【朝メシ】
無し(家-嫁)
【昼メシ】
自作オニギリ(職場付近-一人)
【夜メシ】
卵焼き(ココスナカムラ)、グリーンカレー鍋、ギザギザポテト、プッチンプリンハッピーピンク、リッツカスタードサンド(家-嫁)
【イベント】
仕事、リカーズハセガワ(ウイスキー探し)
【所感】
■ウイスキーをプレゼントしたい気持ち
二十歳になる青年との土曜日の会合に向けて、プレゼントに渡すウイスキーを調達するため、北千住のリカーショップを探して回ったのが昨日の夜のこと。何を渡せば一番良いか。自分自身、学生時代に飲んだ酒の中で問答無用に美味しいと直感し、この上なく感銘を受けたサントリーの響が真っ先に頭に浮かんだ。プレゼントには響以外有り得ないと。
ただ同時に、響と一言に言っても俺が感動した響は一体どれだったのか、そこが思い出せないでもいた。俺が知る限りでも、響には12年、17年、21年、そして30年がラインナップされていたはず。さらに最近では、熟成年数が記載されていないノンエイジの響も店頭での露出が高い。リカーショップなどしばらく出向いていないため、最近の事情は良く分からないのが正直なところだが。
■響との出会いと衝撃
俺が初めて響を飲んだのは、当時学生として過ごしていた京都から実家に帰省した際、親父がもらった中元か歳暮の中で見つけた時のことだ。他のドリンクとセットで箱詰めされていたその琥珀色の太瓶は場違いなほどのオーラに満ち溢れていた。力強い剛性と重量感、軽々しく触れてはならない厳粛さとを兼ね揃え、まさしく惚れ惚れするほどの芸術品。そう、見た瞬間芸術だと思った。一瞬で魅せらていた。
俺は居ても立ってもいられなくなり、すぐさま親父に「このウイスキー飲んでいい?」と恐る恐る懇願。親父は「ああ、オレどっちかっていうとブランデー派だし、別に響とか要らないわ、飲みたきゃ勝手に持っていきな」と、只ならぬ気配を漂わす琥珀色の瓶を、コーラのペットボトルを投げるような気軽さで俺にポイッと手渡した。
『ウイスキーとブランデーの何が違うんだよ、どっちも同じようなモンだろ?』と親父の意味不明発言に心の中でツッコミを入れつつも、圧倒的なポテンシャルで魂を惹き付ける響を棚ボタゲットできた幸運に狂喜していた俺は、全くもって酒も世間も知らぬ若造であったな。茶色い蒸留酒は何でもウイスキーと一括りに呼んでいた頃のこと。
その若造だった俺でも、与えられた響を飲んだ時の感動は今でも忘れない。ストレートでクイッと飲んでみたのだが、ウイスキーやバーボン、ブランデー特有の、不意打ちのように喉を焼くような乱暴性や、口腔にネトリと纏わりつくような異物感が全く無かった。スルッと、水のように喉に入り込んできたのだ。粘度が低いと思った。それでいて香りは上品かつクセがなく、しかし味には深みがあり、まさに芳醇という言葉が相応しい。
だけど決して単調でなく、味にかなりの複雑性も見られる。響がブレンデッドウイスキーと呼ばれる所以を、その意味すら知らぬ当時ですら本能で感じ取っていた。そんな複雑だがスッキリとしたエクセレントな液体の滑らかさが口いっぱいに広がり、フワッとした芳しさが鼻腔にまで届き、程なくしてジワッと顔全体に上品な微粒子が行き渡る感じ。もう言葉が無かった。問答無用で美味いと感じだ。思わず「ヤベッ!!」と感動の溜め息を漏らしたはずだ、当時は。
同時に間違いなく高い酒だと思った。これは相当な時間と労力を使って丁寧に魂を込めて作られた酒なのだと。滅多に世に出てこないプレミアムなウイスキーに違いないと。それほど俺は響を飲んだ瞬間、打ち震えた。文字通りゾクリとした。
そんな感じで親父から漁夫の利的に頂戴した響を手にした後、俺は京都に戻って響を探した。街中のリカーショップを回ろうと思ったが、幸いなことに近所のコンビニにそれは普通に置いてあった。今よりもコンビニの酒ラインナップは多種かつ高級酒も揃えていたので。だがそれでも響は別格だったのか、レジの中にうやうやしく飾られていた。価格は…確か2万円だった。「高ぇッ!」、思わず唸る。
当時、ウイスキー(やバーボンやブランデー)というものは欧米が最高峰だと勝手に思い込んでいた俺は、ジムビームやアーリータイムズを有り難がって愛飲し、うめぇうめぇ流石洋モノは一味違うぜなどと知った風な顔をしつつ、オレはお前等とは目の付け処が違うんだと友人等との差別化を図ろうと必死だった。
その合間にトリスやレッドウイスキーなど安酒を近くのコンビニで買い込み、オレはウイスキーが好きだから、ウイスキーならいくらでも量が飲める男だからというレッテルを構築しようと必死で量をこなすことで密かに肝臓を鍛え、TVのCMでVSOPなどを見掛けた時には、これが多分業界最高の酒なんだろうなと思い切りCMに踊らされていたという状況。
