【朝メシ】
菓子パン、アイスコーヒー(家-嫁)
【昼メシ】
海賊レストラン キングオブパイレーツ アクアシティ内(嫁-台場)
【夜メシ】
もんじゃ焼き屋「杉の子」(住吉-友人4名)
カップラーメン、コンビニサンドイッチ(家-嫁)
【イベント】
マラソン5kmサンタファンラン 28分くらい、台場散策、住吉もんじゃ焼き、
【所感】
今日はマラソン大会の日である。
今年に入って22回目か。よく続けたよなどと苦笑しつつ、昨日買ってきた惣菜パンの残りをかじったり、煙草を吸ったり、アイスコーヒーのお代わりをしてみたり。コンディションに気を遣っているようには見えない。
だけどコンディションなんてものは意外と簡単には崩れないもの。それに、たとえ調子がイマイチだとすても、5km10km程度の距離なら骨でも折れない限り完走出来るものだ。
結局は日常の延長線。買い物や飲み会やパチンコに行くのと変わりなく、それがマラソンに置き換わっただけの話だ。意外と適当であり、適当でも大丈夫ということに、20回以上も走ればさすがに気付く。
プロランナーやタイムに拘る本気ランナーならともかく、参加することに重点を置くランナー、ただ走ることに意義や楽しみを見出しているファンランナー、あるいは自分自身が納得出来ればそれで良いという自己完結型ランナーにとって、マラソン大会への参加はあくまで日常の延長線上にある多数のイベントの中の一つでしかないのだと。
それでも毎朝早起きし、遅れることなく11ヶ月間、週2回ペースで自分なりに走りきれたことに対しては、自分でも一定の評価をしている。そして感謝もしている。恐らくマラソンの予定を入れなければ、日々はもっと無味乾燥で平坦に過ぎていただろうから。
殆どのことを楽しいと感じられなくなってしまった現在のメンタル下で、マラソンは確かな目的意識を持ってこなせた数少ないイベント。束の間、身も心も引き締まる。矛盾するようだが、堕落に歯止めを掛けてくれたマラソンという行事にはやはり感謝したい。
というわけでマラソン大会。今回の開催場所は、台場の潮風公園。結構慣れた土地だ。しかし大会の内容を考えれば初めての経験かもしれない。「サンタファンラン2013 in 台場」という大会名だが、いわゆる仮装マラソンだ。ランナー全員がサンタの格好をして走る。コスチュームも運営側が用意する。ある意味コスプレマラソンであり初の体験。
次に、タイムを計らない。主催者側は、あくまでランナーにサンタコスチュームを渡すだけ。タイムを計りたければ各自で勝手にどうぞ、というスタンスだ。
通常マラソン大会といえば、タイムを記録として残すもの。レベルを問わず、ランナー達にとってそれは目安であり、完走したという証明であり、数字として残ることによって達成感と思い出も残せるからだ。規模の大きい大会、本格的な大会では、ゼッケンに記録計測チップが付いており、タイムを自動で計る。そうでない大会でも、スタッフが手動でランナー達のタイムを計る。
だけど今回のサンタランではそれもない。つまり遊びなのだ。気合を入れて上位を目指すという趣旨ではなく、皆で和気藹々と走るのが目的。本気で走るのではなく、走ることを楽しむ。まさしく「ファンラン」の真髄とでも言おうか。
全員同じコスチュームを着ることによって一体感を感じ、景色を眺めながら汗をかくことによって爽快感を得る。ランナーだけでなく、道行く人々も、目立つ格好をして海岸沿いを走るサンタの集団を見て「何事だ」と振り向く。滑稽で、だけど楽しそうな様子を見て見る側も何となく楽しい気分になる。
公園内に設置された特設ステージでは、アロハダンスや弾き語りなどの催しが行われている。キャンピングカーで販売されているビールを飲みながらその催しをのんびり眺めてもいい。走ることも含め、それらを楽しむことに主眼が置かれている。今回のマラソンは、名前が示すとおり「ファンラン」だった。
タイムを計らないというのは想定外だが、日々自分と闘う大会参加の中、こういう緩いイベントがたまにはあってもいい。少し気楽になった僕は、受付で真っ赤なサンタ服を受け取り、特設テントで更衣した。
コスチュームはしっかりとした布製でなく、少し厚手の紙に綿がくっ付いたチャチな作り。水で濡らせばすぐに破けそうだ。ドンキで売っているような一回限りのパーティ用とでも例えればいいか。予算を抑えてやがる。
だけどその一回限りが良いかもしれないとも考える。一度きりだからこそ輝く。もう無いと思えるからこそ心に残る。それが今一時の気持ち。そんなシーンが、強烈な記憶が、輝く季節が、誰の心の中にもあるはず。
着替えを済ませ外に出ると、外はサンタだらけ。若い兄ちゃんやら、腹の出たおじさんやら、キレイなお姉さんやら、子供やら、様々な層がサンタの格好をして談笑している。これは確かに面白い光景だ。それだけで参加した価値がある。
ちなみにコスチュームは、サンタ服の上下と帽子、さらに付けヒゲもあり、全て装備すればそこそこサンタになり切れるだろう。せめてこの一日だけは自分でない何者かになり切りたい僕は、格好の機会とばかりにヒゲもしっかり装着し仁王立ちした。
しかし、僕の帯の結び方を見た嫁が「何か結び方違うよね」と一言。言われてみれば確かに結び方がおかしいと気付く。へその辺りで結んだ両端が八の字のようにダランと垂れているのだ。これは、空手家や柔道家する道着の帯の結び方である。言われて初めて気付いた。
