザー=社会の敵」→「ポケGOユーザー≒マナーの悪いスマホユーザー」→「マナーの悪いスマホユーザー=社会の敵」という三段論法を人々の心に潜在的に飢え付ける。結果、ポケGOユーザーも他ムカつくスマホユーザー全てをひっくるめたユーザー達に集中砲火を浴びせかけ、社会の害悪というイメージを国内に固定化させてしまいたい。世論さえ味方につけてしまえば、後は放っておいても無名の住民達によるマナー意識低きスマホユーザーへの非難・攻撃が展開され、悪を抑え込むことが出来るだろう。

という腹が見え見えである。ポケGOは圧倒的人数に利用されている。だがそれを苦々しく思う反抗勢力もまたポケGOの知名度を大いに利用している。まさしく互いの利益のため譲れない陣営同士の潰し合い、陣取り合戦。ネットではイングレスでポータルを奪い、ポケモンGOでジム同士の攻防が繰り広げられているが、リアル世界も同じだ。より自分の都合の良いように生活するため、自分の居場所を確保するために敵を攻撃し駆逐する。

まあ、どれだけ攻撃されようと、ポケGOを続ける人間はずっと続けるだろう。ソシャゲとはそういうもの。多くのユーザーが諦め、振り落とされ、選ばれしユーザーだけが残る。彼等によって以降の世界は作られていく。開始当初に比べればポケGOユーザーも大分減っただろう。ポケGOに限らずソシャゲの既定路線、定めなのである。

ソシャゲ…。最初はお試しユーザーがプレイし、そこから口コミや宣伝によって増加していく。あるいは、友達を誘うと○ポイントもらえるといったエサに釣られたプレイヤーが友人達を誘い、拡散的にユーザーが増加するという不自然な増え方もある。パズドラなどは、このネズミ算式ではなかろうか。

パズドラは現在増えに増えて累計4000万ダウンロードを突破しているらしい。単純に計算すれば日本国民の3分の1がプレイしていることになるが、どう考えても有り得ない。同じユーザーが何度もDLしている、アンインストールした後またダウンロードした、友達の拡散による付き合いでDLするユーザー、運営側に何かしらの見返りをもらえるため等価交換としてDLするなど、様々な理由で積み上がったDL数に過ぎないだろう。アクティブユーザーはその何分の1、何十分の1か、あるいは何百分の1か…。いわば実態の伴わない数字だ。ゲームが面白くなければ、どれだけユーザーが増えたところで一時的な現象でしかないだろう。

面白くても、今度は飽きてくる。あるいは対戦要素が含まれたゲームであれば他のユーザーが強すぎてやる気を失う。ソシャゲに費やす時間が無くなってくる、あるいは勿体無くなる。他の事が出来ないので辞めた。等々、やはりユーザーは減少して最終的には一定数に落ち着く。

また、通常のソシャゲのように、じわじわと前評判や宣伝効果によってユーザー数を獲得していくのではなく、初っ端から相当数のユーザーが一気にプレイを始めるというソシャゲも中にはあるだろう。よほどの環境を整え、よほどユーザーが最初から期待していなければ成り立たない爆発的スタートダッシュ型ソシャゲ。ポケGOはまさしくこの部類だ。

しかしそのポケGOとて、先述した飽きやモチベ低下、拘束時間への不満等の理由で次々と脱落していく。他のソシャゲと違いマナー劣化の要因でありトラブルの元であるとの批判が一際クローズアップされている。少なくとも人の密集する場所で堂々とプレイするポケGOユーザーは減る、というか減っただろう。他のソシャゲと同じく、最終的にはアンダーグラウンドに潜む運命か。

まあ元々ポケモン自体がリアル世界で十分認知されたコンテンツなのだから、内に内に潜っていくこともないだろう。よりオープンな世界を目指すと思われる。近々「ポケモンGOプラス」という専用ツールも発売されるらしいし。スマホ画面を見ずとも、ポケモンやポケストップの存在を振動や光で教えてくれる商品のようだ。ワッペンのような形で、胸ポケットに差すような感じか。タイピンと同じに考えればいいのか。