その蒸留酒群雄割拠の時代、サントリーが何をやっていたか、どれだけ地道にコツコツとそのブランドを確立していたかなど気にも留めはせず、サントリーがどれほどの実力者だったのか全く知らなかった時代の、まさしく欧米至上主義に毒された青二才の考えと言えよう。
そんな中、出会った響。その味わいは圧倒的かつ衝撃的で、瞬間俺の中でウイスキーの最高峰は響にすり替わっていた。それもそれで随分単純な思考だが、そこから20年経った今現在も、俺にとって響以上の酒は現れていない。
■蒸留年数とブームの年数
問題は、その当時のセンセーショナルすぎる響が何年物だったかということなのだが、さすがに当時の瓶のラベルまで覚えていない。ただ、当時はウイスキーなどの洋酒は今より遙かに普及率が低かった一部の者の嗜好品で、だから必然的に単価も上がっていたはず。その事実と、当時に比べウイスキーが安く手に入る現在の状況を考慮すれば、俺が飲んだ響は12年くらいだったのではなかろうかと予想する。
俺の時代は、どちらかというとウイスキー暗黒時代だったと思われる。ウイスキーを飲む人間は周りにそれほど居なかった。ウイスキーが流行っていたのはその十数年くらい前、すなわち1970~1980年代の高度成長時代後期だったのではと思われる。スナックやバーやパブなどを中心とした第一次ハイボールブームの時代だ。
俺の時は、そのブームが廃れてウイスキーがそれほど好まれなかった時期。そこからさらに時が経った2010年くらいから、小雪などCMによるハイボールのヒットをバネにウイスキー熱が再び高まって現在に至る。そんな流れだと思われる。
だから現在のハイボールブームも、新たなヒットというよりも、冷静に見ればかつて流行ったハイボールブームの焼き直しという位置付けになるだろう。この潮流をさらに冷静に眺めるならば、ブームやトレンドというものは20~30年サイクルで入れ替わるという法則が見事に具現化されている。さらに加えるなら、20~30年前に廃れたブームがその20~30年後にまた脚光を浴びるというサイクルもまた法則通りだ。
これを過去の使い回しというか、忘れた頃に仕掛ける黄金の戦略と取るか。その忘れた頃という20~30年というサイクルが、ちょうど子供達が大人になるサイクルであり、大人達は社会から引退する時期であり、すなわち世代交代という人間社会のサイクルであることは察しが付くだろう。20~30年前にまだ生まれていない人間にとっては文字通り新鮮なブームだし、20~30年前にそれを楽しんだ人間も「ああ~懐かしいなあ」程度の認識か、昔のことすぎてもう忘れているだろうから使い回しに対する非難や衝突も少ない。その売り手側の仕掛けと受け手側の捉え方をどう評価するか、それこそ本人次第だった。
■大型店舗と個別店舗のメリットデメリット
とりあえず、響12年に当たりを付けて北千住のリカーショップを回ったものの、姿形も見えない。マルイ1Fの酒店、ルミネの成城石井、あと無駄足だと思いつつイトーヨーカードー系Priceの酒コーナーも確認したが、気配すらなかった。
そういえば、駅西口を出た商店街通り沿いを少し歩いた場所に酒専門の個人商店がかつてはあったはずだが、昨日その近辺を探ったところ、店自体が見つからなかった。確かこの辺りに、と注視したにも関わらず携帯ショップや服飾店しか見つからない。もしかして閉店してしまったのだろうか。大分昔、誰かの祝いに久保田碧寿をここで買って、店主のおっちゃんも嬉しげに語っていたのに。
これも時代の波か。マルイやルミネの大型ショッピングセンターの圧倒的購買力と品揃えで、今や個人商店のアドバンテージは殆ど、いや全く無くなった。しかしブランドや種類に捉われない長年酒を扱ってきた店主の目利きによる独自のラインナップと、一デパートの店員では培えないマニアックな薀蓄とが形成する独自の世界は、まさしく個人専門店の愛すべき特色だったとも思う。その点で存在価値は十分残っているはず。
そんな機微すら求めない客が増えたのだろうか。そうなのだろう。ただ欲しいものが飲めればいいと。有名銘柄が、高級酒が置いてあれば後はそれを淡々と買うだけだと。
酒が一部の嗜好品でなくなり、コモディティ化したがゆえの購買層の増加。それは浅く広くというユーザーのライト化現象と表裏一体だ。業界の売上げ的にはプラスなのだろうが、その裏で大切な何かが失われる。
それならこっちがいいね、スッキリさを求めるならこっちだね、とドヤ顔で話す酒博士の薀蓄を聞きながら、酒を選んでいるというワクワク感、その過程にこそ本来の商売の姿があるはずなのだと。それがいわば男のロマンに、女のロマンに、ひいては買い物の楽しさに繋がるのだと。
