【昼メシ】
アドベンチャーワールド内フードコート(双子パンダカレー、パンダハンバーガー、生ビール)
【間食】
アドベンチャーワールド内
・買い食い(パンダ肉まん)
・カフェ「ラフォンティーヌ」(アニマルホットコーヒー、アニマルアイスコーヒー、パンダ大福)
【夜メシ】
ホテル「銀翠」(コンビニ オム焼きそば、たこ焼き、チーズ、チップスター、ビール、梅酒等)
【夜食】
無し
【イベント】
和歌山・白浜旅行(白良浜、アドベンチャーワールド)
【所感】
朝、ホテルのロビーで「一枚まで無料」の食パンをキッチリ一枚だけかじり、スケジュールを再確認する。昨日と打って変わって天気は快晴。思い通りの行動が出来る予感に胸を弾ませる。晴れやかな心を映し出すかのように、はるか頭上では太陽が煌々と輝き、その光は白良浜の白い砂にキラキラと反射しまるで宝石のようだった。
白良浜を歩く。前回訪れた時は夏だったが、今は冬真っ只中。それでも浜辺を歩く観光客は20~30人ほど居ただろう。このキレイな砂浜と海岸線を見られるのだから無理もない。その美しい光景にただただ目を奪われるばかり。波打ち際で繰り返される静かで心地よい波の音に、ただただ耳を傾けるばかり。その瞬間だけは、全ての雑念が遠のく。ただただ美しい自然に身を任せ、雄大な海の鼓動に包まれることの心地よさ。「素晴らしい…」口からは、ただその一言しか出てこなかった。
白良浜海岸には、白砂で敷き詰められたなだらかな砂浜だけでなく、武骨な岸壁もある。そこに登って眺める景色は、砂浜で見るそれとは一変して荒々しい。砂浜から見る海が母なる海だとすれば、岸壁から見下ろす海は父なる荒波だ。言うなれば、菩薩と修羅の融合。両者を観察してこそ、白良浜の真髄に辿り着ける。
その白良浜で、三人組の男女が砂浜を歩いていた。20代前半だろうか。男二人と女一人。そのメロドラマめいた組み合わせに妄想力を掻き立てられる僕の方に、彼等がザッザッと勢いよく向かってきた。ヤベ、心の声が聴こえたか? やるしかないのか? 俺より背も高くて若さに溢れた男二人を相手に、どこまで闘えるか。いや、そうじゃねーだろ。
「すいません、写真撮ってもらっていいですか?」と青年。まあ予想通り。こんな観光地で、誰が好き好んで闘いを仕掛けるかって。そもそもここはそんな場所じゃない。皆が童心に還り、仲良く出来る場所なのだ。僕は快くカメラマンを引き受けた後、ギブアンドテイクの条約に基づき「僕らも撮ってもらっていいですかね?」と、白良浜の静けさに相応しいアイカイックスマイルで目の前の若者にカメラマン役を強要した。僕のデジカメを受け取った彼がファインダー越しに覗くその先にはいつもの風景。僕と、嫁と、カメと…。
あと何枚、こういう写真が撮れるだろう。あと何回、旅行に行けるだろう。あと何年、生きられるだろう。いつだって”終わり”を考えてしまうのは悪い癖だ。分かってはいるのだが。頭に浮かぶ諸々の雑念を消し去る。今はただこの瞬間を楽しめばいいのだと。全ては流れのままに…。シャッターを押す若者の「ハイ、チーズ!」という掛け声に合わせ、右手を元気よく挙げてポージングする僕。自らの魂を振り上げた手の平に乗せて、その魂が天まで届くよう、心の中でギュッと拳を握り締めた。
散歩をした後、今回のメインであるアドベンチャーワールドに向かう。今回のタクシーの運ちゃんは、他の運転手に輪をかけて饒舌かつ説明上手。和歌山および白浜地方のことを分かり易く説明してくれた。うろ覚えなので正確かどうかは保証できないが、運ちゃん曰く…。
和歌山は県土全体の80%が山林地帯で、その内60%が植林だとか。その植林および土地開発のため、クマなど山林に住む動物がエサ不足となり民家に下りてくるとか。なので自動車や列車が動物を轢いてしまう事故は後を絶たず、今でも年に100回くらい動物事故で列車が止まるとか。動物が線路に近付かないよう、アドベンチャーワールドで飼育している動物達の糞尿を線路付近に撒き散らし、その独特の臭いで動物達を遠ざけていることもあったとか。そのアドベンチャーワールドは、今年で35周年になる歴史深い施設だとか。アドベンチャーワールドを皮切りに、飛行場やリゾートホテルなどの開発が一気に進み、白浜山林地帯は一大観光地になったとか。多い時には一日2万人の観光客が滞在するとか。それでも白浜市の経営は赤字だとか。