そういえば、浴衣の帯なども僕は全て空手家仕様だ。自分的にはしっくり来るが、周りと比べてどうも違和感を感じていたんだよな。その理由は、僕が何かにつけて空手の帯の結び方をしていたから。長年の謎が今日ようやく解けた。
だが、謎が解けたからと言って、普通の結び方が出来るわけでもなく。あまりに長い間、空手結びを続けていたため、他の結び方を忘れてしまった。僕は生涯「帯がヘンな人」として生きていくしかないかもしれない。
もう一つ。帯の結び方で思い出したが、考えてみれば僕は、ネクタイの結び方も一つだけしか知らない。というか、あまりに同じ結び方しかしなかったため、他のスタイルを忘れてしまった。
恐らくだが、スーツを着るリーマンやブレザーの学生がネクタイを締める時、最もポピュラーかつ多用されている結び方は、一回巻いて結び目をキュッと細めに締める方法だと思う。下記サイトでいう「シンプルノット」か。
↓
http://www.tieknot.com/nekutai.html
僕の結び方はそうではなく、ネクタイで作った輪っかに通した後、二回左巻きに巻いてから締める方法。結び目部分が結構横に太くなる。同サイトで言うところの「ダブルノット」だと思われる。
スーツを着る機会がそこそこ多かった学生時代。先輩や親父からシンプルノットやダブルノット、他にも色々結び方を教えてもらったものだ。しかし僕は、何となくダブルノットの「二回巻く」というもったいぶったやり方が気に入り、事あるごとにダブルノットで結んでいた。
その流れから、社会人になっても同じ行動を取る。面接だろうが顧客への訪問だろうが冠婚葬祭全てにおいても、バカの一つ覚えのようにダブルノットでしか結ばなかった。それ以外は知らないという状況に陥っていた。
ある意味、怖いことだよ。先のサイトを見るだけでも、ネクタイの結び方にはシーンごとに適切なバリエーションが存在すると分かる。だけど僕は、ただ一つしか知らない。知っていたけど忘れてしまった。なぜ忘れてしまったかというと、他の結び方をしてこなかったから。
紛れもない退化だ。羽があるのに飛べないペンギンのように、人間にとっての盲腸のように、使っていない内にその使い方を忘れ、いずれ何のために存在するのか曖昧になってしまう。あるいは、昔は英語を話せたのに、それを使わないままずっと国内で過ごしてきたのでいざとなったら英語で話せなくなっていたというケース。
内臓器官やスキルならまだしも、ネクタイの結び方のバリエーション保有などは、そこまで気を遣わずとも保持し続けられるはずのジャンルだ。何しろネクタイは毎日結ぶ。日常に関わる動作だからである。つまり、月~金の内、毎回ネクタイの結び方を換えるという癖を付けておけば、ダブルノットしか知らないという応用性のないリーマンにはならなかった。
無論、そういう癖を付けるためには最初が肝心。最初の1ヶ月くらいは毎回違うネクタイの結び方に時間を取り苦労するが、2ヶ月もすれば慣れるだろう。最初だけストレスを我慢して頑張っていれば、今頃は5種類のネクタイの結び方を操るオシャレリーマンになっていたはずなんだ。
だけど今現在、出来上がったのはダブルノットしか出来ない不器用な男。ネクタイを締め始めたあの頃、ほんの少しの努力を怠ったからこうなった。つまり初動を誤った。僕は二十年前のあの時から道を踏み外していた。
似たような現象は日常生活の中で数え切れないほど確認できる。身だしなみという観点だけでも間違いだらけだ。
たとえば髪のセット。いつもワックスを塗って髪をセットするのだが、ここ数年の僕は、決まりきったかのように髪をピンと立たせるだけのいわゆる「仙道ヘア」にしてしまう。自分にとって一番楽で簡単という理由からだ。
本当は、もっと他のセット方法も知っていた。美容院の兄ちゃんなどから、ウェーブがかったセットとか、前方に流れるようなセットの仕方など色々教えてもらった。しかし実際、家でやってみると相当難しかったのでチャレンジするのをやめた。
結局、美容院兄ちゃんの懇切丁寧な指導の甲斐なく、面白みのない仙道ルックを繰り返すだけの僕が居る。さらに最近では、セットすらせずただ髪を前に垂らしただけの無関心ヘアで出勤することも多くなった。
美容院兄ちゃんは、良かれと思って教えてくれたはずだ。「やり方次第で見え方が全然違いますよ」と。つまり可能性を提示してくれたのに、僕が教えに従わなかったせいで…。
美容院だけでなく、たとえば服屋の兄ちゃんはジーンズの履き方とか、シャツの折り方とか、色んな見せ方を教えてくれたし、整骨院の院長は、腰が痛くならないシャキッとした立ち方や歩き方を指導してくれた。だけど僕は結局続けることが出来ず、あらゆる場面でワンパターンに陥っていた。
教わったこと。示唆してもらった可能性。それをするかしないか、続けるか続けないかは本人次第だ。身だしなみだけでない、それは人生のあらゆる場面で欠かせない感性。
幅広く自分の立ち位置を変えられる人間は、きっと続けていたに違いない。逆に決まりきった見せ方しか出来ない人間は、本当は広がっていた可能性を自ら断ち切った。
もしそれで袋小路に立たされたとしても文句は言えないのではないか? 必要なことを続けずして最良の結果を得たいなど、虫がいいとは思わないか?