時間と無駄を掛けたくない消費者の効率性重視志向が、その消費者をいかにクオリティ高く、かつ大量に捌くかという売り手の合理化思考が、買い物の本来の楽しさを忘れさせていく。その裏に潜む拝金主義という名のリアリズムが、愛すべきロマンチシズムを駆逐する。
大型店の進出により物や人の流れはよりスピーディかつ効率的に変化し、結果人々の生活は向上していく。購入までの流れはスムーズかつシステマチック。品数は豊富で色彩豊かで価格も適正。質の良い教育により接客技術も向上し、スタッフのクオリティの平均値が押し上がる。比例するように顧客満足度も高まっていく。一極集中がもたらす商品群の豊富化と回転率の高さと低価格化。その効能は計り知れない。
だが反面、多数の個別店舗が乱立する分散化型の市場の良さを潰すことにも繋がる。幅広い選択肢が存在し、生じるケースや顧客毎の事情によって様変わりする潜在的な正解を探し当てる楽しさが減っていく。品質や効率の追求という市場経済での至上命題が社会の求めるところだとしても、悲しむべき点だ。
それはシャッター街と化した各所の商店街と、それを駆逐した大型デパートやチェーン店との対比に似てもいる。
欲しいものを、時間を掛けず、やり取りをなるべく簡素に、なるべく安く、業務のようにこなしていく。人と人とのやり取りが少しずつ抜け落ちていく。受け手が喜ぶようなラッピングや配送手段まで、多種多様のバリエーションが用意され消費者に提案される。これはつまり、殆どの過程が代行業によって成り立つということ。多くの分業が一箇所で可能になったことにより、結果的に一箇所で市場を寡占している状態だ。
ある意味、視野が狭くなりかねない体制で、自らの思考能力を低下させる原因の一つ。贈り手は深く考える必要もなく、各行程の専門家に丸投げしていけば良い。前振り、物品の内容や選定、演出、返礼に至るまで、事細かく、かつ隙なく礼に則って専門家達が代行してくれるのだから。自ら考え選んでいるようで、実は最初から用意されたフォーマットから選ばされている。
母の日の花、端午や桃節句の贈り物や写真、クリスマスや誕生日のプレゼント、バレンタインのチョコ等、ありとあらゆるギフトがその流れ作業の上にある。今現在、ギフトは個々のオリジナリティ重視よりも、いかに規格から外れないか、専門家によって練りに練られた成功の法則の下、成功し感謝される確率をいかに高確率に持っていくかが重要。つまり失敗しないために、決まった成功枠の中から抽出するというリスク排除を優先した結果、『考える』ではなく『選ぶ』癖が付いてしまっているのだ。
そこには根本的な意味での温もりが足りない。プレゼントというものは、何よりも心が込もっていることが重要。贈り手が受け手のことを考え、何を送るか悩み、より良いものを贈ろうと労力を割いて自ら調べ、考えに考えた結果、導き出す。その過程が「心がこもっている」ということ。目に見えない想いの波動のようなものだ。
万人に受け入れられる正解例をプロから提示され、その中からピックアップしてベルトコンベアー的に済ませるのとはワケが違う。それは『創り出して』いるのではない、『選んで』いるのでもない、ただ決められた期限内に裁量の結果を出すという業務を『こなして』いるだけだ。
高価だから最良ではない。相手にとってこの上なく有用性がある品だから最高でもない。その辺は実のところ最重要ポイントではないのだ。それがたとえ、相手が一番喜ぶモノであったとしても、相手が最高のプレゼントだと礼を言ってきたとしても、それよりも見逃してはいけない点がある。自分の出来る限りの真心をそこに込めたかどうか、ということ。ただのビー玉でも、真心が込められていれば、自分がありったけの真心を込めたと信じられたなら、贈り手としてそれ以上の満足感はない。そして真心が込められていれば相手には伝わるはずである。
俺は、あまりにシステム化した世の中は逆に殺伐化を招くと考えている者である。
■響は17年が一番古かった
そんな北千住唯一と言ってよかった個人専門店が、マルイ、ルミネ、ヨーカドーという三大勢力に飲み込まれる形で現在残ったリカーショップと呼べる場所。12年物は一つもなかった。無論、17年や21年などは望むべくもなく。
あるのは熟成年数表記なしのノンエイジのみ。もうそれはいいっちゅーの、と言いたくなるほどノンエイジ響だけが豊富に棚を占拠していた。山崎12年とか白州18年などはラインナップされているのに、なぜ響だけがここまで貧相なのか。今では山崎の方が世間的に圧倒的メジャーだというのは理解しているが、そういうことじゃないんだよ。洋酒ってジャンルはそうじゃないんだよ。
この機転の利かない部分が大手百貨店や小売店の販売力の限界であり、仕入れの限界でもある。本当にコアな客の需要は満たせない。コアな客の嗜好はコアな売り手にしか読み取れない。
