20180112(金) 無関心時に行う街徘徊と1人メシの侘しさ

【朝メシ】
・家/ヤクルトミルミル
 
【昼メシ】
・職場付近/無し
 
【夜メシ】
・家/日清焼きそばUFO、亀田の柿の種、バリュープラスポテトチップス、ミモレット、ひきわり納豆
 
【暦】
月 睦月(むつき)
二十四節気 第23「小寒(しょうかん)」
七十二候 小寒次候(第68「水泉動(しみずあたたかをふくむ)」 
 
【イベント】
録画映画「十戒」前編、後編の途中まで視聴し
 
 
【所感】
■生きるために食い、食うために生き…
朝、ヤクルトミルミルを飲み、仕事の準備を整える。1週間前にヤクルトレディから買ったヤクルト、ヤクルトジョア、ヤクルトミルミルのストックもいつの間にか残り僅かだ。ジョアの減りが特に早く、反面ミルミルはそれなりに残っているのは同じヤクルトでも人気不人気、好き嫌いがあるのだろうけど、いずれにしても気付かない内に消費しているのは生きている証拠。それはきっと喜ばしいことに違いない。

生きているだけで腹は減るし喉は渇くのが人間。生きるために食う、すなわち死なないために食う。言い方を変えれば食っている間は生きているのであり、すなわち食っている間は死なないということ。

それを少しだけ現実的に言うならば、食うために働く。生きるための食を得るために職を得る、といったところか。食を得るために働いた後は当然腹が減る。空腹を満たし体力回復のために、また食わねばならない。さらに空腹だけでなく、疲労回復と気力充填のために寝る必要がある。放っておいても必ず眠くなる。そうやって空腹と疲労と気力を復活させたら、再び食うために働き始める。終わればまた食って翌日の労働に備えるのだ。生きるために…。

その繰り返し。延々と、死ぬまで。生きている限りはそうしなければならないし、死ぬまでは自然とそう動いていくのが人間。生存本能消えぬ限り、無意識に生きようとするのだと…。

そう、人は生きるために生きている。
 
 
■嫁の実家帰省
スーツに着替えた俺は、今日もまた生きるために玄関から足を踏み出す。嫁も同じく私服に防寒着を着込んで家を出る。俺の向かい先は、ビジネス街という名のコンクリートジャングル。金と欲にまみれ、他人を出し抜き骨までしゃぶらんとする人間の皮を被ったケダモノ達と相対する。

嫁の向かい先は、新潟実家という名の、山と木々に囲まれた本当のジャングル。土と雪にまみれ、野サルやタヌキが畑の野菜を盗み取り種までしゃぶらんとするケダモノ達の王国に3~4日間滞在する予定だ。別に遊びに行くのではなく、状況確認や世話焼き、挨拶など諸々のミッションを抱えてのことである。決して遊びに行くのではない。まあ多分、温泉とビールはやるだろうけど。

新潟は自他共に認める豪雪地帯。その中でも最も豪雪とされる長岡・栃尾~魚沼エリアの山の上に居を構える家に、最も積雪が激しい時期のひとつである1月に出向く。それだけでかなりの冒険だ。俺など12月~2月は一度も出向いたことがない。それを押して行くのだから、嫁にも色々ある。

まず、新潟実家の義父が手術のため少し前に入院した。実家のある長岡から結構離れた三条市の病院だ。結構本格的な手術で、リハビリ含めて1ヶ月程度入院する必要に迫られるかもしれないらしい。その間、義母は家に一人だ。心細いだろうし、何より不便だ。雪が降り積もるので物理的な移動は容易くない。

無論、新潟は常に豪雪と対峙している土地柄だけに雪には滅法強い。除雪作業はスピーディかつ広範囲に行き渡っているし、どれだけ積もってもバスなどの公共機関がストップすることは殆どない。まさに今回、信越線が雪のため長時間立ち往生したが、そんなのはレアケースだ。雪国には雪国の常識がある。東京など少し積もっただけで大パニックを起こす都市部の連中には生涯分からない感性だろう。

それでも、毎日のように吹雪で視界が見えなくなり、屋根にはキング・ザ・100トンのようにズッシリと雪が積み重なり、道路の両脇には丘のごとく雪の壁がそびえ立つという状況の中、老いた母を1人にさせるのは不安なのだろう。短期間だがその世話をするのも兼ねて、嫁は新潟へ旅立ったのである。

それに、これからやろうとする仕事が始まると、今までのように連休を取って新潟実家に帰ることも出来なくなるかもしれない。その辺りの報告も兼ねて雪の中。決死の強行軍。環境は変われば生活スタイルも変わる。人も変わる。変わらざるを得ない。そして例外なく時は過ぎていく。死に近付いていくのだ。何をしても、何もしなくても。嫁も、義母も、俺も…。

俺は、今回の嫁の新潟実家帰省が実りあるものになることを願った。
 
 
■せわしない日中
今週は三連休で月曜が祝日だった関係で稼働時間が4日しかないこともあり、多忙を極めた気がする。取引先と打ち合わせして、社内用の提案書を作り、折衝し、決まったら顧客へそれを提案し。商品や備品の補充もしなければならない。期限も1時間単位で。全てがギリギリ。時間に追われた4日間だった。その横で上司がのんびりと新聞を読んで飯をかっ喰らっているのを見ると殺意が沸いて仕方ない。俺は昨日に引き続き今日もメシを食えなかった。

ムシャクシャしたこともあり、アキバに出掛ける。今週初めての外出だ。それも夕方5時半からの出発。それほど時間が足りなかった。こうなってはもう会社に戻ってくるのが馬鹿らしい。直帰すると宣言し、逃げるように会社を後にした。

会社を出た瞬間、仕事をする気が猛烈にダウンする。さらにアキバに到着し、賑やかで華やかなヨドバシや、中央通りを楽しそうに歩く歩行者達を見た瞬間、やる気は完全にゼロになった。世間はこんなに楽しそうなのに、俺ときたら空気の澱んだ事務所にすし詰めになって無機質なディスプレイを延々と見つめるだけの4日間。一体何をやってるんだ俺は…。

だから今日はもうやーめた。お客さんにも誰にも話し掛けることなくただ黙々と歩いて、街並みを見て、PCとか家電とかゲーセンとかパチ屋とか本屋とか色んな店を冷やかして、アキバの週末の喧騒と熱気を楽しむことにしよう。
 
 
■無関心が止まらないという危険
とはいえ、アキバで扱う商品やコンテンツの殆どが、今では興味の対象外。自作PCパーツ、ゲーム、アニメ、カラオケ…。昔は狂気名ほどにどっぷり浸かっていたのに、まるで真理に到達した仙人のように平坦。何もかもが身体と心をすり抜けていく。憑き物が取れたというより、枯れた。何事に対しても熱中できない、継続しない、興味が持てない、ゆえに始める段階にすら行かない。やることと言ったら、辛うじてたまに本を読むくらいだ。後は食って酒飲んで寝るだけ。オタとかリア充以前の問題だ。何とかしなければ。新しいものを取り込まなければ…。
 
 
■ドローンお予想を超えた進化ぶり
新しいものという観点では、ヨドバシ前でやっていたドローンのデモは興味をそそられたな。店員だかメーカーの人間だかの兄ちゃんが、彫像のように動かず黙々とデモしていたが、彼の操るドローンは目の高さくらいの位置で浮遊している。フワフワと浮いている感じでもなく、まるで地面に置いてあるかのようにピタリと停まり、空中を滞空したまま微動だにしない。本当に浮いているのか、プロペラが回っているのか信じられないほどだ。音もかなり静かだし。ドローンはいつの間にかここまで進化したのかと子供のように目を輝かせていた。

デモしていたドローンは「Phantom4 pro」といって20~30万もする高級品なのだが、タッチパネルで操縦できるとか、4K高精細画質とか素人でも楽しめそうだ。障害物認識能力も高くなっているようだし、リスクも黎明期に比べればかなり減少したに違いない。今までは軍関係や報道関係しか扱えなかった上空からの撮影、俯瞰の視点が個人レベルでも手に入る。胸熱という他ない。

似たようなもので、GOProなどに代表されるアクションカメラがかつて流行った。自転車乗りやサーファーや登山者など、アウトドアな者達が頭上や身体の一部にカメラを取り付け、前後左右スピーディに動く自分の視線と同じ景色がそのままカメラで撮影できるという画期的なツール。今ではかなり普及しているはずだ。

それが今度はドローンのお陰で、今まで死角だった上からの視線も加わる。残る死角は下方向からの視点だが、諸々の問題がかなりありそうなので簡単には認可されないだろう。よって現実的な線から行けば、ドローン投入によって人はほぼ全方向対応の視点を得るに至る。DJIのドローンPhantom4Proは魅力的。撮影ライフがきっと楽しくなることだろう。何かで一ヤマ当たったら是非とも購入したいアイテムの一つだった。

(ドローンPhantom4 DJI)
https://www.dji.com/jp/phantom-4

(GoPro 国内代理店タジマモーターコーポレーション)
http://www.tajima-motor.com/gopro/
 
 
■キミの居ない部屋
ヨドバシのドローン以外にはさして心を動かされなかったアキバ散策を終え帰宅。ドアを開けると部屋が暗い。ただの暗闇のようだ。「ただいま~っ…」と恐る恐る声を掛けながら靴を脱いで玄関を上がる。返事がない。ただの静寂のようだ。

とりあえず電気を点けて部屋に入ると、座椅子に悠然と座った亀二と目が合った。「おっす、ただいま亀二ぃ」とりあえず俺は亀二に声を掛ける。「おうおう、なんだ帰ったのか・・・」と亀二は気だるそうに応えた(心の声)。

「ウチの嫁は?」「おぃおい今日新潟に帰っただろ」「そうだったそうだった、しっかしマジで寒いよな亀二ぃ」「まあ、そうだな、早くファンヒーターつけろや」。心と心で会話しながら、モソモソとスーツを脱いで部屋着に着替える。ホットカーペットとファンヒーターを点けて部屋を暖かくしていく。1人で居ると独り言が増える。全くもって静かだ…。

TVを点けてもつまらない。元々TVはつまらないが、誰かとの対話が無い分、余計につまらなく感じる。俺は番組の内容に対して基本的に殆どコメントしないので、部屋には人間の声が皆無。TVのノイジーな音だけが虚しく響き渡る静寂の部屋に1人佇む姿には、えもいわれぬ空疎さがある。こんなに部屋にはゴミやモノが溢れているのに、まるで世界に1人取り残されたかのようだな…。

ドラえもん、きみが帰ったら部屋ががらんとしちゃったよ。でもすぐに慣れると思う。だから、心配するなよ、ドラえもん。

そんな心境だ。

ただ、こういう静寂を利用して、英語の勉強やら調べ物、創作などの知的活動をどんどん進めるいい機会じゃないかとも思う。しかし現実的には身に付いた受動的体質や怠け癖のお陰でなかなか能動的になれない。何もせず、何も喋らず、ただボーッと座るだけの男。まさしく生ける屍、肉の塊だ。活動しないでただ1人そこに居るという状態がこうも腐臭漂う空間を作り出すとは。

慣れとは恐ろしい。かつては誰もが1人だった。子供時代が過ぎ大人になれば、多くの人間が家に1人、部屋に1人、という状況で暮らしていたはず。1人でも大いに楽しめたし、心も賑やかだった、はず。それが、いざ誰かと一緒の時間を過ごす内に、1人で居ることに寂しさや空虚感を感じるようになる。そういう体質に変わっていく。いつしか1人の状態に耐え切れなくなる。それが当たり前になってくる。

そういった環境への慣れも恐ろしいが、本当に恐ろしいのは、1人で居る時とそうでない時の切り替えが出来なくなるということだろう。誰かと一緒の時は、その環境に見合った会話や楽しみ方がある。1人では出来ないことも沢山ある。しかし反対に、1人きりの時には1人きりでしか出来ないことがあるのも確かで、1人でこそ本領を発揮する対象も多いはず。先述した自己研磨などは、まさしく1人で集中するからこそできる技。自らを高みに持っていくための大切な時間。孤高の刻だ。

その孤高の刻とそうでない時との境目がきちんと区切れなくなるのが問題。馴れ合いに慣れすぎると、真に己を磨くことが出来ない。磨く機会は常に訪れているのに、身体と心が動かない。メリハリを欠いた、24時間をただ適当に過ごす牙を抜かれた羊に成り下がるのだ。この点、気を付けなければならない。

だから俺は、嫁が新潟実家に帰っている間、何か一つのことを集中してやろうと心に決めていた。まだ自分には牙が残っているか。1人で居る時、集中して没頭するだけのメリハリを持つことが出来るか。自分はまだ腐りきっていないか…。ある意味、試練の数日間となる。
 
 
■1人メシで器が分かる
気合は入れた。しかし今日は4日間の疲れも溜まっていることだし、やるのは明日からにしよう。それに腹が減った。まずはメシを食わねば始まらない。俺は1人で夜メシの準備をいた。誰も作ってくれないので、一人でメシを作ることにした。

というわけで、今日の夜メシは、主食が日清焼きそばUFO。俺が1人になった時のために、嫁が予め用意していてくれたものだ。UFOは子供時代からの好物なので、俺としても是非もない。まずは湯を沸かそうか…。他に何かメシを作れないわけじゃないはずだと、君がいないと何にも出来ないわけじゃないと、鍋に火をかけたけどガスの元栓の在り処が分からない。火が点かないので、ティファールの電器ケトルで湯を沸かした。

ずっと好きだったUFO。美味い。だけどあまり美味しくない。不思議だな…。

他は、冷蔵庫にあった納豆を1パック取り出し食いつつ、スーパーで買ってきた亀田の柿の種やポテトチップスのデカ袋を平らげる。そして焼酎やウイスキーを飲む。完全なジャンクフードである。

そして何より、自分で何も作っていない。面倒臭いし、別に作らなくても適当に食えば腹は膨れるし。そんな感覚だ。やはり生来が不精だったのだと自覚する。俺が作れるのは結局、刺身だけということか。それも、誰か食ってくれる相手が居ないと切る気も起こらないわけで。やはり飯は誰かと食ってこそ楽しいということだ。ずっと前から分かっていたことだが。

その嫁は今、予想通り豪雪地帯の真っ只中にある新潟実家で義母の相手をしている。道の両脇に除雪された雪は3メートルを越すとか、新幹線の窓の景色は吹雪でまるで見えないとか、5~6時間もすれば雪が積もって歩けなくなるとか、バスが1日に2本しか来ないとか、どんだけ過酷なところに住んでるんだよという場所で義母を励ましているようだ。

その嫁は、帰省祝いということで、今日刺身の柵を買い、それらを切って義母に振舞ったらしい。いつもは俺か、今入院中の義父がしていることだ。嫁は、柵を美味く切ることができず、かなり不恰好な刺身になってしまったとのこと。それゆえに、普段料亭並の刺身盛りを出して見せる俺がどれだけすごいか分かったらしい。褒めてくれるのはまあ嬉しいこと。

しかしまあ、こんなものは単なる慣れでね。刺身しか作れない俺と、何百、何千のレパートリーを持っていて毎日メシを作っている嫁とでは持っている地力が違う。俺はたとえ慣れたとしても、他のメシを殆ど作れないだろう。既に頂点なのだ。対して嫁は、慣れれば当然のように刺身を切れるようになる。刺身は俺のスタートだが、同時にゴール。先を追及しなくてもいい身分だから気楽なのだ。決勝戦までの相手と全員闘うことを自らに課している陸奥九十九と、陸奥に勝てさえすれば後はどうでもいいと開き直ってリミッターを外す羽山悟との違いみたいなものだ。

まったくもってメシを作るのは大変なことであった。
 
 
■後は眠くなるまで
メシを食った後は、眠くなるまで映画。いつも観ている「相棒」などは1人では観る気が起こらないし、何か映画がいい。録画している映画の中に「十戒」を見つけたので、それを夜通し鑑賞することにした。前編と後編に分かれた長編スペクタクルだ。この「十戒」がまた面白くて見入ってしまった。しかし途中で眠くなり、深夜1時には力尽きた。結局今日は何もやらず、何かに励むことなく終わったか。

それでも人は眠くなるし、腹が減る。生ある人間の自然を体感した週末の金曜日だった。

20171113(月) 緊張の内視鏡検査と解放後の味噌煮込みうどんの幸福

【朝メシ】
・家/柿
 
【昼メシ】
・職場付近/自作オニギリ
 
【夜メシ】
家/味噌煮込みうどん(コストコロティサリーチキン等使用)、ルマンド、サッポトポテトベジタブル
 
【暦】
月 霜月(しもつき)
二十四節気 第19「立冬(りっとう)」
七十二候 立冬初候(第56「地始凍(ちはじめてこおる))」 The Earth First Freezes
 
【イベント】
病院検査、ドラマ相棒視聴
 
 
【所感】
■初めての内視鏡
午後から半休を取り、予約していた小伝馬町の病院へ向かう。内科、その中でも消化器系内科を専門とし、特にがん検査に定評がある。そんな触れ込みの病院だ。そこで内視鏡検査、つまり胃カメラを撮ることになっていた。内視鏡検査は生まれて初めてである。緊張で胸が高鳴る。本当は受けたくなかったけど、仕方ない。受ける以外に選択肢は残っていないのだから…。
 
 
■耳鼻咽喉科では異常なく
きっかけは10月の始め頃。喉の奥に違和感、異物感を感じ始め、表面的な腫れも出てきた。飲み込みの時のつっかえ感は昔からたまにあったので今回も同じかと思いしばらく放置していたが、いつまで経っても状態は良くならない。むしろ痛みすら出てくる始末。従来と全く異なる症状に不安を隠し切れず、考えれば考えるほどに違和感や痛みも悪化し、終いにはネクタイを締めることすら困難になった。まさに「病は気から」の典型だ。

そこから約1ヵ月後、もう辛抱堪らないと茅場町の耳鼻咽喉科に朝一で駆け込んだのが10月末近くのこと。その耳鼻咽喉科では酷い目に遭った。

10月末の耳鼻咽喉科。当日担当医はいかにもベテランっぽい女医さんだったが、優しい口調とは裏腹に、施術となれば手心は加えない。それが施術する側として正しい在り方だし、患者のためにもなると頭の中では分かっているけど、やっぱ嫌なものは嫌だな…。

女医さんは触診の後、鼻から細い管状のカメラを俺の鼻に突っ込んだ。そこからカメラはズズズ、ズズズと喉の奥深くまで容赦なく侵入し、食道との境目まで到達する。「カメラを入れたら多少の異物感はありますけど、息は出来ますから、息をし続けて下さいね~♪」と女医さんは優しくにこやかに言うけれど、正直息が出来ない。く、苦しい…。

何より痛かった。カメラの管がデリケートな鼻腔に当たる感覚に何度も襲われる。電柱に顔からぶつかった時のようなツンとした痛みと言えばいいのか。途中から涙が出てきた。

そんな鋭い痛みと呼吸難のダブルパンチを何分間、いや実際には何十秒間だったかもしれないが、とにかく長い間喰らい続けた俺は、最後もはや我慢しきれずゴボッ!!と咳込んだ。いや、「ブヒッ!!」っという音の方が近いか。まさしくブタの鳴き声のような人間にあるまじき類の異様なサウンドと、風邪を引いた時の豪快なクシャミと、喉が詰まった時の咳払いと、多種多様な音質が混ざり合った鳴き声とも咳込みとも悲鳴ともつかない言語化不可能な音と一緒に、溜まりに溜まった空気と涙と鼻水と胃液とが、鼻と口から一気に開放されたイメージ。宇宙史の始まり、待ちに待ったビッグバンが遂に到来、そのくらい満を持しての出力開放だった。

その俺の姿がよほどアクシデンタルに見えたのだろう。冷静沈着な女医さんも、さすがに俺がブヒッ!とした時には「だ、大丈夫ですか!?」と焦っていた。

結局、その直後にカメラは取り除かれ、写った写真と一緒に女医さんが俺に説明。「喉は腫れ気味、荒れ気味ですけど、異常はないですね」と言った。ただ症状から「逆流性食道炎」の可能性は否めない、と。さらに女医さんは「がんとかではないですから安心して下さい♪」と笑顔で付け加える。俺が一番知りたかったことだ。そうか、がんじゃなかったのか。少なくともそこさえ避けられれば、ひとまずは…。

しかし女医さんは、耳鼻咽喉科のカメラで調べられるのは喉までで、そこから下の食道以下は内科でなければ見ることは出来ない、とも言った。だからまずは内科に「逆流性食道炎かもしれない」旨を相談し、場合によっては内視鏡検査を受けた方がいいだろう、と。確かに俺の腫れや痛みは、位置的には喉というより食道付近。喉から上はオッケーだが、そこから下はまだ不明であると。ひとまずの安堵と、新たな不安とが交錯したまま、一旦職場に戻った。

だけど耳鼻咽喉科の女医さんの助言が気になって仕事に手が付かない。診てもらうなら早い方がいい。さっさと内科に言ってしまおう。そう思い立った俺は、社に断りを入れて、人形町の内科、特に消火器内科に強そうな病院に駆け込んだ。朝は耳鼻咽喉科、午後からは消火器内科。まさかの病院ダブルヘッダー…。

しかしその消火器内科では、問診および触診のみで終了。そこの院長曰く、「多分がんではないだろう。腫れも想定の範囲内で異常なほどでもない。痛みや異物感は逆流性食道炎の可能性が有るので一応薬を出しておく。薬を飲みながらそれでも良くならなかったら内視鏡検査を受けるのもアリじゃないのかな」という、患者の俺からすれば結構気楽な分析。人気の病院だし、毎日溢れんばかりの患者を見ている医師だし、確かな分析力と経験に基いた言葉だろうが、それでも気になる…。

「そんなに気になるんなら内視鏡検査のプロフェッショナルが居るところを紹介するから」と、駄々っ子を嗜める親のような余裕の笑みで構える院長に紹介されたのが、今日訪れた小伝馬町の病院なのである。

その人形町の内科に行ってから今日まで2週間ほど期間が空いてしまったが、内視鏡検査は飛び込みですぐ受けられるものでもないらしい。大体は予約制だ。それも、医師の診察を受けて、必要だと判断したら改めて日程を決めるという回りくどい手順が基本。今回の病院以外にも5~6箇所確認したが、全部そうだった。結局、内視鏡検査を受ける今日までの2週間、不安と溜め息を抱えながら過ごした。長かった…。
 
 
■そして始まる内視鏡検査
そんな一日千秋の思いの末に、平日午後から訪れた小伝馬町。道に迷うと思いかなり早めに会社を出たのだが、あっさりと場所が見つかってしまう。予約した時間まで1時間もある。早く着きすぎた。喫茶店に入ろうにもコーヒーは飲んじゃダメだし、タバコも禁止だし、ていうか昨日の夜8時から16時間ずっと水以外身体に入れてないし。とにかく飲食は不可。どうするか…。

仕方なく、目の前に合ったファミリーマートで本の立ち読みに耽る。雑誌をペラペラ、次にマンガの単行本、アカギの最新巻、BORUTO(NARUTOの続編)の最新巻、etc…。途中でコンビニ内のトイレに行きながら、丸1時間みっちり立ち読みしてしまった。そしてガムやチョコなどの買い物も何一つせずにスタスタとファミマを出て行く。我ながら「何て感じの悪い客だ」と思った…。が、この状態で食い物とか飲み物買うのは目に毒だよ…。

暇潰しした後、到着した消火器内科。受付で問診表および、同意書を書かされる。最近の内視鏡検査は、吐き気や痛みを緩和するためか麻酔を使う場合が多いようだ。さらに精神的緊張を和らげるために、場合によっては鎮静剤も打つという。それらを使うことに対する同意、そしてそれらを使った場合、仮に何か不測の事態が起こっても文句は言わない、という同意書だ。

後で諸々言ってくる患者があまりにも多かったから已む無く同意書を取らざるを得ないという事情は十分に理解できる。にしても、目の前に突きつけられると、さすがに少し躊躇する。記入する手も震える。何かあった場合には…。『何か』って…何だよ?