分からないが、まさしく「歩きスマホ」という最大のネックを解消する商品だ。何が何でもポケGOをリアル世界に完全浸透させたいようだ。国民を巻き込みながらマジョリティになり、あって当たり前のインフラでありツールという地位を手に入れんとする野心的なアイテムであり、ポケモンGOというコンテンツであった。

(ポケモンGOプラス)
http://www.pokemongo.jp/plus/

まあ僕としては、目の前で不愉快な行動をしなければ別に構わない。が、今のところポケGOユーザーには不愉快な思いをさせられているので「ホントこいつら邪魔」と思っている。そのムシャクシャが嵩じて、ポケGOはやってないけど自分の前を歩く人間が歩きスマホをして少しでも進路を妨害・遅延させられる度に殺意を込めた目で睨み付けることも多くなってきた。これもある意味ポケモンGOのせい。どうせ無くならないとすっかり諦め忘れていた「歩きスマホ」族の存在とその弊害に、再び気付かせてしまったのだからな。

今、ポケモンGOは修羅の門をくぐった…。
 
 
■オクトーバーフェスト入場
僕等もまた、これからオクトーバーフェストという名の修羅に入る。仏と会えば仏を斬り、鬼と会えば鬼を斬る。

さあ、押せっ!

キュイキュイキュイキュイーン!

開始は11時だが、今回のフェスタは大規模なので行列が出来るだろうと予測し10分前には会場へと向かう。予想通り、既に100人からの行列が出来ていた。今年で既に3回目だが、皆何だかんだと楽しみにしているんだな。

親近感を得ながら開場待ちをしていると、ドイツの民族衣装を着た姉ちゃんがメニュー表などを渡してくれる。数年前は民族衣装に身を包むのは本場の北欧系美女も居たが、現在は日本人の姉ちゃんが殆どの模様。とても可愛いんだけど、やはり本場の衣装は本場の人間が着ると一層映える。

かつて欧米女に近付きたいと憧れを抱いた戦後間もなくから始まった日本人女性の奮闘。努力の結果、現代では引けを取らないほど美しくスマートになったと思っていたが、いざこうして並べてみるとやはり明らかに違うな。自然に放たれる雰囲気や物腰とか、そもそもの骨格や造型が遺伝子レベルで異なるのがよく分かる。

どちらがいいとは言えない。好みは人それぞれだから。ただオクフェスのような衣装を日本人が着ると、服を着こなすというより服に着られる感じになる。要するにコスプレのような。美しくスマートにという願望よりも、可愛くプリティにという欲求も色濃く混ざるのが恐らく日本人女性の潜在的考え方。それがオーラとして、体内のフェロモンとして滲み出る。その分泌物によって外面も調整されていくのかもしれない。

あと、これら姉ちゃんは可愛いんだけど、振る舞いや言動や身の運び方、周囲への気配りなど、プロとしての資質が大分足りないな。気軽なバイト気分、お着替え誕生日パーティの域を出ない。

そう考えると、ビッグサイトや幕張メッセで開催されるエレクトロニクスショーやモーターショーなどの展示会・見本市でブースに立つコンパニオン姉ちゃん達は群を抜いてプロだということが今さらながら分かる。コンパニオンとして生計を立てていけるかいけないか。そこに大きな違いがある。見本市のブースコンパニオンに一度オクトーバーフェストの衣装を着て働いてみて欲しい。さぞ颯爽としていることだろう。彼女等なら欧米イベントでも優雅にアクティブな踊り子・売り子を演じ、場に映えそうだ。
 