だからこそ仕入元も、コアな売り手にしかビンテージ物や本当に価値ある品は大手量販には卸さない。そんな閉鎖的だが一種の玄人協定を結び、断固としてそれを堅守するという一面が流通業界にはまだ残っているのも確か。それはボリュームの最大化と顧客の多層化を至上とする物品販売にて、それでも最後まで守るべきプライド、いや聖域と呼べる感性だった。
つまり、最低限の物は揃えるが、コアな需要は満たせない。いや敢えてコアな需要を排除して全体的かつ平均的なクオリティを最大化させるとした方が適切だろう。響のビンテージ物はここでは手に入らない。どだい無理な話だったのだ。
■ノンエイジの蔓延
そうは言っても、数年前はこの手の大手販売店でも扱っていた記憶があるのだ。いや、確かに少し前までは響に限らずウイスキーの年数表示物がもっと店に並んでいた。それがここ最近になって急激に姿を消していったように思える。代わりにノンエイジ物が幅を利かせる。響に限らず、山崎や白州も同じだ。2015年半ば頃からサントリーにはこの傾向が見られる。何故か。
その理由は大きく二つある。需要が増大し生産量が追いつかなくなったこと。そして値上げだ。この二つの要因によって、ノンエイジウイスキーが大量生産されることになった。いや、足りない分を埋め合わせるためノンエイジを出さざるを得なかったという順番の方が正しい。調べれば調べるほど、その一連の流れは十二分に納得できるものだというのが個人的な感想だ。
■値上げの背景
まず、2015年4月からサントリーはウイスキーを軒並み2割値上げした。響、山崎、白州など同社を代表する国産ウイスキーと、同社が輸入している外来洋酒ボウモアやマッカラン等のスコッチウイスキーも値上げの対象だとされる。
俺的にはこの記事がなかなか分かり易い。
http://economic.jp/?p=44421
この値上げの第一の根拠としては円安がある。2013年4月の日銀・黒田総裁が放った異次元緩和バズーカを始めとするアベノミクス政策によって、当時円高株安基調だったトレンドは一気に円安株高へと反転。当時1ドル=100円にも見たなかったドル円相場は最高125円付近まで推移し、2015年末までそのトレンドは続いていた。
円安なので輸入価格は当然上がる。ウイスキー業界であれば、熟成に使うオーク樽、原材料である麦芽やトウモロコシなどの輸入価格が高騰するというのは市場原理としていたって自明の理だ。その高騰分を製品販売価格に転嫁するという理論は企業の論理からすれば十分成り立つだろう。
また、国産でないマッカランなどは紛れもなく直接輸入コストが上がるわけだから、マッカランを上げて響や山崎を上げないとなると、ブランドごとの価格バランスが崩れてしまう。だからマッカランを上げるなら響や山崎も同じくらい値上げして銘柄同士の全体的なバランスを取る必要があった。そんな考えも多少は便乗値上げのきらいはあるが、ブランドを重要視する業界であれば決して非難できない戦略だろう。
だったらマッカランを据え置きにすればいいじゃん、という理屈はあまり賢くない。それではマッカランの輸入増加分だけ、そして響や山崎の価格を据え置きした分だけ利益を圧迫するという損失の連鎖。全部据え置きよりは全部上げた方がいいに決まってる。
それでも、コスト高だけを理由にするのはあまりに苦しい。2015年4月の値上げ対象になったのは、先述した通り輸入酒と、国産では響、山崎、白州というプレミアムなランクのウイスキーのみ。大衆向けエントリーモデルの角瓶などは値上げせず据え置きしたのだ。
値上げするなら、むしろこういった低価格ウイスキーが先じゃないのか。数が売れて、かつ元々の単価が低い製品の価格を顧客が不満に思わない程度に微増させた方が、トータルとしての利益額を稼ぐのが一番収益を確保する方法。かつ消費者との間に軋轢を生まない方法だと思われる。
角瓶であれば700mlの売価が税別1414円だそうだから、2割UPだとしても1696円。200円程度の値上げならそこまで変わらないだろう。200円はやりすぎだと思うなら100円でもいい。むしろ売価をキリよく1500円としておけば十分に誤魔化しうる。全体的に何の支障もない。その分、数が圧倒的に売れるのだから、サントリーが管轄するウイスキーという括りで考えればコスト高を十分カバーできるだろう。
そう考えれば、響や白州などの本当の意味で酒を嗜好品としている愛好者達御用達のウイスキーだけを狙い打ちするがごとく値上げする方が、「どうせお前等高くても買うんだろ?」と見透かされているようで、よっぽどカンジ悪い。「お前等どうせ吸うんだろ?」と喫煙者の足元を見て無限連鎖的に値が上がるタバコのような逃げ場の無さだ。
