20180528(月) 微妙に変わっていくすき焼きの具材内容と道具

【朝メシ】
・家/アイスコーヒー
 
【昼メシ】
・職場付近/自作オニギリ
 
【夜メシ】
・家/すき焼き(締めご飯)、東京えんとつ「しっとりふわふわシフォンケーキ パンダえんとつ」
 
【イベント】
無し
 
 
【所感】
■風邪の前兆か…
会社に出社してから風邪気味な気がする。

職場内を見渡せば、マスクをしている人間、ゴホゴホと咳込む者など、風邪っぽい挙動を見せている従業員が4~5名は居た。どこかのタイミングでうつされたか。分からない。分からないが咳が出始める。鼻も詰まってくる。そして腰が痛い。歩いている時など、昨日よりも遥かに痛い。身体が頑強な時には風邪などうつされないのに、今は弱っているということか。身体も、心も。

いずれにしても、嫌な予感がし始めていた。

以前も同じように突然の風邪症状で腰に激痛が来たことがある。その時は、鍼治療の帰りに西新井温泉に入って強引に治した。先生にインフルエンザじゃないでしょうねなどと疑われた症状は、何度もサウナや湯船に入り続けて汗を流せるだけ流した結果、1日で回復した。

しかしそのハードな温泉内活動の代償として、風呂を上がったあと湯冷めして立っていられなくなった。結局、2回ほど気絶した。気絶なんて初めての経験だっただけに当時は驚いたし、気絶している俺を、少なからず居たはずであろう周りの他の客が誰も係員の呼び出しすらしなかったというドライさにも驚いたものである。普通に寝ているとでも思ったのだろうか。更衣室の床で裸のまま、仰向けで大の字になってピクリとも動かない男を見て…。ある意味、恐ろしい。

今回の風邪気味症状も、温泉に入って汗を流すことに専念すれば、すんなり治りそうな気はする。だけどそれは、のぼせて気絶する危険性を孕んだ諸刃の剣。だから選択は慎重に。同じ轍を踏むわけにはいかない。

熟考した結果、温泉はやめておくことにした。嫁も今日は仕事休みで家に居るだろうし、さっさと帰って温かいメシでも作ってもらってぬくぬくとした方がいいだろう。そしてさっさと寝るに限る。回復には食事と睡眠こそが何より重要。「食って寝るだけ」というのは何とも聞こえが悪い言い回しだが、病弱状態の時は正論であり正義。平日、仕事帰りに温泉に入ると帰宅が深夜近くになる。必然的にメシを食うのが遅くなるし、眠りに入る時間も後ろに倒れる。

さっさと帰り、食って寝る。今の自分には正義の行動であった。
 
 
■寝溜めは出来ないが
8時半頃帰宅すると、嫁は直前まで寝ていたようだ。昼間、馴染みの飲み屋で飲んでいたようだ。最初ツマミをちまちま食べながらドリンクをチビチビ飲んでいくつもりだったが、どんないきさtか腹に溜まるランチメニューを最初にオーダーしてしまった。案の定それだけで腹一杯になったため他の食事メニューが頼めなくなった。でもそれだけしか頼まないなんて店に悪いからと飲み物を浴びるようにオーダーした結果、当初の予定を遥かに超えて飲みすぎた。酔っ払ってもう眠くて眠くて仕方がなかったんだよ。

というのが嫁の弁明である。まあ、酒を飲みすぎた時って本当に眠くなる。抗えないほどに。気持ちは分かる。それが自分の酒量を超えてしまった時なら、記憶すら飛びかねない。全くもって酒は癒しの天使であると同時に堕落の魔物である。

まあ、酒だけでなく、仕事の終わる時間が遅いからというのもあるだろう。日々ハードに働き、睡眠時間が減ってくると、どれだけ日中キビキビ動いていようが、どれだけ仕事が楽しかろうが、肉体的な疲労は必ず蓄積されているもの。睡魔も然り。だからふと気が緩んだ時、止め処なく睡眠を貪るという日も出てくる。

後の一週間分の睡眠を先取りすることは出来ない。いわゆる「寝溜め」は出来ない。しかし、前の1週間で蓄積した睡眠不足と睡魔を解消するための「長寝」は出来る。寝たい時に寝たいだけ寝る。起きるまで寝る。それがいかに壮快な気分をもたらすか。日々の睡魔が蓄積してピークに達した状態こそ、それを最も実感できるに違いない。
 
 
■箸を変え、肉を変え
そんな嫁の睡眠も満足した後、夜メシに移行。最近は週の殆どの日が、嫁が作り置きしたメシを温めるパターンで、それだけに嫁が休みの日に作る作り立て料理は希少性が高くなる。また嫁も、朝にパッと作ってしまう作り置きだけでは不満のようで、時間を掛けて料理できる日は重宝しているようだ。

と言っても、メニューはすき焼き。何がいいか? と予め受けていた質問に対する俺からのオーダーだ。さして手間を掛けて作る料理でもない。しかし実力は十分なのは誰もが認めるマスタークラス。手早く作れて、旨くて、ほぼ例外なく満足する偉大なメニュー、それがすき焼き。俺が嫁にオーダーした。俺がグランドオーダーした。

まあ、すき焼きはいつ食っても旨いし飽きない。だから何度でも食うわけだが、入れる具材は都度微妙に変化していく。春菊が高いから水菜にしてみたとか、今日の肉は国産黒毛和牛だよとか、チクワが何か冷蔵庫に余ってるので入れちまえ、とか、理由は色々。

その自由度の高さもすき焼きの人気の所以なのだろうな。他の鍋料理だって別に何入れてもいいという点では変わらないが、すき焼きにはあのどんな具材も旨くしてしまう最強の割り下があるからな。すき焼きの割り下は殆ど万能だ。ゆえにすき焼きはいつ食っても飽きない。いつ食っても新しい。

その新しいすき焼きを、昨日上野で買ったばかりの新しい六角箸に変えて肉を摘む。道具を変えると気分的にも新鮮感が増す。畳と女房は新しい方がいい、などと諺にあったりするが、少なくともすき焼きに入れる肉と野菜と箸は新しい方が良さそうだ。

一方で、すき焼きに使う鍋なんかは古い方が良いかもしれない。ピカピカの鍋よりも、日々料理に使って出汁や割り下が染み込んだ年季物の鍋だからこそ、滲み出る味わいというものがあるのではなかろうか。先ほどの類似ではないが、女とワインは古い方が良い、などとも言うではないか。

矛盾しているようで矛盾しない、新旧それぞれのメリットとデメリット。メリットとデメリットは時に表裏一体で、だけど時に独立しながら世の中に漂い氾濫している。それを見抜けないようではまだまだ知見不足、経験不足というものである。鋭い嗅覚で両方を拾い上げ、大らかなる心で両方を受け入れ、どちら噛み砕きながら丹念に味わう。まさしく目の前にあるすき焼きのように…。
 
 
■コラボという手法
食後のデザートに、嫁が上野から買ってきたというシフォンケーキを食った。「東京えんとつ」という始めて名を聞く喫茶店? 菓子工房? とにかくそこで買ってきたとのこと。

(東京えんとつ)
http://www.tokyo-entotsu.com/about.html

パンダの形をしているので気になったというのが理由の一つだが、それを買った一番の理由は、鳥取の大山(だいせん)産の生クリームを使っているという触れ込みだったから。大山地鶏などであれば都市部でも十分認知度は高いだろうが、大山産の生クリーム、ひいては大山産の牛乳とくればまだまだ知名度に欠けるだろう。

しかしクオリティは一級品、いや超一級品だ。鳥取で少年時代を過ごした俺なら分かる。いやむしろ都市部に出てきた大人になってからの方が、余計に大山産の牛乳やクリームやケーキの凄さを感じる。一緒に何度も鳥取に行った嫁もそれが事実に近いと知っている。

それを知ってか知らずか、東京えんとつは大山の生クリームを使っているという。名前的にも興味があるし、その選択眼にも好感が持てる。だから買ってしまうのだろう。

その大山生クリームを使ったシフォンケーキは美味かった。特にクリームの部分が美味かった。さすが鳥取8、さすが大山。大山とは何なのか? 大山とは、鳥取にある山である。

それにしてもシフォンケーキとは何なのか? 柔らかいふわふわのケーキだというのはイメージ的にある。

ならばシフォンとは何なのか? 服飾用語では、薄く柔らかい織物という意味らしい。なるほど柔らかい、ふわっとした服がイメージできる。シフォンスカートなどという種類のスカートもあるらしい。

しかし柔らかくふわっとしたスカートというならば、フレアスカートというのもある。シフォンスカートと何が違うのか。

分からない。似て非なるものかもしれない。同じかもしれない。だけど種類を沢山出せば出すほど、多様性があるように見えて、人々はそれぞれに対してありがたがってくれる。商売のバリエーションも広がる。様々な名称が、古い新しいに関係なく日々輩出されている。

それはいわば無限性。この無限性こそが世の中の醍醐味と言えるかもしれない。だけれどもその無限性の中のほんの一握りにしか個人の力では出会えない。世の中の切なさと言えるかもしれない。

20171113(月) 緊張の内視鏡検査と解放後の味噌煮込みうどんの幸福

【朝メシ】
・家/柿
 
【昼メシ】
・職場付近/自作オニギリ
 
【夜メシ】
家/味噌煮込みうどん(コストコロティサリーチキン等使用)、ルマンド、サッポトポテトベジタブル
 
【暦】
月 霜月(しもつき)
二十四節気 第19「立冬(りっとう)」
七十二候 立冬初候(第56「地始凍(ちはじめてこおる))」 The Earth First Freezes
 
【イベント】
病院検査、ドラマ相棒視聴
 
 
【所感】
■初めての内視鏡
午後から半休を取り、予約していた小伝馬町の病院へ向かう。内科、その中でも消化器系内科を専門とし、特にがん検査に定評がある。そんな触れ込みの病院だ。そこで内視鏡検査、つまり胃カメラを撮ることになっていた。内視鏡検査は生まれて初めてである。緊張で胸が高鳴る。本当は受けたくなかったけど、仕方ない。受ける以外に選択肢は残っていないのだから…。
 
 
■耳鼻咽喉科では異常なく
きっかけは10月の始め頃。喉の奥に違和感、異物感を感じ始め、表面的な腫れも出てきた。飲み込みの時のつっかえ感は昔からたまにあったので今回も同じかと思いしばらく放置していたが、いつまで経っても状態は良くならない。むしろ痛みすら出てくる始末。従来と全く異なる症状に不安を隠し切れず、考えれば考えるほどに違和感や痛みも悪化し、終いにはネクタイを締めることすら困難になった。まさに「病は気から」の典型だ。

そこから約1ヵ月後、もう辛抱堪らないと茅場町の耳鼻咽喉科に朝一で駆け込んだのが10月末近くのこと。その耳鼻咽喉科では酷い目に遭った。

10月末の耳鼻咽喉科。当日担当医はいかにもベテランっぽい女医さんだったが、優しい口調とは裏腹に、施術となれば手心は加えない。それが施術する側として正しい在り方だし、患者のためにもなると頭の中では分かっているけど、やっぱ嫌なものは嫌だな…。

女医さんは触診の後、鼻から細い管状のカメラを俺の鼻に突っ込んだ。そこからカメラはズズズ、ズズズと喉の奥深くまで容赦なく侵入し、食道との境目まで到達する。「カメラを入れたら多少の異物感はありますけど、息は出来ますから、息をし続けて下さいね~♪」と女医さんは優しくにこやかに言うけれど、正直息が出来ない。く、苦しい…。

何より痛かった。カメラの管がデリケートな鼻腔に当たる感覚に何度も襲われる。電柱に顔からぶつかった時のようなツンとした痛みと言えばいいのか。途中から涙が出てきた。

そんな鋭い痛みと呼吸難のダブルパンチを何分間、いや実際には何十秒間だったかもしれないが、とにかく長い間喰らい続けた俺は、最後もはや我慢しきれずゴボッ!!と咳込んだ。いや、「ブヒッ!!」っという音の方が近いか。まさしくブタの鳴き声のような人間にあるまじき類の異様なサウンドと、風邪を引いた時の豪快なクシャミと、喉が詰まった時の咳払いと、多種多様な音質が混ざり合った鳴き声とも咳込みとも悲鳴ともつかない言語化不可能な音と一緒に、溜まりに溜まった空気と涙と鼻水と胃液とが、鼻と口から一気に開放されたイメージ。宇宙史の始まり、待ちに待ったビッグバンが遂に到来、そのくらい満を持しての出力開放だった。

その俺の姿がよほどアクシデンタルに見えたのだろう。冷静沈着な女医さんも、さすがに俺がブヒッ!とした時には「だ、大丈夫ですか!?」と焦っていた。

結局、その直後にカメラは取り除かれ、写った写真と一緒に女医さんが俺に説明。「喉は腫れ気味、荒れ気味ですけど、異常はないですね」と言った。ただ症状から「逆流性食道炎」の可能性は否めない、と。さらに女医さんは「がんとかではないですから安心して下さい♪」と笑顔で付け加える。俺が一番知りたかったことだ。そうか、がんじゃなかったのか。少なくともそこさえ避けられれば、ひとまずは…。

しかし女医さんは、耳鼻咽喉科のカメラで調べられるのは喉までで、そこから下の食道以下は内科でなければ見ることは出来ない、とも言った。だからまずは内科に「逆流性食道炎かもしれない」旨を相談し、場合によっては内視鏡検査を受けた方がいいだろう、と。確かに俺の腫れや痛みは、位置的には喉というより食道付近。喉から上はオッケーだが、そこから下はまだ不明であると。ひとまずの安堵と、新たな不安とが交錯したまま、一旦職場に戻った。

だけど耳鼻咽喉科の女医さんの助言が気になって仕事に手が付かない。診てもらうなら早い方がいい。さっさと内科に言ってしまおう。そう思い立った俺は、社に断りを入れて、人形町の内科、特に消火器内科に強そうな病院に駆け込んだ。朝は耳鼻咽喉科、午後からは消火器内科。まさかの病院ダブルヘッダー…。

しかしその消火器内科では、問診および触診のみで終了。そこの院長曰く、「多分がんではないだろう。腫れも想定の範囲内で異常なほどでもない。痛みや異物感は逆流性食道炎の可能性が有るので一応薬を出しておく。薬を飲みながらそれでも良くならなかったら内視鏡検査を受けるのもアリじゃないのかな」という、患者の俺からすれば結構気楽な分析。人気の病院だし、毎日溢れんばかりの患者を見ている医師だし、確かな分析力と経験に基いた言葉だろうが、それでも気になる…。

「そんなに気になるんなら内視鏡検査のプロフェッショナルが居るところを紹介するから」と、駄々っ子を嗜める親のような余裕の笑みで構える院長に紹介されたのが、今日訪れた小伝馬町の病院なのである。

その人形町の内科に行ってから今日まで2週間ほど期間が空いてしまったが、内視鏡検査は飛び込みですぐ受けられるものでもないらしい。大体は予約制だ。それも、医師の診察を受けて、必要だと判断したら改めて日程を決めるという回りくどい手順が基本。今回の病院以外にも5~6箇所確認したが、全部そうだった。結局、内視鏡検査を受ける今日までの2週間、不安と溜め息を抱えながら過ごした。長かった…。
 
 
■そして始まる内視鏡検査
そんな一日千秋の思いの末に、平日午後から訪れた小伝馬町。道に迷うと思いかなり早めに会社を出たのだが、あっさりと場所が見つかってしまう。予約した時間まで1時間もある。早く着きすぎた。喫茶店に入ろうにもコーヒーは飲んじゃダメだし、タバコも禁止だし、ていうか昨日の夜8時から16時間ずっと水以外身体に入れてないし。とにかく飲食は不可。どうするか…。

仕方なく、目の前に合ったファミリーマートで本の立ち読みに耽る。雑誌をペラペラ、次にマンガの単行本、アカギの最新巻、BORUTO(NARUTOの続編)の最新巻、etc…。途中でコンビニ内のトイレに行きながら、丸1時間みっちり立ち読みしてしまった。そしてガムやチョコなどの買い物も何一つせずにスタスタとファミマを出て行く。我ながら「何て感じの悪い客だ」と思った…。が、この状態で食い物とか飲み物買うのは目に毒だよ…。

暇潰しした後、到着した消火器内科。受付で問診表および、同意書を書かされる。最近の内視鏡検査は、吐き気や痛みを緩和するためか麻酔を使う場合が多いようだ。さらに精神的緊張を和らげるために、場合によっては鎮静剤も打つという。それらを使うことに対する同意、そしてそれらを使った場合、仮に何か不測の事態が起こっても文句は言わない、という同意書だ。

後で諸々言ってくる患者があまりにも多かったから已む無く同意書を取らざるを得ないという事情は十分に理解できる。にしても、目の前に突きつけられると、さすがに少し躊躇する。記入する手も震える。何かあった場合には…。『何か』って…何だよ?

まあ同意書を書かないと何も進まないので選択の余地はない。戦略的に既に追い詰められているということだ。しかし、自分で治せるはずもない。治してくれる相手が存在するだけで有り難い話なわけで、本来感謝すべき奇跡。どちらも正しい捉え方。ゆえにこの辺りの心理状況は複雑だ。

いずれにせよ先生を信頼し、身を預ける以外にない。だからこそ、信頼できる先生を見つけたい。身を預けるに値する先生が居る病院を選びたい。患者として当然の心理だ。場合によっては命に関わることだから。金が掛かっても、となる。そして、名医からヤブ医者まで多彩な評価が患者によって下される。その積み重ねの結果、人気病院と不人気病院との格差はますます広がるといったところか。俺が今回訪れた病院は、果たしてどうなんだろうな…。
 
 
■タバコは悪でもあり、時代によっては正義でもあり
まず先生との問診は、ありきたりなことを話して終了したが、タバコを吸っていることを指摘された。いやむしろ非難された感じ。「喉や食道が不安だとか言ってる人が、まだタバコ吸ってるの!? ありえないねキミィw」と、呆れた感じの物言いだ。そんな非難の言葉を放ちつつ、隣に居る看護師さんに「そうは思わないかね?」などと念を押すあたり、先生は相当タバコがお嫌いなようだ。それに対し「辞めたいとは思ってるんですが」と、俺もありきたりな回答。「ハッ! みんなそう言うよねw」と失笑を買うのであった。

その流れで、空手をやってた学生時代にも吸っていた、とつい口が滑った。先生はすかさず「スポーツマンがタバコとは、まったくw」と超ダメ押し。だが俺にとって学生時代の記憶は全てをひっくるめて宝なので、喫煙という事象すら否定させるわけにはいかない。俺は「いや、でもみんな普通に吸ってましたよw」と笑顔で返す。客観的には害だったと分かっていても譲れないセピア色の記憶というものはあろう。

あの頃は本当に、体育会系武道部の学生達はヘビースモーカーだらけだった。翻って現代は、喫煙者は忌み嫌うべき害悪、人類の敵と見なされる。全ては時代毎の潮流。絶対的な正義など存在しないということだ。
 
 
■内視鏡の複雑さ
そんな会話をしつつ、内視鏡検査へ移行。まずレントゲンを撮る。腹部、居のあたりに異物があるか調べているのだろうか。

さらに心電図。異常なし。「キミはスポーツ心臓だね」と言われた。多分、この日唯一先生から聞いた褒め言葉だ。「何かやってるの?」との問いに俺は、「昨年までは水泳、その前は数年間マラソン大会出場、そして筋トレを定期的にやってますぜ」と喜び勇んで答えたものだ。先生は「ふーん」と感心しつつ、「でもタバコ吸っちゃあダメだよw」と話を戻す。

そして採血。腫瘍マーカーにかけるそうだ。がんかどうか判断できる検査方法らしい。まあ、俺が一番知りたいところではあるので、望むところ。

そしていよいよ内視鏡検査へ。看護師さんに「相当緊張していますね、身体が固いですよ、心拍数も上がってますよ」と言われた。そりゃ初めてだし、麻酔かけるとか同意書書かされるとか随分ドラマチックなことをするし、緊張もしますって。看護師さんは、「そういう患者さんには鎮静剤を打つようにしています」と、俺に鎮静剤を打った。

鎮静剤…。これもまた初めての経験。何か心が落ち着いてくるというか、身体の緊張がほぐれるというか、頭がボーッとしてきたような。たしかに精神はなだらかになるかもしれないが、この強制感はあまりよくない。不自然だ。あまり頼らない方がいいい薬だと思った。

その後、口のあたりに霧状の麻酔を吹きかけられたのだろうか、よくわからない。そこから意識がボーッとしていて、先生の声も看護師さんの声もあまり耳に入らなかったからだ。視界も定まらず、よく見えない。殆ど目を瞑っていたかもしれない。ただなされるがままに身体を横たえられ、重力に逆らえないまま、ぐでたまのように施術台の上でマグロになる俺がいた。

口は完全に弛緩していたため、涎が出そうな、出ないような。飲み込む力もないような。

ただ、内視鏡が入っているという感覚だけはある。奥まで入っていくのが分かる。しかし麻酔をしているためか、人に聞いたほど嗚咽感はもよおしてこなかったな。「涎はそのままたらしていいですからね~♪」と、赤ちゃん言葉で話しかけてくる看護師さんの言葉が、かろうじて耳の奥、三半規管のあたりに響いていた。

結局、内視鏡は辛かったような、辛くなかったような、微妙な感覚。ただ鎮静剤と麻酔が効いているため、身体がだるく、何より眠い。病院で1時間ほど睡眠して診断結果を聞くに至る。
 
 
■結果はまたも後日
ただ、その場では結果がまだ分からない模様だ。先の採血の腫瘍診断もそうだし、後はポリープ。どうやら一番気にしていた食道には何も無かった模様。ホントかよ、と疑いたくなるが、先生がそう言うのだからそうなのだろう。じゃあこの喉の違和感は一体…。

しかし、食道ではなく胃の方にいくちか注意点があったとのこと。ポリープが2つ、そして傷が1つ発見されたと。その部分の細胞を摂取して、検査に掛けるようだ。「病理標本の作成」と言うらしい。明細書には他にも知らない専門用語がズラリ。意味不明だが、なにやらすごそうだ。
ついでに金額も、なにやらすごそうだ。腰痛の鍼治療といい、病気はするもんじゃないな、ホント…。

とりあえず、その検査の結果待ちは来週ということで今日はひとまず終了。刺激の強い食い物、酒や炭酸ジュースなどは今日は禁止だが、他はオッケーの模様。小伝馬町にある昔ながらのそば屋でマッタリとそばを食う。まさに昔ながらのそばの味だな。悪くはない。昨日夜8時から、20時間ぶりの食事だけに胃に染みる。