 
■オクトーバーフェスト本番
そして11時、オクトーバーフェスト開門。場所はいつもと同じ苦噴水のある噴水広場。その噴水を取り囲むようにテーブルと長椅子が設置され、前方には特設ステージと、客用の屋根付きテントスペース。後方にも席が設けられ、噴水広場を出た森林散歩道までテーブルと椅子は並べられている。相当の人数が収容できそうだ。やはり人気がある。

ライブを観ながら楽しみたい者はスタージ近くに、まったり静かに飲みたい者は出店などのない森林スペースへ。楽しみ方は人それぞれだろう。僕等は円形の噴水をぐるりと囲むテーブルを選択。水場の近くだと涼めて良い。それと、ライブまで観る必要は無いが、広場内に出ている16個におよぶ各ビール醸造場の屋台は視野に入れておきたい。そこに客が群がり、店員がビールを注ぎ、デカいジョッキを受け渡しする。どのデカジョッキのビールをガブガブと飲んで、陽気な笑顔で連れとはしゃぐ。そんな光景を観ながらビールを飲みたいのだ。

日比谷のオクトーバーフェストは、日比谷という位置柄か、来場する客は大人しいというか行儀がいい。マナーの出来た客ばかりだ。家族連れで連れて来られた子供ですら大人しく教育が行き届いてる感じだ。この点、台場など煩そうな場所とは一線を画す。場所によって棲み分けができているのだろう。僕等は日比谷公園のような雰囲気が合っているし好き。

しかし、行儀のいい客達でも、フェストを楽しんでいるという顔だ。その見知らぬ者達の幸せな顔を見ながら、僕等自身も幸せな気分で飲みたいのである。笑顔は笑顔を呼び、幸せは幸せを引き付ける。その好循環の潮流が自然に発生するオクトーバーフェスというイベントを、僕等は心から楽しんだ。

滞在したのは約1時間半か。後には「シン・ゴジラ」の観賞が控えているので長居も無理はできない。一杯目はパウラーナーという醸造場のオクフェス専用ビール。とても美味い。二杯目、バイエルンマイスタービールのクローネという黒光りする黒ビール。コクがあり、本場ドイツの深みを感じる。

司会進行の姉ちゃんの話によれば、ドイツビールが正式に認可されてから今年で500周年を迎えるそうだ。その歴史深さも感じながら飲むとまたビールも味わいが出る。そしてツマミで買ってきた野太いソーセージが何よりの馳走です。食べやすいように切る、全て切る。

皆の陽気な顔を見て、雰囲気を楽しんで、噴水前でマッタリと飲むビール。屋台のバイト兄ちゃん姉ちゃん達の手際は相変わらず良くないけれど、やはり来てよかった。メインイベントに相応しいオクトーバーフェスト、この上なく堪能しました。その記念に、デポジットを支払って借りたジョッキをそのまま土産として持ち帰ったのだった。
 
 
■映画鑑賞「シン・ゴジラ」観賞(開始予定13:30 結果13:30)
日比谷公園を抜け、帝国ホテルや宝塚劇場などの劇場が密集する通りを歩いて有楽町マリオンへと向かう。TOHOシネマズ日劇にて「シン・ゴジラ」観賞の予定である。

僕は一度既に観ている。大変面白かったので機会があれば嫁にも観せてやりたいと思い、半ば強引に組んだスケジュールだ。よって嫁も最初は面倒臭そうだった。「シンゴジラよりペットの方が観たい」とか、「『君の名』はって映画がすごい人気らしいね、興味ある~」などと、全身で「シンゴジラ」の話題を避けようとする。一体どうしてくれようか、などと思っていた。

「君の名は」って、新海誠だぞ? 無意味に桜吹雪と雪を舞わせるのが大好きなテラ新海だぞ? などと彼の黒歴史を強調したところで何もならないので、とりあえずは映画館に引っ張り込むことを優先。しかし劇場が密集する通りって、紛れもない女子率100%な場所だよな。などとも思ったり。何とか目的地のTOHOシネマズ日劇へと滑り込んだ。「ビール飲んでるから寝ちゃうかも」などと嫁はまだ弱音を吐いているが。