その中で運ちゃんは言った。白浜の魅力は白良浜だけでなく、田辺湾も素晴らしい景色だから一度行ってみなさい。武蔵坊弁慶の生まれ故郷でもあり、平家落ち武者の伝承を引き継ぐ町もあるからと。
元は源平合戦に敗れた平家の落ち武者が落ち延びた村。そこで彼等は密かに暮らしていたのだが、ある日、村に一人の男の子が生まれた。男子は平家復興に欠かせないシンボルで、村人達は大いに喜び祭りをしてはしゃいだ。しかし源氏にそれを見つかり、男の子ともども村人全て処刑された。以降、その町では今でも男の子の祝い事などを大っぴらに祝うことがない。鯉のぼりすらも揚げない。そんな悲しい逸話がある。その話は随分と僕の耳に残った。
運ちゃんはさらに続ける。だけど、その平家の落ち武者達を狩った源氏にしても、元は平家に滅ぼされそうになった。義朝が殺され、その子供の頼朝や義経が平家の追っ手を逃れて生き延び、最後は盛り返して平家を滅ぼした。つまりお互い様。世の中は因果応報であり諸行無常。そんな諸行無常を感じるためにも、機会があれば是非田辺湾を観光してみなさい。そう運ちゃんは淀みなく話していた。その姿がやけに心に残った。
「まあ偉そうなこと言ってますが、私も釣りが趣味のただのおっさんです」と最後に笑って締めくくる運ちゃんは、まるで学校の先生のよう。賢人はいくらでも居るものだ。大いに見習いたいと思った僕は会計時、「お釣りは要りません」と颯爽とタクシーを降りる。良い話を聞かせてもらったお礼。教えを請いたい人には進んで差し出すのが人間。知性は金では買えないけど、そのお釣り分は僕の気持ち。
アドベンチャーワールド。開園は10時からで、到着したのは10時15分。しかし会場前には、渋谷109の初売りのごとき長蛇の列が出来ていた。年末なのにこの人だかり、そしてこの活気はディズニーランドに通じるものがあろう。西日本最大級のテーマパークの名は伊達じゃない。
入口をくぐると、女性シンガーのポップな歌や、外人シンガーの楽しい歌が鳴り響く。その軽やかな曲は、平原綾香がアドベンチャーワールドのために用意したテーマソングだとか。彼女のことは良く知らないが、会場にマッチした優しく心温まる歌だと思った。
歌に合わせ、パンダグッズを身に付けたスタッフや動物の着ぐるみが来場客を明るく迎え入れる。左の土産屋を見れば、農民からかき集めた米俵を蔵に隙間無く敷き詰める江戸幕府のごとく、パンダのぬいぐるみで棚が埋め尽くされているという圧巻。少し外に出れば、パレードなどもやっている。その熱気と空気はまさにディズニー。いや、アトラクションやパレードよりも動物を主体としている分、より温かみがある。
間違いないのは、訪れる客全てが楽しそうな顔をしていること。そう、この場所に居ると楽しいのだ。自然と足取りが軽くなる、心が弾む、現実を忘れて夢心地になる。ディズニーのことを「夢の世界」と呼ぶけれど、その意味合いが良く分かる。そのディズニーと被る雰囲気や音楽、そして夢気分だからこそ、現実とつい比較してしまい、そのギャップに胸を締め付けられる気持ちも反面ではあるけれど、そんな全ての物思いを洗い流すからこそ夢の世界。今日だけは全てを忘れて大いに楽しもうと言い聞かせた。