食った後、ついタバコを一服してしまい、「ヤベッ」と自分を戒める。先生の嘲笑が聴こえてきそうだ。なるべくタバコは控えよう、なるべく…。

その後、会社に戻ったが、麻酔の眠気で全く身に入らない。半休取ったのだから、そのまま帰ればよかった…。
 
 
■味噌煮込みうどんで幸せな夜
それらの報告を帰宅後、嫁にしながら夜メシを食う。しっかりじっくりと煮込んだ味噌煮込みうどん。コストコで買ったロティサリーチキンの残りを使い、味わい深さが一層引き立つ。飲まず食わすの日曜そして月曜日中だっただけに、嬉しさもひとしおだった。こんな幸せな気持ちがずっと続けばいい。来週には検査結果という現実が待ち受けるけれど…

20170227(月) 熱い水餃子鍋とキュラソ星人的な寒々しい怠惰

170227%ef%bc%88%e6%9c%88%ef%bc%89-01%e3%80%902000%ef%bd%9e2150%e3%80%91%e3%83%91%e3%83%81%e3%82%b9%e3%83%ad%e5%8c%96%e7%89%a9%e8%aa%9e%ef%bc%88%e3%82%a4%e3%83%9e%e3%82%a4%e3%83%81%e3%81%a0%e3%81%a3 170227%ef%bc%88%e6%9c%88%ef%bc%89-02%e3%80%902300%e9%a0%83%e3%80%91%e6%b0%b4%e9%a4%83%e5%ad%90%e9%8d%8b%e3%83%bb%e7%b7%a0%e3%82%81%e3%81%af%e3%81%8f%e3%81%be%e3%82%82%e3%81%a8%e3%82%a2%e3%83%99 170227%ef%bc%88%e6%9c%88%ef%bc%89-02%e3%80%902300%e9%a0%83%e3%80%91%e6%b0%b4%e9%a4%83%e5%ad%90%e9%8d%8b%e3%83%bb%e7%b7%a0%e3%82%81%e3%81%af%e3%81%8f%e3%81%be%e3%82%82%e3%81%a8%e3%82%a2%e3%83%99 170227%ef%bc%88%e6%9c%88%ef%bc%89-02%e3%80%902300%e9%a0%83%e3%80%91%e6%b0%b4%e9%a4%83%e5%ad%90%e9%8d%8b%e3%83%bb%e7%b7%a0%e3%82%81%e3%81%af%e3%81%8f%e3%81%be%e3%82%82%e3%81%a8%e3%82%a2%e3%83%99 170227%ef%bc%88%e6%9c%88%ef%bc%89-02%e3%80%902330%e9%a0%83%e3%80%91%e3%83%81%e3%83%83%e3%83%97%e3%82%b9%e3%82%bf%e3%83%bc%e7%b4%80%e5%b7%9e%e3%81%ae%e6%a2%85%e3%80%81%e3%82%ab%e3%83%97%e3%83%aa 170227%ef%bc%88%e6%9c%88%ef%bc%89-02%e3%80%902330%e9%a0%83%e3%80%91%e3%83%81%e3%83%83%e3%83%97%e3%82%b9%e3%82%bf%e3%83%bc%e7%b4%80%e5%b7%9e%e3%81%ae%e6%a2%85%e3%80%81%e3%82%ab%e3%83%97%e3%83%aa

【朝メシ】
無し(家-嫁)
 
【昼メシ】
自作オニギリ(しょば付近-嫁)
 
【夜メシ】
水餃子鍋(締め:くまもとアベックラーメン亀有駅土産)、チップスター紀州の梅、カプリコアソートパック(家-嫁)
 
【二十四節気 定気法】
第2「雨水(うすい)」
 
【イベント】
仕事、パチスロ化物語(あきはばら)、ウルトラセブン「宇宙囚人303」
  
  
【所感】
■管理能力
2017年が始まってもう2ヶ月も経過したのに、一体何をしているんだと自問自答の日々。特に2月は酷かった。

こんなことじゃダメだ。どこかで転換しないと。思い立って今すぐできない惰弱状態だから、せめて分かり易い区切りを付けて、そこで発進するしかない。よし、2月が終わり3月に入ったら水泳に行こう。それで気持ちを切り替える。そう考えても、心の中では「多分やらないだろう」と当たりを付けている自分もいる。

そんな混沌を脱却しようと色々なものに手を付けてきたようには見える。水泳、英語、乗馬、筋トレ、その他諸々…。自分は決して1つじゃないんだと。何でも柔軟に積極的に取り組み獲得できる人間力を有しているんだぞと。が、まとまった時間それに集中するという継続動作が出来ていないので、ますます何をやっているのか分からない状態に陥る。

瞬間的なフットワークは軽くなっている気がする。単発的作業のスピードや能力も向上したように見える。しかしそれらを一元管理し、トータルとしての相乗効果、人間としての応用力に繋げるシナプスが構築されないまま。管理能力が劣化している。

優秀な戦闘員がいても、それらの指揮を執り指示を与える指揮官が優秀でなければ宝の持ち腐れ。指揮官の重要性について思いを馳せつつ錯乱、混乱、迷走中。2月のステータスはまさにそれだ。一体いつ終わるのか、いつまでやれば気が済むのか。まるで、とっくに終わっていいはずなのに連載が終了する気配がないアカギやカイジのよう。今日、コンビニでヤングジャンプを立ち読みしたら、いつも通り普通にカイジをやっていた。

福本伸行の足掻きか。纏め切れない散漫な性格になってしまったのか。自分も同じようなもの。思えば遥か昔から同じことばかり考えていたような気がする。ただ、目に見える形にしている分、福本の方が100万倍格上なのは確か。
 
 
■末脚は時間が掛かる
仕事後、アキバのホールに寄ってパチスロ化物語を打つ。これだけは長期的スパンによる戦略が実っている気がしなくもないが、本当に必要なのはそういうことではないのだがな。しかし小遣いは必要だ。やるからには勝たねばならない。もはや化物語を打つことは遊びじゃなくなった。

ただ、あまり時間を掛けすぎるのもどうか。サッと座ってサッと出してサッと帰るのが効率的でスマートだ。仕事後から就寝までの自由時間をスロにばかり取られていたら他に何も出来ないではないか。その時間は自己鍛錬に充てるのが本道なのに、それこそ打てば打つほど本来望んだ姿からかけ離れていくという自己矛盾を抱えつつ、それでも稼がねば成り立たないというジレンマの中、今日も化物語を打っていた。

結局、夜8時頃から始めて10時まで掛かってしまった。ラスト30~40分で蕩モードの倍々ラッシュに入り瞬時に1000枚超えを果たしたが、そこに行くまで時間が掛かりすぎる。座って即そのモードに入れば言うことないが、化物語のようなATやART仕様の機種は温まるまで結構時間が掛かるからな。つまり基本、スロースターターということ。

そのスロースターターぶりに苛立ち、痺れを切らすパターンは多い。あるいは時間切れとなるケース。いずれ訪れるはずの猛ダッシュまで我慢できなくなり、席を離れてしまう。そこまで粘れない。時間的に、資金的に、だが根本的には精神的に。

言い方を換えれば、一瞬の爆風を狙い、それをいかに早い段階で持ってくるかが化物語の肝。少なくとも俺は考えている。考えるようになった。設定は大いに関係あるが、押されれば押し戻すというバランスの法則に基いた突如の大波は、設定を問わず大体起こり得る。

強いて言うなら、そこに至るまでの精神的辛さの度合いが設定差に比例するといった感じか。その爆風を体験せず退店した日は殆どない。だから時間我掛かる。だが倍々チャンス連を味合わずして店を後にするのは矜持に反する。

そう思えるほど化物語を愛してしまい、電車の中で、道を歩く最中に、読書中だろうが仕事中だろうが頭の中で倍々チャンスやするがAT中のBGMをリフレインさせている一個の化け物がここに生息しているのだった。ホント、ぱないのっ!

ジャンキーすぎる日々が続いて流石に申し訳ないので、今日の勝ち分は全て嫁に上納した。撫子の笑顔を見られたからそれで十分。
 
 
■鍋を選ぶ理由
夜メシは水餃子鍋。暖かくなってきたと思った瞬間、再び気温が下がり始めた最近を考えれば、至極妥当かつ身体に優しいチョイス。肉を皮で包むことで熱が逃げにくく、かつアッツアツの出汁がギュッと凝縮された水餃子をメインの具に持ってきたのもセンスのあるジャッジと言える。鍋はもともと美味い。季節、シチュエーションに相応しい具が入ればなお美味い。

その水餃子鍋の残り出汁で、久々に締めのラーメンを作る。投入したラーメンも、そこらのスーパーで市販しているものではなく、「くまもとアベックラーメン」というくまもとのラーメン。去年の夏頃、亀有駅でふと買った土産を遂に使う時が来たというわけだ。

商品の形は揖保の糸ソーメンのような縦長状パッケージ。加えて麵も細麵で、それが束になっている。ソーメンの一束というか、線香の一束というか、つまりまんまソーメン。細麵は九州地方の特色とはいえ、普通にソーメンと間違えそう。

それでいて、「“アベック“ラーメン」という商品名の由来なのか、一つのパッケージに二束入っている。二人前ということだが、『アベック』っていうほど特別っぽくはないな。

それら諸々の商品力不足を補うためか、パッケージにはくまモンの絵がしっかりプリントされている。もはやお約束というか、今やくまモンロゴ付き商品が氾濫しすぎて有り難味がない。熊本と関係ないところの商品もくまモン付きだったり、殆ど全国共通ロゴと化したくまモン。その功績は多大で、市場活性化への貢献度も極めて高い。

だが反面、「とりあえずくまモン付けときゃ売れんだろ」と、くまモンに頼り切ってしまう風潮も生み出した可能性もある。易きに流れるという選択肢を持った瞬間から、作り手、売り手の追求心は減退し、クリエイティビティは失われていく。くまモンの功罪は計り知れないほど多岐に亘る。そして善悪では計れない。
 
とは居え、くまモンロゴはあまり関係ないかもしれないが、さすがくまモンというべきか、「くまもとアベックラーメン」は非常に美味かった。博多ラーメンのような、長浜ラーメンのような、いわゆる九州風な細麵が、水餃子の旨みをたっぷり吸い込んだ出汁に絡み、あたかも博多のラーメン屋台で食っているかのようだった。

不動の「サッポロ一番みそラーメン」を始めとする北海道系太麵も良いが、今回のくまモン印な九州細麵もやはり極上。南北統一される日はまず来ないだろう。しかし食の道は地政学とは無関係。むしろ南北で間逆であっていい。そんな地域による価値観の差異や分散が、人々に創造力や多様性を与えるのだから。
 
 
■菓子も多様
食後のデザートに食った菓子もまた多種多様だ。

今回つまんだのは、カプリコのアソーとパック、つまり各色詰め合わせ。スロの余り玉で交換した高級品だ。カプリコは元々美味いが、プチサイズな分、見た目もプリティ。色彩的にも選り取りみどりなので気分も高揚する。よい景品をもらってきたものだ。

もう1つが、チップスターの「紀州の梅」バージョン。普段は店頭であまり見ないことから、恐らく梅の季節に合わせた期間限定品だと思われる。しっとりとしたチップに梅風味な塩味がしっかり効いており、まさしく梅の季節に相応しい。

そういえば、もう梅の季節。あと1ヶ月で桜の季節だ。むしろ梅がそろそろ散ってしまう段階。去年は梅の木を観れなかった。それどころか、考えてみればまともに梅観賞をもしかするとしたことがないかもしれない。一年中、花を見てきた2016年ですら、梅だけがポッカリと抜け落ちている。本当にツメが甘い。今年は梅観賞にどうしても行かねばならない。甘いカプリコを食いながら、そう思った。

甘い菓子を食えば、辛いものが欲しくなり、辛い菓子を食えば甘いもので中和したくなる。この永遠のループで脂肪と怠惰な癖が身に付いて行く。本当に罪深い。

そういえば夜、レグザで録った「ウルトラセブン」を観た。「宇宙囚人303」のキュラソ星人の回だが、現在の怠惰な様は人として、このキュラソ星人のように罪深い。

20161214(水) AKIBAのイルミに酔いしれながら、水泳皆勤賞を目指した12月

161214%ef%bc%88%e6%b0%b4%ef%bc%89-01%e3%80%900630%e9%a0%83%e3%80%91%e3%83%87%e3%83%b3%e3%83%9e%e3%83%bc%e3%82%af%e3%82%ab%e3%82%af%e3%82%bf%e3%82%b9%e3%80%80%e4%ba%80%e5%85%ad%e3%80%8a%e5%ae%b6 161214%ef%bc%88%e6%b0%b4%ef%bc%89-02%e3%80%900640%ef%bd%9e0840%e3%80%91%e4%ba%ba%e5%bd%a2%e7%94%ba%e3%80%81%e3%82%b9%e3%83%9d%e3%83%bc%e3%83%84%e3%82%bb%e3%83%b3%e3%82%bf%e3%83%bc%e3%80%81%e6%9c%ab 161214%ef%bc%88%e6%b0%b4%ef%bc%89-02%e3%80%900640%ef%bd%9e0840%e3%80%91%e4%ba%ba%e5%bd%a2%e7%94%ba%e3%80%81%e3%82%b9%e3%83%9d%e3%83%bc%e3%83%84%e3%82%bb%e3%83%b3%e3%82%bf%e3%83%bc%e3%80%81%e6%9c%ab 161214%ef%bc%88%e6%b0%b4%ef%bc%89-02%e3%80%900640%ef%bd%9e0840%e3%80%91%e4%ba%ba%e5%bd%a2%e7%94%ba%e3%80%81%e3%82%b9%e3%83%9d%e3%83%bc%e3%83%84%e3%82%bb%e3%83%b3%e3%82%bf%e3%83%bc%e3%80%81%e6%9c%ab 161214%ef%bc%88%e6%b0%b4%ef%bc%89-02%e3%80%900640%ef%bd%9e0840%e3%80%91%e4%ba%ba%e5%bd%a2%e7%94%ba%e3%80%81%e3%82%b9%e3%83%9d%e3%83%bc%e3%83%84%e3%82%bb%e3%83%b3%e3%82%bf%e3%83%bc%e3%80%81%e6%9c%ab 161214%ef%bc%88%e6%b0%b4%ef%bc%89-02%e3%80%900640%ef%bd%9e0840%e3%80%91%e4%ba%ba%e5%bd%a2%e7%94%ba%e3%80%81%e3%82%b9%e3%83%9d%e3%83%bc%e3%83%84%e3%82%bb%e3%83%b3%e3%82%bf%e3%83%bc%e3%80%81%e6%9c%ab 161214%ef%bc%88%e6%b0%b4%ef%bc%89-03%e3%80%901800%ef%bd%9e1840%e3%80%91%e7%a7%8b%e8%91%89%e5%8e%9f%e3%82%a4%e3%83%ab%e3%83%9f%e3%80%81%e3%82%af%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%9e%e3%82%b9%e3%83%84%e3%83%aa 161214%ef%bc%88%e6%b0%b4%ef%bc%89-03%e3%80%901800%ef%bd%9e1840%e3%80%91%e7%a7%8b%e8%91%89%e5%8e%9f%e3%82%a4%e3%83%ab%e3%83%9f%e3%80%81%e3%82%af%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%9e%e3%82%b9%e3%83%84%e3%83%aa 161214%ef%bc%88%e6%b0%b4%ef%bc%89-03%e3%80%901800%ef%bd%9e1840%e3%80%91%e7%a7%8b%e8%91%89%e5%8e%9f%e3%82%a4%e3%83%ab%e3%83%9f%e3%80%81%e3%82%af%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%9e%e3%82%b9%e3%83%84%e3%83%aa 161214%ef%bc%88%e6%b0%b4%ef%bc%89-03%e3%80%901800%ef%bd%9e1840%e3%80%91%e7%a7%8b%e8%91%89%e5%8e%9f%e3%82%a4%e3%83%ab%e3%83%9f%e3%80%81%e3%82%af%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%9e%e3%82%b9%e3%83%84%e3%83%aa 161214%ef%bc%88%e6%b0%b4%ef%bc%89-03%e3%80%901800%ef%bd%9e1840%e3%80%91%e7%a7%8b%e8%91%89%e5%8e%9f%e3%82%a4%e3%83%ab%e3%83%9f%e3%80%81%e3%82%af%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%9e%e3%82%b9%e3%83%84%e3%83%aa 161214%ef%bc%88%e6%b0%b4%ef%bc%89-03%e3%80%901800%ef%bd%9e1840%e3%80%91%e7%a7%8b%e8%91%89%e5%8e%9f%e3%82%a4%e3%83%ab%e3%83%9f%e3%80%81%e3%82%af%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%9e%e3%82%b9%e3%83%84%e3%83%aa 161214%ef%bc%88%e6%b0%b4%ef%bc%89-03%e3%80%901800%ef%bd%9e1840%e3%80%91%e7%a7%8b%e8%91%89%e5%8e%9f%e3%82%a4%e3%83%ab%e3%83%9f%e3%80%81%e3%82%af%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%9e%e3%82%b9%e3%83%84%e3%83%aa 161214%ef%bc%88%e6%b0%b4%ef%bc%89-03%e3%80%901800%ef%bd%9e1840%e3%80%91%e7%a7%8b%e8%91%89%e5%8e%9f%e3%82%a4%e3%83%ab%e3%83%9f%e3%80%81%e3%82%af%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%9e%e3%82%b9%e3%83%84%e3%83%aa 161214%ef%bc%88%e6%b0%b4%ef%bc%89-03%e3%80%901800%ef%bd%9e1840%e3%80%91%e7%a7%8b%e8%91%89%e5%8e%9f%e3%82%a4%e3%83%ab%e3%83%9f%e3%80%81%e3%82%af%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%9e%e3%82%b9%e3%83%84%e3%83%aa 161214%ef%bc%88%e6%b0%b4%ef%bc%89-03%e3%80%901800%ef%bd%9e1840%e3%80%91%e7%a7%8b%e8%91%89%e5%8e%9f%e3%82%a4%e3%83%ab%e3%83%9f%e3%80%81%e3%82%af%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%9e%e3%82%b9%e3%83%84%e3%83%aa 161214%ef%bc%88%e6%b0%b4%ef%bc%89-03%e3%80%901800%ef%bd%9e1840%e3%80%91%e7%a7%8b%e8%91%89%e5%8e%9f%e3%82%a4%e3%83%ab%e3%83%9f%e3%80%81%e3%82%af%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%9e%e3%82%b9%e3%83%84%e3%83%aa 161214%ef%bc%88%e6%b0%b4%ef%bc%89-03%e3%80%901800%ef%bd%9e1840%e3%80%91%e7%a7%8b%e8%91%89%e5%8e%9f%e3%82%a4%e3%83%ab%e3%83%9f%e3%80%81%e3%82%af%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%9e%e3%82%b9%e3%83%84%e3%83%aa 161214%ef%bc%88%e6%b0%b4%ef%bc%89-03%e3%80%901800%ef%bd%9e1840%e3%80%91%e7%a7%8b%e8%91%89%e5%8e%9f%e3%82%a4%e3%83%ab%e3%83%9f%e3%80%81%e3%82%af%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%9e%e3%82%b9%e3%83%84%e3%83%aa 161214%ef%bc%88%e6%b0%b4%ef%bc%89-03%e3%80%901800%ef%bd%9e1840%e3%80%91%e7%a7%8b%e8%91%89%e5%8e%9f%e3%82%a4%e3%83%ab%e3%83%9f%e3%80%81%e3%82%af%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%9e%e3%82%b9%e3%83%84%e3%83%aa 161214%ef%bc%88%e6%b0%b4%ef%bc%89-03%e3%80%901800%ef%bd%9e1840%e3%80%91%e7%a7%8b%e8%91%89%e5%8e%9f%e3%82%a4%e3%83%ab%e3%83%9f%e3%80%81%e3%82%af%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%9e%e3%82%b9%e3%83%84%e3%83%aa 161214%ef%bc%88%e6%b0%b4%ef%bc%89-03%e3%80%901800%ef%bd%9e1840%e3%80%91%e7%a7%8b%e8%91%89%e5%8e%9f%e3%82%a4%e3%83%ab%e3%83%9f%e3%80%81%e3%82%af%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%9e%e3%82%b9%e3%83%84%e3%83%aa 161214%ef%bc%88%e6%b0%b4%ef%bc%89-03%e3%80%901800%ef%bd%9e1840%e3%80%91%e7%a7%8b%e8%91%89%e5%8e%9f%e3%82%a4%e3%83%ab%e3%83%9f%e3%80%81%e3%82%af%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%9e%e3%82%b9%e3%83%84%e3%83%aa 161214%ef%bc%88%e6%b0%b4%ef%bc%89-03%e3%80%901800%ef%bd%9e1840%e3%80%91%e7%a7%8b%e8%91%89%e5%8e%9f%e3%82%a4%e3%83%ab%e3%83%9f%e3%80%81%e3%82%af%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%9e%e3%82%b9%e3%83%84%e3%83%aa 161214%ef%bc%88%e6%b0%b4%ef%bc%89-03%e3%80%901800%ef%bd%9e1840%e3%80%91%e7%a7%8b%e8%91%89%e5%8e%9f%e3%82%a4%e3%83%ab%e3%83%9f%e3%80%81%e3%82%af%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%9e%e3%82%b9%e3%83%84%e3%83%aa 161214%ef%bc%88%e6%b0%b4%ef%bc%89-03%e3%80%901800%ef%bd%9e1840%e3%80%91%e7%a7%8b%e8%91%89%e5%8e%9f%e3%82%a4%e3%83%ab%e3%83%9f%e3%80%81%e3%82%af%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%9e%e3%82%b9%e3%83%84%e3%83%aa 161214%ef%bc%88%e6%b0%b4%ef%bc%89-03%e3%80%901800%ef%bd%9e1840%e3%80%91%e7%a7%8b%e8%91%89%e5%8e%9f%e3%82%a4%e3%83%ab%e3%83%9f%e3%80%81%e3%82%af%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%9e%e3%82%b9%e3%83%84%e3%83%aa 161214%ef%bc%88%e6%b0%b4%ef%bc%89-03%e3%80%901800%ef%bd%9e1840%e3%80%91%e7%a7%8b%e8%91%89%e5%8e%9f%e3%82%a4%e3%83%ab%e3%83%9f%e3%80%81%e3%82%af%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%9e%e3%82%b9%e3%83%84%e3%83%aa 161214%ef%bc%88%e6%b0%b4%ef%bc%89-04%e3%80%901940%ef%bd%9e2120%e3%80%91%e3%83%91%e3%83%81%e3%82%b9%e3%83%ad%e5%8c%96%e7%89%a9%e8%aa%9e%ef%bc%88%e8%a7%a3%e5%91%aa%e3%81%ab%e3%81%af%e5%85%a5%e3%82%8a 161214%ef%bc%88%e6%b0%b4%ef%bc%89-04%e3%80%901940%ef%bd%9e2120%e3%80%91%e3%83%91%e3%83%81%e3%82%b9%e3%83%ad%e5%8c%96%e7%89%a9%e8%aa%9e%ef%bc%88%e8%a7%a3%e5%91%aa%e3%81%ab%e3%81%af%e5%85%a5%e3%82%8a 161214%ef%bc%88%e6%b0%b4%ef%bc%89-04%e3%80%901940%ef%bd%9e2120%e3%80%91%e3%83%91%e3%83%81%e3%82%b9%e3%83%ad%e5%8c%96%e7%89%a9%e8%aa%9e%ef%bc%88%e8%a7%a3%e5%91%aa%e3%81%ab%e3%81%af%e5%85%a5%e3%82%8a 161214%ef%bc%88%e6%b0%b4%ef%bc%89-04%e3%80%901940%ef%bd%9e2120%e3%80%91%e3%83%91%e3%83%81%e3%82%b9%e3%83%ad%e5%8c%96%e7%89%a9%e8%aa%9e%ef%bc%88%e8%a7%a3%e5%91%aa%e3%81%ab%e3%81%af%e5%85%a5%e3%82%8a 161214%ef%bc%88%e6%b0%b4%ef%bc%89-04%e3%80%901940%ef%bd%9e2120%e3%80%91%e3%83%91%e3%83%81%e3%82%b9%e3%83%ad%e5%8c%96%e7%89%a9%e8%aa%9e%ef%bc%88%e8%a7%a3%e5%91%aa%e3%81%ab%e3%81%af%e5%85%a5%e3%82%8a 161214%ef%bc%88%e6%b0%b4%ef%bc%89-05%e3%80%902230%e9%a0%83%e3%80%91%e5%90%8d%e5%8f%a4%e5%b1%8b%e5%91%b3%e5%99%8c%e7%85%ae%e8%be%bc%e3%81%bf%e3%81%86%e3%81%a9%e3%82%93%e3%82%a2%e3%83%ac%e3%83%b3 161214%ef%bc%88%e6%b0%b4%ef%bc%89-05%e3%80%902230%e9%a0%83%e3%80%91%e5%90%8d%e5%8f%a4%e5%b1%8b%e5%91%b3%e5%99%8c%e7%85%ae%e8%be%bc%e3%81%bf%e3%81%86%e3%81%a9%e3%82%93%e3%82%a2%e3%83%ac%e3%83%b3 161214%ef%bc%88%e6%b0%b4%ef%bc%89-06%e3%80%902300%e9%a0%83%e3%80%91%e3%83%97%e3%83%aa%e3%83%b3%e3%82%b0%e3%83%ab%e3%82%ba%e3%80%8a%e5%ae%b6-%e5%ab%81%e3%80%8b_01

