20120531(木) 月末と醤油とラー油とハチミツ

【朝メシ】
乳酸菌飲料
 
【昼メシ】
ツナパン、お茶、コーヒー
 
【夜メシ】
やまかけ、納豆大根おろし、ツナとキャベツのハチミツ醤油ラー油煮込み、ワイン
 
 
【所感】
月末到来。これで5月も終了だ。月末になれば当月がリセットされて翌月へと刷新される。死ぬまで変わらないサイクルだけど、今月は少し毛色が違ったかもしれない。通常月に比べ、後々まで記憶に残りそうな月だったということだ。何故だろう。ありのまま今月起こったことを考えてみる。
 
まず前半は、楽しく濃密なGW期間だった。期間中、殆ど飲んでいたし、誰かと会っていた。それこそ帰りの時間など気にしないくらいの勢いで。まさに熱狂と狂気の期間だったと言うべきで、記憶に留まりやすい。
 
そのGW終了後は、体重のあまりの増加に戦々恐々とし、慌ててダイエットを始めた。食事を控え、運動をこなし。この月末まで、そんな単調な平日をがずっと過ごしていた。だが、それだけに毎日を長く感じたのも確かだ。まず、人間の生存基盤である”食”に制限をかけねばならない苦痛。そして、夜の筋トレを継続することの苦痛。どちらもやりたくないけれど、必要不可欠なのだからと、必死で耐えてきた。楽しい時は短く感じ、苦痛を伴う時間は長く感じる。そんな人間心理学の法則通りだ。ゆえに、ダイエット生活を軸にした5月は長く感じたとも言えた。
 
ただ、灰色のダイエット平日期間の合間に訪れる休日は別。休みになれば、それこそGWに負けない勢いで自らを開放させていた記憶がある。そのメリハリが、この5月の記憶をさらに強固なものにしたかもしれない。
 
このように、5月は色々あったとも言えるし、何も無かったとも言える。つまり相反する両側面から見ることが出来るという、稀有な月だ。返す返すも、この5月は非常に長く感じた。時の流れを自在に操れるんじゃないかと思うくらい長ったらしく感じた。何が起こったのか、何があったのか、もう訳が分からなくなるくらい。
 
夜メシに出てきた「ツナとキャベツのハチミツ醤油ラー油煮込み」という料理も、かなり長ったらしい名称ではある。ツナとキャベツを醤油で煮込んだものがベースらしいが、隠し味としてピリ辛さを含ませるためにラー油も混入したという。さらに、そのラー油の辛さを軽減するために、今度はハチミツも混ぜたという。もう訳が分からないぜ。でも食ってみたら旨かったりするから世の中は不思議だ。
 
料理の可能性、その無限大なる様がここにある。

20120530(水) バター炒めに一番合う調味料

【朝メシ】
ヤクルトジョア
 
【昼メシ】
ソーセージパン、コーヒー、お茶
 
【夜メシ】
長芋の醤油バター炒め、ほうれん草ととうもろこしの塩醤油和え、野菜サラダ、キヌサヤの味噌汁、一ノ蔵
 
【夜食】
ひとくちばらの花ようかん(旧古河邸土産)
 
 
【所感】
友人の結婚式が近付いていることもあり、帰宅後その打ち合わせのため、友人等と電話をしたりする。「スマホはあくまでネットとメールがメイン、電話なんてお飾りに過ぎんのですよ」と基本的には思っているが、反面「全く電話をしないのもマズイよね、人として」とも考える。
 
いずれにしても、今日だけで6か月分の通話をした気分だ。メールやネットで電子の文字列を日々眺めるのもいいけど、生身の人間なんだからたまには生の声も聴かないとね。人間をやめることになりかねない。
 
夜メシは、今日も定型通り野菜中心だったが、その中では特に「長芋の醤油バター炒め」というメニューが秀逸だったように思う。「鳥取の実家から送ってもらった長芋を、醤油とバターで炒める」という料理だ。何の説明にもなってないというかそのまんまだが、言いたいことは、この醤油とバターという二つのコラボは相当レベルが高いということだ。
 
通常のバター炒めであれば、少し塩味に欠ける。じゃあ塩を加えればいいじゃん?と当然なるだろうが、それだけでは解決しない。それはただの「塩辛いバター」だ。そうではなく、必要なのは”塩味”というより”しょっぱさ”。さらに多少の甘ったるさも加わったバターこそが、最も食をそそるような気がする。例えるなら、雨上がりにアスファルトの道路に出来た透明な水たまりと、森林生い茂る田舎道に出来たぬかるんだ沼と、どちらがより複雑で味があるかということだ。バター炒めに必要なアクセントは、まさにその”泥”という要素なのである。
 
それを可能にするのは塩ではない、ソースでもない、ましてマヨネーズなどでは断じてない。そう、醤油しか有り得ない。鉄板焼きなどでも、ホタテやシャケをバターで炒める時、アクセントとして塩でなく醤油をたらすではないか。人は、感覚で既にそれを知っているのだ。バターと醤油の、ねっとりと絡み付くような抜群の相性に。よって、そんな味覚本能に訴えかけた「長芋の醤油バター炒め」という今日のメニューは秀逸なのである。
 
あと、いつものように日本酒を飲んだ。これも友人結婚式の余興の練習として、毎日飲むことを自分に課している。現在の銘柄は「一ノ蔵」。今日は思い切って一気に3合行ってみた。しかし、空きっ腹というのもあったのだろう。食後、運動をしようと思ったら少しフラッと来た。力があまり入らないというか。3合を一気に行くのはさすがにキツかったようだ。まあ今更気付いても既に遅し。今日は運動は諦めて、さっさと寝ることにした。まあ、急なアクシデントで運動出来ないことは多々ある。

こういう日もある。しかし問題ない。肝心なのは、望んだ日に、望んだ体重に到達あるいは接近すること。そのシンプルなターゲットの下、日々の生活キープすればいいだけの話なのだから。

 

20120529(火) 英語の大切さとサバのみりん焼きの素晴らしさ

【朝メシ】
乳酸菌飲料
 
【昼メシ】
たまごパン、牛乳、お茶
 
【夜メシ】
サバのみりん焼き、しじみの味噌汁、ちくわときぬさやとキャベツの味噌マヨネーズ炒め、トマトと玉ねぎとカボチャのコチュジャン冷菜、一ノ蔵
 
【イベント】
新横浜(仕事)
 
 
【所感】
仕事でほぼ終日新横浜。ホテルで説明会みたいなのを受けて、あとは周辺を散策という形だ。仕事を適当なところで切上げ、喫茶店でも入って寛ぐかと思い、大通りを力強く歩いた。すると、10mほど先に外国人の兄ちゃんが仁王のように立ちすくんでいる。地図らしき紙片を持ちながら悩ましそうに。道が分からないのかな?と思いつつ素通りしようとすると、彼は最初からキミを狙ってましたとばかりに僕の前に立ち塞がり、「スイマセン」と声を掛けてきた。
 
「やべ、キチャッタよ…」
 
声を掛けられた瞬間、真っ先に頭を過ぎったのは「ボク地元の人間じゃないから」という弁解でなく、「なんで俺なの?」という動揺だ。たとえるなら、クラス会で女子がいきなり挙手して立ち上がり、「学級委員長は沢渡さんがいいと思います」と、根回しも前触れも無しに僕を学級委員長に推薦してきた時のような状態。無防備なところに突如想定外のことを言われ、頭が完全に青天の霹靂状態に似た状況だ。まあ平たく言えば、「英語で聞かれたらどうしよ」ってことだ。
 