入場後、まずパンダ館に走る。アドベンチャーワールドには動物園、水族館、遊園地が併設されているため、一日で廻り切るのは難しい。ゆえにコースを絞る必要があるが、何と言ってもパンダは外せまい。アドベンチャーワールド=パンダと言っても差し支えないほどに、同テーマパークの、そして白浜の顔なのだから。少なくとも、いつでも来れる地元以外の人間にとって、それをスルーすることは東京・浅草エリアに観光に来たのに東京スカイツリーを見ないで帰る行為に等しい。和歌山と言えば、みかんとパンダ。これ常識。それを象徴するように、多くの客がパンダ館へと吸い込まれていた。部屋掃除の際、掃除機に次々と吸引されていくゴミのように。
パンダ館は、館内展示場と館外展示場とに分かれる。分かり易く言えば館内は来賓席、館外は一般客席だ。館内には、新しく生まれた仔パンダなど、希少性の高いパンダが投入される。対して館外は、それ以外のパンダ、または仔育てを終えてお役御免となったパンダが放逐される。同じパンダなのに、この待遇の差は半端無い。上野では神の申し子のごとく丁重に扱われるパンダだが、アドベンチャーワールドに来ると価値が著しく低下する。まあ8匹も飼育しているのだから、あぶれるパンダが出ても無理は無い。
というわけで、来場客の多くは館内へとなだれ込む。今の時期はちょうど、8月に生まれた仔パンダ「優浜(ユウヒン)」が可愛い盛りということで、皆がその一挙手一投足に釘付け。益々人気は集中し、行列が出来る。前回行った時は、双子の仔パンダ「エイヒン」と「メイヒン」が生後1歳ちょっととか何とかで、同じように客の視線を一身に集めていたっけ。あの時は1時間半くらい並んだ。しかし夏だったのでまだマシだった。だけど今回は冬。かじかむ手を吐息で暖めながら小刻みに肩を震わせて順番待ちをするのは相当堪える。しかも最前列の客が、係員の注意にも関わらず同じ場所から動かずジーッと観察してるものだから、列もなかなか進まない。結局今回も1時間少々待った。辛かった。しかし「ユウヒン」の姿を見ると、そんな苦労も掻き消えた。
生後半年も経たないその身体はかなり小さく、まさにぬいぐるみ。そのユウヒンがヨチヨチと壊れたロボットのように歩く度、低めの台にいそいそと登り、失敗してコロンッと転がり落ちる度に、会場から「かわいい~ッ!」という声が飛ぶ。子供も、大人も、おばちゃんも、おっさんも、みんな可愛い可愛いと連呼する。確かに可愛いわ。ぬいぐるみのような容姿で、おもちゃみたいな動きをして、その意味不明さが客の心を和ませるのだろう。ユウヒンちゃんマジ天使。
とりあえず、パンダがこれほど可愛いと思ったのは初めてだ。こんなにいいものを見れるのなら1~2時間並ぶ甲斐はあるな。有名ラーメン店に並ぶ人間の心理も分かる。まあラーメンは人によって好みがあるし、宣伝通りに美味いとは限らないが、パンダの場合はちゃんと実利が伴うので並ぶ甲斐があるというもの。
可愛い仔パンダを見た後、館外に出る。そこでは茶色くなったパンダが3頭、野ざらしで放置プレイされていた。土とかで茶色く汚くなった身体を、用意された木造りの屋根などの上にゴロンと投げ出す彼等は、ただ寝ているだけ。たまに笹を食うためモゾリと動く。その姿は、休日寝そべってポテチをポリポリ食いながらTVの野球中継を見る仕事に疲れたオヤジのようだ。ふて腐れているようにも見えるが、まあ仕方ないかもね。仮にもパンダ。世が世なら、園内一の人気スターなのに、ここではまるで村人Aであるかのように打ち捨てられているのだから。
そんなパンダ館。館内には黄色い声援が飛び交い、人間達の愛情が満ち溢れていた。館外には、ただただ哀愁が漂っていた。それでも館内は館内で、常に衆人環視に晒されるというストレスもあるから、まるっきり幸せとは言えないだろう。中には中の、外には外の苦労がある。とりあえず、パンダ乙。
パンダ館で時間を食ったお蔭で既に昼メシ時。レストランでパンダカレーやパンダハンバーガーなどを食った。キャラクターものを頼むのはお約束ってことで。特に美味くなかったけど、キャラクターもののクオリティが低いのもお約束ってことで。つまりは食事の充実度。ディズニーとの決定的な違いがあるとすれば、そのクオリティの差だろうな。動物園とか水族館とか遊園地に行く度にいつも思う。何でメシが不味いの? もっとメシに力を入れりゃあいいのに、と。夢の国で遊んでるのに、メシ食った瞬間現実に引き戻されたとか、そんなのたまらんからね。