そういう意味で、今回のマラソン「サンタファンラン」は、決まりきった自分の立ち位置を多少なりとも変える機会になるだろうか。
そうかもしれない。初めてのコスプレは、必ずしもランニングパンツとシャツを身に着けなければならないわけでなく、自由な服装で走って構わないのがマラソンだということを教えてくれた。また、タイムを計らないという現実は、マラソンとタイム計測はセットだと思い込んでいた自分の頭を少しほぐしてくれる材料にもなる。
固定観念を取り払い、視野を広くする。ある意味、マラソンに対する僕の妄執を解き放ってくれるイベントなのかもしれない。今回のサンタランには色々勘違いの上にエントリーしてしまったが、ある意味怪我の功名。これも良い経験ということで、僕は周囲に群がる赤い軍団に混じって準備運動を始めた。
今大会は、チャリティーの側面も強い。主催者の趣旨を見ても、「障害を持った人達の支援」が目的のようだ。壇上には、片足を失い棒のような義足を着けた人や車椅子の人が紹介され、演説をしていた。
彼等もまたサンタの格好をして走り、車椅子で進んでいくようだ。その車椅子を押す人間もまたサンタの格好。つまり、健常者も障害者も関係ない、全ての人間がサンタの格好をして走り、その一体感を世にアピールするのが本当の趣旨だろう。
だからタイム計測もない。ともすれば歩くより遅い人達が大勢居るからだ。タイム以外の部分が本題ということ。
僕は今、「健常者」「障害者」という言葉を用いた。というか、久しぶりにこの言葉を使った。久しぶりというより、そもそも忘れていた。忘れていたのは使う必要が無かったからで、使う場面に遭遇しなかったからで。ある意味、見ないフリをしている。
健常者と障害者という対比。障害者という言葉を使うから健常者という言葉が生まれ、だけど一方では障害者という言葉を使うのは差別であるという声も常に出る。じゃあどういう呼び方がいいのか、それを考える。
だけど考える前に、考えなくなる人間も出てくる。結果、障害者の存在に触れる機会を避けるようになる。あまりに糾弾しすぎると人は考えることをやめ、黙ってしまうからだ。障害者という言葉を発するだけで過敏になる人間が居るのは百も承知。承知だから、まるでタブーであるかのように目を背ける。
だけど、それを続けるとどうなるか。忘れる。さっきまでの僕のように。障害者の世界を意識しなくなる。最初から障害者など存在しないという生き方と考え方に向かってしまう。だから僕が久々に健常者・障害者という言葉を使った時、ハッとした。確かにそういう世界もあり、それはずっと昔からあり続けたはずだと思い出した。ここしばらくの間、その現実を全く見なかった、忘れ去っていた自分がいたことを。
この辺りのバランスは本当に難しい。障害を持っているという事実は明らかで、だけどことさらにそれを強調するのは差別なのではないか、本人に悪いのではないか、そんな考えが浮かび、オブラートに包もうとするが、上手い調整の仕方が見出せない。だったら最初から関わらない方がいい。そして、いずれ完全に忘れる。
だけど障害者にとって、傷付く言葉を投げ掛けられるよりも、完全に忘れ去られることこそ最も悲しいのではないか。そう思わなくもなかった。
その調整の困難さは、「支援」という言葉にも一難を投げ掛ける。今大会はチャリティーなのだから、参加費の一部は障害者達の支援に充てられるだろう。それは僕も納得済みだし、殆どの参加者が同じはず。
だけど、本当の支援というのは金銭面だけに留まらない。壇上で紹介された片足のない彼は、障害者達で行われる大会の優勝者だったか、とにかくトップランクの人間らしい。そう説明で聴いた。「へぇ~」と思いつつ、でもそういう大会があること自体。初めて聴いた。今大会に参加しなければ知り得なかった事実だ。まさにここが重要。知っているか知らないか、という点がである。
主催者の真意は、そこにこそあるはず。つまり啓蒙だ。「こういう世界がある」「そこで生きる人達がいる」「それを広めるために、こういう大会がある」と世の人々に広めるという啓蒙活動のことだ。
認知され広まることにより、最終的には市民権を得る。表現の仕方が違うかもしれないが、最終的に本人達が「一人立ち」出来るようにバックアップしていく。そこまでやってこそ本当の支援になる。寄付だけでは解決しない。本当の支援に届かない。
発展途上国に対するODAと同じだ。先進国が途上国に莫大な資金を貸し出し、あるいは与える。途上国の人間はそれで一時豊かになる。だけどそれでは先がない。子供が大人に小遣いをせびって玩具を買っている行為と変わらないからだ。つまり、消費するだけ。生産という部分が抜け落ちている。
親の庇護を受けながらも、子供は最終的に自立し自分で働くようになる。親から小遣いを貰わずともしっかり働き社会に貢献する。そこまで面倒見るのが支援であり、義務だろう。