まあ同意書を書かないと何も進まないので選択の余地はない。戦略的に既に追い詰められているということだ。しかし、自分で治せるはずもない。治してくれる相手が存在するだけで有り難い話なわけで、本来感謝すべき奇跡。どちらも正しい捉え方。ゆえにこの辺りの心理状況は複雑だ。

いずれにせよ先生を信頼し、身を預ける以外にない。だからこそ、信頼できる先生を見つけたい。身を預けるに値する先生が居る病院を選びたい。患者として当然の心理だ。場合によっては命に関わることだから。金が掛かっても、となる。そして、名医からヤブ医者まで多彩な評価が患者によって下される。その積み重ねの結果、人気病院と不人気病院との格差はますます広がるといったところか。俺が今回訪れた病院は、果たしてどうなんだろうな…。
 
 
■タバコは悪でもあり、時代によっては正義でもあり
まず先生との問診は、ありきたりなことを話して終了したが、タバコを吸っていることを指摘された。いやむしろ非難された感じ。「喉や食道が不安だとか言ってる人が、まだタバコ吸ってるの!? ありえないねキミィw」と、呆れた感じの物言いだ。そんな非難の言葉を放ちつつ、隣に居る看護師さんに「そうは思わないかね?」などと念を押すあたり、先生は相当タバコがお嫌いなようだ。それに対し「辞めたいとは思ってるんですが」と、俺もありきたりな回答。「ハッ! みんなそう言うよねw」と失笑を買うのであった。

その流れで、空手をやってた学生時代にも吸っていた、とつい口が滑った。先生はすかさず「スポーツマンがタバコとは、まったくw」と超ダメ押し。だが俺にとって学生時代の記憶は全てをひっくるめて宝なので、喫煙という事象すら否定させるわけにはいかない。俺は「いや、でもみんな普通に吸ってましたよw」と笑顔で返す。客観的には害だったと分かっていても譲れないセピア色の記憶というものはあろう。

あの頃は本当に、体育会系武道部の学生達はヘビースモーカーだらけだった。翻って現代は、喫煙者は忌み嫌うべき害悪、人類の敵と見なされる。全ては時代毎の潮流。絶対的な正義など存在しないということだ。
 
 
■内視鏡の複雑さ
そんな会話をしつつ、内視鏡検査へ移行。まずレントゲンを撮る。腹部、居のあたりに異物があるか調べているのだろうか。

さらに心電図。異常なし。「キミはスポーツ心臓だね」と言われた。多分、この日唯一先生から聞いた褒め言葉だ。「何かやってるの?」との問いに俺は、「昨年までは水泳、その前は数年間マラソン大会出場、そして筋トレを定期的にやってますぜ」と喜び勇んで答えたものだ。先生は「ふーん」と感心しつつ、「でもタバコ吸っちゃあダメだよw」と話を戻す。

そして採血。腫瘍マーカーにかけるそうだ。がんかどうか判断できる検査方法らしい。まあ、俺が一番知りたいところではあるので、望むところ。

そしていよいよ内視鏡検査へ。看護師さんに「相当緊張していますね、身体が固いですよ、心拍数も上がってますよ」と言われた。そりゃ初めてだし、麻酔かけるとか同意書書かされるとか随分ドラマチックなことをするし、緊張もしますって。看護師さんは、「そういう患者さんには鎮静剤を打つようにしています」と、俺に鎮静剤を打った。

鎮静剤…。これもまた初めての経験。何か心が落ち着いてくるというか、身体の緊張がほぐれるというか、頭がボーッとしてきたような。たしかに精神はなだらかになるかもしれないが、この強制感はあまりよくない。不自然だ。あまり頼らない方がいいい薬だと思った。

その後、口のあたりに霧状の麻酔を吹きかけられたのだろうか、よくわからない。そこから意識がボーッとしていて、先生の声も看護師さんの声もあまり耳に入らなかったからだ。視界も定まらず、よく見えない。殆ど目を瞑っていたかもしれない。ただなされるがままに身体を横たえられ、重力に逆らえないまま、ぐでたまのように施術台の上でマグロになる俺がいた。

口は完全に弛緩していたため、涎が出そうな、出ないような。飲み込む力もないような。

ただ、内視鏡が入っているという感覚だけはある。奥まで入っていくのが分かる。しかし麻酔をしているためか、人に聞いたほど嗚咽感はもよおしてこなかったな。「涎はそのままたらしていいですからね~♪」と、赤ちゃん言葉で話しかけてくる看護師さんの言葉が、かろうじて耳の奥、三半規管のあたりに響いていた。

結局、内視鏡は辛かったような、辛くなかったような、微妙な感覚。ただ鎮静剤と麻酔が効いているため、身体がだるく、何より眠い。病院で1時間ほど睡眠して診断結果を聞くに至る。
 
 
■結果はまたも後日
ただ、その場では結果がまだ分からない模様だ。先の採血の腫瘍診断もそうだし、後はポリープ。どうやら一番気にしていた食道には何も無かった模様。ホントかよ、と疑いたくなるが、先生がそう言うのだからそうなのだろう。じゃあこの喉の違和感は一体…。

しかし、食道ではなく胃の方にいくちか注意点があったとのこと。ポリープが2つ、そして傷が1つ発見されたと。その部分の細胞を摂取して、検査に掛けるようだ。「病理標本の作成」と言うらしい。明細書には他にも知らない専門用語がズラリ。意味不明だが、なにやらすごそうだ。
ついでに金額も、なにやらすごそうだ。腰痛の鍼治療といい、病気はするもんじゃないな、ホント…。

とりあえず、その検査の結果待ちは来週ということで今日はひとまず終了。刺激の強い食い物、酒や炭酸ジュースなどは今日は禁止だが、他はオッケーの模様。小伝馬町にある昔ながらのそば屋でマッタリとそばを食う。まさに昔ながらのそばの味だな。悪くはない。昨日夜8時から、20時間ぶりの食事だけに胃に染みる。

食った後、ついタバコを一服してしまい、「ヤベッ」と自分を戒める。先生の嘲笑が聴こえてきそうだ。なるべくタバコは控えよう、なるべく…。

その後、会社に戻ったが、麻酔の眠気で全く身に入らない。半休取ったのだから、そのまま帰ればよかった…。
 
 
■味噌煮込みうどんで幸せな夜
それらの報告を帰宅後、嫁にしながら夜メシを食う。しっかりじっくりと煮込んだ味噌煮込みうどん。コストコで買ったロティサリーチキンの残りを使い、味わい深さが一層引き立つ。飲まず食わすの日曜そして月曜日中だっただけに、嬉しさもひとしおだった。こんな幸せな気持ちがずっと続けばいい。来週には検査結果という現実が待ち受けるけれど…

20171007(土) 新潟帰省一日目 ~変わる上野と不変の長岡、えちご川口温泉での超回復~

【朝メシ】
・家/無し
 
【昼メシ】
・上野~長岡新幹線内/弁当(牛肉どまん中)
 
【夜メシ】
・新潟実家/生ビール、カニ、刺身ぶつ切(サーモン、イカ、タコ)、文明堂バームクーヘン、
 
【暦】
月 神無月(かんなづき)
二十四節気 第17「寒露(かんろ)」
七十二候 寒露初候(第49「鴻雁来(こうがんきたる)」 The Geese Arrive
 
【イベント】
鍼治療、新潟実家帰省1日目、えちご川口温泉
 
 
【所感】
■予定変更にもうろたえず
今日からの三連休、新潟実家に帰省することになった。

当初は予定していなかった帰省だ。大体は3ヶ月に1度か隔月が規定路線。そのペースから考えれば、先月9月の三連休も新潟に行ったし、来月11月の三連休も計画済み。よって今回の三連休は中休みとなるのが通常。しかし嫁も諸々報告することが出来たため、ひと月空けず再び新潟へ。

新幹線の切符は毎回JR東日本の切符予約サイト「えきねっと」で35%割引を事前取得するのがセオリーだが、今回は急きょ決まったことなので15%割引を取るのが精一杯だった。この点、良チケットゲッターを自任する俺としては不甲斐ない。今回のような可能性を前々から想定して動くという柔軟性が欠如していた。本当の強者であれば、行く行かないが決まる前から予め35%割引の切符を確保しつつ、結果行かないとなれば即キャンセルするとか、そういう対応が出来たはず。その場合だと、数日前くらいまでであればキャンセル手数料数百円を支払うだけで済む。切符の定価と35%割引との差が1人頭4000~5000円あることを考えれば、キャンセル料負担を見据えたフライングゲットの方がよほど割安だ。

強者なら瞬間的に気付く。気付いたら即座に動く。そこに躊躇いはない。今回の俺は全く強者ではなかった。人生、何があるか分からない。一日先どころか1分先すら見通せないのが人間。それでも人は、先を予測せずにはいられない。自分にとって都合の良い展開に持っていかんがために、可能な限り未来を予知したいと願う強欲な動物だ。預言者になどなれないというのに。

それでも、何もしないままではその境地に近付けない。あらゆる可能性に備えようと日々気を張ることで、近未来察知能力も少しずつ少しずつ研ぎ澄まされていくはずだ。大事なのは心掛けであり姿勢。なれずともいい。せめて志だけでも…。今回の件は、その心掛けを再度思い出す良いきっかけとなった。
 
 
■直前の鍼治療リスケ
今回の帰省に際し、鍼治療の診察日も変更した。通常通りであれば、毎週木曜仕事後に一回と、その次に日曜朝イチの週2回。三連休は新潟帰省が絡むことが多いので、大方は三連休最終日の夜、新潟から戻ってきたその足で鍼治療に向かうのが通例。だが今回は初日の土曜、しかも夕方遅い時間の18時に予約を入れていた。何故そんな中途半端な日時を選ぶのか…。

それは、今回の三連休はそもそも帰省という発想がなかったから。別に何曜日でもいいやという姿勢でいた。一応、もしかすると三連休の二日間を使って小旅行にでも出掛けるかなどと突然思い至る可能性も考え、鍼治療はそこにぶち当たらぬよう角日に設定しようとは考えていた。つまり今回であれば一日目の土曜日か三日目の月曜ということになる。いつものパターンなら月曜だが、先生が珍しく月曜休みということもあり、土曜日の鍼予約となった。これならば日曜そして月曜と連休で遠出も可能。

ただ、土曜日は朝から乗馬のレッスンを入れるかもしれない。乗馬は土曜の午前中から開始するのが自分達の中でのルール。よって朝に鍼予約は入れられない。一方で、一旦乗馬を始めてしまうと移動時間や着替えも考えればどう見積もっても15時は過ぎるだろう。鍼治療を入れるとすれば、その後。となれば必然的に、鍼治療は夕方以降の遅い時間帯のみとなる。

熟慮の結果、鍼治療は土曜日18時から。適当に入れたというよりも、この曜日、この時間しかなかった。新潟帰省はしなくとも、二日間を使っての小旅行や遠出が発生する可能性、乗馬を入れる確率、その時間帯…。あらゆる可能性を先読みし、起こりうる事態を回避しながら取った土曜日夕方の鍼治療予約。ここまでは良い。ここまでの進行はほぼ理想形だ。

しかし、その後の詰めが甘い。様々なシミュレーションの原点である「新潟帰省」というイベント、その新潟帰省に『行く』という発想が何故か抜け落ちていた。だから新幹線の切符も最安値をゲットできなかったし、今回の鍼治療の予約についても振り返ってみれば隙だらけだ。

そう、鍼予約の理想形は土曜の夕方じゃない。全ての可能性を加味するならば土曜の朝イチ。これが唯一の正解だった。それならばあらゆる事態に対応できる。まず、同じ土曜に乗馬を入れるのなら、鍼治療が終了後の午後から始めればいいだけの話。必ず午前でなければならない理由はない。それを敢えて午前にしていたのは、今までの慣例に無意識に従うあまり視野が狭くなっていたに過ぎないのだから。

そうすることによって、他全ての不測の事態にも対応できる。二日間の小旅行を急きょ慣行したとしても、鍼と乗馬という2イベントは土曜日に完了しているのだから、翌日曜および月曜を丸々使える。

今回のように3日間フルで使う新潟帰省に変更した場合も同様だ。乗馬は必然的に削られるにしても、鍼は生きるために必須。その鍼を朝イチで済ませてさえおけば、新潟出発は殆ど午前。昼過ぎにはもう新潟に着くではないか。殆ど3日間を新潟帰省に充てることが出来る。無駄な時間が全くない、まさしく理想的な過ごし方である。

というわけで、土曜朝イチの鍼こそ唯一の正解であり、全てを包括したベストなスケジューリング。そして現に新潟帰省が決定した時、俺は真っ先に鍼の予約を夕方から朝イチに変更した。この点、正しい分岐点を選べたと自負している。もう少しこの可能性に早く気付いていれば、新潟切符35%割引を入手できていたのだが、その甘さは次回への教訓としたい。
 
 
■施術の間隔による効果の違い
そういうわけで、朝イチ9時から鍼治療を施したが、前回受けたのが木曜夜なので、実質1日ちょっとしか間隔が空いてない。これは由々しき事態だ。

もちろん、立て続けに治療してもらった方が楽だ。根本的に治っていない患部は、いくら施術しても日が経てば元に戻るし、それに伴い痛みも増してくる。この痛みを軽減させるため早く施術してもらいたいと切に願うわけで、それだけ待つ間の痛みに耐える期間が辛い。

だが根本的な解決というのは、施術せずとも痛みが出ない状態のことであり、そういう身体に作り変えること。そのための施術。一時的に回復させて、だけどまたすぐに痛くなり、しばらくして再び施術で回復させるという地道な反復だ。

これを延々と繰り返す内に、痛みが再発するまでの時間が少しずつ延びていく。つまり回復力が増す。言い方を換えれば、良好な状態をキープする時間が長くなる。つまり持続力だ。その持続力が高まった結果、次回の施術まで3日と持たない状態だったのが、4日、5日、1週間と良好状態が継続するようになり、いずれは2週間、1ヶ月となり、最後は施術そのものをせずとも痛みが出なくなる。この状態がゴール。そのゴールは進化や成長ではなく、ようやく「普通に戻る」という悲しいものだけど、劣悪な環境を耐えてきた者にとっては天国と言っても過言ではないと思う。

よって最良の治癒を目指すなら、むしろ施術までの間隔を延ばして行かねばならない。「痛くてもすぐに治療できるから大丈夫」という安心感に胡坐をかくのではなく、「痛くない状態をいかに長くキープできるか」という点を常に念頭に置きながら生活するのが肝要だ。

俺の腰痛にしても、最初の頃は施術してから20歩も歩けば痛みが戻ってしまっていた。しかし今は1日くらい持つ時もたまにある。それでも今のところ週2ペースでなければどうにもならない状態で、それ以上間隔を空けることは先生も許してくれないが…。一般に比べて異常なまでにスローな回復曲線が心配ではあるが、だからと言って今回のように中一日での再治療を心から望んでいるわけでもない。「こんな短期間で、ちょっと甘やかしすぎじゃないか」と逆に心配してしまう俺である。

ただ、間隔が短いだけに、鍼治療は良く効いた。元々1日しか経っていないのだから、状態としては悪くない。そこに被せるように再び同質量の鍼治療を行うのだから、単純な痛み軽減指数で言えば効果は抜群。稀に見る腰の軽さだ。最悪時が10で、今現在が4~5近辺をうろついている状態だとすれば、今回の治療で一時的に2くらいまで落ちた。痛みが少ないことがこんなにも気持ち良いものだとは…。麻薬よりも魅惑的だ。

特に今回は、腰回りに電気を流した後にする先生のメンテナンス鍼打ちが最高に効いた。先生はいつものように、電気で全体的に緩んだ俺の筋肉を触診しながら、まだ凝りや痛みが残っている部位に何点か鍼を直接打っていく。その最後のメンテナンス鍼で凝りがほぐれたり痛みが和らいだりするのだが、今日のは本当にすごかった。

先生は、俺の左脇腹辺り、骨盤付近の部分を触診する。「ちょっと固いですね」と顔をしかめる。俺も「その辺はやっぱ痛いですね」と返答。この部分は、俺の腰の中で最も固まりやすい場所だ。殆ど毎回施術してもらっている。今回もまた先生は、いつものように俺の左脇腹骨盤近辺に細く長い鍼をズブリと深く挿入し、その鋭い鍼の先端で肉の周りをグリッグリッとマッサージしていく。この感覚にはもう慣れた。指でなく、鍼でマッサージしていると感覚で分かるわけだが…。

俺の筋肉の中で鍼をグリグリとかき回すその何回目かの刺激が俺の固い部分に当たった瞬間、ブルルンッ!と、まるで勢いよく袋から飛び出た出来立てのコンニャクのように筋肉が振動。直後、まるで投入する前は固くパリパリに乾燥していたくせにアツアツの味噌汁の中にポトリと落とした瞬間、水分と温度を含んで一気にブニョブニョになる麩のように、俺の固かった筋肉が一瞬でグニャ~ッと柔らかくなった。掛け値なしに緩んだ。ブヨンッ!という効果音が確かに聴こえた。そう錯覚するほどに。

まさしく固体から液体への化学変化。ここまであからさまに柔らかくなった事例は過去1年4ヶ月の中で一度もない。今回先生が繰り出した渾身のスカーレットニードルはそれほどの一打。頑ななまでにカチコチに凝り固まった俺のウェルダン肉を、獲れたてのレア肉に変えたのだ。まさしく会心の一撃であり奇跡の一打であった。

施術の間隔が殆ど空いていないとは言え、こんな気持ちいい経験が出来るとは何という幸せ。鍼治療の神髄を味わったという実感が確かにある。この感覚を次に得られるのはいつだろう。相当軽くなった腰に気をよくした俺は、足を軽やかに前へと踏み出しながら鍼灸院を後にするのだった。
 
 
■朝はさすがにマグロ有り
その帰りしな、亀有駅隣接のスーパー「Beans亀有」に少し立ち寄った。
(『帰りしな』は関西特有の言葉で、『帰りの途中』という意味合い。「帰りしなに○○する」という感じで使用する。同類に『行きしな』=『行く途中』がある。2017年現在も現地で使われているかは不明。)

買い物ではない。これから帰宅せずに直接新潟に向かわなければならないので何か買うと荷物になるから。そうではなく、刺身の柵コーナーをちょっと見たかった。目的はズバリ、「マグロが置いてあるどうか」だ。いつもは木曜夜に寄るので、マグロは殆ど売り切れている。だが今日は土曜の朝。まだ10時になったばかりだ。仕入れたばかりの商品がほぼそのまま残っているはず。期待と不安を胸に、鮮魚コーナーの棚へと歩を向けたのだが…。

マグロはあった。ちゃんと…。決して大量ではないが、パックされた、あの見慣れた赤茶色の柵が並んでいた…。良かった。マグロ漁獲量激減により、もう殆ど回ってこないと心配していたよ。夜は期待薄だが、朝から行けばきっとこれからもマグロを買えるだろう。安堵に頬を緩ませる。

しかし、ちょっと待て。棚に並ぶマグロの柵を細かく観察するに、以前と比べてラインナップがかなり変わってないか? 

まず、マグロの王様である本マグロ(クロマグロ)が見当たらない。いや、厳密にはあった。しかし本マグロは一番買い物客が集まる棚のメインスペースではなく、面積の狭いエンド部分に並べられている。元々の数からして既に少量だ。ボリューム感が出ないから隠したのだろうか。それとも少量だからこそ大切に売りたいと考え目立たない場所に隠しているのか。いずれにしても、入荷はするけど明らかに絶対数が激減したと一目で分かる光景である。このままだと本マグロは絶滅の危機を免れない。そんな勢い。

仕入数が細ってしまった本マグロの代わりに、メイン棚を占めるのは種類の違うマグロ。だが一種類じゃない。

まず南マグロ。インドマグロとも呼ばれる南マグロは部位によっては大変良質。変色するのが結構早いため素早い調理が必要だが、脂身の利いた良質なマグロ。その南マグロが置いてあった。少なくともBeans亀有に頻繁に入ってくるような種じゃなかったはずだが…。

続いてキハダマグロ。名の通り黄色っぽいマグロだが、黄色いのは肉身ではなく表皮なので見た目は普通のマグロっぽい。筋肉質で非常に弾力があるマグロといわれる。そのキハダマグロも、昔のBeans亀有ではあまり見なかった。

何より驚愕なのは、ビンチョウマグロ(ビンナガマグロ)があるではないか。マグロ特有の色濃さがなく、幸が薄そうな白色系の肉身を持つマグロ。歯応えや弾力、ネットリ感、どれも一歩足りない感じだが、そのサッパリした食感が場合によって最高に美味いこともある。だが総合的なポテンシャルから最も安価なマグロとされるビンチョウマグロがBeans亀有にズラリと並ぶこの光景が、俺にとっては異質だった。

というか、これにあとメバチマグロ(バチマグロ)があればオールスター勢揃いじゃないか。そのメバチは今日に限って何故か見当たらないが、にしても南マグロとは。ビンチョウまで…。いつからBeans亀有は何でもありになったのか。

いや、そうせざるを得ない事情が背景に隠されているということだろう。本マグロ激減に端を発するマグロ漁の先細り。今後も現在進行形で続く終わりなき悪夢。その現実を、ここBeans亀有の鮮魚コーナーは如実に物語る。まさかのマグロオールスターズ揃い踏みという異常事態が、深刻な未来を否応にでも突き付ける。

これは冗談では済まない。ネタでは済まない。気軽に寿司のネタにしてる場合じゃない。と、そんなシャレを言う空気でも本来ないはずだった…。
 
 
■マルイに朝から並ぶ人々
鍼治療後、新潟行きの新幹線に乗るため上野駅を目指す俺。その前に北千住駅に立ち寄った。新潟実家に渡す土産を買うためだ。嫁ともそこで合流する。鍼治療を朝イチで済ませたお陰で乗車時間まである程度の余裕が出来た。早く行動するといいこと尽くめである。

買い物する場所は、駅前のマルイ。開店の10時半ほぼピッタリに到着したが、駅とマルイ2階入口を直結するペデストリアンデッキ(高架型歩行者通路)には、相変わらず開店待ちの客達が大行列を為している。家電屋ならまだしも、こんな百貨店で何かやんのか? 魅力的な特売品なんかあるのか? ホント暇なヤツ等だぜ…。と不思議に思いつつ、デッキ片隅の喫煙スペースで煙草を吹かしながらいつも眺めていた俺も結構暇なヤツなのかもしれない。

しかし今日、その謎の一部は解けた。スイーツだ。スイーツ屋の特売をゲットするためにわざわざ朝から並ぶのだ。マルイ1階食品売り場にテナントしている有名ブランド銘菓店やオシャレなスイーツ屋が、朝限定の特売品を打ち出す。それを目当てに客が並ぶ。という構図だ。

というのも、俺等は新潟実家の土産を買う時、いつもここ北千住マルイの文明堂カステラを選ぶのだが、基本的にはいつでも閑散気味。今回もオープン直後に関わらず、売り子のおばちゃんや姉ちゃんがウフフウフフと談笑しながら作業するというマッタリ進行だった。混雑していないから、いつも選ぶカステラと、ついでに美味そうなバームクーヘンがあったのでそのセットを注文したところ、時間ロスもなく商品を受け取ることが出来た。

(文明堂)
http://www.bunmeido.co.jp/index.html

しかし、その隣。振り向いた隣の洋菓子店は打って変わって盛況だ。四角のガラス張りコーナーを囲むようにして、数十人からの客達が行列を為している。最後尾には店員がプラカードを持ちながら「こちらに並んで下さい! 列を乱さないで下さい!」と、コンサート会場前の最後尾プラカード姉ちゃんのごとく、どことなく殺気立った声で客達を仕切っている。一体これは…。

大賑わいしているその店の看板を見ると、「ベルプラージュ」と書いてある。チョコレートショップのようだ。本店は横浜のようだが、なるほど都会風なベイブリッジ風な雰囲気を漂わせる店で、いかにもスイーツ女子が好きそうな装いだ。きっと人気ブランドに違いない。

(ベルプラージュ)
http://belleplage.co.jp/

ただ、このベルプラージュもブランドとしては新興の部類で、「モンロワール」というチョコレートブランドから派生して出来た姉妹ブランドらしい。北千住も合わせて数店舗程度。

メインであるモンロワールは神戸を本店とし、関西を中心に全国に20店舗以上あるというから結構な勢力と言えよう。

(モンロワール)
https://www.monloire.co.jp/index.php

だが、そのモンロワールもブランドの一つに過ぎず、運営しているのは株式会社ロワールという大阪の会社。このロワールが、神戸のモンロワールと横浜のベルプラージュの2ブランドを管理している。

(株式会社ロワール)

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ちなみにロワールは、「ミナモレア」というブランドも大阪に数店舗作っている模様。

(ミナモレア)

CONCEPT

ややこしいが、株式会社ロワールが、神戸のモンロワール、横浜のベルプラージュ、そして大阪のミナモレアという三つのチョコレートブランドを使い分けながら、それぞれの地域に応じた戦略でチョコレートを販売しているということだ。

屋号は違うが大元は同じというこの手法は、あらゆる業界で見られるので珍しくない。屋号すなわちブランド名を変えた方が、より多くの客を拾えるからだ。よくよく調べたら運営会社は同じだが、それを知らない場合、こっちの店は嫌いだけどあっちの店は好きという感じで、本来取り込めなかった客を取り込める場合もある。

たとえば俺はモンテローザが大嫌いだが、魚民、山内農場、目利きの銀次、白木屋、魚萬、福福屋、千年の宴など、モンテ系列のこれら居酒屋に全部入ったことがある。知らずに入った時もあったし、知っているけど他に店がないから敢えて入った場合もあった。多業態、多ブランドを抱えることはリスクになる反面、メリットもまた無視できないものがあるだろう。

それと同じかどうか分からないが、今日見た北千住のチョコレート屋「ベルプラージュ」には、朝限定セール品を求めて大勢の客が押し掛けたのは事実。北千住マルイの行列の目的の一つが、1階にあるスイーツ屋の特売狙いだという考察もまた事実なのだろう。

外に並ぶ行列の女性率が高いのもそのため。スイーツと言えば女。男が早起きしてまでわざわざチョコを買いに出掛けるとも思えない。スイーツにロマンを感じるのは女子なのである。また、マルイという百貨店は、ルミネなどと同じく百貨店の中でも比較的年齢層が若め。より一層スイーツの売れ行きが期待できるのではなかろうか。

しかしながら、最も開店待ちの客が群がるマルイ2階はコスメやアクセサリ、女性ファッションショップが多く、特売できそうな品はあまりない。だから2階から店内に雪崩れ込んだ人々は、自然に考えればそのままエスカレーターで上階に上がっていくのではないか。まあ、奥まで回り込んでエスカレーターで1階に下りる客も居なくはないだろうが。

だがよく考えると、俺は2階の行列しか見たことがない。1階の入口前は気にしたことがないが、こっちにもかなりの開店待ち客が居るはず。気合の入ったスイーツ客は、目当てのスイーツ店に最短距離で到達できる1階に並ぶのが普通なのだから、マルイのオープン待ち客の多くがスイーツ目的だとすれば、必然的に1階入口前が最も混雑するという理論になる。2階だけでなく1階ももっと観察しておけばよかった。

ただ、北千住駅にほぼ直結しているマルイの場合、東京メトロだろうがつくばエクスプレスだろうがJR常磐線だろうが、どの客も改札を抜けてからはマルイ2階入口の方が断然行き易い。いちいち1階に下りるのは結構面倒臭いのだ。よって、スイーツ目当てだからといって、全員が1階に下りるとは限らない。楽に移動できる2階に並び、入店後に1階を目指すのは決して回り道じゃない。

それにしても、百貨店と呼ばれる店において、フロア構成の中核となるのはいつでも食料品系とファッション系の2大看板と相場が決まっている。つまり食い気と色気だ。ファッション系のメインは当然アパレル。ただ前述したように、アパレルショップで朝から並ぶに値する特売が頻繁にあるはずはなし、毎週毎週服を買う客もそこまで多くはなかろう。さらに言えば、百貨店の服は元々の値段が高いから、少し割り引かれたところで気軽に手が出るとも思えない。

ファッション系のカテゴリの一つである雑貨・インテリアショップも別に特売なんてやんないだろう。叩き売りする意味がない。別に定価のままでも、放っときゃロマンチック女子達が「これ可愛い~可愛い~♪」と囀りながらレジに持って来るさ。