【朝メシ】
カフェドクリエ(人形町-1人)
 
【昼メシ】
自作オニギリ(職場付近-1人)
 
【夜メシ】
名古屋味噌煮込みうどんアレンジ(牡蠣)、プリングルズ(家-嫁)
 
【二十四節気 定気法】
第21「大雪(たいせつ)」:12/7~12/20 → 第22「冬至(とうじ)」:12/21~
 
【イベント】
人形町、スポーツセンター、末廣神社、カフェドクリエ、秋葉原イルミネーション巡り、パチスロ化物語
  
  
【所感】
■皆勤賞まであと僅か
今日も早朝水泳に向かう俺。仕事のある平日の朝、職場に寄る前にプールで泳ぐというルーチンを繰り返す中、いつの間にか開始から8ヶ月が経過した。その間、まだ一日も休んでいない。つまり皆勤賞…。

あくまで俺がプール通いを始めてからのカウント、かつスポーツセンターが開館する朝7時から泳ぐ面子に限るが、その条件下で見れば真の皆勤賞は唯一俺1人しかいない。同じように毎回顔を合わせる面子も十数人は居るが、誰もがどこかでちょくちょく休んでいる。

面子の中で一番コミュニケーションを取っている爺ちゃんに「ずっと来てるね、皆勤賞だね♪」と言われたのが数ヶ月前のこと。その爺ちゃんも稀に姿を見せない中、俺はまだ欠かさずプールに顔を出す。

意地なのか? 意地だとすれば、誰に対する意地か。自分に対してか? まだ自分は終わってない。オレはまだやれる、枷を嵌めても、負荷を掛けてもそれを跳ね返すだけの体力と気力が残っているんだ、という自信。あるいは赦し。そう自分に言い聞かせることによって安心感を得るという。自分はまだ許される人間だと、ボクは生きる資格がまだあると、ボクはここに居てもいいんだと、そんな自身に対する納得が欲しいのか?

それはプライドと言い換えることが出来るものか? あるボーダーを越えてしまえばもう飛躍どころか復活すら不可能で、だから復活する余力が自分に残っていることを、そこからさらに飛躍する可能性が自分にはまだ秘められているんだと、個人としてのアイデンティティを堅持するため、プライドを保つために敢えて頑張るのか?

または逃避か? この嫌な現実を少しでも忘れたいからと。ここに居ると居心地がいいから、少なくとも嫌な現実を見ないで済むからと、自分を保つための逃げ道を確保すべく必死にしがみ付いているのか?

あるいは、願掛けか? それら意地やプライド、人として失ってはならない自信、尊厳が、いずこから自分に降り注ぐという奇跡。あらゆる物思いを一気に解消し、全ての枷から解き放たれ、何者にも縛られず、自分を偽らず生きるための特殊な力、いや特異な環境。その環境を構築するために必須な「奇跡」というステータスを得る前段階として、プールを一日も休まないのか? 「無休で通えばいいことあるかも」という、一種のお百度参り的な。きっと神様はボクを見ている、そしてボクを救ってくれるはずだ、と。

全てを帳消しにする奇跡とは、舞い降りる奇跡と言えば…。そう、宝くじの一等当選しかないではないか。それが自分の手中に降りてくることによって、オレは今後の一切に悩むことなく、残された時間を文字通り自分の偽らざる意思で生きていける。

つまり俺は、宝くじを当てるためにプールに通っているということか? 雨の日も雪の日も体調不良であろうとも、深夜過ぎに就寝して殆ど眠る時間もない睡眠不足の状態でありながらも、毎朝5時に起床して家を出るという涙ぐましいまでの献身。それら全て、ロト6一等を当てるための布石。それまでの我慢。これは仕方ない出費なのだという、そんな邪な野心のために水泳をやっているのだとしたら…。

ボクは自分を許せない。

ただ、現実のステータスとして、今年の1月に入ってから、俺はロト6を毎週欠かさず買っている。それは15~6年前の第一回目から変わらないのだが、今年は同じ番号をずっと買い続けているという点が異なる。誰かが言った、「ロト系宝くじを当てるコツは、同じ番号を買い続けることだよ」と。

大した検証材料もない、科学的根拠に乏しい俗説だが、当たった人間は結構そう言う。したり顔で。たまたまそうだっただけだろ、と言いたいところだ。クイックピックで当たった奴だって腐るほど居るっつーの。とね。

何も積み上げていないのに、一瞬の隙間風のごとき運のみによって分不相応な金銭を手に入れ、体系的な哲学や理論など一切無視した、ただ自分の経験則だけを語るという、論者としては下の下の策を、さも真理であるかのように自らの持論とし、上から目線で語る。悟りを開いた高層のように。

そんなチラシの裏レベルの戦略に真実味など出るわけがない。その言葉を信じて、一体何万人、何十万人の宝くじ愛好家達が撃沈し落胆していったことか。そりゃ悪態も吐きたくなる。

宝くじなんてものは、戦略もクソもない、ただただ偶然の産物。何百万人の中の1人に自分が選ばれるか、その果てしなく薄い薄い確率が、不意に見えざる領域から降ってくるという天文学的突然変異を、何の当てもなく延々と座して待つだけの、無為で無気力な期間。その期間を、当たるのを諦めるまで、買うことをやめるまで、あるいは死ぬまで続けるのが「宝くじを買う」という行為だ。

そこに人間の力は決して及ばない。当選確率も、たとえばロト6一等であれば500万分の1とか600万分の1とか、そんな次元。よって、殆どの人間はいつか諦めるか、買うのをやめるか、当たらないまま死ぬ。確実にもらえるのは、あの世行きへの当選券のみだ。

そう考えるとやっていられない。傍から見ればまさに愚行である。

しかし、その愚行だからと言って買うことを辞めてしまえば何百万分の1という、薄すぎるけど存在自体はしている奇跡を手に入れる権利も同時に失う。それを失いたくない者が、頭では分かっていながら宝くじを買い続け、買わない人間達から「夢追人だ」と揶揄され、悪くすれば「現実が見えていない」と見下され、果ては「人間のクズ」だと人間失格のレッテルを貼られるまでに至る。

だからと言って、そんな買わない連中に対して「夢を買っているんだ」とドヤ顔で言うことだけは避けたい。そんな言葉は聞き飽きたというか、それを通り越して苛立ちすら覚える。ただでさえ宝くじを買い続ける時点でバカ呼ばわりされているのに、宝くじジャンキーの常套句である「夢を買う」などという迷言を放った日には、バカの一つ覚えかよと一層白い目で見られるだろう。買っている人間からすれば、まさしくやっていられない。

だから、ただ静かに買えばいいのだ。そして当たった時だけ偉そうにすればいい。その瞬間のためだけに、神よ! と宝くじ購入者達は心の中で毎日祈る。ただただ人智の及ばない領域に棲息する何者かに拾い上げられる日を願って、静かに、淡々と買い続けるべし…。

なぜなら宝くじ購入者に対する買わない人間の非難や侮蔑は、裏を返せば嫉妬であり焦燥でもあるからだ。もし本当に当たってしまったら、こんな何の努力もしてない人間が、ただ人生一回だけの運だけで自分達が生涯働いても稼げない大金を手にして余生をのうのうと生きる。自分達が血と汗と涙にまみれながら過酷な労働を強いられ社畜一直線で苦しむ中で、ただ運が良かっただけのコイツが善良な労働者である自分達を見下しデカい顔をし、世の中を偉そうに語る。そんな事態があってはならない。

と、買わない人間にとっても、現実の見えぬクズであるはずの宝くじ購入者が当選してしまうことは決して起きてはいけない現実。彼等にとっても、まさしくやっていられない。よって買わない人間もまた、見えざる何者かに祈る。そんな楽して大金を得ようとする不心得者に決して高額当選させないで下さい。世の中の現実をまざまざと見せつけてやって下さい。宝くじ購入者達を絶望の淵に叩き落して下さい、と…。

当たりたいなら買えばいいじゃん? それも真理。
当たらないんだから買うのやめろよ。 それもまた摂理。
買うも地獄、買わぬも地獄。
両者に共通するのは、相手に出し抜かれたくないという嫉妬と恐怖であり、自分にとって不都合な現実を全力で否定する本能。
両者は決して相容れない。

俺はただ、ロト6を買い続けるのみ。俺の神が、俺を拾い上げてくれるであろうその日まで…。

水泳とは殆ど関係ない、欲にまみれた話であった。
 
 
■水泳後の神社
プールで泳いだ後に必ず向かう末廣神社。その主目的である住み着き猫のスエヒロとの触れ合い。末廣神社にも欠かさず通うのは、先に述べたお百度参りによる天からの救いを期待しないわけじゃない。それがロト6一等に繋がる可能性も捨ててはいない。

だけど猫のスエヒロに会うことは、そういった我欲とは別物。ただスエヒロが可愛いから会いたいだけ。会いたいから足を運ぶだけだ。動物に対して自分の利己的欲求を押し付けるほどまだドス黒くもなかった。

しかし今日は、そのスエヒロが奥のダンボール箱から出て来ない。最近寒いからか、なかなかスエヒロと触れ合えないのが現状だ。あるいは俺のことを忘れてしまっているかも。たまに初めて会う人間のように警戒してくるし。猫は忘れっぽい。

差し当たり、年末までにあと一回くらいは君を間近で見つめたい、君い触れたい。そう心から思った。
 
 
■くつろぎの朝カフェ
水泳と神社の後に寄る駅前の喫茶店「カフェドクリエ」。だがお気に入りの兄ちゃんが最近、他店舗のヘルプや勤務時間が朝以降等の理由でなかなか姿を見せてくれない。彼との短いやり取りや笑顔のアイコンタクトが何よりの馳走だというのに。

その店員兄ちゃんが今朝、久々にカウンターに立っていた。お久しぶりですと俺に言った兄ちゃんは、まるで俺の寂しい心を見透かすように「そんな寂しがらないで下さいよ♪」と爽やかな笑顔を投げ掛けきたものだから、それだけで俺の胸がドクンドクドクン聴こえてくるよと同時にBL突入確定キュイキュイキュイーン…!!

というささやかな幸せを噛み締めた朝だった。
 
 
■秋葉原のイルミネーション
そんな楽しい朝と比べ、日中は不機嫌そのものなので、少しでも心を癒そうと出先の秋葉原を少し徘徊し、イルミネーションを探索してみる。

今現在はイルミの季節。かつクリスマスという特殊イベント。夜になれば、各街でモミの木や電球が色めき立つ時節柄だ。そんな限定的イベントに乗った各自治体や企業が知恵を絞ってせっかく一生懸命イルミの準備をしているのだから、通行人の俺としても、乗るしかない、このビッグウェーブに。

残業なんかしてる暇があったら、街に出て煌びやかなイルミを見て心を豊かにする方が何百倍有意義か。何故今までそうしなかったのか。限られた時間、人生、もっと色んな場所や環境を見て回るべきなんじゃないか。不意にそう思い立った俺だった。

というわけで、今日は秋葉原のイルミネーションおよびツリーの探索。基本、特殊エリアであるアキバだけに、それら一辺倒のイルミやクリスマスイベントにはあまり執着していないのが現状。それは予想通りだ。

しかし、その中でもしっかり季節感を出している場所や施設もある。何もアキバは家電やPC、ゲームやオタグッズだけを売る街にあらず。再開発が進んだアキバは一昔前に比べて遥かに洗練されており、もはや電気街としてのイメージはさほど無い。

本質はディープで深部はダーク。しかしライト層の流入により毒々しさが徐々に薄まり平均値としては一般層にも耐えうる仕様となっている。結果、俯瞰した際に見える街の全体像も柔軟なITタウンの様相を呈していた。それが今のアキバの姿である。
 
 
■UDXの人工ツリー
UDXはその最筆頭だろう。階段を上ると、以前は道を一本挟んで移動しなければならなkったUDXとダイビル・JR秋葉原駅の間に歩道橋のような野外コンコースが出来ている。これからはクルマや信号を気にすることなく、通行人を見下ろしながらUDXと秋葉原駅の間を悠々と行き来できるわけだ。こういった客達への気遣いもまた、以前のアキバにはなかったもの。やはり街の性質が変わったと言えよう。

そのUDX~ダイビル間の二階歩道橋の一角に、見事なツリーが飾られていた。通常のモミの木をライトアップしたものではなく、ツリー自体が人工のオブジェ。そのツリーオブジェが白に輝いたり、青になったり。少し待つと虹色に変化するという、いかにもIT最先端のアキバらしい、エレクトロニクスの粋を集めた虹色ツリーであった。

その虹色ツリーがまたコンクリートジャングルに映える。キュインッ!
 
 
■ベルサール秋葉原内のツリー
イベントスペースのベルサール秋葉原周りもさり気なく道にイルミを施す。ビル内入口に立つツリーもオーソドックスかつ上品だ装飾だ。控え目にそこに佇み、だけどビル内の空間に確かな彩りを与える存在。オブジェとはかくあるべきかな。そう思わせる伝統と信頼のクリスマスツリーであった。

そのベルサール秋葉原内のエスカレーターから、着飾った美人OL達が次々と降りてくる。一階イベントスペースはPCやIT系だけでなく、パチや服飾、ビールイベントなど様々な分野にも門戸を開いている性質上、同ビル自体が基本的にアキバ色に執着しないのだ。

このベルサール秋葉原もまた、安易にオタク色に染まりがちなアキバ族達の暴走に歯止めを掛ける存在。ストッパー。秋葉原の良心と言えた。
 
 
■アトレ1
JR秋葉原駅隣接のアトレ1も、ファッションビルだけあってお洒落なクリスマスツリーを掲げている。女子達も可愛いし。ここもまた別世界。一階はスイーツ、二階は書店や小物類、さらに上階はファッション系を扱うこのアトレ1が出来たからこそ、今までアキバに見向きもしなかった層が流れ込んだという事実は確かにあるだろう。

昔、この場所にはアキハバラデパートという硬派で味気ないビルがそびえ立っており、それが取り壊しとなった時は「アキバの顔を潰すなんて何てことだ」と失望した。しかし今となってはアトレ1に変わって良かったと思う。あのままオタク色特化型の保守的方針で進んでいれば、きっとアキバの街は廃れていた。

そう考えると、アトレ1も含め、JR秋葉原駅の電気街口も一昔前とは全く風景が異なる。電気街口の顔だった、かつてサトームセンだった場所はヤマダLABIに変わり、パチ屋のエスパスが惜し気もなくネオンを輝かせ、大人の玩具屋が恥ずかしげもなくそびえ立つ。

アキハバラデパートと共に電気街口の二大巨頭でありアキバのシンボルであったラジオ会館も、改装はしたものの精彩を欠く。今やラジオ会館目当てでアキバを訪れる人間がどれだけ居るだろう。

そこに欧米人客や大量の中国人客が流入し、民族層まで多種多様。もはや時代は変わったのである。今現在、アキバのシンボルはヨドバシAKIBAであり、ラオックスやオノデン、アニメイト、とらのあな等は過去の産物。ヨドバシが進出したあの時がパラダイムシフト。アキバは変わったのだ。

しかし、オシャレなアトレ1のオシャレなツリーに所々見られる飾りが、どうも通常の星とか綿じゃないような。よく見れば、何かのアニメキャラクターのオブジェがぶら下がっている。この辺はさすがアキバクオリティ。アキバを脱却しつつ、アキバの伝統も残すという配慮。あるいは意地か。ネオンに浮かれる俗物達に捧げる、アキバ族のささやかなレジスタンスだろうか。
 
 
■ワシントンホテル
ホテルもクリスマスやイルミ装飾に余念がない。ワシントンホテルはなかなか良い感じだ。そもそもホテルとは、外部からの客を呼び込む謂わば街の顔だからな。他の街に舐められるわけにはいかないのだろう。

だが対面のレムホテルは何事もなかったかのように薄暗く佇んでいる。この違いは一体…。
 
 
■飲み屋
飲み屋も場所によってはクリスマス風。高架下和民も色々とデコレートしている。が、あまりに色々装飾しすぎてよく分からない無国籍カオス。さすがアキバ最古参、俺達の和民はいつでもぶれない。
 
 
■パチ屋
季節感と最も無縁と思われる欲望の修羅達が集うパチ屋も、店によってはクリスマスムードを醸し出す。高架下のUNOなどは、新参だけにアキバの風習に囚われない。

そのきらびやかな演出はしょせん幻想、まやかし、偽物だとわかっていても。本物になろうと努力する分、本物より本物だと信じて…。

俺の偽物語が始まるっ…。
 
 
■化物語
ささくれ立った心の救う癒しの時間であると共に、ここ半年の貴重な収入源であったパチスロ偽物語も撤去が続き、マイホールでは残すところ1台。絶望に身をよじりながらも、反比例するように存続・増台されていく前作・化物語で場を凌ぐという戦略を始めて1週間以上が経過したが、ある意味偽物語よりも好調が続いている。

演出等では偽物語の方が多彩で楽しいが、出玉や勢い、クオリティの高いBGMとの連動性などを考えれば、やはり化物語の方が面白いな。設置台数が多い時点で客に支持されている証拠なのだが、それでも初導入は2013年。もう3年以上経っているのに今だ現役で一定以上の客を呼び込む化物語は、まさしくロングセラーの人気機種と言えた。

しかし、稼動を始めた3年前はイマイチ歯が立たなかった化物語が、今では暦とひたぎのごとき相思相愛。いや暦と忍のごとき密接ぶりだ。こういう状態を愛されているというのか。偽物語からここ半年以上、足繁く物語シリーズに身を捧げた俺へのご褒美か。3年越しの蕩モード突入。遂に僕の時代が来たーッ…。

とりあえずは、このまま化物語で行くか。
 
 
■味噌煮込みうどんのバリエーション
夜メシは歳暮(自分から自分に送った)の名古屋味噌煮込みうどん。俺も嫁も大好物だが、名古屋出張に頻繁に行っていた時代が終わり、名古屋との縁もめっきり薄れてしまった。今では味噌煮込みうどんくらいしかそれを身近に感じる材料がない。味噌煮込みうどんを食う度に、私は、皮の靴に跨って夜の栄に颯爽と現れた、二十代の自分自身を思い出す。といったところか。

ただ、ご無沙汰とはいえ、累計的には味噌煮込みうどんを食った回数は非常に多い。だから安定したクオリティの味わいは、言い換えれば決まりきった味付けとも取れよう。

なので嫁は今回、多少のアレンジを加えたようだ。通常であれば鶏肉などを入れるところを、メインの具は牡蠣。さらにクリームを入れてスープが非常にまろやかに、マイルドに仕上がっている。たったそれだけでこうも変わるのか、と。

とにかく牡蠣のミルクとクリームのミルクとが混ざり合った味噌煮込みうどんは、かつて食ったことのないほどに滑らかな牡蠣鍋風味噌クリーム和え煮込みうどんの様相を呈していた。毒々しいのが大好きな名古屋人ではなかなか浮かばない発想だろうな。今思えば、名古屋人とは本当に独特のセンスを持った人種であった。
 
 
■アレルギーでも安らかに
良い感じでアレンジされた味噌煮込みうどんを平らげ満足感に浸る俺。今日一日も終わった。いや、イルミネーションの電球やクリスマスの飾り付けが点々と密集する夜の秋葉原を歩いたという点が通常日と異なっていたか。いつもと違うことをすると、まるで新しい自分に出会ったような気分になる。クリスマスまで残すところあと10日。今でしか見られない都会のクリスマスネオンを出来る限り見物するのも悪くない。

