07/08/30(木) キムチ鍋その7ぐらい

 
 
【朝メニュー】
巨峰
お茶

【昼メニュー】
自作オニギリ

【夜メニュー】
キムチ鍋

アーモンドチョコ
ビール

四季を通じて鍋モノの割合が高いウチだが、さらにその中でも”頻度”という名の順位付けがなされる。どの鍋料理をよく食うか、その頻度を精査していけば、きっと眩暈がするほどの大差になろう。何事にも傾向と対策は存在するもの。傾向を知れば、自ずとその人の嗜好は見えてくる。

 
その理論に基き僕等の傾向を導き出すと、圧倒的頻度でキムチ鍋になるかと思われる。他にもすき焼き、煮込みラーメンなど頻繁に出てくる鍋もあるのだが、キムチ鍋には到底及ばない。何故ならすき焼きは高いからだ。そして煮込みラーメンは冬にしか発売されないからだ。キムチ鍋は、その両者の欠点を見事に補っており、ゆえに相当な力量を持つすき焼きと煮込みラーメンは総合力においてキムチ鍋の後塵を拝する。もちろん、価格的にもリーズナブルで年中無休な鍋もある。湯豆腐とか。しかしキムチ鍋ほどのインパクトは無い。さっぱり系のため、手ごたえに欠ける。気付けばキムチ鍋の独走状態だった…。
 
キムチ鍋。これについては過去、何度も言及した。よって話すことは殆ど無いのだ。キムチの掘り下げも鍋料理の意義も、しらたきも、みーんなやってしまった。キムチ鍋については、もはや語り尽くされた。魅力深いというのは罪作りなもの。そして回数をこなすとマンネリ化するもの。世の中の事物、現象において、あらゆるものがそうである。悪魔的な魅力、そして慣れすぎるというこは、まさしく罪深いステータスなのであると。まるでキムチ鍋のよう…。
 
そう、キムチ鍋は罪深い。病み付きになるあの色、あの味。アツすぎて深すぎて、歓喜の汗が止まらない。一度口に含んだが最後、最後までノンストップで吸い尽くす。こうして止め処もなく堕ちていく。それがキムチ鍋。イカス…。

07/08/29(水) とんかつ屋の情報錯綜について

 
【朝メニュー】
ご飯

納豆

【昼メニュー】
自作オニギリ

【夜メニュー】
とんかつ新宿さぼてん弁当

みそ汁
野菜サラダ
ビール

相変わらず残業続きの日々。必然、夜メシも弁当が多くなるというもの。ただ、その中でもバリエーションは変えていかねばなるまい。例えばいくら唐揚げ弁当が好きだからといっても、そればかり食っていたのでは心がマンネリ化してしまうからだ。心のマンネリは生活のマンネリ。それは退廃への第一歩。変わり映えのない日々なんてまっぴらだ…。だから本日は、弁当でも上級ランクに位置する「とんかつ新宿さぼてん」のとんかつ弁当を選んでみた。それは、コンビニやスーパーの弁当に比べて遥かに高価。硬貨でなく紙幣でないと支払い出来ないレベルだ。しかし心理的な効果は非常にてき面。弁当でも高くて旨いものを食えば、気持ちは前向きになり決して降下しない。そして、こんな感じで選択肢を時たま変えてやれば、老いたこの脳も硬化しない。高級弁当はいいことずくめなのである。

 
そんないいことずくめの高級弁当「とんかつ新宿さぼてん」。弁当だけでなく、とんかつレストランも展開している。しかもご飯、味噌汁、キャベツがお替わり自由らしく、うなるほど食いたい輩にはうってつけである。行ったことは無いが、是非一度来店したい所存。なるほど、ご飯と味噌汁とキャベツがお替わり自由か…。
 
ここでふと思い当たる。僕は、「とんかつ新宿さぼてん」のレストランには行ったことがない。それどころか見たことすらない。だが、ご飯、味噌汁、キャベツのお替わりは前から知っていたし、どこかのとんかつ屋で何度かお替わりしたことがある。そう、もしかするととんかつチェーンで最も有名かもしれない「とんかつ和幸」である。ここもお替わり自由を謳っており、しかも自分達が最初にこのお替わりシステムを開発したと喧伝しているのだ。
 