無論、異邦人の方々には懇切丁寧に接するよう心掛けている。だけど僕はあくまでカタコト。期待されるのは困る。結局、日本語とたまに英語を交えて外人兄ちゃんを何とか目的地に誘導することは出来たが、僕自身は1%も満足出来なかった。あれはコミュニケーションじゃない、ただ僕の一方的な朗読に過ぎない。非常に恥ずかしい気分。ああ、英語をもっと勉強しときゃよかった。

英語を喋れるよう強く願ったのはいつだったか。8年前くらいの台湾出張だったか、香港出張だったか、6年前に地元でトレジャーファクトリーの道を聞かれた時だったか、3年前くらいにアキバの白人美人に質問された時だったか。とにかくきっかけは何度もあった。しかし今、まるで成長していない自分が居る。ハートはチキンのままであるがゆえ、カタコトの日本を投げられた瞬間、逃げのスイッチが即入る。ホント俺というヤツは…。絶望した。自分の冷め易い体質に絶望した。

 
その絶望に鞭打つように、雨が強烈に降り始めた。突風と雷を伴って雨は、傘を差す僕を容赦なく打ち付ける。最近、落雷で亡くなった人が居るというニュースもあるし、歩道橋を歩いている時など非常にドキドキした。
 
そんな激しい雨の中、駅前では、修学旅行の高校生と思える集団が、引率の先生の「雨が降ってきたから予定変更するぞー」との声に「ハーイ」と素直に返事をしている。何とも可愛らしい光景。若いとはいいのう。翻って、歳を取るとはやだのう。到底素直になれない。これからも全てを穿って考え、疑い、妬み、日々の小金に魂を売り続けるのだ、きっと。大人とは、世知辛い生き物だな。
 
新横浜から戻った僕は、外人の相手と激しい雨による疲労もあり、早めに上がることにした。帰宅すれば、テーブルには「サバのみりん焼き」が…。この「みりん焼き」という代物が、僕は好きで好きで。世間の魚料理で最も庶民的かつ洗練された最高峰の料理「サバの塩焼き」と比べても、遜色ないくらいに好き。何というか、あの「着色料ふんだんに使ってます」と言わんばかりに不健康そうな赤々しい魚身と、その姿からは想像できない程にサッパリとクッキリとシャッキリとした味わいとのギャップがたまらないのだ。見た目も味も、インパクト抜群。僕は「みりん焼き」が出てくるだけでご飯3~4杯は行けるだろう。
 
あと、野菜も本日は充実していたな。一個目は温野菜。「ちくわときぬさやとキャベツの味噌マヨネーズ炒め」という、聞き馴染みの無い料理。味噌とマヨネーズで炒めるというのが良く分からないブレンドだが、食ってみると結構旨かった。まあ、味噌もマヨネーズも単体では実績と信頼の調味料なのだから、それを混ぜても信頼の味が滲み出るのだろう、きっと。歴史の長い調味料というのは、それだけで料理の成功を約束する。飲食店や家庭で使われ続け、その膨大なる淘汰の波から生き残った調味料なのだから。
 
二個目の野菜は、どっちかというと冷野菜か?「トマトと玉ねぎとカボチャのコチュジャン漬け」だか何だか、正式名は嫁から聞いたけど既に忘れた。ただ、冷菜と称されるだけあって、火照った身体をスッと鎮めてくえるサッパリ感がある。正直、相当旨かった。出されればいくらでも食えるくらいの喉越しの良さがあった。
 
そんな野菜群。僕は今まで野菜料理を重要視していなかった。だが今回のダイエット生活で、その重要性および万能性を知りつつある。野菜は最上であり最高である。と、宮城の地酒「一ノ蔵」を飲みながら、今後の野菜の可能性の大きさについて思いを馳せた。
 

20120528(月) サンマの開きとか岩塩のセンス

【朝メシ】
乳酸菌飲料
 
【昼メシ】
ソーセージパン、お茶、コーヒー
 
【夜メシ】
サンマの開き、うにかまぼこ岩塩添え、キヌサヤとアスパラのオイスターソース炒め、キャベツのマリネ風、スンドゥブ、黒松剣菱
 
【夜食】
アイス
 
 
【所感】
日曜にはしゃぎすぎた疲労もあって、朝まで起きることが無かった。理由はどうあれ熟睡出来るのは幸せなことだ。二度寝、三度寝は疲労回復には効率が悪すぎる。
 
当然、熟睡したのでジョギング時間には起きられなかった。というより、5/7から開始したダイエットの期間内で、ジョギングが出来たのは一回きり。夜の運動は頑張っているのだが、ここだけはどうしても前に踏み出せない。
 
それでも丸々3週間、食事制限と運動をコンスタントに行えたため、当初66.5kgだった体重は、現在63kg半ば~後半。大体3kg減で推移している。目論んでいた理想ペースには追いついていないが、それはジョギングの欠落分と考えれば、ほぼ計画通りと言って良いだろう。いずれにしても、ご乱行の休日を除けば64kgをオーバーすることは無くなった。次は63kgをオーバーしなくなったと言えるようになれれば、以前とほぼ同じ状態に到達できる。それまでは自制生活を、諦めない。
 
とは言え、タンパク質まで自制する必要は無いだろう。トレーニングをしているならば尚更。効率的に筋肉を付けるためには何と言ってもタンパク質が欠かせまい。だが、それを肉で採るか魚で採るか、あるいは大豆などの豆類で採るかによって、自らの体格の変化は異なってくるかもしれない。僕としては、魚か豆類での摂取がベストだと考えている。肉を食べると筋肉も付くかもしれないが、脂肪も付き易い、つまりタンパク質の中では一番太りやすいというイメージがあるので。今はそれは避けるべきかもしれない。
 
その意図を汲んだのか、嫁は「サンマの開き」を用意していた。肉でなく、魚。重要なのはそこである。抑えるべきカロリーを抑えるため、押さえるべきポイントを押さえる。簡単なようで簡単でない、この食事コントロールの妙。せめて6月までは続けたいと思った。
 
ところでサンマについて。割とどうでもいいことが、サンマって開くとデカくなるんだな。パックリと開くのだから当然だろうけど。というか、いつもはあの細い刀のような形態のサンマしか食っていないので、最初見た時はホッケか何かの開きかと思った。ホッケでも、アジでも、サンマでも、何でも、魚というのは開いてしまうと特徴がなくなるものなのだろうか。
 
あと、嫁がスーパーで「うにかまぼこ」というのを買ってきたようだが、皿に岩塩を削った粉末が添えられていた。岩塩って結構まろやかというか、ほんのりとした甘さが含まれているというか、塩味一辺倒でないところが大好き。あと、何となくオシャレだし。実際、最近は岩塩が流行っているようだが、まさに現代人のコンセプトに合致した調味料かもしれない。最近の調味料は、味だけではダメだ。ファッショナブルでないと。まったく面倒臭いな、現代人は…。
 
そういえば今日、寝ている時に地震があったような気がする。揺れは大きくなかったが、結構長い間揺れていたような。そこで危機感を発動させず、「まあそのうち収まるだろ」と根拠の無い安全宣言を自分に出して二度寝に入ってしまったのだが、昨年の震災直後ならば絶対そんな緩い気持ちにはならなかったはず。結局、人は忘れやすい生き物だということか。今夜の自分の反応を振り返りながら、その事実を再確認した。
 
 

20120527(日) 柴又、亀有散策の深い意味

【朝メシ】
ヤクルト、そのまんまポテト
 
【昼メシ】
うなぎ屋「川千屋」(柴又)
http://www.kawachiya.biz/
 
【夜メシ】
和風個室ダイニング「月見座」(北千住)
http://r.gnavi.co.jp/g802000/
 
【夜食】
菓子各種
 
【イベント】
柴又散策、亀有散策、カラオケ
 
【所感】
昨日土曜のヒトカラ☆午前三時don’t be lateが祟ってか、かなり眠い眠い。でも「宇宙兄弟」を観るため午前七時に起床する自分は、それなりに偉い偉い。
 