そんなことを考えている中、ふと左手首に異物感を感じる。何か凸凹しているような…。ふと袖をめくり上げて左腕を見る。すると手首に細かいブツブツが出来ていた。大量に、大量に、それは肩までビッシリと広がっている。ジンマシンのようなものが。つかジンマシンじゃね、どうみても。

明らかにおかしい。そう思い逆の手や、足首、果ては腹回りなども確認したところ、まさしくジンマシンは全身に広がっていたのである。

さすがに嫁も驚きながら、思い当たることを口にする。「もしかして、牡蠣?」と。牡蠣アレルギー。あると思います。今回投入した牡蠣は、魚介類がイマイチ弱いと有名なスーパーで買ったもの。通常の牡蠣であればOKだったのかもしれないが。

実は1つ目を口にした時、「ちょっと火が通ってないかも?」という状態で口にしてしまったのだ。その牡蠣を歯で噛み千切った時に流れ出た牡蠣汁が、なんとなく苦いような、微妙な味わいだった。嫁には言わないが、俺も心の中でが牡蠣アレルギーだとほぼ断定していた。

ただ俺自身は記憶の及ぶ限りではアレルギーになったことは一度もない。つまり人生初のアレルギーだ。ある意味、貴重な体験と言える。

同時に少しだけ優しくなれる。平素から食物その他ですぐにアレルギー反応を起こす人達に対し「何て惰弱な奴等なんだ」と密かに嘆息していた。しかし頑強で無敵と思っていた自分自身、現実にはこうしてアレルギーに掛かるのだ。造りが他人と変わらない、同じ人間だから当然なのだが、その当然に人はなかなか気付かない。

だからこそ、アレルギー持ちの気持ちに多少なりとも触れられた今日という日は貴重なのだ。とりあえず俺のジンマシンは全く痒くないし、すぐに治りそうな代物。それでも俺はその領域に紛いなりにも踏み込んだ。人として一歩成長したと思いたい。
 
 
2016年12月も半ば。クリスマスとイルミネーションで街は飾られ、最後の商戦と意気込む各ショップは装飾や音楽で彩られ、俺の身体はジンマシンで埋め尽くされて…。

それでもここまで来たのだから、早朝プールは皆勤賞を目指したい。そんなささやかな願いを、今は遠いアキバUDXのツリー目掛けて投げ掛ける俺だった。


人気ブログランキングへ

20160411(月) 葉桜、店の商品、陳列、少しずつ推移する中で…

160411(月)-01【1430頃】職場付近公園 葉桜《職場付近-一人》_01 160411(月)-01【1430頃】職場付近公園 葉桜《職場付近-一人》_02 160411(月)-02【2140】ヤマサさしみしょうゆ(ココスナカムラ 刺身用)《家-嫁》_01 160411(月)-02【2300頃】サントリー焼酎六ちゃん(100円ローソン)《家-嫁》_01 160411(月)-03【2200頃】餃子オリーブオイル鍋、バチマグロ刺身半額、ドンタコス、ハッピーターン《家-嫁》_01 160411(月)-03【2200頃】餃子オリーブオイル鍋、バチマグロ刺身半額、ドンタコス、ハッピーターン《家-嫁》_03 160411(月)-03【2200頃】餃子オリーブオイル鍋、バチマグロ刺身半額、ドンタコス、ハッピーターン《家-嫁》_06 160411(月)-03【2200頃】餃子オリーブオイル鍋、バチマグロ刺身半額、ドンタコス、ハッピーターン《家-嫁》_10

【朝メシ】
無し(家-嫁)
 
【昼メシ】
自作オニギリ(秋葉原-一人)
 
【夜メシ】
餃子オリーブオイル鍋、バチマグロ刺身半額(ヤマサさしみしょうゆ ココスナカムラ)、ドンタコス、ハッピーターン、サントリー焼酎六ちゃん(100円ローソン)(家-嫁)

【二十四節気 定気法】
第5「清明(せいめい)」:4/4~4/19 →第6「穀雨(こくう)」4/20~
 
【イベント】
仕事、葉桜
  
  
【所感】
■葉桜
先月末頃から開花し始めた桜。先週、花吹雪く満開景色は人々の目に焼付き、皆の心を潤してくれた。しかしその鮮やかで美しかった桜の花弁は既に散り際を過ぎ、来年の春までその姿を見ることはない。毎度のことながら短い命。まさしく一瞬の煌きだ。ともかく今年の春爛漫、桜花乱舞はこれをもって終了した。

しかし悲しむ事はない。これからは桜一つに留まらない、多種多彩の草花が咲き誇る季節、百花繚乱ステージが待っている。週末に公園で見た鮮やかなチューリップもそのステージ開始を彩る花々の一つ。明るく煌びやかで艶やかな大自然の競演が文字通り華々しくデビューする。楽しみはこれからだ。

桜も完全に役目を終えたわけではない。花弁を散らしたその枝には、交代するように薄黄緑の若葉が芽生え、派手だった桜の木を少し落ち着いた大人の雰囲気に仕立て上げる。いわゆる葉桜の期間。淡く華やかなピンク色も良いが、少し黄色と緑が掛かった色合いもまた風流だ。

その葉桜も、夏にかけていずれは深緑へと変色し、目が覚めるようなクッキリとした真緑と、引き込まれるような深さを感じることが出来るだろう。桜の木は花見だけではない。まだまだこれからも楽しめる。

ここ最近日課となっている職場付近の公園散歩中、その葉桜をまさしく今日楽しんだ。先週まではピンクの花弁が茂っていたのに、土日をまたいだらいつの間にか葉桜。全く別の場所としか思えないほどの変貌ぶりだが、葉桜は葉桜で味があっていいね。心がほけーっとリラックスする。

暖かくなり、ようやく外を出歩けるようになった季節。これからはもう少し遠出して、公園や道路に植えられた街路樹などに目を向けてみたい。それは、少しずつだけど確実に変移する季節の節目を細やかに捉える行為。すなわち四季を感じることだから。
 
 
■店の棚変化
微妙に変化していく桜の木。その変化は街中の景色や色合いにも少なからず関わるものだ。空気が少し暖色系だなとか、空気が軽やかになったなとか、逆に重々しいなとか、街を歩く人々は、そんなちょっとした発見をするだろう。

街を構成する店もまた、季節によってその品揃えを変えていく。アパレルショップではコートが店頭から姿を消し、代わりに袖の短い服が積まれていく。食品コーナーなどでも、ほんの1~2ヶ月前までは煮込みラーメンや鍋の素を山のように陳列していたのに、今やその山積みコーナーは清涼飲料水や果物などで席巻されている。

西新井のイオンなんてもうソーメンを大々的に売り出している。ジャングルジムのように派手に積み上げている。夏どころか春に入ったばかりだというのに、流石にソーメンは早すぎる気が…。イオンはせっかちだな。競合店に先駆けて消費者をさっさと囲い込みたい気持ちは分かるが、もう少し余裕を持って季節の移り変わりを演出してはどうか。先走りは焦りの現れというではないか。そのイオンでは、もう5月人形が売ってるんだぜ?

それは、普通である。
 
 
■グレープフルーツジュース
そんな季節要因とは関係ない部分でも、店の棚割構成や商品群は少しずつ変化する。人は生き物、季節も生き物、そして店も生き物なのだ。

たとえば地元の100円ローソン。僕は5日に1回くらいのペースで、同店が扱う750mℓの紙パックグレープフルーツジュースを購入している。嫁が好物なので。というか果汁ジュースはグレープフルーツジュースしか飲まないという圧倒的偏りなので。オレンジでもアップルでもグレープでもピーチでも、何でもいける雑種の僕からすれば低い互換性と言えるが、陸奥九十九もグレープフルーツジュースを好んで飲むし、決して嫌いじゃない。テディビンセントによれば、グレープフルーツジュースは筋肉にいいヨ、柔らかくする、とのことだ。

それはそれとして、グレープフルーツジュース一点集中のため当然消費は異常に早い。西新井温泉帰りなどに1ℓパックを買っていっても2日で無くなるペースだ。さらにグレープフルーツジュースに焼酎を混ぜて飲むのがスタンダードなため、焼酎の減りも早い。

グレープフルーツジュースのストックが切れれば当然暴動が起きる。嫁はアル中のように痙攣する。グレープフルーツがなくて痺れを切らしているのか、酒がなくなってプルプル震えているのか、メシの後にスナック菓子をボリボリ食って太っていく節操のない僕に怒っているのか判断できないところだが、とりあえず原因の一端と思われるグレープフルーツジュースの補充には日々細心の注意を払っている。

だが、購入頻度が高いから、本格的なグレープフルーツジュースを毎回買っていては家計が持たない。かといって無果汁もダメ。100%ジュースでないと飲まないという圧倒的拘りだ。ならば回転率が高く、かつ低コストなグレープフルーツジュースを調達するしかないが、そんなもの本当にあるのか…?

それが地元駅の100円ローソンにあったのだ。従来の1ℓパックよりは小さめの750mℓ。だけど一応100%。そして100円だ。何より地元駅の近くにあるから仕事帰りに寄れるのが何より大きいだろう。何故か知らないが、コンビニやドンキなどのショップでは何故かグレープフルーツジュースだけが売っていないのだ。

近くのセブンイレブンも数年前まで扱っていたくせに、いつの間にか取扱いをやめた。不人気ということは多分ない。意図的なものだ。恐らく、オレンジジュースやアップルジュースよりも製造コストが高く付くのだ。割に合わないから扱わなくなったというのが正解だろう。

無論、専門スーパーでは販売しているが、当然ながら高い。グレープフルーツジュースだけが他の種類よりも高額なのだ。原価を反映してますと言わんばかり。なぜそんな高コストなグレープフルーツジュースをよりにもよって好きになってしまったのか。それは、甘すぎず、酸っぱすぎず、健康にも良さそうだから。レモンでは決して代わりになれない事情がそこにある。

その点、100円ローソンの750mℓパックは秀逸だ。1ℓ200円のものを買うより遙かにお得で効率的だ。恐らく地域内で一番コスパの高いグレープフルーツジュースだ。

なので僕は、来店する度に100円ローソンのグレープフルーツジュースを最低3パック買っていく。店には6パック分が1列に陳列してあるから、その半分を買い占めるわけだ。店としてはそれだけ狙い打ちされていい迷惑に違いない。

そしてこれは余談だが、面白いことに僕がグレープフルーツジュース3パック以上定期購買を続けて3~4ヵ月後のこと。オレンジやアップル、ミックスジュースがそれぞれ1列ずつ並ぶジュースコーナーの中、グレープフルーツだけが突然2列になっていた。

これは面白い現象。恐らくPOSの販売データを解析し、他に比べてグレープフルーツジュースの販売数が突出していたのだろう。何しろ僕が5日ごとに3本ずつ買っていくのだから、たった1人の客で1ヶ月20本近くのセルアウトだ。こんなに数が売れるのならもっと仕入れないとマズい。とても1列6本じゃ心許ない。仕入担当がそう考えても仕方ないこと。

だがそのデータ分析は、あくまで総数で見た時の事実。実質的には僕1人が突出して買っているだけの話だ。購買本数は多いが、購買人数は実はさほどでもない可能性が高い。

たとえば各種ジュースの1ヶ月の売上げ本数、および購買人数(=購買回数)が以下だとする。

オレンジ:20本 15人
アップル:30本 10人
ミックス:10本 10人
グレフル:50本 5人

売上げ本数だけを見れば、グレフル(グレープフルーツ)がダントツで売れていると思う。

だがそこに人数を加味するとどうなるか。

オレンジは、20本という本数を15人で買っているわけだから、リピーターもいるだろうし一見で買っていったお客もいるのではと何となく予想できる。

アップルは30本を10人で買っている。全員リピーターだと考えれば1人3本×10人であり、定番的人気があるジュースなのではと推測できる。また一見客が多くとも、売上げ本数が優秀なのは変わらないので、安心して陳列できるジュースということになる。

ミックスジュースは10本を10人だから、ほぼ1対1。つまり一見客が買ってみたけどあまり美味くなかったので次来店しても二度と買わないと思われているのではと心配になる。もしかすると一見客10人ではなく、物好きなリピーター5人が2本ずつ買っているかもしれない。だがいずれにせよ販売本数は多くないので在庫はなるべく絞って置くべき商品であることには違いない。

そしてグレープフルーツジュース50本で5人購買。本数は圧倒的だが、5人という少人数が曲者だ。どう考えたって同じ客がまとめ買いしている5人が10本を買って計50本なのか…。もしかすると実際の客は2人しかいないかもしれない。

そうなると、単純計算でも2人×25本=50本となり、明らかに異常な2人がその都度爆買いしていることになる。だとすればグレープフルーツジュースは一部の人間にだけ支持される、一歩歯車が狂えば売上げ半減どころじゃ済まない事態になるではないか。

その異常な2人の内が僕、というわけだ。もし僕が、月50本売れるグレープフルーツジュースの内、40本を買っていたという事実が判明すれば。実体は月10本しか売れない不人気なミックスジュースと同レベルの実力しかなかったという結論になる。

全くもって危うい事実だ。全体の8割を占める僕が、たとえば店員の態度が気に入らない、こんな店で二度と買うかよと来店をやめてしまったら、50本仕入れたグレープフルーツの8割がそのまま不動在庫となる。

見かけ上の売上げだけでは分からない。人が絡むと数字だけでは決して読めない。読みきれるものではない。人間という生き物は気まぐれなのだから。気まぐれな僕が、いつ100円ローソンに寄らなくなるとも限らない。
 
 
■焼酎
気まぐれだから、焼酎の種類も気分で変える。ジュースで割る焼酎として、いつもはパックの「かのか」を買っているが、今日100円ローソンに寄ったところ、サントリーの「六ちゃん」という安い焼酎が売っていたので、つい買った。美味そうだとかパッケージが気に入ったとか、そんな理由ではまるでなく、ウチのぬいぐるみの一人、亀六を連想したからだ。「六ちゃんか、何かほのぼのするな」と、家で腹を空かせて待っている亀六の無垢な顔を思い出し破顔する。

結局、気まぐれなのである。だが、人間なんてそんな気軽で思い付き風な気まぐれ動物。その気まぐれに左右されながら生きていくもの。
 
 
だが、その思い付きが、気まぐれが、ちょっとした変化とそれに準じようとする心の機微が、自分と、自分を取り巻く環境を変えていく。変わらないままでいた方がいいこともある。だが、ちょっとした思い付きが幸せを運んでくることもある。

あの時の気まぐれがあったから今、僕の前には亀二や亀吾がいる…。それは、自分が手に入れた確かな幸せの一つだった。


人気ブログランキングへ

20160219(金) ウイスキー響の品薄状態とサントリーの苦境

160219(金)-00【1520頃】洋酒専門店「リカーズハセガワ」八重洲地下街《八重洲-一人》_01 160219(金)-00【1520頃】洋酒専門店「リカーズハセガワ」八重洲地下街《八重洲-一人》_02 160219(金)-00【1520頃】洋酒専門店「リカーズハセガワ」八重洲地下街《八重洲-一人》_04 160219(金)-01【2315頃】卵焼き(ココスナカムラ)、グリーンカレー鍋《家-嫁》_01 160219(金)-01【2315頃】卵焼き(ココスナカムラ)、グリーンカレー鍋《家-嫁》_06 160219(金)-01【2315頃】卵焼き(ココスナカムラ)、グリーンカレー鍋《家-嫁》_08 160219(金)-01【2315頃】卵焼き(ココスナカムラ)、グリーンカレー鍋《家-嫁》_10 160219(金)-02【2345頃】ギザギザポテト、プッチンプリンハッピーピンク、リッツカスタードサンド《家-嫁》_01

【朝メシ】
無し(家-嫁)
 
【昼メシ】
自作オニギリ(職場付近-一人)
 
【夜メシ】
卵焼き(ココスナカムラ)、グリーンカレー鍋、ギザギザポテト、プッチンプリンハッピーピンク、リッツカスタードサンド(家-嫁)
 
【イベント】
仕事、リカーズハセガワ(ウイスキー探し)
  
  
【所感】
■ウイスキーをプレゼントしたい気持ち
二十歳になる青年との土曜日の会合に向けて、プレゼントに渡すウイスキーを調達するため、北千住のリカーショップを探して回ったのが昨日の夜のこと。何を渡せば一番良いか。自分自身、学生時代に飲んだ酒の中で問答無用に美味しいと直感し、この上なく感銘を受けたサントリーの響が真っ先に頭に浮かんだ。プレゼントには響以外有り得ないと。

ただ同時に、響と一言に言っても俺が感動した響は一体どれだったのか、そこが思い出せないでもいた。俺が知る限りでも、響には12年、17年、21年、そして30年がラインナップされていたはず。さらに最近では、熟成年数が記載されていないノンエイジの響も店頭での露出が高い。リカーショップなどしばらく出向いていないため、最近の事情は良く分からないのが正直なところだが。
 
 
■響との出会いと衝撃
俺が初めて響を飲んだのは、当時学生として過ごしていた京都から実家に帰省した際、親父がもらった中元か歳暮の中で見つけた時のことだ。他のドリンクとセットで箱詰めされていたその琥珀色の太瓶は場違いなほどのオーラに満ち溢れていた。力強い剛性と重量感、軽々しく触れてはならない厳粛さとを兼ね揃え、まさしく惚れ惚れするほどの芸術品。そう、見た瞬間芸術だと思った。一瞬で魅せらていた。

俺は居ても立ってもいられなくなり、すぐさま親父に「このウイスキー飲んでいい?」と恐る恐る懇願。親父は「ああ、オレどっちかっていうとブランデー派だし、別に響とか要らないわ、飲みたきゃ勝手に持っていきな」と、只ならぬ気配を漂わす琥珀色の瓶を、コーラのペットボトルを投げるような気軽さで俺にポイッと手渡した。

『ウイスキーとブランデーの何が違うんだよ、どっちも同じようなモンだろ?』と親父の意味不明発言に心の中でツッコミを入れつつも、圧倒的なポテンシャルで魂を惹き付ける響を棚ボタゲットできた幸運に狂喜していた俺は、全くもって酒も世間も知らぬ若造であったな。茶色い蒸留酒は何でもウイスキーと一括りに呼んでいた頃のこと。

その若造だった俺でも、与えられた響を飲んだ時の感動は今でも忘れない。ストレートでクイッと飲んでみたのだが、ウイスキーやバーボン、ブランデー特有の、不意打ちのように喉を焼くような乱暴性や、口腔にネトリと纏わりつくような異物感が全く無かった。スルッと、水のように喉に入り込んできたのだ。粘度が低いと思った。それでいて香りは上品かつクセがなく、しかし味には深みがあり、まさに芳醇という言葉が相応しい。

だけど決して単調でなく、味にかなりの複雑性も見られる。響がブレンデッドウイスキーと呼ばれる所以を、その意味すら知らぬ当時ですら本能で感じ取っていた。そんな複雑だがスッキリとしたエクセレントな液体の滑らかさが口いっぱいに広がり、フワッとした芳しさが鼻腔にまで届き、程なくしてジワッと顔全体に上品な微粒子が行き渡る感じ。もう言葉が無かった。問答無用で美味いと感じだ。思わず「ヤベッ!!」と感動の溜め息を漏らしたはずだ、当時は。

同時に間違いなく高い酒だと思った。これは相当な時間と労力を使って丁寧に魂を込めて作られた酒なのだと。滅多に世に出てこないプレミアムなウイスキーに違いないと。それほど俺は響を飲んだ瞬間、打ち震えた。文字通りゾクリとした。

そんな感じで親父から漁夫の利的に頂戴した響を手にした後、俺は京都に戻って響を探した。街中のリカーショップを回ろうと思ったが、幸いなことに近所のコンビニにそれは普通に置いてあった。今よりもコンビニの酒ラインナップは多種かつ高級酒も揃えていたので。だがそれでも響は別格だったのか、レジの中にうやうやしく飾られていた。価格は…確か2万円だった。「高ぇッ!」、思わず唸る。

当時、ウイスキー(やバーボンやブランデー)というものは欧米が最高峰だと勝手に思い込んでいた俺は、ジムビームやアーリータイムズを有り難がって愛飲し、うめぇうめぇ流石洋モノは一味違うぜなどと知った風な顔をしつつ、オレはお前等とは目の付け処が違うんだと友人等との差別化を図ろうと必死だった。

その合間にトリスやレッドウイスキーなど安酒を近くのコンビニで買い込み、オレはウイスキーが好きだから、ウイスキーならいくらでも量が飲める男だからというレッテルを構築しようと必死で量をこなすことで密かに肝臓を鍛え、TVのCMでVSOPなどを見掛けた時には、これが多分業界最高の酒なんだろうなと思い切りCMに踊らされていたという状況。

その蒸留酒群雄割拠の時代、サントリーが何をやっていたか、どれだけ地道にコツコツとそのブランドを確立していたかなど気にも留めはせず、サントリーがどれほどの実力者だったのか全く知らなかった時代の、まさしく欧米至上主義に毒された青二才の考えと言えよう。

そんな中、出会った響。その味わいは圧倒的かつ衝撃的で、瞬間俺の中でウイスキーの最高峰は響にすり替わっていた。それもそれで随分単純な思考だが、そこから20年経った今現在も、俺にとって響以上の酒は現れていない。
 
 
■蒸留年数とブームの年数
問題は、その当時のセンセーショナルすぎる響が何年物だったかということなのだが、さすがに当時の瓶のラベルまで覚えていない。ただ、当時はウイスキーなどの洋酒は今より遙かに普及率が低かった一部の者の嗜好品で、だから必然的に単価も上がっていたはず。その事実と、当時に比べウイスキーが安く手に入る現在の状況を考慮すれば、俺が飲んだ響は12年くらいだったのではなかろうかと予想する。

俺の時代は、どちらかというとウイスキー暗黒時代だったと思われる。ウイスキーを飲む人間は周りにそれほど居なかった。ウイスキーが流行っていたのはその十数年くらい前、すなわち1970~1980年代の高度成長時代後期だったのではと思われる。スナックやバーやパブなどを中心とした第一次ハイボールブームの時代だ。

俺の時は、そのブームが廃れてウイスキーがそれほど好まれなかった時期。そこからさらに時が経った2010年くらいから、小雪などCMによるハイボールのヒットをバネにウイスキー熱が再び高まって現在に至る。そんな流れだと思われる。

だから現在のハイボールブームも、新たなヒットというよりも、冷静に見ればかつて流行ったハイボールブームの焼き直しという位置付けになるだろう。この潮流をさらに冷静に眺めるならば、ブームやトレンドというものは20~30年サイクルで入れ替わるという法則が見事に具現化されている。さらに加えるなら、20~30年前に廃れたブームがその20~30年後にまた脚光を浴びるというサイクルもまた法則通りだ。