そもそも雑貨屋なんてのは雰囲気が大事。安売りすると格が落ちる。自分を貶めるとくことだ。さらに言うなら、雑貨は長く使う物で、そうポンポンと数が売れていくカテゴリじゃない。安売りするだけ無意味だ。納豆とか冷凍食品のタイムセールと同じに考えてはいけない。

ファッション系の一つ、コスメなんかはさらに投売りとは無縁ではなかろうか。口紅とか、フェイスパウダーとか、マニキュア?イマドキにネイル?とか、高かろうが何だろうが今より少しでも綺麗になるためには努力を惜しまないスゴレンオトメ達にとって、金銭の多寡など判断基準にもならない。どれだけジェンダーフリーが叫ばれようと、「可愛くなりたい」「キレイになりたい」という願望は女子の世界における不変の常識だ。

それこそ年端も行かぬ子供時代からプリキュアオープンマイハートすることが義務であるかのように教え込まれ、陽の光浴びる一厘の花であろうと女児達は潜在的に意識する。そのインプリンティング作業は少女時代に進級しても引き続きセーラー戦士達によって施され、ムーンクリスタルパワーでメイクアップするのが乙女のポリシーであると少女達は思う。

そんなキレイになりたいと常日頃から本能的に思っている女子達に対し、彼女等にとっての必須アイテムをわざわざ特売してあげる必要性が売り手にあるだろうか。そりゃあ多少の割引や限定本数でのお買い得品はあるかもしれない。「ナントカ(有名ブランド)の口紅が先着10本のみ通常6980円のところ、4980円」とかいうセールもあるかもしれないよ? 口紅とグロスとリップとルージュの違いが分からない俺にはしょせんコスメの現実など知る術もないが。

ていうかそもそもコスメって何? コスモ? オシメ? 押し目? コムスメ? 化粧品じゃダメなんですか? などと言いたくもなるがね。「コスメティック」の略だというのは知ってはいるがね。スペルは「cosmetic」。そういやかなり昔、「コスメティックはTBC」とかいうCMがあったような記憶があるが、調べたら「エステティックはTBC」、だったね。ネットは便利だね。

しかし便利すぎるのも害だ。ただ上っ面の情報をかじっただけなのに、全てを知った気になる。

コスメティックがコスメというのもまさにそれだな。英語だからいいってもんじゃないというか、和製英語なのだから尚更マズい。とかく日本人というのは、中国人や韓国人よりも英語が話せないのに、英語を使いたがる欲求は高い。和製英語であるコスメなどという言葉を欧米で使ったところで言っても通じないのに。

日本は何かにつけてガラパゴスだ。世界標準のものが作れない。それは世界標準で考えることが出来ないから。結果、ワールドワイドで戦えない。戦っていてもいずれ敗れることになる。自動車では中国に追い抜かれる勢いとなり、エレクトロニクスではサムスンやLG電子に大きく水を開けられる。

経済世界第三位といっても、しょせん世界的に見れば極東の島国でしかない。それが日本だ。このまま行けば、いずれはただの中堅国家になるだろう。日本の規準は美徳部分や長所も多いけれど、やはり特殊だ。その特殊性をいかに国際的に馴染ませるかが大事。総じてもっと国際感覚を持った方がいいだろう。

つまり日本の価値観は内にこもりすぎ。だけど外見は、これ以上ないというほど最大限に取り繕おうとするという。

外見を取り繕うと言えば、化粧品、すなわちコスメもそうじゃないかね? コスメ、つまりコスメティック、cosmeticの本来の英訳は「化粧用の」「美顔用の」という形容詞と、しかし一方で「上っ面の」「ぼろ隠しの」「外づらだけの」という超ネガティブな使われ方もするとのことで、それを知っててコスメつってるのかね? などと難癖付けたくなる輩は大勢居るだろうし、これまでも居ただろうし、同様の和製英語に対するツッコミは世に数え切れず、だ。

そうなると、関取の化粧回しはどう言えばいいのか。コスメ回し? コスメティック・スモウレスラーズ・ベルト? 良く分からんな。一応、「cosmetics」と複数形にすると「化粧品」という意味を持つ名詞になるらしいが、和製英語で満足する日本人には単数形と複数形の機微なんて分からないだろうし、分かろうともしないだろう。

脱線しすぎた。しかし常に最上の美貌を求めるコスメオトメ達にとって、マルイ2階コスメコーナーにおいてコスメティックダンピングすることがいかに無意味であるかは十分に理解できたであろう。コスメに限らず、アパレルだってレディースファッションが殆どを占めるのだ。スイーツも然り。だから多くの百貨店のフロア構成は女子中心に組まれている。男はそもそもファッションにそこまで情熱を傾けない。コスメは論外。食品には食指を動かすかもしれない。だが牛肉弁当の特売とか唐揚げ先着50名様に100g50円とかならまだしも、スイーツ特売には心動くまい。スイーツに一喜一憂するのもまた女子なのだった。

消費は女性を中心に回っているとは、良く言ったものである。
 
 
■上野駅
朝の意外なスイーツ事情を見て新鮮な気分になりながら、ようやく上野駅に到着。いつもの朝早くの出発に比べて今日は大分遅い時間帯だが、各鉄道在来線、新幹線など多くの車両が結節する上野駅構内はいつだって人で溢れており、「北の玄関口」の名に恥じない。この、上野駅が纏う洒落っ気の少ないカオスな感じがとても好きだ。

そう、いつだって好き。上野駅、好きだ。大好きだ。大きな声で言える。駅。僕達はこの永遠の上野駅ホームの中で、新潟行き「MAXとき」の結合を見学しよう。というくらい上野駅のことが好きだな。東京駅よりも、行き慣れた秋葉原駅よりも、ホームグラウンドたる北千住駅よりも遥かに、いや日本全国の数多ある駅の中で一番、上野駅のことを一番に愛している。一方的なほどに。その俺の愛を上野が受理するかどうかは別の話だが。

ただ、永遠の上野にも、やはり時と共に変化は訪れる。一言で言えばキレイになった。
ミサト「加持君、私、変わったかな」
加持「…きれいになった」

という程度は綺麗になった。

地下鉄のホームに立っていた汚らしい柱は、美術館をイメージした黒基調の柱へと改装工事され、殆ど完成している。その地下鉄からJRに向かうまでの地下通路、銀座線改札前付近もすっかり改装が進み、壁際には以前は無かったインフォメーションカウンターや最新型の券売機などが並び、以前は汚れたポスターの貼られた柱だったものが今では色鮮やかなデジタル広告を映し出すデジタルサイネージ型の柱になっている。うん、確かに綺麗になった。そして今後も少しずつ、しかし大きく変わっていくのだろう。

だが一方で、昔の気取らない、ざっくばらんな上野駅が無くなってしまうのは寂しいものだな。全国各地の駅が、年を経る事に近代化されスタイリッシュさを増していくのは時代の潮流。だがその方向性は画一的でもある。駅ナカあるいは駅隣ビルに入る店のパターンも似通っている。それはトレンドを組んだ変化であり、だから一定以上の成果が見込めるという安心感が得られる改築。しかし定型的故にそれ以上は望めない。

もっと尖った、その地域ならではの特色を保ったまま変わるべきじゃないのかと。画一的な駅達が飽和した時、今度は尖った駅が脚光を浴びるだろう。過去の上野駅はそれに相応しい様相だったと思うが、今はどうだろうか…。「美術館のある街」をコンセプトにした結果、かつてのカオスさが薄れてしまった。

上野は、戦後の闇市時代の様相を色濃く残す街だ。人間の素の部分、裸の感情をそのまま具現化したような独特の色合いそして活況がある。だからこそ、そのランドマークたる上野駅は、近代化・未来化していく他の駅、例えば新宿や渋谷や有楽町とは一線を画した領域に居て欲しい。かといって神田や北千住など下町風の駅にも属さない。そんな独自の改装路線を歩むべきではないだろうか。それでこそ100年先にも人々の記憶に残る。

そう、100年先。これが大事なのだ。国家百年の大計とはよく言ったもの。100年という基準えはなく、100年単位という見方。自分が死んでからも半永久的に続く、そんな遥か遠い未来を見据えた計画なのだ。具体的に言うならば、少なくとも3世代の人間が共有できる価値観でなくてはならない。

3世代…。イメージとしては親と子と孫、あるいは子供とその親、そして子供の爺さんという3世代が妥当。しかし、爺さんと孫が同じ価値観を共有できれば良いという単純なものでもない。それはあくまで一瞬の交わり。ポケモンGOをする孫を見た爺さんが「ワシもちょっとやってみるかのう」と後追いでプレイし始めるような、取って付けた同調だ。そうではなく、爺さんが子供時代だった頃の価値観がそのまま残り続け、80年後に最終世代たる孫がその価値観に触れても「ボクもそう思うよ」とすんなり同調できるような、普遍的な価値観のことだ。逆に言うなら、ポケモンGOをする孫を見た爺さんが「ワシも80年前は似たようなものをやっておった、気持ちは分かるぞい」とその心をシンクロさせるがごとき現象。

これを上野駅の仕様変更に当てはめるなら、まさしく戦後闇市の時代の情景をしっかり残しつつ改築していくのがベストな手法。少なくともホームの柱は西洋風のオシャレなものに変えてはなるまいし、デジタルサイネージで近代化するのも単純すぎてお粗末だ。そうではなく、もっとバラック風の雑多な感じにして、素材は鉄筋コンクリートや液晶チルトなんだけど、いかにも闇市カオスがそのまま未来に来ましたと言わんばかりの装いにして欲しいものだ。

そうすれば戦後世代の爺さん達も「まさしく上野じゃて」と納得するし、俺等の世代も上野っぽさを感じることが出来るし、今の子供世代が大人になった時も、「これが上野だよな」と共通の上野愛を持つことが出来るというもの。

具体的にどうするか、闇市を知らない俺には示せない。しかしアメ横なんかはまさしく闇市の姿そのままで現代まで来たと言って良いだろう。俺は闇市を知らないが、アメ横を歩くだけで、「ああ、闇市っぽい」と何故か感じることが出来る。物を売る人間も、そこを歩く人間も、どこか荒々しく、だけど陽気なのだ。それこそカオスの為せる業。ブランドショップが立ち並ぶ銀座の通りでは決して真似できない味がある。

そういえば、もう高齢となった嫁の実家両親を過去2回招待したことがある。その際、上野を歩いたのだが、義父はかつて若い頃、上野によく遊びに行ったようで、アメ横付近を歩く度に「上野はあの頃と変わってないな~」としみじみした声で漏らしていたのがとても印象的だ。闇市時代に生まれ、戦後復興の時代を東京付近で過ごしてきた義父が言うのだから、きっと今の上野アメ横は昔と変わらないのだろう。建物の材質は変わっても、その粗野な店並びやゴミゴミした雰囲気、人々の雑踏は50年以上前と同じなのだと、そう義父は感じているに違いない。

その次の世代の俺もまた、数十年後に今のようなアメ横の姿が残っているのであれば、きっと「上野は変わらないな」と感慨深げに呟くはず。そして現代の子供世代は、今の上野を生きる老人世代や俺等大人世代から見聞しながら、実際に街を歩きながら、今の上野のイメージを細胞に刻み込む。その推移が上手くいったのなら、今10代の子供達が60年後に70歳になったとしても、恐らくは「上野は昔と変わらないね~」としみじみした顔で頷いてくれるだろう。この3世代の一生全てを網羅してなお「変わらない」と誰もが言ったのなら、それは素敵なこと。どの街とも違う、独自の、気高い変化を遂げた街として上野は永遠に繁栄するだろう。国家百年の大計はここに為るのである。

という感じのオリジナル路線を上野駅には貫いて欲しいと、そんな想いを綴りつつ、俺等は新潟行き新幹線「とき」に乗って、長岡駅へと向かうのだった。
 
 
■駅弁のパターン
出発が遅めということもあり、珍しく新幹線の中で昼メシを食った。上野駅で買い込んだ弁当なのだが、俺は米沢牛の「牛肉ど真ん中」といういかにも肉々しい弁当。炒め煮した薄肉がジューシーで、さらにそぼろ付きなので言うことなし。肉好きの心理を完全に読み切っている。嫁などは「そんなコッテリしたものよく食べられるね」と苦笑しているが、俺はこういった重くて濃い味付けのものをガツンと食いたい人間なので…。嫁には理解できない心理だ。

その嫁は、「30品目バランス弁当」という、文字通り30種類のメニューが一個一個、こまごまと並んだ弁当。種類が多いので一品が小さく少なく、俺からすればまるで色気のない精進料理だ。しかし嫁は、あらゆる栄養バランスを考えて作られたこの手の弁当ばかりいつも食うし、沢山種類があった方が楽しめるし酒のツマミにもなるなどという、一見もっともな理由でこの精進料理チョイスをやめない…。俺には理解できない心理。

結局、人それぞれで好みは異なるという一般論に落ち着くわけだが、似通った弁当を食うというのは、新しいものに挑戦しようとするチャレンジ精神の欠落とも取れるので気を付けるべし。成功体験あればこそ、次もそれをなぞりたいという無意識が働くのは分かる。しかしそういう行動は続ければ続けるほど強固になってしまう。他の可能性を吟味もせず初っ端から跳ね除けてしまうという愚行に繋がるかもしれないということを/…。

ツマミとして買った「崎陽軒のシウマイ」は、俺も嫁も文句なしに同意。これもまたパターン化だが、これだけは譲れないという頑固さがいくつかくらいはあっていい。シンプルな赤の箱に入った崎陽軒のシウマイ。創業時から変わらぬ味とパッケージで、100年売り続けてきたと言われる。その頑固一徹が実り、100年後の今でも大人達に、子供達に愛されている。これもまた百年の大計。誰が言ったか、崎陽軒のシウマイ、その商品名を「昔ながらのシウマイ」と呼ぶ。
 
 
■長岡駅のアンチェンジな様
新幹線で長岡駅に着いた俺等。ホームにガラス張りの喫煙所があり、エスカレーターを降りればトイレと、待合室と、その間には栃尾地域のシンボルである「火焔土器」のオブジェが飾られたスペース。少し歩けば長岡の英雄・山本五十六のパネルと、長岡花火のくす玉のオブジェ…。

変わらない。10年以上前、初めて訪れた時と、何一つ変わっていない。地方は上野とかのように予算ジャブジャブじゃないので已む無きことだが、この長岡駅の不変すぎる様もどうかと思わなくはないな。

ただ、改札を出れば結構な活気。いつもの朝方には閉まっている両脇コンコースの店が全て営業しているからだろう。無印良品やインテリアショップ等、色々見られる。朝には朝の、昼には昼の顔があるということだ。

エスカレーターを降りて、義父母が迎えに来てくれるのを待つ俺等。エスカレーターのすぐ脇には「日本海庄や」があるわけだが、50~60回長岡に来て一度もここに入ったことがない。日本海そして米どころ酒どころの新潟だからきっと料理も酒も上手いのだろうが、俺等は新潟実家に帰って自分等で刺身を捌くので、メニューが被るというか。

だが一度くらいは入ってみたいもの。奥に召抱えられてもう10年も経つのに、いまだ一度も殿が足をお運びくださらず悶々とする側室のような歯がゆさというか。そちとも長い付き合いなのだから、義理は果たさねばの…。
 
 
■えちご川口温泉の大成功
義父母と合流した俺等は、まず温泉へ。俺等にとっての新潟帰省とは「温泉→家で宴会」のコンボであり、このコンボを休み中ずっと続けるのが常識であり基本だ。宴会の内容も、刺身、寿司、野外バーベキュー、うな重という4項目は必ず網羅する。なので帰省中のメニューは大半が既に決まっている。

温泉も同じだ。義父母も俺等も若く体力もあった初期の頃は別として、ここ7~8年は毎回ほぼ同じ温泉を使い回している。実家が長岡の山奥、厳密に言えば旧栃尾市なので、エリア的には長岡市、魚沼市、三条市まで。温泉名を挙げるなら、八木ヶ鼻温泉、神湯温泉、麻生の湯、とちお温泉「おいらこの湯」、そして今日赴いたえちご川口温泉、この5箇所をじゅんぐり回っている感じだ。どれも慣れた温泉であり、それぞれに長所のある良い温泉である。

しかし今日、久々にえちご川口温泉に入ったが、予想以上に効いた。素晴らしい温泉だった。嫁も義父母も同じ感想を抱いたようである。一体何がそこまで良かったのか…。

(えちご川口温泉)
http://www.hotel-sunrolla.jp/echigokawaguchionsen/#onsen

えちご川口温泉は、山の上にあるため標高は高め。よって、露天風呂に入りながら眼下に広がる景色を見下ろせるわけだ。その景色が意外と絶品。例えば、山梨の名湯と言われるほったらかし温泉は、標高もかなり高く露天から見下ろせば雄大で圧倒的な自然風景そして街並みが180度ビューで視界に入り込んでくるというまさしく絶景温泉なわけだ。天から見下ろす視点というか。

しかし、えちご川口温泉は全然そんな感じゃない。標高は中程度。景色もそこまで横の広がりがなく、山に囲まれた盆地風だ。街並みもビルが建て並ぶわけじゃなく、背の低い民家がポツポツと並んでいる。そこに第二級河川くらいの河が一本流れ、さらには高速道路なのか高架の幹線道路が景色一体を貫く。その道路を、トラックや乗用車がミニカーのように走っているのが遠目に見える。よく言って、山に囲まれた田舎町の風景…。

だが、それがいい。その、どこにでもあるような景色が親近感を感じさせ、郷愁を呼び込む。何故か引き寄せられる。えちご川口温泉に立ち寄ったら、この露天からの景色を是非堪能されたい。

えちご川口温泉のメリットその2。温泉の質が良い。これは間違いないだろう。内風呂もそうだし、露天も同じく。多少黄色掛かった湯は、身体の凝りや疲れを大いに癒してくれるだろう。流水風呂などもある。

何より電気風呂がある。これが大きい。電気風呂なんて代物は、京都あたりの銭湯でしかお目にかかったことがない。スパや温泉施設においそれと置いてある風呂じゃないはずだ。その電気風呂が、ここにはある。大好物の人間にとってはたまらない。俺と義母は、電気風呂が大好物である。

鍼を打った当日だからか、電気風呂の振動が腰の奥まで響き、非常に素晴らしいマッサージ効果を出していた。今日ほど電気風呂が効いたと思えた日はない。

そういえば、電気風呂に入っている時、同じく先客の爺さん二人に「腰が痛いのですかな?」などと話しかけられた。「はいそうなんですよ~」と返事をし、しばらく三人で談笑していた。爺さん達も随分な電気風呂愛好者、かつ温泉マニアで、色々教えてもらった。聞けば、「寺宝温泉」という温泉が腰痛にはよく効くとのこと。今度行ってみるか…。

こういった、見ず知らずの温泉愛好者達とのちょっとした触れ合いも楽しみの一つであった。

あと、えちご川口温泉の露天には「源泉」がある。これが何より身体に効くし、温まるわけだ。「源泉」そのままで、加温も加水も濾過も何もしていない。だから湯は泥水のように茶褐色で、しかしその泥臭い色合いがいかにもオリジン!って感じでエキサイティングなのである。

とにかく効いた、えちご川口温泉。そのお陰か、この日は腰痛がほとんど無かった。10段階で言えば2か1.5くらいまで痛みが減っていた。こんなことは、鍼を始めて1年半の間に1~2回あったかどうかだ。とにかく腰が、身体が快適だった。

俺以外の全員も同じ意見。4者4様に「今日の温泉は素晴らしかった」と口を揃えたえちご川口温泉を、これからも積極的に活用したいと思うのであった。
 
 
■刺身は控え目に
温泉から自宅へ帰った後は、ビールサーバーから生ビールを注ぎ、刺身で宴会。鯛を買っていたが、俺も含め皆が温泉でリラックスしすぎて疲れたという感じなので、今日は刺身ではなく柵をぶつ切りにしただけのオカズで、ビールやウイスキーを楽しんだ。サーモン、イカ、タコ…。義父に研いでもらった蛸引包丁で、俺はササッと柵をぶつ切りにする。大分、板前ぶりが板に付いたと、自画自賛しながら。

飲みながら、相撲特集などを観る。ついでに選挙戦での国民ファーストの迷走ぶりについて話したり、トランプと正恩についての政治的話題とか。その内、内輪の話題へと移っていき…。義父母はかなり昔の思い出話をよくしていた。どれも楽しい話だ。義父は声がデカイけど、民家から少し離れた場所なので思い切り騒いでも問題ない。周りは自然だらけだし、本当に良い環境と言える。田舎はいいなあ…。

何より、誰もが笑顔でいるのがいい。過去への恨み言、誰かへの恨み節、それらも全て笑って話す、聞く方も何故か笑える。話し方の妙、聞く側の姿勢、それらが整う環境があればこそ、絶えない笑顔だ。

いつまでも、この笑顔のままで居られればいいと思う。いつかはそれも消えることになるけれど、それはこの場に居る誰もが分かっているけれど、一緒に居る時だけは、せめてずっとこの笑い声を絶やさぬよう…。

決して長くはないであろう未来の時間を思いながら、誰が最初なのかふと考え、だけど自分自身の可能性だって有りうるのだと重々承知しつつ、だけどこの短い夜に、俺は心の中で願わずにはいられなかった。より長い笑顔の時間があるように、と…。

20170928(木) 久々の亀有メバチマグロと沖縄ビアナッツに超幸せな気分

【朝メシ】
・家/無し
 
【昼メシ】
・職場付近/自作オニギリ
 
【夜メシ】
・家/刺身(Beans亀有 メバチマグロ、真ダコ、真鯛、銀鮭)、吉乃川純粋仕込み、嫁福岡友人沖縄旅行土産(オリオンビアナッツ、ハブナッツ、石垣の塩・島ナッツ)
 
【暦】
月 長月(ながつき)
二十四節気 第16「秋分(しゅうぶん)」
七十二候 秋分次候(第47「蟄虫坏戸(むしかくれてとをふさぐ)」 Hibernating Creatures Close their Doors
 
【イベント】
鍼治療、大相撲ジャーナル購入(11月号 9月28日発売)
 
 
【所感】
■定時上がりも一長一短
木曜は鍼治療なので会社を定時の18時で跳ねることが出来る。早く帰れるのは喜ばしいこと。

しかし鍼灸院までの移動時間もあるし、俺は院内でもかなりの重症患者らしいので施術もたっぷり1時間掛けて行う。その後も買い物など色々と時間を取られ、結局帰宅するのは22時前くらい。普通に仕事してる方が帰りが早かったりするので、どちらが得なのか分からないな。

しかも定時上がり18時台の電車内は、いかにも仕事終わりましたとばかりの弛緩顔でウキウキと電車に乗り込むリーマンや、これから訪れる夢の時間を想像しているのかキャッキャウフフと笑顔がこぼれ落ちるOL達で溢れている。完全に別景色だ。社畜とは一体何ですか?

しかも、いつも使う時間帯の電車よりも遥かに混んでいる。それだけ17時、18時上がりの人間が多いということだ。恋も仕事も遊びも趣味も飲みも、全て満喫するに十分な時間を平日から与えられているわけだ。アフターファイブやハッピーアワーなど神話の世界の話だと思ってたのに、そうではないと気付く、気付かされる。早く上がれる会社に、上がらせてくれる会社に勤めている幸せ者達がこうも沢山世には居るという現実を目の当たりにする。いつもより少し早い電車に乗っただけで。凹むに十分だ。

くそー。そんなに恵まれた環境に居るくせに、給料上げろとか、働きすぎとか…言うなよな、クソッ…。俺だって空が明るい内にさっさと上がってハッピータイムに突入したいよ。待ってくれっ…、待ってくれっ…、待ってくれ戦場ヶ原っ…!と走り出し、まだ遊び足りないのね阿良々木クン、うふっ、みたいなノリでたっぷりネットリと倖時間を継続させたいというか、むしろ永遠に夢の時間ヲ終わラセルな、と言いたいよ。チクショウ。

確かに、普段と違う行動を取れば視野は広がる。何かを作ったり何かを育てるのと同じように、定時上がりや早上がりってのは基本的にはいいことだ。色んなことが見えてくるし、分かってくる。楽しいこととかな…。

辛いことも…でしょ?