途上国への支援も同じ。まずは食い物や衣服を与え、次に仕事を提供する。だけど最終的には途上国の人間達だけで生産し、産業を興し、政治体制を確立し、法律や教育を整えなければその先への進展がない。ただ金を与えて一時凌ぎの欲求を満たすのを手伝っているだけだ。
最終的には自国の人間達だけで政治経済を回せるようになるのが最終目的。それまでに必要なインフラ作りや人材育成に力を注ぐ。それが真の支援だ。
サンタファンランも同じだろうな。一応、参加費という名目で間接的に金を払っている。寄付という形で支援している。だけど障害者達が自立できるまでのバックアップという意味では貢献出来ていないだろう。
そもそも、やろうと思ってもどうせ出来ないと分かっている。自分の労力をそこに注ぎ込むという覚悟も姿勢もないからだ。だからこそ「金を払ったから支援しました」と満足気に笑うことも出来ず。でもそれ以上のこともやはり出来ず。結局は自分に可能な範囲で支援する以外にない。僕に可能なことは、このブログを書くことくらいだ。ほんの少しでも見知らぬ誰かに啓蒙できればいいと願いつつ…。
まあ、街の胡散臭い募金などより、こういう分かり易い形の催しに参加する方が僕としてはよほど寄付した気分になるのは間違いない。
差し当たり僕は、開会式の際、紹介された障害者ランナー達の紹介で、少し考えるきっかけを与えられた。片足の無い人を見て、「アレで走れるのかよ」と、ある意味驚き、だけど「アレで走るとは、すごいな」と感服もし、それでも「よく走る気になるよな」と片足の彼を奮い立たせる原動力は何なのかと思考を巡らせたり、いつもと違った面持ちで司会の人間の声を聴いていた。
まあ、彼は何か訴えたいことがあるんだろう。人にはそれぞれに悩みがあり傷があり、だけどそれを払拭しようとする原動力もあり、各自で方向も性質も異なる。だから本当の意味で、足を失った彼自身の想いや心の深淵は、足が二本ある僕には多分計り知れない。
だけど僕自身とて、自分なりの辛さがあり、深い傷を負いながら生きている。それは彼には分かるまい。
いや、結局誰にも分からない。どちらの傷がより深いか、どちらが切羽詰っているか、そんなものは論点じゃない。比較なんて出来ない。全ての悲しみや辛さは本人一人だけが背負うものであり、理解できるのも本人しかいないからだ。自分自身が何とかするしかない。
だからといって、内に篭るのは違うだろう。問題を解決するというのはそういうことじゃない。自分で考え、きっかけや解決の糸口を探すために外に出る。そこから始まるのがセオリーだ。その場合、人を頼るのが間違いとも思わない。
ただ相手を選ぶ必要はあるだろう。本人にしか分かりえない苦しさを、ありきたりの一般論でまとめようとする人間や、自分の経験側だけで分析判断するだけの輩に用はない。ある意味で逆効果だ。
そうでなく、自分が頭の中で思い描いていることを体現している人。メンタルが同じ方向を向いている人。波動が重なる相手から力を受け取るべきだ。最終的に問題を解決するのは本人。だけど一人だけでは困難で、誰かに道筋を示してもらう必要がある。その筋道を間違えるのは、思い描く道への遠回りになるだけだということを理解した方がいいかもしれない。
僕は、サンタ服を着た障害者達の姿から何かを得ただろうか。それでも走ろうとする彼等の姿勢に感服したのは確かだ。「オレもやんなきゃな」と思ったりもした。
だけど誰かの努力を見て「自分も頑張んなきゃ」と涙ぐみテンションを上げることと、それをきっかけに本来眠っていた勇気なり行動力なりを自分の中から絞り出せることは、まるで次元の異なる話だろう。
その相手を自分の願望の投影先として見るだけか、自分が出来ないことへの代償行為として、その相手がすることを自分のことのように喜ぶか。そこで止まってしまうのなら、映画を観て涙ぐむのと変わらない。自分が主役になってない。
誰かに勇気付けられ背中を押されるのは同じ。だけどその誰かから自分はバトンを渡されていることに気付く必要がある。そのバトンの存在を認識できるか。バトンを受け取ったあと走ることが出来るか。つまりバトンを渡された後、主役はその相手から自分に交代したことを自覚出来るか。自覚できて初めて「変わった」という言葉を使える。
このサンタランで僕は変われるのか。主役としての自覚を得るのか。恐らく、サンタ服で皆と一緒に走っただけでは変わるまい。だけど後日、このことについて真剣に考えようとした時、題材には上るイベントになるようには思える。だからとりあえずは走ってみることにした。人はそれを「案ずるより産むが易し」と云った。
それにファンランなんだし、走ること自体は遊びみたいなもの。先述した障害者ランナーも沢山居るし、イベントに華を持たせるためか「ミスインターナショナル日本代表」というタスキを着けたキレイなお姉さん二人もサンタの格好をして走ったり、まあ完全にお祭りベクトルである。スタート地点から皆が結構弛緩していた。