これを過去の使い回しというか、忘れた頃に仕掛ける黄金の戦略と取るか。その忘れた頃という20~30年というサイクルが、ちょうど子供達が大人になるサイクルであり、大人達は社会から引退する時期であり、すなわち世代交代という人間社会のサイクルであることは察しが付くだろう。20~30年前にまだ生まれていない人間にとっては文字通り新鮮なブームだし、20~30年前にそれを楽しんだ人間も「ああ~懐かしいなあ」程度の認識か、昔のことすぎてもう忘れているだろうから使い回しに対する非難や衝突も少ない。その売り手側の仕掛けと受け手側の捉え方をどう評価するか、それこそ本人次第だった。
 
 
■大型店舗と個別店舗のメリットデメリット
とりあえず、響12年に当たりを付けて北千住のリカーショップを回ったものの、姿形も見えない。マルイ1Fの酒店、ルミネの成城石井、あと無駄足だと思いつつイトーヨーカードー系Priceの酒コーナーも確認したが、気配すらなかった。

そういえば、駅西口を出た商店街通り沿いを少し歩いた場所に酒専門の個人商店がかつてはあったはずだが、昨日その近辺を探ったところ、店自体が見つからなかった。確かこの辺りに、と注視したにも関わらず携帯ショップや服飾店しか見つからない。もしかして閉店してしまったのだろうか。大分昔、誰かの祝いに久保田碧寿をここで買って、店主のおっちゃんも嬉しげに語っていたのに。

これも時代の波か。マルイやルミネの大型ショッピングセンターの圧倒的購買力と品揃えで、今や個人商店のアドバンテージは殆ど、いや全く無くなった。しかしブランドや種類に捉われない長年酒を扱ってきた店主の目利きによる独自のラインナップと、一デパートの店員では培えないマニアックな薀蓄とが形成する独自の世界は、まさしく個人専門店の愛すべき特色だったとも思う。その点で存在価値は十分残っているはず。

そんな機微すら求めない客が増えたのだろうか。そうなのだろう。ただ欲しいものが飲めればいいと。有名銘柄が、高級酒が置いてあれば後はそれを淡々と買うだけだと。

酒が一部の嗜好品でなくなり、コモディティ化したがゆえの購買層の増加。それは浅く広くというユーザーのライト化現象と表裏一体だ。業界の売上げ的にはプラスなのだろうが、その裏で大切な何かが失われる。

それならこっちがいいね、スッキリさを求めるならこっちだね、とドヤ顔で話す酒博士の薀蓄を聞きながら、酒を選んでいるというワクワク感、その過程にこそ本来の商売の姿があるはずなのだと。それがいわば男のロマンに、女のロマンに、ひいては買い物の楽しさに繋がるのだと。

時間と無駄を掛けたくない消費者の効率性重視志向が、その消費者をいかにクオリティ高く、かつ大量に捌くかという売り手の合理化思考が、買い物の本来の楽しさを忘れさせていく。その裏に潜む拝金主義という名のリアリズムが、愛すべきロマンチシズムを駆逐する。

大型店の進出により物や人の流れはよりスピーディかつ効率的に変化し、結果人々の生活は向上していく。購入までの流れはスムーズかつシステマチック。品数は豊富で色彩豊かで価格も適正。質の良い教育により接客技術も向上し、スタッフのクオリティの平均値が押し上がる。比例するように顧客満足度も高まっていく。一極集中がもたらす商品群の豊富化と回転率の高さと低価格化。その効能は計り知れない。

だが反面、多数の個別店舗が乱立する分散化型の市場の良さを潰すことにも繋がる。幅広い選択肢が存在し、生じるケースや顧客毎の事情によって様変わりする潜在的な正解を探し当てる楽しさが減っていく。品質や効率の追求という市場経済での至上命題が社会の求めるところだとしても、悲しむべき点だ。

それはシャッター街と化した各所の商店街と、それを駆逐した大型デパートやチェーン店との対比に似てもいる。

欲しいものを、時間を掛けず、やり取りをなるべく簡素に、なるべく安く、業務のようにこなしていく。人と人とのやり取りが少しずつ抜け落ちていく。受け手が喜ぶようなラッピングや配送手段まで、多種多様のバリエーションが用意され消費者に提案される。これはつまり、殆どの過程が代行業によって成り立つということ。多くの分業が一箇所で可能になったことにより、結果的に一箇所で市場を寡占している状態だ。

ある意味、視野が狭くなりかねない体制で、自らの思考能力を低下させる原因の一つ。贈り手は深く考える必要もなく、各行程の専門家に丸投げしていけば良い。前振り、物品の内容や選定、演出、返礼に至るまで、事細かく、かつ隙なく礼に則って専門家達が代行してくれるのだから。自ら考え選んでいるようで、実は最初から用意されたフォーマットから選ばされている。

母の日の花、端午や桃節句の贈り物や写真、クリスマスや誕生日のプレゼント、バレンタインのチョコ等、ありとあらゆるギフトがその流れ作業の上にある。今現在、ギフトは個々のオリジナリティ重視よりも、いかに規格から外れないか、専門家によって練りに練られた成功の法則の下、成功し感謝される確率をいかに高確率に持っていくかが重要。つまり失敗しないために、決まった成功枠の中から抽出するというリスク排除を優先した結果、『考える』ではなく『選ぶ』癖が付いてしまっているのだ。

そこには根本的な意味での温もりが足りない。プレゼントというものは、何よりも心が込もっていることが重要。贈り手が受け手のことを考え、何を送るか悩み、より良いものを贈ろうと労力を割いて自ら調べ、考えに考えた結果、導き出す。その過程が「心がこもっている」ということ。目に見えない想いの波動のようなものだ。

万人に受け入れられる正解例をプロから提示され、その中からピックアップしてベルトコンベアー的に済ませるのとはワケが違う。それは『創り出して』いるのではない、『選んで』いるのでもない、ただ決められた期限内に裁量の結果を出すという業務を『こなして』いるだけだ。

高価だから最良ではない。相手にとってこの上なく有用性がある品だから最高でもない。その辺は実のところ最重要ポイントではないのだ。それがたとえ、相手が一番喜ぶモノであったとしても、相手が最高のプレゼントだと礼を言ってきたとしても、それよりも見逃してはいけない点がある。自分の出来る限りの真心をそこに込めたかどうか、ということ。ただのビー玉でも、真心が込められていれば、自分がありったけの真心を込めたと信じられたなら、贈り手としてそれ以上の満足感はない。そして真心が込められていれば相手には伝わるはずである。

俺は、あまりにシステム化した世の中は逆に殺伐化を招くと考えている者である。
 
 
■響は17年が一番古かった
そんな北千住唯一と言ってよかった個人専門店が、マルイ、ルミネ、ヨーカドーという三大勢力に飲み込まれる形で現在残ったリカーショップと呼べる場所。12年物は一つもなかった。無論、17年や21年などは望むべくもなく。

あるのは熟成年数表記なしのノンエイジのみ。もうそれはいいっちゅーの、と言いたくなるほどノンエイジ響だけが豊富に棚を占拠していた。山崎12年とか白州18年などはラインナップされているのに、なぜ響だけがここまで貧相なのか。今では山崎の方が世間的に圧倒的メジャーだというのは理解しているが、そういうことじゃないんだよ。洋酒ってジャンルはそうじゃないんだよ。

この機転の利かない部分が大手百貨店や小売店の販売力の限界であり、仕入れの限界でもある。本当にコアな客の需要は満たせない。コアな客の嗜好はコアな売り手にしか読み取れない。

だからこそ仕入元も、コアな売り手にしかビンテージ物や本当に価値ある品は大手量販には卸さない。そんな閉鎖的だが一種の玄人協定を結び、断固としてそれを堅守するという一面が流通業界にはまだ残っているのも確か。それはボリュームの最大化と顧客の多層化を至上とする物品販売にて、それでも最後まで守るべきプライド、いや聖域と呼べる感性だった。

つまり、最低限の物は揃えるが、コアな需要は満たせない。いや敢えてコアな需要を排除して全体的かつ平均的なクオリティを最大化させるとした方が適切だろう。響のビンテージ物はここでは手に入らない。どだい無理な話だったのだ。
 
 
■ノンエイジの蔓延
そうは言っても、数年前はこの手の大手販売店でも扱っていた記憶があるのだ。いや、確かに少し前までは響に限らずウイスキーの年数表示物がもっと店に並んでいた。それがここ最近になって急激に姿を消していったように思える。代わりにノンエイジ物が幅を利かせる。響に限らず、山崎や白州も同じだ。2015年半ば頃からサントリーにはこの傾向が見られる。何故か。

その理由は大きく二つある。需要が増大し生産量が追いつかなくなったこと。そして値上げだ。この二つの要因によって、ノンエイジウイスキーが大量生産されることになった。いや、足りない分を埋め合わせるためノンエイジを出さざるを得なかったという順番の方が正しい。調べれば調べるほど、その一連の流れは十二分に納得できるものだというのが個人的な感想だ。
 
 
■値上げの背景
まず、2015年4月からサントリーはウイスキーを軒並み2割値上げした。響、山崎、白州など同社を代表する国産ウイスキーと、同社が輸入している外来洋酒ボウモアやマッカラン等のスコッチウイスキーも値上げの対象だとされる。

俺的にはこの記事がなかなか分かり易い。
http://economic.jp/?p=44421

この値上げの第一の根拠としては円安がある。2013年4月の日銀・黒田総裁が放った異次元緩和バズーカを始めとするアベノミクス政策によって、当時円高株安基調だったトレンドは一気に円安株高へと反転。当時1ドル=100円にも見たなかったドル円相場は最高125円付近まで推移し、2015年末までそのトレンドは続いていた。

円安なので輸入価格は当然上がる。ウイスキー業界であれば、熟成に使うオーク樽、原材料である麦芽やトウモロコシなどの輸入価格が高騰するというのは市場原理としていたって自明の理だ。その高騰分を製品販売価格に転嫁するという理論は企業の論理からすれば十分成り立つだろう。

また、国産でないマッカランなどは紛れもなく直接輸入コストが上がるわけだから、マッカランを上げて響や山崎を上げないとなると、ブランドごとの価格バランスが崩れてしまう。だからマッカランを上げるなら響や山崎も同じくらい値上げして銘柄同士の全体的なバランスを取る必要があった。そんな考えも多少は便乗値上げのきらいはあるが、ブランドを重要視する業界であれば決して非難できない戦略だろう。

だったらマッカランを据え置きにすればいいじゃん、という理屈はあまり賢くない。それではマッカランの輸入増加分だけ、そして響や山崎の価格を据え置きした分だけ利益を圧迫するという損失の連鎖。全部据え置きよりは全部上げた方がいいに決まってる。

それでも、コスト高だけを理由にするのはあまりに苦しい。2015年4月の値上げ対象になったのは、先述した通り輸入酒と、国産では響、山崎、白州というプレミアムなランクのウイスキーのみ。大衆向けエントリーモデルの角瓶などは値上げせず据え置きしたのだ。

値上げするなら、むしろこういった低価格ウイスキーが先じゃないのか。数が売れて、かつ元々の単価が低い製品の価格を顧客が不満に思わない程度に微増させた方が、トータルとしての利益額を稼ぐのが一番収益を確保する方法。かつ消費者との間に軋轢を生まない方法だと思われる。

角瓶であれば700mlの売価が税別1414円だそうだから、2割UPだとしても1696円。200円程度の値上げならそこまで変わらないだろう。200円はやりすぎだと思うなら100円でもいい。むしろ売価をキリよく1500円としておけば十分に誤魔化しうる。全体的に何の支障もない。その分、数が圧倒的に売れるのだから、サントリーが管轄するウイスキーという括りで考えればコスト高を十分カバーできるだろう。

そう考えれば、響や白州などの本当の意味で酒を嗜好品としている愛好者達御用達のウイスキーだけを狙い打ちするがごとく値上げする方が、「どうせお前等高くても買うんだろ?」と見透かされているようで、よっぽどカンジ悪い。「お前等どうせ吸うんだろ?」と喫煙者の足元を見て無限連鎖的に値が上がるタバコのような逃げ場の無さだ。

ウイスキーは完全なる嗜好品なのだ。大衆など二の次。不人気時代もずっとウイスキーを愛し続け、ウイスキーを見捨てないでいてくれた愛好者達にこそ還元すべきなのであり、その象徴たる響を値上げするなんてとんでもない。恩知らずとはこのことだ。

しかし、現実的にはそうも言っていられない。むしろ価格を上げなければ、愛好者の手に渡る前に、ビンテージの価値も分からぬ十把一絡げなにわかファン達が買占めてしまいかねない。ただ話題欲しさに、自分で熟考することなく「イイ酒だと聞いたから」というまさに含蓄もなにもないミーハー根性だけで、金に飽かして価値のあるビンテージ物を攫ってしまう。それを防ぐために、値上げは一つの対策手段であることは否めないのだ。

正直、格安の角瓶などどうでもいいのだ、ユーザーにとって。それはサントリーにとっても同じことで、角瓶の動向でサントリーの地位は揺るぎもしないし貶められもしない。彼等の評価を左右するのは、まさにプレミアムクラス。国産の響、山崎、白州なのである。これをどう扱うかによってサントリーの世間的評価は大きく変わってしまう。サントリーウイスキーを支えてきたのは、誰が何と言おうとこれら上位モデルのビンテージ物。それは昔も今も何ら変わらないことを消費者は認識すべきだ。

それを踏まえて、サントリー国産ウイスキー三巨頭である響、山崎、白州の動向およびそれに伴う影響力を分析してみる。この場合、三巨頭の代表として響のみを例に取ってみるが…。

先に述べた円安やコスト高を理由に響を値上げしたことは、対外的な理由としては正当だ。しかし心情的にわだかまりが残る。その理由だけでは愛好家に気を遣っているように見えないからだ。本来、ビンテージウイスキーレベルのカテゴリになれば、それを愛用するマニアだけで十分回るのだ。初級者や大衆的な消費者は必要ない。人気のハイボールも、それこそ大量生産する角瓶を作ればいい。本来ビンテージ物はストレートかロックで飲むもの。

そんなマニア達に気を遣った理由とは何か。消費に生産が追い付かないため、一般的市場との切り離しを図るために止むを得ず値上げした。と、こう言えばいい。むしろその方がマニアは納得するだろう。つまり、ウイスキーの『ウ』の字も分からぬ知ったかぶり達が、訳知り顔で貴重な響を買っていってしまう。これは響およびそれを愛するマニアの皆様の品格を貶める行為であり、そんな道理を知らない連中に、今まで苦労して構築してきた上質な空間をこれ以上壊されないためにも、防衛措置として値上げします。と、こう説明すればいいのだ。自称マニア達は自尊心をくすぐられ満足至極。値上げも已む無しとドヤ顔をするだろう。そして優越感に浸る。俺等は高いビンテージを買って選ばれし空間で酒を楽しむのみ。お前等は安酒でも飲んでウイスキーを知った気になってろ。と。
 
 
■本当に生産が追い付ていなかった
つまり、そうしなければ防げないほどにウイスキーが一般的に浸透してしまったということ。その起爆剤として有名なのが、2014年9月から2015年3月にかけて放送されたNHK朝の連続テレビ小説「マッサン」。ニッカウヰスキーの創始者・竹鶴政孝とその妻リタを、玉山鉄二およびシャーロット・ケイト・フォックスが好演し、ウイスキーブームに一気に火が点いたのは記憶に新しい。

同ドラマ放送中、今まで死に体だと思われていたニッカブランドの竹鶴や余市が全国の店頭や居酒屋に並びまくった光景を覚えている人間も多数居るだろう。この時期にウイスキーブームが爆発的に広まったのは紛れもない事実なのである。

ただ、ウイスキーの、特にビンテージ物は、それこそ数十年という熟成期間を経て初めて世に出される代物。欲しいからと言って簡単に出てくるものじゃない。規定の熟成期間を終えるまで気長に待つ以外にないのだ。

全体的な需要は急激に膨れ上がった。中には、ウイスキーの中でもより価値のあるビンテージ物を試したいと思う消費者も出てくる。本来見込んでいたビンテージ物の需要を遙かに超過してしまったのは容易に予想できるだろう。それによって、ドラマ「マッサン」の本丸であるニッカは当然のごとく需要過多、供給不足に追い込まれる。

「マッサン」のもう一方の主役といえるサントリーも当然、その波に飲まれるのは火を見るより明らか。元々クオリティが高いサントリーウイスキーだけに、愛飲者も激増したことだろう。だがサントリーのような大企業をもってしても、その過大すぎる需要に対応し切れなかった。だから過剰なブームにブレーキを掛けるために、とりわけ貴重なビンテージ物を守るために値上げという手に踏み切った。

これが、真相に近いサントリーの本音だと俺は確信している。サントリーのウイスキー蒸留所は、大阪の山崎蒸留所と山梨の白州蒸留所しか基本的に存在しないのだ。熟成させる量にも限界があるだろう。

最近、愛知の知多にも蒸留所が存在すると知ったが、それを知ったのも2015年9月頃のことで、「知多」という銘柄でサントリーから11年ぶりにウイスキーが新発売されたという話題性をもってようやく知多蒸留所の名前が知れ渡った。俺はその時まで知多の存在など一ミリグラムも知らなかった。他の人間の殆どがそうだっただろう。
 
 
■知多の真相
それはそうだろう。「知多」は、いわば苦肉の策で出したウイスキーであることが明白だからだ。何しろ「知多」もまたノンエイジ。2015年9月、社のブランドを賭け満を持して発売された体裁の、いわばリーサルウェポン的な新発売ウイスキーが、いきなりノンエイジなのである。

元々、「知多」の銘柄でウイスキーを発売させるつもりはなかったのかもしれない。知多蒸留所は予想外に40年近くも稼動しているらしいから、本気であればそれこそ「知多21年」とかビンテージっぽいウイスキーを出せたはずなのだ。しかしそれをしなかった。いや元々知多蒸留所の役割はそうじゃなかった。しかし山崎蒸留所と白州蒸留所だけではもう追い付かなくなったから、全く想定外だった知多をまるで虎の子であるかのように扱い、大衆を煽るしかなかったのだ。

もう、生産が追いつかないのだ、全く。長年愛情を込めて寝かせてきたビンテージの原酒が枯れそうなのだ。そうなったらもう誤魔化すしかないだろう。ビンテージに遙かに及ばないとしても、ノンエイジこそ新たなスタイルだと主張し、強引にでも潮流を作るしかないだろう。存続するためには売るしかないのだから。売るためには何かを作らねばならないのだから。

さらにもう一つ、ドラマ「マッサン」の他でウイスキー人気を炊き付けた要因、いや正確に言えば供給不足のトリガーとなった要因がある。すなわち国産ウイスキーに対する外国人客の増加、とりわけ中国人の爆買いによる買い占めだ。これは間違いなく外せない。

一世代前と違い、今現在日本の国産ウイスキーの世界的評価はうなぎ上りだ。サントリーも当然今では世界に知れたる実力派メーカー。同社が輸入しているマッカランやラフロイグは品薄じゃないのだ。今でも普通に買えるのだ。つまり、日本の国産ウイスキーが狙い打ちされているのは明らか。それは地道な企業努力が実ったとして評価に値する事実だが、そんな外国人客からのオファーが増えたため、供給不足に拍車を掛けたという一面は当然にある。

そして中国人の爆買い客。これは俺自身が裏を取ったわけじゃないので自信の程は半々だが、昨年秋に職場の同僚が同席した飲み会でのこと。ちょうど「知多」が発売して少し経った時期だ。俺は店のカウンターにおもむろに置いてあった「知多」という瓶を見て「こんなものが出てるのか」と驚いたが、その同僚は「知多」が発売したてのウイスキーであることを知っていた。

かつ、何度か既に飲んでいた。味は「そこそこ」だと評していた。その同僚は山崎や響のビンテージを定常的に飲んでいたので、その舌からすれば「知多」はそこそこにしかならなかったのだろう。だがその評価こそが全てを物語っている。そして俺も、その評価に全く賛同である。

その時同僚はもう一つ、「知多」が発売された背景を実しやかに語った。それが爆買い客の存在である。

2015年当時、中国人の爆買いはまさに熾烈を極めていたのは誰もが知るところだが、その矛先は酒造メーカーにも及んでいた模様。サントリーで言うなら、山崎蒸留所に中国人客が大挙して押しかけ、既に評価の高まっていた山崎や響などビンテージウイスキーを根こそぎ買い尽くしていった、というのである。

その煽りを受けて通常の日本の店には山崎や響が流通しなくなり、変わりにノンエイジで間に合わせるしかないというハメになったと。そして、あまりに品薄となりすぎた山崎の埋め合わせをするため、急遽ピンチヒッター的に「知多」が発売されたのだと。同僚は訳知り顔で話していた。

その買占めに関しては、記事が結構ある。2chのスレにも同様のことが記述されていたので一応載せておくが。

http://fox.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1439050816/

俺は、同僚の話を聞いてたその瞬間、まさに得心した気分だった。なるほど、そういう流れなのかと。これで全てが繋がったと。
2015年4月、サントリーは国産の上位銘柄だけを値上げした。その背景はドラマ「マッサン」を筆頭としたPR効果によるもの。国内需要が爆発的に伸びた。加えて外国での評価も高まり、とにかく金に物を言わせる中国爆買い客も加わり、プレミアムな価値を有するサントリー国産ウイスキーは一気に市場から消え失せる。もう値上げをして食い止める他ないと判断した。

そしてこの2015年4月の値上げに、響12年は入っていなかった。なぜなら廃番となったからである。響12年は市場になかなか無いのではなく、すでに生産完了していたのだ。全くその事実を知らなかった俺は、なぜ12年が見つからないのか得心する。1年近く前に終わっていたのだと。

その12年に代わってエントリーモデルとなったのがノンエイジ響である。今現在の響ラインナップは、ノンエイジ、17年、21年、30年なのだ。12年の完了と共に他のビンテージ物は値上げし、新しく入れたノンエイジになるべく人々を注目させようとしたサントリーの苦労が手に取るように分かる。

が、2割程度の値上げで怯むような相手じゃない。本来から居た固有のファン、つまり無理をせず、慎ましく高級酒を楽しんでいた日本人消費者は値上げによって多少自重するかもしれないが、他の客のことなど考えぬ金のある一般客と、持ち金に際限が無く転売すら視野に入れている中国人爆買い客は全く退かない。

退くわけがない。供給が追い付かなくなればなるほど販売価格は釣り上がり、それこそが買う側としては思う壺。スマップのコンサートチケットと同じ理屈だ。飲みたいから買うのではなく、高いから、転売で高く売れるから買うという最悪のサイクルに突入する。とにかく湯水のように金を使える人間だけがそれを入手出来る状態に既になっていた。