ウイスキーは完全なる嗜好品なのだ。大衆など二の次。不人気時代もずっとウイスキーを愛し続け、ウイスキーを見捨てないでいてくれた愛好者達にこそ還元すべきなのであり、その象徴たる響を値上げするなんてとんでもない。恩知らずとはこのことだ。
しかし、現実的にはそうも言っていられない。むしろ価格を上げなければ、愛好者の手に渡る前に、ビンテージの価値も分からぬ十把一絡げなにわかファン達が買占めてしまいかねない。ただ話題欲しさに、自分で熟考することなく「イイ酒だと聞いたから」というまさに含蓄もなにもないミーハー根性だけで、金に飽かして価値のあるビンテージ物を攫ってしまう。それを防ぐために、値上げは一つの対策手段であることは否めないのだ。
正直、格安の角瓶などどうでもいいのだ、ユーザーにとって。それはサントリーにとっても同じことで、角瓶の動向でサントリーの地位は揺るぎもしないし貶められもしない。彼等の評価を左右するのは、まさにプレミアムクラス。国産の響、山崎、白州なのである。これをどう扱うかによってサントリーの世間的評価は大きく変わってしまう。サントリーウイスキーを支えてきたのは、誰が何と言おうとこれら上位モデルのビンテージ物。それは昔も今も何ら変わらないことを消費者は認識すべきだ。
それを踏まえて、サントリー国産ウイスキー三巨頭である響、山崎、白州の動向およびそれに伴う影響力を分析してみる。この場合、三巨頭の代表として響のみを例に取ってみるが…。
先に述べた円安やコスト高を理由に響を値上げしたことは、対外的な理由としては正当だ。しかし心情的にわだかまりが残る。その理由だけでは愛好家に気を遣っているように見えないからだ。本来、ビンテージウイスキーレベルのカテゴリになれば、それを愛用するマニアだけで十分回るのだ。初級者や大衆的な消費者は必要ない。人気のハイボールも、それこそ大量生産する角瓶を作ればいい。本来ビンテージ物はストレートかロックで飲むもの。
そんなマニア達に気を遣った理由とは何か。消費に生産が追い付かないため、一般的市場との切り離しを図るために止むを得ず値上げした。と、こう言えばいい。むしろその方がマニアは納得するだろう。つまり、ウイスキーの『ウ』の字も分からぬ知ったかぶり達が、訳知り顔で貴重な響を買っていってしまう。これは響およびそれを愛するマニアの皆様の品格を貶める行為であり、そんな道理を知らない連中に、今まで苦労して構築してきた上質な空間をこれ以上壊されないためにも、防衛措置として値上げします。と、こう説明すればいいのだ。自称マニア達は自尊心をくすぐられ満足至極。値上げも已む無しとドヤ顔をするだろう。そして優越感に浸る。俺等は高いビンテージを買って選ばれし空間で酒を楽しむのみ。お前等は安酒でも飲んでウイスキーを知った気になってろ。と。
■本当に生産が追い付ていなかった
つまり、そうしなければ防げないほどにウイスキーが一般的に浸透してしまったということ。その起爆剤として有名なのが、2014年9月から2015年3月にかけて放送されたNHK朝の連続テレビ小説「マッサン」。ニッカウヰスキーの創始者・竹鶴政孝とその妻リタを、玉山鉄二およびシャーロット・ケイト・フォックスが好演し、ウイスキーブームに一気に火が点いたのは記憶に新しい。
同ドラマ放送中、今まで死に体だと思われていたニッカブランドの竹鶴や余市が全国の店頭や居酒屋に並びまくった光景を覚えている人間も多数居るだろう。この時期にウイスキーブームが爆発的に広まったのは紛れもない事実なのである。
ただ、ウイスキーの、特にビンテージ物は、それこそ数十年という熟成期間を経て初めて世に出される代物。欲しいからと言って簡単に出てくるものじゃない。規定の熟成期間を終えるまで気長に待つ以外にないのだ。
全体的な需要は急激に膨れ上がった。中には、ウイスキーの中でもより価値のあるビンテージ物を試したいと思う消費者も出てくる。本来見込んでいたビンテージ物の需要を遙かに超過してしまったのは容易に予想できるだろう。それによって、ドラマ「マッサン」の本丸であるニッカは当然のごとく需要過多、供給不足に追い込まれる。
「マッサン」のもう一方の主役といえるサントリーも当然、その波に飲まれるのは火を見るより明らか。元々クオリティが高いサントリーウイスキーだけに、愛飲者も激増したことだろう。だがサントリーのような大企業をもってしても、その過大すぎる需要に対応し切れなかった。だから過剰なブームにブレーキを掛けるために、とりわけ貴重なビンテージ物を守るために値上げという手に踏み切った。
これが、真相に近いサントリーの本音だと俺は確信している。サントリーのウイスキー蒸留所は、大阪の山崎蒸留所と山梨の白州蒸留所しか基本的に存在しないのだ。熟成させる量にも限界があるだろう。