 
これを見て、ふと疑問符が浮かぶ。とんかつ新宿の方も「創業以来、ずっとお替わり自由を貫いてきた」と、和幸と同じような記述をしているのだ。つまり、とんかつ新宿こそがご飯、味噌汁、キャベツお替わり自由制度の発明者なのだと、そう読み取ることも出来た。
 

http://www.ghf.co.jp/saboten/welcome.html

 
とんかつ新宿、そして和幸。いずれもがお替わり自由の先駆者を自称する現実。当然、これはおかしい。どのジャンルにおいても、先駆者は常に一人なのが世の常だからだ。つまり真実は一つ。どちらかが虚偽の報告をしている。一体どちらが背徳者なのか…。
 
その解決の糸口の一つとしては創業年月が挙げられる。とんかつ新宿は1966年。対して和幸は1958年だ。これだけ見れば、和幸の方が先にお替わりシステムを作ったように見えなくもない。だが、よく見てみると和幸の1958年創業というのは和幸グループの中の和光商事という企業のみ。関連会社である東邦事業や和幸フーズなどの企業はそれぞれ1964年、1967年が会社設立の年だ。もし我々が常日頃お世話になっている「とんかつ和幸」が和幸フーズ管轄だとすれば、1967年設立といことになるので、新宿とんかつの1966年より1年遅いことになる。となるとこの場合は、新宿とんかつの方が先達になる。その辺の詳しいことはパッと見て書いてない。単にその記述を見つけられないだけかもしれないが、真実の究明という点では極めて重要なファクターなのだ。ここら辺は機会があれば探ってみたいと思う。
 
結局のところ、多少調べた程度では両社の正誤は解明出来ない。だが、どちらもが我先駆者なりとやっきになっているのは間違いないだろう。一番最初に始めること。新たな境地を開拓すること。つまりパイオニアの称号。それは誇りであり、今後活動するための重要な原動力にもなる。ゆえに譲れないのだろう。似たような事例を挙げると、「ポイントカード」という存在があるか。一般的にはヨドバシカメラが最初に発明したと言われているし、新聞などにも載っていたらしいが、正直分かったものじゃない。ただヨドバシがそう主張しているという事実だけがあり、真実である保証はどこにもないのだ。第一、マスメディアの言うことなど信用出来ないではないか。そんな状態で舞台の真相を誰が証明できるのか。その裏を一体誰が取れるのか。発信している側がそもそも虚偽だという可能性も十分にあるというのに…。
 
世の中には、我こそはと発信する自称パイオニアが腐るほど居る。だが、声を張り上げた者が全て正しいなどとは誰も思っておらず、それに踊らされる危険性を皆が心に留めているのだ。そんな、まず疑いありきの現代。すれた社会。善良で正直な社会に戻すには、少なくともあと100年はかかる。つまりもう戻せないところまで来ていた。
 
だが、そのすれた社会でも、とんかつの味は嘘をつかない。新宿とんかつであろうと和幸であろうと、その香ばしくもカリッとしたとんかつを口に含んだ瞬間、幸せになれるのだ。その気持ちだけは嘘偽りがない。味覚は真実の証として、いつも僕らの傍にある。

07/08/28(火) お好み焼き屋

 
 
 
【朝メニュー】
ご飯

納豆

【昼メニュー】
自作オニギリ

【夜メニュー】
お好み焼き屋「寿々」(東京・梅島)

中華屋、カレー屋、寿司屋、etc…。何か食っていこうとなった時、ふと立ち寄りがちな店。言い方を変えればジャンル。ホント無意識に、示し合わせたように入ってしまう。庶民にとって馴染みのあるメニューだからだろうか。馴染みがあるのはそれらのメニューの露出度が高いからだろうか。確かにどこにでもある。街をしばらく歩いていれば、とりあえず見つかる、そのくらいの数はある。店を運営している人間も、そんな消費者の無意識を知っての上なのだろう。気軽に入り易いから、敷居が低いのが分かっているから、店を構えてもあまり不安を抱かない。過去から積み重ねられた実績が示す出来レース。これこそ需給の一致であった。

 
その意味では、お好み焼き屋も結構定番。ホットプレートがあれば家で安く大量に作れるのに、実際お好み焼き屋が廃れることなど滅多に無い。あの業務用のデカい鉄板と、連れと喋りながら気楽に自由に焼けるという柔軟性。人気の理由はそのあたりだろう。よっぽどでなければ、お好み焼き屋は外れない。
 