ここまで来てしまえば、もう勢いは止まらない。元に戻せない。Web通販などを見ても、2014年4月の値上げで10000円から12000円にあったとされる響17年が、既に14000円である。とっくに完売したはずの12年もそのWeb通販上にはちらほらと残っているおうだが、10000円とか12000円とか、今現在生産し続けている17年に迫る価格まで値段が釣り上がっているのである。これこそヤフオク方式だ。いくら完了した製品だからと言って、12年は17年にどう足掻いても及ばない。なのに値段は同じくらいまで高騰しているという。これこそ愛のない値付け。真に飲みたい人間なら売りに出すはずもなく、酒を愛している人間ならこんなつまらないことはしない。

だから今の状態は既に異常なのである。12年をWebで見つけた時は「おっ」と少し喜んだが、そんな便乗値上げでボッタクろうとする奴等の手に乗るつもりは毛頭ない。12年を買うという選択肢はこの時点でなくなっていた。

そして値上げした2015年4月から、それでもまるで生産が追い付かないという絶望的事態を修復するために、出されたのがノンエイジウイスキーなのだ。完全に辻褄が合う。

そして「知多」もまた、そんな苦境の最中に現れたノンエイジウイスキー。2015年9月に発売されたとなれば、まさしく時間軸的にあまりにも筋が通り過ぎている。多分に場繋ぎ的ではあるが、増加する消費者にサントリーブランドのウイスキーを届けたいというサントリーの崇高な義務感によって輩出された最後の手段とも言うべき銘柄だろう。ある意味、ノンエイジへの転換を決定付けるリーサルウェポンだったのかもしれない。

響にも言えることだが、この2015年9月の「知多」発売、いや4月の値上げの時点で、いや響12年を完了とした時点で、サントリーウイスキーはノンエイジを主流とする戦略に完全に固定していたのだろう。
 
 
■ノンエイジの実体
その指摘に対してサントリーはこう答えている。「ノンエイジでも美味いものは美味い」と。「ビンテージ物に何ら劣ることのないクオリティだと自負している」と。「ビンテージだろうとノンエイジだろうと、美味いものは美味いと言える舌のしっかりした消費者が増えてきたこと」で、それは「ウイスキーの文化が遂に大衆レベルまで根付いた」証拠だと喜んで見せるが。

そんなわけはない。全て嘘っぱちであり建前なのだ。ハッキリさせておくが、例えば響17年と12年だと明らかに味が違う。17年の方が美味い。これはほぼ間違いない。そしてノンエイジはさらに明確に異なる。いや、明確に味が落ちる。これは間違いないというより確信に近い自信がある。明らかに味が違うのだ。

当たり前のこと。だからビンテージなのだ。そのために絶妙なブレンドを施し手間を掛け、時間を掛け、12年も17年も21年も熟成させ続けるのだ。その苦労の結晶ビンテージとノンエイジが同列だとすれば、ビンテージに掛けた苦労とは何なのか。今一度明言する。ノンエイジはあくまでノンエイジレベルだと。不味いとは言わない。ビンテージが際立って美味い、それだけの話だ。

そもそも値段を見れば一目瞭然。サントリー国産ウイスキーを値上げした2015年4月の価格帯を見れば、響17年で10000円から12000円に値上げしたとのこと。しかも昨年値上げしたのに、今現在市場価格を見てみると、さらに上がっているのだ。17年で14000円くらいするのだ。つまり一時的値上げに留まらず、そこからもずっと上昇トレンドが続いているのだ。それだけ希少性が高い、つまり求めている人間が存在するということになる。

12年にしても、17年には及ばないだろうから、17年が2015年4月時の値上げ前で10000円だったとするなら、12年は多分6000円~8000円くらいだったと思われる。

それに対し、響ノンエイジは今現在で約4000円。ビンテージの半分以下なのである。この明らかすぎる価格差が既に、ノンエイジは量産品でありビンテージには全く及ばないことを物語っているのだ。値付けしたサントリー自身がそう言っているのだ。こんな落差のあり過ぎる値付けを見せられながら、サントリーの最高級ブランドたる響を十二分に楽しめますとメーカーに説明されたところで全く説得力がない。

それでも、ノンエイジ主体の販売方法からもう脱せないのだ、サントリーは。想定以上の、計算違いの事態が発生し、値上げなどの策を講じるも間に合わず、プレミアムなウイスキーはより一層プレミアムと化した。「知多」が発売されたことがサントリーの苦境を示す象徴だと今になれば分かる。もうサントリーはノンエイジを出すしか道がなかったのである。
 
 
■結局、俺の飲んだ響は何年モノだったのか
だが、主流がそうであるとしても、二十歳になる若者にノンエイジを与えるのはイマイチ味気なさを感じるのも確か。12年はもう消えた。とすればあとは17年か。17年をこの際、明日会う彼に与えてみようか。俺が学生時代に感動したのも、12年ではなく17年だったかもしれないし。

実際そうだった。昨年完了となった12年は、どうやら販売期間はたった6年間しかなかった模様。つまり2009年に発売した超若手だったのだ、12年は。つまり俺の学生時代はまだ12年は存在しなかった。無論、ノンエイジも同様だ。

対して17年は、1989年に発売した古株だという。というか、響という銘柄で初めて発売されたのが17年のようだ。仮に21年や30年が同時期に発売されていたとしても、そんな京都の片隅のコンビニにほいほい置いてあるはずがない。

とすれば、消去法的に俺が学生時代に飲んだ響は17年しかありえないということになる。そうか、そうだったのか。俺が飲んで涙が出るほど感動したのは17年だったのか。それなら納得できる。道理で有り得ないほど美味いと思ったわけだ。12年じゃああそこまで感激しなかった。

響ラインナップ(公式)
http://www.suntory.co.jp/whisky/hibiki/portfolio/21years/
 
 
■リカーズハセガワ
そんな様々な事情から、とりあえず17年を探してみようと考えた。北千住ならいざ知らず、職場近くの八重洲や丸の内ならさすがに売っているかもしれないと。

そして今日、八重洲地下街にある「リカーズハセガワ」という酒専門店を見つけ出し、初めてそこに向かった俺である。まさしく専門店に相応しく、ウイスキーからスコッチからブランデーからワインまで、何千本置いてるの?というくらい、狭い店内に所狭しと洋酒が陳列してある。ノンエイジだけでなく、ビンテージ物も多数だ。

しかもここは、100円か200円払えば試飲させてくれるという嬉しいシステム。店のレジで雑談している店員のおっちゃんと姉ちゃんも、いかにも酒のことなら何でも知ってそうな玄人風のオーラを醸し出しているし。

当然のように響17年もあった。念のため12年の所在を聞いてみると、「生産完了しましたね」とバイトっぽい姉ちゃんは普通に答え、響は他に何があるかと聞くと、「21年がありますよ、43200円」と、気軽な会話のようにとんでもないことを言ってくる。「そ、そうですか」とうろたえ、俺は店を後にする。

17年はあと1個しか在庫がなく人気の高さを物語っていた。しかしやはりその値段に気圧されたのが正直なところだ。ここはノンエイジでも別にいいかな。二十歳にいきなり17年はやっぱ早い気がするし、まずは初心者向けとしてノンエイジを与え、大人の味が分かるようになってから年数を上げる。そんな手法でもいいんじゃなかろうか。

結論を一旦保留にし、俺は店を出るのだった。

■グリーンカレー鍋
夜メシはグリーンカレー鍋という珍しい鍋だった。通常のグリーンカレーのように辛すぎず、多少マイルドさも感じられる。鍋用にちゃんとアレンジしているようだ。なかなか深みのある鍋だった。

前菜として刺身の柵か、あるいはアジでも買おうかとスーパーに寄ったが、どちらも不発だったので今回は回避。代わりになぜか卵焼きを購入するに至る。
 
 
■須らく世の中は保留癖
留保していたビンテージウイスキーを根こそぎかっ攫われたサントリー。保留していた「知多」はじめノンエイジウイスキーを出さざるを得ない状況に追い込まれる。そのノンエイジかビンテージか、どちらをプレゼントに買うか、決断を保留させる俺。夜、刺身を切ろうという勢いを、品薄を理由に保留させたスーパーでの買い物。

世の中には、星の数ほどの保留があった。


人気ブログランキングへ

20160215(月) 付け焼刃の鍋ダイエットが始まる

160215(月)-01【2300頃】餃子鍋(醤油味)《家-嫁》_01 160215(月)-03【2340頃】ラヴィアンレーヴバレンタインチョコ《家-嫁》_01

【朝メシ】
無し(家-嫁)
 
【昼メシ】
自作オニギリ(職場付近-一人)
 
【夜メシ】
餃子鍋(醤油味)、チョコ、納豆(家-嫁)
 
【イベント】
仕事
  
  
【所感】
■往生際悪きダイエット
今週一杯、一時的に酒を絶つことにした。かつ、炭水化物の窃取もやめる。すなわち米を炊かないということ。土曜日までに多少なりとも痩せなければならないからだ。小学生の時、僕等の結婚式に参加してくれ、今は大学生活を満喫している嫁の友人の甥が飲み会に参加するため、少しでも引き締まった自分を演出する必要がある。

本来なら、もっと早くに着手せねばならなかった案件。今月初めから参加は決まっていた。そこから会合の当日まで約3週間あり、それだけの期間があれば、ベスト体重に持っていくことは決して不可能ではないはずだった。昔の自分ならば。朝ジョギングして、夜に筋トレをする。そのサイクルだけで事足りるはずだった。

しかし結局動き出すことが出来ず、一週間前の今日を虚しく迎える。何度も「走れ、今日は走るんだ」と叱咤しても布団にスッポリ包まった四肢は微動だにせず、「やるんだ、腹筋を、それだけでカッコいい逆三体型になれるじゃないか」と呪文のように心の中で唱えつつ、漫画を読む手が止まらない。目標の意味を忘れかけている。覚悟が足りない。現実から逃避している。ホントこの体たらくには参る。

なのでせめて付け焼刃として、食事の摂取量を控えるという、策としては最も下の下を洗濯する。選択せざるを得ない自分の弱さが身に染みる。そんな一時的に食事を減らすなんて方法は、ハッキリいって何の意味ももたらさないと自分自身が一番知っているつもりなのだが。

しかし、それでも一つだけ、今年に入ってから続けているトレーニングがあった。歯磨きをする時、洗面台に立ったり椅子に座って磨くのではなく、片足で立ちつつもう一方の足を後ろに蹴り上げるように伸ばし、上体を地面と平行にさせるポーズを取りながら歯を磨く、という習慣だ。女子フィギュアスケートで片足を後ろに上げながら滑る時のポーズというか、ヨガではウォーリアースリーなどと呼ばれるようだが、表を磨く間は右足、裏を磨く時には左足に入れ替える等の自分なりの手法でやっている。この体勢で2~3分歯を磨くわけだ。

これが結構辛い。よって何かしらの効果はあると判断している。そのポーズを取っただけでも腰は相変わらず激痛だが、それを言ったら何も出来ないので、可能な範囲では鍛えたいところ。いわゆる隙間時間の活用だ。この考え方は間違っていない。何しろ、最初の頃は歯磨きを終えた瞬間、立っていられなくなる程の痛みと疲労が襲っていたのが、今では大した負荷を感じない。こんなちょっとした動作でも1ヶ月半続ければ成果は実感できるということだ。

もう一つ、今月に入ってからだが拳立て伏せもほぼ毎日続けている。朝出かける前に30回から始まって、日が経つ毎に回数を増やしていく。今では40回までこなせるようになり、そこまで疲労もしない。1週間前からは、さらに夜帰宅した直後も同回数やっている。面白いもので、鏡を見ると胸筋が多少だけ盛り上がり、胸に割れ目が出来ているのが確認できる。たったそれだけの継続で、ここまでの効果が期待できるのだ。

しかし、その40回にしても、少し前に比べれば飛躍的成長だが、かつては10kgのウエイトを着用して60回とか普通にやれてたことを考えると、やはり現実的には相当に衰えたと言える。

そもそも、ヨガのポーズを1ヵ月半続け、かつ拳立てを2週間ずっとやり続けても、体重は現在の69kgから殆ど減っていないのだ。かつては3週間で70kgから62kgまでダウンさせることが、しかもしっかり筋肉を付けた上での絞り込みができたことを考えると、成果に対する時間効率、即ち密度が果てしなく薄まっていると言わざるをえない。つまり好意率が悪く、無駄な時間ばかり使っているということ。体力以上に気力が落ちている。

密度の薄さはトレーニング以外の局面でも自覚できる。たとえば仕事で一つの提案書を作るのに今までの2~3倍の時間が掛かったり。しかも一回で終わらせ切れない、集中力が途切れるというオマケ付きだ。

10日前にヨドバシで買ったACアダプターのタップも未だに取り替えていない。メールやメッセージにレスポンスするのですら2時間後とか、下手をすれば2~3日後なんてこともザラ。悪くすれば返信せずにシカトというケースも多発している。何かにつけてスピードが遅くなり、文字通り腰が重くなった。そんな面倒なことをするより、亀二の膝枕でウダウダと寝ていた方が幸せなのだ。

それに反比例するように、時間間隔は鈍る。長い時間が経っているはずなのに、短く感じる。何もしていない内に活動時間がなくなっていた、なんて感じ方をずっとしている現在の状況はかなり危険水域なのかもしれない。

とにかく多少なりとも覚醒するために、少なくとも歯磨きの件と拳立て伏せは今後も続行し、できるだけ早く通常の本格筋トレも定着させる。そして走る。今すぐ出来るとは思えないが、ここ一週間、食事制限程度という基礎の基礎くらいは堅守したい。

その点、鍋は有用だ。腹も膨れるし、具材も殆ど野菜なので身体に残らない。さらに栄養もあり、何より美味しい。ダイエットには野菜サラダが一番。それが無理なら鍋が次善の策だと確信を持つ僕だった。

夜食でチョコを食ってしまった僕が言えた義理じゃないが、それでも鍋はいい。鍋は様々な観点から料理界の救世主であり完成型。


人気ブログランキングへ

20160214(日) バレンタインの日にボクを包む漫喫の薄暗い光

160214(日)-01【0745頃】ズーロジーカメチョコ亀子さん《家-嫁》_03 160214(日)-02【0745頃】バレンタインショコラ《家-嫁》_01 160214(日)-03【1000頃】自作カメパン、目玉焼き《家-嫁》_01 160214(日)-03【1000頃】自作カメパン、目玉焼き《家-嫁》_05 160214(日)-03【1000頃】自作カメパン、目玉焼き《家-嫁》_06 160214(日)-03【1000頃】自作カメパン、目玉焼き《家-嫁》_07 160214(日)-03【1000頃】自作カメパン、目玉焼き《家-嫁》_08 160214(日)-05【1315~1815】漫画喫茶イソップ ボクを包む月の光、キャプテン翼他、《西新井-嫁》_02 160214(日)-05【1315~1815】漫画喫茶イソップ ボクを包む月の光、キャプテン翼他、《西新井-嫁》_06 160214(日)-05【1315~1815】漫画喫茶イソップ ボクを包む月の光、キャプテン翼他、《西新井-嫁》_08 160214(日)-05【1315~1815】漫画喫茶イソップ ボクを包む月の光、キャプテン翼他、《西新井-嫁》_09 160214(日)-06【1920頃】イオン西新井亀二プレゼント カーディガン《家-嫁》_03 160214(日)-06【1920頃】イオン西新井亀二プレゼント カーディガン《家-嫁》_05 160214(日)-07【2000頃】バチマグロ柵刺身、キムチ鍋 真田丸《家-嫁》_01 160214(日)-07【2000頃】バチマグロ柵刺身、キムチ鍋 真田丸《家-嫁》_03 160214(日)-07【2000頃】バチマグロ柵刺身、キムチ鍋 真田丸《家-嫁》_09

【朝メシ】
アイスコーヒー、自作カメパン、目玉焼き(家-嫁)
 
【昼メシ】
フリードリンク 漫画喫茶イソップ(西新井-嫁)
 
【夜メシ】
バチマグロ柵刺身、キムチ鍋(家-嫁)
 
【イベント】
亀パン自作、漫画喫茶イソップ、真田丸
  
  
【所感】
■バレンタイン
2月14日はバレンタインデー。その起源は3世紀まで遡ったローマ帝国時代。時の皇帝の意向に従わず男女の愛を唱え続けたため処刑されたキリスト教の聖職者・ウァレンティヌス(バレンタイン)にちなんだ記念日とされる。

逸話の詳細については3年前、同ブログで自分なりに調べたようなので割愛するが、

(3年前)

20130214(木) バレンタインデーにおける無限すぎるチョコのやり取り

愛の伝道師として崇高な殉教を遂げた彼は後世聖人に列せられ、時の経過に伴い聖人ウァレンティヌスに由来する2月14日は愛を確かめ合う日、とりわけ恋人同士など男女の愛を深める日だという認識が、教会の地道な啓蒙活動によって定着した。慣習というより、もはや教義のレベル、公式イベントとしての地位をキリスト教内にて築くに至る。

キリスト教と言っても、カトリックを始めとする西方教会の勢力圏でのみ浸透する記念日だ。西方教会の影響力が及ばない東方諸教会、正教会エリアでは、聖ウァレンティヌスの存在も飛び抜けた位置付けではないし、男女の愛を謳うバレンタインデーという概念も盛んではない。西方教会と東方教会の明らかな価値観の相違は、まさしくお互い相容れないアメリカとロシアの構図そのものだ。

日本においては、そのアメリカの価値観、すなわち西方教会的な価値観を多く取り込んできた歴史もあり、バレンタインデーはクリスマスに匹敵するメジャーイベントだ。かと言ってキリスト教徒でもないため、欧米諸国のように信者としてのキリスト教的解釈にあまり捉われもしない。男女間の愛情表現という教義に独自解釈を加えてアレンジするのが日本流である。別にバレンタインでーに限ったことではなく、今に始まったことでもない。

結果、チョコの拡販を至上命題としたイメージ戦略を根幹とした商業主義的イベントが日本のバレンタインデー。天文学的なチョコと、年代によってはちょっぴり甘い気持ちとが、束の間日本国内に乱れ飛ぶ。

宗教的基盤や根拠があるかどうかでイベントの考え方や接し方は大きく変わる。宗教的基盤がないことは、柔軟で自由な発想の土壌にもなり、無節操の温床にもなり得る。少なくとも、日本ほどあからさまなアジテーションをするバレインタインデーは世界のどこにもないのではなかろうか。ローマ教皇も嘆く案件。これまで推定5000億部は発刊されたという世界一のダントツロングセラーである聖書を駆使して全世界への布教を果たした西方教会の想いも、ここ極東の島国には未だ届いていない。

とりあえず今年のバレンタインは、嫁から手作りのショコラパウンドケーキと、梅島の名店ラヴィアンレーヴのチョコを、それから義妹からチョコ少々、あとはメスのウサギからタバコを一箱もらって終了。至って穏やかなイベントだったが、これくらいでちょうどいい。
 
 
■今度はキャラパン
朝メシは自作の亀パン。いつものパンレシピをさらにアレンジした、いわゆるキャラパンだ。通常のちぎりパンをクリアし、チョココロネやソーセージパンへと発展し、そして今度はキャラパンへとステップアップする。もう殆どのパンが作れるんじゃないかというレベルまで達した模様である。続けるってスゴイ。

宝島社から発売された型付きのパンレシピ本「日本一簡単に家で出来るちぎりパン」。強力粉とイースト菌、他基本的な調味料と、レシピ本に同梱されている型を使うだけで美味しいちぎりパンが誰でも焼けるという触れ込みで、実際その通り簡単にできたと絶賛する消費者が続出した。誇大広告や看板倒れの商品が氾濫する中、久々に出てきた後悔しない買い物だ。こういうのを真のヒット商品と呼ぶ。

その「日本一簡単に家で出来るちぎりパン」を活用し、同梱のエンゼル型やスクエア型のちぎりパンをマニュアルに忠実に作っていくのが第一段階。何度か作っていく内に、薄力粉を水でこねる力加減、硬さ加減、温度調節などを微調整していき、より理想的なパンに近付いていくだろう。表面はパリッと小気味よく、中身はフワッと軽い。水気は少なめで、柔らかいけどモチモチしすぎない食感。これが恐らく同レシピ本で辿り着けるスタンダードちぎりパンの最終形だ。繰り返し焼いていた愛用者はそこに辿り着いたはずだし、嫁も既にその領域に達した。

そんな彼等は第二段階に移る。基本形のちぎりパンを型で焼く際、ジャムやバター、チョコ、あん、クリームなど甘味物を混入したり表面に塗ったりして菓子パン風に加工する。あるいはハムやタマゴ、野菜などを挟みサンドイッチとして楽しむ方法だ。内から外からアレンジを加え、ただのちぎりパンを色彩と味わいに富んだものに変化させる。レシピ本にもそのアレンジ法は多数紹介されているし、第一段階をクリアした者なら誰もが試みる道だろう。

同時に、その時点で同梱の型をもはや使用せずとも形状を手製できる技能を修得している状態とも言える。レシピや型という今までのレールに乗っかった状態を脱し、自分自身でレールを敷いていく。好きなパンを、思う形で、思う味付けで創造するという、無から有を創り出す段階だ。イミテーターからクリエーターへとクラスチェンジしたのだ。

今回の亀パンもまたクリエーターの領分。なかなか美味いパンだった。もはや僕では手の届かぬ境地を目指し、嫁は自らのパン工房を今後も進化させていくだろう。ちなみに亀の顔は僕が描いたが、亀LOVEだけに、パンがまるで生きているようで、僕等をつぶらな瞳で見つめているようで、なかなか手を出すことができない。豚を飼っている人間が豚を食うのを躊躇うように。
 
 
■漫画喫茶頻度向上
昼からは西新井の漫画喫茶「イソップ」へと向かった。別段強い要望ではなかったが、どうもこのまま家に篭っているとTVを見て夜が終わるだけだったので、それよりは家にないタイトルを呼んで知識の幅を広げた方がマシだと考えた。前回訪問した際、途中までで読み残した漫画もある。

嫁は漫画喫茶という場所自体が新鮮だからいいだろうが、ずっと前に漫喫を極め尽くした僕にとっては退廃の象徴。ここ5年は殆ど使っていなかったのに、今年に入ってもう3回目だ。あり得ないペースというか、まさか漫画喫茶という選択肢が復活するなんて思ってもみなかった。