最近、愛知の知多にも蒸留所が存在すると知ったが、それを知ったのも2015年9月頃のことで、「知多」という銘柄でサントリーから11年ぶりにウイスキーが新発売されたという話題性をもってようやく知多蒸留所の名前が知れ渡った。俺はその時まで知多の存在など一ミリグラムも知らなかった。他の人間の殆どがそうだっただろう。
■知多の真相
それはそうだろう。「知多」は、いわば苦肉の策で出したウイスキーであることが明白だからだ。何しろ「知多」もまたノンエイジ。2015年9月、社のブランドを賭け満を持して発売された体裁の、いわばリーサルウェポン的な新発売ウイスキーが、いきなりノンエイジなのである。
元々、「知多」の銘柄でウイスキーを発売させるつもりはなかったのかもしれない。知多蒸留所は予想外に40年近くも稼動しているらしいから、本気であればそれこそ「知多21年」とかビンテージっぽいウイスキーを出せたはずなのだ。しかしそれをしなかった。いや元々知多蒸留所の役割はそうじゃなかった。しかし山崎蒸留所と白州蒸留所だけではもう追い付かなくなったから、全く想定外だった知多をまるで虎の子であるかのように扱い、大衆を煽るしかなかったのだ。
もう、生産が追いつかないのだ、全く。長年愛情を込めて寝かせてきたビンテージの原酒が枯れそうなのだ。そうなったらもう誤魔化すしかないだろう。ビンテージに遙かに及ばないとしても、ノンエイジこそ新たなスタイルだと主張し、強引にでも潮流を作るしかないだろう。存続するためには売るしかないのだから。売るためには何かを作らねばならないのだから。
さらにもう一つ、ドラマ「マッサン」の他でウイスキー人気を炊き付けた要因、いや正確に言えば供給不足のトリガーとなった要因がある。すなわち国産ウイスキーに対する外国人客の増加、とりわけ中国人の爆買いによる買い占めだ。これは間違いなく外せない。
一世代前と違い、今現在日本の国産ウイスキーの世界的評価はうなぎ上りだ。サントリーも当然今では世界に知れたる実力派メーカー。同社が輸入しているマッカランやラフロイグは品薄じゃないのだ。今でも普通に買えるのだ。つまり、日本の国産ウイスキーが狙い打ちされているのは明らか。それは地道な企業努力が実ったとして評価に値する事実だが、そんな外国人客からのオファーが増えたため、供給不足に拍車を掛けたという一面は当然にある。
そして中国人の爆買い客。これは俺自身が裏を取ったわけじゃないので自信の程は半々だが、昨年秋に職場の同僚が同席した飲み会でのこと。ちょうど「知多」が発売して少し経った時期だ。俺は店のカウンターにおもむろに置いてあった「知多」という瓶を見て「こんなものが出てるのか」と驚いたが、その同僚は「知多」が発売したてのウイスキーであることを知っていた。
かつ、何度か既に飲んでいた。味は「そこそこ」だと評していた。その同僚は山崎や響のビンテージを定常的に飲んでいたので、その舌からすれば「知多」はそこそこにしかならなかったのだろう。だがその評価こそが全てを物語っている。そして俺も、その評価に全く賛同である。
その時同僚はもう一つ、「知多」が発売された背景を実しやかに語った。それが爆買い客の存在である。
2015年当時、中国人の爆買いはまさに熾烈を極めていたのは誰もが知るところだが、その矛先は酒造メーカーにも及んでいた模様。サントリーで言うなら、山崎蒸留所に中国人客が大挙して押しかけ、既に評価の高まっていた山崎や響などビンテージウイスキーを根こそぎ買い尽くしていった、というのである。
その煽りを受けて通常の日本の店には山崎や響が流通しなくなり、変わりにノンエイジで間に合わせるしかないというハメになったと。そして、あまりに品薄となりすぎた山崎の埋め合わせをするため、急遽ピンチヒッター的に「知多」が発売されたのだと。同僚は訳知り顔で話していた。
その買占めに関しては、記事が結構ある。2chのスレにも同様のことが記述されていたので一応載せておくが。
↓
http://fox.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1439050816/
俺は、同僚の話を聞いてたその瞬間、まさに得心した気分だった。なるほど、そういう流れなのかと。これで全てが繋がったと。
2015年4月、サントリーは国産の上位銘柄だけを値上げした。その背景はドラマ「マッサン」を筆頭としたPR効果によるもの。国内需要が爆発的に伸びた。加えて外国での評価も高まり、とにかく金に物を言わせる中国爆買い客も加わり、プレミアムな価値を有するサントリー国産ウイスキーは一気に市場から消え失せる。もう値上げをして食い止める他ないと判断した。
そしてこの2015年4月の値上げに、響12年は入っていなかった。なぜなら廃番となったからである。響12年は市場になかなか無いのではなく、すでに生産完了していたのだ。全くその事実を知らなかった俺は、なぜ12年が見つからないのか得心する。1年近く前に終わっていたのだと。