そしてスタートを切った後も、通常のマラソン大会のようにダッシュで駆け出すサンタはごく一部。多くのサンタ達がノロノロと、歩くぐらいのスピードで、仲間同士で喋りながら、応援者達に手を振りながら出発していた。写真を撮りながら走るサンタなんてのも居たな。なるほどこれがファンランか。一つ勉強になった。
僕はというと、ファンランとはいえ一応自分と闘うために走っているわけだし、手抜きをするのは少し違うと考える。よって従来どおり、自分なりに精一杯走ってみることにする。精一杯とは、息苦しくて止まりたいと思えるペースを保つこと、そして完走しきること。この二つが条件だ。後ろでキャッキャウフフと超楽しそうに走る若い男女達に混じりたいという欲求を抑えつつ、5kmの距離を走破した。
基本走っている時は一人だけど、途中、明らかに走り慣れている5人組の陸上部風な兄ちゃん集団に「頑張ってー」と声を掛けられたり、折り返し時、ミスインターナショナルのお姉さんとハイタッチをしてみたり、少なくとも暗い気持ちにはならなかったな。
結果は28分少々。一応嫁に計測してもらったが、5kmのタイムとしてはごくごく一般的。むしろ通常の大会であれば中の下くらいの順位だ。しかしさすがファンランの名は伊達じゃない。今回のサンタランの参加者は100~200人くらい居たと思うが、この僕ですら5km走者の中で多分トップ10くらいに入っていた。ファンランではヒーローになれるってことか。
一時的ヒーローの僕は、スタート時点でほぼ先頭集団を走った。明確に誰かに抜かれたというのも5~6人。基本的には、自分の前を走る人間に付いて行くというスタンスで走り続けていた。自分が上位で走るってのも初めての経験だ。少し気持ちがいい。
だけどランナーという見方をすれば前のままの実力であるのに変わりはなく、走れるヤツからすれば遅い男であることも変わらない。今回なんて、途中で身長90cmくらいの女の子にも抜かれた場面面もあったし。ホンキ度の高かった僕としては大人のプライドがズタズタだ。
ただ、この女の子は子供の中では確実に早い部類のはず。多分小学2~3年だろう。スタート地点から先頭集団にくっ付いていた。その後も大体僕と同じペースで走り、明らかに同年齢では突出していると分かる。しかし2kmあたりでさすがに疲れたのか、ペースダウンしてしまったようだ。その2kmあまりの間、僕はこの女の子の後ろをずっと走っていた。
だから親近感というか、微笑ましく見守る親のような気持ちが芽生えたのも確かだ。苦しそうにして、止まりかけた彼女を抜く際、「ファイト~っ♪」と声を掛けた。女の子はびっくりしたように僕を見上げた後、だけどしばらく僕の影を追うように、すぐ後ろをペタペタとしばらく頑張って走っていた。
さすがに後の方で僕のペースに付いて来れなくなり減速したが、その時も僕は「自分のペースで頑張ってね♪」という声を彼女に投げ掛けたものだ。あの女の子は、急に声を掛けてきた僕のことをどう思っただろう。
少なくとも警戒はされていなかったと思う。知らない大人のサンタに優しく励まされた、と思ってくれた。そう信じる。皆と同じサンタの格好をしているからこそ、同じランナーだからこその安心感が彼女の中にはきっとあった。だから僕も声を掛けたのだ。
サンタ装備の効能はそれだけではない。僕は完走後、しばらくして無性に煙草が吸いたくなった。しかし家にタバコを忘れてしまった。広場傍の売店に売っているかと思ったのだが、売店のおばちゃんは「タバコは売ってないよ」とダミ声で無情に切り捨てる。余計にイライラした僕は、タバコを吸いたい、ニコチンを摂取したくて堪らなくなった。
そんな時、若い姉ちゃん二人が売店前のテーブルに座ってお茶をしている。彼女等はタバコを吸っていた。その彼女等から僕はタバコを恵んでもらおうと考えた。苦肉の策だが仕方ない。人見知り激しい今の僕がギャルに話しかけるなど本来有り得ないが、タバコへの欲求が余りにも強かったので。
意を決した僕は、震える声で姉ちゃん二人に「すいません」と声を掛ける。マジで声が震えていた。姉ちゃん等は一瞬ビクッとして僕に振り向く。「ぶしつけで申し訳ないんですが、タバコを一本分けてもらえないでしょうか」と、タバコを忘れた旨と、近くでタバコを調達する手段がないという事情を説明しつつ、おこぼれを下さいと懇願する。なるべく怖がらせないように…。
かつ自販機を指し示し「代わりにコーヒーでもおごります」と、決して邪な考えから声を掛けたのではないことをアピール。とにかく必死だった。同時に、自分から話しかけたのは本当に久々な気がする。
ただでさえコミュニケーションするのがキツい時期。しかも、飲み屋や店の店員ではなく、一般人の若い姉ちゃんとなれば最もハードルが高い。そこら辺のおっさんに話しかけるのとはワケが違ってくるからだ。姉ちゃん等の「なにこの人、突然キモいわね」とアイコンタクトを取られているのではないかと戦々恐々だった。しかし…、
姉ちゃんの内の一人が、スッとタバコの箱を差し出し、「じゃあ、一本どうぞ」と返答。意外ににこやかな顔で恵んでくれたものだから、僕としては違う意味で身震いしたものだ。久々に見知らぬ人に優しくされた感動というか。