だが、家に篭るよりは情報の幅が広がることに間違いはないと思う。また現在の心身的ステータスでは、アウトドアや街散策に出かけるほどの気力が全くない。それならば家の外に出る分、生産的と言えば生産的。ニートよりはよかろうなのだぁー、ズバァーッ。
 
 
■読むペースは衰えず
とりあえず3時間パックで1000円のコースを選択。僕は前回読みきれなかった日渡早紀「ボクを包む月の光」をテーブルに積む。そしてフリードリンクを机に置き、途中まで読んだ4巻から最終15巻まで一気通貫で読破した。

まさしく前作「ぼくの地球を守って」を読んでから10年以上越しの邂逅。今まで気付かなかったのが不思議なくらいだが、いつだったか同作はイマイチだという批評がネットに載っていたため「なら読む必要もないか」とその時点で気持ちが向かわなくなっていた記憶がある。しかし実際手に取って読んでみると結構面白かったと思われた。
 
 
■ボクを包む月の光
そう、「ボクを包む月の光」は僕にとってはかなり没頭できた。オレ等は幸せになっていいと口では宣言し続けていた輪が、しかし内心では紫苑の境遇に思いを馳せるあまり、中学生になってもずっと孤独なままという孤高な姿とか、その輪がラ=ズロと邂逅を果たして思わず抱きついた場面とか、もう14巻あたりからボロボロ涙流しちゃったよ。

最後は少女漫画のセオリーよろしくキャラを全員集合させて各々の顛末を語りたいがため、一気に詰め込みすぎて逆にクドくなってしまったが、それもファンサービスの一つと考えればアリだろう。

同作は「ぼく地球」メンバーの子供世代、つまり次世代編という位置付けにはなっているものの、実際は前作の主人公・小林輪と、その妻になった亜梨子が中心。そこに木蓮と紫苑を必要以上に登場させ、前作からの、そして前世からの決着を全て付け、今度こそ本当の大団円で終了させている。

特に輪の存在感と掘り下げ方はハンパなく、息子の蓮や未来路の娘であるカチコなんかは設定的には主人公クラスだけど、実際は輪の物語をトゥルーエンドで畳むためのパーツ、殆どオマケに近い。悩める輪の、真の心の解放とその過程を描いた物語が同作の真意であろう。

それを完成させるために必要な存在ガ、全ての支えである亜梨子と、ある意味元凶である紫苑と木蓮。誰もが納得するキャスティングだ。そこに前作では同じ異能者だけど外から見れる部外者でもある未来路を解説役として大いに露出させる。元々謎の多いキャラだったし、しかもイケメンなので読者的にもウェルカムだ。

反面、迅八や大介、春彦など、前作の核だったかつてのムーンドリーム仲間達の出番は殆どなくなり、存在感はほぼ皆無。無理もない。このキャラ達は前作「ぼく地球」で殆ど伏線を回収し尽しており、今さら出しても大して湧かない。年齢も前作で高校卒業間近だったので大して未来もない。本作では今どう生きているか、何をやっているか、その程度が描写されていれば十分なのである。結局、前作終了時にまだまだ発展途上の小学生であり、心に抱えた影や闇を十二分に残していた輪くらいしかキャラが立たないのである。

よって、本作の重要キャストは輪、ひいては紫苑に関わりの深いキャラに当然絞られていく。読者としてもその方が面白い。今さら迅八や玉蘭見せられたった面白くも何ともない。それよりは、ラ=ズロでありキャーであり、最長老やモードである。そういった前作で無念にも消えてしまった人々を絡ませることによって、輪や紫苑に圧し掛かる過去や前世への重苦しさを解放する。これが本作のテーマだ。

今さらラ=ズロを出すなんて余りにご都合主義的に過ぎると思いつつ、本心ではそうあって欲しかったはずの読者としては、やはり涙無しに見られないのである。「ボクを包む月の光」は、文句なく物語を完結させた「ぼく地球」に感動しながらも、心の中では儚く散ったキャラ達に無念の涙を流し、だからこそ今少しの救いを求めていたであろう読者達に向けた、いわばファンサービス的な作品。長年「ぼく地球」を愛し続けた読者への、日渡早紀からのプレゼントである。

だから「ボクを包む月の光」が完成度の面で「ぼく地球」に遙かに劣るとしても、「ぼく地球」のキャラを使い回しただけの劣化版だと言われたとしても、読む人間が読めば名作足りうる。少なくとも僕は、「ボクを包む月の光」を完読できてよかった。「ぼく地球」の物思いがしっかり払拭できた分、読まないより読んだ方が良い続編だ。黒歴史になってしまう続編より遙かに上等であった。
 
 
■キャプテン翼
ひとしきり涙を流した後、まだ時間が余っていたので適当にジャンプ漫画でも探索してみる。文字がそれほど多くなくてアッサリ読めそうなものは・・・。おお、「キャプテン翼」があるじゃないか。懐かしい。最終巻近くからエンディングでも確認するか。というわけで、残り時間はキャプ翼を延々と流し読みするが。

面白いじゃないか。現代のリアルを追及しすぎたシステマチックなサッカー漫画にはない自由さと独特の熱さがある。高橋陽一チックな古臭さがまたいい味を出している。いつの間にか明和小学校編などにまで遡ったりと、意外にものめり込む。やはりキャプ翼は一時代を築いたサッカー漫画の金字塔だと再確認した。サッカーブームに火をつけたのは、ファンタジスタやシュートや俺たちのフィールドでもなければJリーグでもない。キャプテン翼だったのだから。その日本サッカーへの貢献度は計り知れない。
 
 
■延長
そんな感じで予想外にキャプ翼にハマっている内に3時間パックの終りが近付いてくる。いつでも終われるが、キャプ翼を読もうと思えばいくらでも読めるのも確か。どうするか。

嫁を見ると、よく分からない少女漫画を読んでいる。西新井温泉の休憩室で見たタイトルの続きということだが、全25巻あるらしい。そして今の段階で6巻くらいまでしか進んでいない。何て読むのが遅いんだ。慣れてない分、漫画の読み方を分かってないな。

その嫁は、制限時間が近付いてくると、「もう帰る?」と明らかに「もっと読みたい延長してくれ」オーラで僕を見る。盛り上がっている途中で断絶するのは断腸の思いだというのは重々承知している僕は、とりあえず2時間ほど延長した。それでもこのペースではせいぜい10巻がいいところだろうな。

実際、延長2時間が過ぎた時点で、嫁はちょうど10巻を過ぎた辺りだった。目をウルウルさせて、まだまだ読みたそうな風情だが、これ以上の延長はコスト的にも効率が悪い。残念だが今日はここで打ち切りとする。いつか、その続きを読める日も来よう。終わらない物語はないのだから。

僕も、時間一杯までキャプ翼のワールドユース編やらライジングサンなど続編も読みながら、ワールドユース編最後のページをパタリと畳む。そのページに描かれた、余りにも有名な翼とあねごの結婚式の全員集合写真。後にネットのネタとして多用される選手達が肩を組んだ15頭身画像すら及びもつかない最大30頭身くらいありそうな高杉そして次藤の等身伝説は、ここから始まったのである。
 
 
■刺身と鍋
情報補完の観点では有意義だったような、大人の休日としては堕落で不毛な時間帯だったような、思考能力が低下し、かつ腹が減った今の状態では判断が難しい。だが「ボクを包む月の光」で長年の伏線が回収できたことを考えれば、やはり得るものは大きかった。

腹が減ったので、イオンで買ったキムチ鍋の素を使ってキムチ鍋を今日は食べる。ついでに前菜として、刺身も用意。アジを下ろす余力が無かったのと、他の安価な柵がなかったことで、結構高級なバチマグロ中トロの柵を買ってしまった。前菜と言っていいのかどうか。それでもさすが中トロ、まさしくとろける美味しさだった。十分メインを張れる。

さらにそのイオンの店頭に並んでいた衣類の特売セールにて、亀二のために3Lのカーディガンを土産に買う。人間があまり着れないビッグサイズとはいえ、2000円ちょっとだ。シャレにしては高い買い物だが、亀二が暖かそうにしているのを見ると幸せな気分になる。自分等の服などそっちのけで、ぬいぐるみのための洋服購入に日々勤しんでいる僕等だった。

キムチ鍋もまた暖かい。沸騰するスープに唐辛子の辛さが混ざり合い、この上ない幸せ。僕は鍋料理の中で何が一番好物かというと、キムチ鍋が最も大好物である。恐らく同じような意見を持つ人間も多かろう。身体の温かさと、細胞の活性化と、美味しさと、刺激と、そして幸せを運んでくれるキムチ鍋。これからも僕は、キムチを愛す…。
 
 
■時の経過は矢のごとしで
こうして終わった日曜日。英語の勉強をしても、パンを焼いても、刺身を切っても、漫画を読んでも、テレビを観ても、時間の進みは変わらない。自分の貴重な時間を費やしているのである。もう、2月も半ばである。


人気ブログランキングへ

20160211(金) アツい「ど・みそ」鍋を食った後は、サムい大空で一人バイオハザードを演じる

160212(金)-01【2000~2300】みそ鍋ダイニング「ど・みそ」 新年会《八丁堀-嫁、職場同僚》_02 160212(金)-01【2000~2300】みそ鍋ダイニング「ど・みそ」 新年会《八丁堀-嫁、職場同僚》_05 160212(金)-01【2000~2300】みそ鍋ダイニング「ど・みそ」 新年会《八丁堀-嫁、職場同僚》_06 160212(金)-01【2000~2300】みそ鍋ダイニング「ど・みそ」 新年会《八丁堀-嫁、職場同僚》_08 160212(金)-01【2000~2300】みそ鍋ダイニング「ど・みそ」 新年会《八丁堀-嫁、職場同僚》_12 160212(金)-01【2000~2300】みそ鍋ダイニング「ど・みそ」 新年会《八丁堀-嫁、職場同僚》_14 160212(金)-01【2000~2300】みそ鍋ダイニング「ど・みそ」 新年会《八丁堀-嫁、職場同僚》_15 160212(金)-02【0000~0400】帰宅後即散歩(ジャージ) 六町、竹ノ塚、島根、西新井、西新井駅前外人歓談《足立区-一人》_003 160212(金)-02【0000~0400】帰宅後即散歩(ジャージ) 六町、竹ノ塚、島根、西新井、西新井駅前外人歓談《足立区-一人》_004 160212(金)-02【0000~0400】帰宅後即散歩(ジャージ) 六町、竹ノ塚、島根、西新井、西新井駅前外人歓談《足立区-一人》_006 160212(金)-02【0000~0400】帰宅後即散歩(ジャージ) 六町、竹ノ塚、島根、西新井、西新井駅前外人歓談《足立区-一人》_008 160212(金)-02【0000~0400】帰宅後即散歩(ジャージ) 六町、竹ノ塚、島根、西新井、西新井駅前外人歓談《足立区-一人》_014 160212(金)-02【0000~0400】帰宅後即散歩(ジャージ) 六町、竹ノ塚、島根、西新井、西新井駅前外人歓談《足立区-一人》_017 160212(金)-02【0000~0400】帰宅後即散歩(ジャージ) 六町、竹ノ塚、島根、西新井、西新井駅前外人歓談《足立区-一人》_018 160212(金)-02【0000~0400】帰宅後即散歩(ジャージ) 六町、竹ノ塚、島根、西新井、西新井駅前外人歓談《足立区-一人》_020 160212(金)-02【0000~0400】帰宅後即散歩(ジャージ) 六町、竹ノ塚、島根、西新井、西新井駅前外人歓談《足立区-一人》_032 160212(金)-02【0000~0400】帰宅後即散歩(ジャージ) 六町、竹ノ塚、島根、西新井、西新井駅前外人歓談《足立区-一人》_033 160212(金)-02【0000~0400】帰宅後即散歩(ジャージ) 六町、竹ノ塚、島根、西新井、西新井駅前外人歓談《足立区-一人》_034 160212(金)-02【0000~0400】帰宅後即散歩(ジャージ) 六町、竹ノ塚、島根、西新井、西新井駅前外人歓談《足立区-一人》_036 160212(金)-02【0000~0400】帰宅後即散歩(ジャージ) 六町、竹ノ塚、島根、西新井、西新井駅前外人歓談《足立区-一人》_038 160212(金)-02【0000~0400】帰宅後即散歩(ジャージ) 六町、竹ノ塚、島根、西新井、西新井駅前外人歓談《足立区-一人》_039 160212(金)-02【0000~0400】帰宅後即散歩(ジャージ) 六町、竹ノ塚、島根、西新井、西新井駅前外人歓談《足立区-一人》_042 160212(金)-02【0000~0400】帰宅後即散歩(ジャージ) 六町、竹ノ塚、島根、西新井、西新井駅前外人歓談《足立区-一人》_045 160212(金)-02【0000~0400】帰宅後即散歩(ジャージ) 六町、竹ノ塚、島根、西新井、西新井駅前外人歓談《足立区-一人》_047

【朝メシ】
無し(家-嫁)
 
【昼メシ】
自作オニギリ(職場付近-一人)
 
【夜メシ】
みそ鍋ダイニング「ど・みそ」 新年会《八丁堀-嫁、職場同僚》
 
【イベント】
仕事系新年会、散歩
  
  
【所感】
■ど・みその実力は保証付き
有志のみで会社関係の新年会を本日行った。年が明けて1ヶ月半経った随分と遅い新年会だが、まあ大人にとって時期など大して関係なくて、飲む口実を探したり、行きたい店が出来たなどの即物的かつ俗物的な動機で動く適当な生き物だ。

しかも行き先は、既にその実力が保証されている「ど・みそ」のみそ鍋。一度食ったことのある僕等が絶対の自信を持って職場の人間に紹介したという流れにだった。まるで、明らかに西単騎待ちの国士気配を漂わす対面がワクワクしながらフリコミ待ちをしている局面で、既に西が河に3牌捨てられているどころか残り1牌を自分が抱えているという純カラ状態を知っている自分に内心ほくそ笑みながら、余裕の表情で無関係の6索を捨てるような安心感である。

「ど・みそ」は美味い。約束されたアガリと保障された平和。2-5-8三面待ち平和ツモアガリ待ったなしである。
 
そして予想通り、参加者の誰もが美味い美味いと絶賛していた。付け出しも、おかずも、みそ鍋も、(ラーメン専門なんだから当然)締めのラーメンも、全てにおいて皆が舌鼓を打つ。やはり成功。かつ飲み放題もプラス1800円で追加し、ビールを、ハイボールを、聞いたこともないカクテルを、浴びるように飲む。久しぶりに「飲んで食った」と言える会社関係の飲み会だった。

■遠大な散歩
酔いが回った帰宅後、僕は酔い覚ましも兼ねてジャージに着替え散歩に出かける。深夜1時前には出発し、4時まで殆ど歩いていた。朝6時まで歩こうと最初決めていたが、さすがに寒くて、途中で身体も手足の末端も冷える。大寒が過ぎたというのに、ますます厳しさを増す2月の冬を舐めていたと自覚した。せめてダウンジャケットでも着こんで来ればよかったと。

それでも、得るものはあった。何より精神がピリピリと研ぎ澄まされた感覚になっただろう。この深夜散歩では、梅島陸橋から四号線を草加方面に北上しつつ、六月あたりで竹ノ塚方面に曲がり、見知らぬ道をとにかく歩いていく。かつてのジョギングで見慣れた景色もあれば、まるで人通りのない歩道の地下通路を歩いた時などは、いつヤンキーや通り魔に襲われてもおかしくない恐怖感と、それがゆえに無理矢理引き起こされてくる眠っていた防衛本能と闘争本能、すなわち生存本能も身体全体で実感していた。

コンビニなどには、深夜2時や3時でも客が居る。スエットのヤンキー風兄ちゃんも居れば、普通にOL風の小柄な姉ちゃんなども居る。こんな都会で、こんな人気の居ないエリアで、かなり危ないシチュエーションだと思うのだが、姉ちゃんは自覚しているのだろうか。

西新井大師にも行ってみた。当然人っ子一人姿は見えず、大師様の門の前は厳重に封鎖されている。しかしそのバリケードの向こうに大師様が一応見える。僕は誰もいない大師門前で一礼し、手を合わせる。その時、酔っ払った風なおっちゃんが現れ、僕を訝しげな目付きで睨んだ。まさか僕が居るなんて思わなかったのだろう。それはこちらも同じだ。昼間なら100%蹴散らせるだろう棒ッ切れのようなおっちゃんの存在が、無人と闇というスパスを加えるだけで悪魔じみた獣になる。これが、闇のもたらす恐怖だ。心臓が飛び出そうだった。

だがその西新井大師前には交番があり、お巡りさんも常駐している。彼は僕の姿を見ると、何でこんな時間にジャージ着て歩いてるんだ?という顔を一瞬したが、いかにもウォーキングっぽいジャージ姿だから逆に危険はないと判断したのだろう。さっさと視線をデスクに戻す。そんな連れない警官でも、そこに在るか無いかで獣達の抑止力になるのだと、これが犯罪率の激減へ貢献しているのだと、僕は名も知らぬ大師前交番のお巡りさんに心の中で敬礼するのだった。

道路には車が一定数走り、その道路を工事する作業員や、交通整理をする警備員が寒い中働いている。僕等にとっては寝る時間帯も、彼等にとっては仕事の時間、つまりメインの時間だ。夜には夜の顔があり、それは何もエロスやバイオレンスなど暗い一面ではなく、こうして糧を得るために真面目に仕事に従事するという意味での顔もある。僕もかつては警備員や工場バイトで深夜逆転の生活を送っていた。

それを思い出しつつ、どこにでも居場所というものはあるのかもしれないと、少し気が軽くなった思いに捉われた。今の世界に固執しすぎる必要はないと、別の世界は無限に存在するのだと。あとはそこに飛び込む勇気であり、思い切りであり、ある意味達観であり、それはつまり何処に居ても、何をしても、結局は自分次第だという真理がそこにあるだけなのだと…。

そこから西新井駅へ向かう。西口横の細い飲み屋横丁には、こんな時間でもまだ営業している飲み屋があり、しかもそこでかなり多くの客が飲んでいる。今まで歩いてきた中で、一番の眠らない街がここにあった。彼等もまた、独自の時間を生き、楽しんでいる。

西口の階段を上がり、改札前を通りすぎて反対側の東口へと至る。タバコを吸うためだが、さすがにこちらは人が殆どいない。居ても困るが。

無論、たまに人影は見える。ヤンキー風の兄ちゃんが一人、ラリったような足取りで向こうに歩いていく。学生二人組が、容器に話しながら階段を上っていく。見るからに酔っ払った足取りの姉ちゃんがフラフラと歩きながら階段を降りてくる。その道沿いには、ワンボックスカーが数台、ハザードランプを点滅させながら止まっていたりする。もう3時過ぎてんのに、ホント危機意識が薄いというか、夜は、都会とはもっと怖い場所だと僕は思っている。

その証拠に、僕が喫煙所に座りタバコを吸っている時、外国人二人のカップルが椅子に座って陽気に喋っていた。足元に多分缶チューハイか何かを置いて、ほんとにマシンガントークのテンション高い喋りをしていたが、まさかヤクじゃないだろうな、などと一瞬疑ってしまうほどのラテン系陽気さだ。眠くないのかな、寒くないのかな、つかオレはこんなとこに座っていて安全なのかな、など。

そんなことを考えている内に、駅から背の高い男がこちらに歩いてくる。トッポイメガネ兄ちゃん風だと僕には見え、だからいざとなったらこの兄ちゃんに助けを求めるかなどと考えていると、先ほどの二人の外人カップルが、そのトッポイ兄ちゃんにいきなり放しかけるではないか。しかも、英語であった。

「Where are you from?」と聴こえた。「アンタドコカラキタノ?」とそう言った。たまにやってる英語リスニングの成果がこんな時に発揮されるなんて。その問いに対し、トッポイ兄ちゃんはスリランカだと言った。「オー、スリランカ!!」と二人は驚き、「オレはカナダだよ♪ 英語教師をやって生活してるんだ、アンタは?」などと、初めて会ったであろうにまるでツレのように陽気にこの外人3人は放し始めたのだ。碇シンジのように縮こまる僕そっちのけで。

・ ・・・ここ、日本だよな?