朝のTVを観ていて思った。プリキュアやゴーバスターのED曲ではキャラがダンスを躍るんだけど、重りを付けてそのダンスを練習すれば、ダンスレパートリーが増えて今風の人間になれるばかりかダイエットにも効果的なんじゃね?と。一石二鳥でいいことだらけ。しかしキュアピースジャンケンは負けた。もう勝てる気がしない。
 
TV終了後は嫁と外出。本日は、寅さんの町・柴又と、両さんの街・亀有に特攻する予定を立てていた。最近とみに思うのだが、自分は近場の名所に行かなすぎる。もう少しアクティブに、かつ塗り絵をするような気軽さで周辺を網羅するのが良いと考えるわけだ。
 
北海道や関西、その他各地の観光地を訪れるのもいい。だがそれは”旅行”の領分だ。時間、金銭、下準備、そして疲労の蓄積と、様々なものを費やすため機会は滅多に訪れない。ならばその下、”遠征”とか”滞在”と言った部類はどうかというと、これも一定の距離と労力を伴うため頻繁に実行には移せないだろう。例を挙げるなら、日光だとか多摩だとか、そんな場所を指す。
 
僕が狙うのはさらに一番下、”散策”レベルの外出だ。日帰り出来て、かつその場の思い付きですぐに行動できるという外出。僕の地元を支点とするなら、西新井大師に参ったとか、靖国神社に参詣したとか、皇居に行ってきたとかのレベルだろう。今回の柴又や亀有も、まさにその領域に属する。
 
世界は広い、ゆえに手に届かないものも多い。だが、手近にあるものは意外と容易に手に届く。それに手を伸ばす伸ばさないは個人の自由だけど、近場に資産があるのなら、もっと有効活用してもいいのではないか。ある意味、そこに住む者の責務とも言えるのだから。
 
柴又は、地元から電車を乗り継いで50分程度。駅前の中央には寅さん像。周辺には昭和風な居酒屋とか土産屋が狭々と立ち並ぶ。すぐ側の柴又商店街に入れば、広くはないが狭くもない、レトロモダンというよりモダンレトロといった感じの風景が続く。混雑具合はそれほどでもない。名所ではあるが、皆がこぞって行くわけでも無さそうだ。歩行客の年齢層は、予想通り高め。ゆえに、その中に時折混じる大学生の兄ちゃんや女子中学生、そしてカメラを持った外人などは、居るだけで結構目立っていた。
 
要するに、のんびりした感じの商店街ということだ。一人、茶屋のおっちゃんがキャバクラの客引きのごとくすごい勢いで客に声を掛けていたのを除けば、まさしく下町昭和系と言っていい風景だろう。その商店街にあるうなぎ屋「川千屋(かわちや)」で僕等は昼食を採る。柴又はうなぎ屋も結構有名らしく、実際、そこら中にうなぎ屋が乱立していた。
 
中でも「川千屋」は、街のスポンサー的店舗の一つの模様。何百席もある店内は、かなりの客で賑わっていた。そこで僕等は、ビールを飲みながら3000円のうな重を食う。味はなかなか旨かった。ただ、感動するほどでもない。よくある味というか、僕はうな重に対してはあまり舌が鋭くないのだ。天丼とかなら分かるけど。というか、うな重は全部旨いので。つか、新潟実家で出されるうな重があまりに旨過ぎるから舌が機能していないかもしれない。
 
まあそれはさて置き、うなぎ屋ってのは価格がかなり高いよね。うなぎ不足というのも分かるが、豊潤に獲れてた頃もそうだった。そのあたりは未だ謎だが、方向性としては「川千屋」のうな重、大変満足致しました。ごちそうさまでした。
 
食後は、商店街の端にある柴又帝釈天へ。ここも寅さんのロケ地だとか。いずれにせよ、僕は神社仏閣というだけで涎が出るので問題ない。しかも、全体としてはそれほど広くないが、建物の中に入れば邃渓園(すいけいえん)というキレイで閑静な自然が広がっていたり、伽藍の壁や柱に様々な彫刻が施されていたり、目を見張るものが充分にあった。
 
特に彫刻は素晴らしい。木造の壁の全面に、十二干支や亀や竜や人間の姿が、細かく、本当に細かく彫られている。奥行きのある立体感に溢れた、本当に素敵な模様なのだ。それも、木と木をつなぎ合わせて作ったのでなく、一本の木を全部彫って作ったとのこと。あまり”神”や”天才”という言葉は使いたくないが、この彫刻の出来栄えはまさに神の為せる技であり、昔の人は紛れもなく天才。現代人には絶対に不可能だと言い切れる。機械を使っても出来るかどうか。そう思わせる芸術だった。
 
そんな柴又帝釈天。一言で表すなら「いいものを見た」。それは今日の散策の総評でもあった。
 
柴又で過ごした後は、亀有に行くため、まずは金町駅を目指して江戸川の河川敷を20~30分歩く。抜けるような青空と、静かな川の流れと、そこいらで草野球に興じる人々。その自然と下町的風景が重なった情景は、あるいはかつて自分の中にあった平和の風景そのものかもしれない。いずれにせよ、晴れの日に河川敷を歩く。これほど肉体的にも精神的にも健康なことは他にあまり無い。
 
あと途中、演歌で有名な「矢切の渡し」があった。パッと見は寂れた渡しだが、やはり著名なだけあって客もそれなりに存在し、なかなかの味を出していた。古びた舟に膝をすり合わせながら座る乗船客と、一本のオールで舟を操る船頭。舟は目的もなく、ただゆっくりと同じ場所を往復するだけ。その追い込まれてない感じがいい。江戸川では、その渡しから100~200m先で数台の水上バイクが豪快なしぶきを上げながら水面を激走していた。現代のテクノロジーと昭和のボロ舟という対照的な風景が同居していたあの江戸川の風景が、今でも記憶に残る…。
 
徒歩で金町に到着した僕等は、喫茶店でお茶をした後、次の目的地・亀有へと向かった。亀有は、「こち亀」の両さんの街というイメージが強いし、実際見てもそんな感じだ。駅前にはデカい両さん像が偉そうに突っ立っている。一応、写真を撮ってみたが、ここらの人々には珍しくもないのだろう。みんな普通に素通りする中、僕だけはしゃいでいるのはちょっとだけ恥ずかしかった。だが、駅前のバス停あたりでシンセを弾きながら尾崎豊とかの歌を延々と歌っていたストリートミュージシャンの兄ちゃんの方が本来もっと恥ずかしいはずだから、我慢したいところ。
 
あと、香取神社という神社があったので少し寄ってみる。亀有に来た本来の目的は、両さんではなく亀見物。目指すは亀有天神だった。しかし地図にはそんな神社など姿形も見えなくて、交番でおまわりさんに聞いても「何ですかソレ?」状態。少しして、亀が居るのは亀有じゃなくて亀戸ということに気付き、僕等が目指すべき場所は「亀戸天神」だったと判明した。道理で亀の姿が見当たらないわけだ、アホすぎる。だけど今さら帰ったところで何も得られないし。そんな流れで行き着いた「香取神社」というわけだ。
 
同神社は敷地も狭く、両さんの看板だけが目立つだけの普通の小さな神社。客も殆ど出入りせず閑散とした状態だった。それもそのはず。人の流れは全て、その隣にあるショッピングモール「アリオ」に吸い取られているからだ。アリオは、亀有の人間全てがここで買い物するんじゃないかと思うくらいの盛況ぶりだった。
 