辛いのはキライか? 好きなわけはない。だから、それが見えてしまうようなアクションを取ることが本当に正しいのかは判断の分かれるところだ。知らない方が幸せな事実、見なきゃよかったという現実も世の中には沢山転がっているのだから。
 
 
■腰が痛くなければ出来ない体験も散見
しかしまあ、早上がりで浮かれる他人の顔を見せ付けられるのは精神衛生上良くないとは言え、鍼治療をしているお陰で得たものだって多数見つかった。鍼治療がどんなものなのか、医療的にどの位置付けなのか、腰回りの筋肉の名前とか、その役割だとか、そういった知識面での収穫。それと、鍼灸院の先生達がどんな思考回路なのかとか、得意分野は何なのかとか、違う業種の方々の生態系も学べる。1年以上通っているせいか、鍼灸院のある亀有にも随分と詳しくなった。ついでに医療控除絡みの確定申告の申請方法など、こんな状況にでもならなければ遭遇しなかったろう。

定時で上がったあと鍼灸院へ向かい、帰宅するまで約4時間。この4時間は自分にとっては有意義で貴重なもの。終わラセタくない夢の時間だ。まさか未だに完治しないとは始めた当初は予想だにしなかったが、毎週木曜と日曜日の週2回の施術を、鍼治療を受け始めてから1年と4ヶ月間ほぼ欠かさずやってきた。その内の木曜日は、判を押したようにいつも同じだ。

定時で上がり、東京メトロ北千住駅経由でJR常磐線に乗り換え亀有駅で下車。駅隣接のショプ「Beans亀有」の鮮魚コーナーで刺身の柵を少しだけ物色した後、向かいのパチンコ屋「アカデミー」のソファーに座って煙草を一服。その後、同店の個室トイレに篭り、スーツやYシャツ、パンツまで脱いで全裸になって、汗ばんだ身体をウェットペーパーで念入りに拭きつつ、Tシャツやパンツ、靴下までも新しいものに履き替えて、戦闘準備が整ったところで鍼灸院に駆け込むところで予約時間19時半の5分前。

鍼灸院の受付で「ちぃーッス」と常連ぶって挨拶をしてから、鍼治療中は先生と雑談を交じえつつ、だけど腰痛に対する真面目な話もしながらいつの間にか時間は過ぎて治療も終了。ここで大体20時半前後。夜メシの準備、その買出しのため、再びBeans亀有の鮮魚コーナーに赴く。木曜は刺身と決まっている。その夜の刺身に使う柵をチョイスするのである。

だが、目ざとい客達がいいものをどんどん買っていくのだろう。治療前に寄った時よりも品数はかなり減っている。が、止むを得まい。多少残念な気持ちを覚えるものの、刺身自体は楽しいイベントなのだからと気を取り直し、3~4種類の柵をゲットして亀有駅の改札をくぐり、まずは乗り換え駅である北千住駅へと向かう。

その北千住駅で、地下にある本屋に寄って本を物色することも忘れない。木曜発売の週刊文春は基本、ここで買う。同時に購入していた週刊情報誌「NEWSWEEK」は、今現在は定期購読を申し込んでいる。同じく一緒に買っていた週刊誌「奇跡の絶景」は、人気低迷のため無念の廃刊となった。実質的には週刊文春御用達店だ。しかし、他にも面白そうな小説や新書などがあればもちろん購入する。「マギ」(漫画)の新刊が出ていた時などはいつもよりも胸熱だ。本屋は、楽しい…。そう自分に言い聞かせて北千住駅の長いエスカレーターを上っていく。

北千住駅からは東武スカイツリーライン下り電車に乗って、いよいよいつもの地元駅。到着してからは最後の仕上げ。駅隣接のスーパー「東武ストア」に立ち寄り2リットルパックの焼酎やジュース、ミネラルウォーターやポテチなど、必要な物資を買い込んでいく。気付けばビジネスカバンは着替えでパンパン。両手には刺身柵や本や飲料などが入った買い物袋。まるで小旅行に行ってきたかのような大荷物だが、まさしくちょっとした旅行気分。そのいっぱいに詰まった荷物と、いっぱいの思い出を抱えながら、嫁や亀二達の待つ懐かしき我が家へと遂に帰還を果たすという大冒険…。

木曜日に束の間訪れるこの大冒険を、途切れることなく1年以上、ずっと続けている。嫌なことを十分吹き飛ばす有意義な時間だと言い切れた。本当は早く治したいけど、そんな有意義な時間を与えてくれるきっかけとなった腰痛になってよかった。良かったことも、沢山ある。ということだ。
 
 
■電気の量、刺激の量
かと言って、永遠に鍼治療を受け続けるわけにも行かないのは分かっている。出来ればさっさと治したい。治る見込みを得たい。確信を持ちたい。だが最近、回復曲線が完全にストップ中だ。最大10の痛みから、4まではすんなり下がった。しばらく続けた結果3までも到達するようになった。ならばその内2へ、いずれは1へ、そして最後は痛み0に限りなく近付くだろう。そこに至るまで、そこまで時間は掛からないはず。

と、通常なら思うだろう。俺も実際思った。このペースなら完治も近い、と。

しかし、そう思ってから7~8ヶ月経過した今も鍼治療に足繁く通っているのが現実。しかも痛みは3からむしろ4へと逆戻りしている状態だ。最悪だった状態を第一段階とするならば、第一段階は意外と早く乗り越え次なる第二段階に移った。その第二段階もほどなく終焉に近付き、いよいよ最終局面である第三段階に向かおうとするその一歩手前で必ず退行してしまう。何度も何度も弾き返される。どうしても最後のラインが越えられない。このもどかしすぎる無限地獄をもう7~8回は味わった。これは悪い意味でのマンネリ化。いつもよりも高い施術効果を得られたとしても、どうせまたいつものように元に戻っちゃうんだろ?と無意識に悪い方へと考えてしまっているかもしれない。

しかしネガティブ思考のままではいつまで経っても事態が好転しない。物事は全て考え方次第。分かっているつもりなのだが。

そんな悩みを先生に吐露しつつ、考え方を少しでも変えるよう努める。たとえば打った鍼から流す電気の周波数の違いで、痛みが相当軽減したり、逆にあまり変わらなかったり、そんな事例を交えながら、今日は今までで一番良かったと思える周波数を指定した。専門的に言えば、パルスは5の13、とかそんなことを先生は喋っているが。1秒間に5回振動した後、次の1秒間は13回振動するとか、違うリズムの2秒1セットのパルスというイメージだが、この「5の13」のパルスが奏功したのだろうか。電気を流し終えた後、かなり腰が楽になった。

あとはこの快調が長続きすればいいのだが、大体は1~2日で痛みがジワジワと大きくなり始める。せめて1週間耐えられれば良いけど、今のところ週2回は崩せない。いや弱気になっちゃダメだ。腹筋を激しく鍛えながら、筋肉のコルセットをいち早く作る。そのための動画を参考に今週からハードなトレーニングを続けてるんじゃないか。

先生も、「腹筋を鍛えながら何とか頑張っていきましょう」と言っている。そうだ、頑張ろう。いつまでも同じではいられない。
 
 
■マグロ愛
鍼治療を終えてから、いつものように駅隣接のスーパー「Beans亀有」へ向かう。鮮魚コーナーで刺身の柵を買うためだが、治療前に下見した時に比べて在庫数が圧倒的に減っているのがいつものパターンだ。特にマグロなんかは真っ先に無くなってしまっている。寿司や刺身が日本のみならず世界中で愛好される昨今、どうしても漁獲量が減るのは避けられないが、たまにはマグロを食いたいなぁ…。

と思って鮮魚コーナーを見てみると、マグロが相当数残っている。メバチマグロの赤身が10パックほど。本マグロの中トロも20パック近く。大トロまで山のように積まれている。一体これはどうしたことか。

今日は雨だったため客足が多少遠のいていたからか。それもある。だが根本的な原因は、値引きをしていないからだと思われる。

基本的には閉店近くになると、半額あるいは数百円円引きなど、マグロ系は割り引きされるのが通常。傷みやすい素材ゆえの已む無き処置だ。しかし今日は、一つとして値引きされていなかった。閉店間際であるにも関わらず、だ。物は豊富に余っている。本来なら買いたい。でも買えない。単純に高いからだ。確かに、高い…。

2年ほど刺身作りをしてきた自分自身の実感としては、1~2年前に比べてマグロの価格はかなり高騰している。割引とか化物語で勝ったとか、そういった機会でもなければ手を出す気があまりしない。他の客もきっとそうなのだろう。マグロが最近高すぎる。

反面、店側としては、先述した天候の影響もあってかマグロの売れ行きが悪いと判断したはず。元々この手の生モノは割引前提。朝~日中に掛けて定価で売って、一定の利益が確保できればあとは損をしないように割り引いていく。消費期限切れなので廃棄するのは最悪。それを避けつつ、タイミングを見計らって順次値引き札を付けていくのが真っ当な戦略だろう。

そのためには出だしが重要。この出出しが悪かったので、店は夜になっても割り引き出来なかった。そう分析してまあ大きな間違いはないだろう。

ただ、だからといって直ぐに廃棄はしない。マグロがいくら鮮度が落ちやすいと言っても、当日でダメになるわけでもなし。1~2日の猶予はあるだろう。よって、今日大量に売れ残ったマグロは恐らく入荷初日だったのだ。それが不運にも悪天候などでたまたま売りが悪かっただけのこと。割り引くとすれば明日以降でいいではないか。そんな計算も見て取れるわけである。

俺としては、割引されていようがいまいが、久しぶりに見たマグロだ。つい嬉しくなって、カゴに入れた。さすがに中トロを買うほど豪気にもなれなかったので、メバチマグロの赤身を。それでも『マグロ』を皿に盛れるというだけでテンションはアゲアゲ。本当にマグロはご無沙汰だったのだ。

刺身イベントは現在木曜のみで、それも買い物するのは鍼治療後の閉店間際。いつもマグロが売り切れていて悲しい思いをしていただけに、棚に積まれたマグロ柵のパックはまさしく積まれた金塊の山に相応しかった。
 
 
■刺身コーナーとレジ
こうしてハイテンションでマグロをカゴに入れた俺。予算オーバーしそうなので、他の柵で調整していく。今日はBeans亀有大感謝祭らしく、タコが安いと書いてある。確かにBeans亀有のタコは他のスーパーに比べて比較的安めだ。そして産地は安定と信頼のモーリタニア産。ここのタコは掛け値なしに美味すぎる。切り分け方もマスターした今、刺身のラインナップとして今やモーリタニア産のタコは外せない素材だ。

真鯛はなるべく薄い柵を購入。分厚い柵は正直高すぎるし、そんなデカイ柵を買っても食い切れないし。

サケはアトランティックサーモンでなく、銀鮭にした。ここBeans亀有で初めて銀鮭の存在を知ったが、銀鮭は脂分が控え目でサッパリしている。ネットリと濃厚なアトランティックサーモンに比べ物足りない側面もあるが、決して悪くないサケだと思う。見も蓋もないが、醤油をつければ同じことさ。

こうして十分な柵を仕入れた俺は、レジにカゴを持っていく。稼動している3つのレジの内、真ん中のレジによく常駐している小柄な姉ちゃんのレジに出来れば行きたいものだ。彼女はブスッとした顔をしているようで、相対してみれば普通に明るいし、仕事もテキパキとしている。

特に、客が並んでいない時、野菜や鮮魚を入れるためのビニール袋を、いざ商品が来た時にすぐに入れられるように、ビニール袋の口を両手でシャカ、シャカと慣れた手付きで広げ、それを何枚も作り置きしている。休んでいる時も手を休ませない、見かけによらず効率重視のやり手ウーマンなわけだ。そして俺がこの小柄姉ちゃんのところに刺身柵のパックをいつも3~5個持っていくと、支払いしている間に、いつの間にか全てのパックがビニール袋に一つ一つ入れられている。ホントいつの間に!?と感心するほどに圧倒的なスピードなのだ。しかも最近では、そのビニール袋に小分けした柵パックを、買い物袋に整然と収納してくれるところまでやってくれる。俺は支払いが終わった後は、既にビニール袋で小分けされた上に買い物袋にもしっかり入ったその荷物を、ただただ持ち上げ、保冷のための製氷機へとただ歩き始めればいい。事前準備は殆どこの小柄姉ちゃんがやってくれている。殆どAIだ。まさしくHer、世界でひとつの彼女だ。他のレジだと、大体1~2パックをビニール袋に入れるのが限界で、他は野ざらし状態でカゴに放置が限界だというのに。

しかし悔やむことはない。キミ等が遅いんじゃない、小柄姉ちゃんが速すぎるだけだ。

そういえばいつだったか、初めて見る背の高い兄ちゃんがレジに立っていたことがあったけど、いつものように柵を4パックほどカゴに入れて持っていったことがあった。すると兄ちゃんは、柵パックをナイロン袋に入れず、そのままダイレクトに買い物袋の中に放り込んだ。それを俺にハイッと渡した。そりゃあ、そういう客も居るだろうけど、人によって違うんじゃない?まさしく二度手間だよ…。ということがあった。それだけに小柄姉ちゃんの対応力は俺にとって天使そのものである。

そして今日もまた、小柄姉ちゃん天使は真ん中のレジに居た。よし、行こう。まだ客は誰も並んでない。俺はツイてる。振り向きざま右足親指に力を込める。地面を蹴って前に出る。歩速を早め一気に小柄天使の懐に詰め寄る勢いで加速する。

と、動き出した瞬間、別のオヤジが小柄天使のレジにそそくさと歩み寄った。何だコイツ唐突に!? だがオヤジは俺の動揺を物ともせず、小柄天使のレジを占拠。目当ての場所に辿り着けないまま、俺は行き場を失った。コイツが憎い。そう思った。

どうするか。小柄姉ちゃんのレジが空くのを待つか。しかしそれはいかにもあざとい。別のレジは普通に空いているのに、それを無視して小柄姉ちゃんを待つのは不自然というか挙動不振。深読みされかねない。警備員を呼ばれて、最悪出禁だ。俺にとって数少ない憩いのBeans亀有を締め出されるのはダメージ大と言わざるを得ないだろう。仕方ない。今日はこの普通の姉ちゃんのレジで我慢するか…。週1しかない亀有ステージでのワンチャンスを活かせない無念に包まれたまま、製氷機の氷をナイロン袋に入れて買い物袋内の柵の上に乗せた後、もう用はないとばかりにそそくさと店を退場。次に小柄姉ちゃんに会えるのはいつかな…。
 
 
■二度手間
駅に向かう途中、パチ屋のアカデミーに再度寄り、行きと同じくソファーで一服。そしてトイレを済ます。ここまでお定まりのパターンだ。いつものように正面の荷物置きに刺身柵の入った買い物袋を置いて用を足す。しかし、買い物袋の置き方が悪かったのか、置いた買い物袋がグラリと揺れて、中身が床下にこぼれ落ちそうになった。「ヤベッ」と思い、咄嗟に手で支えようとするが一部間に合わず、一番上の氷袋がスローモーションのように床下へと落下する。落ちた瞬間、ベシャッ!と音がした。

柵は一応助かった。しかしこんな汚い場所に落ちた氷袋を買い物袋に入れ直すなんて出来ない。もう一度Beans亀有に戻って製氷機で氷袋を作り直すしかない。とりえず落ちた氷袋をそのまま床晒しにしておくわけにもいかない。今はトイレに誰も居ないが、良心が痛む。仕方ないので氷袋を拾った俺は、洗面所で水を流しながら、袋を破って中身の氷を溶かすことにした。

冷たい氷がギッシリ詰まったビニール袋を破る。その瞬間、中の氷達がザザザ―ッ!と雪崩のように一気に洗面台の流しに滑り落ち、だけど直ぐには溶けないため一旦は排水口の周りにかき氷のように積み上がる。こんなとこ誰かに見られたらみっともない。早く溶けろ。水を最大出力で放出する俺。すると氷はみるみる内に溶けていき、ほどなくして排水口の彼方へと全て消えたのだった。

大事が無くてとりあえず一息。しかし、1人で無駄な動きをしている自分に腹が立った俺は、「何やってんだよチクショウ!」と洗面所の鏡に向かって無意識に叫んだのだった。

ちょうどその時、帽子を被ったおっさんがトイレにヌッと入ってきたわけで、タイミングは最悪。おっさんはチラリと俺を一瞥した後、何事も無かったかのように用を足し始めたが。ホント、何やってんだよ…。
 
 
■だけど楽しいこともある
そんな踏んだり蹴ったりの亀有スーパーおよびパチ屋のトイレ事情だが、そのフラストレーションを挽回するに十分な要素が今夜は沢山待っているから問題ない。

まず、北千住駅に降りてからの連絡地下通路を歩く途中にある本屋にて、相撲雑誌を購入。報知新聞社の「大相撲ジャーナル」という雑誌だが、先日の秋場所で相撲に夢中になっている自分としては、まさしく空腹の釣堀に餌を投げ込むがごとし。しかもこの大相撲ジャーナルは、本日9月28日木曜発売だという。運命という他ない。

こういった詳細な雑誌なり情報サイトは、テンションの上がっている時に一気に取り込むのがベスト。時期が経てばきっと情熱は引いていくはず。だからこそ大相撲ジャーナルがそこにあったことは、俺に相撲知識を蓄えよという天啓に違いない。

そして帰宅後は、Beans亀有で苦労して買った刺身を食い、幸福すぎる夕飯タイムを味わう。さらに福岡に住んでいる嫁の友人が、社員旅行で沖縄に行ったらしく、そのお土産を送ってきてくれた。ソーキそば、そしてオリオンビアナッツ、ハブナッツ、石垣の塩・島ナッツという酒のツマミ。ありがたい。遠くに居るのに、気に掛けてくれているという事実がありがたすぎた。

早速これらのツマミを今日だけで8袋は空けてしまう俺等。感謝の気持ちが大きいからこそ、酒もツマミも進むのだ。

20170927(水) アキバと神田川の風景に回顧を刺激され、スパゲッティのパンチョでフロンティア精神を多少呼び戻す

【朝メシ】
・家/無し
 
【昼メシ】
・職場付近/自作オニギリ
 
【夜メシ】
・秋葉原/スパゲッティ専門店「スパゲッティーのパンチョ 秋葉原店」(ナポリタン並)
・家/ DAN CAKEバタークッキー缶(義弟夫婦土産)
 
【暦】
月 長月(ながつき)
二十四節気 第16「秋分(しゅうぶん)」
七十二候 秋分初候(第46「雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ)」 Thunder Lowers its Voice
 
【イベント】
秋葉原、大相撲千秋楽ビデオ研究
 
 
【所感】
■現役だけど懐かしい街並み
仕事で秋葉原に出た。

通称「アキバ」と呼ばれるエリアだが、その範囲は心理的には広く、だけど地理的には結構狭い。まさしく特殊地域、限定エリアと言える。

そのアキバ。通常その名で認知されているのは「秋葉原電気街」と呼称されるところ。しかし秋葉原という住所はそのエリアに殆どなく、実質的には「神田○○町」とか「外神田」という感じで「神田」という字を冠するものが殆どだ。住所的な「秋葉原」としては「台東区秋葉原」という住所が実際に存在するが、それは秋葉原電気街から見ればかなり外れた場所に位置し、どちらかというと御徒町方面というイメージ。

今現在、世に言う「アキバ」のスタンダードは、まずヨドバシAKIBAを基点とするのが妥当だろう。そのヨドバシの建つエリアは神田花岡町と呼ばれ、アキバのメイン。

そのヨドバシから見て東の端は、すぐ隣接する昭和通りまで。さらに東のエリアは神田佐久間町などと呼ばれ、飲み屋が多い。神田佐久間は一部を除いて「アキバ」には入らない。

そのヨドバシから西へ向かうと、いくつかの小さな通りを突っ切ることになる。途中、商業ビルのUDXやダイビルが見え、JR秋葉原駅もそこにある。この区間は「神田相生町(かんだあいおいちょう)」と呼ばれるらしい。

そこからさらに西へ行くと、すぐに中央通りへと当たる。イベントビルのベルサール秋葉原、ビックカメラ、ツクモex、ドンキホーテなどが隣接するメインストリート。この辺りから西端に向かうまでのエリアは、大雑把に「外神田」と呼ばれる。アキバの主だったショップの住所には、この「外神田」が多い、

さて、メインストリートの中央通りを西に向かうと通称「オタ通り」と呼ばれる小道のほか何本かの道を通過することになる。その後、比較的大きな昌平橋通りへと突き当たる。この昌平橋通りがアキバの西端。ヨドバシ~中央通り~オタ通りに比べ、人はあまり居ない。店も小さなラーメン屋とか猫カフェやメイドカフェなど、ひっそりとした感じのものが多い。

その昌平橋通りを北へ進むと、蔵前橋通りにぶちあたる。この蔵前橋通りが北端だ。とりたててランドマークがあるわけではないが、強いて言うなら蔵前橋通りと中央通りの交差点に隣接する東京メトロ「末広町駅」が目印となるだろう。三菱UFJ銀行などもある。その末広町駅を越えて中央通りを北へ歩くと、いずれ御徒町、上野へと至る。

昌平橋通りを逆に南へ進めば、最終的に行き着くのは神田川。この神田川がアキバの西端だ。ランドマークを挙げるなら、神田川沿いに東方面に向かっていく過程でパチンコ屋のビッグアップルや万世橋警察署、奥に「@肉の万世」も見えるポイント。さらに行って本屋の「書泉ブックタワー」。と言ったところか。

以上が凡その「アキバ」の概要。東端は昭和通り、西端は昌平橋通り、北端が蔵前橋通りで南端が神田川。これらに囲まれたエリアが「アキバ」であり、秋葉原電気街の大まかなイメージと言えよう。

今日は、その南端である神田川を少しだけ南に越えた場所に仕事で行った。住所的には「神田岩本町」、つまり岩本町駅がある辺りと、その神田岩本町に接する神田須田町と呼ばれるエリアだ。正直、この方面には滅多に行かない。神田須田町に限っては恐らく初めてだ。実際は少し西に歩けば見慣れた風景、すなわちビッグアップルや肉の万世が見えてくるという程度の近距離なのだが、橋一つ超えるだけで見える景色がガラリと変わる。異邦の地に迷い込んだかのようだ。「物事は多角的に視よ」などと言うが、その通りであるな。異なる角度から見るということは、異なる景色を見ようという前向きな行為であり、それ即ち異なる捉え方や考え方を養うことに繋がる。アプローチによって結果は無限に広がるのだと…。
 
 
■神田川の情緒
そんなわけで、千回に迫る頻度で出向いたアキバ巡りにおいても、まだまだ知らない景色があると改めて知った今日。アキバから少しだけ外れた神田岩本町や神田須田町というエリア。その境目となる神田川を、都営新宿線岩本町駅出口前にある喫煙スペースからふと眺めてみるが…。

全くもって汚い川だ。水は黒と濃い緑が混ざり合って下品に濁り、流れも淀んだ感じ。見るからにヘドロ混じりの汚染水という感じ。大阪の道頓堀川に劣らぬ汚れぶりだ。喫煙スペースには、俺と同じく社会に虐げられた喫煙者達が密集し、虚ろな目でタバコを吸っている。その虚ろさと同じくらい眼下に見える神田川もどうしようもない。コンクリートジャングルの狭間に佇むリバーサイド。独り黄昏るにはもってこいのロケーションなのに、こんな汚れ切った汚染川では情緒もクソもないぜ。

しかしこのビジュアル的には激しく汚い神田川も、ランドマークという点では大きな役割を果たす存在。店舗やビルのような人工的な建築物と違って、川というものは、海と大地と天空との超自然現象によって形造られたその土地固有の地形。建屋や器を全て取っ払っても尚残る、いわば地球の原型だ。

建物は時代によって新しく建てられたり、逆に取り壊されたり流動的だ。道とて同じく。砂利道の時代もかつてはあったし、現代はアスファルトで舗装されている。だから時代時代によって、人々が目印とするランドマークも当然異なってきたはず。

だけど川は、神田川は、遥か昔からずっとそこに在り、これからもここに在る。水が枯れない限り、橋の下を見下ろせば、水の流れゆく様が目に映るだろう。まさしく万人共通の目印。永遠不変のランドマーク。きっと江戸時代の人々も、当時はもっと綺麗だったであろう神田川を見下ろしながら小粋な会話をしていたに違いない。

だからだろうか。こんな汚い神田川の澱んだ流れなのに、じっと見ていると郷愁をそそられる。情緒に駆られる。飛び込みたくなる。LCLに抱かれるシンジのように…。昔の人達も、こうやって神田川を眺めていたのだろうか。何百年も前から同じように、人はこの神田川を見下ろしていた。そして今、アキバ界隈を徘徊する人々も同じように見下ろしている。

俺もまた、同じように神田川を見下ろす。最初は昭和通り沿いの和泉橋から。次に、少し歩いて、JR山手線と並行して走る東北・上越新幹線線路の高架下にある細い橋から。コールタールのように真っ黒に濁った神田川を。こんんなにも汚いのに、こんなにも不潔で不純なのに、それでもどこかジンと来る。憧憬を抱く。

この憧憬はきっと遺伝子レベルから来るものだ。時代が移り変わり、人も入れ替わる、流動的なアキバという生きた街。その中を今も昔も変わらない様子で、たゆたうように流れる神田川の普遍性。朽ちて滅びるしかない身だからこそ抱く、普遍への憧れ、自然への畏怖が眼差しに宿る。川を見ると穏やかになる。同時に切なくなるのだった。
 
 
■まだ残る記憶と街並み
普遍不滅の神田川だが、街並は時代毎で様々な変容を見せる。百年単位で見ればきっと面影すら残らないほど変質することだろう。10年単位ですらどうか。建物の形状は別にしても、そこに入るテナントや屋号は目まぐるしく移り変わることだろう。飲み屋とかも当然、チェンジの連続だ。

しかしその中でも、変わらない飲み屋もそこそこある。いわゆる一昔前のアキバ族達の憩いの場。たとえば和民だ。今のようにスタイリッシュじゃなくて、掃き捨てるほど増殖した各国の美味しい飲み屋がある便利な時代じゃなくて、ただただ飲める場所であり、集まれる場所としての飲み屋。

その一つである和民。一旦越えた神田川を、JR新幹線高架下の細い橋を通って再びアキバエリアへと戻る。その視線の先、ホテル「レム」やパチンコ屋UNOが建つ通りに入る直前の場所に見える、「和民」という看板。この和民は、少なくとも俺が秋葉原に初めて足を踏み入れた15年以上前から存在していた老舗であり、当時友人達と毎週のように飲み会を開いていた本拠地。僕らの和民がそこにある。

俺も若く、彼等もまた若かった時代、この和民でオフ会をしたという記憶。今では互いに年を取り、アキバに集まる機会時代が殆ど無いけれど、その友人達と過ごした記憶の拠り所が未だに健在するという嬉しさ。頼もしさ。力強さと言ったらなかなか言葉に表せない。

無論、100年とか50年の単位であれば、和民はどこかで消滅するだろう。しかし10年20年のスパンであれば、不変の場所もまだまだ多い。あの時に還りたいのか、懐かしみたいから固執するのか、いずれにしても感傷的に過ぎる。だけど俺は、そういう気持ちを大事にしたいと思う。

傍から見れば変哲もない和民の看板に、特別だった遠き日の記憶を重ねながら、俺は和民の前をクールに去った。
 
 
■アキバで独りメシ
和民を離れてからは、人通りの多い中央通りやオタ通りなどを歩く。パソコンショップアークの辺りの道の両脇にやけに人が群がっていたので不思議に思ったが、皆が下を向いてスマホを弄っているのを見て、「ポケGOか?」とピンと来た。指をスマホ画面の下から上にシュッと移動させている、あの仕草。何人かのスマホを覗き込んだらやはりポケGOだった。まだ廃れてなかったのか、とある意味感心したことは置いといて…。