しかし、お好み焼き屋乱立の理由はそれだけで済まないかもしれない。気軽だとか庶民性が高いとかそういう次元ではなく、もっと現実的な。つまり、儲かるからではないかという推測。お好み焼き屋に入り、注文した品が来る度に僕は思ってしまうのだ。随分儲けてないか?と。少なくとも半分近くの店に対してそんな感想を抱く。半分とはつまり、店員が焼くのではなく、客が焼く店のこと…。
 
例えばぶた玉をオーダーする。ラーメン屋で例えれば、味噌ラーメンと餃子を頼むようなもの。この時点で、殆どのジャンルの店ならば完成品が客の前に差し出されるわけだ。客は店員が作ったメニューを食うことだけが仕事だから当然といえば当然である。しかし、お好み焼き屋の場合は勝手が違う。つまりオーダーしたぶた玉お好み焼きの完成品が出てくるのではなくて、焼きあがる前のものが差し出されるという不思議。小麦粉を水で溶かして豚肉やら野菜やらをボールに入れた状態。いわゆる材料を手渡されるのである。その流れで行けば、焼くのはもう客しかいない。お好み焼き屋と称する店で気楽に食おうと思った矢先、材料渡すから後は自分で作ってねと宣告される。焼くなり煮るなりご自由にどうぞと…。これでは家に居るのと変わらないのではないか?何のためにプロと呼ばれる人間が運営する店に行くのか。僕が納得できないのは、まさにこのセルフにも程がある作業。客が最も求めるものが、最も大事な一工程が抜け落ちているのだ。加えてこの値段である。お好み焼き屋やもんじゃ焼き屋は、家で作った時のコストを考えれば高目の価格設定だと僕は感じている。その高目の金額を、ただ小麦粉と水を混ぜただけの、誰でも作れる材料に払っているのだ、僕らは…。このセルフ型お好み焼き屋だけは未だに解せない。本来あるべきものが、しかし実際は存在しないものが含まれてしまっている。これでは形だけの技術料を取られているようなものである。
 
お好み焼き屋。店員が作ってくれるところは安心してこの身を任せることが出来る。だがそれだけに、いきなり材料だけ手渡された時の呆然指数。瞬間湧き上がる、店員への内なる気炎。推して知るべし。鉄板に負けない炎の視線を…。気にならない人間には気になるまい。だけど僕はその都度気になって仕方ないのだ。子供の使いじゃないんだぞと。
 
でも出来上がるお好み焼きの出来が案外良くて、何となく満足してしまったりもする。いやダメだダメだ、甘やかしちゃ。騙されちゃダメだ…。a

07/08/27(月) シチューの旬

 
【朝メニュー】
ご飯

納豆

【昼メニュー】
自作オニギリ

【夜メニュー】
シチュー

味噌汁
キュウリの酢の物

夏にシチューを食う。それは別段珍しいことではない。しかしTVのシチューCMなどを見ると、夏よりも冬場に偏っている感じがする。スーパーの棚を見ても、エンドに山のように特設されている冬に比べ、夏のシチューコーナーはしょんぼりしているように見える。シチューの美味しさは永遠不動であるはずなのに、この明白すぎる扱いの差。何故か?

 
多分、シチューが熱いからだ。椅子に座って静粛にゲームボーイをしているだけで汗が出てくるほどに暑い夏。そこに畳み掛ける形でマグマのように熱いシチューを食うとどうなるか。気温と体温が倍満クラスに上昇するのは明らかである。まさしく火に油、蒸気室に溶岩。そんな苦行にみすみす身を投じてどうする?とまあ、そんな無意識の回避行動が働いているのだろうが…。
 
なんという甘ちゃん。夏なのだから暑いのは当たり前。その当たり前を受け止めず、チャチなソーメンや冷し中華で涼んだ気になるという浅はかさ。まさに焼け石に水と言うしかない。暑いものは暑いのだ。根本は変えられないのだ。だからこそ、そういう時こそ熱い食事で荒療治。風邪を治すには汗をかくことが第一というではないか。そもそも、基本的にシチューは大好きなのだろう?好きなものを避けてどうする。本当に愛しているのなら火の中だろうと水の中だろうと飛び込んでいけるはずだ。その根源愛を実践せず見た目の易きに流れるような輩はまだ愛が足りない。だから貫くがいい、シチューへの愛を。掻くがいい、水玉のような汗を。摂氏38度、熱風すさぶ夏の日だからこそ…。
 
第一、カレーは四季問わずいつでもどこでも食っているじゃないか。シチューだって同じルー食品。差別はいかん。

07/08/26(日) カレー狂の挽歌

 
 