中に入ると、ものすごい人だかり。上映からもう何週間、いや何ヶ月経っているのか。それでも場内は満席とまでは行かないが大した観客動員数だ。人気の程が覗える。

そして「シン・ゴジラ」上映開始。初っ端から興味を惹き付ける展開と、ゴジラの想定外の行動、生態系。石原さとみの空回った演技を除けば、気合の入った役者達の演技力。嫁は最初から熱中しっぱなしで全く眠くならなかったようだ。ほれみろ。

何よりリアリティある自衛隊とのバトル。戦後、世界大戦は無い方が良かったなどと言う者も居るが、そんなことはない。それによって現在、どれだけの戦史が、人物列伝が、伝説が、ロマンが、それを題材にした作品がどれだけ無限に輩出されているか。経済効果、動く金も計り知れない。良い悪いという以前に、世界大戦は後世の人間に多大なる影響と思考の土壌と、そしてアイデアの素を提供している。だから戦いは、未来永劫なくならない。

と、適当に端折ったが、その評価はネットに腐るほど落ちているから今さら言うまでもない。重要なのは、最初全く乗り気じゃなかった嫁が、終わった後は大絶賛していたということ。勢いでパンフまで買う始末だ。その後休憩で入ったバーでも嫁は買ったパンフを熱心に読んでいたほど。180度転換である。

そんな嫁も含め、特に若い女子客が普通に見ているよな。昔のゴジラとかウルトラマンなんて男子専用映像みたいなものだったのだが。とても時代を感じる。だが、こういう女子層を拾っていってこそマーケットが拡大するのは確かだ。庵野も意外とやり手である。

とりあえず、終わり良ければ全て良し。「シンゴジラ」作戦は大成功だ。タイトだけどスケジュールに組み込んでよかったと心底思う。

その日以降、嫁は「シン・ゴジラ」の話題を頻繁に会話に出すようになった。オレ以上にハマったようだ…。
 
 
■有楽町マルイジーンズ受取
開始が決まっている「シン・ゴジラ」さえクリアすれば、後はほぼ問題ない。有楽町マルイで頼んでいたジーンズを受け取り、銀座インズのバーで一休み。そこから西新井へ戻る。時間は多少後ろに倒れたが計画通り。長いようで短い日比谷・有楽町イベントは一通りコンプリートした。
 
 
■二度目の西新井温泉(予定17:30~ 結果:18:40~)
その後、再び西新井へ。西新井温泉で汗を流すためだ。まさかの同日二度目の温泉。早朝「朝風呂」から半日後、二度目の西新井温泉である。西新井から日比谷に行き、そこからブーメランしてまで入りたいほど、僕等は風呂好き。しずかちゃんすら凌駕する温泉愛。もう温泉無しでは生きていけない。

その西新井温泉は、早朝と打って変わって賑やか。人種も老若男女で全方位だ。誰でも、何処でも、朝には朝の、昼には昼の、夜には夜の顔がある。だけど西新井温泉の本来の姿は、この喧騒にまみれたコンクリートジャングル的温泉風景。早朝に見たあれはイレギュラー、幻なのである。

それでも僕等にとっては汗を流し疲れを癒す重要な場所。西新井温泉は、まさしく都会のオアシスだった。
 
 
■長い1日が遂に終わり…
温泉の後、西新井の「甲斐路」で打ち上げし、帰宅してからはちゃんと買ったジーンズのお披露目会なども済ませ、ようやく長い一日も終了。設定した8つのイベント全て、時間内にやり切った。実質17時間活動。さすがにゴジラのように活動停止ですわ。僕も嫁も、倒れこむように夢の世界へと旅立った。

前田殿ォーーーッ!!

蛮頭ーーーッ!!

お…お先に…。

また会おう。


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