この一本のタバコで、どれだけ僕の禁断症状が救われたか。どれだけ僕の心が救われたか。あの姉ちゃん達には想像も付かないだろう。「じゃあコーヒーおごります」と言ったら、「別にそこまでしてもらわなくてもいいですよ、タバコくらいでw」と返答してくれたことがまた嬉しさを倍増させた。
当然、サンタの格好が好印象を与えたのは言うまでもない。すぐそこでは同じようなサンタルックの人間達が走っている。僕もその仲間だと当然思われる。その安心感と、さらにサンタの可愛らしい着物がもたらす柔和なルックスが、彼女等の警戒心を解いたに違いない。
さらに、僕が灰皿の前で海に向かって仁王立ちしながら貰ったタバコを一本吸っている時、先ほどの姉ちゃんが「あのー」と声を掛けてきた。そして残り二本だけ入ったタバコの箱を僕に差し出し「これ全部上げます、よかったら吸ってください」と、箱ごと恵んでくれた。いわゆる追加サービス。これもきっとサンタ効果。
その姉ちゃんが女神に見えた潮風公園の一角。ルックスや第一印象、あるいは醸し出すオーラや雰囲気がどれだけ大事か身に染みた日でもあった。
あの時姉ちゃんからもらったタバコの箱は、今でも部屋の片隅に飾ってある…。
そしてもう一つ。多くのランナー達がゴールしていく中、広場の真ん中あたりに僕は、走行中にしばらく併走していた例の小学生の女の子を見つけた。彼女は親の元に走り寄り、満足そうな顔で見上げ結果報告をしている。
そんな彼女を少し離れた場所から見つめながら、僕は手渡されたペットボトルのドリンクを口に流し込み喉を潤す。僕の仕草やチラ見に対し、「どうしたの?」と嫁が問う。僕は「いや、あの子ね…」と少し間を置いた後…。「あの子、頑張ってたよ」と目を細めて短く応えた。
あの小さな女の子と併走した数分間のこと。彼女に対して掛けた二声。ゴール後、親に報告していた時の彼女の嬉しそうな笑顔。今でも印象に残っている…。
走り終えた後、広場を嫁と少し回りながら、キャンピングカーで売っている車内販売のツマミを物色。今回はいつもと違い、閉会式まで待つつもりだ。今大会にはチャリティーとして様々な企業およびアーティストもイベント出演者として参加しており、そのスポンサーが賞品を用意しているからだ。賞品はランナーの中から抽選で選ばれるらしい。そりゃ残るしかない。
広場を回っている内、スポンサーの一社が観賞用に車を三台ほど展示していた。その車に近付いてみる。メルセデスベンツである。思わず「こいつぁ…カッコイイ!」と声が漏れた。
僕は10年前くらいに車を売ってしまい、今は所有していない。それ以降、興味が殆どなくなった。だけどマラソンで汗を流して清清しい気分になっているからか、メルセデスのメタリックなフォルムと輝きが一層美しく見える。
その中のEクラスだったか、忘れたけど左ハンドルのオープンカーに試乗してもいいと係員の人が言ってくれたので、僕は遠慮なく試乗させてもらう。クラシックでズッシリとしたシート周り。太陽の光を反射した黒の車体が青空に映える。つい嬉しくなった僕は、右手でハンドルを握り、左肘を窓枠に乗せてポーズを取ったりしていた。子供のように。
僕は「左ハンドルとか正気かよ」と今まで思っていたし、外車を買う人間の気が知れなかった。だけど今回「左ハンドルも悪くないね」と考えを改める。そして「外車もイイね」と素直に思った。
この車の件もまた、自分の立ち位置を少し変えるきっかけになったのかもしれない。今後、車を買う日が来るかどうか知らないが、もし買うとしたらメルセデス・ベンツにしようと僕は本気で考えていた。
今日、メルセデスに出遭ったのは偶然。だけど、これこそ縁。車に対してここまで心が動いたことは今までない。いつか、この偶然を必然に出来たらいい。
ようやく閉会式が始まり、待ちに待った抽選会も開かれる。賞品は6~7つくらいのカテゴリに分けられており、上に行くほど豪華な賞品だ。一番最初は小物のような感じで10人様に当選。次は5人、みたいな。ミスインターナショナルの美女から直接手渡しされるという嬉しいオマケ付である。
出来れば一番いい賞品が当たればいいんだが、まあそんな都合のいいことは起こらないだろうな。僕は他人事のように、当選者を発表する司会の声を聴いていた。
その途中、「続きまして、『谷中寅吉』さんのCDの当選者」と司会者が紹介する。谷中寅吉』とは、谷中銀座あたりを拠点とする民謡系ミュージシャンのようだ。今回のステージでも演奏していたらしい。僕も初めてその名を聞いた。
今回、その谷中寅吉が出したCDが賞品として当たると言う。当選者は一名のみだ。ある意味、一番上の賞品よりも競争率が高い。だけど価値があるのかないのか良く分からない。そんな曰く付きの賞品。谷中寅吉のCD当選者は…。
「ゼッケンナンバー045番の方! おめでとうございます!」
ふーん、045番の人ね…ん? 045番? 045…045…。
…って、オレじゃん(゜Д゜)!?