僕等は、せめて亀有に来た記念、証が欲しいということで、皆に追随するようにアリオに入り、服屋の「H&M」で半ズボンと帽子を購入した。しかし、スウェーデンの企業だからなのか、服のサイズも長身の欧州人向けと言わんばかりに標準サイズが超ビッグ。どうみても日本人に向いてない。でもシンプルなオシャレさがそこにはあった。透き通った感じというか。人気があるのも分かる気がする。
 
あと、亀有駅前の駄菓子屋で、嫁が菓子をいくつか購入。店番の婆ちゃんが、白いエプロンにもんぺを着た、まさに「お婆ちゃん」という感じのお婆ちゃんで、大いに気に入ったらしい。若い客が珍しいのか、婆ちゃんもにこやかにゆっくりと色々話をしていた。まあ、あのくらいの婆ちゃんからすればみんな若造だよな。もっと年寄りを大切にしようぜ。
 
亀有が終わった後は北千住へ。まずは打ち上げで「月味座(つきみくら)」という和風個室ダイニングへ。「さかなさま」の通りをさらに2~3分奥へ行った場所にある。同店には以前嫁が行ったことがあり、至極気に入ったらしい。そして終わってみれば、僕も至極気に入った。
 
店員の教育は良いし、料理も押し並べてレベルが高い。特に「黒毛和牛ヒレ肉と旬菜の西京味噌焼き」というメニューが激烈に旨かった。これはまたすぐにでも食いたいメニュー。
 
後は、何と言ってもその内装か。奥に長い建物の中に入ると、カウンターの先にある個室エリアに案内されるが、その個室は、イメージでいうなら”離れ”のような感じ。決して広くはないが、窓の外にはどこぞの茶室の庭かと思わせる景色が見え、それがまた心を落ちつかせるのだ。敷地自体は狭いはずなのだが、空間の使い方が上手なのだろう。その点は見習うべき。
 
いずれにしても、都会の中で侘び寂びを堪能しながら飯を食える「月味座」という店を、僕は相当評価している。秋田料理の「まさき」と言い、「さかなさま」と言い、良い店が次々と出てくる北千住という土地はまだまだ広いと思った。
 
土曜に引き続き、大いに堪能した日曜日。これだから週末はやめられない。
 
【箇条書き】
・俺は寅さんのことをあまり知らない。
・でも「男はつらいよ」は面白い。
・今回出かけるにあたり、俺は半ズボンと革スニーカーと麦わら帽子というファッションに挑戦した。最初は恥ずかしかったがすぐに慣れた。
・なぜか男女問わず麦わら帽子率の高い柴又の不思議。
・柴又行き「京成金町線」の電車の車両には、「こち亀」の絵がビッシリ描かれていた。
・寅さん像に群がる観光客。
・駅前の広場に灰皿がポンと置いてあるところがさすが柴又。
・駅前で雑談するおっさん等の話によれば、すぐそこの「酒場 春」という店の”柴又ハイボール”が有名らしい。
・柴又商店街にはうなぎ屋が多い。
・歩行客は年配率多し。
・でもたまに若いのも居る。
・長身茶髪でイケメン風なのに、腹がポッコリ出てるのが残念だった兄ちゃん。
・カメラを持った外人が、老夫婦の写真を色んな角度からパシャパシャと撮ってあげていた。
・よく見たら、外人が老夫婦に「シャシントラセテクダサイ」と頼み込んだ形のようだ。アメリカに帰ってから「日本の下町風景」と称した写真展でも出すのだろうか。
・柴又帝釈天の伽藍木彫りの芸術性は異常なほどにハイレベル。
・邃渓園も心が和む。
・入場料400円取られるけど、充分に元は取れるレベル。
・庭で猿回しやってるよ、見ない?うん見ない。
・商店街でお茶と七味唐辛子販売に異常に張り切るおっちゃん。
・俺等も結局買ってしまった。
・でも「食べる七味唐辛子」はダイエットに効果大の予感。
・江戸川矢切の渡しは昭和感と放置感タップリ。
・渡しのすぐ側で、細川たかしの「矢切の渡し」を細々と歌っていたおばちゃんが居た。
・俺、つい最近まで「矢切の”渡し”」じゃなく「矢切の”私”」って思ってたんだよね。あの時は意味分かんなかったけど、今回ようやく分かった。
・舟に乗るの一人100円だけど、乗ってみる?いや乗らない。
・河川敷で草野球やる野球チームの多いこと多いこと。
・野球って人気あんだね~。
・その中に、えらくスパルタなチームが一チーム居た。
・小学生が「ちゃんと取れやゴルァ!」とか叫んでた。
・ネットとか張ってなくてこっちまで飛んでこないのかな?
・草野球レベルだから、まあまず飛んでこない。
・それを考えるとプロってやっぱりすごいよね。
・途中で寄った喫茶店で、トイレを長時間占有していた兄ちゃん。
・喫煙室でノートPCをカチャカチャやる兄ちゃんがある意味ウザイ。
・亀有駅周辺の両さん占有率は異常。
・麗子像の太ももを少し触ってみる茶目っ気。
・交番のすぐ前に麗子像があるという意味深な配置。
・バス停前のベンチに座ってる両さん像と一緒に写真を撮りたかったが、常にバスの乗客がこっちを見てるので、結局写真を撮れなかったチキンハート。
・駅前でストリートミュージシャンがシンセを弾きながらずっと歌を唄っていた。キレイな高音だった。でも全て既存曲のカバー。
・最初は尾崎豊の「I LOVE YOU」から始まり、色々と曲を変え…でも2時間後くらいに駅前に行ったらまた尾崎豊の「I LOVE YOU」に戻ってた。
・亀有天神ってありますか?いや、そんな神社は無いですねぇ。
・亀戸天神じゃん!間違えてるよアンタ。
・亀~亀~…。
・駅前に亀の像発見。
・香取神社でも亀の像発見。
・皆、香取神社をスルーしてアリオに入っていくという俗物風景。
・そこで宝くじを買う俺等も結局俗物。
・「H&M」の控え目だけどクリアなセンスに感心。
・駅前の駄菓子屋のお婆ちゃんの可愛さ。
・デカいバームクーヘンが110円という特価ぶり。
・「奥様はもう少し帽子を上に向けたらもっと可愛らしく見えると思いますよ?」とか、おだてられて調子に乗る嫁。
・しかし何で奥様って分かったのかね?一緒に居たからじゃない?
・「月味座」の予想以上の素晴らしさ。
・北千住イイネ!

20120526(土) 北千住~アキバ~上野で豪遊17時間

【朝メシ】
お茶
 
【昼メシ】
無し
 
【夜メシ】友人2名
・山陰郷土料理居酒屋「稲田屋」(秋葉原)
 
・和風ダイニングバー「玄」(秋葉原)
 
【夜食】
アイスクリーム
 
【イベント】
飲み(秋葉原)、カラオケ(上野ビッグエコー)
 
 
【所感】
夕方から秋葉原で友人と飲み会の予定だが、その前にパチを打ったりする。最近では、仕事後とか人と会った後とかに少しだけ打つという立ち回りが多かったため、長時間マトモにパチをするのは久しぶりかもしれない。朝イチから自分で台が選べるだけで興奮するというものだ。ある意味アドバンテージ。ある意味パチンカス。
 
朝、昂ぶる気持ちを鎮めるため、僕等はキレイな景色を眺めようと梅島のベルモント公園を歩いた。かつては池を楽しそうに泳いでいた名物の黒鳥(コクチョウ)三羽は、あるいは撲殺され、あるいは拉致され、今では一羽も泳いでいない。けれど彼等の不在を補うように、バラを初めとする花々は以前にも増して咲き乱れている。その景色を目にするだけで心は至極安定した。いや、感動したと言う方が正しい。自然とは、人の心に欠かせないものである。