パンダ館は自他共に認める目玉だが、他にも魅力的なエリアは数え切れない。水族館は主にイルカショーなどがメインで、魚の展示自体はない。ただ、シロクマやアザラシ、ペンギンなどの海獣は居る。専門の水族館に比べれば小規模だが、客はパンダを始めとする動物園に集中するため、かえって空いていて良い。
中でも印象に残ったのはペンギン館。パンダ館と同じく、同パークではエンペラーペンギンの赤ちゃんが10月に産まれたらしい。産まれて間もないペンギンの子供は見たことがない僕等は、どんなに愛らしいペンギンなのだろうと、胸をわくわくさせる。さぞ愛らしくて、ぬいぐるみのようにフサフサしてんだろうな~と。ペンギン館のガラス張りの向こうには数十匹のペンギン達が戯れる。子ペンギンはどこだ?お、あそこか?ペンギン達が飼育されるスペースの左隅に、透明なガラスのパーテーションで区切られた一角を確認した。
そこには二匹のペンギンが居る。一匹は多分母親だろう。エンペラーペンギンの名に相応しく、体長1メートルほどの巨体が仁王のように直立している。そこから数十センチ離れた場所に、母親ペンギンとほぼ同じ巨体が一匹、ぽけーっと突っ立っていた。曰く、「これが噂の仔ペンギンです」。
「でかっ!!」思わず叫ぶ。コレが、子供!? 眼を疑うが、確かに他のペンギンは身体がツルツルしているのに対して、コイツだけはグレー色のフサフサした毛で覆われているけど。それにしても…。生後二ヶ月のエンペラーペンギンの赤ちゃん。生まれた時の体重は305グラムだったという。それがたった二ヶ月ですくすくと育ち、今では体長約1メートル、体重14kg超。赤ちゃんってレベルじゃねーぞ。育ちすぎだろ。
他にもアドベンチャーワールドには面白い施設や試みが盛り沢山だった。特に「”動物と触れ合う”ことを目的とした」テーマパークというだけあって、動物エリアの充実度が素晴らしい。殆どの動物が檻に入れられず野放しにされており、車を運転し直接ライオンなどの目の前を通ることも出来る。無論、徒歩用の安全ルートも用意されている。強暴でない草食動物であれば、触れるくらい間近で観察可能だ。要するにサファリパークだが、僕はここの動物エリアは心から楽しめると思った。子供に還れる場所だと。いくつか紹介していくと、
マントヒヒ。備え付けの高台から見下ろすと、10mほど下の庭園にマントヒヒの群れが居る。所々に葉っぱも何もない木が何本か立っており、一番てっぺんの枝先がちょうど僕等が立つ高台の高さくらいになる。その枝に、マントヒヒが器用に駆け上ってくる。こんな高くて細い場所を容易くよじ登る時点で人間では絶対に及ぶまい。マントヒヒは、枝先にしっかりと足を固定させ、「エサをくれ」と言わんばかりに僕等にアピールしていた。
それに応え、客の一人がピーナッツを投げる。するとマントヒヒは器用にそれを両手でハシッと受け止め、モシャモシャと食べる。食い終わったら「もっとくれよ」とばかりに、自分が乗かっている枝を、身体全体を使ってユッサユッサと揺らしながら僕等に要望する。可愛いというより、ふてぶてしいが、自分の命綱とも言える枝をそんなに揺らして、コイツ等は落ちるという可能性を考えないのか。多分、微塵も考えないのだろう。両手でエサを受け取る時も、二本の足は吸い付くように枝から離れない。サルの握力は200kgあると言われるが、足は500~600kgあるんじゃね?この破壊神のような握力と、人智を超えたバランス能力そして平衡感覚は、人間からすれば完全に神の領域だ。人間はマントヒヒには絶対に勝てない。