界隈には当然家電、PC、オタ系のショップは多数あるけれど、それ以上に飲食店が増えた。飲み屋も同じく。15年前に比べれば50倍くらいの数があるんじゃないかと思えるほどだ。しかし、それだけ飲食店が乱立してもまだ飽和はしていない。店の数以上に人が多いということだろう。人が増え、店が増え…、その新しく出来た店を求めてまた新たな人が入ってきて…。

いたちごっこのようなこの増殖劇の中、新しいメシ屋や飲み屋を発掘しようという気にここ最近全然ならない。ヨドバシAKIBAの8階でいいやとか、駅前のやすべえは鉄板だからそこにするかとか、本当に行く店が限られている。フロンティア精神の完全消滅だ。

ただ、独りで食ったり飲んだりしても楽しくないという感情も一方ではあって。独りでメシを食う時、何故か感じてしまう居心地の悪さが、新規開拓から足を遠ざける大きな理由の一つでもあった。昔は押しも押されぬ超攻撃型ローンウルフだったはずなのに、自分はいつからこんなガラスの心になってしまったのか。ひとりぼっちはつまらない~…。

新しいものを見つけようとする気持ち。違う体験を得たい欲求。その根源にある人間の攻撃性。その攻撃性の消失は、チャレンジ精神を封殺し、新たな知識や経験を得る機会を根こそぎ刈り取る危険な兆候。少なくとも俺は思っている。引退後の余生を過ごす段階ならまだしも、これから先はまだまだ成長していかなければならない時期を生きているはずなのだから。

よって俺は今回、敢えてアキバで独りメシを食うことに決めた。迷いに迷ったが、ドスパラやあきばおー、今現在では新しく建ったアパホテルなどが建っているオタ通りの一角に店を構えるスパゲッティ屋の「パンチョ」でナポリタンを食ってみようと、こう考えたわけだ。向かいにパソコン工房、斜向かいにマルツパーツ館がある場所ね。
 
 
■初パンチョ
この「スパゲッティーのパンチョ」という店。実はかなり前から店はオープンしている。看板を見る度に、「ボリュームたっぷりで安くて美味そうなスパゲッティ屋」だなと、いつも思っていた。秋葉原でなくとも、たとえばJR御徒町駅のすぐ傍にもパンチョはある。友人と「ここ今度入ってみようぜ」と話しながらも、結局暖簾をくぐることのなかった店。ずっと昔から知っていたのに何故か入らなかった。いや入れなかった。

ボリュームありそうだし、見た感じかなり安いし、美味そう。それは確かだ。ずっと前からそう思っていたし、憧れていた。だが反面、この類の店にありがちなもう一方のイメージが邪魔をしていた。つまり「狭そう」「暗そう」「汚そう」「汗臭そう」な店というイメージ。そして「男臭さ」が漂う。女が少ないという意味ではない、野性的でもなく肉食的なイメージでもない、陰鬱さとどこか抜けきれない汗臭さが漂う独特な雰囲気を、このパンチョには感じていた。いわばラーメン二郎やゴーゴーカレーに通じる異質さというか。

そういう店は元々苦手だったのだ。洒落っ気を出すとかではなく、その「通(つう)ぶった」感じ。通ぶってはいないけど、そう見えてしまう空気。通であることに自信を持ち、しかしそれは言い換えれば「分からないヤツには分からない」という突き放した態度であり、下手をすれば上から目線になりかねない危険性を伴った危うさ。選民意識のような空気を、誰でもウェルカムと言いながらも門前払いを仕掛けられているようなプレッシャーを、スパゲッティのパンチョにも感じていた。「このノリが分からないようじゃ、しょせん漢じゃない」とでも言われてそうな、挑戦的で子供じみた看板や店作りなのだ。俺にとっては。

しかし、そんなわだかまりはもう捨てよう。入ってもいないのに批判してもしょうがないじゃないか。食ってもいないのに訳知り顔で推測したところで、しょせん推測だろ? だから一度入ればいい。一度食えばいいんだ。パンチョのスパゲッティを。そんな感じで思い切ると、スッと心も軽くなり、足もススッと前に出た。こうして俺は「スパゲッティーのパンチョ」に初めて来店した。何で今までこんな簡単なことが出来なかったのか…。

そんなパンチョは、予想以上だったこともあったし、だけどある意味で予想通りでもあった。

ボリュームは下馬評通りだ。基本的に量が多い。そして平均的に安い。コストパフォーマンスはかなり良いと言える。メニューも豊富。オーソドックスなミートスパゲッティの他、変り種を含めた数十種類のメニューが選べる模様だ。だが今回はスタンダードにナポリタンを食おうと決め、店に入った途端声を掛けてきた店員兄ちゃんにその旨伝えた。

が、店員兄ちゃんに「量はどうしますか?」と聞かれたので一瞬戸惑う。「え? 量?」 確か入口の階段を降りたところに、量ごとのスパゲッティのサンプルが置いてあったような気がしたが、よく見ていない…。仕方ないので「どんな感じの量でしたっけ?」と素直に質問する以外になかった。

まあ、兄ちゃんは普通に「小盛が300g、並盛が400g、大盛が600g」みたいな感じでスラスラ答えてくれたが。それでも「そのくらい知ってて当然」というスタンスが何となく店内に流れているような、一抹の肩身の狭さがある。口では言わないが、どうしても流れてしまうこの「素人お断り」的な空気こそ、新規顧客に対する敷居を上げる要因だと俺は見る。

とりあえず量は400gにした。600gとか無理だろ…。

水はセルフだ。別に珍しくもないが、入口付近のテーブル席に案内されてしばらく経っても何も出てこないのでようやく気付いた。立ち上がり、カウンター席の近くにあるウォーターサーバーに向かって歩く。そのウォーターサーバーのすぐ横には客が居て何となくバツが悪いが仕方ない。

と、その時、俺が座るテーブル席の隣のテーブルに座っていたメガネの痩せたおっちゃん?が、俺に対して何やら腕を振って合図しているように見える。いかにもアキバに精通してそうな玄人風おっちゃんだが、視界にそのおっちゃんの手が何となく映り込む。ふと視線を向けると、おっちゃんは確かに俺に向かって合図をしている。その指で入口の方を指し、「そっちじゃない、あっちあっち」と言っている、ように見える。だけど声は出さない。不思議な合図だ。森の妖精とコンタクトしているような不思議さだ。この時点で「パンチョ」はやはり、通常空間とは異なる空気を漂わす店だと自分の中で確信を持つに至るのだが、

とりあえずおっちゃんの指差す方向、つまり入口付近を見た。すると入口付近にもウォーターサーバーがあった。しっかりと。俺のテーブル席から手の届く範囲じゃないか。全然気付かなかった。それは多分、初めての場所で緊張していて周囲が見えていなかったからだと思うが、そんなことよりウォーターサーバーの場所を無言の手信号で指摘してくれたおっちゃんの真意だ。おっちゃんは、俺が遠く離れたカウンター席から踵を返し、本来向かうべき入口付近のウォーターサーバーに向かった時、「うむ、うむ」と不敵な笑みを確かに見せた。その笑みはどういう意図なんだろうか。成長した弟子を見守る師匠の眼差しなのか、それとも何も知らない初心者にここのルールをしっかり叩き込んでやったからよ、という上から目線の笑みなのか。どちらか。

分からないが、とりあえず教えてくれたおっちゃんに向かって、俺も笑顔でサムズアップした。礼儀は弁えているつもりだし、笑顔は得意さ。その後、おっちゃんは二度と俺の方を振り向くことなく、黙々と自分のスパゲッティを食っていた。うーむ、積極的なのか内気なのか良く分からん。ただ、俺が格下に見られたのは間違いあるまい。何となく気ぃ遣うわ~。やはり玄人系の店であった。

店内の内装もある程度予想通り。狭くはないが全体的に圧迫感があり、照明は薄暗い感じ。さらにアキバという土地柄か、オタ的なオーラも蔓延している。そして男臭さがやはり漂う。ラーメン屋などとは明らかに一線を画した男臭。女子にはあまり向かない店だと判断した。

スパゲッティはなかなか美味かったと思うが、唸るほどでもない。麺が少し水気を含みすぎているってとこかな。ツルッとした感覚、いわゆるハリに少し欠ける。だが十分食える店なので、今後も機会があれば色々なメニューに挑戦したいところだ。

長年の逡巡の末、ようやく邂逅できたスパゲッティーのパンチョ。不思議な店であった。
 
 
■そして回顧へ
いつものアキバを回り、だけどいつもと違うアキバの姿を確認した水曜日。帰宅してからは、女子会に出掛けている嫁の帰りを待つ間、またも大相撲千秋楽の録画ビデオを何度も何度も見直す。また同じパターンに陥ってしまった。パンチョで開花した冒険心は何処へやらだ。

だがそれもまたよし。人は強気になったり弱きになったり、日々違うもの。時に回顧し、あるいは悔恨し、それでもいつか望んだものに辿り着けるのではないかと心の中で信じながら生きるもの。いずれ来るかもしれない邂逅の日を待つのが、希望を抱くということだから…。

20170926(火) 相撲って何ですか? 二代目月見バーガーって何ですか?

【朝メシ】
・家/無し
 
【昼メシ】
・職場付近/コンビニオニギリ
 
【夜メシ】
・家/マック持ち帰り(二代目月見バーガー、二代目チーズ月見、てりやきマックバーガー、ポテト、ナゲット)、キュウリと豆腐のドレッシング和えサラダ、アドベンチャーワールド柿の種、しろくまアイス
 
【暦】
月 長月(ながつき)
二十四節気 第16「秋分(しゅうぶん)」
七十二候 秋分初候(第46「雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ)」 Thunder Lowers its Voice
 
【イベント】
無し
 
 
【所感】
■相撲熱継続中
結構早めに帰宅したのだが、ダラダラと過ごしている内に時間は過ぎ去り、深夜2時頃まで夜更かししてしまった。ここ最近そんなんばっかり。就寝と起床にメリハリが付かない状態が続く。どうしてこうなるのか。

主たる原因は、大相撲の録画番組を観てしまうからだろう。それも深夜から始まるダイジェスト版じゃなく、NNKの大相撲秋場所千秋楽のフルバージョン、3時間以上の生中継を丸々視聴する。

優勝は絶望的だと思われたが横綱の意地と周年で千秋楽まで繋いだ日馬富士のカッコよすぎる取組とか。その日馬富士の気迫と目付きに完全に呑まれてしまい、「やるしかないんだ、やるしか」と碇シンジ的に今にも泣きそうな顔で挑む豪栄道の対照的すぎる光景とか。そして結局、本割で日馬富士に寄り切られてしまった豪栄道の切なすぎる表情とか。優勝決定戦前、本割までは東に居た豪栄道と、西に居た番付上位の日馬富士が、東と西を入れ替える際、廊下ですれ違った時の、アナウンサーの色々喋っている途中でタイミングよく「ここで、すれ違いますっ…」とドラマチックに話す何という神タイミングとか、そこに毒舌解説の北の富士が「いや~、嫌な場面だねぇ…」とホントに嫌そうな感じで唸るところの掛け合いの面白さとか。

本割で豪栄道を下した日馬富士が、優勝決定戦に向けて十両の照強を呼び付けて事前の調整をする緊迫の場面とか。それを観てアナウンサーから「豪栄道にアドバイスをするとしたら?」と問われた解説の舞の海が、「日馬富士は低く当たってくるから、そのパワーで上体を起こされないよう何とか我慢して、自分も低い体勢で相撲を取るように、とアドバイスしたいですね」などと尤もらしいことを解説し、でも実際優勝決定戦になったら、まさしく超瞬発力で低い位置から突進してきた日馬富士に、もはや気弱となっていた豪栄道は全く手が出ずあっさり負けてしまったこの鮮やかすぎる決着か。それを見て北の富士が「やっぱり気持ちだね、気持ちの問題だったね」と確かめるように言ったりとか、「これが横綱と大関の違い、なんでしょうね…」と、本当にいいタイミングで納得しやすい言葉を投げ掛けてくる北の富士は本当に面白いなとか。何度も観てしまう。

他にも、十両優勝を決めてインタビューされる阿炎の、ヘラヘラと締まりのない顔だけど、かなり今風な顔立ちとリアクションで「カンベンしてくださいw」とか普通に言うこの阿炎に大して「こりゃ面白いのが出てきた」と今後が楽しみになったり。3場所連続二桁勝利は1場所15日制になってから初と太鼓判を押された阿武咲の、ストイックだけど地力があり面白い相撲からこれから目が話せないとか。その阿武咲はこの日も勝利したので、いつものように花道に引き上げるときに付け人とグータッチをするはずだとワクワクしながらTVにかじり付いていたのに、ちょうどそのタイミングで敢闘賞を取った朝乃山のインタビューに突如切り替わって「
ふざけんな!」と叫んでみたり。朝乃山に恨みはない、こりゃ編集が悪いわ。などと論評してみたり。

まあとにかく同じ場面を繰り返し、繰り返し観てしまう昨今だ。繰り返し観るのはアニメくらいなものだと思っていたが、まさか大相撲もその対象になるとは…。

九月場所の初日を両国国技館で観戦してからというもの、事あるごとに相撲ニュースを観ている。スマホで力士のウィキペディア情報に目を通しては独り満足げに笑う。最近では幾人かの力士のツイッターアカウントもフォローし始めた。この流れはあれだ。そのうち大相撲力士名鑑とかを買い漁るようになるパターンだ。

報道ステーションのスポーツニュースなどでも、野球やサッカーとかゴルフなど、他のスポーツの話題がTVで流れてもあまり頭に入ってこない。逆に「何で相撲の話題がこんなに少ないんだよ!」と富川アナに向かって八つ当たりする状態だ。富川としてはとんだとばっちりだが、自分の中ではそのくらいの相撲熱。

いずれにしても、長年ご無沙汰だった相撲に対する興味が再燃している。自分の中の錆び付いたロートルな相撲知識が現代Verに刷新され始めていく。千代の富士時代から殆ど止まっていた力士情報も順次更新中。顔と名前が大分一致するようになってきた。

この感覚、悪くない。新しい知識や技能を取り込んでいく時の高揚感。今までに無かった何かが自分の中に構築されていく充実感。生まれ変わる感覚に似ている。その知識や技能が完全に身に付いた時、えもいわれぬ達成感が生まれる。

そのためには身に付くまで継続しなければならない。途中で途切れればしょせんは一過性の気まぐれに終わる。だけど何かに熱中している時の高揚感とか、それを得た時の達成感とかは、人間にとって至福の一つだと無意識で知っている。何か一つでもそういう経験がある者であれば、尚更その心地よさが分かる。だから続ける人間は続けるに違いない。

俺自身であれば、最近なら去年1年近く毎日続けていた早朝水泳がそうだと思われる。仕事のある平日毎朝1日も欠かすことなく9ヶ月間、プールが開く朝7時から30分程度、欠かさず泳いでいた。たった30分だけど継続とは本当に面白いもので、競泳タイムは恐らく全盛期の中高生時代を大きく上回ったはずだし、遠泳力についても2kmでも3kmでも余裕だと確信できるレベルで泳げるようになった。これは多分、自分自身が持つ技術の一つとして完全に身に付いたと思っている。1日たった30分なのに、継続することがいかに大事か、本当に良く分かる話だ。

まあ水泳については結構本気だったし、何より楽しかったので続いた。何でもそうだが、動機は様々あるにしても、継続できるか否かは、それに対してどれだけ本気で考えているか、それが無ければ生きていけないくらいの必要性を感じるかという点が一点。そしてもう一つ、楽しんで出来るかどうかがポイント。言い方を換えれば、楽しめるようにどう持っていくか、そう思い込めるようにどう自分の心をコントロールするか、ということに尽きる。

相撲に対する本気度がそこまでなのかは正直計りかねる。はっきり言ってしまえば、生きていく上で不可欠という程ではないので。だが楽しいかどうかという点では、この上なく楽しい。この気持ちがあれば、精度やレベルは別として、結構続くのかもしれないな。今のところ、相撲に対する熱中度合いは継続中である。
 
 
■二代目月見バーガーって?
相撲に対する研究や情報収集はそれなりに続くとして、相撲自体は遥か昔から続く歴史ある国技だ。先述の阿炎とか、宇良のような変り種はかつての角界では中々居まい。だがそれも必然。スタイルや制度は時代と共に変わっていく。緩和されるものはされていくのが自然だ。少なくとも、大衆人気という観点では、現代の方が昔よりも遥かに上なのではなかろうか。昔の取組をYoutubeなどで観ているとよく分かる。昔は幕内の取組でも国技館の客がまばらな場面がかなりあったが、今は客でギュウギュウだ。それは、今後も相撲が続いていくためにも良いことだと思う。

これからは阿武咲と高安の時代だ。と個人的には思いたい。そして二代目寺尾こと阿炎のキャラも見逃せないところ。時代は若い人間が本来引っ張っていくもの。また国技館に行きたい…。

二代目と言えば、もうすぐ月見バーガーの期間限定が終わりそうということで、今日の夜メシはマクドナルドでテイクアウトしたのだが、包装紙をよーく見ると「『二代目』月見バーガー」と書いてある。月見は好物なので毎年欠かさず食っているが、いつの間にこんな文言が追加されたのか。つか数週間前も食ったのに、全く気付かなかった。

一体、何が「二代目」なのか?

気になると言えば気になるし、ならないと言えばならない。ここしばらくのマックは何かにつけて大げさというか、芝居がかりすぎているというか、“作った感”満載というか、あからさまな仕込みネタというか、傍から見ていてイタいくらいに挙動不振なので。自分等だけで盛り上がってる感じかする。

かつて、てりやきマックバーガーとかの主要バーガーのトーナメントみたいなのがあったけど、そんなことして何になるの?というくらい意味不明だったし。最近だと、関西のナントカバーガーと関東のナントカバーガーの投票対決で関西が関東を下したとか。ん? で? という感じ。その投票結果を受けてウェブサイトの言葉遣いも関西弁にするとか、つまり何がやりたいの? と突っ込んでしまう、戦略上のプロモーションとして効果があるのか疑わしいというか、もうマトモに見てらんない。その話題、本当に世間で盛り上がってたのかよと。

だから、この時期にちょうど被せるように、ロッテリアあたりが「新てりやき」とか新しいバーガーのCMをこれ見よがしに流す。「独りよがりの話題作りより、大切なのは『質』でしょ?」と言っているかのようだ。「マックのハンバーガーはクオリティが低い」と言われているかのようだ。

まあマックのクオリティが高いとは言わないけど。にしても数十年前は、マックと言えば華やかで元気でスタイリッシュでクールで安価で美味しいファストフード店というイメージがあったものだが。スマイル0円の姉ちゃんのクオリティの高さは間違いなかったはずなのだが。

今ではウザガキと空気を読まないやかましい女や家族連れの巣窟。昔から家族連れは多かったんだろうが、今は到底近付く気になれないな。喫煙室を完全撤去する時点で俺のような人間に用はないんだろう。勝手にやってくれという感じだ。俺的には、月に1回か2月に1回程度のテイクアウトで十分。

まあ本当は近付きたくないんだけど、たまーにあのジャンクな味が恋しくなることもあるし、月見バーガーやグラコロといった昔からの限定メニューだけは毎年押さえておきたいところ。10年前からずっとそうしてる、ある意味歴史ある行事だ、俺等にとってマックのテイクアウトというアクションは。クオリティは低くても、「ずっと続けている」という事実だけでも人生に華を添えるものだから。

その月見バーガーは相変わらず美味い。と感じる。実際は不味くなっているかもしれない。そして本心を言えば、初めて食った頃の感動とか、5~6年前に感じた盛り上がりとか、そういうものは一切無くなっている。味に慣れてしまったのか、舌が肥えたのか、そのイベント自体に飽きたのか、いずれにしても殆ど惰性だ。

そんな状態で「二代目月見バーガー」などと言われてもな…。

調べたところ、初代(?)との実際の違いは、ソースの違いだけの模様。何だそれだけかよ?と。だが数十年続けてきたものを、少しでも変えるということは作り手としてはかなりの勇気が居ることだろう。だからって賞賛するという話ではないが、随分と長く作っているんだなというマックの歴史の長さに対する敬意みたいなものは確かに持っている。

あとは、その歴史で学んだことをちゃんと活かして、名前とか実のないプロモーションとかよりも、まずはクオリティを向上させることが第一だろうと言いたい。包装紙を開いたらバンズの位置が思い切りずれていたとか、中の具がこぼれ落ちていたとか、冷めていたとか、今日レジに立っていた店員兄ちゃんのあまりの愛想の無さは一体何だとか、根本的な改善点は色々あるだろ。

それらを少しずつでも修正していくことで、一つ一つのクオリティも向上し、結果末永く人々に支持されるようになるというもの。相撲の力士と同じだ。彼等だって若い頃からずっと厳しい練習と仕打ちに耐え、今の地位まで上ってきた。俺の好きな阿武咲にしたって、角刈りの序の口から序二段、三段目と這い上がり、幕下を抜けて十両に昇進し、その後もストイックに技術と精神を磨きながら、たった42名しか居ない幕内力士にようやく名を連ねることが出来たのだ。彼のように真摯に鍛錬している男なら、今の前頭を抜けるのはもうすぐ。近い内に小結、関脇と昇進し、いずれは大関になってくれることだろう。派手なパフォーマンスもそんなにないし、インタビューでのリアクションも無骨。しかし実力があるから問題なく人気がこれからも出る。本当に重要なのはただ一点。力だけだ。

マックも歴史の長さに胡坐をかいてないで、若い阿武咲の姿勢をもう少し見習うべきだろう。続ければいつかは花開き、開かずともその可能性だけは残り続け。続けるか、止まるか、いっそのこと引くか。少なくとも過去の栄光だけを頼りにするのだとすれば、それはもはや老害。

20170925(月) 上野シャンシャンと小池新党と牛すき豆腐は何となく語呂が似ているかもしれない

    

【朝メシ】
・家/無し
 
【昼メシ】
・職場付近/自作オニギリ
 
【夜メシ】
・家/牛すき豆腐、栃尾油揚げと丸ナスの醤油煮、白州グラスでリザーブハイボール、チーズケーキ(柏嫁友人土産)、チップスター
 
【暦】
月 長月(ながつき)
二十四節気 第16「秋分(しゅうぶん)」
七十二候 秋分初候(第46「雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ)」 Thunder Lowers its Voice
 
【イベント】
無し
 
 
【所感】
■睡眠不足は気のせい
朝7時過ぎに目覚めたが…眠い。疲労とか睡眠の質とは別の次元。純然たる寝不足だ。睡眠時間が足りていないという実感がある。

昨日は、山梨突貫日帰り旅行で帰宅が深夜過ぎだった上に、録画していた大相撲九月場所千秋楽をついつい観てしまった。結局、寝たのは深夜2時半頃。そして今日が7時起きだから、都合4時間半睡眠となる。いかにも短い。休みの前日ならまだしも、少なくとも翌日仕事を控える身でやることじゃない。

と常識人では思うだろう。しかし常識なんてものは、もう今の時代は無いも同然。時間という区切りもなく、全てがシームレスな時代だ。いつ何時でも誰かが起きているし、いつ何時でも誰かが寝ている。その『誰か』を自分に当てはめれば良いだけのこと。眠い、時間が無い、と考えるのは自分自身の思い込みだと考え様によっては言える。

そう。現実を悪く嫌だと捉えているのは君の心だ。
現実を真実に置き換えている君の心さ。
現実を見る角度、置き換える場所、これらが少し違うだけで心の中は大きく変わるわ。
真実は人の数だけ存在する。
だが君の真実は1つだ。
狭量な世界観で作られ、自分を守るために変更された情報、歪められた真実さ。
ま、人一人が持てる世界観なんてちっぽけなもんや。
だけど人はその小さな物差しでないと物事を計れないわ。
与えられた他人の真実の中でしか物事を見ようとしない。
晴れの日は気分良く。
雨の日は憂鬱。
と教えられたらそう思い込んでしまう。
雨の日だって楽しいことはあるのに。
受け取り方一つで別の物になってしまう脆弱な物だ、人の中の真実とはな。
人間の真実なんてしょせんその程度の物だ。だからこそより深い真実を知りたくなるがね。

という考え方から見れば、時間という概念もまた境界線のない曖昧なものだと捉えることも可能。僕は起きていてもいいかもしれない。そうだ、僕は観たい、大相撲千秋楽を観たい。僕は夜遅くまで起きてていいんだ…!