当選者は、この僕だった。
マジか?と思い、良く分からないままミスインターナショナルの前に歩き出す。
「おめでとうございます!」という声にペコリと頭を下げる。
戻った僕の手には、見たこともないCDと、あと手編みであろう雪だるまの人形…。
ある意味で最も倍率の高い賞品を当ててしまった。もの凄い強運の使い方というか、運って一体何なのか。とても不思議な、異世界に迷い込んだような閉会式の一幕だった。
あらゆる意味で印象に残った台場・潮風公園のサンタファンランはこうして終わる。ついでだからダイバシティでも見物してみるかという話になったのだが、その前に腹ごしらえ。ショッピングセンター「アクアシティ」内の「海賊レストラン キングオブパイレーツ」という洋食屋に入る。
店内ではウェイターやウェイトレスが海賊風のコスチュームで給仕し、たまに「ウ゛イ゛ィッブ゛ッ!」「○△%&ッ!」などと、解読不能な言語で喋っている。どうやら中世の海賊時代に使われていた挨拶のようだ。そんなん解読出来るわけないっていうか、海賊っぽい雰囲気を演出する目的なのだろうが、随分と凝り性だな。オーナーの趣味か?
また、僕が頼んだメニューはハンバーグセットだが、サラダやドリンクはバイキング。「バイキング(海賊)ですから!」とのことだ。裏設定らしいが、そこまで深読みする客がそんなに居んのかな。
だけど出てきたハンバーグは、まあ普通のハンバーグだった。そこまで設定しておいて、肝心の料理でオトすなよ…。
「アクアシティの食い物屋はマズい」そんな話をどこかで聞いた気がする。さて実際はどうだろう。確証もなく中傷はしたくない。だけど少なくとも、僕の過去4~5回の経験則から言わせてもらえば、「アクアシティ内のメシは美味いよ!」と自信を持って言うことも出来ない。
飯を食ったあと歩いていると、広場に人だかりが出来ているのを確認。見れば大道芸人が大道芸をやっていた。ヨーヨー使いの「金子隆也」という青年と、同じくヨーヨーを使いながら一輪車を操る「栗原舞」という女性芸人による、ヨーヨー芸だ。上野公園などではたまに見るが、台場で大道芸とは珍しい。
まあ実際のところ、こういう芸人はあらゆる場所で芸を披露し各地を転々としているのだが。見物料だけで生きているのかどうかは分からない。「皆様のお気持ち(見物料)が我々の生活を支えています」というフレーズは大道芸人にとってお決まりの台詞だ。彼等の実生活など知る由もない。
それでも、普通のリーマンなどより遥かにシビアで将来が不安になる職業だろうとは予想できる。数ある選択肢の中で、大道芸という道を選んだ彼等の背景や思想・哲学、心の内に秘めた想いについて僕等に分かるはずもないけれど、その場その場での真剣さは僕等より遥かに上だろう。
自分から人にアピールし、そのために動き続け、よりよく動けるために自らをン練磨する。リアルを生きているように見える。栗原舞という女性は小学生の頃に一輪車を始め、大人になってもその道を選んだとか…。多分、自分には出来ない、出来なかった選択だ。良い悪い、正しい間違っているという次元でなく、その選択に殉じられること自体、評価の対象になる。
芸はたまに失敗もしたけど、マイクパフォーマンスも程よく観客を笑わせ、芸自体も「おおっ」と拍手したくなるようなシーンが見られた。総合的に、このヨーヨー大道芸は価値あるものと判断。彼等の芸にしばらく見入っていた。そして金子君の「(見物料の代わりに)このヨーヨーを買ってください」という言葉を汲み取り、緑のヨーヨーを1000円で購入した。
最初から最後まで、ねぶるようにじっくりと見物し、だけど金は払わずそのまま去ることは出来る。元々ゲリラ的なイベントなのだし、「気に入ったら払う」というスタンスなのだから、金を払う義務はない。だけど僕は、金を払った。恐らくは僕等と違う視点を持ち、一般と少し異なる立ち位置を選び、それを今まで継続出来た彼等の苦労に対する労いの代金だ。
自分が納得するならば、何に金を払ってもいい自由が人にはある。僕はその自由を行使した。自分が納得するならば、どんな道を選んでもいい自由が人にはある。金子君と栗原さんはその自由を使役した。ただそれだけだ。サンタランに続き、久々に心が高揚したイベントだった。
で、肝心のダイバシティは、まあ専門ショップが少し入ったショッピングモールという感じか。好きな人間は好きなのだろうが、取り立てて高揚する建物でもなかった。
「ガンダムフロント」というガンダム専門店にも一応入ってみる。そこには5~6年前台場に飾られた等身大ガンダムが設置してある他、歴代ガンダムのプラモやフィギュアが展示されており、さらに金を払えばもっとコアなアイテムやら映像やらが観れるとか何とか。