アフリカゾウ。高さ1.5m程度の柵越しに、ゾウが間近に見れる。金を払えばエサもやれる。僕等がエサのバナナを差し出すと、ゾウは柵の外には絶対出ようとせず、その隙間から器用に鼻を伸ばしてバナナをヒョイッと掴んでは口に運び、モシャモシャと食べていた。その気になれば最強なのに、心優しいヤツよ。それだけに仕草も何か可愛い。鼻はクチャクチャとしていて気持ち悪いけどな。子供達も「うわ、きめぇっ!」とか叫んでた。事実だけど、もうちょっと可愛がってやれよ、こんなに大人しいんだから。確かにキモいけどさあ。
サイ。その巨大かつ凶暴なツノはライオンも一撃で屠るという、隠れた強者。だけど草食。そのアンバランスさがまた魅力で、だから僕はサイが大好き。しかし、そのサイに触れるとは思わなかった。サイコーナーは二箇所あって、一箇所はクロサイが一頭だけ。2mほど上から、おっちゃん二人組が何を思ったか、サイに向かって手を伸ばしている。まるでノラネコに「来い来い♪」をするように。おっさん、そりゃ危なすぎだろ。ドキドキしながら見ていると、近付いてきたクロサイは、まるでチンチンをする犬のように2m上のおっちゃんが差し出した手に、自らのツノを擦り付けていた。ええ~ッ、サイのツノって触れんの!? つかクロサイのその巨体に似合わぬ犬みたいな仕草、超可愛いんだけど!! 僕も触りたいけど怖い! そんな時はもう一箇所のシロサイエリアに行くべし。
シロサイは三頭居る。先のゾウと同じく、柵越しに直ぐ目の前で観察出来るわけだ。ただゾウと違うのは、木製でなく鉄製の柵だということ。そりゃそうだ。いくら大人しくても、あのツノは凶器。木の柵など文字通り木っ端微塵だ。そのツノが、鉄の柵に時折当たり、ガンッガンッという衝撃音が響き渡る。やっぱ怖ぇ~。だがエサを買って与えてみると、サイは超大人しい。カバのような口をあんぐりと開けて、「エサを投げ入れてください」と、そのつぶらな瞳で見つめてくる。ヤベ、マジで可愛いんだけど。ツンデレなんだけど。
僕はツンデレのサイにエサをやりながら、控え目にツノに触ってみた。ゴツゴツとしていて、だけど鉄のような硬さではなく、カルシウムの塊という感じ。いわば極太の骨か。反面、多少のザラつきはあるがスベスベしていてちょっと気持ちいい。何より血が通っている。売っている象牙などと違い、触ったツノには確かなぬくもりと生命力が宿っていた。その感触に夢中になった僕は、心の中でサイに向かってこう言った。「可愛いヤツよ」。
他にもライオンのエサやり、鷹の手乗り体験、サーバルキャットの間近観賞など、様々な触れ合いがあった。やはりガラス越しや柵越しに見るよりも、直に触れた方が楽しいし自分の実になる。人間も含め、生物だからにはボディタッチこそがコミュニケーションの真髄だ。生きてる動物同士、きっと分かり合える。まあ本気を出したら人間なんて食われるだけだけどな。頭ばかり発達しおってからに、まったく虚弱な種族よのう。
時計を見ると夕方5時。閉園の時間だ。都合7時間、たっぷりと楽しんだ。一つの施設にこうも長く滞在するとは、よっぽど楽しかったのだろう。そう、楽しかった。久しぶりにワクワクした。アドベンチャーワールドは、掛け値なしに楽しい夢の楽園だった。
最後に土産を買った後、ホテルに戻る。つい色々買ってしまい、土産代だけで1万2000円。なぜかこういう場所では散財してしまう。まあそれもよし。皆きっとそうだ。たまには現実を忘れてハメを外すのが人間の自然体。隣の客なんて2万円くらい買ってたしな。そういえば、ここら辺のタクシーの運ちゃんは、魚釣りが趣味の人が多いな。彼等曰く、釣りたての魚を刺身にしていつも食ってるから、店の刺身なんて不味くて食えないよ、などと言っていたっけ。贅沢な悩みよのう。
ホテルに戻り、夕食を食う。昨日の寿司屋「幸鮨」および今日のアドベンチャーワールドですっかり金を使い込み既に底が尽きた。嫁の予備予算を使い、コンビニで焼きそばやら味噌汁やらを買ってくる僕。食事のグレードは一気に落ちたけど、昨日今日の充実を考えれば何でもない。毎日オニギリだけでもいいくらいだ。それくらい楽しく得難い体験だった。この白浜での二日間は。