 
 
【朝メニュー】EV:麻雀
無し
 
【昼メニュー】EV:麻雀
雀荘カレー(東京・秋葉原「まあじゃんぱらだいす」)
 
【夜メニュー】EV:麻雀
ココイチ(東京・秋葉原)
 
 
 
麻雀もさることながら…。
 
また雀荘カレーですか。
よく飽きませんね。
日本人はカレー好きだから問題ない?
まあそうですね。
やっぱ雀荘といえばカレーですね。
 
さて、麻雀も終わったし何か食いますか。
え?ココイチですか?
さっき雀荘でカレー食いませんでしたか?
もうあれから9時間経ってますか。
そうですか。
 
フライドチキンカレーですか、いいですね。
そこにコロッケを乗せるんですね、いいセンスですね。
チーズも入れる?まあいいと思います。
え?さらにエビもトッピングするんですか?
ちょっと乗せすぎじゃないですか?
は?失礼もう一度。
イカリング?この上トッピングですか?マジで?
トッピング×4ですか?
気は確かですか?
 
ソーセージカレー一丁ですか、僕も好きです。
そこにトッピングですね、わかります。
え?ソーセージですか?
聞き間違いかな。聞き間違いじゃない?
ソーセージカレーにソーセージをトッピングするんですか?
しかも2セットですか?
ソーセージを8本トッピングということですか?
合計でソーセージ12本ですか?
何がしたいんですか?
 
麻雀もさることながら…。
 
 
おまえら、どんだけカレー好きなんですか?
 

07/08/25(土) 俺のチャーハン

 
 
 
 
 
【朝メニュー】
メロン
 
【昼メニュー】
ハッシュポテト
目玉焼き
ビール
プチシュー
 
【夜メニュー】
自作チャーハン
スープ
春巻き
ナスの味噌炒め
ナスの漬物
冷奴
ビール
 
 
嫁の手料理。
バリエーションは数知れず、時を経るごとに増えていく。

当然、装飾も味付けもレベルアップ。

もちろん全ての工程を全て自分で行う。
まさに無限の住人。
 
俺の手料理。
作れるのは二つだけで、時を経るごとに適当になっていく。
当然、その二つ以外はお手上げ、ハンズアップ。
だから具材は嫁に切らせ、皿洗いもしない。
まさに重罪人。
 
だけど俺だって生きてるんだ。
取り柄はきっとある。
チャーハンと炒り卵なら戦場でも作れる。
スープや野菜炒めを全て任せたとしても。
譲れない、これだけは。
腐っても一人暮らし歴10年以上。
その俺が断言する。
 
 
 
  ∧,,∧
 (;`・ω・)  。・゚・⌒) チャーハン作るよ!!
 /   o━ヽニニフ))
 しー-J
 
 
 
俺のチャーハン。
醤油をかけすぎたかもしれない。
高見盛ばりに塩を大量散布したかもしれない。
なかなかにしょっぱい。
だが、それがいい。
 
俺は男。
俺は戦士。
戦士のチャーハンは涙と汗で出来ている。
 

07/08/24(金) あんかけ

 
 
【朝メニュー】
ご飯
納豆
 
【昼メニュー】
カレーパン
コーヒー
 
【夜メニュー】
ご飯
ふかひれスープ
あんかけ野菜炒め
キュウリのマヨネーズ和え
冷奴
ビール
 
 
この日も相当仕事がテンパッていたようだ。昼飯に出かける暇もなく、キーボードをひたすらカタカタと打ちまくる。電話のボタンを執拗にピポピポと押しまくる。終いにはカレーパンを貪りながら付箋にAAを殴り書きする始末。なかなかに病んでるというか、大の大人がやることじゃないな。今は反省している。だが、人は切迫した状態下では周りが見えなくなる生き物なのも確か。追い込まれながらも、そこに密かな興奮を覚えるのであり、それはある意味において充実した時間のはずである。まったりと新聞を読むゆとりか、戦場のような慌しさか、果たしてどちらが人をより成長させるのだろう。未だ若輩の自分には知る術もなかった。まあ、とにかく疲れていたというか憑かれていたのは間違いない。
 