その12年に代わってエントリーモデルとなったのがノンエイジ響である。今現在の響ラインナップは、ノンエイジ、17年、21年、30年なのだ。12年の完了と共に他のビンテージ物は値上げし、新しく入れたノンエイジになるべく人々を注目させようとしたサントリーの苦労が手に取るように分かる。
が、2割程度の値上げで怯むような相手じゃない。本来から居た固有のファン、つまり無理をせず、慎ましく高級酒を楽しんでいた日本人消費者は値上げによって多少自重するかもしれないが、他の客のことなど考えぬ金のある一般客と、持ち金に際限が無く転売すら視野に入れている中国人爆買い客は全く退かない。
退くわけがない。供給が追い付かなくなればなるほど販売価格は釣り上がり、それこそが買う側としては思う壺。スマップのコンサートチケットと同じ理屈だ。飲みたいから買うのではなく、高いから、転売で高く売れるから買うという最悪のサイクルに突入する。とにかく湯水のように金を使える人間だけがそれを入手出来る状態に既になっていた。
ここまで来てしまえば、もう勢いは止まらない。元に戻せない。Web通販などを見ても、2014年4月の値上げで10000円から12000円にあったとされる響17年が、既に14000円である。とっくに完売したはずの12年もそのWeb通販上にはちらほらと残っているおうだが、10000円とか12000円とか、今現在生産し続けている17年に迫る価格まで値段が釣り上がっているのである。これこそヤフオク方式だ。いくら完了した製品だからと言って、12年は17年にどう足掻いても及ばない。なのに値段は同じくらいまで高騰しているという。これこそ愛のない値付け。真に飲みたい人間なら売りに出すはずもなく、酒を愛している人間ならこんなつまらないことはしない。
だから今の状態は既に異常なのである。12年をWebで見つけた時は「おっ」と少し喜んだが、そんな便乗値上げでボッタクろうとする奴等の手に乗るつもりは毛頭ない。12年を買うという選択肢はこの時点でなくなっていた。
そして値上げした2015年4月から、それでもまるで生産が追い付かないという絶望的事態を修復するために、出されたのがノンエイジウイスキーなのだ。完全に辻褄が合う。
そして「知多」もまた、そんな苦境の最中に現れたノンエイジウイスキー。2015年9月に発売されたとなれば、まさしく時間軸的にあまりにも筋が通り過ぎている。多分に場繋ぎ的ではあるが、増加する消費者にサントリーブランドのウイスキーを届けたいというサントリーの崇高な義務感によって輩出された最後の手段とも言うべき銘柄だろう。ある意味、ノンエイジへの転換を決定付けるリーサルウェポンだったのかもしれない。
響にも言えることだが、この2015年9月の「知多」発売、いや4月の値上げの時点で、いや響12年を完了とした時点で、サントリーウイスキーはノンエイジを主流とする戦略に完全に固定していたのだろう。
■ノンエイジの実体
その指摘に対してサントリーはこう答えている。「ノンエイジでも美味いものは美味い」と。「ビンテージ物に何ら劣ることのないクオリティだと自負している」と。「ビンテージだろうとノンエイジだろうと、美味いものは美味いと言える舌のしっかりした消費者が増えてきたこと」で、それは「ウイスキーの文化が遂に大衆レベルまで根付いた」証拠だと喜んで見せるが。
そんなわけはない。全て嘘っぱちであり建前なのだ。ハッキリさせておくが、例えば響17年と12年だと明らかに味が違う。17年の方が美味い。これはほぼ間違いない。そしてノンエイジはさらに明確に異なる。いや、明確に味が落ちる。これは間違いないというより確信に近い自信がある。明らかに味が違うのだ。
当たり前のこと。だからビンテージなのだ。そのために絶妙なブレンドを施し手間を掛け、時間を掛け、12年も17年も21年も熟成させ続けるのだ。その苦労の結晶ビンテージとノンエイジが同列だとすれば、ビンテージに掛けた苦労とは何なのか。今一度明言する。ノンエイジはあくまでノンエイジレベルだと。不味いとは言わない。ビンテージが際立って美味い、それだけの話だ。
そもそも値段を見れば一目瞭然。サントリー国産ウイスキーを値上げした2015年4月の価格帯を見れば、響17年で10000円から12000円に値上げしたとのこと。しかも昨年値上げしたのに、今現在市場価格を見てみると、さらに上がっているのだ。17年で14000円くらいするのだ。つまり一時的値上げに留まらず、そこからもずっと上昇トレンドが続いているのだ。それだけ希少性が高い、つまり求めている人間が存在するということになる。