となるだろう。襲ってくる眠気も気のせい。起き抜けの集中力の無さも、自分の狭い常識がもたらすまやかし。最終的に、起きればよかろうなのだ。

と、いう感じで余計な物思いを次々と排除していけば、超短時間睡眠だとしても目覚めはきっと何処かハッピー。夢の世界にさようなら。目覚まし時計にありがとう。全ての夜更かしチルドレン達に、おめでとう。
 
 
■上野パンダ赤ちゃんの熱狂
そんなことより、上野動物園の赤ちゃんパンダの名前が決まった模様だ。名前は「シャンシャン」。「香香」と書くとのこと。これこそ紛れもなくおめでとうだ。

自身は無能なのに超高年俸の元旦那から支払われる高額な養育費を元手に、身の丈にも生来の品性にも相応しくない派手な生活をしたがり、その養育費で子供達をロンドンに住まわせて英才教育させるなどといかにも世間知らずが言いそうな薄っぺらい教育論を誇らしげに語り、それによって自身もセレブの一員になろうという浅ましい本心が透けて見える女モデルのような典型的な勘違い人間の子供の話題とかだとただイラつくだけだが、そういうのと違って上野パンダの赤ちゃんの場合は一点の曇りなく祝うことができる。

やはり人間同士だとダメだな。利害関係抜きでは見られないし、言葉が通じてしまう分どうしても思考に異物が混じる。それが嫌いな人間なら尚更だ。その点、動物は万能。憎まない、憎まれない。ただただ可愛いと思う。それがパンダとなれば尚更だ。

にしても、今回のシャンシャンの可愛さは群を抜いている気がする。姿形は当然として、その玩具みたいな変な動きとか、打算の極みなのに本人は全くの打算ゼロで動いているのが分かるその自然体すぎる無邪気さとか、カゴに入れられて頭からケツまでの体長をメジャーで測られるお決まりのシーンでの全く意味が分からいけどとりあえずされるがままになっている本人の我関せずな雰囲気とか、とにかく全ての挙動が愛くるしくて堪らない。生まれた時から定期的に公開される写真やムービーも欠かさず観てしまう。何度も。満員電車の中でもついつい観る。

パンダってここまで可愛いものだっけ? それとも今回の上野のシャンシャンだけが特別なのか? 和歌山のアドベンチャーワールドでも子パンダは観たけど、それらとも質の違う可愛さというか、この世でない何処かから来た物体というか。理解不能、説明無用の可愛さがそこにある。同じように感じる者も多いのだろう。だから今回の名前募集でも32万人とか桁違いの応募数が集まったに違いない。

とにかく、シャンシャンの動向から皆が目を離せない。名前決定イベントだけで各所が大いに盛り上がる。駅に隣接する数多の飲食店のスタッフも、面倒臭い客の相手を日々させられお疲れ気味なヨドバシの店員も、仲町通りの暗がりで妖しい視線を投げ掛けるキャバ嬢も、タバコを吸いながら「千円~っ、千円~っ、マグロ千円~っ」とやる気のないダミ声でマグロの中トロを通行人に売るアメ横のオヤジ連中も、制服・警帽に身を包み中央通りをパトロールするお堅いおまわりさんも、赤ちゃんパンダの一挙一動に一喜一憂。その経済効果、治安効果に思いを馳せては密かに胸を熱くする。こりゃとんでもない逸材が入ってきたものだ、と。

上野動物園を運営する東京動物園協会としても、胸が高鳴らずにはおれまい。失墜してしまった権威を取り戻す時が遂に来たと。復活の時が訪れたと。シャンシャンという最終兵器をもってして、上野動物園は再びパンダ御三家の筆頭に返り咲く。その復権への道筋は既に出来た。

思い返せば40年以上前。中国との国交正常化の象徴として来日したパンダを出迎えたのは、首都・東京の上野動物園だった。栄えあるパンダ第一号カンカンと第二号ランランを見物するため、日本全国から上野動物園には客が殺到。その栄誉に比べれば、他の二つの「パンダ御三家」など、神戸の王子動物園や和歌山のアドベンチャーワールドなど、しょせんは二番煎じ。我々上野動物園こそがパンダの先駆けであり、リーダー。パンダの代名詞と言えば上野動物園。これが不変の常識だ。

しかし、後輩だった和歌山アドベンチャーワールドの急進によって、上野動物園の存在は脅かされ始める。アドベンチャーワールドは、パンダの供給元であり所有権者である中国とのパイプを劇的に太め、瞬く間にパンダの繁殖技術や生育システムにおいて世界でも屈指の存在に駆け上がってしまう。その過程で上野動物園もあっさりと抜き去られた。王子動物園はそんな闘争など我関せずのマイペース路線を行っているので特に害はないが…。

気付いてみれば、アドベンチャーワールドこそが日本におけるパンダのスタンダードであり権威という風潮になっていた。「パンダの町」と言えば「和歌山県の白浜町」、それがパンダフリークの中での常識だ。

それに比べれば上野動物園など、努力を怠り過去の栄光に浸るだけの過去の遺物ですよ。「パンダの街」などと自任しているのは当の東京都と、周りの関東のいくつかの県くらいなものなんですよ。来場者が多いのもチケットの破格の安さのお陰、そして東京という人口過密な場所にある立地条件の良さに過ぎないんですよ。仮に赤字でも豊潤な資金を抱える東京都が補填してくれるから助かってるんですよ…。

と、しょせんはマスコミと神武館の組織の力で作られた虚像だったんだよ海堂は、と訳知り顔でうそぶく鬼道館の門下生のような口ぶりで評されてしまいかねないのが現在の上野動物園。パンダという分野においてアドベンチャーワールドに大きく水を開けられたとうい分析に反論する者もそうは居まい。

その酷評に歯止めを掛けるきっかけもあった。2012年、上野動物園でメスパンダのシンシンが出産したと。そのニュースに当時もやはり周囲が湧き上がった。しかしその赤ちゃんパンダは1週間もしない内に肺炎で死んでしまった。このとき大衆は、パンダの赤ちゃんが死んでしまったことに対する悲しみや落胆よりも、むしろ当時初産だったシンシンの母親としての不慣れやパンダの赤ちゃんの初期生存率の低さを知っていながら独自路線を貫こうとした上野動物園の面々に対する怒りが勝っていたはずで、適切な対応・管理を行わなかった同動物園に激しい非難を浴びせかけたはずだ。俺等も、何で数々のパンダ繁殖を成功させているアドベンチャーワールドをもっと頼らなかったんだ、などと思っていた。

そして調べてみると、上野動物園では1985年にも赤ちゃんが生まれたようだが、数日で死んでしまったという過去がある模様。ますます上野動物園の無茶ぶりが目立つ中、大いなる失望と共に上野動物園のパンダ熱は一気に冷え込み、暗黒時代が続いた。

そんな屈辱の日々に、遂に終止符が打たれる。苦節40年の年月の末に舞い降りた天使・シャンシャンによって。上野動物園が再びパンダ御三家の筆頭に返り咲く日が来たのだ。そう信じられる程に、シャンシャンは過去類を見ないほどにプリティー。

まあ全国の国民が待望した、というのは言い過ぎかもしれない。狂人的に盛り上がっているのは東京都だけかもしれない。しかし明るい話題であることに変わりはあるまい。その内、県外からも喜びの声が続々と登場するはずだ。オバマ大統領来日に便乗する形で勝手に盛り上がっていた福井県小浜市のように、全国各地に何かしらの経済効果をもたらすだろう。

たとえば鳥取県なんてアリかもしれない。鳥取には「しゃんしゃん祭り」という歴史深く伝統的な祭りがある。統制の取れた何千人という踊り子が、傘をシャンシャンと突き上げながら練り歩く地元では有名な祭りだ。鳥取の人達は控え目で商売っ気がないから何とも言えないが、上野動物園の赤ちゃんパンダ「シャンシャン」の名にあやかって大々的に「しゃんしゃん祭り」のことが取り上げられたのだとしたら、個人的には嬉しいなあ…。

(しゃんしゃん祭り)

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■小池新党
その「シャンシャン」命名について、東京都の顔である小池都知事も嬉しそうに報道発表の座に就いていたが、それよりも此度の解散総選挙に向けた新党「希望の党」結成についてのニュースの方が彼女にとってはメインだろう。都民ファーストで東京都政を席巻した勢いを駆って一気に国政への影響力も行使する。正直、都政だけに専念して欲しかったのだが、戦略としては間違っていない。

ただ、小池都知事がその新党の代表になるというのは予想外すぎる。ある意味、失望もしてしまう。しがらみがない状態こそ新たな国政は生まれるという都知事の理論は全くその通りかもしれないが、それでも都政のみに集中して欲しかった。やるなら東京五輪が終わってからにして欲しかった。

そう思う人間は多いはず。ちょっとタイミングが早すぎたんじゃないか。若狭議員や細野議員では到底支持を集めることなど出来ないと誰もが分かっていても、小池都知事以外は全員烏合の衆に過ぎないと分かっていても、急ぎすぎな感はある。いや、都知事自身が一番分かっているだろう。若狭じゃ話にならないと。細野もしょせん何をやったわけでもない凡夫。小池都知事だけが余りに突出しすぎている、元々無理のある集合体であるのだから、全てに関与せねば希望の党ひいては都民ファーストまで道連れ的に潰されかねないのだから。

小池都知事の見識や考え方は常人とは明らかに一線を画したものだし、安倍総理と同じく殆ど覚醒状態に入っている最中だろう。普通ではないビジョンを描いているはずだし、それが通れば恐らくエキセントリックでセンセーショナルな結果を導き出すかもしれない。

だがそれだけに、他の面子のオーラの無さが際立って仕方ない。信念も無さそうだし。元民進の使えない奴等を取り込んでどうするつもりなんだとか思ってしまう。ただただ魑魅魍魎が小池都知事という光の下に群がっているような、そんな異様な光景だ。足を引っ張るというか、ただ単にたかってるだけじゃないの、コイツ等? と思わなくもなかった。

純粋無垢な赤ちゃんパンダのシャンシャンに比べ、嫌になるほど醜い世界であった。
 
 
■牛と栃尾油揚げの、何と煮込みの合うことよ
晩飯は、牛肉と豆腐を割下で煮込んだいわゆる「牛すき豆腐」。牛肉と焼き豆腐の。醤油ベースの割下で煮込んだ美味しさというか、味の染み様と言ったらもう言葉に出来ない。本当に美味いよな。

そして以外と知られていないが、牛すきと同等なくらい醤油ベースの割下煮込みに合う具材が油揚げや厚揚げといったもの。特に新潟名産「栃尾の油揚げ」は、その幅厚な油揚げの中にまで割下の甘辛いジューシーな旨みが染み込んで、まさしく至上の味わいを提供してくれる。

可愛い赤ちゃんパンダを見れて、こんな旨いメシも食えて、全くもって幸せだ。
 
 
■そろそろ運動を
しかし、食ってばかりでも居られない。体重が一向に落ちないのと、腰痛が一定の状態まで回復したものの、それ以上には一向に改善しない。もう鍼治療には1年3ヶ月も通っているのに。まだ結構痛い。これは本当にマズい状況だ。

なので、せめて負担を軽くするため体重を落とすことを真剣に考えねばなるまい。同時に腹筋を再び付ける。トレーニングをすると腰が痛いけど、痛い内はやらない方がいいと一般的に言われるけれど、結局動かないでいても状況は好転しなかった。ならば痛みを我慢して1ヶ月くらい、腹筋運動をやり続けてみるしかない。それでどうなるか。痛くなればとりあえずは鍼があるし、今度こそ目覚めなければいけない…。

というわけで、今日の夜から運動を始めてみた。過去やっていた鬼トレはさすがに無理なので、動画で調べて腹筋中心のトレーニングおよび痩せることに特化した下記メニューを行う。

(1週間で5kg痩せるトレーニング)

やってみると、かなりキツかった。ハァハァ言った。汗もダラダラ出た。そして腰が痛い。やっている最中は多少麻痺しているが、終わって時間が経つと痛みがミシミシとやってくる。

しかし、効果はかなりありそう。汗を全身にかくというのもホント久しぶりだし。

とりあえずやってみるしかないな。成長したシャンシャンを片手で持ち上げられるくらいにはなりたいものだということで…。

眠気と食欲と心地よい筋肉の凝りと、不快な腰の痛みを共存させながら、上野動物園でシャンシャンがお披露目されたら朝イチで並ぶんだ、と楽しい妄想を頭に浮かべる俺だった。

20170909(土) 乗馬で正反動が出来ない悔しさ、馬やゾウに餌をやる楽しさ、温泉と酒の喜び

【朝メシ】
・家/アイスコーヒー
 
【昼メシ】
・東武動物公園西園レストラン(カレーライス、生ビール)
 
【夜メシ】
・西新井/居酒屋「甲斐路」
 
【暦】
月 長月(ながつき)
二十四節気 第15「白露(はくろ)」
七十二候 白露初候(第43「草露白(くさのつゆしろし)」 White Dew on the Grass
 
【イベント】
乗馬、温泉
 
 
【所感】
■早起きの辛さ
本日は乗馬の日。レッスン開始が朝9時と早いため、準備や移動時間から逆算して朝5時半に起床する。キュロットやグローブ、温泉用の着替えなどをバッグに詰め込み、シャワーを浴びて、腰痛改善ストレッチは一日たりとも欠かせないのでそれもこなして…。

にしても眠い。マジで…。胡坐をかいて何とか体勢を整えているが、少しでも横になったら昼まで熟睡しそうな勢い。1日はまだ始まってもいないのに早くも倒れそうだ。

昨日は夜メシを食ったのが深夜過ぎ。寝付いたのが1時前。単純に睡眠不足という側面もあるだろう。それは生理上の問題だから仕方ないとは言え、楽しいはずの休日にこんな体たらくでどうする…。

一旦寝入ってしまえば後はない。昏睡した時間だけ、楽しめたはずの時間を、機会を、場所を取り戻すことが困難になる。今まで何度も思い知ったはずだ。二度寝の罪を。味わったはずだ。目覚めてふと見た時計の針が指していた『8時』が、朝8時じゃなくて夜の8時だったと気付いた時の絶望感を…。だから寝るな、俺。出発まで何とか起きていろ、俺よ…。

起立せよ…!

嫁も同じく半分寝ているようで、夢遊病のようにフラフラしながらシャワー室へと歩を進めたり、正座して首だけを獅子舞のようにカクカクさせながら洗濯物を畳んだり、かなり危ない動きだ。大丈夫か?

でも馬にやるニンジンだけは、ちゃっかりと準備済み。ビニール袋にギッシリ詰まった細切れニンジンを馬達(主にパロム)に与えるのが嫁にとって最重要項目の一つというか義務。好きなことは頼まれなくても勝手にやる。かつ進んでやる。乗馬クラブに限らず、それが世間の不文律だろう。摂理と言ってもいい。逆に、本当に嫌なことは頼まれたってやりはしない。これもまた摂理だが…。
 
 
■花の愛で方にも個性
それでいい。楽しみ方は人それぞれだからだ。モノの見方、受け取り方、アプローチする角度、注目するポイント、あらゆるものが各人で違うのが人間の面白さだろう。

例えば今日の朝。乗馬のため西新井駅に向かって歩いている途中、俺等は綺麗に咲いたアサガオ(朝顔)を見つけたのだが、この朝顔一つ取ってもその場に居合わせた俺と、嫁と、亀六(亀のぬいぐるみ)とでは瞬間的に感じた認識はかなり異なるわけで…。

嫁がまず「綺麗な朝顔だね」と言った。人として至ってスタンダードな感じ方と言えよう。面白味に欠ける言い回しでもある。

対して俺は「ふーん、まあ確かにね」と殆ど上の空。朝顔にはあまり興味が無いからそのように素通りしたが、面白味がないというより聴いてて気分が悪いリアクションかもしれない。言葉遣いには気を付けたいところ。

しかし判断材料の軸として、興味があるかないか、道端の何気ない風景に心を向けられる余裕があるかどうかという観点が、当人のリアクションに大きな影響を与えるという厳然たる事実は見逃せない。

そのやり取りの後、亀六が「ユウガオは~、目覚めても~、アサガオになれない~」などと口走った。一体何のことかと訝ると、どうやらそれは平原綾香の「今宵も月」という歌の歌詞らしい。何で平原綾香?と俺などは思ったが、どうやら先週行った平原綾香コンサートのセットリストに入っていた模様。もう忘れたのかと非難される始末だが、俺としては平原綾香は大好きだけど、「スタートライン」とか彼女のミュージカルが俺は好きなわけで、全曲覚える気はさらさら無い。よって「今宵も月」なんて忘れて当然というスタンスだ。

しかし嫁や亀六としては俺のその適当さが気に入らないらしく、「朝顔だけじゃなくて昼顔も夕顔もあるんだよ」と薀蓄を披露しながら無知な俺を責め立ててくる。俺だって昼顔くらい知ってるよ、と反論するも、夕顔なんてあったっけ?という内心は一応隠して平静を装うのが精一杯。

そもそも「昼顔」という言葉には何かよくないイメージが出来てしまった。何でだろ…。そうだ、上戸彩が出ていた「昼顔 ~平日午後3時の恋人たち~」とかいうドラマのせいだ、と思い出す。美しい花を侮辱しやがって何のつもりだよ。しかもこのドラマ、フジテレビらしいじゃねぇか。ほんとフジ終わってんな。

などとネットで諸々調べて思った俺であるが、この間、数十秒も掛からない。馬の操縦は未熟でも、IT絡みの操作なら2級取得者レベルだと自任する。

そんなネット巧者の俺は、さらに朝顔、昼顔、夕顔の他に、夜顔という種類もあることを瞬時に突き止める。その中でも朝顔、昼顔、夜顔の3つがヒルガオ科で、夕顔だけがウリ科で仲間外れだという薀蓄も仕入れた。その後、理論武装した俺が早速、嫁や亀六に対して「これマメな」と昼顔についてドヤ顔で語ったかどうかは定かではない。
 
 
■個性という言葉の捉え方
このように、見方や感じ方はそれぞれで全く違うということ。注目するポイントが各々で異なるから、楽しみ方もそのポイントに沿ったベクトルになるはずで、生きてきた環境やそこで培ってきた価値観が各自異なるから注目するポイントも当然分散するわけで、発着点から既に三者三様だ。同じはずがない。この当たり前を認識するかしないかで思考の柔軟性に天と地ほどの開きが出てくるに違いないし、懐の深さにもきっと関わってくる。

そう考えると、「違っているのが当たり前」と言えるし、場合によっては「違っていていい」という言い回しになるかもしれない。人の真価は本来その『他者との違い』にこそ集約されるはずで、そこを画一化してしまうと一体何が何だか分からない。誰のために生きているのかも分からない。「違うことの自然」を認識した方が少なくともストレスは軽減されるはずだが…。

にしても、「違っているのが当たり前」という見方は、どちらかというと俯瞰的だ。上から超然と見下ろし見渡す視点というイメージがある。反対に「違っていていい」という言い方は、下から見上げるような趣だ。自分自身に言い聞かせるような、何かに立ち向かうような、強がりも似た空気を纏っているように見えなくもない。ともすれば悲鳴にも聴こえるが…。

このニュアンスの違いは一体何か。前者は余裕ある王者の言葉。後者は追い詰められたマイノリティの呪詛のような…。そう感じてしまうのは、俺自身がマイノリティだと自覚しているからか。平静を装いながら、実際は他者に惑わされまくりで超然と出来ない自分自身に対する苛立ちが、自らの思考を支離滅裂にさせるのか。

リアルの人間的交流は別として、記号としての情報開示や情報交換という観点において、ネットやSNSが発達した現代社会は一昔に比べて圧倒的に周囲との垣根が取っ払われている。他者の状況がすぐに見えてしまう。見たくなくても視界に入ってくる、耳に聴こえてきてしまう。自分の中に確固とした核を持っていないと周りの環境に容易に振り回される。周りの声に惑わされる機会が多すぎる。

便利で、しかしある意味生きにくい。それが現代社会だ。ガラスのように繊細な者は生きるのも辛いと感じるだろう。心が痛がりだから、あまり抵抗せず、突き詰めて思考することもなるべく避けて、軋轢を回避して、つまり流されるべきところは流されて…。

だが流されてはいけない部分もある。それが、守らねばならない個性。保たねばならない『個』であり、失くしてはいけない『核』なのだろう。それを無くすと、文字通り「自分を見失った」状態になる。自分を見失えば、周りも見えなくなる。視野がどんどん狭くなる…。

自分自身を省みると、どうか。流されていないつもりではいるが、果たして自分の視野は広がっているのだろうか、それとも日を追う毎に狭量になっているのだろうか。よく分からない。少なくとも自分を全否定した時が最後であるのは間違いない。肯定できる部分はなるべく残すか、新たに作るか…。乗馬だって、きっとその一環だ。
 
 
■否定から争いが生まれる
自分を肯定するのは人として当然。いや、肯定したいという願望がまずはある。そうでなければ自我を保てない。問題はその後だ。自己肯定の後はどうするか。他者も肯定するのか、できるのか。または自己肯定の反動で他者を否定するのか。自己を守るために他者を否定するのか。単に攻撃したいだけのサディストなのか。

あるいは他者の否定ではなく、かといって肯定でもない、いわば許容か。グレーゾーンにも似た曖昧さだが、一定のラインまで許容することで何とか折り合いを付けるとして、そのラインは誰が定めたラインなのか…。自分自身に他ならない。結局、どこまでいっても基準は本人でしかない。

その現実の下、他者との違いをどこまで許容するか。許容の後に肯定や敬意や賞賛という念が続けば良好な関係性となる。その念が本心からのものであれば、少なくともその人は狭量ではないだろう。頭の中での理論としてそう思っているだけならば、まだ見識が足りない。頭の中で思っていないけど表面上分かったフリをするのは偽善。ハナから理解しようとせず拒絶一辺倒ならもう末期。老害が陥り易いパターンだ。俺の身近にも何人か老害が見られる。まさしく害しかない存在。許容限度を越えた老害は消えてもいいと思っている。

それはそれとして、頭で考えることと実際口に出る言葉が同じであるのが基本はベターだろうか。思言一致とでもいえばいいのか、人として安定しているし信頼もできる。その言葉を現実の態度や振る舞いとして実践できれば言動一致。さらに信頼は高まるだろう。先述した懐の深さに関わってもくる。懐深い人間には、説明できない魅力が自然と備わっているもの。老害には生涯と全財産を掛けても得られない資質だ。

それでも基本的に、人間というものは自分中心だ。「自分はこう考える」「自分はこう思う」、あるいは「こうだ」という断言も、しょせん本人だけのもの。他者からの同調を得たとしても、その他者は本心から同調しているのか分からない。面従腹背ならまさしくピエロ。ポリシーや流儀といった言葉も、言い方を換えればマイルールであり、もっと言うならただのエゴ。世の中の仕組みとは、人間同士のエゴの押し付け合い。この図式を塗り替える手法は現時点で到底見つけられない。

己を知り、他も知ることの難しさがここにあり、争いやいさかいが絶えない理由もまたここにある…。

楽しいはずの乗馬においてすら、その「各々の楽しみ方がある」という部分を全員と共有できそうにない。そう感じるシーンも多いし、まさしく今日の乗馬クラブでもその一端を味わった。馬のつぶらな瞳に癒されるとか、そんな生易しいことも言ってらんないな。そう、分かっているんだ。いや、分かっていたんだ、ずっと前から。あの場所もまたエゴの塊であり、我が激しくぶつかり合う人間世界なのだということを…。
 
 
■一筋縄ではいかない乗馬クラブ事情
俺等が入会している東武クレインにて、今日受ける予定のレッスンは2つ。1つ目は朝9時からのベーシックA~馬場。インストラクターは河東氏(仮称)。2つ目が、11時半からのベーシック馬場。インストラクターは鬼頭氏(仮称)だ。3月から通い始めていつの間にか半年経ったが、まだまだ初心者の側と言えよう。自覚十分だ。何しろ未だに頭絡の付け方を忘れる始末だからな。

ただ、乗馬をやっている最中は楽しい。シンプルにそう思う。クレインも色々な評判があるようで大変そうだが…。
例えば、

クレインは他のクラブと違って馬具販売の営業攻勢がすさまじく、金が異常に掛かる。最初に聞いていたのと違うという理由で辞めた会員は数知れず、あるいは資金的に付いていけず退会せざるを得なかった切ない話も数知れず。という巷での定説とか。

本来は上流階級のスポーツだった乗馬を広く大衆に普及させたのはクレインの功績だという声が多い反面、営利主義に過ぎると陰口も叩かれているようだ。その陰口に対しては、最低限必要な管理費を賄うため、経営を維持するため、競馬その他多くの馬業界から引退した馬達を引き取るための受け皿として存続するためには営利を求めるのも已む無し、というのがオーソドックスな反論だ。しかしこの論争に決着が付くことはない。過去から延々と繰り返され、今後も変わることなく繰り返されるだろう。

ただ、「クレインはコストが掛かる」という説は自分の中にも実感としてなくはない。定期コスト以外の臨時出費が多い気はしている。このハイペースで金が飛んでいく感覚は、まるでパチスロ吉宗で大ハマリを喰らっている時のようだ。冷や汗が止まらない…。まあ基本的に趣味というものは、しっかりやればそれなりに経費が掛かるもの。気にしすぎると楽しめなくなってしまうし、続けられる間は続けたいと思っている。

しかし、コストが掛かる割には毎回同じようなレッスン内容ばかりで新しい技術がなかなか習得できない。結果、上のクラスになかなか上がれない。という分析もクレインに常に付きまとう。これは生徒の安全を最優先、事故はご法度というクラブの方針があるためスパルタなトレーニングやハードな反復練習を避けるからだとか、個人レッスンではなく部班による合同練習が基本なので1人1人を細かく指導できないのが理由だとか、敢えて遅々として進まない部班レッスンを取って長期的に騎乗料を吸い上げるシステムこそがクラブの営利主義を如実に表しているだとか、ネット上ではまことしやかに語られている。

真相は知らない。ただ、個人的にはもっとハードにしごいてくれても問題ないと思っている。負荷を掛けずして上達するはずはないし、上達したいのなら相応の負荷は覚悟するべきだし、むしろ歓迎して然るべき。ぬるま湯ほど不幸な生き方はない。

あと、クレインを端的に表す言葉として「メリーゴーランド」という単語がよく使われるようだ。部班レッスンで馬に乗った生徒達が、埒で作られた円をただグルグル回り続ける光景がメリーゴーランドに似ているからそう呼ばれている、と聞いた。だからクレインは成長ペースが遅いのだ、とも。

ただ、遅くても上達はするのが人間。そして同じ時間でも、工夫によっていくらでも密度を濃く出来る。手綱の握り方、脚の使い方一つ取っても、自分で考え、いちいち意識し、緊張感と集中力を保って実践するのと、ただ惰性でメリーゴーランド内を回っているだけとでは天と地の差が生じる。と、インストラクターの先生方から言われてからというもの、自分なりにそれを実践しようと一応試みている。だから自分の中では意外と中身が濃いし、結構疲れる。この「疲れ」もまた充実感の基であるが。

俺としては技術向上のために鍛錬していると自分で納得できているのなら十分に充実感を得られる。また馬にボディタッチできることも得がたい時間だ。乗馬している間の精神状態は総じて悪くない。楽しいと思う。それだけじゃダメなのかね?