その白浜。ホテルすぐ目の前の白良浜にて、今夜「年越し花火」が開催される模様。花火を見ながら大晦日の夜を過ごそうというイベントだ。なかなか粋で、ロマンチックな計らいである。ただでさえキレイな景色で心が静まるというのに、その上キレイな花火を打ち上げ、見る者に熱を帯びさせる魂胆か。視線が熱いねえ、身体が火照るねえ、スゴイねえ…。白浜観光センター勤務のエロオヤジ達の考えることといったら、まったくやれやれだぜ。嫁はアドベンチャーワールドではしゃぎすぎてダウンしたようなので、一人寂しく見に行くことにした。
それにしても大晦日に花火が見られるとは運が良い。花火イベントがあることを最初から知っていたわけじゃない。駅に置いてあるパンフレットでたまたま知っただけ。ただの偶然だ。通常、大晦日は殆ど実家で過ごすのが例年のパターンだが、今回は旅先。ゆえに何もないと思っていた。それだけに、ある意味ラッキーであり、この偶然に感謝したいところだが…。
本当に偶然か? 旅行先を白浜に設定したのも、旅行を大晦日まで食い込ませたのも、宿泊先が殆ど満室の中、白良浜のすぐほとりに建つ「銀翠」だけが空いていたことも、本当に偶然なのか? 僕は何か運命めいたものを感じる。何者かに操られ、今この場に立っている、そんな錯覚すら抱く。
深夜近く。白良浜の浜辺に向かうと、極寒状態にも関わらず海岸一帯には家族連れ、カップル、友人同士など、一体どこから湧いてきたのかと言うくらいの老若男女が集結し、花火が上がるのを今か今かと待ち構えていた。僕もその中に混じり、ただ無心にじっと待つ。深夜0時、漆黒の空に花火が舞い上がった。
隅田や荒川の花火のように壮大豪奢ではない、どちらかという控え目の花火。20発ほど打ち上がり、すぐに止まる。「もう終わりかよw」という周囲の観客の声が上がった直後、隣接する島の部分に京都の大文字焼きのように「2013」という文字が煌々と輝いた。皆が一転して「おお~ッ!」と感嘆する。「あけましておめでとうございます!」という声がそこら中に響いていた。
今度こそ終わりかと皆が思ったのか、帰途に着こうとザワザワと動き出し、辺りの空気は弛緩する。しかしその直後、ドッカーンッ!!と大きな花火が盛大な音と共に打ち上がった。僕はその瞬間、震えた。何か心を、魂を揺さぶれたような感覚が襲った。「おお、すげえ!」そんな掛け声に同調するかのように、花火の激しさと煌びやかさは増していき、まさしく隅田や荒川の花火に匹敵せんばかりの迫力。どうやらここからが本番のようだった。その盛大な空の宴は5~6分間続いた。僕はその間、ずっと考えていた。2012年という年のことを。溢れてきた。これまでの数多の記憶が。
色々なことがあった。楽しかったこと、辛かったこと。それは毎年同じだ。毎年、様々なことがある。しかし2012年は、色んな意味で自分が定まらなかった一年間と言える。ぶれが大き過ぎた。その定まりの無さを反省しつつ、だけど消化も昇華もし切れなくて。結局、自分で納得していない、やり切っていない、自分で思い描く方向に沿って動いてない。全力を尽くしてないから、感情がほとばしらない。要するに、自分は甘すぎた。そんな一年だ。その甘さを悔やむからこそ、翌年は悔いないよう動かなければならない。そんな思考の流れがこの深夜の砂浜に佇む自分の中で渦巻いていた。
忘れていたこと。忘れかけていたこと。忘れようとしていたこと。忘れてはいけないこと。夜空に花火が打ち上がる度に、それらを胸の中に刻みながら、自分の為すべきことをやはり胸に刻み込みながら、ただ夜空を見上げ続ける。
消える花火がある。消えない花火がある。見上げた空の光景は、自分の心そのもの。だから思い、抱き、願うしかない。2012年の年末に打ち上げた心の花火が、2013年になっても消えないように。2013年が終わる時、「ありがとう」と言えるよう。色んな人達に。何より自分自身に。夜空で儚く瞬き続ける灯の中に、心からの願いを僕は独り込めていた。