疲れた時、甘いものが欲しくなると一般的によく言われる。頭をフル回転させた結果、脳が著しくカロリーを消費するからだ、とどこかで聞いた気がするが、確かに頭を酷使し続けると、無性に甘いものを求める傾向にある。そういう時に食うポッキーやキットカットはまるで麻薬のように甘美な幸せアイテムだ。しかし、甘いものでなく、時として辛いものとかしょっぱいものを食べたい衝動に駆られることもあったりする。同じ疲れでも、まったく両極端の味覚を欲するというこの現象は、一体どういうわけか?僕には分からない。たとえばスポーツをやった後などは、汗をかいて塩分が足りなくなるからそれを補給するという説明もつきそうだ。しかし明確な回答なのか自信はない。言える事は、その時欲しているものが即ち足りないもので、その足りないものは肉体や頭脳を行使する過程で消費していくということ。結果は分かっても原因がつかめない人体の不思議がここにある…。
 
しかし、原因が分からなくても気にする必要は別にない。食いたいものを食うという本能が既に正しいのだから。自分にどの栄養素が足りなくて、どれだけ供給すれば良いか、無意識に分かる。人体は精密なセンサーと言える。そしてそのセンサー的に言えば、本日食ったあんかけ野菜炒めなどは秀逸チョイスそのものだったということだ。
 
「あん」の定義。ネットでチョロっと調べたところ、煮汁に澱粉を加えドロリとさせたものをそう言うらしい。さらに加えるなら、その「あん」をかけたものが「あんかけ」だ。あんかけ焼きそばとかあんかけスパとかよく聞く。とりあえず僕の「あん」に対するイメージは、広東麺に乗っかっている部分とか、ミートボールのタレあたりが馴染み深い。いずれにせよ、あのドロドロとした食感と独特な甘酸っぱさは魅力的すぎる。特に後者の”甘酸っぱさ”は、今回のテーマを解決に導くキーワードではなかろうか。つまり…
 
甘酸っぱいという言い回しを分解すると、「甘い」と「酸っぱい」に分けられる。そして「甘い」は糖分系、「酸っぱい」は塩分系。両者とも疲れた時には欠かせない、本質とも言うべき味覚だ。この本質二律背反を融合させたものがつまり「あん」だとするならば、これほど効率的かつ合理的な料理は他にない。肉体が疲れようが脳が疲弊しようが、とにかくあんかけナントカを食っておけば大丈夫という理論になるはずなのだから…。
 
甘いものが欲しい。そう思ってポッキーを食ったはいいが、まだ何かが足りない。そうだ、塩分だ。僕にはしょっぱいものが欠けているんだ。そう考え、今度はポテロングを食べた。これで万全。僕は心身共に回復一路。だが、そう決め付ける前に、もう一段階上に昇ってみないか?そう、あんだ。一度で二度オイシイあんかけ料理を食うのだ。特にあんかけ野菜炒めなど食った日には、ビタミンも豊富に採れて一度に三度オイシイ気分を味わえる。この飽くなき効率への挑戦こそが、人を高みに導くのだ。
 
人生は短い。だが、それに反比例するように欲するものは多い。だから人は苦渋の決断で物事に優先順位をつけ血の涙と共に取捨選択していく。だが、その賢明な取捨選択を以ってしても生物ゆえの本能には逆らえない。特にその最たるものである食物摂取は避けることが出来ないのだ。だからこそ、どうせ不可避ならばせめて効率的でありたい。直列よりも並列で進めたいと願うのである。そこで痛烈なほどに理解する、甘味と辛味を並列させるあんかけ料理の優位性。多忙な現代社会に、強烈なあんかけインパクトが炸裂する。

 

07/08/23(木) 疲労ピーク時にカレーと押し寿司

 
 
【朝メニュー】
ご飯
納豆
 
【昼メニュー】
カレー屋「カレキチ」(東京・秋葉原)
 
【夜メニュー】
吾左衛門寿し
ビール
 
 
この頃、仕事上でかなりのクレームが発生して、それが随分と継続していた。自分も含め、多くの従業員が毎日サービス残業という感じで、何度終電で帰ったか分からないという状態。クレームというのは基本的に後ろ向きな要素が強いので、疲労感も倍増する。この期間は、仕事以外に何をしていたのかホント思い出せない。多分、仕事して食って寝るだけだったんじゃなかろうか。人間に限らず、生物というものは追い詰められれば牙を剥く。しかし逆に、全てを放棄するという場合もある。勝負か、諦観か。僕は多分、諦観気味に半ば放棄していたに違いない。
 