まあそれだけじゃダメなんだろう、きっと。しかしその要素を外してしまったらそれこそ意味が無くなってしまう。楽しさを忘れた趣味は、もはや趣味じゃない。ただでさえ腐臭漂う魑魅魍魎の日常を生きているのだから、せめて乗馬の時間くらいは楽しくやりたいものだ。他者への嫉妬とか蔑みとか、そういった悪感情とも無縁で居たい。
 
 
■あまり聞きたくない人間関係
悪感情…。自分で吐き出すのも避けたいし、他者が口にしているのを聴くのも正直避けたいところだ。皆、楽しくやろうぜ、と。

いや、概ね皆が楽しくやっているように見える、傍目には。館内ロビーとかテラスでは、生徒と先生で、あるいは顔見知り同士で楽しく談笑している風だし。厩舎ではオキニの馬に話し掛けながら餌をやったり、その顔は幸せそうだ。洗い場でも和気藹々とした雰囲気が見て取れる。基本的には優しい人種だと思われる。

それもそのはずというか、ここに通う人間は例外なく馬が好き。嫌いなら来るはずない。で、馬が好きなんだから多分動物全般が好きだと推測。そんな人間が優しくないわけがない。

だから、厩舎で勝手に餌をやっていても誰1人咎めない。餌に毒とか盛るヤツがいたらどうすだよ、などと最初の頃は心配していたが、しばらくして無用な心配だと考え直した。なぜなら馬好きな人間が馬に害を与えるわけがないとからだ。つまりは性善説…。

その大前提の下で乗馬クラブは成り立っている。また現実にそういった事例が無かったから今でも制限されてないんじゃないのかな、とも思う。コンサート会場や観劇場での爆破テロが珍しくなくなった世界の昨今、日本では荷物検査があまり厳しくないのも、人件費や手間以前に爆発物を持ち込むヤツなんて居ないという性善説に基いての緩和に違いない。乗馬クラブも同じ理論。

だからこそ逆に、事が一旦起こってしまえばもはや規制を入れざるを得ない。いちいち検査せねばならない。見張りを立てて、監視カメラを設置して…。だがなるべくなら入れたくないし、今のところその必要性もないから放置しているだけ、現実に事が起こらない限りは…。乗馬クラブも同じ理論。

そんなギリギリのラインを背に、運営側は客達の良心を信じて規制の手を緩めている。利用者もその事実を認識しているから、自分が足を引っ張らないよう自らを律する。そんな暗黙の了解や信頼関係で成り立つ世界を事も無げにぶち壊してしまうから、そんな存在に対して人は、大いなる非難を込めて“テロ”と呼ぶのである。

乗馬クラブに通う人間は馬好きで、優しい。これが覆らないスタンダード。好きな馬の居る場所で怒ったり、罵り合ったり、文句を言ったり、争ったりするはずがない。という論法は一応筋が通っている。

だがその優しさは、馬がまず存在しての優しさだ。会員の無償の優しさも愛情も、少年少女のような無垢な心も、何より先にまずは馬に向けられる。いわば馬限定の愛。同質量の愛情や労わりが人間にも与えられるということにはならない。人間に対しては、あくまで外の世界と同じ人間同士のコミュニケーションだ。それはもう本人の性格や資質が全てであり、馬は全く関係ない領域となる。

“馬好き“というステータスは全員共通なのに、”対人間”に及ぶと途端に齟齬が生じ始める。「馬愛=人間愛」とはならない。よって、耳を傾ければ陰口が飛び交い、声には出さねど嫌悪感や蔑みの混じった空気が漂い、目を凝らせばあからさまな態度の硬化や見下しの表情が視界に入ることもある。それは日常と何ら変わらない人間社会の一部。
 
 
■先生に対する評価と好き嫌い
たとえば今日の送迎バスの中。いつもと比べ、東武動物公園駅で送迎バス待ちをする人間が今日は圧倒的に多かった。その理由は確か、毎月前半の土曜日が専用馬の抽選会だったからだと記憶しているが、専用馬を申し込むだけあって、少なくとも俺等より上級者であることは疑いない。実際、申込書を10枚以上持っている強者も見られたし、違う世界の生き物を見ているようだ。

その上級者同士でも顔見知りらしく、混んだバス内では各所で楽しくお喋りしていたのだが、インストラクターの評価について結構辛辣なことを言っている人も居た。「○○さんはノリが軽くて嫌だ」とか「○○先生は無愛想だから合わない」とか、まあ次から次へと出てくるインストラクター品評会。そりゃあ人によって好き嫌いはあるだろうけど、教えてもらってる立場なんだし、もうちょっと穏便に。陰口叩くにしても、努めて面白おかしく話すようにしては欲しいところだな。ネガティブな内容をそのまま言うだけじゃあ芸がない。笑い話に変換できることこそ話し手として必要とされる器量だと思うのだが。俺等は基本どの先生も好きなだけに、あまり聞きたくはない話題だった。全く以ってドロドロしている。

中でも一番気になったのが、「○○先生は下のクラスの人達には人気だよね」と車内の誰かが言ったこと。それは言外に、「私達上級クラスからは人気がない」、もっと言えば「嫌い」と公言するに等しい。俺、その先生かなり好きなんだけど…。

つか『下のクラス』って何だよ、『下のクラス』って。マッタク何て言い草。上から目線にも程がある。そういうアンタ等にだって『下のクラス』だった時代があっただろうに、それを忘れてないか? その時代、自分が同じことを言われたらどう思うのか、少しは考えたのか? 第一、その『下のクラス』の時、助けてくれたのは誰か。初心者丸出しの挙動に目をつむり、温かい目で見守ってくれたのがインストラクターなんじゃないの? という気持ちを抱いた次第だ。

この感覚は決して正解とは言えない。人間の感情は一面だけでは計れないからだ。過去、嫌なことをされたなら、それだけで拒否感を抱くのが自然だ。しかしその感覚は間違ってもいない。俺には、時間が経ったからと言って過去世話になったインストラクターを悪く言うことは出来ない。例外は当然あるが…。

その例外として、レッスンは殆ど受けてないけど、洗い場とか馬装絡みで直近に何度か嫌な思いをさせられたインストラクターは居る。少なくとも俺等はそう受け取った。そんな嫌そうな顔しなくていいだろと。そう考えると、バスの中で批評していた『上のクラス』の方々も、過去色々と切ない思いをさせられたのかもしれないな。人間の心は一筋縄ではいかない。
 
 
■熟練の会員は他者を見下すものなのか
それは対インストラクターだけに留まるまい。会員同士でも、表には出ない無言のプレッシャーや激しいバトルが繰り広げられていることを、俺はここ半年の乗馬クラブ通いで思い知っている。

典型的なのは、先の言い方を借りるなら、下のクラスの人間に対する上級者の態度。明らかな蔑みの表情が見て取れる。もちろん全員ではない。しかし上級者になればなるほど、その率が高まる気がするのは決して気のせいじゃない。疑いもなく、そこには見下しのオーラが漂っている。

例えば今日、嫁が洗い場で馬装解除をしている時のこと。これからは上級者、下級者という言い方で統一することにするが…。その馬はすぐに別の会員が使うようで、嫁は馬装だけ解除していた。次に使うのは上級者だ。嫁はまだ下級者なので。そこまでスピーディに出来るレベルでもない。そこで嫌な思いをしていたようだ。

こういうケースで上級者にありがちなのが、馬装に手間取る下級者を「何ちんたらしてんのよ」という目で見下すという構図だ。言葉には出さずとも態度で表す。ジト目で睨み付けたり、溜め息を吐いたり、こちらが話しかけてもシカトしたり、あからさまなプレッシャーを掛けてくる。やられている側にはそれが分かってしまう。なぜなら目が笑ってないからだ。

嫌味な性格になると行動はさらにエスカレートする。例えば腕組みした指をトントンと鳴らしたり、足でコツコツと地面を蹴ったり。そのリズミカルなコツコツ運動が、どれだけ下級者に精神的ダメージを与えているか上級者は知る由もない。だが知る必要もない。上級者にとって下級者は無価値、取るに足らない存在だからだ。

そう。上級者は下級者と関わることに何のメリットも感じない。優しく教えることなんてせず、むしろ冷たく当たる。話し掛けられてもシカトする。思い知らせるために。お前は道端に転がる路傍の石なのだと、同じ空間に立つんじゃないと…。

場合によっては邪魔だとすら思う。道端に無造作に咲く雑草のように。だからとことん冷徹になれる。刈り取る、邪魔な雑草を。放つ、禍々しいオーラを…。人間としては選ばれし聖戦士の俺だけど、乗馬となれば分が悪い。上級者という名のオーラバトラー達が繰り出すハイパーオーラ斬りにはひとたまりもない。

などと書いている内に無性に腹が立ってきた。まるで乗馬クラブがこの上なくヤクザな場所のようではないか。そんなことは全然ないんだが、上級者はテキパキ動けない下級者を人として扱わない風潮は少なからずあると思われる。その際、相手に分かるような苛立ちのアクションを敢えて取るという点も狡猾だ。

ここで一旦、先に述べた嫁の馬装解除時の不愉快事についての話題に戻ることにする。嫁が馬装解除している時、傍から見ていた上級者が何をしていたかというと、ジト目で嫁を睨み付けていたらしい。それは嫁が馬装解除に手間取っていたことに対してかと最初は思った。しかしどうやらそうではなかったらしい。どこかのタイミングで馬がボロをしたようなのだ。物語はここから急展開する。

馬がボロをした。本来ならそそくさと掃除するところだが、嫁はボロをしたことに気付いていなかった。しかし上級者のガン付けは一向に止まない。何でそんなに怖い目で見るの?と嫁が怯えてながら上級者の様子を伺っていると、上級者は心底堪らないと言った表情で、ハァーッ!と深い溜め息を吐いた。そして直後、嫁に対して馬がボロをした場所を指し示したのだ。手や指じゃなく、アゴで。「あんた、そこにボロあんでしょ、バカなの?」とばかりの態度でアゴをクイッと動かしたわけだ。口で言えよ!

と、嫁はその時心の中で憤ったとのことだが、俺も全く同感だな。普通に教えてくれりゃあいいものを、わざわざ挑発的で侮辱的なパフォーマンスを繰り出す性根。人を人と思っていない証拠であり、驕りと高ぶりに満ちたワンシーンと言える。お前だってボロの掃除すら出来ない素人時代があった癖に。お前はインストラクターか? クレインのオーナーか? ただの会員だろ。偉そうにすんな。

と、ますます腹が立ってきたついでに、俺が経験した上級者達の驕りを一つ挙げてみると…。

俺がレッスンで使う馬を上級者が使っていて、洗い場で戻ってくるのを待っていた時。戻ってきた後、その馬自分が使いますんで~と伝えたら、眼中にないとばかりに無視された。どう見ても聴こえているはずなのに。さらに、当時自分で馬装を一通りするのは殆ど初めてだったので、気を紛らわすためにその上級者に一言二言話しかけてみたが、これもまた完全スルーされた。こっちとしては熟練者に敬意を払ったつもりだが、上級者は俺の姿など目に入らないといわんばかりのスタンスだ。結局、その上級者は、自分の馬装を外すと無言でスタスタと去っていったのだった…。

何様だよこのジジイッ! 無想転生を会得したケンシロウに恐怖するラオウのごとく拳をワナワナと震わせながらジジイの後姿を見送ったあの日のことを俺は忘れない。

他にも似たような事例があったな。上級者の前で自分が馬装解除する前のことだったか。俺はその時、次の人のために馬装を解除するケースと、馬装解除しないで次の人がそのまま使うケースとの2通りがあることをあまりよく知らなかったのだが、とりあえず上級者に向かって「えーと、これは馬装を解いて、いいんですかね」と恐る恐る聞いてみた。それに対し上級者は、「自分の鞍があるんで」と、波打ち際に打ち上げられたイワシを見下ろすかのような能面顔で言い放った。

俺としては「はあ…鞍…ですか?」という心境だが、上級者の言いたいことは汲み取れなかった。「自分の鞍を持ってるから、今馬に乗せている鞍は外して下さいね。馬装は解除して下さいね」と普通に言ってくれりゃあいいのに、わざわざ能面顔で「自分の鞍があるんで」「自分の鞍があるんで」の一点張りだ。だから何なんだよ! と言いたくなるような典型的意地悪ババアのことも、俺は決して忘れない。この種の人間は、相手が嫌がるようなことをむしろ意図的にやるという点で共通している。

他にも事例がいくつかあったけど、大体はシカト系、あるいは威圧系だったと記憶している。大体は洗い場での馬装時だ。というか洗い場以外で上級者と関わることなんてないがね。上から目線とか、小馬鹿にしているとか、さも呆れた風なジェスチャーを取るとか、そういうこと以前に人としてのコミュニケーション能力に疑問を呈したい俺である。

乗馬クラブに限らず、同じ場所に長く居ると人は勘違いしがちだ。その場所が自分の場所であるかのように錯覚する。自分の常識がスタンダードであり、自分のルールが正しいルールだと無意識に考えるようになる。経験が多くなればなるほどに、自分は何でも知っていると思い込みがちだ。その思い違いが傲慢な態度として表に出る。他者に対して攻撃性が高まる。さらに、その相手が自分より劣ると判断したら容赦はしない。

大いなる勘違いだ。そこはソイツ専用の場所でもなければ、ソイツ中心に他者が動くわけでもない。皆が1人1人、自我と意識を有した一個人なのだ。しょせん、自分は数多く居る会員の1人に過ぎない。その当たり前を正常に解釈できない時点でもう自身を制御できていない。馬のコントロールは上手くとも、人の心をコントロールできない。そういう上級者に遭遇して嫌な思いをした下級者は、俺の他にもかなり居るはずである。

だからこそ俺は、そういう上級者達を見る度に「自分はこうはなりたくない」と自問する。反面教師はどの世界でも履き捨てるほど居るということ。相手が上級者だろうが、経験の浅い初心者だろうが、自分からは努めて明るく、決して攻撃の意を示さず穏やかに。

今日のレッスンでも、自分が乗った後、洗い場に戻した時、恐らくベーシックBあたりと思われるメガネの姉ちゃんが待っていた。次は自分が使うからと。かなり自身が無さげな表情。馬装もまだ自分では出来ないクラスだ。なので俺としては笑顔で「じゃあ馬装はこのままにしておきますね」と爽やかに言い放ち、あとは一言二言声を掛けてクールに去ったわけで。それだけでメガネ姉ちゃんはどこか安心したような表情になる。

全く以って何もかも円滑に進むやり取り。しかもそれは。何の労力もなく簡単に出来る仕草。ちょっと笑顔を見せるだけで世の中は円滑に進むのに、嫌な顔をする理由なんて一つもないのに、何でそれが出来ない人間がこの世の中には多いのだろうな。不思議でならない。エレベーターから出る時、『開』ボタンを押してくれている人に「どうもありがとうございます」と謝意を伝えるだけで大変良好な雰囲気になるのに、わざわざ不機嫌そうな顔で出て行くのは何でだろうな。不思議でならない。
 
 
■いい人も当然居ますがね
こんなことばかり言うと、上級者は高慢でいけすかないマイペース野郎ばかりで、乗馬クラブは悪の巣窟のように思えてしまうが、上級者の中にはいい人だって当然居る。そういう人にも何人も会った。

シチュエーションは、先と同じく洗い場の馬装前後になるが、明らかに自分より上の人が馬装を親切に教えてくれたこともあるし、自分が次に乗る馬を指して「この馬はなかなか暴れ馬ですから気を付けてね、ハハハ」と和やかに話し掛けてくれたり、次に遣う上の人が「プロテクターは自分のがありますので、プロテクターだけ外しといてもらえばいいですよ~」と丁寧に指示してくれたり。

嫁も何度か上級者に教えてもらったとか言ってたな。特に印象的なのが、2級だか何だか結構上のライセンスを持っている人が居て、その人の顔を嫁は何故か知っていたわけだが、あるとき嫁が連れてくる予定の馬が厩舎に居なかったことがあった。その時はちょうどインストラクターも見当たらず途方に暮れていたところ、その2級の人が「ふーん、そうなんだ、じゃあ一緒に探そっか♪」と嫁を助けてくれたとか、そんな話を聞いた。まるで我が家のごとくスタスタと歩いていく2級保持者の様子はまさしく主(ヌシ)の風格だが、同じ主でも我が物顔で下々の者達を苛める主か、優しくしてくれる主かで見解は180度異なるのは言うまでもない。とにかく嫁は、相当感謝していたようだった。

こういう人達を見る度に「自分もこうあるべきだ」と考える。反面教師と同じく、見本となる人間も多数居るということだ。少なくとも自分はこちら側の人間でありたい。
 
 
■同じ境遇同士の結束は自然と固くなる
そんな感じで、上の人達の人物批評をしてみたわけだが、やはり同じレベルのレッスンを受けている者同士は打ち解けやすいのだろうか。現在俺はベーシック馬場だが、ベーシックC、B、A、そして馬場と、その時々に顔を合わせていた面子と楽しく話したことも結構あったし、コミュニケーションもマトモに取れていた。

まあ同窓生とか同期生みたいなものだろう。全く違う場所に居るよりも、同じ境遇に居る人間に親近感を感じるのは人間としてごく当然の心情。互いの気持ちが分かるからこそ通じる話もあるし、心の壁も薄くなる。

まあ、そんな同期生達も、いつの間にか殆ど姿を見なくなってしまった…。青年、年配男子、女子、年配女子、小学生…、それこそ色んな世代の同期生が居て、知る限り20人くらいと一定の会話をしたような記憶があるが、現時点で「やあ、これはどうも」と言える相手は3人しかいない。

その内1人は俺等よりもさらに上のコースに行っている。顔を見れば挨拶くらいはする。もう1人は小学生の男の子。彼に付き添っている母さんとも会えば談笑できる関係。あと1人は、顔は前から知っていたが話したことはなく、だが同じベーシック馬場で先週その人と2人だけでレッスンを受けたのがきっかけで、色々と話をする機会があったため顔見知りとなった。

だが、その他かつては顔見知りだった人々は、少なくとも俺等がクラブに通う土曜日には姿を見せていない。遥か上のクラスに上っているか、曜日を変えたか。辞めてしまった人も相当数居るように思われる。理由はきっと諸々。それが人の世とは言え、寂しいものだな。

誰もが生活の中に『軸』というものを持っている。仕事であったり、家庭であったり、自分を高めるための学業やスポーツ、創作活動であったり、心の中に掲げるミッションやライフワークであったり、そして趣味であったり…。

ひたすら上を目指す人間以外の多くの民にとって、乗馬は趣味の部類だろう。各自が目標を持って励んでいても、やはり趣味の領域だ。やっている内に、趣味の範疇を超えて生活の軸の中に組み込まれる者も居る。あくまで趣味としてのラインを崩さない者も居る。だが生活の中で優先順位が低まれば、自然と軸から除外されるだろう。

軸の変化は環境の変化。趣味もまた環境に大きく左右されるもの。だから趣味は生活の軸から外れやすい。それがなくては生きていけない、それをせずにはおれないという、衝き動かされる何かがなければ、趣味はあくまで趣味なのだ。もう居ない人達の中で、乗馬は生活の軸ではなくなったというだけのことだ。

それでもやはり一抹の寂しさはあるな。1日24時間365日の中、ほんの月数回、さらに数十分だけしか顔を合わせない面子。だが毎日数え切れない見知らぬ人間達とすれ違うだけで終わる日々だけに、その数十分の交わりに貴重な縁を感じるのもまた事実。社会的生き物の人間にとって、心の安定は自分にとって特定の何かが在るという事実によってもたらされるものだ。この場合は特定の相手が居るという事実。それがほんの僅かな触れ合いだろうとも。
 
 
■乗馬の上達度
と、気付けば精神論、魂論ばかり述べている。悪い癖だ。肝心なのは乗馬だというのに。ということで、今日はレッスンを2鞍受けた。現状、俺のクラスはベーシック馬場。今日の2鞍で8鞍目と9鞍目になる計算だ。

いつの間にかそんなことに…。正反動もロクに練習してないのに、見極めとか正直やりたくない。少し前、正反動なんてベーシック馬場では殆どやらなかったせいで上に行ってから苦労した、という話を同席した人に聞いてから、中途半端な状態で先に進むことに躊躇いを感じる。もっと早く教えてくれよとインストラクターに愚痴りたくなるが、自分のためにも、正反動をもっと練習してから次に行きたいところ。あーあ、今日正反動やってくんねーかな。

と思っていたところ、1つ目のレッスンである9時からのベーシックA~馬場で正反動をかなり練習させてくれた。今までベーシック馬場で正反動の練習など殆どなかったのに。しかもA~馬場で。インストラクターは河東氏である。
 
 
■ベーシックA~馬場
河東氏は、常歩、軽速歩、とお決まりの流れでしばらくレッスンして時間が半分くらい経過した後、「ここにベーシックAの人は居ますか~?」と質問し、皆が首を振ったのを確認すると、安心したように「じゃあ今日は正反動をやりましょうか!」と、何故か嬉しそうなドヤ顔で宣言した。そのドヤ顔が数瞬、俺の方を向いていた気がする。「せかやらゆうたでしょ?」と言わんばかりだ。その熱い視線の意味に俺は気付いた。

というのも、ちょうど先週の土曜も、今日と同じく9時からのベーシックA~馬場を予約していた。担当は河東氏だ。彼のレッスン自体、数ヶ月ぶりで楽しみにしていたが、あいにくの大雨のためキャンセルしてしまった。その後見たら、場所をインドアに変えて普通にレッスンしていたのだが、キャンセルしてしまい河東氏に何となく申し訳ない気がしていた。

そこから天候は晴れに向かい、午後のレッスンを受けようと洗い場で馬装しているところに件の河東氏が通り掛かった。彼は「佐波さん! 今日は残念でしたね~ぇ」と笑顔と哀愁入り混じる顔で話しかけてくる。俺は、雨じゃなかったらキャンセルしなかったのに、ていうかまさかインドアでやるなんて気が付かなかったですよ~、などとおどけたポーズで弁解しつつ、「川東さんのレッスン久しぶりに受けたかったんだけどなぁ~ッ!」とおだてることも忘れない。

その時「レッスンで何か不明な点とかありますか?」と聞かれたので、「実は正反動を全然やってなくて、マジ不安ですわ」と関西風に不安を吐露してみた。それを聞いた川東氏は、「おお正反動ですか、なるほど! まあ僕がやる時はみっちりバッチリ正反動やりまくるんですけどね~」「じゃあその機会があったらお願いしますよ」などという会話をしたのが先週のこと。

そして翌週である今日、河東氏のレッスンに普通にぶち当たった。彼は恐らく、先週俺が「正反動」「正反動」と呪文のように繰り返していたのを見て、今日かなりの時間をそれに割いてくれたのだろう。なかなか義理堅い川東氏であった。

俺だけでなく、他のレッスン生達もかなり喜んでいる模様だ。聞くに、彼等もやはり俺と同じく正反動を殆どやっておらず不安だったとのこと。俺自身だけでなく他の人達の役にも立てて非常に嬉しい限りだ。

1人だけ、前回ベーシックAを卒業したばかりで今日がベーシック馬場初めての小学生の男の子が居たが、彼にとっては初っ端からいきなり正反動やらされて何が何だか分からなかったに違いない。ちょっと悪いことをしたかな。ただ、後半になっても滅多に練習できない正反動を1回目から経験できるというのは考え様によっては超ラッキー。彼のためにもきっとプラスになるだろう。子供が難関に挑戦する姿を見るのは中々良いもの。俺も嫁も、顔見知りのその男の子のことが結構好きなので、彼には大会とかに出るくらい上手くなって欲しいと願う。

というわけで、インストラクター河東氏の機転によって、大いに正反動の練習が出来た朝のレッスン。正直、ボヨンボヨンと馬に跳ね飛ばされるだけで、あまり習得できた感はない。ミーティングの時、河東氏が右手を馬、左手を騎手に見立てて「正反動のタイミングが合わなかった時はこう、ボンボンボンッ!と余計に突き上げられます、分かりますね?」などと実演してくれたりもしたが、理論では分かっているが実践は多分もっと難しいだろうな。感覚は結局自分の身体で掴むしかないのだ。

何事も慣れるのが必要で、そのためには回数をこなすことが必須。軽速歩だって最初は全く出来なったが、今では気軽に出来るようになっている。きっと正反動も同じだ、と思いたい。

あと、正反動の指摘だけでなく、河東氏からはレッスン中に色んな指摘を受けた。手綱が長いとか、両拳が上に上ってしまっているとか、他のインストラクターにも注意されている項目も多かったが、「なるほどそうだったのか!」と気付かされることも多かった。

例えば馬上での姿勢だが、俺が常歩しているのを見た河東氏が「佐波さんは馬体の挟みがちょっと甘いですね、バランス悪くなりますよ」と言った。その後、「膝で押さえてる感じがします。そうじゃなくて太股で挟んで、内股気味で、でも膝はむしろ離して、そしてふくらはぎでも挟む。鐙を踏む足は内股気味のイメージで。そうするとバランスが取れてぶれないですよ」と説明した。

おお、なるほど! と俺は目から鱗が落ちた気分だ。今まで軽速歩の時なども、たまに左右にぶれるような、あぶなっかしい感覚を何度も味わっていた。多分馬上でのバランスが悪いのだろうと、下半身がしっかり馬体を捉えていないのだろうと。

そう考えると、軽速歩は出来るのに、常歩しながら立つのが苦手だった。ベーシックBあたりまでは普通に出来ていたのに、いつからか立ったまま歩くことが出来なくなってしまった。鐙の踏み方や姿勢が安定していないということなのだろうが、その原因がどうにも分からないまま現在まで来てしまい不安だったところ、今日の河東氏の言葉でピンと来たわけだ。言われた通りにやってみると、かなり安定するようになった、気がする。そのアドバイスを踏まえ、ずっと太股とふくらはぎを意識しながら馬に乗っていた。

恐らく他のインストラクターからも似たような指摘を受けたはずだが、今回の河東氏のアドバイスがやけにすんなりと入ってきた気がする。彼のレッスンは10鞍ぶりくらいで、しばらく彼の指導の声を聴いていない。だから余計に彼の指摘が新鮮に感じたのかもしれない。久しぶりに会ったのでいつもよりも燃え上がる恋人同士みたいなものか。

また河東氏にしても、しばらく俺の乗り方を見てなかったため、パッと見でおかしい部分が一瞬で分かったのかもしれない。例えば、身長120cmの小学3年生の男の子が高校3年時に180cmまで伸びたとして、彼の両親は毎日子供の成長を見てるから、あくまでじわじわと大きくなった程度の認識だろう。しかし6年間彼に全く会っていない親戚が180cmの彼を唐突に見せられたとしたら、「あら随分大きくなったわね!」とまずはそのすさまじい成長振りに反応するはず。サウザーが久しぶりにケンシロウに会った時、開口一番「でかくなったな小僧」とゴツい肉体にまず目が行ってしまったのと同じだ。ベーシックAの最初の頃の俺しか知らない河東氏だからこそ、時間を経て変わり果てた俺の姿を捉えやすかったに違いない。