整骨院でも感動した。院長が、いつものマッサージとは違う施術をしてくれたからだ。彼は、僕をおもむろに横に寝かせ、「はい息を吸って~、吐いて~」と母親が赤子をあやすような穏やかさで僕を安心させた途端、唐突に右の腰をグキッと捻った。その時ポキッという音が鳴り、僕の腰は前より随分と馴染む感触がした。新鮮な感覚というか。そんな院長が初めて見せた技術に僕は、「こんなことも出来るのか」と感服した次第だ。「別に隠してたわけじゃないですケドね」と謙遜する院長が前以上に愛しい。向上心に溢れ弛まぬ努力を続ける人は、何よりも美しい。

心が清涼になったところでパチに出陣し、適当に勝ってきた。まあ勝負は時の運。そして金は、分単位で上下する脆いもの。つまり目盛りに過ぎない。浮かれても一時間後にはぬか喜びに変わるなど良くあることである。だからこういう時は、熱くなりすぎることなかれ。粛々と、ありのまま目の前で起こったことを話すだけでいい。

パチの後は、友人二人とアキバの「稲田屋」で飲み。過去何度か利用した店ではあるが、僕の中ではなぜかマイナーな店だった。しかし今日、扱ってるメニューがどうも鳥取っぽいものが多いことに気付く。聞いてみると、まさしく鳥取の店だという。それを教えられた直後、僕の中で稲田屋株が急騰した。

 
稲田屋は、料理も酒も山陰地方のものばかり。山陰と言えば、鳥取と島根だ。そして僕は鳥取の出身。あごちくわとか、はたはたとか、地元で良く食っていたメニューが載っているだけで嬉しくなってくる。自分の住んでいる土地の名産を扱っているというだけで、その店を好きになれる。こんなネオンと欲望溢れるアキバの街に、まさか愛すべき鳥取の名残があったとは。懐かしい故郷の味を楽しみながら、「稲田屋」の本当の存在意義に気付けたことに感謝した。
 
あと、稲田屋はメニュー以外の部分でも結構良好だった。特にスタッフの姉ちゃんの気配りや機転が効いていて、非常に好感が持てる。最後は亀吾と一緒に写真まで撮ってくれる気さくさも見せてくれたし。こういうのを”デキる女”というのだろうか。僕等も”デキる客”として振舞いたい。
 
ともあれ、そういう様々な好材料が作用した結果、僕は完全に稲田屋のファンになった。まあ今まで1~2回行ったことあるんだから、そこで気付けよというツッコミはあるが。
 
ちなみに地中海厨房は潰れたらしい。さもありなんだな。エビバケツ盛りの無い地中海厨房なんて、な…。

稲田屋の後は、チョムチョムビル地下の和風バー「玄」で二次会。ここは非常に高い店なので、あくまで二次会でしか利用してはいけないことを、僕達はずっと前から知っていた。アダルトな内装や雰囲気がなければ、あと炙り明太がメニューに無ければ、この「玄」は即刻選択肢から外れる店だ。決してベストの店ではなく、あくまで”たまに利用する”店。つまり気分転換的な店という位置付けである。まあ、知性とダンディズムに溢れる僕達のような紳士は、スタンダードな店の他にもイロモノを多数押さえておく必要があった。

そんな感じで、稲田屋および玄で飲んだ僕等。旅行の話とか、日本酒一升瓶の扱いの困難さの論議とか、ゲームやフィギュアの話とか、たまに仕事のことで毒付いたりとか、虚栄と本音を自在に入れ替えた紳士の会話を展開する。まさしく緩急を使い分けた大人の飲み会だった。僕は、こういう飲みは大好き。またやりたいと心の底から思った。

 
友人と別れた後は、少し周辺をうろついた後、上野のビッグエコーへ。とにかく何かしたかったのだろう。居ても立ってもいられない状況の中、足が勝手に動いたと言っていい。そして、その内なる衝動に従うままに実行したヒトカラは、これまた満足できるものだった。ずっと歌いたかった「宇宙兄弟」のEDが配信されてそれも歌えたし、過去最高得点を更新した曲も結構あったし…。
 
気分良く歌いながら延長を繰り返す内、気付けば時間は朝3時近く。焦った僕は、パチで勝った資金の一部を惜しみなく投入し、タクシーで夢見心地のまま帰宅した。何という楽しい一日だったのだろうか、と…。
 
腰の痛みが和らいだ。パチで爽快に勝利した。友と楽しく語らった。カラオケでは過去の記録を塗り替えたし、とにかく充実した17時間だった。「スカッと生きる」とは、こういうことなのかもしれない。だからこそ思う。こういう日があるからこそ、僕等は日々の苦悩に耐えていけるのだと…。
 
 
【会話の覚え書き、その一部】
・稲田屋って鳥取の店なんですか?
・今、その話をしてるところです。
・店員姉ちゃんこと○○さん乱入。
・僕「僕、鳥取出身なんですよ」
 姉「そうなんですか、へぇー!」
・姉「お客様はどこら辺に住んでらっしゃったんですか?」
 僕「倉吉ってとこです、知ってます?」
 姉「知りません」
 僕「そうですか…」
・姉「米子に蔵元があるんですよ」
 三人「それはすごい」
・姉「はたはたは鳥取が有名なんですよ」
 三人「知ってますよ(さんざんひもの屋で食ってるしな)」
・これが、あごちくわ。これがとうふちくわ♪>俄然張り切る俺
・○○にも稲田屋さんってありましたよね♪>友人も張り切る
・日本酒は全部”稲田姫”なんですね>もう1人の友人は冷静
・このカメさんは何ですか?食事のお共です。
・何て名前なんですか?亀吾といいます、五番目です。
・ブログとかやってるんですか?やってますとも。
・よかったら亀吾と一緒に写真撮りませんか?
・ファイアーエムブレムは相当面白い。
・やっぱクラシックで行かないと。
・交配にも気を遣わないと、子供の世代でえらいことになります。
・俺は今、五章まで進んでますね。
・俺はしばらく大航海時代を中断せざるを得ない。
・僕は序盤の味方が刺されるとこまでやりました。
・それ一番最初じゃないですか!
・やる時は異常なまでにやり込むのに、やらない時は徹底してやりませんね。
・モンハンはやった、ドラクエもやった、戦国無双もやった。
・いい加減ダークソウルやろうぜ…。
・マリオカートって3DS専用とそうじゃないのがあるんですか?
・もし買っても他の面子と共有できませんね。
・今はむしろ3DS人口の方が多くなってね?
・バイオは着々と進んでます。
・機材さえあれば実況動画撮れるレベル。
・いずれシェリル機を買いたい…。
・ヨドバシはガンダムに偏り過ぎなんすよね。
・この「れんこん揚げ」ってメニュー珍しいすね。
・上野に「れんこん」っていうれんこん料理専門居酒屋があるよ。
・れんこんにそんなバリエーションがあるのか…。
・上野とか北千住とか結構開拓してますよね。
・「さかなさま」また行きてぇ。
・金曜来る時はウチにお泊まりコースで。
・稲田屋はもっと評価されてもいいと思うんですよ。
・何故か目立たないし、高いイメージもある。
・地中海厨房も高かったな、今では別の店を作ってるみたいだけど。
・え、地中海厨房潰れちゃったんですか?
・だから今その話をしてたとこなんです。
・エビバケツ盛りが消え、梅酒が消え…。
・キラーメニューが無い店はいずれ消えていくもんです。
・八吉の子持ち昆布みたいなもんすね。
・エビの無い地中海厨房なんて…。
・それじゃあ、ただのお高いイタリア料理屋です。
・つか、玄(げん)もかなり高くないっすか?
・炙り明太頼んでちょっと飲んだら一人5000円コースですよ。
・炙り明太の無い玄なんて…。
・玄はあくまで二次会用ですね。
・それにしても玄のあの使えない店員には参った。
・でも高いつったら響がダントツじゃないすかね。
・響に行くと諭吉が飛びかねません。
・それでも後悔はしないけどな。
・ミュージックバーは絶対行きたくないっす。音うるさすぎ。
・話し声が聞こえないのに行く意味あんのか?
・つかその前に音がでかすぎてオーダーが通りませんし。 
・やっぱ玄は、大部屋よりこっちの鏡部屋の方がいいですね。
・あの使えない店員はもう居ないようですね。
・炙り明太下さい>定番
・エスプレッソ下さい。
・すいません、エスプレッソはお出しできないんですよ。
・あ、そうなんすか?
・エスプレッソってメニューに載ってなかった?
・載ってんじゃん…意味ワカンネ。
・使えない店員だな。まあ前の使えない店員より遥かにマシだけどな。
・意味のない会議について。
・なぜ俺はあんな無駄な時間を。
・こういう場所ではぶっちゃけてもいいと思うんだ。
・毒メール送ります。
・ゴミはどこにでも居るもんですね。
・とりあえずアウトドアオフやりましょうよ。
・バーベキューが一番現実的ですね。
・登山オフも。
・河遊びオフも。
・神戸行きましょうよ神戸。
・僕達すでにFateツアーを案内できるレベルです。
・こちらがアーチャーの落っこちてきたソファーです、とか。
・山梨は何度行っても楽しいよね!
・じゃあ、いずれまた会いましょう。
・既に6/9に会うことが決まっている事実。
・カラオケ延長お願いします。
・また延長お願いします。
・すいません、あと1時間だけ延長してもいいでしょうか…。