12年にしても、17年には及ばないだろうから、17年が2015年4月時の値上げ前で10000円だったとするなら、12年は多分6000円~8000円くらいだったと思われる。
それに対し、響ノンエイジは今現在で約4000円。ビンテージの半分以下なのである。この明らかすぎる価格差が既に、ノンエイジは量産品でありビンテージには全く及ばないことを物語っているのだ。値付けしたサントリー自身がそう言っているのだ。こんな落差のあり過ぎる値付けを見せられながら、サントリーの最高級ブランドたる響を十二分に楽しめますとメーカーに説明されたところで全く説得力がない。
それでも、ノンエイジ主体の販売方法からもう脱せないのだ、サントリーは。想定以上の、計算違いの事態が発生し、値上げなどの策を講じるも間に合わず、プレミアムなウイスキーはより一層プレミアムと化した。「知多」が発売されたことがサントリーの苦境を示す象徴だと今になれば分かる。もうサントリーはノンエイジを出すしか道がなかったのである。
■結局、俺の飲んだ響は何年モノだったのか
だが、主流がそうであるとしても、二十歳になる若者にノンエイジを与えるのはイマイチ味気なさを感じるのも確か。12年はもう消えた。とすればあとは17年か。17年をこの際、明日会う彼に与えてみようか。俺が学生時代に感動したのも、12年ではなく17年だったかもしれないし。
実際そうだった。昨年完了となった12年は、どうやら販売期間はたった6年間しかなかった模様。つまり2009年に発売した超若手だったのだ、12年は。つまり俺の学生時代はまだ12年は存在しなかった。無論、ノンエイジも同様だ。
対して17年は、1989年に発売した古株だという。というか、響という銘柄で初めて発売されたのが17年のようだ。仮に21年や30年が同時期に発売されていたとしても、そんな京都の片隅のコンビニにほいほい置いてあるはずがない。
とすれば、消去法的に俺が学生時代に飲んだ響は17年しかありえないということになる。そうか、そうだったのか。俺が飲んで涙が出るほど感動したのは17年だったのか。それなら納得できる。道理で有り得ないほど美味いと思ったわけだ。12年じゃああそこまで感激しなかった。
響ラインナップ(公式)
http://www.suntory.co.jp/whisky/hibiki/portfolio/21years/
■リカーズハセガワ
そんな様々な事情から、とりあえず17年を探してみようと考えた。北千住ならいざ知らず、職場近くの八重洲や丸の内ならさすがに売っているかもしれないと。
そして今日、八重洲地下街にある「リカーズハセガワ」という酒専門店を見つけ出し、初めてそこに向かった俺である。まさしく専門店に相応しく、ウイスキーからスコッチからブランデーからワインまで、何千本置いてるの?というくらい、狭い店内に所狭しと洋酒が陳列してある。ノンエイジだけでなく、ビンテージ物も多数だ。
しかもここは、100円か200円払えば試飲させてくれるという嬉しいシステム。店のレジで雑談している店員のおっちゃんと姉ちゃんも、いかにも酒のことなら何でも知ってそうな玄人風のオーラを醸し出しているし。
当然のように響17年もあった。念のため12年の所在を聞いてみると、「生産完了しましたね」とバイトっぽい姉ちゃんは普通に答え、響は他に何があるかと聞くと、「21年がありますよ、43200円」と、気軽な会話のようにとんでもないことを言ってくる。「そ、そうですか」とうろたえ、俺は店を後にする。
17年はあと1個しか在庫がなく人気の高さを物語っていた。しかしやはりその値段に気圧されたのが正直なところだ。ここはノンエイジでも別にいいかな。二十歳にいきなり17年はやっぱ早い気がするし、まずは初心者向けとしてノンエイジを与え、大人の味が分かるようになってから年数を上げる。そんな手法でもいいんじゃなかろうか。
結論を一旦保留にし、俺は店を出るのだった。
■グリーンカレー鍋
夜メシはグリーンカレー鍋という珍しい鍋だった。通常のグリーンカレーのように辛すぎず、多少マイルドさも感じられる。鍋用にちゃんとアレンジしているようだ。なかなか深みのある鍋だった。
前菜として刺身の柵か、あるいはアジでも買おうかとスーパーに寄ったが、どちらも不発だったので今回は回避。代わりになぜか卵焼きを購入するに至る。
■須らく世の中は保留癖
留保していたビンテージウイスキーを根こそぎかっ攫われたサントリー。保留していた「知多」はじめノンエイジウイスキーを出さざるを得ない状況に追い込まれる。そのノンエイジかビンテージか、どちらをプレゼントに買うか、決断を保留させる俺。夜、刺身を切ろうという勢いを、品薄を理由に保留させたスーパーでの買い物。
世の中には、星の数ほどの保留があった。