そう思ったのは事実。そして外国人のフレンドリーさも再度確認。一応、真面目というかお互いちゃんと職を持った同士っぽかったけど、途中で何度か聴こえた「Japaneseがどうとかどうとか」という言葉がとても気になる。日本人が、何だって? 超、気になる。

そんな彼等も、ひとしきり会話した後、去っていく。この場所はいよいよ僕一人になった。さすがに帰るか。ここは寒すぎる。陽気な彼等が帰宅したことが、僕の帰宅のサインなんだ。きっとそうだ。さあ、もう帰ろう、我が家へ、暖かい我が家へ…。

帰宅した瞬間、モアッと暖気が僕を襲う。やっぱり家は暖かい。天国のようだ。対してこの2月の外は地獄のよう。

それでも、得るものが多かった。この深夜の散歩は、僕に取ってもう一つの価値観を産む土壌に、いや眠っていた価値観を再び呼び起こすきっかけになりうるだろう。

それは僕が本来求めていたはずの、修羅の門のはずだった。


人気ブログランキングへ

20160207(日) 西新井温泉の変人達と、イワシと鶏ハムに挑戦する達人達

160207(日)-01【1050頃】日本一簡単に家で焼けるちぎりパン、自作鶏ハム、目玉焼き、アイスコーヒー《家-嫁》_02 160207(日)-01【1050頃】日本一簡単に家で焼けるちぎりパン、自作鶏ハム、目玉焼き、アイスコーヒー《家-嫁》_03 160207(日)-02【1130頃】干し芋(義弟夫婦土産)焼き《家-嫁》_01 160207(日)-03【1200頃】ズーロジーカメチョコ 亀子さん《家-嫁》_02 160207(日)-03【1200頃】ズーロジーカメチョコ 亀子さん《家-嫁》_03 160207(日)-04【2020頃】自作イワシの刺身、アジの刺身 (イオン安い方の鮮魚コーナー)《家-嫁》_02 160207(日)-04【2020頃】自作イワシの刺身、アジの刺身 (イオン安い方の鮮魚コーナー)《家-嫁》_05 160207(日)-05【2040頃】餃子鶏ハム鍋・締めラーメン《家-嫁》_02 160207(日)-05【2040頃】餃子鶏ハム鍋・締めラーメン《家-嫁》_03 160207(日)-06【2150頃】ドンレミーアウトレット ミルクレープ 激美味《家-嫁》_02 160207(日)-07【2350頃】日本一簡単に家で焼けるちぎりパン(あんパン)《家-嫁》_01 160207(日)-07【2350頃】日本一簡単に家で焼けるちぎりパン(あんパン)《家-嫁》_03

【朝メシ】
日本一簡単に家で焼けるちぎりパン、自作鶏ハム、目玉焼き、アイスコーヒー(家-嫁)
 
【昼メシ】
干し芋(家-嫁)
 
【夜メシ】
自作イワシの刺身、アジの刺身 (イオン安い方の鮮魚コーナー)、餃子鶏ハム鍋・締めラーメン、ドンレミーアウトレット ミルクレープ激美味、日本一簡単に家で焼けるちぎりパン(あんパン)(家-嫁)
 
【イベント】
西新井温泉、真田丸、イワシ刺身初挑戦
  
  
【所感】
■自ら作るということ
僕が家で刺身を切るようになった頃、嫁は書店で買った金型付きレシピ本「日本一簡単に家で焼けるちぎりパン」を手に、ちぎりパン作成を試みた。

僕はスーパーで購入した柵を切り分けていく手法をしばらく継続する内、最初から出来上がっている刺身よりも柵から切った方が鮮度も食感も上回ると気付く。包丁一本入れる手間を加えるだけで、味と満足感がこれほどまでに違う。以降、市販の刺身を購入することは一切なくなっていた。

嫁は、一度二度で飽きると思われていた「日本一簡単に家で焼けるちぎりパン」でのパン焼きを予想外にも継続。薄力粉や水の分量、常温保存時の室温、焼き加減などを微調整しながら、回を増すごとに手馴れていく。それに応じてパンの完成度も高まり、外はカリカリ、中はフワフワのちぎりパンを一日二個連続で作るまでになっていた。

僕は、柵からの刺身よりもう一段階上に行きたいと切望するようになり、生魚を捌き刺身まで仕上げるという過程に足を踏み入れる。家庭魚の王様アジを購入し、三枚下ろしに挑戦。一度目は為す術もなく失敗したものの、二度目から感触を得て一連の流れを掴む。以降は回を増すごとに捌くスピードも正確さも増し、食事前の気軽な前菜の感覚でアジを捌く。生魚を下ろす楽しさを知った僕は、あれだけ執着していた柵を買うことすら滅多になくなっていた。

嫁は、ちぎりパンを焼き方を完全に熟知したのか、やはり次の段階へ移行していく。ジャムやチョコを入れてジャムパン、チョコパンなどを焼くようになったのだ。いよいよ市販のパンに近付いてきた様相。最近では食パンを買うこともなくなった。

自ら作る楽しさと達成感。それは誰もが持っているはずで、一度始めてしまえば時間を忘れて没頭する集中力と感性とを秘めている。だけど作り始めるまでの心理的ハードルが高いから、その心境に至り行動に移すまでモチベーションと集中力を持続するのが難しいから、始まるという段階になかなか至らない。

その境地を得るには興味や向上心あるいは野心、それとも愛か、そんな心理的作用が必要なのは確かだが、ふとしたタイミングが重要なのかもしれない。一種の縁のようなものが。

僕は、新潟実家で義父が華麗に魚を捌き、刺身を切っていた姿を見た体験から刺身に興味を持ち、縁とタイミングもあって今現在、地力でアジを捌き刺身を盛り付けるに至る。

嫁もまた、刺身を切る僕に触発されたという動機で、当時ネットで話題だったちぎりパンのレシピ本を購入し、その完成度が予想以上に秀逸だったことで向上心に火が点き熱中していった。

人は、始めるのは苦手だが、いざ始めてしまうと意外と持続できる生き物。何より上手くなると高揚感に満たされ楽しいと心から感じる生き物。その段階に入ると、さらに上手くなりたいと願い、そのための労力を惜しまなくなるという構造をしている。そのサイクルに入ってしまえばもはや途中でやめることもないだろう。既に好循環の属性に転換している。

その好循環を得やすいという意味で、料理というジャンルは手頃で身近なのだろう。無限のバリエーションが存在するし、何より生活の上で欠かせない、毎日関わるジャンルだから。別段本格的な料理に取り組まずとも、気軽な気持ちで手軽なものに触れてみるのが良いかもしれない。

僕は刺身という分野で、嫁はちぎりパンで、各々自作の楽しみや達成感という好循環を得るに至る。

そして今日、さらに僕等は新たな段階へと踏み出した。
 
 
■初イワシ
今までアジしか捌いてこなかった僕は今日、イワシに初挑戦する。アジが下ろせればイワシも全く問題ないという嫁の持論に従ってのことだ。イワシは、「鰯」の名の通り骨も身体も脆く、アジより数段調理し易い。包丁を遣わずとも素手で捌けるレベルとのこと。構造はアジと殆ど同じで、アジよりもやり易いといわれるイワシ。僕はとりあえず包丁捌きをもっと身に付けたいので、今回は包丁を使用することにした。
 
 
■バラ売り魚のアドバンテージ
というわけで、温泉帰りのイオンで僕等はイワシを購入。しかも今回は最初からパックに入っているものでなく、氷水に浸けられバラ売りされているイワシを買った。バラ売りは持ち帰りの手間も掛かるし、移動中はナイロン袋に入れられているとはいえ空気に触れ野ざらしになるので保存性にも不安は残るが、その分パックに比べてコストは格安だ。

パックのものだとイワシ5匹で400円少々だったのが、バラだと1匹50円程度と豆腐よりも安い。魚ってこんなに安く買えるものなのかとある意味感動する。こんな安い食材でも、魚の鮮度を見分ける目利き、そして包丁技術と多少の手間とを掛ければ極上の刺身が出来上がる。何ともコストパフォーマンスの高い調理法なのか。そりゃパックに入った刺身セットを買うのが馬鹿馬鹿しくもなってくるさ。

とりあえずイワシを3匹、あと慣れ親しんだ食材もということでアジも2匹購入した。計5匹で300円程度。その全てが、店で出てくる刺身と(味だけは)遜色ない極上の刺身に変貌を遂げる。何というおいしいやり方なんだ。まるで毎日刺身を食いそうな勢いだった。
 
 
■イワシは素手で捌ける
そして僕は帰宅後、イワシの調理に入る。3匹の内1匹は嫁の希望もあって嫁に譲ったが、嫁は慣れた手付きで得意げに捌いていく。それも宣言通り素手で。両手を使って腹を開き、内臓を取り出し、背骨まで取り外し、刺身にする前の段階までイワシを加工していく。

ホントに手で捌けるんだな。僕は驚愕するが、「イワシは弱っちいから」というフレーズで当たり前のように嫁は何度も説明。ただ、「脆すぎるから逆に手だと身が壊れちゃうかもね」とも付け加えている。確かに嫁が素手で捌いたイワシは、包丁でスライスしたように鋭利な切り口ではなく、えぐられたように凸凹で身肉も何箇所かボロボロと剥がれ落ちている様相だった。

まさしく最弱の代名詞に相応しい弱さと脆さ。それゆえ、嫁がやったように手で捌いたイワシは、刺身でなくフライや蒲焼き、ツミレなどに使うのが一般的なのだとか。それを踏まえ、「刺身なら包丁で切った方がいいと思うよ」と嫁。何だ、結局包丁使うんじゃん。構えた分、肩透かしを食った気分だ。
 
 
■イワシのあまりの脆弱さ
僕はまな板の上に一匹のイワシを乗せて文化包丁を手に取った。要はアジと同じだろ。違うのは強度。イワシの方が脆くて柔らかい、ただそれだけだ。自分に言い聞かせて僕は、普段アジを捌くのと全く同じ手順でイワシに臨む。しかし、思った以上に苦戦した。脆弱すぎたのだ。
 
 
■孵らなかった卵
まずは頭を落とす。アジより簡単に落とせた。続いて腹を咲き内臓を取り除くが、その中の一匹が卵持ちのメスだった。その小さな身体の腹から大量の卵がこぼれ落ち、無慈悲に台所の排水口へと流れていく。あともう少しだけ生き延びられれば子供をたくさん産めだろうに。子孫を残せただろうに。僕が捕獲したわけではないけれど、何だか罪悪感を感じる。

しかもこのイワシが守りたかった卵も既に孵化する前に全てが死に絶え、その命の結晶である卵を人間は食うこともせずゴミのように捨てる。刺身には卵なんて必要ないから捨てるのが当たり前だけど、何だかこのイワシの尊厳を辱めているような気分になってくる。

自分がトドメを刺したわけじゃないけど、僕は日々何万、何十万匹と漁獲されているであろう脆弱なイワシ達の中、今目の前で守れなかった卵を曝け出し料理されている一匹のメスのイワシを捌きながら心の中でほんの一瞬黙祷した。この卵の中に眠っていた、今はもう孵らぬ数百、数千の稚魚達、その未来。それを刈り取り、自分の未来のための糧とする人間として、せっかくの命はせめて全部漏れなく食べ尽くしたい。
 
 
■儚すぎる肉体
内臓と卵を取り除いた後、アジと同じように腹から背骨に沿って包丁を入れていくが、かなり柔らかい。包丁の抵抗感が殆ど手に伝わらない。なるほど、確かに嫁の言うように素手で捌けてしまいそうなか弱さだ。

そんな弱さ、脆さだから、身肉にも締まりがないというか、締まりはあるんだろうけど絶対的な肉体の強度が低いから、強めに包丁を動かすとその衝撃で身肉が一部が削ぎ落とされてしまう。皮を剥く時も、皮に爪を引っ掛けた際、勢い余って身肉がボロリと砕け、ボロボロと崩れ落ちていく。これでは到底キレイな切れ口になりそうもない。

とにかくイワシを捌くのは相当難儀した。脆すぎる分、むしろアジより遙かに難しい魚だ。刺身のような繊細な調理をするなら尚更だろう。相手が柔らければ、弱ければ料理も易い
という単純な力関係で語れるものではない。むしろ多少抵抗してくれた方がパワーバランス的に具合が良いかもしれない。

たとえば恋人を可愛がるにしても、首尾一貫マグロでは張り合いがない、少しは抵抗したり反応してくれなければ。それと同じことだ。そのカウンターアタックが皆無だからこそ、力を入れすぎると糠に釘のごとく自らのエネルギーは相手を無意味に破損し、すり抜けるように分散してしまう。ガラスのように繊細だからこそ、形が崩れないよう用心深くさすり、壊れないよう労わり、だけど素早く確実に身肉や皮を切り離す確かな腕前が必要。

結論としてはアジよりよっぽど難しかった。イワシ初体験という側面も関係しているだろうが、それでも構造上はアジとほぼ同じだから言い訳は利かない。応用力がまだ足りなかったのだ。二匹目はそこそこ成功したが、この一見弱そうで実際も極端までに軟弱なこの魚にはまだまだ難儀しそうだ。

差し当たり、包丁の入れ方を改良すべきだろう。アジのように身肉に入れた包丁を力任せに引くのではなく、もっと緩急のバランスを取って、角度を変えずなるべく水平に手早く切れば無駄な傷も付かずキレイに三枚に下ろせるに違いない。

だがそれを可能にするのは力でもスピードでもない、肉身を切りやすい確度や方向を見極め、その流れに逆らうことなく包丁を入れ、無駄に力を入れずスッと引き込むような切り方をせねばならないだろう。切るというよりめくる感じか。つまり技術の向上が現在の僕に望まれるスキルだった。

そんな難航気味なイワシ三枚下ろしだったが、最終的にはそれらしい形には出来たか。同時に切ったアジは当然余裕として、その身はサッパリとしつつアジより脂が乗っているため刺身としては相当優秀。サッパリかつコリッとした食感を楽しみたいのならアジ。サッパリかつ滑らかな舌触りが欲しいならイワシを刺身にするといいだろう。どちらも超優秀な魚であることは間違いないから。

そう。アジの刺身も当然だが、イワシの刺身も尋常でなく美味かった。いくらでも食える。もしかして、イワシは刺身にするのが最も適しているのではないかと思えるほどに。
 
 
■鶏ハム
このように、僕は今日、イワシの刺身という新たな武器を手に入れた。そして嫁は、もはや自分の武器となった日本一簡単に家で出来るちぎりパンからもう一歩先に進もうとする。ジャムやチョコを入れるだけでなく、今度はサンドイッチの具を自作し始めた。

今回作ったのは鶏ハムである。鶏モモ肉を塩水に漬け、血抜きされたあと冷蔵庫かどこかでしばらく放置し、しかる後にスライスする。僕が見た限りではそんな感じの手順だった。ホントに出来んのかよw と苦笑していたが、しっかりとした鶏ハムが完成していたのだから料理というものは奥が深い。

その自作鶏ハムを、やはり手製のちぎりパンに挟み、まさしくイギリスの朝食風景を味わうことが出来た。

僕は刺身スキルと板前技術が進化する。嫁もパンテクニックとハム製造技能を修得していく。結果、完全カスタムメイドの食卓を用意するまでに至る。オール自分。自ら天塩にかけたからこそ尊く思い、尊く思うから何よりも美味しく感じる。自分の意志で敷いた道だからこそ幸福度は次元の違うものになるのだ。自作で得られるのは特別。自分だけの道であり結果。続けれていれば、面白い展開が待っている。
 
 
■メインは鍋
そんな自作の結晶で出来た食事も、一日で見ればあくまで前菜の位置付けだ。メインは餃子鍋。これもまたコクのあるスープが餃子や白菜に溶け込んで美味。身体の中まで熱くなる鍋は、やはり冬の風物詩。低コストで腹一杯食えて、栄養も十分。毎日鍋でも良いくらいだった。
 
 
■西新井温泉の客が増えた理由
話は前後するが、西新井温泉で寛いだ。最近では毎週土曜だったが、昨日は美容院やら北千住飲みやらカラオケやらイベント多彩だったため本日日曜へとずれ込んだ。毎週通う時点で完全なルーティーンと言えるが、温泉は何度行っても飽きないので。日曜ならば駅前ショッピングセンター「パサージオ」の特設広場で出張生物園をやっているかとも期待したが、パサージオはもぬけの殻だった。久々にカメやヘビに会いたかったのだが、極寒の2月だからだろう、冷血動物である彼等はこの時期外に出たがらないようだ。

気を取り直して西新井温泉を楽しんだのだが、ここ最近、客数が多くなった気がする。休憩用のソファも殆ど塞がっているし、風呂もサウナも水風呂も定員オーバー気味だ。寒い時期だから暖まりたくて皆が風呂に押し寄せるのか。それともTVで温泉特集か何かが放送されたのか。TVや口コミの影響って結構侮れないからな。3~4年前もTV特集にて「東京でオススメの温泉・SPA」という内容の番組が放送されてしばらくの間、西新井温泉にはスーパーの特売に並ぶ客のように次々と館内に押し寄せていたことがあるから。

ソーシャルネットに大分シェアを奪われたとは言え、メディアの宣伝効果はまだまだ健在。通常通っている人間からすれば、そんなにわか客達の存在はただ鬱陶しいだけなのだが。宣伝に乗せられて一時的に集結するにわかという人種は、時間が経てばその8~9割は四散しかつての集結先に一切見向くこともしないという移り気で冷徹な人種だ。そんな愛のない客達に我が物顔をされるのは古参として許し難く思うのだ。

そのにわか客を定期的に呼び込み集めなければ店というものは増収が見込めないし、下手をすれば経営が立ち行かなくなることも知っている。それでも言いたい。「僕が一番西新井温泉を上手く使えるんだ、僕が一番西新井温泉を」と。
 
 
■どこにでも居る常連
とはいえ、見る限り常連客も多数確認できる。顔をしっかり覚えているわけじゃないが、去年の冬から1年間、毎週同じ場所に通っていれば、自然と見知った面子を何度も見かけることになる。常連は何も僕等だけじゃない。毎週、あるいは毎日のように出向く客だって居ておかしくない、いや居るのが自然なのだから。
 
 
■女湯の妖怪
当然、西新井温泉こそが自分の居場所と情熱を燃やす客だって皆無ではないだろう。男湯は知らないが、女湯においては土曜でも日曜でも、とにかく毎回見かけるおばちゃん(ばあちゃん?)が居ると嫁から聞いている。通称『主(ヌシ)』と彼女のことを呼んでいるそうだ。妖怪じみた常連として知る人ぞ知る存在である。

主は、これ以上痩せてどうすんだ?と言いたくなるほどに骨皮な身体ながら、何故かサウナが大好き。発汗効果を高めるためか、サランラップのようなナイロンで身体を包んでサウナを楽しんでいたりしている。

主は、サウナ室ではいつも同じ場所に座り、そこに自前のクッション(座布団)を持ち込み座り込むらしい。自分がサウナ室を離れている間も、マイクッションで抜け目なく席取りをする。だから主のクッションがある場所には誰も座らないし、座れない。下手に主のスペースに入り込むと目を付けら陰湿な口撃を受けるからだ。

主専用のクッションが置いてない時もあるが、サウナ室に入った時、自分が座るはずの定位置に他の客が座っていた場合、主は容赦しない。その客の隣に座って牽制し始める。相手が気の弱そうな小鹿刑であれば、直接「そこはアタシの席なんだけど」と居丈高に凄む。相手がなかなか強そうであれば、「その場所アタシがいつも座ってるんだけど、結構熱くない?」と遠まわしに自分の所有スペースを主張したり、あるいは一緒にサウナに入っている取り巻きの連中に「さっきまで人が座ってた場所に恥ずかしげもなく座る人って居るわよねー」などと、どかしたい客に聴こえるように演劇口調で訴える。

根拠のない言いがかりでしかないのだが、いつでも居る常連だけに主の恐ろしさとプレッシャーを知っている者は多いようで、触らぬ神に祟りなしの精神で多くの客が主とは極力関わらないようにしている。

だが、主の常識が及ばない相手も当然居るわけで、たまに事情を知らない一見客や若い姉ちゃんが紛れ込み、主が勝手に自称する「自分の席」にあっけらかんと座っているケースが発生する。当然、主はネチネチと攻撃を仕掛ける。

しかし事情を知らない一見客は「はあ、そうですか」とワケが分からないままその場を動かず、若い姉ちゃんは主の口調から陰湿な性格を見抜くのか、むしろ攻撃的な小宇宙を発揮させて「空いてたんで座ったんで、ワタシがどく理由はないですね」とバッサリ一刀両断の下に主を切り捨てる。

自分の常識が通用しない相手に遭遇した主はあっけに取られ、皆が自分にかしずくと思い込んでいたところ唐突に反旗を翻され動揺し、恨みがましい一瞥を残しながらサウナ室を撤退する。その時、普段から主に虐げられている客達は心の中で喝采し、嫁は喜々としてして僕に報告に来る。という流れだ。

まあ、常連客であるという自我が肥大化してしまいモンスター化してしまう客はどこにでも居るということで。
 
 
■男湯の怪童達
女湯の主ほどではないが、男湯にも常連めいた人間はちらほら見かける。行動も主ほど突飛ではないが、やはり通常客に比べて目立つ挙動をすることが多い。妙な動きをするから印象に残るのかもしれないが。

とりあえず僕が覚えている限りでは、まず露天で腕立て伏せや空手の型、正拳突きや前蹴りなど空手系デモンストレーションを繰り出す腹の出たおっちゃん。

それと、水風呂に入って「お゛お゛~っ!」と喘ぎ声を上げながら、頭まで水風呂の中にドボンと浸けた後、カエルのような格好で水風呂にプカーッと10秒くらい浮かんだ後、「ふう~っ!」と恍惚の声を漏らして、またカエルになるという動作を2~3回繰り返すおっちゃん。

後は、両足が使えないのかいつも松葉杖で更衣室に入り、本当に両足が使えないのか座ったまま着替えをし、そのまま足を使わず両手だけで浴室に入り、サウナ室や風呂も全て足の代わりに手を使って移動する、ある意味そこまでしても温泉が好きで仕方がないと予想されるおっちゃん。

本当は他にも多数の常連が居るのだろうが、振る舞いが普通なので印象に残らないのだろう。とりあえずその3人のことはよく覚えている。まあ僕だって、仮にも毎週通っているのだから、僕のことを覚えている客も多分居るのだろう。風呂に入る時は緑や赤などかなり目立つ色のタオルを必ず三角巾のように頭に被るというスタイルだし、水風呂に入った後などは夢遊病者のようにフラフラと掛け湯の場所に歩いていくし。まあ僕もある意味目立つ挙動をしてはいる。

別に目立ちたくてやっているわけではないが。実際、サウナと水風呂のコンボの後は倒れそうなほどフラフラだし。風呂に入ったくらいでここまで疲れるとは、体力と気力が思い切り低下しているのかもしれない。
 
 
■極上のおやつ
話が前後してしまったが、この日曜は自作パンどころか自作ハムを作ったり、初めてイワシを捌いたり、西新井温泉で汗を大量に流したりと、なかなか白熱するイベントが隠れていたように思える。

しかも嫁なんて、朝にちぎりパンを作ったのに、夜にもまたちぎりパンを焼いていた。あんパンを作ってみたくなったからだそうだ。一日2回。まさにその魅力に取り憑かれマシンとなったベーカリー嫁。そのあんパンがまた市販のものより美味しいのだから文句を言う余地がない。これだけ上等な成果が出せるのならマシン大歓迎だろう。

もう1つ、昨日北千住のドンレミーアウトレットで買った菓子の1つを夜食で食ったのだが、これが余りにも美味すぎて思わず叫んだ。食ったのはミルクレープだ。ミルクレープとは、クレープを何重にも重ね、その間にクリームなどを挟んだケーキ風の菓子だ。語源は日本。日本発祥の造語であるが、ミルクとクレープという意味ではなく、「mille」クレープ。milleとはフランス語でミルフィーユのミルだとのされる。

そのミルクレープが、あり得ないほど美味かった。クレープの柔らかさと、甘いけどもたれない柔らかいクリームとが何重にも折り重なり、優しくも深みのある美味しさを醸し出している。日本人ならではの繊細かつ細かい作りが何の抵抗感もなく歯と歯の間に、舌に絡まる。

これほど美味しいおやつを食ったのは久しぶり。僕も嫁も問答無用に「美味い!!」と叫んだ。北千住のアウトレット菓子店として都内でも名高い「ドンレミーアウトレット」における奇跡。まさしく突然変異的に表れたスペシャルヒット作だった。ドンレミーアウトレット、本当に侮りがたしである。
 
 
■日曜とは
こうして食と温泉で終わった日曜。かつてアクティブに外出し動き回っていた時期と違い、時間も身体もゆっくりと、別世界に隔絶されたかのように動いている感覚だ。実際は、同じ時間が過ぎ去っているのだが、平穏で、優しい、これこそが休日という言葉の本当の意味なのかと思えるほどの平和な時間だった。


人気ブログランキングへ