20120525(金) 夜食三昧

【朝メシ】
牛乳
 
【昼メシ】
ソーセージパン、お茶、缶コーヒー
 
【夜メシ】
飲み屋
 
【夜食】
蒙古タンメンカップラーメン、ガトーレーズン、ホワイトロリータ、アイスクリーム
 
 
【所感】
仕事関係で取引先と飲み。粗相に当たるので流石に写真は撮れなかったが、刺身がなかなか美味しい店だった。ただ、包み隠さず全てのメシを写真に収めたい自分としては、やはり残念な気持ちはある。世間的・人間的な付き合いとかしがらみでこの世の中は出来ているとは言え、複雑な物思いが僕の中を占めていた。
 
様々な思索を一旦断ち切るため、僕は帰宅してからカップラーメンを夜食として食う。選択したのは激辛の蒙古タンメン。舌と脳がいい感じで刺激される。
 
その辛さで多少麻痺した舌や思考回路を復元させるため、次にガトーレーズンをリスのように頬張り、さらにホワイトロリータをネズミのように端っこからかじり、最後はのどごし爽やかなアイスクリームを牛のように咀嚼する。それらの夜食タイムは午前1時半まで継続した。
 
そんな夜食偏重な金曜日。まあ、飲み会では緊張と気遣いもあって、それほど料理を食えなかったのだろう。食った気がしないというか。だから家で、不足分を全て補いがごとく夢中で食い続けたのだ、夢遊病者のごとく。
 
そういう時、ダイエット中だろうが何だろうが手は決して止まらない。それが人間というもの。須らく世の中にはバランスを取ろうとする力学が存在する。
 
 

20120524(木) 納豆、マグロ、塩麹豆腐…タンパク質の宝庫、そしてレタス…

【朝メシ】
ヤクルトジョア
 
【昼メシ】
ソーセージパン、お茶、缶コーヒー
 
【夜メシ】
エビとアスパラとスナップエンドウのマヨネーズ味噌和え、納豆と玉ねぎの明太子和え、やまかけ、豆腐の塩麹漬け、黒松剣菱
 
 
【所感】
「ドリンクはお茶だけ」
 
最初そう決めていたストイック生活も、今では昼メシに缶コーヒーを飲んだりして、徐々に規制緩和の方向へ動いている。なかなか初志貫徹とはいかないものだな。
 
まあそれも無理からぬこと。外に出て5mも歩けば、砂糖と着色料・保存料をふんだんに使ったジュースの自販機が無邪気な光を放ちながら「おいでおいで」と呼びかけるし、そこから30m先に目をやれば、人間の欲望をコンパクトに集大成させたコンビニが、「来いよ、欲しいんだろ?」と悪びれることなく歩行者を誘う。結局のところ、無人島にでも行かないと欲求を遮断するなんて無理だな。人間社会には誘惑が多すぎる。
 
夜メシは輪をかけて豪華だった。炭水化物は除外しているものの、出されたメニューはタンパク質の宝庫。「アスパラとスナップエンドウのマヨネーズ味噌和え」には、もう一品、プリプリのエビが混ぜられている。その力強い肢体を持ったエビ、マヨネーズと味噌という日本人好みのソースにまみれた姿を見ているだけで、喉がゴクリと鳴ってしまう。エビを口に放り込んで飲み込んだ瞬間、僕の胃袋はビクンビクンと勢いよく蠕動運動した。まるでエビマヨのようだ、うめぇ…。
 
「納豆と玉ねぎの明太子和えは、僕がその内容を見抜けたメニュー。
 
「納豆でしょ?」
「当たり」
滑稽だな。
見れば誰でも分かる。
 
「これは…玉ねぎか?」
「おおーよく分かったね」
これは我ながら良く見抜いたと思った。
場合によってはイカに見えるからだ。
なぜなら、その料理は赤みがかっていから。
イカの塩辛も赤いじゃん?
だが、赤いのは塩辛だからじゃない。
 
「お、この味は明太子か?」
「そうだよ、すごいね」
食えば誰でも分かるけどな。
この明太子がつまり、赤の正体だったというわけだ。
イカと玉ねぎを見分ける分岐点がここにある。
 
とりあえず、納豆と明太子大好きな僕は、まるで泥をすするように顔を右斜め傾斜60度に傾けながら、料理の入った器を両手で掴み、それを目の前に引き寄せながら、明太子まみれになった納豆と玉ネギをズズズ…!とすすった。食いながら、「ムホッ、ムホッ、うめ゛ー」とか言っていたような気がする。
 
「やまかけ」は鳥取から来た長芋をすり下ろし、マグロにそのとろろをぶっかけた、ウチの定番メニュー。すった長芋が織り成す純白の海の中、荒々しいマグロの褐色の肉体が、まるで氷山の一角と言わんばかりにその無骨な肉体の先端を見せる。何という力強い光景。まさしく長芋とマグロのマッチングは最高だ。たけのこの里と牛乳の組み合わせにもひけを取らない。
 
最後に「豆腐の塩麹漬け」というのが出た。豆腐を二日間、塩麹に漬けたものらしく、僕にとっては初の料理だ。「最近、塩麹が流行っているからやってみた」とは嫁の言。確かにTVとかでもたまに見る。まあ要は、塩の効いた麹だとは思うのだが、それ以前に僕には”麹”がどんなものか分からないので、論理の展開自体が出来ないのが難点と言える。だから、食ってみるのが一番手っ取り早い。口にしたそれは、豆腐の柔らかさが無くなりキュッと身が締まっていた。味は塩味が効いていて、日本酒に非常に合いそうである。嫁は「チーズのようにまろやかになるらしい」と言っていたが、まあチーズとは別物だな。しかし、これはこれで充分に見るべきものがあった。
 
そんな夜のメニュー達。気付けば野菜中心ではなく、タンパク質中心という様相。野菜というキーワードを何とか死守しようと、料理の下には一枚のデカいレタスが自らの存在感を訴えるかのように敷かれていた。納豆やエビ達で編成されたタンパク質軍に最後の抵抗を示すために…。
 