そんな毎日にあって、楽しみらしい楽しみは少ないと思われる。何しろ記憶に残らない程度。辛うじて覚えているのは食ったことと、そして寝たことくらいなものだ。まあだからこそ逆に、何を食ったかだけでも思い出せれば、それは嬉しいことなのかもしれない。全く覚えてないことに比べれば、何か一つでも覚えているのは遥かにマシ。無駄な一日じゃなかったと思えるからだ。無駄な一日を実感することほど惨めさを感じることはない。そうならないために、人は記憶にすがり何か見つけようとするのだ。泥の中から宝石らしきものを…。
 
そう考えると、この日の僕の一日はなかなかに印象的だったと言える。昼にカレキチで大好物のカレーを食らい、夜などは帰省中くらいしか姿を現さないはずの鳥取名物「吾左衛門寿し」を食っていたりするのだから。何故、こんな支離滅裂なシナリオになっているのか。この日、何があったのか…?
 
そういえば、この日は件のクレーム処理で午後から秋葉原に出ていた気がする。心身共にブルーなので、カレーで気分を紛らわせようと思ったはずだ。しかしカレーで何とか嵐をやり過ごしたのも束の間。一度会社に戻った後は、夜9時頃からまたクレーム処理のため外出しなければいけなかったのだ。このダブルヘッダーはかなりキツかったはずで、メールで嫁に弱音を吐いていた僕がきっと居た。嫁はそんな弱っている僕をせめて少しでも癒そうと、土産屋で鯖寿司を買ってきたのだ。しかも故郷の味、「吾左衛門寿し」という、目立たなくも効果覿面の気遣い。この吾左衛門寿しによって、確かに僕は少なからず癒された。毎日起こる食欲。あまりにありきたりなため見逃してしまいがちだが、食い物の力は計り知れない。
 
ただ食うだけで休まることがある。その時食ったメニューから思い出されることがある。そうやって食の記憶を手繰っていけば、当時の事件、当時の感情その他諸々が浮かび立つことも…。食うということは、本能だけになかなか忘れない。だが重要なのはそれでなく、そこに絡まっていたはずの記憶の数々。一気に連想されることもあれば、埋もれたまま消えることもある。思い出すのはその人次第だ。その機会を増やすためにもよく食い、よく噛むのが望ましいと僕は何気なしに思うのだった。

07/08/22(水) マックポーク物語

 
 
【朝メニュー】
ご飯
納豆
 
【昼メニュー】
自作オニギリ
 
【夜メニュー】
マック(てりやきマックバーガー、チーズバーガー、マックポーク、ポテト、ナゲット)
ビール
 
 
マック好きとか吹聴してる割には100円マックの存在に気付かなかったヤツ。新メニューは欠かさないと言いながら、その情報は全部他人任せだったりするヤツ。こういう人は、例えばてりやきマックバーガーとポテトとあと数点のみを偏愛していて、その偏愛が全体をカバーすると思い込んでしまったタイプだ。つまり針小棒大。「一を聞いて十を知る」という名言を逆ベクトルで実行してしまったイタい人なのだ。身近にそういう人間が居るとなると悲しい…。
 
ところで僕は最近、100円マックというものに注目している。昔、ハンバーガーとかチーズバーガーが80円だったり100円だったり120円だったりしたのは覚えているが、まさかこの現代でも未だに供給されているとは。特にこのマックポークというのは気になる。今まで見たことも食ったこともない未知の商品だと推測する。これも嫁の情報のお陰。持つべきものは、常に向上心を失わないマクドナルドという優良企業、そして絶えず新着情報を与えてくれる情報提供者。まったく敬意に値するよ。
 
そんなマックポークに端を発するスケールのでかい物語。どこかで展開されていたかもしれない。

07/08/21(火) ホイコーロ

 
 
【朝メニュー】
ご飯
納豆
 
【昼メニュー】
自作オニギリ
 
【夜メニュー】
ご飯
味噌汁
回鍋肉
きんぴらごぼう
キュウリ
めかぶ
ビール
 
 
「ホーリーランド」という漫画がある。ニートな少年が路上のケンカを通じて成長していくストーリーなのだが、僕はこの漫画がかなり好きでね。機会があれば大いに語りたいところだ。
 
今回は、そのホーリーランドの単行本を1巻~15巻まで隙間無く集めることが出来た。それを何度も読んでしまう自分。熱いな、熱いよ…。
 
もちろん出来立ての回鍋肉も熱い。回鍋肉。ホイコーロ。ホイコーランド。