だけど金払ってまで観る情熱は、既に僕の中にはないな。「入らなくてもいいの?」という嫁の問い掛けに「別に大したものは無いさ」と断言する今の自分が悲しいような、これでいいような、よく分からない感覚だ。感動がなくなってしまったのは間違いない。
それでいて、無料スペースで展示されている千を下らない歴代ガンダムに出てくるモビルスーツ、モビルアーマーなどの模型群。その3分の2くらい分かってしまう自分が嬉しいような、悲しいような。
「これは?」と聞く嫁に「ああ、シャアが一番最後に乗ったヤツだよ」「アムロの次の時代のヤツが乗ったマシン」「それは、シードデスティニーだね」「Gガンダムね」「Xって言って、視聴率悪すぎて途中打ち切りになったガンダム」「ああ、それはアニメは無いけどゲームに出てきたロボットだな」などと、かなりスラスラと説明してしまう自分が悲しいような、嬉しいような。
僕にとって最後のガンダムだった「X」を観てからもう20年経ってんだぞ。どんだけ根深いんだよと自分で突っ込んでしまう。
そして、数あるモビルスーツ模型の中でも、一際ガンダムZZとクインマンサが群を抜いてカッコよく見えるのは、やはり僕の個人的な思い入れの深さゆえだろうか。
とりあえず嫁は、ど真ん中に特別っぽく展示されていたサザビーを気に入った模様だった。「へぇー、『ザ』ザビーかあ」「『サ』ザビーねっ!」というありがちなやり取りをしつつ。
ちなみにザザビーっていう名前のバーが京都にあるんだけど。僕が学生時代、京都に住んでいた頃、TVのCMで頻繁にやっていた。深夜番組のCMとかで、「大人の空間、ザザビー…」とか言って。
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http://tabelog.com/kyoto/A2605/A260501/26017407/
その深夜番組にて、地元ではMBSっていうチャンネルだったんだけど、初代ガンダムの再放送を流していた時期があって、僕はその再放送を観ていた。18歳の頃だったか。そういう拭い難い学生時代の記憶があるから、ガンダムに対する記憶も拭えないのか。何だか煮え切らない感情を整理できないままダイバシティを後にした。
嫁はそのまま帰宅。僕は江東区の住吉というエリアにあるもんじゃ焼き屋へと移動。友人等が「もんじゃ焼きでも食わないか?」と誘ってくれたからだ。
もんじゃ焼き屋の名前は「杉の子」といって、友人の一人が子供の頃から馴染みにしている店だ。そこに居るおばあちゃんも気さくで明るく、もんじゃ焼きやお好み焼きも美味い。さらに価格も安い。オシャレとは程遠いが、美味しく安く、そして楽しく食うにはもってこいの場所だ。
まだ元気だった頃は、江東区の「パルシティ江東」というホールの一室を借り、10人くらいの人数を集めてドイツのボードゲームなどをしていたな。その打ち上げで「杉の子」でお好み焼きを食うという流れが多かった。懐かしい。
懐かしいといっても数年前の話だ。ただ、その数年間が随分遠い気もしている。生活や性格が反転したような。何だか僕も随分と変わってしまった気がするよ。
ただ、今回呼んでくれた友人等は、かつてと変わらず接してくれるので、対峙した際の壁は基本ない。「杉の子」の店主であるおばあちゃんも、一時期手術で入院したらしいが、今は元気に話し掛けてくる。酒を飲みながら僕は、今日のサンタマラソンのことを報告しつつ、皆の全てを受け入れた上で投げ掛けてくる暖かい笑顔や言葉に絶大なる大人力を感じつつ、しばし心温まる気分になった。
初めてマラソンを始めたのが一年前、初めて「杉の子」でもんじゃ焼きを食ったのが3~4年前。その面子と初めて会ったのが10年以上前で、東京に来たのが十数年前で、鳥取を出てからもう20年が経過して…。
人に出会い、人が居るから店にも出会い、その店や人が集まる行事やイベントの存在を知り、そこに出掛け、喜怒哀楽を表に出し、だけど隠す喜怒哀楽もあり、そんなやり取りを続けていって、思い出に残っていって、だけどいつかは途切れて…。それでも人は、関わりをやめようとしない。僕も、それでも書くし、写真を撮り続ける。何故か。
殆どが殴り書きであり乱れ撮り。だけど本当の殴り書きなんて殆どない。誰かに向けて書いている。本当に自分の中だけに仕舞っておきたいのなら残す必要はないからだ。殆どの人間が、誰かに向けて言葉を綴り放っている。それが誰か。
特定の人間に向けてかもしれない。そうでないかもしれない。だけど確かなこと。見も知らぬ誰でもいいから、とにかく誰かに届いて欲しいと願っている。誰か、このブログを見る人間が居るだろうか。自分の言葉が誰か一人でもその目に留まることがあるだろうか。
膨大で多様な事象は世の中に多々あれど、言葉ほど多様で無限なものはない。その言葉の全て、誰かに届いて欲しいという期待を込めて放たれている。