この「太股とふくらはぎを締める」とうい点を特に意識して今後は練習していきたい。
 
 
■馬の割り当て方
あと、練習にはあまり関係ないが、いや結構関係あるかもしれないが、今日俺が練習した2鞍にて割り当てられた馬は、いずれも今まで乗ったことのない馬だった。

まず、朝のベーシックA~馬場はアラレ。モニタ画面を見て「え?アラレ?」と目を疑ったほどだ。それほど予想だにしていなかった。アラレ自体はベーシックAとか馬場あたりではよく使われる馬のはず。嫁なども結構乗っている。だが俺は一度もない。というか、多分タイプが違う。本来、俺に割り当てられる種類の馬じゃないはず、と。

俺は今まで、クイーンズペスカとかシルクビックタイムとか、暴れる系の馬が多かった記憶がある。あとはハコダテサンサン、シシリー、サンキューあたりも多かったか。今まで35鞍程度乗ってきたが、大体同じ馬が順繰り回って来る雰囲気だった。少なくとも俺はそう感じている。

レッスンで乗る馬はクラブ側が意図的に決める。という説はネットのどこかで見た。乗り手の技量とか適性を見ながら合う馬をあてがっているのだと。逆に、そんなことは全くなくて馬はあくまでランダムで決まる、という説もある。俺は意図的派だ。少なくとも先週まではそうだった。

しかし、いきなりアラレとか予想外の馬が来ると、ランダム説もあり得る気がする。あるいは、暴れ馬系が多かったから、たまにタイプの違う気弱なアラレをあてがってみようなどというクラブ側の分析が介在していたとしたら、やはり意図的ということにもなる。どっちがどっちなのか…。

そんな感じで悩む俺に対し、朝のアラレに引き続き、次のベーシック馬場ではベリーベリーという、これまた全く想定外の馬が当てられる。無論、初だ。ますます馬選別のシステムが分からなくなってきた。

が、敢えて言うならベリーベリーは振動が少ない馬なので正反動のコツを掴むのには向いている。と、そういえば先週インストラクターが言っていた。川東氏ではなく、その時はたまたま雑談していた表氏(仮称)だったが、俺がしきりに正反動正反動言っていたものだから、表先生は「振動の少ない馬をお勧めしますよ」とアドバイスしていたっけ。

その後「何ならマンツーマンで」と続くのはお約束だが、もしかして先週のその会話を覚えていた表先生が、正反動の練習がしやすいベリーベリーをねじ込んでくれたとかいう、粋な計らいだろうか。だとしたら、やはりランダムだけではないという結論になるが…。
 
 
■正反動自主練習できず
まあ、分からないな。分かったことと言えば、ベリーベリーは確かに振動が少ない馬だという事実。しかしそれに乗ったベーシック馬場のレッスンででは、正反動の練習を一度もできなかったということ。せっかくのベリーベリーを有効活用できないままレッスンが終わってしまった。ホント、いつの間にか時間が経っていたことに後悔した。

インストラクターは鬼頭氏(仮称)。常歩、軽速歩もやるが、どちらかというと手綱の使い方と姿勢、何より脚によう馬の圧迫を重んじる人だ。決して蹴ってはいけない。蹴らずに挟め。それで反応が鈍ければ鞭を使え。とにかく蹴るな。これが鬼頭氏の乗馬哲学である。

基本は圧迫だけで殆ど馬を操れる。それさえ出来ればいつでも発進できるし停止も可能。軽速歩だって長く続ける必要なんてなく、3~4回出来れば十分。それよりも、出したいと思った時にすぐ出せることが重要。そのために常歩の時から手綱や圧迫で馬が言うことを聞くように調教しておくのだ。でなければ到底上のレベルでは通用しない。

そんな鬼頭氏、静かそうな見かけと違ってかなり熱い男である。最初は怖いと思ったが、俺等は結構好き。先を見据えて練習プログラムを組むという姿勢も上昇志向で良い。まあ、そのお陰で圧迫の練習に集中しすぎて正反動まで行かないまま終わってしまったわけだが。

そういう場合は、軽速歩の時に自主的に正反動をすればOK、とインストラクターの誰かが言っていた。しかし鬼頭氏は、生徒達が出せと言われてすぐに軽速歩を出せるようになったことに満足したのか、軽速歩で走ったあと5歩くらいで「はい常歩~」と、正反動をさせる隙すらなく終わってしまう。聞き分けの良い生徒達にすごく満足そうな顔をしている鬼頭氏に強く言うことなど到底できなかった。

まあ、そのお陰で鬼頭氏曰く「山のように動かないベリーベリー」を、結構動かせるようになっていた。鞭もしっかり使えたし、途中先頭も任されたし、これはこれで充実したレッスンだった。

正反動にはまだ全然自信はない。だけど少しずつ進んでいる。レッスン後、鬼頭氏がベーシック馬場の4のチェックを普通にしてくれたが、この次は見極めになってしまう。正反動がまだ全然できてないのでスルーした方がいいかもしれない。まだまだ道のりは長そうであった。
 
 
■動物園と風呂と居酒屋
乗馬の後は、いつも通りオキニの馬にニンジンなどをやって乗馬クラブを後にする。嫁は持ってきた餌の半分くらいパロムにやっていたが。乗る機会すら今後殆どないだろうに、まあ、何か気に入るところがあったに違いないう。

その後、東武動物公園で毎度のごとく生ビールを飲み、ゾウに餌をやって、西新井温泉で汗を流し、最後は西新井の馴染みの居酒屋「甲斐路」で美味い酒を飲んで終了。今回の西新井温泉は結構長い間滞在したので、少しずつ読んでいたJOJO第三部を読了することが出来た。

生活の軸に、西新井温泉と甲斐路が随分前から組み込まれている俺等の生活。その中に、東武動物公園という新たな地名が組み込まれつつある2017年、9月のこと。得た軸ができるだけ末永く続くよう…。

20170830(水) 個性そしてレアケース

【朝メシ】
・家/無し
 
【昼メシ】
・職場付近/コンビニオニギリ
 
【夜メシ】
・家/サンマの塩焼き(初サンマ)、ナスとシシトウとマイタケの味噌炒め、モロキュウ(鳥取ゆずみそ)、ハイボール、わさビーフ
 
【暦】
月 葉月(はづき)
二十四節気 第14「処暑(しょしょ)」
七十二候 処暑次候(第41「天地始粛(てんちはじめてさむし)」 Earth and Sky Begin to Cool
 
【イベント】
パチスロ化物語
 
 
【所感】
■邪道
ウチが扱っている商品で、旬を過ぎてしまい、だけど叩き売りすることも出来ず不動在庫化してしまったものがあった。今月中に何としてでも売れという話になり、半分近く減ったのだが、残り半分がどうしても捌けない。もう無理、宛てがない、と途方に暮れた。

その時ふと、過去2~3年前に一回しか取引をしていないお客のことを思い出し、連絡してみる。かなり邪道、権道を好む体質で、普段ウチが扱うありきたりの商品など見向きもしないお客、アウトロー的なお客だが、別に法に背いているわけじゃなし、だけど真っ当な思考では思い付かない販売をするお客だから深入りしないよう、それでも定期的に連絡は入れていた。

そのお客が、このどうしようもないガラクタを残り全部買ってくれたわけだ。恐らく買ってくれると期待した。いや予想した。いや殆ど確信していた。蛇の道は蛇なので。まあ売るためには多少のことはする。際どいことだって厭わない。情報戦に私情は挟まず、有益な情報提供は小出しにせず、駆け引きせず、一気に行けるところまで行くのが良いのだ。一気に片付けるために。

というわけで蛇の道は蛇、餅は餅屋と言われるけれど、同じ餅屋でも多種多様なのが現実だろう。同じ業種に属する販売店やウェブショップにしても、得意とする商品は千差万別で、販売方法や仕入方法、運営方針もピンキリだ。

売れ筋を主として体系的に販売するオーソドックスな店もあれば、商品点数を絞り込んでボリュームディスカウントさせた上でお客に大量販売するというバイイングパワーを駆使した一点集中型もあるし、それら他社との競合を回避しつつ独特の嗅覚でニッチなニーズをかっ攫うローンウルフタイプなど、まあ言ってみれば百者百様。

それも当然のこと。どの店もずっと存続したいと願っているし、存続させるつもりでいる。つまり生き残ろうとしている。規模も設備も資本力も立地も人員も、店を構成する要素が違うのに、皆が同じことをして生き残れるわけがない。プレイヤーが増えすぎた世界には淘汰が働くのが自然の摂理であるからには、頭で考えて、動いて、あの手この手で生き残ろうと試みる。放棄したらそこで閉店のお知らせですよ、と。

人間に個性があるのと同じだ。体力、知力、年齢、すなわち能力、センス、あるいは経験や人脈に至るまで、誰一人として同じ者は存在しない。自分のその時点で持っているもので勝負し続ける以外にないが、やはり皆が同じことをしても生き残れない。生き残れないと言うより、人として輝けないと言うべきか。

誰もが異なる持ち物で立ち向かう中、誰もが存在価値を見出すためには、自分に合った手法や道を探す以外にない。他の誰のものでもない自分だけの時間を、自分のために全うするために。与えられた自分だけの時を刻むために。

時の歯車が自分の中に収まっていない人間は多いに違いない。他人に歯車を差し出すのではなく、自分自身の歯車を回すために命は使いたいものだ。

よって、無能とか、役立たずとか、生きていても意味がないとか、そうやって自虐に浸るのが癖になってしまっている場合は、とりあえずそのマイナスワードを全部「個性」と言い換えればマシに感じるだろう。

有能すぎたヤン提督が早世し、その被保護者である若輩のユリアンが後を継いだはいいが自分の思ったようには中々行かず自責の念に駆られるユリアンに対し、ヤン提督の未亡人であるフレデリカが、何故ユリアンはヤン提督のように出来ないのかと問うたところ、ユリアンは「才能の差です」と即答したが、フレデリカはそれに勝る即答で「違うわ、個性の差よ」と言い切った。ヤン提督の真似があなたに出来ないように、ユリアンの真似はヤン提督もできない。はあなたはあなたのやり方でやればいいのよ。とフレデリカは落ち込むユリアンを励ましたのだった。

銀河英雄伝説の話。だけどいい話ではないか。自らの個性を軸に自分のやり方で歩くのが結果的には一番ベストに近付けるとフレデリカ・グリーンヒル・ヤン未亡人は仰ったわけだ。そもそもユリアンは無能どころか何でも出来る超万能型人間なのだが、ヤン提督が一方面だけに余りに突出しすぎていたため、その輝きに憧れるあまり、その偏った部分だけで自分と比較してしまったのが過ちの始まりということで。

なんにせよ、『個性』…。いい言葉ではないか。そして便利な言い回しだ。

そういえば似たような事案で、2ちゃんのスレに載ってたんだけど、こんなレスがあったな。

あるツイートの引用だけど
「死にたい」って言う代わりに
「面白くなってきやがったぜ!!」
って言うと
面白くなってくる

らしい

というレス。案外言い得て妙かもしれない。テンパッた時は「ヒャッハー面白くなってきやがったぜ」と、強がりでも唱えればいいんだ。思い込み、暗示。そうやって自分に何度も言い聞かせれば、本当に面白くなってきそうではないか。同じテンパッているのでも、陰気なテンパイより陽気なテンパイの方が数十倍良いに決まってる。自分にとっても、周りにとっても。

というわけで、疎遠気味だが個性を大事にするお客さんが、ウチのガラクタを買ってくれたというレアケースの話であった。
 
 
■スロのレアケース
仕事後、アキバで化物語を打ったのだが、そこでもレアケースに遭遇したな。化物語は発売した2013年あたりからもう4年間も続くロングセラー機種であり、俺自身累計で多分50万Gくらいは回してると思うが、まず白7忍ボーナスを見た。突然来てビビったな。

AT中の忍ルーレットで『鬼』かどうか確認しなかったし、確定画面から31G以上回ったはずなので、もしかすると赤7からの昇格かもしれない。その場合は設定5~6のセンは消えるけど、とりあえず相当レアであることには違いないので地味に嬉しかったりする。まあ白7にしては310枚と随分奮わなかったが。

もう一つは中段チェリー。突然バシュッ!という音と共に中段に止まるチェリー。画面に現れる踏み切りレインボー電車。まさにケツ浮いた。確認してからのけぞった。この20年以上に亘るパチやスロ人生でケツ浮いたのは、エヴァセカパクの開店1G目のオスイチ確変とか、数えるほどしかないというのに。

ロングフリーズ「始マリノ刻」でもケツなんて浮きやしない。化のロンフリ自体、今まで40回くらい見てるから今さら浮かないが。でも中段チェリーは圧倒的にレア。多分過去1回か2回じゃないか。覚えてない。65535分の1の超低確率にも関わらず、恩恵が倍倍1コのみとか、甲斐のない演出だが、珍しいものを見た、という陶酔感には浸れたのだった。
 
 
■初サンマと秋の色
夕食もレアケース。今年に入って初めてのサンマ。初サンマである。遂にこの時期が来たか。美味すぎる。だがそれは秋到来ということでもあり、一抹の寂しさを漂わせる。衣替えの季節もそろそろか…。

そう思いつつ、自分の洋服ダンスを見る。長袖ってあんまり持ってなかったな。どこかのタイミングで新調するか。

その傍らで、嫁は亀吾の新しい洋服を作っている。亀吾も薄汚れ、傷んできた。ほつれて綿が飛び出した部位もあり、何箇所か補強している。痛々しい。だけど外に連れて出歩かないという選択肢もない。いつでも一緒だ。死ぬまで…。

だから服は今では必須。嫁も、そして俺も、可愛い亀吾のために労を惜しむはずがない。

これもまた個性だ。

20170816(水) 自分の活動空間や思いがセカンドライフ化しないよう

【朝メシ】
・家
無し
 
【昼メシ】
・職場付近 1人
自作オニギリ
 
【夜メシ】
・家 嫁
豚肉と鳥取ラッキョウの炒め物、キュウリとツナのラッキョウ酢の物、フルーツワイン、チップスター、公園だんご(鳥取土産)

 
【暦】
月 葉月(はづき)
二十四節気 第13「立秋(りっしゅう)」
七十二候 立秋次候(第38「寒蝉鳴(ひぐらしなく)」 The Evening Cicada Sings
 
【イベント】
パチスロ化物語、レグザ予約視聴「ウルトラセブン」 ガッツ星人、テペト
 
 
【所感】
■休み明けの昂ぶりと憂鬱と
楽しかった夏季休暇も終わってみればあっけなく、再び億劫な仕事が始まる。しかしその足取りは重く、現実感に乏しい模様。自分が今、何処に立っているのか掴めない。何処に向かって歩いているのか忘れそうになる。意識が何となく定まらない、骨抜きで魂が抜けたような状態。まさしく夏の空に儚く彷徨う空蝉のよう。もう2017年が始まり8ヶ月が過ぎた。

いい加減、目覚めなければ。いつも思う。特に帰省した時はその思い強く、実家に帰り老いた両親を目の当たりにする度に「俺は一体何をやってるんだ」と焦燥し、「こんなんじゃ実家に合わせる顔がない」と恥じ入る。「こんなことではダメだ」と自らを戒め、「俺はやらねばならない」と奮起する。そうだ、俺は変わる。明日から変わる。今度こそ新たな道を歩むのだ。

そう己を叱咤激励しながら魂を鼓舞させ、翌日から始まるであろう建設的かつエモーショナルな日々を想像し、興奮と共に胸を打ち震えさせる。自分自身に言い聞かせるように。まるで祈るように。悲鳴を上げるかのように。

だが実際に翌日が訪れるとどうなるかというと、前日の奮起など無かったかのように怠惰な時間をまた過ごす。飲み屋で管を巻く新橋のオヤジのように、達者なのは口だけで実際に動こうとはせず、汗を掻くことを避け、酒をかっ喰らうだけの日常。

草野球チームに入らず、バッティングセンターにも行かず、家で素振りすらせず、寝ながらイメージトレーニングが関の山。それだけで満足するタイプ。野心も情熱も消え失せた瞳は濁りに濁り、見えるのはただ目の前の短絡的事象のみ。退廃は一層加速する。そしてまた時だけが過ぎる。取り返しが付かないほどに。

果たして失ったものを取り戻せるのか。無為に過ごした時を今後で挽回できるのか。15年前も同じことを考えていたし、宣言していた。友人とよくそんな話をしていた。その時は、「3年間何もしていなかったのなら、1日で通常の3倍活動すれば取り返せる計算」などと言っていた気がする。

だが、言うだけで一向に動かないので、年を増すごとに大言壮語に拍車が掛かる。「5年分を取り戻すには毎日5倍の時間を費やせばいいだろう」となり、いずれ「8年分なら1日で普通の8倍こなせばまだいける」などと、理論だけがエスカレートしていったわけだが…。無理だろ。疲れ知らずの機械じゃあるまいし。

心の中では分かっていた。いつだって知っていた。机上の空論に過ぎないと。実際動いていないのに、その数倍の能力が突然降ってくるなどという設定は、妄想以外の何物でもないと。それを可能にするには、文字通り機械になるしかないレベル。CPUをPentium120からKabyLakeのCore i-7に換えるくらいの劇的能力アップが必要だ。そんなの、無理だろ。

いや、無理じゃない。実際、機械になればいいんだ。そう、人間を超えればいい。常人の10倍の能力を手に入れて、睡眠もほぼしないまま、24時間フルで活動・研鑽する超常の人種。その人種に進化すれば大言壮語も決して夢物語じゃなくなる。人間は脳の10%しか使っていないと言うではないか。残り90%を活用すれば、今は眠っている大半の潜在能力を全て引き出すことができたなら、作業スピードも効率も突出し、出ずる結果も飛躍するに違いない。

よし、そうと決まればまずは人間本来の能力を高めることが先決。応用とスピードタスクと並行作業をする前に、人としてのベースをアップさせる。ヒューマンとしてのベースをアップさせるのだ。

そういった超人願望は多くの人間が持っている。ゆえに群がる。自己啓発本や、自己啓発セミナーに。皆が集う。未知の領域に未知の能力を手に入れるために。

一方で、その超人願望を、自己啓発本を書く人間や自己啓発セミナーの主催者は利用する。付け入る。自己を啓発したい人間の心の隙に。「やれば誰でもできる」と甘言をもってして取り入り、本を買わせる。セミナーに参加させる。講習を受けさせる。

だから、いつの時代も自己啓発関連のノウハウは多くの人に必要とされ、同ノウハウはいつの時代も売れる。そしていつの時代も、自己啓発の手法、方法論は似たり寄ったりで大して変わらない。多くの自己啓発本を読んできた俺が見るに、20~30年間同じようなことを言い続けている。

それでも売れるのだ。何故か。多くの人間が自己啓発に失敗しているからに他ならない。もっと突っ込んで言うなら、自己啓発のノウハウを継続できないから。途中で挫折するから。あるいは飽きてしまうからである。実際、自己啓発本に書いてあるような内容は、「誰でもできる」と言いながらも結構困難な内容も少なくない。それ自体はルーチンワークなのだが、続けるとなると意外に辛い。そこまでしてやらなきゃならんのか、とかなりの確率で歩みを止めるだろう。

そもそも本当に効果が出るのか? いつ得られるのか? 何ヶ月先か、半年先か、それとも1年か、もしかして2年とか3年掛かるんじゃなかろうな…。見えない、分からない。大体の自己啓発本は、「効果が出る時期も効果の度合いも人によって異なる」という断り書きを入れている。これは、成功しなかった読者からの非難を避けるための逃げ口上なのだが、明確に「できる」と言われないからこそ余計に不安になる。つまり「できない場合もある」ということではないか。

そもそも、誰か実践している奴が居るのか? そんな奴、お目にかかったことがない。これだけ自己啓発という言葉が世に氾濫し、重宝され、恐らくは多くの者が実践しているはずなのに、そんな超人に一度として会ったことがない。まるでこれは一体どうしたことか。ますます疑心暗鬼になる。

情報だけが氾濫し、しかし中身がない。使いこなしている人間が居るのかも分からない。広大な器だけがあって、でもプレイヤーが存在しない空間。イメージは増大だけど現実は過疎ってしまったただの廃墟。まるで2000年代の初め頃から「未来型仮想空間」「仮想世界は現実世界を超える」などと超鳴り物入りで登場したけれど、使うユーザーが大して居なくて最終的には廃墟と化した「セカンドライフ」のようではないか。

(セカンドライフの今)
http://jp.techcrunch.com/2017/04/04/cluster-will-launch-in-may/

セカンドライフは当時、リアルマネーが使える、現実と同じように店を出店できるなど先進的でセンセーショナルな試みだったが、理論だけが先行しすぎてユーザーが付いてこれなかったのが敗因だ。人も集まらないのに店出したって、意味が無い。リスクが高すぎる、と。

自己啓発の世界もセカンドライフに通じるものがある。高みに上るためのノウハウはギッシリだが、読者が付いてこれないのだ。いつ獲得できるか分からない。その保証もない。成功者も近くに居ない。そんな一か八かのようなものに時間と労力を割いて意味あるのか? 疑念が涌いてくる。テンションはダダ下がりとなり、ほどなくして辞めてしまうというパターンだ。セカンドライフのように。

それに、「やれば誰でもできる」という煽りは、言い換えれば「やらなければできない」ということ。多くの自己啓発本が、実際「継続しなければ獲得できない」と言い切っている。当たり前のことではあるが、「誰でも簡単にできる」と言いながらも、「続ければできる」「やらないとできない」といった感じでトーンが落ちていく様を見れば、読者としても気が遠くなるというもの。

人間は元々飽きっぽい。それを押して「苦痛を感じることを延々と続ける」など、どだい不可能なのである。殆どの人間には。だから大半が会得できないし、よって会得した人間に会うこともできない。まさしくセカンドライフ化する。

しかし一旦諦めたとしても、「できるなら超人になりたい」という願望は誰もがずっと持っているため、言い回しを変えたツールを変えただけで内容は殆ど変わらない自己啓発本が新発売になると、ついついまた手に取ってしまう。そして前回と同じように、甘い幻想は再び砕かれる。その繰り返しだ。内容が同じなのだから、今の自分が前回挫折した自分と同じである限り、挫折するのが当たり前というものだ。結局、自分を変えない限り、変わることなどできないのだ。

そうだ、自分を変えるために、まずは自己啓発を…。

という無限ループに陥って、一体何年、十何年が経過したのか。俺もまた、自己啓発本を買い漁ったクチ。中学生の頃から買っている。そして今でも買っている。機械のような処理をするために、と。まあ大体は記憶術、速読、速聴、そして並列思考と並列処理に集約されるだろう、殆どの自己啓発というものは。一つとして今のところ獲得できていないが…。

とにかく時間が経った。取り戻せるのか本当に分からない。腰痛もなかなか治らないし。年齢のせいにはしたくないが、身体が物理的に衰えるという自然の摂理も計算しておかねばなるまい。その摂理に抗うことが自己啓発の基本であり、真髄でもあるし。

早いとこ始めなければ、いずれ死んでしまう。人はいつか死んでしまうのだと、肝に銘じなければ。
 
 
■終わっていく諸々のこと
死ぬのは人だけではない。諸々の現象が、事象が、物質・精神両面においていつかは衰え、費え、消えていく。

例えば、昨年夏あたりから「奇跡の絶景」という週刊誌が発刊されていた。文字通り世界中の絶景を、美しい写真と熱意ある文章で特集する書籍だ。俺は創刊号からずっと買っていて、当時早朝水泳をした後の喫茶店などで貪るように読んでいた。

20号くらいから惰性になってきて、買ったけど袋から取り出さないなどという状態も続いたが、それでも俺の知る限りの最新閑40号・8月1日(火)発売分まで欠かしたことはない。

が、まさしくその40号で休刊が決定した模様なのである。いつものように8月8日(火)発売の41号を買おうと書店に行ったが「無い」と言われ、そこから北千住、アキバの書店を6店舗は回ったのに、どこも「無い」とか「これは取扱いをやめてしまいましたねー」などと店員は連れない。そりゃあ、週を追う毎に書店に並ぶ数が減って行ったし、最後の方なんて目立たない場所に1冊だけゴミのように置かれていた状態だったが。

しかし、まさか休刊とは。ネットで手に入らないものかと検索したら、まさしく発売元のWebサイトで「休刊のお知らせ」と衝撃の告知があったものだから、本屋に無いのも納得というか、だけどそれ以上にショックというか。結構思い出深い本だったので。読む読まないは別として、コレクションとして毎週買うことに意義を見出していたのに。

(奇跡の絶景 休刊のお知らせ)
http://mirapla.com/_ct/17101936

100号まで予定していたらしいが、わずか40号で休刊。いや実質的な廃刊に追い込まれるとは、さぞ編集者達は無念だったろう。わんこそば100杯以上に挑戦したがあっさり40杯でギブアップしてしまったような超不完全燃焼。無論、それは読者が減っていき、最終的には殆ど居なくなったから。不人気だったからに他なかろうが、それでも…。
 
 
■思い出になる前に
このように、身近に買っていた本ですら突然終わりを告げるのだ。終わってからでは遅いということがよく分かるだろう。急いだ方がいい。

今晩のメシは、鳥取帰省の際にもらってきたラッキョウを使った酢漬けや炒め物など多彩だったが、そのラッキョウにしたっていつまで貰えるか分からないのだ。時間は残酷。刻一刻と過ぎていく。それはすなわち、終わりが刻一刻と近付いていくということ。

得たいものがあるならば、伝えたい思いがあるならば、生きている内に間に合わせるのがベスト。思い出として語るのは次点にもなりはしない。自分が生きている内にではなく、相手が生きている内にしなければ意味がない。

実家の優しさと愛情が篭ったラッキョウを食いながら、俺は心を引き締めた。また徒労に終わるとしても、気負わずにはいられなかった。