僕は、あのレタス達のことを生涯忘れない。

20120523(水) オール野菜に見えて、実はそうでもない

【朝メシ】
ヤクルトジョア
 
【昼メシ】
コロッケパン
お茶
 
【夜メシ】
納豆サラダ、キヌサヤとツナとエノキの生姜炒め、厚揚げとニンジンとわらびの煮物、マグロステーキ、黒松剣菱
 
【イベント】
「素晴らしき世界/Rake」(宇宙兄弟ED)発売、カラオケ配信
 
 
【所感】
夜メシの主軸は野菜。その傾向を今のところは大体守っている。
 
納豆サラダは、レタスとキュウリに納豆を混ぜたものだ。納豆を何にでも混ぜるという手法は、前に嫁が義妹から教えてもらった教訓を元に実施している。野菜オンリーだと腹の減り方が尋常じゃないし、タンパク質不足にも陥る。それを納豆という健康的食材でカバーする仕草は切れ者と言うべきだろう。無論、食う人間が納豆好きという前提で初めて成立する料理だ。ゆえに関西人にはオススメできない。まあ関西人が納豆嫌いという俗説の成否はまた別の話。
 
キヌサヤとツナとエノキの生姜炒め。実家から送られてきたキヌサヤに、青物だけでは物足りなかろうと、ツナとエノキを混ぜ合わせ、発汗作用を促進するため生姜を大量にぶち込み炒め上げた。生姜の苦味が身体中の細胞を活性化させるようだ。
 
あと、わらびの煮物。実家から大量に送られてきたわらびも、そろそろ賞味期限が迫ってきた。業火で焼くか、超絶熱で煮込むかして誤魔化すのが得策。わらびだけでは何とも味気ないので、厚揚げやニンジンなどをカップリングした結果、いっぱしの煮物が誕生する。厚揚げに染み込んだ醤油の味が、わらびのぬめりと混ざり合い、何とも極旨な味わいへと昇華する。
 
最後はマグロステーキ。最初、鶏のササミだと思ったが、肉はご法度だからと嫁は否定。じゃあ一体何なんだと問うたところ、マグロのステーキだという答えが返ってきた。以前、飲み屋で出されたマグロステーキの素晴らしさに感銘を受けての料理とのことだ。実際に食ってみても、いかにもステーキっぽくて抜群だった。肉はご法度と言っているが、マグロも結局肉じゃね?素朴な疑問を投げてみたが、「肉じゃなくて魚”肉”だから」という何とも高度な回答をよこした嫁の真意については、それ以上追求する気はない。
 
「全然野菜中心じゃないんじゃね?」
 
総じて言うならそういうことだが、それよりも

最近、体重が停滞している方が僕には気になっていた…。

 
先週金曜、体重計の目盛りは63.8kgを指し、初めて64kgを切った。その時点で”さすが俺”状態。10日間かそこらで顕著な効果が現れたことに対し、すこぶる順調感を感じていた。しかし、そこからどうあっても63.8kgを下回らなくなった。
 
無論、自然な流れと言えば自然な流れだ。最初にすぐ効果が現れ、途中しばらく停滞し、そこからめげることなく継続した末に再度効果が出始めるという。それがダイエットの常道であり必然。しかし、過去何回かやった内、停滞期が無くそのまま右肩下がりという場合もあった。思い返せば、その時は例外なくジョギングを取り入れていた気がする。
 
朝、走ることによって強制的に余分な汗を流し、余分なカロリーを消費する。だが、その消費分を食事で全てカバーすることは敢えて避けつつ、一日を終わらせる。大体、ジョギング消費量の半分くらいの摂取量だ。だから自然と肉は削げ落ちていった、そんな流れだ。ノンストップで痩せざるを得ない環境。イメージでいえば、筋トレとは別にジョギングで1kg体重が減るけれど、500g分しか再摂取しないため、実質的に毎日500gずつ体重が落ち続ける、という感じか。まあホントに痩せたければ、そうすればいいだけの話。それが出来ない時点で今の僕は甘いのだろう。
 
それにしても、運動も含めた最近のルーチンがかなり固定化していることには焦燥感を抱く。そのルーチンの始まりは、朝7時過ぎの起床。そこから牛乳を飲み、筋トレを5分だけこなし、会社に出かける。終電残業こそ無くなったものの、仕事は大体夜の21時過ぎか。帰宅すれば22時過ぎ。そこから拳立てを40~50回こなした後にメシを食い、少し腹を休めれば23時半近く。30分ほど夜の筋トレを実施すれば、もう0時過ぎだ。そこから2時間ほど何か有意義なことをしようといつも思うのだが、漫画をめくったりゲームをしたりでついウダウダとしてしまい、大体1時半までには寝落ちしている。そんな定まりすぎたパターンだ。
 
一応、「明日こそはジョギングすんぜ」という抵抗の意思の下に目覚ましを5時半にセットはするが、起きられない。あるいは起きても二度寝という毎度のオチ。ほぼ、この定型ラインから外れない。こんなことで本当にいいのか?そう考えると身をかきむしりたくなる。ぬくぬくとした布団の中で独り、浜辺に打ち上げられたエビのようにビチビチと悶えることもある。だが、そこから跳ね起きるわけでなく、ただの前後運動でしかない。打ち上げたまま戻ってこないロケット花火のようだ。
 
ロケット花火のままでいいのか?ジワジワとねぶり上げるように味が出る線香花火の方がいいんじゃないのか?よく考えることである。
 
無論、線香花火とて最後は儚く散る。燃え尽きんとする瞬間、閃光のような煌きを放ちった後、黒い燃えカスとなって潰えるのだ。その姿はまさに「兵どもが夢の跡」の典型。いや、実際は兵ですらない弱々しい雑兵だろう。だが、それがいい。光は弱いが持続時間が長いのがいい。
 
加えて、控え目なのもいい。「ボクのことは気にしないで下さい」と、自らを主張することなくはためき続けるあの姿がいいのだ。そして最後、「ボクのこと忘れてください」とばかりに何事も無かったかのようにポトリと地面に落ちる、あの黒い塊がいいのだ。線香花火は、まるで歴史の濁流の中、慎ましくささやかに、それでも必死に生きる人間のようだった。
 
ただ、打ち上げ花火も捨てたものではない。打ち上がった空の先に何があるのか分からないのに、意に介することなく飛び上がる、その恐れを知らない姿。何秒間飛び続けられるか分からないけど、とりあえず飛んでみるという無計画性。着地先が海の上だろうが森の中だろうが人の頭に直撃しようが気にも留めない自分勝手さ。自由に飛び、自由に落ち、後のことは知らないとばかりに開き直る打ち上げ花火は、歴史の濁流をものともせず自分自身の潮流を作り上げる英雄のようだ。だから、打ち上げ花火も捨てがたい。
 
この打ち上げ花火と線香花火との対比で何が言いたいのかというと、何事も一長一短で、それを選ぶのは自分自身だということ。かと言って、何も一方だけを選ぶ必要も無く、両方を使い分けながら行動すればいいということだ。分かり易くバイトで例えるなら、短期バイトで一気に稼ぐか長期で地道にいくか。陸上に例えるならば、100m走で燃え尽きるかフルマラソンでジワジワ頑張るか。酒なら、テキーラで一発KOか、薄いカクテルをお代わり続行か。馬券なら三連単で一攫千金か、それとも複勝で手堅く拾いにいくか。つまり、パッ!とやってパッ!と散るのか、ホワワ~ンとやってシュシュシュ~ンとフェードアウトするのか、ということだ。どちらも極端。だから両者のバランスを考えて行動するのが良いかもしれない。そんな結論だ。
 
そのバランスを今の自分のルーチンに落とし込むと、程よい修正点が見えてくる。筋トレは現在、大体継続できているので、このままでOK。この継続というスキルは線香花火の領分だ。あとはそこに、打ち上げ花火の特性をいくつか盛り込めば、いい感じになるだろう。
 
まず、朝のジョギングをとにかくやること。毎日でなくともいいから5時半に起きてキッチリ走ることが必須だ。これは気持ちがノるというか、勢いが無ければ出来ない。その”勢い”という誘発剤は、まさしく打ち上げ花火の領分。あとは、その打ち上げ花火的テンションを帰宅後の数時間にも充てて、有意義なライフワークを毎日の中に構築する。その開き直りを以ってして、仕事もなるべくサッサと上がる。以上を実行することで、今までの惰性ルーチンは改変され、勇者のサイクルが生まれ出ずる。
 
そんな妄想をしつつ、いつの間にか寝落ちした僕だけど、1時過ぎに一度ムクリと起き上がり、冷蔵庫に貯蔵してあるアイスを食った。そして2時過ぎに再び起き出して、二つ目のアイスを食ったところで唐突に異能の力が欲しくなり、森恒二の「デストロイアンドレボリューション」を読み始めた。漫画を読み耽る内に、心の中は「ワンネス!ワンネス!」と盛り上がり、僕の心は至極高揚した。
 
と、こういう自分を破壊するのが火急の責務なんだよな。
 

2012/05/22(火) スカイツリーを思いながらメシ

【朝メシ】
牛乳
 
【昼メシ】
タマゴパン
コーヒー
 
【夜メシ
ゴボウサラダ
キヌサヤの味噌汁
大豆と昆布とわらびの煮付け
冷奴
黒松剣菱
 
 
【所感】
 スカイツリーの開業日だそうだ。沸いていないようで、案外地味に沸いている。職場の最寄り駅の地下通路などでも早速、ポスターがスカイツリーVerに張り替えられていた。多くの人が早く行きたいと考えているのだろう、きっと。無論、僕も近くに住んでるのだから最低一回は行くと思う。
 
 ただ、平日に休みを取るほどの気合は無いな。そこまでする価値があるのは、せいぜいパチンコ屋の新装開店か、宝くじ一等の当選金を受け取りに銀行の応接室に出向く時くらいなものだ。本当に心をときめかす事柄は、世の中にそれほど多くない。
 
 それでも、悪天候にも関わらず開業日の来場者は22万人にも上ったと言うのだから、世の中暇人が多い。無論、価値観は人それぞれだから全く否定しない。ただ、興味が薄い者にとって、その対象に異様な執着を見せる人々の姿はやはり奇異に映るものだし、理解もし難い。それも確かだろう。当たり前だが、同じ価値観を持つ者同士でなければ気持ちを共有できないということだ
 
 例えば、僕が休みを取ってパチの新装開店行くぜと嬉しそうに通達しても、100人中98人には理解されまい。さらにそこで負けてくれば、なおさら人は僕の行為を不可解と考え、それどころか「あいつバカじゃね?」とクズの烙印を押される確率99%だ。しかし、それでもやるのが男であり人間というもの。
 
 人というものは主体性が無く自分が無い、と一方では言われる。しかし、一つか二つの事柄に限定すれば意外と我が強く、曲げない。それもまた殆どの人間に共通する特性だろう。なので、他人が口出しする筋合いは基本ない。お互い様なのだから。今回のスカイツリーの件についても、初日に行った人間は楽しみにしていたに違いない。平日で悪天候にも関わらず、それを押して出向いたのも、スカイツリーに対して高いプライオリティを見出していたからだと思われる。
 
 まあそういう人達の目的は、純粋に楽しみたいというのも当然あるが、それよりも開業日に入場したという実績、ステータスこそが欲しいという側面もあるだろう。先行者利益というヤツだ。たとえばi-padやi-phoneのような新商品にしても、それをわざわざ発売日に買うのは、先行者利益がそこに存在するからに他ならない。いずれ市場に浸透するものをいち早く先取りすることによって、一般では知り得ない、体験し得ない情報や実感などを得られる。先端を追求する者にとって、その魅力は絶大だ。
 
 それは時に、安っぽい優越感や自己満足と見なされることもある。しかし、斯様な先行者が居なければ市場も盛り上がらない。盛り上がらない市場は将来的に立ち行かない。だから、市場において彼等は重要な存在、キーパーソンの一部なのである。作り手にとっても、それを後々使う消費者達にとっても。「常に世の中を動かしてきたのは一握りの天才だ」と言い切ったパプティマス・シロッコの言葉は決して大げさとは言えない。いつの時代も、どのジャンルでも、常に先行者が前を走り、その後を後発組が付いていくのが世の中の仕組み。そこで市場は熟成されて膨張するのだ。いずれ来る縮小期と終息期を迎えるまで。つまり先行者とは、市場の黎明期における勝利者だ。
 
 しかし黎明期以降で見るならば、終息期に最後まで立っていた者が勝者。先行者は独占的な利益を享受できるが、彼等が最後まで立っているかどうかと言えば、また別の話になる。後発組に追い抜かれ、追い落とされる可能性もある。あるいは飽きてしまって走るのを止めるかもしれない。いずれにしても、終息を迎えた時に最後まで残った者が最終的な利益を独占する。それが残存者利益だ。それを得るにはしぶとい者、忍耐強い者であればあるほど良い。とにかく何にでも食い付き飛び付く先行者とはベクトルの違う存在である。
 
 先行者と後発者。果たしてどちらが得なのか。一概には言えないが、少なくとも僕は、東京スカイツリーという項目においては無理はしない。最初は人ゴミの極地だろうし、エレベーターが止まっても嫌だし、天候が雨でも切ないし。実際に稼動させれば問題点は色々浮かび上がってくるし、いずれ見学の定型ルートも確立される。それらのメンテナンスが終わり一段落ついた辺りで動くのがベターだと思われる。つまりは後発組だ。鮮度の高い情報や体験を得られない代わりに、快適で安定した周遊が約束されるのだ。僕はそれでいいや。
 
 そんなことより、最近の夜メシのカロリーが極端に少ないことの方が僕にとって遥かに関心がある。今日はチチが外に飲みに行っていたこともあり、夜メシは自分で調達したのだが、いかんせんダイエット中。ココイチもマックも涙を飲んで断念し、スーパーでゴボウのサラダを購入した。プラス、流石にそれだけではひもじかろうというチチの計らいで、実家から送ってもらったキヌサヤ入りの味噌汁、同じく実家のわらびと大豆を煮込んだ煮物、そして冷奴を用意してもらう。
 
 合計4品。メニュー数としては常識の範囲内だ。しかし、野菜中心だけにカロリーは当然低い。20分ほどかけてしっかり咀嚼したのだが、さすがに物足りなさを感じてしまった。本当にオレはこんなんで大丈夫なのかと。
 
 だが、それでいい。平日はとにかくストイック。その分、休日は無制限で開放するのだ。この空腹感が、僕に確かな未来を描かせる。それは長い目で見れば嬉しいことだ。だから一時的な快楽に負けてはいけない。今は自制あるのみ。友人の結婚式に向け、日本酒に慣れるために用意した「黒松剣菱」が、平日における僕の唯一の楽しみ。それを心の支えに生きるのだ。そして、いち早く理想体重まで戻し、コトが済んだその暁には、また猛獣のように食い散らかすのだ。
 
 ただ、そういう生活をしていても、最近は体重が横ばい気味だ。分かっていたことだが、室内運動だけではどうしても限界がある。やはりジョギングをやるしかないのか。しかし今のテンションでは…。今日も自問自答が繰り返される。